関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

5月1日、重い日になりました・・

2015年05月01日 | 関とおる自己紹介・連絡先等
昨日、5月1日はメーデー。第86回鶴岡田川地区集会に参加し、来賓としてご挨拶しました。

午後は、映画「放射線を浴びた、X年後」を観ました。

夜、中学の同級生の通夜がありました。
せめてもの供養と思って、通夜振る舞いで同級生らと思い出を語らってきましたが・・。
余命宣告を受けて1年以上闘病しながら、54才でこの世を去らねばならなかった友の心中を察すると言葉がありません。
残されたご家族にいつかなにかのお役に立てないかなどと思い浮かべながら、靴を磨いたり、服をたたんだりして夜更けまで過ごしました。

私、妻宛の遺言は書いてとってあるのですが、更新したくなりました。

メーデーも映画も重要なイベントでしたが、今日は詳細書けません。



プロフィール

2014年07月14日 | 関とおる自己紹介・連絡先等

☆氏名  関  徹
☆自宅
  住所 鶴岡市長者町11-26
  
TEL/FAX 0235-24-2414 E-mail sekitouru@gmail.com
 
携帯 070-5622-4138 
☆Facebook  http://www.facebook.com/sekidesu
☆生年月日 1960年9月28日生まれ
☆サイズ 
  174cm7?kg
☆運動能力 
  背筋力160kg 握力:右45kg、左40kg 
  100m走14秒ちょっと 5000m走20分ちょっと 
  最長走行距離24km 最長遊泳距離1km
  (残念ながらいずれも最盛期の記録です。
   現在は「不明」ですが、トレーニング再開を決意。)
☆趣味・特技 
  読書(積読) 子どもへの絵本の読み聞かせ
  スポーツ全般 囲碁(参段) 柔道初段
☆家族
  妻  看護師。職場結婚。中山間地から平地に降りて来てもらいました。
  長女 作業療法士
  二女 作業療法士
  長男 大学理学療法科
☆主な経歴
 鶴岡市立朝暘第一小学校・第三中学校、山形県立鶴岡西高校卒業
 文教大学人間科学部社会学専修修了
 庄内医療生活協同組合事務職員、労働組合専従書記長
 山形県労働組合総連合副議長 鶴岡田川地域労連事務局長
 バス運転士過労死裁判支援する会事務局長
 湯田川病院を守る住民の会事務局長
 一小・三中・中央高校PTA役員
 現職:一学区学童保育所保護者会相談役 
☆県議会での所属
 19年4月から厚生環境常任委員会 産業振興・人材育成対策特別委員会 広報公聴委員会

☆市議会での所属

 総務常任委員会
 決算特別委員会委員長
 議会だより編委員会
 議会改革特別委員会
 総合計画審議会
☆これまでの歩み
      ?年 荘内教会保育園入園
   67年 同園卒園

   同年  鶴岡市立朝暘第一小学校
        入学は二小(現在の中央児童館の場所)、一年生の途中に
        学区編成で一小に。
        6年間、国数理社は5段階評価でほとんど5。生物系の
        図鑑数冊の内容をすべて記憶するなどしたことから
        「理科博士」と呼ばれるが‥、
        どこから凋落したものか??
   73年 同校卒業

   同年  鶴岡第三中学校入学
        一年生の途中に新校舎に移る。旧校舎(現在の学童保育所
        星の子などの場所)から自分の机を持って歩いて引っ越し。
   76年 山形県立鶴岡西高校入学
   79年 同校卒業
        一年間、予備校に通う。学校は三鷹市にあり最寄り駅は吉祥
        寺。余り勉強しなかったような・・。

   80年 文教大学入学。人間科学部社会学専修
        生協設立運動に関わり、「一人は万人のために、万人は一人
        のために」という生協運動の理念に感動、自分の将来と社会
        のあり方を統一して考える生き方に踏み出す。その結果、日
        本共産党に入党。
         生協設立運動・学友会・社会科学研究会に参加。教科書問
        題考える会を設立。
         講義欠席多く、「欠関(けっせき)」などと言われる。
         しかし、興味のある分野は勉強。長期休みは一日12
        時間本を読んだり。
         3回生の期末に何と肺結核発病。「1年半から2年入院」と
        言い渡されて目の前真っ暗になるも、入院中はさらに読書に
        勤しむ。驚異の快復力で半年で退院。一年留年。   
   85年  大学卒業。

   同年6月  庄内医療生活協同組合入職。組合員活動担当の部署
         に7年、市民の暮らし、地域の状況と密着した仕事で得難
         い経験。

   87年9月 結婚

   89年   長女誕生。

   94年   二女誕生。

   95年   長女小学校入学と同時にPTA役員となり、その後
         毎年継続。

   97年   長男誕生。 

    同年 労働組合専従に着任。医療労働者の生活と権利を守ること
        と、国民医療を守ることを統一した医療労働組合の運動を
        体験。同時に、地域の労働組合の連合会の事務局責任者
        になり、地域の市民的課題での共闘も体験。
         「湯田川病院を守る住民の会」では、全市民的な共同で
        政府・厚生省(当時)とのたたかいを体験。
         「バス運転士過労死裁判支援する会」では、労働者の命
        と健康を守る全国的たたかいに参加。最高裁にも公正判
        決の要請に行き事務官に署名を手渡すも、「上告不受理」。
        「巨大な権力」を実感。

   99年  「明るい鶴岡をつくる市民の会」で市長選挙をたたかう。
         その後、5年余りの間、イラク戦争反対、憲法擁護、核兵
        器廃絶などの課題で、社民党、民主党、連合、保守の方
        などとの共闘を経験。
         思想信条、政治的立場の違う者同士が、一致点で共同
        することの大切さと難しさを実感。

   05年 新鶴岡市議会議員選挙に立候補、当選。
       一期目の4年間、議会の後の報告作成と担当地域全戸配布、
       毎週朝と日曜日の街頭報告、ブログでの情報発信など。
   
   09年10月11日
       2度目の選挙で再選。
       定数減、選挙区が初のオープン選挙であることに加えて、
       私の場合、告示2ヶ月前に担当地域が一部変更されると
       いう大変厳しい選挙だったが、
       前回選挙時比268票・11.4%増の2259票を獲得
       
することができました。
       日本共産党市議団としても全員が得票を伸ばして1議席
       増の4議席
を獲得しました。

   13年10月13日
       かつてない激戦の中、3度目の当選を勝ち取りました。       
        http://blog.goo.ne.jp/sekitouru/e/1cc6e575599dc9c6eabb43014c41053c
       党員・支持者の皆さんの文字通り昼夜を分かたぬご奮闘
       のお陰と、心から感謝しました。

   14年 7月14日
       来春の県議選に立候補することを表明しました。
       53才にして、人生最後の大きな山に挑戦。
 
   15年 4月
       県議選挙初当選

   19年 4月
       県議選挙再選