関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

大震災被災者支援「物資お届け会」

2013年06月14日 | 活動報告

 9日(日)、日本共産党山形県委員会の被災地支援、「物資お届け会」がおこなわれ、鶴岡からの物資は私が届けることになりました。



見送り一名(匹)

 朝6時、前日まで地区委員会事務所に届けられた、物資をミニバンの車内一杯に詰め込んで出発(かなりサスが沈んだ状態(*_*)、晴天の月山道を快走して、会場の「サンピア仙台」(仙台市若葉区)には9時ちょっと前に到着、山形県委員会責任者の太田としお参院予定候補らは先に着いていて、現地ボランティアらと準備作業にあたっていました。
 この日は、埼玉県委員会、群馬県委員会から700kgを超える米を始めとして、日用品、衣類など沢山の物資が届けられ、快晴の空の下、ブルーシートの上に所狭しと並べられました。    
 

 開始一時間前から人が集まり始め、すぐに二百人ほどになってしまいました。
 

 待ってもらっている時間に、仮設住宅に入っている方を探して、お話しを聞かせてもらいました。

生々しいお話しに・・ 
 70代の男性、奥さんと二人で入っている仮設は、6畳と4畳半、荷物がありますから、実際は6畳一間の生活。
 震災前は電気工事の仕事をしていたということで、「今すぐにもその電柱(太くて高いヤツです)に登って仕事できるよ。でも道具も何も津波で流されてしまい、仕事仲間も沢山死んでしまったので仕事ができない。年金だけの生活で、仮設から出て暮らす金も無い」

 70代の女性。「仮設は狭くて、旦那と二人ですぐピリピリしちゃう。そうすると私が外に出て散歩するようにしてる」、と聞いている側から、旦那さんが「そんなことまで言わねばならないのか!」と気分を害されたので、誤りつつ退散。

 震災直後に若林区の避難所の責任者をやっていた方の奥様にも会えました。
 「避難所を出てからは、今入っている仮設住宅団地の自治会長をやってきて、この間辞めたばっかり。自分だけでも大変なのに、あれこれ人の世話に駆け回って、体調を崩してしまった。真面目過ぎるのよ。私も調子が悪くなって、今では夫婦で医者通い。それが、春から医療費免除(一部負担減免を国が廃止)が無くなって、ホントに酷い。」

 余りに気の毒なお話しに、何にも言うこともできなくなってしまったところで、会が始まったので終わりになりました。
 二人目の女性からは、「福島さん(元県議)にも、高見さん(市議)にもいつも助けてもらって、共産党には本当に感謝してますよ」と言われて、ジーンときました。

 開始の合図と同時に会場はかなりの混雑となり、30分ちょっとで物資はあらかた無くなりました。
 結局、3百人を超える被災者の方々が来訪され、感謝の言葉を口にされながら、皆さん笑顔で帰ってくれました。

被災者と懇談会
 片付けが終わった後、被災者の方々とささやかな昼食・懇談会がおこなわれました。
 「医療費一部負担減免制度が打ち切られたことが打撃だ。何度も県への要請行動に参加したが、知事は一度も出てこない。県も市も冷たい。」
 「自分が住む百件余りの仮設住宅では、『元の場所に戻りたい』という人は半分くらいだ。経済的に家を建てる展望が無いからだ」 
 「被災直後、なんにも無くなったところに、共産党から米や服やトイレットペーパーなどが届けられた。今も続く支援で本当に助かっている」
 「目の前に迫った津波から何とか逃げた。百メートルも無かったと思うが、黒くて高い波が、ゆっくり進んできた。ちょうど、車が走れたので助かったが、別の道に行った人はみんな呑まれてしまった。その後、避難所にはすぐに高橋ちづ子衆院議員や紙智子参院議員が来てくれた。夢でも見たような感じがする。こんなにたくさんの人に助けられる経験をしたことは、被災してたった一つ良かったことだ」

 狭い仮設住宅で、先の見えない厳しい暮らしを強いられている被災者に、医療・介護の一部負担減免を打ち切るのみならず、さらなる社会保障改悪と消費税増税をおこなおうとする安倍政権の冷酷さが改めて痛感されました。

今後の課題
 2年3ヶ月経って、今なお不自由な仮設暮らし、働くことも、銀行からお金を借りることもできない多くの被災者の方々が、仮設を出る展望も持てず、「このまま世の中に忘れられてしまうのではないかという不安が大きくなっている」と語ります。

 こうした中で、共産党のボランティア活動は、ささやかなものではあっても、被災者の方々に喜ばれ、励みになっているようです。
 これまで3万3千人のボランティアを派遣、10億円を超える募金を集めて被災者に届けてきました。
 鶴岡でも現地の生の様子を市民に知らせ、支援の輪を一回り二回り広げながら、支援を息長く継続していかなければならないと決意を新たにしました。

緊急の生活相談
 最初にお話しを聞いた70代の男性のお話しの続き。
 「別の仮設に入っている40代の息子がガンで働けず無収入。自分が年金から医療費を送っている。」とのこと。
 収入などを聞く生活保護を受けることができると思われ、居合わせた庄司あかり市議に引き継いで、週明けに対処してもらうことになりました。
 被災者の方々にお話しを聞くことは、本当に申し訳ない気持がするのですが、こうして問題をキャッチしてお助けすることにつながったり、被災地に来られない鶴岡の方々に、生の声を伝えることで、支援の輪を広げる力になると思って、無理をお願いしています。

帰りに海岸部の荒浜に立ち寄りました
行政による一方的な線引きで、元済んでいた場所に戻れなくされたことに怒り、「荒浜を再生する会」が作られていました。



犠牲者を慰霊する観音像


海は穏やかでした・・。


酒田のボランティアの方々に遭遇。
小学6年生の女の子がお父さんと一緒に参加していました。
午前中一杯、民家の草むしりをしてきたとのこと。一生懸命やってきたようでした。
これから数十年の被災地支援を支えてくれるものと嬉しくなりました。
希望を感じながら帰途につきました。

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1 コメント

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ありがとうございます (仙台市民より)
2013-06-14 09:09:32
大震災から2年3ヶ月、今でも被災地に心を寄せてくれて ありがとうございます。仙台市若葉区にサンピア仙台は ありません、若林区・青葉区には有りますが。

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