関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

福祉用具取り上げは、「自立支援」?

2006年08月29日 | 医療・介護・福祉など社会保障

 ちょっと日が空いてしまいましたが、前回の続編。8月18日に介護保険良くする会が鶴岡市と交渉をおこないました。そして今日その継続で再交渉がおこなわれました。
 既報の通り、今年4月から実施された介護保険制度「改正」で、福祉用具貸与を受けていた人の内、「軽度」とされた方は10月から用具の利用ができなくなります。(「取り上げられる」と言うしかありません。)
 現在貸与されている用具は、「車イス及び付属品」「特殊寝台及び・付属品」「床ずれ防止用具及び体位変換器」「認知症老人徘徊感知機器」「移動用リフト」「手すり」「スロープ」「歩行器」「歩行補助つえ」の9種類に分けられますが、このうち最初の5種類が「軽度者の方については、身体の状況に照らして、一定の条件に当てはまる場合を除き、介護保険での保険給付がおこなわれません」とされてしまいました。 

 鶴岡市でも、貸与の対象から外される可能性のある方が、車イス74人、ベッド321人、床ずれ防止用具10人、移動用リフト20人などとなっています(5月利用分。徘徊感知機器は0)。

 こうした中で、良くする会が要望した事項は概略以下のようなものです。
 ☆福祉用具貸与の制度変更を利用者に対して、市として責任を持って説明すること。
 ☆制度変更の影響をただちに調査すること。
 ☆給付の判定にあたって、用具使用の必要性を国の指導で機械的にうち切るのではなく個別的に十分考慮すること。
 ☆車イスの貸与は、厚労省通達を弾力的に運用して、救済を図ること。
 ☆給付の制限を受けて介護用ベッドを使用できなくなる人に、無償又は安価で貸し付ける制度を設けること。

 良くする会からは、実際に用具貸与を受けている方(82才、視覚障害の男性)も参加、
 「要介護1・片麻痺の66才の女性は、ベッドと手すりの貸与を受け、身体機能を維持したいという一心でリハビリを頑張っている。『ベッドを取り上げられ、リハビリ通院も制限されたら・・』と希望を失いかねない
 「寝たきり予防のための改正などと言うが、ベッドや車イスを取り上げて寝た切り予防になるのか?
 「要支援にされて用具が取り上げられる人が、『要介護度が重くなって(用具貸与が継続されて)良かった』という話になっては本末転倒ではないか。」
 「救済制度を設けるのに必要な財源は数十万円で済む(今年度)」
などなど、実例も示し、介護保険制度のそもそも論から説き起こして市に迫りました。

 市は「良くする会以外からは、要望が無いので、制度改正は市民に理解されていると思う」
「介護保険の判定基準を変えて救済することはできない」などとも述べましたが、「(介護保険制度外の)独自制度の創設は研究していきたい」
車イスは、日常的に使用している人には、貸与が継続するようにしていきたい」と回答、重要な前進となりました。

 私は、この問題でケアマネージャー、ヘルパー、利用者など、多くの方々の声を聞き、こんなにひどい改悪をよくも「寝たきり予防」などと強弁して推進したものだと、怒りとともに、心底あきれてしまいました。
 「誠実な言葉で語ること」は、政治家に第一に求められることであり、今回の自体(そして小泉内閣の政治全般)はその最低限の条件を満たしていないと感じました。   


「改正」ですか、介護保険

2006年08月21日 | 医療・介護・福祉など社会保障

 8月18日(金)、「介護保険良くする会」が、福祉用具貸与をうち切られる人への救済策や制度変更の十分な説明などを求めておこなった緊急の対市交渉に参加しました。この件をご報告しようと思ったのですが、そのためには、昨年来の介護保険制度改悪について整理する必要がありますので、今日はそのご報告。

 介護保険では、「要介護度」を軽い方から1~5に区分し、要介護1に至らない人を「要支援」としていました。今四月から、これまでの「要支援」と「要介護1」の大部分の人が「要支援1、2」という区分に変えられ、従来のサービスである「介護給付」とは別枠の「新予防給付」に移行されることになりました。
 新予防給付は、受けられるサービスが限定されるとともに、将来的にサービスが切り捨てられていく仕組みになっています。

 1)新予防給付開始の困難
 新予防給付を受けるためには、「予防プラン」を作成してもらわなければなりませんが、体制が無い(のに開始した)ためにかなり遅れを来しています。
 都市部では、遅れどころか「プランを立ててくれる人が無い」という状況も広がり、「予防プラン難民」という言葉も飛び交っているそうです。

 2)負担増による施設退所
 昨年十月から施設入所者に居住費・食費が自己負担とされ、退所者が増加しています。保険医団体連合会の調査から推計すると、全国で3200人程度の人が退所を余儀なくされたと見られます。 山形県では、57人の退所が明らかになっています。 
 私も市内の老人保健施設をいくつか視察しましたが、「個室だと月15,16万円」と聞いて、入れない市民が多いだろうなと痛感しました。

 3)保険料アップ
 今年の四月から全国で「第3期介護保険事業計画(3ヶ年)」が始まりましたが、介護保険料は、92%の自治体で引き上げられ、平均で24%引き上げられました。 鶴岡市では、基準額で月3271円が4158円に引き上げられました。
 さらに、高齢者大増税の影響で介護保険料が増加した(段階が上がった)人が約5800名にのぼり、増税額は約8800万円にもなっています。

 4)生活援助の削減 
 新予防給付では「自分でやる」ことが基本とされ、家族や近所の助けなども無いような人でないと生活援助が受けられなくなりました。通院の支援も外されました。 介護給付(要介護1~5の人が対象)でも、ヘルパーの生活援助の報酬が一時間でうち切られるため、実質的に一時間で制限されました。「買い物を頼んだら『筋トレをやれ』と言われた」などという利用者の嘆きも紹介されています。
 福祉用具では、車イス、介護用ベッドなど五種類が貸与打ち切りの対象となりますが、鶴岡では打ち切りの対象となる人(福祉用具を借りている人の中で、要介護1、要支援1・2の人)は4~500人にのぼると見られ、影響は深刻です。

当初の「理念」はどこに??
 介護保険制度は、「利用者が介護サービスを選択できる」「介護を社会化し、家族の負担を無くす」などと言う触れ込みで開始され、新たに介護保険料が徴収されるようになりました。それまで福祉で無料で受けられた人も「利用料」が取られるようになりました。「お金を払うと、権利意識が高まる」などとも言われたものです。「介護度」は1から5まで設け、該当する人に介護を提供するということになりました。
 ところが今回の改悪では、折角「選択」した施設からは追い出され、介護予防を受けるための計画さえ立ててもらえない状況が広がっています。福祉用具が無くなって家族の介護が必要となる人も出ます。介護度も「1の人はやっぱり対象から外します」などということが簡単に決められていいのでしょうか。しかも、保険料は引き上げです。
 介護保険が始まってたったの5年(昨年時点)、最初の「理念」なるものがいかに薄っぺらなものであったか明らかです。だから政治が信頼されないんですよね。
(薄っぺらいのは、理念を真剣にめざした関係者の方々ではなく、国の社会保障支出削減という動機を「理念」でコーティングしようとした人々の「理念」です。)

 以上を前置きとして、対市交渉の内容を後日ご報告します。


自らを省みることのできる国民に~首相の靖国神社参拝から考える~

2006年08月15日 | 平和と民主主義・外交

今日8月15日は、61回目の終戦記念日。笹山一夫県議会議員とともに、朝から正午まで街頭宣伝をおこないました。
 私は、今日は過去の日本の侵略戦争を過ちとして直視し、戦争の悲惨を語り継ぐ日であること、そうしてこそ、戦争の再来を防ぐことができると訴えました。

 ご承知の通り小泉首相は、国内外の反対を押し切って、靖国神社参拝を強行しました。 夜にNHKで「日本の、これから『アジアの中の日本』」という番組を観ましたが、参拝の是非を巡る激しい討論がおこなわれ、今日がかつてなく熱い終戦記念日であったことが伺われました。
 靖国神社については、「A級戦犯の合祀」のみに焦点が当てられているようですが、問題の本質は「靖国神社が過去の日本の戦争を正しい戦争として美化する組織である」というところにあると考えます。
 番組の「生アンケート」では、首相の参拝を是とする人が6割を超え、特に20代30代で高いという結果が示されましたが、私は、結局歴史認識の問題、かつて日本がおこなった戦争の性格を正しく認識しているかどうかが現れていると思いました。
 例えば、昨年8月に毎日新聞がおこなった世論調査では、かつての日本の戦争を「間違った戦争」と回答した人の割合が、20代で3割、「わからない」という回答が20代30代で3割を占めていました。

 今70代以上の方々の多くは、戦時下の悲惨な生活を体験し、肉親・知人を戦争で失う痛苦の体験をされています。より高齢の方々では、戦場に動員されて死線を彷徨ったり、アジアの方々への残虐行為を体験した(客観的には強制された)方々も少なくありません。
 私はこれまで、そういう方々の生々しい体験談も含めて歴史を学んで来まして、歴史の事実を学べばかつての日本の戦争が侵略戦争であったということを否定することはできないと考えています。
 問題は、歴史の事実が学校教育を始めとして正しく伝えられてこなかったことにあります。
 それは、戦後の自民党政権が侵略戦争美化と憲法「改正」を党是としてきたことに政治的要因があります。

 今、自衛隊が戦後初めて戦地に送られ、国会では憲法改悪勢力が8割を占めるという危機的な局面を迎えていますが、その一方で、「憲法九条の会」が誕生し全国に広がりつつあります。
 それは、過去の戦争と憲法に基づく戦後日本の歩みを見つめ、これからの平和のために活動する会であり、国民が戦後61年間かかって生み出した宝とも言うべき運動です。
 鶴岡でも昨年、保守層の著名な方々、お医者さん、お坊さんなどなど、政治的立場の違いを超えた広範な方々の参加によって結成されました。

 日本も鶴岡も、戦争か平和か、進路が問われる熱い夏を迎えています。
 今日の街頭宣伝に対して、手を振って声援を送って下さった多くの市民の方々の姿を胸に刻んで、これからも頑張っていきます。

 

 ご参照下さいー「憲法九条の会オフィシャルサイト」
          日本共産党中央委員会HP(「靖国問題」など)  

  


 
     


核兵器の無い世界を

2006年08月10日 | 平和と民主主義・外交

 この一ヶ月余り、毎日目が回るような忙しさになってしまい、ついついブログの更新を怠ってしまいました。今日の行動のご報告から再開したいと思います。
 ご承知の通り8月9日は、61年前に長崎に原子爆弾が投下された日です。6日投下の広島で14万人、長崎で7万人もの人が一発の爆弾によって命を奪われました。
この日に当たって、市内各所で「被爆者援護と核兵器廃絶」を訴える街頭宣伝をおこないました。
訴えた内容を掲載します。

被爆者援護を
 小泉首相は6日の広島平和祈念式典で、「被爆者に対して、これまで総合的な援護施策を充実させてきた」などと述べましたが、被爆者の方々にとっては、はらわたの煮えくり返るようなしらじらしい言葉だったと思いました。
 現在、被爆者健康手帳を交付されている人が259556人いるそうですが、この中で原爆症と認定され、医療特別手当が支給されているのは約3千人=わずか0.8%にとどまっています。
 丁度4日には広島地裁で、原爆症認定を争う裁判で原告である被爆者の訴えを全面的に認めた判決が下されました。5月の大阪地裁判決に続いて、司法が国の態度を厳しく批判ものです。

 被爆者の方々は20年前から10万人減、平均年齢は73.9才に達しています。
 家族や知人を奪われ、原爆投下後の地獄の世界を体験し、後遺症に苦しみながら61年を過ごしてきた方々に一刻も早く援護の手を差し伸べなりません。被爆者切り捨ての国の姿勢を改めさせなければなりません。

核兵器廃絶の障害=アメリカ
 世界最大の核保有国であり、「テロとのたたかい」を口実にして、核兵器使用を公言し、「使い易い」新型核兵器開発・ミサイル防衛計画に血道を上げているのがアメリカです。アメリカは、昨年の核不拡散条約再検討会議や国連サミットでは「核軍縮をとりあげること」にさえ反対しました。
 イラク侵略戦争を開始し、今も占領を続けるなど、身勝手な戦争政策を進めるアメリカの姿勢は核兵器廃絶の願いと運動の最大の障害です。世論の力で包囲していかなければなりません。

アメリカ全面追随の日本政府
 ところが日本の歴代自民党(及び自民党の亜流)政府は、戦後一貫して対米追随を外交の柱とし、特に小泉内閣になってからの5年の間、アメリカ言いなりの姿勢を極端にまで推し進めてきました。
 ミサイル防衛計画への参加に続き、3兆円かかると言われる米軍基地移転費をも肩代わりしようとしています。
 ある新聞で「支援しろ、移転費も出せ、牛を食え」という川柳が紹介されていました。日本に際限の無い要求を突きつけるアメリカの横暴さは、多くの国民の間で我慢のならないものになってきていると思います。
 また日本政府は、侵略戦争美化と軍国主義強化の動きをも強めています。 
 首相・閣僚の靖国神社参拝、学校教育での愛国心の強制、教基法・憲法改悪、日本の侵略戦争を正当化し、「お国のために命を捨てる」ことのできる国民づくりの動きに対する厳しい批判の世論と運動が必要です。

平和の願いを切り捨てる「行革」
 鶴岡市では一昨年まで、有志市民による創意溢れる平和都市宣言記念事業が8月におこなわれてきましたが、昨年その予算は「百万円から1万円」に削減されました。「行政改革」の一環だそうですが、多くの市民の願いに反し、折角の有志の意欲と努力に背を向ける姿勢と憤りを感じます。
 そして、市議会の9割のオール与党議員の方々は、こういう当局の方針をも追認してしまいました。
 市民の願いの届く議会をつくっていくことが、平和の事業のためにも不可欠です。

命・平和を大切にする政治を
 今日本では、医療・福祉・介護の現場でも、労働の現場でも、人の命が粗末にされる政治が進められていますが、政治の中でどのような逆流があろうとも、世界と日本の世論がやがて核兵器廃絶と被爆者援護を勝ち取ると確信します。
 市民一人ひとりが、戦争の悲惨さ原爆の残虐さを忘れず、命の大切さ平和の大切さに思いを致し、次の世代にそのことをしっかり伝えていきましょう。
 世界に誇る憲法を守り活かす、そういう政治の実現をめざして頑張っていきましょう。
 長崎での原爆投下の日に当たって訴えます。
 

 朝から大変な猛暑で、一カ所20分とちょっとしゃべりますと、全身汗だく、ノドカラカラという状況でしたが、気持ちを込めて訴えさせて頂きました。
 多くの市民の方々が手を振って応えて下さり(駆け寄ってきて強く握手をしてくれた見知らぬ中年男性もありました)、大変励まされました。