関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

お寺からも「不戦」

2016年02月09日 | 平和と民主主義・外交
 先日、市内のお寺でおこなわれた親戚の法事の後に、十人ばかりの参列者でお茶を頂いていた時、宗派(真宗大谷派)が「不戦」を呼びかけて作成したポスターが皆の目に止まりました。

 すると、最長老の85才の男性が訥訥と語り始めました。「上の兄2人が先に召集され、自分にも招集礼状が届いた時に、母が『ウチではもういいんじゃないでしょうか』と言ったのには驚いたが、断れるハズもなく自分も出征した。鶴岡でも毎日(のように?)、駅に向かう出征の行進があった。長兄は海軍に行き硫黄島にやられた。『アメリカの艦砲射撃が来ると、海岸線に逃げた』と言っていたが、生きて帰ってきたのは奇跡だ(硫黄島の日本軍約2万人の95%以上が戦死)。次兄も帰ってきたが、父や叔父を亡くし、戦後大変な苦労をしてきた・・」と暫く言葉が続いた後、「あげだ事はあどあってはならね」と強く話されました。
 政治家でも何でも無い、鶴岡で慎ましく暮らしてきた方からあふれ出たお話に、一同、黙って聞き入りました。

 住職にも、「戦死者の弔いも多かったでしょうね」と尋ねると、「いや、先代が徴兵され、寺はその間、停止していました」と答えられました。
 当時の人々の一つの拠り所であったお寺さえも、戦争に押しつぶされた訳です。

 戦争法には、仏教界も挙げて反対し、鶴岡でも多くのお寺にその趣旨のポスター・チラシなどが見られます。
九条の会の呼びかけに加わった住職も少なくありません。

 鶴岡でも庶民の暮らしの中で数百年続いてきた仏教界が、明仁天皇も言うところの「彼の戦争」を経て、「不戦」を誓い、それを破ろうとする政権に対してキッパリと反対の声を挙げるというところに到達しています。
 安倍政権の暴挙が、日本社会の進歩の流れに逆らうものであるということをお寺でも再確認しました。

山形県議会でも自民党多数の横暴~戦争美化を図る「慰安婦意見書」~

2015年10月08日 | 平和と民主主義・外交
山形県議会最終日、自民党が従軍慰安婦問題を否定する意見書を提案、民主社民系の県政クラブが会派協議会(自民と県政のみで構成。非公開)で提案することに反対しましたが、採決は強行され、自民党と無所属の賛成で可決されました。
反対は共産党(2)と公明党(1)、県政クラブは採決を棄権しました。
私は反対討論を行いました。

 意見書は、「(従軍慰安婦の強制連行をおこなったという)吉田証言が嘘だったから、河野官房長官談話も間違ってる。吉田証言を報道した朝日新聞は謝罪したが、そのような中でクマラスワミ報告が採択され、世界に間違った情報が拡がった。真実を発信して日本の名誉を回復せよ」などと政府に求めるもので、些末なことを元にして、歴史の真実をねじ曲げ、日本の戦争犯罪を免罪しようとするものです。

 このような意見書が県民を代表する県議会の名で議決されたことは、議員として恥ずかしい限りであり、県民の名誉を毀損するものと考えます。
 加えて、最終日に上程し(文書配布は前日)、県民が知らないうちにすぐに多数決で決めるとは許せません。

 会派協議会では、自民党議員が県政クラブ高橋議員に、「あんた、クマラスワミ報告呼んだことあるのか?!」と問い詰められて、「ない・・」と答えたといいます。
 自分はクマラスワミ報告を読みもせず否定している訳です。
 ポツダム宣言を読まずに戦争美化を図る総理大臣と同じです。

 昨年、同趣旨の請願を採択した時に、アジアのマスコミは山形県議会を「戦争肯定の妄動」として報じました。
 自民党の皆さんも、意見書の内容が県民多数の声では無いことをわかっているはずですが、「そんなこと」は一顧だにせず、議会で数が多ければ何をやってもいいという姿勢は、国政でも県政でも、一貫しているということでしょうか。

 最期に、意見書案と、私の反対討論をご報告します。
 言いたいことは沢山あるのですが、県議会の討論は何と「3分程度」とされているのです。
 また、討論に先立って、意見書について「質疑をおこなう」という通告を出しましたが、「S50年からの先例(申し合わせ)で、質疑はおこなわないことになっている」と門前払いされました。

 できるだけしゃべらせないという姿勢です。
 県民の皆さんに、県議会に向かってどんどん発言されることを呼びかけます。
 皆さんと一緒に、県民の声を取り上げ、積極的に議論する県議会をめざしていきます。

/自民党の意見書案/
 

/私の討論/
  日本共産党県議団を代表して、発議第18号に反対の討論をおこないます。
本意見書案は、93年8月の「河野官房長官の談話発表時の発言が吉田証言の裏付けとなって、クマラスワミ報告が採択され、その結果、国際社会に誤った認識が広がった」と主張しているものと読み取れます。
 強制連行に関わったという吉田証言が嘘だったことをもって、従軍慰安婦問題の真実をゆがめようとする、今日の従軍慰安婦否定論の典型的な論立てです。
 しかし、河野談話と吉田証言の関係について言えば、
 当時、日本政府は吉田氏をヒアリングの対象にはしましたが、証言は採用していません。
(注:時間の関係で省略ー「河野氏本人、談話作成に直接関わった石原信雄官房副長官など、関係者の証言からも明確でます。談話がもともと吉田証言を根拠にしていないのですから、意見書の主張は、そもそも成り立つ余地がありません」)
 意見書の主張は、そもそも成り立つ余地がありませんし、吉田証言について朝日新聞が謝罪したことも、従軍慰安婦問題の真実性をいささかも削ぐものとはならないのであります。
 また、クマラスワミ報告について言えば、国連が真実を明らかにするためにおこなった詳細な調査であり、その中で様々な証言の一つとして記載されている3行の吉田証言を削除しても、その結論に些かの影響を受けるようなものではありません。
 一方、従軍慰安婦問題について河野談話は、5つの事実を認定しています。
 第一に、慰安所と慰安婦の存在、
 第二に、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送は、軍が直接又は間接に関与したこと、
 第三に、慰安婦の募集は、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、官憲等が直接これに荷担したこともあっ」こと
 第四に、慰安所における強制性、強制使役、
 第五に、慰安婦の募集、移送、管理等も・・総じて本人たちの意志に反しておこなわれたことなどです。
これらの事実の全体が従軍慰安婦問題の存在を認定したものです。
 さらにこれらの事実は、91年から2001年まで提訴された10件の裁判のうち8件の判決で、「争いのない事実と証拠」と認定されているのであり、意見書が最後に言うところの「慰安婦についての客観的な事実に基づく認識の形成」は、加害国である日本の司法の場でも認定されているのであります。
 これらを通じて詳細に明らかにされた事実は、本当に悲惨極まりない被害であり、野蛮極まりない加害であり、日本人としてできれば目を伏せたくなるものであります。
 しかし、都合の悪い歴史に目を閉ざせば、偏狭なナショナリズムの国として、アジアと世界の国々から孤立していく他ありません。
 本県が掲げる、中国・アジア諸国との友好関係の構築、交流拡大の方針にもそぐわないものとなります。
 未来に正しい道を歩もうとするならば、過去と現在の真実を直視する勇気を持たなければなりません。
 日本共産党県議団は、過去の過ちに対して勇気ある態度をとることによってこそ、国際社会に名誉ある地位を占めることができる国、県民が日本人であることに胸を張れる国になっていくことができると確信するものであります。
 よって、そのことに逆行する本請願には反対します。


日本語を正しく解釈すれば・・。安倍首相70年談話

2015年08月17日 | 平和と民主主義・外交


 8月14日、安倍首相の「戦後70年談話」をテレビで観ました。
 この内容を「評価する」大手マスコミの報道が目につきます。
 NHKの直後のニュースが典型的でした。
 「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「お詫び」。
村山談話のキーワードが入っていることをもって、「歴代内閣の立場を継承する姿勢を明確にした」「(積極的平和主義の下)世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく考えを表明した」などと報じたのを観て、のけぞりました。

 言葉は入っていても、文脈によって意味が変わるのが日本語です。
 これらのキーワードは、いずれも「歴代内閣が表明してきた」と、第三者のように「紹介」しているだけです。
 「日本が侵略し、植民地支配をおこなった」と認め、「そのことについて反省し、アジア諸国にお詫びする」などとは、一言も言っていない訳です。

 それどころか、日本が朝鮮の植民地化を始めた日露戦争を、「アジア・アフリカの人々に勇気を与えた」などと評価し、記者会見では、日本の戦争が侵略だったかどうかは「歴史家が判断すること」として、侵略と認めませんでした。

 従軍慰安婦問題について、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」やはり人ごとのように「触れた」ことは、被害者の心を益々傷つけるものでしょう。

 そして最後に、「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と述べましたが、これが「安保法制を成立させる」ことを意味することは、日頃ニュースを読んでいる人には疑いようもないことです。
国民多数の反対を踏みにじる態度を改めて表明したものです。

 村山談話と比較して、何を言って何を言わなかったのか、そこから意図を読み取るのは、中学国語の読解程度の問題じゃないかと思われます。
 この談話を「歴代内閣の立場を継承する姿勢を明確にした」などと報じるの、国民に「こう思わせたい」というマスコミの政治宣伝です。

 共同通信社が14、15両日に実施した全国電話世論調査では、談話を「評価する」が44.2%、「評価しない」が37.0%だったといいいますが、マスコミの報道が影響を与えているということでしょうし、首相が話す様子を観た「印象」が反映しているのでしょう。

 しかし、談話の真の内容が赤旗新聞や、良識有る報道・ネット情報で広がるにつれて、文章を自分の目で読む人が増えるに連れて、正しい評価が多数となっていくに違いありません。

 欺瞞に満ちた話しを、美辞麗句をちりばめて22分間も語る(普通10分で読むでしょう)姿からは、「すばらしいことを語っている自分」に陶酔しているナルシストか、或いは、嘘を真実と思わせようとするファシストか、いずれにしても民主政治の担い手とは異なる影が伸びているように見えました。

戦争法案、国民の戦いが空前の高揚へ!

2015年07月19日 | 平和と民主主義・外交
先週、県議会が終わってからほぼ毎日、戦争法案の危険性を訴え、反対行動を呼びかける街頭宣伝をおこなっています(今日まで三日間は視察のため休み)。
衆議院安全保障特別委員会で採決が強行された15日(水)夕方は、朝の宣伝の時とは違った反応が行き交う車の中からググッと伝わってきました。
翌日は衆院で与党のみで採決、街頭宣伝への声援がさらに広がりました。

今回の政府・与党の暴挙は、九条の解釈を勝手に変えるということにとどまりません。
自ら「国民の理解を得ていない」といいながら、その日の内に数の力で強行する総理大臣は戦後初めてでしょう。
国民主権の否定であり、議会制民主主義というものを否定する暴挙です。

状況は極めて危険なものであり、日本の平和と民主主義は重大な局面にさしかかっています。
しかし暴走が進めば進むほど、国会前に詰めかける人々の数、全国各地でおこなわれる行動の数が増大していることが伝わってきます。
しかも、組織的な運動の外から、個人の思いを行動に移している人が次から次と広がっているようです。

今週日曜日の宣伝では、自転車を停めて聞きいる男性、道路の反対側から写メを取る方、さらには、菜々緒のお母さんのようなキリッとした女性が歩み寄ってきて、「頑張って下さいね」と握手を求めてこられました!? 
選挙の最中のようでした。

また、21日(火)の吉村知事定例記者会見では、「安全保障関連法案の強行採決について」記者側代表質問がおこなわれ、知事は「法案についての国民の理解が十分に得られているとは言い難い状況だ」と答えました。
首相自身がそう言っているのですから、首長がこう答えるのは当然ではありますが、大変重要な見解表明です。

日本共産党志位委員長は委員会採決の直後、「国民の運動の広さ、深さというのは、戦後70年の日本の国民運動史上でも、空前のもの」「こうした国民のたたかいに追い詰められて強行採決に逃げ込んだというのが事の真相」と指摘しました。

私は、これから二ヶ月の世論と運動の広がりで、暴走をやめさせることがキッとできると確信しています。
国民の声が政府の暴走を止め、政権から追放する、胸躍る戦いが始まっています。

まず、国立競技場のデザインが白紙撤回されたことは、政権批判の急激な高まりの成果でしょうね。
「国民の皆さまのご意見に耳を傾けて」見直すそうですから、戦争法案でもそうさせなくちゃ!





戦争立法反対! 県都街宣行動

2015年05月10日 | 平和と民主主義・外交
山形市内でおこなわれた、戦争立法反対の街頭宣伝行動に参加しました。
山形県九条連絡会の主催です。

山交ビル前の歩道に20人位で並んで署名とハンドマイク宣伝。七日町でも同時に行動がおこなわれました。

歩行者から、車の窓から、真剣に耳を傾ける人も多く、中々の注目でした。

一方で、キョトンとして眺めている人もあり、事の重大性を知らせていく取り組みを急がねばという思いを強くしました。

東京大空襲を体験したおばあさん

2015年03月24日 | 平和と民主主義・外交
夜に農村部で懇談会をおこなったら、参加者の中に「東京大空襲を体験した」というおばあさんが来ていました。

「当時13才、現在の江東区にあたる地域に住んでいた。3月9日の夜に焼夷弾で真っ赤になった空の下を逃げまどった。道路が黒こげになった死人でいっぱいで歩けなかった。浦安に架かる葛西橋で朝を待った。川も死体でいっぱいだった。数日後、貨物列車で両親の実家のある鶴岡に来た。あんなことは二度とあってはならない」。

今はにこやかで穏やかなおばあさんですが、地獄の体験を抱えて70年間生きて来られたのです。
そうした方々によって今日の日本が築かれたことに改めて思いを致しました。

もう少し詳しくお話しを伺い、市民に伝えていかなければなりません。
お会いできてよかった。

帰りは吹雪、ずんずん積もっていました。





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鶴岡から「戦争ノー、憲法守れ!」

2015年03月16日 | 平和と民主主義・外交
15日(日)午前、鶴岡駅前マリカ広場で、「秘密保護法廃止!戦争ノー、憲法改悪を許さない市民集会」がおこなわれました。

16団体の呼びかけによるもので、日本共産党と社民党、新社会党も加わる、平和擁護の一点での共闘です。

私は日本共産党の代表として開会挨拶、主催者挨拶、決意表明、決議採択の後、デモ行進をおこないました。

久しぶりの晴天に恵まれ、200人近い参加者も笑顔、メーデーもかくやと思われるような気持ちの良い行動となりました。

戦後70年の今年、戦争の悲惨さ、平和の大切さを改めて思い起こし、二度と戦争を起こさないという国民の決意を固める年にしなければなりません。
それは、平和への願いを踏みにじる安倍政権の暴走を阻止し、退陣を迫っていく年にするということです。

県議選告示まで今日から17日、決戦に向けて、益々気持ちも高まって参りました!




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鶴岡でも悲劇を繰り返さない~守ろう、活かそう憲法九条~

2015年03月07日 | 平和と民主主義・外交
今日は湯野浜の会合でお話させてもらいました。憲法守る話をしたところ、湯野浜空襲の話題で座が沸騰しました。

出席者のお兄さんの友人が終戦の5日ほど前に機銃掃射を受け、「痛い痛い」と泣きながら開業医の先生に運ばれて行ったが、冷たくなって出てきたこと、家族も足を撃たれたり指を失ったり惨かったということ等々、生々しいお話が胸に刺さりました。

こうした体験を決して忘れず、憲法9条しっかり守っていきましょう。


暖かな日差しに、穏やかな海


ぼんやりと眺めていると幸せな気持ちになってきます。

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「憎悪の連鎖」を絶つ

2015年02月01日 | 平和と民主主義・外交
日本を震撼させた中東での人質事件は、最悪の結果に終わってしまいました。

戦火の下にある人々の苦しみを身を賭して伝えてきた後藤さんの命を弄び、あげく処刑するなどとは、およそ人間のすることとは思えません。
まさに非道です。
イスラム国なるテロ組織の蛮行に心の底からの怒りを覚えます。
ご家族のご心痛は察するに余りあり、私のお見舞いの気持ちなど文字に表すこともはばかられます。

日本共産党は、
志位委員長の声明を発表http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-02/2015020201_01_1.html
赤旗は主張「国際的結束でテロ組織包囲を」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-02/2015020201_05_1.html
を掲載しました。

しかし、この問題の背景にある闇は余りにも深いものです。
 アメリカを中心とする有志国がおこなった、アフガン・イラクの二つの戦争で17万人とも言われる人々の命が奪われました。
 一人ひとりかけがえのない命です。
 国土も荒廃し貧困が広がりました。
 家族・知人を殺された人々の中に、憎しみの感情が広がることは当然であり、貧困が「兵士にならなければ食っていけない」「生きる苦しみより殉教する幸せ求める」人々を拡大しました。
 さらにアメリカは、パレスチナの人々に暴虐を尽くすイスラエルを擁護し支援してきました。

 こうした背景を考える時、「テロと断固たたかう!」「テロリストに罪を償わせる!」などと叫ぶ安倍首相の頭の中にあるものが、米軍の戦争支援を中心とした方策でしかないことに慄然とします。

 6年ほど前、アフガニスタンで活動する「ペシャワール会」のメンバーの方を鶴岡に招いての講演会がありました。
http://blog.goo.ne.jp/sekitouru/e/ba7a50e6cd45b5caba06330745f1b7d9
 以来、こうした方々を国として支援していくこと、憲法九条に基づく平和的な国際貢献活動に全力を挙げていくことこそが、テロ根絶に日本が果たし得る最大の役割ではないかと思ってきました。 
 そしてそのことは、日本が国際社会にとって「無くてはならない国」と認められ、真に日本の安全保障を高めていくことにもなるに違いありません。

 後藤さんの悲報に接したお母様の、重い重い言葉をしっかり胸に刻んでいきたいと思います。
 「健二は旅立ってしまいました。あまりにも無念な死を前に、言葉が見つかりません。今はただ、悲しみ悲しみで涙するのみです。しかし、その悲しみが『憎悪の連鎖』となってはならないと信じます。『戦争のない社会をつくりたい』『戦争と貧困から子どもたちのいのちを救いたい』との健二の遺志を私たちが引き継いでいくことを切に願っています」

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宮城喜久子さん亡くなる~ひめゆり学徒と若者の出会いを~

2015年01月08日 | 平和と民主主義・外交

 ひめゆり学徒隊の生存者として戦争体験を語り継ぎ、ひめゆり平和祈念資料館建設に尽力された宮城喜久子さんが昨年末に亡くなったことが報じられました。
 ひめゆり学徒隊の名前はほとんどの方が耳にしたことがあると思いますが、沖縄の地上戦に動員された2つの学校の女子生徒240名のことであり、約3ヶ月間に136名が命を落とした悲劇です。

 2005年の田川地区平和集会「戦争のない平和な21世紀を」に宮城さんをお招きして講演して頂いたことを鮮明に思い出しました。

 お話しは、当時16,17才、戦時下とは言え、青春を共に送っていた学友が目の前で次々と亡くなっていくというものであり、戦争がいかに悲惨なものであるのかを、平和がいかに尊いものであるかを誰の胸にも届くように伝えるものでした。
 私は、様々な戦争体験を文章・写真だけでなく、多くの戦争体験者の方々からも聞いてきましたが、宮城さんのお話しの後、何日も、何週間も、お話しが頭から離れないような強烈な衝撃を受けました。辛いとさえ思いました。

 宮城さんは、著書「ひめゆりの少女」の中に次のようなことを書いています。
 沖縄返還という歴史の転換点の中で強力な説得を受けて決心するまでの27年間、戦場にも、学友の慰霊碑をも訪ねる気にならず、証言活動を始めてからも、「亡き学友の足跡をたどる中で、その死の様子があまりにもむごくて、知らない方がよかったと悔やむことも、しばしばでした」


 しかしそれを乗り越えて、
 「戦争の事実を正しく伝え、その教訓をいまに生かすことがいかに大切かを痛感しながら、自分たちの体験を語ってきました。小さな力でも戦争への歯止めとなるならばと、切なる願いを込めて証言活動をつづけてきました」
 ということなのです。

 「あとがき」の最後に、
 「半世紀前、青春を謳歌することもなく戦場に倒れた、ひめゆりを含む若い学徒たちが、平和へのたゆみない努力の中で、現代の若い人たちと出会えることを、心から願っております」と記しています。

 私は9年前のその日、「ひめゆりの少女」に、宮城さんのサインを私の3人の子どもに宛てて書いて頂きました。


 今、訃報を目にして、すべての子どもたちとその保護者の皆さんに、ひめゆり学徒たちを紹介していきたいという思いを強くしました。

 そして、70年の時を経て、「米軍基地ノー」を総意として固めた沖縄の皆さんと深く連帯した運動を進めることが求められている、そのことを宮城さんは、強く言い残して逝ったと思えてなりませんでした。

宮城さんの証言の感想動画 https://www.youtube.com/watch?v=fZclnyHu4qI
訃報を伝える地元紙  http://michisan1.ti-da.net/e7121979.html

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