眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

エドガー・エンデ

2023-02-09 | Weblog
エドガー・エンデは、ナチス政権下のドイツの画家だ。
ミィヒャエル・エンデの父親といえばご存知の方も多いかも知れない。ミィハャエルは、「モモ」や「はてしない物語」を描いた世界的な児童文学作家だ。
父、エドガーの絵はナチスによって「退廃芸術」の烙印を押され長い間、闇の芸術とされ作品も散在していた。息子ミヒャエルの世界的な成功もあり、ミヒャエルはその幾つかを収集した。そして、父エドガーの作品展を僕の知る限り1度だけこの日本で行なった。
当時、ミヒャエル・エンデに傾倒していた僕は、長崎の美術館に五回足を運んだ。
なぜか、いつも雨の日だった。
路面電車に揺られて、僕は寮からエドガーの絵を観に出かけた。開催期間は限られている。しかし、寮の寮則で外出には外出届けが必要だったし時間も制限されていたので、美術館に行く為に脱寮するのはなかなか危ない橋をわたるようだった。
雨に濡れた学生服のまま、美術館に入った僕はエドガーの作品に釘ずけになった。
この親子の作品の背景には、必ずルドルフ・シュタイナーという人の神秘主義、思想が大きな影響を及ぼしている。高校生の僕にはいささか難解すぎるきらいがあって、シュタイナーについてはあまりよくわからなかった、もちろんいまだに難解だ。
沢山の本がでているようだ。日本でいち早く彼を紹介した子安みち子先生の娘はシュタイナー教育を受け、いまではエレキべーシストとして有名だ。
話がそれた。
ミヒャエルが亡くなったあと、エドガーの作品展を当時の規模で行なうのは素人の僕でもムツカシイと思える。いいもの見たな~とつくずくそう思う。
お金のない高校生の僕は、なけなしのお金をはたいてエドガー・エンデの画集を手にいれたのだった。いまでも、宝物のひとつだ。
画集を開くたびに、雨の石畳をとぼとぼ歩いた高校時代をおもいだす・・・。


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蝉の抜け殻

2008-12-09 | Weblog
石畳の坂道を登って、街並みや港が見渡せる高台。
寮はそんな所にあった。
僕らは多感な時期をそこで六ヵ年過ごした。
やっと手に入れたウォークマンで音楽を聞き流しながら、僕は図書館室で本をあさる休日をすごしている。
当時、僕の愛読書は多岐にわたった。ルドルフ・シュタイナーやコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」を読み、坂口安吾をつまみに金子光春に泥酔した。
ウィリム・バロウズのサイバーパンクが最先端で、SF小説で知ったシュミッツやアン・マキャフリーで想像力を膨らます。
夏目漱石や鴎外の娘、森茉里が好きだった。懐に「イリュージョン」を持ち歩く。
そうして、コナン・ドイル。
ああ、「シャーロック・ホームズの冒険」

誰もいない事を確認しつつ、窓際で煙草に灯をつける。
一服している僕は、中庭の木陰で動く友人の影にきずいた。
  
  「獣医になりたいんだ」

少年だった彼は動物が大好きだった。
昆虫の採集に余念がなかった彼は、暑い日差しの中、今日も宝物を探して地面を掘り返していた。声をかけると、本ばっかり読んでんじゃないぞ~、と軽く手を振った。
ジャコ・パストリアスのカセットテープを聴いていた僕を彼がどついた。

  大物だ!見ろよ

友人の指先は土がついた蝉の抜け殻を自慢げに掲げていた。

  それ、どうすんの?

  おまえ、文字で遊んでどうするんだ?

まあ、彼の云う通りだ。
蝉の抜け殻を探すのも、本で夢を見るのも同じことだ。
時間をつぶすのに丁度いい。
意味なんか無かった。思春期のていたらく。

久しぶりにかって少年だった彼と飲んだ。
髭をはやして長髪だった。
仕事場で大丈夫か?と尋ねると、誰も文句いわないんだ、と云った。
彼は獣医にはならなかった。
彼の横には婚約者だという、素敵な女性が笑顔で微笑んでいた。

  蝉の抜け殻、って覚えてるか?

 おぼえているさ、今は取らないけど。

変わらない。
 意味なんてない。今も。
  ただ好きなだけ

   蝉の抜け殻

  石畳の坂の上

 それ、どうすんの?

かつて呟いた自分自身の言葉がやけに痛い



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ファンタステック・ノスタルジア

2008-11-25 | Weblog
本当に生きている、と思える瞬間がたまに訪れる。
それは自分と世界が一致した、或る境界線の出来事だ。夜中に煙草をくわえて空を見上げる、僕の島では夜空の星がとても綺麗だ。波の音を聴きながら、黙って星を眺めているとだんだんと気持ちよくなってくる。僕は夢見る、幼い頃見た大きな雲白い雲とそれを見ながら食べたアイスキャンデイーの不自然な甘さ。僕は幼いなりにこの瞬間の大切さを願った。

子供のころに感じた体験は、懐かしい原風景。帰りたいと想う夢の場所、時間。
それでも時間は流れ、僕は幼い頃の夢見た震えを取り戻したくって、それに似た何かを求めた。
レイ・ブラッドべりの物語はとてもそれに近い。フェディコ・フェリー二の映画の中のサーカスの静かな狂乱も僕をファンタジーの世界へ僕をいざなう。
ある種の音楽も僕を世界の不思議に調和させる。
日常は冷たい、あたりまえだ。だからこそ生きている証が欲しい。それはいつも日常に埋没される。音楽やファンタジーが僕を世界の不思議、非日常の扉を開いてくれる。それは僕に魂の悦びをきずかせてくれるんだ。

でたらめな楽団の音、年老いたピエロの哀しみ、カーニバルの喧騒、妖しい世界の美しさ。腐っていきながら清潔に死を想う生のエネルギー。想像力が日常を凌駕する、生きることの震え、、哀しみ、美しさ。僕は宗教を信じられないけれども、道端の花やトイレのちいさな四角い窓から何かに祈る。祈る、という行為は場所を必要としない。僕はウィスキー三杯分祈る。

古賀 春江という人の絵が好きだった。シャガールの夢も好きだしエドヴァルド・ムンクの優しい狂気を愛す。生きること、魂はいつか昇華される夢を見る。不思議な時間。僕はこの現世をうつろう。

ノヴァーリスは言う、「わたしたちの生命は夢ではない。しかしながらそれはやがて、いやおうなく、夢とひとつになるだろう」

 魂について
  精神のあやしい均衡
   物憂げな夕暮れ時
 キリコの絵のような 街の路地にのびる影があるならば
僕はそれに ついていきたい
 
明日が懐かしいなにかにきずかせてくれますように


僕には大切な友人がいる
 一人はまだ少女でもう一人はかつて少年だった友人
  運命の巡り合わせのように
   二人はおなじ誕生日で名前もおんなじだ
    人生は不思議に満ち溢れている
     どうか大切な存在を失いませんように
      祈られずにはいられない

       お誕生日おめでとう
        いいこといっぱいあるように

         深い緑の森のなかで待っているよ



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煙草と灯り

2008-04-03 | Weblog
昔、長崎の寮に住んでいた。
オランダ坂をあがってゆくと6年間住んだ寮にたどりつく。何度となく石畳の坂をのぼった。
寮は高台にあったので、屋根に上って見下ろすと港の灯りがとてもよく見えた。
当時、港にはクリスタルハーモニーという豪華客船が建造中で、その馬鹿でかい船は僕らの代が卒業するまで港にいすわりつずけた。

屋根から眺める風景は今でも脳裏に焼けついでいる。
ちいさな船が、朝方港に帰ってくるささやかな灯りはとても美くしかった。
マールボロやラークを吸いながら、僕達は何時間も飽きることなく船の灯りに心奪われていた。
ひとつの灯りは人が生きている証で、そうして夢の扉をあけてくれるドアだった。
いろんな気持ちが入り混じる。そんな風景を感じられる時間は永遠につずくはずなどない、ともわかっていた。だからその風景を忘れないよう、僕らはいつまでも飽きずに港に向かう船の灯りを大切に思った。

煙草に火をつける。
そうして懐かしい日々に思いをはせる。
忘れたくないことを忘れてしまう。嫌な思い出ばかり思い出してしまう。
そろそろ船の灯りを思い出そう。
前をむけるよに。足が動き出せるように。








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マルメロの陽光

2008-02-08 | Weblog
寒い空気のぴんと張り詰めた心地よさ。
その空気を憶えているから、たぶん冬の日だったんじゃないかな?
僕らは映画館に足を運んだ。
仲の良かった友人に誘われるまま、僕はこの映画を観たんだ。

 「マルメロの陽光」

初老の画家の一年の暮らしを記録した映画だ。
四季が移ろう。そうして画家は絵を描き続ける。
画家は中国茶を愛し、美味そうに紙煙草を吹かす。そして一日中キャンバスに向かう。盛り上がりもたいして無いけれど、僕はこの手の映画がわりと好きだったりする。
 スクリーンに机の上に置かれた林檎のカットが入る。
  デッサン用なのか、置かれた林檎は時間の流れとともに、
   美しく妖しげに腐り始める。
    とても綺麗だった。

物が腐ってゆく、ということが綺麗だなんて感じたのはそれが初めてだった。
腐ってゆく異物に蓋をし、この国は愉快なくらい清潔になった。
もちろん死、という事象にもマンホールで蓋をした。
それがどんな意味を持っているのかは人それぞれの意識の違いかもしれない。
或る人はそれを良しとし、或る人はそれを警告する。
僕はどうなんだろう?
 
 ただ、腐ってゆく一個の林檎がとても美しかった。
  時間とはこうして流れていくものだ、と想った。

映画に誘ってくれた女の子は、つまらない映画だと閉口していた。
珈琲を飲みながら僕は、腐る、ということに想いをめぐらせていた。

その子とその取り巻き連中は、やたらとこムツカシイ映画をこよなく愛した。
一度、連中と小さな劇場で寺山修司の映画を見た。
川の上流から仏壇が流れてくる奴だ。
皆、素晴らしいと興奮していた。
とりあえず僕は冷たく冷えたビールが飲みたかった。

 人の好みなんていい加減だ。
   懐かしい出来事だ。

ずいぶん後になって、僕は曲を悪戯した。
 タイトルは。

  「腐った林檎」



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ささやかな

2007-04-09 | Weblog
ささやか演奏
 大きくも無い
  小さすぎる訳でもない
情熱を内に秘め
 大切なものをこっそり教えてくれるように
  音を紡ぐ

密やかな優しさ
  主張せず
   押し付けもしない

  振り切れない想い
 白黒のフィルム
  夢 
 現実
  白昼夢
   踏み潰された 煙草のフィルターの
 みじめさ
  痛み 吐き気 眩暈

 そうして
   やるせない自己矛盾
  好きになってあげないといけないのにね
   自分を

ささやかな演奏
 僕は一人きりでテーブル席につき
ウィスキーを頼んでちびりちびりと
酔いがまわりはじめ
 僕はまどろむ
どん底に突き落とされた
  自己嫌悪からささやかな感情が
 僕のこころを弛緩させてくれる

ささやかさというのは
 それが優しさであっても 哀しみであっても

耳元で息をひそめて話した

  ささやかに

   愛し 愛されたい

  疲れたときには

   ぐっすり眠ろう

       悪い夢が訪れませんように



 
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バーボンハウス

2007-01-16 | Weblog
バーボンハウスは街中の迷路の交差した路地の中。
仲間が音楽をやるというのでの覗きに行った。
早めにみせを訪ねると、みんな酔っ払っていた。
 大丈夫か?
と聞くと、何の問題もない。と乾杯させられた。始まる前から打ち上げ状態だ。

  何を飲む?
   とマスターが尋ねる。
  とりあえず、泡立ちの良いギネスのジョッキを飲み干す。

  お兄さん、見かけない顔だね?
   そういうと彼はバーボンのボトルを手にした。

僕はどちらかというと、スコッチが好きだ。
  バーボンは苦手でね
そう云うと、マスターの導火線に火が点いた。
タンブラーグラスにバーボンを注ぐ。
良い酒だ、そのくらいは分かる。

   美味い。

そ云う僕に、彼は利き酒を始めた。
これはどうだ、香りがたまらないだろう?
おごりだ、バーボンも飲め。

三杯目のバーボンからは、はっきりいって味なんか憶えていない。
フォアローゼズのボトルが半分空いた頃、やっと演奏が始まった。
狭い店にロックンロールが鳴り響く。
さっきまで便器に吐いていた友人も、激烈なまでにシャウトする。
ライブが終わるまで、何杯グラスを空けたのか憶えちゃいない。
三杯目のバーボンから味も記憶もでたらめだ。

12時を越える頃、バーボンハウスのマスターは一曲歌って消えた。
二階で寝てるぜ、いつものことさ。
友人が呟く。
僕だって眠たかった・・・。

ライブが終わって、店を変えてまた飲んだ。
モニターで鮎川誠がギターを掻き鳴らしている。

限界だ、朝の5時だった。

それでバーボンが、僕は飲めるようになっていった。
バーボンハウスの親父の目論見は見事に成功したのだ。

しかし・・。
 二日酔いはいつだってツライ。
 ワインをちびりやっているほうが良い。

  ワインにはポリフェノールが含まれているからね、ちょっと健康に良さそう。

   ドイツ帰りの知り合いが呟いた。
    なんで、カヴェルナソーヴィニヨンが人気なのかな?

知らない。
でも、バーボンハウスの二日酔いにくらべたら、ワインは随分ましだ・・・。


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噴水のある風景

2006-07-05 | Weblog
噴水には水がなかった
空は高く
澄みとうっていたけど
コートのポケットに
手をつっこんでしらんぷりした
心のどこかが震える
傷口をなぞるとなんか
にぶい痛みが走った


     通りすがりの自転車の
     小人みたいな女の子は
     こっちを向いて
     不思議そうな顔をする
     煙草をくわえて
     隣のおじさんは
     美味そうに
     煙 吸い込んだ
     大切な
     なにかがあるのさ

噴水には水がなかった
通りすがりの人達が
いろんなものを
抱え込んでるので
  「世界」
と思った


傷口をなぞるとなんか
にぶい痛みが走った
そんな風景
それだけ

     心のどこかが
     震える
     傷口をなぞるとなんか
     にぶい痛みが走った


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愛と死をみつめて

2006-03-19 | Weblog
病院の
 白いシーツの清潔な白さ
  
  一人でたたずむ
   青い蛍光灯の待合室 

   

                     最後に

          
          髭を
           剃刀で剃った



         お願いだ
          
       

                            感情は
                       静かに流れる

                     一生懸命

                   生きてるよ




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