眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

大切なもの

2023-04-26 | 
雨降りの夜
 少女がお酒を舐めながらぼんやりと呟いた
  
  ね
   あなたには大切なものがあるの?

    どうしてさ?

     手元のグラスを悪戯しながら少女は云った

      だってあなたからそういうこと、聴いたことがないから。

       僕は煙草に灯を点け
        しばらく考え込んだ
         窓の外は風が強く雨が横殴りに荒れている
          そんな夜だった

          窓の外の景色を眺めながら
           僕等はぼんやりしていた
            寮監先生に見つからない様に隠したお酒で
             君も僕もふわふわとした感覚に酔いしれていた
              君は飽きることなく楽器を悪戯し
               まだ少年だった僕は
                君の技巧的な指使いに驚嘆した
                 目まぐるしく変わる和音の構成音は
                  まるで理解の範疇を超えていたけれど
                   複雑な伴奏と
                    切ない主旋律が君のギターから生み出される瞬間を
                     ただ愛おおしく想った

                     すごい
                      よくそんな難解な運指が出来るよね。

                       君はクッキーを齧りながら微笑んだ

                        難解な運指はただの技巧さ
                         大切なものはもっと別の処に存在するんだよ

                         例えば?

                        僕の皮肉な質問に君は丁寧に答えた

                       君が大切にしている物語を
                      君は何度も広げて読むかい?
                      
                     僕は時間をかけて答えた

                    読まないね。
                   でもどうしてだろう?
                  考えたこともなかった

                 本当に大切なものは
                心の中のいちばん柔らかい処を刺激するんだ
               だから心は其れには耐えられない
              心にも準備が必要なんだ

             ふ~ん。

            ね、
           今日はとっときの曲を弾いてあげるよ。
         
          君は面白そうに僕の瞳を覗き込んだ

         いいの?

        うん。
       やがて全ては終わりを告げるよ
      だから君に僕の大切な音楽をプレゼントすることにするよ。
     
     そう云って君はギターを構え直した

    それからギターを弾いた
   流れてくる音楽はとても切ない旋律だった
  どうしてだろう?
 自然に涙が溢れてきた
泣きじゃくりながら音楽に耳を澄ませた

  ありがとう。
   でもね、君はいつかこの旋律をわすれるよ
    全ては記憶の底に沈殿するんだ
     それはどうしようもないことなんんだ。
      君はいつか僕の存在を忘れる。
       忘却され記憶。
        いずれ摩耗される黒白フィルムのようにね。
       
        泣きじゃくるぼくの頭を君は抱きしめた

         君は悪くない
          其れは世界の在り様なんだ。
           だから哀しまなくてもいいんだよ。

            ぼくはずっと泣いていた
             激しく雨が降り注ぐそんな夜だった
              それから月日が流れた

              僕は少女に声をかけた
       
               あるよ。

               なにが?

              大切なもの。

             少女は不思議そうにフランスパンに齧り続けている
            パンを飲み込むと
           少女は興味津々で僕に問いかけた


          それであなたの大切なものは?

         僕は苦笑した

        酔い覚ましに君に飲んでもらう豆のスープかな?

       一瞬少女は残念そうにしていたけれども
      すぐに機嫌をよくした」
     
     あなたの豆のスープは大好きよ

    僕は台所でスープの準備にとりかかった 
   
   そんな夜

  そんな雨降りの夜だった











        
       
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飽和点

2023-04-24 | 
哀しみの飽和点
 暮らしの中でその境界線をいつも探している
  隣接する建物の隙間から
   やっと見つけた青い空
    僕は煙草に灯をつけ
     ただ黙って虚空に煙を吐いた

     何処までが耐えられる痛みで
      何処からが許される原罪なのだろう?

       ね

        君の街から手紙を描いて

         君の街にはたぶん

          此処で消えてしまった青い空があるはずだから


          此処は何処だろう?

         
           理科準備室でフラスコに入った青い液体

            アルコールランプで加熱させ

             何時か哀しみの飽和点に達する


             何処までが耐えられる痛みで
            何処からが許される原罪なのだろう?


              僕は祈るすべを知らない



               眠れない夜の出来事





















      
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四葉の余韻

2023-04-21 | 
其れらが奇跡と呼ばれた瞬間
 音もなく世界が割れた
  僕等は戸惑い右往左往しながら
   交通整理された十字路にただ立ち尽くした
    気ぜわな警笛の音で
     警官隊が彼等の運命を誘導した

      ただ健やかに
       子供たちの握りしめた手の平から
        赤い風船が逃避する
         青い空に徘徊した風船は
          やがて地上の存在から乖離し
           誰のせいでもなく破裂するのだ
            君はそれら事象を運命と名付け
             くすくすと微笑んでウイスキーを舐めた
              そんな夜

              少女は赤い舌先で世界を舐めた
               魔法の手法で
                君は瞬間から永遠に打電する
                 不確かな電気信号
                  ぴぴぴ
                   わずかに比例する遊覧した真夏の空の飛行船

                    天秤にかけた
                     しあわせとふしあわせ
                      マドレーヌの甘さが苦手だった
酒が切れた夜に
                        思いの他地団太の孤独を網羅する連絡網
         
                         少女が呟いた

                         あなたの願いは?

                         それが分かれば僕の世界は守られるのかい?

                         けれども

                        けれどもあなたには
                       残念だけれど答えがないの
                      あなたの言葉と世界は
                     永遠に地上から乖離されているの

                    憐れむ様なまなざしで少女は僕の瞳を覗き込む

                   もし

                  もし許されるのなら

                 何時か君に電気信号を打電する

                世界が解れ分解し
               僕が壊れ物になったとしても
              君の記憶の階層に於いて
             僕は徘徊し
            封印された遊園地でパレードを待ちわびる
           永遠に訪れないパレードを

          優しさと哀しみの封印
         額に罪人のしるしが刻印される

        僕は想い哀しみを凝縮させる

       プランターの花が咲いたよ

      きっと

     四葉のクローバーがあるはずだから

    哀しまないで

   君が云う

  永遠に辿り着けない廃墟の瓦礫の中のクローバー

 もう

記憶が薄れているのだ

 薄明の残暑の朝

  僕は祈り願うだろう

   お願い

    どうか



     君がくれた



      四葉の余韻



       希望

































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緑の寮

2023-04-17 | 
灰色の街角で
 別れ道は何度もあったのだ
  僕等はアルコールで酩酊しながらためらいも不安も無く
   次から次へとてくてくと石畳の路地を徘徊した
    やがて終着点に辿り着くはずだった路地で
     僕等は完璧に迷子になった
      永遠の漂流者
       道に迷った夜の子供たち
        それが僕等だった


         緑の森の中の全寮制の寮
          二階の窓を開けると風が吹き抜けた
           先輩たちは煙草を吹かしながら皮肉に
            新入生の僕等を観察していた
             ギターケースを大事そうに抱えた小柄な僕を見て
              上級生の一人が声をかけた

               お前さ
                楽器弾けるの?

                少しなら。

                 何か弾きなよ。

                  ポケットウイスキーを舐めながら上級生は僕を値踏みした
                   僕は戸惑いながら楽器を調弦し
                    少し悩んで
                     ヘンツェの「緑の木陰にて」を弾いた
                      弾き終えると
                       先輩は煙草に灯を点けながら軽く拍手してくれた
                        それから僕にも煙草を勧めた
                         生まれて初めて吸う煙にせき込む僕を見て
                          先輩はとても面白そうに微笑んだ

                          すぐに慣れるよ。
                           お前の音さ、
                            濡れて聴こえるよ。雨の音みたく。
                             気が合いそうだな。
                              よろしく。

                              そう云って先輩は僕のギターを取り上げ
                               酔っぱらいながら
                                ジャンゴ・ラインハルトの「マイナースイング」を弾き飛ばした
                                 物凄い速度で音が連なってゆく
                                  酔っぱらいながら
                                   完璧な演奏をする人物を
                                    僕は今まで見たことがなかった
                                     弾き終えると
                                      先輩は楽器を丁寧に眺めてから
                                       僕に手渡した
                                        それからお酒を煽り
                                         満足げに頷いた

                                         春の出来事
                                        あたらしい世界が始まったのだ
                                       僕は深呼吸をして
                                      自由な空気を味わった

                                     此処での約束事は色々あるけど
                                    酒と煙草は見つからない様に。
                                   黙認はされてるけど
                                  おおっぴらにやると寮監先生に目を点けられる
                                 見つかって三回目で保護者に連絡が行き
                                反省の色が無い場合は国に返される。
                               もうひとつは。

                              何ですか?

                             上級生に逆らうな。
                            これは絶対だ。

                           そう云って先輩はくすくす微笑んだ

                          まあ慣れると此処もそう悪くはないよ。
                         たまに脱寮する奴もいるけどね。

                        館内放送から食事の合図が流れた

                       行こう。案内するよ。

                      いいんですか?

                     一応先輩だからさ。
                    新入生の面倒みることになってるんだ。

                   そう云って先輩はさっさと歩いた
                  僕は置いて行かれない様に彼の後を急いで追いかけた
                 それが国を離れた記念すべき一日だった
                僕は故郷を捨てた開放感から
               少しだけ気が楽になっていた
              おれんじ色の蛍光灯のだだっ広い食堂で食事を取り珈琲を飲んだ

             就寝時間になると
            一斉に電気が消灯した
           先輩は僕の部屋に現れて僕を屋根の上に連れ出した
          僕等は排水管をよじ登って屋根の上に上がった

        ここから見える景色が最高なんだ。

       先輩はそう呟いた
      屋根の上から風に揺れながら僕等はワインを飲んだ
     先輩はかなり変わった人だった
    そう告げると、

   俺なんか普通だよ。此処には変わった奴しかいないよ。

  と悪びれもなく笑い飛ばした
 
 お前さ、国は何処?

僕は煙草を吹かせて黙っていた
 云いたくなければいいけどさ。
  先輩は瓶からワインをごくりと飲んだ

   別にいいですよ。
    あまりいい思い出はないけど。
     島ですよ。南の。

      島?
       もしかして海があるのかい?

        もちろん。島ですから周りは海ですよ。

         ふ~ん。
          俺さ、まだ「海」見たことないんだ。

          そうなんですか?先輩は何処から来たんですか?

           神社とか寺しか無いところ。
            息苦しくて俺には合わないね。

             いつか帰るんですか?

              先輩は真面目な顔で答えた

               此処に来る奴にはもう帰る場所なんて無いんだよ。
                お前だって薄々は感ず居ていただろう?

                 僕は黙って頷いて煙草を吸った

                  ここは世界から隔離されている。
                   「最果ての国」なんだ。

                    最果ての国?

                    そう。
                     始まりで終着駅なんだ。
                      みんながそう呼んでいる。昔からね。

                      我々は国も記憶も捨てたんだ。
                       それが入寮する為の唯一の条件なんだ。
                        もう帰る場所なんて何処にも無いんだ。

                        僕等はお酒を飲み続けた
                         飽きることもなく
                          ただ路に迷った夜の子供たちだった
                           路地を抜けると
                            噴水の無い公園がある
                             其処で永遠に楽器を弾くのだ
                              それが僕等だった

                              最果ての国

                             物語の始まりで終わりの場所

                            永遠の物語

                           永遠の迷子


                          夜の子供たち


















































               

                          
     
                          
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青の色

2023-04-16 | 
友人が絵描きをめざして貧乏していた頃。
はじめて見せてくれた絵は、馬のデッサンだった。
風呂もない、トイレは共同、台所らしき場所には開いた缶詰めが散乱していた。
僕らは、ひたすら安い酒をあおり、慰めあうように馬鹿な話ばかりしていた。
八方手詰まりだった。
彼には夢があり、叶えられない。
僕は自分の人生に飽き飽きしていた。

 皮肉の時代だった。

皮肉の代償はとてつもなく大きな物だった。
互いが世間を笑っていた頃、まさか社会に自分たちが笑われることになるなんて想像もしなかった。

皮肉を云うのは僕らで、笑い飛ばすのも僕らのはずだった。
僕らの世界はそんな馬鹿げた、ありもしない虚構に塗り固められていた。

 酒に酔った友人は、立てかけたキャンバスにふらつく足取りで向かい、いきなり あるだけの青い色の絵の具を塗りたくった。
 彼がナイフで白いキャンバスを青に染めているあいだ、僕は黙って林檎をかじっ ていた。

友人はきゅうに絵の前で座り込み、どうだ?と尋ねた
タイトルは?
と聞くと、「青の色」だ、とやけっぱちにつぶやいた。

    青の色

  それが僕らの最後の皮肉だった。

  僕らはそれから、笑われることに馴れていった。

きゅうり食うか?
 食う。

 味噌にきゆうりをつっこんで、ぼりぼり食べた。

     青の色





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四月の夢

2023-04-09 | 
雑多な出来事は
 いつの間にか
  優しく降り注ぐ霧雨の様に
   薄いヴェールを世界に音も無く覆いかぶせる

   悪夢を見た子供たちの
    ちょっぴり興奮気味の心拍数

    最新鋭の飛行機が落ちそうなので
     やっぱり熱気球にすべきだったなんて
      可笑しいね
       変わりに飛ぶ夢を見た

    夢のなかで夢をみている

   誰にも見えない
  場所を探して
 三日月の夜は
遠く 遠く
 酔いがまわる
  
  「もしかしたら」
  は
 在りもしない夢の末路
暮らしぶりはいつだって
 予感をはらませる
  
        しらふの時に云ってよね

       僕には

      しらふの時に行ってよね

     と聞こえたんだ

    四月
   入学式の頃
  馴れない街で
 初めて食べた弁当と
満開の桜を憶えている

  綺麗だ

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歌会

2023-04-04 | 
青い月明りに導かれて
 僕等は窓から逃避行した
  風が優しく耳朶を撫で
   昔歌を口ずさみながら散歩を続けた
    行き先はあの草原だった
     たっぷりのワインと煙草を手に
      上機嫌の僕等には柔らかな青の光が道しるべとなった
       ヘンゼルとグレーテルみたいね。
        少女が呟いた
         お菓子の家にはたどり着けないよ。
          僕が云うと
           いい、甘ったるいのは嫌いだから。
            お酒と煙草があれば何もいらないわ。
   
            草原にたどり着いた僕等は
             大きめのマグカップにたっぷりとワインを注ぎ乾杯した
              安いハウスワインだったけれど
               酔っぱらうには十分な味だった
                二人で煙草を吹かし
                 僕等は静かに青い月明りで月光浴をした
                  世界は静寂で風は優しく
                   僕は生きていることを感謝した
                    こんな日が来るなんて
                     あの頃には想像も出来なかったからだ

                     それからマグカップにワインをなみなみと注ぎ
                      今はいない君に乾杯した
                       あるいは過去の記憶に向けて

                       ね、
                        あなたはいつまでもあなたなの?

                         少女が不思議そうに僕を見つめた          
                          
                          どうして?
                           僕は僕のままだよ。
                            ころころ変わるほどカメレオンにはなれないしね。

                             あなたはだから時代遅れなのね。
                              あなたには友達はいたの?

                               僕は苦笑いしながら答えた

                                いたよ。
                                 大切な友達が。

                                 彼等彼女等は何処に行ってしまったの?

                                  少女の茶色の瞳が哀しげに問う

                                  みんな消えてしまったよ。
                                 変わっていったんだ。
                                みんな大人になってしまったのさ。

                               僕は世界に取り残されたのだ
                              みんなあたらしい扉を躊躇なく選び
                             少年少女の世界に別れを告げたのだ
                            それはどうしようもない事柄なのだ
                           そうして僕だけが
                          永遠の夜の子供として青い月に導かれたのだ

                        寂しくないの?

                       寂しさに慣れたことなんて一度もないよ。
 
                      ただ歌があったんだ。

                     歌?

                    そう。
                   歌が救いだったんだ。

                  僕は古臭い19世紀ギターを引っ張り出し
                 調弦をして
                埴生の宿を歌った
   
               そのメロディー聴いたことがある。

              そう云って少女は口笛を吹いた

             僕は
            てぃんさぐの花を歌い
           えんどうの花を口ずさんだ

          あなたの故郷の歌なの?

        少女が尋ねた

       そうかもしれない。きっともう忘れてしまったと想っていたのにね。

      僕は青い空と青い海を想った

     そうして世界がしあわせであるように願ってワインを飲んだ

    もっと歌って。

   酔っぱらった僕等は
  ありったけの歌を歌い続けた
 
 青い月夜の歌会




君に届きますように



  そう願った




















                       
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優しい平行線

2023-04-03 | 
優しい平行線で
 青い海と空が広がっている
  僕は海岸でじっと立ち尽くしている
   波の音が大きく小さくを繰り返す
    ポケットの中から煙草を引っ張り出して
     深呼吸をする様に深く煙を吸い込んだ
      天気の良い日には
       波打ち際まで訪れて水筒のウイスキーを舐めた
        見上げた空が
         とてつもなく遠い世界を垣間見せ
          僕はそうっと誰かの名前を呼んでいる
           たどり着けない永遠の理想郷に
            君は存在の寝床を見つけたのだろうか?
             君がいない日に
              僕が生き延びて煙草を吹かす毎日が続くなんて
               あの時想像すらしなかった
                
                優しい平行線

               理科室の準備室で
              僕等は珈琲を飲んでいた
             君が準備する豆は決まってマンデリンで
            僕はクッキーの缶と煙草を準備した
           黒板に白墨で数式を描いて
          君は何度もうなずいたりむつかしい顔をした
         煙草の灰が行き場を失くした様に床に落ちた
        たぶん僕がかたずける筈の煙草の灰
       クッキーを齧りながら珈琲を飲んでいると
      君が突然振り向いた

     世界の構成物質を君はいくつ知ってる?

    僕は途方に暮れて煙草を灰皿で揉み消した

   わからないよ。
  だって僕は自分自身のことだって曖昧なのに
 世界のことなんて皆目見当がつかないよ。

君はとても面白そうに僕の表情を伺った
 
 君は空想科学の本には夢中なのに
  どうしてこの世界にまるで興味がわかないんだろう、ね。

   くすくす微笑みながら君は珈琲の残りを飲んだ
    それから黒板に落書きをして
     またくすくす微笑んだ

      僕は黒いギターケースから楽器を取り出し
       調弦して音を出した
        少し迷ってからヘンツェの「緑の木陰にて」を弾いた
         黙って聴いていた君は
          僕から楽器を取り上げ
           同じように曲を弾いた

           不思議だね。

           僕は呟いた

          何が?

        だって僕と君の弾き方がまるで違うんだもの

       君はくすくす微笑んだ

      世界が違うのさ。

    世界?

  そう

 君と僕の世界が違うのさ。
ところで君は大人になったら何になるつもりだい?

 僕はクッキーを齧ってひとしきり考え込んだ

  わからないね。僕は僕のままじゃないかな。
   それで君は何になるんだい?

    君は哀しそうに僕を見つめた

     僕は大人にはならないんだ
      ずうっとここで数式を解いているんだよ。

      そんなの答えになっていないよ
       それなら僕だってここで音楽を弾き続けるよ。

       残念だけど
        君はここには残れない
         君は大人になってここを出てゆくんだ。
          そういう決まりなんだ。

          僕にそれ以上なにも云えなくする様に
           君はギターを弾いた

           「カヴァティーナ」

            僕は黙って聴いていた
  
             とても繊細で哀しみに満ちた演奏だった

             

             僕は大人にはならないんだ



            君の面影が脳裏をよぎる

  
           波打ち際で立ち尽くし


          大人になり損ねた僕は


         青い海と空の


        優しい平行線を眺めているんだ


       いつまでも











      
     
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