眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

感情

2005-07-29 | 

「感情はね、頭にもこころにもないよ。
  感情が生まれるのは、人と人との真ん中なんだ。」

 その人はそう云って、僕との間の真ん中に
   指で円を描いた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さくらんぼの実る頃

2005-07-29 | 音楽
加藤登紀子さんの声には、僕を強烈に惹きつける魅力がある。
アルバム、「さくらんぼの実る頃」もやはり僕は愛してやまない。
どうしてこんなにも魅力的なんだろう?
たぶん、彼女の生きてきた人生の香りみたいなものが唄ににじみ出ているからなのではないだろうか?人生の優しさ、苦い想い、絶望そして希望。
いろいろなエセンスが微妙な加減で僕の涙腺を刺激する。
唄、というのは(音楽というのは)、こういうものなんだと納得する。

   「時には昔の話を」

この曲を僕は宝物にしている。
切なくて、どうしようもなくなる。自分の過去の多感な或る時期を思い出す、切ない。そうしてこの唄は僕に愛情を与えてくれるんだ。

  「道端で眠ったこともあったね
   どこにも行けない みんなで
   お金はなくても なんとか生きてた
   貧しさが明日を運んだ
   小さな下宿屋にいく人もおしかけ
   朝まで騒いで眠った」

僕はこの唄を大切に思う。失われた時間。
僕も仲間たちも、精一杯生きている。

 応援歌なんだね。
  今日はお酒をやめて、ぐっすりと眠ろう。

    眠れないなら、この曲を

      朝まで聴いていよう・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛み止め

2005-07-28 | 
あれだけ強い人だったのに
 痛み止めを求めている
職場に辞表を出すことを
 考えている

今 頑張らないと
 皆で励ますけれど
  
 そうとう痛いのだろうね

僕は云うべき言葉が見当たらない
 
モルヒネを大量投与され
 混濁した意識のなかで
  あなたは
 「よく見ておきなさい あとで絶対役にたつ」

 そう云っていた

生涯を医師としてまっとうするつもりだったのに
  辞表を出そうとしている

 何も云えない


         苦しい
       僕にも
     痛み止めがあれば
   
        僕は馬鹿だ

       崩れちゃいけない
        精一杯を

          生きることを


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真

2005-07-26 | 日記
写真をあまり持っていない。
何故だか分らないけれど、写真に撮られることをまるで明治時代の人の様に怖れていた。自意識過剰なのかどうか、残っている写真で僕はいつもそっぽを向いている、煙草を口にくわえている。
まわりの仲間もわりかし写真に無頓着だった。写真撮る前にいつも酔っ払うことに忙しかった。だから、その当時、僕らが何をしていたのかはおぼろげな記憶を辿るか、残された数枚の写真に頼るかそのどちらかしかない。
そうしてもちろん、記憶なんて勝手に自分で美化してしまう危うげで信頼できないものだから、やっぱり過去は忘却の彼方だ。

僕らは一体ぜんたい何をしていたのだろう?

写真の中の僕は、何故か長髪で汚いブーツを履いている。
友人が変な顔をして酒瓶を振りかざしている。
何処かの国からの留学生が中指を突き出している、奴とショットグラスでウォッカの飲み比べをして記憶を無くしてソファーに這いつくばっている。そんなとこばかし写真に撮られている。
ずっと通いつめた喫茶店のマスターが笑顔で微笑んだ。
いつだって、その気になれば戻れる、なんて思っていた。
まわりの仲間がいなくなるなんて想像力を超えていた。
だから。
たぶん、安心しきって記録する行為に無頓着だったのだろうか?
いつしか連絡が途絶え始める。いつしか連絡するのに話題が要るようになった。
僕は髪を短く切った。仕事に追われた年月。
そうして、たまに写真のまだ生活に慣れない僕らの姿を見て思うんだ、写真でも撮っとくんだったな~なんて。

いずれにしても過ぎた話は仕方ない。
家には、2,3年まえに撮った、家族写真が飾られている。
みんな笑顔だ。
親父もお袋も妹も弟も、もちろん僕も。


     この写真もいつか


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽光

2005-07-25 | 
陽光が
 庭の木の枝や葉の間から
  零れ落ちる
水をまかなくっちゃね
 見えるひとが云う

  「あの木の根元に
     今年は神様がいます」

孔子が出てきたり
 仏陀の影が垣間見えたり
  不動妙王が出入りするらしい

   忙しい話だ

でも
 疲れた時
  バスタブに湯を張って
   三回塩を入れる

この島は最近お天気だ
 縁側の陽光はちらちら輝いて
  長崎の古い教会で見かけた
   ステンドグラスの様に

影ができる
 在る人に「綺麗なものだけ見たい」というと
  あきれ返った口調で
     「どうしてそんな風に思うの?」
    と云われ答えに詰まった昔

教会でミサをした時
 お寺で座禅の真似事をした時
  祈りの言葉は違ったけれど
   あの陽光はおんなじ様に降り注ぐ

お日様は偉いね
 文句ひとつ云わない

  まるで
   タイムサービスの
    一杯100円の発泡酒くらい偉い

  店員が苦虫をかみ締めても
   サービスが悪くたって

  発泡酒とお日様は文句ひとつ云わない


    皆に平等に降り注ぐ


    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日一日

2005-07-22 | 日記
ある小さな部屋で、今日は一日子供たちと遊んでもらった。
ギターケースをかついで行ってきた。
30分の枠で、何人かの子供たちとセッションした。
いろんな大人がいる様に、いろんな子供がいる。あたりまえのことだけど。多動の子もいれば自閉の子もいるし車椅子の子もいれば情動の激しい子もいる。

僕やおおかたの人がそうである様に、初対面の時って緊張するよね。
おかあさんのそばを離れない子供たちに、僕は黙ってギターを弾く。
簡単なコード進行で何パターンかのリズムを鳴らす。
するとだんだん子供が、な~んだ?って感じでこっちに寄ってくる。
顔を見合わせて笑うと、はにかみながら笑顔や不安気な表情がかえってくる。音をちいさくしたり大きくしたり、テンポを早くしたり遅くしてみたり。ギターを太鼓にしてみたり弦をひっつかまえて遊んだり。

テンポが速くなると子供の感情の展開がめまぐるしくなる。
ゆったりしたアルペジオでは体を横に揺らせて気持ちよさそうだ、僕も一緒に揺れる。
ボンゴやスネアや大太鼓を叩いて、一緒に声を出す。
太鼓の上にビー玉をたくさん転がして振動で跳ねさせる。
即興でピアノがはいったり、リズムに合わせてブランコで揺られたりかけっこしたり。
笑顔がふえてきた。
僕も笑顔だ。
楽しいんだ。

曲じゃなくてもいいし、もちろん早弾きや特殊奏法なんていらないみたい。
一緒に揺れたりいろんなものをつかって音を出したり、ボールや風船をおいかけっこしてみたり。
リラックスするんだ。
わるくない。

最近、疲れ気味の僕は、お休みの一日。子供たちと遊んだ。
い~っぱい遊んだのでぐっすり眠った。
元気もらった。
帰っていく一人一人に、またね、とてを振る。
またね、がいつになるのかなんて誰にもわからない。でも、またね、だ。

またね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れぬ夜に

2005-07-18 | 
何処かの祭りのようだ
 爆竹の音が鳴り止まない
人は象を神聖な生物として崇め
 カルヴァナルは
夕方から夜明けまで続く

そんな雑踏から抜け出して
 煙草をくわえる
  一日の喧騒
   三日月が青い
    彼は笑っていた

きずくと
 線路の上に立っている
  何台かの貨物車に潜りこみ
   出来るならこのままで

予告なく 
  少女は飛んでいる蜂を
   音も無く踏み潰す
それが現実なのだろう
 もうすぐ夏だ

   眠れぬ夜に
 ウィスキーのロックを作り
 そんな夢想をしているのだ
靴がボロボロだ もう遠くまでは行けない

   眠れぬ夜に
 大好きな思いでを掘り起こす
  記憶はいつだって曖昧だ
大切な事柄がはたして現世なのか来世なのか

   眠れぬ夜に
 孤独が心配で頭痛の種
その種から駄文が浮かんでくる

僕の過去と来世はきっと
 やりのこす現世の残り修行
  一日の精一杯が
 ここでの存在価値

生きている瞬間 重さ 確かな手触りは
 すこしザラザラするのだ

  眠れぬよるに

  そんなことを

  想う



  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

缶チューハイ

2005-07-13 | 日記
あるおばーが、朝のお茶も飲まずにソファーで横になっておられる。
心配なので声をかけてみると、
  
  「眠い。」

という。
気になって、バイタルチェックシートを見た僕は驚愕の事実を目の当たりにした。

  「朝、ジュースと間違えて缶チューハイ飲んでます。
             家族情報提供。」

マジか・・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食べる

2005-07-12 | 日記
昔(大昔に)、付き合っていた女の子は拒食気味だった。
煙草と珈琲以外はほとんど口にせず、一日に数回に分けてパンをかじった。
僕はこの子と会うときには、かならずサンドウィチを作った。
理由は簡単だ。

「sherbetのサンドウィチなら食べれる。」

その子がそう云ったからだ。
もちろん僕は料理が上手いわけでもないし、むしろ苦手なので僕なんかが作ったサンドウィチが美味いはずがない。でも、その子は喜んで食べてくれた。そうして、おなかいっぱい、と云った。

僕にも、お酒ばかり飲んで飯を食わなかったときがある。
だから、僕に、「食べる」、という行為に関して別になにかが云える立場じゃない。
なにかを云う気も毛頭ない。
頑張れだとかやる気になれば何でも出来る、なんて言葉はけっして云えない。

だけれどもやはり、食べる、という行為はたいせつに思う。

苦しい時に僕は、無理やりに飯を食う。
もちろん、苦しいときに食べる飯だからかなり不味いのであまりお薦めはしない。
でも、苦しいとき、泣きながら飯を食うひとは信用できるような気がするんだ。

食べ、眠り、排泄すること。
生きてっからね。たいせつに思うんだ。

  それで今晩、僕は大盛りの焼き飯を
   まるで腹をすかせた高校生の頃のように口にほうばる。

お百姓さん、ありがと~、なんてふと思いながら。

   生きているんだよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちあるものは

2005-07-11 | 
かたちあるものは
 全て過ぎ行く
そんな言葉をきく

  かたちあるもの

たとえば
  父と母がお茶を注いでいた
   きゅうすを割ってしまう

思い出と何気ない日常のあるがまま

忙しすぎると愚痴を云い
  退屈だと閉口する

   そんな毎日が

ほんとうはたいせつなんだ

   そんな気がする

  「壊れたものは修理できるけれども
    ひとのいのちは」

  今日 いちばんこころに残った

  そのとうりだ
   そのとうりなんだ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする