眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

中国茶

2024-01-30 | 
大好きなチョコチップクッキーなの。
 少女が嬉しそうに中国茶を淹れた
  ジャスミンの華やかな香りが部屋中に溢れた
   カップに注いで
    少女は椅子のうえに膝を抱えてすわり
     僕は窓辺に近ずいて煙草に灯をつけた
      少しだけ暖かくなってきた陽気は
       帽子の記憶を想い出させた

       その帽子似合うよ。
      学食で僕はランチを食べながらそう口にした
     他に云うべき言葉が見つからなかったのだ
    ショートカットの後輩は
   まんざらでもない表情で僕が食事をする風景を
  飽きもせず眺めていた
 サラダ、嫌いなんですか?
突然僕の席の前に座り込んだ後輩の女の子がおもむろに尋ねた
 どうして?
  先輩、いつも野菜に手をつけないから。
   野菜じゃなくてさ、ドレッシングが駄目なんだ。
    ドレッシング?
     そう。乳製品アレルギーなんでね。
      ふ~ん。
       ねえ、本当にこの帽子似合っていると想います?
        うん。悪くない。
         それにあたらしい髪型も似合っている。
          後輩は複雑そうな微笑を浮かべて
           僕の皿からサラダを奪い取って食べた

          後輩は長い髪がとても綺麗な子だった
         みんなが彼女に憧れ
        見知らぬ学生達からよく声をかけられていた
       それで彼女が髪を切ったという噂は
      瞬く間に皆に知れ渡った
     失恋しただの、モデルの仕事のためだのただの気分転換だの。
    いろんな情報が飛び交ったのだが
   そのどれが真実なのかはわからなかった
    
  彼女が僕と話しをする機会なんてめったに無かった
 僕は伸ばし放題の髪をうっとうしく結んで
レノンの真似をした丸眼鏡をかけいつも酔っぱらっていた
 後輩が興味を持つような洒落たファッションセンスから程遠い距離にあった
  それで僕は彼女がわざわざ学食まで僕を捜索したのが
   不思議でならなかった

    ギター教えて欲しいんです。
     ギター?
      はい。どうしても弾きたい曲があって。
       ふ~ん。いいけどさ、おいら下手だよ?
        先輩、この曲弾けます?
  
         ギルバート・オサリバンの「アローンアゲイン」だった
          どうしても弾きたいの。
           綺麗な顔立ちから冗談が消えていた

           それで僕らは週に2回
            夜の公園のベンチで曲の練習をすることになった
             その頃僕は毎日酔っぱらっていて
              暇な時間には事欠かなかったのだが
               後輩はいそがしい人物だったので
                夜しか時間が取れなかったのだ
               僕はポケットに忍び込ませたウィスキーを
              大事そうに舐めながらぼんやり彼女を待った
             ギターケースを担いだ彼女が
            息を切らせて小走りにやって来るのを待った
           夏の日の月明かりの出来事だ
          月明かりの下で並んでギターを弾いた

         先輩は誰か好きなひといるんですか?
        僕が煙草を吸い終わる間に
       ぽつりと彼女が呟いた。
      う~ん。好きな人はいるけどね、ちゃんと彼氏がいる。
     諦めるんですか?
    君ならどうするのさ?
   あたしは、さっさとその人のこと忘れて次の恋を探しますね。
  だって、
 時間の無駄だもの。
夜中に酔っ払いとギター弾いている時間が果たしてどう無駄じゃないのか
 とても不思議だった
  そうしていそがしい彼女と違って
   僕の時間の流れは或る瞬間をさしたまま動かなかったのだ。
    積極的な思考停止。
     僕は考える事に少々疲れていたのだ。
      個人的な問題をいくつも抱え込み
       僕の時間は前には進まなかった。

        後輩は二ヵ月半くらいで曲の運指を憶えた
         もともとピアノも弾けたし楽譜を読むのも
          僕なんかより十分速かった、

         あとさ、自分でできるよ。
        そう云った次の週に彼女は
       綺麗な缶に入った中国茶をくれた。
      お礼です。
     そう云って深々と頭を下げた
    彼女が姿を見せなくなっても僕は何故か
   時間になると公園で煙草を吹かしギターを悪戯した
  それからぱったりと彼女の姿がキャンパスから消えた
 そうしてまたいろんな情報が飛び交った

僕の部屋に彼女にもらった中国茶の缶が残った
 夕暮れ時にそのお茶を淹れ
  一人暮らしのアパートの窓辺で
   洗濯物を干し終わった後に飲んだ
    すごく懐かしい香りのするお茶だった
     
     少女がチョコチップクッキーを指差した
      食べる?
       いらない、君の分け前が減る。
        それもそうね。
         少女はクッキーをかじりながらお茶を飲んだ。

          懐かしい匂いがするね、このお茶。

           そう?

          いい香りがする

         少女は熱心にクッキーをかじっている

        僕は僕の目の前から姿を消した後輩のことを思い出した

       いま、どうしているのだろう?

      どうして「アローンアゲイン」だったのだろう?

     




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トマトジュース

2024-01-18 | 
哀しみを言葉に出来ない
 君がいた昨日
  君が去った今日
   君のいない明日の日の夕暮れ
    背景は饒舌でゴシップに事欠かない
     紅茶に角砂糖を入れ
      其の甘さに辟易した午後
       バーボンでうがいをし
        縁側に於いて喫煙する二時頃
         黄昏を願う描写に怯え暮らす
          毎日は余りにも淡白で
           僕はいつものようにグラスを傾ける

           君がいた午後
            僕はベースを手に
             君の精密な機械的な早弾きの伴奏をした
              君の運指に驚嘆しながら
               ワインの瓶をらっぱ飲みした
                くすくす
                 君は微笑んで
                  メルツのロマンスを弾いた
                   かりっと音を立てて
                    僕はアーモンドを二粒咀嚼した

                    素敵な夢
                   お菓子の国
                  熟した哀しみが腐乱する夕暮れ
                 君がいない明日に怯え
                貴方の名前を嚥下する
     
               下降する偶像
              物言わぬ影
             上昇する気球は
            いつか戯れついたゴシップに引き落とされるのだ
           チェーンスモークした煙草の煙が
          ぷかりと浮かんだ瞬間
         あの記憶を羅列する意識
        たとえ其れが解体されるとしても
       月が昇る頃
      君に会いたい

     嗚呼
    刹那の邂逅を予感させる全ての言葉たち
   色褪せた群集の戸惑いに於いて
  僕は願う
 深夜2時の行方
駅の待合所で
 そっと煙草を吹かすのだ
  お願い
   側にいて
    地団太の孤独は
     決して色褪せること無かった
      赤い血の色
       赤い風船の
        上昇気流に乗った風の行方
         ね
          愛している

          孤独なパレード
           青い月夜に頃合の
            硝子細工のグラスのウイスキーの雫
             哀しみは窓際から訪れる
              決して訪れない明日を待つ君
               僕は忘れない
                忘れられないんだ

                瑣末な事象を皮肉に微笑んだ子供の記憶
                 分別された子供達の
                  想いは砕け散る

                  僕のグラスに零れる
                   君という悔恨の一滴
                    ご覧よ
                     青い月明かりが綺麗だよ
                      君はそんな風に夜を過ごした

                      寒さは幾分和らぐらしい

                      そんな夢を見ていた

                     

                     ね
                    速く起きなさい

                   少女の声が囁く

                  眠りの淵から辿りつた朝日に眩暈がした

                 朝食は
                朝食はスクランブルエッグにする?
               それとも目玉焼きがいい?

              目の前に
             フライパンを持った少女が姿を現す

            嗚呼
           現実の様相だ多分

          ゆで卵が食べたい

         我儘な僕の言葉に少女は不機嫌だ

        それ飲みなさいよね
       トマトジュースは二日酔いに効果てき面だから

      煙草に灯を点け
     大き目のグラスのトマトジュースを一息に飲み干した

    トマトジュースは
   悪い夢には効果てき面だわ

  少女の声が聴こえる

 君のいない夢を見ていた

そんな夢を見ていた




  二日酔いの朝



   酔い覚ましの


    トマトジュース


















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橋の上

2024-01-14 | 
アーチ型の古い橋の上で
 別れた雨の日に
  傘は持っていなかった
 人は皆なにかを失う

  雨宿りという言葉は知りもしなかった
   純粋さを求めた
    琥珀色のウィスキー
     誰の為でもなく生きていけると信じて
      疑わなかったのは
       僕の神経が張り詰めていたんだね
        ヴァイオリニストのピッチカートで
         弦が一瞬の内に切れたんだ

        星空は素敵だ

       惑星の配列を眺めるのは面白い
      果たして僕は
     一列に並ぶそのどこら辺に位置するのだろうか?
    
    橋の上で初めて待ち合わせをしたのは
   いったい本当にあった出来事だったのだろうか?
  不ぞろいの意識下では
 記憶は曖昧な盲点をついてくる
  
   ね、教えてよ。

    僕は安易に酒に溺れ
     容易に事態を収拾させようとする
      無駄な戯言
       そうして事態は困難をきわめた

     雨の橋で出会い
      雨の橋で別れを告げた
       刻印された者達は
        時間が解決してくれると口をそろえた

       ね、教えてよ。

      かたん、と
     
     音を立てて写真立てが倒れた

    歪んだ記憶の曖昧な代弁者は

   酔いの淵を溺れる歪んだ暮らしを錯綜する
  僕のアリバイ
 疑心暗鬼の警官達が
手馴れた尋問で職務質問す

    橋の上の小さな出来事

     咀嚼できず今も想い出すんだ




        
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11月のある日の出来事

2024-01-07 | 
中庭のベンチで
 食べかけのホットドックを齧ってコーラを飲んだ
  ホットドックを食べ終わると
   その後に何をすべきか数秒悩んで
    やはりポケットからクシャクシャの煙草を引っ張り出し
     何も考えずに火をつけた
      白い煙がゆらゆらと微かな風になびいた
       それが最後の光景だった

        食事というのは頑張って食べる物なの?

        緑色のセーターを着た少女が独り言の様に呟いた

         どうしてさ?

         だって、
          だって此処では皆が頑張って食べなさい、と云うもの。

          彼等の口癖なんじゃないかな?たぶん。

         僕はそう答えた

        あなたも頑張って食べろと云うのかしら?

     緑色のセーターから伸びた白く細い手首を眺めながら僕は苦笑した

      たぶん云わないんじぁないかな、
       だってそんな風に云われると余計に食べたくなくなるよ、僕だって。

       少女は嬉しそうに微笑んだ

     それじゃあ、あなたはわたしの共犯者になれるわ。

    友達じゃなくて?

   僕がそう云うとくすくす微笑んで彼女は煙草をくわえた
  丁寧にマッチをすって僕はその煙草に灯をつけた
 ありがとう、と少女は云って不思議そうに僕の顔を見つめた

どうして困った顔をしているの?

 少女の問いにゆっくり考え込んでから僕は答えた

  たぶん此処でそんな言葉聴いたのが初めてだったからじゃないかな。

   ありがとうの事?

    そう、それ。

     ありがとうって人に云われたのたぶん久しぶりすぎてね。

      ふ~ん。
       そうね、此処ではそんな言葉あまり聴かないものね。

        少女は奇妙に納得して
         ありがとう、どういたしまして、と魔法の言葉の様に繰り返した

          僕等はくすくすと笑った
           食堂のおれんじ色の蛍光灯の下で暖かな紅茶を飲んだ
            少しだけしあわせな気分に浸れた
             優しい夜の空気
              親密な世界が構築された
               それが虚構の産物だったとしても
                それでじゅうぶんだった
                 だって世界は虚構そのものだったから
                  僕等は好きな世界を選んだのだ
                   たとえ誰かが頑張れと云ったとしても
                    それがどれ程までに無慈悲な想いなのか
                     嫌というほど味わって
                      僕等は此処に辿り着いたのだから

         少し肌寒くなってきた中庭で
        ベンチに腰かけ僕はギターを弾いていた
       退屈すると煙草を吸い
      それからまたギターを悪戯した
     ぱちぱちと小さな拍手に驚いて顔を上げると
    正面に座り込んだ緑色のセーターを着た少女がこう告げた

   あなた音楽好き?

  たぶんね。

 なにか弾いて。

少女はそう云って目をつむった
 僕はバッハのプレリュードを弾いた
  少し調弦が狂っていたけれど
   少女は気持ちよさそうに身体を揺らした
    それからヴェルヴェト・アンダーグランドの
     スィート・ジェーンを弾いた
      少女は楽しそうにギターに合わせて口笛を吹いた
       それがいつかの11月のある晴れた日の出来事だった
        少しだけ優しい記憶の11月のある日の出来事だった

         それからたまに中庭でギターを弾いていると
          静かに少女が現れるようになった
           いつもの様に彼女は音楽に身体を揺らしていた
            僕は少女に何も聞かなかった
             彼女も僕に何も聞くことはなかった
              それは此処の暗黙のルールだった
               僕等は深く傷ついていたし
                ひどく混乱していた
                 ただ音楽と煙草と暖かな紅茶があれば満足だった
  
                 それがある日の出来事だったのだ

                 僕はまだひどく混乱している
                  もうあの日の光景がしっかりと想いだせない

                  ある日少女が云った

                  あなたが此処を去る日が決まったわ。

                 どうして君には分るのかい?

                どうしてもよ。
               あなたはあの人たちの面談を受けて
              全てに答える事が出来れば此処を去るのよ。

             僕には全ては答えられないよ。

            大丈夫、今のあなたならね。

           君はどうするの?

          わたしにはまだ此処が必要なの。
         もう少し時間がかかりそうだわ。

        ねえ、いつかまた会おうよ。

       そうすることは出来ないの。決まりなの。
      あなたも分っているように。

     僕は泣きたい気持ちになった

    わたしはあなたのギター好きだったわ。
   たぶんこれからもずっとね。

  ねえ、音楽好き?

 うん。

よかった。

  ね、
   ありがとう。

    少女は静かに立ち上がってそう云った

     彼女の姿を眺めその影が消えるまで見つめた
      それからやはりポケットからクシャクシャの煙草を引っ張り出し
       何も考えずに火をつけた
        白い煙がゆらゆらと微かな風になびいた
         それが最後の光景だった

          それがある日の出来事だった

           
          それがいつかの11月のある晴れた日の出来事だった
        少しだけ優しい記憶の11月のある日の出来事だった



















                         
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希望

2024-01-02 | 
どうしてさ?
 君が云う
  僕は世界の果てに佇み
   果てし無く広がる緑の草原にいた
    誰かが口笛を鳴らした
     でもその誰かは永遠に姿を現さなかった
      三日月が笑った

      魔法を知っているよ。
       君が云う
        僕は街角の街灯の下に永遠に安置されている
         存在の不確実さ
          狂乱の果ての空間に
           腐った林檎が放置された
            許されるならば
             僕はただ広い公園のベンチで呼吸がしたかった

             見据えた希望はわずか数枚の金貨で行商される
              つぶらな瞳が虚無の世界の入り口となった
               我々は
                極度に緊張した綱渡りで
                 大切なものを次々と喪失する
       
         永遠に失われ続けるの。
          少女の声が囁く
           夜
            徘徊した公園の池のほとりで
             真実について魚たちが情報を打電する
              信号はやがて電線を伝い
               哀しみの成分が清潔な注射針で
                血管に流し込まれた
    
          様相を呈する
           欺瞞
            絶望
             孤独
              郷愁

          徘徊する欠落した意識
           分解された時計の部品の一部
            過呼吸気味の君のシグナル
             流される酸素の量が設定されたのだ

          消えてゆくの。かつて真実だった記憶が。
           少女がピアノの鍵盤に触れる
            けれど何度耳を澄ませても
             其処から音は感知されなかった

             無言
              表層の嘘
               歪んだ戒律
                伸ばした手のひらは
                 決して何者をも握り締められなかった

     穏やかで甘美な曲が脳裏をよぎり
    やがて路面電車が発車する
   石畳の街の回廊を
  何度も螺旋する
 
 世界
  虚弱な精神のきしみは
   まるで古ぼけた観覧車の様子で
    閉鎖された遊園地に忍び込んだ子供達は
    あの笛吹きの魔法使いによって永遠に子供で在り続けなくてはならない

      誰も知らない
       握り締めた孤独
        回るのだ
         音も無く
          街路樹の隙間をぬって
           僕はてくてくと歩く
            ただ歩き続けている

            黒猫が僕の足元であくびをする
             永遠に遊園地で遊び続ける悪夢は
              まるで白いシーツの病室で見た夢の様に
               
               どうしてさ?
                君が云う
                 あの懐かしい記憶の声で

                 もう聴こえない声
                  記憶の残渣
                   残り少ないビーカーの中の
                    微量の液体


                     希望















 
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誕生日

2024-01-01 | 
何処の国の民族楽器なのか
 得体の知れない弦楽器を少女は
  古楽器屋で飽きもせず眺め続けている
   展覧された弦楽器は
    幾分チェロに似た形をしていた
     僕はそんな楽器と少女を見比べ
      煙草をポケットから引っ張り出して火をつけた
       黒猫が寄ってきてそうっと僕の足元に座り
        あくびをしながら憐れむような目つきで僕を眺めている
         少女が振り向く
          僕はあきらめて財布の中身を調べた
           店主が会計の準備を始める
            冬の日の午後
             空はとても青く澄んでいた

            部屋にたどり着くと
           少女はマフラーも取らずにすぐに梱包された楽器を開封した
          彼女のあたらしい友人が増えたのだ
         僕はコンロでお湯を沸かし
        手早く珈琲を淹れ
       街の店で買ったチョコチップクッキーを齧った
      少女は見るからに古めかしい弦楽器を抱え
     とても満足げに眺め続けている
    僕はクッキーを齧りながら
   無残にも消え去った生活費と
  残された日々の食事のことを考え
 頭が痛くなって飲み残しのワインのボトルのコルクを抜き
煙草を吸いながらグラスに注いで舐めた

 少女の誕生日のプレゼントを買いに行く為に
  僕等は今にも壊れそうな愛車で街に出かけた
   少し暖かくなってはきたけれど
    外の空気は幾分冷え切っていた
     僕等はカーステレオから流れる正体不明なポップスを聴きながら
      街への路を蛇行しながら進んだ
       街までには少なくとも2時間はかかる
        久しぶりに聴く最新のヒットチャートは
         余りにも異質で
          何処の誰がこの様な音楽を好んで買い込むのか
           全くもって不可思議だった
            つぶれかけの銀巴里に突然訪れた
             坂本龍一くらい先進的な音楽だった
              そしてそのいちいちに
               僕はどうしても馴染めず
                諦めてイーグルスのアルバムを流した
                 ドン・ヘンリーが切ない声で
                  ホテル・カリフォルニアを歌った
                   少女は助手席で
                    皮の手袋を悪戯しながら
                     可笑しそうに僕の顔を眺め
                      1969年物のワイン美味しいのかな?
                       と皮肉に付け加えた

                    街角のカフェでドーナツを齧り
                   酸味の強い珈琲を飲みながら
                  僕等は誕生日について話した
                 僕には僕の誕生日が分からず
                少女には果たして誕生日が或るのかさえ疑問だった
               彼女は朝目覚めると
              朝食のベーコンエッグを食べながらこう云った

             ねえ
            あたしは今日が誕生日だといいわ。

           突然どうしたの?

          今日は空気が澄んでいてとても綺麗なの
         だからお誕生日は今日みたいな日がいいの。
        可笑しい?

      少女の意見には全く同感だった
     人は自分の好きな日に気に入った誕生日であればいいのだ
    誰にも文句を云われる筋合いも無いし
   それに自分自身が気に入った素敵な日を祝う事に
  なんの問題も無い様な気がした
 それで僕等は彼女のプレゼントを手に入れる為に
街角の片隅でドーナツを齧り珈琲を飲んでいるのだ

 梱包を解かれた楽器は
  新しい国に少し戸惑って見えた
   少女は弦楽器を丹念に布で撫でながら呟いた

    ね、貴方何処の国の生まれなの?
     心配しないで、
      あたしは貴方を大切にするし
       此処だってそう悪くないわ。

       黒いケースには弓がついていた
        
       弓で弾くのかな?

      試しに僕が弓で音を出すと
     楽器が悲鳴を上げるように雑音を叫んだ

    無理やり無茶なことしないで

   弦楽器を僕から取り上げ
  少女は優しく指で弦を弾いた
 優しくて深い音色が流れた

調弦はどうすればいいんだろうね?

 僕の質問には答えず
  彼女は楽器にささやく様に
   ゆっくりとペグを回し
    それから確かめるように音階を弾いて
     嬉しそうに曲らしきものを奏で始めた
      エリック・サティのジムノぺディだ
       楽器が呼吸を思い出した様に歌った
        僕はその優しい音色に包まれながら
         緑色のソファーでワインを飲んだ

         その子は僕等を気に入ってくれたのかな?

        多分ね。
       ゆっくり仲良しになればいいわ。

      ゆっくり

     わたしとあなたみたいにね。

   

   空が澄み切っている


  こんな日が誕生日だといいなとぼんやりと想った


 きっと知らない国の知らない人の誕生日は


きっとこんな日なのだろう



 空気が澄み切った

   
  優しくて綺麗な空気の日


   僕はグラスに残ったワインで


    何処かの国の彼らに乾杯の挨拶をした


     素敵な日だ


      祝祭された日常


       ある日の

       
        午後のお話










 
              
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