広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

みかんの花

2009-05-31 19:50:34 | 動物・植物
旅行中、静岡県内で途中下車した駅がもう1か所あった。以前も降りた静岡市清水区の「興津」駅。目的は「ミカン(でなくても何かしらの柑橘類)の花」。

日本でもっともメジャーな果物といえば、リンゴとミカンではないだろうか。それにユズ、スダチ、カラタチなど仲間を含めた柑橘類は、明治に海外から持ち込まれたリンゴと違い、一部は日本原産だし、かなり古くに渡来した種も多く、日本に根付いている。温暖地では普通に庭先に植えられているし、「橙色」というし「橘さん」もいらっしゃるように。

でも、秋田など寒冷・積雪地では、栽培されていることはまずない(秋田でも地植えできるカンキツ類もあったのを後に知った)。だから、柑橘類の植物を見ること、特に実や花を見るのが僕にとって憧れだった。
果実は昨年など何回も見ていたが、花が咲いているのも見てみたかった。「みかんの花咲く丘」って歌があるし、白い花から香りが漂うそうだ。

どうも5月頃に開花するらしいが、いまいち正確な開花時期が分からない。ミカン山に苦労して登っても、咲いてなければ無駄足だ。
そこで思いついたのが「独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 果樹研究所 カンキツ研究興津拠点」という国の試験研究機関(かつての農水省の果樹試験場)。秋に行ったところ、公道から見える場所にいろんな種の柑橘類が植えられていた。ということはそれぞれ開花時期が違うだろうから、どれかは咲いているかもしれない。駅からも近い。

興津駅近くの踏切を渡ればすぐ試験場。緩い上り坂になっている。
おや。まだ実をつけている木がある
背が高く実が大きい。ナツミカンとかアマナツだろうか?
ネコ発見!
しっぽが短い。右後ろはサクラソウかな。

惜しい! 散った後だ。
どこかから良い香りが漂う。シトラス系の香水みたいな香りでけっこう強いが、いやな匂いではない。
ついに花を発見! 終わりかけだけど

こちらはつぼみもあってちょうど見頃?
これはピンクがかった小さめの花。枝にトゲがあるから、ユズとかカラタチかな。(でも調べたらそうでもなさそうな)ミカン科は一般に花弁(花びら)が5枚だが、写真のように4枚に変異することもあるらしい。
葉も実も大きく皮の感じからするとグレープフルーツ系?
花と果実が同時に着いているということは、開花から収穫まで1年以上かかるということ。暖かい地方の植物ならではの生態だ。北国なら凍ってしまうから。

ほんとに柑橘類はバリエーション豊富
ゴツゴツしていてユズっぽいが、形はレモンっぽい。しかも大きい。
何だろう?

「お前こそ何者だ?」
すみません。もう帰ります。

盛りは過ぎていたが、柑橘の花を見られてよかった。
きっと、花が満開のミカン畑に行くと、よい香りに包まれるのだろう。いっそう憧れが強くなった。

秋から初冬のレジャーとして「みかん狩り」というのがあり、例えば伊豆などには「観光みかん園」がたくさんあるようだ。今は開いてないのだろうけど、ミカンの花を楽しめる施設ってないのだろうか。「弘前市りんご公園」のミカン版みたいな。

今年はミカンの「表年」だそう。たくさん太陽を浴びて育った、おいしいミカンをたくさん食べたい。
※表年と裏年:多くの樹木は果実を多く着ける「表年」と少ない「裏年」を繰り返す性質があり、「隔年結果(かくねんけっか)」という。ミカンはこの性質が強いらしい。

以下、余談ですが…
ミツバチ不足が問題になっているが、ミカンには関係ない。「単為結果(たんいけっか)」といって、受粉しなくても果実が大きくなるため。
また、例え受粉しても種ができにくい性質もあり、これが幸いしてミカンは種がなくて食べやすい。もし、ミカンでハチや人手による受粉作業などしたら、種がたくさんできて、かえって商品価値を落とすことになってしまう。たまに種が入ったミカンがあるが、近くにあるほかの柑橘類の花粉が付いてできたものとのこと。
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また放浪

2009-05-29 23:21:15 | 旅行記
また放浪して参りました。
まずは「こまち」で久しぶりの田沢湖線。田沢湖駅を過ぎると県境の仙岩峠(せんがんとうげ=秋田側の“仙”北地方と“岩”手からだと思われる)に入る。
田植えがまだだった
杉の濃い緑と落葉樹の新緑の淡い緑の対比がきれい。
いよいよ山深くなってくる
道もないような山間部。こういう渓流を一瞬渡るシーンが何度かある。

東京以西は東海道本線の在来線で。
熱海付近の太平洋
秋も見たけどここの風景も好き。

静岡県へ。今回はざっと通るだけだった。在来線は時間がかかり、全て窓を背にした座席のロングシートで疲れるが、変化のある車窓が楽しい区間。(以下行きと帰りの画像が混ざっていますが、東から西へ並べています)
春から秋口は富士山が見えにくいのであきらめていたが、
下だけ見えた!
思ったより残雪が多い。

静岡や焼津を過ぎ、大井川を渡った金谷(かなや)から菊川かけてが社会科で出てきた「牧之原台地」、さらに次の掛川辺りは茶所静岡の中でも一大産地。
車窓にも茶畑が広がる
今は新茶収穫後の「二番茶」(静岡では6月下旬から7月上旬収穫とのこと)になる芽を伸ばす時期だろうか。

線路からだいぶ遠いのだが、「菊川市」の下をよく見るとお茶の木で文字を作っている。右から「小笠茶産地」と読むようで、小笠という産地名がここのようだ。

浜松を過ぎて、浜名湖にある「弁天島」という所で途中下車。
貨物列車の向こうに新幹線
国道1号線・在来線・新幹線が並んで走る。
我ながら絶妙のタイミング!
270km/hですれ違う新幹線がうまく揃った!! まぐれでしょうけど。


カキか海苔の養殖かな
【5月30日追記】他にも湖面ではアサリ、湖周辺ではスッポンとおなじみウナギが養殖されているとのこと。

もうハマヒルガオが咲いていた
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バス停いろいろ2

2009-05-27 21:49:01 | 秋田のいろいろ
先日に続いて、旧秋田市交通局(市営バス)の「ダルマ型バス停」のお話。今回は頭の看板部分の停留所名について。
前にも触れたが、交通局時代からバス停名の書き方に変遷があった。
1 2

3 4

5

1はかなり錆びているが、看板屋さんのものと思われる手書き文字の昔のスタイル。写真のバス停を含め、現在はほとんど残っていない。
2は正確な時期は不明だが、おそらく交通局としては最後にかなりまとまって更新されたタイプ。地色が鮮やか。文字は丸ゴシック体だが、パソコンのフォントとは違う、本格的な写植フォントっぽいカット文字で、従来の手書きとのギャップが斬新だった。ローマ字も併記され、「CHOME」などヘボン式標記。
【2016年10月22日追記】1999年10月1日に実施された、泉地区の広範囲の住居表示(泉中央n丁目などが登場)に伴って名称が変更されたバス停では、このタイプの表示板。その頃のタイプということになる。このタイプの書体等について詳しくはこちら

しばらく経つと、交通局も予算的に苦しくなってきたのか、残っていた手書き看板の停留所は、丸ごと新品にするのではなく、頭の部分だけを更新(外して塗り直した?)する手法に変えたようだ。【2016年11月17日追記】2002年10月末に新設された「ウェルビューいずみ前」がこの透明シールタイプなので、その頃のこと。
3は、僕の記録と記憶があいまいで申し訳ないが、上の1と同じものを同じ年に撮影したものだと思う。写真では分かりにくいが、黒文字のバス停名部分は、透明シールに印刷して貼っている。フォントもパソコンの丸ゴシック体と思われ、経費節減しているのが伺える。でも現在も現役のものが多いようで、耐久性はあるようだ。
ローマ字は「まち」が「MATI」と訓令式。同時期更新の他のバス停も「丁目」が「TYOME」となっているし、交通局ではヘボン式から訓令式に転換したようだが、理由は分からないし、混在していて戸惑った。
4もパソコンシールで更新したもの。看板の塗装の色はきれいだが、錆が浮いている。塗装が雑だったのか。
5は「二面体」バス停が設置されていた場所なのだが、おそらく修復不可能なほど破損し、急遽交換・設置されたもののようだ。シール印刷のパソコンの角ゴシック体でローマ字がない。でも移管後の現在も使用され続けている。
※ローマ字表記や角ゴシック体の表示板についてはこの記事も。

以上が、秋田市交通局のダルマ頭部の変遷。今度は、ツッコミどころのある看板を。

今は1日1本になってしまった、大回り線「大町西交差点」。「点」の下が4つの点でなく、よくメモ書きで略すように「大」になっている。

 
神田・旭野団地線の終点「外旭川市営住宅前」。右は「営」が抜けて「外旭川市住宅前」になってる。確かにこのスペースにこの文字数は難しそう。「旭」「宅」の最後のハネ、にんべんに書き手の特徴が出ている。

 右も2002年撮影です
八橋運動公園裏側の旧国道に将軍野線の「ラグビー場前」という停留所があった。現在は「ラグビー場」自体が「球技場」に変わってしまい、バス停名も変わっている。
実は、同名バス停が別に、その球技場や日吉神社の前、公園内を抜ける道路上にもあり、小型バスが1日数便走る「泉・山王環状線」用。
写真左が環状線用。「次ハ」と次の停留所名もあり、最古型ではないだろうか? 赤や緑は塗り方が雑なのか刷毛の跡が見える。
右は将軍野線下り。移管直後だったため、民間会社名が上下2か所に表示されている。よく見ると「ラビー場」になってる! なんか力が抜けそうというか、ラグビーを簡素化したニュースポーツ「楽ビー」誕生?

秋田駅から線路沿いに南へ進んだ、秋田南中学校前の通りは住所としては「南通築地(みなみどおりつきじ)」。南中の南北にバス停があり、「築地北丁」と「築地下丁」となっている。
秋田市のバス停名の命名傾向として、同じ町内に複数のバス停がある場合、「○○一区、二区…」か「○○上丁、中丁、下丁」となることが多く、まれに「東西南北+丁」がある。例えば、弘前の弘南バスではこうした命名ではなく「○○北口、中央○○、○○南口」というパターンが多いから、バス会社の個性なんだと思う。
築地の場合は、「北丁と南丁」や「上丁と下丁」でなく、「北丁と下丁」で対になっていないのがおもしろい。

交通局時代から築地北丁の下り側は、新しいカット文字だったが、この上り(秋田駅行き=南中の向かい)側はこの当時は更新されず手書きのまま。しかも「築地北」になっている。
【5月29日訂正】文中の築地北丁の上りと下りを逆にしていたので、上記の通り訂正しました。ひとの間違いを指摘しておきながらお恥ずかしい限りです。
以上は手書きの時代のもの、ワープロもメールもなく、交通局内や作成業者とのやり取りの際も手書き文書や口頭だっただろうから、どこかで行き違いが生じてしまったのだろう。

以前記事にしたようにダルマ型ではないが、「からみでん」が「からみ田」になったように、手書きでなくなってからも間違いはあった。
からみでんの隣の停留所「扇田」。
色あせ具合とフォントから交通局が設置したものだが、ローマ字は「OGIDEN」すなわち「おうぎでん」。
市営時代は分からないが、今は車内放送も「次はおうぎでん」と言っているが、僕は「おうぎだ」か「おうぎた」だと思っていた。
今回も秋田市役所の「地名小辞典」を見ると「手形字扇田 テガタアザオウギ」となっているから、やっぱりバス停名は間違ってる。秋田市には田をデンと読む地名が多いとはいえ、交通局の確認不足で、それがそのまま“民間移管”されてしまったことになる。【2022年6月14日追記・地元では「おうぎでん」と呼んでいるとのコメントをいただいた。交通局ではなく地名小辞典の間違いかもしれない。】
ここまでは交通局時代のこと。ここからは移管後の民間会社のもの。

これが民間会社標準のもの。
カット文字だが、交通局のものより日本語文字が大きく(これはいいこと)、微妙にラインが違い、雰囲気もどことなく違う気がする。
ローマ字はヘボン式の箇所と訓令式の箇所があって統一されていないが、この千代田町は「CHIYODAMATI」となっており、同じバス停の同じ「ち」なのにヘボン式のCHIと訓令式のTIが混ざっている。こういう表記方法があるとは思えないし、失礼ながらこの会社ならやりそうなことだ…

桜町。
左の下りはかつての交通局バスロケ(接近表示)型、向かいの上りは二面体だったが、移管後にダルマ型に置き換わった。
 
ここは「保戸野桜町(ほどのさくらまち)」だから、当然バスロケは「SAKURAMACHI」。車内放送も「さくらまち」と言う。
でも新しいダルマ型は「SAKURATYOU」=「さくらちょう」。僕はこの辺の地区とはそれなりに関わりがあるが、「さくらちょう」と呼ぶ人を一度も見たことはなく、よその土地のバス停に見えてしまう。

再び南通築地の築地北丁。奥が秋田駅方向。
上の方で紹介した交通局の手書きの「北町」だったのは【5月29日訂正】左側の上り用だが、民間会社の手で更新されたようだ。向かいの下りは交通局時代のまま。
 
下り(左、交通局設置)と上り(右、民間設置)を比べてみよう。
フォントの違いがよく分かるが、民間側は更新してもなお「北」しかも「KITAMACHI」=「きたまち」と新たな読みがなまでふっている。お奉行所でもあるのかな?
もちろん車内放送は「きたちょう」、バス停掲示の時刻表も「北丁」。


隣の築地下丁は、
 
下り側は交通局設置の蛍光灯照明付き。おそらくここだけだと思われる、薄い小型タイプでかわいい。ローマ字はないが漢字はもちろん「下丁」。
上り側は民間更新だから、案の定、「下」。「したまち」と読みそうだけど、「SHIMOMACHI」=「しもまち」と読むそうです。もちろん放送は「しもちょう」、時刻表も「下丁」ですが…
ちなみにこの辺は江戸時代からのお屋敷町なので、下町なんて書いたら「武士の町をしたまちとは何事!」って怒られないかな。

バス会社サイトの時刻表検索では「築地北丁」「築地下丁」となっている。つまり上りの停留所だけが違っている。

【5月29日追記】後で気づいたが、ローマ字表記の「つ」だけが訓令式(TU)で、「し」や「ち」はヘボン式とここも千代田町同様、混在している。それともこういうローマ字表記方法があって、僕が知らないだけなのだろうか?? ご存知の方がいらしたら教えてほしい。
【2016年10月11日追記】2016年10月までには、「北町」「下町」とも正しい「北丁」「下丁」表記に更新されていた。Googleストリートビューで確認すると2015年8月ではまだ「町」だった。

上の扇田や、以前取り上げた南浜町(みなみはままち)を「みなみはまちょう」としてしまったり、交通局時代も結構間違いはあったとはいえ、車内放送まで“一貫して間違え”、ある意味信念がある。
一方、民間会社は、「木ノ内」なんて停留所を作ったこともあったし、間違えた桜町と築地は、車内放送や時刻表、向かい合う停留所の間で標記が違い、一貫性がない。

この会社の体制は知らないが、停留所更新を手配した本社の管理部門と運行を担当する現場の営業所間の連携が取れていないような気がする。
経営状態が厳しい中、せっかく費用をかけてバス停標記を更新するのなら、
 1.更新前に現地を回って確認したのだろうから、その際反対側の標記も確認する。
 2.自社サイトの時刻表検索や車内放送の原稿や音声データを確認すれば、本社内にいても確認できる。
 3.本社では分からなくても、路線を担当する各営業所に問い合わせれば、運転士など読みを知っている社員はいるはず。
 4.築地に関しては秋田市のバス停の命名法則を理解していれば、「きたまち」「しもまち」などという名称はあり得ない。創業85年だかの老舗バス会社のやることとは思えない。
 5.そもそもお客のことを思えば、こんな場当たり的なことはしない。
こうした確認を怠り、一括発注した本社側が机上で独断で決めてしまったように思えてならない。

バス停のローマ字標記なんかどうでもいいけど、バス停は乗客がバス利用の最初と最後に必ず使う場所であり、乗客以外にとっても町のランドマークである。自社の社名も書いているんだから、“商品”であり一種の広告かもしれない。
もっと意識して大事にしてほしい。

そういえば、この会社の貸切や高速バスの車体には、ローマ字で「AKITA CHUO KOTSU」と表記されている。ところが、公式サイトのURLは「chuo“u”kotsu」、ページ左上のロゴマークっぽい画像は「Chuo“u”ko“u”tsu」と、「う」の表記方法が統一されていない。秋田県内地盤の会社といっても、海外の客を乗せる場合だってあるだろう。
バス停の名前よりも、自分の名前を正しく書く方が先なのかもしれません。

※2016年秋に廃止された移管路線のバス停の記録
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由利橋渡り納め

2009-05-24 20:41:42 | 
由利本荘市の子吉川に架かる由利橋の架け替えに伴う、「渡り納め」イベントが今日(24日)に行われたので見てきた。
市の広報紙やサイトで告知され、前日にはローカルニュースの「明日の動き」でも伝えられた。近く(大町角の空き地)には駐車場が設けられた。

現在は仮橋が共用され、旧橋は解体を待つだけで通行止めになっている。
今日は「由利橋に感謝する集い」として、10時から左岸(市中心部鍛冶町側)で市長あいさつ・橋名板取り外し・保育園児の踊りなどの後、10時半頃から14時まで自由に渡り納めができる。
子吉川にもカッパ発見!
雄物川では数少ない建設省バージョンのカッパ。色あせたのではなく、着色なしの線だけの絵か?
鍛冶町側。カーブして右の仮橋につながる。仮橋の歩道は上流側のみ
10時半過ぎだったので、イベントが行われたと思われるたもとのテントはたたまれていた。
鍛冶町側
「ありがとう由利橋 長い間お疲れ様でした」という横断幕と「ありがとう由利橋」のくす玉が。
橋名板は4つとも撤去済み
歩道は通行止めで、車道部分を開放していた。

橋の上では地元のお店の「本荘うどん」、お菓子、農産物などテントの出店も(当初の発表より3店減ったようだが)。
あとは、夏の秋田でイベントがあれば必ず出没するババヘラアイスも来ており、両岸に出店。石脇側では、鳥海地区の「花立牧場」のソフトクリームと競合していた。


 (左)橋の下流石脇側にクレーン船「第十四長田丸」が停泊
 (右)橋の下にも足場が組まれている
明日以降、さっそく橋の解体が始まるのだろう。

石脇側にも同じ横断幕
大にぎわいではないが、ひっきりなしに人が来る。
高校生からお年寄りまで写真を撮っていたし、「私が小学校さ入った年にこの橋ができたんだども、なくなるのを今朝まで知らねくて。なんとなんと…」と感慨深げなおばあさんもいた。
このイベントがあることを「(10時の式典で)のろしが鳴って、何だべと家族に聞いて知った」とか「(一緒に来た友達に)教えてもらっていがった」と話す人もいたので、事前の告知は足りなかったかもしれない。
僕が不満だったのは、売店テントの後ろのラッパ型スピーカーから、他地域の民謡が延々と流れていたこと。何で由利橋とのお別れに「土佐の高知のはりまや橋で~(橋つながり?)」とか「津軽良いとこ~」を聞かなければいけないのか。音楽なんていらないと思うし、せめて「本荘追分」とか谷川俊太郎 作詞/息子の谷川賢作 作曲で子吉川も歌い込まれた「由利本荘市民歌」程度にしてほしかった。
こうして見ると狭い
考えてみれば、トラス橋の内部を歩いて渡るのは初めてだった。こういう古い橋では、歩道がトラス外側に後付けされることが多いので、車で通らなければ内側は見られなかった。小学生の男の子も「橋の中ってこうなってるんだ!」と上を見上げて感心していた。


くす玉はアヤメをモチーフにした市章が描かれていた
僕は秋田大橋撤去の時はほとんど見に行っていないが、由利橋も同じように市民に惜しまれながら役目を終えられたようだ。
雨が降りそうだったが、イベント終了後まで持ってくれた。
※由利橋の次の記事はこちら
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バス停いろいろ

2009-05-22 22:37:23 | 秋田のいろいろ
当たり前だけどバスに乗り降りする場所は「バス停」こと「バス停留所」。
照明や接近表示付きのものや、現代的なデザインのポールもあるし、その地域やバス会社(事業者)によって違う。
でも、大都会は別として多くの方が思い浮かべるのが、よく地図のマークで使われるような、セメントの台から金属棒が伸び、頭の丸い板にバス事業名とバス停名が書かれたものだと思う。「ダルマ型」と呼ばれるらしい。

今回は秋田市内のダルマ型バス停を紹介し、機会を見て続編をアップしたいと思う。
僕にとって「バス停」といえばこれ。
旧秋田市交通局のダルマ型バス停。
丸い看板部分は上から黄緑・黄色・赤。微妙に色合いが違う箇所も多かったが、黄緑は秋田市のシンボルカラーの若草色、赤は秋田市営バスの車体の色(交通局のシンボルカラー?)のようであり、何よりも物心ついた頃から自宅周辺にたくさんあったので、なじみ深い。

黄色い部分のバス停名は、かつては看板屋さんの手書き、末期にはローマ字併記のカット文字、パソコンで透明シールに印刷したものなどバリエーションが豊富でおもしろい。赤い部分は、昔は次の停留所名が書かれていた。
上の「総社神社前」の写真は交通局が最後に大量更新したと思われるタイプ。色鮮やかで、文字はローマ字併記のカットシールの丸ゴシック体(移管後の民間会社更新分とは微妙に違うフォント)。

交通局はこんなバス停を導入した時期もあった。
市の広報「広報あきた」1987年10月1日付け1077号「昭和61年度公営企業決算」に、「見やすい二面体のバス停五十基を設置」とあるのが、これだと思われる。1986年度だから、僕の記憶と一致する。
台座以外は樹脂製で金属は使われていない。市の中心部を中心に設置された。配色が当時のバスロケーションシステム(接近表示)対応のバス停(以前の記事の西部公民館前のものなど)と同じで、ずいぶん都会的な感じがした。
だが、増備されることはなく、市営バスの民間移管を機にほとんどが撤去され、ダルマ型に戻されてしまった。なぜなら、これには重大な欠陥があったのだ(と僕は思っている)。風が強い秋田市では、軽量で表面積の広いこのバス停は、風をまともに受けて倒れやすいのだ。1990年秋の台風14号の際も、ダルマ型は立っていたのに、これは軒並み倒れていた。中心部は道幅が狭いから、倒れて通行の妨げになったり、車に踏まれたものもあったかもしれない。
そんなわけで、末期には黄緑のバス停名部分がストンと下に落ちたり、フレームがなくなったりと、不完全な姿が多かった。→この記事に写真あり

こちらは交通局路線を引き継いだ民間会社オリジナルのもの。
支柱が細くて2本あり、看板の上をぐるりと囲む逆U字型だが、これもダルマ型と分類していいのだろう。白地にオレンジ色・青が目を引くが、色の根拠は分からない。「バスで行こう」とのコピーも書かれている。
“市営バス派”の僕は、この会社にはなじみがなく、「郊外路線=イナカのバス」と思っていたが、このバス停はなんとなく気に入っていた。でもやっぱり、これを見ると「イナカに来たな」と感じるアイテムでもあった。
交通局は照明・バスロケ付きを含めていろいろな種類のバス停があったが、この会社はほぼ全てこのタイプに統一されていた。

秋田市交通局は段階的に民間会社へ移管されることになり、最終的には市営バスの全路線、すなわち全バス停が引き継がれることになった。
だから市営バスのバス停は全部オレンジ・青に変わってしまうのかと思ったが、そうはならず、次のような対応が取られた。

移管途中の年は「1つの旧市営バス停を民間会社と“共有”する」という停留所も多かった。
現在のニューシティー前
市営バスの赤かった部分に、青地に白文字で会社名を書いたシールを貼って対応。
これを見た時、市営バスがなくなるのが近いことをひしひしと感じるようになった。

牛島、新国道方面など元から2事業者が競合していた地区では、将来の路線移管対策と道路占有スペースの効率化を目指して、移管前の早い段階から、両者を1つにまとめた新型が設置されていた。
斬新なデザインでありながら金属製で倒れにくそう。
色使いは市営バスのものと同じだが、市営:赤、民間:緑と事業者名の地色がバスの車体色に合わせてあり、理にかなっている。なかなか好きだった。

移管完了後は、こうなった。

上部黄緑の「市営バス」部分に重ねて青い民間会社のシールを貼った。上の写真の「ダイエー前」など、下部にシールを貼っていた箇所でも、剥がして上部に貼り直し、この「泉南三丁目」と同じ形式になった。「市営バス」がカット文字だったものは、青いシールの下に凹凸が透けて今でも読み取れるのが泣かせる。
したがって、交通局のダルマ型バス停だった停留所は、「黄緑・黄・赤」から「青・黄・赤」に変わった。(移管後に更新された停留所では、黄と赤の色合いが変わったものもある)

でもなんで青色なのか分からないし、「桜郵便局」のような共用タイプの停留所では緑色で更新され、統一性がない。しかも移管前からの自社路線は当然オレンジと青のまま。
全部統一するにはお金がかかり、そうしてまで揃える必要はないだろうが、引っ越してきた人や旅行者には、別のバス会社ではないかと思ってしまうほど、バリエーションがある。

最後に、民間会社が最近(?)新たに設置したタイプ。
「大町二丁目」(上り)には3本のバス停
真ん中の逆U字型は羽後交通のもの。右端の埋め込み式のは、秋田市交通局から引き継いだ照明付きのもの。バスロケ付きのものにそっくりだが、やや背が低くて、接近表示はなかった。表示スペースが空いているから、そこに時刻表を貼ればよさそうなのに、左端にもう1本立っている。交通局があった頃は「桜郵便局」のように1本にまとめる方針のはずだったのに、移管後はここのようにだらだらと2本立てたままの停留所が山王大通り~竿燈大通り~中央通りには多い。利用者としては時刻表が分散していて分かりにくくて困ります。
【2014年12月20日追記】2014年12月14日付秋田魁新報秋田市地域面より。
NPOなどが主催する「人にやさしいまちづくりinあきたと住まい展」が開催され、NPOの会員らが撮影した便利な場所や不便な場所約70点の写真が展示された。
その1つに、「時刻表の付いた標識が複数並ぶバス停」があり、まさにこれのこと。秋田経済新聞サイトによれば交通公社前(上り側)の写真だったようだ。

その左のバス停の上部
医療機関の広告を兼ねたものらしい。ほかには中通一丁目と三丁目もそうだし、広告は未確認だが、外旭川小学校前の「神田」停留所もこの図柄だった。
このイラストは屋根にシャチホコらしきものがあるのでお城?
でもなんでお城?? 秋田は城下町だが、久保田城には天守閣がなかったようだし。
左右の余白とか、下の赤い部分とかデッドスペースが多いような気もする。バス停名は太字なのはいいが、広告とともにもっと大きくできるのではないだろうか。利用者のことを思えば、バス停はできるだけ見やすく(認識しやすく)するべきであり、スペースいっぱいに表示するべきだと思う。
※お城デザインのバス停は、この後、2015年頃にほぼ絶滅した。この記事後半参照。

※続きはこちら
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ツツジいろいろ

2009-05-21 22:58:08 | 秋田の季節・風景
先週に続き、1週間ぶりに千秋公園に。
前回、最後に紹介した裏の自生フジ
きれいに咲いているが、高い。10メートルはあるんじゃないか。フジがこんなに高木になるとは、藤棚からは想像できない野生の姿だ。

園内の赤いツツジは散った木が多く、白いものはほぼ満開が多い。でも赤くても咲いていたり、まだつぼみの白もあった。
図書館上の坂や彌高神社斜面のものは見頃を過ぎていた。


胡月池は白ツツジも藤棚も見頃でにぎやか

裏門坂の階段沿いは白花でも終わりかけてる
全体的に先週の赤系統よりはちょっと地味かな。

足を伸ばして官庁街の山王地区へ。
秋田合同庁舎
けやき通りを挟んで県庁裏の向かい、法務局・労働局などが入る国の出先機関。

植え込みのツツジがきれいに四角く刈り込まれている。通り沿いは真っ赤な小花。
奥にはピンクや白もあり、同じく四角い。

合同庁舎の隣、山王大通りに面した裁判所
表札は「裁判所」だが、建物の正式名称は何ていうんだろう? 高裁支部も地裁も家裁も入ってるようだけど。
こちらは、大きなツツジが丸く刈り込まれていた。
珍しい仕立て方だと思うけど、きれい。国の機関もそれぞれやるもんだね。

裁判所と山王大通りを挟んだ向かいは八橋運動公園。


市営八橋球場の前も丸く刈られていた

ピンク系の模様入りの花の中に濃いピンクの花が数輪
リンゴなどでもある、一部の枝だけが突然変異した「枝代わり」というやつだ。ツツジでは「咲き分け」と言うのかな。

秋田駅方向に移動し、通町と交差する市道の「保戸野みその通り」。
以前記事にしたように、ここのツツジもきれい。(ちなみに雪囲いされていない通町のも背は低いがたくさん咲いていた)
四角く刈られ、カラフル

だいぶ背が高くなった。丁寧な手入れの成果だろう
白やピンクの花がメインだが、珍しい花も。
白花にピンクの細かい模様。「絞り」と呼ぶのかな。

全体がピンクがかった絞り咲き

今日見た中では、やっぱりみその通りがいちばんきれいだと思った。
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スギッチのマスク

2009-05-20 21:18:02 | 秋田のいろいろ
【2021年4月23日追記・以下本文は初回アップの2009年時点の状況とマスクに対する個人的見解です。この頃は、不織布マスクが普及するようになり、20世紀よりはマスクを使う人をよく見かけるようにはなっていましたが、やはり、健康な人は使わないものという認識がありました。
このだいぶ後の2020年、新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、ママスクの必要性と考え方は大きく変わらざるを得なくなりました。】

「新型インフルエンザ」が流行中。それほど重症にならないらしいが、秋田で感染者が出てもおかしくないから用心したいところ。少なくとも簡単にできる手洗い・うがいは励行しなければいけない。

秋田市内でも100円ショップなどではマスクが売り切れた店舗があるそうだ。秋田で流行した場合への備蓄、感染地域へ旅行する人の携帯用としては必要だ。
でも、普通の健康状態の人が、現段階の秋田県内での普通の生活において、人ごみや密閉空間に行かない限り、常時マスクを着用する必要はないと僕は思っている。
もとから秋田は人口密度が低いし、車社会で公共交通機関の混雑は少ないから。あくまでも現段階での僕の意見としては。

厚生労働省のホームページに5月16日付けで「国内発生確認後の対策実施に関するQ&A」(http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02-01.html)というのがあり、それには、
外出に当たり、必ずマスクを着用する必要があるのですか。」という問いに、
「(略)混み合った場所、特に屋内や乗り物など換気が不十分で閉鎖的な場所に入るときに着用することが勧められます。
屋外などでは、相当混み合っていない限りあえてマスクを着用する必要はありません。また、施設や乗り物についても空いていれば、マスクを着用する必要はありません。(目安としては、対面する人と人の距離が1~2メートル)
(略)」との回答がある。
また他のページに「咳、くしゃみが出たらマスクを着用しましょう。」ともあり、やはり、未感染者はいつも必ずマスクをする必要はないようだ。

テレビ番組などによれば、マスクには相当の【訂正】それなりの?感染予防効果があるそうなので、できるだけかかりたくない人が個人の判断で今から着用するのは自由だが、品薄なマスクを現段階で使い切って、肝心の本当に必要な場合(発症地域へ旅行する、秋田で流行したなど)に手に入らない、なんていう事態になっては本末転倒だ。
*       *        *
前置きが長くなったが、今朝の新聞に「秋田県庁入口の“スギッチ”がマスクを着用し、インフルエンザ対策を呼びかけている」という記事があった。
秋田杉を擬人化して、国体のマスコットから県のマスコットに昇格したスギッチを使ったユニークなPRで、それ自体はおもしろいが、スギッチが話している吹き出しに疑問を感じた。
まずは写真でご覧いただこう。
閉庁後の薄暗い県庁へ行って撮影

珍しくフラッシュをたいて
紙製マスクをセロテープで止めている。耳がないので腕にヒモをかけてる。
問題の吹き出し
手洗い・うがいについてはまったくその通りだが、いちばん下。「外ではマスクも」この表現がひっかかる。

この文章を読めば、「外出時は必ずいつもマスクを着けろ」というふうに解釈できないだろうか?
厚労省の見解はそうではないのだが、秋田県は違う見解ということはないだろうから、言葉が足りない。

スギッチにマスクを着けたのは、保健関係の部局ではなく、広報や情報公開を担当する部局。でもそんなことを知らない人には、「公的機関の県が、外出時のマスク着用を義務づけている」ととってしまわないだろうか? たかがスギッチの言葉だが、「県」という地方自治体が発信している情報には違いない。

楽観視するのは危険だが、過剰な反応も危険。
5月16日に県の対策本部が発表した「県民の皆様へのお願い」では真っ先に「県民の皆様におかれては 、 国 、 県 、 及び市町村等の発表する情報に注意しながら 、 冷静な対応をお願いします 。」とあるし、マスゾエ大臣もそんなことを言っていたはず。
それなのに、部署が違うとはいえ、県が自ら不確実な(と僕は思う)情報を流すのはいかがなものか。いたずらに不安をあおり、余計な混乱を招きかねないのだから、正確かつ慎重な対応をお願いしたい。
この場合は「人ごみではマスクを」程度がいいのではないだろうか。

県にメールを出しておいたが、どうなるか?


ちなみに県の新型インフルエンザのホームページには、PDFファイルのリンクばっかりであまり役に立たない。一方、秋田市役所のホームページには、簡単な説明文と厚労省へのリンクがあり、県のよりずっと役に立った。道路管理にしても何にしても、なんか「秋田県」は頼りない。
なお、中核市の秋田市は独自に保健所を持つ。だから、秋田市民の相談窓口は、八橋の「秋田市保健所」内の発熱相談センター。県の「秋田中央保健所」というのは追分【訂正】潟上市昭和(秋田市の北、旧昭和町)にあり、秋田市以外の県中央部を管轄しているようだ。

【5月21日追記】スギッチの吹き出しは翌朝、さっそく「人ごみではマスクも」に変えてくれた。秋田県職員ブログの記事にもなり、担当課から「外出時は必ず着用」という意図ではなかったので修正したという回答・お礼のメールもいただいた。一県民の声でもしっかり受け止め、迅速に対処してくれるのは秋田県のいいところ。
いちおう、実物を確認。


上の文の配置も見やすく変わった
【6月12日追記】その後マスクは外されたが、外した後に秋田県内で患者が発生した。そんな時こそ、注意喚起が必要だと思うが、もうマスクはしないらしい。
コメント (2)
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本田橋

2009-05-19 20:20:39 | 
1月に撮った古い写真で恐縮ですが、秋田市内の橋の話題です。

雄物川の支流、岩見川は秋田市四ツ小屋地区と雄和地区(旧雄和町)の境。下流から芝野橋(昨年秋の記事)、空港道路(県道9号線)の秋雄大橋、本田橋の順に3つの橋が四ツ小屋と雄和を結んでいる。
空港道路は別にして、古くからある生活道路の芝野橋・本田橋はいずれも雄和側の集落名(雄和芝野新田、雄和田草川字本田)から名付けられているのがおもしろい。
そのうちの本田橋が、点検の結果、横桁の鋼材に激しい腐食が見つかり、2008年1月25日から通行止めになっている。「市道本田妙法線」という秋田市道で、架け替えすることが決まったようだが、完成は5年後とか。本年度は調査などが行われるようだ。

僕はまったく土地勘がなく、「ほんだ橋」だと思っていたが、「ゆうわたくさがわ あざほんでん」という地名で「ほんでん橋」と読むことすら知らなかった。
芝野橋など近くの橋は単純な「桁橋」なのに、写真で見ると本田橋は、水色に塗られた金属製の構造物が上に付いている。橋好きとして、見に行ってみた。
略地図です。無関係の道は省略
JR奥羽本線四ツ小屋駅前の線路と並行する道路には、
通行止めの看板
岩見川の堤防(サイクリングロード)に上ると、遠くに水色の構造物が見えてきた。
対岸は本田の集落
(以下、橋の構造に関することは自信がないので、そのつもりでお読みください)
金属の構造物がある橋といえば、旧秋田大橋、旧由利橋、雄物新橋、秋田運河の新川橋などが思い浮かぶ。それらの橋は「トラス橋」といって、三角形に組んだ金属構造物からなり、三角のそれぞれで重さを支えている(のだと思っている)。
ところがこの本田橋は、三角の部分がなく、側面の金属がまっすぐ下につながっている。全体として丸っこい。これは「アーチ橋」といって、太いアーチ(弧)全体で橋を支えているらしく、ぱっと見はトラス橋に似ているが仕組みはまったく違うようだ。新川橋隣りの水道管の橋はアーチ橋かな。
なめらかなカーブ
調べてみるとアーチ橋にはいくつか方式があり、本田橋は「ランガー橋」というタイプ。路面と平行な補剛桁という、横方向の部材が主に重さを支え、アーチは補助的なものらしい。
路面の外にある太い部材が補剛桁?
本田橋で腐食が見つかった「横桁」とは、この補剛桁のことだろうか? だとすれば、メインの構造物だから危ないのは当然だ。
長さ150.8m、幅6m。アーチは中央に1つだけ

トラス橋よりも柔らかく繊細な印象を受ける
秋田大橋や由利橋よりも部材が細いが、これは構造の違いでなく、時代のせいだろう。同じトラス橋でも戦後に作られた雄物新橋などは本田橋と同じくらいの太さだから。
リベット(鋲)も最小限で雄物新橋と似ている
橋を渡る道路は、
厳重に封鎖されている


「昭和39年12月竣功」とあり、43年使われたことになる。風雪や海からの強風がある秋田県沿岸部とはいえ、秋田大橋や由利橋のように70年前後活躍した橋もあるし、本田橋と1年違いの昭和38年に架けられ、河口近くの雄物新橋は今も現役。
本田橋は秋田市と雄和町の合併前はどちらの管轄だったか知らないが、道路管理者の管理やメンテナンスが充分とは言えなかったのかも知れない。橋のたもとの銘板の石もボロボロだし。
橋を背に線路の方を見る
左前は田んぼで、右側は「四ツ小屋末戸松本」地区の集落。道路はカーブして、その先に信号機のある(最初の看板があった道との)交差点と奥羽本線をくぐる地下道があり、向こうに御所野ニュータウンのイオンが見える。
ここからだと、四ツ小屋駅もイオンも2キロ以内。意外に近く、例えば、本田など雄和地区の高校生や奥様・お年寄りが徒歩や自転車で本田橋を利用していたのではないだろうか。
迂回路とされている下流側の空港道路の秋雄大橋までは1キロ(四ツ小屋駅へはあまり遠回りではない)、上流側河辺地区の豊成橋までは2キロもある。車ならともかく、徒歩や自転車では大変だ。

僕はこの地区の生活事情を全く知らないし、秋田市の財政状況も厳しいのだろうが、早く架け替えを進めるべきではないだろうか。
これがもし県道だったら、「700億円もかけて地下トンネルなんか掘るより…」って言えるけど。

新しい橋は、近隣の橋の構造、財政状況、建築技術から判断すると、「桁橋」になってしまうのだろう。農村の風景の中に青いアーチがアクセントを添えるのもあとわずかだろう。
でも、冬の寒空に寒色の青に塗られた、か細いアーチ。もう誰も渡ることなく、何年か放置されて解体されるのを待つ本田橋の姿は切ない。


交差点(地図の「×」印)にもバリケードが設置され、橋までの道路は全面通行止め(と書いてあったけど人は通れる)で除雪されていなかった。秋田駅と牛島または日赤病院・御所野経由で雄和市民センターとを結ぶ路線バスが本田橋を渡っていたが、空港道路を迂回している。
「末戸口」バス停

右矢印に従うと四ツ小屋駅付近を経由し空港道路へ
線路の地下道から振り返ると、小さくアーチが見えた。
つまり「こまち」の車窓からも一瞬見えるはず
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それぞれの太平山

2009-05-17 13:39:49 | 秋田の季節・風景
「なごむ/姿かがやき/雲はるか/雄々しい姿 心にそめて/雄姿そびえる/明けゆく空にそびえ立つ/産土の峰静まりて」
これは秋田市立の一部の小中学校の校歌の中から、あるモノに対する言葉を抜き出したもの。
4月上旬、新屋大川町の雄物川堤防から
秋田市民の方なら察しがついたと思うが、秋田市中心部から見て北東部にある秋田市の象徴的な山「太平山(たいへいざん)」のこと。
山形県境の鳥海山は秋田市から遠く、天候や場所によって見えないことが多いのに対し、太平山は市内ほぼどこからでも見える。校歌でも「太平山のみ」「太平山と鳥海山」が歌われる学校は多いが、「鳥海山のみ」というケースは秋田市内では少ないように思われる。

太平山は出羽山地の中の連山で、wikipediaによれば「秋田市中央部に近い側から前岳、中岳、鶴ガ岳、剣岳、宝蔵岳、弟子還岳、奥岳、旭岳など多数の山頂が連なる。」そうだ。標高1000メートル前後。
僕のような登山をしなくて、それぞれの名前や位置関係は知らない人間でも、シルエットで「太平山だ」と容易に認識でき、秋田市にいることを実感できるシンボルだと思っていたが…

先週、秋田駅→(秋田市北部の)追分→秋田駅→(秋田市南西部の)新屋と移動する機会があった。
秋田駅の北、秋田工業高校裏の旭川を渡る奥羽本線車窓から
手前側の面はすっかり雪が消えたが、左側の1つ奥の峰は少し残雪がある。

追分駅手前
北へ10キロほど。住所でいうと飯島と下新城(しもしんじょう)の境目あたり。太平山の真東。
いきなりこの写真を見せられても僕には「太平山」と認識できないほどシルエットが違っている。見にくいが、左側に長く伸びる峰に少し雪がある。
弘前から秋田に帰って来ても、「太平山が見えた」と思った記憶がないのは、中心部から見る(=僕の記憶にある)のと形が大きく違うからかもしれない。

秋田駅からも太平山が見える。自由通路の東口側の大きなガラスからも見えるが、秋田駅改札内にある「線路と並行な跨線橋」という珍しいモノからも見える。
駅舎改築に伴い「中央改札から7・8番線に直接行かれない」という複雑な構造になってしまっていたが、それではあんまりだということで、数年前にこのタテの跨線橋が作られたらしく、「駅の花道」と名付けられた。植木鉢が置かれたりしているが、見える山が太平山であることの解説もある。
【2014年10月17日補足】「駅の花道」の由来は、8番線と7番線にちなんで「駅の8・7道」。「駅のはなみち」と表記するのが正しいようだ。
残雪の峰が(中央の峰の陰に)隠れて見えない!
旭川の橋からは1キロ強しか離れていないのに、てっぺんが1つ減るほど見え方が違うとは今まで知らなかった。
千秋公園は位置的に旭川と秋田駅の間なのでまた微妙に違って見えるだろう。

羽越本線の上り電車で羽後牛島駅発車後まもなく、雄物川の手前。秋田駅から南西へ3キロほど。右が牛島、左が茨島。
立入可能なワンマン電車後部運転台から
雪が右に移動し、手前の2つの峰の間からちょこんと顔を出している

羽越本線より西側、秋田大橋から
雪が線路から見るよりは左になり、2つの峰のちょうど真ん中。「山」という漢字みたいにバランスがいい。
本記事最初の写真の撮影場所は羽越線と秋田大橋の間。

僕が小さい頃から今まで多く見て来た太平山は旭川から見るのとほぼ同じ角度。これも横に間延びした「山」の字みたいに見え、新屋から見るのに似ている。
「新屋から見る太平山が美しい」とも思っていたが、川越しで視界が開けていることのほかに、旭川からの“見慣れた太平山”に似た形であることもそう思わせる原因かもしれない。

4月上旬、臨海大橋から
秋田駅や旭川のほぼ真東だが、微妙に太平山との角度が違うようで、左側の峰が大きく見える。僕のイメージの太平山とは少し違うが、ダイナミックな姿。

「秋田市の、秋田市民のシンボル」といっても、その人によってイメージする形がそれぞれ違うのだろう。
あなたの太平山はどんなシルエットでしょうか?
【追記】6月上旬の秋田市から見た太平山・鳥海山の様子はこちら
【追記】9月下旬の秋田市から見た太平山の様子はこちら

※校歌に出てくる山については、この記事中ほど
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ダイサギ・ゴイサギ

2009-05-15 17:45:19 | 動物・植物
5月10日から16日は「愛鳥週間(バードウイーク)」だからというわけではないが、以前の勝平山のサギのコロニーの続報。4月下旬の撮影です。
臨海大橋から見る勝平山
若葉の芽吹きにはやや早い時期だったが、山の木々は白からピンクっぽい部分が多い。コブシやヤマザクラのようで、結構多い。千秋公園の西側斜面よりも本数がありそう。
秋田運河は小船が多い

斜面
まだ葉が出ていない木では以前と同様、巣が点在し、グレーのアオサギが巣にいたり飛び回ったりしている。天候や時間帯のせいかもしれないが、以前よりはつがいで巣にいる個体が多く、落ち着いた感じもする。ヒナらしきものは見えないが、抱卵しているのだろうか。
色合いが違う2本のヤマザクラ
そして、
白い鳥も見える。
後から繁殖期に入ったダイサギ(大鷺)だ。
左がアオサギ、右がダイサギ
アオサギも見方によっては白っぽいといえなくもないが、ダイサギはまさに真っ白。体の大きさは同じくらいで、アオサギの巣より数はやや少ないが、混ざって営巣している。
アオサギは黒い飾り羽があってきれいだが、ダイサギの方は背中の羽がヒラヒラしていて、とても優雅。これも繁殖期の飾りのようだ。
白鳥より白い
ちなみに「白鷺(しらさぎ)」という言い方があるが、シラサギという種はいない。ダイサギなど白いサギ類を指す総称。
白飛びしやすく撮りにくい
秋田市内でダイサギを見る機会はアオサギほど多くないが、田植え前、代かき中の田んぼに集団で飛来し、トラクターのすぐ後ろに続いて餌を探しているのを見ることがある。農家の人はダイサギが農業被害をもたらさないことを知っているし、サギもここにいる人間は危害を加えないことを知っているから成り立つ共存関係だ。
連休中の夕方、毎日のように我が家上空を「ぎゃあぎゃあ」と鳴きながらサギが飛んで行ったが、田んぼから勝平山へ帰るダイサギだったかもしれない。

さらによく見ると、小さい鳥(といってもカラスよりは大きい)も巣作りしている。配色はアオサギにそっくりだが、首が短く“普通の鳥”みたいな格好。
こちらも遅れて繁殖期になったゴイサギ(五位鷺=平安時代に「五位」の位を授かったからとされる)。確か大阪の動物園でアシカの餌を横取りしに来ていたのを間近で見たことがあったが、秋田で見るのは初めてだと思う。
本当は首が短いのではなくて、普段は首をすくめているので、
たまに首を伸ばす。首が太い! 他のサギとは印象が違う。

ゴイサギを威嚇? するアオサギ
ゴイサギの巣の下に巣があるアオサギの気に障ったらしい。アオサギにしてみれば後から来て自分ちの上に巣を作られたわけだからね。集団生活ではご近所づきあいも苦労がありますな…
【追記】6月上旬の様子はこちら
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千秋公園のツツジ

2009-05-14 21:52:21 | 秋田の季節・風景
今年は桜ががっかりだった秋田市中心部の久保田城跡、千秋公園。
今はツツジが見頃だという。5月9日から23日まで「千秋公園つつじまつり」が行われているが、さくらまつりと違い、出店やイベントはなく、夜間ライトアップがある程度。でも、千秋公園のツツジの美しさはサクラの比ではないと思うので出かけた。

「花色の薄いものから濃いものの順に咲いていき、今週後半頃から見頃」という報道だった。メインルートの県民会館・市立図書館明徳館から二の丸へ上る坂。
白系統はまだつぼみ
でも、
赤系統は満開

二の丸の奥は赤だけ
まばらな花だったソメイヨシノも葉っぱはちゃんと出ているようだ。


園内最大のツツジの見所、二の丸の「胡月池(こげつち)」から本丸への階段脇の斜面。【5月21日追記】この階段=坂を「裏門坂」と言うらしい
手前に白っぽい木が多いので、まだ早い

上の本丸から(桜の記事の4枚目と同じ場所から撮影)
再び二の丸に下りて、胡月池のさらに奥、彌高(いやたか)神社近くもきれいだった。

明徳小学校側からここまでは車の乗り入れが可能なようで、駐車車両が多いけど、斜面の赤系統のツツジがきれい。
ケヤキなどの木も混ざっているが、花の色と新緑の緑の対比が美しい

日が差したり陰ったりの天気の上、色鮮やかな花はデジカメの露出合わせが難しい

二の丸には藤棚が2か所(広場の公衆トイレ前と胡月池)があり、そろそろ見頃だった。自然が多く残る裏側(西側)には、自生したフジもあった。
まだほとんどつぼみ
気になったのは、フジの後ろのブラシみたいな白い花。今の時期、里山に結構咲いているらしい。調べてみるとバラ科のウワミズザクラ(上溝桜)という植物らしい(同じバラ科だがサクラではない)。地域によっては花や実を食べたり、果実酒にしたり、占いに使ったりしたとのこと。
身近にあっても知らない植物がまだまだあるもんだ。

千秋公園のツツジは、今週末は赤花が見頃で、週明け以降は白花もきれいだろう。フジも咲くし、桜よりも見応えのあるお花見ができると思います。
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西弘も無人駅に

2009-05-13 19:51:38 | 津軽のいろいろ
津軽地方の私鉄、弘南鉄道(詳細は以前の記事で)。
先日、「津軽フリーパス」のフリー区間でもあるので、中心商店街土手町近くの始発「中央弘前」駅から2つ目、弘前大学近くの「弘前学院大前」(旧西弘前)駅まで大鰐線を利用した。
中央弘前駅にこんな掲示が
今年の4月から大鰐駅南口、聖愛中高前、弘前学院大前が無人駅になる(なっている)という。

JRを含む地方鉄道において、無人駅・ワンマン運転というのは珍しくはない。でも大鰐線の主要駅の弘前学院大前(旧西弘前)が無人駅になるのには少し驚いたが、同駅の利用者は30年前の1割程度という報道もあるし、駅名変更のような多大な混乱は生じないだろう。
wikipediaによれば、1952年に開業した西弘前駅は、1971年に弘南鉄道初の自動券売機設置、1985年に駅業務の委託、以後休日などが段階的に無人化され、2006年には平日の昼間も無人化されてきたようだ。
つまり、既に20年以上前から鉄道直営でなかったわけだ。駅業務をしていたのは年配の男性や“昔の事務員”のような青い事務服を着た女性がだったが、退職したOBや主婦のパートみたいな感じだったのだろうか。
なお、同時に無人化される「大鰐駅南口」は終点大鰐駅の跨線橋を渡ったJR側の改札口。JR奥羽本線大鰐温泉駅の改札口(JRから町へ? 委託)と並んでいるが、JRとは別に委託の女性がいた。弘南鉄道ホーム側には北口がある。
「聖愛中高前」は弘前学院大前の大鰐寄りの隣りでかつての「城南」駅(西弘前と同時に改名された)。小さな駅舎で、昔から無人駅だと思っていたが、おそらく通学時間帯だけ駅員がいたのだろう。

電車に乗る。中央弘前も駅業務が委託されているようだ。
おなじみの東急系列の商業施設の広告付き吊り手(つり革)。
右は前回写真がなかった109の広告だが、上に別の広告(自動車学校とか)を貼っていたのがはがれた(はがした)ようだ。

この電車は1960年中頃に製造され、製造当初からずっと同じ広告が付いていたのかと思ったが、109がオープンしたのは1979年なので、古くても30年前のものだ。ただ、現在とは「109」のロゴが異なっている。
別デザイン。扇風機も懐かしい
「ショッピング 夜9時まで/お食事・喫茶 夜10時半まで」という営業時間も変わっているのだろうなと思ったが、飲食の一部が11時まで延長された以外は現在も同じ。「109」の名前の由来は、「東急→とお/きゅう→10/9→109」という語呂のほか「営業時間が10時から9時」という意味もあるそうだ。
新しい広告が
「あおもりNPOサポートセンター」「OH!!鰐元気隊」のほか個人名フルネームも。
どれも地色が赤で、下部に「2008 Cidre」とあり、アサヒビール・ニッカウヰスキーが弘前工場で地元産リンゴで製造しているスパークリングワイン「シードル」の広告でもあるようだ。これらの広告主から判断すると、昨年11月に弘前と大鰐で行われた「弘南鉄道プロジェクト『シードル・ヌーヴォ2008』」というイベント関連のものと思われる。

でも、よく分からない広告だし、この車両内では従来の東急系列の広告の方が多く、中途半端。
いっそ、吊り手を全部新品に交換して、古いのをマニアに売ってはどうだろうか。百貨店・お好み食堂・のれん街・マルキューとセットにして1000円くらいなら僕は買います!
西弘・城南の駅名変更にしても、突然やって一部で反発を受けたけど、周知期間を設けるとともに、その間を利用して「駅名変更記念乗車券セット」とかを作って売れば多少の増収になっただろう。
五所川原の津軽鉄道が「レールオーナー」制度としてレール1メートルを5000円で“売って”いたように、弘南鉄道さんももっと商売っ気を出して、したたかになってほしい。


今まで以上に無人駅が増えたので、ほとんどの乗客は前の車両に乗っていて(無人駅ではいちばん前のドアしか開かないので)後ろの車はガラガラ。
弘前学院大前で5人ほど降りた。以前、駅員がいた頃は無人の時間帯は駅舎内に入れず、公衆トイレ脇の開放された柵から外に出なければならなかった。駅舎内に現金やきっぷが置いてあるからだろう。無人化された今は、その心配もなくなったためか、駅舎内が開放されていたが、薄暗く、窓口跡が板で塞がれたのが寂しい。
駅内
左の引き戸が旧改札口で線路を渡ってホーム。その右の板で塞がれた部分が窓口跡。さらに右のベンチ後ろの縦長の板2枚が自動券売機の跡。数年前、平日の昼間が無人化された頃に撤去されたと思われる。

中央弘前駅が昔のような懐かしさを感じる駅としてよく取り上げられるが、この旧西弘前も負けていない。
「お忘れもの」黒板

筆書きの掲示
左上は「取り扱つて」と促音の“小さなつ”が大きく書かれている。
無人化の告知もひっそりと。
新しい掲示も、筆書きの掲示(上写真右側)も「いつも電車をご利用いただき」で始まっている。「弘南鉄道を」でなく「電車を」となっているが、それで通用するほど弘前では代表的な交通機関だった名残なのだろう。

改札口上の時刻表を挟んで左右に、上り下り別に改札中を示す電光掲示。

発車5分前だったろうか、改札が始まるとぼわっと暖色系のランプが内側から灯っていたと思う。「(快速)」のスペースが大きいが朝夕1本ずつの快速の時だけ灯っていたはず。
それにしても大鰐線って大鰐に向う方が「上り」なんだと初めて知った。並行するJRと揃えてあるわけだが、今まで特に意識していなかった。
弘前学院大前駅前
「ひろさきがくいんだいまええきまえ」? やっぱり馴染めないし、看板自体が安っぽい。
隣接して生協がある。「弘南生協」という名前だが、鉄道と関係あるのだろうか? でも店舗名は「西弘店」。※この記事中ほどで一考察
【2018年1月31日追記】生協は1973年開店とのこと。1971年までは西弘前に車庫があったそうなので、その跡地なのかもしれない。

西弘前という地名はなく、駅だけの名前。所在地は弘前市中野。
周辺の人々は学生も一般人も「西弘前」を略して「西弘(ニシヒロ)」と呼び、駅そのもののみならず、周辺エリアも「中野」より「西弘」の方がずっとよく通用する。

駅前にある弘南バス(鉄道とは別会社)のバス停はいまだに「西弘前駅前」。みちのく銀行も「西弘前支店」。商店街は「西弘商店街」。(他には医院やアパート名にもなっている)駅名以外に「弘前学院大前」という名のものがない!
これらは駅名に追随した“便乗”命名だが、多くの人が「西弘」と呼んで親しんでくれているのだから、駅名が変わってもそう簡単に変えられないのだろう。変更にはお金もかかるし。
それだけに、弘南鉄道の駅名変更のやり方は、沿線住民を無視した、強引なやり方だったのではないかと思えてしまう。同社は「乗客を増やすため、背に腹は代えられない」と説明していたようだが、完全無人化されてしまった駅の利用者が増えているとは思えない。もっと上手に駅名変更する手段があったのではないかと残念に思う。
夜の商店街。ラーメン屋の向こうが駅
西弘は、弘前大学裏に位置し、学生向け飲み屋街となっている。新学期と花見シーズンなのに静まり返っていた。僕たちの学生時代もこんなにひっそりしていたんだっけ?
駅から北へ2つ目の踏切
ここから見る岩木山もとてもきれい。この踏切の次が寒沢の坂前の踏切。

【2018年5月7日追記】この後、駅舎とコープ店舗の改築が行われ、ここで紹介した建物はすべて解体された。2018年4月26日に新たな店舗・駅舎がオープン。店舗は従来の駅舎だった部分も使い、駅舎は店と一体化した申し訳程度のものになったようだ。この記事にて。
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寒沢“スキー場”

2009-05-11 19:27:57 | 津軽のいろいろ
※おことわり※本記事はスポーツ施設の「スキー場」の話ではありません。
バカヤローカーブ」に続いて、もう1つの弘前大学周辺の迷所のお話。大学構内・周辺の地理についてはこちらの記事もご参考に。

バカヤローカーブの記事内にアドレスを記した、大学生協のページを見た方はお分かりだと思うが、弘前大学文京町キャンパス周辺に「寒沢(かんざわ)スキー場」と呼ばれる場所がある。「バカヤローカーブ」と同様、学生が付けた通称だと思うが、バカヤローカーブほどの知名度はないと思う。方向的に僕にあまり縁のなかった地域だったこともあるかもしれないけど。
【2019年6月7日追記】バカヤローカーブの名が弘大生に広く認知されたのは、大学生協の広報誌「APPLE COOP 新入生歓迎号」に掲載されたため。バカヤローカーブが出ている1995年や1996年入学者向けには、「寒沢の坂」はあるものの、「寒沢スキー場」の名前は載っていない。だからあまり知られていないのだろう。じゃあ、僕はどこで寒沢スキー場の名を知ったんだ?(卒業後にできて、現在はない生協のホームページには載ってたか?)

場所は大学のすぐ裏。
正門側の富田大通りから文京町1番地と3番地を隔てる公道を西へ抜けると、教育学部や第1体育館の裏、大学生協本部(組合員センター)前に交差点がある。
そこを左折すれば100メートルほどでバカヤローカーブだが、今回は直進。横断時は見通しが悪いので注意。
道幅がさらに狭くなり、住所は道路の左(南)は文京町のままだが右(北)は富士見町になる。交差点から80メートルほどで弘南鉄道大鰐線の踏切。
【2018年1月6日追記】この踏切は「西ヶ丘踏切」という名称らしい。現地に表示はないが、2017年末に高齢者の事故があり、その報道で判明。
岩木山がきれいに見える
踏切を渡るとすぐ、左にもっと細い道が分岐するが、道なりに行くとやや幅が広くなって緩くカーブする下り坂。
この坂が「寒沢スキー場」
寒沢というのは地名。ここから200メートル先の土淵川にぶつかるまで、この道を境に左が西ケ丘町、右が寒沢町。
坂をスキー場に例えたわけだが、雪国の方なら、この坂に雪が積もればどうなるか想像いただけるだろう。歩いて通るのも大変そうだし、無理して自転車で通って転んだという話もある。

でも「寒沢スキー場」よりも「寒沢の坂」と言った方が、大学生でも通りがいいかもしれないし、地元の人にも分かるだろう。
左の看板、昔は「N」と「Y」もあったけど…
この通りから小路に入ると、狭い道沿いに学生向けのアパートがびっしり並んでいる。「○○荘」といった名の年季の入ったものもある。
この先、土淵川対岸の桔梗野や大学正門側の富田大通りを渡った富野町や富田町も学生アパート街だが、「コーポ」「ハイム」「メゾン」といった名前でわりと新しいのが多いのとは対照的で雰囲気が違う。
ともかく寒沢・西ケ丘周辺の弘大生にとっては、寒沢の坂が唯一の通学ルート(両隣の踏切は遠回りになる)だろうから、それだけに冬場でも避けて通れぬ難所なのだろう。
坂の下から見上げる。1コマ開始前の8時半頃はにぎやかになりそう
秋田市にはあまり坂がないが、この程度の坂なら、ロードヒーティング(路面融雪)設置の対象になると思う。
寒沢の坂はなぜか登り車線側がカラー舗装されているが、融雪装置の制御盤ボックスが見たらないので、融雪装置はないと思う。あればだいぶ楽になると思うけれど。
※積雪時の様子はこの記事後半
※2014年のJR東日本の「駅からハイキング」のコースにこの坂が組み込まれた。名称は「寒沢峠」という耳慣れないもの。「峠」ではないと思うのですが…
※2016年初めには、融雪装置が設置されて、実質、“スキー場”ではなくなった。
※2017年夏には、テレビに映った
※その後もツイッターなどネット上には寒沢スキー場の名が断続的に新たに投稿されていて、忘れ去られてはいないように感じていた。2021年4月7日には、「弘前大学生協」のツイッターアカウントが、ここの写真とともに「岩木山と寒沢スキー場。この呼び方分かる人まだいるかなぁ。」と投稿。現役の大学生や生協職員の間では、使われない呼び名になったのだろうか。
※2021年に坂の南側の建物が解体されて、風景がだいぶ変わった。リンク先後半。



ところで弘前市内はリンゴ畑が斜面になっているのに続くようにして、町中にも坂がけっこうある。弘前公園や大学病院周辺に特に多いが、弘大文京町キャンパス周辺も意外に高低差があるようだ。
大学病院近くのホテル7階から北~北西方向
高いビルが弘大文京町キャンパス。家並が手前から奥に行くほど高くなっている感じがしないだろうか。手前を流れる土淵川が底になっているはず。
さらにアップして解説を入れてみた
中程中央右寄りの赤い看板が教育学部裏、富士見町の青森銀行富田支店。
その奥の右端が教育学部で、最上階が4階。その左、高い木のそばが総合教育棟(旧教養部)で、若干教育学部より奥にある。これも4階建てだが、教育学部より若干高いようだ。
さらに奥(南)に進んで、1番地と3番地との境の道路の手前、人文学部や大学会館前が緩い坂になっている(下の写真)が、上の写真でも3番地の10階建ての理工学部2号館の4階はかなり高い位置(1フロア分位?)にあるのが分かる。(各棟の設計時期や目的が違うので、一概には比較できないかもしれませんが)
教養部前から3番地方向(2003年撮影)
木の前が上り坂になっていて、3番地地区がやや高くなっている。(今は右の木の所に生協のコンビニができたが、木は切られたのだろうか。それに当時は車・自転車の乗り入れが可能だった)

今度は国土地理院の2万5千分の1地形図の等高線や標高点から標高を判断すると、川沿いの弘南鉄道弘高下駅:40メートル、寒沢の坂の下~弘大の文京町1番地と3番地の境付近:50メートル、弘前学院大前駅(西弘)の北の稔町の踏切~枡形交番:55メートルと、南ほど徐々に高くなっているのが分かる。
弘前の街は思った以上に坂になっているようだ。
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この花なんの花

2009-05-09 20:47:22 | 動物・植物
育てていた植物が冬を越して、
つぼみができて

お花が咲きました!
この植物は花の形と構造からキクの仲間には違いないが、日本で花を見ることは少なく、僕も初めて見る。
春の花壇でおなじみのマーガレットとかシャスタ・デイジーによく似ていて、それらの近縁種。この植物も原産地のヨーロッパでは観賞用に栽培され、実際あのマーガレット独特の匂いもする。

ところが、この植物がアジアに伝わると、花よりも葉を食べることで有名になり、日本でも野菜としてはポピュラー。
この植物の日本での名前は、「菊は普通秋に咲くのにこれは春に咲く菊だから…」、そう、これは…
シュンギク(春菊の花です!!
上の写真は花びら全体が黄色っぽく、下は中央が黄色で外が白っぽくて違ういわゆる「覆輪(ふくりん)」だが、同じ種袋から出た株。個体差かもしれないし、環境の差(マイプラント照射の屋内と屋外の屋根下で放ったらかし)かもしれない。
秋に100円ショップで2袋105円の種から育てて、一部は食べたのだけど(おいしかった)、なんか食べるのがもったいなくて、そのまま冬を越してしまい、花芽ができた次第。
花弁が1枚1枚別なのに、中心部と覆輪部分の色の境がどれもぴったり一致し、花全体として見ると、うまくグラデーションになっているのには自然の不思議さを感じる。
和風の菊っぽくもあり、コスモスみたいな感じもするし、仏壇から洋風庭園まで対応可能? 1週間以上咲き、長く楽しめた。

我が家ではほかにも野菜の花が咲きそう。
これも100円ショップの種から育った青ネギ
春先は柔らかく、虫も付かず、しかも少し甘い気がして、薬味として重宝していたが、3株だけつぼみが出てきた。
5月2日 5月6日
だんだん膨らんでネギ坊主らしくなってきたが、そろそろ咲くかな。

5月2日
これはネギに似ているが背が低くて細い。何よりつぼみがピンク。
これはハーブの1つ「チャイブ」。100円でない種から育てて2年目で、ぐんぐん伸びている。
秋田県民に「ヒロッコ」としておなじみの「アサツキ」もチャイブの変種(チャイブをセイヨウアサツキとも呼ぶ)なので、同じ花が咲く。
5月6日。膨らんできた
僕はこの花(ネギ坊主ならぬ“チャイブ坊主”)も見たことがないので、咲くのを楽しみにして、咲いたらご紹介したい
コメント (4)
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ハミングロード

2009-05-07 22:03:28 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部の住宅街の保戸野(ほどの)地区から泉地区にかけて「ハミングロード」という総延長1.5キロの遊歩道がある。正式には「秋操公園道路」というそうだ。
この辺は30年ほど前までは一面の田んぼだったが、宅地化が進み、区画整理が行われた。それに伴い、遊歩道が1983年に一部開通、1992年に全てが完成したそうだ。

ところで「秋操(あきそう)」という言葉について。
近くにJR貨物のターミナル「秋田貨物駅」があるのだが、以前(1990年まで)は「秋田操駅」という名称で、秋田市の都市計画では秋田操駅の略称の「秋操」をエリアの名称として使い続けているようだ。
ちなみに、秋田操駅の前は「秋田操車場」と呼ばれていたため、古くからの秋田市民はいまだに「ソーシャジョー」と呼ぶことが多い。あくまでも現在は「秋田貨物駅」が正式です。
秋田市の木・ケヤキの並木。芽吹きがきれい
ここの魅力は街路樹としては珍しい木が多いこと。
ハナカイドウ(花海棠)

ハナズオウ(花蘇芳)

ライラック
チューリップや植木鉢が並ぶ場所もあり、周辺の住民が手入れしているようだ。
泉側の末端近く、泉小学校周辺では、いろいろな種類の桜(もう散っていた)と、
「果実の道」がある



ナシ
そして、
リンゴ並木
青森でもリンゴの街路樹はごく一部にあるが、珍しい。品種もいくつかあり、
「津軽」正しくはひらがなで「つがる」です

つがるは満開のちょっと手前

「ジョナゴールド」は満開

「王林」も満開
ところで、僕としては王林の果実は「黄色いリンゴ」の認識なのだが、ネットで検索すると「青リンゴ」としている人が多い。僕にとっての青リンゴはお盆に出回る「祝」などほんとに緑色の品種のこと。全国的には本当の青リンゴ・黄リンゴは知られていないのだろうか。

秋田のリンゴといえば「千秋」
秋田県果樹試験場が育成した品種
弘前のりんご公園でも多く植えられていたと思うので、「ふじ」には及ばないものの一定の評価を得ている品種。

ほかには「ふじ」があったが、まだつぼみが多かった。
こうして比べてみると、果実と同じように、花も品種ごとに特徴があるのに気づいた。
つがるは花びらがピンクっぽいし、千秋はさらにピンク。王林は花びらの付け根がくびれて、白く大きい。
弘前のりんご公園では、品種毎に区画が違うので気づきにくいが、ここは隣り合っているので分かりやすい。異品種を隣り合わせているのは、受粉・結実をしやすくする目的があるのかもしれない(リンゴは他品種の花粉が付かないと実ができない=自家不和合性)。
岩木山の見える本格的で大規模なりんご公園もいいが、住宅地にこういう形でリンゴの木があるのも違った意味でおもしろい。

ハミングロードでは秋に小学生が参加してリンゴの収穫が行われる。テレビで見た感じでは、大きさ・収穫量とも結構本格的だった。
リンゴを育てるには、夏場の病害虫対策や余分な果実の摘み取りなど結構手間がかかるはずなのに。
途中で接ぎ木(高継ぎ)された「ふじ」
放任でなく、秋田市なのか地域の人なのか、誰かによってこのように結構手入れされている。
※秋の実りの様子はこちら
2015年4月下旬の様子
コメント (4)
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