広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

金砂神社のケヤキ

2016-11-30 00:11:19 | 秋田の季節・風景
県立秋田工業高校の所在地は「保戸野金砂町(ほどのかなさまち)」。
「金砂町」は、町内にある「金砂神社」が由来。他では聞かない名前の神社だけど、ルーツは茨城県で、佐竹の殿様が秋田へ転封された時、いっしょに来たということらしい。
保戸野地区では、「保戸野すわ町」も神社(諏訪愛宕神社)にちなんだ町名。
【30日追記】茨城の金砂神社には「磯出大祭礼」という、72年に1度というハレー彗星接近並み(76年周期)の頻度で開催される祭礼があるとのこと。直近は2003年開催。
ちなみに秋田の金砂神社では、毎年6月が例大祭。保戸野地区の諏訪愛宕神社や勝平神社も前後して同じ頃にお祭りがあり、いずれも夕刻にのろしが打ち上げられ、地域住民に初夏の訪れを感じさせている。
また、茨城県に「金砂郷」という地名の地域がありそこが神社のルーツのようだ。金砂郷は2004年までは独立した町(さかのぼれば郷がつかない金砂村)、現在は常陸太田市に編入されている。常陸太田市は秋田市と姉妹都市提携を結んでいるが、旧・金砂郷町は角館町(現・仙北市)と交流があったとのこと。(以上追記)

工業と旭川の間には、旭川と並行する細い道があり、それに面して建ち並ぶ住宅の間に、金砂神社がある。
金砂神社。奥行きのある敷地
10月下旬、久しぶりに金砂神社の前を通ったら、気づいたことが。
鳥居手前の左側に、切り倒された大きな木の幹と切り株がある。周りにはのこくずが散らばって残っており、切られて間もないようだ。


 
在りし日のこの木の姿は記憶にないが、ケヤキのようだ。
写真では伝わりにくいかもしれないけれど、相当太く大きな木だったことがうかがえる。

幹にはしめ縄

木の上側から根元・道路方向を見る
ご神木のような存在の木だったのだろうが、強風や老朽化によって、部分的に折れるか倒れてしまった、もしくは伐採せざるを得ない状態になり、こうなってしまったと思われる。10月は上旬から中旬にかけて、何度か強風が吹いた。
1976年に秋田市の保存樹に指定されていた

2012年10月撮影のGoogleストリートビューより。左側が在りし日のケヤキ
年輪は数えられなかったけれど、神社や町の歴史を見続けてきたケヤキだったのだろう。

※2018年1月時点でも、倒れた大きな幹はそのまま残っている。切り株は雪で埋もれて未確認。
※2021年にはなくなったいた。そして境内にはこんなツツジもあった
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ドン閉店

2016-11-29 00:06:10 | 秋田のいろいろ
やや古く&詳しくない話題ですが、ネット上にあまり情報がないようなので、記録の意味もこめて。

「ドン」と言われて僕が連想するのは、1.「ポン菓子」の秋田などでの呼称。2.NHK教育テレビでかつて放送されていた小学校1年生向け音楽番組「ワンツー・どん」とその人形のキャラクター「どんくん」。そして3.「ジーンズショップ ドン」。

「ジーンズショップ ドン」は、秋田市にあるジーンズ専門店。入ったことはないが、エドウィンとかリーバイスとか多くのメーカーを扱っていたようだ。
近年は、南大通りの西側、南通亀の町に所在し、「ジーンズショップドン南通本店」という店舗名だったようだが、他に“支店”がある(あるいは過去にあった)のかは不明。【フォーラス内や古着専門店が存在したとのこと。コメント欄参照】
2015年8月撮影のGoogleストリートビューより
南通の前は、大町一丁目の大町通りに店があった。サンパティオ大町の向かい、旧金子家住宅の隣の隣。
僕が物心ついた頃(1980年代中頃)には既にそこにあり、たまに前を通って、「ドン」という響きにひきつけられた。当時は前を通るだけの一般人には「ジーンズ」は一般的でなく「ジーパン」と言っていたかな。

ドンはいつの間にか南通へ移転し、建物はそのままで跡にチーズ店「abe」が入り、そのチーズ店も移転し、2010年に地元の料理研究家プロデュースの飲食店「米(よね)カフェ」が入居。しかし手狭だったのか、2014年に向かいに新築した「レストランルセット」として移転し、現在は空き店舗になっている。色などは変わっているものの、建物自体はドン時代のままのはず。
また、バルコニーが付いた特徴的な外観の南通の建物は、移転時に新築されたのか、それとも以前は別の店だったのかは不明。

いつドンが南通に移ったのか記憶になく、10年前くらいかと思っていた。
今回、「CHEESE & WINE abe」のホームページを調べたら判明。同店が大町のドン跡に「Cheese shop abe」として開店したのが1996年7月だそうだから、20年前。僕は秋田にいなかった頃だ。だから印象にないのかも。
なお、abeさんは、後にワインも扱うようになって、2009年11月に現在地の中央警察署裏の古川堀反通りに移転している。
【2017年12月23日追記】オープンは1973年8月。1996年頃に大町から南通へ「移転」したのではなく、以前から南通にも店があって大町の店を閉店したというのが、真相のようだ。本文は初回アップ時のまま、「移転」の表記を残しておきます。詳細は末尾の追記参照。


前置きが長くなりましたが、ここから本題。
ジーンズショップドンでは、なんかしょっちゅう「セール」をやっている気がしていた。
今年の夏前辺りには「閉店セール」の表示を見たような気がしたけれど「いつも閉店セールをしている店」のたぐいなのかなと思っていた。ツイッターでは、2014年4月にも「閉店セール」をしているとのつぶやきがある。
ところが、
今年9月下旬
建物が解体されていた。
ドンがドンと
移転したという話は聞かないから、ドンがほんとうに閉店してしまったらしい。

現在は、
更地になって舗装されている(何らかの駐車場?)

この向かいには、1994年開店の「マックガレージ(後にiMac Garage)」という、秋田では先駆けかつ数少ない(唯一?)のアップルコンピュータの正規代理店があったが、2012年に閉店。(建物はそのままでたまにイベントに使ったりしているのかな)
今さらだけど、ジーンズもコンピュータも、専門店でなくても買える時代になったわけか。

【2017年12月23日追記】
ブログ「二〇世紀ひみつ基地」の2017年11月21日アップ「1973 大町にGパンの「ドン」オープン」
(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-1096.html)で、いろいろ知ることができた。
現在も北海道東北を中心にイオンモールなどにも出店している「アメリカ屋」というジーンズショップがある。仙台が本社で、前身としては石巻の斎藤商店というところだそうで、実はドンはそこと関係があるのだそう。
ドンは1973年8月に大町にオープン。
「日米」という姉妹店も秋田市内にあったそうで、それは閉店時の南大通りの店舗のほぼ向かい側。そこも後にドンに店舗名を変更、やがて向かいへ移って、最後まで残ることになったようだ。

また、跡地には、隣にあった宗教団体の建物が移転新築された。
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7Eノンステップ登場

2016-11-27 12:55:02 | 秋田のいろいろ
コメントでもやり取りがあったように、秋田中央交通に路線バス用の新しい中古車両(?)がまたやって来た。「か12-21」のナンバーで、走り始めたのは勤労感謝の日前後か。
今回はノンステップの大型バス。臨海営業所に配置されて、他の大型車と同じく新屋方面や新国道方面を走っている模様(日曜日のイオンシャトルにも使われるかも??)。
新屋線にて
秋田市大森山動物園は本来であれば28日から冬季休園に入る予定だったが、鳥インフルエンザ発生により既に臨時休園中。大森山行きのバスは、「動物園休園時は新屋案内所止まり/始発」となる(710系統として運行)のだが、今回の臨時休園中は運行を継続している。秋田市(動物園)と中央交通の連携が取れていないのか(でも大きなニュースになっていて中央交通側が知らないわけはない)、運行を続けざるを得ない事情があるのか…【29日追記】正式な冬季休園に入った29日にも、大森山行きとして運行されていた模様。【12月4日】12月4日には、新屋止まりの710系統で運行されていた。

後ろから。黒い窓枠
ノンステップなのは中ドアより前側のみで、後部は床が高い、ノンステップバス主流のタイプ。
おそらくマニュアルトランスミッションで、座席の布地は青~水色系。東武の車両は、前側がロングシートになっているらしいが、そこは確認できず。【29日追記】少なくとも、運転席側の前側はロングシートになっているようだ。【さらに29日追記】外から見た限りでは、ドア側もロングシートのようだ。客としては戸惑うけれど、ノンステップで少なくなりがちな着席定員の確保にはなるのかな。
中央交通の中古車で転入時に設置される運賃表示器は、新しい液晶ディスプレイのものか、廃車の使い回しと思われる7セグメントLED式のものか、どちらが設置されるかまちまちだった。この車では液晶。
【2017年12月23日追記】導入から1年経って、やっと乗ることができた。やはり前側はオールロングシート。左折ウインカーに連動して、外で警告音が鳴る。前ドアはグライドスライドドアで、開閉時に音がしないのに驚いた(他のエルガなどもそうだっけ?)。他車の折り戸ではぷしゅーとエアの音がするのが聞こえないものだから、降りるバス停に着いてドアが開いたことに気づかず、あわてて立ち上がって降りていった人が2人もいた。

正面や側面に「ノンステップバス」の表記が一切ない。このバス会社では、営業運転できる準備ができたらとりあえず運用に入れて、走り出した後から文字を書き加えるのが好きらしく(新車で先例あり)、きっと週明けにでもやるつもりなのでしょう。広告を入れる枠の取り付けもね。


中央交通の中古車は、近年は小田急バスからの移籍が圧倒的に多く、中央交通にあるノンステップの中古車24台(大型7台・中型17台)はすべて元小田急。なお、直近では6月に元小田急の三菱エアロスターが来ていた。
さらに、大型車のノンステップは新車で導入されたものは1台もないので、7台すべてが小田急中古。

ところが、今回来たのは、小田急ではないバス会社の中古。
ネット上の複数の情報源によれば、この車は東武バス(東京都東側、埼玉、千葉県北部辺りがエリア)の中古。2001年式らしい。
中央交通に東武から中古車が来るのは初めてかもしれない。【29日追記】過去に空港リムジンバス用で東武中古があったとのこと。

さらに、車種としては既存の元小田急大型7台のうち5台を占めるいすゞ製ではあるが、「富士重工・新7Eボディ」で見かけが異なる上、それは全国的に見ても(この製造時期・車種としては)ちょっと珍しい車らしい。


※以下、バスの車両に詳しい方はご存知の情報、かつ興味のない方にはどうでもいいことですので、読み飛ばしてください。
前にもちょっと触れているけれど、バスの車両というのは、足回りなどシャーシ(エンジンを含む)を造るメーカーとは別の企業が車体(ボディ)を製造して載せる(架装)するのが、特に10年ほど前まではよく行われていた。架装メーカーが違えば、シャーシメーカーが同じでも車体のデザインは別物。
だから、見かけはそっくりだけど車種は別だとか、顔つきは全然違うのに同じ車種ということがある。

いすゞでは、いすゞバス製造(昔はアイ・ケー・コーチ、今はジェイ・バス)という企業が載せたボディが標準(指定)であったが、富士重工でもそれなりの数を架装しており、“準標準”と言える状況だった。
中央交通では、秋田市交通局から譲渡された車両などは標準ボディであったが、首都圏の複数事業者の中古を使ったノースアジア大学の送迎バス(現在は一般路線用)などで、いすゞ+富士重工の組み合わせの車もあり、混在していた。

富士重工は2003年にバス架装から撤退しているが、その最後に作られていた大型路線バスボディが「新7E」と呼ばれるタイプ。
ノースアジア大シャトルのは「7E」ボディで、「新」の有無で細かな差異がいくつかあるものの、ぱっと見はほぼ同じ。
(再掲)どっかの中古の富士重工7Eボディのいすゞ大型車。この車は今は廃車【28日訂正】東京都交通局の中古で、今は子会社所属で現役とのこと

一方、いすゞのほうは、2000年に「キュービック」から「エルガ」にフルモデルチェンジ。
その直前から、いすゞ車の富士重工での架装例は減少していたので、エルガになってから富士重工で組み立てた車は、かなり少ないそうだ。僕は、無意識にそんな組み合わせは存在しないと思い込んでいた。

ちなみに、「キュービック」や「エルガ」の車種名は、標準ボディを載せたものに対する呼称、つまりボディをも含めた車種名ということらしく、厳密には富士重工で組み立てたものはそうは呼ばないらしい。


したがって、今回東武から中央交通に来たものは、「ノースアジア大シャトルの車を、外観はほぼ同じで中身をモデルチェンジしてノンステップにした」版とか、「小田急中古のエルガのガワだけ違う」版ということになる。
(再掲)小田急中古のエルガ。これが標準ボディ
中央交通に最初に来た元小田急エルガ「977」は、2001年式だそうなので、おそらく同一形式。

今回は、事前情報はあったものの、ノンステップの7Eボディなど見たことがなかったから想像がつかなかった。遭遇できるかと期待しながら道を歩いている時、2度ほど、元ノースアジア大シャトルのバスを新しいのと勘違いし、ぬか喜びしてしまった。
運良く遭遇できた時は、塗装されたばかりでピカピカというのもあっただろうけど、ひと目でそうと分かった。
まず、ノンステップだからだいぶ背が低く、平べったく感じる。
あと、“新”7Eであるからか、見慣れた富士重工ボディよりも部分部分が角張っているようにも感じた。ノンステップのせいか、客席窓などの配置が従来と若干違い、どこかアンバランスな気もしなくはない。

富士重工の特徴の1つが、バンパーと一体化した正面の灯火。フォグランプは、以前は正方形のものがヘッドライトの内側に並んでいたが、これは横長のものがライトの下にある。
これの中型版である8Eボディでは、初期には同じ位置にあった(形は正方形)
再掲)秋田市交通局の日産ディーゼル製8Eボディ
8Eではあったナンバープレートの銀色の枠がなくなっているけど、7Eでは以前からそうだったようだ。

エンジン音は「ブロロロ」という、いすゞらしい音。同時期のエルガも同じ音なんだろうけど、もっと古いキュービック世代と区別できない。

秋田市営バスに親しんだ者としては、富士重工の車体は、上の再掲写真のような7Eの中型版である8Eボディを載せた日産ディーゼル車のなじみが深い。
登場直後の中学生の頃に偶然目にして、「カッコいいバスだ!」と感じて、好きになった。

21世紀になり、他社はモデルチェンジして、富士重工自体がバスから撤退してしまったけれど、今でもさほど古くささはないデザインだと思う。
縦目エルガ/エルガミオばかりの秋田に、1台だけだけど新たに7Eボディが加わったのは、ちょっとうれしい。



恒例の中央交通のノンステップバスの整理。
ノンステップバスは計39台(県から受託されて運行する中型EVバス1台を除く)。
24台が小田急バスの中古で、そのうち大型車は7台(いすゞエルガ5台、三菱エアロスター2台)。中型車17台はすべていすゞエルガミオ。
1台が東武バスの中古で、大型車の富士重工ボディのいすゞ1台。
14台が新車での購入ですべて中型車(いすゞエルガミオ9台、日野レインボー2が5台)。
続きはこちら
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みどりの窓口再移転

2016-11-25 00:10:29 | 秋田の季節・風景
2017年春のリニューアルオープンに向けて、秋田駅東西自由通路沿いの施設・店舗の改良工事が行われている。
以前は通路をはさんで向かい合っていたみどりの窓口とびゅうプラザをまとめ、びゅうプラザ跡に待合スペースと店舗を作るもの。
10月24日からは、先に通路向かいに移転させた待合室の跡に、仮のみどりの窓口を設置、以前のみどりの窓口部分をふさいで工事が行われていた。
その後の変化。

まず、ビューカードユーザーには大事かもしれない、ATM「ビューアルッテ」が、再び営業休止。11月19日・土曜日から12月9日・金曜日まで(10日午前から営業再開)。
周辺にポスターが掲出されたほか、今回は、秋田県内在住のビューカードユーザーにメールが送信された。それらによれば、工事完了後は自由通路から直接出入りできる、独立ブースができるようだ。

以前は、待合室内のドアとコインロッカーの間にそのまま置かれていた。コンビニ店内のATMみたいに。
(再掲)以前のビューアルッテ
たしかに、ベンチに座っている人のすぐ後ろ、コインロッカーに荷物を出し入れしようとしている人の脇でATMを操作するのは、若干の抵抗がなかったわけではないけれど、それでも別段困らないような…


営業休止直後の19日には、仮待合室の中のATMが撤去されていた。じゃあ、仮窓口はそのままでATMブースを造る工事が始まるのかと思っていたら…
23日の仮みどりの窓口前
仮のみどりの窓口だった場所がふさがれてしまった。みどりの窓口はどこへ行った?

あった!(左が旧仮窓口側、右が改札口側)
なんと、仮窓口隣の以前の(本来の)みどりの窓口の場所へ戻って、営業していた。
中をのぞいてみると、最近新しくされた他の駅と同じような、明るい茶色のウッディなデザインになっている。おそらく、これは仮ではなく正式な新しいみどりの窓口なのだろう。
現在工事中の左隣にびゅうプラザ部分を造っていると思われる。
左の白い囲いが仮窓口跡。右の改札口寄りにも、少しだけ囲いが残っている
新しいみどりの窓口は、基本的には以前の窓口との違いは小さい。対面窓口は、窓口数も、スペースや位置関係も、以前とほぼ同じ。【27日追記】以前の窓口より、全体的にやや左側に移動したようだ。従来はドアから入ってわずかに右方向に位置していたのが、ドアの真正面が窓口になった。
仮窓口では、客が待つ空間が異様に狭くて、混雑期はあふれるのではないかと心配したが、これならほぼ問題ない。ごく短期間の使用だから、仮窓口がああいう造りだったということか。

以前は、入って右側に仕切られた小部屋の「こまち駐車場予約センター(以前はお客さま相談室も)」があり、10月24日からは仮待合室内に移っていた。また、3台の指定席券売機は、入って正面の左側にあった。
(再掲)以前の駐車場予約センター
新しいみどりの窓口では、それらの位置が逆転。
左側にオープンカウンターの駐車場予約センターができ、右側の右壁面に指定席券売機が設置された。【27日追記】券売機は奥まった位置にあり、仮囲いが残っていることもあって、自由通路からは存在が分からない。そのため、案内表示が設置された。
駐車場予約センターはやけにだだっ広いので、もしかしたらびゅうプラザオープン時に何か変化があるかもしれない。指定席券売機は、外の改札口脇の近距離券売機やクレジットカード専用指定席券売機と背中合わせに設置されている形なので、裏からの管理はやりやすそう。
改札口横の券売機群。柱の陰にクレジット専用券売機があるのだけど、元から地味な上に囲いで目立たない
【12月2日訂正】実はこの時点では、指定席券売機の細かい配置は確認しておらず、クレジットカード専用指定席券売機の所在は推測で記載していました。実際には、クレジット専用機は新しいみどりの窓口内に移設されていたので、訂正します。12月になってから、中へ移設した旨の大きな告知が掲出されて気づきました(上の写真で確認すると、11月時点で、柱の奥の方には掲示があった)。
新しいみどりの窓口内には、4台の指定席券売機が並んで設置されており、うち右端がクレジットカード専用だった。
影の薄い存在だったクレジット専用機の利用率が向上すると思われるが、順番待ちの並び方の工夫や現金は使えないことの周知をしっかりしないと、利用者どうしのトラブルになりかねない。

そうそう。微妙に前に出されていた、仮みどりの窓口前の次世代自動販売機は、仮囲いが設置されたので(記事冒頭の写真にも写っていますが)
顔だけ出している感じ
もともとの位置だと、側面から見えなくて気づかれにくくなるから、前に出したということか。

てきぱきと工事が進むものだ。さすがJR東日本。たまに見ておかないと、どんどん変わってしまいそう。
続きはこの記事後半
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遅いエノキ/ぬるぬる公園

2016-11-23 00:20:08 | 秋田の季節・風景
秋田市内の今年の紅葉はほぼ終わって、冬のたたずまい。

以前何度か、秋田市ではあまり多くはないであろうエノキという木を取り上げた。
黄色に黄葉し、その時期は八橋一里塚のエノキでは、ケヤキより先であった。
今年もそうだった。
10月下旬。手前の低いのがエノキで半分以上落葉。後ろのケヤキは紅葉の盛り

ところが、11月に入ってから、土崎の「寺小山公園」の大きなエノキへ行ってみたら…
まだ青々としている!(後ろはJR貨物EF510形機関車)

手前の桜(ソメイヨシノ?)はもちろん落葉中

同じ町で生育するケヤキやイチョウでも、細かな環境あるいは個体差によって、紅葉や落葉の時期はずれるもの。
エノキもそうなんだろうけど、八橋一里塚ではケヤキより先に散っているのに、寺小山ではケヤキが散った後なのにまだ黄葉すらしていないとは、ずいぶん差が開いているもんだ。日当たりは寺小山のほうが良好だけど、一里塚も悪くはない。栄養状態かな。
寺小山のエノキは、長く生きているだけあって、微妙な加減で寒くなるギリギリまでがんばっているのかもしれない。

それから10日後。
黄色くなってきた

葉はこんな感じ

桜はとっくに全部落葉
さらに1週間ほど経っている現状は未確認だけど、そろそろ散っているのでしょう。

翌2017年の状況はこの記事後半。




秋田市の官庁街、市立山王中学校の隣にある「山王第一街区公園」。
公園というよりは広場で、昔は地面が露出していたのに、知らぬ間に(今春の発見)クローバーことシロツメクサに覆いつくされていた。
ところが、夏にシロツメクサが刈られて、その後にはシバ系の草が繁茂して、ぱっと見は芝生っぽく(リンク先後半)なっていた。
その後。
11月上旬。ポプラが黄葉
11月に入ると、シバっぽい草も枯れ始めていて、全体に茶色っぽい。山王中学校側は緑が濃い。
以前からそうだったけれど、
草があまり生えず地面が見える部分も

シバの中を歩いてみた。
すると、ぬるっとした感触。
雨上がりだったものの、見た感じそんなに地面の水分はない。それに、ぬかるみに足を踏み入れた時のずぶずぶ感とは異なる、滑るようなぬるぬる感。
地面をよく見ると、
これは!(シロツメクサも少し生えている)
草の間にワカメのようなものがある。
広面近隣公園のハナショウブのそばとか、我が家の庭にもたまに出現する、「イシクラゲ」という藍藻のようだ。※藍藻とは、植物というより「光合成する細菌」の塊みたいなものかな。
「ナニコレ珍百景」の岡本信人さん(野草を食べるのが趣味)によれば、いちおう食べられる。

ここにこれがあるのは、あまり好ましいことではないだろう。【23日追記・強いて挙げれば、砂ぼこりの飛散防止とわずかな緑化・温室効果ガス吸収効果はあるはず】この公園をどう使いたい・使わせたいのかも含めて、来春以降の秋田市の対応が興味深い。
とりあえず、ここに足を踏み入れる時は、滑らないよう注意!
2024年5月の状況
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MAZDA前・耐久性

2016-11-20 23:21:07 | 秋田市営バス
泉地区の元市営バスのバス停の話題。※過去の関連記事

まず、泉山王環状線関連。
旧環状線の経路と新国道が交差する八橋鯲沼町交差点の近くに、どちら側の道にも「マツダ前」というバス停があった/ある。旧環状線用は交差点の東側、新国道経由各路線用は交差点南側。

バス停の名称は交差点南西にある「東北マツダ秋田本店(現在改築中)」が由来のようだが、交差点北西には日産ラ・カージュもあるし【21日追記・マツダの向かいに当たる南東にはホンダカーズ秋田もある】、新国道を北に進んだ次の「八橋大畑」バス停の前には「東北マツダ秋田中央店」があるなどカーディーラーが多い場所なので、慣れないと混乱する。
泉山王環状線・山王回り側「マツダ前」。奥の突き当りが泉小。表示板は西向きのせいか色あせている
環状線のマツダ前は、地元の大手製麺会社「ヤマヨ」の前。

旧・泉山王環状線の各バス停では、市営バス時代に設置(または更新)された表示板が最後までそのまま使われていたが、カッティングシール文字(1999年頃?)のものと、透明シールにパソコンで印字したもの(2002年頃?)の2タイプがあった。
1999年の泉地区の住居表示実施とは関係ないはずだが、鯲沼やマツダ前もその時に更新されたようで、両側ともカット文字の表示板。
この時のカット文字は、扁平で中位の太さの丸ゴシック体という印象だったが、「マツダ前」は正方形に近い。(他でも縦長のものも多く、扁平というのは僕の勘違いのようだ)

カット文字タイプでは、併記されるローマ字はヘボン式。ちなみに「○丁目」の数字は、読みではなく数字をそのまま表記して「IZUMI CHUO 3 CHOME」といった表記。ただし、別路線では「OHIRADAI SANCHOME」と数字の読みを表記したものもある。
ローマ字表記は全国的にいろいろあるようだけど、バス協会辺りで指針を示せばいいのに…【2017年に日本バス協会がガイドラインを示したが、強制ではなく各事業者の基準や判断でいいことなっている。】
で、このマツダ前は、
泉回り側。これは東面、赤い部分にヒビが入っている
「MAZDA MAE」と、マツダの正式な英字表記にのっとっている。

そういえば、同タイプが設置されていた「サティ前」も、
(再掲)
ちゃんと「SATY MAE」だった。
現在は「イオン秋田中央店前」に改称。【21日追記】現在はローマ字表記なし。もしあったら「AEON」か「ION」かという話になりますが。

じゃあ、新国道側のマツダ前は?
【21日画像追加】下り側。左後方に少し見える囲いが工事中のマツダ
上下とも市営バスタイプのダルマ型。やや背が高い支柱はピカピカ、表示板はもきれい(だけど台座は汚れている)。市営バス設置のものとは微妙に雰囲気も異なり、中央交通によって比較的最近設置されたようだ。
表示板は、
わずかに細身の丸ゴシック体。「ダ」の形が違う
ローマ字は「MATSUDA MAE」。
これでも問題ないでしょうけど、泉山王環状線廃止でMAZDA前はなくなってしまった。



もう1つ、マツダ前からちょっと離れた、泉ハイタウン線のバス停のこと。
少なくとも泉南三丁目以降の各バス停は、1992年の路線開設時に設置されているはず。その後、1999年の住居表示実施により、軒並みバス停の名称が変えられ、その時に、マツダ前と同じヘボン式ローマ字入りカットシール文字の表示板になって、現在も使われている。
数少ない例外が、
「秋田貨物駅入口」
泉ハイタウン線は末端部で一方向の環状運行となり、その区間内にあるバス停なので、これまでポールは片側にしかなかった。
10月に運行が始まった、泉八橋環状線がここを通るようになったため、向かい側にも泉回り用の「秋田貨物駅入口」が設置された。こちら側は、泉ハイタウン線に加えて八橋回り環状線も通るようになったが、ポールはこのまま継続して使われている。

写真のとおり、支柱はサビサビ。24年前に設置されてそのままなんだろうか。
そして、表示板のバス停名表記が他と違う。ローマ字がなく、角ゴシック体で、透明シールに印字したもの。
【2020年5月12日訂正】この路線は2007年春までは「泉秋操線」という名称で、その時まで秋田貨物駅入口は「秋操駅(あきそうえき)入口」というバス停名だった。したがって、中央交通移管後・2007年に設置された表示板ということになる。また、秋操駅入口時代の表示板は、2008年に臨海経由新屋西線用の「臨海十字路」に転用されていた。

神田線・添川線の上り側「保戸野八丁」と同じタイプ。
(再掲)
保戸野八丁は2000年前後にはそれになっていた。破損するなど急ごしらえで設置されたのかと思っていたが、秋田貨物駅入口も同時期に設置されたのかもしれない。【2020年5月13日訂正】貨物駅入口のほうが後の設置だった。保戸野八丁の耐久性がすごい。

秋田貨物駅入口を横から見ると、
文字がボロボロ。上段の社名は消え、下の「市営バス」が浮いている
レーザープリンターで印字したもので、経年でトナーが取れつつあるようだ。シール自体はしっかりくっついている。
裏面を見ると、
こちらは大丈夫
ボロボロなのは西向きのほう。やはり太陽のしわざか。冬の北西の季節風もあるかも。

保戸野八丁は西向きではないせいか、はがれてはいないはず【22日・両面ともしっかり判読できる状態であることを確認】。これまで紹介してきたように、他のバス停の、訓令式ローマ字入り・細丸ゴシックの透明シールの表示板も判読に支障がないものがほとんどだった。
ということで、透明シールにレーザープリンターで印字した表示の耐久性はなかなかのものだけど、太陽光、特に西日の威力は強烈ということのようです。【21日追記】上からもう1枚透明シールを重ねて貼ったら、はがれてボロボロになることはなさそうで、耐久性がさらに向上するのかも?

※新路線・泉八橋環状線で新設されたバス停について。
※秋田貨物駅入口は2021年に交換された
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秋田で買えた青森商品

2016-11-18 00:18:47 | ランチパック
秋田に居ながらにして入手できた青森関連の食べ物。
まずは、買わなかったけれど、ローソンと「柏農(はくのう)」こと青森県立柏木農業高等学校のコラボ商品。
2014年には「柏農のハヤシパン」が発売され、2015年には弁当が出ていたらしい。
2016年10月27日から11月28日までは「柏農カシフォン」が発売中。いずれも青森県産のカシス、米粉、牛乳を使い、1個税込み150円。

おそらく今年から、青森県外の東北地方各地でも販売されるようになった。11月1日から28日まで、「カシスシフォンケーキ」の商品名で販売。


次は工藤パン。
2013年から毎年秋に、青森放送(RAB)のラジオ番組とコラボしたパンが発売されている。(2015年はこの記事後半)
今年は、11月1日から12月30日まで、イギリストースト2商品が発売中。

秋田市のマックスバリュ広面店へ行ったら、
2つとも売っていた!
「麻生しおりの土曜はキュン」の「ナッツの思い出」445kcal/「十日市秀悦のサタデー横丁」の「4種のベリーマッチ」407kcal

ナッツの~は、「粒入りピーナッツクリームに、更にローストしたピーナッツを入れました。」。
4種の~は、「青森県産カシスと、ストロベリー、ラズベリー、クランベリーの4種のベリーを使用したジャムとマーガリンをサンド」。
原材料欄では「小麦粉、ミックスベリージャム(イチゴ、クランベリー、ラズベリー)、砂糖、マーガリン、カシスジャム、…」の順。

過去に比べると、名前は凝っているけど、パンとしては無難な内容かな。前はイカとかホタテとかだったんだし…
味はおいしかった。

イギリストーストが秋田県内で購入できるのは珍しくなくなったけれど、まさかRABとのコラボ商品が売られるとは思わなかった。
工藤パン側で、青森県外には出荷しない制限でもかけているのかと思ったが、そうではないようだ。
少なくとも秋田市ではラジオを聴取できないし、出演者も知られていないから、ほぼ無意味なコラボになってしまう。

マックスバリュ広面店では、以前は「ジャンボ」を売っていた。
広面店の判断で仕入れているのだろうけど、なかなか楽しいチョイス。今後にも期待します。



最後は「シベリア」。
この記事中ほどで紹介した、三角形の個包装のものは青森でよく売られている。最近は、ヤマザキやたけやでも作っているようだけどそれらを差し置いて、秋田県内でも売られていることがある。
さらに、こんなものもあった。
シベリア4個入 523kcal
パチッと閉めることができるプラスチックのパック(ケース)に入って、さらに袋で密閉されており、賞味期間は長い。2か月ほどか?

「シベリア」の文字は今風のシンプルなデザインだけど、「ユ藤パン」の旧ロゴに「青森発」といった表記もある。昔懐かしい味を広域販売する前提のパッケージなのかもしれない。

このシベリアは、
拍子木形の細長い直方体
長辺8.5センチ、あんこ(ようかん)が見える面の短辺3.3センチ、焼き色がある面の短辺3センチ弱といったところ。

あんこ部分の幅はばらつきがあり、5~8ミリ。

味はおそらく個包装と同じ。しっとりしながらも軽い食感。
パッケージ正面に、「シベリアの名前の由来は、シベリア鉄道の線路に見立てたという説があります」と書かれている。
そんなわけで、パッケージ右上には、
シベリア鉄道?
鉄道車両であることは一目瞭然だけど、いろいろとツッコミどころが…
・先頭のデザインは、どこか大陸的(?)でシベリア鉄道の機関車っぽくはある。
・でも、本来のシベリア鉄道は機関車を客車がひっぱる形式なのに、これは客席らしき部分が一体化し、パンタグラフが付いているから、電車だ。
・1両で動き、車両間の貫通路もなさそうで、路面電車っぽい。
・形式名もしくは車番として「KD910」とある。どっちも「くどう」ね。※同社がヤマザキ製品を受託製造した時の製造所固有記号が「KD」。

・左上のきっぷにも「KD910」の発券番号? が。発行日の2016.03.01はどんな意味? 消費期限と間違われたりしないかな。※このきっぷのデザインは他の商品でも見た気がするので、シベリア鉄道とは直接関係はないのでしょう。

リアルなシベリア鉄道の絵など載せたら国際問題になってしまうかもしれないし、これでいいのかも。(イギリストーストは大使館の了解は取ってあるそうです)
コメント (4)
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泉山王環状線の記録

2016-11-15 21:25:13 | 秋田市営バス
2016年9月で廃止された、元秋田市営バス路線であった中央交通のバス路線シリーズ。間が空きましたが駅東線に続いては「泉山王環状線」。
※今回の廃止の経緯や概要はこちらこちらも参照
※市営バス時代から移管後まで「泉・山王環状線」と中黒を入れて表記する場合もあり。

駅東線同様、小型バスが走る秋田市では数少ない路線の1つではあるが、こちらは秋田駅西口~オフィス街・官庁街~秋田市中央部北側の住宅地を巡る環状運行。住宅地部分の経路が異なる2系統があった。
同時に廃止された「堂ノ沢線(中型バスによる元市営バス路線。独立した記事としては取り上げません)」とともに再編されて、「泉八橋環状線」として減便の上、再出発している。
地理院地図に加筆。秋田駅周辺の一方通行は、泉回りのルートで表示
大雑把には秋田駅西口-千秋トンネル-保戸野-泉-八橋-県庁市役所(山王)-秋田駅西口というルート。
両方向で運行され、先に通るエリア名を取って「泉回り」「山王回り」と称されていた。車両の行き先表示は、「泉・山王環状」「山王・泉環状」と、通る順に表記。
再掲)市営バス時代2000年の65号車。液晶表示の「泉・山王環状」
秋田駅~泉の入口、秋田駅~八橋の入口にかけては、神田線、将軍野線など複数の別路線のルートを“つまみ食い”するようにちょこちょこと通り、泉~八橋では我が道を独走。住宅街を直線で突っ切ったかと思えば、予想できないような場所で右左折したり、小型バスの威力を発揮した。

また、山王から泉にかけて、上記経路の内側を小回りする系統が「新川向(しんかわむかい)経由」として後から新設された。行き先表示は前に青字で「新川向」が付された。
もともとのルートには何経由という呼称はなかったので、ここでは「元祖」とします。
廃止直前の「新川向 山王・泉環状」。上の65号車が譲渡・塗装変更された「秋田22き53」
【↑元65号車だった車は、後に子会社・秋田中央トランスポート五城目営業所へ転属し、2021年時点で潟上市のコミュニティバスなどに使われている。】

廃止時点の全バス停名(県庁~駅は省略)を記す。
・●は運賃(整理券番号)が変わるバス停。
・(別)は、本数の多い他路線とは別の位置にある同一名称のバス停。
・下線はこの路線単独であるため、路線廃止により、バスが通らなくなった区間およびなくなったバス停。
秋田駅西口-千秋久保田町-●明徳小学校入口-[千秋トンネル]-鷹匠橋-●すわ町(別)-原の町-保戸野八丁-●桜町- [天徳寺地下道の手前で脇道へ]-ウェルビューいずみ前-泉中央四丁目-●秋操近隣公園入口(別)-[泉ハイタウン線のルートをかすめる]-泉中央三丁目-泉小学校前-●マツダ前(別)-[八橋鯲沼町交差点で新国道を横断]-鯲沼(どじょうぬま)-八橋小学校前-●八橋田五郎(やばせたごろう※)-[大道東橋で草生津川を渡る]-●油田(あぶらでん) -[一本松のある交差点]-帝石前-[面影橋で草生津川を渡る]-●面影橋(旧国道側・通町経由将軍野線用)-八橋- -[日吉神社の前~八橋運動公園の中の道]-球技場前(別) -●八橋市民広場・裁判所前-県庁市役所前-~竿燈大通りを通る各路線と同じ経路につき省略~-秋田駅西口
※八橋田五郎は、泉八橋環状線用として継続されたものの、位置は別。

新川向経由では、
秋田駅西口-~元祖と同ルート~ -●秋操近隣公園入口(別) -秋操近隣公園入口(泉ハイタウン線用)-泉南三丁目-●泉南二丁目-泉南一丁目- -[新川向交差点で新国道を横断・八橋大通りへ]-●八橋新川向-[けやき通り方向へ]-八橋本町三丁目-秋田テレビ前-●消防庁舎前- 県庁市役所前-~元祖と同ルート~-秋田駅西口

地図上の簡易な計測では、元祖ルートは約10.2キロ、新川向経由は約8.6キロ。
再編後の泉八橋環状線は元祖よりやや遠回りのような気もするけど、ほぼ同じ約10.2キロ。

運賃設定上は1周乗り通すことも可能で、その場合の運賃は、元祖で510円、新川向経由で460円。泉八橋環状線では530円。
途中区間の一例として秋操近隣公園入口~県庁市役所前では、元祖290円、新川向経由230円。泉山王環状線では310円。
【16日追記】桜町および泉南付近~県庁第二庁舎前および県庁市役所の区間では、新川向経由のほか、県庁経由臨海営業所発着神田旭野団地線(外旭川市営住宅前着発。かつて千代田町経由と呼んでいた系統)もルートは違うが利用できる。
運賃を比較すると、桜町-県庁では、新川向経由270円、神田線230円。泉南二丁目-県庁ではどちらも190円。

秋田駅西口から任意のバス停まで乗るとした場合、どちら回りに乗ったほうが運賃が安いか。※実際にはダイヤが偏っているため、選んで乗車するのは非現実的。
元祖では、マツダ前までは泉回りが(280円。山王回りは340円)、隣の区間の八橋田五郎までは山王回り(310円。泉回りは320円)が、それぞれ安い。
と言っても、新国道経由各路線なら秋田駅西口~マツダ前は230円なので、どちらにせよ環状線に乗る理由はなさそう。
新川向経由では、八橋新川向がどちら回りでも同額の320円。


ダイヤ上の1周の所要時間は、泉回りは元祖も新川向経由もどちらも36分。山王回りは元祖が35分、泉回りが30分。
一方通行の関係や、運行時間帯による道路状況を踏まえての設定なんだろうし、この路線に限らず、中央交通のダイヤはあまりアテにならないもの(端的に言って遅延が多くいい加減)ですが…
泉八橋環状線では、八橋回り33分、泉回り35分。

運行本数は、泉回りが朝7時台に元祖と新川向経由1本ずつ。山王回りが15時台に元祖と新川向経由1本ずつ、17時台に元祖が1本。以上計5本。平日のみで土日は全休。
泉八橋環状線は、泉回りが7時台、八橋回りが17時台に、平日各1本のみ。


以上の廃止直前の状況を踏まえて、泉山王環状線の歴史をひもとく。
駅東線よりも歴史があり、ルートやバス停名称の変更も見られ、それは秋田の街の変化を示しているとも言えよう。
運行開始は1975(昭和50)年6月16日。(以下、同年6月10日付「広報あきた」No.634より)
秋田市交通局が「ミニバス」と称して小型バス(29人乗り)を導入、「団地ミニバス」3路線を新設したうちの1つ。
団地ミニバス導入の意図は「道路が狭くて大型バスの運行ができない新興住宅団地へ」のアクセス。当時は、宅地造成されたものの道路整備が追いつかず(もしくは無秩序に宅地だけが整備され)路線バスが走れない“足なし団地”が全国的に問題になっていたようだ。※ここで言う「団地」とはアパート形式の集合住宅が集まる場所だけでなく、「新たに造成された戸建て住宅街」をも含めた広義のものだろう。
「ミニバスの運行に際しては、ひとりでも多くのかたに利用していただくため、路線周辺のみなさんと、運行時刻や停留所の位置などについて話し合い、ご意見や要望などをできるだけ取り入れ」たとしている。

ちなみに同時開設の他の2路線は「横森団地線」と「手形山団地線」。
横森団地線は、築地経由で横森と往復。後に経法大附高(現・明桜高校)や桜ガ丘・梨平まで延長(当時は経法大も桜ガ丘もまだなかった)され、現在は減便著しく風前の灯になってしまった路線。ただし、後に築地に代わって明田地下道経由、あるいは秋田駅東口発着で横森を通る中型バスが多く運行されている。
手形山団地線は、秋田高校の下から手形山に登って手形山団地が終点。後に大学病院(当時は移転前)まで延伸されて、中型バスが走るようになり、団地の中に入らないダイヤが多くなっている。(開設時の経路は、現在の「手形山西町経由」に相当する)
団地ミニバス開設当時の運行形態をほぼ保っていた唯一の路線が泉山王環状線だったことになるが、それも41年で途絶えたことになる。

当時の泉山王環状線沿線の状況は(生まれていないので)直接は知らないが、資料や伝聞によると、今とは違うことも多い。
・千秋トンネルが未開通(1978年開通)。
・八橋小学校は開校(1973年)間もない頃。泉小学校(1979年)、泉中学校(1981年)は開校前。
・区画整理事業(1975~1999年?)が始まったばかりで、泉いちょう通り、八橋大通りなどの広い道路は未開通(昭和末期~平成初期頃開通)。
・航空写真によれば、新国道から東西に広がるように住宅が建ち並んではいるが、幹線道路から離れた(今でいう秋操近隣公園周辺や秋田テレビと八橋小学校の間など)エリアは田んぼが多い。
といった状況。
今の視点で考えると、遠回りに思えたり、あえて狭い道を選んで通っているかのように感じられる箇所もあったが、そうではなく、当時はそこしか道がなくて通らざるを得なかったのだろう。

廃止時点とは別の道を通っていた区間が4か所ほどある。
・千秋トンネルがまだないので通町・菊谷小路経由。したがって、秋田駅~桜町は神田線・添川線と同一ルート。
・神田線・添川線も同様だが、保戸野原の町通りが未開通(1985年開通)なので、すわ町~桜町は現在とルートが異なり、原の町、保戸野八丁のバス停位置が違った。
・ウェルビューいずみ前(当時はない)ではなく、1本南側を通る。
・草生津川を渡らず、面影橋交差点・バス停を通らずに、田五郎方面から旧国道へは「八橋」バス停付近で出入り(八橋地区コミュニティーセンター前の道を通っていた?)

広報におそらく全バス停が掲載されているようなので、泉・八橋地内分を示す。
●桜町- 金の町上丁-●金の町中丁 -金の町下丁-泉大橋-●マツダ前-鯲沼-八橋小学校前- ●田五郎中丁-田五郎上丁 -●八橋
後に金の町下丁→泉中央三丁目、泉大橋→泉小学校前と改称され、それ以外で名称の違う下線のバス停は、廃止時とは別ルート上にあったと考えられる。
住居表示が実施されたのは、八橋田五郎が1982年。それ以前は八橋字田五郎で、現在とはエリアが違っていた可能性がある。泉地区は1999年で、それ以前は「金の町」など今とは別の地名だった。


当時の広報の記事には、「泉回り」「山王回り」という呼称は見当たらない。
時刻表も掲載されているが、欄を分けずに、秋田駅発時刻が列記されている。そして注記として「午前中の運行経路は駅→金の町中町→田五郎→山王十字路→駅の順。午後の経路は午前と逆コースの順となります。」とある。意識して、午前と午後で方向を分離していたことになる。
運行開始時のダイヤは、平日(土曜含む)は合わせて11本で、7~10時台(泉回り)に6本、13~18時台(山王回り)に5本。日曜は午前午後3本ずつ。
後に泉回り/山王回りとして、時刻表の欄が分かれても、この時の考え方が最後まで残って(今の泉八橋環状線でも)、偏ったダイヤになっていたことになりそう。
1周の運賃は180円。


以後の変遷。
1980年7月13日に、交通局庁舎・中央営業所が保戸野鉄砲町から寺内(臨海)へ移転し、その時から千秋トンネル経由に。
通町経由と運賃も変わらないので、別に変える必要もないようにも思われるが、少しでもバス空白域を減らそうということか。

1983年3月15日から、「寺内油田(通称一本松)、面影橋経由に」変更。これに伴い、田五郎中丁、田五郎下丁バス停を廃止し、八橋田五郎を新設。
1980年2月頃には、工事のため迂回運行をして、大道東橋から旧国道というほぼ同じルートで走っていたことがあったそうなので、それが好評だったのだろうか。

1992年4月1日から、新川向経由が新設。
同時に「泉・保戸野線(現・泉ハイタウン線)」も新設されている。(関係ないけど、新屋西線が勝平地区で船場町経由から朝日町経由に変わったのもこの時。)
この時に新設されたバス停は、後に名称が変わったものがいくつかある。
泉上ノ町→泉南三丁目、泉下ノ町→泉南二丁目、保戸野新川向→泉南一丁目、中央公民館前→消防庁舎前。
上記の通り泉地区は1999年に住居表示実施され、中央公民館は2003年11月に移転したため。
当初は、新国道をはさんで、保戸野と八橋の「新川向」のバス停が揃っていたことになる。
地名としてはもともとは「保戸野字新川向」だけが存在。1982年に住居表示実施で「八橋新川向」が誕生し、以降、保戸野字新川向は段階的に縮小(その間、保戸野と八橋の新川向が共存していた)、1999年に消滅。

2002年10月28日。福祉複合施設「ウェルビューいずみ」オープン(11月1日)に伴い、桜町~泉中央三丁目の経路を1本北側の道へ変更し、「ウェルビューいずみ前」バス停新設。
それまでは、(泉回りでは)天徳寺地下道の脇道へ左折して一直線に泉中央三丁目(旧・金の町下丁)まで貫く道を走っていたのが、地下道の上のJRバス東北の営業所前まで上り詰めてから左折することになった。さらに左折して泉中学校前(脇か)と一直線の道へ。
この区間では、運行開始後に開通した広い市道(鉄砲町菅野線=泉ハイタウン線の経路)を横断しなければならない。経路変更前には、信号機のない交差点を突っ切らないといけなかったのが、変更後は信号のある交差点とない交差点を1つずつ通ることになった。泉回りは信号あり左折→なし右折、山王回りはなし左折→あり右折。
旧経路ではここを左右に横切っていた。後の経路では右側(ウェルビュー方向)がもう1ブロック先の道

2003年4月。秋田市交通局から秋田中央交通へ路線移管。
その後、いつの間にか土日が全廃。駅東線は2014年に土日が廃止されたが、それより先だったようだ。
以上が歴史。

それにしても、泉地区の経路はなかなか複雑だったと思う。細い道がおおむね格子状に張り巡らされている一帯を、絶妙な選択で進んでいた。
泉小学校前付近を通る山王回り。後方の赤信号・日産の看板が新国道の鯲沼町交差点
※泉小学校“前”というバス停だけど、正確には泉小学校の“裏からちょっと離れた所”。
上の写真では、新国道を越えてまっすぐに道が伸びている。大道東橋から泉小学校の手前まで約1.3キロ一直線。ちなみに山王大通りの臨海十字路~山王十字路は1.8キロ。
この道はセンターラインがあって比較的広い。この北側の泉中学校前の道と同じくらいだけど、ご覧の通り車の通行量は少ない。突き当り(写真の背後)にハミングロードと泉小学校の校舎(給食室)があり、東方向へ通り抜けられないため、車が少ないということか。
そんなわけで、山王回りのバスも泉小学校を目前にして北方向へ左折。

さらにすぐに東へ右折。
「泉中央三丁目」は幼稚園の前
そこから上記の通り、泉ハイタウン線の大通りへ左折して一瞬出て、すぐ右折してウェルビューいずみ方向へ。さらに右折して、またJRバス営業所前で右折。
かつては左の白いガードレール(白いワゴン車の後ろ)の所から出入りしていたはず。ここが中央三丁目からまっすぐ
坂を下って、
地下道の下、神田線ルートに合流して桜町へ

よく道を間違えないものだと感心するけれど、それを助けるアイテムがあった。
この看板
要所要所の曲がり角に方向を示す看板が設置されていたのだ。
タクシーを呼ぶ看板みたいな存在。上の写真で「秋田市」とあるのは、街路灯の管轄を示すもので、看板とは無関係。
市営バス時代から(別のデザインで)あったもので、築地経由や県営住宅経由新屋西線などにもあった。(今は不明)

道路網がほぼ完成した後から設定された新川向経由では、大通りを中心とした、だいぶ簡潔なルート。狭い道はほとんどなく、別に小型バスでなくても運行は可能そう。
でも、桜町~秋操近隣公園は狭い道だし、「秋操近隣公園入口」を2度通る(最近まで知らなかった)などやはり泉ではやや複雑。


本数は多くなかったとはいえ、泉山王環状線廃止によって、自宅からバス停が遠くなってしまったエリア、すなわちバス空白域が増えたはず。
泉山王環状線運行開始時と比べると、泉地区の中央を南北に貫く泉ハイタウン線が新設された。神田線と新国道経由はあるが、市営バス移管とその後の大幅減便により、総じて本数は減っている。
また、泉地区を東西方向に結ぶ路線がなくなったことになる。移動の需要が少ないのかもしれないが、皆無ではないだろう。新川向経由が走っていた「八橋大通り」など、バスが走っても良さそう。
これだけ人口がある場所で、このような状況なのは…
「足なし団地」を解消するために、沿線の要望を汲んで設定された泉山王環状線が廃止となった後、また「足なし団地」に戻ってしまったと言えなくもないのではないだろうか。
サビサビの「秋田テレビ前」
泉山王環状線単独区間のバス停はいずれも市営バスタイプのダルマ型。文字は旧交通局が設置した、透明シールに細い丸ゴシック体で印字(訓令式ローマ字入り)したものが、最後まで使われた。住居表示が実施された泉の一部バス停では、市営バス設置のやや太い丸ゴシック体のカットシール文字(ヘボン式ローマ字入り)のものだった。(この辺りは後日
【17日追記】ウェルビューいずみ前は透明シールだった。
したがって、1999年の住居表示後にカット文字のほうが先に設置され、透明シールが使われたのは移管直前の2002年頃だったことになる。
住居表示とは関係なく鯲沼やマツダ前はカット文字だったり、八橋田五郎では片側がカット文字で、その向かい側は透明シールだったり、油田は古い手書きのままだったりと、例外もある。

廃止後、バス停は当然撤去された。泉回り側は10月に入ってすぐになくなったのだが、山王回り側の各バス停は名残を惜しむかのように(?)1週間ほど放置されていた。矢印看板も、遅れて撤去された。

僕は、20年ほど前の一時期、18時前後の山王回りの秋田駅側で乗車する機会が何度かあった。
いつも乗客はほとんどいなかったけれど、乗り慣れない小型バスで、バスがあまり通らない千秋トンネルをくぐるのが楽しかった。

【17日追記】使われた車両は、3世代・4車種(3代目が2車種)。中央交通移管後に使われたのは3代目の車両だけ。移管後は、交通局が購入し譲渡された車両(車齢10年を境に有償or無償だったそうなので、これは有償譲渡?。一部は男鹿へ転属)と、中央交通が自前で購入した同型車が使われた。※この記事参照
初代車両に1度だけ乗った記憶があるが、車内の記憶はない。その頃は千秋トンネル経由に変わった直後なので、保戸野八丁辺りから神田線で通町・中通方面へ行こうとして、たまたま来た山王回り環状線に間違って乗ってしまった人がいた。

新路線の泉八橋環状線、卸町経由新屋線などについては、後日また。
※次の記事は泉山王環状線のバス停について。さらに続きは新路線・泉八橋環状線について。
※次の路線は卸町経由新屋線
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たかしまあきひこ氏逝去

2016-11-13 23:49:38 | 昔のこと
作編曲家のたかしまあきひこ氏が10月16日、73歳で亡くなった。
ここ数十年の日本のテレビ番組を見ている人は、意識していなくても、ほぼ全員が、たかしま氏が手がけた音楽を耳にしている。
以前からたまに触れているように、僕にはたかしま氏の作品には思い出のあるものが少なくない。近年になって、たかしま氏のお姿をテレビで見ることができ、こういう方だったのかと親しみが増していた。ところが、今春、それまでほぼ隔週で担当していたNHKの音楽番組(詳細後述)でお見かけしなくなり、どうされたのかと心配していたところの訃報だった。
※音楽に関する知識は乏しいので、以下、憶測や勘違いがあると思います。お気づきの点があればご指摘願います。

亡くなったことが明らかにされたのは週末で、登山家の田部井淳子さん(週刊とうほくゼミナールにも出ていた)の訃報と重なったことがあるとはいえ、報道での扱いは大きくなかった。
全国紙には載ったが、秋田魁新報ではなし。自局の番組に多くたずさわった(後述)NHKテレビやフジテレビのニュースでも見なかった。越部信義氏の時もそう感じたが、作曲家の死はその程度の扱いなのだろうか。

訃報記事は、山本直純氏に師事し、TBS「8時だョ!全員集合」の「ヒゲダンスのテーマ」や「盆回り」が代表作、他にもテレビの音楽を多数手がけたといった内容。
たかしま氏は、作曲よりも、既存の曲をアレンジする編曲のほうを多く手がけたようだ。「ヒゲダンス~」も外国の曲のリズム部分を抜き出したそうだ。
「編曲」という仕事の内容は素人には想像しづらいけれど、音楽に関する総合的な知識が必要で、テレビの場合は時間などの制約も多いと思われる。作曲とはまた違う苦労がありそう。

「~全員集合」は秋田では放送されなかったので、僕はその曲については大人になるまで知らなかった。
最初にたかしま氏を知ったのは、小学生の頃見たフジテレビ「ドリフ大爆笑」。音楽担当者としてテロップが出て、全部ひらがなの名前なので、小学生ながら印象に残ったのだ。
「隣組」や「いい湯だな」をアレンジしたオープニング(♪ド・ド・ドリフの大爆笑)とエンディング(♪ババンババンバンバン)もそうだし、「毎度おなじみ『もしも』のコーナー(正しくは「もしもシリーズ」らしい)」のBGMは作曲か。

その後、2000年代以降にNHKの番組で音楽を担当しているのを見るまで、たかしま氏のことを特に意識しなかったが、今振り返れば、その間の昭和末期から平成初期には、特にたくさんの音楽を作っていて、僕はそれを聞いていた。例えば、
・アニメ「パーマン」1983年、テレビ朝日 ※TBSのモノクロ版とは別
テレビ朝日・シンエイ動画によって多数の藤子不二雄作品(A氏とF氏の独立前)がアニメ化された時期で、「ドラえもん」「忍者ハットリくん」と並ぶ代表作で「ドラ・ハッ・パー」と称された。
ドラ、ハッは、菊池俊輔氏が音楽を担当(BGMの作曲)したのに対し、パーマンだけはたかしま氏が担当【この記事最後も参照】。主題歌や挿入歌は、別の人が作曲し、たかしま氏が編曲。

そう思って聞けば、他の藤子アニメとは違った雰囲気の音楽。うまく表現できないけど。
パーマンがのんびりとパトロールしている時の曲とか、学校帰りのカバ夫とサブが「カバ夫くん、お父さんの入れ歯見っかった?」「ううん。まだ」と話しているシーンでよくかかっていた曲とか、好き。
サントラ集は出ていないが、たかしま氏の方針なんだとか。

この作品では、パーマンのバッジの呼び出し音が印象的。
Wikipediaによれば、TBSのモノクロ版とは音が違うそうだけど、この音もたかしま氏の“作曲”なんだろうか?

余談だけど10月20日は声優の肝付兼太さんも亡くなった。
「ドラえもん(テレ朝版としては初代)」の骨川スネ夫が代表作とされたが、この頃の藤子アニメではほぼ全作品に出演していた。「パーマン」ではパーヤンことパーマン4号。

・アニメ「Dr.スランプアラレちゃん」1981~1986年、フジテレビ
今もCMで使われることがある「ワイワイワールド(♪きったぞきたぞアラレちゃん)」など、歴代のオープニング、エンディングの編曲。
作曲はほとんどが菊池俊輔氏(一部サタンタ名義の子門真人氏)、当時の藤子アニメを別々に担当していた2人が共作。【14日追記】パーマンよりアラレちゃんのほうが2年早いから、作られたのはたかしま氏がまだ藤子アニメに関わる前か。
なお、番組の音楽担当(BGM)は菊池俊輔氏。

・「FNNニュース」1984~2015年
フジテレビの報道番組のテーマ曲をいくつか作曲。
2015年まで31年に渡って使われた曲(差し替えにより流れなかった系列局あり)もあった。

・「FNNスーパータイム」1984~1997年
たかしま氏のホームページではプロフィールの代表作として「10年以上も使っていただきました」と紹介している。
逸見政孝、幸田シャーミン、安藤優子などがキャスターを務めた、フジテレビの夕方のニュースを作曲。
音を聞いたら条件反射で「Super time」と言ってしまいたくなるオープニングだけでなく、「今日お伝えする主な項目」のBGM、各項目の見出しで流れる音、スポーツコーナーのBGMなど、番組全体の音楽を総合的に作ったようだ。音楽を積極的に流す報道番組は当時はとても斬新だった。

ちなみに、秋田テレビでは1989年までは平日は「テレポートあきた」という番組名だったので、その間は「Super time」のかけ声(?)がなく、「シュッ」という効果音だけが流れる、ちょっと間抜けなものだったかも。
僕は、全国版とローカル版の境界で流れる、オープニングを軽めにした曲が好きだった。
また、途中のある時期(平成に入った頃? もしくは末期の1995年頃?)から、若干アレンジされて、オープニング曲の終わりの余韻がカットされてしまい、尻切れとんぼになってしまったのが、いただけなかった。


この頃は、TBSやフジの番組の作曲が多かったようで、他にも秋田ではやってなかったけどTBS「クイズダービー」、ドリフつながりなのかいずれもフジテレビ「志村けんのバカ殿様」「志村けんのだいじょうぶだぁ」なども。

・NHK「みんなのうた」
いろいろな人が歌ったり作ったりする「みんなのうた」。
番組公式ホームページのデータベースによれば、たかしま氏もいくつかを作曲または編曲していた。
1983年の坂本九が歌った「馬のシッポ ぶたのシッポ」という曲の編曲が最初。作曲が師匠山本直純。
以後、1990~2010年にかけて、作・編曲2曲、編曲のみ2曲(うち1曲は小林幸子作曲)を担当。
僕はタイトル覚えがある曲がいくつかある程度で、どれも残念ながらメロディは思い浮かばない。

ところで、たかしま氏は、本名の「高島明彦」名義で活動する場合もあった。それで検索したら、1991年と1992年にさらに2曲を編曲していた。
1992年の「エトはメリーゴーランド」。歌のほか作曲も田中星児だった。この曲は知ってる! 僕が干支を完璧に覚えたのはこの歌のおかげかも。今も十二支を順に言う時は、なんとなくこのメロディーになる。【17日追記】作詞は子ども向けの歌を多く作った人によるものだが、それぞれの干支の扱いが不公平なのと、終わり方が唐突なのがなんだか… 十二支を順に言う部分のメロディーは覚えやすい。【この後、2016年12月から2017年1月にかけて、「エトはメリーゴーランド」が再放送された】
したがって、作・編曲2曲、編曲のみ5曲の計7曲。

ちなみに、越部信義氏は39曲、山本直純氏は30曲。(データベースの検索結果数。リメイク曲は重複してカウント)
※みんなのうたホームページのデータベースでは、編曲者が登録されていない曲もあるようなので、他にもあるかも。

・CM
Wikipediaによれば、CMもいくつか手がけている。
どうも、あの「♪エバラ焼肉のたれ」のジングルも作曲したらしい。これこそ代表作品と言えるかもしれない。
「セブン-イレブン」も挙げられているけれど、「♪セブン-イレブンいい気分」のこと?(秋田では印象が薄いけど)


そして、僕が久しぶりにたかしま氏のお名前をテレビで見たのが、2000年代中頃のNHKの歌番組だったと思う。
NHKでは「音楽 たかしまあきひこ」と表示することが多いので当初の僕の知識ではよく理解できなかったが、歌手が既存の歌を歌う番組だから、放送用に「編曲」を担当したということだろう。
2010年代になると、担当する番組が増えたように感じられた。他の作曲家とともに「紅白歌合戦」も担当しているはず。
火曜20時の「NHK歌謡コンサート」も、いつの間にかほぼ隔週で担当していた。これは、「三原綱木とザ・ニューブリード/東京放送管弦楽団」が指揮・演奏するための譜面を作っていたのだろう。
さらに、BSプレミアムの「新・BS日本のうた」も、数週に1度程度担当。(「新」がつかない前番組は不明)Wikipediaによれば番組のテーマ音楽の作曲もたかしま氏らしい。
こちらは、バンドの指揮者が誰かは表示されず、数名がローテーションしていた。研究したら、どうも「音楽」担当者が指揮もしているらしい。
ということで、たかしま氏が音楽を担当している回に、指揮をしている人自身がたかしま氏であることが判明。(名前はエンドロールで表示されるので、そこで知っても遅いけど)
お名前を存じ上げて20年以上経ってから、お姿を知ることができた。雑誌や他の番組などに出ることはあったようだけど。

三原綱木氏がそうであるように、この手の指揮者は、指揮棒を持たずに手だけで指揮する人が多いようだ。
指揮者の口元に付けたマイクでの指示や、クリックというリズムを刻む音が、各奏者のイヤホンで聞こえる仕掛けになっているそうで、しかも演奏するのもプロだから、実際のところ指揮の動作自体はそんなに重要でないのかもしれない。
たかしま氏は、指揮棒を使って、わりとはっきりと指揮をしており、かっこよかった。


今春、歌謡コンサートが終了して「うたコン」になり、指揮の三原綱木氏が降板。
3月15日の歌謡コンサート最終回の音楽担当はたかしま氏だった。
さらに、この日の裏番組では「志村けんのだいじょうぶだぁ新作春祭りSP」が放送されていた。おそらく、こっちの音楽もたかしま氏。たかしま氏担当の火曜ゴールデンタイム番組としては、ドリフ大爆笑のフジのほうが先で、NHKが後だけど。ちなみにこの時、北島三郎は、なんとだいじょうぶだぁのほうに出演。

4月からの「うたコン」では、BS日本のうたと同じく、編曲者が指揮もすることになり、当初は引き続きたかしま氏と栗田信生氏が交代で担当していた。お2人ともBS日本のうたもかけもちしていて、大変そう。
そんな中、たかしま氏は、4月19日(PUFFYが出演)、26日、5月24日を担当した後、出なくなった。BS日本のうたは5月29日放送(事前収録)が最後【12月18日追記・それ以降に担当した回があったかもしれない】。きっとその頃から体調が悪くなってしまったのだろう。
8月27日放送の「第48回思い出のメロディー」では、多数の音楽担当者の1名として、たかしま氏も表示されていた。この時の指揮は久々に三原綱木氏。


三原氏の降板とたかしま氏が出られなくなったことにより、NHKでは指揮者不足になったようで、現在は、新たな人も加わって指揮をしている。
BSでは丸山和範氏という方が出るようになったが、「古畑任三郎」のオーケストレーション(編曲とほぼ同義?)をした人。
また、近年たかしま氏が担当する番組では、音楽担当者に「KANTA」なる人物も連名で表示されることが多かった。KANTA氏はたかしま氏のご子息。たかしま氏が出なくなった後、BS日本のうたの指揮を1度したこともあったが、父と同じく指揮棒を持って、どことなく似たお姿だった。
【2017年6月5日追記】KANTA氏は、その後のBS日本のうたも引き続き担当。2017年6月4日放送分では「たかしまかんた」に改名していた。なお、BS朝日の「日本の名曲 人生、歌がある」の音楽も担当しているが、名義は未確認。


最後に2つ。
まず謎。
指揮棒を持って指揮をされていたたかしま氏。指揮棒は、コルクなどでできた太い握り部分がありそこを持って、とがった先端を先にして振るもの。
ところが、たかしま氏は、場合(曲?)よっては逆に握るほうを先にして(持つ位置は反対側のとがった所でなく、握りに近い棒の中間辺り)指揮することがあった。番組1回につき1曲くらいの割合。
4月19日のうたコンでは、まさに「アジアの純真」がそうだった。
5月29日のBSでは、地元の吹奏楽団による「錨を上げて」~「憧れのハワイ航路」、それ以前の回では石川ひとみ「まちぶせ」など。
照明とか曲調の関係で、指揮がはっきりと見えるように、握り側を見せていたのだろうか?
他にそんな持ち方をする指揮者っているのだろうか?
【2018年4月29日追記】上記の通り、新BS日本のうたに新たな指揮者が何人か入ったが、その中の中尾唱氏(大阪周辺で収録する場合は、バンドがまったく別メンバーになり、その回の音楽は中尾氏固定。反対に東京のバンドの回を中尾氏が担当することはないようだ)という人も、指揮棒を逆さまに持って振ることがある。ただ、たかしま氏と違って、棒を持たずに振ることも多いし、逆さの持ち方もたかしま氏とはちょっと違う。


ほんとに最後は、テレビ朝日・シンエイ動画への苦言。
CSやケーブルテレビの「テレ朝チャンネル」では、昭和の藤子アニメを放映してくれている。(無料放送期間しか見ないけど…)
多くが、往時とは主題歌やクレジットの表示が異なっており、再放映に当たって編集が加えられたと思われる。それは、脚本家や声優の名前が毎回同じものが表示されてしまうなど、やり方が雑な気がする。手間なのも分からなくはないけど、2話しか放送しない回に、脚本家が10人もダーッと出るのは…
その最たるものが「パーマン」の音楽担当者の表示。

上記の通り、「パーマン」はたかしまあきひこ氏担当で、現在のシンエイ動画のホームページにもそう掲載されている。
シンエイ動画ホームページより
ところが、テレビでは
「音楽 菊池俊輔」
ドラえもんやハットリくんと混同してしまったのだろうか。
Wikipediaなどインターネット上にも、(制作側とは無関係の人によって)誤りであることが記載されているが、もしかしたらテレ朝側では把握していないのかもしれないと思って、1年ほど前、テレ朝チャンネルのご意見フォームから間違いを指摘させてもらった。
ところが、今なお、直っていない。

間違ったのはしょうがない。大元の原盤みたいなのを修正しなければならず、大変なのかもしれない。
でも、失礼じゃないでしょうか。その方が亡くなってしまった今なら、なおさら。
もし、これが小林亜星氏だったら、激怒するかもしれませんよ。(←寺内貫太郎一家と記念樹事件による偏見?)
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「裁判所前」の理由

2016-11-09 23:40:28 | 秋田の地理
2010年に、バス停の名前が変わること(&変わらないこと)についてまとめていた。
その時は軽く触れただけだったけど、いつの間にか名前が変わっていて、かつどうして名前が変わったのか理解できないバス停が、秋田市内にあった。
山王大通りにある、秋田駅側から行って県庁市役所前の次の停留所である。旧・市営バス、中央交通、羽後交通が使用。

他の2社は知らないので市営バスに限れば、大昔は「八橋球場前」という名前であった。
それが1997年10月に「八橋市民広場前」に改称。同時に、1つ隣(駅側から行って次)が「文化会館前」から「八橋球場・文化会館前」に改称。※その後、いつの間にか「文化会館・八橋球場前」と順が入れ替わった。
要は「八橋球場前」の名が1つ隣へ移った形だけど、秋田市営八橋球場自体が、移転したわけではない。おそらく、文化会館前バス停のほうが球場へのアクセスが良いという理由で、名前を移したのだろう(大して違わないけど)。
また、市営バス、文化会館、野球場、市民広場とも、秋田市が運営するものだから、宣伝の目的があったのかもしれない。
この変更は理解できる。
【2022年10月16日追記・秋田市文化会館が閉館したため、「八橋球場・文化会館前」バス停は2022年10月に「八橋球場前」に改称。25年経って1つ隣のバス停になった。】

その後、2006年3月をもって、市営バスがすべて中央交通へ移管されたわけだが、それと前後していつの間にか「八橋市民広場前」が「八橋市民広場・裁判所前」に変わっていた。
(再掲)「八橋市民広場“前” 裁判所前」という表記ですが

裁判所。赤い矢印が下り側「八橋市民広場・裁判所前」。上り側はほぼ真向かい
↑東北六魂祭の時の写真なので、奥の駐車場内にねぶたの小屋が建っています。アングルの関係で裁判所正面とバス停が離れて見えますが、感覚的にはまさに目の前。

たしかに裁判所の真ん前のバス停ではある。
秋田市民でも、「八橋市民広場」といってもピンと来ない人が多いと思う。一方、「裁判所」なら多くが分かるだろう。だから、バス停の名前としては悪くはないと思う。むしろ単に「裁判所前」でもいいような。【現在は「市民広場」という名称の施設はなくなっていた。末尾の追記参照】
だけど、裁判所は昔からここにある。なぜ、今になって「裁判所前」が付け加えられたのか、唐突で不可解だった。

最近、ネットを見ていたら、「裁判所前」が付け加えられた理由が分かってしまった!
2005(平成17)年11月29日に開催された「秋田地方裁判所委員会第7回議事概要(同裁判所事務局総務課)」に書いてあった。
外部有識者などを集めて、裁判所について意見を聞いて話し合うような会議。
この日の委員会では、2009年の裁判員制度開始を控えた頃だったせいか、裁判所を国民にとって身近な存在にしようとすることに議事の多くが割かれていた。
その中で、事務局長が「「国民に身近で利用しやすい裁判所とするための施設面での方策」についての説明」を行い、「秋田地方裁判所本庁庁舎前のバス停の名称変更等について説明」として「バス停の名称に「裁判所前」を加えること,バス路線図及び秋田駅前のバス発着所のバス停案内表示に裁判所を表示することについて,バス会社から前向きな回答が得られた。」とある。
具体的な「バス会社」の名前は記録されていない。(地方公営企業であった秋田市交通局を「バス“会社”」と呼ぶには違和感があるが、裁判所としてはどうだったのか?)
質疑の中で、実際にいつから名前が変わるのかはまだ分からないというやり取りもある。市営バス移管の時期も踏まえれば、移管時もしくは移管直後に変わったと考えられる。

なるほど。裁判所のほうから働きかけたのか。
最近の中央交通は「地域住民・関係各所の要望により」としてバス停名を変える(そしてそれを告知しない=法令違反とみなされる可能性あり)ことがあるけれど、これもそうだったようだ。
じゃあ、何度も言うけれど、交通公社前(現・JTB)、秋大糠塚官舎前(現・~宿舎)、歓喜寺前(移転)も要望すれば変えてくれるの?※歓喜寺前は、この年秋頃に改称されていた。糠塚官舎前も2020年に改称


それから10年以上経ったわけだが、実は今なお不完全。
現在、中央交通の車内放送やホームページでは「八橋市民広場・裁判所前」となっているが、現地では必ずしもそうではないのである。
現地には移管後もポールが3本立っている。
下り側。左から羽後交通、元市営バスの電照式、もともとの中央交通の「バスで行こう」
※市営バスの電照式は、バスロケ対応タイプに似ているが、ここのものは当初から非対応だったはず。
上り側では、元市営バスのものが、事業者名とバス停名の文字だけが赤色LEDで点滅するタイプ。
上下とも、中央交通オリジナルの「バスで行こう」のポールでは、バス停名が「八橋市民広場前(改行)裁判所前」と「前」をダブって表記しているが、「裁判所前」を付加した変更はされている。しかし、残り2本の羽後交通と元市営バスは「八橋市民広場前」のまま。

しかも、羽後交通ホームページ掲載の急行・秋田本荘線時刻表の停車バス停名も「八橋市民広場前」となっている。(余談だが「県庁・市役所前」は「県庁前」になっている)
つまり、羽後交通では「~裁判所前」に改称しておらず、「八橋市民広場前」のままでポールの表記が正しいことになりそう。

じゃあ、裁判所は中央交通にだけ働きかけたってこと?
どうせやるのなら、遠方から来る羽後交通のバス路線にも「裁判所前」があったほうが、「身近で利用しやすい裁判所」になるんじゃないの?
もしくは羽後交通にかけ合ったけど断られたの?
ともかく、現状ではバス会社側の対応は中途半端な「~裁判所前」なのである。



それから、バス停名に「裁判所」を入れれば「身近で利用しやすい裁判所」になるという、裁判所側の理屈は、いかがなもんだろうか。
それはすなわち、「施設名称をバス停名にすれば、身近で利用しやすい施設になる」ということだ。

その理屈なら、「(秋田市)上下水道局前」を「上下水道局・刑務所前」にすれば、秋田刑務所が身近で利用しやすい刑務所になるのだろうか?
しかも、裁判所周辺のように、公共施設が集中するエリアのバス停で、その多く(あるいはすべて)が、同じ考えを持って同じ要望をして、バス会社が実行したら…
「(秋田)県立体育館前」は「県立体育館・県立図書館・県公文書館・県児童会館・県生涯学習センター・秋田ケーブルテレビ本社前」になる。
弘前の「市役所前・公園入口」は「市役所・市立観光館・市立図書館・市立郷土文学館前/弘前公園・市民会館・市立博物館・藤田記念庭園入口」になる。(青森地裁弘前支部も近いよ!)
「八橋市民広場・裁判所前」だって東北農政局秋田地域センター、財務事務所、労働基準監督署、地方気象台、東北厚生局秋田事務所等々、たくさんの施設の最寄りバス停である。
(再掲・地理院地図より)これだけの機関が集中しているのですが…
裁判所だけが自分の名前をバス停につけろというのは、何かわがままに感じてしまう。

個人的には、そんなことより、大雪の時に、雪が積もり放題だった裁判所横の歩道の除雪をしてほしい。
除雪は道路管理者の仕事とも言えるが、商店街や住宅街では、自分の店や家の前を歩行者が通りやすいように除雪するのは、当然のことなのだから。
(再掲)2013年の裁判所横の歩道
あと分からないのは、裁判所が入る建物の名前。
バス停の名前は「裁判所前」で、建物前の目立つ看板も「裁判所」とある。
だけど、この中には、上の地形図に示されているように、秋田地方裁判所のほか、高等裁判所支部、家庭裁判所、簡易裁判所も入る。それをまとめて単に「裁判所」と呼んでいいのでしょうか。国の他の機関が集まる建物では「合同庁舎」とか、建物自体に名称があるのが普通だけど。
しかも、庁舎そのものの管理部門や連絡先が分からないから、上記の除雪の要望のようなことを伝えたくても伝えられない。そういうことを知らせてくれたほうが、裁判所を身近に感じるけど…
【2017年2月16日追記】2017年2月時点では、裁判所横の歩道は除雪が行われており、歩行に支障はない。誰がやっているのかは知らないけれど。

【10日追記】「市民広場」という施設名称は、現在は変わったようだ。
明確な境界や表示もなく分かりにくいが、かつては、東側を「軟式野球場」、西側を「市民広場」と分けていたらしい。
現在は、東側が「八橋運動公園第2球技場」、西側が「八橋健康広場」らしい。第2球技場は命名権売却(ネーミングライツ)で「スペースプロジェクト・ドリームフィールド」。
やっぱり、バス停を「裁判所前」にしちゃえばいいのに…(裁判所を身近に感じるかは別として、分かりやすさ重視で)
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千秋地区の解体2つ

2016-11-08 23:27:56 | 秋田の季節・風景
秋田駅西口の北側、脳研裏の一帯で行われている、秋田駅西北区画整理事業
最近は、南のフォーラス脇・広小路側では下水道工事が行われているものの、それ以外に直接的な動きはなさそう。

北側のセントポール教会(正しくはアールベルアンジェ秋田?)付近には、線路の下をくぐるアンダーパスが建設される計画。こちら側は、ちらほらと動きが出てきた。(線路部分は手付かず)
2014年春に、脳研裏崖下のセントポール教会から北方向・手形陸橋下へ向かう道路沿いにあった、かつてヤマザキデイリーストア【13日補足・デイリーヤマザキかYショップだったかもしれない。あいまいです】だった建物が解体されたことを取り上げた。解体後、そこが道路になるのかと思ったら、アパートができたのでそうでもなさそうだった。
Googleマップに加筆
ところが最近、デイリー跡の南隣(上の地図の赤丸。千秋城下町)で…
秋田駅・セントポール教会側から。直進した先が手形陸橋、左が千秋公園方面の坂、右がアンダーパス予定地方向
十字路の北東側の建物が解体されている。

上の写真右側の白い囲いのところは、建物がほぼなくなっている。
ここは3階建ての「第二金子ビルアキタパークハイツ」で、古いながらもダンススタジオや飲食店などが入っていた。写真で見えている南面が正面だったが、西面の交差点角の建物とデイリー跡の間にも奥まった出入り口があって中でつながっていたらしく、在りし日は通り抜け禁止の掲示があった。
反対側から
そして、交差点角の黄土色の2階建ての建物も解体されようとしている。
この建物
1階に店が2つ入っていて、うち1つ、まさに角の部分はかつては中華料理屋だったはずで、最近は居酒屋があった。居酒屋は、向かいの交差点南西角へ移転した。
向かって左側の店がメインで、食料品をいろいろ扱うような、最近は少なくなった個人商店。近年は縮小営業傾向だったのかもれないが、軒先に果物が並べられたり、週刊誌のラックがあったりした。
「Takeya」の看板が残されている

店主から「お客様各位」
8月末で閉店していた。47年間の営業だったそうで、1969年からになる。

ここの裏=線路側では、土木工事が始まって「道路を築造しています」との看板がある。おそらくアンダーパスとこの交差点を結ぶ道路ができるらしい。デイリーヤマザキがあった建物も、道路側はかからなくても、敷地の裏の方で新しい道路の用地になったのかもしれない。




もう1つ。千秋トンネルの反対側、千秋矢留町。
トンネルの入口のすぐ横にあった「すくすく保育園」が、2013年に同じ町内の生活金融公庫のあったビルへ移転していた。

旧園舎は、3階建てのビル(の全部?)を使っていたが、移転後は空いたまま。入居者の募集も行われていなかったようだ。それが、
解体された(10月下旬撮影)
10月初め頃から始まり、1か月かけて終わりつつある。鉄骨造だった。

デザイン的にも、おそらく実際の築年数でも古くは感じない建物だった。
保育園が入る前は、暴力団の事務所が入るだか入りそうだかということで問題になった。立地としては、中央分離帯があって、トンネル入口の直前ということで、車での出入りは大変そう。きゅうくつそうにも感じるし、日当たり・風通しも良くはなかったのかも。

※当記事で紹介した2つの解体のその後はこちら
コメント (2)
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2016紅葉

2016-11-06 23:57:20 | 秋田の季節・風景
早いもので、11月7日は二十四節気の立冬。
秋田市では、3か月前の8月7日の最高気温が37.6度になり、観測史上2位(1位は1978年8月3日の38.2度)を記録したのが遠い昔のような、初冬らしい日が続く。今のところ、初霜・初氷・初雪はまだ。【12日追記】この後、11日までにすべてを観測した。

振り返ってみれば、今年の夏は暑かった。
歳のせいで暑さに弱くなったのかと思っていたけれど、30年前の秋田博'86に関連して当時の気象データを調べた時、30年前より明らかに暑くなっているのを知って、やっぱり最近の夏は昔より暑いんだと実感した。数値は別として感覚的にも、今年は特に暑かった。

9月10月は寒くはなく、やや暖かいか平年並みといったところか。大雨や竜巻が発生。【7日追記】岩手県や北海道では、大雨で大きな被害があり、その影響で野菜が値上がりしている。
紅葉はきれい。
秋田市街地では、特にケヤキが例年より遅めだったり、場所による進み方のばらつきが大きい。イチョウはだいたい例年並みなので、イチョウとケヤキが競演する場所も。
現在はかなり散ってしまったけれど、10月下旬から11月上旬の紅葉の写真をいくつか。

空から日本を見てみよう+」で、建物が植物で覆われた「もじゃハウス」として紹介されていた、八橋運動公園・けやき通りの喫茶店「異人館」のツタも紅葉。

明徳小学校の坂の下のイチョウと千秋トンネル通りのケヤキ
千秋トンネルの反対側へ行って、
鷹匠橋から御隅櫓
少し西へ行って、
保戸野すわ町・菊谷小路との交差点付近
さらに少し西へ。
原の町通りのイチョウ(とツタ)

もっと西へ行って、保戸野千代田町から泉にかけての遊歩道「ハミングロード」。
泉側には桜(ソメイヨシノ)

保戸野側にはケヤキ
信号機のそばにある白い袋みたいなのは、横方向の道路の工事用の照明。
桜とケヤキ

2016年の紅葉についての続き
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FORUSがOPAに

2016-11-03 13:53:51 | 秋田のいろいろ
3日付 秋田魁新報 経済面に「20店舗増「オーパ」に新装/フォーラス 来年10月オープン」が掲載された。
秋田駅前(西口)にあるファッションビル「秋田フォーラス」が、来年(2017年)2月末頃から全面休業して、耐震補強と内外装の一新を行い、来年10月下旬に「OPA(オーパ)」としてリニューアルオープンするという。【5日追記】5日付秋田魁新報によれば、2月27日・月曜日から休業

まず、魁では詳しく触れていないが、運営会社について。
OPAは、元はダイエー系列のファッションビルの企業名であり店舗ブランド名。ダイエー本体とともにイオン傘下に入った。
魁にはOPAは関西と首都圏を中心に「9店舗」とあるが、大宮OPA(ダイエーに入居?)が来年正月で閉店、一方で首都圏で新たな出店予定もある。
2016年春からは、これまでイオンリテール株式会社(旧・ジャスコ、サティと同じ運営会社)が運営していた各地のフォーラスとビブレの運営が(企業としての)株式会社OPAへ移管された。
店舗ブランドとしてのOPAは東北初進出だが、企業としてのOPAは既に秋田フォーラスを経営しているのだ。
また、魁には「仙台、金沢、大分のフォーラス3店は順次オーパに業態変更する方針」とあり、フォーラスというブランドが消滅することになってる。

つまり、本件は「経営企業はそのまま、ビルの名前を替えて、建物内外とテナントのリニューアルを行う」のが本質で、「それは今後、他のフォーラスでも行われる」のであろう。
総合スーパー「ジャスコ」「サティ」「ダイエー」だったものが、「イオン」に統一された(されつつある)ことの、ファッションビル版。
「秋田フォーラスが“撤退”する」とか、「秋田フォーラスの業績が特に悪くて看板を替える」というものではないと思われる。ツイッターなどで「フォーラス閉店で秋田駅前の衰退がさらに進む!」といった投稿があるが、それは早とちりです。(フォーラスというブランド名や、現在の内外装や店舗構成がなくなるのは事実なので、それを惜しむのは分かるし、工事中の半年超の空白を心配するのは分かるけど)
【3日追記】「フォーラスが潰れる」という投稿もある。一般にこの文脈で「潰れる」とは「倒産する」という意味、拡大解釈してもせいぜい「業績不振で撤退する」の意味だと思う。だからこれも早とちり。だけど、ひょっとしたら若い人(の一部)は、単に「(企業は存続するが、店舗が)なくなる」という意味で「潰れる」を使うのかも、と思ったりも… サティ→イオンの時も「サティが潰れてイオンになった」という投稿が見られた(当初の運営企業だったマイカルは経営破綻しているから「潰れた」は正しいけれど、店舗ブランド変更よりずっと前のこと)。
(再掲)秋田フォーラス
また、この建物は、1974年5月31日にジャスコ秋田店としてオープンし、その後ファッションビルに転換している。
魁では「87年に現在の若者向けファッションビルとなった」とあるが、正確には間にもう1つあって、1985年12月20日から1987年までは「パレドゥー」という名前のファッションビル(?)だった。
秋田フォーラスとしての開店は1987年12月4日。ジャスコ、パレドゥーそれぞれの閉店日は不明。


リニューアルについて新聞記事より。
・テナントは現在は「56店舗」、リニューアル後は「20店ほど多い約80店舗とな」る。※河北新報ホームページでは「テナント数などは未定」としている。
・改装により「全面建て替えするよりも3割ほどコストを削減できる」。
・8階建てのうち「改装後は1~4階部分が吹き抜けとな」る。
・完成予想図によれば、正面の壁面デザインが大きく変わるが、シースルーエレベーターはそのまま残る。
【5日追記】4日アップの秋田建設工業新聞サイトによれば、この工事の設計は大分にある「青木茂建築工房」の東京事務所。同社が商標登録する「リファイニング建築」という手法で、単なる耐震補強とは違うそうだ。

・「店舗の詳細については来年3月に公表する予定」
・「8階の映画館「シネマパレ」はなくなる見込み。」
【5日追記】5日付秋田魁新報によれば、シネマパレは「リニューアル後も営業再開しない。」ことが明言された。
シネマパレは1985年開業。デジタルでないフイルム作品のみを上映する、今では全国でも数少ない映画館で、映写機・フイルムの老朽化・劣化と、客足の減少も閉館を決めた一因とのこと。
・「本県初出店のブランドなど(略)イオンモール秋田とのすみ分けも図る」。
・「学生や仕事帰りのサラリーマンが気軽に立ち寄れるような飲食店などのテナントも検討」
・ジュンク堂書店やタワーレコードの存続については、新聞記事では不明。

・地元商店会は歓迎の意向。

ちなみに、既存店にならえば、リニューアル後は「秋田OPA」という名称になると思われる。
以前から、秋田フォーラスが今後どうなるか、気がかりだった。
スクラップアンドビルドのイオングループの運営、衰退著しい秋田駅前という場所、なんといっても築40年超の古いビル。県外では撤退したフォーラスもある。いつ閉店となってもおかしくないと思っていた。男性用トイレなんで、ジャスコ時代のままであろう昭和のトイレだし…

しかし、2014年春に一部外壁がきれいにされていた。
「外壁のリニューアルがされたということは、閉店や建物のこれ以上の改装の計画は当分なく、フォーラスは営業を続けるということなのだろう。」と当時書いたけれど、こんなに手が入って残ることになるとは!
ジャスコ→パレドゥー→フォーラス→OPAと、4つ名前を変えながらも、イオンが関わり続ける。今春のイオン土崎港店のリニューアルに続き、イオングループも秋田にそれなりに投資してくれ、古いものも大事に使うようになっているのかな。


古い建物に新たに吹き抜けを設けるというのは珍しいかも。1970年代らしい低い天井の建物だから、吹き抜けにより開放感を演出するのだろうか。予想図だと、けっこう広そうな吹き抜けで、売り場面積は減ることになりそう(ただし吹き抜けは1~4階)だけど、そこに20店舗を新たにどう入れるのだろうか。

「気軽に立ち寄れるような飲食店などのテナントも検討」とあるが、前から言っているけれど、ここに食品スーパーがあれば便利。
既存のOPAでは、聖蹟桜ヶ丘や藤沢では、地階に地元スーパー(イオンやダイエー系列ではない)が入って生鮮食品を売っている。じゃあ、秋田にあってもいいのでは?


それから、秋田とは関係ないけれど、イオングループ内で同業異ブランドである「ビブレ」はしぶとく残る。同じ旧マイカルの「サティ」はあっさり吸収されたのに。それに、元ダイエーグループのOPAが存続して、フォーラスを実質吸収することになるのも意外。企業の方針なんて、部外者には分からないもんだ。

あと、「フォーラス」は、来店しない高齢者などにも、それなりに名前が認知され浸透していると思う。この建物を今どき「ジャスコ」と呼ぶ人など皆無だろう。ヨーカドー、ダイエー、ステーション(ステーションデパート)などは使い続ける人がけっこういるけど。
30年近い時間のせいか、比較的覚えやすく・言いやすいのか、あるいはアトリオン、アルス、アルヴェ等、秋田市内で乱発される「ア」で始まる名称でないからか。その意味ではいい名前だった。「オーパ」は覚えてもらえるでしょうか。
それから、ササキノゾミさんが勤務していたのが、秋田フォーラスのテナント。店内でスカウトされたのかな。その場所も姿を変える。

ということで、秋田フォーラスで昭和の総合スーパーの雰囲気を味わいたいのなら、あとわずかです。

【3日追記】大分フォーラスがOPAになることも明らかにされていた。
大分は1973年にジャスコとしてオープン、1993年にフォーラス化。こちらはいったん解体して建て直すもので、2017年2月閉店・2019年春オープン予定。

【11月19日追記】秋田フォーラスでは11月19日から「大改装 売りつくしSALE」が開催。テレビCMなどでは「大改装のため、2017年2月26日をもって一旦閉店 」と告知している。

【12月21日追記】
12月21日付秋田魁新報 経済面に「秋田フォーラスのCD店 タワレコ2月閉店」が掲載。
地下1階の「タワーレコード秋田店」が2月26日で閉店し、「(フォーラがOPAになって)改装後も同じ場所で再開するかは未定」。1997年3月オープン、約500平方メートル、在庫数約6万点。
6・7階の「ジュンク堂書店秋田店」も「改装後の再開は未定としている。」。
オーパによれば、改装後のテナントについて「正式に概要を示すのは来年夏ごろとの見通し」。

【2017年2月22日追記】
2月22日付秋田魁新報 経済面「「フォーラス」26日閉館・10月下旬「オーパ」に/入居店舗 移転営業も」より。
現在のテナントは、工事中によそへ移転したりしなかったり、OPAオープン後も入るかどうかは決まっていたり未定だったり、という内容。
タワレコとジュンク堂は、揃って工事中の移転営業はせず、OPAに入るかどうかは未定とのこと。
ナガハマコーヒーは、まだ正式契約には至らないものの、OPAでも現在と同じ場所で再開する合意ができているとのこと。

【2017年3月7日追記】
3月7日付秋田魁新報 経済面に「ジュンク堂 営業再開へ 秋田オーパ」が掲載。
「再開の日時や売り場面積などはまだ決まっていない。」ながらOPAでもジュンク堂が存続することが明らかになった。
タワレコについては、「再開は未定」。

閉店後の様子
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回数券販売所 他

2016-11-01 23:56:38 | 秋田市営バス
バスの話題の続きなど。市営バスカテゴリーに設定していますが、市営バス関連の話題は、後半にて。

創業100周年記念「謝恩運賃 100円デイズ」で、ほぼ全路線が2日間100円均一になった羽後交通。
せっかくなので、1度だけ乗らせてもらった。乗ったのは、23日日曜日午後早い時間の、県立体育館前発秋田駅西口経由本荘行き急行。
車両は大型バス。座席が少なめの路線仕様。秋田駅より後のバス停で乗ったのだけど、座席は全部埋まって、通路に5~6人くらい立っていた。こんなに乗っている急行・秋田本荘線なんて見たことない!(実際には、悪天候で羽越本線が運休した時などはもっと混みそう)

日曜日だし、若者が多いかと思ったが、年齢層は高め。2人以上で連れ立って乗って、買い物した袋を持っている人が多いように感じた。長崎屋バスターミナルからも、同じような人たちが数人乗ってきた。
新屋より手前に住む高齢者なら、秋田市コインバス事業で100円で中央交通に乗れるから、このバスに乗る必要はない。おそらく、新屋より先、下浜、由利本荘市岩城、本荘市街まで帰る人たちだと思われる。
僕はすぐに降りたけれど、立ったまま岩城や本荘市街まで行った人もいたかもしれない。おつかれさまでした。
翌24日に見かけた限りでは、日曜よりは少ないものの、通路に立つ人もいて、やはり盛況。あのくらい乗っていれば、モトが取れないにしても、それなりの収入にはなったかもね。

羽後交通の車内には、整理券と対照する機械じかけの運賃表示器(液晶、LED、昔は行灯式の幕)はなく、運転席背後に「三角表」と呼ばれる運賃表が掲出される。
今回は、それを覆う形で100円均一の告知があった。子どもは場合によっては100円以下でいいこともあるのだし、僕のような日頃乗らない人が「いつもならいくらなんだろう?」と思った時は、その告知をめくり上げないと運賃を知ることができない。(でもその前に人が座っているから、遠慮してしまう)

運転士さんは、新たに乗った客がいる度に、肉声で100円均一の告知。「現金で100円」と明確に支払い方法に言及していたのはこれだけだった。(掲示物には支払い方法の記載がなく、回数券でも支払えるかと誤解される恐れがあった)


ほかに気づいたこと。
急行本荘線には、中央交通の長崎屋経由大川反車庫行き/発と重なる区間があり、そこでは「山王十字路」バス停を竿燈大通り側と新国道側の2回通る。
中央交通では、どちらでも乗降でき、おそらく車内放送もそれぞれ流れる。
羽後交通本荘線も、どちらにもバス停が設置されているので、やはりどちらでも乗降できるはず。しかし、車内放送は先に通る竿燈大通り側の前に1度流れただけだった。【27日訂正】勘違いしていた。この路線では、秋田駅へ立ち寄って逆戻りする経路であるため、竿燈大通りの山王十字路を1度の運行で2度通る。竿燈大通り側では、本荘発は秋田駅通過後(2度目)、秋田発は秋田駅通過前(最初)に通る時だけ乗降できることになるようだ。たぶん。したがって、どちらの山王十字路でも乗降できるものの、今回乗った区間では、新国道側でしか乗降できなかったようだ。流れた放送は、新国道側の分ということになる。たぶん。

その後は、長崎屋バスターミナルの中に入る。中央交通では「長崎屋バスターミナル」という名称だけど、羽後交通では「長崎屋前」という名称だった。「あの程度のもんでバスターミナルとは呼べない」という、羽後交通の気持ちが反映されているのだろうか。(だとすれば同意します)【12日補足】本荘発秋田行きでは、ターミナル内に入らず、路上のバス停で乗降を扱う。だから、それに逆側もそろえて「~前」ということのようだ。

車内設備。
機械の運賃表示器がない代わりにその位置(車内前方左上)には、3色LEDで次のバス停の名称を表示する装置が設置されていた。大きめの文字で1行表示。
平成初期頃に首都圏の均一運賃の路線バスに設置されていたものと同じだから、この車両の前の所有者が使っていたものを使い回しているのかもしれない。

運転士はどうやって運賃を確認するのかと思っていたら、シフトレバーの下辺りに、リングで束ねた紙(A5サイズ程度のやや厚手の色付き用紙)があった。
紙には、1枚につきバス停名が1つ書いてあって、そこまでの整理券番号ごとの運賃が記載された表。つまり、機械式の運賃表示器と同じ形式。
それを、バス停を通過するごとにめくっているのだった。100円均一の日でも、ちゃんとめくっていた。

羽後交通のバスに乗ったのは、おそらく5年以上ぶり。たまには乗りたい、というかほぼ並行する中央交通新屋線の本数が減る一方の昨今、これからは急行本荘線の利用を増やしていかないといけないことになるかもしれない。
羽後交通を身近に感じるきっかけになった、謝恩運賃だった。
【2019年7月20日追記】その後、何度か羽後交通本荘線に乗っているが、発車時のクラクションについて。本荘営業所の運転士の年配の人(何人なのかは知らない)で、バス停に停車して発車する際に、必ずクラクションを鳴らす人がいる。旅客自動車運送事業運輸規則では「発車の直前に安全の確認ができた場合を除き警音器を吹鳴すること」とされており、昔は鳴らす場合が多かったが、今(20世紀末以降?)は鳴らさないほうが多くなった。バス会社によっては、今も鳴らすよう指示しているかもしれない。羽後交通では人それぞれということになろう。
秋田市営バスでは、移管が始まる頃まで在籍していた年配の運転士の中に鳴らす人が何人かいて、始発点でだけ鳴らすようなこともあった。2005年頃、岩手県内のJRバス東北の高速バスでは、若い運転士が鳴らしていた。現在の秋田中央交通では、秋田市内では恒常的に鳴らす人は皆無ではないだろうか。(以上追記)


秋田魁新報では、謝恩運賃の記事の後にも、県南地域面で、100年を振り返る3回の連載や、記念式典の報道が掲載された。
連載には、鉄道路線があった当時のことや、バス関連では
・豪雪地帯であるためかつては冬期間はずっと運休していた路線が多くあり、その対策として自前で道路を除雪したこと。
・乗務員とガイドが研修し、貸切バスを連ねて、首都圏方面まで中学校の修学旅行を請け負ったこと。
などが興味深かった。

昔は、雪国でも道路除雪がほとんどされなかったようで、秋田市でも秋田市交通局が自前で除雪していたそうだ。それは、公営バス事業者だからできたことだと思っていたが、羽後交通もやっていたのか。
学校から目的地まですべてバスを使った修学旅行は、秋田市立の小学校では1980年前後までは行われていたようだ。それだと長い遠足みたいなもんで、鉄道に乗るような今までにない経験をするのが修学旅行のようにも思うけど、そういうもんか。

記念式典では、バス待合所の清掃などをしてくれている、沿線の個人や団体への表彰が行われたとのこと。
【2日追記】2日付地域面のコラム「地方点描」でも取り上げられた。写真と作文のコンクールも行われたそうで、作文では「メロディーバス」での通学、昭和40年代後半のフェリーでの北海道修学旅行、東日本大震災直後の高速バス運転士とのやり取りなどが入賞したとのこと。

さて、中央交通100周年では、どんなことになるでしょうか。



ここから、市営バス関連。
前回、秋田中央交通の「一日乗りほうだい券」のことも取り上げた。
コメントで、売っている場所が少ないというお話になった。個人的には、どこでなにを売っているのかの情報からして、市営バス時代と比べて分かりづらくなって不親切に感じている。

その後、公式ホームページを見ると、いちおう掲載されていた。メニューの「路線バス」>「営業案内」という分かりにくい場所。
その「券発売所」によれば、五城目営業所でも乗りほうだい券が発売されていた。今回の実証実験とは無関係にいつも売っているのだろうか? 男鹿営業所では扱っていないのは、まあ当然。

ホームページ掲載の「券発売所」は、自社の営業所・案内所のみで、定期券と高速バス乗車券の扱いについてのみ。回数券がどこで買えるかは掲載されていない。
市営バス時代は、委託した市中のお店などあちこちで購入できたはずだが、それらが今どうなっているのか、知ることができない。セット回数券はバスの車内でも買えるので、それでいいといえばいいのですが。

ここで、以前も取り上げた、1988年の市営バスの冊子時刻表。

その中に、回数券発売所の一覧があった。これとは別に、各営業所や木内など定期券発売所でも回数券を売っていたし、もしかしたら別に中央交通側で委託した販売所もあったのかもしれない。当時から、車内でも販売していた。

まず、公民館や地域センター、さらに秋田市文化会館など、秋田市役所の出先機関の多くで売られていたことに驚く。
地域に密着した市の施設で販売して、市民の足である市営バスをお得に利用してほしいという気持ちなのだろう。現金の扱いや在庫管理・補充などは大変そう。【2日追記】委託先には手数料を支払っていたかと思われるが、秋田市の施設に委託すれば、それが不要だとか、必要だとしても結局は市の収入になるので、金銭的負担が少なく済んだのかも。
「ダイエー(大町)」とは、正確には秋田ニューシティのサービスカウンターということでしょう。
「升屋(大町)」とは、仏壇の升谷(広告)ではなく、交通公社前バス停の前(今の大和ハウスの場所)にあった、呉服店。乗車客が多い主要バス停の真ん前だけに、呉服店には似つかわしくないけれど扱っていたのか。
「ミッキーマート(御野場)」はまったく知らなかった。御所野【4日訂正】御野場五丁目にある個人商店のようだ。


新たに、10年後・1998年10月1日現在の「市営バス乗車券発売所および取扱券種一覧表」も発見。パソコンで作ってオフィス用印刷機で印刷したようなもの。大判時刻表といっしょに配布されたのだろうか。

販売所ごとに、3000円のセット回数券やこども用のりほうだい券を含む券種別の扱いの有無、営業時間・定休日についてもまとめられていて、親切。販売所が堅苦しい正式名称で掲載されたり、左端に振られた番号がメチャクチャだったりするのはご愛嬌。

「この他にもあります」ともあるが、掲載分だけでも1988年よりも増えている。
駅ビルトピコ、御所野の中央シルバーエリア、ジャスコ御所野店など新しくできた施設。そして「サークル・ケイ(市内15店舗)」。
サークルKでは、定期券類と単券回数券(同じ金額の券片だけの11枚綴り)を扱わないだけで、子ども用などは扱っており、回数券発売所としては本格的だったようだ。


市営バスがなくなった今、回数券はどこで買えるのだろう。
トピコのサービスカウンターでは売っている。いただいたコメントではファミマで扱っている店舗があるとのことだったが…
今さら秋田市の各出先機関では買えなさそう。升屋は、現在は川反に入ったところに移転したけれど、そこでは?
ニューシティ閉鎖後は、向かいの秋田観光コンベンション協会のオフィスで売るようになったそうだけど、今も?
【2日追記】風前の灯のサークルKでは?

先日、イオン土崎港店のサービスカウンターに用事があった。
何気なく、ショーケースを見ると、色あせていたけど中央交通のセット回数券の見本が飾ってあった。ということで、
買えた!
(少なとも)1988年からジャスコ土崎港店で取り扱っているのが、今も脈々と受け継がれていた。セット券以外の取扱券種は不明(1998年当時はフルラインナップだったけど)。


秋田市役所内にあって回数券も売っていた「バスコーナー」は、新庁舎には引き継がれず廃止された。だったら、市役所内に新しくできたローソンで発売したらどうだろう。【3日追記】コメントによれば、市役所のローソンで、セット回数券のみだが売っているとのこと。
弘南バスでは、弘前大学生協や弘前学院大学(のどこ?)で回数券を売っていることがホームページに掲載されている。それにならって、秋田大学(附属病院売店では売っている?)や美術大学で売ったらどうだろう。
バスを利用する人が、少しでも利用しやすいよう、できることはまだまだあるはず。
【2日追記】他のバス会社と比べると、市営バス時代は販売所がとても多かったと思う。委託料も発生するし、今は高齢者は現金100円で乗れるので回数券の需要が減ったとも考えられ、あちこちで売る必要性は低いのかもしれない。(でも需要はあるのだし、売っているのならそのことを告知するべき)
【2日さらに追記】青森市営バスや八戸市営バスでは、委託販売所がかつての秋田市営バス並みかそれ以上に多数あり、ホームページで公開している。両事業者とも、個人商店や複数のコンビニチェーンで売るほか、青森市ではスーパーでも扱っている。

2022年にICカードAkiCAが導入され、紙の回数券は発売終了。委託販売所も役目を終えることになるはず。

市営バス関連はここまで。



秋田魁新報の別刷り女性向け情報紙「マリ・マリ」。
以前はJR駅の女性助役が掲載されたが、10月28日付vol.380では、中央交通臨海営業所の女性運転士が取り上げられた。
写真では、中型バスであるいすゞエルガミオの「819」が写っているのに、文中では「大型バス」となっているのは、とりあえずいいことにしましょう。

この方は、路線バスを運転して1年7か月。
高卒後、中央交通のバスガイドを5年して退社。37歳で大型2種免許を取得して、「別会社でプール送迎マイクロバスの運転、ジャンボタクシーの運転など10年勤務してから転じた」とのこと。
「別会社」というのは、中央交通系列の秋田中央トランスポートのこと? それともまったくの別会社ってこと?
バスガイド時代の上司の後押しもあり、亡くなった前社長も「おかえり」と声を掛けてくれたとのこと。
この辺は、「サタナビっ!」でやっていた羽後交通の女性運転士(こちらはガイドから間を置かずすぐ転身?)と似ている。


臨海営業所について。
「臨海営業所は、秋田駅から秋田市北部、五城目町までの124路線をバス75台、運転手97人で運行している」
→「秋田駅から秋田市北部、五城目町まで」だと、新屋方面など秋田市南部が含まれないが、そちらも臨海管轄ですよ。
2011年時点では、秋田市内を走る(秋田営業所と臨海営業所)中央交通の路線バスは181台だった。その後、少し減ったと思われるが、そんなもんか。

「(運転士の乗務は)3カ月で124路線を一巡します。」
→「124路線」とは、“路線”を経由や行き先違いで区分した124“系統”という意味かな。それはすなわち、系統番号の数と一致するはず。ところが、数えてみると、秋田市内には全部(秋田営業所+臨海営業所)で118系統前後しかないはず(当然路線数はもっと少ない)。おかしい。
往復で2系統とカウントしたのだろうか。とすれば、秋田営業所と二分してちょうど良さそうな数だけど…
→「3か月で一巡」だと、毎日きれいに順々にローテーションしているように受け取れるけど、そうなんだろうか。偏りというか、ローテーションが崩れることもありそう。

「遅番は午後3時50分のバスに乗車して、最終で営業所に着くのが午後11時10分。」
→最終は秋田駅西口22時20分発新国道経由飯島北行きか。飯島北着が22時52分。
ちなみに早朝は、臨海営業所発駅行き5時45分が、現在の中央交通では唯一の5時台に営業運転するバスのようだ。秋田営業所も含めて、郊外へ向かう回送では、同じ時間帯から何台も動いているでしょう。
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