広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

県道歩道側にもシール

2021-08-30 23:42:24 | 秋田のいろいろ
8月30日、秋田市内の県道28号の歩道で、自転車を停めて、1人で街路灯の柱に向かって何かしている人を見かけた。
後で見てみると…
照明柱
左側の白いシールを貼っていたようだ。

今年初め(昨年度末)、秋田県が、県道の道路照明の管理を民間業者へ委託したようで、不具合発見時の連絡先と照明1つ1つの管理番号を記したシールが、県道のすべての照明柱に貼られた
しかし、場所によって貼付位置がまちまちな上、車歩道の間に立つ照明柱では、その車道向きに貼られてしまったものが多かった。これでは、不具合を見つけたとしても、歩道からではシールの存在が分からないし、分かったとしても車道に身を乗り出さないと見ることができず、せっかくのシステムが機能しないと感じた。
それに、受託業者名とともに記される秋田県庁の出先機関名は「秋田地域振興局建設部」表記であり、工事看板と同様、「秋田県」の文字がなく、県管理であることが分かりづらかった。
※「秋田県地域振興局設置条例」第二条では、地域振興局の名称は「秋田県○○地域振興局」とされている。頭に県が付かない「○○地域振興局」は、略称もしくは間違いということになる。並べられる企業名は「株式会社」まで記しているのだから、県側も正式名称を書かないと釣り合わない。
(再掲)当初のシール
この2点について、秋田県へ指摘させてもらった。

今回作業していた人は、柱の歩道側にシールを貼っていた。車道向きのシールははがさずそのまま。
新しいシールは、「管理委託先:東京センチュリー株式会社」、「管理者:秋田県秋田地域振興局建設部」と、「秋田県」が付いた。
つまり、指摘を受けて、県と受託企業が対応してくれたことになる。
今回貼られたシール
新たなシールの作成費用、そしてまだ暑い中、自転車でおひとりで1本1本シールを貼る作業をされた方のことも考えると、申し訳ない。
だけど、これでやっと、不具合を見つけた人がシールに気付き、安全に通報できる、本来の形が確立された。

県道233号ではまだ車道向きだけ。今後貼ってくれるのでしょう。
このシールを読み取るのは危険

ちなみに新旧で、レイアウトのほかにフォントも代わった。当初からのシールは、字游工房「ヒラギノ角ゴシック体」。新しいシールはモリサワ「ゴシックMB101」。
どちらもモリサワと契約すれば使えるフォント。個人的にはモリサワの写植時代からの伝統ある角ゴシック体のほうが好きだけど、レイアウト的には数字が若干間延びしちゃったかな。

【8月30日追記】その後、県道26号、竿燈大通り~山王大通りでも、新たに貼られたのを確認。この区間は、当初から四角い柱の歩道向きに貼られていた。今回は、車道向きに新たに貼られた。歩道側よりも高い位置に貼っている感じ。
【9月2日追記】県道233号でも確認。歩道の民地側に立つため、最初から問題なく貼られていた照明では、以前のシールの上に重ねて新しいシールを貼っていた。※このほかの貼りかた例について、この記事中ほど。
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駅 バス検索/AI案内

2021-08-28 17:21:27 | 秋田のいろいろ
秋田駅東西自由通路の耐震工事の周辺から、前回に続きさらに話題。
中央改札口の真向かい、南側。
左が工事の仮壁、右は電子地図とNewDays
木質の壁が2か所くぼんでいる。左のくぼみは黒いドアがあってNewDaysのバックヤード。
右は狭くて何もない。ここにあったものが、最近姿を消した。
(再掲)青紫色の端末
なくなったのは、路線バスの時刻を検索する、タッチパネル端末。

ここのほか、自由通路の西口バス乗り場の上(小さい階段付近)と東口アルヴェ1階インフォメーションカウンターの横にもあったのが、3台とも撤去。
他の2か所は、くぼみなどなく、柱や壁際の床に置かれていたので、名残りはコンセントが残る程度。

この端末は、秋田中央交通などバス会社やバス協会ではなく、秋田市役所が設置・管理(管理は企業へ委託でしょう)していた。
所管していた都市整備部交通政策課のサイトには、7月5日更新で「秋田駅前バス案内サービスの運用を終了します」とのお知らせがひっそりと掲載(ページ番号1007511)。
「秋田駅前に設置してある秋田市バス案内システム情報端末3台について、設備の老朽化に伴い、令和3年7月31日(土曜日)をもってサービスの運用を終了いたします。平成20年度の運用開始から長きに渡ってご利用いただき、誠にありがとうございました。」
「秋田駅前バス案内サービス」の呼称は聞いたことがあったが、「秋田市バス案内システム(情報端末)」という名もあったのか。2008年だから13年間ほどの稼働。
現地にも、張り紙くらいあっていいと思いますが…


ないよりはあったほうがいいものだけど、総合的に考えると、なくなっても仕方ないでしょう。
そもそも、使う人はいなくはなかったが、多いとは言えない程度。
スマートフォンが普及し、Googleマップでもバスの時刻やルートを検索できるようになった。
一方で、バスは減便が進んで、駅に来た段階で時刻表を検索するような行き当たりばったりでは、長時間待たされるケースが増えた。事前に時刻表を把握して計画的に行動しないと、バスが利用しづらくなってしまった。
そして、やっぱり紙(冊子)の時刻表を見る人のほうが多い。
そんな感じで、検索端末の存在意義は低下したと思う。他都市でも類似の装置は、鹿児島市で見かけた(電源が落ちていて使えなかった)くらいで、あまりないはず。


時刻のデータは、中央交通から提供されていたのだろう。同社公式サイトの時刻表検索と、表示形式はほぼ同一。サイトで時刻検索ができるようになったのも、2008年頃と記憶するから、市の検索端末導入と関連はありそう。
しかし、両者の細かな操作性は異なるし、検索端末のみで表示データに不具合が生じたこともあったので、ネットでつながって連動しているような密接な関係ではなかったと思う。
2014年当時の時刻検索結果。系統番号や年末年始運休設定は導入前
公式サイトも端末も、基本的な操作性やデザインは、導入当初からずっと変わっていない。
そのため、「バス停名の頭文字を知らないと、バス停名で検索できない」という、大きな欠点は変わらず。例えば、「サンライフ秋田」の前にバス停があるのを知っていても、名称は「秋田市保健所・サンライフ秋田前」なので「あ」の項目にある。「さ」を探しては一生見つけられない。ただし、端末では、地図や施設名称から探すことは可能だった。

システム導入より後に始まった、系統番号や年末年始特別ダイヤ時運休便(□印)への対応は、専用欄がなく路線名に付記するという、後付け感あふれる方法(端末のほうはうろ覚え)。
年末年始のほか、お盆の土日ダイヤ適用日が年々拡大されてきたが、端末にはそうした告知・注意書きも出なかった(一部シール貼りはしていた)。

当初は、秋田駅西口と東口発の一般路線バスだけの検索だった。2014年頃にリニューアル(端末自体は同じはず)され、郊外のマイ・タウンバスに乗り継ぐ検索にも対応したが、いずれにしても駅から(駅まで)以外は対象外。


撤去された端末は、コンビニのマルチメディアステーションのような姿だが、検索して表示する以外の機能はなし。
メンテナンス風景を目撃したら、画面下の扉の中には、普通のデスクトップパソコンやマウス(とキーボードも?)が入っているだけだった。

画面の左上には、白で「MEDIASAURUS」のロゴ。
調べると、「TOTOKU」ブランドの「東京特殊電線」という企業の製品。いちおう「マルチメディア情報端末」という肩書き。本体は画面部分だけのようで、下部はラックのような別物扱い。
同社の情報機器事業は2013年にJCVケンウッドへ譲渡されていたので、今はJVCケンウッドのサイトに情報が載っているが、MEDIASAURUSシリーズは生産終了している模様。




上記の通り、駅でバス時刻検索できれば便利だけど、必要性は低いと考えるし、秋田市にも中央交通にも、後継を導入する余裕はないだろう。あるいは、紙の時刻表を一覧にして張り出したほうがいいかも。
でも、ちょっと期待を寄せたくなるものがある。中央改札口前の自由通路中央。
ナマハゲの隣の白い機械
「information」「駅構内や秋田駅周辺をご案内します。」と書いてある。

凸版印刷の多言語AIサイネージ「BotFriends Vision」。「BotFriends(ぼっとふれんず)」は凸版印刷の商標。「AIチャットボット」「AIデジタルアシスタント」という説明もされている。
実証実験と東北デスティネーションキャンペーンに合わせて、2021年4月から1年間の予定で、仙台、盛岡、新青森の各駅とともに設置。7月からは高輪ゲートウェイ駅、阪急電鉄・大阪梅田駅にも置かれているそうで、全国的にもまだ目新しいものらしい。東北に置いたのは「音声認識による方言の認識精度の検証も」するためだそう。
それが秋田駅では中央改札口内外とみどりの窓口内に、合計5台も置かれている。が、使っている人は1度しか見たことない。

タッチしなくても指差して作動する非接触パネルと音声認識で操作し、オペレーターにつなぐこともできるようだ。問い合わせ先はJR東日本商事。
「こんにちは!陸奥めぐです!」
秋田駅のものは、画面の背景がその自由通路の写真だけど、設置位置より西寄り・トピコ前から中央改札方向を移したもので、スタバが造られる前の古い写真。

「駅周辺をご案内します」なら、ひょっとしたら、これで路線バスの案内がされているのかも、と思っていじってみた。
非接触パネルは、ほんとに触れずに意図通りに選択され、スムーズな動作。券売機、ATMにも使えそう。
項目選択はパネルが使えても、地図を出して調べたい店の名前などを入力する時は、音声でしかできないようだ。せっかく非接触で使えても、マスクでもごもご/飛沫を飛ばしてしゃべらないとならないのはなんだかな、だし、人通りがある改札口前では恥ずかしい。画面上のソフトウェアキーボードもあればいいのに。

トップ画面に「駅構内案内」「乗換案内」「周辺地図」などがあるが、どこにもバス情報はなし。
表示されるたいていの情報は、JR東日本のホームページやGoogleマップで分かる内容だと思う。他の言語は分からないが、これではスマホで調べるのと大差ないと思う。

この端末に秋田駅からのバスの案内機能を組みこめば、駅に関する情報、鉄道からの二次交通の情報が充実するし、利用者が多いとは言えない端末の有効利用にもなる。
Googleマップでバス検索もできているのだから、それを内包するなど技術的には難しくなかろう。
JR東日本さんのお力があれば、自治体やバス会社の負担も少ないに違いない。いかがでしょうか。
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駅ステンドグラスの情報

2021-08-26 18:55:35 | 秋田のいろいろ
昨日の秋田駅東西自由通路東側の天井耐震工事の周辺の話題。
自由通路の天井には、等間隔に細長いステンドグラスがはめられており、季節や時間によっては通路の床や壁を柔らかな光で彩ることを、ずっと前に紹介した
すでに改修工事が終了し、天井の色が白から木目調に変わった中央改札口周辺でも、ステンドグラスは変わらず残っているので、東側でも来年以降は再び見られることだろう。※工事終了後(リンク先最後)。拭かれたのか若干きれいになった気がする。
中央改札前から東方向
これまで、ステンドグラスに関する情報が、現地にもネットにもどこにもないと思っていたが、中央改札口の少し東側・北辺の壁に、こんなものを発見。上の写真では見づらいが、地図の右側、窓との間に正方形の板が取り付けられている。
ステンドグラスの説明だ!
テーマ、意図、作者等、これまで知りたかったことが全部出ている。

以前の写真を見ても、同じ位置に表示板があるようだし、書体が写研「ゴナ」だから、日付の通り1997年の現駅舎完成時からあったのだろう。小さいとは言え、これまで気付かなかった。

テーマは「秋田・光の四季」。その説明は、
春・柔らかな陽射し、花々の響宴  夏・深く吸い込まれる緑、草の香り  秋・黄金色の大地、頭を垂れる稲穂  冬・音をのみ込む雪、直線的な空気
4色あるのは季節を表していたのか。

ここで僭越ながら、春の「響宴」という言葉について。
「花々の響宴」
「響く」の「響宴」という言葉は、国語辞典には出ていない。吹奏楽のイベントの名前にはある。
下が「音」でなく「食」の「饗宴」は「客をもてなすための宴会。(デジタル大辞泉)」の意味で存在する。
造語で「響宴」なのか、「饗宴」の誤植なのか。「花々のきょうえん」ならば「競演」とかの気もしなくもないし…

作者のステンドグラス作家・志田政人氏は存じ上げなかったが、1958年秋田市生まれ。
秋田高校卒業後、フランスでステンドグラスを学び、東京赤坂にアトリエを設立。2000年からは再びフランスにいるようだ。
国内外各地に作品があり、秋田県内では聖霊女子短期大学付属高校聖堂、秋田市立千秋美術館、秋田ふるさと村、秋田県立博物館などにあるとのこと。

駅のステンドグラス自体、知らない人が多い。その作者とともに、もっと知られてもいい。
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秋田駅自由通路 東口側工事

2021-08-25 20:41:56 | 秋田の季節・風景
秋田駅東西自由通路を4工区に分けて行われていた、天井耐震補強工事。※最初の記事直近は2020年末の2期工事完了

2021年度は3期工事としてトピコ付近から西側、2022年度に最後の東口側が行われると聞いていた。
しかし、今年春以降、東側で工事が進んでいる。3期と4期が入れ替わったということか。

そんなわけで、もう2か月以上経っているが、改札口を出て左・東口方向は、
恒例の白い仮壁・低い天井
2期までの現場と同じだが、こちらは元から店などがない一本道。
左右とも窓が塞がれたので閉塞感はあるかもしれないが、通る分には大差なし。中央部にも壁がほぼ続き、南北2本の通路が並行するような形で、北側のほうが通る人が少ない傾向。

一本道ではあるのだけど、北側の壁には、
等間隔にくぼみ?
鉄道のトンネルの中にある、作業員が列車をやり過ごす退避場所を連想してしまう。その正体は、
「消火用散水栓」
そういえば壁際の手すりは、仮壁にはない。

東端は、ガラスに突き当たって、エレベーターか右下の階段で地上へ、あるいは階段手前右の連絡通路でアルヴェ2階へつながる。連絡通路手前にはエスカレーターもあるが、地上からの上り専用。
その辺りは、工事によりごちゃごちゃとした。
ガラスが塞がれ太平山方向を眺望できないし、壁の張り出しが多く、通路が合流して複雑な形状で、人とぶつかったり、位置感覚が少し狂う人もいそう。
おなじみのシルエット入りミラーのほか、円形カーブミラーも設置
上の写真は左奥が改札口方向。封鎖されたくぼみは工事スペースへの出入り用、手前はエレベーター

説明図が出ていた。緑色の部分が仮壁や封鎖された場所。
赤文字を加筆
これまで数か月は上の図の通りだったのだが、最近変化。
アルヴェ通路から北方向。奥左が改札口
上の写真右の階段に足場が組まれ、少し狭くなった。そして、左のエスカレーターが封鎖され使えなくなった。
上の写真の真下の地上から
【9月2日追記】その後、9月2日までに、階段の両側と上部が、通路部分と同様の仮壁で覆われた。東側には手すりも設置。9月3日には階段西側の仮壁にも手すりが設置され、階段部は両側に手すり。上空には青い網が張られ、そうした暗さを補うため東側仮壁上部に蛍光灯も設置され、昼間も点灯。

8月23日~10月31日
東口側のエスカレーターはこれだけなので、利用者は少なくはなかった。ちょっと不便になるかな。
2階のエスカレーターを降りる部分は、板でふさがれていて、そこにも掲示。
地上の掲示と似ているが、微妙に違うのです
元から下りるエスカレーターはないのだから、2階に表示しなくてもいいような気もするけれど。
そして白い部分の言い回しが上と下で違う。地上では「秋田駅へは秋田駅東口階段又はエレベーターを」の部分が、2階では「普段ご利用の方は~」となっている。
上では「秋田駅へは」の部分は変えないとおかしくなるが、そこを「普段ご利用の方は」に変えてしまって、その意味が分からない。
存在しない下りエスカレーターを「普段ご利用する方」とはどなた? じゃあ「普段は利用しない人」=一見さんはどうすればいいのか、エレベーターや階段を使ってはいけないのか?


このほか、現時点では、ぽぽろーどアルヴェ連絡通路は、8月23日~9月23日までの平日夜間、10月1日~31日までの平日昼間、それぞれ通行止めになるとのこと。アルヴェ公共棟のサイト(https://www.alve.jp/)で告知されているので、東横イン宿泊者も含めて通るかたはご確認を。
工事終了後は、この記事最後にて。
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2021年夏の訃報

2021-08-24 23:47:01 | 昔のこと
2021年夏、著名な人が何人か亡くなった。
特別な思い入れがあるわけではないが、活躍されていたお姿が記憶に刻まれている方々。全国区で4名、秋田で1名をここに記録しておきます。一部敬称略。

●江田五月 政治家 7月28日 80歳没
1990年代、政治に多少興味を持つようになった頃、活躍が目立った。参議院議長や菅直人内閣で大臣も歴任、2016年引退。

自民党で今も現役の、ASO氏や2階氏と同世代だそうだけど、彼らのような傲慢さやふてぶてしさ、見ていて不快感はなく、むしろスマートで穏やかな印象。
立派な、というかこれが本来の政治家なのではないか。


●サトウサンペイ 漫画家 7月31日 91歳没
史上初のサラリーマンが主人公の4コマ漫画「フジ三太郎」を、1965年から1991年までの長期にわたり、朝日新聞に連載。

ほかに「ドタンバのマナー」という作品もあり、テレビアニメ化された。
1985年か1986年頃、秋田テレビ(AKT)で土曜の20時前に5分間放送していた。「ドタンバ」という男(前髪以外はフジ三太郎に酷似)が主人公で、生活上の気配りやエチケットが題材。
Wikipediaによれば、283話あり、フジテレビで1984年から1987年まで曜日・時間を変えながら放送したものの、全国ネットではなかった。サザエさんと同じエイケン制作。
フジで土曜19時55分枠だったのは1984年10月~1985年9月(この後10月開始の「ハイスクール奇面組」は20時00分まで枠が拡大)で、AKTで見たのはそこか。

さらに、70歳近い1990年代後半には、当時普及したパソコンに挑戦。
エッセイ扱いのようだが「パソコンの「パ」の字から」シリーズを執筆。元は「朝日パソコン」連載で、後に単行本化されたはず。
軽く読んだことがあるが、パソコンの基本から、インターネットまでひと通りこなして、分かりやすかった。最終的には、パソコンで漫画の描画にも挑んだようだ。

ところで、ここ最近は「ハイレゾ」として「ハイレゾリューションオーディオ」が少し注目されている。ハイレゾとは「高解像度」なこと。
その20年前の「~「パ」の字から」にも「ハイレゾ」が取り上げられていて、「ハイレグじゃないよ」と書いてあったのを記憶している。何を指すのかは記憶にないが…
当時は、「マルチメディア」がパソコンの宣伝文句の1つだった。やはり音のことを指すのか、あるいはNECのPC-9800シリーズに、画面の解像度を上げる「ハイレゾモード」があったそうで、そっちか。
あと「デバイス」は「出っ歯が椅子に座ってるんじゃないよ」もあった。「ディスクトップじゃなく、デスクトップで、2つの意味(ノートブックに対するパソコン本体の種類、OSの基本画面)がある」みたいな説明もされていた気がする。
当時はパソコン関連用語のほとんどが耳慣れないもので、必要以上に用語を覚えないといけない感覚があったのかもしれないが、分かりやすい説明だった。今はこういう本ってあるだろうか。
パソコンとは関係ないけれど、読者からの編集部への質問で「『(以前の連載に、料理の)レシピ』という語がありましたが、どういう意味ですか」というのも。時代を感じる。


●斎藤雅広 ピアニスト 8月8日 60歳没
新聞の訃報欄に、写真付きで出ていたのを見て、忘れかけていたのを思い出し、若くして亡くなったのに驚いた。
作曲編曲も手がけ、軽妙なトークというかオヤジギャクというかとともにテレビにも出演。

僕が存在を知ったのは、テレビ出演でも最初のほうに当たる、NHK教育テレビ(現・Eテレ)「トゥトゥアンサンブル」。1997年度~1999年度放送【25日追記・斎藤氏が出演したのは1998年度まで】。
この番組は、小学校3・4年生向け音楽科の学校放送番組。22年続いた3年生向け「ふえはうたう」の後継であり、どんなもんかと見た。

1994年度に終了して後継がなかった4年生向け「ゆかいなコンサート」の内容も扱うようになって、ふえはうたう時代よりリコーダーの扱いは少なくなった。最初の2年間はリコーダーを教えるのは専門の先生ではなかった(オカリナ奏者 本谷美加子、ケーナ奏者・俳優 田中健)。
そんな番組の全体の進行役が、斎藤さん扮する「キーボーズ」。紫の着物(作務衣?)など派手な衣装とパフォーマンスの一方、正装でピアノも演奏した。学校放送で存在感を放ったキャラクターの1人であった。

トゥトゥアンサンブル終了後、2000~2002年度は3年生向け「歌えリコーダー」になり、ふえはうたう時代に戻った形になったそうだ【25日追記・キーボーズが出なくなった1999年度から、その傾向はあったようだ】が、2003年度以降の後継番組はなし。2015年度には3~6年を対象とした「おんがくブラボー」というのが始まっている。


●笑福亭仁鶴 落語家 8月27日 84歳没
上方落語の重鎮、1960~1970年代にはラジオやテレビの司会で大人気、吉本興業への功績も大きいそうだ。
でも、僕は世代・地域的にNHK「バラエティー生活笑百科」の相談室長(司会)。
番組は1985年に始まり、最初は西川きよし氏が室長だったが、選挙出馬のため1年で降板して、仁鶴氏に交代したのだが、その記憶はない。※レギュラー化前は板東英二も務めたことがあったらしい。
だから、仁鶴氏といえば「土曜のお昼の人」。それが学校が半ドン(=午前中で終了)の頃は、1日半の休日の始まりの合図であった。
【2023年8月6日追記・1985年度は小学校の授業が4時間目まであり、帰宅時しても番組に間に合わなかった。幼かったことに加え、長期休み中以外は見る機会がなかったので、西川氏の記憶がないのだろう。1986年度からは(下校が遅いことが問題視されたのか)3時間目で終わるようになった。】

長らく続いたが、お歳のせいもあるのだろう、2016年には、桂南光 相談室長補佐を置くようになった。
2017年途中からは仁鶴室長が出演しなくなってしまっていた(桂南光はCEOに)。夫人を亡くした心労があったようだ。
今後は、「笑点」の桂歌丸“永世名誉司会”のように名誉室長のような形になるのか、桂南光CEOが昇格するのか。→生活笑百科の枠を使った追悼特番が放送され、「名誉室長」となることが発表された。オープニングの声も継続。

あとは毎年1月3日にNHKで放送する「初笑い東西寄席」の、なんばグランド花月中継担当も印象にある。2000年から2014年。



●山田 實 8月12日 100歳
8月23日付 秋田魁新報は、訃報欄ではなく、社会面の記事「軽妙な語り口で秋田の習俗紹介/山田實さん死去 100歳」として報道。
その肩書は「元ラジオパーソナリティー」だったが、詩やエッセイを書き、文化財保護に関わるなど多様。
うちの年寄りの話では、秋田市通町にあった、あるお店が生家とのこと。

1947年に秋田魁新報社入社、社会部記者、放送部長、製版部長などを歴任。→新聞社で「放送部」ってのは何? 時期的に秋田放送(ABS)はもう独立していただろうし。
魁を退職後は秋田放送などでキャスターとして活躍。1985年から2006年までエフエム秋田の番組「あきた歳時記あれこれ」で親しまれた。→FM秋田開局時からの番組か。


僕は15年ほど前だが、1度だけ講演を聴いたことがある。ご自宅は秋田市手形山で、1年間の手形山から日の出の位置を記録した話などされていた。
その前、山田氏の存在を知ったのが、1980年代後半、ABSで流れていたテレビCM。
秋田の冠婚葬祭の概要をまとめたような本の告知で、最後にABSの副調整室かラジオスタジオのような場所にいる山田氏が、「秋田では秋田のルールがございます。カンコンソーサイ ハンドブック」と秋田なまりと独特の抑揚で話すのが印象的だった。あと、これで「冠婚葬祭」の言葉を覚えた。
その後、第2段のようなCMもあったが、それはさほどインパクトがなかったような。


調べると、「秋田の冠婚葬祭ハンドブック : いざというとき役に立つ、マナー&エチケット」が1986年3月に出版されていた。編集・製作はアートシステム(秋田市の広告会社)、出版者が秋田放送。1380円(当時は消費税なし)。

CMの通り続編があって、1988年5月に「秋田の冠婚葬祭ハンドブック Part-2」、1994年8月に「秋田の冠婚葬祭ハンドブック Part3」が、同じ作者、出版元で発行されていた。
今は絶版のようだが、秋田市立図書館や3以外は秋田県立図書館に収蔵。

3冊出たからには、それだけ“秋田のルールがございます”のだろうか。いつか読んでみないと。
秋田では火葬後に葬儀をすることとか、あるいはお盆の飾り付け(今年も当ブログに多数アクセスをいただきました)なんかも載っていたのか。今の時代にもあるべき本かもしれない。
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からみでんぎんざ

2021-08-22 19:48:59 | 秋田の季節・風景
初夏に黒軸アジサイを見つけた、秋田市手形地区の旭川左岸、奥羽本線・第一新中島踏切から上流方向の堤防上の河川管理用通路。

旭川の奥羽本線から下流側は、江戸時代に付け替えられた川だそうで、直線で人工的(その後の護岸工事のせいもあるが)。
一方、線路の上流側では、カーブがあって、治水上はよくないのだと思うが岸辺に木が茂るなど、雰囲気が少し違う。堤防の外側は住宅が多く大差ない。
下流方向。中央奥の丘が千秋公園・北の丸

上流方向。こちらの奥の丘は天徳寺・平和公園

通路の川側に柵が設置されていて、それに緑と白っぽい看板が付けられていた。↑上写真中ほど。
白いほうは、市内でよく見る犬のフンのマナー啓発。横長の緑のものは…
「からみでん・ぎんざ通り」
段プラ/プラ段と呼ばれる、プラスチックの板に、油性ペンで手書き。「ぎ」と「ざ」で下の線のつながりが違うのが珍しい。柵に針金で固定されている。

「からみでん」とは、ここの町名「手形からみでん」。
昔記事にしたように、城の搦め手(からめて)に位置することにちなみ、ここにあった建物(後の如斯亭)を「唐見殿(からみでん)」と呼んだことが由来らしい。

「ぎんざ」とは「銀座」だろうけど、秋田市には通称を含めて銀座という地名も、銀が鋳造されたとかいう歴史もないはず。※秋田駅前にはかつて「金座街」という商店街はあって、今もビル名に残る。【2022年12月3日補足】公式な地名ではない。
フン看板と並んでいるところをみると、町内会や環境整備をされている地元の人が、遊び心で命名して設置したのでしょう。【23日追記・韻を踏んでいるようで踏んでいない、語呂の良さがあって楽しい。】

表示板は、昨年かそれ以前にここを通った時にもあったが、ここ1か所にしかなさそう。サイズも小さく、通っても気付かないかもしれない。
いい加減な面もあるGoogleマップならば、誰かがその名を登録していても不思議ではなさそうだけど、表記なし。
川沿いの奥羽本線踏切~如斯亭前の旭川橋の間が、手形からみでんの西端に当たる(対岸は泉馬場)。したがって、そこが、からみでん・ぎんざ通りの区間ととらえていいのかな。


東京(中央区)の銀座にあやかった○○銀座は全国各地にあるけれど、からみでんぎんざ通りもその1つにしていいのだろうか。
この付近の旭川沿いの通路は、(河川管理の秋田県としてはどう認識しているか知らないが【23日補足・楢山で人が転落した時「生活道路としての利用は想定しておらず」とコメントしていた】)歩行者自転車の通行は少なくないものの、さすがに銀座は名前負け?

手形からみでんの東端(手形田中との境界)は、秋田温泉線・仁別線のバス通りの市道(川と違って一直線)。昔はスーパーや銀行もあってちょっとした商店街だったが、今はケーキ屋とラーメン屋など数えるほど。
それでも人通りは川沿いよりは多いかな。いい勝負かな。こっちだとしても銀座を名乗るのは…
(再掲)北都銀行手形北支店があった頃

もっと表示を増やすとか、イベントは無理でも、植物をさらに充実させるとか、装飾するとかして歩いて楽しい道にすれば、からみでん・ぎんざ通りがおもしろくなるかもしれません。
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バス停表示板更新2021夏2

2021-08-19 23:17:13 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通のバス停表示板更新の続き。
8月始めに五丁目橋と泉の一部千秋地区の閑散路線の交換を取り上げたばかりだが、その直後に新たな更新を確認。

前に紹介した泉ハイタウン線の一部は、7月下旬頃に交換を確認。秋操近隣公園入口と泉北三丁目。※以下、以前の記事と重複する内容があります。
市営バス時代設置のナール書体の表示板で、2019年に臨海営業所が青い反射テープを貼っていたサビた支柱も交換された。
同じ条件なのに、隣の「泉南三丁目」は交換されていなかった。8月初めで未更新なのを確認済み。
右の白い四角も反射テープ

(再掲)上り側。支柱は全体がサビて茶色に

ところがお盆に通ると、上下とも更新されていた!



隣同様、支柱・時刻表枠も交換、台座は流用で銀スプレーごまかし。

これにより、泉ハイタウン線には、市営バス時代からの表示板はなくなった。泉で住居表示が実施された1999年設置と考えられるので、20年ちょっとで消滅。
この路線のほかのバス停では、中央交通移管直後に交換された、JTCウインR書体・独特なローマ字表記の表示板。色あせが見られるほか、支柱は市営バス時代からのようでやはりサビサビ。
泉南三丁目の隣の「千代田町」も、8月初めでは未更新だった。
(再掲)2009年頃撮影。近年は色あせていた
ここも同様に、
上下とも更新
ヘボン式・訓令式混在の「CHIYODAMATI」も、ついに「CHIYODAMACHI」に。

ところで、先日の五丁目橋や北高校前、さらに2018年7月に一連の表示板更新が始まった頃から、たまに違和感を感じる表示板があった。千代田町でも。
それは4文字のバス停名だけ、文字が横に引き伸ばした扁平な形(平体)になるらしいこと。
このフォント、スーラの「田」はわずかに縦方向に長いのが本来の形(正体)だが、千代田町では縦横がほぼ同じ比率になっている。おそらく横方向にわずかに105%=1.05倍とかの程度で伸ばしている。

泉南三丁目のような5文字以上だと、文字が縦長(長体)になるのは分かる。
しかし、通町など2~3文字のバス停では、長体にならず、そのままの正体。【20日追記・有楽町など見ると、3文字でも扁平かも?】
(再掲)おそらく無調整の正体
変形させずとも視認性に問題はないし、平体だとどこかかっこ悪いというか古くさいような印象もある。


では、さらに隣、「聖園短期大学前」。支柱サビはいくぶんマシだが、千代田町同様JTCウインR。最近は確認しないでしまっていて、行ってみると、
※正式な学校名は「聖園学園短期大学」、車内の液晶式運賃表示器では「聖園短大前」と表示。
同様に上下とも更新
下り側では、
板が曲がってしまっていた
交換早々、倒れて踏まれたのだろうか。このままで何十年も使われ続けそう。

この次となると、他路線とルートが重なる「通町二区」。
表示板はJTCウインRながら、支柱のサビは少ない。上り側は板が曲がっていながら、通町上り交換時には手つかずであった。今回も手つかず。

したがって、今回、泉ハイタウン線単独区間(+環状線も通る。後述)の連続する5停留所が交換された。
これまで交換例がなかった青反射テープ貼付の支柱も交換され、前回の千秋中島町片側に続いてJTCウインR表示板の交換にも着手したことになる。表示板は15年ほどで交換と、中央交通にしては短命。

しかしながら、5停留所の反対側の先、「泉ハイタウン団地前」と「泉北二丁目」はJTCウインRで未更新。
ハイタウンは支柱がきれいなので残ったのか。
一方向の環状運行になる区間のため、片側に1本しかない泉北二丁目は、
支柱サビサビで未更新
やはり謎の交換基準。
【20日追記】と思ったら、20日、泉北二丁目が更新されたのを確認!! ↑上の写真は最後の姿で、お盆明け=今週中に作業されたことになる。
他のバス停と同じ手法だが、台座の色塗りは丁寧・念入りになった。側面も含めてグレーで均一に塗られている。写真等は続きの記事にていずれ。なお、泉ハイタウン団地前は未更新。(以上追記)

そしてさらに。
泉ハイタウン線と秋田貨物駅入口・ハイタウン~泉南3の区間は同経路で、分岐して神田線・保戸野八丁へ至る泉八橋環状線。1つだけ路線単独のバス停「泉ななかまど通り」がある。
国鉄官舎前→JR社宅前から2001年4月1日に改称された。表示板は、その時の設置らしき(=市営バス末期)、透明シールにパソコン印字・丸ゴシック体・ローマ字入り。支柱はサビていた。1日1~2本の閑散バス停であり、ハイタウン線と違い秋田営業所管轄ではあるが、
同じく更新


泉ななかまど通りと保戸野八丁のバス停間隔が近い(交差点を曲がってすぐどうし)が、これはバス停設置当初と現在で、ルートが違ってしまったため。
当初は、今はなくなった県庁・千代田町経由神田線用のバス停だったので、八丁とはつながらず、次は桜町であった。千代田町経由における八丁に相当するバス停として、国鉄官舎前が設置されたのだと思う。その後、新川向経由泉山王環状線、そして泉八橋環状線が違う経路で使うようになって今に至る。現状ではバス停を廃止しても差し支えない【9月23日補足・運賃境界でもあるのだが、利用実態を踏まえれば、廃止して前のバス停までにしても問題かなろう】と思うのだが、交換して存続。


隣の保戸野八丁の透明シール(角ゴシック・ローマ字なし)表示板は未更新。そのほかにも、バス停名が判読できないような表示板もちらほら残っている。次はどこが交換されるか。
※上記追記の通り、この後、泉北二丁目が交換。また、8月中に神田線・添川線用のすわ町・下りも、JTCウインRから交換された模様。隣の原の町などはJTCウインRながら未交換。続きはこちらにて。
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サンライフの天気時計

2021-08-16 23:45:36 | 昔のこと
秋田市八橋運動公園の西隣、八橋南一丁目に、秋田市やそれに関係する福祉・保健分野の施設がまとまる一角がある。福祉エリアとか、まとめた名称があってもよさそうだが、なさそう。この点はまた後日。
1978年まで秋田市立秋田商業高等学校があった場所で、1980年代中頃に今のようになった。1997年の中核市化にともない、秋田市保健所が(当初は駐車場だった場所に?)追加で造られている。
なお、八橋南は2002年の住居表示実施でできた地名で、それ以前は「八橋字戌川原(いぬかわら)」だったはず。

前にバス停があって、その名は「サンライフ秋田・秋田市保健所前」【28日訂正】「秋田市保健所・サンライフ秋田前」。
その名の通り、よく分からない多くの機関・施設が集まる中で、サンライフと保健所がここにあることを知る市民は多いはずで、このエリアを代表する施設と言える。
なお、1988年の冊子時刻表によれば、保健所設置前のバス停は「サンライフ秋田・秋田市保健センター前」【28日訂正】「秋田市保健センター・サンライフ秋田前」だったらしいが記憶にない。
※したがって、この記事では、このエリア全体を指して「サンライフ」「サンライフ秋田」と表記することにします。


山王大通り「児童会館前」交差点から、市道を北・面影橋方向へ進み、この一角に差しかかる地点。
左側がサンライフ
ここに最近まであったある物が、いつの間にかなくなっていた。
植えこみに撤去した痕跡
Googleストリートビューによれば、2019年9月にはまだあって、2020年10月にはなくなっていた。

僕はここはほとんど通らない。2020年4月に通りかかって、こんなものがここにあったのかと、写真を撮影したのが、最後の記録になってしまった。
2020年4月
撤去されたものは、公園にあるような自立式の時計である。タワー状のてっぺんにセイコー製のアナログ電気時計が両面設置されているが、その下に、木の枝葉のように別のものがくっついてる。ただの時計じゃない。

反対面も同じ
葉に見立てたのか、5つの緑の箱があって、それぞれ、
「よくなるでしょう」「快方に向かいます」「下り坂に向かいます」「わるくなるでしょう」(ここまで4つにはランプが付いている)
「これからのお天気ガイド 約8~10時間語のお天気の傾向を予測いたします」
また、てっぺんには風見鶏も付いている。動くのかは不明だが、東西の方角表示は正しい向き。

この先の天気が表示される。と言っても、気象庁や気象会社の発表を受信して表示するようなものではない。気圧計が内蔵されていて、それに基づいて表示するような仕組みのはず。
「天気予報」というよりは「天気傾向予測」程度か。

同種の時計は現在でも、屋内用の掛け時計や置き時計として市販されている。
屋外用では、セイコー、シチズン、パナソニックの設備時計大手では、少なくとも現在はなさそう。
一方、「石川商事」という企業では、大手の設備時計をベースにしたモニュメントなどの「特殊時計」を作っていて、その1つに「温湿度計・天気予報」というのがあった。現在も、デジタル表示で天気予測する屋外用時計はあるようだ。

「お天気ガイド」で検索したら、サンライフとはまったく別デザインで同種のものが2つ見つかった。
北海道小樽市「サンモール一番街」には、アーケード天井から吊り下げで「8時間後の予報です」。
同じく北海道留萌市の「留萌駅前大通り」には、道路の中央分離帯に、サンライフよりコンパクトな自立式。時計はシチズン製。「約8時間後の天気予報」で、(実測していると思われる)温度表示も装備。
何時間後は異なるが、「お天気ガイド」名で天気傾向が4種、時計本体は複数メーカーであることからして、やはり時計本体とは別のメーカーが、3つとも手がけたのではないだろうか。


秋田のものは、2020年時点で、時計は動いていたが、天気表示はたしかどれも点灯(点滅?)していなかったと思う。
金属部分にはサビが出て、天気表示枠もボロっちくなっていて、危なっかしい状態。特に「よくなるでしょう」が穴が開いていてよくない。撤去もやむなし。

「サンライフ」は「中高年齢労働者福祉センター」が正式で、「テルサ(勤労者総合福祉センター)」などと同じく、雇用保険の福祉事業の一環の施設。
2007年に雇用促進住宅などとともに、雇用福祉事業が廃止。秋田の場合は財団法人秋田市勤労者福祉振興協会へ譲渡されて現在に至る。

この時計を設置管理していたのは、秋田市ではなく、サンライフ側だったのだろうか。
歩行者は多いとはいえず、利用者の多くは車で来るようなこの場所、しかもバス停からは見えない。現在なら、ただの時計でさえ、設置されないかもしれない。現に、撤去後代替の時計は未設置。
昭和末、バブル期に突入していた頃だからこそ、設置されたのではないだろうか。 

【10月6日追記】コメント欄でも触れたが、このタイプの時計は、秋田市内のほかのどこかにも設置されていたような記憶もあるが、定かではない。
もしかしてと思い出したのが、中通の公営駐車場の中央通り側。車の入口辺りに、歩道に向かって、高さは配置は違うが、表示部の作りはよく似たものがあったようなおぼろげな記憶があるようなないような…
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かもめの玉子パン

2021-08-14 22:34:06 | 各地お土産・食べ物
7月新発売の白石食品工業(シライシパン)の菓子パン。
かもめの玉子パン 341kcal
ともに岩手県の企業である、「さいとう製菓」との初コラボ商品で、「三陸銘菓 かもめの玉子」をイメージしたパン。報道によれば10月いっぱい販売。売り上げの一部は岩手県の東日本大震災の復興事業に寄付。
東北各県のほか例によって北関東辺りでもスーパーで売っているようだ。イオンではボーナスポイント15ポイント付くらしい。
日持ちは、一般的な菓子パンレベル。

ところで、モチーフになった、お菓子の「かもめの玉子」ってご存知でしょうか。
1951年に「鴎の玉子」として発売。リニューアルや1999年に「かもめの玉子」表記への変更を経ている。
黄身あんをカステラ生地で包んで卵型にして、ホワイトチョコでコーティングし、和紙っぽい紙で包んだお菓子。通常サイズとミニのほか、季節限定の味違い(2008年の記事)などもある。

岩手の隣、秋田県民ならば、現在は、かもめの玉子を知らない人のほうが少ないはず。昔はどうだったのだろう。
僕が初めて知ったのは、1989(平成元)年だった。
中学校の先生が、岩手旅行に行って買った話を聞いた(食べても見てもいない)。一瞬、本物のウミネコか何かの卵(カモメの卵)を、温泉卵みたいに食べさせるのかと、ぎょっとしたが、お菓子と聞いてへーと思った。
食べたのは、その数年後。その時点でたまに秋田でも入手できるようになっていた。1990年代のダイエー秋田店では、常時ではないが時々売っていたような気がする。
以降、たまにもらうなどして、秋田でも隣県のお菓子として親しみがある。ただし、季節限定品はなかなか手に入らない。
秋田ケーブルテレビでIBC岩手放送の再送信を行うようになってからは、テレビCMも見ることができるようになった(秋田の局では流れないはず)。

ちなみに、東北以外の人には東京土産「ごまたまご」のほうが有名かもしれない。2001年発売開始で、製造元の東京たまご本舗は、実はさいとう製菓の子会社。


そのパン版。
パッケージは、本物の箱の包装紙そのまんま。製造所固有記号は+WMでなく+WSだから、盛岡でなく仙台工場製。
つるんと真っ白
卵型でなく、あんパンみたいな形で、表面は本物同様の薄いホワイトチョコ=「ホワイトコーティング」。
中身
中に黄色いものが入っている。
包装の説明イラストには「黄味あん」と「カスタード」とある。
前者は「黄“身”あん」じゃないの? と思ったが、製菓業界では「黄味」表記も多いようだ。本件を報道する、朝日新聞と河北新報では「黄身あん」表記。

かもめの玉子を知らない人にとっては、「あんこ入りクリームパンのホワイトチョコがけ」かな。
あんパンにしてはなめらかクリーミーだし、クリームパンにしてはややもたっとしていて、独特な食感。
生地と中身のバランスが異なっているなど、本物と同一ではないものの、本物が連想される味で、再現性は低くないと感じた。

クリームとあんこが両方入ったパンは珍しいし、本物のかもめの玉子にはカスタードは入っていない。
7月2日付 朝日新聞デジタル「岩手の銘菓「かもめの玉子」が菓子パンに」によれば、シライシ側からさいとう製菓に提案して、シライシで開発を始めた当初は、あんこだけだった。さいとう製菓からカスタードを入れる助言をもらい、比率を研究したとのこと。
なるほど。あんこばかりだと、あんパンになっちゃうんだろうな。

かもめの玉子を意識して食べると、あん入りクリームパンじゃないかと思ってしまい、クリームとあんこのパンだと意識して食べるとかもめの玉子が割りこんで来てしまい、不思議な気分で食べた。それだけ上手くハイブリッド化されているということかな。

翌年2022年7月にも再発売された。包装は2021年と同じようだが、中身に差異があるのか詳細は不明。
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泉横切歩道橋 工事

2021-08-11 00:14:12 | 秋田の地理
前回の幸町交番前バス停(新国道モール)付近の新国道こと県道56号・土崎方向行き向きに、今、こんな看板が立っている。
「注意 高さ制限4M」
この先、泉・八橋(やばせ)にある歩道橋の工事をやっていて、高さが制限されていることの予告。
歩道橋をはさんで反対側、「操車場入口」交差点手前の山王方向行き向きにも、同じ看板がある。

だけど、この看板、どこか変じゃありません?
恒例の揚げ足取りで恐縮ですが。
右から声に出して読んでみましょう。

「泉横切歩道橋」、「いずみ おうだん」じゃない「よこぎり ほどうきょう」?

「横切歩道橋」という言葉は知らない。
工事中なのは「泉横断歩道橋」が正式名なので、「断」を「切」と間違えたと思われる。

なぜこう間違えたのか。原稿が手書きでうっかりか。
パソコンで漢字変換したとすれば、「横断」を変換できないわけがない。
何かの事情で「断」を単独で変換する必要があって、「せつだん(切断)」で確定後、「切」を消さなければならないのを、誤って「断」を削除してしまった、とかだろうか。
とすれば、自分もよく行っている方法なので、間違いを見つけて喜んでばかりではいられない。身に覚えがなくはなく(当ブログ内にもあるかも…)、ひとごとじゃない。気を付けないと。

何度も言っているが、担当者が間違えてしまったとしても、それをチェックする立場の人はいる。看板屋、工事業者の上司、発注した県庁側等々、担当者個人ではなく、そうした人の間違いでもあるのです。

これで伝わらないことはないだろうし、これっぽっちを修正して無駄遣いさせるのも忍びないので、ここにアップするだけにしておきます。
「歩道橋が道路を横切っている」のだから、「横切歩道橋」でも間違いではないと言えなくもない。「新しい言葉」にはなってしまうが。
【9月10日追記】この後、9月10日に通ると、「切」の上に「断」を貼って修正されていた。



以下、今回の歩道橋工事について。老朽化補修ということのようだ。
工事看板「横断歩道橋を直しております」
ここは「横断」。今年12月24日までの工期。

これも繰り返しになるが、秋田県庁の工事看板への苦言。
この看板では、「秋田県が発注した工事」であることが分からない。「秋田地域振興局」というものが、どこの役所なのか伝わらないし、ましてここは「新国道」という通称なので、そうした予備知識のない人は、国発注の工事と誤解するかもしれない。
そして、工事看板の「発注者」欄には「秋田県」の名を入れなければならないのだが、それがされていない。このことは、秋田県庁に対して確認済みであり、「(いつの間にか入れないのが慣例化していたが)今後は『県』を入れるようにする」との回答もいただいているのに、まだこのありさまである。県庁の回答は口先だけで、そうする気がないとしか思えない。
また、重要なお仕事をされて偉い立場なのだろうが、地方出先機関の一般職公務員に過ぎない地域振興局長の氏名まで看板に記載することにも、疑問を感じる。どうしても名前を出したければ「秋田県知事 佐竹敬久」だろう【この辺りについては下の補足参照】。知事名の看板もあるにはある(県警発注工事に多いかも)が、地域振興局長名の看板のほうが多い。そもそも統一されていないのがおかしい。※例えば秋田市の工事看板は、市長か上下水道事業管理者名義であり、(担当者連絡先以外で)一般職員の名が記載されたものは見たことがない。
非常に勝手な勘ぐりだが、工事関係者にとっては、知事などより現場の長のほうが大切で、そんな本心が現れたのか、あるいは忖度して大事なほうの名前を載せているのでは、とも考えてしまう。今春、北秋田地域振興局では、道路建設工事に関わる業者と県職員による官製談合が発覚(発生は前年)した。※本工事の発注者・施工者とは何ら関係はありません。
【11日補足】コメントで教えていただいたが、今回のような工事は、県本庁でなく地域振興局が発注しているので、知事名にはならないということのようだ。青森など他県や、国土交通省の工事でも、地域出先機関(国だと地方整備局)発注の工事は普通に行われている。
しかし、看板では、その組織名までの記載が一般的で、秋田県のように組織の長の氏名まで載せるのは異例だと思う。さらに、受注した企業側が社名だけ(社長等の氏名がない)というのも、釣り合いが取れていない。
また、「秋田県地域振興局設置条例」第二条において、地域振興局の名称は「秋田県秋田地域振興局」のように、頭に「秋田県」が付くものとされている。工事看板の表記は正式でなく略していることになる。
したがって、工事看板では、頭に「秋田県」を付ける、発注者の氏名はいらない(でなけれは、受注者の氏名を入れる)の2点は改善するべきだと考える。(以上追記)

北側から。奥が山王方向、左が泉・右が八橋
泉横断歩道橋は1973年に造られた。1974年まではここが国道7号だったそうなので、国(建設省)が造ったのか。
長さ23メートル、幅2.3メートル。幅は市街地でない歩道橋にしては広い。

現在は、八橋側から泉中学校への通学によく使われている。
設置当時は、泉中学校も泉小学校もなかったが、八橋小学校は歩道橋と同じ1973年開校。
1973年9月4日の秋田魁新報に「国道に待望の歩道橋/秋田市八橋小の通学児童/泉地区民の運動実る」があった(開校と同時でなく、少し遅れてできたようだ)。当時は八橋小学区であった泉地区から八橋小学校への通学のために造られたのだった。
おそらく、1979年の泉小開校でいったん役目がなくなって、1981年の泉中開校で逆方向の役目を担うようになったという経歴なのだろう。

一般に歩道橋は、道路上の本体部分と直角向きに階段が付く形状が多いと思う。
泉歩道橋は、両側とも、本体から続いてまっすぐな階段が続くのが特徴的(分岐して折れ曲がった狭い階段もある)。市道側にスペースがあったことと、新国道歩道からの横断よりも、両側の住宅地や学校方向の行き来に特化したのだろう。階段と八橋小の間も一直線。
【11日追記】さらに、横断する道路(新国道)に対して直角ではなく、交わる狭い道の角度に合わせて斜めになっているのも珍しい。
2019年末。歩道橋上からまっすぐな階段、泉地区と太平山を見渡す

現在は、上の写真のように八橋側の上部が箱で覆われ、両側の階段には足場が組まれているが、お休み中の模様。じゃあ、横断できるのか。
新国道の歩道を歩いて来て階段を渡ろうとすると、工事看板以外に歩行者向け看板などは目に入らない。
泉側の新国道向き階段
足場のすき間を抜けて、上がれそうにも見えるけど…

裏側の泉の市道側の一直線の階段は、
「立入禁止」
渡れないんじゃないか! 危うく渡りかけたよ。
「まわり道」矢印は左(山王)方向で、別の看板も。
「お知らせ」
8月1日から10月31日に渡れないので、泉小入口「八橋鯲沼町」交差点へ誘導している。100メートル強。
右(土崎)方向には、泉中入口の「八橋大畑」交差点があるが、250メートルほど。

通学と地元住民の利用がほとんどなので、通行止めは周知の事実で、これで大きな問題はないかもしれない。でも、突発的に渡る人もいなくはないだろうから、新国道向き階段にも通行止め表示するとか、両隣の交差点に「この先歩道橋渡れません」と予告があれば親切。

なお、車道(土崎→山王側のみ?)のほうは8月1日~17日の21時~翌5時、車線減少になるとの看板も出ている。

※横切歩道橋看板のその後と、工事看板の別の例について続きます

【2022年6月19日追記・翌年度の別工事について】この工事は予定通り終了。翌2022年には塗装工事が行われ、再び封鎖された。5月16日から10月31日までとなっている。今度は歩道橋全体を板ですっぽり覆っている。
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元点滅バス停の一点物

2021-08-08 23:56:23 | 秋田市営バス
1年前、秋田市営バス(秋田市交通局)の1つしかないバス停ポールを紹介した。その続き。
県立体育館前割山町は、当初から“一点物”だった。今回紹介するのは、後の改造で一点物になったもの。

新国道(と通称される秋田県道56号)、下りで秋田中央郵便局前の次。
「幸町交番前」
バス停は、「いとく」をメインとする「新国道モール」の前に位置する。秋田中央警察署 幸町交番は、その新国道モール南辺の狭い市道に面し、モールに食いこむような立地。

幸町交番前下りバス停は、台座のある可動式ではなく、路面に埋めこまれたポール。支柱と枠が一体化した金属製。このポールは、秋田市内にそこそこあるが、幸町交番前下りだけバス名称部分が違う。
市町村会館前・下り
バス停名部分が板ではなく、厚みのある黒い箱なのが本来の姿。箱のサイズは、横32.3センチ×縦24.5センチ×奥行き13.5センチといったところ。文字は白いナール(市営バス時代は事業者名も)、事業者名とバス停名の間に赤い線。反対面も同じ。

交通局が1990年代中頃にまとめて設置したと記憶する。過去の記事で「1994年度頃」と自分で書いているが、それだと2代目バスロケと同年になってしまうはず。2代目バスロケよりは若干後だった気がする。
バスロケーションシステム(接近表示)にするほどでもなく、蛍光灯を内蔵した電照式にするほどでもないが、そこそこ乗車があるバス停に設置された感じ。中心市街地にはないはず【2022年1月15日訂正・明田地下道入口(下り)があった】で、新国道や市立病院西口(上り)、川尻十字路(上り・撤去済み)、山王交番前(上下とも)など。埋めこみだから歩道など広い環境でないと設置できない。
(再掲)市民生協前(折り返し待機場、正しくは市民生協入口)

(再掲)中央郵便局前・上り
上の2つの写真のバス停名部分には、文字のライン上に小さな点が並んでいる。赤色のLED。
移管で秋田中央交通とされた部分は、かつては「市営バス」で同様にそこにも埋めこまれていた。
そんなわけで、夜になると、
(再掲)2002年夜の山王二丁目・上り(後に撤去)、市章は光らない
点滅していた。※点灯ではなく点滅。
当時は白色LEDはまだなくやむを得ないが、赤点滅では「電照式」とするには物足りない明るさ。バス停の存在を知らせる効果程度だったはず。
そして、現状では、どれも点滅しなくなってしまった。

今まで意識しないでしまっていた。LEDの電力はどこから来るのか。地中に配線があるのか?
中央郵便局前上りを上から拝見すると、
箱の天面にソーラーパネルが!
↑この面左隅には、コードをつなげるかもしれない端子のような穴があるが、何もつながっていない。中央はネジ。反対向きでは、
端子がなく「KYOCERA」
京セラのソーラーパネル(太陽電池)があった。
調べてもよく分からなかったが、バス停全体が京セラ製というわけではないかもしれない。
2000年に設置される県立体育館前もソーラーだが、それと比べると、パネルが目立たず洗練されたデザインだ。消費電力が少ないこともあるだろうか。

市営バス時代設置の蛍光灯電照式バス停も、移管後いつの間にかどれも点灯しなくなってしまった(買物広場だけは常夜灯みたいなのがぼーっと光るけど)。それらは意図的に電線を切ったのか、電力契約を解約したのだと思う。
ソーラーでは、あえて線を切る意味はないだろうから、バッテリーが劣化してしまったのか。

市町村会館前にはLED粒がない
市町村会館前は、1998年に「自治会館前」から改称されたとのこと。
ということは、新規設置からわずか数年で改称され、光らない板を上張りされてしまったのだろう。「市町村会館前」もナールなので、ぱっと見分からない。

また、社名の上張りの下に緑色が少し見えている。
移管直後は緑色シールで対応し、後からその上に黒地を貼ったようだ。移管途中で2者が一時的に共用していたバス停では、この緑シールがよく使われたが、ここは新屋西線だけなのでいちどに移管したはずなのに、社名は2度貼っている。

山王交番前も粒がない。これは「酒造センター前」で設置され、2006年頃に「八橋南一丁目」、2010年秋頃に「山王交番前」と変遷。



幸町交番前に戻ります。
箱状表示を取り外して金属板を付けたので、一点物になった。
箱を取り付けていた金具を撤去して、ハンダ付けみたいなので金属板を付け直した痕跡がある。
ローマ字なし、フォントはスーラ
形も色も、激減した共用タイプのバス停表示板に酷似している。サイズや上辺のカーブは異なり、こちらのほうが縦長か。
(再掲)市営・中央交通共用表示板

幸町交番前は、以前は「いすゞ前」という名前だった。新国道モールの場所に、秋田いすゞ自動車があった。埋めこみポール設置時はまだいすゞ。
では、その改称に伴って、箱に上張りせず、撤去交換したのか? と予想したが違う。なぜなら、表示板の下に透けている文字を見ると、
「いすゞ前」
「幸町交番前」と書かれた下には、太めの丸ゴシック体で「いすゞ前」、ローマ字なし。事業者名部分は、
今の中央交通の文字も消えてますが…
以前の「秋田中央交通」の上に、少し小さく「秋田市交通局」とある。市章・社章はなさそう。
「市営バス」ではなく、「秋田市交通局」と表示されるバス停は、ほかには知らない。

となると、まだいすゞ前だった時点、かつ市営バス時代のうちに交換されている。時系列でまとめると、
・2001年4月 新港線、新国道経由サンパーク線が中央交通へ移管。
たしかこの後も、千代田町経由神田線はここを通っていたはずで、だとすればそれが唯一の市営バス。=千代田町経由と言いながら、末期は千代田町は経由していなかった。
・2005年4月 千代田町経由神田線が移管。
・2006年4月 秋田市交通局閉局
・2006年4月 秋田いすゞが寺内へ移転(ちなみに工場は1958年から、本社は1961年からここにあった)
・2008年6月 新国道モール開店
ということは、2005年春より前に、板に交換されたのか? 車がぶつかるとかして、表示部分が壊れたのだろうか。
【9日追記】移管途中段階辺りの交換、他にない仕様であることを踏まえれば、中央交通側で作った表示板かもしれない。市章を使うのをためらったり、表示板作成の経験が少なくて、こうなったのかと考えたり…

ここで、このポールの「向き」に注目。
バスの進行方向と平行になってしまっている。これでは点滅したとしても、歩行者も運転士も気付きにくい。上の中央郵便局前も平行だが、撤去前の山王二丁目やその他各所では進行方向(とその裏)に向いていた。
この道路は、21世紀に入ってから、電線地中化・ロードヒーティング設置工事がされている。
その工事の時に、配慮がなくて向きが変えられてしまった可能性もある。幸町交番前の金属板交換も、工事が関係する可能性もあるかもしれない。


ところで、この向かいの上り側。
今はダルマ型で、移管後に設置されたもの。その前は、上りもLED点滅埋めこみ式だったが、撤去されている。こちら側も同様の道路工事が行われていたが…

Googleストリートビューでさかのぼると、2015年夏では今と同じ。その前2012年10、11月では、
これだった!(赤枠は違うアングルから合成)
工事は終わった状態で、埋めこみ式が直角向き。
不鮮明だが表示は、板だが、下り側とはまた違うもの。

上辺も平らな正方形に近い四角形で、ダルマ型円形表示板(いわゆる市営バスタイプ)と同じ3色塗り分け。社章は社名の上ではなく前。バス停名は細い文字でローマ字があるようだ。下り側よりは新しそうかな。
上り側も、壊されたのか、もしくは歩道が狭くなっている部分だからジャマだとかで撤去交換されたのか。


何度か触れているように、幸町交番は近いうちに泉外旭川駅前(泉側)へ移転する。更地は確保されているが未着工。
そうなれば、このバス停名を再び変える必要がある。
中央交通では、原則として今は施設名を新たなバス停名に使わない方針にしているそうだけど、「千代田町」「高陽幸町」等周辺の地名は他路線のバス停で使っている(別に重複しても構わないとも思うが)。「新川向」だと1つ隣の交差点だし…
その時、一点物表示板はどうなるか。【10日追記・支柱の途中付近に衝突されたのか、わずかに傾いているのも気になる。】
【2022年8月31日追記】幸町交番前バス停は、2022年10月から「高陽幸町交差点前」となることになった。変更後の状況
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トラペンアップの思い出

2021-08-06 19:30:02 | 昔のこと
先日のOHPの続き、「トラペンアップ」のこと。
本題の前に【「投影」と「投映」について】
前回の記事では、プロジェクターの画像をスクリーンに映し出すことを「投“影”」と表記した。「投影」が最初に変換されたし、それしか思い浮かばなかった。その後、OHPメーカーのホームページに「投“映”」表記があり、そちらのほうが適切かもと思って、調べてみた。
毎日新聞 校閲センターのサイト「毎日ことば」で、2020年6月19日に「映す場合でも「投影」が多数派(https://mainichi-kotoba.jp/enq-249)」がアップされていた。
まとめると、「投映」は1960年代以降に出てきた言葉であり、スクリーンに映すのが「投影」でも間違いでない。現在は「投影」が多数派だが、使い分ける新聞社も出てきている。といったところ。今回の記事も引用部分以外は「投影」とします。


本題。
前回、OHPに投影する原稿であるシート・フイルムのことを、「transparent(=透明な)」から「トラペンシート」「トラペン」「トラペ」などと呼ぶこともあったとした。「TP」と呼ぶ場合もあったらしい。僕はそうした呼び名に触れたことはこれまでなかった。

今回の「トラペンアップ」は、シートのことではなく、機器の名称で商品名。
OHPを知っていても、トラペンアップを知らない人はとても多いはず。ネット上では昔の思い出として、主に学校でトラペンアップを使ったような話はいくらかある程度。

僕がトラペンアップに接したのは1度だけ。1985年度、小学校3年生の時。
学級担任は、当時40歳前後の女性。教材研究に熱心だったようだ。
教室のOHPのそばに、ある時から、黒くて、平べったいボディの機械が置かれた。天面にちょうつがいがあって開く、後のフラッドヘッドスキャナ(もしくは複合機など小型コピー機)のような姿。
そばには細長い紙箱も。用途は見当がつかなかった。

なかなか使わなかったが、ある理科の時間。OHPとともに、その機械を使う時が来た。その時初めて、先生が「トラペンアップ」と口にしたと思う。
その授業では、児童各自にノートをまとめさせ、机間を回って何人かのノートを選び出した。
細長い紙箱の中には、筒に巻かれた透明なビニールっぽいもの。箱には刃も付いていた。つまり食品包装用ラップフィルムみたいなので、それを少し大きくした感じ。
その透明なのをラップのごとく切り取って、(以下の手順はうろ覚え)ノートとともにトラペンアップの蓋を開いてはさむと、ピカッと光って、透明なものにノートの内容が転写された!
それをOHPのステージに載せると、ノートと同じものがそのまま投影された。
トラペンアップとは「紙の原稿から、OHPシートを作成する装置」なのだった。


先生は僕のノートも取り上げてくださり、紹介してくれた。
そして、投影が終わったシートをくれた! 紹介してくれたこともうれしかったが、もらえたのもうれしかった。
そのこともあって「トラペンアップ」の意味不明な独特な響きが、記憶に刻まれた。

当時も意外に感じたのが、ラップ式シートの材質と印刷の色。【最後に写真があります】
一般的なカット済みOHPシートは、ぺらぺらした硬いもので、折りづらいが折ると折り目が付いてしまう。
ロールのシートは、ふにゃっとした柔らかい材質だった。食品包装ラップよりは厚く、引っ張っても伸びたり裂けたりはしにくい。
インクのようなものがあったかは忘れたが、転写された色は、銀色に見えた。投影すると黒く映ったので、光を通さないインク(?)だったことになる。


その先生には次年度まで2年間お世話になったのだが、その後、トラペンアップを使った記憶はない。機械もいつの間にか教室からなくなった。
学校の備品を長期間教室に独占するとは考えにくいから、もしかしたら先生の私物(ご夫婦で小学校教員だったから共有してたかも)だったのか。


以上の思い出を基に、ネットで調べた。
トラペンアップは上記の通り、特定メーカーの商品名。「トラペン(=OHPシート)をアップ」する機械という意味なのだろう。

製造販売元は「理想科学工業」。
前回、OHPのプロジェクターのメーカーの1つに挙げた。公式サイトによれば、OHPもトラペンアップも1972年5月に発売開始。トラペンアップは「OHP用フィルム製版機」としている。
企業名のなじみは薄いかもしれないが、世代によっては知らない人はいないであろう家庭用印刷機(主に年賀状用、1977~2008年頃)「プリントゴッコ」、今は「リソグラフ」などオフィス用印刷機(コピー機ではない)のメーカー。

※印刷技術については詳しくないし、実はプリントゴッコを使ったこともないので、ネットの受け売りです。
リソグラフもトラペンアップもプリントゴッコも、「孔版印刷(シルクスクリーン)」の原理を使っている。
ネットには、トラペンアップでプリントゴッコの代用ができるとか、一部部品や消耗品を共用できるとかいう話もあった。
孔版印刷は紙以外にも印刷できるそうだから、普及しつつあるOHPに目を付けて、トラペンアップを製品化したのだろうか。【7日補足・2021年時点のリソグラフやリコーの同種オフィス用印刷機では、紙類のみ印刷可能とされている。】

1972年の初代トラペンアップの型番は「TU-230」。その後「TU-250」「TU-265」も存在したようだ。
ネットに画像はとても少ないが、オレンジ色がかった赤い蓋の写真はあった(プリントゴッコの古い機種も同じ色だったようだ)。担任の先生が使っていたのとは違いそう。


「TPロール」「トラペンロール」という言葉も見かけた。ネットに1つだけ箱の写真があり、RISOロゴと「トラペンアップ専用OHP投映用フィルム」とあった。箱のデザインの記憶はないが、あのラップ式のフイルムだ。
孔版印刷は何にでも印刷できるというからには、通常の硬いカット済みシートにも印刷できそうなものだが、何か制約があったのか、それともロールのほうが安価だったのか。


ネットで見つかる役所や学校の資料では、競合商品がないためか、商品名の「トラペンアップ」をそのまま記載することも多かったようだ。
秋田県大館市立有浦小学校は、1971年末に火災で全焼。その見舞いの金品が寄せられたことが、1977年2月1日の「広報おおだてNo.235」で紹介されていた。その1つに、市内の教材会社から「トラペンアップ一式(135,000円相当)」を贈られていた。

一方、1978年11月15日愛知県「岡崎市AVL(岡崎市視聴覚ライブラリー)」発行「月報視聴覚教育NO47」には、「TP作成機、市内1/3の学校に設置」として、市立小中学校に「TP作成機(ゼノファックス180型)」が3年計画で導入されることを紹介。
「この機器は、従来から普及しているトラペンアップの最高級機にあたるもの」「単色カラーシートを使えば」「コピーなどもでき」とある。
印刷機と兼用するものを導入したのか。
プリントゴッコも版を分けてカラー印刷できたとかいうから、OHPもカラー化できたということか? でもインクが光を通さないと、OHPではカラーにならない。よく分からない。

さらに1980年12月1日の同NO68では、ゼノファックスを「教室に持ち込み」授業で使った事例が報告されている。ゼノファックスとは、今のリソグラフの前身かと思ったが、小ぶりな機械だったのだろうか。


前回のコメント欄で話が出たが、OHPの欠点の1つは、シートの修正が困難なこと。【7日補足・あとは細かいグラフなどを投影したい時、シートに直接書くと、ツルツル滑って描きづらかったり、インクが乾かなかったり、難儀することも欠点か。】
書き上げた紙を転写すれば、特にシートに直接手書きしてうっかり字を間違えるような不安はなくなる。でも、それは(前回の通り平成初期頃以降は)コピー機でもできる。
両者のランニングコストは分からないが、OHPにしか使えないトラペンアップは導入費用や置き場所では不利だろう。
コピー機よりトラペンアップのほうが優れているのは、大きくない機械なので、電源がある場所ならどこでも持ち運べ、紙に書いたその場で転写して、その場でOHPに載せて投影することが可能。
だから、経験したように教室で書かせたものをすぐに見せられ、授業の“ライブ感”が出るので、学校現場で好まれたのではないだろうか。
そんなことも、今では、書画カメラや、最初からパソコンで作成して大画面に出力できてしまうが。個人的には、その場でなく、先生がじっくり選んでくれて、紙に印刷して配ってじっくり見て参考にするというようなことも悪くなく、そもそもライブ感がそんなに必要なのかとも思う。

宮崎県高崎町立(現・都城市立)高崎小学校では、1992(平成4)年度の卒業記念品としてトラペンアップが贈られており、平成初期にはまだ販売されている。
全国的にいつ頃まで使われていたかは分からないが、OHPといっしょか少し先に、その役目を終えたのだろう。


ネットで、とても珍しいトラペンアップの学校教育での使用法を見つけた。
公益財団法人 東レ科学振興会「東レ理科教育賞(https://www.toray-sf.or.jp/awards/education/winners.html)」の1988年度受賞作に「TPシートを用いたプレパラートの作製と活用」があった。当時の埼玉県浦和市立教育研究所の指導主事の研究。
ガラスを使わず安価で扱いやすい、中学校理科で使うプレパラートをトラペンアップで作るというもの。


最後に、36年前に作ってもらったトラペンロール。今も保存している。
広げるのは何年ぶりだろう。

経年で黄ばんでしまった。折って保管していたので、その折り目が付いたほか、細かい傷もある。
上のヘタクソな黒い文字は、もらった後に油性ペンで書いたもの。もらったうれしさと、「トラペンアップ」の語を忘れるのが惜しくて書いた。どうせなら日付も書けばいいのに…

油性ペン文字の下が、トラペンアップの印刷だが、上の写真ではほぼ見えない。上記の通り銀色っぽい印字で、36年前より薄れてしまったような気がしなくもないが、さほどでないかもしれない。
手で触った程度で剥離するような状態でなく、しっかりくっついている。指先で触ると若干凹凸があって、裏面に鏡像で印刷されているのかな?

原稿となったノートは、ジャポニカ学習帳のたぐいでなく、教科書の内容に連動した「理科学習ノート」みたいなワークブック的なもの(副教材として買わされていた)。その枠線だけ印刷されたフリーページに書いたようだ。
うっすらと縦長長方形の枠が見えると思うが、それがほぼノート1ページ(B5判)のサイズ。

「日なたと日かげ」みたいな単元で、校庭と中庭で温度を計測したことをまとめている。中身は大したことないし、我ながら字がとても汚い。
と思いながら見ていたら、思い出した。先生が選んでくれた時「字の濃さがいいね」みたいなことをおっしゃった。前後で、ノートの字がくっきりと転写・投影されないことを悩んでいた(トラペンアップを調整していた?)ような気もした。選出理由は中身じゃなく筆圧か…

シート(トラペンロール)を細かく見てみる。
厚さ、柔らかさ

刃による切れ目

シートの下に白い紙を置いて、上から直射日光を当てた状況

同上拡大

OHPステージを想定して、下からLEDライトを照射
↑36年前とあまり変わらず、銀色に見える。

OHP投影を想定して、正面からライトを当て、少し離れた白い紙に投影すると、

油性ペンの文字さえ薄く映ってしまった。それを踏まえて比較すれば、トラペンアップの文字でも充分判読できる濃度だと思う。
だけど、本当にOHP投影を目的として紙原稿を作るのなら、普通よりは少し太めの筆記具で書いたほうが見やすかったのかもしれない。

以上、昭和末期のOHPとトラペンアップの思い出でした。
シートといっしょに、教科書に関する資料も出てきたので、いずれまた
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幡ヶ谷団子秋田で販売/ホリデーパスは?

2021-08-04 21:03:39 | 各地お土産・食べ物
7月9日に、秋田駅改札口外の「NewDays秋田中央口」で、柴又帝釈天「高木屋老舗」の草だんごが、ひっそりと限定販売されていて、買いそこねた。

8月4日に通ると…
また何か出てる!
違う団子が8月6日に発売。
前回より少々控えめ(下段右のお茶の海老蔵さんが隠れていない)だが、共通デザインの横断幕で、またも「秋田初出品」「秋田初上陸!」。金曜日、16時08分着「こまち23号」で輸送するのも同じ。
中段の小さいPOPは駅弁です
短い串団子にゴマをまぶしたような見た目で、「渋谷 幡ヶ谷 ふるや古賀音庵「古賀音だんご」黒胡麻和三盆」とある。古賀音は「こがね」か。
和菓子屋さんの看板商品で、テレビでも紹介されているようだが、恥ずかしながら知らなかった。幡ヶ谷は鉄道では京王線だそうだが、エキュート品川や東京駅でも売っている。
だんごはほかに、みたらし、大納言も通年販売、レモンなど季節限定品もあるが、秋田輸送は黒胡麻和三盆だけなのか。

秋田での販売は(カゴに隠れているが)おそらく税込み972円。とすれば現地での1箱5本入りと同価格。この点はありがたい。消費期限当日限り。

今回はお店の公式サイトに「JR秋田駅ニューデイズ秋田中央口店「古賀音だんご」限定販売します!」と掲載された。公式サイトを見て、秋田駅に買いに行こうと思う人はまずいないだろうけど。
相変わらず、JR東日本やJR東日本クロスステーション リテールカンパニーのサイトには告知なし。先月、買いそこねたから告知を工夫してと、要望したのに…

秋田では、八郎潟町に著名な「あんごま餅(こしあんとゴマ、串団子ではない)」があって、秋田市内でも時々売られる。たけや製パンも類似品を出している。それらが好きな人が知ったら、欲しがるかもしれないのに。
僕はゴマだんごはさほど好きじゃないし、柴又の草だんごを買いそこねたショックでふてくされて(秋田弁で「じゃける」ってやつ?)、何よりも金曜は(も)猛暑になりそうで駅方面へ行く予定がないので、今回は遠慮します。

この2回を踏まえれば、月の前半の金曜日に団子を運んで売るってことだろうか? 次は9月3日? 10日? そしてどこの商品?
【追記】
・9月17日には、柴又の草だんごを「やまびこ59号」輸送で盛岡駅(北口23号店、15時半頃から)で270個販売。JR東日本本社サイトに13日付でリリース掲載。秋田でやってよ!
・9月24日には秋田での第3弾が、またも店頭以外告知なしで実施。この記事後半。




JR東日本秋田支社の特別企画乗車券について。
周辺他支社では、エリア内や県内全域乗り放題の1日フリー乗車券がほぼ通年発売されているが、秋田支社にはなかった(五能線周辺では「五能線フリーパス」あり)。
ここ何年かは、夏と冬に限り、「あきたホリデーパス」が出ていた。五能線、北上線は対象外だが、2つの第3セクター鉄道も対象で大人2440円と、悪くない。

2021年2月までは発売されていて、2021年夏も当然発売されると思っていた。東北デスティネーションキャンペーン(DC)期間中でもあるし。
ところが、2021年夏は売らないようだ。

他エリアの通年発売ものは継続している(青春18きっぷだって売っている)し、仙台支社では利用日拡大、水戸支社では夏限定きっぷを売り出したようだから、新型コロナウイルス感染症対策で売らないということではない。
コロナで旅客収入が減って、秋田支社としてはこれ以上安く乗せてやらんということか。JR他社へ売り上げが分配されるらしい青春18きっぷを買って県内で使われるよりは、あきたホリデーパスのほうがJR東日本の収入は多くなりそうだけど。

東北DCに連動した「TOHOKU MaaS」という、スマートフォンの中でフリーきっぷを購入して使えるものがある。
だけど、利用者としては、設定エリアがケチだったり、使いにくくお得感が少なかったりするものばかり。
追加する形で、あきたホリデーパス相当が…とも期待したが、それもなさそう。8月に入って何もないのだから。

JR東日本秋田支社は、イベントはいろいろやる。団子輸送販売もその1つだろうけど。
「駅カード」とかいうのを作って配った(人気はなくはないようだが)り。泉外旭川駅のカードは、(泉外旭川が無人駅なので)秋田駅で配っていて終了したが「ご要望を多く頂戴したため」再配布。子会社のスーパーを巻きこんで「秋田生鮮市場 保戸野店」で買い物した人に配ることになった。メトロポリタン秋田やフォルクローロ角館のカード付き宿泊プランなんてのも。
カードがほしくて鉄道を利用する人はいるだろうし、日頃鉄道を利用しない人に関心を持ってもらうためにはいいだろうけど、単純に鉄道に乗りたい人、特に秋田の鉄道に乗りたい秋田の人のことをもう少し考えてくれてもいいのでは。鉄道会社なのだから。

【10月9日】2020年11月~2021年2月の冬には発売。2440円。これまでは利用開始が12月からだったので、1か月早くなった。
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千秋地区のバス停

2021-08-02 23:23:32 | 秋田のいろいろ
この記事に続き、2021年6月以降に確認した、バス停表示板更新。
今回は、秋田営業所管轄に戻って、マイナー路線で、表示板はそんなに古くなく、交換の優先順位が低いと考えられるバス停での更新。つまりは、相変わらず気まぐれ。7月24日確認。

御所野~秋田高校入口の「秋田高校線」、いわゆる「秋高スクール」線(秋田高校以外の通学も想定したルートで、学生でなくても乗車可能。この記事中ほどに多少情報。)と、楢山大回り線だけが通るバス停。
「北高校前」上下

「千秋中島町」上り(秋田高校入口方面、大回り線側)
前回の泉ハイタウン方面などと比べると、支柱にはサビも少なくまだ使えそうだったのに、これも台座以外は新品に。台座の汚れを銀スプレーでごまかしているが控えめで、それだけサビが少なかったのか。
北高前(御所野方面行き)
↑台座の中心からズレた位置に支柱がささっている。しかも表示板の文字は右に寄ってる?

交換前の表示板は、北高前は市営バス時代のナール。
ところが、千秋中島町は移管直後交換済みのJTCウインRだった。古びてきたとは言え、これが交換されるのは珍しい。
千秋中島町をGoogleストリートビューで見ると、添え木がされていたようにも見えたので、支柱交換と同時に表示板も換えたのか。
千秋中島町。左が交換された側。突き当りは奥羽本線築堤、左は旭川、右が坂で踏切へ
反対側(御所野方面行き)は、
JTCウインRのまま(写真の東向き面は色あせが激しい)
JTCウインRはローマ字が「SENSYUUNAKAJIMATYOU」。更新されたほうは「SENSHU NAKAJIMA MACHI」。
街区表示板と交換済み側。ここは色区切りが下寄り?
千秋中島町の公式なよみがなは「せんしゅう なかじままち」であるので、交換されたほうが正しい。
「まち」と「ちょう」をやたらと取り違え、「TYOU」など独特なローマ字表記するという、移管直後のJTCウインR表示板の特徴である。


この秋高スクール線(原の町までは大回り線も)だけが通る区間のバス停は、
(東中学校前)~北の丸~千秋中島町~北高校前~原の町~(すわ町~鷹匠橋=泉八橋環状線も使用。交換済み)~矢留町~通町橋~(中央警察署前)
このうち、北高校前と原の町が市営バス設置のナール表示板。それ以外はすべてJTCウインRだった。なのに、以上2か所3枚のみ交換、原の町はナールのまま。やはり気まぐれ。


ついでに、交換されなかったJTCウインRから2つを紹介しておく。
「北の丸」秋高方面・大回り線側では、今年2月頃、強風のためか、
表示板が半回転して下向きに

北向き面が色あせ、南向きは鮮やか
支柱に固定するボルトの片方が取れてしまい、耐えきれなかったようだ。5月になってやっと復旧。
回転時に円形の跡が付いてしまった
これで差し支えないでしょうけど、隣とその隣を交換したのなら、どうしてこれは未交換? とも思う。


「矢留町」の御所野方面側。
※ちなみに、地名は「千秋北の丸」「千秋矢留町(せんしゅう やどめまち)」だが、バス停名は千秋が付かず、千秋中島町との整合性がない。でも、これは市営バス時代からのはず。矢留町のJTCウインR表示板は、例によって「YADOMETYOU」。
ストリートビューによれば2019年9月時点では、ちゃんとした表示板だったが、今(今年5月に確認)は、
「臨時バス停」
時刻表には矢留町と書かれているけれども… こっちの表示板を替えたほうが良かったのでは。支柱もサビてるし。

この臨時バス停表示板。
臨時停留所」と表記されたのは、工事などの仮設でたまに見ることがあったが、「~バス停」表記は初めて見た。しかも、JTCウインRの文字。
さらに、下に文字が透けている。
明るさ等を調整しています
おそらくJTCウインR、ローマ字入り「四ツ谷団地」だ。サンパーク線の。
2012年、2017年のストリートビューによれば、四ツ谷団地の下り側はJTCウインR、上り側はローマ字なし透明シール貼りだった。


ところで、「危険なバス停」が問題になっている。
横断歩道と重なる位置などにあるもので、羽後交通では痛ましい事故と、【3日補足・事故以前に実施の下記調査において】国土交通省に対して不適切な報告をしていたことが明らかになった。
2021年3月19日の読売新聞オンライン「あなたの街の「危険なバス停」…詳細地図リンク集(https://www.yomiuri.co.jp/topics/20201029-OYT8T50098/)」で、国交省の情報を元にした一覧や地図が見られる。
「バスの車体が横断歩道にかかるか、停車したバスが原因で人身事故が発生」した危険度Aは、県内に61、秋田市内に16ある(コミュニティバス含む)。
16の中には、川尻十字路(上り)、高陽青柳町(下り)、寺内地域センター前(下り)、大住団地(下り)など、比較的主要なバス停もある。
※市営バス時代からのものが多いので、中央交通だけを責めるのは不適切。今回の中央交通の報告では、危険度Aの各バス停は「安全対策検討中」としているようなので、適切な対応を早めにお願いしたい。
【9月1日追記】危険バス停調査は、羽後交通以外も含めて、運転士からの聞き取りのみで回答したり、積雪期の調査だったため確認が不充分だったりしたそうで、再度調査が実施され、2021年8月に結果が公表された。国土交通省東北運輸局 秋田運輸支局のホームページに、全リストが掲載されている(のだが、深い階層に置かれていて見つけづらい)。上記、川尻十字路は移設して、危険は解消されたとのことだが、大して変わっていないように見える。→高陽青柳町のその後の対応(以上追記)

今回取り上げた秋高スクール線区間には、Aが3つもあった。元々道が狭くカーブがあるし、30年ほど前は大回り線が両方向でそれなりの本数運行されていたから、さらに危なかったことだろう。
北高校前の両側と、北の丸の秋高行き側(上の写真に標識や白線が写っている)。
北高校前は、上下バス停が校舎の両端に離れているのに、横断歩道の位置を狙ったかのようにバス停が置かれている。1日2便がちょっと停まるだけなんだから、校舎の真ん前に置けばいいのに。生徒の通学のためなのだから、県教委・北高もそのくらい協力を。
北の丸については、千秋中島町同様、現在のダイヤでは乗降客はあり得ないと思う。バス停を廃止していいかもしれない。

ちなみに、秋高スクール線は秋田駅へ行かないので、上り/下りの区別がしづらい。
この資料(報告)では、バス停の向きについては、各事業者の言い回しで良かったようで、秋北バスは「往路/復路」、羽後交通は「本荘市内方面/鳥海方面」などとしている。中央交通は「上り/下り」。
北の丸を見ると、秋高入口行き側を上りとしている。秋田駅西口=いわゆる秋田市内~御所野という視点で見て、そういうことなのだろう。


さて、バス停表示板更新は次はどうなるか。いずれ新たな動きがあれば、続く。→この直後に動きがあった
千秋地区のバス停のこの後の更新状況
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バス停表示板更新2021夏

2021-08-01 23:40:26 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通のダルマ型バス停の表示板更新シリーズ。
前回は2021年2月頃に、通町と秋田貨物駅入口のそれぞれ片側だけ交換されたのを確認。交換箇所の選定は気まぐれとしか思えない傾向が、さらに強くなった。

最近また交換されているのを見つけた。いずれも定期的に通る道でないのだが、更新を確認した日付を記しておく。
6月16日確認。
「五丁目橋」下り。鳥のフンが付いちゃった
いずれも平日のみ運行の、大学病院発県庁経由車庫行きと、秋田駅西口発南大通り・牛島(・城南中または牛島小)経由日赤病院行きのバス停。
向かい・上り側は、秋田市中心市街地循環バスぐるると共用の新しいポールなのでそのまま。下り側は、市営バス末期(※)に設置された、透明シールにパソコン印字の表示板で、曲がってしまっていたようだ。
※牛島経由日赤行き(元々は上北手線荒巻・古野行きだった)は市営バス時代~移管後2013年春までは、南大通りではなく北都銀行前経由だったのでここを通らなかった。

支柱も新品。台座は未確認【後で確認して追記します】。
表示板は、やはり最近の傾向か、表示板の色の配置が、全体に若干下寄りな感じ。
時刻表掲出枠は新品ではなさそう。白いのは3Mの両面テープのようだ。というか時刻表を掲出しないのは、旅客自動車運送事業運輸規則 第五条違反ですよ。ここから乗る人はあまりいないと思うけれど。

五丁目橋の手前(駅方向)の「中通六郵便局前」と「南大通り・中通病院前(ローマ字なし)」は、移管直後交換のJTCウインRの表示板でそのまま。※この後2022年に交換
マイナーバス停ではあるものの、五丁目橋下りは透明シールがぽつんと残り、しかも傷んでいたので、交換は妥当かもしれない。


7月21日確認。少なくとも今年度に入った時点(5月初めでも?)では、まだ交換されていなかった。
「秋操近隣公園入口」上下

「泉北三丁目」上下
泉ハイタウン線の隣り合う2停留所。3色のバランスは五丁目橋よりは違和感がなくなったかも。でも、不揃い?
泉北三丁目下り

(再掲)今年3月の泉北三丁目下り
4つとも、以前は市営バス設置のナール書体の表示板で、支柱はほぼ全部が錆びて茶色くなっていた。泉ハイタウン線(当時は泉保戸野線、泉秋操線)運行開始の1992年春新設のはず。表示板は、泉地区に住居表示が実施された1999年以降の交換。
今回、表示板と支柱、さらに時刻表枠も新品にされたものの、台座は中古。これも最近見られるようになった、支柱根本から台座天面に流れた落ちたサビの汚れをごまかすため、銀色スプレーを雑に吹き付けている。

一連の表示板更新は、秋田営業所担当路線のバス停で優先的にされる傾向があり、臨海営業所路線では控えめだった。その代わりなのか、臨海管轄のバス停では2019年に、支柱などに青い反射テープが貼られていた。
ここもそうだったが、今回交換となった。初めてのケースかもしれない。

ただし、近隣公園入口の隣「泉南三丁目」も、同じ状況のバス停なのに、
上り側。板が曲がっている
上下とも未更新。支柱はサビサビ、青反射テープ付き。忘れたのか、やはり気まぐれなのか。

このほか近くでは、千代田町以降、泉ハイタウン団地前、泉北二丁目は、移管直後交換のJTCウインR書体の表示板・サビ支柱で未更新【ところがこの直後、さらなる更新が。続きにて。】。比較的新しいが、支柱付け根が怪しい状態の秋田貨物駅入口(泉回り泉八橋環状線用)もそのまま。


交換ではないが、5月29日確認。
買物広場5番のりば
秋田市中心市街地循環バス ぐるるが停まる。
ぐるるのバス停は、秋田駅西口も含めて、2013年夏に専用デザインの表示板のダルマ型ポールが置かれていたが、考えてみれば買物広場だけなかった。
市営バス末期に設置された、金属ボディの電照式標柱をそのまま使用していた(近くの駐輪場階段の壁にも表示貼付)。これは接近表示(バスロケ)は当初からない、純粋な電照式。しかも箱型でなく三角柱で、番号表示の分、背が高いという、他では設置されていないタイプ。
8年近く経って、やっと買物広場にも専用ポールが設置された。
表示板はほかと変わりなさそうで、フォントはヒラギノ丸ゴシック体。
ただ、「買物広場マル5」と乗り場番号まで記されている(駅西口には10番とは書いてない)のと、台座は中古品で銀スプレーでごまかしている。
※この後、2022年6月に、ぐるるは隣の4番乗り場に変更された。表示板は、番号なしの「買物広場」を上貼りして対応。この記事後半参照。


このほか、マイナー路線でも気まぐれな交換がされているので、続く
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