広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

弘前ダイエー閉店から11年

2016-10-31 00:14:21 | 津軽のいろいろ
11年前の2005(平成17)年10月31日、「ダイエー弘前店」が閉店した。
2005年10月6~12日の閉店売りつくしセールのチラシ
一時はすべての都道府県に店舗を置いていたダイエーも、当時は経営不振で地方を中心に撤退が始まった時期。【31日追記】イオンによる経営支援も始まっていたようだが、資本参加などはまだで、客としてはイオン色は皆無のダイエーそのままだった。
秋田店はひと足早く2002年8月で閉店、2005年秋には残っていた盛岡、泉(仙台市)、山形、酒田などの各店も相次いで閉店。最終的に東北地方では仙台店だけが残ることになった。(その仙台店も今年3月にイオン仙台店へ移管)
なお、2005年9月19日には創業者の中内功氏が83歳で亡くなり、10月には現在も使われる新しいロゴマークが発表(12月から順次適用)されている。
そんなわけで、仙台以外の東北の者には、ダイエーはすっかり過去のものとなってしまったが、僕はダイエー秋田店になじみ深い環境で育ったので、個人的にスーパーの原点はダイエー。だから思い出もあるし、現状には寂しさも禁じ得ない。

ダイエー秋田店は、秋田駅からやや離れた中心市街地大町に、地元企業「辻兵(つじひょう)」のビル「秋田ニューシティ」の核テナントとして1981年6月にオープン。ダイエー部分の運営は本社直営(辻兵とはあくまでも大家と店子の関係だけ)。後にも先にも他の店舗はなく、秋田県内で唯一のダイエーだった。
一方、ダイエー弘前店は、弘前駅前にあり、弘前市も出資した第3セクターの再開発ビル「ジョッパル(JoppaL)」の核テナントとして、1994年3月オープン。
青森県には、「ダイエー」がいくつか存在した。以前、十和田市のとうてつ駅ビル店を紹介した時に触れたように、複数の地元企業とフランチャイズ契約してダイエーの看板を出す店が、計8店舗(一部はダイエーの子会社運営?)あったそうだ。これらも、2000年代中頃までにすべてなくなっている。
弘前店はフランチャイズではないのは確実。そして営業していた11年のうち中期以降は、直営ではなく子会社が運営していた。しかし、オープン当初からしばらくは、直営だった可能性【後述】もあるが、情報が少なくて詳細は不明。
そして、弘前店が青森県ではおそらくいちばん大型のダイエーだった。青森市や八戸市には(フランチャイズも含めて)ダイエーがなかったので、県内でいちばん大きな都市に立地するダイエーでもあった。

1998年のダイエー弘前店の折込チラシの一部
ダイエーの折込チラシは、県を越えた広いエリアで共通の内容であった。上の写真のようにオモテ面とウラ面で適用店舗が異なることもあった。
上の写真左側では、仙台から弘前まで8店舗が直営。
秋田店の下には「秋田ニューシティ」とビル名があり、仙台店には「クリスロード」と商店街の名前が併記されている。その理屈ならば、弘前店には「JoppaL」を入れなければならない気がするけど…
線で区切った下の3店は、子会社やフランチャイズの店。「ダイエーグループ シティ青山」は盛岡市。上記の通り「とうてつ」はフランチャイズで小さく「FC」とある。この欄にむつ市の「むつショッピングセンター」が加わることもあった。


僕が弘前へ引っ越したのは、ダイエー弘前店ができた1年後。
秋田店と違い、駅前で、すぐそばに競合するイトーヨーカドー弘前店がある立地。何よりも、まだ新しくて秋田店と大きく異なる店の造りには、秋田店の10年以上後にできた店であることを痛感させられた。
お客の入りはいつもヨーカドーのほうが多く感じられ、地元の人にはその20年近く前からあったヨーカドーのほうが親しまれていたような気がする。
(再掲)2003年夜のジョッパル。開店時とほぼ同じ外観のはず
店舗は全体的に大きく空間が取られていた。大型カートで通れるようにということか、通路やエレベーター(窓なし)が広い。(エレベーターと階段の位置関係は、どことなく秋田店に似たものもあった。現在もほぼそのまま)
天井の配管がむき出しで、食品レジに滑り台のようなベルトコンベアのようなのが付いているなど、コストダウンを意識したディスカウントストアっぽい所もあった。(いずれも後に改装して一般的なスタイルになった)
出入り口が回転自動ドアなのには面食らったが、2004年の六本木ヒルズ森ビルの事故を受けて、通常の引き戸に改装。
そういうことが斬新すぎて、なかなか受け入れられなかったところもありそう。→回転自動ドアについては、この記事末尾参照
でも、秋田店と同じダイエー。僕はイトーヨーカドーよりも親しみを感じ、わりと利用していた。


弘前店が閉店する頃には、僕はもう弘前に住んでいなかったけれど、秋田店がなくなった後でもあり、弘前を訪れる度に、懐かしい気持ちで立ち寄っていた。(今はそれがイトーヨーカドーに代わってしまった)
2005年も、閉店セール開催中の10月9日に行っていた。
 黄色い「閉店のため売りつくしセール開催中」の表示が並ぶ

その時のレシート
レシート上部の売りつくしセールの案内の下、店長氏名の前に「(株)ショッパーズ弘前」とある。
これが、ダイエー弘前店を運営していた、ダイエーの子会社らしい。ダイエーでは、九州など他地域でも「ショッパーズ」を冠した店舗がいくつか存在していたそうだ。
弁当のラベルにも「(株)ショッパーズ弘前 ダイエー弘前店」
弘前市では、すべての地名に「大字」が付くのだが、地元の企業や団体(弘前大学とかも)は、分かりきったことだから省略してしまうことが多い。このラベルには、全国展開企業らしく律儀に「大字」がついている。

しかし、僕が弘前に移った当初は「ショッパーズ弘前」の名前はレシートになく、後のある時【下のレシート参照】から記載されるようになった。
これは、「当初はダイエー本社直営で、途中からショッパーズ弘前が設立されて、移管された」ということだと思っていたのだが、Wikipediaを見ると、開店当初からショッパーズ弘前が存在して運営していたような記載。この点が謎。
当初からショッパーズ弘前経営であれば、青森県には直営のダイエーは歴史上まったく存在しなかったことになる。でも、ダイエーは直営店がすべての都道府県にあると言われていたような記憶もあるし…
経営があまり芳しくなく、子会社をワンクッションはさんだ、ということ(JRの駅であまり大きくないけれど駅員がいる駅は、子会社に委託するように)かと思っていたのだけど…真相は?


ダイエー弘前店のレシートをいくつか画像で保存してある。
以前、イトーヨーカドーのレシートの変遷を紹介したが、そのダイエー版ということで、以下に並べてみます。
弘前店に限らず、当時のダイエーでは、上部の宣伝文をこまめに変え、かつ店長の氏名も表記していたのが特徴的。こまめに情報提供してくれ、なじみが薄い店長の存在を知ってもらうということで、悪くはないことだったと思う。
イオン傘下に入って、レジ機器が更新されたことがきっかけなのか、近年では、宣伝文はほとんど変わらず、店長の名前は記載されなくなったようだ。
例えば、今、よく行くイオンの店長が誰かなんて、知る客はあまりいないだろう。そのくせ、レジ担当者はフルネームで表記しているのは、なんかおかしい。(かつてのダイエーは担当者名も表記、現在は表記なし)【2017年6月30日追記】余談だが、秋田のイオン系の店舗では、2017年6月に順次、担当者名が姓だけの表示に改められた。秋田では、マックスバリュ東北は6月中旬、イオンリテールは6月下旬頃に変更。

1995年10月13日
懐かしい、普通紙に青いインクで印字する、ドットインパクト式。
ほとんどカタカナ。レジ担当者は姓のみ。店長は「ストアマネジャー」という職名。消費税は3%。

「ヤスマズ」「ヨル9ジマデ エイギョウイタシマス」「オツトメガエリデモ マニアイマス..」とある。
当時は週1度の定休日があり、19時頃には閉店するスーパーが、まだ珍しくなかった。
この頃のダイエーは月に1度程度休業していたのかもしれない。おそらく11月22日・水曜日は休んだのだろう。※ちなみに11月23日はWindows95の日本発売日だった。

飛んで、消費税率が5%になって、
1998年3月24日
感熱紙のサーマル式に変わった。ダイエー秋田店もこの頃にはサーマル式になっていたが、イトーヨーカドー弘前店はまだドットインパクト式だった。
上のダイエーマークの下の店舗名が、ドットインパクト時代は「弘前店」だけだった(この部分はスタンプか)のが、「“ダイエー”弘前店」になった。この部分は、あまりこだわりがなかったようで、秋田店は感熱紙でも「秋田店」だけだったし、2015年の愛知県の金山店では、売り場によって「ダイエー」の有無が異なっていた。

宣伝文は漢字混じりだが、商品名はすべて半角カタカナ。ストアマネジャーが「店長」に変わった。
「毎日よる9時まで営業致します」とあり、年中無休・遅くまで営業が定着したようだ。

1998年9月15日
「領収書」前後のアスタリスク(*)が、2つずつから3つずつに増えた。この場所もこだわりはないようで、秋田店では、アスタリスクが全角2つだったり、半角3つだったり、異様に左に寄っていたり、さらにバリエーションがある。
「あまくて、おいしい「嶽のきみ」」として、岩木山麓のトウモロコシの全国無料配送を宣伝。今は一定の知名度を得た「嶽(だけ)きみ」だけど、当時はさほどでもなかったはず。
「嶽」という文字も表示できるなんて、レシートも進化したもんだと感心した記憶がある。

そして、
1999年2月1日
ここで「(株)ショッパーズ弘前」が登場する。
1998年9月中旬~1999年2月1日の間のどこかで、ショッパーズ弘前が表示されるようになったことになる。
前後で店長は同じ人で、少なくとも1998年9月から務めている(1998年3月は別の人)。

弘前を離れたので、たまにしか行かなくなって、21世紀へ。
2003年10月12日・2005年2月11日・2005年7月3日
「(株)ショッパーズ弘前」が、数行下の店長名の前へ移動。
2005年2月には「領収書」前後のアスタリスク(*)が米印(※)に変わり、「領 収 書」とスペースが入った。
同年7月には、そのスペースが再び取れた。この頃からクールビズがもてはやされ、その旨の断り書きが「総務副店長」の名前入りで入る。

そして、最初のほうに掲載した閉店時のレシートへつながるが、そこでは米印が再びアスタリスクに戻っている。


ところで、ダイエー弘前店の4階(?)には書店があった。そのレシート。
1998年7月11日
ダイエーマークの部分が「BOOKS & CD HIROSAKI」「By MEKATA」に変わってはいるものの、「ダイエー弘前店」と宣伝文はあり、電話番号や店長名も同じことから、ダイエー直営だったようだ。
そういえばCD売り場も隣りにあったな。それにしても「MEKATA」って何者?

その書店(CDは不明)も、ダイエー閉店時には、
「アシーネ」
アシーネは、当時はダイエー系列の書店で、各地のダイエーに入っていた。弘前店も、いつの間にか代わっていたことになる。
そのため、レシートの形式はダイエー直営売り場と同じだが、「ショッパーズ弘前」や店長名、閉店のあいさつがないことから、テナントの1つとして入っていたのだろう。(もしかしたらダイエー撤退後もしばらく残っていた??)

秋田市では、アシーネがダイエー秋田店には入ったことはなかったはずだが、2000年代に駅前の「アルス」の地階に入っていたことがあった。
企業としてのアシーネは、2015年にイオン系列の「未来屋書店」に吸収され、店舗名としては八戸の三春屋(ダイエー系列)などで存続している。
ダイエー弘前店撤退後のジョッパルには宮脇書店が入り、ヒロロとしてリニューアルされた現在は、地階に未来屋書店が入っている。イオンとの関係はないジョッパルに未来屋書店があるのは唐突だけど、かつてダイエーだった遠回しな名残りということか。


ちなみに、上でところどころ触れたダイエー秋田店のレシート。
2000年1月1日。新年のごあいさつ入り
マークの下は「秋田店」のみで、やや左寄り。
「***領収書***」はやけに左寄りで、アスタリスクは半角3つずつ。
店長名はなぜか全角カタカナ。


余計な詮索だけど、ダイエー弘前店の店長さんだった方々はその後、どうされたか。
カタカナ表記だった頃のストアマネジャーは、ダイエー系列で福島に本社があって、八戸の三春屋も運営する「中合」の役員を2012年までしていた。
ショッパーズ弘前が表記される前後にまたがっていた店長は、弘前にも店舗展開し、八戸に本社がある「ユニバース」に移ったようだ。倒産した弘前の地元スーパー「主婦の店マルエス」をユニバースが引き継いで2008年8月21日にオープンした「Uマート弘大前店(もともとはマルサン)」の初代店長だったようで、その後、他店舗の店長をしている。
ダイエー弘前店閉店時の店長は、青森市のスーパー「マエダ」の店舗の支配人(店長ってこと?)らしい。


ダイエー撤退後のジョッパルは、核となるテナントがないまま営業を続けた。それも災いしたのか、2009年秋に運営3セクが経営破綻し、建物全体が閉鎖されてしまった。
しかし、2013年7月「ヒロロ」として再出発。抜けていた食品スーパーや目玉となるテナントもいくつか入り、リニューアル前に比べてにぎわっているように感じられる。
(再掲)ヒロロ。11年前までこれがダイエーだったことを知る人はどれほどいるだろう
ビルを解体して更地にしたはいいけれど、所有者がもったいぶっているのか、イベント会場と駐車場に使うだけで、周辺住民にはほぼ無意味な空間となってしまっている、秋田店跡などよりは、ずっといいと思う。


弘前にダイエーが存在したのは、わずか11年半。(秋田店は21年)そして、今年で閉店してから11年。
あまり思い出がない人が多いのかもしれないけれど、ダイエーそのものも風前の灯の今、こんな店が存在したことを記録しておきます。

【11月1日画像追加・追記】
2001年10月の写真があった。

この頃は、家電売場としてラオックスが入っていた。「庄子デンキ」というラオックス子会社の運営で、2001年5月から。
なお、開店当初からそれまではダイエー直営の家電売場だった。【さらに追記】2000年代には、他のダイエーでも、ラオックスが家電売場を担う店舗がいくつか存在した。現在のヒロロには、コジマ×ビックカメラが入っている。街中に家電量販店があるのは、何かと便利だと思うのだけど、秋田駅前にはない…

それから、弘前店閉店時の店長は、それ以前に秋田店の店長を務めていたことが分かった。
レシート(この方は氏名が漢字になっていた)によれば、秋田店では少なくとも2001年10月から2002年3月の間は店長だったので、2002年8月の秋田店閉店時もいたかもしれない。その後、弘前店へ移って(2003年10月の時点で弘前店長なので、秋田からまっすぐ弘前へ異動した可能性【そうではなかったようだ。コメント欄参照】)閉店まで店長を務め、マエダに行ったという経歴になるようだ。まったく余計な詮索ですが。

【2018年1月28日追記】
企業としてのダイエーが初めて経常赤字を出したのが1998年2月期決算。弘前店はその直前の全盛期に開店し、その衰退とともに歩んだことになろう。

2023年のダイエー大宮店やレシートについて少々
コメント (13)
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山手台と新屋に新スーパー

2016-10-26 23:11:34 | 秋田の地理
秋田市内にスーパーマーケットの新店舗が2つできそう。

まずは、東部の山手台一丁目に「ナイス山手台店」が来春オープン。既に折込チラシなどで従業員募集が行われている。
秋田市への大規模小売店舗立地法に基づく届出によれば、2017年4月26日開店予定。場所は、横金線(県道41号線)に面した、山手台への入口=秋田東警察署の向かいの、既に飲食店などが建ち並ぶ辺りのようだ。【11月19日追記】飲食店(の一部?)を解体し、その跡にできるようだ。

ナイスは、秋田市内に7店舗と潟上市天王追分の計8店舗がある。
以前は、新国道の八橋とか、土崎・飯島に新店舗を造る計画もあったものの、いずれも実現しておらず、まったく別の場所に先にできることになった。
大店法の届けでは、「小売業を行う者」は「株式会社ナイス」だけど、「建物設置者」は「株式会社 秋田フードセンター」で、どちらも社長は同じ。
昔(1992年まで?)は、店の名前自体が「フードセンター」だったのだが、何らかの関連会社としてフードセンターの名前が残っているらしい。

それにしても、新店舗ができる山手台を含む桜地区周辺は、新興住宅地で人口がそれなりにあるのに、地域内にスーパーは1つもなかったのではないだろうか。
北隣の城東地区にいくつかのスーパーがあるし、南には御所野のイオンモールもあって、みなさん車などでそこへ行っているのだろう。でも、やっぱり近くにスーパーがあるというのは、便利だと思う。なかなかいい場所じゃないでしょうか。
※予定より少し遅れて5月17日・水曜日にオープンした。



もう1つは、秋田建設工業新聞ホームページに25日に掲載の「エクスプレス新屋関町店建設」より。(今のところ他の情報源はなし)
秋田市南西部の新屋に、マックスバリュ東北の店ができるとのこと。

新屋町字関町後という場所の「マックスバリュエクスプレス新屋関町店」。工事は2月21日までだから、開店は春か。
床面積は「762.3平方メートル」で1000平方メートル以下だから、大規模小売店舗には該当しない。
秋田市の既存のマックスバリュとしては小さい泉店でも1860平方メートルあるから、その半分以下。


「マックスバリュエクスプレス」というのは、マックスバリュの都市型小規模店舗のブランド。
運営会社によって、方針やスタイルは多少の違いがあるようで、マックスバリュ東海運営の静岡県三島市の店舗は、市街地のビルの1階にあった。たしかに小さいけれど、それなりに品数もあって新しくてきれいなマックスバリュと言ってしまえばそれまでの店に思えた。
マックスバリュ東北では、前身の「つるまい」→普通のマックスバリュだった由利本荘市の「御門町店」を、2015年7月に改装してエクスプレス化しているのが唯一。行ったことはないけどエクスプレス御門町店は、客と店員が正対するカウンターレジで、袋詰めまでしてくれるコンビニ形式だとか(東海の店では従来のスーパー形式)。直営売場面積828平方メートル。【御門町店については下記、2017年3月8日付追記参照
東北では、今後はエクスプレスを増やしていく方針とのことだったが、2店舗目は、秋田市に改装でなく新規でオープンすることになる。

そもそも、新屋町字関町後というのが、聞いたことはあるけれど場所がイメージできない。
調べると、雄物川南岸側の狭義の新屋地区(=勝平・割山地区ではない)。海岸のももさだカエル付近から、国道7号線(南バイパス)を越えて、栗田支援学校・県営住宅より南側の住宅地辺りまでが該当。コンセプトからすれば、住宅街のどこかにできるのだろう。ファミリーマートのほかはちょっとした飲食店がわずかにある程度で、ほぼ民家ばかりの場所だったと思う。
秋田建設工業新聞ホームページの写真をよく見たところ、おそらく日新保育園の南側、県営住宅経由新屋西線の「新屋市営住宅前」バス停の辺りと推察。※バス停が指す「市営住宅」とは、新屋日吉町市営住宅のことで、あまり規模は大きくないようだ。別にある「新屋比内町市営住宅」のほうが大規模。
2012年10月撮影のGoogleストリートビューでそこを見ると、宅地化から取り残されて松林があるかに見えるが、その端に「売地」の看板が立っていた。国土地理院の地形図では、そこは針葉樹ではなく「荒地」の記号。ちなみに緩やかな丘になっている一帯で、そこがいちばん標高が高い(海抜40メートルほど)場所だ。
【場所は上記の場所で確実だそう。この記事コメント欄も参照】

新屋もまた、スーパーは多くはない。狭義の新屋では、新屋駅前にナイス、そこから遠くないところにドジャース(旧・ト一屋)があるだけ(いずれも歴史は長く、ナイスはフードセンター時代からあるはず)。雄物川対岸の茨島のマックスバリュや勝平のナイスで買い物する人も少なくないようで、高齢者などは自転車やバスで雄物川を渡って行き来する人もいる。
地理院地図に加筆
↑赤い丸がマックスバリュエクスプレス新屋関町店予定地のはず。「ナ」がナイス、「ド」がドジャース、「MV」がマックスバリュ茨島店。「支援学校」は県立栗田支援学校(今春、養護学校から改称)。
マックスバリュエクスプレス予定地は、新屋の中では端っこのほう。坂道もあって、東側の昔からの新屋の街から行くには、ちょっと遠いかもしれない。直線距離でも、表町付近からは500メートル、美術大学からは1キロほどはあり、高齢者や学生が気軽に行くには少し大変かも。
拡大。緑の線は主要バス路線(一部省略)
車で遠くから訪れるような性格の店ではないようだけど、南バイパス(地形図では赤い道路)など大きな道路からのアクセスは悪くなさそうだし、新屋駅前まで直線で1キロ超ある県営住宅・市営住宅(日吉町も比内町も)周辺では、便利な店になりそうではある。


さて、秋田市内に普通のマックスバリュが既に5店舗あるが、新屋地区では初。
ただし、前身のつるまい→ウエルマートが、新屋表町に昔あったそうなので、復活とも言える。

秋田建設工業新聞によれば、今後、マックスバリュ東北では、エリア内の県庁所在地の秋田市、盛岡市、山形市にエクスプレスを「毎年2から5店舗を新設したい」としている。青森市も営業エリアなのですが…
秋田市でも、昔あった小さいスーパーがなくなって、気軽に日常の買い物がしにくくなったエリアがあるから、そんなところにできたらいい。あと、秋田駅前にあってもいいのでは? イオングループのよしみでフォーラスの地下とか。
【27日補足】今では信じられないだろうけど、昔は(ジャスコ秋田店~パレドゥ~フォーラス初期?)、地階に今はなき地元スーパー「なかよし」が入っていた。ジャスコ時代も直営でなくなかよしだったので、イオン系の食品スーパーは一度も入っていないことになる。

マックスバリュ東北のこれまでの店舗では、毎月第2日曜日に、誰でも全商品5%引きになる。
しかし、マックスバリュエクスプレス御門町店だけは、それを毎月10日に固定している。(他地域のマックスバリュでは全店舗でそうしているところもある)
本荘には、旧つるまいの名残りでマックスバリュが多いから、差別化して10日の売上を増やしたいのかもしれないし、身内ながらライバル(別企業)であろう「イオンスーパーセンター本荘店」が10日に5%引きをやっているので、その対抗かもしれない。
この扱いは、新屋関町店ではどうなるだろう? 同じ運営企業の同じ街にある似たような名前の店で、サービスが違うというのは、客には分かりにくい。10日はWAONなどのポイントが5倍になる日でもあるので、ほかの日の5%引きと比べて多少得になるんだけどね。
【27日追記】マックスバリュ東北ホームページでは「エクスプレスデー」として紹介され、「マックスバリュ東北(株)直営のマックスバリュエクスプレスにて開催。」とあるので、このままだと新屋関町店でも10日になるのでしょう。【開店直前の時点では、実施は不明でそうならないかもしれない?】

【2017年3月1日追記】2017年3月1日にマックスバリュエクスプレス新屋関町店の開店について発表があった。
3月8日・水曜日7時オープン。営業時間は7時から22時。売り場面積は640平方メートル。
プレスリリースには、本荘御門町店で実施されている、コンビニ式の対面レジや毎月10日の5%引きについての言及はなし(第2日曜についても不明)。

【2017年3月8日追記】マックスバリュ東北としては「マックスバリュエクスプレス」ブランドの店舗1号店であった、本荘の御門町店は、いつの間にか、普通のマックスバリュになっていた。もともとマックスバリュだったのを改装した店なので、元に戻ったことになる。
その後、山形市のエクスプレス南三番町店ができており、新屋が2店舗目という位置づけらしい。
開店後の様子はこちら(以上追記)


ナイス山手台は幹線道路沿いの大型店ではあるが、これまでスーパーがなかった場所の立地という意味では、マックスバリュエクスプレスと通じるのかもしれない。
複数のスーパーがひしめく激戦地に進出して勝ち抜くのもやり方なんだろうけど、このようなすき間に店を出してくれるほうが、消費者としては喜ばれそう。ナイスとマックスバリュ東北、さらに他のスーパーにも期待。
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大きなエラー

2016-10-25 23:07:31 | 秋田の季節・風景
24日の秋田駅西口。
ぽぽろーどから北方向
最近は、右のアルス・ホテルメトロポリタン秋田のてっぺんの看板から壁面の一部にかけてに足場が組まれている。
メトロポリタンのホームページによれば、10月6日から12月15日まで「広告塔(屋上)の改良工事を実施」しているとのこと。(JRって「改良工事」って言い回しをよく使うね)

中央左の秋田駅前ビルは1~4階はテナント募集中のままながら、5階には居酒屋がオープンした。(店についてはこの記事に追記しました)


その駅前ビルの壁面に設置されている、縦長でフルカラーの画面が、なんかおかしい。
広告でも魁新報のニュースでもなさそう
上の方に細かくて白い文字が表示され、下のほうは青い帯がチラチラしていた。音はなし。
これって…

「DISK BOOT FAILURE」
Windowsのパソコンを起動させたものの、Windowsを読みこめない場合に表示される画面。このエラー画面は、本来は横長だから、右側が切れて表示されている。
ハードディスクの異常などが原因かな。自分のパソコンでこれが出たら、ヒヤリとして、戸惑って、今後の対処や出費を考えるとウンザリした気分になる。

それが、秋田駅前の大画面に表示されてしまっていた。
縦長で大きいといっても、基本的にはディスプレイだから、パソコンとつながっているのは不思議ではない。そのパソコンがおかしくなってしまったようだ。
公共施設のロビーなどにある会場案内の40インチくらいのディスプレイでは、Windowsのデスクトップ画面にアプリケーションの強制終了ウインドウが出ているのを見たことがあった。
これはそれ以上にサイズが大きく、かつ深刻そうな、“迫力のある”エラー画面だ。

ちなみに「CPU Clock :1.60GHz」だそう。現行のCPUとしては遅いけれど「Intel Core i5-5250U」というのが該当しそう。

管理者は気づいていたのだろうか?
契約した分の広告を放映できていないわけだから、広告主への賠償も必要になるかも。
管理者や広告代理店は調べても分からなかったけれど、設置した会社は分かった。秋田市に本社がある「東京電装工業」で「壁面LEDビジョン」という名称だそう。

翌25日には、いつもどおり広告が放映されていました。
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秋田駅みどりの窓口移転

2016-10-24 22:54:10 | 秋田のいろいろ
秋田駅自由通路に面した施設・店舗のリニューアル工事(来春オープン予定)が始まり、8日に待合室が移転した
旧待合室跡では、工事が行われ、24日から再開されるとのことだったが、どういう形で使われるのか、いまいちよく分からなかった。隣のみどりの窓口が拡張されるのか、向かいからびゅうプラザが移ってくるのか、でも短期間でそんな工事ができるのか…

24日。今までのみどりの窓口は、
シャッターが下りて「向かって左側で営業しています」
左側というのは、昨日まで閉まっていた旧・待合室。


「みどりの窓口」とある場所が旧・待合室
かつて待合室だった部分が、そのままみどりの窓口に変わっていた。簡素な造り。
つまり、みどりの窓口も本格リニューアルではなく、仮設で営業するということのようだ。なーんだ。
旧・みどりの窓口だった場所から順次、本格的な工事が進められていくのでしょう。


新しいみどりの窓口は、自由通路から入って左が指定席券売機3台、右が窓口3つ(たぶん)という配置は今までと同じ。
スペース全体は今までよりも狭い。その室内を券売機と窓口で半分ずつに割り振っている。
左が券売機、仕切りの右が窓口
券売機側は、もしかしたら以前よりもスペースが広いかもしれない。
一方、窓口側は、
奥のガラス扉の向こうが、旧・みどりの窓口の券売機側とつながっていた
客が並んで待つ空間が狭くなった。いいところ10人くらいしか並べなさそう。混雑する時期・時間帯には、あふれるに違いない。

指定席券売機の手前、ドア寄りには、従来とまったく同じ位置にATM「ビューアルッテ」がある。この程度の工事だったら、工事中も(時間を区切ってでも)使わせてくれてもよかったのでは?【この後、再度休止期間あり。記事末尾の11月8日付追記参照

そういえば、旧・みどりの窓口横にあった「こまち駐車場予約センター」はどこへ行った?
【25日追記】25日には、予約センターは通路向かいの(仮の)待合室内へ移転したとの掲示が出されていた。

それから、旧・待合室前右側にあった、次世代自動販売機が、
ちょっと前へ移動
今までは待合室の壁(ガラス)にぴったりくっついていたのに、後ろを人が通れるくらいの幅分だけ、なぜか前へせり出していた。
別段ジャマになるわけでもないけれど、なんか収まりが悪い。改札口・旧窓口方向から来た場合、自販機に隠れて、新窓口の存在が見えないため、少し前に出して、ガラスが見えるようにしたのだろうか? だったら、自販機側面に「みどりの窓口はこの先右です」と表示すれば親切なような…【理由は末尾の追記参照】


立体駐車場のほうは基礎工事が本格化し、杭打機などが立っている。
そこに面した自由通路の大きな窓のある壁面が木質化されるそうで、壁際・窓辺に囲いが設置された。
西側から。右側に低くて白い囲いが設置

【27日追記】この後27日頃までに、旧みどりの窓口のガラスの扉・壁の前に、白い囲いが設置されて覆われた。わずかに自由通路が狭くなった状態。そうなると、その囲いと前に移動した自販機がほぼ同じ面になる。
囲いによって自販機が埋没しないように、前へ出したということになりそう。(今後は仮窓口のほうにも囲いが設置される可能性もあるだろうし。)

【11月8日追記】ビューアルッテは、11月19日から12月9日まで再び休止する旨告知された。「工事後は、現在とほぼ同じ場所で、お客さまにご利用いただきやすい専用区画にて営業を再開します」とのことだけど、休みなく利用できることこそ、大事なような気もするのですが…
【11月12日追記】11月11日付けで、秋田県在住のビューカード利用者宛てに休止を知らせるメールが配信された。やればできるじゃん。
それによれば、12月10日からのビューアルッテは、ぽぽろーどから直接出入りできる、独立ブースのような形になるようだ。

【11月23日追記】11月20日の週からは、以前の位置にみどりの窓口が移転して営業再開。これが来春以降も使われる正式な新しいみどりの窓口なのだろうか。代わりに以前の仮みどりの窓口だった部分が覆われて、工事に入っている。
したがって、この記事で取り上げた狭い仮みどりの窓口は、1か月弱だけのごく短期間の使用を前提に、狭いものだったのだろう。
続きはこちら
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信号の順番

2016-10-23 19:40:14 | 秋田の地理
先日の「探偵ナイトスクープ」で、深夜に大阪の御堂筋を、車で一定の速度で走行すれば、一度も赤信号に引っかからずに完走できるというのをやっていた。
御堂筋に限らず、同じ通りの信号機をまとめて制御して、法定速度でスムーズに車を走らせようとすることは、全国的に行われているようだ。
秋田でも行われているのだろうが、その一方で、近い信号機が連動していなくてもうちょっと工夫できるように思える場所もある。連動させるには費用もかかるだろうし、安全上あえて流れを遅くしている箇所もあるのかもしれないけど。

さて、秋田市内で、連続する交差点の信号機がきれいに連動する場所がある。
少なくとも30年前からそうなっていて、子どもの頃、その美しい動作(?)を見るのが好きだった。

その場所は、通町と竿燈大通りの間の東西方向の市道。道路の通称などはない。
東側から行くと、秋田中央警察署の南・一丁目橋から、秋田ニューシティ跡地やホテルパールシティ秋田大町の北辺を経て、秋田県社会福祉会館の北で新国道に出る。
社会福祉会館など西側は旭北栄町。中央部から東側は大町一丁目と二丁目の境界。大町地区の区間は西向きの一方通行(一丁目橋→旭北栄町)になっている。交通量は多くないが、道が狭く、たまに逆走車がいるので注意(ホテル利用者など不慣れなドライバーも来るわりに標識が少なく目立たないのかも)。
Googleマップより。左方向へ15度ほど回転させているため、上が真北ではありません
一方通行区間は570メートルほど。その中に、6つの信号機付き交差点がある。(上の地図で赤いマル1~6)
1~6の間に限れば430メートルほどで、その区間はすべての交差点に信号が設置されていることになる。
交わる南北方向の道路は、マル1は、バス通りである大町通りだから交通量は多い。それ以外のマル2~6の交差点では多くなく、裏道どうしが交わる小さな交差点といえる。
それなのに、全部に信号機がある。平行する他の道の同じ区間では、北側の通町では3つ、南側の竿燈大通りでも5つ(オレンジ色マル1~5)、さらに南の東向きの一方通行の四丁目橋の通りも3つ(ただし南北の交わる道が少ない)しか、それぞれ信号機付き交差点がないのと比べると、多い。
道幅が狭くて家が並んで左右の見通しが悪いこと、交わる両方向の道とも、きれいな一直線でスピードを出しがちになることから、事故防止の意味で多く設置されているのだろうか。

いずれの交差点も全方向に横断歩道はあるが、歩行者用信号はなく、歩行者も車両用を見て渡ることになる。そのため、一方通行の反対側にも、車両用信号機がしっかり設置されている。
かつては、マル2~6ではすべての交差点・すべての方向に、同じ形の鉄製ボディの日本信号製の横型信号機が設置されていた(おそらく1970年代中頃製)。ただし、一方通行の出口で道幅が変わるマル6の交差点だけは、2台ずつの両面設置。
(再掲)かつてのマル2の信号。在りし日の秋田ニューシティ北西角ミスド前
マル3の交差点は、南北方向の道で隣の交差点の信号を誤認した事故が多発したため改善がなされた一環で、比較的早期に縦型に更新された。

現在は、すべての交差点が縦型に更新されたものの、機種や仕様はまちまち。
新品か中古か(中にはボディが着色された中古も)、電球かLEDか(一方通行逆側ではまだ電球式が多い)、アームの形状などがバラエティに富む。
秋田県警の方針として、同じ交差点内の同じ時期に設置された信号機でも、その更新は交通量などに応じて個別に判断していたと思われる時期あった関係上、一斉更新されなかったため。
ニューシティ跡地前から西の2~6の交差点を見る

で、この信号機たちが連動しているという話。
一斉に変わるのではなく、東から西へ向かって順番に変わっていき、最後の5と6は同時に変わる。青→黄→赤も、赤→青も同じ順。青の時間は、東西方向のほうがやや長いはず。
西側から見た、赤に変わる順は以下の写真。手前の2台の信号機が6で、いちばん奥に見えるのが2。(1は見通せないようだ)
  
奥から順に黄・赤に変わっているのが分かる。

マル1の交差点は、今は歩車分離式に変更されたので、昔よりサイクルが長くなっている。
その影響で、1と2の間にはけっこうなタイムラグがあるが、歩車分離化前はもっと短かったはず。
2~5・6は、2秒程度の間隔だろうか、テンポよく変わっていく。通常の速度でこの道を走る車が、黄色に変わるタイミングに遭遇した場合、最初の交差点は通過できても、その次では必ず引っかかってしまうような感じ。


全国的に、一方通行の道路では、車両の進行方向に沿って信号を変えていくことが多いようだ。
竿燈大通りをはさんで南側の四丁目橋の通りの逆方向の一方通行路は、西から東へ向かって順に変わっていて、やはり同じ法則。でも、こちらほどきびきびとした動作(?)ではないし、信号機の数自体が少ない。
仮に進行方向と逆方向の順番に変わるとしたら、赤から青に変わる時は、スタートのカウントダウンをしていることになってしまい、見切り発車や暴走を招くだろうから、それを防ぐ目的だろうか。
あと、赤の間に、交わる道側から右左折してきた車が次の交差点との間にたまって、青に変わってから直進する車が詰まってしまうのを防ぐ目的もあるのかも。
5と6が同タイミングで変わるのは、間隔が50メートルほどと近いため、一体的にとらえているのだろう。


ところで、南隣の竿燈大通りのほうも、こちらと別パターンで連動していたはず。大通りの流れをスムーズにしたいだろうから。
たしか昔は、冒頭地図でオレンジ色のマル1の日銀前が先に変わって、残りの2~5が一斉に変わっていて、それはそれで美しかった。

しかし現在は、日銀前に右折矢印信号が増設されたし、自転車専用から歩行者も渡れるようになった箇所もある、そして、5の西側に秋田中央道路地下トンネル出口と合流するための信号も設置(西向きのみ)されている。以前とは違う状況の今、どうなっているか?

確認したところ、やはり以前とは変わっていた。赤に変わる時は、
1日銀前(矢印点灯)→2→5(同時に日銀前の矢印が黄色)→4→3大町西
変わる間隔は等間隔ではなく、特に5と4はほぼ同時と言って差し支えないほどのわずかな差。5と4の黄色が同時に点灯している瞬間もあるほど。
ほんとうは同時にしたかったのだけど、設定を間違ったり技術的な制約でズレてしまったかのように思ってしまう。
西側から。中ほどの大町西が最後まで青
最初は東から西へ順に変わると見せかけておいて、大町西を1つすっ飛ばす。そして西側の2つが同時に変わるのかと思いきや、ごくわずかな時間差。しんがりに大町西。
大町西がパターンから外れているのは、上記、南北方向の道路の誤認を防ぐために、北側の道の信号とタイミングを揃えているためなのかもしれない。
地下トンネル出口との関係もあるかもしれないが、以前ほど「美しい」変わり方ではなくなってしまった。
※休日(土日?)は、大通り側の青が少し短くなるが、全体の順は変わらないはず。ほかにも時間帯で違う可能性あり。
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不振・様々な対応 その後

2016-10-21 00:00:00 | 秋田のいろいろ
【22日アップ日時を修正】当初は10月20日23:45:56付でアップしましたが、同日付で別の記事を先にアップしていました。勝手なこだわりですが、1日につき1記事としたいので、21日00:00:00付に修正させてもらいます。

以前気になった表示類の続き2つ。
ちょうど2年前のアップ。とあるアパートに管理会社が張り出した、勧誘等での部外者の立ち入りを禁ずる掲示で、「不審な人」とすべきところを「不振な人」にしてしまっていた。
(再掲)
今年の夏頃に見ると…
直ってる!
よく気づいたもんだ。
しかも、以前の掲示と文字の配置も書体も同一。データを保存しているのでしょう。ということは、この掲示を同社が管理する他のアパートにも張っていた?
ただ、電話番号の前の電話の記号だけ、新旧でデザインが違っている。以前のはやけに古そうな、上部がくびれた電話機だったのが、今は一般的な電話機(といってもダイヤル式ですが)になった。


先月アップした、無断駐車をしたら「様々な手段で対応します」との掲示が出ていた、何をされるのか恐ろしい駐車場。
(再掲)
今もその掲示も出ているが、ラミネートしているのになぜか1枚は半分ちぎれていた。(こういうのをちゃんと管理したほうが、抑止効果があるのでは? 管理会社自体は別の場所でも、関連会社は目の前にあるのだし)
そして、さらに別の掲示が1枚だけ出ていた。相変わらず大きくないサイズ。

これはラミネートじゃなく、透明テープで覆ったようで、すき間から水が入って紙にシミがついているようだ。所有者の関連会社に事務機器代理店があるけれど、ラミネーターは扱ってないの?

文面は、以前より細かい。
月決めのほか「当社と臨時利用契約を結んだ周囲のホテル・諸施設の関係車両専用」だそう。宿泊客のバスが駐まっている所は、ホテルが借りっぱなしなのではなく、都度借りているということか。

恐ろしい文言が書かれていた部分は、「駐車料金10,000円を徴収します」に変わった。
なーんだ。ほかの駐車場でもたまに見られる、罰金だけ?

でも、別の掲示には「様々な手段で対応します」とあるんだから、これ以外にも何かするんじゃないの? ボッコボコにするとか?
この程度のサイズ・内容、しかも細かい文章では、読まずに・理解せずに無断駐車してしまう者はまだいるでしょう。
だったら、「無断駐車は警察に通報し、罰金1万円請求」とでっかく書いたほうが効果がありそう。

あと、辻さんほどの企業が本気で無断駐車をさせたくないのなら、ゲートを設置するとか、監視カメラを設置するとかすればいいようにも思いますが…
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新新CNA道路カメラ

2016-10-20 00:11:12 | 秋田のいろいろ
秋田ケーブルテレビ(CNA)自主制作の地上12チャンネル「お天気・交通情報」が、この10月からまたリニューアルされた。
投稿写真紹介や、データ放送を使って2011年12月から提供されていた路線バス時刻表検索や、地図による渋滞情報などが終了した。(渋滞情報は文字で継続)

そして、ライブカメラによる道路情報と航空機・秋田新幹線の運行情報はデザインが一新。
この放送は、開始当初は道路ライブを1画面ずつ放映していたのが、2015年4月に複数カメラの映像や気象情報を同じ画面に同時に表示するようになり、今年4月に一部が修正されていた。

これが新しい画面



各ライブカメラの映像は、以前より大きくなって、同時に2つ表示。
その周りに道路情報や天気予報が簡潔に表示される。天気予報は、以前は秋田市外の場所もローテーションで表示されていたが、秋田市の予報だけになったみたい(やってないけど郵便番号で設定できるのか?)。
総じて9月までの画面よりは見やすいかもしれない。

ちなみに、カメラ映像以外はデータ放送の仕組みを使っている。だから、データ放送を記録できない機器で録画して再生すると、
 
周りが真っ白になる。
※この後、秋田駅の工事にともなって、一時的に新幹線到着情報が休止



道路ライブカメラについて。
従来の7か所は、CNA旧本社だった「八橋鯲沼町交差点」を含めて継続。画質やテロップからして、以前と同じ装置を使い続けているようだ。
それに新たに「山王十字路」が加わった。これはいくぶん画質が良いようで、テロップもギザギザのない文字。方向の表示はなく「山王十字路」のみの表示。
山王十字路の映像
十字路東側から見下ろした映像で、手前が竿燈大通り(広義では山王大通り)秋田駅方向、奥が山王大通り 県庁・臨海方向。手前の中央寄り車線は、秋田中央道路地下トンネルへの出入り口。
道路は見えないが、左右は通称新国道で、左が茨島方向、右が土崎方向。

山王十字路は秋田市の道路交通の要衝の1つであるから、カメラ設置は分からなくもない。
しかし、既に秋田市文化会館前、茨島交差点、鯲沼交差点と、あまり遠くなく、交通の流れとしてはさほど違わない場所にカメラが設置されている。
ここに新設するよりも、ライブカメラが手薄な土崎など秋田市北部、または横金線など東部に設置したほうが意義が大きいようにも思われる。


気になるのが、山王十字路カメラの設置場所。
これまでの7つは、道路沿いに柱を立ててカメラを設置したところがほとんどだったが、山王十字路はかなり高い位置。
最初、上り側山王十字路バス停前のホテルアルファイン秋田かその近隣のビルに設置しているのかと思ったが、そうではない。その山王十字路のバス停や地下トンネル出口が写っているのだから、もっと東側だ。
映像は、レンズの圧縮効果で距離感が縮まっていたり、風が吹くと揺れが目立ったりと、かなりの望遠で撮影されているのがうかがえる。
実際に、アルファインの東側は、當福寺(画面右下の緑の屋根)と低い建物しかないから、そこでもない。それよりさらに東の高いビルは…

オフィスビルを改装した「竿燈大通りブライトマンション」(この記事後半)かと思ったら、そこでもなさそう。もっと東。
三井アーバンホテルを改装した福祉施設「きららアーバンパレス」の屋上に、
カメラらしきものが!
従来から設置されているのとは違う、最近流行りの球形のカメラだが、NHKのリモコンカメラなどよりはずっと小さそう。山王十字路の中心までは440メートルも離れているのに、あんなにズームできるんだ。


300メートル強離れた、地下トンネル出入口付近の歩道(上の画像AとB付近)から見ると、
 
矢印がカメラの位置。かなり遠く感じる。

真西向きだから、夕方は逆光になりそう。それよりも、冬の吹雪の時なんか、風向きと風の強さと距離のせいで、真っ白い映像がガクガク揺れるだけにならないでしょうか。



最後に、各カメラの映像が流れる順番。
まず、[空港と秋田駅]と[道路ライブカメラ2画面]は区分して放送されるので、両者が1つの画面に同居することはない。
[空港と秋田駅]を約1分間→[道路ライブカメラ]を約2分間(2分01秒くらい?)→…のローテーション。
ただし、18時台など[空港と秋田駅]が放送されない時間もある? その時間も航空機や鉄道は動いているのですが…【11月27日追記】夜~朝の列車・航空機がない時間帯は、[空港と秋田駅]が流れずに道路ライブのローテーションのみ。これは分かる。


2画面の道路ライブカメラは、その時にオンエアされているか/いない(=空港・駅がオンエア中)かに関わらず、8つがローテーションを繰り返している模様。
左右それぞれに4か所を割り当て、それぞれ30秒ずつのローテーションで切り替え。
左画面は、茨島交差点→秋田市文化会館→鯲沼町交差点→手形(いとく秋田東店前)
右画面は、秋田大橋北→外旭川アンパス北→明田地下道西→山王十字路
の順。
空港・駅に切り替わるまで2分間なので、その間に8か所すべてが放映されることになる。

左右の切り替えは同時ではなく、左が切り替わった約11秒後に右が切り替わる(逆に言えば右の19秒後に左)。同時に替わったほうが分かりやすいと思うのだけど、あえてずらしているのだろうか?
現時点では、茨島と秋田大橋、文化会館と秋田大橋、文化会館とアンパス、鯲沼とアンパス、鯲沼と明田、手形と明田、手形と山王十字路、茨島と山王十字路の組み合わせで放映される。
将来は、切り替えのタイミングに微妙な誤差が蓄積され(うるう秒みたいに)、この組み合わせが変わることがあったりするかも。

一方、空港・駅は2分00秒よりわずかに長く映るため空港・駅と道路カメラがそれぞれ1分ジャストと2分ジャストの放映ではないのに対し、各道路カメラは30秒ほぼジャストなので差が生じるため【ここまで20日訂正と補足】、空港・駅から切り替わって最初(もしくは切り替わる前の最後)に映っているライブカメラの組み合わせは、都度変わる。これも意図してずらしているのかは分からない。【20日追記】ただし現時点では、空港・駅から切り替え後、茨島&秋田大橋で始まることが多いような気もする。

したがって、タイミングが悪いと最大3分弱待たないと全部のカメラの映像を見られないことになる。9月までよりはいくぶん改善されたものの、まだ待つのがまどろっこしい気もする。当初のように15秒ずつでいいと思う。

※その後、2020年春頃までに、設置箇所が増え、古いカメラが交換されるなど変化が出ている。いつかまた。
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地形図の謎 解決

2016-10-17 23:49:25 | 秋田の地理
2014年に、国土交通省国土地理院の地形図に、「謎」があることを取り上げた。その後。
今なお変化がないものもあるが、「秋田貨物駅」と旧称「秋田操車場」が両方記載されているものや、NHK秋田放送会館が移転していないのは、正しくなった。ただし、移転前のNHKにはあった「電波塔」の地図記号が、移転後にはない。
市役所移転は時期的にまだ反映されていない。

また、地理院地図の機能として、以前よりも、さらにもう1段階ズームアップできるようになったらしい。
そこまで拡大すると、地図記号ではなく、その施設の名称が表示されるのが原則のようだ。
ただ、Googleマップなどと同様、粗い縮尺の時はその存在が示されるのに、ズームして細かく見ると、記号も名称も表示されなくなってしまうものや、その逆に拡大すると突然存在を示す施設もあり(秋田市立中央図書館明徳館や後述の日銀秋田支店など)、ちょっと困る。

以前の最後に取り上げた大きな謎が、秋田市大町三丁目、大町西交差点角にあるオフィスビル「マニュライフプレイス秋田」についていた「官公署」の記号。記号に該当する役所は存在しないように思われた。
現在も官公署の記号がある

ズームすると…
そうだったのか!
それ以前に、ズーム前は記号がなかったのに、拡大すると突然「日本銀行(秋田支店)」が現れる。
1ブロック東にある「秋田銀行大町支店」はどちらでも表示されず。【18日追記】日銀の脇にある「記念碑」記号はズームすると消えてしまう。

官公署の正体が判明した。「東北厚生局秋田事務所」だそう。
でも、ここにそんなのあったっけ?

ネットで調べると、
厚生労働省東北厚生局ホームページより
「厚生労働省東北厚生局秋田事務所移転について」という告知を発見。
厚生局秋田事務所は2015年1月5日に、マニュライフプレイス秋田2階から山王七丁目の「(国の)秋田第二合同庁舎」4階へ移転していた。

ということで、地形図は移転を反映していなかったことになる。
だけど、以前謎をアップしたのは、2014年だから移転前のはず。その時の現地のビルの前のテナント一覧には表示がなかった。
やっぱりヘン?
まあ、深く考えずに、謎は解決としましょう。

地形図が現状に即していないのは確実なので、国土地理院へ伝えておきました。
欲を言えば、厚生局秋田事務所が移転する時に、国土地理院にも連絡することはできなかったのか。縦割り行政で難しいのだろうけど、国の役所どうし、日本が誇る正確な地形図を維持するために。


さて、厚生局秋田事務所の移転先の第二合同庁舎とは、秋田地方気象台なども入るビル。
近隣には、別の合同庁舎や裁判所など、国の機関が集結している。そこを地理院地図で見ると…
びっしり
いずれここに「東北厚生局秋田事務所」も加わるのでしょう。
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羽後交通100円/五城目線乗り放題

2016-10-16 00:32:17 | 秋田のいろいろ
10月14日の秋田魁新報の県南地域面(横手支社管轄)に「羽後交通創業100周年/バス運賃一律100円に/23、24日 県内60路線対象」という記事が出た。
へぇーと思って、羽後交通の公式サイトで確認。
「新着情報」には出ていないけれど、そのすぐ上に「羽後交通創立100周年特別企画」というバナー(?)があり、そこに「謝恩運賃 100円デイズ」としてPDFファイルへのリンクがあった。
※魁では「創業」、公式では「創立」としている。また、魁によれば同社の路線バスは1930年に運行を開始、現在は年間約167万人が利用。

10月24日に創立100周年となる同社が、10月23日・日曜日と24日・月曜日の2日間、ほぼ全路線を1乗車100円均一にするとのこと。※利用の際は、詳細を各自確認してください。
対象外の路線は、高速バス全線(湯沢・横手-秋田も含む)、急行八幡平線、急行玉川線、駒ヶ岳線。
田沢湖一周線や、同社が受託運行する各地のコミュニティバスは対象
小児運賃は、上限を100円とする。
100円分を回数券で支払ってもいいのかどうかは記載がないけれど、常識的に考えて現金のみの支払いでしょうか。

魁によれば、100円乗車の対象となる「最長路線は「横手・本荘線」の65キロ区間」。正規運賃は1870円。
ということで、急行秋田-本荘線も100円で乗ることができる。
急行本荘線も100円!
県立体育館前・秋田駅西口・新屋一帯~本荘市街は正規運賃870円のところ100円!(JRの秋田-羽後本荘は760円)
秋田-新屋方面など秋田市内だけの移動でも、半額以下で充分お得。
例えば、秋田から本荘まで行って別路線に乗り換えれば象潟、矢島・鳥海方面へも、片道計200円で済むことになる。


これを知って思い出したのが、いつだったか、秋田県内の第3セクター鉄道が、10円均一乗車の日を設定したら、超満員になったという話。
調べてみたら、1998年に秋田内陸縦貫鉄道が開業10周年記念として、「平成10年10月10日」に行ったものだった。(もっと最近かと思っていた)

10円と100円では、インパクトが違うだろうけれど、横手、湯沢、大曲、本荘では、当日のバスは混雑しないだろうか。
秋田市では、本荘線だけだから限定的でしょうけど。

こういうのは、当然、採算は取れないのだろう。
謝恩と言っても、日頃利用していない(謝恩されるべきでない)人が押しかけるかもしれないし、反対に日頃利用している人が、当日の都合が悪かったり、定期券を持っていたりして謝恩にあずかれないかもしれない。
まあ、お祝いというかお祭りというか、バス会社の気持ちということなんでしょう。


秋田県内の全線定額としては、秋田県北部をエリアとする秋北バスが、夏休み中に小学生50円、中高生100円均一を実施している。これは、気軽にバスに乗ってもらって、今後の利用につなげようとするもの。

じゃあ、秋田中央交通は…
秋田市在住の高齢者が、秋田市内の路線を100円均一で乗車できる「コインバス事業」があるけれど、それは秋田市の事業。秋田市によって、すなわち税金から補填されている。中央交通が自発的にやっているものではないし、秋田市外の住民、秋田市外の路線は対象外。
それなりに(秋田県内他都市と比べて)大きくてバス利用者がいる秋田市では、安易に全員もしくは学生の均一運賃をやったら、混乱が生じてしまって、難しいのかもしれないけれど。
中央交通はあと5年ほどで創業100周年だけど、新社長は何かやってくれるだろうか。

※続きはこちら



同じ14日。中央交通のホームページに「一日乗り放題乗車券が五城目線全区間で使えます。(実証実験)」がアップされた。
10月15日から今年度いっぱい、本来は秋田市内のみ有効の1日フリー乗降の乗車券の適用区間を、五城目線の秋田市外区間(全線)にも拡大するというもの。
さらに、中央交通五城目営業所の窓口に乗車券を提示すると、五城目町内の飲食や物販の5店舗で使える200円割引券をもらえる。
秋田県の「新たな地域公共交通推進モデル事業」の助成を受けて実施。

この乗車券は、現在は秋田市内の中央交通全路線(空港リムジン、高速、中心市街地循環バス、郊外部のマイタウンバスは除く)を、大人930円・子ども470円で1日フリー乗降できるもの。
もともとは、秋田市交通局が1990年度から発売を始めたもので、「一日乗りほうだい券」という表記だったはず。
発売開始からしばらくは、市営バスの全路線だけが対象で、中央交通は一切利用不可。
その後、中央交通への段階的路線移管が始まっても変わらず。少なくとも2001年当時は、移管してしまうとその路線では使えなくなってしまっていたらしい。
しかし、2003年(2002年度末?)には「移管路線を運行する中央交通バスでもお使いいただけます。」と緩和され、さらにいつの間にか(完全移管の2006年よりも前に)、乗りほうだい券の制度自体が中央交通へ“移管”されて、市営バスが走っていなかった中央交通単独路線・区間でも利用できるように拡大されている。2005年の雄和・河辺地域の合併後は、そちらへも拡大されているはず。【16日補足・この辺は明確な告知がなく、なし崩し的に変更されたと記憶している】
一方で、中央交通が撤退して秋田市が運行するマイタウンバス化された路線では、委託先が中央交通(トランスポート社)であっても利用できなくなっている。
また、ホームページでの乗車券の紹介は、目立たない位置にひっそりとそっけなく告知されているだけ。中央交通としてはあまり知られたくない・売りたくないようにも感じていた。

現在の中央交通公式サイトでは「乗り放題乗車券(一日フリー乗車券)」という表記だけど、今回の実証実験のリーフレットでは「いちにち乗り放題乗車券」表記。最近買ってないので、実物の券面にどう書いてあるかは知らない。


秋田駅西口と五城目バスターミナルを、新国道・土崎・飯島・追分経由で結ぶ五城目線では、これまでは「大清水」バス停までがフリー区間だったはず。秋田駅-大清水の正規運賃は750円。
大清水まで乗りほうだい券を使い、大清水-五城目を別途支払っても700円もかかってしまう。秋田から八郎潟までJRで行って、バスに乗り継いでも、計片道700円は越える。
秋田-五城目の正規運賃は940円。乗りほうだい券を片道だけ使っても10円得。

かなりお得になるわけだけど、所要時間は1時間15分。昔のように「(鉄道でなくバスの)特急かもしか」が観光バスタイプの車両で走っていれば快適だけど、今は路線バス仕様だから…
今回のリーフレットではバスのイラストが載っているが、なぜか三菱エアロスターとはっきり分かるデザイン。実際に臨海営業所担当ダイヤでは、たまに運用されるけれど、これに1時間以上乗りたくはない。

市営バスから引き継いだ乗りほうだい券の制度を使って、県から助成を受けてというのは、相変わらず独自性が低いと思ってしまう【16日補足・着眼点、アイデアとしては悪くはないとも言えるかも】。しかも、15日から始めるものを14日に告知するってのもいかがなものか。マスコミにリリースはしたのだろうか。
ホームページ掲載のリーフレットを見る限りでは、乗りほうだい券の販売箇所が分からないのも不親切。五城目側では売らないのだろうか?
でも、地味な存在の乗りほうだい券の再アピールと、バスの利用促進、町村部の活性化にはなるかもしれない。
※発売所などについてはこの記事後半参照

【2017年3月1日追記】
実験終了後の2017年4月1日から「適用範囲拡大と料金の改定」が行われる。五城目営業所でも発売。スクラッチ方式の券や払い戻しについては変更なし。
1000円に値上げの上、利用エリアが社会実験が行われた五城目方面のほか、五城目線と並行する八郎潟線(八郎潟駅~五城目)、さらに潟上市の天王グリーンランド、旧河辺町の太平線・岩見三内、わだ線・和田駅前、旧雄和町の雄和市民サービスセンターまで拡大される。
高速、空港リムジン、中心市街地循環バス、国際教養大学線は対象外。
秋田市中央部を走る全路線で、終点まで乗車できるということになりそう。人によっては便利になるのかもしれないけれど、これまでのエリア内しか乗らない人には、単なる値上げ。
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新支社と新煙突

2016-10-14 00:02:33 | 秋田の季節・風景
先日少々取り上げた、JR東日本秋田支社周辺の現状。
秋田駅新幹線ホーム上の自由通路から南方向
まず目に付くのが、右(西)側の鉄骨組みの工事現場。これが秋田支社の新しいビル。5階建てで2017年春使用開始予定。
当たり前ながら今の支社の位置と比べると、駅から遠く感じられる。
東口側から線路越しに(新幹線は動いています)
上の写真でビルの手前にあるアーケード状のものは、2番線ホーム。
2番線だけ他のホームよりも南側にせり出した配置だし、もしかしたら長さそのものも他のホームより長いのかもしれない。昔は長距離列車がよく発着していた。
南方にある秋田運輸区(?)への通路を兼ねていて、乗務員などJR関係者がよく歩いている。そんな2番線の南端近くにビルが建つ。
もっと南側からはこんな位置関係。左端手前はパチンコ屋
線路に平行な南北方向よりも、東西方向(写真では左右)のほうが長いビルになるようだ。


もう1つ。さらに南側のJRの土地。
そこに煙突があったのだが、今年春になくなった。いただいたコメントによれば、暖房用ボイラーの煙突だったとのこと。
支社改築を機に、暖房システムを改めるのかななどと考えて、気にかけないでいたら、いつの間にか…
まだまだがんばる583系電車の向こうに!
銀色に輝く真新しい煙突ができていた。(冒頭の駅からの写真にも写っています)
暖房を使わないシーズンの間で、新しくしたということか。
煙突の大きさは以前と変わらないような気もするが、写真で見ると、わずかに低くなったような気がしなくもない。

こちらも東側から線路越しに見ると、
 
てっぺんに火の粉止め(??)みたいなものが付いた。

北側の根元をよく見ると、

この後、ここで煙突とボイラーを接続するということでしょう。

明田地下道の上付近から、新煙突と新支社と秋田駅
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駅東線の記録

2016-10-12 00:23:29 | 秋田市営バス
秋田市内を走る秋田中央交通のバス路線のいくつかが、2016年9月で廃止もしくは経路変更された。※この記事この記事参照
いずれの路線も運行時間帯や本数は限られたもので、大勢に影響はないとも言えるが、いずれも元は秋田市営バスが運行していた路線であったので、市営バスの面影がまた消えたとも言えよう。
廃止路線のいくつかを、記録しておくことにする。

今回は、駅東線。以前も取り上げており、「えきひがし線」ではなく「えきとう線」であるらしかった。
秋田駅東口と大学病院、さらにその東隣にある境田団地の境田上丁の間を小型バスで運行。
廃止時点では、平日のみ3往復と、ほかに朝に大学病院始発で秋田駅を経由せず、明田地下道・南大通り・県庁を経由して、大川反車庫へ行く片道1便が運行されていた。

この一帯のバス路線は、経路の変更等が繰り返されていて、歴史はよく分からないが、昔の「広報あきた」等でざっと調べた限りでは、
・1970年代前半の時点で秋田駅西口発着の「広面線」という市営バス路線が存在。1972年冬に山崎南団地まで延長されている。(それまではどこ止まりだったのかは不明)小型バス導入前なので、大型バスなどで運行されていたはずだから、まったく別ルートだった可能性が高い。
・1975年に市営バスが初めて小型バスを導入したが、その段階では駅東線には使われていない。つまり路線がまだできていない可能性がある。
・1979年では、小型バスによる「広面線」が、西口-広小路-南大通り-明田踏切(現・地下道)-東通-広面-山崎南団地という経路(西側がずいぶん遠回りだ)で運行されている。これも微妙に違いそう。
確実なのは、
・1988年に秋田駅に東口が開設(自由通路Weロード)され、バス乗り場も設けられ、東口-大学病院の「駅東線」が登場。毎時2本、1日33往復もあった。
・2003年春。市営バスから中央交通へ路線移管。この時点では毎時1本程度。
・2014年11月。大幅減便。土日は全休に。
少なくとも28年の歴史がありそう。【末尾の追記も参照。1980年に駅東線の運行が始まっているが、この記事の駅東線とは微妙に重なっているが、大きく違う点もあった。】

ルートは、秋田駅東口を出て2つ目の交差点で左折し北方向へ進んで、間もなく右折。狭い道を1.5キロほど東へ直進。突き当りを左折して北へ進めば、大学病院。大学病院に立ち寄った後、東進して境田団地に入り、北進して終点。(境田団地内の状況はよく知りません)
全バス停を記しておく。下線部分がこの路線単独のバス停であり、それらが今回廃止された。※地図はこの記事最後にあります。
秋田駅東口-手形東町-手形西谷地-北光寮前-手形十七流-広面屋敷田-広面家ノ下-広面大巻-広面谷地田-南団地-山崎団地前-谷内佐渡-大学病院前-境田下丁-境田上丁【15日訂正・「谷内佐渡」を抜かしていたので追加しました】

では、路線を少したどってみる。※撮影は廃止前ですが、車両の写真はありません。
上り側手形東町バス停。奥右方が秋田駅東口。タワー状のものはNHK
サンクス秋田手形店(いずれはファミマに転換か?)のところに、最初のバス停「手形東町」がある。
「手形東町」という地名は存在しないが、この付近の町内会の名前のようだ。バス停のローマ字によれば「てがたひがし“まち”」。
この北方400メートルほどの手形陸橋の通り(県道28号線)にも、同名のバス停がある。そちらは赤沼線や太平線などが停まるので、今回の廃止とは無関係。
ちなみに、県道側で手形東町の隣のバス停は「若葉町」だが、これも町内会名が由来らしい。名前が思いつかなくて、苦労して命名したのかな。

赤沼【12日訂正】駅東線用手形東町のポールは市営バスタイプの円形表示板のダルマ形だったが、バス停名の文字が縦長の丸ゴシックなので、移管間もない頃に中央交通が設置したものと思われる。上り側もおそらく同じ。※バス停板面はこの記事参照
ちなみに、県道側の手形東町は2事業者共用タイプの四角い表示板のダルマ形で、ローマ字なし。

秋田駅を出てすぐだけど、さっそく手形東町で運賃(整理券番号)が変わる。
駅から乗った場合は次の区間も引き続き初乗り運賃が継続されるが、大学病院方面から乗った場合は、駅まで行くよりもたしか10円安い。
また、朝の県庁方面行きは、手形東町通過後、秋田駅東口をすぐ右に見て素通りし、次は「東大通り」。東口行きは9時過ぎまでないのだから、県庁方面行きが東口に立ち寄っても良かったのではないかな。時間は大してかからなかったし。今さらだけど。

さて、東口からここまでは、歩道と中央分離帯付きの広い道路。ここ数年で、手形山崎交差点まで開通して、東口から秋田大学方面へスムーズな通行ができるようになったが、昔は歩道もない狭い道だったはず。

秋田駅から来たバスは、手形東町通過後、すぐに右折する。
上の写真と逆方向。奥が秋田大学方向
上の写真左奥に青い道案内の標識が写っているが、それより手前(中央分離帯が途切れた所)の小さな道へ入る。
こんなところからこんなところへバスが出入りするのかと驚くけれど、昔は曲がる前の道も同じようなものだったはず。

以降、歩道もセンターラインもない対面通行の道を東へ進む。ここは小型バスじゃないと厳しそう。
(順が前後しますが)手形十七流
この先、「広面谷地田」バス停までの1.3キロほどの間に信号機付き交差点は1つ、ほかに常時点滅の信号機付き交差点がたしか2つあって、バス路線側が黄色点滅。一方で、信号のない交差点では、バス路線側が「止まれ」の箇所もある。
沿道は住宅街。新しい家やかつて(今も?)農家だったような大きな家もあるにはあるが、築30~40年と思しき民家やアパートが多い。最近はそれらが解体されたような空き地もある。
必然的に、民家の玄関前にバス停があるような状態。
この道のバス停は、ほぼすべてが市営バス末期に設置(あるいは表示面の更新)されたと思われる、バス停名が細い丸ゴシック体でローマ字併記の透明シールを貼り付けたタイプ。このタイプがまとまって存在するのは珍しいかも。
棒や表示板面はかなり錆びているものの、表示部分は意外にもしっかり判読できるものが大部分。

「手形西谷地」の次は、
 「北光寮前」
上り側は例によって透明シール。下り側は違うタイプで、やや太くやや扁平なカットシールの文字。これも市営バス時代の設置ではあるが、別に用立てられたようだ。色あせ具合が違うほか、ローマ字が透明シールは「HOKKOURYOUMAE」、カットシールは「HOKKO RYO MAE」。

「北光寮」とは、秋田大学の学生寮。
上の写真で更地になっている部分に、以前は建物があった。現在は、東隣の交差点角に、高層の新しい寮ができている。
調べたら、2010年に新しくなったそうで、今は「北光寮」ではなく「西谷地寮」という名称だそう。バス停名が古いままだったことになる。
ちなみに、北光寮時代は工学資源学部(旧・鉱山学部)学生限定だったのが、今は全学部の学生が入居できるとのこと(ただし男子寮)。

信号機付き交差点を越えて手形変電所を過ぎると、
「手形十七流」上り側
「てがたじゅうしちながれ」という、変わった響きのバス停。
所在地の「手形字十七流」に由来する。大字の「手形」も由来には諸説あるそうだが、小字の「十七流」がことさら不思議。
秋田市立東小学校ホームページ「地名の由来」によれば、明治頃に(秋田駅前にあった、旧陸軍)歩兵第17連隊を除隊した人たちが流れて移り住んだという説や、水の流れや川が17か所あった説があるものの、根拠はなく分からないようだ。


そろそろ、大字が「手形」から「広面(ひろおもて)」に変わる。この道路が両大字の境界になる区間もある。
「広面屋敷田」
ローマ字では「HIROOMOTEYASIKIDEN」、すなわち「~やしきでん」。
ところが、地名としての小字「屋敷田」は「やしきだ」と読むようだ。(上記東小ホームページと秋田市生活総務課ホームページ「秋田市地名小辞典」より)

秋田市では、外旭川八幡田や手形の搦田のように、「○○田」を「~でん」と読む地名がいくつか見られる。一方で、「~た/だ」ももちろんある。
かつての秋田市交通局では、この確認が甘かったらしく、手形の扇田(おうぎだ)を「OGIDEN(おうぎでん)」としてしまっていたが、屋敷田も同じケース。【12日補足・ただし扇田では、地元の人たちは「おうぎでん」と呼んでいるとのコメントもいただいていた。生活総務課か交通局か、どちらかが間違っているか、2通りの呼び名が存在するということなのかもしれない。屋敷田については地元でどう呼ぶのかは不明】

上の写真の上り側の表示板では、左右に穴が1つずつ開いている。下の棒で留めているネジ穴の下にも別に1つある。
また、下段の赤い部分の塗装が取れて、下の層に市営バスの表示板の上段に使われていた緑色が見えている。
塗り替えた時に、回転してしまったのかもしれないが、穴がたくさんある理由にはならない。多くの経歴を持つ表示板なのだろう。

広面屋敷田で運賃・整理券が変わる。東口から乗った場合、広面屋敷田までが初乗り運賃だったはず。
道路両側とも広面地区になって、
「広面家ノ下」上り側
広面家ノ下の上り側もまた奇妙。
ポールの枠に時刻表がきちんと掲出されているのに、その隣の電柱にも、まったく同一の時刻表(改正日が同じ)が掲出されている。なぜ?
電柱のほうは、針金やビニールひもを使って巻きつけられている。
推測だけど、最初は普通に枠のみに掲出→枠の時刻表が風で飛んでバス会社側が新たに掲出→その後、飛ばされた時刻表が近隣の人によって発見され、捨てるのも忍びないと電柱に巻きつけた。といった経緯だろうか。(だとしても、廃止の告知を貼りに来た時に気づいてなんとかしても良さそうなもんだけど…)

「広面大巻」で運賃が変わって、
「広面谷地田」上り側
これは「やちた」。地名小辞典によればこれで正解。
上り側では、時刻表の枠がひもで十字に縛られている。
枠はサビサビで浮き上がっている。このままでは時刻表が外れてしまうと、近隣の人が見るに見かねて、縛ったのだろうか。

東進する区間のバス停は広面谷地田が最後。
すぐに、久々の信号機があって、
広い道路を越える ※横向きの車は、道路外の民地に駐車している。標識より右がバス路線の道路
横金(よこかな。横山金足線)こと県道41号線を横断。
この交差点の積雪時に停止線の位置を知らせる標識が、縦書きの「停止位置」の古いタイプ
交差点の先も引き続き狭い道が続くものの、バス停はない。突き当たって左折すれば、そこは赤沼線の経路。合流してあとは一直線で大学病院方向へ向かう。
運賃は、南団地と大学病院で変わる。

手形西谷地から広面谷地田まで、約1000メートルの間に7つのバス停があったから、平均して150メートル弱の間隔。実際に、200メートルと離れていない位置に隣のバス停がある。
ところが、広面谷地田の次のバス停は、突き当たって左折した「南団地」で、300メートルほど離れている。横金線開通前からバス停は変わっていないようだが(位置は動いたのかも?)、偏っている。

それから、この区間で地名を使ったバス停は、すべて「手形~」「広面~」と大字が頭に付いているのが特徴的。
秋田では、「(新屋)豊町」「(川元)むつみ町」「(保戸野)桜町」「(外旭川)神田」「(手形)からみでん」といった具合に、大字(に相当する地名)を略すバス停が少なくない【14日追記・もしくは表示板やホームページで“表記ゆれ”があって、大字の有無が不統一=むつみ町など】のに、駅東線は律儀。命名当時の交通局の気まぐれでしょうけど。
【15日追記】終点の「境田」は、所在地名「柳田字境田(やなぎだ あざさかいだ)」が由来。


駅東線の廃止代替は、既存の赤沼線。
東口-碇入口-南団地-大学病院-赤沼入口-手形山崎-西口-車庫の経路。
上記の通り、南北方向の南団地~大学病院は同一ルート。東西方向の区間では駅東線の南300メートル(東口~碇入口)と北350メートル(手形陸橋の通り)ほどの位置を並行する。
東口~大学病院は、赤沼線でも駅東線でも、運賃は同額(廃止時220円。西口よりも30円安い)で、所要時間もほぼ同じだったはず。
地理院地図に加筆
↑赤い線が駅東線、青い線が赤沼線。●はバス停で、赤丸が駅東線専用で今回廃止。【12日訂正】大学病院の1つ下の青丸は「谷内佐渡」停留所ですが、位置を間違えてマークしていました。もう1ブロック下が正当です。

東口を出た赤沼線が走るのは、東口からまっすぐの広い道路。秋田中央道路地下トンネルの上-トンネル出入口-城東十字路-中央インターへ至る、市道~県道62号線。
今の感覚ならば、この広い道路があるのに、駅東線はどうしてわざわざ狭い道を走っていたのかと思うかもしれない。
しかし、広い道路が開通したのは、1998年頃。(当時は「中央線」と呼ばれていた)
それまでは、北側の手形陸橋の通りか、ずっと南の明田地下道の通りしか、東西方向の大きな道路は存在しなかった。
駅東線の運行開始当時は、(近隣の住民の足となるには)あの狭い道路を走るしかなかったのである。
(再掲)アルヴェ14階から東方向。右奥が中央IC方向。他の道はどれも狭い
広い道ができたから、単純に赤沼線へ振り替えてしまってよかったのかとなると、疑問。
以前も述べたように、赤沼線のルートにはバス停が少ない上、広い道を信号のある交差点まで回って向かい側へ渡らないとバス停と行き来できなくなるケースもあり、ほとんどの駅東線沿線住民にとっては、バス停がかなり遠くなってしまうはずだから。

駅東線の手形西谷地~広面谷地田まで7つのバス停がある区間において、その南側を並行する赤沼線ルートでは、東通一丁目、東通二丁目、城東中学校入口(旧・東営業所入口)、碇入口の4つしかない。
三吉神社・赤沼入口の北側ルートでは少し多いものの、道路までの距離がややある。

こまめにバス停があり、その取れそうな時刻表がヒモで縛るなどされていたのは、駅東線が地域に密着した路線で、沿線住民から親しまれていたことの現れではないだろうか。駅東線沿線のみなさんが廃止に納得しているのならば、よそ者が口を出す余地はないのだろうけど、赤沼線のバス停を増設するとか、もう少し救済措置があってもいいようにも思える。

それから、告知はされていないが、廃止された境田下丁と境田上丁の代替として、太平線(岩見三内行き)の柳田入口と柳田下丁が使えそう。
ただし、西口発着だから運賃は高くなるし、大学病院にも立ち寄るから大学病院で降りて歩いても大して違わなさそうではある。


さて、赤沼線【12日訂正】駅東線の廃止により、小型バスが秋田駅東口に出入りすることはなくなると思っていた。
ところが、10月以降も東口に小型バスが待機していることがある。待機場所として使っているだけなんだろうか?

別の廃止路線について、また後日。次の記事は泉山王環状線の記録

【10月17日追記】歴史について。
秋田市交通局の庁舎・中央営業所が保戸野鉄砲町から寺内(臨海)へ移転した1980年7月13日から「駅東線」の運行が始まっていた。今回廃止された駅東線と重なるルートもあるが、異なる点もある。
秋田駅前(西口。当時は東口はなかった)-(明田地下道)-東通仲町-長沼東町-東営業所入口-東通十字路-手形西谷地-秋大北光寮前-手形変電所前
というもの。
長沼東町~東通十字路というのはよく分からないが、東小学校のほうまで遠回りしていたのかもしれない。手形西谷地以降は、廃止された駅東線と重なる。変電所前というバス停があって、それが起終点なのは意外。毎時ほぼ1本運行。
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秋田駅待合室移転

2016-10-10 21:25:08 | 秋田のいろいろ
以前からちょこちょこと触れているけれど、秋田駅周辺はJR東日本によって変化しつつある。
・秋田駅西口の南側にあるJR東日本秋田支社の社屋が、その南側に新社屋を建設中で来春竣工予定。
・現・秋田支社の跡地には、山王にある秋田放送(ABS)本社が、2020年に移転予定。
・秋田支社が秋田県や秋田市と協定を結び、まちづくりで連携協力を進める。
といった具合。
上記は、一般市民や乗客には、あまり直接的関係がなさそうなことだけど、来春には秋田駅自体に変化が起きることになり、あまり大々的ではないけれどお盆頃(名目上は7月)から工事が始まっている。
それは、
・秋田駅西口南側(駅自由通路と秋田支社の間)にある立体駐車場「トピコ・アルス第1駐車場」を建て替え。高層にして駐車台数を現行109台から約270台に増加し、支社ビル南側にある駅レンタカーを移転して併設。
・中央改札口から西側の自由通路に面した2階の各施設をリニューアル。配置を見直して秋田駅の観光拠点化を図る。
もの。【詳細は5月20日付と6月17日付のJR東日本秋田支社のプレスリリースをご覧ください】
秋田県がJR東日本の2017年春の「重点販売地域」に指定され(プレ・デスティネーションキャンペーンってこと?)るので、それに合わせてオープンするようだ。
8月上旬。左~中央の広告パネルの向こうが解体直前の旧立駐。低いので存在感は薄かった。右が秋田支社
20年前に現駅舎と同時にできた立体駐車場は、既に解体が終わって、今は基礎部分らしき工事中。

2階の観光拠点化については、もう少し説明します。
現在は、自由通路の北側に東側から[改札口・みどりの窓口・待合室・トイレ(段差)駅ビルトピコ]、南側は[観光案内所・コンビニNEWDAYS・カフェ・びゅうプラザ(段差)立体駐車場通路]の配置。
来春からは、びゅうプラザが向かいの待合室だった場所へ移転し、みどりの窓口と隣接。
南側は、店舗と観光案内所、待合ラウンジを一体化したスペースとし、秋田杉を用いた連続したデザインにする。
NEWDAYSやカフェがある部分は、一時期違うテナント(キオスクと無印良品が提携した店とか=今は東日本全域でなくなったそうだ)が入るといった入れ替わりはあったものの、ここも20年間ほぼ変わらなかったものが変化しようとしている。
【14日追記】現駅舎が開業した当初は、待合室が南側(今のNEWDAYSなどの辺り?)にあったらしい。まったく記憶にない。


10月8日には、
みどりの窓口隣の待合室のシャッターが下りて閉まっている!
1か月ちょっと前には気温34度を表示していた次世代自動販売機は、今は「15度」。
その真向かいを見れば、
びゅうプラザ右の秋田米の広告の右に「待合室」

数週間前から、びゅうプラザ並びの通路に面した広告1枠分(専門学校の広告)を塞いで何か工事が始まっていたが、そこ(その裏側=びゅうプラザのバックヤードの一部?)が待合室になったのだった。
旧・待合室前に出された掲示は、駅長名で「待合室移転のお知らせ」とあり、「秋田駅改良工事に伴い、びゅうプラザ隣に待合室を移転いたしました。」とある。
移転した待合室の入口は通路から少し引っ込んだ場所にあり、真っ白い壁に手動の引き戸。その簡素さと実際には全面改修される計画からすれば、今のは「仮の待合室」だろう。
待合室だけ広告より引っ込んでいる
奥まっている上、室内が見えにくく、さらに自由通路中央の照明の柱に待合室はこっちという小さい看板があるだけだから、自由通路を歩いている人には、その存在が気づきにくそう。
着工前、専門学校の広告があった頃

左の赤矢印が仮待合室(写真では着工前)、右の黄矢印が旧待合室

中が見えにくいので、入るのにやや躊躇する。
仮待合室内
仮待合室の中は、それなりに広い。面積・収容人数は旧待合室よりわずかに少ない程度ではないだろうか。(少なくとも弘前駅待合室よりは収容力はある)
複数台の飲料自動販売機、コインロッカー(一部はSuica対応)もある(旧待合室から移設?)。テレビはない?【14日追記】その後、13日頃までにコインロッカーの上に液晶テレビが設置された。旧待合室では、何度か位置が変わったり、画面が消えていたりしていたが、今は2台並んで設置され違うものが映っている。

特筆すべきは、旧待合室にはなかった窓があること。そこからは、
2・3番線とその間の貨物列車などが通る線路が見える!
自由通路南面には従来から窓があり、おそらくびゅうプラザのバックヤードなどからは見えたのだろうが、一般人はカフェの席から眺めることくらいしかできなかった。仮待合室からはタダでかつ従来より西側を眺めることができる。
新幹線ホームは見えず、車両が出入りするのが遠くに見える(写真左奥)程度。
また、写真右奥に鉄骨が組み上がっているのが、新しい秋田支社ビル。※さらにその向こうにあってなくなった煙突が、いつの間にか復活していた! 後日また

なお、リニューアル後は、「トレインビュー」として待合ラウンジから広範囲にこの方向を眺望できるようになるようだ。今はお試し版といったところかな。


待合室が移転しても総じて大きな影響はなさそうだけど、個人的にちょっと戸惑うのは、旧・待合室内にあった、“駅のATM”ことビューカードの「ビューアルッテ」が、10月8日から23日まで営業を一時休止していること。
「VIEW ALTTE 営業休止のお知らせ」
旧待合室前の次世代自動販売機の脇の目につきにくい場所に、株式会社ビューカード名義の掲示があった。サイズは大きいけど張る場所が悪くて目立たない。【18日追記】ドアをはさんで反対側の公衆電話付近にも同じものが掲出されていた(上の写真にも写っている)。だけど、やはり位置が悪くて、待合室移転の掲示のほうに目が向いてしまうようだ。
24日からは今までと同じ場所で再開するようだが、掲示ではその場所を「びゅうプラザ」ではなく「新しい「みどりの窓口」内」となっている。単にびゅうプラザが移転するのでなく、みどりの窓口側も一体的に改装する(最近のJR東日本はそういう駅もあるようだ)のだろうか。

ビューアルッテは、手数料なしで預金引き出しができるネット銀行などが増えつつあるし、秋田駅が秋田県内唯一の設置場所であるため、Suicaの電子マネーにビューカードからチャージできる秋田唯一の場所でもある。
僕はそのSuicaのチャージでお世話になっている【11日補足・主に秋田生鮮市場での買い物用として使用】。幸い月始めに多めにチャージしたので、とりあえず24日まではなんとかなりそう。あやうくチャージできなくて、ポイントをもらい損ねるところだった。
チャージはともかく、キャッシングや返済のような急ぎかつ代替手段なしでビューアルッテに用事がある人もいるかもしれない。だからと言って、ビューアルッテのある盛岡や青森まで行くわけにもいかないし。
ビューカードのホームページにはいちおう告知が出ているが、現地には10月初めの時点では予告はなかったと思う。もっと早くから掲示するとか、住所登録が秋田県のビューカードユーザーにメールで知らせる(全体的なシステムメンテナンス等による停止時は配信される)とかしてくれても良かったのではないでしょうか。


JRさんが秋田駅周辺に次々に投資してくれるのは、秋田を見捨てないでいてくれるということで、素直に喜んでいい、のでしょう…ね? だったらSuicaを乗車に使えるようにしてもほしいところです。
秋田駅の今後の変化に注目。

※秋田支社ビルや煙突についてはこちら
※24日に待合室跡にみどりの窓口がオープンした状況
※この後、ビューアルッテは、11月19日から12月9日まで再び休止
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青森の純真

2016-10-07 00:34:37 | 津軽のいろいろ
20年前の思い出。(内容から「昔」ではなく「津軽(青森)」カテゴリーに入れておきます)
Windows95発売でマルチメディア時代へ入った1995(平成7)年の翌1996年は、事件としては大腸菌O157による相次ぐ食中毒や北海道の豊浜トンネル崩落事故が衝撃だった。
あとは、プリクラ、アムラー、ルーズソックスの流行、Window95発売に触発されたインターネットの普及、オウム真理教に端を発するTBSのワイドショー全廃に伴い「はなまるマーケット」が始まるなどした年。

その年の音楽は、小室ファミリー全盛期、それ以外の新旧多数のアーティストも入り乱れて活躍し、年間シングル売り上げが100万枚を越えたのは19作品。
当時の僕は、今以上に音楽への関心が低く、テレビで流れる歌のフレーズを断片的に耳にする程度で、曲名も歌手名もあまり知らなかった。また、多くの曲が似たり寄ったり(は言い過ぎかもしれないけれど)に聞こえてしまっていた。20年後の今なら、違いも分かって、それなりの感慨もあるけれど…


そんな中、際立って違う印象を受けた新人歌手がいた。
年間シングル売上では、デビュー作と2作目を15位と16位(ほぼ同枚数)にランクインさせた女性2人組「Puffy(パフィー)」である。
肩肘張らない「ユルい」独特のスタイルが支持を集めた。僕とほぼ同世代ということもあり、ファンというほどではないが、ちょっとして親近感のようなものは覚える。
1990年代前半のバブル崩壊直後の世の中とも、2000年以降の殺伐さが強まった世の中とも違う、“世紀末”ではああるが、今にして思えば(前年までと比べて)比較的穏やかな世の中だったとも言える1990年代後半の日本を象徴するような存在だったのかもしれない。パフィーより前にも後にも、同じような歌手は出ていないと思う。


「これが私の生きる道」は歌詞の内容がパフィーらしく、僕はこちらがデビュー曲ような気がしていたが、実際には2作目だった。ちょうど10月7日発売。
今回話題にするのは、5月13日発売のデビュー曲「アジアの純真」。

「アジアの純真」は不思議な歌詞と不思議なメロディー。
作曲はパフィーのプロデューサーである奥田民生、作詞は井上陽水。
歌詞は井上陽水らしい言葉遊び。(翌年の「渚にまつわるエトセトラ」なども作詞)
ダブリン、リベリア、ラザニアなどアジア以外の地名・物も歌いこまれていて、内容よりは韻や音を重視した詞。
「マウスだってキーになって」や「アクセス」は、マルチメディアブームに乗ったフレーズといえよう。1996年前半としては、最新の言葉だったかも。
それ以前も、施設への行き方としてアクセスを使うことはあるにはあったが、「インターネットサイトに接続する」という意味にも使われることで、アクセスという言葉が一般化したと思う。

そもそもどうして「アジア」なのかもよく分からないけど、1997年に香港がイギリスから中国へ返還されて、日本でも、その方面がちょっとしたブームになった。それ以外にも、2010年代とは逆のプラスの意味でアジア全体が注目されていた時、ある意味アジアブーム(韓流などより広範囲の)でもあったので、そんなこともあるのかもしれない。

曲はイギリスの「エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)」の1979年の「Shine A Little Love(邦題? シャイン・ラブ)」のオマージュだそう。
聞いてみると、「渚にまつわるエトセトラ」などにも通じる印象があるが、それほど似ているわけでもないような。

Puffyは後にバラエティ番組や世界へも進出し活躍の場を広げた。
どこかのグループのように、解散・再結成したり(事情はあるでしょうけど)、メンバーが選挙に立候補したりもせず、Puffyは今年20周年を迎えた。
4月19日にはNHK「うたコン」に出演し、「アジアの純真」を歌った。9月19日のミュージックステーションの特番では、これが私の生きる道とともに2曲歌ったとのこと。

というのが、全国どこでも通用するであろう「アジアの純真」の思い出。(最後にまた少々続き)
これは前置き。これを踏まえて、以下本題&青森ローカル。


弘前にいた時、日曜22時からTBS系「世界ウルルン滞在記」を青森テレビ(ATV)で見た後、チャンネルを青森放送(RAB。日テレ系)に変えると、「スーパーギャング深夜同盟」というローカルバラエティ番組をやっていた。
青森朝日放送「人間椅子倶楽部(この記事中ほど参照)」と並ぶ、名前だけでもインパクトがあるローカル番組。
余談だが、ウルルン滞在記の裏の日テレでは、「進め!電波少年」が放送されていたが、1997年春までのRABでは同時ネットせず、フジ系の番組(ハンマープライスなど?)を遅れて放送していたようだが、記憶にない。

「~深夜同盟」は熱心に見ていた(そもそもたまにしか見なかった)わけではなく、出演者も内容もほとんど覚えていない。
そんな中、唯一、記憶にあるのが「青森の純真」。
「青森の純真」も、ちらりと数度しか見ていないはずだけど、鮮烈な印象を受けた。

プロモーションビデオのような映像と音。
音は、「アジアの純真」そのものの伴奏に合わせて、パフィーではない女声で、アジアの純真ではない歌詞を歌う。
歌詞には、青森県内の市町村名や、ねぶた、リンゴ、イカなどの産物が歌いこまれる。
映像は、(歌詞と一致する?)青森県内各地で、パフィーのような格好(服装だけ。年齢や容姿は??)の女性2人が歌っているもの。

要するに、「アジアの純真」の青森版の替え歌。
歌っている女性2人組は「ガフィー」と呼ばれていた。
【7日追記】見た感想としては、パクりではあるし、歌詞や構成に関する疑問もあった(誤解を含む。以下で解説)けれど、青森ならではのものであり、全体的には好ましく感じられた。ガフィーの歌も下手ではなかったと思う。だから、青森の思い出の1つとなっている。

今、ネット上においては、「スーパーギャング深夜同盟」という番組自体は、1989年から2002年までの長期間、放送されただけに、Wikipediaをはじめとして多くの情報や思い出が記録されている。
しかし、「青森の純真」については、片手で数えられるほどしか見当たらず、分からない点も多い。それらも参考にさせていただいて、以下にまとめと考察。

まず、放送時期。
Wikipediaによればスーパーギャング深夜同盟が日曜夜に放送されたのは、1994年から1997年春までとのこと。僕は他の時間帯での放送を見たことはないはずで、本家「アジアの純真」の発表日も考慮すれば、1996年初夏以降~1997年春辺りに放送されていたことになる。


次に「ガフィー」について。名前からしてパフィーありきだから、この歌のために結成された(?)のだろう。
メンバーの名前や素性(元から番組に出ていた人たちだったのか、新たに呼ばれたのか等)は分からなかった。
この後、別の曲も歌ったのかどうかも分からない。「青森にまつわるエトセトラ」とかあっても良さそうだけど。【7日追記】CD発売などもしていないのだろう。
今まで知らなかったが、「ガフィー」は津軽弁が由来らしい。(下北弁や南部弁ではどうなんだろう?)
「がへー」とか「がふぇえ」という言葉があり、「格好悪い」「ダサイ」を意味するのだそう。
秋田弁だど「みだぐね/みだぐない」に相当しそうだけど、微妙にニュアンスが違うのかも。
つまり、謙虚というか自虐的なコンビ名だったようだ。


そして、歌詞。
いろいろ制限もあるから、全文掲載は差し控えます。

記憶では、アジアの純真ほど、韻や音は重視しておらず、単に市町村名を羅列したような歌詞。本家での「ラザニア」のように、地名の羅列の中に地名でないものが紛れこむことはなかった。かなりの市町村名が出てきたが、全市町村というわけでもなかった。したがって、例えば青森には三戸と五戸~八戸と5つの「~戸」で終わる自治体があるが、すべては出てこない。

参考にさせていただいたホームページ等によれば、歌詞に出た自治体は、順に、
平賀、黒石、木造、西目屋、車力、弘前、五所川原
三沢、階上、八戸、三戸、福地、南郷、百石
大間、大畑、川内、横浜、野辺地、六ヶ所、風間浦
であった。
何のことはない。歌詞のブロックごとに、津軽、県南(南部)、下北の青森県3エリアに振り分け、各エリアから7つずつ、メロディに乗る音数の自治体名を選んで並べただけみたいだ。
【7日追記】上で、羅列の中に地名以外が紛れることはないとしたが、それとは逆に、本家では地名でないフレーズの部分が、「青森~」では地名になっている箇所(熱帯夜→風間浦 等)もあった。各エリアとも7自治体ずつを歌いこむという“制約”があったからか。

平成の大合併開始前の当時では、青森県には67の市町村が存在した。
その3割ちょっとしか登場しないけど、その取捨選択は何か基準があったのだろうか。
「車力村(しゃりき、現・つがる市)」「百石町(ももいし、現・おいらせ町)」「川内町(かわうち、現・むつ市)」など、今の僕はその存在を忘れていた(というかほぼ記憶になかった)。
弘前と八戸が入る一方で、失礼ながらマイナーな町や村もいくつか歌いこまれている。

青森県には、その名に印象的な文字や響きを持つ自治体が(特に合併前の当時は)多く、個人的になんとなく好きだった。
歌詞に出てくる「木造(きづくり)」「階上(はしかみ)」「風間浦(かざまうら)」なんかもそうだけど、ほかにも「大鰐」「田舎館」「脇野沢」「碇ヶ関」「天間林」などがあった/ある。
文字数からしてメロディに収まりが良さそうだし、それらを歌いこんだら、より青森らしい替え歌になりそうなのにと、当時から思っていたのだけど、それは素人考え?


ほかには、「白のパンダをどれでも全部並べて」に相当する「陸奥湾のヘソにホタテを全部浮かべて」というフレーズがあり、「陸奥湾のへそ」の意味が理解できなかった。(っていうか、元歌からして意味が分からないけど)
これは今、調べたら、情報は少ないけれどなんとなく分かった。
津軽半島と下北半島に挟まれた海が「陸奥湾」。その南岸、青森市の東に「夏泊(なつどまり)半島」という小さい半島がある。これは知っていた。
その夏泊半島が、陸奥湾を囲む海岸線のちょうど真ん中に位置することから、ヘソと例えるようだ。
※秋田市河辺の“辺岨村”こと「へそ公園」のように、「中央、ど真ん中」の意味で比喩として「へそ」を用いることがある。陸奥湾のへそもそれに当たる。
下北半島を形状から「まさかり」に例えるのよりはマイナーな例えだろうか。


「溢れ出ても アジア」の部分は、そのまま「溢れ出ても 青森」だったようだ。
どうだったか記憶にないけれど、音数が合わなくて、ちょっと無理があったかも。

最後の「今 アクセス ラブ」は、「今 アスパム 前」。
再掲)青森県観光物産館アスパム。ただしこの写真は「前」じゃなく裏
国際的な本家とは違い、青森に始まって青森に終わる歌なのだった。

やがてスーパーギャング深夜同盟の放送時間が変わり、僕は青森を離れ、パフィーブームも一段落する。
そんな頃、全国的に平成の大合併が進められ、青森県でも67あった市町村が2004~2006年にかけて40にまで減った。
69が25になった秋田県ほどではないが、聞き覚えのある自治体名のいくつかが消えた。
※合併前は秋田県のほうが多かったのか。青森県のほうがずっと多いような気がしていた。秋田県で合併前が進んだのは、当時のテラタ知事が半ば強引にやらせたため。

【7日追記】そして、いつの間にかガフィーも活動を終え、「青森の純真」も人々の記憶から消えていった(そもそもそんなに知られてなかった?)のだろう。
本家パフィーが20年を迎えたことだし、地方の衰退が激しい今、改めて「青森の純真」を聞いてみたい。
あるいは、当時の67全市町村もしくは現在の40市町村すべてを歌いこんだ「完全版・青森の純真」を作ったら、楽しいのではないだろうか。


ちなみに、テレビ静岡(関連記事)が1978年の開局10周年記念に「ごてんばあさんの歌」という歌を作り、その歌詞には当時の静岡県のほぼすべての市と郡(町村ではない)の名前が歌いこまれているそうだ。作詞は、作家になる前の伊集院静。【7日追記】平成の大合併に対応した新バージョンも存在するらしい。



以下、再び「アジアの純真」関連。
NHK「おかあさんといっしょ」に「ねこのひげ」という歌があった。はしもとかん 作詞、越部信義 作曲。同番組に多数の曲を提供した越部先生にとって、最末期の曲ではないだろうか。アニメーションはネコをよく題材にする堀口忠彦。
ネコのヒゲの機能について、幼児にも分かりやすく説明した歌。僕が弘前にいた頃に初めて聞いて、感心した記憶がある。
この歌には、「歌詞の一部を加工した音声(ヴォコーダーという機器を使うようだ)で繰り返す」という部分があり、「アジアの純真」を意識しているように感じたものだ。1998年2月にその月の歌として初放送されたようなので、実際にそうなのかも。

あと、「NHKのど自慢」で「アジアの純真」を歌う人がまれにいるが、そのヴォコーダーの部分が、ちょっと困る。その間、出場者は歌わないのだから、その分、歌える時間(=鐘の評価対象)が減るし、伴奏も対応できないし、間が持たない。
9月4日放送の高知県須崎市からの放送(編曲担当・宮下博次)で20年前を知らないであろう若い女性3人組が歌ったけど、ヴォコーダー部分はあまり違和感なくアレンジされて演奏され、出場者たちはその間踊っていて、とりあえずなんとかなっていた。
【7日追記】そういえば「青森の純真」で、ヴォコーダーで繰り返す部分はどう対処していたのだろう? 記憶にない。

【11月12日追記】11月6日放送の広島県福山市からのNHKのど自慢では、PUFFYがゲストとして初出演。
ゲストの歌コーナーでは「渚にまつわるエトセトラ」を短いバージョンで歌ったのだが、驚くことに、一般出場者と同じバックバンドによる生演奏だった。大昔は、ゲスト歌手もバックバンドの演奏で歌っていたが、近年はおそらくCDと同じ音源の録音済みのカラオケで歌うのが普通。まれに、自前のバンドやピアノ奏者を連れてきて生演奏で歌う人はいたが、出場者と同じバックバンドで歌ったのは、おそらく10年以上ぶりではないだろうか。
編曲・ピアノは西原悟、ピアノ以外は中国地方担当のバンド(広島を中心に活動するプロ奏者か?)。【11月19日追記・男声コーラスは録音したもの】もちろん、最後の鐘は鳴らない。
どういう理由でこうなったのかは分からないが、悪くなかった。
もう1人のゲストの鳥羽一郎は、いつも通りカラオケ。
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エルムバス再編

2016-10-04 23:56:16 | 津軽のいろいろ
秋田市でバス路線の改廃があったこの10月には、青森県五所川原市の弘南バスの路線にも変更があったそうだ。
※以下、限られた情報をもとに、不案内な土地のことを書いていますので、誤解があるかもしれません。住民・利用者の立場でもない、表面的なものであることをご承知おきください。

まず、一般路線バスでは、「五所川原~板柳線」が廃止。
五所川原営業所-五所川原駅-梅田-横萢(よこやち)-柏木-板柳案内所という経路で、1日5往復。(一部は五所川原駅発着)
弘前-五所川原線とは別の、JR五能線の東側を走る経路のようだ。
代替はないのだろうか。


もう1つ、大きいのが「商店街循環バス」の路線再編。
昨年取り上げたように、ショッピングモール「エルムの街」を中心に五所川原市内を運行する120円均一のバスが3路線あった。
2路線は若葉・松島町コース 「虫送り号」、広田・みどり町コース 「ゴニンカン号」と名付けられた、住宅地を約1時間で循環する路線。9時台から18時台まで毎時1本ずつ運行。
もう1路線が、五所川原駅とエルムの街を行き来する 「立佞武多号」で、9時から21時台まで30分間隔で運行していた。

これが再編されて、循環しない6路線になる。富士見団地などこれまで路線バスがなかった地域にも進出する。運賃は120円のまま。
以前のような愛称はなく、路線別の1~6の番号に、エルム行きがA、帰りがBが付され、「1A」「6B」などとある種の系統番号ができた。
使用車両は従前と同じ、色違いの3台。1台が2路線ずつを担当するようだ。
本数は、各路線とも10時から19時を中心に、1日4~6本の運行なので、2時間に1本程度の間隔が多い。
富士見団地などは五所川原駅との行き来にも使えて便利そうだけど、時間的に朝の通勤・通学には使えない。


我々よそ者が使う機会がいちばんありそうな、五所川原駅とエルムの行き来。
従来の直通バスを踏襲したであろう「1」のほか、富士見団地を通る「4」も使える。
所要時間は1が20分、4が30分と、以前よりかかる。
運行本数は、1時間に1本あるかないか。駅発は始発が9時40分、最終が19時40分。エルム発は11時10分と20時50分。
本数が激減した上、等間隔でないので時刻表を覚えにくいし、1と4が10分間隔で続行するところもある。残念ながら使いづらくなってしまった。

弘南バスによる告知では「(エルムバスの運行が1999年に始まって)この17年間で新興住宅街の形成により人口分布が変動し、主要施設の立地・移転等も加わってバス路線環境が大きく変化いたしましたので」再編をすることにし、路線がなかった住宅地や公共施設を経由するので「とても便利になります。」としている。
東奥日報でも報道していて、10月2日のサイトでは「ELMバス、路線を拡充」として「初めて路線バスが通るようになった富士見団地の住民からは(略)歓迎する声が相次いだ。」と伝えている。
いずれも「減便」であることには言及しておらず、時刻表を見ない限り分からない。


街の変化に応じて柔軟に路線を変えられるのが路線バスの特性であり、それをやってこそ路線バスだと思う。以前から言っているように、秋田市ではそれができていない。だから、なれあいのように旧来の路線が何十年も運行され続け、徐々に利用者が減って減便が進んでしまっている。
五所川原のみなさんがどうとらえているか分からないけれど、減らされてしまった本数も、利用実態からすれば妥当なのかもしれない。120円の低額かつ定額が維持されるのはいいこと(エルムからの補助があるからか)。
ただ、土日・火曜に限れば、イオンモールつがる柏の無料シャトルバスのほうが運行本数が多いことになってしまうはずだから、若者などはイオンへ流れてしまわないかな。

【追記】2017年2月25日アップの東奥日報サイト「路線バス24便に大幅増へ/ELM―五所川原駅前」によれば、エルムバスの「コースとダイヤが、4月1日から大きく再編される。」。
2016年10月の改変後、「「(略・駅とエルムの行き来が)不便になった」という利用者の声が多かった。」ため、「五所川原街づくり会社が弘南バス側に要望書を提出して協議を続け、ELM-駅前ルートの増強が決まった。」とのこと。
24便ということは、10月以前の12時間・30分間隔に戻るのだろうか。
利用者の利便を重視した、臨機応変な対応ということにしておきましょう。



ついでに、弘前市のバス路線について、9月29日の陸奥新報サイト「弘前市公共交通網再編でバス4方面検討対象」より。
28日に弘前市地域公共交通会議が開かれ、今年度末の「市地域公共交通再編実施計画」策定に向けて、「赤字幅が大きい薬師堂、城東南、岩木庁舎、浜の町の4方面のバス路線を検討対象」とすることが決まり、住民アンケートなどを行っていくとのこと。(あと半年しかないけど、間に合う?)

「薬師堂」とは、大坊経由平賀方面とかいうので、門外や石川を通る路線。今は1日3往復。
「城東南」はよく分からないけど、小比内とか?
「岩木庁舎」は嶽温泉・枯木平行き。1時間に1本弱ほどはあって、岩木山スカイラインへの接続もあって、観光利用もある路線。
「浜の町」は弘前公園の北辺の先。藤代営業所(正確には藤代車庫)行きのほか、いくつかの行き先があるようだ。車庫行きは、公園南側を通る城西・駒越経由もあり、昔より浜の町経由は減っているような気がする。

秋田市では、郊外末端部の廃止・代替(予約式を含むコミュニティバス化)が進んでいるが、弘前市では2014年に相馬方面で、末端部の予約制が始まったばかり。これからは増えていくのだろうか。

沿線の住民アンケートをするそうだけど、そういえば秋田市ではやってるのだろうか。環状線が廃止された八橋・泉とか、減便著しい築地方面とか、利用者の声を拾いきれていないように思えてならないのだけど。
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ゆのこし

2016-10-02 23:34:52 | 秋田のいろいろ
最近、見るたびに気になって(引っかかって)しまうローカルテレビCMがあった。
秋田テレビ(AKT。フジテレビ系列)で流れる、静止画に同局のアナウンサーがナレーションを入れるタイプのCMの1つ。
地方では昔はどこでもよく見られたCMだけど、AKTでは今も他局より多く作って流しているような気がする。今はパソコンで作れるようになって写真や装飾が多用され、昔よりは見た目はにぎやかになった。
余談だけど、AKTの過去のCMには名作がいくつかあって、日曜夜の陽悦さんの「マツダマツダ松田せき一方」とか、塩田さんと女性の早口のかけ合い(「でもお値段がねぇ」「ところがどっこい」等)による「SL寿司吾作」など印象的。【12月9日追記】横手駅前のショピングセンター「ユニオン」も印象的。前後半に分かれていて、前半は塩田さんが「次に会う約束をしない。いつも君は、突然僕の前に現れる。」と渋い低音で「シューズレオナ(というテナント?)」のCM。後半は打って変わって女性が「ほのぼのとした心通ううれしい贈り物。横手ユニオンうえたの秋田名産品をどうぞ」と明るくナレーションという、ものすごくギャップのあるものだった。
【4日補足】CMによっては、同じものが長期間放送し続けられ、何年も前に退職や他部署へ異動して局アナでなくなった人の声を聞くことができることもある。(最近は、そんな場合はナレーションを別人に代えて再収録するようで減少傾向?)

気になるCMは、五城目町の温泉宿が広告主。
以前からある宿だが、CMを流すようになったのは最近(今春とか?)。若手の女性アナウンサーのナレーション。

ぼーっと音だけ聞いていると、「湯残しの宿」といつも認識してしまっていた。
聞き間違いではなく、たしかに「ゆのこしのやど」と言っているのだけど、正しくは「湯の越の宿」。そういう名前の宿。
「かけ流し」とも言っているのに、「湯残し」じゃ、なんか矛盾しているし、宿の名称とはいえ、「湯残し」を連想させられてしまうのはあんまり良いイメージじゃないなと、モヤモヤした気分になっていたのだった。
【3日補足】「湯残し」という日本語は存在しないけれど、存在するとしたらどちらかと言えばいいイメージの言葉ではなさそうで、CMを聞いてもそんな気分にさせられる。


ところが、10月2日に流れた同じCMでは、そうは認識できなかった。
ナレーションが更新されていたから。おそらく10月から。
ベテランの谷桐子アナウンサーの声で、文章は以前と同一(たぶん)。

どこが変わったかというと、「ゆのこし」のアクセント。
以前は2音目の「の」を強く発音していた。「初めて」「お座り」、あるいは忍術学園の食堂のおばちゃんが「お残し(は許しまへんで)」と言う時のように。
現在は「オカリナ」「五城目(ごじょうめ)」のような平板なアクセント。
この変更により、「湯残し」とは認識できなくなった。

実際に宿側ではどう発音しているのか分からないけど、宿を知っている人には、どちらのアクセントでも「湯の越の宿」を連想できるのだろうが、僕のようななじみの薄い人には、現バージョンのほうがいい。テレビCMの意義からしても同じで、正しい対処だと思う。
ほかにもアクセントに違和感を覚えた人がいて、スポンサー側から要望(あるいは苦情)があって、再収録したのだろうか。

【6日追記】更新されたCMでは「夏の疲れを癒やし」とかいうフレーズが入っていた。もしかしたら季節に応じてその部分が変わり、今回、たまたま別のアナウンサーに代わって、たまたまアクセントが分かりやすくなっただけかもしれない。
【12月2日追記】12月に入った頃から、また新しいナレーションになった。谷さんではなく、若い女性アナウンサーに交代(以前のと同じ人かどうかは忘れた)したものの、谷さん版と同じアクセント。

【2017年1月4日追記】2016年末には、秋田放送(ABS)でも、同じCMが流れていた。今まで遭遇できなかっただけなのか、新たに始まったのかは不明。
ナレーションはABSの若手女性アナウンサー。アクセントはAKTの最初と同じ「湯残し」だった。ということは、スポンサー側の要望でアクセントが変わったのではないことになる。



広告物では、全国版であっても同様に分かりにくいことがたまにある。
時間が限られて早口になったり、音楽がかぶさって聞き取りにくかったりすることもあるだろうけど、作る側・流す側がもうちょっと配慮すればいいのにと感じることもある。
例えば、
・何度聞いても「すーぷよいと寒天」と意味不明に聞こえてしまう、かんてんぱぱの「スープ用糸寒天」。
【2017年11月29日追記】2017年の春や夏はCMを見かけなかったが、2017年11月に久しぶりに見たら「スープ用、糸寒天」と間を空けるように変わっていた。やはり聞き取りづらいと判断したのだろうか。
・スーパーの店頭で流れていて、「♪四連休のごてあらポー」と聞こえてしまう、「米久のごてあらポー」。※ごてあらポーは「御殿場高原あらびきポーク」の略。この略し方も分かりにくい。

スポンサーも広告代理店も、視野が狭くなってしまってしまい、視聴者の存在を置き去りに広告を作ることだけに熱中してしまうのだろうか。あるいは狙ってわざとやっているのか。
まれに差別的な内容だとして、放送開始後に打ち切られてしまうCMもあるけれど、事前に気づけなかったのも同じ原因で発生してしまうのかも。

【2022年1月13日追記・追記日付秋田魁新報 地域面から、その後、宿に多くの変化があったことを知った】
・1994年に秋田市の松橋建設が掘り起こして、施設を営業。
・2020年4月から休業。言及はないが、新型コロナウイルス感染症流行のためか?
・地元から復活できないかとの声が上がり、国際教養大学の学生・卒業生らが、地元からの出資、クラウドファンディング、補助金を利用して会社を設立。松橋建設から施設を借りて、日帰り入浴施設「湯の越温泉」として2022年2月上旬にも復活させる。今後、飲食や宿泊にも取り組む意向。
休業中に源泉が出なくなってしまったが、熱意に応えた所有者が2021年に掘り直した。
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