広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

オリオンベーカリー

2018-07-31 00:14:07 | ランチパック
青春18きっぷで、宮城方面へ行った。その帰り、岩手県の花巻駅で降りて、10分ほど歩いたイトーヨーカドー花巻店をのぞいた(花巻の街についてはいずれまた)。
期待したのは、盛岡の福田パン。花巻のヨーカドーでも、袋入りのコッペパンが、何種類も数多く並んでいた。ヤマザキやシライシと引けをとらないスペースを占めていた。
福田パンに手を伸ばそうとしたところ、コッペパンではない見慣れないデザインの菓子パンが2種類、ひっそりと(?)置かれているのを発見。
どちらも花巻市内にある「オリオンベーカリー」という製造元の製品。どちらも129円。
ペアリング バタークリーム&アーモンドクリーム
円形のパンの中央部を凹ませて、2種のクリームを入れたのをくっつけた菓子パン。

バター&アーモンドでない組み合わせのものがありそうな気もするけれど、なさそう。
8の字
普通においしい。
パッケージには栄養成分表示がなく、正面側にロゴマークなどもない。裏面の製造者の欄は、
これがロゴ?

力あんぱん もち入 323kcal
「力」と力士のイラスト、それに平べったい形状がインパクト大。形は、秋田県大館市の山口製菓店のアンドーナツを連想する。
こちらは栄養成分表示がある。正面右上には、麦の穂をくわえたキャラクターがいるが、「オリオンベーカリー」の文字はない。
平べったいけれど、ぺしゃんこではなくふかふか
あんこ+もちの組み合わせは珍しくない。あんこの中に求肥が入ったモナカ、あるいはヤマザキランチパックでもそんなのがあったから、そういうのを予想。
ちょっと違った
あんこと求肥の組み合わせではあるが、これは中央部にこしあんがちょこんと入っていて、それを求肥が取り囲んでいた。分量としては求肥のほうが多そう。
人によってはあんこがもっと多くてもいいかもしれないけれど、この配分でもいいと感じた。あんこもおいしい。平べったくしたことで、パン生地と求肥・あんこのバランスもうまく調整されているのかもしれない。これは好き。

帰ってからネットで調べると、オリオンベーカリーのパンは盛岡市では売られていないようだ【9月9日追記・いただいたコメントによれば、盛岡にも流通しているとのこと】。一方で、秋田県内(の一部。内陸南部方面?)では売られている所があるとの話も。
やはり花巻のみなさんには親しまれているパン屋で、代表商品は紹介した2点のほか、「クリームサンド」「コーヒーサンド」「イギリスサンド」などがある模様。
コーヒーサンドは秋田のたけやの「コーヒー」と、「イギリスサンド」は青森の工藤パンのイギリストーストと、それぞれ同コンセプト。そう言えば、イギリスサンドは前にその存在を聞いたことがあったかも。
イトーヨーカドー花巻店のネットスーパーを見ると、葬式まんじゅうや仏壇用お供え用の色付き3段落雁も製造しているようだ。

【12月20日追記】オリオンベーカリーの3個またはそれ以上が袋に入った、クロワッサン(塩クロワッサン?)が、秋田市内の一部スーパーやドラッグストアで販売されていることがある。
【2019年7月29日追記】2019年7月には、秋田市内のマックスバリュ東北の店で力あんぱんが売られていた。
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ど根性流木

2018-07-25 23:00:42 | 秋田の季節・風景
秋田の梅雨は、例年より雨が多く(平年の1.5倍)、1週間ほど早く20日に明けた。ここ最近は最高気温が30度前後、夜も25度前後で暑い。
西のほうのような豪雨や猛暑にはならないのは、ほんとうにありがたく、恵まれていると考えなければならない。

今年の初夏~梅雨の間、秋田市中央部を流れる旭川では、雨で水量が大幅に増えることが何度かあった。これまでも年に何度かはあって珍しいことではないけれど、梅雨の短期間で何度もというのは、なかったかもしれない。


5月下旬の増水後、一丁目橋のたもとで枯れた木が川の中に向かって倒れこんでいるのを見つけた。根元は岸から生えたままで、ぶら下がっている状態に見えた。
その後、
7月13日。再び濁流&増水(手前が上流方向)
この水の量と勢いには耐えられないか?
水が引いた翌日。
残っている!
以前と比べると…
(再掲)
現地で見た時は、2本の幹の角度が以前と違っているのは分かった。
写真で比べると、それよりも大きな変化として、木全体が、下方向へ下がっているのだった!
根元を拡大
以前は、根元が一丁目橋の橋桁と同じ位置にあったのが、今は数十センチ下の護岸の壁面にある。以前は宙に浮いていた枝の先端(ひっくり返っているので下部)が川底に付いている可能性もある。全体が“ずり落ちた”ように見える。
ということは、木の根元が岸(土)から分離している。以前から実はそうだったのか、それとも再度の増水の力で離れてしまったのか。
相変わらず場所的に近づいて観察できないのだけど、今は根元(上)と幹・枝の一部が護岸のコンクリートに、枝先(下)が川底に引っかかっていることで、絶妙にバランスを保っているのだろうか。
でも、あの濁流に遭遇したのに、全体の枝ぶりや上の幹の枯れ葉などそのままで、この程度しか動いていないのはすごい。流れに逆らわない向きということはあるだろうけど。



一丁目橋のは現時点ではまだ「流木」ではなさそうだけど、5月下旬の増水後の旭川では、上流から流されてきた木がちらほらあった。その1つが五丁目橋近く。
奥が上流

真上から
幹が数本に分かれて葉が付いた、長さ数メートルほどの流木が引っかかっていた。ヤナギ(ネコヤナギなど枝垂れないタイプ)とかだろうか。
左にコイ、流木の根元付近では黒いカメが日向ぼっこ
どうも根の部分もあって、そこを下流側に向けて沈んでいる。水際に生えていた木が、増水の水流で根こそぎ引っこ抜かれたのだろう。

同じく6月13日の増水。
水が渦を巻いている
ここは川の中に段差があって小さな滝のようになっているため勢いがついて、この時は歩道から見下ろすだけでも怖かった。
こんな状況の後じゃあ…
なんと!(7月24日)
この流木も耐えていた! これは流れに逆らう向きだというのに。多少、向きが変わったり、一部の枯れ枝がなくなったりはしているようだ。
根がうまい具合に川底にもぐりこんで固定されたのか、あるいは護岸の構造や排水口みたいなのがあるせいで、水流が緩和されているのかもしれない。

さらに、枝から生えた葉っぱが、1か月以上経っても青々としているばかりか、前より増えている。川の水により生け花状態になっているようで、光合成も行われていることになる。ど根性流木。

※一丁目橋と五丁目橋それぞれの秋の状況はこの記事後半。
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続・バス停の書体

2018-07-24 00:02:11 | 秋田のいろいろ
前回に続いてバス停表示板の文字について。残りの話題をいくつか。

中央交通が最近更新・設置しているものは、「スーラ」の細いのと太いのが使われている。
 
「手形山崎」では、細いのと太いの両方を見ることができる。
上り側が何年か前に設置(手形陸橋拡張の工事の影響で、元バスロケが撤去?)された細いスーラ、下り側が現在の一連の更新の一環の太いスーラ。
文字間隔は両者で同じようだが、細い方はローマ字のTEGATAとYAMAZAKIの間にスペースがある。
また、地色は、以前のほうが鮮やかで市営バス時代に近いのが分かる。


以前も前回も触れたように、移管直後に更新された「JTCウインR」が使われた表示板には、誤字が見られた(フォントに非はないですが)。
その1つが、秋田南中学校周辺の「築地北丁」と「築地下丁」。
秋田市のバス停では、同じ地区で複数のバス停がある場合、一区、二区…とするか、上丁、中丁、下丁、まれに東西南北+丁を付けて命名することがある(あった?)。築地では、「北」と「下」と、対になっているはずなのに、対になっていないのが不思議。

下り側は、北丁がナール、下丁が小型の電照式(文字は手書き)で、どちらも市営バス時代のものが継続。
(再掲)市営バス設置ナールの「築地北丁」下り
上り側は、市営バス時代は手書きだったので、移管早々にJTCウインRで更新された。
(再掲)JTCウインRの「築地北丁」上り
「築地北町」と丁が「町」になっている。これ以外では「北町」表記を見ないので、間違いだと思われる。ただ、市営バス時代の手書きがそうなっていた。確認不充分とはいえ、中央交通ばかりを責めるわけにはいくまい。
以前はなかったローマ字が振られているが、それは「KITAMACHI」。北丁ではそうは読めないから、中央交通が「町」だと思いこんでいたようだ。
ストリートビューで確認すると、2015年8月まではこの状態だったのだが、2016年10月までの間に、
「築地北丁」「KITACHO」になってる!(TUは訓令式のままだけど)
太いスーラに替わっていた。少し扁平なのは珍しいけれど、最近の更新としては標準的なタイプ。

(再掲)
同じく「築地下町・SHIMOMACHI」だったほうも、「下丁・SHIMOCHO」に。

JTCウインRの表示板が(名称変更は別として)交換されたのは、ほとんどないはず。10年経ったかどうかの頃に2か所とも交換されているから、破損したわけでもないだろう。誤字を修正するべく、交換したのだろうか。
一方、ローマ字が「SAKURACHO」とされてしまった「桜町(さくらまち)」下り側はそのまま。


一斉更新された新国道。
「港中央二丁目」下り(斜めから撮影してしまったので、ゆがんでいます)
なんか違和感。

「港南二丁目」
中央二丁目の「二」の2本の横棒が、離れすぎてしまっているのだ。裏表とも同じ。なお、向かい側は市営バス設置の元バスロケなので、今回の更新対象外。
カッティングシートの文字を貼る時に、間違えたのか。
あるいは間違えて「三」にしてしまって、真ん中の1本を抜いた可能性もある。ローマ字の「NI」部分だけ幅が広いし。



書体でなくバス停そのもののこと。
2016年秋に経路が変更された、卸町経由新屋線。新設されたバス停は、すべて頭でっかちタイプ(文字は細いスーラ)かと思っていた。
下り卸町四丁目
最近、卸町四丁目の下り側は、背の高いタイプであることに気付いた。文字は細いスーラ。
頭でっかちが破損して代わりに置かれたのかもしれないが、最初からこうだったのかもしれない。


「川元むつみ町」下り側
一方通行の関係で、中央交通の下り側は新港線だけが使用。市営バス設置のナール。青い部分の社紋があった場所だけ、なぜか青が濃く残っている。下の赤いところに「秋田中央交通」が透けているのは、移管の途中段階で、市営バスと共用(今はなくなった臨海発県庁経由新屋行きかな?)していて、上が市営・下が中央と併記されていた名残り。

「むつみ町」と表示されている羽後交通・急行本荘行きのほう。
羽後交通のバス停では、かつては隷書みたいな味のある文字、その後も、楷書系の毛筆体で名称が表示される。単に古臭いのではなく、最近は、ローマ字読みでなく意味の英字表示や、営業所の電話番号を表示するなど、意欲的でもある。
ここは毛筆体だけどローマ字がないから、少し前の設置。美大前など近年設置されるものは、また別の毛筆体のはず。
この「む」の左側の丸がとても独特な書き方。どういうフォントなのか当たってみたが、分からなかった。※その後、ついに(ほぼ)判明!


バス停表示板はとりあえず終わりますが、いずれまた
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バス停名の書体

2018-07-23 00:15:41 | 秋田市営バス
秋田市交通局(秋田市営バス)が設置し、秋田中央交通に移管後もほぼ同じデザインが引き続き使われている、秋田市のダルマ型バス停の円形表示板の続き。※前回の記事

長年の課題(個人的な)であった、バス停名表記のフォントに迫る。
手書きは当然として、局内・社内で手作りしたであろうパソコン作成のものは、その都度フォントが違うこともあるので、特定はやめておく(HG丸ゴシックM-PROとMSゴシックだと思う)。
ここでは、カッティングシートによる、日本語の切り文字を特定することにする。英字は省略。

市営バス時代も中央交通移管後の複数のタイプのいずれも、丸ゴシック体系統のフォントだが、同じではない。一般人・一般企業がパソコンで印刷するフォントなら、フリーフォントとか、100書体まとめていくらという格安書体もあって、判断は難しそう。
だけど、専門業者が制作するカッティングシートなら、それなりに有名なフォントが使われていると考え、いくつかのサイトで調べて同定した。同じ書体シリーズでも、文字の太さ違い(ウエイト)でさらに区別されるが、そこについては深く追求はしないことにした。
素人なので、誤りもあると思うのであしからず。

切り文字のバス停名表示が登場したのは、市営バス末期。※この記事など参照。
表示板のデザイン自体は手書き時代と同じながら、整って洗練された文字とローマ字併記により、都会的に感じた。
(再掲)交通局時代のカットシール表示
具体的な設置時期は分からないが、1992年に設置されたと思われる泉・保戸野線(現・泉ハイタウン線)や新屋西線の朝日町周辺などでは、このタイプでなくまだ手書きだったはず。
1998年4月の通町の拡幅事業完成時のバス停配置の変更によって名称が変わった「ねぶり流し館前」や1999年10月の泉地区の住居表示実施によってバス停名が変更された所では、切り文字で設置。【追記・2000年に名称が変わった「嶺梅院前」も】
その後、2002年頃のまとまった更新では、カット文字でなく、パソコンで透明シールに印字したもの。【2021年8月19日追記・2001年4月1日に名称が変わった「泉ななかまど通り」ですでに透明シールが使われている。】
したがって、市営バス時代に切り文字が使われたのは、2000年前後の短期間だったと思われる。ただ、比較的大規模に更新されたようで、数としては多く、20年近く経った現在も残っているものも少なくない。

市営バスの丸ゴシック体は、オーソドックスな丸ゴシック体と言えるデザイン。見慣れた感じもする。
写研の「ナール」ではないだろうか。
再掲)秋田市の昔のプランターの文字もナール
写研というメーカーは、写真植字で圧倒的なシェアを誇り、同社のフォントはかつては昔はよく目にした。ところが、DTPとかパソコンへの対応はかたくなに拒んで、今はあまり見かけなくなってしまった。
他社のフォントは、パソコンとカネさえあれば、我々素人でもほぼプロと同じものを使える時代になった中、対照的。

ナールは、昔は印刷物やテレビの字幕、看板等々でよく使われていたが、上記の事情から、今はまず見られない。
一般道路の案内標識(いわゆる青看)の地名などの書体には、今なおナールが指定されているらしい。現在はそこがいちばんの活躍の場所だろう。

ちなみに、1990年代に交通局が設置した他のタイプでは、
・市営バス・中央交通共用の角型(前回紹介)は、円形表示板よりはやや太いナール。中央交通移管後に設置された「ニューシティ前」でも同じ。
・2代目バス接近表示(バスロケ)とそれに似た電照式では、写研の角ゴシック体「ゴナ」。ゴナも有名なフォント。
(再掲)バスロケ。接近表示部分もゴナ
埋め込み式でバス停名が赤色LEDで点滅するタイプもナール。
(再掲)
市営バスのバス停に使われた2000年頃は、まだナールやゴナが幅を利かせていたはずだから、これが当たり前のことだったはず。


中央交通移管後。
2006年春の完全移管直後頃、中央交通としては初の、市営バスタイプ表示板の更新が行われた。
勝平、旧国道~将軍野、牛島方面(共用タイプでない元市営単独区間)など、市営バスが古い表示板のまま残していた方面ごとに、ある程度まとめて更新された。現在も使われている。
(再掲)「千代田町」
10年ほど前に撮影した上の写真を見ると、黄色と赤の色合いは市営バス時代とよく似ていて、反射素材は使われていない【2022年6月9日訂正・反射素材が使われていた。この記事に写真あり。】(上の写真では代わりに反射シールを貼っている)。現在は色あせて薄くなっている。

以前も述べたように、このタイプでは、ローマ字にヘボン式と訓令式が混在していたり、ローマ字の読みや漢字表記を間違えたりしていた。中央交通としては移管直後で不慣れなのも分からなくはないが、市民・沿線住民としては、心もとなかった。
また、市営バス時代のデザインを、中央交通が踏襲して更新したことが予想外であり、かつこれが現実であることを突きつけられ、複雑な心境になった。

このフォントは、市営バス時代よりは大きくて見やすい。その分、4文字程度を越えると、横方向に圧縮されて縦長になる。
個人的には、上記の複雑な心境だったせいもあるのだろうが、デザイン的にも好きになれない文字であり表示板であった。
なぜなら、丸ゴシック体にしてはカクカクしていて、どこか間延びしてアンバランスで、文字として不自然な印象がしたから。

改めてその文字を観察。
「代」が特徴的。3画目・右の横棒は、右上がりが普通だが、この書体ではほぼ水平。それににんべんの1画目が短い。
ほかに「築」の「エ」とか「旭」の「日」が他のパーツと離れていて、バラけている印象もある。
こうした特徴の書体は、ニィスの「JTCウインR」というフォント。

書体名も企業名も存じ上げなかったが、明朝体や角ゴシック体も含めてシリーズ化されて、多方面で使われていた。もともとは映像分野での画面表示のために作られたらしく、上記の特徴はおそらく画面でツブレないような工夫なのだろう。



2010年代に入るとJTCウインRは使われなくなり、別の書体が複数並行して使われるようになった。
この頃になると表示板のみの更新のほか、台座ごとの交換(またはルート変更等による新規設置)もされ、これまで見慣れない頭でっかちタイプも登場。けっこう複雑そうなので、とりあえずざっと並べてみよう。
(再掲)2011年夏新設・背の高いタイプ「築山小学校前」

(再掲)2012年夏新設/2013年春新設・いずれも背の高いタイプ「ねぶり流し館前」 ※2012年設置は循環バス用で、後に専用デザイン化

2013年春台座ごと更新・背の高いタイプ「美術大学前」

(再掲)2014年春新設・頭でっかちタイプ「八幡田一丁目」

2016年春表示板のみ更新「秋田城跡歴史資料館前」

2016年春頃台座ごと更新・頭でっかちタイプ「秋大糠塚官舎前」

(再掲)2017年春新設・背の高いタイプ「県庁市役所前」

2017年秋頃表示板のみ更新「高野二区」
以上、時期が近ければ似ているような傾向もあるが、新設か更新か、最近登場した頭でっかちタイプかどうかによる法則はない。【23日追記】担当営業所とか上り/下りなどで分けているわけでもない。
でも、文字の形を観察してみると、実はすべて同じフォントで、文字が細い/太いの違いだけだと思われる。
ただし、細い文字が2本、1年弱違いで置かれた「ねぶり流し館前」では、文字の大きさが違うように、サイズなどが規定されているわけではなく、フォントだけ決まっていて、あとはテキトーっぽい。
昨年からの表示板のみの更新では、太いもので統一されているから、今後はそうなっていくのかもしれない。

で、そのフォント名。
全体で見ると、クセが少ない丸ゴシック体のように思われたが、細部では個性が強いかもしれない。
・「城」の右上の点が長く、横棒の下まで伸びている。
・「学」「前」の上の点の間隔が広い。
・「旭」の「日」の右下が、「九」の最後のはねとくっついている。
・「町」の「田」と「丁」が縦に長く、それぞれが離れている。
・その他「塚」「ぶ」「り」「港」など。
といった特徴を満たすフォントは、フォントワークスの「スーラ」しかなさそう。

スーラは、秋田大橋茨島側の「雄物川」の看板にも使われていたが、最近はあちこちで使われている。
改めて見れば、秋田市の「佐野薬局」の看板とか、「YOUは何しに日本へ?」で外国人がしゃべっている訳の字幕とかもスーラ(の太め)のようだ。
【11月1日追記】スーラはその他テレビ番組の字幕、秋田市広報誌「広報あきた」の横書き部分など、ほんとうに多方面で使われている。「で」などクセの強い部分もあるが、全体としてはきれいな書体だと思う。

それに、
(再掲)秋北バス「城南小学校前」
大館市の秋北バスもスーラ。ウエイトが違う(中ぐらい)気がしたけれど、上の築山小学校前と同じか?
中央交通とのバランスの違いのせいか、ナールにかなり似た雰囲気が漂い、中央交通の表示板に使ったら市営バスっぽくなりそう。【23日補足】っていうか上の築山小学校前とほぼ同じか。

 
交通局が設置した上り側と、上記2013年設置の下り側「ねぶり流し館前」。太さは別として、漢字はけっこう似ている。「前」の上の点の距離は違うし、「ぶ」も違う。

中央交通に戻って。だけど、スーラと断定できない点も。
2017年秋頃表示板のみ更新「八橋大畑」
ネット上で確認できるスーラでは、「八」の右側の書き始めは横棒がある。ところが、中央交通のバス停では、八橋大畑以外、頭でっかち・細い文字も含めて、横棒がない斜め線だけの八。カタカナの「ハ」を使っているわけではなさそう。
そういう仕様違いのスーラもあったりするのだろうか。それともよく似たスーラじゃないフォント??※その後、「八」の形が違う文字も現れた。この記事後半。

それから、更新前の「大町通り」は、透明ではなく、地色と同じ黄色いシールに細い文字で「大町通り」と書かれていたが、それもスーラだった。切り文字ではないが、シールを業者に発注したのだろうか。

個人的感想としては、JTCウインRよりクセがなく、嫌いなフォントではない。
中央交通さんにお願いできるのならば、まずはローマ字も含めて、せっかく設置・更新するのならば、文字の太さやデザインを統一してほしい。太さを中間ぐらいにするとか、文字数が多い時に縦に圧縮するのをやめるとか、改善の余地はありそう。

最後に「旭北前」で、市営バス設置のナール(現在は更新済み)、中央交通移管直後設置のJTCウインR(割山線用で現存)、太いスーラ(最近更新)を並べてみよう。
(再掲)交通局設置

移管直後設置。最近の撮影なので、上の千代田町と比べると社名が薄れ、黄色が退色しているのが分かる

(再掲)最近設置

長々と申し訳ないですが、バス停について、若干続きます
※秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」用バス停は、また別の丸ゴシック体が使われている。
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市営バスタイプ バス停

2018-07-19 00:42:57 | 秋田市営バス
7月17日午後早く、秋田市中心部でとある作業が行われていた。
その結果、
「大町通り」バス停
秋田ニューシティ跡地・イーホテルショッピングモール・日本銀行秋田支店の前にある、ダルマ型バス停の表示板が更新されたのだ。
上下両方向とも、台座と支柱はそのままで、頭の表示板のみを交換。下り側に別に置かれた、循環バス用ポールはそのまま。
2人の作業員がトラックで来て交換していた。取り付けるネジ穴の位置が支柱ごとに異なるのか、表示板にはその場でドリルで穴を開けていた。新しい表示板は、どこかの使い回しではなく新品で、金属製だろうか(一時期はプラスチック製のものもあった)。
(再掲)以前の表示板は角型
従来の表示板は、2002年にダイエー秋田店撤退に伴い、「ダイエー前」から「秋田ニューシティ前」にバス停名が変更された時に設置されたものだった。その後、秋田ニューシティ解体にともない2011年4月には「大町通り」に変更された(ニューシティ閉館は2010年4月)が、その時は交換せず「ダイエー前」の上に文字を重ね張りして対応していた。
(再掲)「秋田ニューシティ前」時代
ここを通る路線は、元は秋田市営バス(秋田市交通局)のみだったのが、2002年3月で市営バスが撤退・全便中央交通となった。ダイエー閉店は2002年8月なので、中央交通が設置(交換)した表示板ということになるようだ。
上の再掲写真とほぼ同じ位置。向かいの建物が消えた

17日まで使われていた角型の表示板は、ローマ字表記なし・重ね張りだし、きれいというわけではないが、別段著しく老朽化したとか破損したといった状態ではなく、他のバス停と比べてもまだまだ使えそうだったのに、交換された。
このように秋田中央交通では、まだ使えそうなダルマ型バス停の表示板部分だけを、突然更新することがある。昨2017年頃からはその動きが活発になり、新国道(10月頃?)や手形陸橋~三吉神社付近では、沿線の連続するバス停がほぼ一斉に交換された。(大町通りは単発の更新の模様)【22日補足】自衛隊入口では、新国道下り側が角型から交換。その他、電柱がバス停代わりの新国道上り側、寺内経由が通る自衛隊通り側は交換されず。

その一方で、郊外部なんかには、バス停名が薄れた手書き文字でサビサビの古いものや、風で倒れたのか車がぶつかったのか、板が折れたり傾いたりしたものが、ずっとそのままということもある。
信号機や道路標識もそうであるように、広範囲に散らばる全バス停の履歴や状態を把握するのは困難であるのだろうけど。


さて、ここで秋田市のダルマ型バス停の歴史を改めて振り返っておく。※ずっと前にも記事にしています
秋田市には2006年春まで「秋田市営バス(事業者名としては秋田市交通局。ここでは市営バスと表記します)」が存在し、市内の路線バスは市営バスと中央交通の2事業者が運行していた。方面によっては、両者が競合していた。
そのバス停は、基本的には、各事業者がそれぞれ設置していて、競合区間である中心部や新国道、牛島旧道ではデザインの違う2本のポールが立っていた。
2000年前後(もしくはさらに少し前?)になると、競合区間のバス停を1つにまとめて共有化する動きが出て、新たなデザインの表示板が設置された。
こうしたいきさつで、2000年代初めには、市営バス単独、中央交通単独、2者共用の3タイプのダルマ型バス停が存在した。※ダルマ型以外も存在したが、ここでは割愛。
市営バス単独は、円形で横に3色(上から黄緑・黄・赤)に分けられたもの。中央交通単独は、逆U字形で白地にオレンジや紺色が使われ「バスで行こう」のキャッチコピー入り。共用タイプは、上辺がカーブした四角形で、上から赤・黄緑・黄色。

2000年代に入ると、段階的に市営バスの路線が中央交通へ移管され、それまで市営バス単独だったバス停が、中央交通化(もしくは一時的に共用)された。【19日補足】バス停一式が市から中央交通へ「譲渡された(おそらく無償)」形になるのだろう。
この時は、新たなポール設置や表示板交換はあまり行われず、市営バス時代の表示板に事業者名を記した青いシールを貼って対応。
したがって、市営バス単独の円形のバス停は、上段の黄緑の部分が青に変わっただけで、引き続き使われた。【21日補足・なぜか社名部分が青でなく、市営バスと同色の表示板も、ごく一部に存在するが例外的。機会があれば取り上げます。】

しかも、移管が落ち着いた頃になると、市営バス時代に設置され古くなった表示板が交換されるものも現れたが、それも社名が青い円形。
さらに、秋田市外も含めて、新規に設置される中央交通のバス停にさえ、同社オリジナル「バスで行こう」タイプではなく、社名が青い円形のものが設置されている。
つまり、市営バスがあった当時よりも、(社名表記と色は違ったものの)市営バスタイプのバス停の設置範囲と本数は増えており、秋田市交通局の産物が増殖している形。
【19日補足】ただし、市営バス時代から継続する黄色と赤部分の色合いは、市営バス時代よりも、くすんだ色調に変わった。耐候性を持たせたりや反射素材を使うようになったことが関係していると考えられる。それにフォントも異なっていて、市営バス時代とまったく同一のバス停というわけでもない。

市営バスから中央交通の移管時には、譲渡される車両であっても、その車体塗装は市営バス時代のものを使わず、必ず変更するという取り決めがされていたそうだが、バス停についてはなかったのだろう。
それに「バスで行こう」タイプよりも、若干構造が簡素なので、安くつくのかもしれない。表示板を留めるネジも少ない。


大町通りに話を戻して。ここは、ダイエー前当時は市営バス単独の円形だったのが、移管後のニューシティ前に変わった時に、共用タイプの四角に交換されたことになるが、それは例外的というか少し珍しい事例。
そして、昨年まとまって更新された、手形陸橋通りや新国道は、共用タイプが多かった。
ということは、中央交通としては、四角い共用タイプを“駆逐”したがっているようにも思える。
(再掲)横金線で共用として使われていた当時
上記の通りもっと状態の悪い円形表示板もあれば、「バスで行こう」タイプもまだあるのに、それらを差し置いて。

個人的には、四角いほうがスタイリッシュだし、スペースにも余裕があって見やすくて好きなのだけど、中央交通さんはお気に召さないのだろうか…
といっても、共用タイプの表示板も、まだそれなりに残っている。


ここで、大町通りに先立って同様に表示板が更新されたものを2つ。いずれも昨年末頃の確認で、共用タイプではない市営バス時代に設置されていた単独タイプからの更新。
(再掲)ハローワーク秋田前
新屋線「ハローワーク秋田前」下り側。
更新後
英字は以前は「HELLOWORK」だったのが「HAROWAKU」になった。どっちみち、ネイテイブの人には通じなさそうだけど…

長崎屋バスターミナルと山王十字路の間にひっそりとある、新港線用「旭北前」。
長崎屋経由大川反車庫行き/発の路線は、ここは通るものの、このバス停は無視。あくまで新港線専用。っていうか、バスターミナルも近いし、移管後の現段階では別に廃止してもいいのでは?
(再掲)【20日補足】上段の中央交通の下に「市営バス」の文字が透けていて、重ね張りしたことが分かる
ここは支柱がかなり錆びていて、
台座・支柱とも交換(おそらく両方向とも。写真は新屋方面側)
なお、脇道にある、川尻割山線上り側(下りは別の道なので旭北前はなし)の旭北前は、移管後に交換されたものがそのままで、今回は更新されず。
更新後
この新しい表示板、文字がだいぶ太いのが特徴的。文字数が多いとゴチャゴチャする気もするけれど、見やすい。
もう1点特徴的なのが、「旭北前」で分かるように、文字がセンタリングされていること。
市営バス時代も、これまでの中央交通設置分でも、文字数が少ないバス停名は、均等割り付け・両端揃えされて、その分文字間隔が広くなっていた。
今回のものは、文字数が少なくても文字間隔は変わらない。手形の「野崎」なんかもそうで、真ん中にこちょっと固まって見え、これまでの感覚では、違和感。

この表示板では、少なくとも黄色いバス停名の部分は、反射材になっているようだ。
また、上段の青の下辺と、下段の赤の上辺付近には、直線の段差がついている。先(下)に黄色があって、後からその上に青と赤を貼って製作したようだ。

さて、以前から気になっていたのが、表示板の書体の種類(フォント)。
市営バス末期から、カッティングシートによる切り文字でバス停名を表示するようになった。
いずれも丸ゴシック体系統だが、中央交通が設置したものは市営バス時代とは違うフォントであり、かつ文字の太さからして複数種が存在する。
以前から、どのフォントなのか気になっていて、やっと調べがついたのですが、別記事にて

【21日追記】大町通り交換より後、18日から21日の間のどこかで、泉八橋環状線など本数が少ない千秋トンネル通りの「すわ町(神田線用とは別)」の両側、「鷹匠橋」の下り(泉回り側)の3か所も、切り文字角型(2者共用ではなかった場所だが、市営バス時代から角型?)から、円形に交換されていた。ただし、鷹匠橋の上り側は、角型ながらパソコン作成の透明シール表示なのがそのまま。角型が減っているのは間違いないものの、交換基準が謎。【24日補足】鷹匠橋の上り側は、支柱がサビサビ。あまりに状態が悪いと判断して、近いうちに支柱も(もしくは台座ごと)交換するつもりなのかも。
【2024年5月15日追記】上記「すわ町」の泉回り側で、2024年5月15日16時頃に支柱と台座を新品に交換する作業が行われていた。表示板はこの2018年に交換されたものを転用した模様。
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千秋公園周辺の変化

2018-07-17 00:19:48 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部・千秋公園周辺の変化3つ。

お堀のハスがちらほら咲き始めた中土橋。
丸いポスト
旧型のポスト(郵便差出箱1号)に変化。
(再掲)今年4月
再塗装されたようで、きれいになった。
新旧の写真は撮影したカメラが違うが、肉眼で見ても以前よりも赤みが強くなった。
以前は朱色に近い色合いで、本来のこのポストの色といえばそちらだったはず。塗替えで印象が少し変わってしまった。

あと、今年4月に取集回数が削減された時の告知が、塗替え後も位置を変えてまだ残っている。
告知の文中では、ポストに表示されている収集時刻は「順次変更、更新いたします」とのことだったが、3か月経ってもまだ更新されていないのだ。

ここ以外の市中のポストでも、どこも未更新のはず。これでも用は足りるけれど、少々みっともない。秋田中央郵便局の意欲が失せてしまったのか…



秋田県民会館と秋田市文化会館を統合した新しい文化施設を、県民会館の場所に建設するため、県民会館の解体工事が6月から始まった。
現時点では、外壁の多くが覆われ、一部の外壁表面がはがされている程度で、建物本体はまだ形を保っている。まずは、外構の解体が進んでいる。

県民会館は、道路(中土橋など)から数メートル高いところに建っていて、公道沿いには傾斜や石垣があった。
新しい施設は、道路と同じレベルに建つようで、石垣の一部が既に解体されている。
県民会館の裏手に当たる、北側・千秋公園寄りの石垣下にあった、東海林太郎の銅像があるポケットパーク(「東海林太郎小公園」というのかな?)も取り壊され、樹木や石垣など既に跡形もない。銅像はアトリオンの中に仮設されるとのこと。
【19日追記】この小公園は、崖下・路面よりは2~3段高い位置にあり、グレーの石を基調にした色合い。銅像はセンサーにより人が近づくと、東海林太郎の複数の曲が再生される。別に歌碑もあって、それも撤去後は保管されているとのこと。また、崖沿いには、人工の滝もあった。滝は夜間は停止し、朝8時になると動き始めるようで、以前、8時ちょうどに前を通りかかったら、突然水が流れる音がして驚いたことがあった。
千秋公園を背に。向かいが小公園跡
上の写真右・西側(和洋高校方向)から来て小公園前に出る道路は、一方通行。
その一方通行路と県民会館裏側をつなぐ、小さい坂道があった。
西側から。舗装ははがされた

東側から
この裏の坂は、基本的には催しの関係者の車両が通るもので、チェーンが張られることもあった。そして上の写真の通り、坂自体も一方通行で、下の公道の一方通行路から右折してこの坂を上って県民会館敷地内に入ることはできなかった。敷地内から坂を下りて右折して一方通行路へ出るだけの坂。【17日・分かりにくかったので、この段落を全体的に書き直し】
これだと、坂からは、下の公道の車が来る方向がカーブしていて見通しが悪く、かつ鋭角に右折する形状になっているため、少々危なかった。

記憶があいまいで恐縮だけど、15年ほど前までは、坂の通行方法が違った。一方通行路から敷地内へ坂を上がることができた。
方向が変わったのは、当時の県知事の夫人が、自分が車で帰りやすいように要望した(つまり知事が身内のために変えさせた)のではないかと、一部で報道されたことがあった。
そんなことも過去のお話。

石垣がはがされた跡
場所柄、中に何か埋まっていそう。


その新文化施設がらみで千秋公園の西側。
県民会館隣にある、私立秋田和洋女子高等学校の校舎の土地を、新施設の駐車場にすることになった。
代替の校舎は、千秋公園西側にある、同校の多目的グラウンドの場所に建てることになり、そのための工事も始まった。
(再掲)昨年秋

こちらも表面がはがされ、穴が掘られた

二の丸へ上がる階段から見下ろす
今のところ、高校公認で市民が徒歩で通り抜けできる駐車場は、従来のまま。
2019年初冬の状況はこの記事後半。
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西武の壁/場違い時計

2018-07-12 00:27:50 | 秋田の季節・風景
秋田駅西口、自由通路・ぽぽろーどを下りるとアーケード「大屋根(大屋根下)」。
その南側・フォンテと公営駐車場の間が、買物広場バス停(実質的には降車場兼待機場)。北側・西武秋田店(と秋田ビューホテル)の横が、イベント会場としても使われる「アゴラ広場」。
南東側から。向かいが西武とアゴラ広場
今回は、上の写真右側と左側に写っているものについて。

まず右奥。
アゴラ広場に面した西武の壁面。白く細かい正方形のタイル張り。
10日、NHK秋田放送局がアルヴェに設置している天気カメラの映像で、そこが何か汚れているように見えた。
現地へ行ってみると、高所作業車が2台出て、壁に向かって作業中。
絵をかいている
正確には、絵が描かれたシートを貼り付けている。汚れに見えたのは、絵の線の一部だった。
11日午後時点


竿燈を揚げている絵。提灯の明かりだけがカラーで、ほかは白黒。
「秋田竿燈まつり」「国重要無形民俗文化財」「8月3・4・5・6日」も表示。

西武・ビューホテルの建物は、「秋田中央ビルディング」という名前で、同名の企業の所有(バス会社とは無関係)。この絵は、同社が自発的に描いたのか、それともどこかの広告的なものか。
まだ作業途中でも、広い面積のダイナミックな絵は迫力がある。完成後も、視界に入れば見逃すことはないだろう。壁面の有効活用。

ただ、視界に入るかどうか。
アルヴェのNHKのカメラからは見えたように、周辺のビルの高層階からなら見える。でも、自由通路や道路からは、さえぎるものが多く、なかなか見えないか見えても一部だけ。
広小路・三宅ビル前交差点から
上の写真のように、広小路からもかなり近づかないと視認できない。
絵が完成した様子は、この記事後半。


もう1点、左側。
アーケード下、バス降り場寄りに塔状のものがある。からくり時計「アゴラチャイム」。これも秋田中央ビルディングの管轄のようだ。
時間になると人形が出てくるはずだけど、時計の文字盤・針や数字はなく、普段は時計としての機能はない。昔はあったのかもしれない。

塔の下の部分はショーケース風の広告や地図のスペースになっているが、そこにどこか違和感がある男女の子どもが竿燈を揚げる人形が置かれていた。
2015年には、いくぶん改善されたが、やっぱりなんだか… これを見て「これが秋田の竿燈か」とは認識してほしくない。

現在は、さらに変化。
現在のアゴラチャイム下
背面の地図は基本的には同じ。
人形は、2015年は向かって左寄りにいたのが、今は右側に移動。男女の位置が入れ替わり、もっと以前と同じように、女の子が竿燈を見上げている位置関係に戻った。
あと、写真を見るまで気づかなったけれど、2015年に新しくされた竿燈の提灯が、また別物に替わったらしい(裏表が入れ替わったのかもしれないけど)。【17日訂正・単に裏表で絵柄が違うだけでした。したがって、以前とは竿燈の裏表が入れ替わっていることになる。】

そして、ここで取り上げたい最大の変化。たしか今年4月頃にはこうなっていたような気がする。
女の子の左下の物体。
置き時計…
応接間とか役員室とかにありそうな、振り子風の回転飾りがあるアナログ置き時計。時刻は正確。
この場所にこの時計では、小さすぎるし、周りになじんでいない。屋外に置くような時計じゃない。なんとも場違いな時計。

最初、誰かがここに放置していったのかとさえ考えたけれど、ケースは施錠されているだろうから、それはないでしょう。管理者が設置したと考えるべき。
からくり時計なのに、肝心の時計がないのは不便という配慮で、時計を設置したのだろうか。

いや、これでは「設置」というより「置いた」も同然に見える。あまりに場違いで。
こういう時計って、記念品・賞品としても使われることがある。ひょっとして、中央ビルディングやその関係者がどこかからもらったもので、社内に適当な置き場所がないから、持て余してアゴラチャイムに置いちゃったのか。

この時計、現行機種で、リズム時計工業がシチズンブランドで販売する電波時計「4RY656-023」。税抜き1万円。高さ27.1センチ、幅21.3センチ、奥行き12.2センチ。単3乾電池3本駆動・電池寿命約1年。秒針は暗くなると停止する。

仮に、最初からここに設置するべく、管理者が自ら選んで1万円を出してこの時計を購入したのだとすれば、センスというか感覚を疑う。例えば、同じメーカーで同じ金額で、直径32センチの電波・防塵掛け時計もあるのに。


前にどこかで読んだ話(秋田県外の私鉄?)だけど、鉄道の無人駅を管理する地元の人が、駅待合室に時計がないので、自腹で設置したいと鉄道会社に申し出た。ところが、鉄道会社は断った。その時計が不正確だったり狂ったりして、それが原因で乗客が乗り遅れるのを嫌ったらしい。
面倒なことになるのを避けたとも言えるが、正確な時間の提供に責任を持っているとも言えなくはない。設置したらそれっきりで管理できないということになったら困る。

アゴラチャイムの場合、街頭の時計だから、これを見て被害があったとしても、自己責任になろう。
駅が近いわりには、この周辺には通行人が見られる時計はなく、この時計が場違いだとしても、存在に気が付けば役立つこともあるだろう。駅に行く人のためなら、向きを変えたほうがよさそうだけど。
でもやっぱり、ガラス1枚のケースの中、氷点下・猛暑・湿気にさらされる場違いな時計が、ちょっと心配。【13日補足】というか、不憫。
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のーまらいなー

2018-07-08 20:44:35 | 秋田のいろいろ
いすゞ自動車の路線・自家用大型バス「エルガ」は、2000年に登場した。中型版「エルガミオ」のほうが先で1999年。どちらも20年近く経ち、全国のほとんどの土地で姿を見ることができる。バリアフリーに対応したワンステップ・ノンステップバスの普及にも貢献した。

中型バスが多い秋田市では、エルガミオが圧倒的多数。秋田中央交通は2000年から継続して新車も中古車も導入され、2010年からはノンステップバスも増えている。
一方、エルガは多くはない。秋田県内の路線バス用で“新車で”導入されたものは、いまだに1台もない【12日訂正・コメント欄の通り、羽後交通でノンステップではないものの、2016年頃にエルガと同型の日野ブルーリボンを新車で導入済みでした。】のではないだろうか。秋田中央交通では2013年以降、小田急バスのノンステップ中古が継続的に導入され、徐々に数を増やしている。


僕が初めてエルガミオを見たり乗ったりしたのは、上記の通り、中央交通が早期に導入した車。
エルガに乗ったのは、旅先の水戸(関東鉄道か?)で2005年8月が最初。ノンステップバスというものも、その時が初乗車だった。
では、エルガを、そしてノンステップバスを初めて見たのは…

意外にも、秋田市内で、秋田ナンバーの白ナンバーのノンステップのエルガを、2001年より前に目撃した。エルガは2000年6月発売なので、かなり初期のエルガを早々に目撃していたことになり、中央交通のエルガミオよりも先に見たかもしれない。
前モデル「キュービック」とは正反対の丸っこい車体、縦に2灯のヘッドライト、ノンステップバスの低い車体を目の当たりにして斬新に感じたのと、路線バスでない白ナンバーの新車を突然目にして、その謎めいた存在自体に戸惑った。

そのエルガを見た場所柄、公共施設の見学に来た人を乗せてきたと考えられた。車体に愛称らしきものは書かれていたが、所有者や用途は(なんとなく想像はできたが)はっきりとは分からなかった。また、それより後には、1度見かけただけ。

ところが先日、広小路から竿燈大通りで、
このエルガだ!
3度目の遭遇。正面は見たが撮影できず、ドア側は見られなかったが、おそらく18年前と同じ姿で走っていた。

細部をまとめておく。
青みがかった緑色ほぼ1色の塗装。正面と後部には文字や絵はなく、スロープ付き車いすマークだけ。側面にはちょっとした模様と文字が書かれている(後述)。
「ノンステップバス」の表記もない。昔見た時、どうしてノンステップバスだと分かったんだろう。前ドア越しに床を見たのか、それともエルガ=ノンステという思いこみ?

自家用だから行き先表示器はなく所有者名が書かれるでもなく、正面フロントガラスの上は黒く塗りつぶされている。客席の窓やリアウィンドウは濃い黒色。
一般的なエルガ・エルガミオでは、正面行き先表示器もリアウィンドウも、平面。ところが、この車は上のリアウィンドウの写真で分かるかと思うが、屋根上にも少しかかって湾曲というかL字型になっているように見える。正面の行き先表示器相当部分も同じデザイン。ガラス自体が湾曲しているのではなく、そう見えるように塗装されているのか。

客席窓は、上固定・下スライドのT字窓。路線バス用に多い、上スライド・下固定の逆T字窓とは違う。ネット上の数少ない情報と写真によれば、ドア側は路線バスのように、前と中央部の2か所で、引き戸や折り戸でなくグライドスライドドア(当時は採用例があり、中央交通の小田急中古の一部にも採用)。
真横から。タイヤホイールが銀色ピカピカ
黒くて写真では分かりにくいが、写真左・いちばん後ろの窓部分は、ガラスではなく壁(ボディ)に網状の穴があって、見慣れたバスとは異なっている。
走行音は、トルクコンバーター式オートマチックトランスミッションらしきもの。

この点から、少し珍しい「type-B」のエルガであることが分かった。
エルガに限らず現在の中・大型ノンステップバスは、中ドアより後方は1~2段高くなっていて、ほんとうにノンステップなのは車内前方だけ。
しかし、黎明期のノンステップバスは、通路部分が後ろまでずっとノンステップでフルフラット(後方は座席部分だけ高い)のものもあった。
エルガでは、2005年までは前方だけノンステップなものを「type-A」、フルフラットなのを「type-B」として、両方ラインナップされていたそうだ。
type-Bでは、床下スペースが限られるので、最後部の客席に相当する部分をエンジンルームにして埋めたり、マニュアル車の設定がなかったり、通路の傾斜がきつかったりといった問題、高価(2100万円程度で、type-Aより300万円ほど高かったようだ)だったこともあって、消えてしまったようだ。
なお、type-Bのオートマトランスミッションはドイツ・ZF製、type-AのAT仕様はアメリカ・アリソン製で、どちらもレバーでなくボタン選択式ながら別物だそう。(エルガミオは自社開発のはず)

type-Bは、路線バスでは公営事業者が多く導入していて、近年、その中古が地方に出回っている。
実は、秋田にも来ている。
東京都交通局の中古が、2016年から羽後交通に導入されていて、横手や本荘に配置。本荘営業所の車は、急行バスで秋田市内にも来ている(記事にしようと思いつつ、タイミングを逃していました)。【2019年4月4日追記】その後、担当路線固定や廃車により、2018年頃になると、都営中古のエルガが秋田市内へ来ることはなくなってしまった。
羽後交通の元都バスエルガtype-B

後部側面
羽後交通の塗装では、側面最後部が白く塗られていて、type-Bの特徴が分かりやすい。
緑の自家用バスも、羽後交通も、リアウィンドウ下に横長のフタがあるのも特徴的。おそらく同時期製造でもtype-Aにはない。

羽後交通の元都バスは2001年頃製造、秋田中央交通に最初に来たエルガ(type-A)「977」も2001年製のようだ。

【2019年2月23日追記】名古屋市交通局のtype-Bのエルガは、愛好家に「馬刺し」と呼ばれることを知った。由来を調べたらtype-Bのエルガは型式に「LV834」が共通して付くことから、834の語呂合わせでバサシらしい。全国的に通用する呼称ではないようだ。なお、同時期のtype-Aは「LV234」。


話を戻して、緑の自家用バス。
控えめに書かれた名前は、
虹色グラデーションで「のーまらいなー」
当時は「ノーマライゼーション」という言葉がちょっと流行っていた(バリアフリーやユニバーサルデザインほどではなく、一般に定着してもいない)かと思うが、それを意識した名称のようだ。
となると、福祉関係の用途のバスかと、前から予想していた。

今回、改めてネットで調べて、正体が分かった。
秋田県(県庁)福祉保健部 福祉相談センターが管轄する、身体障害者福祉バス・愛称「のーまらいなー号」。←ひらがな+「号」が正式な愛称ってこと?
同センター発行「業務概要」によれば、
「身体障害者の社会活動等への移動支援として、車椅子対応型バスを運行している。」
「利用対象者 : 身体障害者及び関係団体、特別支援学校・施設等」
「乗車可能人員 : 29人(車椅子固定4名分を含む)」
研修やスポーツ行事のための移動での使用が原則らしい。どこにも書いていないけれど、運転手付きで、無料で借りられるということかな。

社会福祉法人秋田県身体障害者福祉協会の2001年5月29日発行「身障秋田」によれば、
同じ目的の「はまなす号」というバスがあって、その後継がのーまらいなー。
のーまらいなーは、車高を23センチまで下げられ、中扉は電動・前扉は手動のスロープ付き。座席はリクライニングする。

県立勝平養護学校(後述)のホームページによれば、前方運転席側は路線バスのような1人掛けの座席(リクライニングしなそう)で、その通路に車いすを固定でき、後部の席は自家用バスのように背もたれが高く、白いカバー付きの2人掛け。天井はパイプだけでつり革なし。

県センターの「業務概要」には、年度別の利用実態も掲載されており、分かった範囲で利用回数をまとめると、
平成19(2007)年度は43回、2008年度22回、2009年度21回、2010年度11回、2011年度8回、2012年度12回、2013年度19回、2014年度21回、2015年度19回。
2008年度以降は極端に少なくなり、2010年度にさらに減っている。その後、盛り返したが、近年は不明。
2011年度だけの落ちこみは東日本大震災の影響かもしれない。
2010年に減少した理由。この年に、秋田市内にあった県立勝平養護学校と県立秋田養護学校が統合されて、県立きらり支援学校が開校したためではないだろうか。勝平養護では、スクールバスがなく、のーまらいなーで校外学習を行なっていたそうだ。きらり支援では、スクールバスを保有(※)しているため、のーまらいなーを借りなくても済むようになったのかもしれない。
※敷地を共有する他の特別支援学校と共用で、エアロスター(これも中央交通より先に、新車で導入)やマイクロバスと、複数台ある。


自治体が所有する自家用バスとしては、これまで各市町村が所有するバス、秋田市関係ではやまびこ号やまんたらめ号自然科学学習館のバスを紹介した。
まんたらめ号には「秋田市太平山自然学習センター」とはひとことも書いておらず、初見の人はヘンな名前の謎のバスだと思われるに違いないが、のーまらいなーも同じことになる。

これらには購入・維持管理費用がかかるわけで、その都度緑ナンバーのバスを借りるのと比べてどうなのかということになろう。
上記の数字を見ると、のーまらいなーの出番は極めて低い。まんたらめ号や自然科学学習館のバスは年に60回は稼働(市内小中学校が1回ずつ)しているはず。弘前大学農学生命科学部で35年間使われた自家用バスも、年45日程度(同日に2往復する場合あり)走っていた(弘南バスに引き取られた今は、どのくらいかな?)。

のーまらいなーの意義からすれば、特殊な装備が求められ、かつ採算は二の次なのだと思うけれど、こう少なくていいのだろうか。
秋田県庁のホームページを見ても、のーまらいなーに関する記述はかなり少なく、利用申し込み方法を見つけるのにも苦労するありさま。積極的には使ってもらいたがっていない感じさえする。
それに、とある障害者団体がレクリエーション行事でのーまらいなーを借りようとしたら、研修が主目的ではないとして断られた事例もあったそうで、なんか秋田県は厳格に運用していそう。秋田県以外の県や市でも、同じ目的のバスが存在するが、それらは「身体」が付かない「障害者福祉バス」という呼称が多く、もう少し広範囲の人たちが使えそうな感じもする。レクリエーションでも使えると明示している自治体もある。
のーまらいなーも、利用対象者・用途を広げる(多少の費用負担を求めてもいいかも)とか、テコ入れすれば、もっと有効に使えそう。20年近い車齢ながら、まだきれいなんだから、もったいない。
【13日追記】いわゆる「白バス行為」というのがあるが、このような福祉目的であっても、あちこち観光するようなものは、白バス行為に該当するらしい。県外の自治体ではその旨明記しているところもあるし、レクリエーションで利用できる横浜市では、観光バス会社に委託しているようで緑ナンバーのバスが使われている。したがって、のーまらいなーが無料の白ナンバーである以上、レクリエーションには使えないということなのかもしれない。

あるいは、いっそ、車両の購入・維持も含めて全面的に民間に委託するとかして、のーまらいなーは廃止・売却すればいいのでは?
路線仕様と極端には違わないはずだし、同型車を保有する羽後交通さんが引き取ってくれるかも?!


のーまらいなーの正体は分かった。
おそらく秋田県初のエルガかつノンステップバスという、記念すべき車が、今も活躍していることも分かった。
※のーまらいなーのほかにも、教習車やスクールバスとして、中央交通の中古車より先に、新車でエルガが何台か導入されている。
次にのーまらいなーに遭遇できるのは、いつだろうか。

【2020年1月29日追記】のーまらいなー号が、2019年11月で廃止されたことが判明。
NHK秋田放送局が、2020年1月28日に「医療的ケア児利用の福祉バス廃止」として報道したもの。
「県の福祉バスが、廃止されたことがわかりました。」と、廃止から2か月経ってからの報道だが、他のマスコミは伝えていない。“遅いスクープ”?
秋田 NEWS WEBより
追加した画像のように、車両の外観と内部の映像が流れた。雪がわずかに積もり、隣に支援学校のスクールバスらしきバスもある場所に置かれている。最近の撮影かもしれないが、のーまらいなーにはナンバープレートが付いている。

報道では、
「県の身体障害者福祉バス、通称「のーまらいなー号」です。」
「県教育庁などによりますと、この福祉バスは、医療的なケアが日常的に必要な子どもたちが、特別支援学校の校外学習などで出かける際、保護者が同乗することを条件に利用することができ、ほかの子どもたちと一緒に出かけられる移動手段になってきました。」
「およそ19年がたち、老朽化が進んでいる上、利用回数も減少傾向にあることから、県は去年11月で廃止した」

後継のバスは導入しないそうで、はまなす号→のーまらいなー号の流れも途絶える。
県は今後は「「福祉タクシー」の利用を検討しているということです。」。
ただ「ほかの子どもたちと同じ乗り物に乗って出かけられなくなるほか、タクシーの利用料がかかり、保護者の負担が増える可能性がある」として、保護者から対策を求める声もでている。
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賞品・あきたこまち

2018-07-06 00:30:55 | 秋田のいろいろ
BSフジで平日22時台に「クイズ!脳ベルSHOW」というクイズ番組が放送されている。
解答者は40歳以上の著名人のユルいクイズ番組なのだが、あるなしクイズとかマッチ棒計算とか、なかなかおもしろい。
番組内容はさておき、その賞品について。

解答者は1回につき4名。月・火、水・木と2回連続で同じメンバーで、火曜日と木曜日終了時点の上位2名ずつが、金曜日の週間チャンピオン大会に出ることができる。(週5回放送になった2017年度以降のルール)
火・木の最高得点者と金曜日のチャンピオンには、賞品が贈られる。
火曜と木曜の賞品
その賞品は「みんな大好き おいしいお米 あきたこまち」。←ナレーションでこのフレーズで紹介される。
火・木には5kg、チャンピオンには10kgが贈られる(予選で1位だった人がチャンピオンになれば計15kgもらえることになる)。
金曜の賞品
米袋のデザインは(秋田では?)あまり見た記憶がないが、上にロゴあって「ヤマタネファミリーライス」とある。米卸売大手の東京の企業。
「秋田県産」の文字も見えるから、秋田で獲れたあきたこまち。
以上は2018年4月以降の現状。

実は昨年(不確実だけど年度後半頃?=現在1年遅れで朝に再放送中)は、ヤマタネのあきたこまちは、木曜日の5キロだけ。火曜日と金曜日は、別の品だった。違うと言っても…
火曜日
やっぱりあきたこまち。火曜日の5キロは「土づくり実証米 秋田県JA秋田しんせい」の無洗米。
これは秋田の店頭でも見かけた覚えがあるけれど、現在は別デザインに変わっているようだ。
金曜日
写真でなくイラストだけど市女笠のこまち娘という、いかにもあきたこまちのデザイン。
「全農」「パールライス」のロゴもある。画面では読めないけれど「あきたこまち」右の黒い文字は「美人を育てる秋田米」と書かれているはずで、秋田県産以外のあきたこまちには使われないと思われる。
色使いからしても、これこそオーソドックスなあきたこまちで見覚えのある袋。秋田県内で売られているものは「全農」が「あきたecoらいす」ロゴなどに差し替わったバージョンもあるようだ。
そして、どうもこの袋も、現在は別デザインに変わってしまった模様。

ということで、昨年は、3タイプの秋田県産あきたこまちが賞品になっていたことになる。
今年度は1タイプに集約されてしまったのは、フジテレビ側の都合なんだろうか。
秋田では大きなニュースになった、米販売で巨額損失を出したのは、大仙市のJA秋田おばこだから、直接的に関係はなさそうだし…


実は、時期によっては、賞品が「ゆめぴりか」だったり(2016年以前?=この当時は見ていなかったので…)、火曜日がコラーゲンの粉だったりした(2017年度初期)こともあるのだが、ほぼ一貫して、秋田県産あきたこまちが賞品と言っていい。
賞品が「米」という実用的なものなのは、この番組らしさだとしても、全国放送番組なのだから、例えば他の産地・品種もローテーションしてもよさそうなのに、どうして秋田県産あきたこまちだけなのか。
「ヒントでピント」の「象印賞」みたいな、あきたこまち関係の企業や組織がスポンサーの番組ではないし、「ロマン輝くエステール」みたいに賞品提供を受けているわけでもなさそう。(ただし、コラーゲンは「ニッピコラーゲン」提供と紹介されていた)【6日追記】つまり、秋田サイドからテレビ局に対して、秋田県産あきたこまちを賞品にするように働きかけるアクションは行なっていないと考えられる。
クイズ脳ベルSHOWは、どうしてあきたこまちに“こだわる”のだろう。


理由はともかく、解答者の方々は「あきたこまちが欲しい」、優勝者は「あきたこまちをもらえてうれしい」と口にすることも多く、リップサービスだとしても、秋田県民としてはうれしい。
そして、秋田県を含む全国各地で新品種が作出され、あきたこまちのブランドイメージも、ひところよりは低くなってはいるのだろうが、やっぱり、あきたこまちには一定のネームバリューと需要はあることも意味するだろう。
秋田サイドとしては、一銭も出さずに、週に5回も「みんな大好き おいしいお米 あきたこまち」と放送(※)され、宣伝してもらっているも同然。とてもありがたいこと。
※月曜と水曜も賞品は紹介される。短縮して「みんな大好き あきたこまち」「おいしいお米 あきたこまち」になることもある。

秋田県や秋田のJA・農業関係者は、このことをご存知だろうか。たまには、賞品提供してもいいんじゃありません?
あと、フジテレビでは地上波で1年前のものを放送しているそうだが、系列局の秋田テレビではやっていない。秋田テレビでは「JAみどりの広場」、かつては「クボタ民謡お国めぐり」といった、農業や農家と関わりのある番組を制作しているのだから、クイズ脳ベルSHOWもネットしてみたらどうでしょうか?

【2022年10月3日追記】2022年10月から、週1回・月曜日の放送に変更。5回で1セットのスタイルは変わらず、賞品も変わらず。
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ボトルネック解消!

2018-07-03 00:16:48 | 秋田の地理
秋田市の保戸野郵便局向かいの県道233号線は、100メートルほどにわたって片側の車道も歩道も幅が狭い部分があって、ボトルネックとなっていた。
昨2017年度には、用地買収が成立したらしく、狭い部分に面した民家が解体されて更地になった。
その後、道路が拡張されるであろう部分を残して、道路外側に建売住宅ができた。そして今年度に入って、
「道路を広げる工事を行っています」
ついに拡幅工事が始まった。

(再掲)東側から民家解体前

2017年5月
上の写真の段階では、車道部分は以前のまま。手前の電柱は左側へ移設された。
かつて歩道だった辺りに仮設トイレを乗せた軽トラが置かれ、車道になるべく工事中。
車歩道の間になる新たな縁石が設置済みで、かつて民家だったところが歩道になるべく工事中で、仮歩道とされていた。
新しい歩道は1段高いのではなく、現在主流の車道と同じ高さで縁石で区切る方式になりそう。

かなり広くなる印象
仮歩道でも、これまでと比べれば、ずっと歩きやすい。

合わせて、この区間東側の以前から広くなっている歩道では、1段高い歩道から下りる段差の坂が若干改修された。前も同じ造りだったはずなのに。
左は前から広かった側・右が拡幅中
よく分からないけれど、歩道の既存部分と新たに広くなる部分のつながりをスムーズにするための改良だろうか。

ちなみに、
車道の断面


その後、工事が途切れ途切れに断続的に行われた。そして、先週末か今週初め。
ついに(ほぼ?)完成!
看板では7月いっぱいが工期だったが、早くできたようだ。
西側から
別の場所かと見まがうよう。
そして知らない人が見たら、かつてはあんな狭くて通りづらい道だったとは知る由もないだろう。
少し引いて
周辺の既存の車道部分も舗装し直されたこともあり、交差点周辺の白線は新たに引かれた。
これまで、西側交差点の西進(千秋トンネルから新国道)方向車線では、交差点手前で車線の幅は広くなっていたが、路面の方向別の区分けと矢印標示(進行方向別通行区分)はなかった。暗黙の了解のように、保戸野八丁方向へ右折する車が右側へ寄っていた状況。
工事後は、従来よりもやや手前から車線が広くなり、明確に右折車線と直進・左折車線が白線で区切られた(左折側は小さい道路)。

一方、車道外側の区画線「車道外側線(路側帯とは厳密には異なる)」は引かれておらず、しかも交差点の停止線の余白からすれば、かなり広いスペースが割かれることになりそう。自転車通行帯ができるのかも。
停止線の標識や交わる小さい道側の標識は、工事に伴い取り外され、今のところ未設置。【7日追記・記事末尾に画像追加】この後、5日までに車道外側線が引かれ、停止線の標識が再設置(実際の路面標示とはズレている)された。信号のない小さい道側の標識は、道路右側から左側に移動し、新たに横断歩道の標識も追加された。
交差点の横断歩道や信号機の位置は、工事前と変更なし。


西側交差点から見た工事前後を比較。右方向に拡幅された。
工事前

工事後
比べてみて気がついたが、停止線の位置が前方(交差点内方向)に移動したようだ。
なお、右側奥の街路樹のケヤキが少なくなったように見えるが、枝が刈られただけ。

分かりにくいけれど、工事区間東側からも比較。
工事中。車道は工事前と同じ状況

工事後
東側にもすぐ交差点があり、以前はこちら側も進行方向別通行区分がなかった(線が薄れたわけではなさそう)。今回、この交差点にも、右折車線が明確に設けられた。
道路が広くなった分、どちら方向も以前より手前から右折車線が分かれることになるはずだが、元から交差点間隔が詰まっているところだし、両交差点の信号機は連動していない。
以前はちょっとした渋滞と、それによる信号無視や横断歩道上での停車などが見られる場所であったが、改善されるだろうか。
それに、見通しは良くなったが、緩くカーブしている線形だから、スピードを出しすぎて事故を起こす危険もなくはないかもしれない。自転車もスピードを出せば危険。
あと、郵便局前で道路を横断する歩行者も時折見られる場所だが、通過速度が上がり、かつ右折車線ができた分、工事前より危険になりそう。近くにある信号で渡るべきです。
総合的に、まだ注意は必要な場所かも。(そうした意味では、まだボトルネックなのかもしれない。)


しかし、歩道を通る歩行者の立場では、安全と快適さが大きく向上したことは確実。
この道路が千秋トンネル方向から拡幅されて40年近く、新国道まで抜けられる現在の形になって30数年、積年の懸念がやっと払拭されたと言えよう。

【8日画像追加】路肩のライン、停止線の標識(新品でなく以前と同一のものらしい)が設置された状態。これまでなら滞っていたバスが右折する場面でも、余裕。
コメント (5)
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雄物川左岸で河口を目指す?

2018-07-02 00:06:13 | 秋田の地理
秋田市南西部で日本海に注ぐ大河・雄物川。
以前から触れている通り、秋田大橋下流で分岐する秋田運河(旧雄物川)がもともとの雄物川の流路。
昭和初期に運河とともに、日本海へ一直線に短絡する雄物川放水路が造られ現在の形になった。
すなわち、雄物新橋や雄物大橋が架かり、右岸を勝平(割山)地区に接する、あの幅の広い川は、完全なる人工の河川ということになる。

そんな雄物川最下流部の堤防や河川敷は、住宅地に近く駐車スペースがあり、比較的安全に広い空間が使えることもあり、散策したり遊んだりする人が多い場所もある。
放水路区間の右岸では、川を見下ろしながら歩ける小径、河川敷の「水辺の広場」などがあり、それらを通って河口・海岸まで出ることができる。特に運転免許センター裏付近の松林の道は、けっこう人が歩いている。

一方、その対岸・左岸の(狭義の)新屋側。河口付近は彼のももさだカエルがいる海岸。
左岸を川に沿って海岸まで車まで行くことができる道路はある。ただし、そのうち、雄物新橋から下流方向は、「堤防」というにはちょっと無理がある、川からかなりの高さがある丘の上。河川敷は崖の下のようになっているし、崖の上の道路端にはハリエンジュ(ニセアカシア)などの樹木が茂っていて、道路から河川敷を見下ろすことはできない。【2日補足】車で川沿いに河口・海岸を目指すなら、右岸よりも左岸のほうが総合的に楽。徒歩では、高低差、交通量の多さ(左岸は歩道がない区間あり)の点で右岸がいい。
そんな環境の左岸側では、右岸のように川を見ながら河口まで行くことができるのか、以前から疑問だった。
早春・右岸から。右が河口方向
上の写真は、葉が茂る前に勝平側から見たところ。
丘の上に家が建ち並んでいて、中央右に見える小さい塔(右端の携帯電話のじゃなく)は津波警報用で、その付近が「浜街道」バス停。
その崖下、川沿いにも、横に一直線に伸びる道らしきものが、わりとはっきりと確認できた。

国土地理院の地形図でも、それを指すと思われる道が描かれている。一部区間は車は入れないようだが、途切れてはいない。
そこで、先日、思い切って、左岸伝いに雄物新橋から河口を目指すことにした。

雄物新橋付近は堤防の道路は狭くて危ないのだけど、そこから河川敷に下りられる坂や階段があるのは、昔から知っていた。階段は立派な手すりもついており、散策目的の利用も見こんでいそうな作り。【2019年12月1日補足・階段を下りた河川敷は「元町親水広場」という名らしく、2019年に階段の上に標柱が建てられていた。】
先週の連日の雨降りの前の晴天
上の写真は右が上流方向・秋田大橋。左寄り対岸の小さく黒い四角が、秋田運河が分岐する新屋水門。
こちら側には、桜並木である、旧・十條製紙工場からの排水路が流れこむ「新屋排水樋門」がある。1991年12月完成(←以前のものから造り替えたと思われる)で、秋田市管理だそう。
新屋排水樋門
今は、公園の水路になって、水の量はぐっと減ったのだろうが、赤茶色の水がたまっていた。なお、樋門の下側を渡ることはできないので、上流側へは堤防の道路へ上がらないといけないし、あまり近づくと危ない感じ。

河川敷は木と高い草が茂り、川面はあまり見えない。河川敷の道は、微妙にくねくねしていることもあって、先が見通せない。
下流方向・木の向こうに雄物新橋

雄物新橋の下をくぐる
ここから先は、いよいよ道路は崖の上。河川敷ならではの光景が広がるはず。
左が崖だけど草に覆われている
だけど相変わらず草が茂って道はカーブして、眺めは悪い。
ということは、どこからも・誰からも見えない場所なはずで、明るい昼間ながらちょっと薄気味悪い。あと、クマはいないだろうけど、毒ヘビとかツツガムシみたいなものに遭遇しそうな気もしてきたけれど、とりあえず進む。
道はしっかり舗装されて幅は充分なのは幸い。

ちょっとだけ草が途切れて、川が見渡せる場所があった。
右が雄物新橋
緩い角度の護岸があって、その先は砂浜状。船着き場みたいなものなのか。

そのすぐ先、
柵と看板
柵は車止めってことだろうか。看板は不法投棄禁止と読めるものが目に入ったが、ほかにもなにかある。
「この先管理用通路につき一般の方の通行はご遠慮ください」
国土交通省 秋田河川国道事務所 茨島出張所による「注意」。
歩いてでも、立ち入りするなということだろう。
道は舗装も幅も変わらないし、地図では道が続いているものの、河川管理者がそう言うのだから、従うほかない。
ちなみに、国土地理院の地形図では、工場内の一般人が入れない通路等であっても、道路として描かれているなど、誰もが通れる道ではないものが記載されていることもあるから、こういうこともある。

ただ、「管理用通路につき」という理由で通行を禁じるのは、若干腑に落ちないというか理由になっていない。
ここより上流だって同じ河川管理用通路だろうに、通行できるのだし、他の河川でも通路が道路同然に使われているところも多い。国交省から秋田県へ管理が委託されている旭川では、雪が積もった通路から川へ人が落っこちた時、「通行は想定していない」としながら「通行する時は十分注意してほしい」という、矛盾したコメントで通行を認めている。
また、雄物新橋の立派な階段は誰のためにあるのかという気もする。一般人が下りたところで、草が生い茂る中、数百メートル進む道しかないのだから。


樋門から河口までは2キロ強はあるはずだが、わずか400メートルほどで断念することになった。(内心、ちょっとホッとした…)
ただ、海岸近くでは人も車も通れるはずだし、別の古い情報によれば、海岸や雄物大橋より上流側に、道路から河川敷へ下りられる場所もあるようだ(雄物大橋の車線増設工事で変化した可能性あり)。下流方向では、再び河川敷の通路を通行できるのかもしれないけど、暑いから確かめには行きません。
※この一帯は川・海とも、遊泳など水中に人が入ることはできません。漁船やゴミなどがある場所もあるので、訪れる時は安全には充分ご注意を。

※河川敷の草について、少し昔は違う状態だったことが分かった。昔はもっと開放的だった。
コメント (2)
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