広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

地下道番号の謎解明

2011-02-28 21:24:30 | 秋田の地理
昨年3月の記事で、秋田市内の線路の下を潜る道路に、「秋田市-1」などという番号と緊急時の連絡先を記した看板が設置されたのを取り上げた。冒頭の写真の「秋田市-7」は天徳寺地下道。
7月に新規開通した「茨島・大住アンパス」が「秋田市-17」なので、少なくとも17か所に表示があると思われるが、秋田市内で線路を潜る道路はそんなに多くないはず。
いつか全貌を明らかにしたいと思いながらも、やる気が出なくて放っておいていた…(多少は取材していたのですけど…)

先日、何気なく、秋田市建設部 道路維持課のサイトを見ると、1月25日付で「地下道(アンダーパス)に緊急時通報板を設置しています」というページ(http://www.city.akita.akita.jp/city/cs/mt/underpass/default.htm)がアップされていた。
そこには、表示が設置された箇所の情報を記した一覧表があった!
なんで今頃になってアップしたのか知らないが、これはおもしろい。
そして当ブログにとっては「果報は寝て待て」の結果になった。


そのページには、
秋田市では、地下道(アンダーパス)に次のような緊急時通報板を設置しております。地下道(アンダーパス)内で緊急事態が発生した場合は、緊急時通報板の箇所番号を警察や消防、または、道路管理者へ連絡してください。
秋田市内で緊急時通報板が設置されている地下道(アンダーパス)は次の17箇所(うち秋田県管理2箇所)です。
とある。

なるほど。
ということは、秋田市が主導して、秋田県道2か所を含む秋田市内のアンダーパスに「緊急時通報板」を設置したということなのだろうか。
意外にも、線路の下を通る箇所だけでなく、道路の下を潜る3か所にも設置されている。また、17か所のうち、僕に土地勘がない河辺地区(旧河辺町)に3か所がある。
だから全貌がつかみきれなかったのか!

番号の順番は、いちおう県に配慮したのか、県道に設置されたものが1番と2番。(2番についてこの記事後半)
3番から16番は市道を北から順に。ひと通り付番・設置した後にできた、茨島・大住アンパスが17番となっていた。

一覧表には各施設の名称(◯◯地下道、◯◯アンパスなど)も記載されており、「無名」だと思っていた、楢山の南中の裏の地下道は「楢山大元町地下道」だそうだ。
また、旧河辺町の4つのものは「地下道」などではなく「架道橋」という名称。旧河辺町の方針による命名なのだろう。なお、その1つ「“茱萸野”架道橋」は「ぐみの」と読むのかな。「茱萸」は赤い実のなる「グミ」。

最後には「地下道(アンダーパス)とは・・・道路や鉄道などの下をくぐり抜けるように通っている箇所など、周辺地盤より道路の高さが局部的に低くなっている箇所をいいます。」などと、冠水しやすいことが説明されていた。
日頃から市民に危険性を知ってもらうとともに、非常時には連絡してもらうためには、こうした呼びかけが大切だと思う。

僕はこういう場所を「地下道」と呼んでいる。
子どもの頃から身近にあったり、新規開通を目の当たりにしてきた「天徳寺地下道」「明田地下道」などが、「地下道」という名前だったからだろう。
しかし、上記のとおり、現在では「アンダーパス」と呼ぶことが普及しているようだ。(反対に上を通るのが「オーバーパス」)


では、この機械に、昨年春に撮影してストックしてあった、市内のアンダーパスの一部をご紹介します。
秋田駅の北、奥羽本線の「秋田貨物駅」周辺は線路の本数が多いため、そこを通る道路はすべてアンダーパスで、保戸野・泉・外旭川地区を結んでいる。
500~600メートルの距離を置いたほぼ等間隔に、4本の市道のアンダーパスがある。いずれもおそらく昭和30年代後半頃に造られた古いもので、歩道がなく、道幅が狭く、急カーブがあって、現在の交通事情に必ずしも合っているとは言えない。

南から順にご紹介していく。
秋田市-7・天徳寺地下道
以前の記事をご覧ください。

※天徳寺地下道以外の地下道は、現地に名称が表示されていません。
※以下の画像は主に東側(外旭川側)から撮影しました。

秋田市-6・菅野地下道
泉菅野(いずみすがの。スーパードラッグアサヒ・ローソンの間)と泉釜ノ町・外旭川字大畑を結ぶ。
かつて線路だった部分が現在は宅地になっている所もあり、線路と住宅地の下を潜る形になっている。
アプローチ部分
カーブしながらアンダーパス部分へ入っていくのは天徳寺地下道と同じ。道幅は狭いが、対面通行。
アンダーパス部分はもっと狭い
どうやってすれ違うんだ?
天徳寺地下道同様、端から端までずっとトンネル(天井がある)でなく、途中で途切れて空が見えるので、昼間なら多少の開放感はありそう。
「天徳寺地下道の小型版」といった印象。
菅野地下道は2019年8月で廃止。新しくできる駅の施設に転用される。

秋田市-5・八幡田地下道
線路と並走し地下道の上を通る歩行者自転車道から
外旭川八幡田(はちまんでん)などにあり、秋田貨物駅のほぼ真下を通る。ちょっと奥まった位置にあり、特に薄暗い印象がある。
アプローチ部分はやはりカーブ

道幅はやや広く、センターラインがある
アンダーパス部分はやはり狭くなっていて、センターラインが引かれていない。
暗くて長い
こちらは天井が途中で途切れておらず、向こう側までずっとある。トンネルにあるのと同じタイプのオレンジ色の照明が設置されている。
さらに安全のためか、壁に赤いラインが引かれている。

秋田市長の公約などによれば、この辺りに新しい駅(旅客駅)を造るという構想があるのだが、進展しているという話は聞こえてこない。
利便性が向上し公共交通へシフトする意味でもいいと思うのだが…【上の追記の通り、2021年開業予定で菅野地下道付近に建設されることになった】


さて、番号は振られておらず、緊急時通報板が設置されていないのだが、実はこの北側にもう1つアンダーパスがある。
番号なし・水口地下道(名称は秋田市建設部の資料による)
地図で見ると「外旭川字八幡田(住居表示未実施)」と「外旭川八幡田(住居表示実施済)」、その近くに「寺内字三千刈」などがあるが、「水口(みのくち。外旭川字水口)」ではない。
バス停の名前からすると、もっと天徳寺に近いほうが水口の印象があるが、昔はこの辺も水口だったのかもしれない。
左が線路、右が道路
ぽつんと赤い回転灯があり、下り坂がある。突き当たりで線路側へ急カーブ。
とても狭い
いちおう車も通れるようだが…
そして長い
天井は、オレンジ色のナトリウムランプでなく、蛍光灯のようだ。何十年か前の家庭の天井についていても違和感のないデザイン。
昼間なら「暗い」という感じはあまりしないが、長くて閉塞感があり「怖い」と感じる人はいるだろう。徒歩や自転車で通る人がちらほらいる。
近くに踏切や外旭川アンパスもあるためか、車が通るのを見たことはない。【末尾の追記の通り、この後2019年頃には車の通行が規制された。】

この水口地下道には、別の名前があるらしい。
市立寺内小学校PTA生活安全部作成「学区内危険箇所確認マップ」
最近は、各学校ごとに学区内の危険箇所をまとめた地図を作成・公開していることが多い。
水口地下道は、寺内小学校学校の外れに位置するようだ。そこを見ると…
ゆうれいトンネルだって
うーん。なるほど。
たしかに幽霊が出るかも…

水口地下道を見てしまうと、天徳寺地下道も広くて明るく見えてしまう。
とっても広い!?

それにしても、なぜ水口地下道には番号や緊急時通報板を付けなかったのだろう?
冠水や車が衝突する危険性は他のアンダーパスと同様にあると考えられるのだが。

※地下道の完成時期についての記事はこちら
※水口地下道は、この後2019年頃には車両が通れないように規制された
コメント (3)
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東営業所 廃止

2011-02-26 22:29:50 | 秋田のいろいろ
昨日、コメントで教えていただいたのだが、秋田市のバス会社の公式ホームページに、来年度(4月)からの変更事項の告知が出た。
この会社は告知がまったくなっていなくて、従来は気づいたらいつの間にか変わっていたということも少なくなかったが、1か月以上も前に知らせてくれるとは珍しい。
告知は次の2つ。

●秋田東営業所廃止
とても驚いた。
3月末をもって「秋田東営業所」を廃止し、秋田営業所へ統合するという。

このバス会社には、営業所が5つ(秋田・男鹿・五城目・秋田東・臨海)あり、男鹿・五城目以外の3つが秋田市内にある。
しかし、元々この会社の営業所だったのは、秋田運河近くの秋田営業所(通称・大川反車庫)だけ。秋田東と臨海の両営業所は、秋田市交通局の廃止・路線移管に伴い、市営バスの営業所の建物・敷地を引き継いだものだった。


秋田東営業所は、交通局時代は単に「東営業所」と呼ばれていた。
1980(昭和55)年度に新設され、当初は秋田駅のすぐ東側、手形字西谷地にあり、借地だったようだ。(当時は東側に駅出口はなく、まだ田んぼが多かったはず。また、交通局庁舎が保戸野から臨海へ移転したのも同年)

1987(昭和62)年4月1日には、秋田駅から真東に1.4キロほどの現在地、広面字鍋沼の市立城東中学校隣へ移転した。(同時に現在の飯島北停留所にあった「北営業所」が廃止)
その翌春には、秋田駅東西を結ぶ歩行者通路「Weロード」ができ、東口にもバス乗り場が設置され、秋田駅東側やその先の横金線~御所野方面の開発・発展が本格化していった。

秋田市交通局では、営業所ごとに配置する車両のメーカーを統一する傾向があり、東営業所には日野自動車製の中型バスがとても多かった(他メーカー製も皆無ではなかった)。
南通築地経由や駅東線、泉山王環状線に使用される小型バスも配置されていた。


そして交通局の段階的民間移管が始まって早々の2001年4月、東営業所の土地と建物もそのまま移管されて「秋田東営業所」となった。
詳細は不明だが、当初は市から無償で貸与され、何年か経ってから有償で借りるか、買い取るかしたのだと思う(間違っているかもしれません)。

所属する車両は、同時期に交通局から譲渡された車両と新規購入車両が多かったように感じ、メーカーの偏りはあまりない。
その中で秋田東営業所を象徴するのが「三平バス」。
秋田駅西口から営業所へ戻るところ
バス会社の創業80周年記念として秋田出身の矢口高雄氏の漫画「釣りキチ三平」をデザインした中型路線バス。なぜか購入した全車両が秋田東営業所に配置されて、その後に転属する車両もなく現在に至る(貸切の1台を除く)。

ほかにも特徴的な車両としては、“寸詰まり”のバス“昭和生まれ”の古いバスが秋田東営業所に所属している。
今思えば、古いバスの行き先表示がLED化されたのは、この営業所廃止・統合を見越して(=運用される路線が増える)のことだったのかもしれない。

東営業所所属の乗務員とバスは、営業所と同時に移管された路線(将軍野線、大住団地線など牛島方面の一部、東口発日赤病院・御所野方面など)をはじめ、桜ガ丘線、学校法人から委託された東口発着のノースアジア大と同附属高校の無料送迎バスなどを担当している。
後ろ姿ですが、小型バスも所属している
したがって、「三平バス」を新屋や新国道方面ではほとんど見かけないのは、同方面の路線を秋田東営業所があまり担当していないから。
大町を三平バスが走るのは、なかなかお目にかからない光景
例えば、大町を通る新屋線や川尻割山線は、臨海営業所が担当している。しかし、一日数本運行される「茨島環状線」だけは秋田東営業所が担当しているので、三平バスが大町を走ることがたまにある。
上の写真では、三平バスの環状線に、割山線が続行している。


秋田駅東口発着の路線を東営業所が担当するのは、回送距離が短くて済み、効率的だと思っていたので、まさか東営業所がなくなるとは思わなかった。
廃止されるとすれば、秋田営業所と数キロしか離れていない、臨海営業所(旧交通局庁舎・中央営業所)の方が可能性がありそうだったが。

東営業所の土地や建物の維持コストが無駄だったのかもしれないし、地下トンネルの秋田中央道路を通れば大川反から東口へ回送するのも時間がかからないのだろう(それでも5キロ以上ある)。
跡地はどうなるんだろう。売りに出せばどこかの郊外型店舗が買ってくれるかもしれない。

ちなみに、青森県弘前市の弘南バスでも、ここ最近は営業所・車庫の格下げや廃止が盛んに行われ、特に弘前市内やその周辺では3か所(桜ヶ丘・板柳・大鰐)が廃止されている。



秋田東営業所廃止に伴う代替の窓口は設置されず、定期券などは秋田駅東口案内所など他の窓口で購入するよう、案内されている。
「東営業所がないと買えなくて困る!」という乗客はまずいない(ほぼ全員が秋田駅まで乗るので)と思うから、問題はないでしょう。

気になるのが、「秋田東営業所線」の動向について。
バス会社の車庫へは、駅と車庫を結ぶ、回送を兼ねた車庫行きの路線が走っているのが一般的。
秋田東営業所へは、秋田駅東口と西口からそれぞれ運行されている。(いずれも交通局時代からの路線)
現在の東口発着便(中央線経由)は、駅からまっすぐ走って、右折して終点という、あっさりしたもの(おそらく秋田市のバス路線で最短)。途中停留所は3つ、全区間乗っても初乗り運賃の160円。利用者はそれほどいないはずだし、廃止されても、日赤・御所野方面、大学病院方面の赤沼線などの路線が重複しているので代替できる。

一方、西口発着便(城東経由というらしい。この記事最初の写真)は、秋田駅西口-明田地下道-東通仲町-城東消防署前-東通四丁目-(コナカ~ロックンボウルの道)-秋田東営業所という、駅の南側をう回するルート。市営バス当時は「城東消防署経由」と呼ばれていた(当時は別に「東小学校経由」があったが後に廃止)。通しで乗ると200円。
この路線を見ていると、混雑するほどではないがちらほらと利用者がいる。先日の雪が積もって寒い日には、秋田駅から5人ほど乗っていた。
東通仲町や城東消防署付近と秋田駅前の行き来にこのバスを利用している僕の知っている高齢の方が2人いる。それよりも遠い、城東中学校周辺の皆さんの需要もあるだろう。
明田地下道に入るバス。本数はそれなりにある
しかし、バスの目的地である東営業所がなくなると、西口発着便は運行できなくなる。(城東消防署前以降は)代替路線もない。
もしかして、現在の2路線をつないだ経路で西口と東口を結ぶバスができるかもしれない。(そうすれば西口と東口間の回送も兼ねることができる)
※城東消防署経由の路線について続きはこちら
※営業所跡地のその後についてはこちら


●バス停名変更
昨年11月の記事で、秋田ではバス停の名前がなかなか変わらなかったり、逆に周知されずに突然変わることを紹介した。
今回アップされたもう1つの告知は、バス停の名称変更についてだった。
このバス会社がこんなことしてくれるのって初めてではないだろうか。しかもこんなに早く。どういう風の吹き回しなの?

4月1日から「秋田東営業所の廃止および建造物の名称変更等に伴い」、1つのバス停が廃止、7つのバス停の名称が変更されるので、利用やサイトでの時刻表検索の際は気をつけてねとのこと。

廃止されるバス停は「秋田東営業所」。これは上記の通り。
あ、廃止バス停に「城東消防署前」などがないってことは、上記、西口発着東営業所線に相当する路線は存続するってことか?

以下は名称変更される停留所。告知文書ではバス停の名称だけなので、こちらで主な通過路線名をカッコ内で補足します。
秋田ニューシティ前 → 大町通り(大町経由新屋線、川尻割山線)
土崎支所前 → 港西三丁目(新国道・臨港警察署経由土崎線=臨海バイパス経由廃止に伴う代替路線)
秋田東営業所入口 → 城東中学校入口(赤沼線、御所野線)
御所野ジャスコ前 → イオン御所野店前(御所野線)
YKK前 → 下堤集会所前(御所野線)
新都市交通広場 → イオンモール秋田(御所野方面各路線、国際教養大線)
サティ前 → イオン秋田中央店前(柳原経由御野場団地線、柳原経由新屋線)
以上

・通りの名前をバス停に
最初に、同名のビルが解体中の「秋田ニューシティ前」。
同じ路線に「大町四丁目」と「同五丁目」があるので、所在地からすれば「大町二丁目」でもよさそう(ちなみに「赤れんが郷土館前」も大昔は「大町三丁目」だったはず)だが、竿燈大通り側に「大町二丁目」バス停があるから、それは避けたのだろう。
だから「日銀前」とか「イーホテルショッピングモール前」になるかと思っていたが、「大町通り」。

大町通りは正式な道路名称ではないし、個人的にはあまりピンとこないが、このニューシティ前の道路を「大町通り」と呼ぶのが比較的定着してはいる。
でも、おそらく、大町通りとは、通町との丁字路から竿燈大通りを越えて、大町五丁目・六丁目付近までを指すのだと思う(そのうち、三丁目~五丁目は「赤れんが館通り」という愛称がある)。
したがって、新屋線・割山線のルートと重なり、この区間には5つのバス停(新屋線上りの場合)がある。その1つに「大町通り」という名を付けるということになる。
これだと、場所が分かりにくいと思う。

「点」であるバス停に、「線」である通りの名前(しかもバス路線と重なる)をつけるのって、そぐわないような気がする。
他に名前がないのであれば仕方ないが、もうちょっと考えてもよかったかも。

なお、秋田市内では、駅東口発着の横森経由の路線が通る「東大通り」という停留所があるくらいで、あまり「◯◯通り」というバス停はない。
一方、弘南バスは「山観通り」「津軽中学校通り」「和徳小学校通り」などと「◯◯通り」というバス停名を特に好む傾向があり、しかも独自に“創作”していると思われる。バス停の命名にもバス会社の好みや個性があるもんだ。

将来的には、ニューシティ跡地に再び何らかの商業施設ができるかもしれない(昨年、辻不動産社長が具体的ではないとしながらもそうした構想を話していた)が、そのあかつきには、また改称されるのだろうか?

・先取り
5月に予定されている「秋田市北部市民サービスセンター“キタスカ”」開設に伴い、廃止される秋田市役所土崎支所。
おそらく5月に廃止されるのだと思うが、そのバス停は前倒しで改名されるようだ。珍しく用意周到ですな。

・忠実に
3月から、ジャスコとサティの「イオン」統一に伴い、店舗名が変わるバス停も1月遅れて改称される。
バス会社に責任はないし、他の変更と同時に行った方が効率的だから、わずか1月の遅れで改称されるのは、早いと言うべきだ。
それに、以前は、秋田サティが「サティ前」、ジャスコ御所野店が「御所野ジャスコ前」と微妙に店舗名とバス停名が違ったが、改称後は「イオン秋田中央店前」「イオン御所野店前」と、店舗名に忠実なバス停名になる。

・御所野
「イオン御所野店前」以外にも、御所野地区のバス停が改称される。
まず「YKK前」。
イオンの北側にある「YKK AP秋田工場」を指す。3月末で同工場が閉鎖されるため改称するようだ。
地図を見ると周囲は住宅ばかりで、ほかにこれといった目標物がないし、所在地の「御所野下堤」停留所が既にあるので、「下堤集会所前」にしたのだろう。

そして「新都市交通広場」。
これは、イオンモールの敷地内、南側(秋田テルサ側、秋田銀行のある所)にあるバスターミナル風のもの。
当初はその名のとおり、御所野地区の交通の拠点(バスの発着点)となるべく作られたものだったのだろう。

しかし、1997年にイオンの隣に「中央シルバーエリア」ができたため、当時運行していた秋田市交通局はシルバーエリアまで路線を延長。
民間移管された現在は、新都市交通広場を経由してシルバーエリアが終点/始発の路線と新都市交通広場が終点/始発の路線の両方があるようだ。
国際教養大や休日のみ運行の四ツ小屋駅行きのバスは新都市交通広場が終点/始発。

イオンモール秋田は、新都市交通広場がいちおう最寄り停留所になっているが、広大な敷地なので、周囲にある「イオン御所野店前」など他のバス停の方が便利な場合もある。それに「イオンモール」という名称のバス停が存在せず、分かりづらいとも言える。

以上の理由から、「新都市交通広場」という分かりづらく堅苦しく大げさな名称をやめ、そのものズバリ「イオンモール秋田(イオンモール秋田“前”ではない)」に変えたのだろう。
これは単純明快で分かりやすい改称だと思う。


今回は、施設の変化に合わせた柔軟なバス停の改称が行われるようだし、サイトに事前の告知もあった(主要停留所や車内にも告知してくれるとさらに親切)。
こうしたことをしてくれるのが、地域に密着した路線バスと言えると思う。
【3月1日追記】秋田営業所所属車両の車内に、サイトにアップされているのと同じ告知が掲示されていた。臨海営業所所属車両にはなし。(秋田東営業所の車両には乗る機会がないので不明)

でも、「交通公社前」「長崎屋バスターミナル」「歓喜寺前」とかはやっぱり変えないのね…
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“辻兵”看板

2011-02-24 21:49:35 | 秋田のいろいろ
●秋田ニューシティ解体9 ※前回の記事はこちら
冒頭の写真は、秋田市大町の商業ビル「秋田ニューシティ」屋上にあった看板(ルーフサインというそうだ)。
赤地に白の毛筆で「七」3つの「喜」の異体字と、「辻兵」と記されている。(手書きや活字では「辻」のしんにょうの点が2つのことが多いが、辻兵の場合は点が1つなんだ)
「辻兵(つじひょう)」は秋田を代表する企業グループであり、ニューシティを管理していた。また、ニューシティの場所が、元は呉服店だった辻兵の創業地でもある。

個人的にはこのルーフサインは、ニューシティを、そして秋田市大町を象徴するものであると認識していた。
ニューシティの解体に伴い、それが姿を消すのは明らかだったけれど、ついになくなった。
おとといまではあったが、今日見るとなくなっていた。あっけないものだ。

北西角、かつてミスタードーナツがあった交差点から一方通行路を撮影した画像。
  
象徴的なサインがなくなってしまうと、写真を見てもどの場所を撮影したのか(撮影した自分でも)一瞬では分からないし、これがニューシティであるかどうかも判別できないかもしれない。

ニューシティには、同じサイズのルーフサインが2つある。
1つはこの「辻兵」のもので、北西側(ミスタードーナツがあった側)にあった。
もう1つは南東側、大町通りの日銀寄り。こちらは代々の核テナントのロゴが入れられており、「ダイエー」→「マックスバリュ」→「スーパーランドヤマト」【訂正】「スーパーランドヤマト」と「ダイソー」併記→「真っ白(小さくNEW CITY)」と移り変わっていた。こちらはまだ解体されず残っている。
2月20日、南西側の茶町通りから撮影
上の写真右端の白いサインが、かつてテナントのロゴがあったもの。
左に辻兵のが少し見えている。かつてはこの位置からは見えなかったはずで、解体に伴い見えるようになった。
かなり解体が進み、北と東の道路側の壁1枚だけ(本当はもっと厚い)残されているという感じだった。

同じ場所を今日見ると、
向こうが見える!
辻兵のサインがなくなり、さらに東側の壁がほぼなくなり、一方通行路側の空が見えている。

南西側、少し離れて竿燈大通りから。
2月22日(手前の通り沿いの低い壁は日銀のもの)

今日
「辻兵」のサインがなくなり、建物がなくなって空がたくさん見えるようになったのは、衝撃的だった。「秋田ニューシティ」が本当になくなるのだと実感した。

北東角(9月撮影)


正面のエレベーター部分がまだ上まで残っているようだが、これもなくなるのは近いだろう。エレベーター付近にあった辻兵とニューシティのロゴは足場で隠れた。

※解体工事について続きの記事はこちら

そういえば、辻兵・辻グループのトップは、代々「辻 兵吉(つじ・ひょうきち)」という名を襲名してきた。
先代の5代目が2008年7月に亡くなり、その息子さんが経営を引き継いでいるが、まだ襲名はしていない。そろそろ6代目を襲名したりしないかな。
ちなみに、落語家の三遊亭圓楽も、昨年襲名した元楽太郎さんで6代目。歴史としては同じくらいなんだろうか?


●仲小路にロードヒーティング
先日、秋田駅前周辺の道路が凍ってテカテカだったことを記事にした。
今朝の秋田魁新報によれば、そのうち、市道である仲小路の歩道部分にロードヒーティング(融雪装置)が設置されることになった。
駅から延びる大屋根が途切れる、秋田信金前(new金座街ビル向かい)から再開発工事区域手前の明徳館ビル(明徳館高校)の約300メートル。再開発完成時までに設置を終えるとのこと。市では緩い坂になっていることもあり、歩行環境向上につなげたいそうだ。
秋田県さん。広小路の方も頼みますよ。
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フォンテに宮脇書店

2011-02-24 21:49:18 | 秋田のいろいろ
秋田駅前のイトーヨーカドー秋田店撤退後の商業ビル「フォンテ秋田(秋田ショッピングセンター)」のリニューアルオープン第2弾として、今日、「秋田ロフト」などがオープンした。
(現地には行っていないので、写真はありません)
※フォンテに関する前回の記事

報道によれば、ロフトに近い2階のぽぽろーど側入口には、開店時に行列(約200人)ができていた。記念の福袋や地元プロバスケットボールチームの選手のサイン会も行われた。
ロフトの店長は、秋田県潟上市出身の人だとのこと。
各社の報道では、以前よりもやたらと「ロフトの中では小規模な店舗」であることを強調している気がした。たしかにそれはそうだけど、それは首都圏や仙台などの大都市の店舗と比較してのこと。
ロフト全体としては、最近力をいれている地方都市に出店する「コンパクトロフト」という形態の店舗だそうなので、秋田の店だけがことさら小さいというわけではないと思うのだけど。

かつて「7&i」の表示があったフォンテ屋上の看板(ルーフサイン)に「Loft」ロゴが入ると思ったが、まだ白いまま。いつまで真っ白なの?

ちなみに、Googleで「秋田ロフト」で検索すると、検索結果では昨日までは公式サイトの店舗紹介ページを差し置いて当ブログの記事が最上位に表示されていて少し恥ずかしかったが、今見てみると、順序が逆になっていた。
さすがGoogle。敏感に反応するもんだ。


さて、フォンテには今後、書店も入るという話だったが、今日届いた求人情報のチラシに、その情報があった。
秋田県最大級の書店誕生!!/全国チェーンの宮脇書店がフォンテ秋田(元イトーヨーカ堂)にOPEN!
として求人が出ていた(開店日は記載なし)。

2009年11月に秋田サティ(3月から「イオン秋田中央店」)に出店した宮脇書店が秋田駅前にもできることになる。
秋田県内では、五城目町のイオンスーパーセンターと秋田サティに続いて3店舗目。
「県内最大級」と謳っているからには、サティの店よりも、秋田駅前のジュンク堂書店よりも大きい店になるってことでしょう。

宮脇書店はこちらではあまり馴染みがないが、本社は高松市にあり、全国43都道府県に展開。店舗数では日本最大の書店チェーンとのこと。
店舗一覧を見ると、イオン系列のショッピングセンターに入っている傾向を感じる(それ以外のショッピングセンターに入っている例もある)が、どちらかと言えばそごう・西武寄りのフォンテ秋田のようなビルに入るのは珍しいかも。

※続きはこちら
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春らしい天気

2011-02-23 22:57:51 | 秋田の季節・風景
最近の秋田市内は晴天が続いて春の陽気。
朝は冷え込むが昼は暖かく、今日は今年初めて気温が10度を超えた(最高気温10.9度)。
積雪も昨日の11センチが今朝は9センチ、今日15時には3センチと、積雪ゼロになるのも間近。(これはアメダスの測定データとしての積雪量であり、日影や除雪された雪がたまった部分では、下記の通り雪が残っている部分もあります)
【24日追記】この翌日、24日の13時にアメダスの秋田市の積雪量が「0」になった。
今後もしばらくは、朝起きたら真っ白になっている日はあるだろうが、すぐに融けることだろう。

当ブログでも取り上げてきたが、今冬は昨年12月中旬頃に雪が本格的に積もり、以後継続してずっと雪があった気がする。いわゆる「根雪」というヤツだが、こんな冬は久々な印象。
アメダスのデータで見てみると、12月12日以降、断続的に雪が積もったり融けたりした後、12月31日以降は毎日継続して積雪が記録されている。
さらに1月8日にたくさん雪が積もり、以降30センチ前後で推移、2月15日頃からは減り続けている。

雪が消えるのは名残惜しいような気もするし、今なお雪に悩まされている地域もあるけれど、春らしくなるのはやっぱりうれしい。

例年の雪の融け方として、雨が降ってグシャグシャになって消えていくパターンが多い。泥はねが上がるし、冷え込んでそれが凍結するととてもやっかいなので、これは迷惑。
しかし、今年の雪の融け方は、とても“潔い”。
日差しと温度によって、いつの間にか消えている感じ。だから大部分の路面は乾燥しているので歩きやすい。
二丁目橋向かいの「旧産業会館跡地」
除雪されていないはずだが、半分以上地面(アスファルト)が出て乾いている。
ビルの影になる奥の方はザラメ状の雪が残っており、子どもたちが雪遊びをして、名残惜しんでいた。
中心部の道路
車道はすっかり乾き、歩道もおおむね路面が出ているが、右奥の方は残った雪が融けて再び凍ってツルツル。油断してうっかり夏用の靴を履いて出かけてしまい、こういう場所に当たると怖い。(車に注意して、車道部分に出て歩く方がむしろ安全)
日当たりが悪いのもあるけれど、前のお宅や企業が氷を割ってくれたら歩きやすくなるんだけどな。お手間なのも分かりますが。

除雪されて路肩にたまった雪も、大部分では消えたけれど、
小学校と国の機関の間の小路
これも日当たりのせいだけど、ここではかなり残っている。元から狭い道幅がさらに1メートル近く狭くなっている。
「歩行者自転車専用」の規制区域なのだが、無視して抜け道で通る車も見受けられるので危ない。
道路管理者による除雪作業はこの程度ではやらないのだろうが、学校の前なんだし、ざーっと軽く寄せてくれればマシになりそう。

雪が消えたのは道路だけでなく、
月ぎめ駐車場
奥に除雪された雪山が残っているが、ほかは乾いている。
一方、
ビルの谷間の駐車場
ここはツルツルテカテカでスケートリンクのよう。


秋田市北部、土崎港の「秋田ポートタワー“セリオン”」へ。
1年前にご紹介したが、その時以来か。指定管理者が交代して道の駅になってから行くのは初めて。
(上って下りただけで他は見なかったが、その範囲内では以前とほとんど変化はなかった。下の階のテナントはだいぶ変わったみたいだけど)
秋田北税務署の確定申告もできます
地上100メートルからの展望。
北西方向、右端奥は秋田火力発電所
海は穏やか、地上の雪はなし。
正面奥には、
男鹿半島の寒風山(かんぷうざん)

視線を右へ。
北東、土崎駅方向
手前の街の雪は消えたが、その向こうの田んぼ(飯島~下新城地区)はまだ白い。さらに奥の山々もまだ雪化粧。

ところで、先日取り上げた、建設中の「秋田市北部市民サービスセンター“キタスカ”」をセリオンから見下ろしてみた。
北~北東方向。各施設の位置関係はこんな状況
直線距離で、駅-キタスカは約700メートル、キタスカ-セリオンは約900メートル。

上の写真左側手前、線路が広がっている部分が「秋田港駅」。
土崎駅からのこの線路全体を、一般に「臨海鉄道」と呼ぶが、実際にはそうではない。(僕も数年前まで知らなかった)
土崎駅から秋田港駅までは、実は「奥羽本線の貨物支線」。
秋田港駅からセリオン側以降が、「秋田臨海鉄道」ということになる。
秋田臨海鉄道もJR貨物のグループ企業(県なども出資する第3セクター)であり、コンテナはそのまま両社の線路を行ったり来たりしているようだが、機関車は必ず付け替えられる。

秋田港駅付近。これから臨海鉄道に入る列車が待機中
中央上のグレーの四角いのがキタスカ。住宅に囲まれているのが分かる。さらに上の方に見えるカラフルなものが、国道7号線沿いのスーパーやドラッグストアなどの店舗。

線路は、奥羽本線側はキタスカの先で右に大きくカーブし、国道を潜り、旧国道と踏切で交差し、さらに右カーブして奥羽本線(の本線って言うのか?)と合流して土崎駅構内へ(セリオン側から見て逆「J」字になる)。
手前側の臨海鉄道はセリオンの下を通り、倉庫群を抜け国道7号線沿いを走って、秋田運河を渡って向浜へ至る。

それにしても
キタスカのほんとにすぐ裏が線路
無理だろうけど、ここに駅を作って土崎駅や秋田駅への直通列車を走らせたら便利そうだけどな。
さらにセリオンにも駅を作れば、観光客や確定申告に来る人も便利だろうに。

鉄道は無理でも、やっぱり土崎地区を回る路線バスがあっていいのではないだろうか(現在の土崎循環線は飯島・将軍野地区がメインであり「土崎」を回るとは言いがたい)。
土崎駅-セリオン-イオン(土崎ジャスコ)-いとく-サンパーク-組合病院-高専-キタスカ-土崎駅
みたいな感じで。
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E6系とE751系

2011-02-22 19:26:05 | 秋田のいろいろ
秋田新幹線の後継車両「E6系」電車の在来線区間(盛岡-秋田間)での試験走行が続いている。※前回の記事はこちら
E6系は所属基地である仙台と秋田を行ったり来たりしているようだ。

先日、秋田市楢山の車両基地「秋田車両センター」へ行ってみると…
北側(秋田駅寄り)から
左側2本の線路が本線、それより右がセンター内の留置線。
出番を待つE3系に挟まれるようにして、E6系が休んでいた(上の写真、右端の奥)。

この線路は、列車が“縦列駐車”する形になっており、外側(秋田駅側)に出番が近い車両が停まり、後から出発する列車は奥の方にいるようだ。
試験運転は夜間だろうから、昼間はE6系が見づらい位置にいるのは当然のことか。

架線や柱が入り組んでいて、写真に撮ろうとすると、難しい。
真正面になる跨線橋の上からは、障害物が多いのと遠いので、肉眼で見るのも難しいが、少し角度を変えるといろいろ観察できた。
明るい場所でE6系を見るのは初めて。
E3系とE6系
運転台の位置はE6系の方が低い。(E3系は、他形式の新幹線と比べても高い位置にある方だけど)

ほぼ正面
E5系「はやぶさ」にはない、運転席左右のカーブしたシルバーのラインがカッコイイ!
雪が積もっている今は、現行のE3系「こまち」では白・ピンク・シルバーが雪と調和してきれいだが、E6系はあかね色が雪に“映える”といった感じだろうか。
通りかかったお散歩のおじさんも「あれが新しい新幹線ですな。きれいだ!」と興味を持たれたようだった。

跨線橋を渡って反対側へ。
狭軌(いわゆる在来線)のレール側から
左端にE6系がいるが、右端には4月中旬から特急「つがる」に使われる「E751系」電車がいた。
※以前、E751系電車が秋田駅にいた記事はこちら

ちなみに、E751系の左隣奥に暗く写っているのが、「リゾートしらかみ」の「ブナ」編成。
11月末から運用を外れ、旧「青池」編成から外した1両をつないで4両編成にする工事を行っていた。4両化された「ブナ」のデビューは4月1日(オンシーズンの3往復体制に戻る)のはずだが、遠目に正面から見た感じでは既に4両化されている模様。

E6系とE751系
これからの秋田の鉄道の主役となるであろう、2つの車両だが、距離と障害物があるため同時に写真に収めるのは難しかった。
E751系のオレンジ色っぽい赤も印象的だが、やはりE6系のあかね色の方が目立つ。

E751系の方は、道路から撮影しやすい場所に停まっていた。
E751系電車。右奥は出番を終えて戻ってきた男鹿線のキハ40系
先日秋田駅で乗務員訓練を行っていたE751系の6両編成は、製造番号「1」と「101」の車両が組み合わされた「A-101編成」だったが、上の写真の車両は「2」と「102」からなる「A-102編成」だった。これも6両のまま。
パンタグラフが下がっていたので、訓練などをしていたわけでもなく、ただ置いているだけだろう。

3本しかないE751系のうち、2本が6両編成のままで既に秋田入りしているようだ。これから4両に短縮するのだろうか。
先頭部を拡大すると
ヘッドライト(前照灯)周辺の白い部分の塗装? が若干剥がれている。
「スカート(排障器)」と呼ばれる、前面床下付近の部品(連結器より下の赤い部分)も、泥汚れが目立つ。
営業運転前に、化粧直ししてくれるのかな。


センターの東西は住宅地。線路沿いにも道があって、センターの中を覗くことができるが、金網や網戸の網みたいなの(防音用か)が張ってある。
網戸越しとはいえ、
真横から見られた!(オートフォーカスがだいぶ迷ってたけど、ピントが合った)
左端のE3系と比べて、“鼻”の長さが分かる。
以前の記事も含めて、今まで紹介してきたのは、グリーン車の先頭車「E611形」だったが、こちらは逆側で普通車の「E621形」。
日光が当たって、あかね色とシルバーがいっそう美しい
側面が薄いグレーみたいなのほぼ一色なのは、ちょっと味気ないような気もする。

金網越しに。うーんカッコイイ
現在のE3系同様、通常の連結で使用しないこちら側の連結器カバーは、自動開閉しない構造のようだ(鼻先の割れ目がない)。

報道では、たしか2月(中旬だか下旬?)まで、在来線区間での試験運転を行うと言っていたはず。
これからも断続的に秋田に来ることは当然あるはずだが、またしばらく、フル規格の新幹線区間での試験走行がメインになるのかもしれない。

※次にE6系を見たのは、こちら
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土崎の工事

2011-02-21 20:40:13 | 秋田のいろいろ
秋田市北部の土崎地区(正確には“土崎港=つちざきみなと”かな)での各種工事の話題などを。
冒頭の写真は土崎駅前から海の方を撮影。港のセリオン付近に光が差していた。

●“キタスカ”できたすか?
秋田市では「市民協働」と「都市内地域分権」を目的として、市内各所に7つの「市民サービスセンター」を設置することにしている。
市役所の出先機関の「支所」と教育委員会管轄の「公民館」機能を統合して、効率化する狙いもあるのだろう。
その第1弾として、一昨年春、南西部の新屋地区に西部市民サービスセンターがオープンしている。

さらに第2弾として今年春に、3つができる。
ただし、うち2つ河辺と雄和(ゆうわ)は、旧両町役場→「市民センター」となっていたものを「市民サービスセンター」化するもの。
唯一、新築・新設されるのが、土崎地区にできる「北部市民サービスセンター(仮称)」。5月開所予定で、土崎支所と土崎公民館が統合される。
(残りは南部・東部・中央地区かな。中央地区は市役所新庁舎に併設する計画だとか)

西部市民サービスセンターの「ウェスター」ように、愛称が公募で決まっている。
河辺は「カワベリア(河辺とエリアから)」、雄和は「ユービス(雄和とサービスから)」だそうだ(いずれもカナ表記が正式らしい)。
そして、北部は「KITASKA(キタスカ)」に決定。
対象地域である「金足(K)、飯島(I)、土崎(T)、下新城(S)、上新城(K)、外旭川(S)、寺内(T)、将軍野(S)の全ての頭文字と秋田市の(A)を組み合わせたもの。北部のKITA(北)も掛けている。」とのこと。
秋田弁で「来ましたか」という意味合いの「来たすか」も意識しているだろう。
昨年末にはシンボルマークも決定した。(それでもなお、「北部市民サービスセンター」の名は「仮称」らしい)


まず、その設置場所について。
土崎駅から海の方へ500メートルほど進むと、国道7号線との交差点に出る。
国道を(渡ってから)左へ100メートルほど進んだところにあるのが、「土崎支所」。
国道を渡って海の方へ200メートル直進すれば、「土崎公民館」。

建設中の北部市民サービスセンターは、公民館からさらに北(駅から見て右)へ250メートルほど進んだところにある。所在地としては土崎港西五丁目。
すぐ裏を、貨物線(「秋田臨海鉄道」だと思っている人が多いと思うが、厳密にはこの部分は「奥羽本線の貨物支線」。セリオン付近以降が臨海鉄道)が走っている、住宅地の中。
土崎駅からの距離は700~800メートルほどになるが、歩いても車でも場所がやや分かりにくいし、センターのエリア内各地からのアクセスもいいとは言えない。立地としてはどうなのかなと思う。
北東角から。左奥が貨物線の踏切方向、右手前が7号線方向
建設地の北東角は、以前は信号機のない交差点だったが、昨年あたりに信号機が新設されたはず。
建物は既に外観を現していた。
正面入口は東側の狭い道(写真右奥)側の方のようだ。バス停もここに設置されるそうだが、路線は?(昨年新設された土崎循環線を延長して通るという話だが)

それにしても、外観は西部市民サービスセンターにそっくり。黒っぽくて細かいタイル張りで、カキッとしていて。
西部市民サービスセンターより若干明るい色合いのような気がしたが、写真で見ると同じようにも見える。
昨今の流行りだろうし、汚れが目立たなくていいのだろうが、もっと明るい色の方がいいような気もする。秋田の冬の暗い空に負けないような。
ちょっと離れて
大きさは西部市民サービスセンターより少し大きいか。西部では「多目的ホール」しかないが、北部ではアリーナ(体育館)とホールが分かれている分かな。
※セリオンから見下ろした様子はこちら

●またまた緑看板
さて、ここでも例の謎の緑色の「建築工事の表示」の看板が設置されている。※緑色の看板の前回の記事
その数、実に6枚。
色合いや文字は統一されている
小さな改修工事などの場合、それぞれの工事(電気とか水道とか)ごとに契約し、それぞれの業者が看板を設置するから、色合いや文字が異なるのだろう。
ここの場合、工事全体を一括して請け負う業者がいて、そこから下請けみたいな形で電気やガスの工事を発注しているらしい。看板は直接請け負った業者が設置したようなので、統一されているのだろう。
でも、いちばん端、建築工事そのものの看板を見てびっくり。
デカイ!
他の5枚と色・書体は同じだが、サイズは倍以上ある。
右のが標準サイズ

●建築計画のお知らせと緑看板
近くでは、民間の老人福祉施設の新築工事が行われていた。
一定の条件の建物を造る場合、「建築計画のお知らせ」という看板を設置しなければない。
今まで見た限り、「建築計画のお知らせ」がある建物には、例の緑色の「建築工事の表示」看板は設置されなかったが、
ここでは両方並んで設置!

この緑看板、なんなんだ?
やっぱり気になる。

ほかにも、国道7号線では歩道の工事が行われており、一部の信号機が茶色い信号柱と一体化したものに更新途中だった。
前は「土崎公民館入口」という表示がついた交差点があったのだが、表示がなくなっていた気がした。信号機の更新と公民館閉館を踏まえてのことだろう。
5月になれば、その1つ北の交差点に「キタスカ入口」とか名前が付くのかな?


●土崎駅跨線橋工事
土崎駅構内の跨線橋の新築工事。
現在の跨線橋の北側(秋田駅寄り)に新しいものを造っており、年末は骨組みができ上がりつつあった。
土崎駅正面から。左端が現跨線橋・その右が新跨線橋
駅正面の西側は足場とシートで覆われていた。

駅構内、現跨線橋から(通過中の列車が貨物支線への直通列車)
既に屋根・壁・窓が付いたようだ。
利用者の動線は年末と変わっていない。改札口と2・3番線を行き来する際に通る、1番線の一部が狭くなっている(上の写真右側)。

東側から
東側は足場がなくなっていて、新しい壁が見えていた。

※続きはこちら
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犬っこ・アメッコ・KAMAK

2011-02-19 21:03:06 | 秋田のいろいろ
秋田県内各地の小正月行事に合わせて、毎年恒例の3つの臨時快速列車が運行された。
秋田発大館行き(下りのみ)の「大館アメッコ市号」、上り大館発秋田経由湯沢行き(=秋田まではアメッコ市号の復路を兼ねる)・下り湯沢発秋田行きの「犬っこまつり号」、秋田・横手間の「かまくらまつり号」の3列車。
いずれも、昨年12月まで特急「かもしか」に使われていた485系電車3両編成を使った列車だが、来年はこの車両はなくなっているかもしれない。どうなるのだろう?
湯沢へ向かう列車。表示は「臨時」

さて、駅で列車の発車時刻やホームを案内する装置である「発車標」。
秋田駅中央改札口の上に設置されているものは、時々おかしな表示がされる。
以前も何度か紹介しているが、特定の列車が特定の位置に出た場合に英語表示にならなかったり「弘前さくらまつり号」を往年の名列車「さくら」と表示したり、なかなか楽しませてもらっている。

臨時列車の発車標を見てみた。
まずは「犬っこまつり号」。
秋田以南の奥羽本線(通称“奥羽南線”)は、朝の下りに1本ある無名快速以外は普通列車(各駅停車)しか走らなくなった。愛称の付いた列車は1本もない。そこを久々に(夏の大曲花火の臨時以来か)走る名前付き快速列車だ。(名前付きとしては「こまち」を除く)
表示は、
「犬っこ」!
表示スペースに充分に余裕があるのに、なぜか「快速」や「まつり」を省略している。
それに2段目が空白になっている。通常はここには次の列車が表示されたり、特急の場合は途中停車駅がスクロール表示されるのだが。
空白になっているということは、おそらく臨時列車用にスペースは確保しているが、何らかの手違い・不具合で停車駅など案内データが表示されないのではないだろうか。
そして英語表示は案の定、
「犬っこ Yuzawa」
しかも、「Yuzawa」と下段の「Shinjo(新庄)」とで書体が異なる。
以前の記事で、JR東海興津駅の「Atami」だけ文字が違うことを取り上げたが、秋田駅はそれ以上ですな…

改札口内の新しい発車標も、
同じ(上段の酒田行きが日本語なのは、タイミングがズレているだけ)


そして、「大館アメッコ市号」もなんとなく想像できてしまうが、
やっぱり「アメッコ」(英語表示もなし)
しかも「Odate」と「Oga」でやっぱり字が違う。
改札内も

「臨時快速「大館アメッコ市号」の停車駅は…」
ただし、この列車では改札口の装置2行目に停車駅案内がスクロール表示され、その中で正式列車名が出た。


秋田弁では、名詞の後に親しみを込める意味などで「っこ」を付けることが多い。だから、「犬っこ」「アメッコ(飴っこ)」なら、単に「犬」「飴」という意味。
イベントの名前は「犬っこまつり」「大館アメッコ市」なのに。

(列車名でなく車両の名称だが)「アンパンマン列車」を「アンパン」とするようなものじゃないだろうか。


最後に、「かまくらまつり号」。
今回のパターンでいくと、「かまくら」と表示されるだろうから、あまりおもしろくないかと予想していたが、さすが秋田駅。そうはならなかった。
まずは英語表示
「RAPID KAMAKURA」
あれ?
相変わらず2行目は空白で、英語表示も「まつり」は無視されているが、「かまくら」はしっかりローマ字になり、「快速」を意味する「RAPID」も表示され、意外にマトモ。

じゃあ、日本語は?

快速KAMAK
なんじゃこりゃ!?

なんて読むんだ? 「カマクッ」?
これは斬新! アルファベットの愛称の列車が誕生した!

別の列車に乗るついでがあったので、改札内に入ってみたが、ホームにある発車標も含めて、すべてが「快速KAMAK」だった。(車両の表示は、最初の写真と同じ「臨時」でした)
 
「快速KAMAK」は、けっこうお客がいたようだ。
改札口でホームを確かめていた女性2人連れは、「快速KAMAK」に一瞬戸惑ったようで、「……、横手行き…3番線か」と若干間があってから、改札を通っていた。
新しい方の発車標は明るくて見やすい
ユニークな表示を次々にやってくれる秋田駅。
今後とも期待したい、と言いたいところだが、不特定多数の利用者がいる鉄道。分かりづらい案内をすることがあってはならないだろう。
しかもこれらのおかしな表示は、機械の故障というより、データ作成時の操作ミス(余計な文字を入れたとか入力位置を誤ったとか)のような気がする。
慎重なデータ作成と事前チェック、運行当日の充分な案内をしていただきたい。

【2013年3月15日追記】これらの臨時列車は、かもしか編成廃車後は「クルージングトレイン(旧リゾートしらかみ青池編成)」に車両を変更して運行。
そして、翌々年2013年も「犬っこ」「KAMAK」表示だった。う~ん。

※2014年には「かまくら」と日本語で表示された(リンク先後半)
※2016年には発車標が新しくなった。この記事末尾。
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最近のフォンテ

2011-02-17 23:38:20 | 秋田のいろいろ
秋田駅前のイトーヨーカドー秋田店撤退後の商業ビル「フォンテ秋田(秋田ショッピングセンター)」に、24日に「ロフト」がオープンする。
※ロフト進出が明らかになった際の記事はこちら(今も多数のアクセスをいただいています)
※フォンテ秋田関連の前回の記事はこちら
向かいの西武秋田店前にもロフトオープンの告知が
店舗名は「秋田ロフト」。「ロフト秋田店」じゃないんだ。サティみたいな命名法だ。

12月のリニューアル第1弾オープン時から、フォンテ2階の奥(南側)の方は白い壁で遮られていたが、後にそこに黄色い「Loft」のロゴが貼られていた。
ぽぽろーど入口から2階を覗く
最近は「2月24日オープン」とも表示され、壁の向こう側で何やらやっている雰囲気がする。
また、上の写真手前右側にブルーシートが張ってあるが、その場所(2枚のドアの間)に新たにドアを設け、右側に同日オープンする「タリーズコーヒー」店内へ直接出入りできるようになる。
タリーズはフォンテ自体の開店時刻より早く開店するそうなので、その時間帯の出入りを考慮しているのだろう。
少し離れて2階入口
写真右側、西武側の大屋根下へ下りていく階段に面したところがタリーズコーヒー。既にサインが点灯し、準備をしていた。

他にもいくつか同時にオープンする
ロフトは「生活雑貨専門店」だそうだが、他にも「インテリア雑貨」と「アクセサリー、服飾雑貨」の店などもオープンする。
雑貨と言ってもいろいろあるのね。

先日、ロフト開店予告の看板を見た、10代後半くらいの女の子3人連れが、
「ロフトって何?」「雑貨屋だって」「ふーん」
という会話をしていた。
ロフトの対象年齢層は、もっと上だと思われるから、あまり興味がないのだろう。
だけど考えてみれば「雑貨屋」って何だか、僕も定義が分からない。
ドラえもんのジャイアンの家も「剛田雑貨店」だし…(アニメの一部での設定。「剛田商店」になっている場合もある)


また、3月1日(予定)に歯科が、3月11日(予定)に100円ショップ「セリア」が4階にオープンするとのこと。
ヨーカドー時代から入居していた「キャンドゥ」が入るという情報もあったが、違ったようだ。

フォンテ屋上の看板は、今日現在、まだ白いままだった。
ここに「Loft」のロゴが入るかと思っていたのだが、どうなるんだろう。※その後の様子(3月14日)


ちなみに、3月から「イオン」に店舗名が変わる「サティ」
他県の店舗では、屋上などの看板の更新工事が始まっているところがあるそうだ。しかし、秋田サティでは、今日現在、その気配はなかった。
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赤いバス

2011-02-16 23:26:02 | 秋田市営バス
秋田市営バスのお話。今回は、市営バスの車両の色について。※前回はこちら
5年前の今頃、「さようなら赤バス」などという言い回しが一部マスコミなどで使われた。
その記事中では、「市民や利用者から“赤バス”の名で親しまれた秋田市営バスが間もなく、3月末を持って65年の歴史に幕を閉じる…」といったような表現もあったと記憶している。

秋田市営バスは赤系統の色合いの車体の塗装だったから、「赤いバス」→「赤バス」となったのは察しが付く。
でも、その「赤バス」の呼び名が市民に親しまれたというのは事実だろうか?

少なくとも僕の周りでは、秋田市営バスを指して「赤バス」と呼んだのは、それより前には1度しか聞いたことがなかった。
それは僕が高校生の時(1990年代前半)。
高校のそばのバス停で帰りのバスを待っていると、バスで通勤している同じ学校の先生とご一緒した。おそらく1940年頃のお生まれで現在は65歳過ぎくらいの女性。

そのバス停は、市営バスと民間バスの両方が通っていたのだが、僕は間もなく市営バスが来ることが分かっていて、もちろんそれに乗るつもりだった。
するとそれより先に、緑の民間バスがやって来た。
僕は乗るつもりがなかったので、道路際から下がっていたのだが、それを見た先生は「青バスが来たわよ。あなたは赤バスなのね?」と声を掛け、乗って行かれた。
つまり「民間バスが先に来たけど、あなたは後から来る市営バスに乗るのね」という意味だった。

僕は「赤バス」「青バス」という言葉をその時初めて聞いたので、一瞬戸惑った。
日本では古来から緑色のことを「青」というから緑のバスが「青バス」なのだろうし、「市営バス」「中央交通」というより、「赤バス」「青バス」という方が言いやすい。なるほどと思った。
でも、僕の周りにもその先生と同年代の方々はそれなりにいるが、「赤バス」「青バス」と言うのは聞いたことがない。地域性があるのかもしれない。

僕が生まれ育ったのは、市営バスだけが走っていた地域。
交通局の段階的縮小・民間移管が始まる前は、民間バスに乗る機会がほとんどなく、生まれてから20数年間で10回以下しか利用しなかったと思う。それほど市営バスが身近だった。
だから、赤とか青とか区別する以前に、単に「バス」といえば市営バスを指していたのだろう。区別して呼び分ける必要がなかったのだ。(区別が必要な時は、「市営バス」「中央交通」と呼んでいた。)

僕に言わせれば、「赤バス」は「親しみを込めた呼び方」というより、「競合地域において区別するための呼び名」だと思う。
皆さんや周りの方々は「赤バス」って言っていましたか?


ちなみに、「市バス」という呼び方についても少し。
そもそも秋田では、「市バス」という表現はあまり使わなかったと思う。新聞記事などで略称として使う程度のはず。

一般的に「市バス」といえば「市営バス」の略だと思う。だから、現在の秋田市には「市バス」はない。
しかし、他の方々のブログを拝見していると、たまに「秋田の市バスは…」といった表記を目にする。内容からして昔話でなく現在の話題なので、民間会社のバスのことを指して「市バス」と呼んでいるのだ。
中には「秋田市の市バスを運行しているのは、秋田中央…」などと、民間会社が運行していることを理解した上で、「市バス」という言葉を使う方もいた。

こうした使い方をするのは、若い人やよそから来た人が多い気がするので、世代や地域によっては、「市内を走るバス」の意味で「市バス」を使うのだろうか。
そう言われれば、広島・松山・長崎などの路面電車は民間会社が運行しているが、「市電」で通じるのと同じ理屈だけど…
でも、「都バス」といえば東京都交通局のバスだけを指し、小田急とか東急とか西武とか、都内を走る民間バスのことは「都バス」とは言わないし。




さて、上記の通り、秋田市営バスの車両は赤かったわけだが、具体的にはどんな塗装だったのかまとめてみたい。
多くの方の記憶にあるのは、この記事冒頭の写真のような塗装だと思う。

だけど、これだけが秋田市営バスではない。かつては他にもいくつかの塗装が存在していた。
※同じデザインの塗装の車両でも、窓枠等の車体自体のデザインで受ける印象が異なったり、メーカーや導入時期によって微妙に色合いが異なることもありました。後日、紹介するつもりですが、ここで取り上げる写真は、あくまでも1つの実例とお考えください。

●路線旧塗装 ?年~2001年 (←この見出しは便宜的なもので、正式名称ではありません。年代は新車として導入した期間ではなく、その塗装の車両が存在していた時期です。)
ボンネットバス時代の古い写真を見ると、また別の塗装だったようだが、昭和40年代以降に導入されたバスは、こんな塗装だった。
懐かしく感じる方も多いはず
僕が物心ついた頃は、市営バスといえばこれだった。

おそらく、1985(昭和60)年度に導入された車両までがこの塗装だったはず。
新塗装登場後も、原則として塗り替えられることはなく(一部の小型バスは塗り替えられた)、2000年度(2001年3月)まで見られたと記憶している。
上の写真は、最後の年度に撮影したものだが、僕が撮った旧塗装の写真の中で唯一まともに写っているもの。奇しくも、旧塗装最後の1985年度導入車の中でも、いちばん最後の番号が振られた「198」号車だった。
この記事にも少し画像があります

●路線新塗装 1986年~2006年
そして、たぶん1986(昭和61)年度導入車両からは、おなじみの塗装になった。
ちょっと写りが悪いですが、上と似たアングルで同じ三菱製中型車(モデルチェンジしてるけど)で比較してみると、
1992年導入の「273」号車
新旧を比べてみると、赤い線が太くなり、ラインの数が減ってシンプルになった。
僕のイメージとしては、旧塗装は「肌色っぽい」印象があり、新しい方は「白い部分が多い」感じがしたが、実際には、肌色と白の面積は新旧であまり差がなさそう。目を引く赤色の帯が太くなったせいで、相対的に肌色が減って白が増えたように感じたのかもしれない。
また、正面上部の行き先表示の周囲は、旧塗装では赤く、新塗装では黒い。しかし、一部の旧塗装車両でも、末期には黒く塗り替えられた車両があった。

新塗装導入と同時期に、各メーカーがモデルチェンジを行ったこと、座席の布地が無地から柄入りのものに変更されたことなどもあり、スタイリッシュで新しさを感じたものだった。
新塗装のバスは1996(平成8)年までほぼ毎年導入され、計100台以上(110~120台くらい?)に上った。【2014年2月24日追記】119台(小型車7台を含む)のはず。
しかし、2000年から始まった段階的移管に伴い、おそらく2001年度以降は民間会社へ譲渡されて緑色に塗り替えられたり、それほど古くないのに廃車になったものもあり、年々数を減らしていった。
最後の2005年度に在籍したのは、わずか11台。

●貸切旧塗装 ?年~2001年
観光(貸切)車両は別塗装だったが、やはり「赤バス」であり、かなり古くから赤かったようだ。
1960年9月1日付「広報あきた」151号「のり心地満点! すばらしい赤いバス
赤バスならぬ「赤いバス」だそうです。JR九州みたい。

僕が子どもの頃の貸切車もこの塗装で、遠足などで乗った思い出がある。
実はこの塗装の車両、一部は路線バスでも走っていた。
これ
地色はグレー。赤はエンジ色っぽくて、路線用の赤とは違う。
窓の下の細い線が後部で途切れていたり、車体裾と窓上の赤い部分が斜めの線で後部に行くほど狭くなっていたりするのが、おもしろいデザイン。
正面の市章のところの細い線だけ、地色ではなく白色のようだ。正面はなんとなく歌舞伎役者みたいな印象。
子供の頃は羽後交通のバスに似た塗装だと思っていたが、それよりは赤の面積が少ない。

これは、車体は路線用車種がベースだが、塗装は貸切用と同じという、変わった車両。
内装は路線バス仕様のシートながらも、背もたれが高めで全席が2人掛けで、貸切としての使用も考慮している。もちろん、運賃箱などワンマン路線バス用設備もある。
これは、普段は路線バス(大型車なので路線は限定されていた)として走り、遠足シーズンなど繁忙期には貸切バスとして走る、「路線・貸切兼用車両」。(バス愛好家などには「ワンロマ車」と呼ばれる。僕も遠足で乗った経験があるので、詳細は後日

秋田市交通局では、4世代の兼用車両があったようだが、うち1980年頃導入の2代目(1992年頃廃車)と、上の写真の1985年度導入の3代目が、貸切と同じ塗装だった。(初代は1960年代後半に路線バスと同じ塗装で導入されたらしい、4代目については後述)
時期的には、路線用も旧塗装だった時期だが、行き先表示の脇が黒く、モデルチェンジ直後の「いすゞLVキュービック」(秋田県内初導入だったかも)でもあったので、斬新でかっこよく感じた。


貸切(兼用ではなく専用の)車両についてはよく分からないが、おそらく、1986年度に導入された車両もほぼ同一の旧塗装だったようだ。その車両はおそらく1993年頃までになくなったと思われる。
一方、上の写真の1985年度導入の路線・貸切兼用車両は、旧塗装の路線専用車両と同じく、2000年度末で姿を消したはず。

●貸切新塗装 1985?年~1998年
貸切の新塗装は、1985年度導入の2階建てバス「みはらし号」において、旧塗装をアレンジした塗装が採用されたのが最初のはず。翌年導入の中2階建てバス(スーパーハイデッカー)「わかくさ号」も同じような塗装だった。

上記のとおり、1986年頃までは他の(2階建てでない)貸切車両が旧塗装で導入されている。したがって、貸切車両は何年かにわたり、新旧の塗装を混在して導入していたということのようだ。(というか二階建て車両だけ特別塗装だったということか)

その後、平成に入ってから導入されたと思われる(2階建てでない)貸切バスは、2階建てバスの塗装によく似たものになった。
 (再掲)回数券表紙の広告より
従来のものをベースにしたダイナミックなデザインになった。グレー・赤とも明るい色合いになり、白い部分もある。
分かりにくいが、側面には星のマークや「AKITA CITY」の文字が大きく配置された。
貸切事業は路線より早い1997年度いっぱいで廃止された。この塗装はその時に、旧塗装よりも先に消滅したことになる。

【2019年10月18日追記】ネットで「秋田市交通局 二階建バス乗車記念」という絵はがきらしきものの画像を見つけた。
内容からして、みはらし号導入間もない頃に、乗車記念に配ったものだと思われるが、平成初期頃に交通局庁舎(営業所?)でもらったような話も。
みはらし号の写真とともに、「昭和60年秋田県で最初に導入」「車体のデザインは秋田市立美術工芸専門学校によるもので、「みはらし号」の愛称は一般公募204点の中から選定されたものです。」「高さ3m77cm 長さ11m99cm 巾2m49cm」と説明。
これにより、このデザインの作者がある程度判明した。
秋田市立美術工芸専門学校とは通称「美工専」。後に秋田公立美術工芸短大、さらに秋田公立美術大学となった。専門学校部分も、短大附属高等学院→大学附属高等学院として存続(高校ではなく専門学校)。
「~学校によるもの」とあるので、生徒学生ではなく、教員に依頼したのかもしれない。そういうのができる先生がいたはず。
その数年後の一般路線バスの新デザインは、誰がデザインしたのか、気になるところだ。


赤くない市営バスもいくつかあった。
●秋田八丈 1992年~2002年
白い!
これも路線・貸切兼用車両(4代目)で、1992年度に日野製の大型車5台4台だけが導入された。【2012年1月11日訂正】導入台数は5台ではなく4台でした。
正面に秋田市章はあるものの、それ以外は市営バスらしさを感じさせない外観。白地に斜めの色違いのラインが3本引かれた、シンプルなデザイン。

これは、秋田市の伝統工芸の織物「秋田八丈(秋田黄八丈)」をモチーフにデザインしたもの。

なお、Wikipediaや一部サイトなどにおいて、この塗装を「2代目の貸切路線兼用車」で塗装を「秋田八景」と称しているが、それは誤り。兼用車の4代目であることは上記の通りだが、「秋田八景」が誤りといえるのは以下のような理由から。
・具体的な日付は示せないのだが、導入当初、テレビのニュース(たしかABS)や魁新報で、「秋田八丈をデザインしたバス」として報道された記憶がある。
・1992年に秋田県が「新・秋田八景」というのを定めており、それ以前にも「秋田八景」というのがあったらしい(江戸時代の紀行家・菅江真澄が関係している?)が、いずれにしても秋田「県」エリアのものであり、秋田「市」のバスが取り立ててデザインにする必要性がない。また、この3色ラインのデザインで、「八景」を表現しているとするのは、無理がある。

側面から続いて天井にも色が付いている
2001年度末までこの塗装が見られたが、2002年春の新屋方面の路線移管に伴い、譲渡(この時に、交通局に残っていた大型車がすべて廃車または譲渡された)され、緑色に塗り替えられてしまった。現在も活躍中だが、もう20年も経つのか。

以下は、自分で撮影した写真はないので、秋田市サイト内の「秋田市写真館」の写真をお借りして紹介します。トリミング、トーンカーブの補正を行っています。
●初代ミニバス 1975年~?年
道が狭い新興住宅地に路線バスを運行するため、1975年に小型バスが導入され、他の路線バスとは異なる塗装だった。
水色とオレンジ
僕は1度だけ乗った記憶があるが、塗装までは印象に残っていない。
活躍はあまり長くなかったようで、10年くらいで2代目が導入され、さらに1993~1996年度には3代目が導入されたが、いずれも他の路線バスと同じ塗装だった。

●初代空港リムジンバス 1981年~1993年頃
1981年に秋田空港が雄和町(現・秋田市雄和)に移転したのに伴い、市営バスと民間会社の共同運行で、貸切車両をベースにした専用車両による空港リムジンバスの運行が始まった。
車両はそれぞれの運行事業者が保有したが、塗装は2社共通だった。
秋田市章が側面に付いている(後期の貸切車両も同じ位置)

●2代目空港リムジンバス 1993年~?
上記の車両の老朽代替として、1993年度に2台が導入され更新された。初代リムジンは3台以上在籍したはずだが、2代目は2台だけだったはず。
写真はないのだが、真っ白なボディに赤と青で「~」みたいなデザインが入ったシンプルな車両だった。メーカーのカタログに載っている標準塗装で注文したのかもしれない。
【3月8日追記】だけど改めて前項の旧塗装リムジンバスを見ると、使われている色は白・赤・濃い青(紺)で新塗装と同じだ。旧塗装を意識していたのかもしれないい。

導入後少しして、市営バスがリムジンから撤退したので、この2台は貸切に転用、さらに貸切も廃止されたが、うち1台は「秋田市太平山自然学習センター」の送迎バス「まんたらめ号」として活躍しているようだ(塗装・ナンバーは変更)。
【2014年4月6日追記】「貸切」としての用途は、老人クラブが活動する際に利用できる「いきいきふれあいバス」に限定されていたようだ。
【2016年7月25日追記】空港リムジンから交通局が撤退したのは1995年春らしい。いきいきふれあいバスは1998年開始。1995~1997年は、一般貸切だったのか?


以上が、僕が知る限りの秋田市営バスの車体塗装バリエーションのすべて。
市営バスを民間移管する際の条件の1つとして、「市営バス時代の塗装はすべて変更する」というのがあったそうだ。移管途中の段階における誤乗を防止するために必要だったのだろう。
でも、今は完全民間移管したのだし、いつか“復活”したら楽しそうだと、勝手に妄想してしまう。モデルチェンジした21世紀のバスにも、赤い塗装は似合いそう。
チョロQにするのもいいかも。

それにしても、特に旧塗装のバスの写真を、もっとたくさん撮っておけばよかったと悔やんでいる。
(今後の記事でも市営バスの写真をアップしますが、ほとんどが最後の数年間に撮影した新塗装のものです)
※次の記事はこちら
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楢山かまくら

2011-02-15 20:49:39 | 秋田の季節・風景
旧暦の「小正月」と前後して、秋田県内各地でさまざまな行事が行われる。雪を使ったもの、火を使ったものなどどれも個性的。
※以下、由緒や起源等を大雑把にまとめており、間違いもあるかもしれません。詳細は詳しいサイトや資料をご覧ください。

その中で、もっとも知名度の高いのが「かまくら」だろう。
一般的に雪で作った「洞」自体のことを「かまくら」と呼ぶが、その中に水神様などをまつる伝統行事の「かまくら」としては、秋田県内陸南部、豪雪地帯の横手市で行われるものを指す。
横手では、かまくらを作るのに長けた「かまくら職人」がいて、先日、その指導を受けて秋田市の秋田大学に作られた。
同様の行事が新潟県にもあり「ほんやら洞」とか「鳥追い洞」と呼ぶそうだ。

一方、秋田県内には、少し違う「かまくら」もあり、県外などの知らない方は「これもかまくらなの?」と混乱しそう。
例えば、「火振り(ひぶり)かまくら」といって、炭俵(米俵を小さくした感じ)に火を着け、それに縄を結んで田んぼの中でぐるぐる回す「かまくら」が、仙北市角館(旧角館町)や秋田市仁井田地区で行われている。


さらに別のかまくらが、秋田市中心部にもある。
「楢山かまくら」と呼ばれるもので、話には聞いていたが見たことがなかったので、行ってみた。
開催場所はその名のとおり、秋田駅の南側「楢山(ならやま)地区」。

楢山というと、僕などは旭川沿いの有楽町や旭南地区に近いサティの北側辺り、楢山登町や楢山南中町をイメージしてしまうが、このまつりが行われるのは、楢山太田町。
南中町方面から行くと、羽越本線と奥羽本線を越えて太平川を渡った楢山地区の東の外れで、東通地区や横森地区と接している。狭い道が入り組んだ地域で、JRの車両基地(秋田車両センター)の近く。古くからの農家もあれば、アパートや新しい住宅もある。地形としては太平川と一つ森公園の山の北側の間。
秋田駅からは直線で1.5キロほどだが、線路・太平川・道の配置上、ちょっと行きづらい場所。
路線バスでは、秋田駅西口発の「築地経由」桜ガ丘・梨平行きまたは同経由ノースアジア大学・明桜高校行き(両線合わせて昼間は1時間に1本程度。小型バスで運行)で「一つ森公園入口」下車。180円。
地図で見ると、秋田駅東口発の「桜ガ丘線(明田・横森橋経由。一部は西口発)」の大平台三丁目行きも使えそう(西口発よりは本数が多い)。「横森二丁目」下車、徒歩300メートルほどのはず。東口発で170円、西口発で200円。
町内に入ると、曲がり角などに手作りの看板がいくつかあった
会場は「一つ森公園入口」バス停から山の方に入ったところ。道路の向かい側、川の方には、駐車場も確保されているようだ。

住宅の中を抜けると、少し高くなった広場と「なかよし会館」という2階建ての町内の集会所みたいなのがあった。振り返ると天気がよければ太平山が望めるはず。
山の斜面は杉林。たぶん一つ森公園の上の方に登って行かれるはずだが、体育館などがあるのは、園内の逆側なので遠そう。
なかよし会館前
奥が会館だけど、その手前にあるものにご注目。上の写真は裏側なので、反対に回りこむと、
これが楢山かまくら
楢山かまくらは、雪で壁を作って囲い、その上に木材やよしずでできた屋根をかけたもの。
屋根に雪が積もっていてよく見えなかったが、てっぺん付近には針葉樹の緑の葉も使われていたようだ。
横手のかまくらよりずっと大きくて広い。予想していたくらいの大きさだったが、考えてみればやっぱり大きい。

横手のかまくらでも、当初(400年くらい前)は雪で壁を作っていたらしいし、全国各地でこの時期に行われる「鳥追い行事」において、竹や茅などで作られる「鳥追い小屋(鳥小屋)」にも似ている。
この壁だけが雪でできた楢山かまくらのようなスタイルが、“オール雪製”のかまくらの原型といえるのかもしれない。

かまくらの前に説明書きが出ていたが、それをまとめると、
・昔、宮中で行われていた悪魔払いの行事「左義長」に起因すると思われる。 ※左義長とは、「どんと焼き」のこと
・楢山でいつから行われたかは不明。1911(明治44)年の行事中に火災が発生し、当時の警察から中止を命じられ、以降中断していたが、1975(昭和50)年に復活。
・悪魔払いから豊作祈願の行事に変わった。
・当初は男の子の行事であり、中で寝泊りするなどしていた。婦女子は中に立ち入ることが許されなかった。
・男子15歳の元服の儀式の意味合いもあった。
・子どもたちが「ホデギ棒」を持ち「木ボラ」を吹いて、「強い男の子を生むように」と地域内の初嫁の家などに押しかけていた。
・最終日には、屋根に使った藁を束ねて燃やして「ドンドン焼き」が行われ、火の用心を願った。
といった感じ。

現在は、男女関係なく、2月11日に集まって、餅つきしたり雪で楽しく遊びましょうといった感じの行事らしい。
12日付秋田魁新報地域(県央)面によれば、主催する「楢山かまくら保存会」の会員が「9日に同会の約30人が6時間ほどかけて完成」させたそうだ。
また、2004年からは、地元の市立築山(ちくざん)小学校4年生の「2分の1成人式」もここで行われている。(上記解説にもあるが、かつて元服の儀式が小正月に行われていて、その名残で成人の日が1月15日になったことにちなむのだろう)
かまくらは16日のどんと祭り(←新聞記事の表記のまま)の際に解体されるとのこと。

訪れたのは何もやってない日であり、誰もいなかった。
入口周辺
左側に今となっては珍しい箱ぞりが3台置かれていた。手前2台は新しそう。
そして右側。これって…
笹竹に短冊!
入口の両側に1本ずつ笹竹が立てられ、子どもたちの願いごとが書かれた短冊が下がっていた。(入口に机が置かれ、そこで記入した模様)
他の飾りこそないが、七夕の笹と同じだ。願いごとの内容も、七夕に書かれるものと同じ内容。
どういう起源なのか分からないが、真冬にしては意表をつかれた。

雪の壁が途切れていて、かまくら内部への入口がある。入口にはよしず(すだれ?)が下がっていたが、まき上げられていたので、中へ入ってみた。
内部。床も雪で靴のまま入れる。屋根はよしず
広いけれど、外見から予想するよりは狭い。それだけ雪の壁が厚いのだ。
屋根から光が入るが、薄暗い。
入口の対角線、いちばん奥が祭壇で、お供えや賽銭箱があった。
祭壇
まつられているのは、「水天宮」と「鎌倉権五郎大権現」。2つ一緒にまつられているんだ。
鎌倉権五郎は本名鎌倉景政、平安時代後期の武将で「後三年の役(今の秋田県三郷町が戦場)」で活躍した人。神奈川県鎌倉市にある神社でまつられている。
かまくらが「かまくら」と呼ばれるようになった由来は諸説あるが、その1つに「“鎌倉”権五郎がまつられるから」というのもあるそうだ。
祭壇には、鏡餅やミカンがあったが、右側の尺八の長いようなのが、昔吹き鳴らしたという「木ボラ」か?


住宅地化が進み、一方で少子高齢化も進む地域だと思われるが、古くからの行事を受け継ぐには苦労も多いと思う。
ここでしか見られない行事と言っていいだろうから、大切に受け継いで末永く続いてほしい。
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冬の連休

2011-02-13 23:08:37 | 秋田の季節・風景
金・土・日と3連休。
秋田県内各地で小正月の行事やそのプレイベント(かまくらなど)が開催されたほか、JR東日本乗り放題の「スリーデーパス」期間中ということもあってか、秋田駅周辺では多数の旅行客の皆さんを見かけた。
春や秋の3連休に引けを取らないほどの人が来ていたような印象だった。

秋田の人は「この寒くて雪が多い時期に、わざわざ旅行に来る人などいない」と思うのかもしれない。だから、春や秋の連休には物産の出店が並ぶ駅自由通路「ぽぽろーど」では、今回は何も行われていなかった。(寒くて売り手の人が大変というのもあるだろうけど)
今回は穏やかな天気だったが、大荒れになることもあるから、それはたしかにそうであり、冬の観光収入をあまりアテにはできないのだろう。
でも、冬の秋田ならではの行事・お祭りを見たい、あるいは雪景色を見たいと思う、たくさんの人が秋田を訪れてくれたことになる。

秋田市では大きな行事は行われないので、今回、秋田市内で見かけた旅行客の方々は、行事が開催される大館・横手・湯沢などが主目的であり、秋田市へは列車・飛行機や宿泊の都合で来られたのだと考えられる。(秋田市の観光業界にとっては、冬の行事の“おこぼれ”に預かった形だ)
そうした方々は、秋田市にどんな印象を持たれただろうか。気になったことが2つあった。
秋田駅前の地図(以前撮影)
市街地各所や駅周辺には、道案内の地図が設置されている。
以前、よその街で地図や案内がぜんぜん設置されていなくて参った経験があったので、それと比べると親切ではある。

秋田駅周辺では、秋田市、県警(交番前)、民間企業(改札口正面)などが地図を設置している。設置後の管理もそれらが行っていると考えるべきだろう。
いくつか見た限りでは、そのどれも、再開発工事によって市道が廃止され、通行止めになっている仲小路が、通行止め前の状態のまま(=通行できると読み取れる形で)記載されている。
「イトーヨーカドー」「ニューシティ」「ニューたけや」など、なくなったり名称が変わった施設がそのままだったり、新しくできたホテルが未掲載のものも珍しくない。
これを見て、旅行客の皆さんが混乱したり、無駄に歩かされたりしなかったか、気がかりだ。
直接は関係ないかもしれないが、この3日間で立ち止まって地図を広げている方を3組も見かけた。

秋田市では、スマートフォンのカメラとGPSを使って、現地で画面に説明が出る観光ガイドを作る事業を行うらしいが、そんなモノより、まずは既存の、誰でも見られる街角の地図を現実に合わせることの方が先ではないだろうか。
最終的には再開発完了時まで待ったほうが費用が安く見栄えもいいだろうから、とりあえず、ラベルライターのシールを貼る形ででも修正するべきだと思う。


もう1つは、歩道の雪。
仲小路の秋田駅側
雪が凍結してデコボコ、若干ツルツル。
最近の状態では、秋田の人なら大丈夫だが、雪道に不慣れで荷物を持った旅行客には、危険ではないだろうか。
隣の広小路
こちらも同様だが、道路管理者の秋田県による「融雪装置(ロードヒーティング)が老朽化して今季は稼働できません。気をつけて通ってね」という「お知らせ」の看板が立っている。
昨年、近くの脳研前の県道にあった看板の使い回しだ。(脳研前は、今年度雪が降る前に工事を終え、現在は稼働中)
こんなにツルツルじゃあ、気をつけても転ぶかもよ。(道路管理者ばかりでなく、沿道のお店も自主的に道を付けたりするべきだとも思う。融雪のない道路ではそれが常識なのだから)

まあ、正直な看板といえばそれはそうだが、ある意味秋田の恥さらし。
秋田駅前で「秋田県は計画性のない事業をやってます」と言ってるようなもんじゃない?
計画性がないのか、貧乏なのか、職員や知事や県議会が実情を知らないのかなんだか知らないが、現実に困る人がいることを知ってほしい。

一方、仲小路を西に進んだ、再開発地域手前の商店街では、融雪装置はないはずだが、きれいに路面が出ていて歩きやすかった。
今朝も陶器店やブティックの方がさらに氷を割っておられた。安心して通行してもらいたいという気持ちの現れで、これはありがたい。


以上のような状況では、「(大館・横手・湯沢などの)秋田の冬のおまつりはよかったけど、秋田市は道が分からりづらいし滑るし、ヒドかった」などと言われてしまいそう。
お客様に楽しんでもらい気持よくお帰りいただけるよう、いろいろな面でもっと努力が必要だと思った。

【24日追記】その後、秋田市道の仲小路にはロードヒーティングが設置されることになった


先週から今日にかけての市内のようすです。
竿燈大通り
大きな通りは雪が消え、歩道も融雪装置のおかげで歩きやすい。ランニングをする人も。
境目の除雪された雪山も小さくなっているが、上に新雪が積もって真っ白。

秋田市南東部の住宅街
道路の隅に巨大な雪山が点在していた。
地区内(数百メートル四方くらい?)を一斉に排雪していたようで、ある程度まとめてから、トラックに積んで捨てに行く手順なのだろう。
山を作ってまとめる
一時的とはいえ、見通しが悪くなるので、通行時は注意。
道に立ちはだかる“雪の壁”(本来直線の道路)
上の写真で分かるとおり、路面が見えるほどしっかりと雪がなくなっている。
すごい存在感
こうして集めた雪は、雪捨場へ運ばれる。
その1つが、雄物川河口近く、雄物新橋付近の右岸(いわゆる割山側)河川敷。2009年にも紹介したが、例年、橋の下流側に雪山ができる。
今年は、
下流側から上流方向を撮影
橋の下流側は、「もうこれ以上捨てられません」といった状態で、橋の路面と同じくらいの高さで平らにならされていた。
現在は、
上流側
橋の上流側に新たに雪山ができていて、次々に来るトラックは誘導されてそこに捨てていた。
順番待ちのトラックの行列
今年の雪の多さを物語る光景だった。

※その後、4月の雪捨場の様子はこちら


以前紹介したとおり、地下式の「防火水槽」では雪に埋もれてしまうため、積雪地では、地上に飛び出た「消火栓」が一般的で、さらに看板や旗で見つけやすくしている。
茨島地区の消火栓
この消火栓、
埋もれそう
ある程度雪が積もると、消防署員が巡回して消火栓の除雪を行うのを見たことがあるが、ここはまだ必要ないと判断したのか。
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E751が来た/旧青池

2011-02-12 20:35:18 | 秋田のいろいろ
秋田-青森間を走る特急「つがる」の車両が、4月中旬から変更になることが分かったのを、2月1日の記事で取り上げた。
新しい車両は、昨年12月まで弘前・青森-八戸間の「つがる」で使われていた、「E751系電車」を6両から4両編成に変えて使用するそうだ。

他の方々のブログなどによれば、今週、秋田市内の秋田車両センター(金照寺山と一つ森公園の間)に、うち1本がやって来ているという情報があった。
今日、秋田駅中央改札横のぽぽろーどの窓から、北側を見ると、
いた! しかも前照灯点灯中!
E751系電車が、古い方の自由通路「Weロード」の真下、8番線ホームの外側(東側)のいちばん道路沿いの線路に停まっていた。
前照灯(ヘッドライト)はすぐに消えてしまったが、近くへ行った。
12番線(左奥)に停まる「こまち」と
「こまち」とのご対面は今までなかったはず。

秋田に来ていたのは、製造番号「1」と「101」の車両が組み合わされた、「A-101編成」。E751系3本のうち、いちばん最初に製造されたもの。
まだ6両編成のままで、グリーン車部分だけ窓のカーテンが下ろされていた。
アルヴェと青森側の先頭車
主に歩行者が通る秋田大学方面への道に沿って停まっていたため、通りがかる皆さんも、見慣れない車両を気に留めていたようだ。
間近に見えるとはいえ、障害物があって写真は撮りづらい。※積もった雪の下に、穴や水路がある場所があります。撮影される方はご注意を。
側面
E751系をじっくり見るのは初めてかもしれない。
窓の上は黄色の帯、窓の下の白と赤の境目には、細い青線が入っているのか。

車内には、大人数ではなさそうだが何人かのJR社員がいて、通路を歩いたり、
運転席から顔を出して後方確認?
運転席は従来の485系と同じくらいの高い位置にあるんだ。もっと低いと思っていた。

Weロードからは、真上から見下ろすことができた(冒頭の写真もWeロードから撮影)。
先頭部
運転席には黄色い紙が外から見えるように置かれており、「乗務員訓練中 秋田運輸区 指導」と書かれていた。(反対側の運転席にもあった)

車体の雪の積もり方からして、遠距離を高速で走ったのではなさそう。
秋田運輸区の乗務員にしてみれば初めて操作・乗務する形式だし、以前の車両とは20年以上の差があって相違点が多そうなので、動かす前に、まずは停まったままで、機器の操作などを覚える訓練をしているのだろうか。

なんかヘビみたいな不思議な形にも見えるが、わりとかっこいいと思う。
そして6両編成がとても長く見えた。同じ6両編成の「こまち」よりも長く感じたのは、デザインのせいだろうか。(実際の営業運転時は2両が外れることになる)

【13日追記】翌日13日も同じ場所にいた。
Weロードから見下ろすと、制服を着て白手袋をはめた社員が運転席に座っており、カラー印刷されたA4版くらいの紙が綴られたファイルを熱心に読んでいた。
きっとE751系の“取扱い説明書”なんだろうけど、こうやってじっくりと機能や操作を覚えないと運転することが許されないのが鉄道車両であり、免許さえ持ってれば運転できるクルマとの違いということか。

※E751系に関した続きはこちら


ところで、12月にハイブリッド車導入に伴い、引退した「リゾートしらかみ」の旧「青池」編成。
使い道がなくなったかに思えた両端の2両は、「CRUISING TRAIN」という表示に改められ、秋田車両センターの片隅に置かれていたのを以前アップした

その後、先週、奥羽本線の横手から花輪線の鹿角花輪までという、秋田県内を縦断する団体臨時列車に使用されたそうで、新たな活躍が始まったようだ。
また、「リゾートしらかみ」の方は、オフシーズンの2月は、月曜から木曜までは全列車が運休している。
そんな中、秋田車両センターへ行ってみると…
なんと!(以前と同じ跨線橋から撮影)
新旧の「青池」が近くに停まっていた。
どちらも、メンテナンス中だったのだろうか。
左が旧青池(CRUISING TRAIN)、右奥がハイブリッドの現青池
たしか、一度、弘前駅で新旧が並んだことがあったはずだが、それ以来かもしれない。
それにしても、「CRUISING TRAIN」をこのままの塗装で秋田で使い続けるとすれば、ハイブリッドの方と紛らわしい。
コメント (4)
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屋上カメラで放送事故?

2011-02-11 23:58:05 | 秋田のいろいろ
テレビ局に「お天気カメラ」とか「情報カメラ」と呼ばれる機器がある。屋外にリモコンカメラを設置し、風景を生中継する装置。
現在では、設置していないテレビ局はたぶんないくらい普及しているが、最初は1970年代にTBS系列局が朝の番組で使うために始めたようだ。
秋田では日本テレビ系列の秋田放送(ABS)が、当時秋田県内でいちばん高い建物であった秋田県農協ビル(1977年竣工。現・秋田県JAビル)の屋上に設置し、「ノッポ・アイ」とかいう愛称で使っていたのが最初だった気がする。当時のABSテレビは、朝はTBSの番組をネットしていたため、導入が早かったのかもしれない。

後に各局が追随し、NHKでも全国各地の放送局や観光地などに設置している。
NHK秋田放送局(秋田放送会館)は、2008年3月に秋田市役所隣の山王地区から、秋田駅東口(東通地区)へ新築・移転した。
秋田駅東口 ※この記事の写真は、すべて以前に撮影したものです
左から矢印を境に、NHK秋田放送局・秋田拠点センター“アルヴェ”・秋田駅。NHKは登記上はアルヴェの別館扱いらしい。
3つは棟続きになっていて、西口側のフォンテ秋田(旧イトーヨーカドー)ともつながっているので、フォンテ2階や駅改札口からNHK2階まで外に出ずに移動できる。

山王にあった頃は、赤白の高いアンテナの上の方にカメラが付いていて、隣の市役所前庭で竿燈まつりの練習をする風景、その隣の八橋運動公園内の各施設、前の山王大通り~山王十字路周辺の交通量の多い道路、山王や秋田駅周辺のビル群、そして千秋公園・御隅櫓とその向こうの太平山など、「秋田市らしい光景」をいろいろ映していた。

新しい秋田放送局にももちろんカメラが設置され(実は厳密にはそうではないのですが。下記参照)、その映像がニュースなどでよく放送される。
秋田駅ホームと周辺の線路や自由通路、秋田駅西口の2つの交差点、千秋公園(山王から見ていたのと反対側)、秋田南中学校付近、NHK周辺の住宅地の道路、(天気が良くて見えれば)鳥海山などが映るのを今まで見たが、イマイチぱっとしない。
山王時代と比べて、華がないというかおもしろくない映像ばかりの気がする。「これぞ秋田市」という映像が少ないと思う。

その理由は、まず、秋田駅東口側がアパートや住宅街であり、あまり絵にならないことがあるだろう。夜は暗い。そのため、どうしても西側を向く。
駅構内や秋田駅西口も映るとはいえ、屋根があったり建物がジャマで、アングルは限られる。
西口の広小路側交差点はまっすぐに見えるが、コンビニ・居酒屋・消費者金融の看板が乱立。とても公共放送NHK(特に全国放送)では使えないだろう。少し引いても、西武などのビルの看板が大きく入り込む。

そして、秋田市を象徴する「太平山」が写ったのを見たことがない。
隣のアルヴェ14階から撮影
隣のアルヴェの14階からは、駅東側の住宅地の向こうに、太平山の山並みが美しく見えるのだが…

そのアルヴェ14階からは、NHKのアンテナを間近に見ることができる。
こんな感じ
高い部分全体がアンテナというより、高い塔のてっぺんに個々のアンテナを置いている感じ。
塔の内部は階段になっているらしく、昔のむき出しの塔よりも安全そう。
ちなみにこの裏側、南側を下から見上げると、
ソーラーパネルが6枚設置されている

でも、アンテナばかりでカメラらしきものが見えない。
僕は最近まで、てっきりここに設置されているのかと思っていたが、実はNHKの建物自体には、カメラが設置されていないのだ。
隣のアルヴェの高層棟(東横インや上の写真を撮影した展望スペースがある14階建ての建物)の屋上、南西角に設置されているらしい。
秋田駅西口から撮影。この奥(裏側)にNHKがある
赤丸部分を拡大
右上の四角いのがカメラみたいだ。アンテナも2つあり、1つはNHKのロゴ入り

なるほど、考えてみれば、アルヴェの14階からNHKのアンテナ塔を「見下ろせる」ということは、NHKの塔よりもアルヴェの方が高いわけで、そちらの方が見晴らしがいい。
それに、NHKからでは、アルヴェが視界を遮るので線路や駅周辺、西口側が見通せない。
南西側・線路沿いから。カメラは黒いビルの左側手前にある
アルヴェ高層棟とNHKの塔は思ったより離れている。

また、東西方向に薄っぺらに見えるアルヴェのビルも、それなりに幅があるわけで、東にある太平山を映そうとすると、ビルの屋上が映りこんでしまうわけで、無理なのだろう。(それ以前にカメラの“首が回らない”のかもしれない)
南東側から。赤丸がカメラ、太平山は右側
反対側にももう1台カメラを設置するとか、思い切ってまったく別の場所にカメラを設置するとか、もう一工夫してもいいかもしれない。


ところで、NHK秋田の平日18時台のローカルニュース番組「ニュースこまち」。
この番組内でも、アルヴェ屋上のカメラが多用される。

番組の最後では、キャスター3人が並んで次回の予告をした後「失礼します」と挨拶し、屋上カメラの映像に変わる。
音楽と「ニュースこまち・終」のテロップとともに15秒くらいだろうか、屋上カメラの映像が流れて終了。1分間の番組宣伝~「ニュース7」へと移っていく。

エンディングでは、夏場のまだ明るい時期なら夕焼け空を映すこともあるが、今の時期は暗いので絵になるアングルは限定されるのだろう。もっぱら秋田駅西口周辺や秋田駅構内の映像が流れる。
特に、秋田駅の新幹線ホームを映すことが非常に多い。
この時間は、カメラにいちばん近い12番線に19時7分発「こまち42号」が入線していて、その先頭車両の先頭部にズームインするパターンが、(統計をとったわけではないが)1週間に2~3回以上は使われる気がして、お決まりの映像になっている。(番組名も列車名も「こまち」だから掛けているのか?)
アルヴェの駐車場から撮影。ここのずーっと上にNHKのカメラがある
上の写真を、さらに高い位置から見下ろしたアングルで、ぐーっと列車の先頭部に寄っていくことが多い。

10日・木曜日の「ニュースこまち」のエンディングもこのパターンだったが、何気なく見ていてびっくりした。
こまちの先頭車両にズームして、動きが止まってアングルが固定されたかと思うやいなや、ホーム上に列車の影から1人の女性が出てきた。(20代~30代くらいかな?)
歩いて通りかかったというより、「飛び出てきた」というような感じで、何やら楽しそう。通りすぎずに、立ち止まって線路側に体の正面を向けている。手には何か小さな物を持っていて、彼女はそれに目を落とした。
つまり、彼女の顔がテレビに映って放送されていることになる。かなりのズーム倍率だし、彼女を知っている人が、鮮明なデジタルテレビで見ていたなら、「◯◯ちゃんだ」と認識できるだろう。

僕は、たまたま「こまち」の乗客が、先頭部を撮影しに来たのであり、手にしているのはそのためのカメラかと思ったが、そうではなかった。

次の瞬間、彼女はNHKの屋上カメラに向かって手を振ったのだ!
こんな感じ↓
下手なイメージ図。赤いのがその人
彼女は時々、手に持っているものに視線を落とすと、一層嬉しそうに手を振り続けた。
おそらく、携帯電話でワンセグ放送を見ていて、それで自分が映っているのを確認しているのだろう。
誰かに自分の姿を見せたいのか、自己満足なのか知らないが、大胆なことをするもんだ。

おそらく10秒間あるかないかくらいだと思うが、見ている側にはとても長く感じられ、妙に明るい、やや時代遅れのテーマ音楽が虚しく鳴り響いていた。
カメラは微動だにせず、停車中の新幹線と「ニュースこまち・終」の文字が静止する中、嬉々として手を振り続けるどこかの女性の姿だけが、公共の電波(しかも受信料で放送される公共放送NHKの、しかも報道番組)を通じて、秋田県じゅうに流れた。
秋田駅12番線がステージのように感じられ、まさに彼女の「一人舞台」。一種の「番組ジャック」「電波の私物化」と言えるかもしれない。

これにはびっくり。
いわゆる「放送事故」扱いじゃないだろうか。
こういう場合、多少不自然な動きになっても、カメラを振ってよそを映したり、ズームアウトして小さくしたりして、できるだけ映さないようにするべきではないだろうか。
手を振るくらいならまだしも、例えば「来週からはABS秋田放送を見てね!」なんて紙を出してカメラに向けられたりされたら、大問題になる。


毎日代わり映えのない映像を流すから、パターンを読まれてこういうことになるんだよ。NHK秋田放送局はもう少し変化をつけてほしい。
それ以前に報道の自由だかなんだかしらないが、こんなにやたらと不特定多数の人々を撮影できる屋外に、個人の顔を判別できるほどまでズームできるレンズを付けたハイビジョンカメラを設置し、その映像を精細なデジタル放送で流す意味・必要があるだろうか。
今は防犯カメラですら「カメラ作動中(記録中)」などと表示があるのも珍しくない時代。今回のケースとは逆に、映してもらいたくない人の姿が、本人が知らぬ間にデジタル放送の精細な映像で放送されてしまっては、プライバシーを侵害することにもなりかねない。(滑って転んだところを全国放送されるとか)

NHKの18時台は祝日は別番組なので、今日は放送はなかったが、来週はどうするんだろう?
ちょっと楽しみ。(見忘れなければ結果を追記します)

【14日追記】週明け月曜日、14日のエンディングは、西口側の自由通路ぽぽろーどの側面をややズームしたアングル(人がいても顔は認識できない程度)からズームアウトし、秋田駅構内の線路・在来線ホームの屋根が映るまで引いたところで止まって終了。新幹線ホームは映らなかった。
従来もたまにあったパターンだと思うが、新幹線ホームを映さなかったのは、先週の反省を踏まえてか?
さらに、20時45分からの「ニュースあきた845」のオープニングと気象情報前の画像も、たぶんまったく同じアングルだった。
【15日追記】今日は新幹線先頭車のアップからズームアウトし、西口方面一帯(フォンテ秋田~秋田駅~広小路側交差点)の広角アングルで終わり。問題のパータンとは逆で、最初アップにしておいて引くパターン。これなら、延々と手を振り続けられる心配はない。
なお、先頭車付近の喫煙所周辺に立っている人の後ろ姿や喫煙所内の人の腰の辺りが少し見えていた。それから新幹線は量産先行車「R1編成」だった。
【17日追記】
16日は西口の広小路側・フォーラス前の交差点から始まり、在来線ホーム近辺(14日とほぼ同アングル)までズームアウトして終わり。
17日は西口側南方向、明田地下道近くの高層マンション(デイリーヤマザキの近所)全体を映し、線路が映るまでズームアウトして終わり。駅側は映らなかった。
【18日追記】18日は、東(南南東くらい?)の空に上った満月のアップから引いて、秋田駅東口側・南東方向の住宅街を広角で映して終わり。
最後は、画面左端にアルヴェ屋上の一部(赤く光る「航空標識灯」など)が映りこんでしまい、ほんの少し右に振っていたが、それでもまだ映っていた。
したがって、やはりこのカメラでは、太平山など秋田駅の真東~北方向は映せないことになる。

今週1週間を振り返ると、毎日違うアングルであり、過去に見たことがないパターンもあった。以前はよく登場していた新幹線の「こまち」が写ったのは1度だけ。
ズームインしていくパターンがなく、いずれもアップからズームアウトして広角側で終了している。
やはり、先週の“問題”を踏まえての対処だと思われる。

【3月4日追記】
前回の追記後も、ズームインして終わるというパターンは皆無だったと思う。ズームアウトするか左右に動く(パン)パターンのみで、屋上カメラの映像が流れる時間が短くなったような気がする。
今日、3月4日は久々に12番線のこまちが映った。ただし、アップからズームアウトするもの。
しかし、映像が切り替わってこまちが映るやいなや、ホームに列車の影から3人(お父さん、お母さん、小さな子)が出てきた。
もしやまた手を振るのか? と思ったが、こまちの先頭部で記念撮影をしていた。上記の通り、カメラはズームアウトしていたので、顔が判別できるほどではなかった。
それにしても、カメラが切り替わってすぐ、3人が絶妙のタイミングでホーム上に姿を現したは、単なる偶然だろうか。
完全な憶測・妄想だが、前回同様にワンセグや電話で自分たちがカメラに映ることを意識しての行動だったのかもしれない。
【3月9日追記】
この一件から1か月たった、3月9日のエンディングは、問題の2月10日のパターンと久々にほぼ同一だった。(ズームの度合いがやや広角寄りで、映る時間は短かったかもしれない)

※新幹線ホームからカメラを見上げた写真がこの記事にあります
※関連記事はこちら(秋田市新屋の花見期間限定で設置されたカメラ)
コメント (11)
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70歳以上バス100円

2011-02-10 20:25:55 | 秋田のいろいろ
今朝の朝日新聞秋田版に、「70歳以上バス100円/秋田市10月にも/社会参加促す」という記事が出た(asahi.comサイトにも掲載)。
70歳以上の市民を対象に、秋田市は新年度から、100円でバスに乗車できる「高齢者コインバス事業」を始める方針を決めた。10月にも開始する。安価な運賃にすることで、高齢者の外出や多様な活動への参加を促すことが狙い。市は年間1億円程度の事業費を見込んでいる。
理由として、市は高齢者が暮らしやすい街づくり進める狙いで、個人に現金を支給するのではなく、様々な福祉サービスに重点を移していくためなどとしているという。
とのこと。

新聞記事中にもあったが、現在、秋田市では「高齢者バス優遇助成事業」を実施している。
これは満70歳以上の市民向けの1セット1000円分の回数券「ゆうゆう乗車券」を、1セット600円で月7冊まで購入できる制度。回数券は市内の一般バス路線や郊外地域の市で運行する路線(マイタウン・バス)で使用できる。
これに代わって、この「高齢者コインバス事業」が設けられるのだが、対象者は非常に安くバスに乗れることになる。
しかも新しい制度は、乗車回数制限はなく、1度証明書をもらうだけで済むそうだ。(バス利用時に証明書を提示して100円を支払うのだろう)
現在の高齢者用回数券を使っている人はかなり見かけるから、この制度導入によって、バス利用者は増えるだろう。

なお、行政とは関係ないが、65歳以上の運転免許証自主返納者を対象に、秋田県中央部のバス会社の一般バス路線全線が利用できる「高齢者運転免許証返納専用定期乗車券(らくらくパス)」というのもあり、1か月1万円、3か月2万1千円、6か月3万6千円。
これと比べても、かなり割安。月に60回~100回以上バスに乗る人以外は必要がなくなる。(もちろん、秋田市外の人や市内の65歳~69歳の人には必要な定期)


大都市などでは、高齢者が無料でバスに乗れるところもあるらしいが、地方都市ではあまり聞かない。
それに、現在、東京都では無料でない(住民税額に応じて価格の異なる年間パスを購入する形態)など、一定の“受益者負担”をするのが一般的のようだ。


秋田市が言う、高齢者に外に出てもらってうんぬんというのも分かるし、永年に渡って社会に尽くされてきた方々を優遇することは当然。市の負担が年1億円で済むのなら、高くはないと思う。
だから反対ではない。
でも、秋田市の公共交通事情や交通政策と併せて考えると、表面的で整合性のないことをやろうとしているように思えてしまう。

●コインバス?
まずはどうでもいいけど、事業の名称。「高齢者コインバス事業」だそうだ。
「コインバス」? それを言うなら「ワンコインバス」じゃない?

また、「コイン」というからには、回数券(高齢者用は廃止されるけど、一般向けの普通券・買物券)で支払うことはできないのだろう。回数券を使うと二重の割引になってしまうし、他の都市の事例からしても妥当でしょう。

●秋田市オリジナルではないのね
この事業とそっくりなことが既によそで行われていた。
それは、長野県長野市の「おでかけパスポート」と松本市の「福祉100円パス」。
大分市にも「高齢者ワンコインバス事業」というほぼ同じ名称のものもある。こちらは利用者負担額が100円~300円の間の3段階で幅がある。(かつては100円均一だったそうで、再び100円に戻す計画もあるようだ)
秋田市はそれらを真似したということか。

●秋田市は広いけど
新聞に詳細は書かれていないし、市でも決まっていないのかもしれないが、どんなに長距離であっても(秋田市内なら)100円なんだろうか? すごい割引率だ。
(現行の高齢者用回数券は4割引。初乗りの160円区間では96円分になるので、100円になるとごくわずかな値上げになるが)
秋田駅西口から普通運賃400円の新屋駅前(西部市民サービスセンター)まででも、530円の御所野(新都市交通広場)でも、550円の飯島北でも、680円の仁別(クアドーム・ザ・ブーン)でも、全部100円ということになる。400円区間だと75%引き、680円だと85%引き。あまりにも割引率が高すぎないだろうか。

一方で、別路線や郊外路線に乗り継ぐ人は、おそらくその都度100円を支払わなければならず、200円とはいえ「2倍」の負担を強いられる。
例えば、外旭川、割山、茨島・旭南辺りに住む人が、市役所や秋田市文化会館・中央公民館などに出向く場合、昼間は直通バスがないので乗り換えが必要になり、200円かかるのに、それよりずっと距離のある御所野や仁別から市街地までなら100円で済む(しかも昼間も市役所方面の直通バスがあるので乗り換え不要)。
人生経験の長い方々は、この程度でとやかくおっしゃらないかもしれないが、制度対象者間でも不公平感が生じるのではないだろうか。
計算や確認が面倒になるかもしれないが、負担額を何段階かに分けるとかした方がいいようにも感じる。

●70歳以上じゃない人は?
僕の周りには、「70歳以下だけどバスを主要な足としている人」が何人かいる。多くは年金生活者。
69歳と70歳の間で、バス料金に著しい格差が生じてしまうが、そうした人には何にもしてくれないのだろうか。
「70歳になるまでは自分で何とかしなさい」っていうことか。

●100円にすればいいってもんだろうか
以前から何度か書いているが、秋田市、特に中心部のバス路線網は、昔とあまり変わっていない。
その結果、新しい道路や住宅地ができても、バスが通らない“空白域”が生じている。

例えば、中通総合病院に行くのに1キロバスに乗って1キロ歩くという方がいるそうだし、ドン・キホーテの黄色い袋を下げて新国道を歩いているお年寄りも見かける。バス停から少し離れた住宅地に点在する医院に通う人もいるはず。
こうしたケースは、100円になっても変わらない。いくらバス料金が安くなっても、バス路線がない、自宅や目的地がバス停から遠いというのでは意味がない。

他の都市では、小型バスを使用した循環バスを運行しているところが多いが、秋田市でも必要だと思う。
既存全路線100円も結構だが、その前に、路線網を見直してほしい。

●公共交通政策ビジョンとの兼ね合いは?
秋田市の公共交通の将来構想を描いた「秋田市公共交通政策ビジョン」に、「ゾーン制料金等の導入によるバス運賃支払いの単純化」という項目がある。
市中心部など一定範囲内において、100円とか150円とか定額の運賃にするもののようだ。当然、高齢者でなくても誰でも同じ料金になるはず。
ビジョンによれば、今年度まで「検討」を行い、来年度「実証実験・効果検証」し、その結果を踏まえて以降の実施を判断することになっている。

しかし、「高齢者コインバス事業」が実施されれば、高齢者に限ってはビジョンの構想が無意味なものになってしまう。
この点で“お茶を濁され”、ゾーン料金制構想がなくなってしまったりしないだろうか。


それに、鉄道への影響があるかもしれない。
現在はバスよりJRの方が運賃が安いため、秋田駅と土崎~追分、羽後牛島・新屋間などにおいて、JRを利用する人も少なくない。
しかし、バスが100円になれば高齢者はバスへ流れるだろう。それによって鉄道利用者が減るかもしれない。
ビジョンでもいちおう盛り込まれているし、秋田市長の公約でもある、奥羽本線秋田-土崎間の泉・外旭川地区への新しい駅の設置構想がますます遠のいてしまったりしませんか?

「高齢者コインバス事業」は、秋田市の福祉保健部の管轄。「秋田市公共交通政策ビジョン」は都市整備部。
両者で連携を取っているのでしょうか?


秋田市内の住宅地
上の写真は秋田市中心部の外れにある住宅地の歩道のない道。除雪はしっかりされているが、ツルツルで滑りやすくなった道をお年寄りが歩いていた。
この狭さの道だが、対面通行で比較的通行量があり、時々脇を車がすり抜けていく。歩行者もドライバーも充分注意して通行してはいたが、いつ転倒したり接触したりしてもおかしくない。

この近くまで小型バスの路線バスが来ているが、運行頻度は1時間に1本あるかないか。
「高齢者コインバス事業」が実施されても、路線バスが何も変わらなければ、結局はこの状態が続くことになる。

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