広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

看板・待合所・芝生

2016-07-31 23:10:39 | 秋田のいろいろ
恒例になりつつある、3つの話題。今回でひとまず完結です。※先週の記事
●どんなデザイン?
秋田駅西口のパチンコリボン会館跡・道路予定地で行われている下水工事のために、「防音ハウスパネル」が建てられた。そこに「イメージアップ看板取付」が行われるとのことだった。

先週になって、防音ハウスパネルには屋根がついて、四方が壁で囲われた。これで、以前、保戸野や旭南の工事で設置されたものと同じ外観になった。
北側の拡張される道路から。こちら面に出入口がある
看板がついた南側は、
ぽぽろーどから。正面の赤信号の後ろが、設置された看板

看板にはイラストとか写真が大きく描かれるのかと思ったら、細かくいろいろ書かれている。

左に「秋田市下水道の歴史」、中央に「秋田市下水道竣工平面図(昭和15年)」、右に「竿燈祭り」の写真。※イベント名としては「竿燈“まつり”」表記が正当
まあ、見ればためにはなるけれど、こんな場所に出されてしまうと、見づらいよ…
立ち止まっては他の人のジャマになりそうだし、向かい側からは小さくて見えないし、真下からは高くて首が疲れるし。
スペースが余ったのか、取ってつけたような竿燈の写真もなんだか。カンちゃんのプロフィールでも載せればいいのでは?

興味深いのは、1940年の下水道竣工平面図。
下水のことよりも、話には聞いていた当時の秋田の町並みのいろいろなものが、1つの地図にまとめられているのが分かりやすい。
右上が北
千秋公園の西側・旭川との間にも、今はないお堀がある。元々旭川だったものを改修して堀にしたものだろう。
保戸野鉄砲町から北へ「電気軌道」が延びている。当時は私鉄で、翌年に秋田市へ譲渡されて、秋田市電となる鉄道。
羽後牛島駅から現在の楢山登町の東部ガス付近へ伸びる線路は、(図に名称の記載はないが)「秋田木材専用線」という貨物線。
現在の秋田大学の前身である「師範学校」や「鉱山専門学校」は、現在の附属校園、手形キャンパスの位置にそれぞれ存在。「女学校(現・県立秋田北高校)」「工業学校(現・県立秋田工業高校)」も今と同じ場所。
泉にあったと聞いていた、「農事試験場(現・秋田県農業試験場)」は、建物が工業学校の隣。今の保戸野八丁、桜町のセブン-イレブンの向かい辺りにあったのは初めて知った。
そして、それらや旭北寺町の寺院の外側には、ほぼ何も記されておらず、農村が広がっていたのがうかがわれる。(当然、そこまで下水道はまだ敷かれていない)

※2017年4月中旬に、囲いが解体された。続きはこちら


●完成?
骨組みを活かして、リニューアル工事がされているらしかった、県庁市役所前下り側(県庁側)バス待合所。
建物そのものは、照明が設置されたくらいで、先週ととほぼ同じ。柱や屋根の色も、天井からぶら下がる板の状態もそのまま。
歩道と車道との間の柵も、臨時停留所のポールも撤去された一方、ベンチ部分は「立入禁止」で封鎖されている。

時刻表は、立入禁止チェーンの中、東の壁に掲出された。時刻表枠がなく、壁にべったり貼っているように見える。
ベンチの西面には、眼科の広告

時刻表部分には、
バス会社名の「お知らせ」
「8月2日(火)14:00~供用を開始します。」とある。
「工事期間中はご不便をおかけ致しまして、申し訳ございませんでした。」って今さら言われても…工事中から、態度(告知掲出、仮設待合所設置等)で示してほしいものです。

まだ「供用を開始」する前ってことなんだろうけど、実質的には「供用を開始」しているような、ちぐはぐな状態。完成同然のこの状態なら、チェーンで封鎖せず、ベンチを開放してくれたっていいのに。
秋田県ホームページ「美の国あきたネット」を見ると、29日付で「県庁前バス停、県産スギCLTを使用してリニューアルオープン」が、農林水産部林業木材産業課によってアップされていた。
「Cross Laminated Timber」こと「直交集成板」というものを使い、それを「見て、触れられる場」としたらしい。
8月2日13時30分からは、この後ろの県庁駐車場で「オープニングセレモニー」をやって、主催者あいさつとテープカットをやるらしい。(主催者って誰?)
だから、まだベンチを使わせず、14時というヘンな時刻から使うのか。(セレモニーに邪魔されて右往左往して乗り損ねる客が出ないでしょうね)

ってことは、このリニューアルには秋田県もからんでいるのだろうか。
中央交通だけなら、相変わらず手際が悪いなで済むけれど、県が関わってこれ?
バスを待つ客が梅雨や炎天下、待合所が使えない中(しかも説明がないのでいつまで続くか分からない)、その後ろの建物の中で、ぬくぬくと、いや冷え冷えと快適に過ごしていたのだろうか。

「CLT」を知る人は少ないし、多くの人は天井から下がる板は何なんだと疑問だろう。せっかく、そういう意図で作ったのなら、説明板などはあってしかるべき。あさってまでに設置するのでしょうね。
あと、向かいの上り側同様、旅客自動車運送事業運輸規則第五条の2に定められたことは大丈夫でしょうか。現状では心配です。

【8月6日追記】8月3日付 秋田魁新報 経済面で「待合所ベンチに秋田杉製CLT/県庁前バス停改修終了」と写真入りながら小さく報道された。テレビは秋田放送では伝えた。(NHKは伝えず。他社は不明)
なぜか天井板よりも「ベンチ」をメインにした伝え方。「誰が」改修したのか(つまり費用を出したのが県なのか中央交通なのか)は読み取れず、新聞記事なのに5W1Hが分からない。
「改修費用は527万円」「セレモニーには約40人が参加」とのこと。
「CLT」についての説明板は、ベンチ後方に掲出された模様。時刻表の貼り方などは、本記事と変わらず。旅客自動車運送事業運輸規則第五条の2の観点でも……
県ホームページによれば、「天井つり下げ板には、3層の薄いCLT」「ベンチには、重厚感のある5層のCLT」を使用。

【9月5日追記】その後9月4日までの間に、時刻表の掲出枠が設置(位置は直接貼っていた頃と同じ)された。その他は変化なし。
※その後、2017年7月に変化が。


○山王→泉
県庁付近から泉北方面へ移動した。歩いても数十分だけど、真夏日ではつらいのでバス。
新国道の山王二丁目に行って、新国道経由に乗って、八橋大畑か秋田運輸支局入口下車。190円。
冷房が心地よくて快適だったけど、乗車前後の歩く距離がちょっと長い。

秋に新設されるという、泉山王環状線の廃止代替路線(この場合は山王・泉環状)があれば、県庁前など山王大通りから乗れて、運輸支局入口より東側のどこかで下車できるはずで、楽に違いない。乗車距離は長くなるから、運賃は上がりそうだけど。(ちなみに平日に1往復だけ運行される、商業高校-県庁-新国道-飯島北の路線で県庁~運輸支局は230円)
ダイヤはいつ明らかになるのだろう。



●土俵とクローバーのその後
一部のクローバー(シロツメクサ)が刈られ、土俵のような円がかかれていた、山王第一街区公園。
すっきり
先週の間で全面の草が刈られていた。
上の写真では、手前が先週中に刈られたばかりの部分で茶色っぽくなっており、先に刈られていた奥(東・山王中側)は、復活してきて緑になっている。
謎の土俵はなくなっていた。

とりあえず、芝生っぽくなった。
土は若干デコボコ?

※続きはこの記事後半
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とても珍しいポスト

2016-07-29 00:21:10 | 秋田の季節・風景
郵便ポストの続き。
前回は、秋田市ではちょっと珍しいポストを紹介した。
※前回の記事で細長い11号ポストが、秋田市内に「4つしかない」としていましたが、その後、さらに5つ存在することが分かったので、訂正します。それでも、9本だから「ちょっと珍しい」でしょう。

今回は、おそらく秋田市内には1つしかないと思われるポスト2タイプ。
最初は、最近の現地は未確認ながら、意外なポストが意外な場所にあるもの。【その後、2017年1月時点で現役なのを確認
現物の写真はない【上の2017年1月の記事に写真を掲載しました】ので、山形県戸沢村のJR陸羽西線・古口駅で2009年に撮影した、同型ポストの写真を使います。
左が改札口方向、右が駅前広場
駅出入口に風除室があり、その中の柱に、内側(改札口)向きに赤い箱が取り付けられている。
投函口に「おす」とある
取付方法や形状から、一見、郵便物が“届く”ほうのポスト、すなわち「郵便受け」かと思ってしまう。
だけど、「郵〒便POST」と表示があり、側面に、はがれかけながら収集時刻も記載されている。れっきとした、郵便物を“出す”ほうのポスト、「郵便差出箱」なのである。

これは1951年登場の「郵便差出箱2号」。現行ポストの前世代である、朱色のポストの1つ。
明治から終戦直後までは、壁掛けの差出箱も多かったようだが、規格化後の「差出箱○号」の中では、数少ない壁掛けタイプ。もう少し大きい「5号」というのもあって、駅のホームなどに設置されていたそうだが、今は消滅状態。
前世代のポストは、1996年のモデルチェンジ時に、ほぼ同サイズの後継機種が登場したが、壁掛けタイプは後継が出なかった。ただし、いちばん小さい14号は脚なしの壁掛け設置にも対応しているそうなので、2号は実質的に14号を後継として、製造は終わったということだろうか。
映画「男はつらいよ」で寅さんが訪れる駅や店にかかっていそうな、「昭和」の「田舎」の趣きあふれるポストである。


ところが、完全な後継機種がなかったせいか、今も農村部の店先などに2号ポストがかかっているところが、探せばまだそれなりにあるようだ。一方で、街中にも存在することがなくもないそうだ。その1つが、秋田市内にある。
おそらく、秋田市内ではそれがただ1つの2号なのだけど、「昭和」の「田舎」とはほど遠いロケーション。

それは、秋田市新屋の秋田公立美術大学。※秋田公立美術工芸短期大学時代から設置。
学生食堂などが入るレストハウス(厚生棟)の中にある。
(再掲)右の建物内
以前、中に入った時に目に留まって、「おやっ!」とは思ったが、あまり興味はなく、それきりだった。
その後、古口駅でまた目に留まって写真を撮影していたのだが、美短のものと同じであることまでは考えが及ばなかった。

美大でも、昭和初期に建てられた旧米倉庫のほうならともかく、1995年の短大開学時に建てられた、コンクリート打ちっぱなしの建物にこのポストがあるのは、不思議な組み合わせ。
ポストのモデルチェンジ(製造終了)が1996年だから、おそらく最末期製造・設置の2号ポストだろう。

美大敷地内には、別に普通のポスト(旧型の中型1口の1号かな)もある。レストハウスの裏側、ATMコーナーや駐車場出入口の道路側。
レストハウスは休日は閉鎖されると思われるから、平日のみの収集なんだろうか。(実は古口駅のもそうだった)
【29日追記】そういう条件の場所なのに、あえて屋内に、しかも当時としても珍しいであろうポストを設置した、郵政省(当時)の判断がおもしろい。現在は、秋田中央郵便局の管轄だが、2003年までは地元の新屋郵便局が収集を行っていたので、当時の新屋局の方針なのだろうか。(企業などが自由に設置できる私設ポストというのもあるが、それは安くない手数料を取られるそうで、立地を考慮した必要性や公立大学がそこまで費用を出せるかという点から、考えにくい)

古口駅も美大も、屋内設置で状態が良いだろうから、末永く残ってほしい。
【2017年2月1日追記】秋田魁新報の購読者向け折り込み月刊誌「郷 Vol.122」の写真によれば、由利本荘市の羽越本線羽後亀田駅にも、2号ポストが設置されている。こちらも屋根付きの風除室風の場所に設置されており、状態は良さそう。



もう1つは、新しいポスト。
2010年頃、秋田中央郵便局前の北側にポストが増設されたことを紹介した。
秋田市中央部では珍しい、投函口が1つで中型の「郵便差出箱10号」であるが、それこそ新屋とかちょっと郊外へ行けば、ごく普通に見られる。だけど、ここのはとても珍しい10号なのです。
秋田中央郵便局の10号

(再掲)北秋田市鷹ノ巣駅前。上の大太鼓はさておき、これが一般的な10号
どこが珍しいのか、分かりますか?(側面と天面の分割位置が異なるのは、製造時期による違い)

答えは「庇(ひさし)」。
同時期に登場した他のサイズのポストも含めて、本体と同じ赤であるべき庇が、これは投函口部分と同じ銀色になっているのです!

以前取り上げたように、このポストは新品ではなく、どこかの中古品。
そのため、再設置時に再塗装されて、その時に庇が銀にされてしまったと考えられる。意図的に銀に変えたのか、間違ってしまったのかは知らないけど。

正面から見ると、赤い部分が少なくて「ポストは赤」という印象が薄くなってしまう気がしなくもないけれど、全体的に引き締まってスタイリッシュかもしれない。
【29日追記】ポストの存在は5年以上前から知っていたが、庇の違いには最近、ポストの庇に興味を持って写真を比較するまで気付かなかったくらいだから、どっちみち大した違いではない。
夏の日差しに輝く
ネットで調べる限り、庇が銀色のポストなど見たことがない。
ひょっとしたら、銀庇のポストは秋田で1つどころか日本で唯一の、丸ポスト以上にとてもレアなポストかもしれない。
2019年4月頃に、このポストは撤去された

3回にわたったポストの話題は、とりあえずこれにて終わります。
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なかいちファミマ跡/加賀正

2016-07-28 00:08:31 | 秋田のいろいろ
秋田市中心市街地の「エリアなかいち」を構成する1つ、中央通りに面した住居棟(高層マンション)の1階に入っていたファミリーマート秋田中通一丁目店が、2015年7月で閉店していた。
その後、ずっと空きテナントで募集中のままだったが、最近、内装工事が始まっていた。何かが入ることに決まったようだ。

今週になって工事がだいぶ進んだ。すると
これは!(向かい側歩道から撮影)
歯科医院ができるらしい。
26日時点では、看板や告知はまだない。

【8月3日追記】8月2日付秋田魁新報経済面で「秋田市のなかいち/子ども向け歯科医院開院/遊具や授乳室完備」として報道された。8月1日開院。子どもをメインターゲットとし、大人も受診できる。
ちなみに、魁では、この建物を「住宅棟」と称している。「住“居”棟」だと思っていた。調べてみると、公的機関も含めてどちらの呼び方もしているようだが、どちらかと言えば「住“宅”棟」のほうがより公式なのかもしれない。



なかいちの向かいにあった呉服店「加賀正(かがしょう)」が、昨年11月に倒産し、店舗は長らくそのまま(この記事後半)になっていた。
今春には、装飾などが撤去されて加賀正の面影はなくなり(この記事後半)、テナント募集されていた。

こちらも、現在工事中。
外装が変わるのか
1階の加賀正の店だった部分の中身も、大規模に手が入っている。

同じ建物1階(の外から見えない部分?)には美容室が入っていて、倒産後も営業していたらしいが、それも7月7日に移転していた。
張り紙は美容室移転の告知
美容室や2階以上へつながっていたであろう玄関も、シャッターが下りて「加賀正ビル」の表示も外されて跡が残っている。
ビル全体をリニューアルして何かになるのだろうか。

【8月5日追記】工事現場の囲いに「テナント募集」の看板が設置されていた。全部か一部かは分からないが、入居者は未定のようだ。
【10月15日追記】10月14日付 秋田魁新報経済面に「美容室チェーン展開RB社 旧加賀正ビル再生/本社移転、美容師練習室も」が掲載。
美容室チェーン「ヘアポジション」を展開(県内、仙台のほか、青森にフランチャイズ店)する「RBアドバンス」社がビルを取得。複合ビル「RBビル」にリニューアルし、3・4階に同社本社と、自社美容師や美容学生に開放する練習室を設ける。本社は8月に泉南二丁目から移転済み。
1~2階と3階の一部は小売店などテナントに貸すことにし、募集中。
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ミタビルに岩銀

2016-07-27 00:03:20 | 秋田の季節・風景
秋田市大町三丁目、竿燈大通りと大町通りが交わる日本銀行秋田支店前交差点の南西角に、こげ茶色のオフィスビルっぽい風情の建物がある。背は高いけど、3階しかない。正面玄関は東面の大町通りに面し、向かいは場外馬券売り場「DIKK秋田」。

これは、株式会社三田商店の秋田支店の建物。
火薬や建設資材などを扱う三田商店は、盛岡に本社がある明治創業の老舗。同社ホームページによれば、秋田市には大正時代に進出している。
かつては、(今で言う)大町二丁目に支店があったが、秋田ニューシティ建設に当たって、(ニューシティの建築主であり、秋田経済界トップの)辻兵吉の要請を受けて土地を明け渡し、1981年に現在のビルを建てて移転したとのこと。
三田商店としては、現在のニューシティ解体後の空き地のままの、旧自社所有地を見て、どう思っているだろう。


そんな三田商店秋田支店で、何やら工事が行われ、終わった。
外観はあまり変化ない
今までは目立った看板はなかったが、工事後は竿燈大通り側に縦長の緑色の看板が設置された。
「岩手銀行」
岩手銀行秋田支店ができたのだった。
今まではビル全部を三田商店単独で使っていたかと思われるが、1階の北側にテナントとしていわぎんが入ったようだ。
左が「ミタビル」、右が「岩手銀行秋田支店」とある
今までは幅いっぱい使っていた玄関(手押しドア)は、真ん中に仕切りができて、三田商店と岩手銀行に分けられ、それぞれ自動ドアがついた。道路より数段高い玄関へは、銀行側にスロープが設置された。玄関部分の屋根など、ドア以外の外観はほとんど変わっていない。

岩手銀行秋田支店のオープンは7月25日。
銀行のプレスリリースによれば、岩手銀行秋田支店は行員9名(支店長を除いて?)。入居する「ミタビル」は、地下1階地上4階。延べ面積397.09平方メートル。
ATMは1台。休日も稼働。(ちなみに、岩手銀行・青森銀行・秋田銀行のキャッシュカードは、提携により相互に他行手数料なしで引き出しできる)

3階建てに見えるけど、もう1フロアあるんだろうか。その階だけずいぶん天井が低そう。
ネットで「秋田 ミタビル」と検索すると、手形にある「三田ビル」というのしか見当たらない。
今までは三田商店秋田支店単独で使っていたから、ビルの名称は特になく、いわぎんがテナントとして入るに当たって、新たに「ミタビル」と命名されたのだろう。カタカナにしたのは、既存のビル名と重複させないため?


岩手銀行秋田支店は、先週までは別の場所にあった。
あまり印象にないけど、中央通りの秋田駅寄り。秋田予備校やかつて「杉のや」があった近辺の中通四丁目2番1号。道のりで800メートル弱の移動。
Googleストリートビューより
3階建ての大きな建物で、テナントではなく独占使用。自前のビルだったのだろうか。
秋田県内唯一の岩手銀行の支店で、1969年10月開設。その時からの建物か。
建物の老朽化と大きすぎて、岩手つながりで三田商店のお世話になることにしたのだろうか。
お決まりのフレーズだけど、旧支店の跡はどうなるか。


なお、岩手のもう1つの銀行、北日本銀行も秋田支店がある。
中通三丁目の北都銀行本店並びの土手長町通りにあり、2009年末に建物(単独使用)が新しくなっている。

青森の銀行は、青森銀行、みちのく銀行とも、2000年以降に秋田市から撤退しているのと対照的。


かつては金融機関が多く並んでいて金融街とも言えそうだった大町通りからは、北都銀行秋田支店、秋田銀行秋田支店、みちのく銀行秋田支店が姿を消していったが、岩手銀行秋田支店の移転で、わずかに盛り返したことにもなる。

さらに、オフィス街である竿燈大通りだけど、それに面した(通りから看板が見える)銀行は、秋田銀行大町支店しかなかった(※)。岩手銀行が2つ目になる。
※2000年までは、ミタビルの1ブロック西の朝日生命秋田ビル1階に青森銀行秋田支店があった。撤退後ローソン秋田竿燈大通店が2013年まで入り、後は空きテナント。
コメント (14)
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衛生看護学院解体

2016-07-26 00:24:43 | 秋田の季節・風景
秋田駅からほど近い、千秋公園の向かいに、秋田県関係の医療機関・研究機関がまとまって存在する。
その場所は、その1つで代表的な「秋田県立脳血管研究センター」を指して「脳研の場所」といえば、今の秋田市民の多くには通用するはず。
年配の人は「中央病院(の場所)」と呼ぶこともある。(今はかなりの高齢者でも「脳研」が浸透している)

元はここに「秋田県立中央病院」があったそうで、1971年に国へ移管し秋田大学医学部附属病院になり(=県立病院としては廃止)、1976年に現在地(秋大本道キャンパス)へ移転していった。
その跡に、別の県の医療機関ができて、今に至っていることになる。
脳研は1969年に診療を開始(中央病院と共存していた?)し、1983年に現在の建物ができた。2009年に県直営から地方独立行政法人秋田県立病院機構に移管。

脳研と隣り合った建物(敷地北西寄り道路沿い)には、1984年から「秋田県成人病医療センター」があったのだが、2015年春で廃止・解散されて、今は脳研の病棟の一部(西棟)になっている。


旧・成人病医療センターのさらに北側も一連の敷地が続いており、もう1つの機関とその建物があった。
「秋田県立衛生看護学院」である。
敷地は道路沿いではあるものの、建物は道路からやや奥まった位置にあり、短辺を道路に向けているので、目立たない。正直言って、ここにこういうものがあるという認識はなかった。
その建物(校舎・体育館など)が今春から解体され、更地になった。

県立衛生看護学院は、2008年に横手市へ移転している。移転先は、2006年に県立横手清陵学院に統合されて閉校となった、県立横手工業高校の跡地とのこと。
ここは移転後8年間、空き屋だったことになる。
衛生看護学院の起源は1958年までさかのぼる。いつからこの場所にあって、解体された建物がいつできたのかは不明。


解体された衛生看護学院の建物は目立たないとしたが、一方で、まったく目立たないわけでもなかった。
脳研の敷地の裏はがけ状になっているため、ここは相対的に高台に位置し、その外側にあった衛生看護学院の校舎は、手形陸橋などから全体を見ることができた。視界には入っていて、意識しない存在だったのだ。
昨冬、手形陸橋から。右が千秋公園
茶系統で統一された病棟とは違う、白っぽいクリーム色の建物。昭和40年代辺りの学校らしい造り。【2日訂正】コメントで教えていただいた通り、かつてはこの建物は中央病院の病棟の1つだったとのこと。
校舎本体は、鉄筋コンクリート造地上5階・地下1階建て、延べ床面積約4900.136平方メートル。学校だけでなく寄宿舎も入っていたらしい。

4月初め手形陸橋から
解体工事は、窓や一部の壁を外して、内部を空にして素通しにすることから始まったようだ。
南中南棟もそうだったけど、昔のようにいきなりバリバリ壊すことはなくなった。
千秋公園二の丸から。中はスカスカ
4月中旬には、本格的に解体着手。
4月中旬千秋公園側道路から。奥が旧・成人病医療センター
解体作業も丁寧にやっているのか、進み方が思ったよりゆっくり。
1か月後でこの程度
それでも、6月初めには、
建物はなくなった
地下部分の解体も時間がかかった。
7月に入って、完全な更地になった。
7月下旬

木の向こうは崖。太平山がちらりと見える

左奥の脳研本体が見えるようになった

卒業生のみなさんにとっては、学校は横手へ移転してしまい、建物もなくなってしまい、寂しいかもしれない。思い入れのない者としても、なんとなく寂しい。
最後まで衛生看護学院の名をとどめていた、味のある文字の看板も撤去された

脳研では、建物の増築や改築が検討されているようで、それとともに看護学院跡地は脳研の駐車場になる予定らしい。
前の県道の拡幅もあるのかな? 崖下の区画整理もあるし、これから中期的くらいのスパンで、しばらく変化が続きそうな一帯。

2019年3月の状況
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壁・円・板出現

2016-07-25 00:03:47 | 秋田のいろいろ
以前の続き3題。
●壁出現
秋田駅西口に再建された秋田駅前ビルは、先週の前回と変化なし。
その西隣、かつてあったパチンコリボン会館が解体され、道路になる予定の場所に変化があった。
秋田駅西口

グレーの建物のようなものが出現
NHK秋田放送局のリモコンカメラの映像では、19日に骨組みが組み上がっているのを、21日には壁状になっているのを、それぞれ確認した。
西側から

裏側に当たる北側から
出現した構造物は、三方を囲む壁で、その中に水平方向に移動できるクレーンらしきものがあった。(今後、壁が増えたり屋根ができるのかもしれない)

以前から、ここでは下水道工事が行われていた。それが終わったのかと思ったら、このような構造物ができて、まだ続くらしい。
「公共下水道長沼幹線築造工事」来年3月まで
道路工事も昔はこんな看板だったのが、今は全国的に「○○を××しています」に変わってしまった。上下水道分野では昔のままなのはなぜなんだろう。
ただし、秋田市上下水道局のマスコット「カンちゃん(水乃 環太朗)」が「浸水被害を防止するための工事です」と説明はしている。

こういうふうに、大きな囲いを作って下水工事をするのは、近年は保戸野千代田町のハミングロード南端や旭南小学校正門脇でも行われていた。

現地に、ごちゃごちゃとした「工事のお知らせ」が掲示されていた。
それによれば、28日・木曜日(※)の9時から16時30分に、この前の歩道をふさいで工事を行うとのこと。歩行者は車道側へ出ることになる。車線の位置関係からすれば、車への影響はあまりなさそう。
※図面では「道路規制日数:3日」とあるのだが…

工事の内容は、この壁への「イメージアップ看板取付」。そういえば、千代田町や旭南でも、壁に絵などが描かれていた。
図面によれば、この壁のことは「M1立坑 防音ハウスパネル工事」と呼ぶらしい。
どんなデザインになるでしょう

※続きはこちら


●円出現
上と同じ記事の中ほどで、山王第一街区公園の一部で、茂ったシロツメクサが刈られたことを取り上げた。
連休が明けて、最終的には全面が刈られるかと予想していたが、意外にも、先週と同じだった。(残ったシロツメクサの花が終わりかけ、草もややくたびれ気味に見えたけど)
刈られた部分には、
円が出現
いわゆる石灰(ラインパウダー)らしきもので大きな円が引かれていた。
これって、土俵?

大きさからすれば土俵ぐらいしか思いつかないけれど、円のラインがいびつだし、仕切り線とか徳俵はない。
近くの八橋運動公園に行けば、立派な土俵もあるし…

ある種のミステリーサークル。

※続きはこの記事後半


●板出現
リニューアルらしき工事がされていた、県庁・市役所前下り側(県庁側)バス停の待合所。
まだ完成していないが、形は見えてきた。

柱や屋根が白くなって、天井に木の板が並んでつり下げられている。木製のベンチもできた。中に入ると、木の香りが漂う。
ぶら下がる木の意図がよく分からないけど、今後何らかの装飾が付加されるのだろうか。完成を待ちましょう。

日曜は30度を越える晴天。午後の臨時停留所には西日がもろに照りつけていた。年配の女性数人は、工事途中の待合所の影(柵でベンチ部分には入れないから歩道部分)でバスを待っていた。
やはり屋根付きでバスを待てる場所の存在はありがたいものであるわけだが、前回の繰り返しですが、できれば工事中も乗客に不便をかけない配慮(工期・工法の検討、仮設待合所等)もお願いしたいものです。

※続きはこの記事中ほど
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中学自習室

2016-07-22 00:31:46 | 秋田のいろいろ
秋田の人の多くは「中学自習室」を知っていることだろう。
自習室といっても部屋の名前ではなく、新聞連載。郷土の新聞「秋田魁新報」に掲載される、中学生向けの問題集のこと。


年度ごとに完結し、毎年4月に始まり、3月の高校入試直前に終わる。初回は勉強の進め方、最後回は入試の心構えなどのガイダンス的な内容。表示される連載回数は、その年度内での回数。

高校入試の5教科が、1回につき1科目掲載。現在は、日曜・祝日を除く毎日、紙面中ほどの「情報ひろば」面に掲載。【24日補足】ちなみに日曜日は、代わりに「本の世界へようこそ」という書籍を紹介する連載(読書面とは別。筆者名記載なし、配信記事?)が掲載。
情報ひろば面には、他に「キップ情報」「二世・易八大のきょうの運勢」「内外の歴史」などが掲載される。次の面は「おくやみ」欄がある総合面(国際記事の総合面とは別)のことが多い。
国語は縦書き、他の4科目は横書きになる
問題の解答は、同じ面の隅(広告よりは上)に、上下反転して掲載される。
昔は、違う日の紙面(次回連載?)に載っていたはず。
「解答はこの面の右下」とあるが、この日は「すぐ下」だ
近年は、スクラップして貼るためのノートを、購読者に無料配布するキャンペーンも実施しているらしい。

中学自習室は、僕が中学生の頃もあった。担任の先生が「魁を購読しているのなら、やるように」とおっしゃっていたが、あまり熱心にやらなかったような記憶がある。
時が経った今、問題を見てみると、たしかにいい問題が揃っている気がする。売っている問題集と遜色ない。
高校入試にどの程度の効果があるかは判断できないが、中学校で習ったことのおさらいには、なかなか有効だと思う。


魁新聞の記事本文は、モトヤというメーカーの「モトヤ新聞明朝」という書体を使っている。見出しの一部ではモリサワ製の書体も見られる。
しかし、中学自習室は問題、解答とも、アドビシステムズの「小塚明朝」のようだ。あまり違和感はないけれど、「き」「さ」のデザインが嫌い(下の写真参照)。

中学自習室に関して、謎が3つある。以下に考察。
1.よそでは?
魁(あるいは秋田)ならではだと思われがちな、教職員の異動名簿や、死亡届が出された人を紹介する「おくやみ」欄、解答速報は、他地域でも掲載するところがあった。
中学自習室はどうだろう。

「中学生新聞」のたぐいの購読者層が限られた新聞は別として、一般紙に学生向けの受験問題が連載されるのは、ネットで調べた限り、他には1つしか見つけられなかった。
「静岡新聞 中学生セミナー」というもの。
6月中旬から全70回連載(ただし1回に2科目掲載)。火・金の朝刊で出題、同日夕刊に解答というスタイル。
出題(パンフレットでは「出題監修」)は、地元に本部があり、広域展開する「秀英予備校」。

新聞に問題が連載されるのは、全国的にも珍しいようだ。※ほかに類似の連載がある新聞をご存知でしたら、教えてください。


2.歴史は?
僕が中学生の時からあったわけだけど、さらにさかのぼって、いつから始まったか。
明確には分からなかった。【下の追記参照】

ネットで調べると、僕より歳上と思われる方々で、自分が中学生の時に使ったという記述が散見された。
2015年のツイッターに「42年前(に使った)」との投稿もあり、それが正しければ1973(昭和48)年には始まっていたことになる。

さらに、秋田県立図書館の「秋田魁新報記事見出し検索」で調べると、1958(昭和33)年2月24日に「高校入試問題の批判 本社自習室出題者にきく」といった見出しがあった。
「自習室」としかないが、中学自習室と考えられる。おそらく、中学自習室の出題者が、その年の高校入試問題についてコメントしたものではないだろうか。「批判」より「批評」が適切だと思うけど、当時の感覚ではそうなのか、あるいはデータベース作成時の誤入力か。(近年では、中学校や学習塾の先生がコメントしている)
したがって、60年近く前から存在していた可能性がある。
【2017年1月14日追記】
2017年1月14日付秋田魁新報の読者投稿欄「声の十字路」に、茨城県牛久市の70歳の男性からの「中学自習室の思い出」という投稿が掲載された。
旧・大曲市で生まれ育った人で、2016年末に魁の紙面を目にする機会があり、そこに中学自習室欄を見つけて「思わず「あった!」と声が出た。」
「高校受験でお世話になった当時のことが思い出された。」という内容。
中学3年生の時に解いていたとのことなので、55~56年前である1960~1961年度の時点で既に連載が始まっていたことになる。(以上追記)
秋田魁新報社では、1956年から1993年まで「中学生学力テスト(通称・さきがけテスト)」という、中学3年生を対象にした模擬試験を実施していた。もしかしたらそれと連動して始まったのかもしれない。

魁の1面コラム「北斗星」は、1980年に始まった(※)から、それよりも長い歴史があることになり、有数の長期連載だろう。
※2015年元日の特集紙面より。ただし、1947年のごく短期間だけ「北斗星」というコラムが存在したとのこと。

【2018年4月13日追記】2018年4月の連載開始に当たっての広告に「連載66年。」とのフレーズがあった。したがって、1951年頃から続いていることになる。


3.出題者は?
1958年は出題者が表に出ていたらしいが、現在は誰なのか不明。(もしかしたら初回や最終回には書いてある??【2017年度時点では書いていなかった】)
現役の学校の先生だといろいろ面倒なことになりそうだし、静岡新聞のように学習塾の出題ならその名前を出して宣伝するだろうし、新聞社の記者の仕事でもなさそう。学校の先生のOBとかだろうか。

出題者の素性は分からないにしても、その個性がにじみ出ていそうなのが、国語の漢字の問題である。
6月24日の第66回(国語の14回)の書き取りでは、
エイガは劇場で見る」「映画「地球ボウエイ軍」」
7月19日の第86回(国語の18回)の読みでは、
「ドラマ「孤独のグルメ」」 ※小塚明朝の「き」「さ」の形に注目
なんか映画やドラマが好きそう。ちなみに、「地球防衛軍」は1957年の映画。【25日追記】「孤独のグルメ」は漫画が原作なのに、あえて「ドラマ」と前置きしている。

ツイッターを検索すると、中学自習室の漢字問題のユニークさ(?)に気づいた投稿がいくつかあった。それによれば、
2015年には「人気ゲーム「艦隊これくしょん」」、2014年には「「ようかいタイソウ第一」を踊ってみる」「「海賊王に、俺はなる!」と叫ぶ」がそれぞれ出題されていた。
2016年度と同一の出題者なのかは分からないが、趣味がやや違っている?


(映画は古いから別として、)問題を解く中学生に身近なアニメやゲームを題材にして、とっつきやすくしたということかもしれない。
だけど、それだと、特に読みの場合、前後に知っている作品名やフレーズが来ると、雰囲気で推測できてしまう。
試験本番では、運も実力のうちだから、そういう問題に遭遇したらラッキーだけど、日頃の練習問題を運で解いたら、練習にならない。

ついでに言わせてもらえば、「タイガドラマの舞台」「大学の集中コウギ」などもいい問題ではないと思う。
「大河ドラマ」を知らない中学生がいるかもしれないし、NHKの番組名(番組枠名)を中学生が知っている必要もない。
休暇中など短期間にまとめて授業を行う「集中講義」なんか、大学以外では使わない用語ではないだろうか。僕は大学に入るまで知らなかった。
まあ、下に答えがあるのだし、分からなきゃ調べて覚えれば、常識・雑学として身について悪くないでしょうけど。

今後の漢字の問題に注目です。
【随時追記】
7月25日91回(国語19回)は「世界のシャソウから」
ところが、この後は、ごく普通の出題ばかり。どういうわけか取り上げるべきものはなくなってしまった。
9月17日136回(国語28回)は「焼きのおいしい季節」「揚げうどん」「好物は天丼だ」「乾麺をゆでる」と、20問中5問が食べ物、しかも炭水化物系に偏った出題。
9月26日141回(国語29回)は「漫画「曇天に笑う」」。知らなかったけどそういう作品があるそうだが、雑誌連載は2011~2013年、2014年にアニメ化されたが秋田では放映されていない。中学生が知っているだろうか(知らないほうが問題としてはいいけど)。我々の世代で「曇天」といえば、たまの「さよなら人類」の歌詞(柳原幼一郎作詞・作曲)だけど、こちらは正式には「どん天模様の空の下」とひらがな表記。
10月1日146回(国語30回)は「海賊王を目指す男」「賢者の石」「特撮映画の傑作」と、直接的でないが、映像作品を連想させるもの。海賊王は2014年(?)以来の再出題。
11月2日171回(国語35回)では「タイガドラマの舞台」が再び出題。
11月29日191回(国語39回)では「翼君と君の黄金コンビ」。出典は漫画「キャプテン翼」。僕たちが小学生だった1980年代にアニメ化されブームとなり、近年も新作が作られてはいるようだが、今の中学生は知らないかもしれない。だから問題としては問題ないのかもしれないけれど、人名(姓)を出題するというのは… 「岬めぐりのバス(by山本コータロー)」でいいんじゃないの?
僕はキャプテン翼を熱心に見ていないのでよく知らなかったが、「黄金コンビ」ではなく「ゴールデンコンビ」が作中の公式な表記だったようだ。(別に翼・岬・葵の「黄金トリオ」があった)
12月17日206回(国語42回)では「第拾弐話「奇跡の価値は」」と「第十三話「サイカイ、母よ」」が出題。
何かのシリーズもののサブタイトルっぽい。12話と13話で連続しているかに思えるが、拾弐と十三と漢数字は揃っていない。
調べると、前者は「新世紀エヴァンゲリオン」、後者は「機動戦士ガンダム」のテレビアニメ版の話数とサブタイトルだった。1979年と1995年放送。う~ん…
2017年1月5日216回(国語44回)では「第二話「侵略者を撃て」」。
1966年放送「ウルトラマン」のサブタイトル(バルタン星人が登場する回らしい)だった。12月17日よりさらに古い作品になり、幅広い作品に詳しそう。出題者は相当なマニアなんだろうか?
2017年2月10日246回(国語50回)では「ゾクヘン映画に傑作なし」。

※2017年4月から、魁の紙面全体がリニューアルされたが、中学自習室は2016年度と変わらず継続。2016年度最終回では入試の心構え、2017年度初回ではガイダンス(+最初の出題)が掲載されたが、問題作成者の正体などをうかがわせる記述はなし。
2017年度は、国語以外の教科も含めて、出題の形式が2016年度までと少し変わった感じ。漢字の問題は、そっけなくなったと思っていた。あるいは出題者が変わったのかとも感じた。
しかし、7月5日の76回・国語16回では、「第二話「侵略者を撃て」」が再び出題! よほどウルトラマンがお好きなようで…
2017年7月31日96回(国語20回)では「来年のタイガドラマ」。ちなみに2018年の大河ドラマは「西郷(せご)どん」。
2017年8月18日111回(国語23回)では「第九話「瞬間、心、重ねて」」。再び「新世紀エヴァンゲリオン」のサブタイトルから出題された。
2017年8月30日121回(国語25回)では「SF小説「夏への」」。1956年アメリカの作品。「松田聖子「夏の扉」」じゃダメなんでしょうか。
2017年9月12日131回(国語27回)では「長江流れて六十幾里(いくり)」。「幾里」には「いくり」とルビを振っている。これは、県立秋田高等学校の校歌の、雄物川のことを歌った一節。
2017年10月2日146回(国語30回)では「歌集「悲しき玩具」」、「小説「塔上の奇術師」」。ちなみに作者は石川啄木と江戸川乱歩。
その後、しばらくこの手の出題がなく、
2018年1月4日216回(国語44回)では、「ドラマ「孤独のグルメ」」が再び出題、さらに「怪獣王ゴジラ」。これは映画より後の漫画の作品名らしい。

※2019年4月からは、解答だけでなく解説も掲載するとのこと。続きはこちら
【2021年5月12日追記】1974年度の状況について、コメントで教えていただいた。
入試科目が3教科時代だったので、自習室も3科目。
秋田放送ラジオでは、連動した「ラジオ講座」を朝に放送していて、秋田市内の中学校教員が出演していたとのこと。
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ちょっと珍しいポスト

2016-07-21 00:21:43 | 秋田のいろいろ
郵便ポストについての続き。
前回は、秋田市中央部では最も多い「13号」ポストの投函口の庇(ひさし)には、口ごとに分割されたタイプと2口分が一体化したタイプがあること、一体化タイプのほうが新しく、20年ほど前の初期の分割庇の13号ポストが、新しい一体庇の13号に更新され始めていることを紹介した。
その後、改めて見てみると、古い13号もまだ多いが、その更新も着実に進んでいる。
2009年に13号の中古品が設置された箇所も、一体庇に変わっていた。

今回は、13号以外のポストについて。
現行のいちばん大きいポストは「12号」。秋田市では、秋田中央郵便局前(南側)、秋田駅西口(交番前)、県庁前など限られた場所にしかない。
(再掲)弘前市役所前のはリンゴ付き。弘前で12号はここにしかないかも
12号は、赤い箱の幅や、天面の高さは13号と同じ。箱の底が13号より低く、その分、箱が大きくなっている。その結果、脚が短い。
12号では、今も庇が分割されているのが主流で、一体型タイプはまだないらしい。

秋田県庁正庁【2021年4月11日訂正】本庁舎裏・秋田県警察本部隣、県の「秋田地方総合庁舎」前にも、12号がある。
後ろの建物は県警本部

脚がない?!
底面と地面にわずかなすき間ができているから、脚がないわけではなく、ごく短い脚があるのだろう。
道路(敷地内の通路)より高い位置のコンクリート枠で仕切られた植え込みの中にポストが設置されているため、通常の設置方法では高すぎてしまうから、脚を植え込みに埋めているようだ。
側面から。すき間から草が生えている
本体と地面の距離がとても近いから、直置きも同然。地面の湿気や積雪の影響を受けて、傷みやすいんじゃないだろうか。
後ろから見ると、赤い冷蔵庫か、小さいコカコーラの自販機が置いてあるように見えなくもない。
この建物が総合庁舎

脚が短い12号では、他でも同じように設置されるものがちらほらあるようだ(在りし日の秋田ニューシティ前日銀寄りのもそんな感じだったか?)し、小型で1口のポスト「14号」などでは脚を使わず壁に固定するようにも設置できる仕様のようだ。


さて、ポストの投函口の数について。
投函口が1つのものと2つのものが存在するわけで、2口のものは現在は定形/定形外の区分だが、かつて(現行ポストが登場した1990年代辺りまで?)は市内/市外の区分だった。
※ここでの「市」とは郵便局の管轄区域を指し、「市内」とは集める郵便局と配達する郵便局が同じという意味。自治体の区切りとは一致しなかったわけだが、利用者にはその辺りは明確に説明されず、運用上はあいまいだったと思う。

ポストの口の数は、その町ごとにおおむね統一されている。
上記の通り、秋田市中央部では13号や12号が主流だから、2口。
それまでどこにでもあった丸ポストが、1985年頃に8号(13号の前モデル)に一斉更新されて以来であり、住民にはすっかり定着している。

一方、秋田市でも、土崎、新屋、郊外の農村部に行くと、1口がぐっと増える。
青森県弘前市もほとんどが1口で、引っ越した当初は、路線バスが前乗り前降りであることとともに、ちょっとしたカルチャーショック(正直に言えば、田舎に来てしまったな…と思った)だったものだ。ちなみに、フジテレビ系列局がないことは事前に知って覚悟していたし、その分、秋田にないTBS系があるから…
 
(いずれも再掲)鷹ノ巣駅前の10号と弘前市立病院前の14号
1口ポストが主流の場所は、集める郵便局が地元の小規模局のため、分けて投函させるほど扱い量が多くない(近年は大きい郵便局に集約された地域もある)、道が狭いので、場所を取る2口ポストを設置しにくい、といった理由だろうか。
同じ地域に1口と2口が混在していれば、投函する人は混乱してしまうから統一したという、お客のための配慮もあるかもしれない。

ただ、例外もある。冒頭の写真のように、弘前でも市役所前や駅前は2口。これは投函される量が多いからか。
秋田市中央部でも、秋田駅北側の再開発で新しくなったお菓子屋さんの前には、抱えられるほど小さい14号がある【2024年3月1日追記・線路をはさんで東側のファミリーマート秋田手形店前にも14号があり、これら2つが、秋田駅直近の14号】など、ちらほらと1口がある。店先などにポストを置いている場所は、スペースの制約やお店側の意向もあるのだろうか。


現行の(朱色でなく)真っ赤なポストでは、1口のものは3タイプ。2口の12号と13号同様、幅は同一で、箱自体の高さ(=箱底面の地面からの高さ)の違い。
上に写真があるが、とても小さくてかわいいのが、脚なし設置もできる「14号」。
13号の1口バージョンが「10号」。
10号と14号は、秋田市郊外でもわりと見かける。

残る1つが「11号」。
12号の1口バージョンに当たり、1口ポストではいちばん大きいもの。
これは、秋田市内ではとても数が少ない。それが、
これ
「細いっ!」と思いませんか。
僕は見慣れないせいか、初めて見た時は驚いた。

場所は、楢山の一つ森公園の下の狭い道。
昔は商店だったと思われるお宅の前の、わずかなスペースに設置されている。特にその立地環境もあって、余計に細長く見えてしまうのかもしれない。
※ここのポストは2020年までになくなってしまった

秋田市内では、ここのほか、新屋比内町市営住宅、秋田厚生医療センター、寺内三千刈(2019年の記事)と、計4か所程度しか【下の28日付訂正参照】存在しないらしい。かつては、桜のローソン前にもあったが、撤去されたとか。
ちなみに、古い丸ポストは、秋田市内では中土橋、イヤタカ前、寺内の旧国道、太平郵便局と、たぶん4つしか残っていない。数としてはそれと同じだから、貴重な存在と言えなくもない
【28日訂正】ポストマップの操作方法を理解していなかったので、見落としがありました。ポストマップによれば、秋田市内にはもう少し11号ポストが存在。
仁井田郵便局、御野場のマルダイ、御所野郵便局、御所野のイオンモール、旧・岩見三内郵便局と、秋田市南部地域に5本。それでも、計10本に満たないわけで、貴重と言えるでしょう。


11号は弘前市内では、城南郵便局などいくつかの特定郵便局の前にそれなりに設置されている。
でも、例えば秋田市の新屋郵便局とか弘前大学向かいの弘前富田郵便局だって、利用者数からすれば11号でも良さそうなのに、10号が設置されている。選択の基準というか方針がよく分からない。
【21日補足】付番に法則性がなく分かりにくいので、大型-中型-小型の順に並べると、
投函口1つ 11号-10号-14号
投函口2つ 12号-13号-(該当なし)


11号の前モデルは「3号」。弘前市内には、11号同様それなりに残っている。
 (再掲)イトーヨーカドー弘前店前の3号
色や形の違いか、11号のほうがよりほっそりして見えるが、3号も充分細長い。
(再掲)弘前大学医学部附属病院の3号は屋内設置
秋田市内には、おそらくつい最近までは1つだけ3号があった。
秋田中央郵便局からも遠くない、八橋の秋田テレビ前の通りの、時計・眼鏡屋さんの前。
それを知って見に行ったら、なんと13号に交換されていた! ピカピカだったので、一連の更新の一環だろう。
秋田市から3号ポストは絶滅したかもしれない。
※イトーヨーカドー弘前店前の3号は更新されてしまった


この記事では、ポストの位置や種類について「ポストマップ(http://postmap.org/)」というサイトを参考にさせてもらいました。
ポストを扱った趣味のサイトは少ない。切手収集や旅行貯金など、郵便関係の趣味っていくつかあるけれど、「ポスト調査」という趣味はマイナーなようだ。

ほかにも、秋田市内に1つしかないと思われる、より珍しいポストが2種類もあるので続きます
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駅前ビル/草刈/県警文字

2016-07-17 23:07:39 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部の以前の続き3題。
●駅前ビル・電光ニュースとテナント
再建された秋田駅前ビルに、フルカラー大型ディスプレイが設置されて、ニュースや広告が表示されるようになり、かつてここにあった「電光ニュース」が実質的に復活した。
これに関連した検索ワードでの当記事へのアクセスもあり、往時を知る秋田市民は、新ディスプレイに何かしらの感慨を呼び起こされたようだ。
※以下、カメラの性能により、ディスプレイの一部の濃淡や色合いがおかしく写っています。肉眼では均一に判読できる状態でした。
西口バス乗り場の北西端・スクランブル交差点越しには、かろうじて画面全面が見える

側面から
下の左右の黒いものがスピーカー。広告では控えめな音量ながら音も流れる。
広告はJAの秋田米も出稿しており、屋上の看板と合わせて、ピンクに彩られる瞬間も。


おそらく稼働当初は、秋田魁新報ニュースは6行ほどを同時に表示していた。かつての電光ニュースよりだいぶ小さい文字。視認性や短い時間で内容を把握するのには、難があると感じていた。先週頃からは、

以前の4倍くらいのサイズの文字で3行表示するようになった。
内容としては紙面の見出し程度だろうか。左側からぬーっとフェードインして表示。消える時は全面同時かな。【23日訂正】消える時は右側へフェードアウト。左から右へ1項目ずつ流れていく形。
見やすさ・情報量としてはこのくらいでいいのではないでしょうか。
あと、区切り・改行の位置の工夫とか「19日」を縦中横で表示するとかすれば、さらに読みやすくなりますね。

天気予報は、画面全面と広告表示時の左端1行に表示される場合とがあり、それは従来と同じ小さい文字。


テナントは、相変わらず5階しか埋まっていないが、週末に新しい看板が設置された。
「秋田のお酒と原始焼き居酒屋 社員・アルバイト募集!!」
5階のテナントの従業員募集ということのようだ。
看板には店舗名も運営企業名も出ていない。電話番号から調べると、秋田市に本社があり、広域でいろいろな飲食店を経営する「ドリームリンク」だ。
【27日追記】そう言えば、テナントを募集していた企業そのもの(事業主)がドリームリンクだった。つまり、自分で自分のところへ店を出した形。

「原始焼き」ってのは初めて知った言葉。
「はじめ人間ギャートルズ(もしくははじめ人間ゴン)」みたいな骨付き肉でも食べさせられるのか?
調べても、明確な定義は見つけられなかったが、魚などほぼそのままの食材を、直火で焼くことらしい。炭火焼きとか炉端焼きとほぼ同じ?

※9月28日秋田魁新報 経済面に、5階についての記事「地酒に合う旬の味提供/外食事業・ドリームリンク/秋田駅前にきょう新店」が掲載。
9月28日に「旬の食材を使った料理と地酒の店「とっぴんぱらりのぷ」をオープン」。「とっぴんぱらりのぷ」とは、秋田の昔話の締めのフレーズ。
この店が「同社にとって101店舗目」。「国内外の飲食店約5千軒を食べ歩き、ランキングサイト「食べログ」に情報を投稿している」秋田成幸産業という企業の社長(49)に「監修を全面的に任せた新機軸の店」。「全国きき酒大会で優勝したドリームリンク社員(略)が、お薦めの酒と料理を組み合わせて提供」。
酒、食器の一部、新製法の稲庭うどん、熊肉鍋などを使用・提供。魚は串に刺して炭火であぶる(これが原始焼きか)もので、時価。「客単価は5千~7千円を見込む。」全40席で個室あり、17時から24時の営業。

また、その隣に「ドリーム社管理の秋田駅前ビル/「便利、魅力的な場所に」」との記事があり、今さらながら新しい秋田駅前ビルのことを紹介している。
「秋田駅前ビル観光の所有で、ドリームリンクが一括で借り上げ、管理する」。延べ床面積約840平方メートル。旧ビルは築約50年。
テナントは「1~4階は現在募集中。県内外から引き合いがあるという。」。
秋田駅前ビル観光の社長は「駅前がもっと便利で魅力的な場所になるよう、飲食だけでなく小売店にも出店してもらえる物件になってほしい」、ドリームリンクの社長は「(略)駅前にふさわしいテナントに入ってもらえるよう努めたい」とコメント。
引き合いがあるのなら、他のフロアがもっと早く埋まっても良さそうですが…

※続き(隣接地の変化)はこちら


●どうなる公園のクローバー
一面がクローバー(シロツメクサ)に覆われていた、県庁第二庁舎裏・山王中学校隣の山王第一街区公園。現在も、
クローバーが花盛り
ところどころ、芝っぽいのがつんつん。ネジバナなど他の草もわずかに生えていた。前と変わらない光景かに見えたが…
右奥が?!

土が見えている
山王中学校寄りで草刈り作業が行われ、半面弱くらいのクローバーがなくなった。
中途半端な状態だけど、週明けに続きをやるってことか?

前回述べた通り、かつてのようにグラウンドとして使うには、こうしないといけない。でも、使う予定があるのだろうか。ないのなら、生やしておけば、砂ぼこりとか暑さの軽減にはなる。

※続きはこの記事中ほど


●文字混在
山王大通りの県庁第二庁舎向かいに設置されている、県警の道路情報板は、不格好な文字が表示されることがあった。
7月の駅伝大会開催で広小路が通行止めになる時は、過去にはこの表示板でも規制の予告をしていたが、今年(17日開催)は表示しなかったようだ。こんなものが表示。
「7月は/青少年の/非行・被害/防止月間」
「青少年の/非行や/犯罪被害/防止のため」
「地域社会が/一体で/取り組み/ましょう」
これって、交通規制や交通安全に関する情報を表示する装置だと思っていたけど、それ以外の分野の警察の宣伝もするのか。運転者の視線や注意力を(わずかであっても)奪うことになるわけだから、事故防止上、あまり関係のないことは表示しないほうがいいようにも思うのですが…

今回も、ブサイク文字。
「り」は初めて遭遇したはず。カタカナの「リ」みたいというか、曲線部がほとんどない。
そして、よく見ると、

「犯罪被害」だけブサイクじゃない、きれいな書体を使っているらしい。「罪」の下の「非」の横棒のデザインがしっかりしているし、全体的に重心が揃ってバランスが安定している。1文字当たりの枠を無駄なくに使っている。
過去に使った文字を再利用しているのだろうけど、じゃあ他の文字は再利用できないのか、ひらがなくらいは過去にどっかで使ってるんじゃないの? という疑問が湧く。
表示板に関する続き
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坂の向こうの光景

2016-07-14 18:49:23 | 秋田の季節・風景
平成初期、中学校に入学して最初の国語(光村図書の教科書)の単元が、「あの坂をのぼれば」だった。
※光村図書ホームページによれば、1987年度から1992年度まで使われた教科書に掲載。限られた年代の人しか学習しなかったことになる。

「あの坂をのぼれば、海が見える。」という祖母の言葉を信じ、(【15日追記】その祖母の言葉が「しごく大ざっぱな言葉のあや」だったせいで)いくつもの坂を越えて海を目指す少年の話。
1982年刊行の杉みき子の作品集「小さな町の風景」が出典。商店、鳥、橋など8つの風景ごとに章分けされ、その中にさらに複数の作品がある。「坂のある風景」の1つが「あの坂をのぼれば」。

内容はよく分かったけれど、秋田市に住む者としては現実感は乏しい作品だった。海沿いで平坦な地形の秋田市なら、坂など越えなくても海にたどり着くのだから。
むしろ、「坂のてっぺんを越えると、突如視界が開けて海が見える」シチュエーションにどこか憧れを覚えた。
【2017年6月8日追記】余談だが、教科書の掲載部分には「草いきれ」という言葉が出てきた。初めて聞いた言葉で、響きにインパクトがあった。

秋田市南西部、浜田地区の大森山動物園前は、その条件を満たす場所だ。
(再掲)


秋田市北部の寺内地区は、高清水公園の小高い丘になっている。
公園内を旧国道(市道)、東側のふもとを新国道(秋田県道)、西側ふもとの秋田運河(旧雄物川)との間を、国道7号線(臨海バイパス。現在はこれが本道)が、いずれも南北に伸びる。
高清水公園の西側では、傾斜がきついからか、旧国道と臨海バイパスを直接つなぐ東西方向の道路はない(港大橋前~土崎臨海十字路の間)。
しかし、その部分にも住宅がそれなりにあり、旧国道からそこへつながる道がある。今春、初めてそこを通って知った風景。
※今年4月初めの撮影です。
旧国道から曲がって少し上り坂で、今春オープンした秋田市秋田城跡歴史資料館の前を過ぎる。
資料館前から振り返る。坂の下が旧国道、左が土崎・右が中央部方向

資料館前から西方向
資料館の先には家がなく、畑、空き地、原野、山林のようなものが続く。夜だったら怖い道。昼でも、先に何もなさそうで、行くのが気が引けるけど進む。
しかも、道が少しカーブしていて、見通しが利かない。やがてその先に、
路面が見えなくなり、先に何か見える


道路が急な下り坂になり、その下に家が見える、さらに向こうには、工場と海!
予備知識がなかったこともあり、いきなり目の前に海が広がって、はっとさせられた。

上下方向にはわずかだけだけど、左右方向は全幅に渡って日本海が見渡せる。
住宅は寺内後城(てらうちうしろじょう)地内、工場は秋田運河対岸・向浜の日本製紙。臨海バイパスや運河の水面は、住宅に隠れるのか、高低差のせいか、ほとんど認識できない。

坂を少し下ると、隠れていた右方が見える。
男鹿半島
秋田港のポートタワー・セリオンは、ぎりぎり見えない。

旧国道から来ると、だらだらと上り坂があって、曲がった後に急に下り坂になるわけだから、「坂を“のぼれば”海が見える」という状況ではないけれど、劇的な風景の変化は気持ちいい。
住宅や工場は別として、坂をのぼり詰めた先に海がある光景としては、「あの坂をのぼれば」の少年が目的を達した時に見たであろう光景もこんな感じだったのではないだろうか。ちなみに作品は、海を見る直前、海が近いことを示唆して終わっている。

この南側にも同じような道があり、そちらについても後日

【2018年5月3日追記】関連した話題。
・秋田市新屋の雄物川河口近くには、海方向に向かって上る大きな坂があるが、その坂をのぼっても海は見えない。

・中学校で「あの坂をのぼれば」と、ちょっと関連づけて記憶に残っているのが、歌い出しが「乾いた空に続く坂道」である岡村孝子の「夢をあきらめないで」。
フジテレビのワイドショー「タイム3(スリー)」のエンディング曲として使われて、存在を知った歌。
シングルリリースは1987年、タイム3は1988年に始まって(「3時のあなた」の後継)、2代目のエンディング曲だったそうだ。僕が中学校で「あの坂を~」を習ったのは、1989年だから、まさに同時期になろう。
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米粒詰草

2016-07-13 19:27:53 | 動物・植物
先日、クローバーことシロツメクサを取り上げた(秋田の季節・風景カテゴリーにしています)。
外観からは想像しにくいけれど、シロツメクサはマメ科。強いて言えば、葉っぱが3枚1組なのはマメ科っぽいかな。
マメ科の中では「シャジクソウ属」に属する。シャジクソウ属には「○○ツメクサ」という和名のものが多いが、日本に自生する(帰化植物でないもの)のは1種だけで、それが「シャジクソウ(車軸草)」だそう。
いわゆるレンゲ、レンゲソウの「ゲンゲ」も似た感じがするが、こちらはマメ科ゲンゲ属。

で、クローバーのことを調べた時、シロツメクサとムラサキツメクサしか知らなかったシャジクソウ属には、ほかにもいくつかの種があり、日本に帰化していることを知った。
秋田市内の遊歩道
シロツメクサと競合するように、地表を覆う植物があった。小さな黄色い花を咲かせている。シロツメクサよりは、全体的に小ぶり。葉や花の形などの雰囲気は、ハコベ(ナデシコ科)にどことなく似ている。

これまでならこれを見ても、なんか草が生えている、せいぜい、小さい黄色い花だからカタバミかな? ぐらいで気にも留めなかっただろう。
今回は、シャジクソウ属の予備知識があってピンと来た。
これもシャジクソウ属だ!
手前はハマヒルガオの葉、奥は枯れたブタナ
「コメツブツメクサ」だと思われる。
別属のコメツブウマゴヤシなどよく似た植物もあるが、コメツブツメクサのはず。
名前は、全体に小さいから「米粒」なんだろうか? 花が色のついた米粒のような形にも見えなくもない。

よく見れば、花の造りや3枚1組の葉っぱはシロツメクサに共通する。
葉っぱの付き方は、それぞれの葉や花が独立した茎(柄)を持つシロツメクサと違って、1本の茎に複数の葉も花も付いている(それが普通の植物だけど)。そのさまが「車軸」っぽい。これで「四つ葉」が起こるのかは分からないけど、見つけるのは難易度が高そう。
シロツメクサとコメツブツメクサの攻防
この遊歩道では、比較的広範囲にコメツブツメクサが点々と生えていた。ここ以外の場所では、今のところ見つけられない【2019年6月20日訂正・注意して見れば、そこそこ見かける】。シロツメクサほどは一般的でない植物のようだ。

※属は異なるものの、似たような植物「ミヤコグサ」について
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夕暮れの下社秋宮

2016-07-12 21:13:58 | 旅行記
諏訪訪問の続き。

上諏訪のホテルにチェックインして、せっかくだから一風呂浴びて汗を流す。
古くからのいい温泉ならではの、クセがないさらりとしたお湯。
そんな温泉を楽しんでいたら、日暮れが近くなってしまった。

諏訪に来たからには、諏訪大社へ参拝しておきたい。
前回述べたように、諏訪大社は上社、下社がそれぞれ2つのお宮を持つため、4か所に分散している。
伊勢神宮では、外宮→内宮の順に参拝するべきとされていたが、諏訪大社では、特に作法はないとされているらしい。上社と下社で格が違うわけでもない。

そこで、勝手ながら、いちばんアクセスが手軽な所へお参りすることにした。
下諏訪駅から歩いて700メートルほどにある「下社秋宮」。

上諏訪から下諏訪駅へ行くには、湖畔を走るコミュニティバス「スワンバス」かJR中央本線。
バスは150円だけど、所要時間20分弱で、1~2時間に1本程度。
JRは、紙のきっぷで190円・IC乗車券で185円、所要4分、1時間に2本。
Suicaで下り普通電車に乗って、下諏訪へ。
下諏訪駅。左右に御柱が立つ
上諏訪駅よりは小規模だけど、立派な駅舎。駅舎後方、線路を越えて900メートルほどが諏訪湖畔。

正面の道を200メートル直進。最初の交差点で国道20号線へ右折、途中から国道142号線になる。
国道は旧中仙道で、それにふさわしく、きれいに整備されている。歩道もしっかりしていて、上諏訪駅前よりは観光地っぽくて歩きやすい。夕暮れ時でひっそりしているけど。
緩い上り坂になっていて、思ったより遠く感じた頃、突き当りに秋宮が。(国道は脇にそれて幅が狭くなる)
駅方向を振り返る

諏訪大社下社秋宮
この日は、御柱祭の一連の祭事の1つ「下社里曳き」の直前であったため、準備が行われていた。
 
夕暮れの中、うっそうと木が茂り、荘厳な趣き。

狛犬さんが大きい
上の建物は神楽殿。大注連縄は重さ約1トンで、御柱祭ごとに新しくされるそう。この時は新しくなっていたのかな。
その後ろが幣拝殿
どちらも1800年前後に建てられたもので、重要文化財。
暗くなってきたけれど、参拝者はほかにも数組。灯りが灯って厳粛な雰囲気。

参拝して満足して帰路に就いたけれど、暗かったせいか、現地では気づかないでしまったことがあった。
2本しか見なかった柱は、幣拝殿の周りに全部で4本立っているそう。御柱祭の関係で囲いがされていたものもあったから、一時的になくなっていたのか?
それと、手水舎とは別に「温泉手水」があるのを見逃した。手水舎は冷たい水だったが、そちらは温泉だそう。【2022年の再訪時に見ることができた。↓下のリンク先参照】

秋宮の周りには、温泉街(上諏訪温泉とは別源泉)や中山道と甲州街道の合流地点がある。
高札場(復元)
下社のもう1つの春宮には、秋宮からも下諏訪駅からも1キロほどだそう。もう少し時間があれば、じっくり見たい町だった。
上社のほうにも行ってみたい。諏訪湖1周とか、(チョーさんの階段よりも)高い位置から諏訪湖を見下ろしてみるのも良さそう。いつかまた。→2022年に再訪

旅行記はこの翌日へ続きます
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探検諏訪のまち

2016-07-11 23:05:20 | 旅行記
信州旅行記。上諏訪周辺について。
前回の記事で少々触れたように、中央本線の駅名で岡谷-下諏訪-上諏訪にかけてが、諏訪湖の沿岸。自治体名では岡谷市、下諏訪町、諏訪市。上諏訪は諏訪市にある。
「諏訪地域」という長野県のエリアの分け方では、もう少し広範囲の6つの市町村を指す。

諏訪で連想するのは、諏訪湖、諏訪湖で厳冬期に起きる「御神渡り」、今年あった諏訪大社の「御柱祭」、セイコーエプソンなど精密機械工業辺りだろうか。
諏訪大社は、上社と下社それぞれ2つのお宮があるので、4か所に分散。下社は2つとも下諏訪町内にあるが、上社は諏訪市と隣の茅野市に1つずつある。
あと、「がんばらない」でおなじみの鎌田實氏が名誉院長を務める「諏訪中央病院」もこの辺りにあるのだと予想していたら、茅野市に所在。茅野市、諏訪市、原村の3自治体で運営する病院だそう。
人口は、下諏訪町が2万人、茅野、諏訪、岡谷各市がいずれも5万人前後(茅野がわずかに多い)。


個人的には、諏訪といえば「たんけんぼくのまち」、「かりん」、そして諏訪愛宕神社。
「たんけんぼくのまち」は、1984年から1992年3月まで放送された、NHK教育テレビの小学3年生向け社会科の学校放送。
「チョーさん」が地域のお店の住み込み店員となって修業しながら、その土地への理解を深めていく内容で、チョーさんのキャラクターと当時の学校放送としては斬新なバラエティ色が濃い内容で、視聴した世代には伝説的な存在である。
チョーさんは、実在するお店(今は少なくなった、八百屋さんと魚屋さんと雑貨屋さんを一体化して、配達もしてくれるような個人商店)で働いている設定で、1~2年ごとに土地が変わった。
6か所が舞台となったが、最初の1984~1985年度が諏訪市、5か所目の1990年度が岡谷市だった。他の土地も含めて、いずれも関東周辺が選ばれているのは、東京から打ち合わせやロケに行きやすかったからだろうか。
僕が学校で見ていたのは、諏訪市版。番組内では「上諏訪」と呼ばれていたはず。僕が諏訪という土地を知ったのは、この番組でだった。


「かりん」は、1993年度後半に放送された、NHK連続テレビ小説。
朝ドラ50作目(だからといって別段記念作とかではなさそう)で、松原敏春作。主演は細川直美。ほかに榎木孝明、石坂浩二、つみきみほ、筒井道隆など。
戦後間もない、諏訪の味噌蔵を舞台にしたドラマだけど、内容はあまり覚えていない。

タイトルにもなった「かりん」は、地元に多い果樹のこと。これについては、大学で「信州ではマルメロのことをカリンと呼ぶ。ドラマの映像ではちゃんとマルメロが使われており、実態に即している」という話を聞いた

インパクトがあったのは、主題歌。当時の朝ドラとしては珍しく歌付き。(歌詞のある新作曲が使われたのは、2作前の「ひらり」のドリカムの「晴れたらいいね」に次いで2作目だろうか)
井上陽水の「カナディアン アコーデオン」(作詞 井上陽水、作曲 筒美京平)。
歌詞に「森のあいだを曲線の道が」「深いブルーに沈み込んだ湖」といったフレーズがあり、それをドラマの舞台の諏訪にある湖=諏訪湖と結びつけてしまっていた。

また、ちょうど放送時に、高校の地理で、日本列島を2つに分ける「フォッサマグナ(※)」が諏訪湖を通ることを習った。※正確には糸魚川静岡構造線と中央構造線。
このこともあって、訪れたことのない諏訪湖(たんけんぼくのまちでも映ったはずだけど、記憶になく)は、山深いところにひっそりとたたずむ湖なのだと、思いこんでいた。
その後、地図を見たり、「あずさ」で通りかかったり、テレビやネットで見て、そうでもなさそうなことは分かったけど。


そして、諏訪愛宕神社は、秋田市中央部にある神社である。(この記事後半)
名前の通り、全国に2万5千社あるという諏訪神社の1つ。
大きな神社ではないが、地域の神様として大切にされ、「保戸野すわ町」という町名にもなっていて、多少なりとも親しみがある。
諏訪大社の存在は、子どもの頃は知らなかったはずだけど、いつの間にか、その総本社がある諏訪にも親近感を持つようになった。


そんなわけで、諏訪にはいつか訪れたいと思っていた。
駅の近くに、ビジネスホテルなど低料金で泊まれる温泉がある上諏訪を宿泊地に選んだのだった。
※下諏訪にも温泉があるが、上諏訪ほど大規模ではなく、泉質も異なる。
※以下、紹介は時系列ではありません。

前回も紹介した、上諏訪駅前。

諏訪湖と反対側にある駅出口と国道20号線をはさんで向かい合う、大きな建物が解体中。

1979年にできた商業施設・公共施設「スワプラザ」。かつては隣に温泉がある百貨店もあったそうで、その跡とともに再開発で新しいものができる計画らしい。
現状では、上諏訪駅周辺には大きな商業施設はない。岡谷や茅野にあった百貨店もなくなったそうで、郊外型でないもので残るのは下諏訪のイオン(イオン諏訪店。1977年にジャスコとして開店)くらいなんだろうか。
2022年10月の再訪時の状況・スワプラザ跡には新しく「アーク諏訪」が2019年にできていた。また、下諏訪町のイオン諏訪店は2018年で閉店・解体。跡地に再建する話はあるが、動きはないとのこと。反対隣の茅野市との境には、2018年にイオン諏訪ステーションパーク店(元はダイエー系・グルメシティ諏訪インター店だった建物だそう)がオープンしている。】


上諏訪は正面出口反対側が、温泉街と諏訪湖。
臨時改札口はあるそうだが、通常は改札を出て、歩行者用跨線橋で線路を渡る。
道は一直線ではないけれど、駅を背にして温泉宿が点在する道を300メートルほど進めば、諏訪湖畔。
こんな建物も(外観を見ただけ)
昭和3年にできた「千人風呂」などがある重要文化財の温泉施設「片倉館」。

湖岸の道路は交通量が多い。信号機のない横断歩道もあったけど、横断するのはちょっと怖い。信号機は「押しボタン式歩車分離」のものもあり、一見普通の交差点だけど、ボタンを押さないと永久に横断できないので注意。(長野県はこの方式が多かった)
これが念願の、
諏訪湖!
駅近くの湖畔は「諏訪湖畔公園」として整備されている。1986年にセイコーエプソン創立25周年記念事業として、諏訪市へ寄贈されたもので、黒川紀章監修。

湖全体がぐるりと見渡せ、なかなかいい眺め。
ただ、平地の湖という感じだし、対岸まで町並みが囲んでいる。「カナディアンアコーデオン」を信じていたら、裏切られたと思ってしまいそう。

ただし、この土地自体の標高は、スマホのGPSによれば810メートル前後もあるので、「平地」ともまた違うのかもしれない。(ちなみに駅の標高は松本600メートル弱、長野700メートル弱)
秋田や青森の田沢湖、十和田湖と比較すると、水面の標高は諏訪湖のほうがずっと高い。湖の大きさや深さでは、諏訪湖が小さい。

ちょっと移動して、同じ公園内。

この中央部へズームすると、
対岸が岡谷~下諏訪の町。奥にわずかに北アルプス
下諏訪辺りから見ると、諏訪湖の向こうに富士山が見えるそうだ。
今回は時間がなくてこの程度の諏訪湖畔。ほかに湖畔には間欠泉(人工)や別の入浴施設などもある。全面凍結して御神渡りができたところなど、いつか見てみたい。


最近まで知らなかったけれど、上諏訪は城下町。
駅から(線路の諏訪湖側を南方向へ)1キロほどのところに「高島城」があり、本丸が整備されて天守が復元されていた。ちょっとだけ訪問。
城跡周辺は、一直線ではない狭い道路で、迷いそうになった。
元々は諏訪湖に突き出た水城だったそうだが、江戸時代から干拓されて、今は湖畔までは700メートルほど。
逆光ですが堀と石垣。右が天守。ずっと右方が諏訪湖
上の写真は、北東角・諏訪市役所そばの「高島城」交差点。
この場所が、1984年の「たんけんぼくのまち」第1回に映っていた(DVDで視聴。僕がリアルタイムで見たのは翌1985年度なので、そのシーンはなかったはず)。
道に迷ったチョーさんが、この辺りをうろついていた。四角い信号機が映っていたのがこの交差点のはず。テレビよりも狭く感じた。

現在は茶色いLED信号機が付いているが、「高島城」の地点名表示板は、当時のものを使い回しているみたい。

昔は諏訪湖とつながっていたであろうお堀も、今はコンパクト
ところで、1971年の小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町(作詞 安井かずみ、作曲 平尾昌晃)」のモチーフになった城下町が、この高島城跡の諏訪だそう。(近年、テレビで知った)
平尾昌晃が岡谷の病院に入院していた時に着想を得たのだとか。(詞じゃなくて曲のイメージがということなのかな【2020年3月21日追記・歌詞では京都をイメージしているとのこと。】)
そう思ってお城の周りを歩くと、なんとなく納得できたような気がした。


冒頭の上諏訪駅前の写真で分かるように、諏訪湖と反対側は山になっていて、駅・国道の東側の住宅街は高い所にある。
駅から国道を北へ250メートルほど進み、薬局の角の小路を右折して100メートル強進むと、
上へ行く階段
下が湯の脇2丁目、上が同1丁目のようだ。
この階段も「たんけんぼくのまち」第1回の舞台。上諏訪駅を降りたチョーさんが道に迷い、高いところから見渡すことで、町の全貌を把握する重要な(?)場所なのである。(その後再び高島城で迷うのだけど)
 
高いところから見渡すのは、(当時も今も?)小3社会のお約束らしい。そういえば、僕たちも校舎3階から眺めたな。

2009年にチョーさんが25年ぶりに上諏訪を訪れた特番(DVD収録)でも、改めてこの階段を訪れていた。
横長で鮮明なハイビジョン映像、さらに今はストリートビューもあって、現地は容易に特定できた(脇の旅館が決め手)。1984年当時とは、階段の手すりが違っている。

階段のてっぺん近くの脇に、わずかに平坦な場所があって、公園風になっていた。「馬頭観音境内」という表示があり、お堂があった。
チョーさんも、ここから眺めたはず。
正面には温泉街
真正面は旅館などの建物にさえぎられて、500メートル先のはずの諏訪湖は見えない。
右(北)方向は湖面が見える

左方向も建物
左方向4キロほど先、豊田地区(中央道諏訪湖SAの手前)というところに、チョーさんが住みこんでいたおじさんのお店があったのだが、見えない。2009年に再訪したチョーさんは「(25年前より)建物が増えた」と言っていた。
豊田地区へのアクセスなどについて2022年の記事


諏訪市内の路線バスは、自治体が民間バス会社に委託運行するコミュニティバスがメイン。
路線網は比較的充実していて、運賃は150円均一なので、諏訪湖周辺、諏訪大社等への観光にも使えるのだけど、路線が複雑でもあり、よそ者には分かりづらい。(自治体ホームページに路線図や時刻表は掲載されている)
バス停には「スワンバス」と「かりんちゃんバス」
「かりんちゃんバス」は諏訪市単独のコミュニティバス、「スワンバス」は岡谷市、下諏訪町、諏訪市の湖岸3自治体で運行する湖畔を1周するコミュニティバス(観光バスではなく、1周1時間50分かかる)。
岡谷と下諏訪も、それぞれ単独のコミュニティバスを運行している。

時間の制約で、上諏訪はこんなところでした。諏訪大社の上社も割愛。下社へ行ったので、続きます
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バス停の変化2016.7

2016-07-10 22:56:10 | 秋田のいろいろ
バス停3題。
庁舎移転に伴いバス停も移動した、上り「県庁・市役所前」。
新しい待合所は5月から変化なく、急ごしらえの表示のまま。

役目を終えた旧待合所は、たしか先々週は残っていたかと思うが、先週までに、
基礎を残して解体された
後方左の旧庁舎・議場棟は足場が組まれて解体間近。

点字ブロックも早めに撤去しないと。【7月25日追記】この後、7月下旬までに点字ブロックはなくなった。(歩道自体は工事中で一部鉄板敷き)


その向かい、県庁正庁【2021年4月11日訂正】本庁舎前の下り側にも、旧上り側と同じデザインの待合所があった。それが、現在は、
工事中?
おそらく先週辺りから工事中。特に告知はない。
待合所が歩道上空を覆っているため、工事状況によっては歩行者は車道へ迂回することになるのかも。
 
壁も屋根も取り外され、柱はきれいに塗り直されている感じ。骨組みを活かしてリニューアルするのだろうか。
同じバスベイ内の西寄り(県庁西交差点側)に、仮設ポールが置かれている。
おそろいの「臨時停留所」が2本
在りし日の上り側待合所は雨漏りがしていたから、下り側も同じような状態だったのだろう。
修繕して永く安心して使えるようにしてくれるのはありがたいけれど、代替の待合所がない状態で梅雨時に工事をやらなくても…という気がしなくもない。

※続きはこの記事最後


5月の記事で少しだけ触れた、手形山団地線「秋大糠塚官舎前」下り側ポール。
市営バス当時からのポールがだいぶ前に破損して、いつの間にか新しい物に替わっていた。
遅ればせながら写真をアップします
やや背が低く、表示板が頭でっかち気味、台座に金属枠があり、棒と台座は金具を介してくっついている。(上の県庁前の臨時停留所と比べると違いが分かる)
神田線の新経路などで設置されている、新しいタイプのダルマ形ポールだ。
ただし、時刻表枠の取り付け方が従来同様の金具1個(神田線では、大型の金具2個)だったり、表示板の色や大きさが神田線とは少し違う気がしたり、完全に同じではない。その結果、神田線のものほど、アンバランスさは強くない気がする。
表示板の文字も、英字はなく、やや太い丸ゴシック体(秋田城跡歴史資料館前と同じ?)。
上り側はポールも表示板も市営バス時代からのもの
名称変更など表示板のみの変更で済む場合は表示板だけを替え、新設やポール全体が破損した場合のみ、頭でっかちの新タイプを設置する方針のようだ。

※糠塚官舎前のこの後2020年までの変化
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ポストの庇

2016-07-07 19:32:50 | 秋田のいろいろ
当ブログでたまに話題になる郵便ポストのお話。※過去の記事はこちらなど

郵便ポストは、登場時期・サイズに分けて型式があり、「郵便差出箱○号」と通し番号が振られている。(以下、単に「○号」と表記します)
昔のポストはオレンジがかった朱色だったけれど、現在は真っ赤なものが主流。その真っ赤なポストは10~14号で、1996年に登場した。今年でちょうど20年。
秋田新国道郵便局前のポスト
全国的には朱色の旧型ポストもまだまだ残っているが、沿岸部だからか秋田市は真っ赤なポストへの更新が早かったと思う。その結果、現在の秋田市中央部では、投函口が2つで、箱の天地方向がやや小さい(その分脚が長い)「13号」が圧倒的多数。(弘前市では、もう少し旧式が多く残り、投函口が1つのタイプが主流)
それ以前は、ほぼ同規格で朱色の「8号」が主流だった。8号は1966年からあったそうだが、秋田市内では1985年頃に相次いで設置(それ以前はいわゆる丸ポストがどこにでも設置されていた)されたので、多くがわずか10年ほどで更新されたことになる。
現在の13号は、約20年前に設置されてそのまま使われ続けているものも多いから、8号より寿命は長い。(アルミ製なんだろうか。腐食はしないものの塗装は剥離しやすい印象)
上の写真の秋田新国道郵便局前のポストは13号だが、全体にきれいだし、地際に工事した形跡。以前も13号があったはずだが、更新されたのかもしれない。
※このポストの3年後の状態(リンク先後半)

(再掲)別の13号
新国道郵便局のポストも、↑このポストも、どちらも13号だけど、違いがあるのにお気づきでしょうか。
上の写真のポストでは、投函口の上、赤くせり出した庇(ひさし)部分に白い四角のプレートがあって、「手紙・はがき」か「その他郵便物」の区別や点字が記されている。また、庇は投函口ごとに分離されていて、2つの庇が並んでいる形。
新国道郵便局
一方、新国道郵便局のほうは、庇には区分が記されず、投函口の下にまとめて記されている(点字はなし?)。庇は、2口をいっしょにカバーする横長のもの。分かりにくいが、その真ん中に「〒」マークが彫り込まれている。

この違いは、製造時期によるそうだ。庇が分割されたほうが古く、一体化したほうが新しい。
どんな業界のどんな製品でも、同型であっても製造時期で細部が異なる例は多い。郵便ポストも同じようで、他にも扉(上の2つも形状が異なる)や脚に差異があるらしい。


秋田市内の13号をざっと見てみると、やはり初期の分割庇が圧倒的多数。そんな中、新国道郵便局のは一体庇だから、やはり新しいのだろう。
ところで、隣接地に移転したばかりの秋田市役所庁舎前に、ポストが移設されていた(この記事で少々)。旧庁舎前には朱色のポスト(大型の7号?)があったようだが、新庁舎前には後継の12号ではなく、こちらも13号。(向かいの県庁前は12号)それも、
13号一体庇
新品が設置されたのだろう。


さらに、6月中頃、泉中学校の並びの秋田市泉地区コミュニティセンター前にて。
前はなかった13号ポスト!
玄関横に、根元が養生中で設置されたばかりと思われる、13号ポストがあった。これも一体庇。

このポストは道路から数歩、敷地内に入りこまないと投函できない。どうせなら路肩に設置してくれたほうが投函しやすいのだけど、ここは歩道がなく道幅が広いから路上には設置できず、敷地内も広くはなく、車寄せや人と車の通行スペースもあるから、邪魔にならないこの場所になったのだろう。

コミセンはずっと前からここにある(1990年開所)のに、どうして今さらポストができたのか。
コミセン前の通りの100メートルほど新国道寄りにヤマザキショップ(以前から閉店?)があり、その前にあった13号ポストがなくなっていたので、その代替というかそれを移設(ポスト自体は更新されたけど)した形になるようだ。
泉コミセンのポストの2022年の状況


13号ポストの庇に2タイプあることを気づかせてくれたのは、とあるポストのおかげだった。最後にそれを紹介。
有楽町裏・南通亀の町の改装されてきれいになったヤマキウのビル前にある13号ポスト。改装前後で手はつけられていない。
床とかカウンターとかはおしゃれになった
壁に以前からある「切手・はがき 印紙」を売っているという掲示があるけれど、今も売ってるの?

全体的に傷んで汚れているし、庇は分割、きっと20年近く前に設置されたのだろう。でも、その庇がちょっとおかしい。
右の庇に…
左の定形のほうはいい(文字は消えている? けど)として、右の定形外のほうの庇。「〒」のマークがある。
左右非対称の位置に「〒」マークがあるのはおかしいと思って、調べたのがきっかけとなった。

疑問なのは、どうしてこのポストの右庇にだけ「〒」があるのか。
考えられる理由は2つ。※推測です
1.文字や点字が記載された白い四角いプレートの下には、「〒」マークが彫られている。プレートが取れて、下のマークが姿を現した。

2.投函口が1つのポスト(10・11・14号)では、ひさし中央部に「〒」マークがある。そして、13号ポストの左右それぞれの庇1つあたりの幅は、1つ口のポストとおそらく同じ。
したがって、庇のサイズや取り付け方法は、2つ口と1つ口で共通規格になっているのではないか。この13号ポストの右庇が破損したため、部品として確保してあった1口ポスト用の庇で代用した。
(再掲)14号。庇は13号と同じ規格では?
このどちらかではないでしょうか。
さらに推測になるが、初期の13号の庇がわざわざ左右に分割されていたのは、(上記1、2どちらにしても)1口ポストと部品を共通化して効率化を図る狙いがあったのかもしれない。その狙いが外れて、一体化したのだろうか。

【2017年1月21日追記】かんぽ生命のテレビCM「人生は、夢だらけ。」のうち、2016年3月から放送されているミュージカル風のものの中に、13号ポストらしき郵便ポストが登場する。実物か作り物かは不明だが、その庇は一体化タイプ。

ポストについては、後日また
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