広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

バス乗継旅を検証@秋田

2013-11-28 23:40:22 | 秋田の地理
2010年に収録・放送されたテレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」第7弾について、先日の青森県内に続いて秋田県内の行程を“検証”します。

炎天下の矢立峠を徒歩で越えて、陣場駅から秋田のバスの旅が始まる。
乗車区間と車両ナンバーは以下の通り。時刻はテロップやナレーションを元にした、おおよそのものもあります。
【8月10日・火曜日】
・陣場駅前12時23分→秋北バスターミナル 秋北バス「579」 古い国際興業塗装、いすゞキュービック
・秋北バスターミナル→鷹ノ巣駅前15時30分前 秋北バス「761」秋北バスオリジナル塗装、富士重工ボディのいすゞ中型
・鷹ノ巣駅前16時30分→大館能代空港 秋北タクシー(?)「732」青系統のリムジン塗装、リクライニングシート、三菱中型
・大館能代空港→能代バスステーション 秋北タクシー「35x(下1ケタ不明)」青系統のリムジン塗装、リクライニングシート、いすゞ中型
キャッスルホテル能代 宿泊
【8月11日・水曜日】
・能代バスステーション7時20分→五明光(ごみょうこう)8時30分前 秋北バス「214」新しい国際興業塗装、いすゞエルガミオ
・五明光9時39分→荒町(船越駅の手前)10時27分 820円 秋田中央交通・みなと市民病院行き「835」小田急中古の短尺いすゞエルガミオ
船越水道に架かる八竜橋(500メートルほど)を徒歩で渡る(いったん橋を戻って昼食、再度渡る)
・天王橋14時10分→二田駅 二田駅14時40分→天王グリーンランド 150円×2 潟上市マイタウンバス(秋田中央トランスポート委託)「371」白い専用塗装の日野レインボー
※天王橋バス停の時刻表では(二田駅前にある)「藤原記念病院行き」、行き先表示は「二田駅」だったので戸惑う。天王グリーンランド行きは二田駅を挟んで連続運行
・天王グリーンランド14時52分→秋田駅西口15時40分過ぎ 790円 秋田中央交通・新国道経由追分線「202」いすゞエルガミオ
・秋田駅西口16時10分→本荘営業所17時30分 850円 羽後交通・急行本荘線「302」いすゞエルガミオ
・本荘営業所18時過ぎ→象潟駅前 1時間650円 羽後交通「636」いすゞキュービック
【29日追記】大館市の秋北バスターミナルは今年9月で閉鎖され、大館市のバス路線が再編されている。

再掲)秋北バス「761」。2010年9月の「バスまつり」ではるばる秋田市まで来て展示されていた

再掲)中央交通臨海営業所「か202」。2010年10月から秋田市が広告主の「秋田らしいラッピング」が施されている

羽後交通「か302」
急行本荘線にはいろいろな車両が使われるが、これは新しい部類で、唯一のエルガミオか。上の中央交通のとちょうど100番違いのナンバー。座席は水色地に派手な柄入り。

そして、五明光から荒町まで乗ったのは「か835」。つまり、
(再掲)
小田急バスの中古で、現在は秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」専用に使われている車両。
再掲)現在の同車
当時は、おそらく小田急から来て間もない頃(秋田市内では同型車を2010年夏~秋頃に初めて見たはず)。当時は男鹿営業所に所属し、2012年7月から秋田営業所に転属して循環バスに使われている。今年7月には塗装が変更された。

その五明光では、1時間待ち。
時間をつぶせる店などはなく、近所のかあさんに尋ねても「ローソンもないんですよ」と、なぜかチェーンを限定した回答。(これだけ秋田にはローソンが多く、高齢者にも認知されているということだろう)
そのため、そのかあさんのお宅でラグビーボール型のスイカを振る舞ってもらうことに。近所の人たちも集まって和気あいあいと過ごした。
農薬散布のラジコンヘリの見学もして、地元の皆さんに見送られての出発。

また、「835」がだいぶ前に五明光に来て待機していたため、太川さんがその運転士に尋ねると、待機時間を利用してメモ用紙に天王グリーンランドまでの乗り継ぎを書いて渡していた。
五明光から天王グリーンランドまでのルート
五明光から荒町までのバスは、五明光の段階で「男鹿駅・みなと市民病院」という、男鹿営業所定番の行き先表示で登場(かつては「男鹿駅・船川」だった)。番組上での時刻や運賃は通しで表示されていた。
したがって、これは下五明光-みなと病院の「潟西線」だと思っていた。潟西線は現在は一部区間が廃止されて、男鹿市が自主運行するバスに変わったと聞いていた。

しかし、その変更が行われたのは2010年4月。
下五明光-若美総合支所が廃止され、男鹿市の「潟西北部線」として中央交通へ運行委託。若美総合支所-みなと病院(一部は船越駅発着)が引き続き中央交通直営の「潟西南部線」に分割されていたらしい。
その年夏のロケなのに、以前と同じく通しで運行されていたことになる。分割は形式的なもので、運行する事業者も同じなのだから、実際の車両運用や運賃支払い(運賃計算は別)は通しでやっていたのだろうか。

その後、さらに変更されて、現在は直営部分は「船越・潟西線」という名になった模様(中央交通ホームページより)。
男鹿市運行の五明光側の「潟西北部線」は、「秋田観光バス(株)」に運行受託事業者が変わっている。さらに上りの朝2便以外(下りは全便)は、予約式(1時間前まで受付)に変更されている。
したがって、現在は五明光で秋北バスから予約なしで乗れる便への乗り継ぎはできない。番組では予約式バスは利用したことはないはずだから、今、ロケを行ったなら五明光で断念しなければならないかもしれない。


荒町で降りた後、天王付近で時間が余ってうろうろしたけれど、2010年3月までなら中央交通の新国道経由 船川線があり、天王から秋田駅まで1本で来られたはず。
そして、今回のロケが日曜日なら、潟上市マイタウンバスは日曜運休なので、荒町から天王グリーンランドまで7キロ強を歩かなければならなかった。

ということで、2010年当時の平日だからこそ成立した乗り継ぎ旅だったことになる。
八郎潟西側のルートはダメだとして、奥羽本線沿いの八郎潟東岸を選んでも、たぶん鹿渡駅から八郎潟駅近くまで、10キロはバスがないはず。(能代-秋田は高速バスなので番組のルール上使えない)
以前は、さらに東の北秋田市沖田面(おきたおもて)で秋北バス~中央交通・五城目方面の接続があったのだが、5年ほど前に五城目町側が短縮、さらに廃止されしまったようだ。
人口が少なく需要がない地域ではあるのだろうが、県の(位置的に)ど真ん中なのに、こんな寂しいバス路線網なのか(になってしまったのか)と、気付かされた。



象潟に宿泊して3日目は、いずれも季節運行の象潟合同タクシーの登山バス(「鳥海ブルーライナー」というらしい)と庄内交通の酒田行きを、鳥海山5合目「鉾立(ほこだて)」で乗り継いで山形県に入るという、予想もしないルート。(象潟6時10分→鉾立6時45分着/9時50分発)
秋田・山形県境を国道7号線沿いにたどるなら、6キロ歩かないといけなかったそうだ。
(県境を越える他の交通手段としては鉄道もあるし、本荘-酒田-仙台の庄内交通の高速バスに、本荘-酒田・鶴岡間だけを乗車できる制度もある)
※県境の移動について、後の第25弾でこんなことになった。(リンク先末尾)


ということで、先日の第15弾でも述べた通り、今後、この番組が秋田県を訪れることはないというか、不可能な気がしてしまう。
第7弾では、せっかく秋田市に来てくれたけれど、滞在は30分ほど。案内所で本荘行きを聞き出したほかは、新国道を走行中の車内で中山エミリさんが乗り合わせたおばさんに「宮沢りえです」と偽って「違う」と言われたのと、秋田駅のバス乗り場からスクランブル交差点を渡ってローソンで「ガツンとみかん」を買って来た程度のシーンしかなかった。

【2014年5月30日追記】2014年5月30日付秋田魁新報県央地域面によれば、この秋田県側の鳥海山登山バス「鳥海ブルーライナー」が2014年から予約制になる。この番組の過去の例では、予約式バスを利用したことはない。(予約式の路線はバスがないものとして扱っていたこともあった)
鳥海ブルーライナーは、2002年9月に羽後交通の路線が廃止されたのを受けて、翌年から象潟合同タクシーが予約制で運行、さらに2004年からは定期運行化され、7~10月に象潟駅-鳥海山5合目鉾立間、約22キロで運行されていた。
2004年度は972人が利用したものの、2008年以降は400人以下まで落ち込んだ年もあり、2013年度は425人。
マイカーの利用が増え、日本海、あけぼのと寝台列車が廃止(臨時列車化)されたこともあって利用増は見込めないとして、予約制に移行するという。
7月~10月に1日3往復。予約人数に応じてタクシー、ジャンボタクシー、小型バスで運行。片道3000円。
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北限を更新?

2013-11-27 23:26:58 | 津軽のいろいろ
弘前市の弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅のそばに「吉井酒造煉瓦倉庫」がある。大正末期に建てられたもので、今は周囲が公園(土淵川吉野町緑地)に整備され、中でイベントが行われることもある。
再掲

その裏側に、狭くてくねくねした一方通行路がある。なんとなく避けていたので、今まで2回くらいしか通ったことがなく、今回通って初めて気付いたものがあった。
手前の倉庫の壁は補修中?(1年前のストリートビューではボロボロだった)
手前には、
柿の木
幹がV字に分かれ、枝をいっぱいに広げ、たわわに実を着けた柿があった。
東北地方でポピュラーな渋柿の「平核無」だけど、そういえば弘前ではさほど(秋田市近辺と比較して)庭先に柿の木があるお宅を見かけないような気がしなくもない。
北海道では柿の木はほとんどないそうだし、青森は柿の北限に近いのかもしれない。

奥のほうには、柿よりやや小さい木が2本。
この写真では重なって1本に見えます
この木って、
イチジク!
弘前でイチジクの木を見るのは、初めて。
ちゃんと実っている
イチジクの北限は、一説には秋田市付近だそうで、秋田市内では、時々イチジクの木を見かける。秋田県内でも温暖な沿岸南部では、小規模ながら産地が形成されており、甘露煮を作る店や家庭もある。

ヒガンバナも秋田市辺りが北限と言われており、弘前市の最勝院の住職がかなり苦労して咲かせるのに成功したのが新聞記事になるほど。
だからイチジクも弘前では育たないと思い込んでいた。ところが、ここではおそらく放ったらかしだろうに、2本とも標準的な大きさに生長し、しっかり結実している。とりあえず、イチジクの北限は弘前ということ?

調べてみると、さらに北の青森市で小規模ながらイチジクを販売している農家があることが青森県庁ホームページに出ているし、庭先などで植えられていることもあるにはあるようだ。
よく「北限」とか「南限」と言われるのは、定義がけっこうあいまいで、自生(野生)に限定していたり、経済栽培(産地として商売が成り立つか)に限っていたり、太平洋側と日本海側でそれぞれ北限があったり(これは積雪の影響もありそう)とまちまち。
ここで言う「北限のイチジク」とは、「自分の目でイチジクが生えているのを確認した最北の地」ということにしておきましょう。

イチジクの原産地はアラビアなので、寒くて雪が積もる秋田や津軽は、ギリギリの生育環境であるに違いない。



ところで、以前紹介した通り、弘前市の公園では、動物の立ち入りが禁止されている。

昨年から、一部の公園を「犬と散歩ができるモデル公園」として、犬が入れるようにした社会実験を行っていて、土淵川吉野町緑地でも実施されていた。
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街区表示板

2013-11-26 23:46:28 | 秋田の地理
電柱などにそこの地名が書かれた板が設置されている。「街区表示板」といって、住居表示を実施した場所に自治体が設置することが義務づけられている。
全国的に青色に白文字縦書きが多いものの、自治体によっては違う色だったり、ローマ字や市章が入っていたり多少異なる。

秋田市は、こういうもの。
 (いずれも再掲)
青地の金属板に、独特の角張った白文字が浮き出たもので、現在はふりがな付きというのが基本。

秋田市市民生活部生活総務課のホームページには「平成13年度から更新する作業を地区ごとに行っており」とあるものの、たまに古いものが残っている。
※以下、古いものは場所の特定を避けるため、番地を隠すことにします。
楢山登町。電柱に1枚、奥の壁にも1枚
古い表示板は、電柱よりも民家の壁や塀に設置されていることが多い。上のケースでは、おそらく壁の改修工事がされても引き続き残され、さらに電柱に新しい表示板が設置されても残っていることになる。そのお宅の意向で残っているということなのだろうか。
だいぶ薄れているけれど
ふりがなはない。特徴的なのは下に「秋田ボーリングセンター」と広告入りであること。スポンサー付き表示板は全国的にたまに見られるようだ。
ここから遠くない南通築地にあるスーパー「ト一屋楢山店」の場所に、以前はボウリング場があった(建物自体はスーパーと同じはず)そうで、そこが広告主だったようだ。一般的に「ボ“ウ”リング」と表記するがここは「ボ“ー”リング」だったのだろうか。
ボウリング場オープンが1966年、楢山登町の住居表示実施が1967年。

なお、楢山の「楢」は、つくりの上が「八」のものとツノ2本のものが存在し、上の新旧でも異なっている。
パソコンにおいては、以前はツノ2つ、2007年のWindowsVista以降は八に変わったように変遷しているし、手書きなどでは「八」の部分を「ハ」とされることもある、街区表示板以外の場面でもいろいろな「楢」が混在しているのが実情。
(再掲)


もう1つ古いもの。
 保戸野鉄砲町
これは、文字が浮き出しではなく、板に直接書き込んでいるようだ。「鉄」の金偏など、時代を感じる文字。
この広告主は「酒は天下の太平山」。
保戸野鉄砲町の住居表示実施は1966年。※これより状態が良いものを発見(リンク先中ほど)


秋田市広報紙「広報あきた」の1966年8月10日付316号に「街区表示板の取り付け進む 民間会社、団体の協力で」という記事があった。
街区表示板は「共栄火災海上、中央ライオンズクラブ、小玉合名会社、福島の国華酒造KKなどの理解と協力によって取り付けられています。 」「これまでにも黄金井酒造KK、信用金庫、新政酒造KK、森永牛乳KKなどの会社が住居表示事業に協力しています。」とある。
その後、1967年には株式会社秋田ボーリングセンターなどから寄贈されたとあり、それが上の楢山のことだろう。
1968年には土崎地区でも、共栄火災やライオンズクラブ、ロータリークラブから表示板が贈られたことが紹介されていた。

その土崎でも、新旧が近接したものがあった。
土崎港南一丁目
分かりにくいけれど、奥の古いほうは浮き出し文字ではないもので、広告は「秋田港ロータリークラブ」。

そして、新しいほうの表示板は、おそらく最新仕様。(2011年初めに気づいた)
ふりがなは「丁目」の部分に「ちょうめ」というふりがながあるものとないものがあるが、これは「つちざきみなとみなみ」だけで「丁目」にはない。
その書体は、従来は漢字と同じ角張ったものだったが、これは
丸ゴシック体
パソコンでおなじみの「HG丸ゴシックM」ではないだろうか。
街区表示板もよく見るとおもしろい。



ついでに、「ここは」と地名が表示されることが多い、電柱の広告。
最近はそれこそ丸ゴシック体で表示されたものも出てきているが、多くは毛筆の達筆な手書き。たまに間違って書かれることがある。
ここは…

「八橋四五郎一丁目」って
八橋田五郎(やばせたごろう)が、なぜか「“四“五郎」になってしまった?!
確認した限り、この電柱の2枚が四五郎。近隣の電柱は正しく田五郎だった。
この記事中ほども参照、この記事後半も参照。
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男鹿線の少数派

2013-11-25 23:14:10 | 秋田のいろいろ
時々お世話になる、JR男鹿線。その車両は「キハ40系」と呼ばれる国鉄時代に製造された気動車(ディーゼルカー)。
※キハ40、キハ47、キハ48(とそれらの派生)という「形」の総称として「キハ40“系”」と呼ぶことが多いが、それは便宜的な呼称で、正式なものではないそうだ。(電車やJR化後の気動車では「系」が正式に使われる)

秋田にあるキハ40系(リゾートしらかみ用は除く)は、大雑把に分けて、両側に運転台があってトイレ付きの「キハ40形500番台」、運転台が片側だけでトイレ付きの「キハ48形500番台」、同片側・トイレなしの「キハ48形1500番台」の3種類だと思っていた。
男鹿線によく乗る方ならご存知かと思うが、上記3つ以外にも、デッキの有無、座席配置(ボックスシートがあるか、オールロングシートか※座席についてはこの記事)、ドアが半自動(チャイム付き・押しボタン式)かどうか、ワンマン運転設備があるかといった差異もある。それらは製造後に各地で施工された改造によるもので、番号に法則はない。

ところが、
男鹿線のこの車両
今年8月に土崎(秋田総合車両センター)で重要部検査を受けて塗装し直されたようで、きれいな外観。両側に運転台があるから、キハ40形。
車内はほぼ標準のセミクロスシート。デッキなし、半自動ドア化
ごく普通のキハ40形の1台に過ぎないようなこの車両の番号は、
「キハ40 2018」
2018っていうことは「2000番台」じゃないか。こんなの秋田にいた?
この時は4両編成で、その1つ後ろの車両も、
「キハ40 2019」車両の向き(トイレの位置)は同じだが、ナマハゲの顔色が違う
3両目と4両目は、キハ40だったかキハ48だったか、秋田で一般的な500番台だった。


全国各地に配置されたキハ40系は、地域性に合わせていくつものバリエーションがある。秋田にある500番台や1500番台というのは「寒地」向けの”寒冷地仕様車”。デッキがあり、台車に車体が乗っかる「枕バネ」に「空気バネ」が使われているのが特徴。※デッキ(の仕切り)は後に撤去されたものも多い
2000番台は「暖地」向けで、当初からデッキがなく、枕バネは「コイルバネ」。2000番台からトイレを撤去した改造形式1000番台というのもあるそうだ。
【26日追記】キハ47形は、形式全体が暖地向け(コイルバネ、デッキなし、両開きドア)なので、秋田には配置されていない。

500番台と2000番台は、客席の窓の構造が違うので、外観をよく見れば識別できる。500番台は隅が丸く、2000番台は四角い。
盛岡支社の「キハ40 558」。窓の隅が丸い
調べてみると、秋田車両センターにはキハ40形2000番台が4両、1000番台も1両配置されていた。(500番台は五能線用も含めて24両)
これらは、高崎、宇都宮、宮城の小牛田などの所属を経て、15年ほど前に秋田に転属してきていたらしい。そういえば、その当時、塗装が違うキハ40系を時々見かけてはいたけれど、恥ずかしながら興味がなくて意識していなかった。

バネが違うということは、乗り心地が違う。一般に空気バネのほうが快適。
意識するようになってから1度だけ、キハ40 2000番台に乗ったら、たしかにいつもより乗り心地が悪いような、振動を強めに感じるような気がした。


秋田のキハ40形1000・2000番台は、同番台としては最北を走る車両だそう。
5両だけ違うタイプの車両が混ざっていては、現場の保守や管理が面倒そう。運用としては、2000番台は他のキハ40形と区別しないで使われていると思われる。1000番台は秋田のキハ40形の中で唯一トイレがないため、運用が限定(実質キハ48 1500番台と同じ扱い)されているかもしれない。また、男鹿線と五能線の車両はそれぞれ塗装が色違いだが、逆の塗装の車両が混ざっていることがわりとあるので、これら5両ももしかしたら五能線の応援に入ることがあるかもしれない。

※その後、2015年末には、キハ40 2018の塗装が変わった
※同じく男鹿線を走る2000番台の中に、珍しい改造経歴の車があった
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CNA広面カメラ/サザエさん音楽

2013-11-24 23:22:06 | その他もろもろ
大した話じゃないですが、以前の記事のその後の変化を2つ。

この記事この記事の通り、秋田ケーブルテレビ(CNA)では、秋田市内に「道路LIVE情報」カメラを設置し、その映像を放送している。
うち、「手形・広面付近」と表示される手形陸橋の通り(県道28号線)のカメラの映像は、当初は西(手形陸橋)方向向きだったのが、今年2月初めには反対の北東方向に変更された。でも、あまり評判が良くなかったのか、3月末には従来の西向きに戻っていた。
(再掲)従来のアングル
それが、10月下旬にまた少々変化。
10月30日
カメラの向きは西向きのままだが、かなり広角寄りに変わった。
(再掲)赤い丸がカメラの設置場所
今までのアングルではっきり見えていた、黄色いミシン屋の看板・ローソン・押しボタン信号がだいぶ遠くになり、今までがかなり望遠寄りだったのが分かる。
奥の千秋公園の森は、ほぼ全体が見渡せるようになった。
今までは、押しボタン信号周辺だけで車が滞っているのか、通り全体で渋滞気味なのか判断がつきづらいことがあったが、広角になったことで通りの全体像が分かるようになった。

その後、すぐに微調整。
11月1日
少しズームされ、いとくの看板が映らなくなった。
右側のアパート(?)がやや見えすぎてしまう気もするが。



先日の記事で触れたように、フジテレビのアニメ「サザエさん」のサウンドトラック(作中BGM)のCDが12月4日に発売される。現在の作中BGMは2人の作曲家が作った曲が混ざって使われていて、古くから使われている曲が越部信義、わりと最近に追加された曲が河野土洋によるもの。今回のCDは越部作品のみが収録される。
11月17日のエンディング
ところが、テレビのエンディングでは「音楽 河野土洋」としか表示されず、越部さんが忘れ去られたかのような扱いだった。
今でも越部作品がどちらかと言えばメインで使われているから、これは不適切であり、連名にするべきだと思っていた。

それが、今日11月24日の放送では、
11月24日のエンディング
「音楽 越部信義 河野土洋」とついに正当な表示になった!(昔あった「サンオン」とかいう謎の添え書きはないのね)
CD発売を前に、越部さんを表示しないのはおかしいという声が、制作会社やフジテレビ内で出たのだろう。
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環衛会館/新ローソン

2013-11-21 23:45:49 | 秋田の季節・風景
先週、秋田市千秋矢留町の国民生活金融公庫だったビルが保育施設として新たに使われ始めたことを紹介した。
その向かいには「秋田県環衛会館」という5階建てのビルがある。
頑丈そうではあるけれど、年季が入った風格あるというかボロっちい建物だったのだけど、それが解体されようとしている。
特に正面の壁がザラザラして汚いような…

現在は、西(川)側と南側は足場とシートで覆われて、姿が見えなくなった。正面である東側も一部はシートに隠れた。
正面玄関の庇は既に撤去されているものの、1階の喫茶店は営業していたし、上のフロアの一部にも灯りが点いていて、まだ使われていた。
 
北や西の壁面にはツタがはっていた(ヒビじゃありません)/正面玄関上に縦書で「環衛会館」という表示があったのは知らなかった

「環衛」とは「環境衛生」のことのようで、その分野のいくつかの業界団体などの事務所のほか、最近は不要品を持ち寄ってやりとりできる活動「わらしべ貯金箱」の拠点も入っている。
5階に入っている「公益社団法人 秋田県栄養士会」のホームページによれば、同会は環衛会館から今日で退出。明日からは旭北の社会福祉会館に移転するとのこと。
【12月4日追記】12月3日付秋田魁新報経済面「経済短信」によれば、「飲食業関連4団体の事務所移転」として社会福祉会館6階に移転したことを伝えているが、末尾の追記の通り、環衛会館はとっくに閉鎖されている。

保戸野川反橋から旭川越しに
2007年に建て直された10階建てのアパホテル(旧・ホテルはくと)と比べると、環衛会館は1フロア当たりの高さがある。アパホテルの6階より環衛会館の5階ほうが高いかな。

この通りに残る古い建物は、すくすく保育園だけになった。(他にはこの裏のJAのビルも古そう)
右が保育園

いつ頃建てられたのか分からないけれど、味がある建物ではあった

【12月1日追記】11月末の時点では、喫茶店などすべてが退去し、道路側は全面に足場が組まれた(縦書きの看板はそのまま足場の下に残る)。いよいよ解体作業開始か。
【12月7日追記】12月5日頃から、北面(駐車場だった場所に重機が入って)から解体開始。なお、「わらしべ貯金箱」は、川を渡って少し西へ進んだ保戸野通町(と中町の境界近く)・菊谷小路から入ってすぐの菓子店「金明堂」跡に入って12月4日から営業開始とのこと。

※解体後の様子はこの記事中ほど



10月末に中央通りの西側にコンビニ、おそらくローソンらしきものが建設されているのを紹介した。

たぶん今日、ローソンホームページの新店情報が更新され、それに掲載されていた!
「秋田中通一丁目店」として12月5日・木曜日オープンとのこと。(店舗名も予想通り!)
ちなみに同日「秋田東通一丁目店」もオープンする。


それはいいのだけど、残念なお知らせも。
2009年夏以降、竿燈大通りには300メートルほどの間にローソンが3店もあることを紹介していたが、そのうち1店が閉店して中通一丁目店に移転する形になるのだった。

移転するのは、3店のうちいちばん古く、位置的には3店の真ん中であり、唯一の南(大町三丁目)側にあった「秋田竿燈大通店」。
少なくとも昨日の段階で「店舗移転のお知らせ」の張り紙が出ていた
11月24日・日曜日18時で閉店とのこと。

竿燈大通店は朝日生命秋田ビルの1階であり、角地にある店舗。駐車場はない。
【2016年7月26日追記】2000年12月までは、ここに青森銀行秋田支店が入っていた。

ローソンが過剰にある場所において家賃の負担も重かったのかもしれないが、やはり秋田では、コンビニには駐車場が必須ということなんだろうか。(ホテルのビルに入るコンビニは、また事情が違うのかもしれない)

公式サイト店舗検索より
赤丸が竿燈大通店、赤い星が中通一丁目店。オレンジの「7」が通町のセブン-イレブン、「サ」が環衛会館向かいのサンクス。

ローソンが分散することになったけれど、竿燈大通り南側のお客は、大通りを横断して他のローソンに行くか、大町四丁目のファミリーマートへ行かないといけなくなる。移転のお知らせには「今後も変わらぬご愛顧を」とあるけれど、ダイワロイネットホテル店を飛び越えて旭川を渡って、直線で350メートル移転するというのは、コンビニにしてはちょっと遠い。
「竿燈大通り」の名が入るコンビニがなくなってしまうのも、少々寂しい。竿燈まつりの時は、店の前に出店を出して飲み物や食べ物がバンバン売れていたものだった。

【29日追記】10月に10日間ほど、お試しで当ブログのアクセス解析を使うことができた。(gooブログはアクセス解析は有料プランでないと使用できず、しかもショボい解析しかできない)
その時、検索ワードの中に「ローソン 竿燈大通り 閉店」みたいなのがあった。今にして思えば、納得。

※竿燈大通店があった朝日生命秋田ビル1階は、閉店後改装されて空き店舗(空きテナント)になっている。2016年3月現在も変化なし。
※2016年11月後半から12月前半にかけて、仕切りを取っ払って拡張する形で、隣接する健康関係の店がローソン跡を使うようになったようだ。
※その健康関係の店とは「ジャパンライフ」。高齢者からカネを巻き上げ「オーナー商法」が問題になり、2017年に経営破綻。そのため、ここの店もなくなって、2018年現在空き店舗。
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RAB60周年パン/北海道ランチパック

2013-11-20 22:55:14 | ランチパック
青森放送(RAB)は、今年で創立(=開局)60周年。※以前の関連記事
それを記念して、工藤パンとコラボレーションした商品が10月8日から11月30日まで発売されている。
この2つ
記念商品が「イギリストースト」なのは、いかにも青森らしい。
 イギリストースト 小倉&マーガリン 435kcal
包装にはリンゴをモチーフにしたキャラクターが大きく配され、「RAB青森放送プロデュース」とある。パッケージ裏面にもキャラクターが。
でも、小倉&マーガリンとRAB60周年の関係って? どうしてこれがRABプロデュースなのか、理由が分からない。名古屋の放送局なら小倉トーストでいいでしょうけど。
そもそも、あんことマーガリンのイギリストーストって、以前にも発売されていたはず。
おいしいのは相変わらずですが…

 イギリストースト 青森県産りんごジャム&りんごカスター 325kcal
こちらにはキャラクターのほか、女性の写真、「RABラジオあおもりTODAY 月曜ラジオバザール」「麻生しおりプロデュース」とある。
RABのラジオで、平日昼に「あおもりTODAY」という番組があって、曜日ごとに違うサブタイトルとパーソナリティで放送されているそうだ。
その月曜担当の人がプロデュースしたということか。じゃあ、小倉&マーガリンのほうは、RABが総力を上げてプロデュースしたということなんでしょうか?

こちらは、青森産のリンゴを使ったジャムとクリームということで、青森らしさが出ている。昨年の今頃出ていたりんご娘監修の「フレッシュランチ りんごカスタークリーム」と若干、似ているけれど。
マーガリンは塗られていない
味は、ジャムの酸味が強いのか、やや酸っぱめ。

さて、秋田放送も今年60周年。たけや製パンとコラボしたりは、しないのでしょうかね。


工藤パンに「ダブルサンド」という、コッペパンに2種類のクリームなどを挟んだパンがある。パン生地がしっとりしていて、なかなか好み。その11月の新商品。
 ダブルサンド 青森県産牛乳カスタークリーム&ミルクホイップ  389kcal
青森には「萩原乳業(本社・弘前市)」という大手の乳業会社があるから、県産乳やその加工品の入手がしやすいのかもしれない。
クリームやホイップもおいしかったけど、やっぱりパンのあんばいが良かった。

僕が行った店では見かけなかったが、今月は「イギリスフレンチトースト(カスタード) 」という、イギリストーストのフレンチトースト版が発売されているようだ。気になる。



さて、ここで工藤パンではなく、盛岡に本社があって東北地方を中心に展開する「シライシパン(白石食品工業)」の製品から。
以前も紹介したが、東北が地盤の企業ということもあり、東北の食材を使ったパンをよく出している。
11月から「東北っていいなぁ。」というシリーズ名(?)で、東北6県それぞれの食材をメインにしたパン類(各県から1つずつ)を発売している。積極的に営業しているのか、同社の他製品よりも多くの店で扱っている気がする。
青森県産りんご使用・りんごのケーキ 330kcal
パッケージは6商品でほぼ共通。6県のご当地キャラクターが1つずつ並んで、その商品の県のキャラクターが大きく描かれている。

このりんごケーキは「洋菓子」扱い。ヤマザキ系列と違って、菓子扱いでも栄養成分表示がある。
また、「協力企業」として原料供給元と思われる企業名も表示されている。この商品では「青森県産アップルプレザーブ:新化食品(株)、岩手県産ナンブコムギ:JAいわて中央」。
「新化食品」というのは、東京都に本社のある「製パン副原料の専業メーカー」。つまり「なんとかフィリング」の類を作っているようで、シライシパンやもしかしたらヤマザキ系各社もお得意さまかもしれない。盛岡に営業所があり、2つしかない工場の1つが秋田県の鹿角市花輪にある。
大きなリンゴが2切れ
ホームページでは「シナモンを練り込んだ」とあるが、シナモン味はあまり感じず(シナモンはあまり好きではないのでよかった)、甘くてシャキシャキのリンゴが楽しめる。
青森以外の製品はいずれまた。→こちら



この場を借りて、紹介しそびれていた北海道のヤマザキランチパック。
ヤマザキは北海道進出が1992年だそうで、今も本州ほど幅を利かせていないようだ。「日糧製パン」のほうがメジャーのようだが、同社も今はヤマザキ系列。
北海道のヤマザキ製品は、札幌工場(固有記号YSP)で製造されている。そのランチパックは、本州のものと違うという話を聞いていた。
数年前までは、パッケージのデザインがまったく異なっていたのだが、現在は本州と同じようなデザイン。それでも違うのか、「ツナサラダ」を買ってみた。
 ヤマザキランチパック ツナサラダ
一見、本州と同じ包装だが違いがある。右上に「北海道限定販売」とあるし、そもそも本州のは「ツナマヨネーズ オニオン入り」という名称。右下の断面写真も似ているけど違うようだ。
じゃあ、本州とは完全な別物かと思えば、色使いは同じだし、「ツナとオニオンを和えたツナサラダをサンドしました。」という説明文は同じ(つまり北海道版にもオニオンは入っている)。

食べてみると、本州のものよりやや「軽く」て「甘く」感じた。たしかに本州のとは違う。
原材料は、
本州版が「ツナサラダ(まぐろ油漬け、ドレッシング、たまねぎ、植物性たん白、食酢、その他)、小麦粉、…」。
北海道版「小麦粉、ツナサラダ(ドレッシング、まぐろ油漬け、たまねぎ、植物性たん白、調味酢、でん粉、卵白粉、その他)、…」。

栄養成分は、
本州版は「熱量:149kcal、たんぱく質:4.5g、脂質:8.2g、炭水化物:14.2g、ナトリウム:290mg」。
北海道版「熱量:102kcal、たんぱく質:3.5g、脂質:3.3g、炭水化物:14.5g、ナトリウム:250mg」。北海道版
となると、北海道版のほうがツナが少なめであっさりということでしょうか。

おそらく、たまごやピーナッツなど定番商品も、北海道版は微妙に異なるということでしょう。

【12月24日追記】ちなみに、秋田ではフジパンの「スナックサンド ツナ&マヨ オニオン入り」という同コンセプトの商品が売られている。パンが柔らかく、味は甘めなんだろうか、個人的にはランチパックよりも気に入った。
これの原材料名は「小麦粉、タマネギ入りマヨネーズ風味ツナフィリング、砂糖、マーガリン、食塩、…」。
1個当り栄養成分は、「熱量:130kcal、たんぱく質:4.2g、脂質:3.7g、炭水化物:20.0g、ナトリウム:301mg(食塩相当量0.76g)」。
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バス乗継旅を検証@青森

2013-11-19 23:58:52 | 津軽のいろいろ
先日、秋田の記事で紹介した、テレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。
テレビ東京で8月31日に放送された最新作・第15弾がBSジャパンで11月7日に放送された(放送時間は2時間だったが、岩手放送で放送された2時間25分版とあまり違わない気がした)。

それに先立って、11月5日には、2010年9月4日放送(8月10~13日ロケ)の第7弾が再放送された。中山エミリをゲストに、青森から新潟を目指した。蛭子さんが途中でパチンコをしたのが原因でバスを1本逃し、途中で時間切れになったという、このシリーズの伝説的エピソードが誕生した回でもあった。
最初のほうは青森県津軽地方から秋田県を縦断するコースだったので、改めてそのバスの旅を“検証”してみたい。当記事では青森県内について。

番組のテロップなどを元に、実際のコースを示す。いずれも弘南バス。運賃と車両番号も記録しておきます。(もちろん当時のダイヤなので現在とは異なります)
青森駅前6時46分→黒石駅前 840円 日野レインボー2「51803-6」
黒石駅前8時10分→弘前バスターミナル前 640円 三菱ローザ「32101-4」
弘前バスターミナル9時00分→(碇ヶ関)岩渕公園前 990円 日野レインボー「51401-2」
青森-弘前の路線バスはなくなってしまったので、遠回りして黒石で乗り換えになったとはいえ、計3本。しかも順調に乗り継ぎできている。弘前の滞在はわずは10分ほどで「観光もできない」と言っていたが、この番組としては楽な部類だ。
運賃は、弘前から碇ヶ関がいちばん高いのが意外。

ちょっと引っかかったのは、弘前へ行くのに黒石回りを選んだこと。
案内所は開いていない時間だったこともあり、いちばん南へ行く路線を選んで、結果的にそれで良かったのだが。
僕は五所川原回りを漠然とイメージしてしまったが、それだと明らかに遠回りで、碇ヶ関へ向かうバスが1時間遅くなる。

ただ、青森駅バス停のポールが映った際、その隅に「弘前方面へは、黒石行きに乗って浪岡で乗り換え」という旨の案内書きがあった。
そうだった。弘前-青森の路線が廃止された後も、弘前-浪岡の路線と五所川原-青森の路線を浪岡で乗り継げば、バスで行き来できるという話は聞いたことがあった。太川リーダーは、どうしてそれをしなかったのか?
当時の時刻は分からないが、現在のダイヤを見てみると、
青森駅6時51分→浪岡7時36分/浪岡8時43分→弘前バスターミナル9時30分
だから、浪岡でのロスタイムがあって、弘前着は黒石回りのほうが早い。(青森市営バスの浪岡行きもなく、これより早く浪岡に到着はできない)
さすがの太川リーダーといえども、見落としたのか、あるいは気付いて車内で問い合わせたもののそのシーンがカットされたのかは分からないが…


その他、細々としたこと。
・最初に乗った「51803-6」号車は、2006年導入のいすゞエルガミオと共通車種の日野レインボー2。
初期型なのでヘッドライトが2灯でなく4灯式で、外見はエルガミオと同じ。車内には横引きのカーテンがついていた。弘南バスは上から下ろす遮光幕を採用していて、近年の導入車もそのはずだけど、カーテンだった時期もあるのか。

・黒石駅に来た三菱ローザを見て、蛭子さんが「(車両が)小っさいなー」と驚く。ナレーションで小型車を使って経費節減していることが説明された。
さらに弘前バスターミナル前(路上)で下車する際、蛭子さんがよろけてコケてしまう。
(再掲)蛭子さんが転倒した現場(テレビでは逆方向からのアングル)
弘南バスの小型バスは、ドアが開くと補助ステップみたいなのがせり出して、段差を小さくする機能が備わっているが、かえって段差が小さすぎてしまい感覚が狂って戸惑うことが僕もあった。
蛭子さんが転倒したのと同型車。矢印が補助ステップ

(再掲)分かりにくいですが、車両本体のステップの下にステップが出ている

・黒石からのバスで乗り合わせた女性とリンゴについて話している場面で、車内放送が聞こえる。これが弘南バスならではのもの。
「小銭のお支度はお早めに。両替はお降りの際にお願いします」
これって、矛盾していて禅問答のよう。他の路線でも流れるフレーズで、僕は聞くたびにおかしくなる。

ちなみに、元々は「小銭のお支度はお早めに。両替はバスが停まっている時に願います」だった。
数年前の音声合成化時に、ちぐはぐなフレーズに変わった。日本バス協会が推進している、車内事故防止の取り組みに影響されたこともあるのだろうけれど。


碇ヶ関でバスを降りた後はバスがないので、徒歩で県境の矢立峠越え。
7キロほど(たぶん)歩いた、道の駅でもある「矢立ハイツ」からバスが出ているとの情報だったが、到着してみると本数が少なく、使いものにならない。
【28日追記】バスを降りてから青森・秋田県境までは45分かかった。道の駅着は11時00分。バスは朝夕1本ずつしかなかった。
さらに3キロ先の陣場駅前からは本数が多いという情報(道の駅に時刻表があった)との情報を得て、昼食後、徒歩移動再開。秋田県内でのバスの旅が始まるのですが、続きは後日


ついでに、先日に続いて、弘前で見た弘南バスから少々。
上の写真で写っている小型バスは、五所川原行き。バスターミナルの1番乗り場から発車するのは、幹線扱いだからだろうか。昔は観光バスタイプの大型車が走る路線だった。
弘南バスでは小型バスでもLED式行き先表示を採用しているが、これがとても文字が小さい。表示器が小さくドット数が少ないから、やむを得ない面もあるのだけど。
「藤崎ジャスコ 五所川原駅」
「藤」なんて知らなきゃ判読できない。
「藤崎ジャスコ」とは、もちろん「イオン藤崎店」のこと。以前は「ジャスコ藤崎店」だったわけだが、なぜか地名が前に来て「藤崎ジャスコ」なのは、秋田の「土崎ジャスコ(現・イオン土崎港店)」と同じ現象だ。
土崎ジャスコのように「崎ジャス(ザキジャス)」とは呼ばれないはず。(藤崎は「ふじさき」だからね)

この路線は、6往復のうち半分は藤崎ジャスコを経由しないばかりか、藤崎町内では一切停車しない。
藤崎町からの補助金の関係(つまり町が補助金を出し渋った?)で、何年か前からこのような措置が取られている。その場合はどういう行き先表示になるんだろう。たしか「藤崎町内は停車しません」という紙は出していたはず。

「鬼沢・十腰内(とこしない) 鰺ヶ沢本町」
全行程1時間半に及ぶ長距離ローカル路線にも(だからこそ?)、小型バスが使われる。
「鬼」「鰺」が潰れていて読みづらい。「沢」のさんずいも怪しく、「訳」のように見える。


少し大きい小型車リエッセの後部に、こんな広告が。
「函館牛乳」
株式会社函館酪農公社という所の広告。青森に営業所があるためだろうか。弘前のお店ではあまり製品は見ないような気もするけど。→コメント欄参照
函館牛乳は、秋田市内でもドン・キホーテや生鮮市場では売られている。

弘南バスには秋田市大森山動物園や東京の国学院大学の広告も出ていた。なかなか積極的に広告を集めているようだ。
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ユッカ・タイル・横断@竿燈大通

2013-11-18 23:41:11 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部の竿燈大通りでは、もはや“季節の風物詩”となった歩道のロードヒーティングの更新工事が行われている。今は中央部の南側付近で施工中。
そのため、通りづらいので敬遠していた間に、ちょっとした変化や発見があったので、紹介します。

●初冬のユッカ
以前紹介した、日本銀行秋田支店脇の植え込みにある「ユッカ」という植物(ユッカは総称。種名はアツバキミガヨランか?)。
春と秋に開花する植物だそうだが、2012年は6月に咲いて秋には咲かなかったようだ。
で、今、
咲いている!
やはり秋というか雪が降った後の初冬にも咲くのか。
今回も3本の茎で花が咲いているが、2012年のとは違う位置だし、各株の高さも違っていて、変化がないようでもちゃんと生長している。
以前見た花は、白に所々紫色の点が入っていて、秋に咲く花はさらに紫がかるというような情報もあったけれど、今咲いているのはむしろ紫色が少なくてより白い感じがした。
終わりつつあるケヤキやイチョウの紅葉とユッカの花の組み合わせが楽しめる。
 


●こんな所に懐かしのアレが
上の写真のユッカの近くに、「どーもくん」みたいな四角い物体が建っている。
「山王大通り完工記念」
昭和46年7月付で当時の小畑勇二郎秋田県知事の名が入る、記念碑。
現在、この通りは「竿燈大通り」と呼ばれていて、山王十字路以西が山王大通りと呼ばれているが、元々は竿燈大通りの区間も含めて山王大通りだった。※今も山王大通りに含める場合もあるが、当ブログでは竿燈大通りと呼んでいます。

記念碑では、完成区間が「862.8メートル」と記されており、それだと山王十字路以東の現在の竿燈大通り区間を指していることになる。(十字路以西は、それ以前から今の道幅だったらしい)
着工は昭和43年4月、12メートルを36メートルに拡幅したとのこと。

「茂りゆく けやき並木に 日はあふれ 朝夕の道 人さきくあれ 玲水」
という歌も刻まれている。元秋田魁新報社員で歌人・俳人の石田玲水(出身は八郎潟町一日市、1908~1979年?)という人によるもの。

記念碑の文面よりも注目したいのは、その脚。4本に分かれていて中央が空洞になっている、なんか不思議な造りだけど。
 何か見覚えが…
いずれもタイル張りで、外側は微妙に色が違う光沢のある茶系統の横長、内側はクリーム色の正方形の細かいものが使わている。

これって、竿燈大通り区間にある(あった)地下横断歩道(地下道)の、完成当初と同じタイルだ!
1995年に地下道がリニューアルされるまでは、地上部の外側が茶色、地上部内側や内部は正方形のタイルが使われていたはず。
再掲)現在も、新しいタイルの下に残っている
地下道とデザインを揃えたのか、地下道で余ったタイルを使ったのか。


●歩行者も渡れます
上の以前の記事のリンク先でも書いたように、竿燈大通り区間には5か所の地下横断歩道が造られた。地上に横断歩道は設けられず横断禁止。一部の交差点(=現在横断できる箇所よりは少なかった)には自転車横断帯が設けられた。
その後、1990年代に入ってからだろうか、自転車横断帯の一部が歩行者にも開放(横断歩道化)または横断歩道・歩行者信号機が新設され、さらに1か所の地下道が廃止されたこともあって、竿燈大通りを歩行者が横断するのは当たり前の光景になった。

現状では交差点6か所合わせて、自転車横断帯が4本、歩行者も渡れる横断歩道が5本設けられていた。
歩行者が横断できる箇所と自転車横断帯のままの箇所が混在しており、中には歩行者が自転車横断帯を渡ってしまうケースも見られる。※それで万一事故になれば、横断歩行者の過失を問われる可能性があり、面倒でも決められた横断歩道を渡るべきだと思うのですが。

ただ、どうしてこっちは自転車だけで、あっちは歩行者も渡れるように指定したのか、根拠が分からない箇所も多い。(場所によっては、青信号の時間や通行量から自転車だけにしたのかと推測できる所もある)ここまで開放したのなら、全部を歩行者が渡れるようにしてもいいようにも思っていた。


竿燈大通り中央部の交差点。昔は「大町西」交差点という名称だったのだが、表示板がなくなって幻となってしまった。(バス停や地下道の名称では残る)
ここは地下道があるためか、東西どちら側も歩行者は渡れず、自転車横断帯が設けられていた。
白線が薄れていますが、左右(東西)とも自転車横断帯
先週末、久しぶりに通ったら、
西側に横断歩道が!
羽後交通観光がある西側が、自転車横断帯から横断歩道に変更されていた。
 
白線が引き直され、信号機は車両用と同じ3灯のものから2灯の歩行者用に交換された。「カッコー」の「視覚障害者付加装置」いわゆる音響式信号も設置。

これによって、竿燈大通りは自転車横断帯3本、横断歩道6本になった。

どうして唐突にここが横断歩道化されたのかは分からない。【19日追記】自転車は車道通行を原則とする法改正を踏まえたのかもしれないが、だったら他の横断帯でも実施するはずだからここだけなのは不自然。
実は、この付近では数年前、夜間に横断歩道でない所を横断していた人が、車とぶつかって亡くなっている。街路樹や地下道の地上部に隠れて、見通しが良くはない場所でもある。地下道を通らなくても歩行者が安全に横断できるようにということだろうか。
さらに、昨年だったか地下道の中で自殺した方がいた。そのことを知ってしまった者としては、正直、千秋トンネルなどよりよっぽど通るのに気が引ける地下道であったから、落ち着いて横断できるようになったとも言える。
横断者も車も、よく見て気をつけて通行しましょう。


最後に、この交差点の信号機に注目。
左が今回設置された歩行者用信号機
もちろん、現在の主流である薄型・短いフードのLED式が設置された。既存の信号機と揃えた緑色のボディなのは感心(微妙に色合い・濃淡が異なるのは、誤差の範囲でしょう)。
銘板(プレート)を見ると、【21日訂正】↑上の写真は北側の柱。この↓プレートは、向かいの南側(羽後交通観光側の柱に設置)のものでした。
2013年11月 日本信号製
今月製造されたばかりのできたてホヤホヤ。長くとも出荷から2週間で設置されたことになり、けっこう迅速なもんだ。
製造番号が「K0000001」と妙にキリがいいのも気になる。(向かい側のもう1台は未確認。このボディカラーで1台目ってことだろうか??)【22日追記】北側の歩行者用は「K0000002」だった。
※製造番号についての考察はこの記事中ほど

同じ柱に付いている、東西方向の横断用の信号機は、LED式ながら電球式と同じ厚いボディ。竿燈大通りは、秋田市内(県内?)でいち早く、LED式信号機が本格設置された道路であった。
広小路、中央通りでも同時に設置され、それぞれの通りごとに異なるメーカーの製品を設置したようだ。ここは2003年7月 京三製作所製。
つまり、ちょうど10年の差がある

北側の信号機たち。歩行者用はやや設置位置が高すぎるような…
次に、自転車用。西側は撤去されたが、引き続き残る東側と同じものが設置されていた。
車両と同じサイズの製品でLED式だけど、点灯時にLEDの粒が見えず、消灯時は黒でなく白っぽい。「プロジェクター式」と呼ばれるタイプだと思う。
今はまったく製造されていないはずで、LED信号機黎明期の試験的要素の強い製品なんでしょう。

以前の南側の信号機たち
この交差点の南側(保戸野側から進む時に見る側)の信号機は、妙にいかつい。
この記事この記事などで紹介した、細かいルーバーによって信号機の色が見える角度を狭めた信号機(視覚制限灯器)。

大町西交差点とその北側の2つの交差点(通町・菊谷小路まで)が一直線に並んでいるため、通る車が先方の交差点の信号機を誤認して発進してしまうことに起因する事故が多発していた。その対策の1つとして、南進する車から大町西交差点の信号機が見えにくい(一定の距離に接近するまで見えない)ようにしたのだった。
北隣から南進するとこう見える。矢印が大町西交差点の信号機
秋田県警は、今は積極的に視覚制限灯器を設置しているが、ここがその走りだったのではないだろうか。そのためか車両用信号機は珍しく横型で設置されて、今もそのまま使われている。
ごっついけど、隙間に雪が積もると全然見えなくなるのが欠点(今は対策されたものもある)
自転車用は縦型(だったら車両用も縦にできそうなものだけど?)。
ルーバーの向きに注目
この自転車用のルーバーの向きは、赤と黄が縦方向、青が横方向と違っている。
縦方向のルーバーは左右の角度を制限するもので、距離を制限するなら横方向でないと意味がない。左右とも同じだったから、設置ミスではないはずだけど。
新しく設置された歩行者用には、視覚制限の対策は施されていない。夜とか大丈夫かな。
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趣のある建物

2013-11-17 22:31:38 | 津軽のいろいろ
「弘前城菊と紅葉まつり」に続いて、11月3日の弘前公園とその周辺。
前回書き忘れたけれど、「弘前城菊と紅葉まつり」ってちょっと変なネーミング。
弘前市では、弘前城址のことは「弘前公園」と呼んでいて、公園(城跡)全体を指して「弘前城」とは呼ばないはず。例外的なのが「弘前城植物園」と「弘前城菊と紅葉まつり」だと思う。
そして、「弘前城菊と紅葉まつり」では、公園全体が会場なのかとか、天守閣の周りにも菊が飾られているのかと誤解されるおそれもある。500円の共通入場券を買わないでしまった場合、植物園と天守閣ではそれぞれ300円の入場料がかかってしまう。
あと、以前、どこかのテレビ局のアナウンサーが「ひろさきじょうぎくと~」つまり「弘前城菊」というものがあるかのように読んでしまった(すぐに読みなおしたけど)ことがあった。区切りが分かりづらく、長ったらしい。


菊まつり会場の植物園を後に、公園内を散策。
目立った催しは行われておらず、石垣や市民会館の工事が行われていて通れない箇所が一部ある。
それでも観光客が多く、欧米系外国人も何人も見かけた。県内の三沢から来た人もいるのかもしれないが、やっぱり国際的観光地だ。

そして、弘前公園はやっぱり広い。感覚としては秋田市の千秋公園より少し広いかも。ただし、高さは千秋公園のほうがあって、どっちの公園にしても園内全部を回ると、それなりの体力と時間を要する。
※以下、実際に回った順序とは異なる順で紹介します。定番撮影地点ではあえて撮影しなかった箇所もあります。
園内は紅葉の盛り。弘前公園といえば桜。
西濠の桜のトンネルも紅葉
上の写真は撮影スポットでもある春陽橋。長さ30メートルで公園内で最長の橋とのこと。
 
桜の紅葉といえば、上の写真のように赤~オレンジ色に紅葉するソメイヨシノを連想する人が多いかと思う。

弘前公園内には、シダレザクラも多数ある。この紅葉(黄葉)がとても美しかった。シダレザクラがこんな風に黄葉するとは知らなかった。
 紅葉でなく黄葉ですね
イチョウよりは濃い(あるいは若干赤色が入る?)黄色。葉っぱがソメイヨシノより少し大きいし、枝垂れているからボリューム感があって、見事。園内の至る所で見られた。

2011年末の大雪で折れてしまった「二の丸大枝垂れ」は、だいぶ小さくなったものの元気そう。
黄葉はまだしていなかった

無料入場券を活用して、本丸へ。天守閣にも入ることができる。
天守閣は昔、本丸が無料だった時代から有料だったが、月に1回だか無料開放される日があって入ったことがあった。その時以来、2度目。
全国的に昔から残るお城に入る時は、靴を脱いでスリッパに履き替える所が多いが、弘前城は床面にマットが敷かれていて、土足で入れる。階段が急で天井が低いのはよそと同じ。
 
3階建てのてっぺんには、たまたま誰もおらず、独占した気分。
天守閣からの眺め
紅葉した木々の向こう、正面に岩木山がかすかに見えた。園内の木々に隠れて、街並みはさほど見えない。

本丸西端の蓮池越しに岩木山を望める崖の上
※対岸左側の1本イチョウを覚えておいてください
蓮池は「蓮池濠」とも呼ばれるそうだが、一面に枯れたハスが。秋田の千秋公園外堀のハスも近年特に繁茂しているが、ここも昔はこれほどではなかったような…

北の郭へ移動。内堀と下乗橋(橋の上が天守閣の撮影スポット)、それに天守閣が見える隠れた撮影スポット「館神跡」。
こちらの水面を覆うのはスイレンかな

有料区域を出て、西濠と蓮池の間に挟まれた「西の郭」。ここも公園内ではマイナーな場所だろう。
蓮池のほとり。対岸の上がさっきいた本丸
本丸を見上げる斜面というか崖には、モミジが多いようだ。
本丸から見えた、1本の高いイチョウがあった。冒頭の西濠の写真左側にも写っている。これが西の郭に生えている。
この木
推定樹齢300年以上、幹周り6メートルの雄木。樹高は現地の表示では約32メートル、弘前市みどりの協会ホームページでは15.7メートルと大きく異なる。
※なお、公園内二の丸東門にあるイチョウは樹齢400年、幹周り7メートル超で、弘前市内でいちばん太いイチョウとのこと。
根元は、
根っこ?
この木は元々は土塁に生えていたが、その土塁が壊された時に根が露出してそのままになっているそうだ。イチョウでたまに見られる「気根」とは違い、本当に「根」なわけか。下のほうはまだ黄葉していなかったようだ。
【2014年11月8日追記】陸奥新報によれば、この木は「根上がりイチョウ」と呼ぶのだそうだ。


弘前公園の南西側(市民会館側入口)の斜め向かいにある「藤田記念庭園」へ。初めて入ったけど、生け花の展示会が行われていてやや混んでいたのと、あまり時間もなくてざっと。
弘前出身の実業家で日本商工会議所初代会頭だった藤田謙一という人が、大正時代に作った別荘。庭園や洋館、和館など登録有形文化財が多数残る。2つの町にまたがって高低差を活かした設計になっている。
低い所の日本庭園

高いほうを見る

低いほうを見下ろす
うっすらと岩木山が見えたので、天気が良ければ、素晴らしい眺めなんでしょう。


さて、菊まつりに合わせて、弘前公園周辺では、ひっそりとある催しが行われていた。
弘前市内には、歴史を感じさせる古い建物が多く存在し、現役で使われているものも珍しくない。(新しもの好きの県民性のためか、古い建物をすぐにぶっ壊してしまう秋田とは対照的)
そこで弘前市では、「趣のある建物」指定制度というのを設け、文化財には指定されていないものも含めて、弘前の風情を醸し出している古い建物を紹介する取り組みを行っていて、41件が指定されている。(弘大外国人教師館も指定)

そのうち、弘前公園近隣にあって弘前市が管理し、普段は内部非公開の建物2つが、菊まつり期間中に無料公開された。(さくらまつりの時にも行われたようだ)
1つは、弘前市役所敷地内にある「旧第八師団長官舎」。国登録有形文化財で大正6年築。

少し前まで市役所の裏側にあって、なんとなく目に入った記憶しかなかった建物だけど、いつの間にかお堀沿いのバス通りに面した位置(本庁舎の西隣。間の通路を無料循環バスが通った)に移築されていた。外構工事が行われていて、ちょっと入りづらい。
警備員が配置されていて、靴を脱いで上がる。

この建物、ずっと下白銀町に建っているのだが、その中で場所が3度変わっている。用途も時代とともに変遷している。
元々は今の市役所敷地の北東角、すなわち市役所正面玄関、交差点、循環バス停留所がある広場風の辺りに建てられ、旧陸軍第八師団長官舎として使われた。終戦後5年間は進駐軍の軍政官官舎。
その後、弘前市に払い下げられて、市長公舎に転用。昭和33(1958)年の市役所新庁舎建設に伴い、3分の2を解体した上で、市役所中庭に移築。(いつまで市長公舎だったのかは不明)
そして昨年度、老朽化が激しかったため保存修理を行い、多くの人の目に触れる道路沿いに再移転されたとのこと。
往時の3分の1とはいえ、役目が変わっても建物が残ったのは、弘前の人たちの心意気によるものだろうか。

内部は、当初とは異なり(減築されたのだから当然だけど)、応接室、会議室、8畳の和室×2など。流しやトイレは、おそらく現代のものが使用できる状態で整備されているようだ。
 会議室と和室の縁側
それでも、ちょっと豪華な会議室やサザエさん家みたいな縁側には、充分に歴史を感じさせられる。
※2015年春から、この建物にスターバックスコーヒーが入ることになった。この記事中ほどにて。


もう1つの建物は、弘前公園の北西角・西濠の桜のトンネルの北端。(冒頭の写真を撮影した付近)
何年も前、ここにモダンで味があるけれどボロっちい洋風っぽい建物があるのに気づいた。火の見櫓があるので消防関係の建物のようだが、使われていないよう。いずれ解体される運命なんだろうなと思っていた。
ところが、さすが弘前。その建物が趣のある建物に指定され、見事によみがえった!

今回の公開の資料(財産管理課作成)では「旧紺屋町消防屯所」という名称だが、趣のある建物は「旧弘前市消防団西地区団第四分団消防屯所」で指定(都市政策課管轄)されている。
高さ14.3メートルの火の見櫓付きで昭和8年頃築。地元の名士が寄贈したという。
当時は警察も市の管轄だったため、消防署(消防機械置場)と警察署(派出所)を兼ねた建物で、作家・寺山修司の父も勤務したとか。
左が派出所、右が消防機械置場
派出所としては1982年まで使われ、消防屯所としてはいちおう2004年までは使われて、2008年に町会から市へ寄贈、2011年に補修整備された。
昔の姿を思えば、こんなにきれいになったのがうれしいような、ちょっとよそよそしく思えてしまうような。【18日追記】改修前は屋根はくすんだ小豆色みたいな色だった。それが鮮やかな赤になったのが、外見上のいちばんの相違。
内部は奥のほうに6畳と12畳半(集会室)の和室。
 和室の窓からは、桜並木がよく見える

消防機械置場から。奥が集会室
手前に見えるはしごで火の見櫓へ上がる(上は非公開)。
半鐘は警察のものだったらしい

桜のトンネル側からは、建物裏側=和室の窓が見えるわけだが、洋風な表側と違って、
ぐっと和風
こちらに詰めていた警備会社の方からは、いろいろと説明していただけ、なかなか勉強になった。
だけど、ここでも見学者は僕1人だけ。公園の端っこに背中向きの立地ということはあるにせよ、せっかくの期間限定公開がもったいない。もっと宣伝すれば、もっと人が来てくれるはず。
市役所内で担当課が違うとはいえ、わざわざ期間を合わせてあるのだから菊まつりのパンフや入場券に案内を入れるとか。

盛岡市の紺屋町にも消防詰め所が残っている

なお、弘前市財産管理課の今回の公開についてのホームページでは、師団長官舎のほうは「特別公開」、消防屯所のほうは「一般公開」になっている。公開時間帯の開始と終了が30分ほど前後するのと、受託した警備会社くらいしか違いがなさそうだが、何か意味があっての名称の違いでしょうか?


今回の弘前訪問では、トランジットモール(の無料バス)、大鰐線利用者の特典、そして建物の公開と、おトクで貴重な体験ができた。事前に情報を集めたかいがあったと自画自賛しようとしていたら、ショッキングな情報が。
この日(2日から4日)、重要文化財「弘前城二の丸辰巳櫓」(前回の記事で、菊まつり会場からお堀越しに見えていたもの)の公開も行われていたそうだ!
期間が短いから、これこそ行くべきだったかもしれない。ネット上にはいちおう出てはいたが見落としていたし、公園内に看板がなかったのか、あっても見落としてしまったのだろうか。悔しい。

それにしても、弘前市に限らず秋田市など多くの自治体共通なのだけど、ネット上において市単位の観光情報が、市のホームページ、市関連の観光団体(観光コンベンション協会等)のページ、さらに観光に特化したサイト(弘前感交劇場や秋田市のアキタッチ等)、おまけにツイッターにフェイスブック等々、散逸していて、それらの間で情報が異なる(出ているサイトと出ていないサイトがある)のが困る。一本化するとか、せめて情報を共通化するとかするべきだと思う。
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生活金融公庫跡/中通病院

2013-11-14 23:12:33 | 秋田のいろいろ
今年6月に、千秋公園西側・旭川沿いの道にあった「渡辺整形外科医院」の建物が解体されたことを紹介した。現在は、隣接する既存の駐車場と一体化している。
その駐車場を挟んだ北隣に、かつて国民金融公庫→国民生活金融公庫が入っていた3階建てのビルがある。国民生活金融公庫が移転して空きビルになっていた。
これも古めかしいビルなので、いずれ解体されるのかなと思っていたところ…
南側から。サンクスの看板の所が整形外科跡。奥の低いのがそのビル

看板が設置され、車が停まり、シャッターが上がっている
国民生活金融公庫が名称を変えた「JFC日本政策金融公庫」の掲示板はなぜか今も残るけれど、新しい看板には「すくすくほいくえん」とあり、国民生活金融公庫当時の出入口だったと思われるドアから、子どもたちが出入りしていた。

このビルは、保育園として新たに活用され始めたのだ!
「すくすく保育園」は、いわゆる認可外の保育施設のようで、別の場所からここに移転してきた形。以前あった場所は、
千秋トンネル保戸野側入口の真ん前のビル
たしか、もっと前は反社会的勢力の事務所が入っていて、それが退去した後を改装して保育園になったはず。
すぐ裏が自然豊かな千秋公園という恵まれた環境ではあったが、保育園として使うにはやや手狭に見えたし、中央分離帯があるために実質的に車が片側車線からしか出入りできないのはネックだったはず。
 
看板や飾りの一部はまだ残り、「おしらせ」板には「移転に伴い保育士募集!」のポスターも。ということは、移転後は規模が大きくなったのだろう。
※その後も、建物は空いたままで、看板やおしらせもそのまま。そして2016年秋に解体された。

以前の所在地も、国民生活金融公庫跡も、どちらも町名は千秋矢留町。直線で400メートルほど離れていて、町の端から端へ移動したことになる。
引き続き千秋公園は近い上、車の出入りはしやすくなった。建物も広くなったはずだけど、金融機関の跡を保育園に使うってのは、使い勝手としてはどんなもんなんでしょう。

※翌週、この向かい側ではこんな変化
※保育園が移転した建物も、2017年に解体された。リンク先末尾参照。



さて、今までほとんど取り上げてはいなかったのですが、南通みその町にある、社会医療法人明和会「中通総合病院(通称・中通病院)」の新しい病棟が建設されていた。【15日追記】1994年までは、正式名称が「中通病院」だったそうだ。総合病院としての認定は1984年。【16日さらに追記】だけど、医療法の改正により、法で定められた「総合病院」は1996年に廃止されたそうだ。現在は概念的な呼称に過ぎなくなっているようだ。
いずれ記事にしようと思っていたら、ついに覆いや足場が取れて新病棟が姿を現したので、簡単に紹介しておきます。

現在の病棟の南東側隣接地にあった、公立学校共済組合秋田宿泊所「千秋会館」と旧・秋田市中通児童館の土地を購入または交換して(関連記事)、そこに9階建て(たぶん)で建設されていた。
こんな建物ができました(南東角=旧児童館のあった角から)
秋田市内の他の総合病院は茶系棟の建物が多いし、今は病院以外ではグレー系統やガラスが多用されたビルが多いから、そんな色合いになるのかと思っていたのに、白というかクリーム色というのは意表を突かれた。
窓が大きいのは新しい病院らしいが、外観のぱっと見では今までとそんなに違わなそうで拍子抜けした。
一部は残ることになる既存の病棟や、向かいにある系列の中通健康クリニックと統一する意図や、清潔感を出すためか。

循環バス車内の広告では今年11月に完成と書いてあったが、11月25日に竣工式、25・26日に一般内覧会、29日~12月1日に引っ越して、12月2日から診療開始とのこと。

【26日追記】26日付秋田魁新報 秋田市地域面によれば、地上9階、地下1階、延べ床面積約2万1千平方メートル。4~9階が病棟。病床は現病棟から89床減の450床。
12月からは既存の西棟とS棟の改修を行い、来年4月頃完成。3月頃から中央棟と東棟(正面玄関)を解体し、跡に10月頃までに110台分の駐車場を整備して、すべての工事が終了。総工費約53億円で、うち4億5千万円を県が補助。
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弘前城菊と紅葉まつり

2013-11-13 23:33:48 | 津軽のいろいろ
11月3日の弘前。
秋田デスティネーションキャンペーンは、いちおう青森県の弘前周辺も対象地域なのだが、そんなそぶり(のぼり旗とか)はまったくなかった。でも、観光客が多数歩いていた。これが観光地・弘前の実力か。

弘前駅から、恒例の「弘前城菊と紅葉まつり(10月18日~11月10日)」が行われている弘前公園へ。※以下、「菊まつり」と表記します。
駅からトランジットモールの無料バスでまっすぐ公園へ向かいたいところだが、今回は90度方角が違う、弘南鉄道大鰐線「弘高下」駅へ向かった。そこから電車に乗って1駅、終点の中央弘前駅で下車して公園へ。
まったく無駄な乗車に思われるかもしれないが、この行動にはワケがある。我ながらケチな理由ですが…

菊まつりが行われる弘前城植物園のほか、弘前城の本丸・北の郭、公園向かいの藤田記念庭園はいずれも入園料がかかる。1か所300円、3か所共通券500円。
ところが、菊まつり期間中、弘南鉄道大鰐線を中央弘前駅で下車した人は、これが無料になる!

乗客減少にあえぐ弘南鉄道大鰐線の利用促進につなげようと、弘前市が行っている事業で、今年のさくらまつり期間中に次いで実施されたはず。
対象になる列車(夕方以降は対象外)を中央弘前駅で降りれば誰でも対象になり、乗車駅やきっぷの種類は不問。ちなみに中央弘前までの運賃は大鰐から420円、初乗り運賃の弘前学院大前や弘高下からは200円。
僕は、JRも弘南鉄道も利用できる秋田デスティネーションキャンペーンの企画乗車券「秋田・津軽由遊パス」を使ったので、弘南鉄道に対して直接は運賃を払っていない。ちょっと申し訳ない気もするけれど、ありがたく利用させていただいた。

弘高下駅からは他に3人乗車。祝日のお昼ということもあるのか、車内はわりとお客がいた。
8月に登場した、リバイバルカラーの車両だった。車内は特に変化なし
この3連休は、沿線の東奥義塾高校を会場に大鰐線利用を条件とした青山テルマのライブが行われたり、大鰐の温泉施設入場料と往復運賃をセットにした「さっパス(上の写真の電車にヘッドマークが付いている)」に発売額以上の買い物券を付けた特別版が発売されたりと、いろいろ行われていた。一部では臨時列車が運行されるという情報もあったが、駅に張り紙などはなかったような…

弘前公園の入場無料には、中央弘前駅で乗車証明書をもらう必要がある。改札手前のケースにささっていて各自持っていく方式だった。
僕の直前の人が取ってなくなってしまったので駅員さんに言うと、事務所から補充用の束を持ってきて1枚手渡してくれた。乗車証明書には日付と通し番号が振られていて「31」だったので、この日31人目ということだろうか。
当日限り、1枚につき1名有効
※この後、2015年春からは、金融機関窓口の番号札方式の自動発行に改められた。

以前の記事の通り、中土手町から無料循環バスで市役所まで行って、弘前公園へ。
追手門周辺の桜も紅葉。今年は台風の影響で水の流れが良くなかったらしく、お堀には落ち葉とウキクサが漂う
3施設のどれかで乗車証明書を渡せば、引き換えに専用の入場券をくれ、他の施設ではそれを提示して入場する仕組み。
ラッセル君とたか丸くん(なぜか「交通安全」ののぼりを背負う)

さっそく弘前城植物園へ。植物園へ入るのは2度目で秋は初めて。
弘前の菊まつりは、以前は植物園の外の公園内全体で開催されていたというが、いずれにしても見るのは初めて。弘前以外の菊まつりの類は、秋田県の横手のを見たことがあるくらいか。
植物園内はたくさんの人が来ていた。今年は期間中39万4000人が訪れ、昨年より10万4000人増。
まずは、目玉の1つらしい、
「菊船」。後ろは「二の丸辰巳櫓」
モミジも見えて秋らしい。

お堀に菊人形を乗せた船を浮かべ、それを足場を組んだ展望台から眺める趣向。

会場内では他に、

毎年恒例なんだろうか「菊の五重塔」と「菊の岩木山」。
 「卍」は弘前市章
岩木山の前にはステージがあり、ライブやショー(おなじみ黒石八郎さんも)が行われる。



しゃもじみたいな形に仕立ててたくさん花が付いているが、1つの株からしゃもじ1つなんでしょう。
【17日追記】17日放送の「パネルクイズアタック25」でこの仕立て方の名称を問う問題が出た。「懸崖作り(けんがいづくり)」という名だそう。(いずれも30歳代の回答者は誰もボタンを押さなかった)
「前垂れ型」や「静岡型」があるそうで、弘前のは前垂れ型?

大河ドラマ「八重の桜」のシーンを再現した菊人形

キリン・象・パンダ・恐竜?
象は菊でできていて、徐々に咲いているが、他は単なる置物のようだ。

個人的には、菊の花はきれいだと思うけれど、(弘前に限らず)菊まつりは菊ばっかりで飽きてしまう。
さらに、菊人形というヤツは「人形の衣装を菊の花にした」ということであり、どうしてそんなことをするのかいまいち理解できなし、各地で揃ってNHKの大河ドラマを題材にするのも個性がない。育てるのに苦労が多く丹精が込められているのは分かっているし、タダで入らせてもらって恐縮ですが。


菊まつりの関連イベントとして、「ちびっこ新幹線」が園内の一部の特設線路を運行していた。
 ホームにはミニチュアの昔の弘前駅舎がある
1周するので「駅」は1つだけのはずで「菊まつり駅」という駅名。でも、駅名標の隣の駅は「雪燈籠まつり」と「ねぷたまつり」。ということは、「さくらまつり」駅もあるのかな?
JR東日本秋田支社のロゴ入りで、E5系とE6系の写真入りの看板も(運行本数などちゃっかり宣伝もしている)。JR公認ということなら、本物そっくりの新幹線が走っているのかと期待するが…
なんていうか…
先頭の1両は色はたしかにE6系だが、昔の東海道新幹線100系みたいな形。後ろの客席部分の車両に至っては、白に青のラインが入っていて、似せようとした形跡さえ感じられない。


植物園内には菊まつりの会場になっていない部分も多く、そちらは静かな秋の光景(写真は割愛)。
植物園内にもハス池があった
菊まつり駅の“駅前”には、クジャクがいて、その前に
大きなプラタナス
こんな太いプラタナスは初めて見た。2本あって写真は「モミジバスズカケノキ」、奥にあるもう1本も同じくらいの大きさ・太さだけど「スズカケノキ」と別種の表示があった。(モミジバ~は、スズカケノキとアメリカスズカケノキの雑種)
両者は葉の切れ込みの深さで識別できるとのことだが、木にまだ残っていた葉を見ても、違いはよく分からなかった。


以前も紹介した、花時計。
「観覧記念」のパネルの上は、木が「ひろ卍さき」に刈り込まれている
この花時計、植物園が開園した1983年以降の設置だとばかり思っていたが、銘板を見ると
「1975年4月」
38年も前だった。

庁舎建て替えのため一時撤去中の秋田市役所の花時計は1980年7月なので、それよりも5年古い。
秋田市役所のも、SEIKO製、直径4メートルで弘前のと同じだと思われるが、文字盤や針のデザイン(針は色違い?)は異なる。

以上、植物園の模様でした。弘前公園内の他の場所については、また後日
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弘南バス近況

2013-11-12 23:59:38 | 津軽のいろいろ
今回の弘前訪問で見た、弘南バスあれこれ。
●さくらまんかいバス
今の弘前大学には公共交通に関するサークルがあるそうで、弘南バスや弘前市とも良好な関係にあるようだ。
その一環で、10月26~27日に行われた弘前大学総合文化祭(いわゆる大学祭)において、弘南バスの車体に来場者が桜の花をペイントする催しが行われた。
その車両は「さくらまんかいバス」というらしいが、29日から土手町循環100円バスで運行が始まった。
さくらまんかいバス
思ったより色が地味な桜。
色ムラや垂れた線があるのは、手がきならでは
使われた車両は弘前営業所の「50121-2」で、なかなかの珍車。
平成元年式の日野製の車両の中で21台目に導入されたことになり、「青森200 か77」というナンバーからしても中古車なのは確実。以前は、あまりきれいでないというかまとまりがないといった感じの子どもたちが描いた絵がペイントされていた。
ヘッドライトが四角い「レインボーRJ」で、窓がスライド式、座席が全部2人掛けという、自家用っぽい仕様。弘南バスではこういう中古車も好んで(というかこだわらずに)導入する傾向がある。
でも、吊手(つり革)がぶら下がっているのは路線バスっぽいし、座席の背もたれがやや低い気もする。
どういう経歴の車なんだろう


●本格的ラッピング広告
弘南バスでもラッピング広告バスはあるにはあるが、あまり多くないし、デザインとか貼り方の技術的にはイマイチのように感じていた。
ところが、
こんなラッピング
「國學院大學」がスポンサーのラッピングバスがあった。
窓の上や中ドアも含めてドア側側面のボディ全部にラッピングされており、後部も同じ。運転席側は未確認。弘南バスでこれほど本格的なラッピング車両は初めて見た。
國學院大學では、全国のいくつかの地方都市でラッピングバスを走らせているようだが、秋田ではやっていない。

そして、この車両は「52406-5」。昨年導入された車両で藤代車庫所属。
さらに、先月、NHKBSの「にっぽん縦断 こころ旅」で火野正平さんが乗った(秋田県のカテゴリーとジャンルにしていましたがこの記事参照)、五所川原の「52405-3」の続き番号(ハイフンより前の数字が導入順を示すので)の車両ということになる。
昨年、弘南バスは少なくとも6台も日野レインボー2を買ったのか。
【13日追記】弘南バスで台数が多い、いすゞエルガミオと共通車種の「レインボー2」だが、ラッピングされるのは、この車が初めてのはず。
一般的には、ラッピングされる車両は、シール貼付によって塗装が傷むことを見越してなのか、ある程度の経年車両のことが多いと思う。このようにピカピカの新車にラッピングしてしまうのは、それだけ弘南バスにラッピングについてのノウハウがないということなのかもしれない。


●怪しい色
弘南バスにはこんなバスがある。
「51301-9」
和徳車庫の中型バスの1台で、側面と後部の窓より上が、紫色になっているのだ。下は一般塗装で、前はごく普通。
いきなりこれを見たら、どうしてこんな奇妙な色あいなのか分からないのではないだろうか。

実はこの車、以前はラッピング広告が施されていた(携帯電話か何かだったような?)。その広告期間が終了して、下半分は剥がされたが、上はなぜかラッピング広告時代のまま今に至っているというわけ。
もしかしてシールを貼るラッピングではなく、車体に直接塗装してしまったのだろうか。こういう点からも、弘南バスのラッピング広告への不慣れさが見て取れる。

【追記】2018年9月時点でもこのまま紫色が残っている。


●弘南トラック?

弘前バスターミナル隣のイトーヨーカドーの納品口みたいな所に、ゴミ収集車が停まっているのをよく見かける。上の写真では、奥にその収集車が写っている。
収集車は、弘南バスと同じようなベージュ色の車体で、さらに小さいながら「K」をモチーフにした弘南バスと同じロゴまで入っている。
手前のトラックにもロゴがあり、どちらもドアのロゴには「KONAN BUS」ではなく「(株)産交」と添えられている。

つまり、弘南バスのグループ企業の一員の車両。グループにはタクシー会社や不動産会社もあったかと思うが、「産交」はビル総合管理業。(弘南鉄道は、グループには属さない)
イトーヨーカドー弘前店は元々は弘南バスの所有物件だったこともあって、今もそのよしみで産交が管理しているのだろうか。産交は、青森、八戸、五所川原、岩手県の花巻に拠点があるそうだが、全部イトーヨーカドーがある町だ。

上の青いトラックは、日産ディーゼル(現・UDトラックス)製。
弘南バスは日産ディーゼルとは取り引きがないが、グループ内他社では取り引きがあるのか。日産ディーゼルと「K」ロゴの組み合わせは貴重かもしれない。
※別のグループ会社についてはこの記事中ほど

※弘南バスの続きの記事はこちら(特に後半)
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河川管理用通路

2013-11-11 23:57:02 | 秋田の地理
河川に沿って、車が通れないけれど歩行者や自転車は自由に通行できる道がついていることがある。秋田市中心部に近い旭川でも、部分的にそのような道がある。
(再掲)こんなの
道路標識や積雪時の除雪はないものの、この道に面して建っている家も少々ある。これって、公道の一種なのか、それとも河川に付属するものなのか、前から不思議だった。
国土交通省の資料によれば、「河川管理用通路」というものがあり、「河川巡視、水防活動や災害復旧工事のための通行のために設けられた、堤防の天端(てんば)上の通路です。」。散策路や道路交通法上の(本当の)道路として兼用して使うこともできるらしく、旭川のも該当しそう。

そんな道(通路)の1つが、楢山登町の刈穂橋東詰から北(上流)へ向かって県道28号線にぶつかるまで約200メートルの区間。製氷店の裏側。
Googleマップ航空写真より。下の赤い線がその道(対岸の赤い線も同じような道)
新国道・旭南方面あるいはイオン秋田中央店や東部ガスの裏側と有楽町・秋田駅方向を行き来する際、県道の歩道を通ると少し遠回りになるので、この川沿いの道を通る歩行者や自転車が多い。
刈穂橋たもとから上流方向へ伸びる通路

雪が多く積もっていた今年1月21日の23時50分頃、楢山登町でこんな出来事があった。(参考:1月23日付秋田魁新報)
「人が川に落ちた」との通報があり、消防が出動。はしごを使って救出し、落ちた男性は無傷だったという。
落ちた人は「旭川沿いの県河川管理用道路(幅約3メートル)を歩いていたとみられ、誤って川に転落した可能性もある。」
道路には高さ約1メートルの柵があるものの「当時、柵の周辺には70センチほどの高さまで雪が積み上げられていた。」
「道路を管理する県秋田地域振興局建設部は「生活道路としての利用は想定しておらず、除雪はしていない。今後も除雪の予定はないため、通行する際は十分に注意してほしい」と呼び掛けている。」
※旭川は一級河川だが、国から県に河川の管理が委託されているらしい。また、新聞記事では「県河川管理用“道路”」としているが、冒頭の通り「通路」が適切だろう。

具体的な場所は不明だが、条件に一致するのは、刈穂橋から県道までの区間しかない。(対岸は旭南だし、刈穂橋から下流側は秋田市管理の公道のはず)
※以下の積雪期の写真は今年2月中旬撮影。雪の状態が分かりやすいよう、画像を暗めにしています。
ここから落ちたのか?
転落事故の後の今年2月中旬でも、報道の通り除雪はされておらず、雪が積もっていた。そこに足跡が付いていて、こんな状態でも歩いている人がいたようだ。注意書きなどはなかった。
 柵すれすれ近くまで積雪
すぐ近くに、ロードヒーティングが設置された歩道のある安全に通れる県道があるのだから、そちらを歩けばいい話。無理してこんな所を歩くほうが悪いし、ここを除雪しろと言うつもりはない。
だけど、魁に対する県の「生活道路としての利用は想定しておらず、除雪はしていない。今後も除雪の予定はないため、通行する際は十分に注意してほしい」というコメントはおかしいと思う。(新聞記者の文章能力のためかもしれませんが)
「生活道路としての利用は想定しておらず」「今後も除雪の予定はない」と本来歩く場所ではないと匂わせるように言っておきながら、「通行する際は十分に注意してほしい」と歩くことを容認する発言をしていて、矛盾する。
また、出入口(公道との接続部)に特に掲示や柵などはなく、歩行者・自転車ならば道路の延長だと認識して進入するのが当然の構造になっている。管理者は「生活道路としての利用は想定しておらず」でも、通行人は「生活道路だと思っている」のだ。
今回落っこちた人が無傷だったからいいものの、仮に死傷してしまったとしても、秋田県は同じコメントを出せるだろうか。

転落事故が発生してしまい、しかも管理者としては一般人が歩くことを想定していないのならば、せめて積雪期だけでも通行止めにするなり「危ないよ」という掲示でも出しておくなりするべきではないだろうか。
繰り返しますが、あの量の積雪の道を通るほうが悪いとは思うけれど。


さて、この通路と県道はY字に交わるので、そこには三角形の土地がある。そこは、
「旭川楢山登町河川公園 秋田県」
「河川“公園”」というには大げさで看板が妙に立派だけど、いくつかの木が植えられ、ベンチが置かれている。
そのメインは藤棚なのだけど、少なくともここ2~3年、花が咲いていない。
通路(川)側から藤棚
剪定されておらず、伸び放題。
 
県道側にも蔓が伸びているし、藤棚の中のベンチは隔絶感を味わえそう。
「こぶ病」が発生している
もうちょっと手をかけてやってもいいようにも感じるが、県当局はこうした現状を把握しているのでしょうか…

【13日追記】掲載した藤棚の写真は、少し前に撮影。12日に改めて見てみると、以前よりは少しすっきりしたように見えた。落葉によるものだけでなく、少し剪定されたようだ。ただ、「こぶ」は一部がまだ残っていて、これでは不完全。(こぶ病の対処は、発生箇所を切除して、消毒すること)
【20日追記】フジについては、このままではかわいそうだし、周辺の樹木へ伝染させてしまう恐れもあると思い、県へ連絡した。すると、その週のうちに、コブの完全除去と消毒作業を行ってくれた(この記事後半)。元気にはなってくれるだろうか。
【2015年5月25日追記】その後、2014年春と2015年春に、多少花が咲いた。相変わらず葉は旺盛に繁茂していた。
ところが、2015年5月20日頃、この河川公園の藤棚を含むすべてのものが撤去、更地になり、25日までにはアスファルト舗装されて道路の一部のようになってしまった。河川公園自体がなくなってしまった
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千秋トンネル点検

2013-11-10 23:53:47 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部・千秋公園の下を通る「千秋トンネル」。※以前の記事
紅葉と落ち葉の手形側

今夏は中が真っ暗にされてしまい、歩行者としては危険に感じたので、もう少し明るくないと安全に通行できないのではないかと秋田市へ要望を伝えた。それを受けて対応してくれたのか、単に夏の節電が終わったからなのかは分からないが、現在は適度に照明が点灯している。
9月下旬には両端出入口、左右両側(計4か所)にこんな表示が設置された。
「トンネル内の照明が消える事があります。」
「歩行者は通行に注意して下さい。」って…
照明が消えている時に事故・事件が発生した場合に備えた、責任逃れのような気がしなくもない。


ここから本題。10月28日から11月8日にかけて、夜間に車道を通行止めにして点検が実施された。(歩道は通行可)
現地周辺の立て看板
車道は、県道28号線と交わる手形陸橋近くの丁字路(もしくはもう1つトンネル寄りの小さい十字路かも?)から鷹匠橋東詰(昔ケーキのジローがあった所)までが、近隣住民以外通行止めになった模様。これほど大規模な点検は、少なくともここ数年はなかったのではないだろうか。


さて、ここで問題です。
千秋トンネルの内部には、上下の車線を隔てるように、たくさんの柱が密に並んでいます。その柱の本数は、全部で何本あるでしょうか?
いくらなんでも数えるほど物好きではないですが、今回の点検によって、その答えが明らかになった!

遅くとも点検が始まって2~3日経った段階で、柱の数が誰でも分かる状態になっていた。
点検期間中の千秋トンネルへ
※トンネル内の写真はフラッシュをたいていますが、車両が通行しないタイミングで撮影しています。もちろん歩道部分から。
 
分かるでしょうか、それぞれの柱に、保戸野側から順に「P1」、「P2」…とチョークで番号が振られていた。
写真を見て気づいたのだけど、千秋トンネルの柱って、全部手形側に向かってわずかに傾いているように見える。それは錯覚で、トンネル内の道は、わずかに手形側のほうが高い坂になっているから、道路のほうが傾斜しているということだろうか。

チョークで書かれているのは、柱の番号だけではない。線や文字がたくさん記されている。
 この非常ボタンは作動するのだろうか?
柱以外にも、
天井にも!(ちょっと気持ち悪い)
おそらく、部分的な剥がれやヒビ、変色・変質した部分をすべて洗い出して示しているのだろう。これが今回の点検の目的だったようだ。

素人目には、例えば大規模で危険な崩落などにはつながりそうにもない、ただ水で濡れたような色の違いにしか見えないものでも、専門家が見ればそれぞれの原因や将来的にどんな影響があるか分かるのだろう。(“心霊スポットの専門家”には「魂(?)がこすれた跡」に見えるものもあるみたいだが…)
できてから約35年経つし、こうやって安全を確保しているのだと思えば、心強くて安心できる。
今のところ、チョークはそのまま残っている。近いうちに対処が必要なものは修理したりするのだろうか。


で、柱の本数の正解ですが。
手形側出口

いろいろ書いてあるけど「P95」
ということで、正解は95本でした。

外側にもチョークで印が
自転車も自動車も、通行時はライト点灯をお願いしますよ。
【2014年3月28日追記】2014年3月下旬時点でも、チョークはそのまま残っている。
※2014年度に改修工事が実施されることになった。その時までチョークは残るのだろう。→2015年度に本格的な改修工事が実施された。
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