広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

9月終わりの田んぼと虹

2012-09-30 20:25:16 | 秋田の季節・風景
さすがに猛暑は収まったけれど、最高気温25度前後でまだ平年より高い気温が続いている。
でも、もう9月も終わり。

田んぼは黄金色になり、稲刈りが進んでいる。

先週末の段階で、進捗は半分くらいだろうか。


秋らしく、天気は変わりやすくなった。雨上がりには、
大きな虹がかかった

千秋公園の御隅櫓と虹
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循環バス/マックスバリュ泉

2012-09-28 20:54:42 | 秋田のいろいろ
受け売りで恐縮ですが、今日の秋田魁新報から2つの話題。

●市街地循環バス ※直近の記事はこちら
25面秋田市地域面の「乗客、1本平均6.2人/市街地循環バス 運行2カ月/市「一定の需要ある」 利用者「周知不足」と指摘も」という記事。
7月下旬に秋田市による試験運行が始まった、秋田市中心市街地循環バスの21日までの利用状況について。それによれば、
「21日までに約8100人、1日平均約130人が利用」
「バス1本当たりは6.2人で損益分岐点とされる11.6人を下回っている」
乗客アンケート(1週間で900人に実施。13項目。僕も回答しました)の結果からは「(既存路線バスのない)南通から乗り降りする人が目立った」「なかいち周辺で催しのある週末は、特に利用率が高かった」
アンケートは2か月ごとに実施(この後は10月と来年2月)。ほかに10月からは秋田駅周辺の公共施設にアンケート用紙を置くとのこと。

所管する秋田市都市整備部まちづくり整備室は「一定の需要がある」としている。
(魁が取材した)利用者からは好意的な意見・感想が多いが、「(一般路線バスと車両なので)違いが分かりにくい」「(沿線でも存在を知らない人がいるので)周知不足なのでは」との指摘も。
※「周知不足」を指摘した利用者などは、住所・職業・性別・年齢が明らかになっているのに、「違いが分かりにくい」と指摘したのは「利用者もいる」だけ。


総じて、予想通りというか、具体的な利用者数や損益分岐点が判明した以外は、僕が以前から感じていたり指摘していたのと違わなかった。

ところで、損益分岐点は、単純に計算すれば100円×11.6人=1160円が1運行当たりの経費だろうか?
距離・所要時間や道路状態、車両サイズにもよるのだろうが、弘前市内の循環100円バス各路線(この記事この記事参照)も同じ程度だと仮定してもよさそう。
とすれば、土手町循環や城東循環は、常時10人はお客がいて、それを越えることも珍しくないから、充分儲かっているのだろう。一方で、大幅減便された「ためのぶ号(ねぷた村・りんご公園方面)」は、5人も乗っていれば多いほうだから、赤字だったのだろう。


個人的な感想。(新聞記事や当ブログの過去の記事と重複するものもあります)
・南大通りへの足として重要。特に高齢者は助かっていると思われる。新たな需要の掘り起こしにもなっていると思うので、なんとかして(循環とか100円とかは別にして、南大通りを通るバスとしては)残すべきだと思う。
・乳幼児とお母さん、小さい子どもがいる家族連れの利用を何度か見かけた。通常ならバスはあまり利用しないのではないかと思われる人たち。
大人100円、(試験運行のためか)小学生が無料という気軽さが功を奏しているのかもしれないが、この点をさらに活かして、今までバスに乗らなかった人を呼び込めないだろうか。
・観光客の利用も比較的多い。
例えば沿線のビジネスホテルを考慮したルートにするとか、ホテルの宿泊プランに無料乗車券をつけてもらうとか、連携もできそう。
・連携という店では、沿線の商店で買い物した人に帰りの分の無料乗車券を配ることもできそう。
・8100人が利用したというが、既存路線バスから流れてきた客と、まったくの新規の客がいるはず。その割合はどうなんだろう。既存路線バスとのすみ分け(特に重複区間)ができているだろうか。

※続きはこちら(来年度の運行継続決定)

●マックスバリュ泉店(仮称)
何度か紹介した、秋田市泉地区に今年7月にできるはずだった、マックスバリュ東北の「泉店(仮称)」
着工する気配すらなく、近くの外旭川地区に系列のイオンタウンがショッピングモールを建設する話が出てきたので、どうなっているのかと思っていた。

今日の4面経済面に「マックスバリュ東北 能代に新店舗出店へ/秋田市泉は来春以降に」という記事があった。
27日に開かれた、決算説明会での質問に答えて明らかになったようだ。
大見出しの能代市の店のことはここでは触れないとして、問題の泉店。
まず、「(泉店出店は)来年2月までを予定していた」そうで、いつの間にか来年2月完成に延期されていた。
でも、それも「「社内の調整などで今期は出店しない」とし、来期(13年3月~14年2月)以降とする方針を示した。」

じゃあ、結局いつなんだ?
やっぱり外旭川の件が絡んでいるのか? ※その後の動き(というか動かないけど)
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市営バス方向幕・横編

2012-09-26 19:51:45 | 秋田市営バス
秋田市営バスの行き先表示(方向幕)。前面に続いて、中ドア付近にある側面の表示器編。
※ここでは、共通の仕様で使われていた中型バス・大型バスの表示器について取り上げています。小型バスについてはまた別なので。

前面の表示器が小さかった頃の車両は、側面の表示器も小型(横長)で、ドアの上部に飛び出すように付いていた車両が多かったはず。内容は、当初は正面・後部と同じ内容だったかと思う(あまり記憶にないのですが…)。
【10月27日訂正】小型表示器だった当時の写真(昭和40年代など)を見ると、既に側面には複数の経由地を表示していることが確認できたので、訂正します。(ただし、矢印で結んでいたか、上り下りで内容が異なっていたか等詳細は不明)
1980年代に正面の表示が大きくなって以降は、側面の表示器も縦方向が倍ほどに拡大され、中ドアの右側に設置されるようになった。
(再掲)ドアの右に大きな行き先表示
表示内容も大きく変わり、始発といくつかの経由地と終点を順に左から右へ縦書きで並べて矢印で結んだものとなり、分かりやすく・見やすくなった。
秋田駅発交通局行きの場合、下の画像のような感じだったと記憶している。
※当初の側面表示のイメージ(書体、表示される地名等は実際と異なります)

そして、おそらく1988年頃、前と後ろの表示内容が見直され、旧型表示器と新型間で統一されたわけだが、その時に側面の表示も見直された。
駅発交通局線(記事冒頭の写真の再掲)
以前の大型表示器からの変更点は、「◯◯経由」と左端に主要経由地を示して枠で囲んだこと、始発の停留所名(上の交通局線では「秋田駅」)を表示しなくなったこと。

これにより、まず、終点が同じで経由地が違うものが識別しやすくなった。現在のLED式表示器でも、上部に横書きで経由地などを表示できるようになっているので、それに通じる思想ではないだろうか。
そして、考えてみれば、始発停留所名を経由地・行き先表示に示すことは意味がないことであり、それを省いて、他の経由地を表示するスペースをより多く確保できるわけで、合理的。また、新国道経由飯島北行きのように、始発点が複数ある(秋田駅、新屋案内所、新屋高校、南高校、商業高校)場合、従来はそれぞれにコマを作成しなければならなかったが、始発を表示しない新表示では中央郵便局前以降のバス停を矢印で結ぶことによって1つのコマを共通で使えるようになったはずで、コマ数の節約もできたと思われる。
この表示は、旧来の小型幕の車両にもセットされ(もちろん文字は小さい)たし、交通局最終日まで使われた。

なお、秋田中央交通では、市営バスに触発されたのか、ごく一時期(昭和50年代後半?)の導入車両において大型表示器・矢印表示を採用していたものの、基本的には小型幕で正面・後部と同じ内容を表示していた。
矢印表示が本格的に登場するのは、市営バスの移管が始まった2000年代から(ただし新車でも小型表示器)、表示器のサイズが大きくなるのはLED化されるまで待たなければならなかった。
小型の幕の跡に大型のLEDを設置することは難しいため、中央交通で途中でLED化された車両は強引な取り付け方(前のほうに取り付けられたり、窓枠や戸袋窓と重なるなど)がされた車両もある。


話を戻して市営バスの経由地を枠で囲った側面表示には、前面と同じく、微妙に違う2つのタイプが存在した。
新屋西線のノーマルな秋田駅行き(前と後ろは「県庁市役所 秋田駅」)で比較。
266号車(2002年4月)

231号車(2001年3月)
欲を言えば、県営住宅経由と区別できるように「栗田神社前」などを入れるべきだと思うが、作成時期や書き換え費用を考えると、仕方ないのか。

どちらも、書いてあることは同じ。違いはお分かりでしょうか?

まず、「県庁」と「市役所」の間の「・」の有無。これは県庁を通る系統だけで見られる違い。
そして、「川尻」と「秋田駅」の文字の形が違う。266号車では正方形(正体)なのに対し、231号車では縦長(長体)になっている。枠の中の「経由」だけはどちらも縦長。
前面の青い文字で2文字の経由地の文字が横長(平体)だったのと同じような現象だ。

他のコマでも、
291号車の西口発明田経由桜ガ丘行き。1文字から4文字まで揃う(2002年4月)
縦長になる表示では、3文字以下が縦長で、4文字だと正方形となるようだ。
したがって、側面では[「経由」以外の文字がすべて正方形][矢印間の3文字以下が縦長]の2種類があったことになる。
前面同様、縦長文字があるほうが新しい幕かと思う(これについては根拠があります。後日紹介します→続きの記事の「朝日町」参照)が、使い回しなどが行われていたようで、車両の新旧などとの法則性はなかったようだ。

ちなみに、上の西口発桜ガ丘線では枠の中に「秋田駅経由」とある。これは、本来は交通局始発で駅に立ち寄るつもりで作成したのだろう。
このような、他所始発が前提で「秋田駅経由」とあるコマを秋田駅始発の系統にも流用する例は、手形山団地線などでも見られた。(一方で、県庁経由交通局線は、駅始発とそうでない駅経由のコマが両方用意されていた)



5文字以上の場合。
256号車の商業高校経由割山行き。縦長文字あり(2002年3月)
縦長文字があるほうの経由地の枠内の「商業高校」は4文字でも縦長になるようだ。5文字の「免許センター」は扁平な文字。

次の2つの正方形だけの表示は、「秋田八丈」塗装のワンロマ車で2002年3月撮影。(回転途中を撮影したのでズレています)
とてもレアな系統
今は完全に廃止された「県庁・茨島経由御野場団地線」というのがあり、その中に「山王新町経由」という系統があった。山王新町経由は移管前の1995年春に廃止されており、撮影当時で既に使っていないコマだったことになる。
少なくとも1988年度以降は、上り片道だけで、御野場→南高校前→卸センター入口→茨島→山王新町→県立体育館→県庁→秋田駅という経路。要は13号線をずっと走り、臨海十字路の手前で曲がって山王大通りに出る。
平日に1本だけの運行で、御野場発が朝の10時頃で、いまいち存在意義が分からない系統だった。

側面表示は、山王大通り以降のバス停が表示されていて、末端に偏っていて、分かりにくい。「茨島」くらいあってもよかったのではないだろうか。

文字は、枠内の「山王新町」が4文字だけど正方形、しかも小さい。「県庁・市役所」は扁平。

これは今もあります
イオン秋田中央店(当時は秋田サティ、バス停名は「若草団地前」)前を通る「有楽町・柳原経由御野場団地線」。
枠内の「有楽町・柳原」は正方形。矢印間の「卸センター入口」「牛島駅入口」は扁平。

ちなみに逆方向の縦長版。
294号車(2002年3月撮影)
この表示は、イオン秋田中央店前以降が同ルートとなる、卸センター経由新屋線の上りと兼用できる。

ということで、以上が側面幕の概要でした。
まだ続きがありまして、さらにマニアックな話になります。
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オープンキャンパスは誰のもの

2012-09-25 23:20:33 | 秋田のいろいろ
秋田魁新報2面の社説が掲載される位置は、月曜日は秋田県に関係した各界の人物による「月曜論壇」という欄になる。
9月24日は、1938年秋田市出身でフィデアホールディングス取締役会議長、北都銀行会長の町田睿(さとる)氏が「高等教育の課題」というタイトルで執筆。
※山形の荘内銀行と秋田の北都銀行が経営統合し、その持株会社がフィデアホールディングス

町田氏はこの4月から、山形県庄内地方(本部は酒田市)にある東北公益文科大学の学長に就任したという。
論壇ではそれに関連して、これからの高等教育はコミュニケーション能力が必要だという方向で話が進んでいた。
その中で町田氏は、「少子高齢化がますます加速する中で、子どもはますます手厚く保護され甘やかされて」「卒業式も本人たちの数よりも保護者たちのほうが多いのは珍しくない」などと、要は今の学生は保護者が面倒を見すぎている、過保護だと言っている。


中盤では、東北公益文科大学ではオープンキャンパスを頻繁に行なって大学のPRに努めていることを述べている。
そこでは、「オープンキャンパス」という言葉について、カッコ内で解説してくれている。

オープンキャンパスが始まったのは、ここ10年ちょっとの間(僕の頃は一般的ではなかったし、あっても「体験入学」と言っていたはず)だから、知らない人も多いだろう。町田氏の配慮か、魁側が気を利かせて注釈を入れたのか。
それを引用すると「高校の進学担当教員や保護者を招き、大学構内の施設案内やカリキュラム、奨学金制度、就職状況などを説明する催し」だそうだ。

これって、ちょっと違いません?
「高校の進学担当教員や保護者を招き」という部分が、引っかかる。「受験者本人」が抜けているのではないでしょうかね?

個人的には、オープンキャンパスは「その大学への受験・入学を希望したり検討候補に入れている生徒(受験予定者)、及びその保護者、教員に対し、大学を開放・公開して見てもらう催し」だと、考える。
模擬授業や先輩による案内や相談、学食利用などが実施されることが多いが、それらを親や先生が体験したって、意味がない。

保護者や教員向けに説明をするだけなら、それは「保護者・教員向け大学説明会」に過ぎないのではないだろうか。(オープンキャンパスの催しの1つとして、内包して開催されるならそれはそれでいいけれど)
もちろん、進学先を決めるに当たっては、保護者の意見や同意は必要だし、教員の助言も有効だろう。でも、高校生なんだから本人の意志・意向や大学との相性だってとても重要だ。
オープンキャンパスとは、受験生・進学希望者本人向けであることが第一のイベントではないだろうか。
また、実際に、子どもだけでオープンキャンパスに参加するケースも多いと聞く。


町田氏(あるいは町田氏が学長を務める大学)は、論壇の末尾では「今の学生は過保護だ」と言っておきながら、大学のオープンキャンパスに子どもは来なくていい、保護者が来て判断して過保護に受験・入学させればいいと思っているのだろうか。


東北公益文科大学のオープンキャンパスについてのホームページを見ると、

オープンキャンパスの参加対象は「高校生、保護者、高校教員」または「どなたでも」となっている。
少なくとも大学側では、受験予定者に来てほしいと考えているようだ。安心した。
学長さんの思い込みか、注釈文の間違い(配慮・思慮の不足)だと思われる。


重箱の隅をつつくような揚げ足取りで申しわけないのですが、企業や団体はお客・利用者のことを第一に考えてほしいし、教育機関(学校)はそこに通う人のことを忘れず、その人たちの立場になって、業務にあたってほしい。このような直接関係のない、些細なことであっても。
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市営バス方向幕・前編

2012-09-24 22:46:04 | 秋田市営バス
先日の記事で、秋田市営バスの液晶式の行き先表示器の話が出たので、関連して市営バスの行き先表示(方向幕)について。
前置きしますが、とてもマニアックです。しかも何度かに分けてアップしますので、物好きな方だけ、どうぞお付き合いください。
今回は車両正面上部の表示について。※タイトルの「前編」は「ぜん編」ではなく「(車両の)まえ編」という意味です。

最初に、行き先表示の変遷。
市営バスに限らず、大昔のバスの行き先表示は、紙や布などに行き先を書いたものを掲出していたようで、大昔の秋田市営バスの写真を見ても、毛筆で「新屋行」などとなっているのが確認できる。
その後、経由地がカッコ書きされた看板屋さんが書くような手書き文字になるなど変遷したようだ。

僕が記憶にある、昭和50年代中頃には、フイルムに印字したものをモーターで回転させて、目的のコマで止めるもの(方向幕としては完成型)が市営バスのすべての車両に設置されていたかと思う。夜間は内側(フイルムの裏側)から蛍光灯が点灯する。
しかし、昭和50年代中頃の車両は、表示スペース自体は現在のLEDより狭く(小型で)、こんな感じの表示だった。
イメージです ※書体は異なります
細身で扁平な書体、秋田駅前(当時は西口しかなかった)行きは「秋田駅前」と表示、経由地は下段にカッコ書きで緑色文字で表示、といった特徴があった。

その後、1981年からの冷房車導入と前後して、新車の行き先表示器に現在のLEDと同じサイズの大型のものが採用された。
(たしか1980年の一部車両あたりから大型化されたので「行き先表示は大きいけれど、冷房がない」という車両が何台か存在したはず)
大型表示器の車両では、太めの丸ゴシック体、秋田駅前行きを「秋田駅」と表示、経由地は青文字で左側に表示、というスタイルになった。
ただし、その内容は「山王・交通局」「新国道 飯 島」など、末期に見慣れた表示とは異なるものも少なくなかった。
さらに、旧来の小型表示器の車両はそのままだったので、新旧2種類の表示が混在していた。※書体についてはこちらにて。

その後、おそらく1988年頃だと思うが、全車両の幕の内容が統一された。この表示が交通局最後まで使われ、記憶に残る方も多いだろう。
この時は、「山王・交通局」→「県庁 市役所 八橋球場・交通局」と内容が大きく変わったコマも一部にあるが、「新国道 飯 島」→「新国道 土崎・飯島」、「通町 市民生協」→「通町 寺内 将軍野・市民生協」といったように、従来の大型幕の内容をベースに、黒文字で主要経由地や路線名を表示するようになった。
より具体的に分かりやすくなったわけだが、文字数が増えて縦長の文字になって、雰囲気が変わった系統もあった。

この時、旧来の表示が残っていた小型幕の車両でも、大きい幕と同じものに差し替えられた。もちろんスペースは狭いので文字は小さく、文字は細身の丸ゴシック体だった(今、中央交通に残る幕車の書体に似ている)。【2021年10月2日追記・小型幕交換後の書体は、写研「ナール」で、1987~1988年度のどこかで交換されたと思われる。】
なお、この時、ドアの側面の行き先表示も改められ、経由地を枠で囲って表示するようになった。(側面幕については別記事にて)

そして、前回紹介した1996年に登場した液晶表示器でも、基本的にこの内容を踏襲しており、文字の配置を崩さないよう配慮されていたように見えた。(モノクロなので青文字も黒で表示。後部の「天徳寺・秋田駅」など1行に収まらず、2行に分けて表示したものもあった)
市営バスでは、現在主流のLED式表示器が設置されることはなかった。



では、ここから本題。
市営バス末期に残っていた大型の行き先表示は、内容は統一されていたものの、微妙な違いがあったという話。

ここで、2つの写真をご覧いただく。
どちらも、1996年に市営バス最後の新車として導入され、2006年の最終日まで走り続けた日産ディーゼル製中型車の1台「135」号車が、外旭川市営住宅(旭野団地)行き神田線の表示を出しているところ。※この車両の導入当初は液晶式で、数年経ってから幕式に変わった。
 2002年5月/2004年7月撮影
2つの写真の行き先表示の違いがお分かりだろうか?
2002年は「神田・旭野団地」、2004年は「神田.旭野団地」。つまり、区切りが中黒(・)とピリオド(.)で違っている。中黒のほうが幅を取っている。
さらに撮影角度が違って分かりにくいかと思うが、2002年のほうが文字がやや縦長で、その配置にすき間があるのに対し、2004年では文字が正方形に近く、密に配置されている。

蓬田上丁行き添川線でも、
 270号車(2002年7月)/291号車(2004年5月)
「添川・蓬田」と「添川.蓬田」が存在。文字数が少ないためか、文字幅は同じか。

このように、秋田市営バスの行き先表示の文字とその配置には、2種類が存在していたのだ。
どちらの幕がセットされるか、車両の新旧やメーカーなどによる法則はないようだ。135号車のように途中で入れ替わったケースもある。これは経費節減のために新車に廃車から外した幕を再利用したり、幕が破損(巻き取り時に絡んで破れるなど)して予備の幕を再利用していたことなどによると考えられる。
また、詳しく取り上げないが、前と同じ内容が表示されていた後部の行き先表示(サイズ自体は前より小型)でも、同様の違いがあるが、上記の理由から、同じ車両の前と後ろで違う種類の幕がセットされていた場合もあると考えられる。


神田線、添川線は黒文字だけだったけれど、青文字の経由地入りのコマにも違いがある。
代表的な県庁経由交通局線で比較。
130号車(2005年11月)

121号車(2003年2月)
同様に黒文字では中黒とピリオドの違いがある。ピリオドのほうは「八橋球場」と「交通局」で文字の幅が異なる。

そして、「県庁」と「市役所」が上下に2行で並ぶ青文字。
中黒のほうでは、県庁も市役所も、文字が正方形で同じ幅。
ピリオドのほうは、「県庁」の文字幅が広く、横長になっている。「市役所」のほうは若干文字が太くて縦に長い感じもする。

新屋西線でも同様
280号車(2002年5月=中央交通へ譲渡直後で塗装変更されていない)

229号車(2002年3月)

ここまでを踏まえると、市営バスの方向幕には[中黒区切り、青文字2文字も正方形][ピリオド区切り、青文字2文字が横長]の2種類が存在したと言えそうだ。
[ピリオド区切り、青文字2文字が横長]のほうが、より見やすくしようと努力したように伺える。
また、1992年に運行を開始した泉秋操線の青文字「通町 泉道田」のうち2文字の「通町」は横長のものしか見たことがない。
したがって、おそらく、[中黒区切り、青文字2文字も正方形]のほうが先に作られた幕で、[ピリオド区切り、青文字2文字が横長]のほうが後で作られた幕だと考えられる。

【10月8日訂正】以前の記事に掲載した古い写真(画像へのリンク)を見たら、「通町 泉道田」が全部正方形の車両も存在した(208号車)から、↑そうでもない。
でも、前に紹介した、比較的初期の大型幕の車両(191、197、198号車)の写真では、揃って後者の幕がセットされているので、そうでもないのかもしれない。


さらに、上のパターンに当てはまらないものもありまして。
商業高校経由割山線
294号車(2002年3月)

249号車(2002年3月)
青文字は違いがあるが、黒文字の区切りはどちらもピリオド。(ただしピリオドの余白の幅は違う)

もう1つ、レア(1日1便)な交通局発県庁・千代田町経由神田旭野団地線。
 269号車(2003年7月)/275号車(2002年8月)
これも同じく。
※269号車も275号車も、どちらも1992年度導入。それなのに違っていることになる。(この年は三菱製中型車が7台=269~275号車と大量導入された。新塗装の車両では、同年度内・同型車導入の最多記録。ただし、複数回に分けて納車されたのでナンバープレートは連番でない)
※「千代田町」が「千代田」になっている。青文字部分に4文字以上入れることはできなかったのだろうか。

これを加味すると、[中黒区切り(一部はピリオド)、青文字2文字も正方形][ピリオド区切り、青文字2文字が横長]となるのだろうか?

側面の行き先表示にも、同じような新旧の違いがありまして、後日また
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9月のパン

2012-09-23 18:10:09 | ランチパック
月例のパンの記事。
久々にたけやフレッシュランチに新商品が出た。(本荘ハムフライはまだ発売中で、かなりのロングラン商品)
4月の「ラ・フランス&ミルククリーム」以来か。
「フレッシュランチ いちじくジャム&マーガリン」 1包装当たり343kcal
以前、包装右下にあった(上記リンクの「ラフランス~」など)、場違いなレタスの葉っぱはなくなった。

イチジクとは、季節感はあるけれど、またおもしろいものをモチーフにしたものだ。
秋田県内でもイチジクは栽培され(秋田辺りが栽培できる北限との説もある)、本荘の特産品であったり、家庭で煮たりする人もいる。
首都圏ではイチジクが入手できなかったり、高価だったりするそうで、首都圏在住のうちの親戚は、今の時期に秋田に来て箱で買ったり、送ってもらったりするのを楽しみにしている。
このフレッシュランチの材料は、特に秋田産イチジクなどを使ったわけではないようだ。

本家・ヤマザキランチパックを調べてみると、2008年7月頃に愛知県産イチジクを使った「いちじくジャム」、2010年6月に大阪・毎日放送のテレビ番組とコラボした「いちじくジャム&れん乳ホイップ」などが発売されており、現在も「いちじくジャムと抹茶クリーム(イチジクと抹茶が1枚ずつ入っている)」が発売中。
これも、過去にもたまにあった、「同時期の本家ランチパックの材料を流用させてもらっている」かのような商品ということになる。
中身のうち、ジャム部分。イチジクのプチプチがある
適度な甘さで、おいしかった。



もう1つは、ヤマザキ系列ではなく、スーパーのプライベートブランド(PB)のパンについて。
小売店が独自ブランドの商品を企画・販売するPB商品は昔からあったが、最近はセブンアンドアイとイオンの大手2社が特に力を入れている印象がある。
セブンアンドアイが「セブンプレミアム」、イオンが「トップバリュ」というブランド名で、昔からある調味料や家庭用品だけでなく、惣菜やお菓子などあらゆる分野にPBが広がっている。
ところで、他のPBでは商品に販売者名(「株式会社イオン」とか)だけを表示するのが一般的だが、セブンプレミアムの大きな違いが「製造元(製造者名)を明確に表示している」ということ。つまり、セブンプレミアムは包装を見れば、製造委託先が簡単に分かるのだ。(バーコードも製造企業のコードを使っている)外見はほぼ同じカップ麺のうどんとそばが、それぞれ別のメーカーが製造していることが分かるなど、興味深い。


セブンプレミアムでは、以前から、菓子パン(惣菜パンはなかったか?)を何種類か発売しており、「ザ・ガーデン自由が丘西武 秋田店」でも扱っている。
その1つに「たっぷりクリームパン」というのがある。小さいクリームパンが4つ入って98円。
ちなみに、ザ・ガーデン秋田店では、期限切れ間近のものを1割または2割引き、閉店間際には半額にすることがある。
このクリームパンは「山崎製パン」が製造している。製造所固有記号もヤマザキのものが表示されており、秋田に来るのは仙台工場製のようだ。
僕はヤマザキのクリームパンは大好きだけど、セブンプレミアムのクリームパンはまた別の味で、クリームがだいぶ甘めで、あんまり好きでない。


一方、イオンでは、これまでトップバリュブランドの菓子パンはなかったはず。(食パンやロールパンはあった)
ただし、昔はイオンの店舗で、ヤマザキが製造した「スマイルオーブン」というブランドのパンが何種類も売られていた。これは、PBではないもののイオン向け限定商品ということらしい。
しかし、東日本大震災後は、まったく見かけなくなっていた。

そしてこの9月から、トップバリュのパンが発売された。
メロンパンなど菓子パンのほか惣菜パンであるカレーパン(カレードーナツ)もあり、なかなか豊富なラインナップ。
クリームパンもある。
「トップバリュ カスタードクリームパン」 326kcal 98円(最初の1週間は88円で販売)
「トップバリュベーカリー」と右下に書いてあるから、そういうサブブランドなのかな。

もちろん製造者名は記載されておらず、製造所固有記号は「J764」という見慣れぬもの。
標準的なクリームパンの形
「生乳仕込みのカスタードクリームをたっぷり包んだ」そうですが、中は、
わりとたくさん入っている

見た感じ、ヤマザキのクリームパンに似ている。クリームの色が少し薄いか。カロリーもほぼ同じ(ヤマザキは322kcal)。
食べてみると、パン生地やボリュームは標準レベル。クリームはやや薄味だけどクリーミー。総合的においしかった。
個人的には、たけや、工藤パン、セブンプレミアムのクリームパンを抜いて、ヤマザキクリームパンに次ぐ「手軽な価格のおいしいクリームパン」にランクインさせたい。

ただし、マックスバリュ東北の店舗では、たまにヤマザキクリームパンを88円などで特売することがある。その時は価格が逆転してしまうわけで、そっちを買ってしまうでしょうね。
【24日追記】ヤマザキやトップバリュのクリームパンは、暑い時は冷蔵庫で冷やして食べるとおいしかった。
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市営バス小ネタ

2012-09-20 22:39:08 | 秋田市営バス
昨日に続いて、バスの日便乗記事。秋田市営バス関連のちょっとしたネタです。
昨日と同じく、古い写真のため写りが悪い画像もありますのでご了承ください。

●旧塗装
市営バスの車体塗装の変遷を紹介したけれど、1985年度までに導入された路線用車両の塗装(2001年春で消滅)の写真はほとんど残っていない。
紹介していなかった、まともに写っている画像は、以下の3つくらい。
197号車(2000年9月撮影)
以前写真をアップした198号車と同型の三菱製中型バスで、この塗装で最後に導入されたグループ。
この車両導入当時は、「ワンマン」表示灯の設置が義務付けられており、それが不要となってからも残っているのが一般的だが、上の197号車では撤去されていたようだ。(198号車には残っていた)

191号車(2001年1月撮影)これは「ワンマン」灯が残っている
この頃の市営バスの中型バスといえば、この車両。
日野レインボーの初代モデルで、2灯式のヘッドライトや頭がボコっと飛び出たデザインが特徴。くぐもったような独特なエンジン音も印象にある。
市営バスの初期の冷房車の代表でもあり、真夏のバス停で、遠くから頭の出っ張ったバスが来るのが分かると、うれしかったものだ。

上の写真では、行き先表示の両側が黒いが、これは晩年に塗り替えられたもの。当初は197号車などと同じく、赤かった。
この市章は、円と中の「+」のバランスが変わっている。

この車の側面・後部の写真もあった。
雪の中の191号車(2000年11月撮影)
頭の出っ張りがよく分かる。
この塗装では、後部の上のほう(ランプ類~リアガラス)もグレーだったのか。(新塗装では白)


●日産ディーゼルの大型車
日産ディーゼルのバスを特集したことがあったけれど、秋田市営バスの同社製路線バスは、ほとんどが中型車だった。
真の大型車は、1988年度導入の223号車と224号車の2台だけ。
※1993年度のワンステップは、大型車として運用されていたが、実際は中型バスの車体を延長したもので、メーカーでは「普通型バス」と呼んでいた。

その唯一の写真。
224号車(2000年7月撮影)
翌年以降に導入される日産ディーゼル(富士重工ボディ)製中型車とはほぼ同じデザインであるだけに、幅の広さ以外は中型とほとんど同じ。
写真でも分かるかと思うが、この車両は、車体下部の肌色の部分が、オレンジ色に近いサーモンピンクのような塗装だった。

(再掲・参考)2台とも日産ディーゼル製(中型)だが、奥の268号車のほうが赤みが強い
この部分の色は、メーカーや製造時期によって微妙な差があり、日産ディーゼル製は赤みが強い傾向があったけれど、223・224号車はその中でも特に赤っぽかった印象がある。


●旗の取り付け位置
市営バスでは、祝日などに車両に国旗と市旗を掲出していた。
基本的に、正面中央の市章の辺りに「V」もしくは「X」型に棒を立て、向かって左に国旗・右に市旗を付けていた。
しかし、1992年と1994年度に導入された大型バス(1993年も大型が導入されたが従来通り)だけは、違った。
1992年度の「秋田八丈」塗装
上の写真のように、ヘッドライトの脇というか車体の角付近に垂直に棒を立て、そこに旗を付けていた。
矢印の位置

大型車として最後の導入となったいすゞ製1994年度車。窓の「新政」の広告も懐かしい
いすゞ製では、ウインカーより後ろに旗があり、「前面」というより「側面」か。
初めてこの取り付け位置を見た時は、旗が外れて引っかかってるんじゃないかと思ってしまった。

旗のポールを隅に寄せて、正面中央部をすっきりさせたい目的だったのだろうか。いずれにせよ、旗を立てない中央交通では、関係のないことになってしまった。


●液晶式行き先表示
市営バスとして最後の新車導入となった1996年には、2006年春まで交通局に残って“最後の秋田市営バス”となった日産ディーゼル製中型車5台(134~138号車)のほか、日野製小型車「リエッセ」も2台(65・66号車)導入された(先に中央交通へ譲渡)。

上記、日産ディーゼルの車両の記事で触れたように、1996年度の車両では、液晶式の行き先表示が設置された。
現在主流のLEDではなく、バックライト付きモノクロ液晶によるもので、とても見にくかった。
(再掲)こんな感じ

その液晶行き先表示の唯一の写真があった。
65号車(2000年9月撮影)
小型バスに合わせた、小型の液晶表示器が使われていた。
いちおう「泉・山王環状」と読める(見づらいのはカメラの性能のせいもあります)

中型バスの液晶は、4年ほど経っていったん他の車両に移設され、それもすぐに撤去されてしまい、結局フイルムに印字した幕式が最後まで残った。【22日訂正】他の車両に移設された時期は不明。最終的に(移設先車両で)撤去されたのが、初導入から4年ほど経った2000年夏だったはず。
小型バスのはいつ頃かは分からないが、やはり早期に幕式に戻された。
東京都営バスでも、1994年から2000年頃にかけて同種の行き先表示を設置していた車両があったそうで、やはり秋田市営バスは先進的(というか新しもの好き?)だった。
【2015年10月3日追記】写真の通り、バックライトの色は黄緑色だったが、導入されて間もない頃の中型バスでは、試験なのかオレンジ色のような色なのを見たことがある。
中型バスの表示器が、いすゞの中型バスに移設されたのは1998年春頃だったようだ。それが2000年夏まで使われた。
【2017年5月19日追記】秋田のバスでは行われていないが、大都市などバス会社によっては、最終バスや割増料金の深夜バス等であることを示すため、行き先表示の照明の色を変えているところがある(LED化後は外枠を点灯)。バックライトの色を変えられたのは、それに対応するのが本来の目的だったのかもしれない。(以上追記)

市営バスの小ネタは、またいずれ。
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棒バス停

2012-09-19 23:42:25 | 秋田市営バス
そういえば明日は「バスの日」なので、久々に秋田市営バスの話題。バス停についてです。
旧秋田市交通局のバス停は、この記事などで紹介した通り「ダルマ型」のポールが圧倒的に多く、あとはバスロケーションシステム(バス接近表示)対応のものなどがあった。


では、冒頭の写真のようなタイプのバス停があったのはご存知だろうか。
※この記事の写真は、すべて2002年夏~秋に撮影しました。バス停名が分からなかったり間違っているかもしれないものがあります。また、画質が悪いです。

7センチ角くらいの「棒」に色を塗ってバス停名を書いたもの。(ダルマ型と同じような台座にささっている)
上から、赤・黄色・水色という、秋田市営バスのバス停らしい色が塗られている。
赤い部分には白で市章と「市営バス」、黄色い部分に黒でバス停名がそれぞれ縦書き。
※ここでは、このバス停を指して「棒バス停」と呼ぶことにします。
ただし、写真のように老朽化したものが多く、色や文字が剥げ落ちたり、バス停名をワープロ書きしていることがある。
てっぺんはとがっているのだが、朽ちて平らになったものもあった
末期には、ダルマ型と同じ、A4サイズの時刻表を掲示できる枠が付いていたが、昔は、棒の幅と同じ縦長の時刻表を掲示するようになっていたはず。
矢印の部分はバス停名表示用かと思うが、元々は時刻表スペースだったかも


全国的に、このような棒状のバス停が閑散路線に置かれることがあるようだ。秋田市営バスで棒バス停が設置されたのも、運行本数が極めて少ない路線。
この記事のコメント欄で書いたように、昭和末期には、秋田市中心部の「鱗勝院前」「聖園短大前」「千代田町」などにも設置されていた。
これは、1日1本だけ、旭野団地と県庁市役所~交通局前(現・臨海営業所)を結ぶ、神田線の系統「千代田町経由神田交通局線」が使ったもの。
しかし、平成に入って間もなく、「泉秋操線(現・泉ハイタウン線)」が毎時1本以上の頻度で運行を開始したため、その経路と重複することになった聖園短大前や千代田町はダルマ型に交換され、また千代田町経由神田線自体が経路変更で別の道を通るようになったため鱗勝院前は廃止されて、市街地の棒バス停は短期間で姿を消した。(以後、新設されるバス停は本数が少なくてもダルマ型が置かれる)

ということで、市営バスの棒バス停といえば、どうしても「郊外・山村部のバス停」のイメージが強い。
市営バス仕様の棒バス停が最後まで残っていたのが、この記事で写真を紹介している「中北手線」沿線。
1日2~3本小型バスが走る路線で、秋田駅西口から築地、楢山大元町を経て横森地区に入るまでは、築地経由の桜ガ丘線や経法大線(現・ノースアジア大学線)と同じ。
「横森三丁目」公園風の場所に置かれていた
「横森三丁目」から単独区間に入り、一つ森公園北側のくねくねした道を走る。そこから先は棒バス停が連続する区間となる。
「大戸」。信号機の左右が横金線
「大戸」で県道横山金足線を越え、大平台と山手台の間の谷間の平地の田んぼの中を東へ進み、秋田自動車道をくぐった「上小山田」まで行く路線。地名としては「上北手小山田」であり、「中北手」という地名はないようだ。
「大戸公民館前」かな。奥の丘の上が新興住宅地・大平台。桜ガ丘線の折り返し停留所でもある
中北手線は2003年春に中央交通へ移管され、2010年春に廃止されて、秋田市が運行する「マイ・タウンバス東部線中北手コース」として、日赤病院を起点に運行されている。
つまり、横金線より東側での運行であり、駅~横森付近は通らない。その代わり、従来は通っていなかった「大平台三丁目」を通るようになり、桜ガ丘線への乗り継ぎに配慮されているようだ。


新興住宅地や幹線道路が近いにも関わらず、それらが眼中にないかのごとく、風景に溶け込んで立ち続ける棒バス停たち。
緑の中

「はさ掛け(稲の自然乾燥)」と

「火の用心」

朽ちてただの木の棒と化す

移管後は興味がないので、これらの棒バス停がどうなっているか知らないが、残っているとしても塗り替えられていることだろう。
一方、他路線の折り返し場などで、駐車禁止の看板の支えなどとして、使い古しの棒バス停が市営バスの塗装のままで残っている場所もある。今も残る秋田市営バスの面影の1つと言えそうだ。

この記事後半も参照。かつては秋田中央交通にも存在したとのこと。
【2018年1月28日追記】テレビ朝日「帰れまサンデー」によれば、2018年初め時点で、静岡県伊豆半島の先のほうを走る東海バス・石廊崎線において、ほぼ同じ形状のバス停が現役で使われており、出演者は「杭みたい」と驚き、「乗降客が少ないバス停だからこんな形なのか」と話していたが、「風で倒れないように」この形状になったとの説明が入った。棒バス停は、秋田市営バスもしくは秋田県内独特のものではないようだ。
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夏の雲から秋の雲へ

2012-09-18 23:21:24 | 秋田の季節・風景
今日の秋田はフェーン現象でとても暑かった!
秋田市では最高気温36.1度、最低気温26.2度で、最高気温は今年最高かつ9月の観測史上最高。

9月を半分過ぎて昼も夜もこんなに高い気温になるなんて…(平年値では、最高気温24.3度・最低気温16.0度で、夜は肌寒くなっている頃)
これで6日連続真夏日、9月に入って11日目の真夏日(うち猛暑日が2日)となった。


いつまでも夏が続いているように感じるけれど、「雲」に注目してみると、そうでもないようだ。
※いずれも、9月に入ってから秋田市中心部の旭川沿いなどで撮影しました。
冒頭の写真は、太平山の上にそびえる入道雲。
別の日も
夏らしい入道雲こと積乱雲は、午後から夕方に太平山の上(秋田市中心部から見て東)に出現することが多いようだ。意外に速く形や位置を変えていく。

一方、同じ時にこんな雲も出ていた。
 
ハケでかいたように繊細な筋雲。「巻雲(けんうん)」だろうか。秋らしい雲。


夏の雲と秋の雲が同居する
雲が“交替”して季節が移っていくようだ。
そういえば、日の出日の入りの時刻も秋らしくなり、18時には薄暗くなる。
彼岸の入りの明日は、今日よりは気温が下がるものの真夏日の予報。そしてあさって以降は雨で気温がだいぶ下がるようで、まさに「暑さ寒さも彼岸まで」。
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車両センター公開2

2012-09-17 21:14:39 | 秋田のいろいろ
前回に続いて、JR東日本の車両基地「秋田車両センター」一般公開の模様。
前回も、昨年も書いたけれど、門と新幹線車両が展示された場所を行き来する時には、線路を横断する。
その線路は、車両センターへ出入りする車両(新幹線、在来線とも)が頻繁に通るので、両側に無線機を持った社員が立って、ロープを遮断機代わりにして来場者を止めたり誘導する、“踏切”があった。
門・駐車スペース側から

反対側・建物の中から
目の前をこまちがゆっくりと通過し、車両基地へ来たことを実感する場所。
待たされてもみんな楽しそう


以下、在来線の車両についてです。
前回の最後で「在来線側もなかなか見応えのある展示だった」としたけれど、考えてみれば展示車両は多くなく、鉄道に興味のない方や遠来の方には、物足りなかったかもしれない。
でも、秋田ならではの車両もいたし、のんびりと見学できるのが何より。

在来線側の展示は、門を入って右側、跨線橋の下を潜りながら駐車スペースを抜けて南へ進んだところ。
南方向。左の建物が「洗浄仕業庫」、見えないがその左でE6系が展示
上の写真中央の建物のうち、右(東)側半分付近が公開された。左側は「修繕庫#1~3」というそうだ。

道すがら、駐車スペースと渾然一体とした辺りで、
機関車(とバラストを運ぶ貨車)が展示
奥がディーゼル機関車「DE10 1759」。JR東日本所属なので貨物列車はひかないけれど、事業用車両をひくなどして、永年に渡って秋田の鉄道を支えている。
手前が以前も記事にしたゾロ目の電気機関車「ED75 777」。
ピカピカでお元気な様子(展示終了後、土崎で検査を終えた客車を青森まで運んだようだ)

在来線側の建物には、南側(転車台付近)から回りこんで入る形になり、その前では、ミニSLの運行と、
「583系電車」が展示
これこそ、今や貴重な車両なのです。

この583系電車は、先日紹介した「いなほ」に使われている485系電車の国鉄色塗装の色違いみたいなデザイン。
昭和40年代前半に誕生した583系電車は、1つの車両を昼は座席車・夜は寝台車として効率的に使えるのが特徴。
平成の初め頃までは、東北本線では夜は「はくつる」「ゆうづる」、昼は「はつかり」などとして走っていた(いずれも特急)。
秋田県内(秋田鉄道管理局~JR東日本秋田支社管内)では、定期列車として走ったことはないはず【19日訂正・コメントでご指摘いただいたとおり、1990年代に急行「津軽」として使われたことがある】。でも、団体列車としてはよく使われ、北海道への中学校の修学旅行(座席仕様で青森まで)、関西への高校の修学旅行(特に航空機利用が認められなかった当時)や甲子園応援列車、そして東京ディズニーリゾートへのツアー「わくわくドリーム号」などで見たり乗ったりした方もいるはず。

そんな583系も、設備が時代に合わなくなり、車両が老朽化したため、廃車が進んでいた。
2002年の東北新幹線八戸開業時には、青森に残っていた583系が仙台と秋田に1本ずつ転属(他は廃車)。
秋田では、2009年正月2010年正月のように、繁忙期の特急列車代走に使われたりもしてきた。

大事に使われていたように思えた秋田の583系だったが、それでも老朽化には勝てなかったようで、いつの間にか廃車になっていたそうだ。
代わりに、(比較的状態が良かった)仙台にいた583系が2011年8月付けで転属し、従来同様に使われている。(今年は夏祭りの時に臨時特急として走った)
所属の表示は「仙セン」で仙台のままだった
したがって、今回展示された583系は、以前のものとは別の編成(車両)ということになる。
そして、JR東日本が保有する唯一の583系電車にもなってしまった。
※583系はJR西日本も所有(別の塗装に変えられている)するが、そちらも残りわずか3本。
青空に映える
583系が特急として走っていたことなど知るはずもない小さな子どもが「とっきゅうだ!」と喜んだ駆け寄っていたのは、583系の風格がそう感じさせたのだろうか。

秋田の583系は6両編成なのだけど、外に展示されていたのは3両だけ。(6号車クハネ583-17が先頭)
反対側3両は中にいた。先頭はクハネ583-8

展示された両先頭車のヘッドマーク(トレインマーク)は、別々のものが表示されていた。
最近のこういうマークは、パソコンで作成したシールを貼ることもあるが、どちらもちゃんと中のフイルムにセットされているコマのようだ。
屋内展示は「わくわくドリーム号」
秋田ではおなじみ、学校の休みなどに合わせて運行される、舞浜行き団体列車のマーク。
よく見ると、「TM」と小さく書いてあるので、JRの登録商標なんだろうか。英語は「WAKU WAKU DREAM EXPRESS」。

屋外展示は「ふるさとゴロンと号」。周囲に余白があるのがなんとも
帰省シーズン(主に年末に1回だけかな)に時々、上野-秋田-青森方面で運行される夜行列車のコマ。
寝台をセットするけれど浴衣などはなく、座席特急料金で乗車できる列車。(「あけぼの」でおなじみの「ゴロンとシート」と同趣旨)
それにしても、かわいらしいイラストの動物は何だろう? ラッコ、カワウソ、イタチ、テン、オコジョのどれか?(いずれもイタチ科)
そしてヘッドマークに「号」まで表示されるのが考えてみれば、とても珍しい。

屋外の3両は、車内も公開されていた。
向かって右から乗って、左から降りる
先日のバスまつりもそうだったけど、こういう屋外展示車両って、中が蒸し暑くていられたものじゃない、と思いながら、貴重な583系の車内だから入ってみると…
「ご自由にお休み下さい」
照明は消えていたけれど、空調は程よく作動していて、快適!
26.0度
トイレも使えたようだ。
上の写真の左に写っている「便所使用知らせ燈」が懐かしい。
昔の国鉄の車両にはどれも同じ物が設置されていたけれど、ネーミングとかデザインとかもうちょっとなんとかできなかったものだろうか。いかにも国鉄らしいアイテムだと思う。


ところで、「あけぼの」や「日本海」のような客車の寝台になじんでいる秋田の人には、寝台列車(B寝台)といえば線路や通路と直角に寝るタイプ(4人か6人で1区画)ではないだろうか。
でも、583系はベッドの並び方が違う。線路と並行に、通路の両側にベッドが並ぶ配置(「日本海」のA寝台もそうだった)。

最近の秋田支社の団体旅行(伊豆・信州方面など)では、通路の片側だけ寝台をセットし、反対側は座席の状態にしている。
フルに寝台をセットするほどお客はいないのだろうし、狭いベッド(3段式なので天地方向が特に)で長期間過ごすより、座席に座ってくつろげるように配慮したのだろう。
今回は、その状態で展示されていた。
僕は座席だけ・寝台だけの状態は乗ったことがあったが、これは初めて見る光景。
3段寝台が壁のように立ちはだかる

中途半端なような不思議な光景に見えてしまった
窓が塞がれて寝台側の景色が見えないのは、つまらないかも。

583系は、座席の時は、2人掛けが向き合うボックスシートになる。椅子の座り心地や足元の広さはまあまあなのだが、リクライニングせず、向かい合わせで特急用というのも、時代に合わない。

寝台の時も、時代遅れの3段式。
僕は下段に乗ったことがあるのだが、下段は無理すれば座った状態で着替えられるくらいの高さはあり、幅はそこそこ広くて、大きな窓を独り占めでき、けっこう好きなんですけどね。“窓付きの押入れ”で寝ているみたいで。
遮音性や乗り心地もよく、音や揺れはほとんど気にならなかった印象がある。
下段は寝台の時はマットレスが敷かれる
一方、中段と上段は、寝ることしかできなさそうな空間。
今回は「3段目の見学はご遠慮下さい」となっていたけれど、転落防止のためだろうか。


今回の車内へ出入りは、客用ドアではなく、先頭の運転台のドアが使われた。
運転席を覗くことができた
運転席は思ったほど高くなく、着席スペースは狭い。

涼みがてら、今や貴重な583系の車内を楽しく見学していた人が多かった。

建物の中では、普通列車用の701系電車やキハ40系気動車(いずれも外観のみ)も展示され、スタンプラリーの景品引き換えや、三文店としてポップコーンかなんかの出店があった。

隅っこから、公開されていない修繕庫#1~3のほうを覗くと、
こんな顔ぶれ
秋田車両センターに所属するもう1台のED75である「ED75 767」と、秋田にしかいない検測車「East i-D(エンジンがかかっていた)」が整備を受けていたようだ。

こんな感じの秋田車両センター一般公開でした。
土崎の秋田総合車両センター(旧土崎工場)のほうは、一般公開するのかな?
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車両センター公開1

2012-09-15 21:19:55 | 秋田のいろいろ
秋田市の金照寺山のふもとにあるJR東日本「秋田車両センター」の一般公開が、今日10時から15時まで行われた。
一昨年10月に行われた時に初めて見に行って、昨年は11月に一般公開ではなく秋田新幹線の新車両E6系の見学会として開催され、それを外から覗いた
【19日追記】19日付秋田魁新報地域面によれば「約1400人が訪れ」たとのこと。

2年ぶりの一般公開を、また見に行ってみた。
相変わらず、リーフレットでの会場までの路線バスの案内は不十分(そもそもバスが少ないのだけど)。リーフレットの地図は新しくなって、手前が俯瞰図で奥が平面図という不思議なものだけど、羽後牛島駅も掲載されて、いちおう歩いて行きたい人には多少は親切になったかな。
僕は今回も、バスで牛島東五丁目まで行って、1キロほど歩いた。
今日も秋田は暑くて、最高気温は32.5度まで上がった。からりとした暑さだったので、汗ぐっしょりにはならなかったけれど、やっぱり暑い。

昨年のE6系見学会の時は、徒歩で車両センターを訪れる人たちを何人も見かけたけれど、今年はほとんどいなかった。東七丁目までのバスがない時間帯だったからか、タクシーで来たり帰ったりする人が数組いた。(国際タクシーが近くで客待ちしていたようだ)
中央交通に働きかけて、公開日はせめて1時間に1本になるように増便してもらうとかできないものだろうか。
結局、車で来る人が多く、車両センターの社員のいちばんの仕事はその誘導のようだった。


車両センターの門では、一昨年と同じく会場案内図をくれたけど、今年は、
E6系のパンフレット&クリアケース付き!
一昨年と同じく、門を入って左側の線路を渡ったところにある、車両の点検をする屋根付きの建物(名称不明)の中で、秋田新幹線のE3系電車「こまち」が展示されていた。

休憩スペースやNREによる鉄道グッズの販売、なぜか農産物やカップラーメンの販売(たぶん秋田生鮮市場が担当)も行われていた。
E3系は前照灯が点灯
E3系は、いちばん最後に製造された「R26編成」が展示されていた。
車内も公開され、運転台の見学もできたようだが例年同様行列だった。

片隅に「貯蔵品」という札が付いた一角があった。
例えばこれ
上の写真の木の枠の中にあるモノ、分かりますか?

これはE3系の運転席のガラス。
奥の大きいのが「前面ガラス(=ワイパーが付いている窓)」、手前の黒っぽいのが「側面ガラス」。
旭硝子製で仙台のガラス屋さんから納品された模様。
廃棄物置き場には、ヒビの入った前面ガラスが捨てられていたので、ガラスを交換する場面はそれなりにあるようだ。

こんなものも
色からして、いかにもこまちの色。
名前の表示はなかったけれど、たぶん
これ(赤い矢印の部分)
車両の連結部の外側を覆う「外幌」じゃないかな。

さて、一昨年はこの建物内で行き止まりだった。
でも、今年は、南側から外へ出て、跨線橋の下を潜って進むことができる。(一昨年は跨線橋下は西側の道だけ通行可)
左側が奥羽本線
その先にあるものは、
これ
右の屋根付きの建物は、非公開。過去に何度か跨線橋の上から中に入っている車両を覗いたけれど、「洗浄仕業庫」という名称だそうで、こまちや普通列車の車両が洗浄や日常の点検を受ける場所のようだ。
洗浄仕業庫の外、左側にいるのが、
E6系
来年春から営業運転を始める、E3系の後継車両「E6系」が展示された。(11号車から13・14号車辺りまでの外観のみ)

昨年の見学会と同じ場所になるが、ここは影に入ったり逆光になりやすくイマイチ。狭いので、ダイナミックな車両がカメラに収まりきれない感じもした(むしろ昨年のように跨線橋の上から見たほうが…)。
でも、しばらく待てば、誰もいなくなる(立ち会いの社員はいます)瞬間があり、のんびりと見たり写真を撮影できたのは、よかった。
こんなに間近で見られた(この記事冒頭の写真とは視線の高さが違います)

なんとも不思議な形

側面
正面は真っ赤で斬新だけど、側面はほぼ白一色(銀色のラインがあるが、日陰なので分かりにくい)で、あまりおもしろくないし誤乗の恐れはないか少し心配。
今回はホームより低い、線路のレベルからの見学だったので、窓から車内を覗くことはできなかった。

さらに、
連結器オープン!
時々は連結器のカバーを開けてくれた。
今のE3系と同じく、日常的にE5系(はやぶさ)と連結することになる11号車側は、連結器が自動で出たりしまったりする。(反対の17号車側は自動ではない)
 
右の写真で上部に赤く光る点が見えるが、連結相手との距離を測るセンサーだろうか?

カバー開閉時には警笛が鳴り、E6系の警笛を聞くことができた。
テレビで聞いたとおり、従来の空気でフォーンを吹鳴するものではなく、スピーカーから流れるようだ(音自体は従来と似ている)。


警笛といえば、E6系が展示された場所のすぐ東隣が、奥羽本線。
終点・秋田を目前にした下りこまちが通過
営業列車が通過していくわけだが、その多くが、警笛を鳴らしながら通過していった。普段は鳴らさないし、今日も安全な距離は保たれていたので、おそらくサービスかと思う。運転席に便乗していた社員が手を振ってくれた普通列車もあった。

本線のさらに向こう側は、ススキと黄金色の田んぼ
以上、新幹線関係の展示でした。在来線側もなかなか見応えのある展示だったので、また後日。
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三平バスの今後は?

2012-09-13 20:39:56 | 秋田のいろいろ
冒頭の写真は、秋田中央交通の中型路線バス「いすゞエルガミオ」。
モデルチェンジから10年以上が過ぎ、中型バスといすゞ自動車をこよなく愛する中央交通において最多勢力となった。もう見飽きるくらい秋田の街を走り回っている。

中央交通のエルガミオは、どれも外見に大きな違いはなく(冷房装置やホイールベースが異なるものはあるらしい)、区別しにくい。最近は小田急バスからの中古車もあるが、それも同じく。
明確に区別できるものといえば、車体に漫画「釣りキチ三平」の主人公・三平三平(みひらさんぺい)を描いた「三平バス」くらい。


で、冒頭の写真のエルガミオは「秋田200 か133」。だいぶ古いナンバーだけど、妙に塗装がきれい。
これって…
再掲・今年5月撮影)これ!
なんと、三平バスだった車両が緑の通常塗装にされて、三平バスでなくなってしまった!?
リアウィンドウには、今までなかった「アイドリングストップバス」の大きな文字。

ところで、三平バスは、車内の座席にも三平が描かれている。それはどうなっただろう?
ガラスに色が付いていて分かりにくけれど、
座席はそのまま三平柄(社名表記は中“宍”交通ではない)
これじゃあ、中途半端な「中だけ三平バス」だ。


中央交通では、最近、古い車両の塗装のし直しに力を入れているようだ。緑の通常塗装車の中には、同じ緑の塗装に塗り直された車両が何台かある。小田急からの中古車導入が一段落して、塗装工場が空いたのかもしれない。
でも、三平バスから一般塗装に塗り替えというのは、びっくり。

三平バスは、もう11年走り続けているだけに、端々に錆が出ているものもあり、再塗装(塗装変更)に着手したのだろうか。
1年前に撮影した「133」
ちょうど1年前に撮影した、同じ車両の写真があった。
たしかに、中ドア付近の車外スピーカーやタイヤ周辺に錆が出てはいるが、中央交通ではこんなバスは珍しくない。
もっとボロボロの通常塗装車さえあるのだけど(それはそのまま廃車まで使い倒すのだろう)。


三平バスは2001年に秋田中央交通の創業80周年を記念して導入された。路線バス用は15台だか16台あり、秋田営業所に配置されて旧秋田東営業所担当の路線を中心に走っている。
漫画「釣りキチ三平」の作者の矢口高雄氏は秋田県出身ではあるが、中央交通の運行エリアではない横手市増田。作品の舞台が特に運行エリア内というわけでもないはず。
どうも、中央交通のワタナベ社長が矢口氏と旧知であったため、実現したらしい。

作品名は「釣りキチ三平」であるが、バスは「三平バス」が正式名称(車両正面に表記)であり、「“釣りキチ”三平バス」ではない。その意図や著作権表示はなし。
「釣りキチ三平」自体を知らない人もいるだろうし、秋田や中央交通と釣りキチ三平の関係を知らない人もいるわけで、そうした点の周知は足りない。(中央交通ではよくあることですが)
でも、秋田を訪れた人が見たり乗ったりして喜んだという旅行記などがネット上で見受けられ、秋田や秋田のバスのイメージアップには貢献している。秋田のバスとしては評価できる事業かと思う。

なお、たまに三平バスのことを「ラッピングバス」と呼ぶ人がいるが、それは正しくないと思う。
ラッピングバスは通常塗装の上に、デザインを印刷した全面シートを貼りつけるもの。シートが劣化するので3年程度が限度。しかし、三平バスは、製造時に最初から白・水色・クリーム色で塗装した車体に、三平の絵を貼りつけたもの。
広告目的ではなく創業周年記念車でもあるので、「ラッピング」ではなく「特別塗装」ととらえるべきだと考える。


中央交通のことだから、約10年後の創業100周年のあかつきにも、三平バスはボロボロになって走っているのではないかと予想していたので、塗装通常化は意外だった。
特別なバスだからこそ、ひどくならないうちに塗り替えたのかもしれない。

でも、せっかくの三平くんを剥がしてしまったのは、もったいない。見かけ上は「三平バス」が減ることになるのだから。
三平を残したまま、塗装し直すことはできなかったのだろうか。
そして矢口さんはこのこと、すなわち自分の“作品”が減ってしまったことをご存知なのだろうか。
(スペインの教会の傷んだ宗教画を、地元のおばあさんが善意で修復したら、キリストがサルのようになってしまって世界的ニュースになったが、それと同じく下手にいじっておかしくなるのを恐れたのかもしれないが)

また、座席の柄がそのままということは、車内を見てしまえば、このバス(の外装)が元・三平バスであったことがバレてしまう。
最近、三平バスに何度か乗った限りでは、シートの交換が必要なほど傷んだものはないと感じたので、無駄なことはしなかったのだろう。(小田急中古車の板みたいなシートこそ換えてほしい!)
だけど、それによって中途半端な「中だけ三平バス」になってしまったのも、なんだかなあという感じがした。

秋田駅東口に3台の三平バスが集結(中央の1台だけ日野レインボー)
他の三平バスは引き続き走っているのをよく見るので、塗装が変わったのは、今のところこの1台だけなのかもしれない。
でも、もしかしたら、今後、(少なくとも外見は)三平バスは減っていくのかもしれない。

【11月20日追記】同型の「137」も緑塗装に変わっていた(座席は三平のまま)。一方、124、138などは三平バスのままなのを確認。
【2013年2月2日追記】やはりいすゞの「132」も緑塗装に変わり、座席はそのまま。三平バスのままの車両も、いすゞ、日野ともまだ多く走っている。
※その後、貸切車両の三平バスも…

【2017年4月10日追記】この後、2016年秋までに、路線用三平バスの全車両が緑の一般塗装に変更され、外観としての三平バスはなくなってしまった。
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銘菓・駅弁・惣菜

2012-09-12 23:10:31 | 各地お土産・食べ物
今さらですが、ずーっと前(今年2月)の静岡旅行での食べ物の記事。※直前の記事
昔のことなので、味などの記憶はあいまいです。

●福太郎
秋田ではほとんど知られていないけれど、三島市の名物。僕はこれが好きで、買うために途中下車してもいいと思う。
「福太郎」12個入り920円
三嶋大社の中に店を構える「福太郎本舗」が製造。三島駅のキオスクでも購入可。
ネーミングは三嶋大社の祭礼の登場人物にちなむ。
きれいに整列する福太郎
草餅をこしあんで包んだお菓子。一部は草餅が露出していて、緑色が鮮やか。
「赤福」の草餅版とも言えそうだけど、僕は草餅が好きだし、あんこの味もこちらのほうがしつこくなくていいような気がする。

【2013年11月22日】福太郎には1折に1つ「ヘラ」が付属する。たしかこの時までは、木製(アイスのスプーンと同じような材質)のへらだったが、2013年11月17日製造分は、プラスチック製に変わっていた。


●冬うらら
静岡県の東海道本線主要駅では、各地の駅弁業者が個性的な駅弁を多数製造販売している。
三島駅と沼津駅は「桃中軒(とうちゅうけん)」。元々は沼津駅が本拠地だが、現在は新幹線が通る三島駅のほうが扱い商品が多いようだ。
「長泉旬便り 冬うらら」1000円
季節限定の2段重。

沼津市や三島市と接する「長泉町」の特産品、白ネギ、やまといも、あしたか牛を使用している。
 
二の重のごはんは「あしたか牛とごぼう御飯」。海苔の佃煮「わさび海苔」が添えられる。
一の重のおかずは「あしたか牛のやまといも包み」「金目鯛のわさびみそ焼」「大根煮ゆず風味」「白ネギ入り卵焼き」などなど。
どれも丁寧に調理されていて見た目がきれいで、味もおいしかった。
桃中軒の幕の内弁当について


●しずてつストア
静岡県東~中部に展開する「しずてつストア」というスーパーがある。
旅行記でも何度か登場している、静岡市などで鉄道や路線バスを運行する「静岡鉄道(バス部門は別会社)」系列の企業。やや高級感のあるスーパーで、秋田でいえば最近の「いとく」っぽい店構えや商品構成。
そのお惣菜から。

訪れた日は、立春の前日の節分だった。最近の商戦としては「恵方巻きの日」。
※静岡も東日本各地と同じく、元々は恵方巻きの風習はなかったようだ。
しずてつストアでも、売られていた。
「七福恵方巻ハーフ」350円の半額
長短や中身(魚介類が多い豪華版だったか?)が違う数種類があったが、どれも店舗で製造したもので、金色のシールが貼られていた。
「厄除け・招福 静岡県護国神社 ご祈祷済み海苔使用」
静岡市にある護国神社の祈祷を受けた海苔で巻いたそうだ。
公式ホームページによれば、祈祷先は「静岡縣護國神社、藤枝成田山、秋葉総本殿可睡斎の3ヶ所にて」だそうで、店舗によって異なるようだ。
おいしかったです
しずてつストアで恵方巻きを購入したのは、節分の日の夜。閉店2~3時間前頃。消費期限はその日限り。
だから半額シールが貼られていたわけだが、気になったのが在庫の量。
各種山盛りで残っていて、どう考えても売り切れなさそう。気の毒になるくらいだった…
【2013年2月1日画像追加】2012年のしずてつストアの恵方巻きのチラシがあったので、追加します。これで全種類の模様。


こんな惣菜もあった。
 
「しずてつニラ饅頭」2個180円/「しずてつおおきい餃子」4個200円
「しずてつ」の名を冠した中華惣菜。
「しずてつ」とは「しずてつストア」のことだろうけど、それは「静岡鉄道」のことでもある。鉄道好きとしてはなんとなくうれしい。
※もし「中交(秋中?)なんとか」なんて惣菜があったら、あまりおいしくなさそう…

以前、しずてつストアのベーカリーの菓子パンを食べたこともあったけれど、それもユニーク(安倍川餅風パンだったか?)でおいしかった。


銘菓、駅弁、地元の人向けの惣菜。どれもその地域ならではのもので、旅人にしてみれば興味深く楽しいものだ。
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いなほの車両交替

2012-09-10 23:46:30 | 秋田のいろいろ
この記事の内容を完結に述べると「秋田・酒田-新潟の特急「いなほ」に来年から順次、現在常磐線の「フレッシュひたち」に使っている車両が投入されることが分かった」。
昨年の「つがる」同様、新車ではなく中古が入ることになるが、今までよりは新しい車両が秋田を走ることになる。

このことは、昨日・9日付の秋田魁新報で報じられた。
掲載されたのは、28面・総合面の「おくやみ」欄の上で、新旧車両のカラー写真付き4段の記事だけど、あまり目立たない位置。
見出しは「特急の省エネ化加速/JR東西日本 国鉄時代の車両交代/「いなほ」も来年から」で、いなほに的を絞った内容ではない(書き出しはいなほのことだけど)。署名記事ではなく、同じ内容が他紙のサイトにも掲載されているので、共同通信からの配信記事だ。内容が散漫で鉄道に詳しくない方には分かりにくいと思う。
このことを「JR東日本は8日、(中略)方針を明らかにした」そうだけど、今のところJR東日本ホームページのリリースには出ていない。


以下は、細かいことなので、ややこしくなります。
※鉄道に詳しい方には中途半端でしょうし、まったく興味がない方はおもしろくなく分かりにくいと思いますので、そのつもりでご覧ください。
まず、「いなほ」の歴史。
1969年に上野-秋田間の特急列車として誕生。電化されていなかったので気動車(ディーゼルカー)が使われた。
電化された1972年からは、国鉄の名車「485系電車」が投入された。(この記事冒頭の写真。かつてのつばさ、たざわ、かもしかなども485系)
1982年の上越新幹線開業時からは新潟-秋田になり、青森まで延長され・それが再度短縮されたり、酒田発着ができたりして、現在に至る。

「いなほ」には40年に渡って、485系電車が使われていることになる。
といっても40年間ずっと同じ車両が使われているわけではなく、今残っているのは1976年以降に製造された「1000番台」と呼んで区分される、比較的新しい車両がほとんど(485系として最後に製造されたグループ)。それにしても、35年も経つ。

現在、いなほに使われている485系電車は、外見では大きく以下の3種類に分かれる。いずれも新潟支社の「新潟車両センター」に所属し、3種類が区別されずに運用されているので、どの車両が来るかは時の運。
【11日追記】平成初期までは、秋田や青森の車両基地所属の485系電車(つばさやはつかりと共通運用)が使われた時期もあった。
・国鉄色
我々より年上の世代には、これこそ「特急列車」ではないでしょうか
国鉄時代のままの肌色とエンジ色の塗装の車両。数としては少なく、鉄道愛好家には人気がある。
内装は国鉄時代のままではなく、座席などが更新されて下記「上沼垂色」編成と同レベル。

・上沼垂色

JR化後に国鉄のイメージを払拭すべく、各社各支社ごとのオリジナルの塗装に塗り替えることがよく行われた。
新潟の485系は、白地に青とエメラルドグリーンのラインが入る塗装になった。当時は新潟車両センターを「上沼垂(かみぬったり)運転所」と呼んでいたので、愛好家には「上沼垂色」と呼ばれる。
内装は座席が新型になるなど、若干リニューアルされている。
【11日追記】かつて大阪行き「白鳥」に使われたグレードアップ編成(客席の床がかさ上げされている。外観は同じ)が使われる場合もあった。(現在はなくなったはず)

・3000番台
(再掲)
1990年代後半になって485系がいよいよ老朽化してきたため、大規模なリニューアルを施したのがこのグループ。新潟のほか青森にも配置され、現在は「白鳥」と「つがる(代走用)」に使われている。
改造を受けたものは、製造番号が「3xxx」に改番されたので「3000番台」と呼ばれる。
新潟のものは「R-数字」という編成番号が振られているので、「R編成」と呼ぶこともある(国鉄色や上沼垂色は「T編成」)。ただし秋田では「こまち」も「R編成」と呼ぶので間違えないように注意。

リニューアルはすべて秋田の土崎工場(現・秋田総合車両センター)で施工され、1編成(1本)当たり億単位の費用をかけたらしい。
内外装が一新され、新車と見紛うものとなった。
3000番台普通車車内
3000番台が秋田までのいなほに使われたのは2000年2月頃からだと思う(酒田止まりにはそれ以前から使われていたはず)。

上の写真のように、いなほに使われる新潟の3000番台は上沼垂色に似た落ち着いた塗装。
一方、青森のものは黄色に「485」のロゴが入った派手な塗装。
(再掲)青森の3000番台は「白鳥」と「つがる(代走)」としてもうひとがんばりか?
この違いは、後述の通り、新潟の車両はJR西日本エリアへも乗り入れるため、JR東日本としての自己主張を控えめにしたのかもしれない。

再掲)メンテナンスは土崎の秋田総合車両センターで行う
3000番台を「いなほの車両」として見たことがある方は、「そんなに古いの?」と思われるかもしれない。
3000番台の登場からはまだ10年ちょっとだけど、走行系統はオリジナルのままなので製造された35年前のまま、さらにその設計は40年以上前の技術。
これ以上の維持管理は難しいのだろう。新聞記事のように省エネも求められるので、一斉に更新することになったのは時代の流れで仕方ない。


さて、「フレッシュひたち」から転身して新たな「いなほ」になるのは、「E653系電車」と呼ばれる1997年から製造された車両。現在は水戸支社の勝田車両センター所属。
E653系電車 ※魁の写真の車両とは、下部の色が異なる
現在(昨年から)青森-秋田間の「つがる」に使われている車両に、デザインがよく似ている。
(再掲)つがるのE751系電車
つがる用は「E751系電車」なので、形式としては別なのだが、そのE751系はE653系をベースにして設計・製造されたので、似ているのは当然。
相違点は、
・先頭のヘッドライトなどのデザインが違い、E751系のほうが“鋭い目つき”
・車体下部の色は、E653系は5種類(常磐線沿線の風景などがモチーフ。上の写真は青)、E751系は赤っぽいオレンジ1種類のみ(窓上に黄色いラインもある)
→魁の写真のE653系はオレンジ色の編成で、E751系とほぼ同じ色なので紛らわしい
・電源は、E653系は交流50Hz・60Hz・直流に対応。E751系は交流50Hzのみ
→E751系は運用区間や製造費を考慮して簡略化している。「いなほ」は途中で電源の切替があるため、対応する車両が限られる
・E653系は普通車のみ・グリーン車なし。E751系はグリーン車あり
→常磐線は「スーパーひたち」があるので、「フレッシュひたち」は通勤や近距離輸送に特化していたためか

E653系のいなほ転用にあたっては、「外観や内装を一部改良」するという。「改良」とは「改造」という意味だと思うが、どんな内容だろう。(以下は個人的な予想です)
まず、上記の通りE653系にはグリーン車がない。新幹線に接続し、特に山形県庄内地方にとっては東京への主要交通手段である「いなほ」にグリーン車がないというのは、問題がありそう。
現在の485系やつがる同様、半室のグリーン車が造られる(改造される)のではないだろうか。

現在の485系いなほは6両編成。フレッシュひたちは7両編成または4両編成で1組で、そのままいなほで使うには過不足が生じると考えられる。(6両でもやや供給過剰気味な気もするけれど…)
E751系つがるでは転用時に1編成が6両から4両に短縮化されたけれど、いなほでは、5両~6両程度に組み替えるかもしれない。

E653系フレッシュひたちの塗装は、5色。
常磐線沿線の風景や名所をモチーフにしたものでカラフルだけど、いなほとして使うにはそぐわないというか、意味付けに無理が生じそう。秋田駅で並んだ時、E751系「つがる」と紛らわしいかもしれない。
塗装の色を統一する(例えばいなほらしく黄金色とか)のもありかも。

以前、E653系フレッシュひたちに乗った時、デッキとの仕切りのドアがほとんど透明だったりして「ずいぶんカジュアルな内装だな」と感じた。
短距離の気軽な特急列車にふさわしい内装ではあるが、新潟から秋田まで3時間半を走る列車としては軽すぎて落ち着かない気がする。この辺りも手直しされるといいと思う。


ところで、現在、いなほ用の485系電車は、JR西日本に乗り入れる新潟-金沢間の特急「北越」にも共通(ローテーションの一環)で使われている。
(再掲)「北越」
E653系は、性能としては金沢まで行くこともできるはずだけど、どうなるだろうか?

そしていなほから引退する485系電車。
3000番台(の一部)は団体列車用などとして残るだろう。残りは、廃車だろうか。
そうなると、485系が定期特急列車として使われるのは、(北越は置いておいて)3000番台による新青森-函館間の「白鳥」だけとなる。リニューアルされていないオリジナルの485系の定期列車はなくなる。
かつては旭川から鹿児島まで日本中を走っていた485系電車も、風前の灯となってしまう。


数年前から、一部鉄道愛好家の間では、常磐線の車両がいなほへ転用されるという噂は散発的に出ていた。(フレッシュひたちではなくスーパーひたちのほうという話も聞いたような気がする)
また、何年か前に、E653系が団体列車で羽越本線回りで秋田まで来たことがあり、驚いた記憶がある。ひょっとしたらその時から定期列車としての羽越本線乗り入れが検討されていたのかもしれない。
かもしか~つがるの時と同じことだけど、485系の車齢を考えれば引退はやむを得ない・仕方がないことだし、中古とはいえより新しい車両投入で乗客へのサービス向上にもなる。
村上駅での電源切り替えの際、485系では車内灯が消えてしまう(非常灯だけが点灯するので夜はほぼ真っ暗)が、E653系はバッテリーがあって消えないそうなので、その点も改善されそうだ。

ただし、これもかもしか・つがるの時と同じだけど、E653系は車両の性能としては130km/hで走行できるものの、羽越本線の線路の規格上、最高運転速度は120km/h(酒田以西の一部区間)か95km/hに制限される。そのため、特にスピードアップになるわけではないと思われる。



長く親しんだ、田んぼと稲穂をデザインしたトレインマークは見納めになってしまうのだろう。
3000番台ではLEDの動画。稲穂が揺れて頭を垂れ、緑→オレンジ色に色づく

※続きはこちら
※おそらく最後の485系いなほ乗車記
E653系いなほ初乗車記
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FORUS看板/バスまつり

2012-09-08 23:21:46 | 秋田のいろいろ
秋田駅前の「秋田フォーラス」の看板。※前回の記事
工事中だったが、今日、ついに覆いが外された。
足場は残ってるけど、新フォーラスロゴ!
なお、6日夕方のNHK秋田放送局のリモコンカメラの映像で、覆いの下で、新しいロゴに照明が灯っているのが確認できた。試験点灯だったのだろう。
【11日追記】その後は節電のため、従来同様、夜間点灯は見合わせている模様。【13日追記】と思ったら、13日に点灯していた。

背後の紺色の部分は光沢があり、白い文字・ロゴの部分は出っ張っているようだ。
38年前からジャスコ→パレドゥー→旧フォーラス→新フォーラスと変遷をたどってきた看板。
これからはこれが秋田駅前の顔の1つとなる
秋田フォーラスもやっと看板が最新になったと思ったら、県外のフォーラスでは、色を反転(白地に紺色)させた看板に変えているところもあるようだ。どういう意味なんだろう。

※足場が取れた姿はこの記事末尾




恒例の「秋田バスまつり」が、今日10時から15時まで開催された。※2010年の模様
今年で17回目となるが、会場が駅前のアゴラ広場から「大町イベント広場(秋田ニューシティ跡地・チラシではダイエー跡地と記載)」へ初めて変わった。
例年より1週間前倒しでの開催になるが、今日は駅前でビールのイベントが行われていた。ビールに会場を譲る意図があった(あるいは先に押さえられた)のか、あるいは後述の展示車両の関係か。なお、エリアなかいちでは別のイベントが行われ、ふさがっていた。

今年は、秋田県でバスが運行されて100周年だそうで、その記念式典がまつりの最初に行われたらしい。
※8月23日付秋田魁新報経済面によれば、秋田県バス協会創立60周年記念誌(2001年発行)では「1912(明治45年)に尾去沢村と鷹巣町の人が2台のバスを購入し、秋田市内、秋田・土崎間、秋田市・本荘町間で営業を開始した(要約)」となっているそうだ。県北の人が秋田市で運行したというのが、おもしろい。


バスまつりの主催者は「社団法人秋田県バス協会」。NBAシールを貼らせている「日本バス協会」の下部組織。
秋田中央交通社長で秋田商工会議所会頭である、ワタナベヤスヒコさんが会長かと思ったら、別の人だった。羽後交通の齋藤善一社長が昨年6月から会長に就いているそうだ。秋田県観光連盟の会長も務め、ワタナベ氏より若い55歳。

ちなみに、8月23日付秋田魁新報経済面のインタビューでは齋藤氏は「基本に立ち返ってサービスに努めバス離れを食い止めたい。ニーズを捉えた経路やダイヤの見直しも必要だ」と話しておられる。
その通り! でも、ワタナベさんの会社ではそれができないんだよな…


今日は4日ぶりに気温が30度を越え、晴天となり、暑かった。通りがかりにちらっと覗いた。
ニューシティ跡地北東角から
昨年以前は、かなりの人出で、抽選コーナー(チラシに抽選券が付いていた。ネット以外ではどこで配っているのか知らないけど)に大行列ができていたものだった。
今年も、子ども連れを中心にそれなりに来ていたものの、駅前開催時よりは人出が少なく感じた。
駅前なら、他のイベントや買い物のついでに来ることも考えられるが、寂れてしまった大町ではそれはあまり期待できない。

これまでのバスの歩みの写真や子どもから募った100年後のバスの絵が展示されたりしていたが、イベント全体としてはいつもと大して違わない内容に見えた。
会場が広くなったためか、あるいは100周年だからか、今年は展示車両が多かった。
例年は路線バス3社から1台ずつが恒例だったが、今年は事前のイベント情報では「11台」が展示されるという。うち1台は県のEVバスだけど、残りは何か楽しみにしていた。
北側に2列で展示
結果としては、県内の新興・中小貸切専業会社の車両が多く展示されていたのだった。秋田県バス協会は22社が加盟しているので、約半数から出展したことになる。
ほとんどが貸切車両、しかも車内は非公開というわけで、期待外れだった。

EVバスは、時々子どもを対象(?)に「バスの乗り方教室」をしていたが、停車中は車内非公開だった。
2列で展示されたうち、後列が貸切車両。
前列は、JRバス東北秋田支店の夜行バス用3列シート車、秋田中央交通の仙台行き高速バス「仙秋号」、秋北バスの路線バス、羽後交通の路線バス。JRバス以外は車内も開放された。(3列シートのJR夜行バス車内も見せたらいい宣伝になるのに…)
今年は中央交通のノンステップバスが展示されなかったのも、惜しい。
JRバス「三菱エアロエース」と中央交通「日野セレガ」
中央交通は「か919」というナンバーなので、つい最近購入したようだ。
 中央交通高速バスの車内。後尾にトイレがある/降車ボタンは同社では珍しい「レシップ」製

秋北バスは中型の「いすゞエルガミオ」。北秋田市の米内沢営業所所属のようだった
秋北バスで最近は大多数を占める、国際興業グループ共通の新しい塗装。
今日初めて知ったけれど、正面に「秋BUS」をモチーフにした社章があるのか。側面には味のある書体で「秋北バス」と書かれていた。昔のキャラメル色の塗装ほどではないにせよ、新しい塗装でもそれなりに独自性があるようだ。※導入時期等によっては異なる車両もある模様

羽後交通からは、この中型バス。「315」という社番が振られていた
このバスは富士重工製の車体で、メーカーというかブランドとしては日産ディーゼルかいすゞのはず。でも、エンブレム類は見当たらず、判別がつかない。
前ドア付近の銘板を見たら、
平成10(1998)年、日産ディーゼル製でした
この記事のように、日産ディーゼルは、現在は「UDトラックス」に社名を変え、バスの製造販売からは撤退している模様。でも、今年のバスまつりにも、他のディーラーとともに「UDトラックスジャパン株式会社秋田支店」が協賛に名を連ねていた。※主要4バス会社が協賛メーカー4社それぞれの車両を展示していることになるのは、協賛各社への配慮があったのだろうか

羽後交通の展示車のナンバーは「か910」で、中央交通の高速バスと同じく最近登録されたもの。日産ディーゼルも富士重工もとっくにバスの製造をやめているので、どこかの中古車ということになる。

この羽後交通の中型バスは、
短い!
秋田市の循環バスに使われているエルガミオ同様、寸詰まりの車体が短いタイプだった。
また、中ドアを開いて、スロープを出した状態で展示されていた。中ドアに「しめきり」と表示があるように、羽後交通では通常は中ドアを開かない(前乗り前降り)ので、珍しい光景。

羽後交通と秋北バス。頭は揃っているので、羽後交通が短いのが分かる
羽後交通は来たばかりだからか、広告は出ていなかった。秋北バスは「花田農機」という秋田市では聞いたことがないスポンサー。

秋北バスと羽後交通の車内の運賃箱に注目。
 「自動両替器付 運賃箱」と「運賃箱」
水色のような灰色のような「運賃箱」は羽後交通のもの。
「小田原機器」というメーカー製で、昔はバス(やワンマン電車)の運賃箱といえば、これしかなかった気がする。秋田市営バスも基本的にはこの運賃箱だったが、千円札の両替が手動式(紙幣を縦に挿入して運転士がスイッチ操作する)のものが多かった。
現在はモデルチェンジしているので、羽後交通のは他車の使い回しか。

銀色の「自動両替器付 運賃箱」は秋北バス。(小田原機器の「運賃箱」も自動両替器は付いている)
これは現在の「レシップ」製の古いタイプで、以前「三陽電機製作所」といっていた頃の製品かと思う。
この運賃箱はバスでも見かけるが、鉄道事業者に好まれていた傾向がある。JR東日本秋田支社も以前はこれを設置していたが、現在は同社製の対面式運賃箱(投入口などのレイアウトが鉄道向けに配慮されている)に更新されている。
秋田市交通局も、1992年から1993年にかけてこれの色違い(白と水色の塗装)・高機能版を導入していたことがあった。おそらく、バスカード導入の試験の目的があったのかもしれない。
しかし、投入口の構造上、中で回数券が引っかかることがあり、あまり好まれなかったようだ。


例年、バスの車内を見る親子連れなどの多くは、それがどこのバス会社かとかどんな車種かには興味を示さない人が多いようだ。(それが当たり前だけど。車両の特徴などの解説を示したりすれば、よりバスに興味を持ってもらえると思う)
そんなわけで今年は、いちばん目立つ位置にあった、羽後交通が人気だった。人出がいつもより少なめなこともあり、秋北バスには誰もいないことも多かった。


最後に。
バスまつりのチラシには、会場へのアクセス方法が触れられていなかった。
秋田県の観光サイト「あきたファンドッとコム」にもイベント情報として出ていた(おそらくバス協会からの原稿に基づいてアップしたのだろう)が、「交通 秋田駅から徒歩20分」とある。駅から歩けってか?!(実際には20分もかからないけれど)
こんな時こそ、「バスをご利用ください」じゃないの? 100円循環バスもあるんだし。
【9日追記】例の「東北観光博」ホームページのイベント情報にもバスまつりが掲載され、「秋田駅からの巡回バス「大町通り」下車徒歩約1分」と、正しい情報。(正しくは「循環」だけどね。英語版のページには掲載なし)
秋田市の観光情報サイト「アキタッチ」には、昨年は掲載されたが、今年は掲載されなかった模様。

バスまつりの目的は「バスの利用拡大」らしいが、主催者からしてこの調子じゃあ、それは難しそうですね。
前も書いたけれど、果たしてバスまつりに来た人のどれほどが、普段バスを利用しているのだろうか?
そして、日頃からバスを利用している人に対しては、感謝の意を表してくれないのだろうか?(ポケットティッシュの1つでも配るとか)


あと、会場の秋田ニューシティ跡地。
すっかりイベント会場として定着しつつあるけれど、これでいいのだろうか?
昔、所有者の辻さんは商業施設を作りたいとか言っていたけれど…

イベント用地としても、難がある。それはトイレや水の問題。
今回も仮設トイレが置かれた
現在は、向かいのイーホテルショッポングモール(旧ファッションアベニューAD)のを借りることも可能だが、間もなく閉鎖されてしまえば、それも無理。

【2013年9月15日追記】翌年2013年のバスまつりは、9月14日にアゴラ広場に会場を戻して開催。展示車両は路線バス3社の3台(羽後交通はリエッセ、他は中型車で、秋北バスは旧塗装の富士重工ボディ、中央交通は小田急中古のノンステップ「976」が落書き用として)だけ。部品等のチャリティーバザーは行われなかった。他は例年並みだった模様。
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