広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田駅自由通路天井2期工事

2020-06-30 00:25:16 | 秋田の季節・風景
秋田駅東西自由通路の天井耐震補強が、2020年から2022年にかけて4期に分けて行われている。中央改札口前の1期は今春終了
5月から12月まで、2期として1期の東西両側を行うことになっていた。
現時点では、東側は未着工(床にテープで印は付いている)で、西側のみ工事中。
中央改札口東側から西方向
1期とほぼ同じように、白い壁と柱が仮設された。
西側動く歩道前から中央改札口方向
上の2つの写真が両端なので、みどりの窓口/待合室~トイレ~階段&動く歩道の手前の区間が工事中。

この場所には、秋田犬バルーンが置かれていたが、1期工事中は一部はしぼんだままで置きっぱなしにされていた。現在は全部撤去された。
また、秋田杉のテーブル付きベンチは、東側へ移動。オブジェのような木製ベンチはまだそのままだが、いずれ移動しそう。びゅうプラザ前などに昔からあるベンチは、仮の柱と柱の間でそのままで、使用可能。

仮囲いされた自由通路は、1期と雰囲気は同じだが、微妙に違いがあった。
(再掲)1期の仮囲い

2期の仮囲い
柱の角を目立たせる色が、緑と白の縞から黄色に変わっていて、さらに、
右手前
角に縦長の鏡が取り付けられた部分が多い。
平面ながら広角で見えるミラーのようだ。柱の陰から人が現れてぶつかるのを防止するために違いない。場所柄人の行き来が多く、1期は通る時に気をつかったものだが、これならいくぶん安心できる。【この鏡にちょっとした変化が。末尾の続き参照】
関係ないけど、ここのトイレの出入り口、そして男性用の内部の曲がり角にも鏡などがあればいいと、いつも思う。

入口が隠れる店舗などは、柱に存在を示す表示板が設置されたが、それがないものもある。

上の写真、コインロッカー室は、あったかどうか。いずれ分かりづらくなった。
さらに、その右側の柱のすぐ右にまた柱があるが、その間の凹みに黒く見えているのが、タッチパネルでスマホと連動するイノベーション自販機。看板がなく、完全に埋没してしまっている。元々冷遇気味の自販機だったが、これでは売り上げが見こめないのでは?
なお、このさらに右には、1期の記事で触れた、クリーンエネルギー発電用だったディスプレイが壁に掛けられているが、それもそのまま。

そして、上の写真右手前に「エスカレーター 仮囲いの陰にございます。」とある。エスカレーター?
コインロッカー室を背に。鏡に右から来る人が写っている
仮囲いの陰にあったのは、エスカレーターというより「動く歩道」では?
【30日追記】動く歩道のことを「水平型エスカレーター」とも称するそうだし、ここの場合、階段数段分の段差もある。広義ではエスカレーターなのでしょう。
【7月2日追記】秋田市役所の資料では、駅のこれを「トラベーター(動く歩道)」と称しているものがあった。三菱電機製のようで、商品名「三菱トラベーター」をそのまま使っている。


ところで、上から2枚目の動く歩道西側の写真を見て気付いたこと。
手前の照明の柱に、縦書き4行のプレートが設置されている。昔(おそらく駅ができた23年前)からあったと思うが、内容は知らなかった。
「注意事項」
明確にそうだとは書いてないが、内容からして動く歩道の注意書きだった。エスカレーター・動く歩道では常識的な内容4項目だが、どれも終助詞「こと」で終わっている。
この手の説明書き、しかも大昔はいざ知らず20年前で「~こと」は、キツイというか冷たい感じがする。簡潔ではあるものの、犯罪行為の禁止事項じゃないのだから。
【7月2日追記・文字について】1990年代後半なら、まだ写真植字機の文字も一般的だったから写研「ゴナ」かと思ったが、モリサワ「新ゴ」だ。下のエスカレーター付近の注意書きも別のモリサワ書体だった。どちらも写植でもパソコンでも使える書体なので、どちらかは不明。

あと、設置場所が動く歩道に対して手前すぎると思うし、2台の中央部に設置しても、右側は降りる人側だから意味がない。【7月2日補足・反対側では、ちょうど乗り口のところに照明があって、そこに設置されている。=上の仮囲いの写真にも少し写りこんでいる。】
それに「走らない」よりも「歩かない」ほうが、タテマエ上は適切だろう。
さらに欲を言えば、「降りた後、その場で立ち止まらないこと」もほしい。秋田では数少ない動く歩道で不慣れなためか、そうする人がたまにいる(特に東向き)。後ろの人がつかえて危険。
これはJR東日本じゃなく秋田市設置だろうか。ここは、来年の3期で工事されるはずだけど、一考を。
※この表示板や動く歩道の設置位置等の詳細は、この記事後半。

2期工事の続きはこちら
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土崎のサイカチ

2020-06-28 20:26:39 | 動物・植物
ごくたまに通る、秋田市土崎の裏道。
先日、その沿道にある神社の敷地、町内会館的建物と道路の間のわずかなスペースに、大きな木があるのに気付いた。
今までも漠然と目に入っていたが、神社正面にある桜とまとめて認識してしまい、何の木か気にも留めないでいた。
逆光です
路上を覆うように伸びた枝に付いた葉を見ると、
桜などじゃない!
若葉ということもあるが、柔らかそうな羽のような葉。「羽状複葉」という構造。枝にはトゲもある。

ということは、秋田では珍しくもない、通称「アカシア」ことニセアカシア/ハリエンジュかと思いかけた。
だけど、幹は大木の風情があるどっしりとしたものだし、そもそもこういう場所にニセアカシアが生えているのって見たことがない。さらに、

「羽状複葉」は、軸の先端に1枚葉(頂小葉)が付く「奇数羽状複葉」と、それがない「偶数羽状複葉」に分けられる。※実際の枚数が偶数奇数かではなく、あくまでも頂小葉の有無で判断。
この木は偶数羽状複葉だが、ニセアカシアは奇数羽状複葉だったはず。

それ以前に、幹に目をやると、
トゲトゲ
栗のイガのようなトゲが密集している。いや、トゲの途中から向きが違うトゲが生えているから、栗などより手強い。

これはもしや、話には聞いていた「サイカチ」?
いつか実物、特に花を見てみたいと思っていたが、こんな所にあったとは。つぼみがあるから、もう少しすれば花が見られる?
房状のつぼみ
この時、クマバチが飛び交っていたので、よく探してみると、
低い位置に花が咲いていた!
これがサイカチの花か!
花弁は目立たず緑色に近い黄色、おしべめしべがブラシのように目立ち、葉より短い(10センチ強)房。強い香りはなかったと思う。

想像していたサイカチの花と、けっこう違う。
ニセアカシア、フジ、キングサリなど、初夏に咲く、比較的近縁の植物たちの先入観があって、もっと色鮮やかな花弁で、もっと長い房だと思いこんでいた。
なお、黄色い鮮やかなキングサリのような花が咲く「ナンバンサイカチ」というのもあるが、サイカチとは別属なので直接の関係はないはず。

この写真は6月中旬撮影。先週末再訪したところ、もう花はなくなっていた。
ネットによればサイカチは、1つの株で雄花、雌花、おしべめしべ両方ある両性花の3種類が咲き、年によって雌雄のバランスが偏るのだそう。
ちなみにケヤキも3種の花が咲くが、これは位置(枝先とは上下とか)で決まるらしい。

花後は、マメ科らしく豆ができる。赤い色(ツタンカーメンのエンドウっぽい色)で、らせん状にカールした、長いさやだそうで、花より目立ちそう。
このさやには、サポニンが含まれて泡立つため、昔は石鹸代わりに使われ、庭などに植えられることもあったそうだ。
なお、条件や個体差なのか、トゲも赤くなるサイカチもあるようだ。


さらに調べると、サイカチはいろいろとおもしろい木。
まず、クヌギ、コナラ同様に樹液がしみ出しやすく、カブトムシやクワガタムシが集まるそうだ。
久保田藩(秋田藩)では、一里塚に植える樹木としてエノキ(秋田市八橋はエノキ)よりも、サイカチを多く植えたとのこと。今も大仙市神岡町・道の駅かみおか付近の「三本杉一里塚」、さらに大仙市豊岡で残っており、豊岡のは「(大きさが?)日本一」とする書籍もあるそうだ。【←29日地名をいろいろ間違っていたので、修正】
横手市増田の内蔵の町並み近くには、江戸時代に菅江真澄も描いた「舟つなぎのサイカチ」も現存。潟上市天王の東湖八坂神社には20本ほど群生する。
「秋田市木かげマップ」によれば、下新城岩城の庚申塚と下北手宝川の県道沿いにある。
土崎の裏道も、明治時代頃は町と田んぼの境の道だったようだから、もしかしたら、下新城や下北手のような、沿道のランドマークのような意味で植えられたのかもしれない。
また、土崎神明社隣、D51のある「土崎街区公園」にも、昔はサイカチがあったとのこと。

それにしても、一里塚とか舟つなぎとか不特定多数が利用する場所に、こんなトゲの多い木を植えたら、今の感覚では危なっかしくてしょうがない。うっかりもたれかかったりして、痛い思いをした人はいなかったのだろうか。


ところで、2017年末の記事で、サイカチのことに触れていた。
レレレのおじさんの初代などを務めた声優・槐 柳二さんが亡くなったこと。
昔、「槐」が気になって調べて、「さいかち」であることを知り、それはこのサイカチであると思いこんで(花は上記の通りさらに勘違い)いた。トゲトゲの姿を見れば「木偏に鬼」が正しそうだが、違うのだった。
読みは「さいかち」だけど、意味としては「エンジュ」を指すそうだ。ややこしい。
ニセアカシア=ハリエンジュとは別に、エンジュという種もあるのだが、これまたややこしい。

「槐」で調べると、秋田市に「雄和妙法字槐下」という地名があった。「さいかちした」。
雄物川沿いで、秋田市街地から空港へ向かう県道でも通過する。雄和市民サービスセンターを過ぎて秋田国際ダリア園の手前、田んぼに民家が点在する辺り。じゃあ、エンジュの木が生えていたということ?
【10月23日】能代市にはズバリ「槐」という大字が存在した。奥羽本線鶴形駅の米代川対岸から山側にかけての一帯。両隣の轟地区と常盤地区は見聞きする地名だが、槐は知らなかった。



Googleストリートビューで、土崎のサイカチを見ると、2015年夏にはばっさりと剪定され(トゲ対応で割り増し料金取られそう?)、2019年秋には現在並みの枝ぶりになっていた。
今もしっかりと管理され、木も元気ということになろう。また観察させてもらいます。続きはこちら
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泉外旭川駅工事2020.6

2020-06-26 00:20:03 | 秋田の季節・風景
1か月ぶりに、秋田市の奥羽本線に2021年春開業予定の「泉外旭川」駅の工事状況。
前回はホームの床板はできつつあり、泉側の駅前広場ではホームへつながる地下通路出入り口となるであろう箱が地中にセットされていた。それらの続き。
6月上旬泉側駅前。奥が下りホーム
箱の周りがすべて埋められた。
上の写真の反対側から。下りる階段が見える
そして6月中旬には、
その上に鉄骨が組まれた


ホーム。床板に続き、両端の柵、線路側の縁の滑り止めと点字ブロックも、6月中旬までに設置済み。列車を停めてドアを開けば、問題なく乗降できてしまえそうな状態になった。
一方、線路と反対側に設置されるであろう柵とか壁、屋根は未設置。
変わった工事手順のように感じるけど、こんなもんなのだろうか。
1995年末開業の井川さくら駅では、開業半年を切っても、ホームが足場で覆われていたような気がする。井川さくらは地下通路も新規建設だったのに対し、泉外旭川は既存地下道の転用だし、工事スペースに余裕がある等々、条件は違うだろうけど。

上り列車後部から、上りホーム。奥が土崎方向
長さは5~6両分程度だろうか。まっすぐなホーム。
ホーム左側の鉄板が敷いてある部分は、工事車両の通路。上りの線路と平行に太陽光発電所の横を通り、天徳寺地下道の途中から出入りする。

下り列車先頭から、下りホーム。奥が土崎方向
下りホームは、線路が右に緩くカーブしたところからホームが始まって、途中からまっすぐになるようだ。
ホームの手前左に信号機が3つあるのは、この先の秋田貨物駅の場内信号機。泉外旭川駅開業に伴ってこの信号機を移動させるとなると、いろいろ大変そうだから、このままだろう。
上り側では、ホームより手前に貨物駅の出発信号機がある。そんな環境から、運転上の位置づけとしては、上飯島駅同様、自駅の場内信号機・出発信号機がない停留所のような扱いになるのだろう。【26日補足】つまり本線の線路途中にホームを造って、ただ停まるだけの駅が停留所。ここの場合、一部分が貨物駅の構内と重複するという、変わった形になるのかも。とすれば、東海道本線の静岡貨物駅と東静岡駅の関係も同じようだ。東静岡の上り列車は、貨物駅の場内信号機に従って発車する(出発相当信号機)そうだ。

この時は、上下ホームの間で工事が行われていた。
ホームの外側(線路と反対側)の地面の上に列車見張員がいて、列車は減速せずに警笛を鳴らして通過した。
下りホーム通過中。見張員が黄色い旗を挙げている
ホーム縁の滑り止めの幅が広いような、点字ブロックがだいぶ内側にあるような、ホームが狭いような気もする。

下りホームが終わると、今度は左にカーブして、貨物駅を通過。
下りホーム停車中には、貨物駅の出発信号機が見えないことになりそう。こういう場合って、どうするんだろう。中継信号機を付けるとか?

今後は、上下線が離れて広くなっている、ホームとホームの間の部分の工事が進むのだろうが、どういうふうになるのか、まだ想像が付かない。
外旭川側の駅前広場は、ここ1月見ていないので不明。
続きはいずれまた
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赤れんが“風”通り?

2020-06-25 00:21:13 | 秋田の季節・風景
コメント欄でも話が出ていた、秋田市中心部の「赤れんが館通り」の話。
大町三丁目三番地に、明治末築の秋田銀行の店舗だった「秋田市立赤れんが郷土館」がある。※「れんが」はひらがな書きが正当。

その前のバスも通る市道の愛称が「赤れんが館通り」。
1991年に秋田市によって決定・命名され、正式な区間は「日銀前交差点~横町通り桐タンスの川島前交差点」で、つまり大町三、四、五丁目。地図サイト等では、それより広い区間にされて誤っている場合がある。
竿燈大通りを越えた大町二丁目方向と合わせて、「大町通り」と通称することもあるが、それはあくまで通称。

その赤れんが館通りのうち、大町三丁目と四丁目の区間で、5月頃から道路工事が行われ、先週くらいで終わった。
この区間は、以前は両側とも歩道がなかったが、2000年代頃だろうか、東側を縁石で区切って歩道が設けられている。歩行者の安全確保のほか、夜に運転代行車の客待ち停車が多いことも問題視されたのかもしれない。
五丁目の区間では道幅がやや狭くなるからか、両側とも歩道なしのまま。五丁目側のほうが飲食店が多いこともあるが、昼は納品車、夜は客待ち代行車が今も多い。

今回の工事では、まず車道を片側交互通行にして全面舗装し直した後、歩道も再舗装。
ライフライン工事で掘ったわけでも、バリアフリー工事でもなく、ただ舗装をきれいにしただけの工事だったのだが…
工事完了後の赤れんが郷土館前
手前の歩道が「赤い」のに気付くかと思う。
僕も最初は、工事前は赤くなかった気がしていたが、
(再掲)2016年の四丁目側
以前も歩道は赤く(ワインレッドとか呼ばれる色?)て、最近はかなり色あせていたのだった。
今回は赤くなっただけでなく、
大町四丁目下りバス停付近

北端の日銀前交差点【25日追記・ここの縁石はやけに傷んでいるが、今回は手付かず】
レンガ敷きになった?!
のではない
レンガの目地を模した線を入れて、レンガっぽく見せているのだ。

工事の途中を見ることができた。工程は三丁目区間を南から北へ行った後、四丁目区間を南から北へ。
6月中旬。四丁目と三丁目の境
上の写真では、奥の三丁目側はレンガ風になっていて、手前四丁目側は普通にアスファルト舗装されただけ。まず、この状態にしてから、レンガっぽく仕上げるのだ。
工事南端・キプロスビル
沿道の建物や電柱類を養生して、赤いペンキみたいなのを塗布というか散布していた。
最近は、スクールゾーン、バスレーン、危険箇所などで、路面を着色することも多い。白線を引くように、熱を使った手押しの機械でやるのかと思っていた。
この後、目地を入れる。これはバス車内から一瞬見ただけだったが、手順としては、最初に白い線を入れて、その後黒くするようで、作業する人は路面にひざを付けて、けっこう細かい作業のように見えた。
ただ、一連のれんが模様入れ作業は、そんなに時間がかかるわけではないようで、1区間1~2日で終わってしまうようだ。

「赤れんが館通り」だから「れんが風路面」にしたのだろう。
そして、実際にレンガやタイル、ブロックを敷くよりは、コストが安いに違いない。秋田市内のタイル敷きの歩道(県道、市道とも)では、施工不良なのか車が出入りして重量に耐えきれなかったのか、ガタガタになっているものが少なくない。タイルが外れてなくなってしまい、足を取られてつまずきかねない場合もある。
秋田市道では2012年に仲小路の東寄りにタイルを敷いたが、車が通ってすぐにガタガタになり、2015年にタイル風舗装に工事し直した事例があった。仲小路では、目地っぽい線が溝状に凹んでいるので、今回のとは工法は違いそうだが、意図は同じだろう。
ガスの栓(?)のフタ
上のような場所で本物のタイル類を使う(敷く)場合、凹凸とサイズ調整が難しく、小さく加工したタイルは経年で外れやすくなることもありそう。今回の手法なら、比較的楽だろう。
だから、合理的なやり方だと思う。
だけど、そもそも赤れんが館通りだからといって、道路を赤れんがにする必要性があるのかと言えば、ないように思えてならない。目地の線を引くのにどのくらいかかるのかにもよるだろうけど。


そして歩道がない、西側。ここも、以前から路側帯部分が赤くて薄れていた。
手前が三丁目、奥が四丁目。幅や車線・歩道がズレているのが分かる
こちら側も(手順としては東側完了後に)鮮やかに赤くなったが、レンガ模様にはならず。赤れんが館の前なのに赤れんがじゃないというのも、ちぐはぐなような…
上の写真で工事は終わったことになっていたようだ(工事看板がなくなっていて、撮影しそびれた)が、実はまだ終わっていなかった。路肩の白線がない。
上の写真と反対、手前が四丁目
現在は白線も引かれた。以前と同じく、外側に破線がある「駐停車禁止路側帯」。車は入れないが、自転車など軽車両は通行することができる。そうか、目地を入れると、その上に白線を引くことになって、おかしくなるから、やめておいたのかな。

あと、歩道がある側に、点字ブロックがなくていいのだろうか。以前もなかったが、この状態ならあっても問題ないと思うし、あったほうがいいのでは?
2020年度末に、もう1か所、同様の舗装がされた。
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のてや跡に竹半 他

2020-06-24 00:00:48 | 秋田のいろいろ
秋田市中央地区から3題。

昨2019年7月で、菊谷小路の保戸野小学校入口にある文具店「のてや」が閉店した
閉店後も2020年3月まで学校向けなど外商はやっていたようで、今春から空いたことになる。
4月下旬
営業当時と同じ姿で残っていた店の外観が、足場で覆われた。
5月上旬
壁の「のてや」が取り外された。
そして、
6月中旬
「のてや」がなくなった以外は、雰囲気としてはさほど変わっていない。2階に黒いラインが2本入り、銀色の凹凸のある壁になった。
玄関上の分度器と三角定規を組み合わせたみたいな、とさかみたいなものは、残された。上の写真では、その右側に「NOTEYA」の文字が残っているが、さっき見たらなくなっていた。

ここに「竹半(たけはん)スポーツ」が入るという。
公式ホームページに、事務所と店舗を7月1日から移転する旨が掲載されている。現在の店舗は6月8日から休業中。

当ブログで伝えてきたように、竹半は近年、秋田市中央部でウロウロしている印象。
1949年の創業から長く通町にあり、1997年(?)にすぐそばのサンパティオへ移転。
2015年1月に通町を離れ、店舗を仲小路の「くらたビル」へ、事務所を保戸野原の町のマンション「アーバン原の町306号室」へそれぞれ移転した。
2018年5月には、仲小路の店舗を閉店。8月に近くのアトリオンの地下へ移転していた。
そして、2020年7月に、再び店舗移転、かつ事務所と再び一体化する。
のてや跡は、通町時代の店の場所からも、現事務所からも徒歩圏内。やはり駅前方面よりも、保戸野側のほうが良かったのか。一元化したほうがやりやすそうだし、家賃(?)などコスト面、駐車場もあるから店としてもいいのでしょう。

【7月2日追記】予定通りオープン。祝いの花がたくさん贈られて飾られたが、その中に「株式会社のてや」からの花があった。店はやめても企業はまだ存続しているのか。アーバン原の町のその後などと合わせて、この記事にて



竿燈大通りの大町西交差点(という名があったのだけど、今や死語?)の南西角。
空き地ができた
ここに何があったでしょう?

(再掲)2013年。建物がメインの写真ではないですが、向かい右側
横手市のバス会社系列の旅行会社「羽後交通観光 秋田営業所」があった。
2019年6月3日から、川尻の国道13号沿い、羽後交通本体の秋田営業所と同じ場所に移転して、空き家になっていた。古そうな建物だったが、更地を見るととても小さかったようだ。
地下横断歩道の階段もあって、車では出入りしづらい場所。どうなるか。




八橋のエフエム秋田本社壁面の社名が、部分的に消えて(はげ落ちて)「フエ秋田」になっていたのをアップしたのは、2015年のこと
以降、通るたびに気になっていたが、さらに消えるわけでもなく、直すわけでもなかった。今年5月29日までは。
現在は、
足場が組まれた!
ついに「エフエム秋田」復活か?※続きはこちら
コメント (5)
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第一会館本館に入居

2020-06-23 00:00:09 | 秋田のいろいろ
記事にしそびれていたのですが、秋田市にある「第一会館」が昨2019年9月に事業停止・倒産した。※看板では「第」は「才」みたいな異体字を用いていた。
1970年2月設立の企業だそうで、歓楽街・川反(かわばた)にある2つのビルで飲食や宴会場を運営。
2つは「本館」と「川反店」という名称で、どちらも大町五丁目の道路1本違いのところにある、白いビルだったので、慣れない人には紛らわしかった。

まず川反店は、五丁目1番地・狭い本当の川反の通りに面し、旭川に背を向けた7階建て。フロアごとに内容が異なり、座敷の宴会場や個室のほか、個人で予約なし来られる居酒屋もあった。秋田民謡の浅野梅若一門による「出前民謡」サービスもあった。
第一会館川反店
西面は上階が面取りされていて、正面からは4階建てに見える。
看板は営業停止時のまま
1階に店舗はない。閉店時では2階が「ステーキハウス『牛(ぎゅう)ぐる』」だったが、以前(2012年10月~2015年8月の間に変更)は「カラオケ歌って和洋食」となっていて、バーだった。写真にあるきりたんぽ鍋は3階かな。

その1本西、バスも通る大町通り(赤れんが館通り)。移転した大町交番の斜め向かい、五丁目4番地(五丁目は四丁目以前とは番地がズレる)にあるのが、
第一会館本館 ※本店ではなく本館
5階建て。駐車場もあって、「第一会館駐車場」として、24時間営業・60分100円、最大800円で、誰でも駐められた。
ここは本社機能と、宴会、会議、結婚式などを行うバンケットホール。2階「欅の間」、3階梅、桜、藤、菊、蘭、萩の間、4階松、竹の間。松と竹をつなげれば300名(立食で400名)収容可能。

こちらは事業停止後、中のものが運び出されたり、何かの工事が入ったり、多少の動きがあったものの、外観はほぼ変わらず。「第一会館本館」の看板も、駐車場に自立していたものはなくなったが、電柱のものは残っている。
時間貸し駐車場は廃業(アサヒ自販機も撤去)したが、近くの店の駐車場である旨の看板があり、活用されていた。

先日、本館の前を通ると、深い(長い)ひさしの奥、かつてはアーチ型に「第一会館」と書いてあった場所に、違う文字が書かれているのに気づいた。
「東北バルブ(株)大町支店」
自動ドア上の銀色のところには「互大大町 第一ビル」。
この時は日曜だったせいか人の気配はなかった。新たな所有者が見つかり、使われるようになったようだ。

「互大」といえば「互大(ごだい)設備工業」という、工事会社があるけど、その関連? と思いつつ、後日、中通方面で偶然発見。本館から東へ900メートルほど、秋田市民市場とあきた文学資料館の間の中通六丁目。
【2021年4月21日追記】いただいたコメントによれば、この建物はもともと金融機関店舗として建てられたとのこと。
奥のビルは、左が秋田県畜産会館、右がNTT東日本

調剤薬局も入る建物で、右側には、
植木鉢と「互大設備」
下りているシャッターの上には、
「東北バルブ株式会社中通支店」!
張り紙もあって、
「6月5日より」中通支店が大町支店として移転したのだった
第一会館本館の1階に移転したとあるから、2階以上は未使用なのか。
互大設備と東北バルブの関係は不明だが、本社はどちらも秋田市添川字境内川原にあるようだし、関連は強いのだろう。
「互大大町第一ビル」という名前だから、もしかしたら、本館の2階以上に、今後ほかの互大設備関係が入居するのかもしれない。
川反の中に、宴会場を改装して企業が入るのは、街としても企業としてもちょっとやりづらいような気もするけれど、空きビルのままよりはよしと考えればいいだろうか。
【23日追記】ビル名に「第一」を入れ、電柱の第一会館の看板を残したのは、第一会館へのオマージュなのかもしれない。でも、現状では、深いひさしの奥にしか東北バルブの名が見当たらず、移転・入居したことが分かりにくい。


なお、第一会館では、大仙市協和のロイヤルセンチュリーゴルフ倶楽部のレストランもやっていたようだが、現状は不明。
さらに、2000年代初め頃では、「第一会館 東京銀座店」というのが、銀座五丁目の塚本不動産ビル5階にあったようだ。
さらにさらに、2010年代中頃くらいまで、川反店の隣と、中央通り市民市場入口交差点角にあった居酒屋「迎賓館」も、第一会館系列だったという話もあるが、詳細不明。

以下、第一会館関係の余談2つ。お食事中の方などは、ごめんなさい。
秋田県総合保険事業団が実施する、食品取扱者の年2回の検便は、たしか第一会館本館が受け付け場所になっていたかと思う。
あと川反店の男性用小便器の底には、いつもクラッシュアイスが入っていた。ハネや汚れのこびりつきの防止対策だと思われるが、初めて見たは時びっくりした。【23日追記・臭い対策もあるか。夜の飲食店では、他でもやっている店があるそうだ。】

【23日追記】2008年5月3日の「二〇世紀ひみつ基地」「旭川に舞う鯉のぼり(http://20century.blog2.fc2.com/blog-entry-425.html)」によれば、当時、第一会館店頭でこいのぼりの借用を募り、それを川反店裏とその対岸の旭川にロープを張って、何匹も吊るしていた。また、その数年前から、少し上流の秋田中央警察署付近でも同様のことをやっているとしているが、第一会館との関係は触れておられない。
その後、ここ最近はやっていない(倒産のずっと以前、2010年代初めではもうやってなかったかも)が、そう言えばそんなこいのぼりがあったな。どんどん忘れていってしまう。
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続・市の花さつき

2020-06-21 22:39:49 | 秋田の季節・風景
秋田市の花 さつきの続き。まずは、このサツキ。
大きく白い花、部分的にピンク
我が家のじいさんの形見の鉢植え。この形(大株から分けたはず)になって30年ほど経つはずだけど、そこそこ手入れするだけで、枝ぶりは別としても毎年きれいに咲いてくれる。
サツキにしては大きな花で、花弁に部分的に色が入る。めしべ・おしべの軸もピンクになることがある。もっとピンクの部分が多い(朱色?)花が咲くこともあるようだが、うちの木は毎年ピンクが少なめ?
このサツキは品種名は「秋田錦」と聞いている。

前回の通り、サツキは秋田に来た佐竹の殿様が大事にしたとされるが、その成果の1つがこれなのでしょう。他にもいくつも品種があって、秋田錦を含む代表的な5種を「秋田五銘花」と呼ぶ。
大仙市にある秋田県立農業科学館では、23品種53鉢のサツキを育成しているとのこと。

ネットで「秋田錦」だけで検索すると、秋田にある「錦」を冠するラーメン屋や飲食店、牛肉のブランド「秋田錦牛」、あとは横手市増田の今はない日本酒「秋田錦」などが先に表示されてしまう。
秋田のサツキなど、すっかり寂れてしまったようだ。
20日の秋田魁新報に出ていた秋田市広面で趣味でサツキ200鉢を栽培し、花の時期に公開しているという人も、80歳。
秋田のサツキを知ってもらい、後世に残す努力が必要かもしれない。秋田市でも、街路樹だけでなく盆栽も育てるとか。


以下、街なかの普通のサツキを中心に。
保戸野学園通り
千秋トンネル通りの西側続き、秋田大学教育文化学部附属中学校横の市道。
街路樹として、ケヤキと、防音目的だというカイヅカイブキ(関連記事)とともに、ツツジが植えられている。例によって一部分だけ代わりにサツキが植えられている。
千秋トンネルほど形良くはないが、花はたくさん
ケヤキのすき間からスポットライトのように日光が当たると美しい。

そのさらに西、泉の「ハミングロード」の南端に当たる、保戸野千代田町。
遊歩道両辺にずらりとツツジが並ぶ
これだけ並ぶと見事。並木はケヤキだから、秋田市の木と秋田市の花のそろい踏み。

南大通り西端、五丁目橋交差点付近。
シランと消火栓とサツキ
南大通り西側はサツキが多いが、あまり大きな木ではない。品種か環境か管理か。

秋田駅近く、商工中金秋田支店の前。
鉢(コンクリート製プランター)植えのサツキ

秋田駅東側、アルヴェ前~市営駐輪場一帯。「花のある美しい街」の鉢があったが、
その一部にもサツキ

ちょっと枝ぶりがイマイチ?
盆栽になるくらいだから、こういう容器栽培にも向くようだ。ツツジでは見たことないかな。

ホテルドーミーイン秋田の玄関。
上の白い花(正確には葉)はヤマボウシ
下は四角く刈り込まれた笹のようなものだが、一部だけがサツキ。花がないと区別つかない。

再び南大通り。

向かい側はサツキがぽつぽつ見えるが、こちら側はぽつんと1本。しかも小さい。
形は悪くないから、手入れはされているかもしれない。そしてその花。
花弁が細い!
色も朱色っぽく、珍しい品種かも。

以下はイラストの「市の花さつき」。南大通りには、
こんな地図が設置
秋田市中央部各所で見かける地図だが、設置時期や途中で更新されることもあるのか、微妙に異なるものもある。これは新しめ?
この地図の上部にも、道標と同じ、ピンクのサツキのイラストが描かれる(裏面・車道向きにもある)。
小塚ゴシックで「秋田市の花「さつき」」

土手長町通り、広小路西交差点の旭川沿い。
「WELCOME TO AKITA」の巨大な地図付きオブジェ?
前回、部分写真を掲載した秋田駅西口のぽぽろーど下と県庁前にも同じものがある。その中央には、
濃い緑地に白抜きで「市の花さつき」
「き」が格好悪い、細・中・中太どれかの「DFP丸ゴシック体」だ。
前回のいとくの札に、地色は似ているが、フォントも違うし、イラストはこちらのほうがつぶれがなく鮮明。劣化コピーせず、道標や小型地図のピンク色の絵と同じ原画から起こしているのだろう。

早くも夏至。今年改めて存在と美しさに気付かされたサツキもそろそろ終わりで、葉が茂る目立たない低木に戻る。

夏至の21日17時前後には、部分日食があり、日本海側は晴天【22日追記・14日に梅雨入りしているが】で観測日和だった。2012年の日食では、木漏れ日や“立体駐車場の床の穴漏れ日”で観測を楽しめた。今回も挑戦したが、朝8時前後だった2012年と比べて、日がより傾いていたせいか、木漏れ日がぼやけたり、立駐は穴漏れ日そのものが見えなかった。
秋田で見られる次の日食は、10年後2030年6月1日。かなり欠けることになっているが、だいぶ先ですな。
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白青反転案内標識

2020-06-19 00:18:58 | 秋田の地理
何度か取り上げている、道路の交差点手前に設置される、「方面及び方向」の案内標識(直近の記事)。
今回は、11年前にも軽く触れていた話題。改めて見ると不思議なもの。

秋田市南西部、新屋。JR新屋駅南側の豊岩踏切を、西から東へ渡ると、左に「西部体育館」がある。
「西部」という地域分けの命名法からしても、秋田市立の体育館だと思っていたが、そうでもないらしい。
「秋田市勤労者体育センター」というカッコ書きがあり、秋田テルサやサンライフ秋田と同じ一般財団法人秋田市勤労者福祉振興協会の管轄らしい(予約は秋田市のシステムからもできる)。1987年4月7日開館。
体育館の先で左に分かれる道があって、その先が行き止まりで路線バスの待機場所。新屋案内所(旧・交通局南営業所)が秋田市西部市民サービスセンターになったので待機できなくなり、狭い道を曲がり踏切を渡ってここまで400メートル以上行き来しなければならない。もうちょっとなんとかできなかったのか…
行き止まりでない側の道はそこで右に大きくカーブ。今は左にハッピー・ドラッグができた。

その手前、体育館の前の道路上に向けて、こんなものが設置されている。
看板?

道案内
いかがでしょうか?
「方面及び方向」の白と青が逆転したものと言っていいだろう。板がやや横長気味かもしれないが、この程度なら許容範囲。
書体は写研「ナール」だし、ローマ字・英字もあり、線や文字のバランスも、青い標識にそっくり。


とりあえず道路を進む。道案内の通り、ハピドラの先が、道路は左折と直進の丁字路。上で案内しているのはここのことを指しているのだが、バス待機場所の角とまぎらわしいかも。
今は信号機とローソンがあるが、どちらもそんなに古くはない。信号機は2012年9月時点ではまだなかった。直進すると住宅が多くなる。その直進方向から振り返ると、
こちら向きにも同じものが!

こちら側はバス待機場所への分岐が小さく描かれている
道路の線形が忠実だし、先方の国道7号をおにぎりマークで示すのは前回の記事の通り秋田の青い標識では一般的な表記。やはり、正規の案内標識の色を逆転させたものと言わざるを得ない。


2つの逆転案内標識、実はどちらも「道路上」には設置されていない。支柱の根元があるのは道路外だ。これでは「標識」でなく「看板」かも?
西部体育館の敷地内

こちらは空き地内
空き地を囲う柵には「秋田十條化成株式会社が管理する、日本製紙株式会社所有地」の旨の表示があった。
その支柱には、
薄れたものの銀色の板に縦書きで「秋田市」(青いのは海抜6メートルの告知)
秋田市道に設置される、この手の標識と同じ表示板があるから、秋田市役所が設置管理しているのだろう。でも、道路外だから建設部道路維持課管轄とは断言できない。

どうしてこんなものが設置されたか。以下のような事実もある。
・交差点を曲がった側には設置されていない。
・この道は元々は県道65号だった(2012年に市道化?)。
・2枚に共通して「西部工業団地」を案内している。
・西部工業団地は秋田市が管轄する。
といったことから、秋田市役所が西部工業団地への道案内のために設置した(雄和、R7、秋田市街はおまけ)ものだが、県道上であるため秋田県に遠慮して、道路外にかつ色を変えて設置したのではないだろうか。

ただ、学校など公共施設の入り口の案内は、施設管理者と道路管理者が一致しなくても、道路上に設置される事例は多い。※この記事最後に出てきます。
歩行者スペースが狭くなるなどのおそれがあって、秋田市が奥ゆかしくて遠慮したのか、秋田県が突っぱねたのかも。たまたま、道路外設置にふさわしい土地があったのも理由か。

西部工業団地は、1986年に廃止された十條パルプの工場跡地の転用。
体育館が1987年開館であり、この(青地)の案内標識が現行スタイルになったのも1986年の法改正。
なお、標識にナールを使うことについては法令の定めではなく、国や自治体の指針で指定されているレベルだそうだ。国へならえで、実質的に全国各地で標準になってしまっているようだ。30年以上経った今の時代、ナールがパソコンで出力できなくても。

そんなことを合わせれば、西部工業団地ができて間もない頃、昭和末に設置されたのではないだろうか。
となると、示す「国道7号」というのは、2004年に県道56号となった、新屋駅のすぐ先、美大前~秋田大橋の通りを指している。


さて、“正式な”青い案内標識は、おそらく青いベースに、白いナールや線をカッティングシールで貼っているのだと思う。これは?

おそらく白い地に青いシールを貼っている。青がはがれかけているので。
上のほうの標識全体の写真をご覧いただけ場、板を縁取るように細く青い線が見えている。はがれかけているのかと思ったが、内側の白い部分にアールがついているし、青い線のほうがはげているので、わざわざ青い縁取りを入れたことになる。“正式な”青い案内標識では、あまり目立たないが縁に白い細い線を入れる仕様なので、この点も忠実に反転させて作っている。

六角形の反射材も入っているから、
ライトが当たると光る

栃木県真岡市の国道294号上にも、工業団地を案内する真岡市設置の同じようなものがあるそうだ。工業団地つながりはたまたまなのか。
なかなか珍しい逆転看板かもしれない。
【19日追記】コメントで教えていただいたように、秋田市内ではもう1か所、北部の県道56号に「秋田マリーナ」などを案内する反転標識がある。マリーナは1995年にでき、2005年誕生の「潟上(市)」が上貼りされているので、その間の設置。これも道路の外側に立っている。ここは車道も歩道も充分広いので、狭いから外に設置したという理由にはならない。
また、その看板の近くにある、単独で「秋田市北部墓地」へ誘導する標識は、通常通り歩道の車道寄りに立っている。さらに、マリーナ側から県道へ出る手前には(市道だと思われる)、普通の青地白文字の案内標識が立っている。(以上追記)


ほかにも、秋田市設置と思われる案内標識で、色が逆転しているのではないかと思うものが2つ。
臨海十字路方向から行って、臨海大橋手前の交差点に見えるもの。国道7号上。
写りが悪いです
左折方向を矢印で示す標識2コマ分が、1枚に一体化している。デザインは、白地青文字・2本線の独特の矢印。
案内する先は「新屋」と「勝平新橋」。つまり地名と橋を案内している。

このデザインは「著名地点」の標識で、国の例示では「東京駅→2km」。秋田でも学校入口などはこのタイプが多いが、地名や橋という道路に直結する案内ではほかにはないと思う。
「方面及び方向」として、青地白文字で地図形式でない文字だけ・単独の先を案内するものも認められている(矢印は地図形式と同じデザイン)から、そのほうが適切だと思う。

勝平新橋は1988年にできたから、それ以降の設置だろう。英語は「KatsuhiraShin」と「Bridge」の間に、文字を隠している。当初は「KatsuhiraShinBashi Bridge」だったのかもしれない。
あと、臨海大橋ができた今、直進しても新屋に行ける。左折は新屋より「勝平」のほうが適切かもしれない。
【19日追記】臨海大橋ができたのは2003年、それ以前は交差点は突き当りの丁字路で、かつ秋田市道であった。短距離ではあるが、市道から国道へ昇格した道のようだ。この標識がいつ設置されたかは分からないが、国道化・臨海大橋開通後の設置だとすれば、直進方向も合わせて(右折方向は行き止まり)、青地の矢印標識を設置するのが普通だろうけど…
また、大昔(1971年以前?)は、白地の方面及び方向標識が正式だったので、設置当時の秋田市やその担当者が、それと混同して作ってしまった可能性もありそう。(以上追記)


最後、県道41号・通称横山金足線、手形山大橋と手形トンネルの間。道路が2001年開通なので、その時の設置か。※周辺の状況
両面設置
秋田市上下水道局の手形山配水場の入口を示すもの。
【19日追記】県管理の道路上に、秋田市設置であろう標識だから西部工業団地の設置当時と同じ状況のはずだが、遠慮なしに普通の標識のようにでんと立っている。
秋田市章入り
【19日22時・最後の段落の趣旨があいまいだったので、以下のように全面書き換え。】
これでは、青地白文字、太い矢印の「方面及び方向」標識の1種に見える。市章入りは別として、その基本に忠実なデザインになっている。
これこそまさに施設の入口だから、白地青文字の2本線矢印(「著名地点」標識)のほうが適切なのでは?
2種類の標識を勘違いして作ってしまったのだろうか。
コメント (6)
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市の花さつき

2020-06-18 00:26:12 | 秋田の季節・風景
旧暦5月・皐月は、今年は6月21日からだそうだが、秋田市内ではサツキの花が盛り~散り始めで美しい。
いつもツツジとサツキの違いが分からなくなってしまう(2009年のツツジの記事)が、広義ではサツキもツツジに含まれる。葉が小さく開花が遅いものがサツキ。【18日追記】葉には、ツツジのほうが毛が多く、サツキは光沢があるという違いもある。

千秋トンネルの手形側の車歩道の間の植え込みでは、
きれいに咲いている
ティッシュペーパーの箱のようにきれいな直方体に剪定されたサツキが満開。
写真の“箱”では、赤と紫2種類が混ざって咲いている。

秋田市の「市の花」は「さつき」。
秋田市ホームページ(ページ番号1001676)によれば、市の木けやきより6年早く、1962年に「秋田藩初代藩主佐竹義宣が国替えの際に水戸からさつきを持ってきて愛育したことから、また高尚、優雅な樹姿であることから」選定。千秋トンネルは市道だが、市の花だからこそ、しっかりと剪定していることもあろう。

秋田市内の街路樹や公園にケヤキが多いように、サツキも多いかと言えば、そうでもない。
冒頭の千秋トンネル通りの写真でも、向かい側は花が咲いていないが、それは花が既に終わったツツジのはず(でもここのツツジは珍しい花が咲く個体もあって悪くはない)。
八橋の秋田テレビ本社前に秋田市章がデザインされた柵状のものがあって、植え込みを覆っていたけれど、
ツツジのようだ(5月下旬撮影)

八橋運動公園の山王大通り沿いでは、
こんもり大きなツツジ(5月下旬撮影)
ただ、場所によっては、ツツジとサツキが混在。
右の未開花で葉が小さいのがサツキ(5月下旬撮影)

市立保戸野小学校正門周辺の沿道には、ツツジが植えられている。花を終えたツツジに混ざって、
ぽつんとサツキが夕日を浴びて輝く
【18日追記】混植されているのは、意図的なのか偶然(苗発注時や作業時の間違い)なのか不明。葉は明らかに違うから、プロが見れば分かるはずだけど。

ほかにも、ここ数十年で植えられたはずの街路樹や街区公園では、ツツジが圧倒的多数。見ごたえがある千秋公園もツツジ。市の花というわりには、サツキの存在感が薄いのでは?
ただ、これは事情があるのかもしれない。保戸野小のサツキの写真でなんとなく分かるかと思うが、周りのサツキより樹が小さい。民間管理のサツキでも、小さすぎて、草刈り機で除草する時にいっしょに刈られてしまうのではと心配になるものがある。
千秋トンネルのように大きなサツキがあるのは、品種や管理方法によるのかもしれないが、サツキは本来あまり大きくならないのかもしれない。【18日追記】積雪への順応性も違うのかも。
だから、盆栽にされるのかもしれないし、今、市内の民家のお庭を拝見すると、小さくこんもりと赤い花を付けたサツキがあちこちで目立つ。小さく楽しむのがサツキと言えそう。


さて、手形と広面の境付近にある、スーパーマーケット「いとく秋田東店」。
駐車スペースと店舗際の自転車置き場兼通路の仕切りとして、
サツキの植え込み
この店は2009年10月オープン(もうそんなに経つか)だから、その時に植えたのだと思うが、それにしてはスカスカで樹形もイマイチだし、雑草も… やっぱりこういう場合はツツジのほうがいいのかな。
その植え込みに、
「市の花さつき」の札が!
そんなに長くない植え込みの中に、3枚刺さっていた。

この札、ほかのどこかで見た記憶がある。公園とか??
いとくは大館市が本社だから、わざわざこんな札を作るとは考えにくい【18日補足・いとくでは、同時期に秋田市内に複数の店舗を新しく開店させたが、他店にはこのような植え込み自体がないと思う。】。秋田市が作って配ったのではないだろうか。
「市の花さつき」は平成丸ゴシック体(写研が作って、例外的に唯一パソコンで使えるフォント)のようだ。

このサツキのシルエットのイラストにも見覚えがある。
(再掲)
秋田駅など市街地数か所に設置された、大きな地図に、同じ色合いで大きなイラストがあった。「市の花さつき」の書体は違うようだし、絵は元は同じながら微妙に違うのだが、後述。

さらに、市中心部各所に1997~1999年に設置された、道標(2018年に追加設置分にはなし)のてっぺん。
文字なしで白地に赤
道標と地図は、イラスト部分は同一のようだ。ここで植え込みの札と比較。
植え込みの札
両者で輪郭は同一。しかし、札のほうが、花弁の一部が欠けていたり、細部がつぶれたのかおしべが2本しかなくなってしまったりして、全体にぼやけた絵になってしまっている。
ということで、やはり秋田市役所が関わったもので、先に道標や地図用の絵があって、それを転用したものの、技術的な問題か何かで“劣化コピー”されてしまったのではないだろうか。

あと、秋田市のサツキといえば、市営バスのバス停。
1994年度に更新された、2代目バス接近表示のステンレスボディのポールにピンク色のサツキが描かれていた。あれも、これと同一では?
その後登場した、バスロケもどきポールや、バス停の上屋の壁にもサツキが描かれた。
旧国道「帝石前」上りの上屋
このタイプの上屋は、各所にそこそこある。
先日少し触れた、宝くじ・公営交通事業協会からもらった3つの上屋は屋根だけだが、このタイプは壁もあって雪国向き。秋田市交通局が独自で選定したのだろう。
そのサツキ。壁が広いから大きい
これは地図や札とはぜんぜん違った!
葉があるし、花の向きも違う。【18日追記】比べると絵のタッチも似てはいない。どちらも単色のシルエットということで、似ているように錯覚してしまっていた。花だけを描き、おしべを飛び出させた道標の絵のほうが、サツキらしさがストレートに伝わると思う。

ただ、花も葉も同じ色で描いてしまっているし、文字もないから、サツキであることが伝わりづらい。僕も、2代目バスロケを最初に見た時、「ハイビスカス? どうして??」と一瞬、悩んだ。今は民間バス会社のものだから、知らない人にはなおさらかも。
確証も根拠もないが、2代目バスロケは、「(当時の)秋田高専の教員がデザインした」と聞いたような気がする。このサツキの絵もその先生が描いたのかもしれない(というまったくの憶測)。
【18日追記】サツキのイラストを最初に採用したのは、交通局だと思われる。それにヒントを得て、数年後に建設部・都市整備部が案内表示を作ることになった時、まねしたのではないだろうか。いずれも秋田市役所の組織なのだから、交通局の絵を融通してもらってもよかったような気もするが、交通局は公営企業だし、そろそろ廃止の話も出た頃だろうから、後々問題にならないよう、改めて別に絵を作ったのかもしれない。


市営バスではもう1つ。1985年導入の貸切車両には、1台ごとに公募で「○○号」の愛称が付けられた。その中に「さつき号」もあった。
※1985年導入があきたふき号、さつき号、こまち号、おばこ号、まごころ号、けやき号、かんとう号、ふれあい号。1986年の追加導入がわかば号、やどめ号。さらに二階建てみはらし号、中二階建て(スーパーハイデッカー)わかくさ号。

さらに、まったく別デザインで、現在は新規作成はないと思われる、水道局のマンホール蓋タバコの袋にも、サツキが描かれていた。
市の花さつきの続き
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秋田に赤シーサーバス?!

2020-06-16 00:25:58 | 秋田の季節・風景
秋田市南部地域、農村部の旧道沿いにあるモノのお話。
あえて場所は明記しませんが、周囲の写真で分かるかと思います。写真は今年早春に公道上から撮影しています。
もし実際に訪れる場合は、交差点とカーブがあり、そこそこ車も通るので、事故と近隣への迷惑にならないよう、配慮をお願いします。また、私有地へは立ち入らないでください。
右手前は田んぼ
かつて「村」の中心地だったことがしのばれるように、地域の拠点の施設がいくつか建つ。新しい建物になったものも。
上の写真左側に、赤い車がお尻を向けて写っている。
最初に気付いたのは2018年。キッチンカー、キャンピングカー、あるいは幼稚園バスみたいなのが駐車しているのかと思った。
近づくと,
ナンバープレートがない
周りに軽ワゴンなどが何台かあり、それもナンバープレートがないものもある。廃車体だ。

赤い車の窓ガラスには「ノンステップバス」と、一般路線バスの車とそっくりな表記もある。
側面後部には「01-0083」という社番のような数字。さらにその下に雑に消されているが、
「大阪市交通局」!

大阪市営バスの廃車が、はるばる来たらしい。
大阪市バスについては、たしか民営化か何かされた程度の知識しかなく、こんな小型バスがあったとは知らなかった。
そして、この小型バスそのものも、初めて見た車。
外国製バスの流用であった日野ポンチョの初代モデルと雰囲気は似ているが、ちょっと違うかも。

塗装は赤を基調に、後部と(よく見えないが)前部は黄色くて、手がきの模様のようなしっぽのようなものも描かれている。落書きじゃなさそうだけど、何?

道路上からはこれ以上見られないので、観察は以上。
ネットで調べたら、いろいろ分かった。

まず、大阪市交通局のバス事業は、2018年に「大阪シティバス(もともとは交通局の外郭団体)」へ移管されていた。
赤い小型バスは、交通局時代、2000年から2013年まで、市内各地(住宅地も繁華街もあったようだ)で運行されていた100円均一のコミュニティバスの車両。その名も「赤バス」。

車種はボルボ系のスウェーデン製「オムニノーバ・マルチライダー」。定員25~27名なので、中型免許で運転可能。
Wikipediaによれば日本では日産ディーゼルが発売し、全国で10ちょっとの事業者が導入。
大阪市交通局は70台も導入したそうだが、故障が多かったとのこと。後に製造元が倒産したこともあり、後継は日野ポンチョを真っ赤ではない塗装で導入。
大阪のマルチライダーは2012年頃から廃車が始まり、2013年の赤バス自体の廃止時までに全車が引退。一部は別の土地で走っている車もあるとのこと。
そうして引退・放出されたうちの1台が、秋田へ流れてきたことになる。

この局番「01-0083」号車は、2001年導入で「なにわ200あ83」ナンバーだった。「大正ループ」という路線専属だったらしい。
赤だけでない独特の塗装は「シーサーバス」だから。見えない正面にはシーサーの顔が描かれているはず。
大阪市大正区は、沖縄出身者が多いそうで、「大阪市大正区の区制80周年と沖縄本土復帰40周年を記念」し、「大阪市立泉尾工業高校ファッション工学科」の生徒がデザインし、大正ループ2台のうち1台に塗装し、2012年12月24日から赤バス廃止時まで運行された。(同校ホームページ等より)

したがって、たった1台だけ、3か月ほどしか営業運転しなかったデザインの車が、秋田にある。

なお、現役時には、「出入口」表示の右に円形のロゴマークがあったのが消え(痕跡あり)、「リアウインドウ下に「お出かけには赤バスをご利用ください」と書かれていたのも消えている。にしては、「大阪市交通局」の消し方が雑で、そのおかげでここまで分かった。


秋田市営バスも「赤バス」と呼ばれた。
※実際には、中央交通と競合しているエリアにおける区別のための呼び名というのが実態だと思う。市営バスしか走っていない地区では赤バスなどと呼ばなかった。単に「バス」といえば市営バスだった。
置かれている場所の前も、かつては市営バスが走っていた。これも縁なのか。
秋田で走らせるつもりだったのか、単なる廃車体として持ってきたのか。
お尻向きながら道路からよく見える位置であること、実はフェンスをはさんだ隣が子どもが訪れる施設であることを踏まえれば、もしかしたら「見てもらいたくて」置いたようにも思えるのだが…
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県立体育館前の謎バス停

2020-06-14 00:06:22 | 秋田市営バス
先日、秋田市山王大通り周辺のバス停の表示板交換を取り上げた。その番外編。
交換対象外ながら特徴的なものだとちょっと触れていた、「県立体育館前」停留所。

文化会館・八橋球場前と山王交番前(寺内方面は分岐して秋田市保健所・サンライフ秋田前)の間が、県立体育館前。
県立図書館の最寄りということもあってか、利用者はそこそこ多い。運賃境界で、駅方面だとここから値上がりするので、文化会館前で乗り降りしたほうが安いから、そうする人もいるけれど。
また、羽後交通の急行秋田・本荘線は、県立体育館前が起終点。先日、本荘から到着した空っぽの急行バスを目撃したが、きちんといったん停車してから、営業所へ回送して行った。
上り側には、市営バス末期設置と思われる、上屋(椅子なし)がある。

以前触れたように、かつては、羽後交通のポールと、中央交通用としては上下とも共用タイプが置かれていた。2009年5月ではそうだった。移管後作成と思われる、スーラ書体・ローマ字入り(下に写真あり)。
その後、2012年10月までの間に、共用タイプが撤去された。その後、現時点までは、
上り側
上りは順当に円形表示板に交換。細いスーラを縦長にして、ローマ字入り。中央交通がスーラを採用した初期の仕様。
なお、羽後交通はローマ字なしで以前の楷書体(羽後交通の書体についてもいつか)。


そして下りは、
こんなものが!
見慣れぬ、ソーラーパネルが付いた、薄い埋めこみ式ポール。
2009年5月では、羽後交通との間に共用タイプがあった
このようなケースでも他のバス停では、共用タイプの代わりに円形表示板を置いて、ポールが林立し続けるのが、中央交通のよくあるパターンなのに、ここはすっきりと既存ポールへ集約。でも、そのポールが謎。

このポールの正体。
かつては、事業者名部分に「市営バス」だったか「秋田市営バス」だったか表記されていた。今はシール貼りしている。この青地白文字のシール上辺には、社章の下が少しだけ見えている。移管された円形表示板に上貼りした、社章・社名シールの社章部分をカットして貼ったのだろう。
共用タイプが中央交通専用だったことも合わせて、元は市営バス専用のポールだったことになる。
2009年。元は各社1本ずつだった



真横。右が謎ポール。傾いてしまっているけど、薄い

これは現在の写真、上とは反対面。以前より傾きが大きくなった?
上の写真の下の青い部分には、
「(財)日本宝くじ協会協賛/(社)公営交通事業協会」
交通局の自費ではなく、そこから補助してもらったのだろう。市営バス時代には、同じ組み合わせでバス停上屋がいくつか設置されていた。通町、豊町、市立病院西口など。その事業のバス停ポール版か。

一般社団法人公営交通事業協会ホームページに「モデルバス停留所施設 設置事業」として紹介されていた。
「宝くじ助成事業として昭和62年度から平成3年度まで実施していた案内板に引続き、平成4年度からモデル・バス停留所施設設置事業として上屋の設置を実施している。さらに平成7年度からソーラー照明付き標識の設置も実施している。」とのこと。
ソーラー照明付バス停標識の写真も掲載されていて、これと同一。
年度別の設置事業者も掲載されている。秋田市では、上屋が平成4、8、11年度におそらく1つずつ。標識は平成12年度だけなので、県立体育館がそれで2000年度設置と考えられる。※上屋についてはこちら
【2023年8月29日補足・2021年5月時点で、徳島市の「徳島中央公園・鷲の門前」バス停(その数年前まで「公園前」の名)に、同型と思しきものが設置されていた。】

表示部分とソーラーパネルの間に、バッテリーなど入っていそうな厚めの箱があり、そこも銘板があった。
「太陽電池表示灯」
「テック大洋工業株式会社」の「TB-611Z」。
製造年月は消えて見づらいが、「10」月らしき痕跡があるので、2000年10月製か。


「テック大洋工業株式会社」について。
東京に本社がある、ベンチ、案内板、照明といった公園設備などのメーカーで、ソーラーや風力を使うものも得意なようだ。
事業所(工場?)は2つあり、静岡県三島市と秋田県大館市。
ホームページの商品紹介>クリーンエネルギーのところに、簡単に「太陽光発電バス停留所標識」が紹介されている。これも県立体育館前と同一らしき写真で、上に「市営バス」、下に宝くじと協会の名が記されているようだ。それなのに「佐賀バス」と実在しない事業者名のキャプション。「佐賀市交通局(佐賀市営バス)」じゃないでしょうか…


「ソーラー照明付バス停標識」だから、どこかが光るはずだが、ライト類は見当たらない。
また、秋田市交通局から中央交通へ移管された、他の電照式バス停と同様、今はおそらく点灯しなくなってしまった。電力供給は不要ながら、20年も経てばバッテリーの劣化などはあるだろう。

移管から3年後、2009年春の段階では、まだ光っており、写真を撮っていた。

赤ではなくオレンジ色のLEDが入っているのだろう。時刻表を貼る面全体が内側から穏やかに光っていた。
当時は横にサンクスがあって明るいが、この程度の照明でも時刻表がいくぶんは見やすくなるだろう。

真っ暗な道なら、バス停の存在と時刻表確認に効果を発揮しそうだが、街灯代わりにはならないだろう。
秋田市交通局では、末期に「市営バス」とバス停名の文字が赤色で点滅(ソーラーでなく電力供給)する埋めこみ式ポールを設置していたが、時刻表部分は照明なしだった。このタイプの方が意味はあるかな。
でも、今は弘南バスのようにLED懐中電灯みたいなので代用はできそう。ちょっと昔の、公営交通ならではのアイテムなのかもしれない。

それにしても、秋田市交通局では、どうしてこれをここに設置したのだろうか。
おそらく公営交通事業協会から、1本割り当てがあるから、場所を決めろと言われたのだと思うけど。
下り方向では、前後の各バス停は、既に何らかの電照式(バスロケ、バスロケもどき、LED点滅のいずれか。どれも現存)になっていたが、ここだけそうでなかったからという理由かもしれない。

今は点灯せず、脚が曲がり、ソーラーパネルの天を向いた3本の角(ツノ)みたいなのの1本も曲がってしまっている。しかもパネル下辺にはコケが生えている。

※この角の役目って何? こういう小型太陽光電池にはたまにあるみたいだけど。なお、点灯していた時代も曲がっており、動作への影響はなかった模様。
公営交通事業協会からの贈り物という、市営バスならではのバス停で、かつ秋田市では“1点もの”という存在。このまま朽ちていくのか。

ちなみに、市営バスでほかの1点ものバス停といえば、
(再掲)「築地下丁」下りの小型電照式

(再掲)撤去済み・「木内前」の天井吊り下げ・両面の2代目バス接近表示(方面別に4台あったけど)
あとは、電柱に巻き付く上り「自衛隊入口」、未紹介だけど、古くて新しい(?)デザインの船場町経由の下り「割山町」も。
微妙な違いとか同型が撤去されて残り1つになってしまったものとしては、いずれも電照式の上り「登町上丁」、上り「東通仲町」などが挙げられる。機会があればいつか。※続きは割山町
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チアーズとサンダイヤの昔のCM

2020-06-11 23:48:08 | 昔のこと
たまにふと思い出す、昔のテレビCM(の歌)が2つある。
どちらも、県域よりは広範囲で放映されたが、全国放送ではなかったようで、誰でも知っているわけでもなさそう。「ヤンヤンヤヤ(八木山ベニーランド)」や「だいじょうぶ~(三八五引越センター)」みたいなもので。
見ていた当時は知らなかった(おそらくネットで調べられるようになった2000年代以降に知った)が、今回の2社とも青森県と関係が強い企業だった。


1つ目は、秋田では昭和末~平成初期頃、夕方のアニメ枠でよく流れていたと思う。
「ピーターパンはパンじゃない」のような、言葉遊びの歌が3つ続き、最後にメーカーらしき名称「チアーズ」が歌われて終わる。15秒だろう。
映像は写真を組み合わせたアニメ、歌うのは男の子だったか。冷蔵のチキンナゲットみたいな肉類加工品の写真が写っていたと思う。
最初は1パターンだけで、後に別の歌詞のバージョンも作られた。

ネットで検索すると、少し情報が出てきた。北海道でも放送されていたそうだ。
広告主の「チアーズ」は、八戸市に本社があるメーカーの、企業名でなくブランド名。
企業名は放送当時は「第一ブロイラー株式会社」、2008年に「プライフーズ株式会社」となって現在に至る。
チアーズブランドは1983年に導入し、今も使っている。当時テレビで見たのと同じ、赤とオレンジのロゴ。

そのCMの歌詞もネット上にあった。正式なものでないし、同じ人が複数箇所に投稿している可能性、覚え違いもあるかもしれないが、見てみれば、そういう歌詞だったなと思うので、ほぼ合っていそう。漢字表記等を調整して、以下に記す。

第1弾 キューリー婦人はキュウリじゃない ピーターパンはパンじゃない 佐藤くんは甘くない
第2弾? 鈴木くんは魚じゃない おさない(小山内/長内)くんは子どもじゃない 越後屋さんは悪くない
第3弾? ジャストミートは肉じゃない 毛ガニはケガしたカニじゃない フルーツパンチは痛くない

当時、「おさないくんは子どもじゃない」が分かりづらいと思ったのを思い出した。
苗字の「おさない」から「幼い」というつながりが、子どもの視聴者には難しいかもしれないのと、それ以前に「おさないくん」=「おさない姓」が存在することを知らない人が多いのではないかと考えたから。
秋田ではおさないさんは、わずかにはいらっしゃる。小山内さんも長内さんも、都道府県別分布でいちばん多いのが、青森県(読みでなく、それぞれの漢字表記での統計)。
青森の企業のCMだったことを思えば、青森県民の感覚で作ってしまって、県外での放送では分かりづらくなったかもしれない。(スクランブル交差点の乙女の祈りの例もあった)

一方、越後屋=悪は時代劇の影響で知名度は高いが、単に昔の商家の屋号だと思われているかもしれない。今も越後屋姓が実在することを知る人はどのくらいだろう。
越後屋姓は、全国的には秋田県に圧倒的に多い。青森でも皆無ではないだろうが存じ上げない。


このCMが放送された時期は、昭和最後1988年か、平成になって1991年ではないかと思う。
なぜなら、その年に同じクラスだった人が、第2弾の替え歌を作ろうと、いろんな苗字で作詞を試みていたから。1989~1990年はクラスが違ったので。

さらに第3弾の「ジャストミート」も手がかりになるかも。
それ以前にも言葉はあったが、ある頃から急に身近なよく使われる言葉になった。当時日本テレビの局アナであった、福澤朗氏の決めゼリフとして。1989年に「全日本プロレス中継」に福澤さんが起用されて使い出したようだから、時期が重なる。
ということで、昭和のいちばん最後~平成のいちばん初め頃の放映ではないだろうか。




もう1つは、チアーズの数年後、高校生の頃(これもクラスメイトが歌っていた)、秋田テレビの昼前のニュース「FNNスピーク」でよく見た。

商品の写真と、男性が写り、その男性が良い声で歌う。
「サンサンサンサン サンダイヤ 1台だけでもサンダイヤ」

「サンダイヤ/SUNDIA」とは、北国・寒冷地の必需品「ホームタンク」の商品名。
ごく最近はまた変わりつつあるが、効率や経済性を考えると、寒冷地では暖房や給湯に灯油を使うのが一般的。そのための、(主に屋外用)据え置き型大容量灯油タンクのことを、ホームタンクと呼ぶ。
各家庭で設置して配達してもらえば、運んだりポンプで注いだりしなくても、スイッチやレバー操作で暖房やお湯が使える。灯油の存在を意識せずに使ってしまうし、万一、漏洩した場合は近隣へ【12日補足・土壌や河川といった環境や消防当局にも】迷惑をかけることになるのは注意。

1974年7月23日の秋田魁新報夕刊に「怠るまじ、灯油保存/ホームタンク激増/豪雪・オイルショック 骨身にこたえたネ」という記事があった(県立図書館見出し検索)。
なるほど。ヨンパチ豪雪による配達困難と、オイルショックによる灯油不足・値上がりを経験して、より多く備蓄しようとする家庭が増えたのか。でも機器のほうがホームタンクに対応しないとダメか? 今のホームタンクとは違うホームタンクなのか?
いずれにしても個人的感覚では、昭和末時点の秋田市ではホームタンクはそれほど普及していなかったと思う。ストーブ1台ごとに都度給油し、風呂・台所は別々のガス給湯の家庭が、まだ多かったと思う。
1990年代中頃以降、ホームタンクが広まったかもしれない。
そして、このダジャレのCMソングで、「サンダイヤ」というブランドのホームタンクがあることを知った。
【12日補足】寒冷地ではホームタンクは、“一家に1台”に近い存在だが、一家に2台以上あることはまずない。その面では「1台だけでもサンダイヤ」は、ある意味実態に即していると言えるかも。

今、秋田市内のお宅のホームタンクを拝見すると、結構な割合で「SUNDIA」。シェアトップかもしれない。
正面ロゴは位置的に撮れなかったので、横のカタカナロゴ
正式名称は「オイルタンク」か。
数年前、我が家のホームタンクがそろそろ耐用年数で交換したが、灯油屋さんもこちらも、最初からサンダイヤ前提で話が進んだ。その頭の片隅には「サンサンサンサン」「1台だけでも」があった。CMの効果がまだ続いている。

昔のCMに話を戻して。
ダジャレの歌を歌っていたのは、なんとあの尾崎紀世彦氏!

Wikipediaには、「北東北限定CM、1991年」「リヤカーを引きながら本人出演」。
一方、尾崎さんのファンサイトには、1994~1997年に東北・北陸で放映との情報も。
僕が高校生の時見たのは時期的に1994年。それ以前には見た記憶もないし、リヤカーも覚えがない。数年違いで2バージョン以上あったのかもしれない。

尾崎さんといえば、1971年の名曲「また会う日まで」。
1990年代では、過去の歌ではあったが、尾崎さんは過去の人でもなかった。
日本テレビで「夜もヒッパレ一生けんめい」→「THE夜もヒッパレ」という、バラエティ歌番組があったが、月1回ほど尾崎さんが出演して、マイクを口から遠ざけて「二人でドアを閉ーめーてー」を大音量で歌ったり、出だしの音が似た「真夏の出来事」とひっかけて「また会う、車に乗って」と歌ったりしていた。僕はそれで尾崎さんと「また会う日まで」を知ったかもしれないし、今も歌い継がれるのはこの功績も大きいかもしれない。
尾崎さんがヒッパレに出ていたのは1994~2002年だそう。また同時期には、他社のCMソングもけっこう歌っているようだ。

さて、ホームタンク・サンダイヤを発売するのは、東京に本社がある「株式会社サンダイヤ」。※東京には「サンダイヤ株式会社」も存在するが、食品添加物などの無関係の企業のようだ。
各種タンクのほか、ゴミ置き場、床暖房パネル、“ねこ車”こと手押し一輪車のタイヤをスキー化する「ねこスキー」なるものなどを販売。
「宝栄工業」という企業の営業部門を1982年に独立させた企業とのことで、その製造部門として、今も「宝栄」を名乗る企業が全国各地に4社ほどある。
そのうち、ホームタンクを製造しているのが、「青森宝栄工業株式会社」。青森県六ヶ所村にあり、場所柄、原子力やマリンレジャー(釣りとか?)関連も扱っている。

ということで、上のサンダイヤも、
青森宝栄工業株式会社

僕が秋田でテレビCMを見た翌年頃には、青森へ行ったことになる。青森でもサンダイヤのCMは当然、流れていたようなのに、見た記憶はない。
尾崎さんが出なくなった後は、青森つながりを重視したのか、吉幾三氏や十和田在住のシンガーソングライター桜田マコト氏が出ているそうで、秋田でも放送されるらしいが、見た覚えはない。

2つとも、おもしろくて、ブランド名もきちんと頭に残る、いいCMだった。
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大川反方面も表示板更新

2020-06-10 00:22:34 | 秋田のいろいろ
先日、秋田市の山王大通り~竿燈大通り~中央通りのバス停の表示板が交換されたことを、長々と(最初の記事最後の記事)取り上げた。
その際、山王大通り西端「臨海十字路」バス停よりも、さらに先にも、交換対象となり得るバス停が続くことを、すっかり忘れていた。臨海十字路より先、臨海大橋手前を南へ左折して、秋田営業所(大川反車庫)へ向かう路線上の3停留所。
コメントで存在を思い出し、現地を確認すると、それらも交換されていた!
「大川反」

「船木鉄工所前」

「たけや製パン前」※県庁経由側のみ。長崎屋経由側は後ほど。
大川反上下と船木鉄工所前下りは、以前は支柱が錆びていたのがきれいになっているので、いっしょに交換されたようだ(台座は不明)。

交換直前は、3停留所・上下とも、四角い“共用タイプ”表示板であった。「船木鉄工所前」を2018年2月に撮影していた。
上り

下り
上下とも、北を向いていた面は普通だったが、南面は黄色の色あせが激しかった。下り側は板が曲がっていた。
共用タイプ表示板ではあるが、バス停名部分の雰囲気が、市営バス時代の本物の共用タイプとは違う。そもそもフォントがナールでなくスーラだし、文字が小さめで余白(余黄)が広い。ローマ字は「HU」「ZYO」など独特。
交換前の臨海十字路も、文字の大きさはやや違うがスーラで「ZYUUZIRO」表記と共通点が多いことから、移管後に中央交通が設置した可能性が高い。

また、「大川反」も上下とも船木鉄工所前と同じ見た目だったが、詳細は確認できずに交換されてしまった。
Googleストリートビューでさかのぼると、大川反は2012年11月時点で既に以前の表示板。船木鉄工所前は2015年8月までしか分からなかったが、その時点で以前のものだった。

実は、船木鉄工所前は上下とも、下に以前使われていたバス停名のカットシール文字が透けていた。事業者名部分には「市営バス」も透けていて、“真正共用タイプ”を転用していたことになる。
下り側を画像加工
画像では分かりにくいと思いますが。
上り側を画像加工
下りは「御所野ジャスコ前」、上りは「シルバーエリア入口」と判読できた。

「御所野ジャスコ前」とは、今の「イオン御所野店前」。秋田東営業所入口、ニューシティ前、サティ前、新都市交通広場など2011年4月にいくつか同時に名称変更されたバス停の1つ。
「シルバーエリア入口」は、御所野のイオンのそばだが、今も同名。Googleストリートビューで確認すると、2017年7月時点ではまだ共用タイプで、2018年7月には円形に交換済み。

したがって、少なくともシルバーエリア入口は、直近ではなくその1つ前の別の共用表示板だったようだ。市営バスの御所野方面撤退時に交換されたのだろうか。
なお、中央シルバーエリアは1997年に開設されたので、どんなに古くても製作はそれ以降。


「たけや製パン前」は、また違う。
上り側は、直近はパソコン印字の角ゴシック体で、日本語のみ表記。ストリートビューでは2015年8月でそうだった。2012年11月時点では、片面は丸ゴシック体で紙っぽいものに日本語のみ表記、もう片面は文字が消えていた。
そして下り側は、
2019年9月ストリートビューより
スーラらしきフォントでローマ字入り。
だけど、バス停名が「たけやパン前」と「製」が抜けてしまっている。
一般人にはそのように通称されるし、市営バス時代もそう言っていたので、中央交通さんだけの責任にはできないが、そこを間違っては失礼だ。

そうそう。市営バス移管前から元々の中央交通の車庫であった、大川反車庫のすぐ近くであるため、この辺は中央交通の独壇場という感覚になってしまっていたが、かつては市営バスもここを通っていた。恥ずかしながらすっかり忘れてしまっていた。
中央交通・県庁経由大川反車庫行きに対抗する意味があったのだろう【という単純な話でもなかったようだ。コメント欄参照】。市営バスでは「山王(県庁)経由たけやパン」行き/発という系統を運行していた。
再掲)市営バス時代の方向幕。「製」が抜けている
完全競合ということで、市営バスから中央交通への路線移管第一弾として、新国道経由などとともに2000年4月に中央交通へ移管された。この路線は、中央交通側の本数がとても多いので、移管というより“市営バス撤退”かな。
かつては、大川反バス停の昔の名が「クリスマス電球」だったとか、「大川経由交通局線」なんていうのもあったけれど、別のお話。

あと、本数が少ないのでこれも忘れそうだけど、たけや製パン前から車庫に入らず、勝平新橋を渡って行く、山王商業高校線、県庁経由割山線も、いずれもここを通る元市営バス路線。

県庁経由側・下りたけや製パン前。台座は古そう
県庁経由が通るバス停は、位置的には“たけや製パン横”。
先の信号を右折すれば、すぐ秋田営業所。信号を直進すると、やや右に曲がって勝平新橋。
上の写真で、右から左へ直進するバスが写っている。車庫を出て、長崎屋経由で秋田駅西口へ向かうところ。その後続はこちらへ曲がって県庁市役所前から運行する、空港リムジンバス。

信号を左折したところが、たけや製パンの正面であり、そこには長崎屋経由が停まる「たけや製パン前」バス停がある。そちらは今回は更新されなかったが、この機会に見ておこう。
長崎屋経由上り側
整備帰りなのか「回送」幕で通過する中型バスは、中央交通の日野レインボーでは最古参の部類の603号車。男鹿営業所所属らしいが、車体には「中央交通」とも「中央トランスポート」とも書いていないようで、ただの緑のバス。
表示板の色も、細いスーラの「たけや製パン前」も鮮やかだが、社名は消えて、下にほかの文字がボコボコしている。2012年11月にはこれになっていた。
下り側も同じ
車庫行きしか通らないから、次(信号を越えればすぐ)が終点のここから乗る人はいないだろう。

また画像をいじると…
上り側
「市営バス」も表記があったようだが、その当時の下段「秋田中央交通」がやけに下にある。
そのバス停名は「フェリーターミナル前」。
以前、ポートタワーセリオン方面のバス停表示板は、配色とその区分けが他と違うことを取り上げた。
フェリーターミナル前もその1つだったが、2010年頃に、ターミナルへの路線が一時期廃止されたため、バス停が撤去されたと聞いた(現在はバス停は復活)。その時の表示板だ。

下り側
移管直後に多数設置された、JTCウインRっぽいフォントだが、珍しくローマ字がない(八橋下水道終末処理場前上りはローマ字なし)。
「下沖田面」とある。
上小阿仁村沖田面(おきたおもて)の辺りでしょう。中央交通では2008年9月まで、五城目と沖田面を結ぶ路線があった。そこからはるばる持ってきたのか。なお、終点の沖田面では秋北バスと接続していて、バス停は秋北バスのものを間借りしていたらしく、中央交通の「沖田面」は存在しなそう。
この隣、「プライウッド前」も見てみた。細スーラ日本語のみの同スタイルだが、バス停名は浮き出ていなかった。上り【10日訂正】下り側の事業者名は「秋田中央トランスポート」らしき痕跡があったので、これもどこかローカルな所からの転用なのかもしれない。

※この後の更新は、2021年の単発。また文字配置が変わった
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緊急事態の表示板

2020-06-07 20:38:49 | 秋田のいろいろ
新型コロナウイルス感染症が、こんな短期間で、あんなに世界に広まるのかと、改めて病気やウイルスの怖さを思い知らされている。
現代では、ウイルスの知見や検査技術が発達したからまだいいもので、それらすらない時代だったら、これ以上の感染者と恐怖を巻き起こしていたことだろう。
日本では、いずれ第二波が来るだろうけど、「緊急事態宣言」も全面解除され、地方ではとりあえず落ち着いた。これまでの緊急事態宣言の経緯は、
4月7日 7都府県で発出。5月6日まで。
4月16日 全国に拡大。5月6日まで。
5月4日 5月31日まで延長。
5月14日 39県で宣言解除。
5月21、25日 残りの7都府県で解除。

緊急事態宣言中の外出自粛などの行動は、各都道府県知事から住民へ「要請」する形だった。そのため、秋田県などでは緊急事態宣言継続中でも、たしか連休明け5月5~6日辺りで、不要不急の外出や飲食店の休業の要請は解除された。
テレビニュースは東京中心だし、県広報とは別に各テレビ局が作ったスポットCM(NHK秋田放送局を含む4局合同版もあった)の差し替えが追いつかないこともあって、連休明けでもしばらく「不要不急の外出は自粛しましょう」のままなど、今の秋田がどうなっているのか、正しく伝わらない場面もあった。

さて、県内の交通量が多い道路に面して、秋田県警察本部が設置・運用する3色LEDの情報装置(道路情報表示装置)を、過去に何度か取り上げた。
秋田中央道路地下トンネルの両側入り口手前(当ブログでは秋田市の山王大通り・県庁第二庁舎向かいのものを取り上げています)は新しめの装置だが、国道13号の猿田川橋付近のものは古くてドット数や輝度が劣る。その新旧で同じ内容を表示することもあり、その制約なのか、素人がドットを埋めて作ったのではないかと思えるヘタクソな文字が出ることもあった。

通常は、シートベルトや中央道路内の事故注意など、いくつかの定型内容を表示(時間で分けている?)するが、臨時の交通規制や交通安全週間など別内容が出ることもけっこう多い。
それでも、ほぼすべてが道路交通分野の内容で、確認した例外は「青少年の非行・被害防止月間」の告知だけであった。警察分野の告知ではあるが、関係が薄い内容を運転中の人に見せると、注意が散漫になりそうな気はする。

そんな表示板に、緊急事態宣言中、それに関係した告知が出ていた。警察とはほぼ無関係の表示は初めて見た。外出がはばかられ、写真も撮れなかったが、そうするだけの事態なのは分かる。
連休明け、延長されてまだ緊急事態宣言中には、
「秋田県からのお願い」

「緊急事態宣言 延長!」

「県外への移動を控えましょう」
「県警から」でなく「県から」のお願いということは、知事部局から頼まれて表示したのだろうか。
「お」「緊」「事態」「宣」「長!」「移」は(手作り? でない)きれいな文字のようだ。

その翌週、宣言が解除されると、
「運転免許センターからのお知らせ」

「日曜日午前中の更新受付は」

「混雑のため優良講習等に限定します」
「雑」はきれいな字。「優良講習等」はひどく(?)て、「習」の「羽」は直線のみ、「等」のたけかんむりは縦棒がない。

これは県警からのお知らせということになる。「混雑のため」だけで言及はないが、もちろん感染防止の一環。
5月17日から31日まで、日曜午前の受付回に限り、優良運転者と高齢者(講習受講済みの人)に限定して、免許更新を行ったことの告知。

5月中はずっとその表示だったというわけでもなく、5月末。
「県民の皆さまへのお願い!」

「県外との不要不急の移動を控えましょう!」

「三つの密を避けましょう!」
「民」「お」「!」「密」がきれい。
内容からすればこれも県警でなく県からのお知らせだろうか。この時点では、知事はまだ「県外との往来の自粛」を求めていたから、矛盾はない。

県外との往来自粛は5月いっぱいで終了。県警表示板は、以前と同じ定型に戻っている。
※秋田県では現時点で、5都道県との往来(真にやむを得ない場合を除く)と県をまたぐ観光は、引き続き6月18日までは避けるよう要請しています。最新の情報は県のサイト(コンテンツ番号49988)等で確認してください。

県警表示板についての次の記事



最後に、警察でなく道路管理者管轄の表示板。
国道7号、通称臨海バイバス。臨海十字路から青森方向へ進んですぐ、271キロポストの手前に設置された単色横長のLED表示板。こちらは、常にきれいな丸ゴシック体。フォント名は調べてみたが特定できず。
手前の青い距離の案内標識は中央分離帯に設置
距離表示は青森、大館、能代。なぜか距離の数字部分が上貼りされている。
通常は、電光表示のほうでも、まったく同じ3地点の距離を固定表示していて、意味がない。
しかし5月中は、距離と別の画面を交互に表示していた。
5月9日
「不要不急の外出 県をまたぐ移動は 自粛を!」

5月16日
「県をまたいだ 不要不急の移動は 自粛を!」
1週間で微妙に変わっている。前者は「県内を含めた不要不急の外出」や「必要・急ぎであっても県をまたぐ移動」をも自粛を求め、後者は「県をまたいだ不要不急の移動」だけを自粛してほしいことになろう。
でも、それだと5月9日の内容が、秋田県知事(周辺他県も同じはず)の要請よりも厳しいことを求めていることになる。連休明けの段階で、県内での不要不急外出自粛は解除されていたのだから。単に、国土交通省東北地方整備局秋田河川国道事務所の更新遅れまたは確認ミスだと思うが、まじめに受け取ってしまうとややこしいし、国の出先機関が県知事の決定事項を否定していると取られてしまうかもよ(冒頭の地元テレビ局のスポットも同じく)。
現在は距離固定表示に戻っている。

そんな状況下でも、流通業界など県を越えて行き来してくれた人たちがいたから、我々はさほどの混乱もなく生活を送ることができた。
また、県土が広い東北と言えども、隣の県へ通勤通学、買い物や通院しなければならない人もいて、肩身が狭かったことだろう。


ところで「不要不急」という言葉は、本件以前では、いつから使われていたのか。気になって調べた見たが、分からなかった。
台風や爆弾低気圧接近時に「明日は不要不急の外出は控えてください」と伝えられることがあった。それでもここ10年くらいではないだろうか。

鉄道好きとしては、もっと前から言葉は知っていた。「不要不急路線(不要不急線)」として。
第二次世界大戦中(1941年8月30日以降)に、鉄道のレールなどの資材を、重要線区用や武器に使うために、重要度の低い路線がその名目で休止や廃止されたのだ。御殿場線では複線だったのが単線にされ、今も単線の隣に、線路跡の空き地が続いている。
戦後しばらく、不要不急は死語になっていたのか?
21世紀になって(?)気象情報で「ほんとうに必要なこと以外は」のニュアンスで、誰かが使い出して広まったのだろうか。4文字で見れば意味が分かりやすくはある。
今回のウイルスは、国内外の何人かが言っていたけれど、まさに戦争。ある意味、ふさわしい言葉なのかもしれない。
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かた焼きメロンパン

2020-06-05 00:31:06 | ランチパック
たけや製パンのロングセラー商品といえば、「アベックトースト」「バナナボート」「粒あんグッディ」などなど。
秋田県民のソウルフードとされることもあるが、申し訳ないけれど、どれもあまり好きじゃない。好きなのは、
かた焼きメロンパン 312kcal
平成初期・中学生の頃のはずだけど、かなりの頻度で食べていた。
その後、店で見かけなくなったような気がしていたが、この10年ほどは発売されている。扱い店は多くはないけど。たけやホームページには未掲載。

今のメロンパン事情は、数十年前とかなり変わった。メロン果汁やクリームが入っていたり、コンビニオリジナルや車で乗り付けて販売したり。
平成初め頃までは、メロンパンを知らない人は少ないものの、あんパンやクリームパンほど身近でなかった。僕も含めて、メロンパンには原料にメロンが使われていると思っていた人もいる。

たけやでは、1985年に「あん入りメロンパン」を発売(2011年に復刻)しているから、普通の(何も入ってない)メロンパンはそれ以前から発売されていたと考えるべきだろう。
僕が初めてメロンパンを食べたのは、昭和末か平成初期辺りだったはず。それが、かた焼きメロンパンで、はまってしまったのだった。1~2回程度だと思うが、学校給食に出た(中学校で行事がある日の簡易給食として?)ような気もする。

ネット上でも、たけやのかた焼きメロンパンを好きな人は少なくないようだ。でも、アベックトーストやバナナボートと比べると、インパクトが薄いのか、知る人ぞ知るという感じに近いかも。

さて、久々のかた焼きメロンパン。
真上から
記憶と違うのは、思ったより小さい(これは経済状況の変化でしょう)のと形。上から見るとまん丸だと思っていたが、個体差なのかこれはやや扁平で、短いほうが10センチ、長いほうが12センチほど。
表面に光沢がある(触ると若干べたつく)が、昔はツヤはなかった気もする。
シュークリームのよう
砂糖がまぶされず、焼き目がなく、表面が茶色いのは、昔と同じ。【5日補足・あとツヤは別として、表面のボコボコした質感も。】
中はふわふわパン
食感や味は、おおむね記憶どおり。やはりおいしい。
甘すぎず、かといって(中部分も含めて)甘さが物足りなくもなく、いいあんばい。「かた焼き」というほど硬くはないが、他のメロンパンと比べると柔らかくはない。砂糖はかかってないし、皮が分離したりボロボリ【5日訂正】ボロボロ、ポロポロになって落ちたりしづらく、食べやすいのもいい。

そうか。僕は初めて知ったメロンパンがこれだったから、こういうもんだと思った。
でも、黄色くて薄い(網目模様が入ったり)砂糖がかかったりした、標準的なメロンパンを先に知っている人からすれば、変わったメロンパンに映りそう。


ところで、たけやではかた焼きじゃない普通のメロンパンはあるのか?
公式サイト内に画像があるのを検索で発見。その名も「メロンパン」というのがある(あった?)ようで、そう言えば見たような気もするが、メジャーではない。緑のチェック風の包装で「皮はサクッと、中はふわふわ」とあり、黄色っぽくて焼き目は目立たない。
なお、工藤パンでは巨大なメロンパンなど時々出しているが、レギュラーの普通のメロンパンはないかもしれない。
そして山崎製パン。これは秋田でも流通して、5月新発売のクラウンメロンホイップ入り、大きなメロンパン、皮だけとかいくつもある。
さらに「かたいメロンパン」という商品も存在していた。確認した限り、2010年と2016年に出ていて、パッケージが違う。たけやのかた焼きにわりと似ているが、表面はもっとつるんとしている。

ところで、徳光和夫氏はメロンパンが好物。
日本テレビ「ズームイン!!朝!」の司会を務めていた時は、本番前にメロンパンを食べるのが日課(今で言うルーティン)だったという。
スタジオの片隅で、袋を開けてメロンパンにかぶりつく徳光氏をテレビで見た。
その食べていたメロンパンが、たけやのかた焼きに似ていたはず。当時はヤマザキとたけやの関係は認識していなかったはずで、「同じメロンパンを食べてるんだ」と思った。【5日補足・徳光氏が食べていたのがヤマザキ製かどうかの記憶が、そもそもない。】
徳光氏がズームインに出ていたのは1988年3月まで。勘違いがなければ、僕は小学生のうちにかた焼きメロンパンを知っていたことになる。
ちなみに、秋田放送では1992年秋までは、この時間はTBSをネットしてズームインは放送されなかった。その他の日テレの番組で、舞台裏が放送されたのだと思う。


最後に、たけやかた焼きメロンパンの包装。

緑と白の2色で、網目メロンのイラストが描かれている。昔と変わっていないと思う。
「かた焼きメロンパン」の書体。
「かた焼き」の丸ゴシック体は、今は道路の案内標識ほぼ限定でおなじみ、写研「ナール」だ。「た」「き」が間違いない。
「メロンパン」は極太の丸ゴシック。写研「スーボ」という書体だと思う。「パ」の丸の重なりかたが特徴的。
スーボは最近まで知らなかったが、かつては本のタイトルなどでわりと使われたようで、例えば「美味しんぼ」は、漫画もアニメもスーボだと思う。今もどこかで似たフォントがありそう【後述のモリサワ「トンネル」等】だけど、線の流れと重なりかたは違う。

ただし、まったく変わっていないというわけでもない。Takeyaの現行ロゴになったのは1992年だし、裏面には食塩相当量も含めた栄養成分表示があり、全面でおそらくモリサワのデジタルフォントを使っている。
また、表の下に小さく「イラストはイメージです」とあるのは、フォントワークス「スーラ」のようだ。昔は許されても、今はメロンが入ってないのにメロンの絵を入れるには、注記が欠かせないから、後で追加したのだろう。
手直ししながら、商品名部分はあえて変えていないのだと思う。

ほかにも、たけやでは「アベックトースト」や「あんぱん」などもスーボだ。「学生調理」も? 「粒あんグッディ」は似ているが違う。
そうした商品で派生商品が発売される時は、商品名部分はスーボで、他はデジタルフォントを組み合わせている。
例えば、2017年夏には、水色で印刷した「かた焼きメロンパン 塩バター風味」があったが、「塩バター風味」だけ角ゴシックの別書体だった。
今、アベックトーストの中身をロールパンに入れた「アベックバターロール」というのが出ている。それは「アベック」だけスーボを流用し、「バターロール」はモリサワの「トンネル」というフォントで代用している。注目すれば、線の重なり方が違う。
写研は、自社書体をパソコン向けフォントにするのをかたくなに拒んだが、今、たけや(が委託したデザイン会社?)がそういうことができるということは、写研書体(の輪郭線)をデジタル化して、パソコンで扱えるようにしているのかな。

シライシの巨大メロンパンの話
コメント (4)
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