広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

アザミ/ケヤキその後

2015-07-31 00:09:34 | 動物・植物
トゲがあるけれど可憐な花を咲かせるアザミ。
アザミの花
開花時期や葉からして「ノアザミ」かな?(自信なし)【2021年11月2日コメントでご指摘いただき追記】花の付き方やトゲから、外来種の「アメリカオニアザミ」のようだ。アメリカ~と言いながらヨーロッパ原産。トゲが多く鋭くやっかいで、外来生物法の生態系被害防止外来種に指定されている。

アザミの仲間には、もっと小さい花が咲く種も多いけれど、これは大きめで、頭に思い浮かぶ典型的なアザミ。
葉はのびのびと茂っている。

野原などにも生育する植物ではあるが、少なくとも秋田市ではそんなによく見る植物というわけでもない。
写真のアザミが咲くのは、秋田市中心部の…
消火栓の脇!
アスファルトの隙間から生えた「ど根性アザミ」だ。
秋田市中心部で野生のアザミを見ること自体、かなり珍しいと思う。
同じキク科のタンポポやフキのように、花後は綿毛ができる

【2019年6月6日追記】その後、この消火栓自体が、(おそらく車の出入りの邪魔にならない場所に)数メートル移設のうえ更新され、元あった場所はふさがれた。


増水した旭川で、幹が折れた状態だった那波家の水汲み場のケヤキ。
水が引いて29日までに折れた枝が切断・撤去された。
護岸の石の色が変わっている部分(まだ黒く濡れた所+その上の白く乾いた所)まで増水していた



全体的には以前と変わったようには感じない
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笠岡・下流側

2015-07-29 21:16:36 | 秋田の地理
秋田市北部の新城川の付け替え・拡幅工事完成後の状況。この記事で5回目ですが、あと2回ほど続きそうです。※最初の記事
なお、先日は秋田市全域で大雨となったものの目立った被害はなかった。新城川流域で被害がなかったのは、この工事の効果だろう。

前回の記事に続いて、下新城笠岡が舞台。改修前の狭い新城川には、笠岡地内に4つの橋が架かっていた。改修後は旧橋の架け替えも含めて新しく3つの橋が架けられた。今回は下流側(下新城笠岡のうち字笠岡を中心に)を紹介。
飯島側から県道112号で笠岡地区に入ってすぐ、左から新城川が寄り添ってくる地点に架かるのが、前回冒頭の写真にも写っている「下笠岡橋」。1969(昭和44)年3月竣工。
県道側から
集落の家並みへ入っていく道が県道から分岐してすぐの所に架かる。
市道側から。対岸左右が県道、右方向が飯島。たもとは枝垂れ桜かな




下笠岡橋から上流へ160メートルほどの所に県道と集落を結ぶ橋がもう1つ。県道と川が再び離れた所なので、県道からは見えないし、市道の入口も小さくて見落としそう。
右岸上流側から
いかにも農村部らしい光景。
この橋の名前は…
銘板が生け垣に埋もれていた
笠岡橋」。架橋年は不明。

あれ? 前回紹介した、県道の小学校手前・簡易郵便局の所の橋(本工事で架け替えされた)も「笠岡橋」だった。
「県道の笠岡橋」と「市道の笠岡橋」が存在するってことだろうか?
あちらは「下新城笠岡」という大字名、こちらは「下新城笠岡字笠岡」という小字名からの命名かもしれない。



以上2つの橋は、洪水時の報道でよく写される、定番の光景だった。
現地を訪れてみて、狭い川と住宅が隣接というか同じ場所を流れており、洪水に対しては危険な場所だったことが理解できた。(報道では川以外の周辺の情景はあまり写らないので、予想とは少し違った印象をも受けた)
【30日追記】この上流の下新城岩城地区も同じような光景で報道されることがあったようだ。そちら側は今も変わらないはずだが、この工事で下流のキャパシティが増えたことで、氾濫しにくくなったことになる。

この工事によって、この区間では100メートル強西側の集落と田んぼの間に河川が付け替えられた。
その結果、2つの橋は現在も橋としての姿は留めているものの、その下の川は、
埋められつつあった(笠岡橋)
訪れたのは田植え時期であったこともあってか、少しは水が流れていた。
最終的にはどうなるのだろう。道路の高さまで埋めるのは大変そうだけど、そうしないのならば橋は残しておかないといけないし…
洪水対策のためなのは承知だけど、歴史ある農村らしい光景を流れる川の情景が失われるのは少々寂しい。


下笠岡橋から西へ100メートルほどで家並みがなくなり、田んぼが広がる。その境に新しい新城川が造られ、集落と田んぼを結ぶ新しい橋も架けられた。
田んぼの向こうには奥羽本線、国道7号線や下新城中野、秋田火力発電所が見える
橋は2013年3月完成の「新笠岡橋」。同じ工事により2005年にできた上飯島橋とよく似た造りだけど、銘板の橋名は上飯島橋は手書きと思われる文字だったのに対し、こちらは出来合いの毛筆書体。

2012年10月撮影のGoogleストリートビューより。橋台・橋脚しかできていない
上飯島橋と同じく、こちらも先に橋を造って、完成後に川を掘る手順だったようだ。
立派な橋(田んぼを背に集落方向)
橋の下の川も立派。旧流路と同じ新城川とは思えないし、人の手でこんな川が造られてしまうことに驚く。
この工事によって、川幅は従来10~15メートルだったのが57メートルになったと報道されていたけれど、57メートルってのはこの辺りなのかもしれない。
堤防は砂がむき出し
ただ、この時は水量がかなり少なく、ぬかるんでいるかそうでない場所は埃っぽいような状態。上記の通り、旧流路は埋められて機能していないので、時期によってはこの程度が新城川の水量なんだろう。
今後、たくさんの水が流れ、堤防などの環境整備も行われ、“川らしい”姿になっていくことでしょう。

右岸の堤防と下流(南)方向
上の写真に写っているものは、左端から、紅白の細いアンテナが飯島字薬師田にあるNHKラジオ第1放送の「飯島ラジオ放送所」、携帯電話のアンテナがあって、中央のピンク色の横長が飯島鼠田の丘の上の市立飯島小学校、グレーの高いのが前回触れた秋田市消防本部土崎消防署飯島出張所、送電線の鉄塔があって、右端が秋田港のポートタワー・セリオン。
この場所に限ったことではないが、見る場所を変えると、知っている建物が、こういう配置でこういう距離感覚で見えるのが斬新というか不思議な感覚になる。

南西方向。コメリの奥に秋田火力発電所の煙突
秋田火力の煙突といえば、2本。それが、ぴったり重なって1本に見えた。
※昔は3本だったけれど、低い2本のうち1本がなくなった。
発電所の西側は海だから、東方向の山までの限られた直線上でしか見られないことになる。

国土地理院「地理院地図」に加筆。赤が新流路、新道路
地形図では、下笠岡橋がだいぶ「長く」示されてしまっている。

新しい新城川に沿って、新しく造られたであろう道をさかのぼる。続きます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県外局の広告

2015-07-27 21:07:35 | 秋田のいろいろ
秋田魁新報社の秋田県中央部限定の女性向け週刊情報紙「マリ・マリ」。
24日付vol.316の14面
色とりどりの正方形が並ぶ。
複数の広告主の広告を集めた、全面広告のようだ。

どれも放送局の広告。
見覚えのある局のキャラクター、青森放送の「らぶりん」、青森テレビの「山田じん子」もいる。

詳しく見ると、秋田と宮城を除く東北各県の民放テレビ局全局が出稿している。(青森3局、岩手、山形、福島各4局)
掲載される順番は、左上から右下に向かって、青森・岩手・山形・福島の順で、各県ごとの中では開局時期が早い順。
多くが、青森放送や青森テレビのように、マスコットやキャッチフレーズをメインとした自局そのものの宣伝。
山形放送は55周年、福島中央テレビは45周年、テレビユー山形とテレビユー福島は「暑中お見舞い申し上げます」を告知。ただしテレビユー山形は「TUY」のみで、山形の局であることが伝わらない。
青森朝日放送、IBC岩手放送、テレビ岩手は、局全体ではなく、1つの自社制作ローカル番組を出演者の写真入りで宣伝。

この中で、マリマリの配布エリアで視聴できるのは、ケーブルテレビ経由での岩手放送と、県境部での山形県の各局くらい。
視聴できないテレビ局の広告の意味があるのかと思ったら、上部に目立たないタイトルがあった。

「TV Channel Guide 2015」「帰省・ご旅行の際は各地のチャンネルをお楽しみください。」
なるほど。
だけど、「TV Channel Guide」と言えば番組表でもあるのかと思ってしまうけれど、こんな一覧表だけでは名前負け。
「各地のチャンネルをお楽しみください」と言うのなら、各局のキー局やチャンネル番号なんかを教えてくれると親切。
それに「帰省・ご旅行の際は~」と言うのなら、同じ東北の宮城県の4局も載せてやってもいいんじゃないでしょうか。

やっぱり広告効果はきわめて低く、ほとんど無意味な広告に思えてしまう。各テレビ局はよく足並みを揃えて広告費を出したもんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐるるダイヤ改正

2015-07-26 21:20:30 | 秋田のいろいろ
2012年7月21日から運行を開始した「秋田市中心市街地循環バス『ぐるる』」。
※秋田市が運行主体で、中央交通に運行業務を委託しているもの。中央交通が自発的・主体的に走らせているのではない。

買物広場・秋田駅西口から広小路、通町、土手長町、南大通りを経て買物広場へ戻る、片方向の環状運行。運賃は100円均一。
1周20分で、9時から16時台までほぼ20分間隔(3回だけ40分間隔になる)で運行。
当初は試験運行だったものが、後に正式扱いになり、専用塗装の車両も登場(ぐるると命名されたのもこの時)している。※一般路線バスと同じ塗装の小型バスで運行される場合もあるので、利用時は注意。
※ルート等はこの記事など、車両はこの記事など参照。

ぐるるは、これまで設定がなかった秋田駅・通町と南大通り・中通病院を結ぶ初めての路線バスであり、この区間の利用者がわりと多い。通町・大町→駅へは、一般路線バスより遠回りになるためか、さほど利用者はいない。
秋田市民の高齢者は、一般路線バスも100円で乗車できる(秋田市高齢者コインバス事業)ものの、秋田駅→通町・大町と利用する時に、重複ルートの一般路線バスが減便されかつ時刻が不均一で覚えづらいので、(ほぼ)20分の等間隔で運転されるぐるるが利用しやすいと話す人もいる。

運行開始から3年経ち、沿線住民、沿線の病院への通院客などにはある程度定着し、リーフレットを持った旅行客が乗っていることも少なくない。
その一方、時間帯によっては乗客が1~2人(ゼロのこともなくはないが多くはない)の便もちらほら見受けられる。一般路線が大幅減便される元日なども、ガラガラで通常通り運行される。ぎゅうぎゅう詰めで牛島や新国道方面へ向かう一般路線バスを空席だらけの車内から見て、とても申し訳ない気持ちになったこともあった。
だからと言って、これ以上ぐるるの運行間隔が開くと、待ったより歩いたほうが早い状況になり、存在意義が薄れてしまうと思う。

また、駅から通町・大町通りまでは一般路線バスとまったく同じルート・停留所なのは、芸がない。一般路線バスとは違う道を通って“差別化“して新たな需要を呼び起こせそうにも感じるし、通町~交通公社前をすっ飛ばしてショートカットしてしまう通町でのイベント時の迂回運行も一考の余地があると思う。【28日追記】広小路の通行止め時は南大通り→通町→南大通りという遠回りになるのも同じく。
今春の市議会議員選挙では、循環バスのルート見直し(使いやすくする方向で)を公約の1つに掲げて当選した新人議員がいたので、期待したいところである。


さて、中央交通のホームページに7月17日付で「中心市街地循環バス(ぐるる)の運行時刻改正のお知らせ(2015.8.1改正)」が掲載された。どこがどう変わるのか期待と不安で見た方がいたかもしれないけれど、秋田市のホームページや同日付広報紙には「1~3分程度運行時刻が変わります。」とあり、軽微な変更であることが分かる。減便・増便などはない。
循環バス運行開始後初となるダイヤ改正の変更内容を見てみる。

ぐるるでは、曜日や時間帯に関係なく、すべての区間の所要時間は同じ。
だから、「秋田駅西口は03分、23分、43分発」などと覚えやすい。多くの都市の循環バスのダイヤはこの方式で、だからこそ利用しやすい。
8月1日の変更後もそれは変わらないが、一部バス停間の所要時間が見直される。
秋田駅西口→千秋公園入口、大町通り→交通公社前、南大通り・中通病院前→市民市場前がいずれも2分から1分に短縮。
合わせて3分が浮くことになるが、次便の買物広場始発時刻はそのまま。つまり、市民市場前→買物広場が従来の2分から5分に延びた。
これだけの変更。

したがって、千秋公園入口~大町通りの各バス停で1分、交通公社前~南大通り・中通病院前の各バス停で2分、市民市場前で3分、それぞれ従来より早発となる。
例えば、通町とねぶり流し館前は、従来「08分、28分、48分」→8月から「07分、27分、47分」などと。

一般路線バスとの重複区間(同一ルート・停留所)では、従来は一般路線バス、ぐるるともに秋田駅西口→通町5分、秋田駅西口→大町通り6分、五丁目橋→市民市場前4分。
それがぐるるの新ダイヤではそれぞれ4分、5分、3分と1分ずつ短くなっている。
秋田駅西口→千秋公園入口も2分が1分になっているが、信号待ちがあるからこれはどう考えても無理。


ぐるるをそれなりに乗って・見ている者としては、ダイヤ改正の理由が分からないというか実態に逆行する変更に感じられる。
現行ダイヤでの運行実態を、早着・定刻・遅延の3つに分けると遅延が最も多い印象。
1~2分の遅れはしょっちゅうだし、起点の買物広場で既に5分とか、通町以降で10分近く遅れるようなケースも珍しくはない。前のダイヤからの遅れを引きずり、それが蓄積されるのだ。
早着もしくは定刻なのは、車両交換後最初のダイヤやイベントがなく交通量が少ない土日などに限られる。(早着時は途中バス停で時間調整をちゃんとやっている)
そんな状況なのに、ダイヤを繰り上げては、結果的に遅れを拡大させることになるのではないだろうか。

市民市場前→買物広場だけが時間が長くなったが、これは買物広場での時間調整の待機時間を多く取るということなんだろう。だけど、1周20分の枠は変わらず、それで吸収できないほどの遅延が以前から生じているのだから、無意味。
客向けの時刻表には現れない、車両や乗務員のやり繰りの変更もあるのかもしれないけど。

仮にも県庁所在地の中心部だけに、工事や各種イベントなどに伴う渋滞、歩車分離式信号による長い信号待ちなど、遅れを生じさせるさまざまな要因があり、遅れてしまうのはしょうがない面もあるが、「1周20分」という設定に少々無理があるのかもしれない。
一般路線バスも同じだけど、待たされる客としては、不安だし夏や冬はつらい。もうちょっと真剣に意味あるダイヤを考えてほしいと思ってしまう。

なお、中央交通のほとんどの運転士さんに感心するのは、遅れていても急いだり乱暴な運転をする人が少ないこと。客が着席するまで発車させず、前方の信号が黄色になれば停まる。それが当然ではあるのだけど、安全こそが乗り物に求められる最重要の使命である。(ごくまれに、遅れてもいないのに、妙にせっかちな運転の人もいるにはいますが…)

2022年6月に、ぐるるのダイヤは大きく変更された
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

増水/駅前ビル

2015-07-23 22:51:33 | 秋田の季節・風景
昨日は最高気温が34.8度、最低気温も連日23度程度の蒸し暑い日が続き、雨不足だった秋田市は、今朝は大雨。3時から10時にかけて100ミリほどの雨が降り、7時台は1時間で27.0ミリの豪雨。
秋田市内では26か所の道路が冠水、新屋では床下浸水があったとか。
午後の旭川の二丁目橋。竿燈まつりののぼり旗が設置された
3日前とは打って変わって濁流&増水。(年に3~4回はこうなる)
(再掲)3日前の同じ場所

大きな枝が川に向かって折れていた那波家の水汲み場のケヤキ。
今日も折れた枝はそのまま、濁流にさらされていた
今のところ、増水前と同じ状況。折れた方向からして、流れの影響を受けにくいせいかもしれない。
でも、流れて下流の橋や護岸を破壊したり、つながっている木本体をも倒してしまうようなことにならないとも言えない。この増水では、危険で作業できないのだろうが、早めになんとかするべきではないだろうか。(多くの人が通る場所だし、何よりも河川管理者の県が定期的にパトロールしているだろうから、撤去作業を行うべき木の管理者へは、当然、伝達済みだと思っているけど、大丈夫ですよね…)
二丁目橋から
ちなみにこのケヤキたちは秋田市の保存樹に指定されているが、登録名は「那波家の防火並木」らしい。

【28日追記】その後、増水が収まった28日に見てみると、枯れた幹は本体から切り離され(切り口がややブサブサしていて人為的か自然にかは不明)、護岸寄りの川の中に置かれていた。巻き添えになった枝のほうは、ロープで吊るしていた。
誰かが対策を取ったことになるが、この状態では再び増水すれば、切った幹が流れていくことになり危険。早めの撤去が必要。
【29日追記】29日には折れた枝はすべて撤去された。これで安心。この記事後半。




秋田駅前の区画整理に伴う道路新設のために解体された「秋田駅前ビル」。その跡地の道路にならない残りの部分を使って、新たな秋田駅前ビルが建築されるらしかった。※この記事後半参照

「4月1日着工(多少遅れる見通し)、12月中旬完成」とのことだったが、今のところ着工の気配はなく、更地のまま。
「建築計画のお知らせ」の看板はいつの間にか撤去され、道路との仕切りは6月初めに仮囲いから木の柵に変わっていた。その時、敷地の中にも土地を分割するように柵が立てられた。
※以下の写真は6月中旬撮影。現在も同じはず。
ぽぽろーどから撮影
上の写真で、右のタワーレコードの看板(フォーラス)から中央奥に向かって一直線に伸びた柵が見える。これが新たに設置されたもの。
おそらく、この柵より左(西)側が道路予定地で、右側が道路にならない土地=新ビル予定地なんでしょう。

上の写真で奥に当たる一方通行路から。
赤い矢印の下が新たな柵
柵が示す通りだとすれば、やっぱり不整形(断面が三角形?)でだいぶ狭い(細長い)ビルになりそう。で、いつ着工していつできるのでしょうか…

※この後、10月下旬頃には、敷地の西側部分(=道路になると思われる部分)にゲートが設けられ、工事車両が出入りするようになった。看板によれば下水道の工事。
※その後、2016年初めにやっとビルが着工した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨーカドーレシートの変遷

2015-07-22 23:49:33 | その他もろもろ
イトーヨーカドーのこと。まずは4月末にイトーヨーカドー弘前店に行った時。
以前の記事の通り、電子マネーで貯まったポイントを、電子マネーとして使えるようにするには、移行手続きが必要。
イオンのWAONでは、「WAONステーション」という端末(イオンやマックスバリュなどに各店1台設置が原則)で「ポイントチャージ」という操作をすればいい。一昨年辺りからは、イオン銀行のATMにもWAONステーション機能が付加されているので、こちらでもできる。

一方、セブンアンドアイのnanacoでは、「ポイントを電子マネーに交換」という言い回しで、セブン-イレブンやイトーヨーカドーのレジでしかできなかった。お店が忙しそうな時に声をかけるのがためらわれ、セブン銀行ATMでもできるようになればいいのにと願っていた。
すると、2014年12月頃から、イトーヨーカドー各店に「nanacoチャージ機」なるものが設置され、それでポイントを電子マネーに交換できるようになったという。

イトーヨーカドー弘前店では、地階、3階、8階と3台も設置されていた。
地階はバスターミナル側出入口のセブン銀行ATM前の階段を下りた、花屋さんの隣のカートが置いてあるようなちょっと雑然とした場所(地元銀行ATMの向かい)。
3階はエレベーター前・コインロッカーの向かい。8階は行ってないので不明。

nanacoチャージ機はセブン銀行ATMを少し小型にして背を縮めたようなサイズで、思ったより大型。水色のボディが目立つ。
小さめのタッチパネルを操作して、戸惑うことなくポイントを電子マネーに換えられた。
残高照会やチャージした時と同じくポイントの「センター預り分反映」も行われた。(秋田のザ・ガーデンで使った分のポイントはこれを行わないと使えるポイントにならない)
レシートサイズの明細書も出る
「nanaco」ロゴがヤケにデカい。キリンのイラストでも入れればいいのに。「イトーヨーカ堂」表記だから店名じゃなく社名だ。
便利なチャージ機。ヨーカドー以外の店には置かないのだろうか。秋田ではザ・ガーデンには未設置。西武秋田店にはあるのかな? ぜひ、設置してほしい。


今回、イトーヨーカドー弘前店のレシートが昨年10月と比べて若干変わっていた。地下食品売り場、衣料品売り場、お土産特設売り場いずれのレジとも。

ぱっと目に付いたのが、商品名や価格などのレシート“本文”とnanacoポイント残高の文字が、角ゴシック体から丸ゴシック体に変更されたこと。(上下部分には引き続き角ゴシック体も使われている)
一般にレシートの文字は、角ゴシック体かせいぜい明朝体が多数派だけど、最近は違ったフォントを使う所もある。
JR東日本のコンビニNEWDAYSは広告部分がPOP書体、本文がシャレた明朝風(?)だったり、秋田生鮮市場では丸ゴシック体(ヨーカドーとは違うフォント)だったり。【23日追記】生鮮市場では、レジによって丸ゴシック体のものと角ゴシック体のものが混在。

ヨーカドーのレシートが丸ゴシックになっても、違和感や見づらさはあまりない。
丸ゴシック体は、他の書体よりも“枠”いっぱいを使った大ぶりなデザインのため、同じ文字サイズでは他の書体より大きく見えるから、視認性が良くなったような気がする。
抜粋
あとは、レシート下部にあるバーコード(返品の時に使うらしい)が上下方向に長くなった。

それと、バーコードの下に「商品名左の数字が167,342,346,349の商品は(株)セブン美のガーデンの代理人として販売したものです。」という注意書きらしきものが挿入。
セブン美のガーデンとは、ヨーカドー内に展開するセブンアンドアイ系列のドラッグストアで、弘前店にも入っているそうだ(けど気づかなかった)。

以上のような変化だった。
ほぼ同一レイアウトであるセブン-イレブンやザ・ガーデン自由が丘(秋田店だけ?)のレシートは、今のところ角ゴシック体のままなど、変化はない。
【11月8日追記】その後、おそらく11月4日閉店後から7日開店までの間に、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店のレジが更新され、イトーヨーカドー弘前店と同一の丸ゴシック体印字のレシートに変わった。現金収受~レシート印字部分はNEC製で自動釣銭機付き(今まではあったっけ?)。ヨーカドーと異なり外付けのPanasonic製nanaco読み取り装置(この記事参照)は、従来のまま。【11月23日追記】バーコードを読み取るチェッカーユニット側も更新。客向きのカラー液晶画面がついた。



この機会に、イトーヨーカドーのレシートの変遷について、時間をさかのぼってみよう。(我ながら物好きで画像を保存してあったので)
2014年10月弘前店(抜粋)
イメージにあるヨーカドーのレシート。
閉店時点(2010年10月)の秋田店でも、これと同じだったはず。
冒頭の「お取替(衣料品・住まいの品)は一週間以内に願います」は、今も角ゴシック体のまま。
セブンアンドアイロゴは2005年までは鳩のマークだった。

2001年5月秋田店
鳩マークの頃、かつ秋田店。どちらも懐かしい。
2014年と比べると、文字がまばらで、くっきりしているようにも感じる。下のバーコードもない。プリンター部分は別物だったのだろう。

この頃は「お取替は1週間以内に願います」だけで、「(衣料品・住まいの品)」がなくて1行に収まっている。
さらに、その下に「地下食品売場リフレッシュオープン!!」などと宣伝文句があり、ダイエーのレシートみたい。
秋田店の食品売り場は、開店以来、地元企業「ファミリーストアなかよし」がテナントとして入っていた。(旧・ジャスコ秋田店や旧・長崎屋秋田店もそうだった)なかよしが撤退してヨーカドー直営になったのが、この時のようだ。

今まで、なかよし撤退の明確な時期が分からなかったが、このレシートで2001年春と判明した。2010年10月の秋田店閉店まで、9年半がヨーカドー直営だったことになる。

1999年4月秋田店(抜粋)
20世紀末も、2001年と同じ。
宣伝には「今月は休まず営業致します」とあるのが、今の感覚では不思議かもしれない。
平成初期頃までは、大型スーパーでも週に1日は「定休日」があったのだ。ダイエーは水曜、ヨーカドーは火曜など。
1990年代後半頃から、365日休まず営業が定着していく。

1998年11月弘前店
「何じゃこれ?」と思ったら若い人(か昔を忘れた人)、「懐かしい」と思ったらある程度の年齢以上の人。
昔のレシートは、普通紙に青いインクで打ち付けて印字する「ドットインパクト」方式だった。もっと前は数字や決まりきった文字だけだったのが、POSシステム導入でカタカナを中心とした文字も印字できるようになった頃のものがこれ。
このレシートでは、ひらがなと漢字もある程度は印字できたようだ。当時としては画期的だったはずだが、今からすれば時代を感じてしまう。
上部の店名はハンコ状のものだったようで、薄くて読めない。

1990年代後半から、漢字を含む読みやすい文字が印字でき、インク交換が要らない感熱紙を使ったサーマル式が普及し主流になっていく。サティではわりと最近(10年くらい前?)までドットインパクト式だった。※感熱紙のレシートは古紙回収には出せません。


ちなみに、ダイエー弘前店では、1995年はドットインパクト、1998年3月には感熱紙化されている。ダイエー秋田店も1998年春には感熱紙。
バスの整理券とか検針票でもこの頃から感熱紙・サーマル式が普及していく。
一方で、この頃以前は感熱紙がよく使われていたワープロ専用機は、パソコンとインクジェットプリンターに追いやられて衰退する頃。感熱紙業界(?)の戦略でレシートなどへ活路を見出していったのだろうか。

※この頃のサンクスのレシートはこの記事後半参照。

1995年10月弘前店
20年前。消費税率はまだ3%。
上部に伝統の「お取替は1週間以内に願います」がある。
宣伝は「全館グランドオープン!!」。
弘前店は、僕がいた時期に並木通り側に増築され、店舗面積が拡大したのだが、いつだったのかは分からなかった。
それも、このレシートで判明した。(レシートが役に立った!)
買ったのは「カセツチテープ」とあるけど、「カセットテープ」の間違いです。
【23日追記】1998年では「領収書」、1999年から現在までは「領収証」の文字があるが、ここではない。他店も含めてレシートが領収書であることを示す文字が入ったのも90年代後半からのようだ(現在でも文字がない店もあるけど、それでも一般的には領収書として認められる)。POSシステムとプリンタの性能向上でレシートに商品名が記載できるようになり、品名入り領収書とほぼ同等に扱われるようになったためか。


20年間で、レシートは感熱紙化されてきれいな文字が使えるようになり、電子マネーなるものが登場、店は年中無休に、消費税率は5%→8%→いずれ10%となり、イトーヨーカドー秋田店が撤退し、総合スーパーという業態そのものが衰退した。
どれも、20年前には(いち消費者の立場では)予想できなかった。20年後はどうなっているだろう?

※ダイエーのレシートの変遷はこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SUNSHINEからHORIZONへ

2015-07-21 23:45:00 | 秋田のいろいろ
学校の教科書とそれにまつわる昔のお話。
戦後の日本では、民間の教科書会社(出版社)が本を作り、国の検定を受けたものが教科書として使われる「検定制度」が採用されている。

したがって、同じ学年の同じ教科用に複数のブランドの教科書が出版されている。
僕は小学生の頃から、このことを知っていた。年度途中で転校してきた子が違う教科書を持ってきて新しい担任の先生と新しい本の手配について相談していたのを見たり、小学館の学年別雑誌の「教科書ガイド」的コーナーが教科書会社別の構成になっていたりしたから。
少なくとも義務教育では、日本全体で1種類の同じ教科書を使ったほうが手間がかからなそうだけど、表現の自由とか市場経済とかそんな観点からでは、それではいけないのでしょう。


教科書の検定については、ニュースになる。
歴史認識では大きな問題になったほかは、漫画が載ったとか、歌謡曲が載ったとか。

2002年には、東京書籍の中学校社会科公民分野の教科書で、「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」とするなど大量かつひどい誤植が発行後に見つかったこともあった。
今年は、三省堂の小学校1年生の国語の挿絵で、下がきで消したつもりの線にも色を塗って、腕が3本ある人物が描かれてしまい、回収・再配布された。(東京書籍の時は訂正表配布で済ませたようだけど)
これらは、出版社のミスだが、教科書検定のミスでもある。


その次の段階で、検定に合格した教科書がどうやって選ばれるかは、報道や発表はあまりされない。(図書館で実物を展示したりはしている)
複数の教科書の中から使う1種類の本を選ぶことを「採択」と言い、その権限は国立・私立学校では学校長、それ以外の公立学校では、各学校を設置する教育委員会にある。県立高校では学校(場合によっては学科)ごとに教科書が違い、実質的には各高校が選んでいるが、名目上は県教委が採択。

公立小学校・中学校では、市町村教委が採択するから、同じ市町村内ではどの学校も同じ本を使うことになる。
さらに、「共同採択」と言って複数の市町村単位で採択することもあり、おおむね、平成の大合併前の市と付属する郡(町村)がいっしょになるようだ。秋田市では、かつては秋田市+河辺郡、現在は河辺郡がすべて秋田市になったので秋田市単独。

教科書検定は「おおむね4年ごとの周期で行われ」、それに連動して「義務教育諸学校用教科書については、通常、4年間同一の教科書を採択することとされてい」るとのこと。(文部科学省ホームページより)
【22日追記】戦後から1962年までは義務教育でも教科書は有償だったらしく、その頃は各学校に採択の権限があったらしい。


そんなわけで、自分の子どもの頃「国語の教科書に載っていたあの作品」の思い出が、同い年だけど違う地域で学校に通った人には通用しないということがあり得る。学校給食と同じように、全国共通と思いがちな教育制度でも、地域による差はあるのだ。
個人的には、昭和末期の秋田市・河辺郡で採択されていた、クリーム色地に淡いイラストが描かれた、ツルツルした表紙の光村図書の小学校国語、太い縁取り線でテントウムシなどが描かれたエンボス加工の表紙の大日本図書の小学校理科「たのしい理科」が懐かしい。※昭和63年度の教科書について

現在は、どれが採択されているのか。ネットで調べると、教育委員会などによる公的な一覧表はないようだが、各地の取次店などが情報をアップしてくれている。
それによれば、秋田市では国語は昔と同じく光村。理科はいつの間にか東京書籍に変更。社会は2013年度までは教育出版で今年度から東京書籍に変更(昔の社名は忘れた【2016年5月22日追記】昭和末期の秋田市・河辺郡の社会科の教科書は「中教出版」だった。同社は1995年前後(※)に版権を「日本文教出版(大阪)」へ譲渡して解散している。※日本文教出版のホームページでは1993年、Wikipediaでは1996年とされている。)。
秋田県の他の地域や秋田大学附属小学校でも、傾向としては似ている。国語と理科は県内すべてで同じものを採択、他の教科も社会と算数は東京書籍が圧倒的多数で残りは教育出版(算数は秋田市と秋大附小だけが教育出版)といったように、出版社数と比べてかなり偏りがある。
ちなみに青森県を見てみると、今の秋田では見られない大日本図書、学校図書、啓林館などが採択されているものの、やはり偏っている。国は光村と教育出版が半々。
各県教委が「教科用図書選定審議会」を設置し、採択権者(市町村)に対して助言する制度があるそうなので、そういったものが影響しているのだろう。


採択は、小学校国語、中学校数学などと「学校種の教科ごと」に実施されるようなので、小学校なら1年生から6年生まで同じ出版社のものが使われる。
だから、入学から卒業まで一貫性がある教科書を使い続けることができる。

例外で途中で教科書が変わってしまうのが、冒頭のような他地域からの転校生。
それともう1つある。採択する教科書が変わってしまった地域において、変わってしまった年に進級する児童生徒である。採択が変わる時は、その年度の全学年で一斉に変わってしまうから。
秋田市では、今年度から小学校社会科が変わっているので、今年度の4年生~6年生が該当する。(今は1、2年生は理科がない)
※秋田市では、2年生までの生活科と3年以降の理科・社会でも出版社が違う。ある程度共通性がある科目かと思っていたが、この点はどうだろう。

遅くなりました。ここから本題です。
そして、1990年度の秋田市・河辺郡の中学2、3年生の英語もそうであった。
それに僕も該当し、けっこう戸惑いがあったのだった。

現在の秋田市では東京書籍「NEW HORIZON English」が採択されている。
しかし、僕が中学校に入学した時は、開隆堂「SUNSHINE ENGLISH COURSE」だった。それが2年生からHORIZONに変わった。
秋田市では今もHORIZONが使われているが、その時から途切れなく続くのだろうか。我々は秋田市のHORIZON第1期生に当たるらしい。

2年に進級した時、昨年度とまったく違うデザインの教科書が渡され、中身の雰囲気も変わったのはすぐ分かった。
※両者とも現在のものとは表紙のデザインは異なる。
さらに困ったのが、「前年度に習った英単語が再び新出単語として掲載」されたり、「初見なのに新出単語でない扱いの単語」があったりしたこと。「apple」はSUNSHINEの1年生で習ったのに、HORIZONでは3年生で初めて出た扱いになっていたはず。
つまり、小学校の「学年別漢字配当表」のような「この英単語は何年生で習う」といった決まりがなく(そもそも「必修単語」という概念自体がないみたいだけど)、各教科書会社の裁量に任されているのだった。もしかしたら両教科書のはざまで覚えるべきなのに習わずに終わってしまった単語もあるかもしれない。

教科書配布の段階では、生徒に対して教科書が変わったことの説明はなかったと思うが、後の授業中に先生が「apple」を引き合いに「教科書が(前年度と)変わっちゃってねぇー」と、採択変更への批判とも生徒への謝罪とも取れるような発言をちらりとなさったのは覚えている。

そんなわけで、途中での教科書変更によって、英語を学習するに当たっての流れが途切れさせられてしまった気がしなくもない。
僕が英語が苦手なのは、このせいである。(とは自分の勉強不足を差し置いた言い訳ですが、遠因の1つではあるかもしれない。)

あと、途中で教科書が変わる転校生の気持ちが、多少理解できた。


他の教科でも同様に教科書が変わって戸惑う子どもと先生たちが、4年に1度、どこかで出ているかもしれない。現場を無視した、文科省や教育委員会の押し付けのように感じられなくもない。
変更する場合は同じ年に全学年一律ではなく、「採択を変更する場合、在学途中の学年の児童生徒においては、最終学年まで従前の教科書を採択し続けることができる」といった“激変緩和措置”が必要ではないだろうか。
教育関係者の意見を伺ってみたい。



当時は分からないが、2005年度検定分の中学校英語教科書のシェアは、6社中HORIZONが42.5%でトップ。以下、三省堂「NEW CROWN ENGLISH」21.6%、SUNSHINE20.5%。(以下3社は10%以下のシェア)
(「レファレンス協同データベース(http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000046326)
」より)
秋田県教委の助言のせいか、秋田市教委(+当時は河辺町、雄和町)の意志なのか、どうしてそんなにHORIZONに変えたかったのか、今さらながら知りたい。

【2016年4月11日追記】2015年から2016年にかけて全国的に、複数の教科書会社が、外部に公開してはいけない、検定途中の教科書を各地の教員(採択委員を含む)に見せ、さらに謝礼を支払っていたケースもあったことが判明して問題になっている。
秋田県でも複数の事例が確認された。2015年度末には、秋田市立中学校の校長が東京書籍から見せられて1万円を受け取っていたとして、処分を受けた。(年度末での退職者だったため、他に先立っての処分・公表)
1990年当時も、同じようなことがあったのかもしれない。

音楽の教科書について
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水汲み場のケヤキ

2015-07-20 23:21:08 | 秋田の季節・風景
以前から(この記事など)時々登場している「那波家の水汲み場」のケヤキ。
秋田市大町の旭川に架かる二丁目橋のたもとにある、江戸時代(明治以降も?)の水汲み場が今に姿を留める場所で、往時からのケヤキの大木が何本も川沿いに茂る、秋田市中心部の特徴的な景観の1つである。

旭川は空梅雨で干上がりそうだったところ、18日に久々にまとまった雨が降り(山王の気象台で17.0ミリ【21日追記】上流の仁別では43.0ミリ、中心部ではほとんど降らなかった翌19日も42.5ミリ。いつも仁別のほうが雨量が多い傾向にある)、水量はいくらかマシになった。
下流側から。奥が二丁目橋
今日、久しぶりに通ったら、ケヤキうち1本の太い枝(というか2本の幹から構成される木の幹の1本)が折れて、川の中に落ちていた。完全に折れたのではなく、木本体とつながっている状態。巻き添えで別の枝も折れて(あるいは曲がって?)いるようにも見える。
水中に落ちた枝の陰は鯉たちの休憩場所・隠れ場所になっている
週末に雨が降った時は、風が強かったわけではない。折れた原因は?

先週もここを通っているけれど、気づかなかっただけかもしれないので、いつからこうなのかは不明。
だけど、たまたま7月初めにここを撮影していて、その時はまだこうなっていなかった。
分かりにくいですが7月初め撮影
この段階でこの枝には葉がなかったので枯れていたようだ。枝先が下を向きすぎて、水中に入っているようにも見えるから、既に折れかけていたのかもしれない。
そこに何らかのきっかけ(おそらく雨で量が増えたり水流が早くなったりした川の流れの力)で、枯れ枝の付け根から折れてしまったということのようだ。

このままでは、川にも木にもいい影響はないから、少なくとも枯死した部分を完全に切断して撤去しないといけないでしょう。
ここって、誰の所有物なんだろう? 今も那波さん? 水汲み場への降り口の公園風の部分は秋田市なのかもしれないけれど、この木の後ろはカフェで、それは民間だろうし。
二丁目橋の上から
前も書いたように、ポプラなどでは木が突然倒れ、人的・物的被害が生じることがたまにある。ケヤキではあまり聞かないけれど、今回のが川じゃない所に倒れたら、危ない事態になっていたかもしれない。僕も気づかなかったけれど、折れる前に枯れたのを見つけた時点で、しかるべき所へ連絡してしかるべき措置をしてもらうことができたかもしれない。(現段階のようにはっきりと折れたからには当然、誰かが通報済みで、休み明けに処置が行われるものと思っているけど…)
ケヤキは長寿だと言っても、日頃からの管理はしないといけないのだろう。
※この3日後の様子

※以前、この少し上流で看板が川に落ちたことがあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フエ秋田/LED葬儀場

2015-07-16 23:40:05 | 秋田のいろいろ
表示類から2つ。
いずれも他人様のものにケチをつけるようで申し訳ないですが、多くの人の目に触れるものであり、気になるので…

なんて書いてあるでしょう?
「 フエ、秋田」?

ラジオ局・FM秋田社屋の外壁の表示である。
「エフエム秋田」の「エ」と「ム」がほとんど取れてしまっている。
ロゴマーク「AFM」の「M」左下に伸びた部分も取れている
他にここがFM秋田であることを示す大きな看板や表示類はなく(ラジオ局っぽいと思わせるものはあるが、直接的に社名・局名は出ていない)、予備知識がない人はほんとうに「フエ秋田」と読んでしまう可能性もなくはない。
1985年の開局時から30年間そのままの表示なのだろうか。
2011年頃までは「エフエム秋田」と判読できたようだが、2012年辺りに「ム」から脱落した。
2012年11月撮影ストリートビューでは「エフエ、秋田」


表示はカットしたシート状の文字を壁に打ち付けてあるようだ。壁はレンガ状の部分と凹凸がない平面部分からなり、脱落した「エ」と「ム」は全部がレンガ部分にあった。凹凸のせいで密着できなかったのだろうか。同様の凹凸部にある「田」は健在。
残りの文字が落下してきたら危険な気もするが、下は公道ではない(真下には屋根も張り出しているし)ので、さほど問題ではない。
何よりも、仮にも秋田を代表する企業の本社の表示がこんな状態なのはいただけない。通る度に気になってしまう。

※その後、2020年5月29日時点で変化なし。2020年6月下旬には外壁に足場が組まれた(リンク先後半)。



最近は液晶(LCD)に追いやられ気味ではあるが、LEDの普及は案内表示に革命をもたらした。
駅の発車標、バスの行き先表示、店頭の看板など、安価に手軽に自由な文言を表示できるようになった。
 こんな表示も
秋田市内のとある葬儀場の前の「故○○○○儀 葬儀式場」というのが、なんとLEDで表示されている。
この手の看板は、昔は手書きの毛筆だったのだろうが、今(だいぶ前から)は、おそらく専用の大型プリンターで出力したであろう、太い毛筆書体で印字したものを掲出する葬儀社が多い。
それをLED化してしまうとは、ついにここまで来たかと思ってしまった。紙表示を意識したのか、白色LEDの表示器に白黒を反転させて(白地に黒文字)表示している。さすがにスクロール表示などはせず、この表示で固定。


だけど、この表示器、見づらいし、厳かさに欠けると感じてしまった。

見づらさはこの日が晴天だったこと、表示器の性能のせいもあるかもしれないけれど。
明るい昼間では、LEDの輝度の限界のようで目立たないし、視野角も広くはないようで角度によっては見づらい。
夜間の葬儀(通夜)ならとても目立つと思うけれど、秋田では通夜は行わない(近親者だけで「逮夜」を行う)のが一般的だし。
さらに「儀」や「葬儀」は文字がつぶれてしまい、雰囲気のみで判読させているようなもの。バスの行き先表示器よりは明らかにドットが足りない。もっとドットが多いか、文字が細ければ(あるいは表示専用のフォントを使う)マシかもしれない。
これで「儀 葬儀式場」と読めてしまう人間の認識力ってすごい?!
それに書体が太い角ゴシック体。毛筆書体にしたらしたで、余計読みづらくなるかもしれないけど、ゴシック体じゃあ店頭の広告やバスの行き先表示と変わらない。お葬式の場所にしては威厳がないというか不釣り合いというか。

人名用の特殊な文字を表示できるかも疑問(印字用では特殊文字が販売されているが、これでは制限があったりつぶれたりしそう)。
LEDよりは液晶ディスプレイに表示したほうが雰囲気はふさわしいと思うけれど、やはり屋外向きではないでしょう。何でもかんでもデジタル化すればいいわけではないみたいだ。

※その後、2019年4月6日時点でも同じ表示器が使われているが、反転表示でなくなって(=黒地に白い文字)おり、ゴシック体から行書体に変わっていた。以前よりマシにはなったが、やっぱりこういう表示にこういうドットの荒い電光表示はそぐわないと感じた。
※さらにその後、2020年1月26日も同じ表示で、反転でない黒地白文字で、書体は角ゴシック体に戻っていた。故人が旧字体が入ったお名前だったので、その都合だろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中小店の条件

2015-07-15 22:51:17 | 秋田のいろいろ
国の「地方への好循環拡大に向けた緊急経済対策」の一環で、全国各地でプレミアム付き商品券が発売されている。
秋田市でも「秋田市プレミアム付き商品券」という素直な名称(愛称なし)で、夏と冬に10万セット・12億円分ずつが発売される。
1000円券×12枚を1セットとして1万円で発売。秋田市民以外も含む小学生以上が1名につき3セットまで購入できる。全国的に見ても、一般的な発売方法ではないだろうか。
夏分は、7月から8月末までに使い切らないといけない。(有効期間は全国的に見て短いほう)
秋田市では発売開始数日で完売となり、並んだのに買えない人が出たなどの目立ったトラブルはなかった模様。報道によれば、使用できる店舗の紙の一覧表の印刷後、新たに参加した店舗については、ホームページ(と店頭の表示)だけでの告知となり、ネットを使えない人には不親切という意見はあったようだ。

我が家では、額面に満たない1回当たり1000円未満の買い物をすることも多く、8月までの短期間で1万2千円を使い切る自信がない。つい無駄な買い物もしてしまいそうだし、購入しなかった。
したがって、興味はなかったのだけど、店に行くとポスターなどでその存在は目に入ってしまう。すると、ちょっとした疑問が生じた。


実は秋田市の商品券は、1セット1000円×12枚が同じ効力の券ではなく、「共通券」「中小店専用券」各6枚ずつの構成。
両者の違いは、使える(=買い物できる)店。※正式には「商品券取扱事業所」と呼ぶらしい。
「共通券」では登録店舗すべてで使用できるが、「中小店専用券」ではその名の通り小さい店だけで使えて大きな店では使えない。

基本的には秋田市にあるどんなお店でも、希望すれば取扱事業所として参加できるから、イオンとか家電量販店のような県外資本の大型店も参加している。
だから、制限なしにしてしまうと、大型店でばかり券を使われてしまい、地元の小さいお店では使われずに終わってしまいかねない。「地方への好循環拡大に向け~」うんぬんという本制度の趣旨からすれば、それでは意味が薄い。だから、小さい店専用の券を作り、少なくとも半額は地元が潤うようにした。
報道などでもそんなニュアンスで伝えられており、僕はそのように理解していた。

さて、食品スーパー・秋田生鮮市場保戸野店のチラシでは、
「どちらもお使いいただけます。」
へー。そうなのか。外旭川のうえたや通町のせきやも同様。まあ、そういうもんでしょう。
イトーヨーカドー秋田店撤退後のビル「フォンテAKITA」地階に入った食品スーパー、ザ・ガーデン自由が丘西武秋田店(運営は西武秋田店)のレシートでは、
「共通券のみ ご利用できます。」
おや?
ザ・ガーデンは地階だけなので、規模としては生鮮市場とさほど違わないのに、商品券の扱いは違うのか。
運営する会社の本社所在地とか規模の違い? チェーン店と単独店の違い? 大型店/中小店の基準って何?

商品券の公式ホームページを見ると「「中小店専用券」は売場面積1,000平方メートル以上の大型店では使用できません。」と明示されていた。1000平方メートルは大規模小売店舗立地法の対象となる店舗面積と一致する。
利用可能店舗のリストには、大型店かどうかが表示され、中小/大で絞り込んで検索することも可能(この検索システムはおおむね使いやすいけれど、検索結果で「○ページ中○ページ目」表示がないのは不便)。
なるほど。と納得しかけたけど、詳しく見てみると、なんかしっくり来ないような…(別に使う側でも使われる側でもないので、どっちでもいいのですが)


公式ホームページの検索結果では、今日現在、2360件(店舗)で使用できる。(同一チェーンの複数店舗で使える場合はそれぞれをカウント)内訳は大型店が649件、中小店舗は1711件。

山王(川尻近く)のディスカウントストア「ドジャース」が、食品スーパー「ト一屋(といちや=酒田市の同名スーパーとはロゴは同じだが、経営は別の模様)」を傘下に入れ、ついに店舗名も「ドジャース」に変わってしまった。そのすべてで商品券を使える。
検索結果(下の「食品館」が元々のドジャース)※文字が水色なのは、各社ホームページへのリンク
検索結果では同じドジャースの中で「大型店」とそうでない店が混在している。各店の店舗面積の違いだろう。楢山店が大型扱いなのが意外だけど、ボーダーラインスレスレだったのか?
客としては、「ドジャースならどの店でも同じように使える」と認識する人が多いはずだから、店によって扱いが違うのは分かりにくい。

「菓子舗榮太楼」も各店で使用可。
大型とそうでないのが混在(いちばん下の「榮太楼」だけなのは、秋田駅ビルトピコ内)
お菓子屋さんで売場面積が1000平方メートルもあるわけがない。大型店扱いになっているのは、大きなスーパーなど商業施設内にテナントとして入っている榮太楼だ。
すなわち、単純にその店の売場面積ではなく、テナントの場合はその商業施設全体の面積で判断されてしまうらしい。
「取扱事業所申込書」より
取扱事業所加盟を希望する店などが提出する申込書には「注)大型店内のテナントも大型店扱いとなります」とあるように、店側はこの条件を知っているわけだが、消費者側には説明がないのは不親切。
なお、宿泊施設など業種によっては無条件で中小店扱いとなるようだ。


各大手コンビニチェーンでも使えるが、サンクスでは、
一部抜粋。大型とそうでないのが混在
たくさんある中、3店舗だけが大型店扱い。
「中通4丁目店」は秋田市民市場内。個人商店の集まりのような市民市場も、全体で1つの大型商業施設として扱われてしまうらしい。
秋田駅東口の「アルヴェ店」も全体で大型店扱いなのだろう。建物は大きいが、アルヴェの商業施設ってそんなに広かったっけ?
そして「秋田北インター通り店」は、外旭川の道路沿いの普通のコンビニ。そういえば、スーパーなどが敷地内に並ぶショッピングモール「サンフェスタ」の中にサンクスがあるので、大型店扱いになってしまうようだ。
一方で、大型店に該当する「マルダイ牛島店」と同じ敷地内にあるかのように見えるサンクス「牛島東5丁目店」は中小店扱い。素人の見た目ではサンフェスタと大差ないのだから、分かりづらい。

同じように、ショッピングセンターや駅ビル等に入る地元商店のテナントも大型店扱いとされ、本店は中小店舗なのに、支店が大型店に分類されるケースがある。
全国の他の都市でも、秋田市と同様に1000平方メートルを基準にして、テナントも大型店扱いとするところが見受けられる。
長野市の「ながのプレミアム商品券」では、同様の1000平方メートル以上のほか、「資本金または出資金の総額が5,000万円以上の事業者が経営する店舗(とそのテナント)」を満たした場合も大型店扱いにしている。(どっちみちテナントには厳しい)

使う側の一般消費者にしてみれば「店舗面積」という基準は分かりにくい。
発行する側、使われる店側の事情や心情は知らないが、面積だけ、しかも入居する商業施設全体で一律に制限されてしまうのは、理不尽に感じているかもしれない。「地方への好循環拡大に向け~」うんぬんとは相容れないのではないだろうか。
例えば、地元に本社があり、従業員何名以下とか、そういう基準ではいけないのだろうか。
【17日追記】17日付秋田魁新報県央地域面によれば、「にかほ市プレミアム付き商品券」では、店舗面積のほか「市外資本の店舗」も大型店と同一に扱っていた。
具体的には、ヤマダ電機、ツルハドラッグ、マックスバリュ東北、JA秋田しんせいが制限を受ける。ヤマダ、ツルハはいいとして、マックスバリュのルーツの1つである「つるまい」は隣の本荘の企業(今の本社は秋田市)、JA秋田しんせいも由利本荘市に本所がある。密接なつながりがある隣の市の企業も使えないのは少し不便かもしれないが、極力にかほ市内の企業のために消費してもらおうという気持ちは分かる。



余談だけど、「ミスタードーナツ」で検索。

「KAMADAスマイルコーポレーション(旧・鎌田会館)」がフランチャイジーとなっている市内全6店舗で使用可。いずれも大型店のテナントだから、大型店扱い。
だけど、登録された店舗名の表記がまちまち。「秋田トピコショップ」は「ミスタードーナツ」のみでショップ名がなく、扱い商品はこれだけ「ドーナツ」でなく「ファーストフード」、イオンモールの御所野ショップに至っては「MISTER DONUT」と英語表記(でもカタカナで検索対象にはなる)。
こうなったのは、それぞれの商業施設(トピコとかイオンとか)ごとに、それぞれの全テナント分をまとめて申請したからではないだろうか。

あと、「ダイソー」とか「ラグノオささき」は秋田市内の一部店舗しか検索結果に表示されない。各店舗個別の方針なのか、申請し忘れなのか。

【17日追記】16日付秋田魁新報 秋田市地域面「地方点描」によれば、「6日間で完売」。購入者に渡されたパンフレット掲載の登録店は「約1600店舗」。
【2016年4月17日追記】その後のまとめでは、夏冬合わせて8億5千万円の経済波及効果があったとのこと。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下新城笠岡

2015-07-14 23:38:07 | 秋田の地理
新城川の河川付け替えの続き。前回は天ノ袋橋へ寄り道したけれど、今回も川とはあまり関係ない内容になりそうです。

飯島地区を後にして、川の上流方向・下新城地区(大字は下新城笠岡)へ。
河川付け替え工事は、飯島側・下新城側で分離して行われ、その間では既存のルートそのままに川幅を広げただけの工事が行われた模様。
この区間では、道路と離れた田んぼの中を流れていて、堤防など川沿いを歩けるかは分からないので、川から離れた公道を歩くことにした。

その道は、県道112号線。国道7号線・上飯島駅から下新城や金足黒川を経て五城目まで至る。
飯島地区の家並みを抜けると、横山金足線(ここでは秋田市道)と交わり、周りは水田。そのすぐ先に土崎消防署飯島出張所がある。
かつて、新城川があふれた時には、水田が一面水浸しで、消防の建物だけがぽっかりと浮かぶように立っていたものだ。

消防出張所から先は田んぼの中を一直線に500メートルほど進む。
車の通行はさほど多くはないが、歩道はない。夜や積雪時は危険だし、炎天下では熱中症になりそう。
やがて、家が多く見えてきて、片側に歩道も出現。そこから先が下新城(笠岡)。
今までの田んぼは、かつての飯島村と下新城村の村境だったようだ。
急ににぎやかに
農村部らしい光景だが、よく見ると、県道の右(東)側は新しい家が多く、左側に古くからの農家らしいお宅がある感じ。その左側の道路と家の間には、
新城川が流れる
離れて流れていた新城川が、再び道路に寄り添っている。
ただし、ここは付け替えによって旧流路になった区間であり、埋める工事が進んでいた。
飯島字天ノ袋集落よりは明るい雰囲気ではあるが、同じような川幅。これがあふれたらひとたまりもないし、過去の洪水時の報道写真・映像の定番だった「農村部の小さな橋スレスレを濁流が流れている」場所はこの一帯のようだ。

県道の最高速度の道路標識の下の補助標識に「学童の路」とある。
初めて見た
補助標識には「対向車多し」などと「規制理由」を示すことができ、ある程度自由な文言を表示できるのかもしれないが、これは「道」ではなく「路」という文学的(?)表記(普通は「通学路」とするだろう)だし、手書きや丸ゴシック体でなく角ゴシック体なのも珍しい。
同じ秋田臨港警察署管内である土崎や飯島でも見たことはないし、ネットで調べても他の事例は見当たらないから、下新城地域(学区)独自の表記というか表示なんだろうか?
※北秋田市鷹巣に、類似の補助標識があった

とりあえず県道を北へ進んでみる。道路沿いには家並みが続く。新城川をさかのぼる形だが、川はまた、県道から離れてしまう。
日本海側で川をさかのぼる場合、東へ進む印象だけど、この地点では川は北から南へ流れているので、北進している。左手には秋田火力発電所の煙突が見え隠れ。

集落に入って500メートルほど進んだ辺りへ。ここは事前に調べた地図では、道路の線形が奇妙に曲がっていた。現地では、道路はまっすぐになっていたが、代わりに、
新流路に新しい橋が架かっていた(橋の北側から撮影)
2014年8月にできた「笠岡橋」。新流路に橋を架けるため、道路が迂回していた頃が反映された地図なのだった。
【15日追記】5月28日の通水記念式典は、この新しい笠岡橋の上流側右岸(北東側)の迂回路跡付近で挙行されたようだ。

そのすぐ先に、「下新城簡易郵便局」がある。簡易郵便局とは業務内容が「簡易」という意味合いだけど、ここは建物も簡易だ。そこに、旧流路の橋が架かっている。
郵便局の先にまた橋
こちらの橋は車道と歩道が別々の橋だが、どちらも新しそう。歩道部は「笠岡歩道橋」で2005年11月完成。

この旧・新城川の橋の先に小さい十字路がある。
県道を直進すると秋田市下新城地区コミュニティセンターや市立下新城小学校(校舎は箱型タイプで秋田西中、港北小、外旭川小とそっくりだけど、小さい)。かつての下新城村の中心地だったようだ。その先では新城川とも集落とも別れてまっすぐに田んぼの中を突き進む。
右へ曲がった市道が、新城川の上流伝いに下新城・上新城の各集落へと続く。

ここまで、上飯島駅付近の国道からだと、2.5キロほど。ずいぶん“奥”へ来たかのような感覚になってしまった。
しかし、十字路を左折して西へ1.4キロほど進んでも、横金、奥羽本線を渡って下新城中野付近の国道7号線へ出る。そう思えば、大して奥ではない。【15日追記】火力発電所の煙突が、かなり近い距離で意外な方角に見えるのが意表をつかれるが、それはこういう思い込みが原因。


ここで新旧新城川の配置をまとめておく。(末尾の地図も参照)
旧流路では、笠岡地区南部では集落中央部を流れていたのが、新流路では集落西端の田んぼとの間へと付け替えられていた。郵便局手前の新しい橋の上流側で旧流路に戻り、そこから上流側は川幅が広げられ、やがて工事区間が終わって元の川幅になる。※詳細は続きの記事にて
細かい風景や橋については、後日改めます。



ところで、今回は上飯島駅から歩いて現地を訪れた。まだ春だったので、気持ち良いウオーキングを楽しめたけれど、歩いたのは、気軽に使える交通手段がなかったのも理由。
(国道沿いは別として)下新城地域の公共交通機関は、昔は中央交通が秋田駅から新国道・土崎経由の路線バスを運行していた。
2008年に、金足、上新城方面と同時に廃止され、以降は秋田市が運行主体で民間会社に運行を委託する「マイタウン・バス北部線」として、土崎駅もしくは秋田厚生医療センター発着で予約式で運行されている。現在はキングタクシーに委託し、平日は10~12本、土日祝日は3往復の運行。

秋田市では「マイタウン“バス”」と称しているわけだが、受託したキングタクシー側では「乗合“タクシー”」とか「予約式“タクシー”」と称している。
停留所もバス停ならぬ「タク停」であることを、以前紹介していた。
(再掲)国道のタク停
実はこの路線はフリー乗降システムだし、運賃の区間もあまり細かくなく、停留所はあまり意味がないみたいだけど。

下新城笠岡の県道沿い南側の北部地区運動広場付近には「笠岡」停留所。下新城笠岡字笠岡という小字名由来だろう。
脚がクネッと曲がってしまっている
ポールは中央交通時代の「バスで行こう」の上にタク停の円形シールを貼ったお手軽変更。「バ」「う」が微妙に見えているのが切ない。
先日も書いたけれど、中央交通としては「バスで行こう」バス停は不要なのだろうか。元市営バスのは大事に使い回しているのに。秋田市やキングタクシーとしては、ポール新設の費用がかからなくていいでしょうけど。
※時刻表がない(はがれてしまった)が、運行経路上(先の老人ホームでUターンして戻って来る)、この位置から乗車する人は少ないと思われるし、そもそも予約式だからさほど問題ではないのでしょう。
反対面
笠岡の裏面は、中央交通時代のまま、中央交通の社名と「バスで行こう」をオレンジ色のテープで隠しただけ。「バスで行こう」は隠さなくても良さそうだけど、「タクシー」だから?

小学校・コミセンの十字路付近が、同じく小字にちなむ「堰場」。表側はタク停シールだったけど、裏面は、
隠しもずそのまま
この近くには、コミセン前、小学校前という停留所もあるかに見える資料もあるが、ポールはなかったような。施設自体が停留所なのかな? フリー乗降だし。

下新城小グラウンドの隅。
古びた棒?
この棒、かつて市営バスの閑散路線で見られた「棒バス停」だ!
(再掲)
かろうじて上が赤く、下が水色なのが分かる(他では黄色い中央部分も水色?)ものの、ただの棒になりつつある。
これの役目はなんだろう? ひょっとしてこれが「下新城小学校前」のタク停?

それにしても、過去をさかのぼっても、ここを市営バスが走っていたことはないはず。どういう経緯でここに置かれたのかも気になる。
もしかしたらスクールバスをかつて市営バスが運行していたとか?
【15日追記】いただいたコメントによれば、中央交通でも棒バス停が存在し、赤と黄緑の塗り分けだったとのこと。ここにあるのは元中央交通の棒かもしれない。


最後に、写真だけ撮ったもの。詳細は不明。
今は緑一面であろう水田を背に
「庚申塚」だろうか。台座は新しいので、最近並べ直されたのか。右から3番目のは「学友仲良く」とある。

何かの句を記した石碑
達筆で読めない。判読できるのは「緑蔭」「赤子」かな? 作者は「竹雨」?

国土地理院「地理院地図」に加筆(赤実線の現流路は大雑把です)
※続きはこちら
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

注目される中央交通?

2015-07-13 23:46:03 | 秋田のいろいろ
先週後半から、一部の人たちによってではあるが、全国的に秋田中央交通がにわかに注目される事態になっている。悪い意味でではない。
ただし、注目の対象は、今走っている路線バス・貸切バスあるいは企業そのものではない。

かつて、八郎潟町(奥羽本線・八郎潟駅)と五城目町の間3.8キロを結んでいた中央交通の鉄道路線の車両が、鉄道模型化されて発売されることになり、愛好家に注目されているのだ。
※この鉄道路線名は現在の記録では「秋田中央交通軌道線」もしくは「秋田中央交通線」とされている。「中央交通線」だと、今の秋田市内のバス路線名(大川反車庫行き)と紛らわしいので、ここでは使用しません。


中央交通の鉄道は、1969(昭和44)年7月11日に廃止されている。
46年と2日も前になくなっているだけに、秋田中央交通営業エリア内の住民でもピンと来ない人がほとんどではないだろうか。

僕は、路線の存在は知っていて、乗ったことがある人の話も聞いたことはあった。また、当時撮影した写真をネット上に公開してくれている鉄道愛好家の方もいらっしゃるが、マスコミとか地元自治体などによる映像などは見たことがない。
秋田市電(秋田市交通局の路面電車)はその3年半前に廃止されているが、県庁所在地だからなのか、そちらのほうが多く記録が残っている気がする。


僕は鉄道模型の世界にはうといが、鉄道模型の車両は市販の完成品もあれば、パーツを組み合わせたり色を塗ったりして自作することもあると聞いていた。製品化されて市販されるのは、大手鉄道会社だったり、現役の車両ばかりかと思っていた。
ところが、タカラトミーの子会社・トミーテックでは、2005年から「鉄道コレクション」、通称「鉄コレ」という車両模型のシリーズを発売していて、全国の地方中小私鉄の古い車両もラインナップされているという。羽後交通(鉄道は廃止)、同和鉱業(廃止)、秋田内陸縦貫鉄道の気動車や弘南鉄道の電車などが発売済み。
※鉄コレは、基本的に展示用の模型で、別売りの動力を取り付けると走行できる。

そして、このほど、鉄道コレクション10周年記念商品の第1弾として、秋田中央交通の鉄道車両が発売されることになったのだった!
今のところ公式ホームページには未掲載だが、鉄道模型を扱う複数のネットショップで、先週から11月発売分の予約受け付けが始まっており、その中に「秋田中央交通」が含まれている。
発売されるのは、スタイル(形式)は同一で塗装が違う2種類。「秋田中央交通軌道線ブルー (旧塗装) 2両セット」と「秋田中央交通軌道線ツートン(新塗装)2両セット」の2種が各8%税込み3240円。

昭和20年代後半頃から廃止にかけてのこの路線では、国鉄中古の気動車からエンジンを撤去したものを「客車」として使い、それを電気機関車または「電動貨車」なるものでひいて運行されていた。「電動貨車」とは、人でなく貨物を運ぶ電車で、東急の中古だった。
廃止後、客車と電気機関車1両ずつが、路線跡の町立五城目小学校前に保存されていた(電動貨車は保存されず)ものの、老朽化が激しく2003年に撤去されてしまっていた。
塗装は途中で代わったそうで、初期が電動貨車が濃い青一色、客車はグレーと緑、後期はいずれも窓より上が赤、下半分が水色。五城目小で保存されていた車両は後期の塗装だった。

後期の赤と水色はかなり鮮やかな色だったらしく、当時を知る鉄道愛好家には「秋田中央交通の鉄道と言えば、あの派手な塗装」と印象づけられている人もいるようだ。
当時としては貴重だったであろうカラー写真をネット上で公開されている方がおられるが、それを今見ても、納得。当時の感覚としては、「平成初期にJR九州の真っ赤な車両を見た時の衝撃」に近かったのかもしれない。
初代塗装は、中央交通の路線バス(特に平成初期頃までの旧塗装)に通ずる色使いだが、後期塗装の赤と青の由来は不明。まあ、この会社は今も(バス停などの)デザインには無頓着だから…
その派手な塗装だからこそ、模型化の白羽の矢が立ったのかもしれないけど。



さて、今回の中央交通の鉄コレ発売を受けたネット上の声。
情報を知っているのは模型好きな方々が大部分ということはあるものの、好意的。
まず、「秋田中央交通の鉄道線の存在自体を知らなかった」という声は少数。この分野では、中央交通の鉄道路線に一定の知名度があるらしく、最初にこれに驚いた。珍しい電動貨車のおかげか、奇抜な塗装のおかげか…
多くが「秋田中央交通(を発売する)とはマニアックな選択」とか「予想外」という模型化されることに驚く声で、ほとんどがそれを歓迎している。さっそく「買う」という人も。


中央交通に限らず、大昔に廃止された地方私鉄や旧型車両を知る人は少ないだろうし、その模型を収集しようという需要などないと思っていたのだが、商売として成り立っている(価格はけっこう安いと思うし)とは知らなかった。
鉄コレの商品コンセプトからすれば、いつかは中央交通は発売されたのだろう。でも、記念すべき鉄コレ10周年記念として中央交通が選ばれたのは、ちょっと驚いた。

保存車両さえなくなってしまい、忘れ去られるばかりかと思われていた秋田中央交通軌道線が、模型として鮮やかによみがえり、全国各地を走り回ることになるかと思うと、ちょっぴりうれしい。
模型が発売されるだけで、現地には何も残っていない(道路沿いに遺構は若干あるらしいけど)のだから、現地への経済効果などは発生しないだろうけど。

鉄コレシリーズでは、製品化に当たって、各鉄道事業者の許諾を得ている旨の表示がある。
となると、本件も中央交通は知っているはずだけど、あまりに昔の話で面食らったかも。使用料をもらえたりするのかな?
秋田中央交通のルーツをさかのぼれば、1922(大正11)年に「五城目軌道」として開業したこの鉄道に行き着く(会社設立はその前年)から、模型という形として残る意義はあると思う。

元・沿線であった八郎潟町や五城目町の関係者は、まだ知らないだろう。
昔、地元を走っていた鉄道のことを伝える資料になるから、購入して公共施設に展示するなどしてはいかがでしょう。あと、これを機に発展させてゆるキャラを作るとか??

【31日追記】その後、公式ホームページにも発売予告(いちおう9日付)が掲載された。
さらに、公式情報ではないが、新たな追加情報も。この製品に、往時のきっぷのレプリカが付属するという。厚紙に印刷した「硬券」で、模型の塗装ごとに違う内容のきっぷだとか。
模型でなくきっぷを趣味とする人たちの中でも、中央交通のきっぷの実物を持っている人は限られているだろうに、これまたずいぶんとマニアックだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジサイとともに咲く

2015-07-12 23:55:35 | 動物・植物
今のところ空梅雨気味の秋田。
秋田市八橋の草生津川沿いの「コスモスロード」。※過去の記事
アジサイも咲いているけど
なんとコスモスがもう咲いている!

白いのは野草
草丈は低く、最盛期のようにびっしりとではないが、それなりの数の花が咲いている。花色はピンクとエンジばかりで、秋には見られる白や黄色系統はなかった。
毎年こうなのか、今年だけなのかは知らないけれど、驚いた。

たしか、コスモスは種を早い時期にまくと、秋に草丈が高くなりすぎるため、わりと遅めに種まきするのがいいと聞いていた。
今咲いているのは、昨年のこぼれ種か、運良く冬を越した株(コスモスは一年草だけど)なんだろうか。
それと、コスモスは短日植物だから、夏至から間もないこの時期に開花すること自体おかしい気もするけれど、日長に鈍感な品種なのかもしれない。(咲いている花色が2つだけなのは、このせいかも)

梅雨の花と秋の花の意外な組み合わせ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺内の道・新カプセル

2015-07-09 19:53:13 | 秋田の地理
2011年秋から2012年春にかけて、秋田市八橋(やばせ)に新しい道路が開通した状況を何度か紹介した。※最初の記事が2011年8月、最後の記事が2012年3月
草生津川(くそうづがわ)東岸と並行するように、八橋地区を南北に貫く市道「都市計画道路外旭川新川線」。
「やばせ橋」たもとから北に向かって段階的に開通し、最終的には新国道(という名の県道56号線)の「野村」交差点に至り、秋田北インター方面の県道72号線に続く計画らしい。

2012年春の段階では、当ブログで「C工区」と仮に名付けた部分の北側までが開通した。
その北端が交わる東西方向の既存道路は、
ト一屋(現・ドジャース)~三本橋~ユーランドホテル八橋~ローソン秋田寺内イサノ店~秋田運輸支局~新国道・操車場入口交差点
の通りで、ローソンの東側に新しく丁字路交差点が造られた。
(再掲)2012年南側から。右が新国道方向

その後、さらに北へ進むべく工事が始まりそうではあったが、当分かかりそうだと思っていた。
それから3年。
開通しそうだとか開通したとかいう話を耳にしたので、久しぶりに行ってみた。
ローソンの交差点(上の再掲写真と同じアングル)
丁字路が十字路になって、北側が開通していた!
広報などには出ていなかったと思うけど、いつの間に…
東側から。右が延伸した道路

開通区間から振り返って、交差点と南側の既存区間。右がユーランドホテル
※ここの信号機については、最後に。

今回の開通区間でも、これまでの開通区間と似たような光景の道路が、住宅地を北へと延びていた。

すぐに突き当りが見える。開通区間と交わる東西方向の生活道路が1本あるが、横断歩道は設けられていない。

新たに開通したのは220メートルほど。
八橋地区から寺内地区に変わって、全区間が寺内字イサノ地内。
北端の突き当り
今までの工区同様、北端はとりあえず信号機のない丁字路で既存の東西方向の狭い道路と交わる。新しい道路側が「止まれ」で、横断歩道は設置。
東西の既存道は、三千刈橋~秋田基準寝具工場~合流点~新国道。
西方向。すぐに点滅信号があり、その先に三千刈橋

東(新国道)方向
合流点から新国道までは260メートル。新国道は東京靴流通センター、ネッツトヨタ、日産サティオの所の無名交差点。

突き当りからこれまでの開通区間(南方向)を振り返る。やばせ橋までは1.3キロ

交わる既存道路の交通量が元から多くないこともあるのか、開通区間を通る車は少なめ。【10日追記】したがって、今回の開通でもたらされる効果は限定的だと思う。
ただし、以前の繰り返しになるが、生活道路・通学路の中に広い道路ができて、信号機もないので、無謀な運転をする車が流入して来ないかは心配。

ここからさらに北へ工事が始まって、いつか道ができるのだろう。野村交差点までは直線で360メートル(どこかでカーブする必要はありそう)。※この後、2019年3月25日に残りが開通し、野村交差点までつながった



さて、開通区間南端の丁字路から十字路に変わった、ローソンの交差点の信号機。
車両用は、丁字路の突き当りだった側の片面が両面化されたので、2台増。(最近流行り? の1方向につき1台への減少は実施されなかった)
北側に横断歩道が1本新設されたので、歩行者用は2台増。

実際の作業としては単純な増設ではなく、既存の信号機も一部撤去して、新品で更新する手順が取られた。歩行者用が1台、車両用が突き当たり側の2台が撤去されたので、トータルでは新設された信号機は歩車とも3台ずつ。【10日訂正】歩行者用3台、車両用4台。(撤去品は倉庫へ搬入されたようなので、どこかへ転用されることだろう)
歩行者用は新旧とも日本信号製の薄型ボディだが、フード(庇)は異なり、従来からあったものは長いタイプ、新設分は短いタイプ。
柱を新設したり、工事手順の関係でこうなってしまうのだと考えられるが、車両用についてはもう1つの目的もあったかもしれない。おなじみの着雪対策である。

既存の信号機は、着雪対策なしのLED式だった。今回そのうち2台を撤去して両面化された4台は、
カプセルフード
アームは流行り? の細い一直線2本。(上の写真を見ると、今回は2本で太さが違い、上のほうがやや太い)
日本信号製だが、従来とボディ形状が違い、裏面中央部が円形に凹んでいる。見慣れぬデザインのせいか、フラット型を見慣れたせいか、厚ぼったく感じてしまった。銘板は横向き。

一時期隆盛を極めたカプセル型フードの信号機は、吹雪いた時にべったりと着雪してしまい、あまり効果がない場合も見受けられ、昨年度あたりはフラット型に押され気味の感じだった。
久々に設置されたフラット型【7月12日訂正】カプセルフードだけど、今までのとは違う。
(再掲)2013年設置の日本信号製カプセル
そう。今回の設置分は、カプセルの形状が違っている。

実は、昨年度末辺りから秋田市内において、このタイプのカプセルフードの信号機が数台設置されており、“改良型カプセル”の試験を行っていると思われた。
今回新設分がすべてこれということは、正式にモデルチェンジしたのだろうか。
試験設置分をいつかアップしようともくろんでいたのに…
 
従来のカプセルはタマネギのような形で公式には「球面型」とか呼ばれていたようだが、これは球面というよりも角張っていてくちばしみたい。
上方の先端部が従来よりも前に突き出ていて、その下の部分に角度がついた(従来は地面にほぼ垂直)。これだと雪がすぐに滑り落ちるのか。そのため、日除けの黒い部分が従来より多くなり、真横から見ると目立って遠くからでも気づきやすい。
通常タイプのフードにどことなく近い形状のためか、“初代”カプセル型ほど奇抜な形に見えないような気もした。
※その後のカプセルフードについて、この記事後半に少し。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消えた壁バス停

2015-07-07 22:47:00 | 秋田のいろいろ
今まで、「変わったバス停」、すなわち「ポールが立っている」形式ではないバス停を2種類ほど紹介した。
・秋田市「自衛隊入口」(新国道経由上り側)の電柱に巻き付けた“電柱広告風”バス停
・弘前市「桔梗野」(上り側)の掲示板状の枠にバス停っぽいデザインの紙を入れた“絵にかいたバス停”
である。
この仲間に入れるべきバス停をもう1つ知っていて、いつか実物を拝見しようと思っていたのだが、後回しにしていた。
ところが、考えてみると、そのバス停はもうなくなってしまっていることに気がついた。路線が廃止されたため。
今さらながら、廃止後の2014年8月撮影のGoogleストリートビューの画像でたどってみます。


そのバス停は、南秋田郡五城目町にあった。
朝市が開かれる「下タ町通り」の1本東側、「上町通り」の「小池町」下り側停留所。
上町通りを北進(下りバスの進行方向)。右のカーブミラーに撮影車が写りこんでいる
実は上の画像に、そのバス停の痕跡が写っている。
左側にある、
時計・眼鏡屋さん
その壁に注目。

店舗手前側の側面にベンチがあって、その上の壁に逆「U」字状に壁の色が濃くなっている部分がある。

これが「小池町」バス停の面影。

在りし日の小池町は、バス停を示す表示板がお店の壁に“貼り付けられて”いたのだった。いわば「壁バス停」。
その表示板のデザインは、ポール式バス停の「バスで行こう」の看板部分と同じデザインだった。
(再掲)このタイプ
「バスで行こう」より上部が見える状態で、バス停名は手書き文字。その下の「次は~」の部分に時刻表が貼られていた。

実物を見たことがないので、バス停看板の材質は不明。ポール式バス停とほぼ同一の見かけだったので、同じ金属板だったのだろうか。
撤去された跡の壁の色が変わっているのは、経年劣化ではなく、バス停設置(貼付)後に外壁の塗り替えが行われていて、以前の濃い色が現れたのだろうか。
いずれにしても、壁にバス停が密着されていたことになる。
壁はレンガ風の新しい建材のようだ。継ぎ目の凹凸があって貼り付けにくそうだし、比較的最近にバス停が貼られたのだろうか。

こんな“壁バス停”は、全国的にはまれに存在する。
多くは、ポールを置くスペースがない場合だと思われるが、小池町もそうだろうか? 特別に狭そうではなく、ポールくらい置けそうな気もするけど。反対側から歩いて来る人はバス停を見落としてしまう可能性もあるし、お店にしたって壁にバス停を貼られるよりは前にポールを置いたほうが負担は少ないだろう。


今はバス停でなくなり、お店が設置しているのであろうベンチだけが残る小池町。
かつては、五城目バスターミナル発着の2路線が走っていた。大繁へ行く「内川線」と、滑多羅へ行く「高樋線」だそう。
高樋線は元は上小阿仁村沖田面まで行く「沖田面(おきたおもて)線」で、秋北バスと共同運行していた。2008年に短縮・中央交通単独運行となり、2010年に全区間廃止。内川線は2013年に廃止。
ストリートビュー撮影から時が経っているから、今は壁の跡は残っているだろうか。
マピオンの地図には、今も廃止されたバス停が残る。「福禄寿前」から「今町」まで、どれも現存しない
現在の五城目町では、八郎潟駅と秋田市へ向かう路線以外の路線バスは走っていないことになる。
廃止路線の代替については、よく分からない。一時期循環バスがあったがやめたようだし、住民限定(要利用登録)の代替交通がある地域もあるらしいが、町のホームページなどに明確な説明はない。【8日追記】この状態では、ふらりと訪れたよそ者には、公共交通機関がないも同然。
鉄道がない町で高校や商業施設もあるのだから(=潜在的需要はあるはず)、路線設定やPR次第では、もう少しは路線が残っていてもいいようにも、よそ者には思えてしまう。
そして、五城目は中央交通の発祥の地であり、今も社長さんがお住まいだとか。そんな場所にしては寂しい限り。
五城目に限った話ではないわけだが、町村の末端部の公共交通は壊滅的な状況であることを、「壁バス停」の消滅からもうかがい知ることができる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする