広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

2つの中島水位観測所

2016-08-31 22:59:24 | 秋田の地理
秋田市を流れる旭川にある、保戸野川反橋付近の水位観測所に関する続き。今回はごちゃごちゃした話であることを、あらかじめお知らせしておきます。

川の水位は、ほぼリアルタイムでインターネットで誰でも知ることができる。考えてみれば便利な時代になったものだ。
地域によって異なるかもしれないが、水位のデータを公開する公式なサイトは、2種類存在する。(別にマスコミなどが河川管理者からデータ提供を受けて公開しているものもある)
「各河川管理者がそれぞれの管理河川について公開するサイト」と「国土交通省が全国の情報を集約したサイト」である。
前者は、一級河川の本流(直轄区間)については国土交通省各河川国道事務所等(秋田では「あきた道 川情報STATION」)、委任している支流については各都道府県が運営する。
後者は、「国土交通省 川の防災情報(http://www.river.go.jp/kawabou/ipTopGaikyo.do)」。

2つのサイトのデータそのものは、もちろん同じだけど、ページデザイン(同じ画面でライブカメラ映像が見られるなど)や操作方法は異なる。
とりあえず水量を見たいのなら、国土交通省 川の防災情報のほうがいいかもしれない。川が直轄か委任かに関わらず、1つのサイトで済むし、観測所の検索がわりと使いやすい。

国土交通省 川の防災情報で、「秋田県」にある「旭川」の観測所を検索してみると…(県を指定しないと、後楽園の前を流れる岡山県の旭川も表示される。徳島にも小さい旭川があるみたいだ。)
川の防災情報サイトより抜粋
「秋田建設」という観測所は、川の流域ではなく、県庁の敷地内で雨量を測定しているということらしい。

「種別」すなわち測定内容が「水位・流量」となっているのは、3か所。
旭川の規模に対して多いんだか少ないんだかよく分からないけれど、太平川は「太平本町」と「牛島」の2か所。途中で合流する川がなければ、このくらいで妥当なんだろうか。

ただ、その3つの観測所をよく見ると…
上流の仁別の「務沢(むさわ)」はいいとして、残り2つはどちらも「中島」。
1つは、千秋中島町にある「中島」、もう1つは保戸野通町の「中島(指定)」。
どういうこと?

保戸野通町の「中島(指定)」のほうが、前回紹介した保戸野川反橋下流側右岸の「中島水位観測所」「秋田県秋田土木事務所」と表示が出ている建物。
データを表示させてみると、他の観測所と同様に、避難判断水位(ここでは3.42メートル)、はん濫危険水位(同3.60メートル)なども示されている。
種別欄では「流量」とあったのは、前回のお皿で測定した流速のことだろうか。だけどデータは示されていない。(他の観測所も同様)


問題はもう1つの「中島」観測所。
所在地からすれば、保戸野川反橋より上流。川伝いの距離にして約950メートル、間に2つの橋(鷹匠橋、保戸野新橋)を挟んだ所。奥羽本線の橋の下流側の秋田北高校と秋田工業高校の間に架かる「新中島橋」の下流側左岸に当たる。
そこには、秋田市上下水道局のポンプ場(秋田市下水道中島ポンプ場)があるけれど、県が川の水位を測定するような施設はあったかな? 現地へ。
下流側右岸から。対岸が千秋中島町。奥の丘は千秋公園の北端
なるほど。橋のすぐそばの道沿いに、フェンスで囲われ、アンテナが立った白い小さな建物(構造物?)があった。保戸野川反橋の水位観測所を小さくしたような感じ。それのこと? 対岸へ。

やはり同じような看板が設置されていた。
【9月2日追記】そういえば、ここにこういうモノがあったのは、以前から意識にあったけれど、目的や管理者については考えたことがなかった。あるいは下水道ポンプ場関連のものだと、無意識に認識していたのかもしれない。
「秋田地域振興局 旭川ダム管理事務所 中島警報局」とある
こちらは組織再編にしたがって地域振興局に替わっているが、素人には地域振興局と秋田県庁が結びつかない。「秋田県」を入れてほしい。
つまり、ダムの放水時に警報を出すための施設なんだろうか?
そういえば、昔は川沿いのところどころに、放流時に鳴動する表示灯とサイレンが設置されていたものだが、今は撤去されたようだ。じゃあ、ここが鳴るの? そんなふうにも見えないけど。(ダム放流時の警報について岩手県の例
ちなみに、各地図サイトでは、この場所に名称がちゃんと記載されている。川反橋の観測所は載っていないのに。

っていうか、これがダムの警報局なるものであることは分かったのはいいけど、水位測定との関係は? 「水位観測所」との表示はひとこともない。
新中島橋の上から見る。後方の茶色い建物は下水ポンプ場


草に埋もれて分かりにくいけれど、警報局直下の川の中に、コンクリート製の升状の物体が設置されている。もしかしたらこれが水位測定器だろうか。

ネットで公開されている、こちらの「中島」の水位には、はん濫危険水位などの表示がない
ということは、水害の判断基準にはならない観測所なんでしょう。したがって、保戸野川反橋の「中島(指定)」観測所のほうが、重要度は高そう。
その判断基準のことを「指定河川洪水予報」と呼ぶ(「指定された河川の洪水予報」という意味)そうなので、それ用の観測所ということで「(指定)」が付いているのか。


2つの中島観測所がある区間は、江戸時代に付け替え工事が行われた人工の川(以前はもっと東の千秋公園のふもとを流れていた)。だから、ほぼ直線だし、途中で流入する水路はない。
2つの中島観測所の水位データを比較してみると、増減の変遷は当然ながら連動している。
数値としては、新中島橋の「中島」のほうがいつも20センチほど高い傾向。右岸と左岸の違いや川幅などの影響か。



それにしても、紛らわしい。秋田県庁内部では取り違えないのだろうか。どう呼び分けているんだろう。
何よりも、保戸野川反橋付近を指して「中島」と呼ぶのは、大いに違和感がある。改称してほしい。「保戸野川反橋観測所」だと長そう、「川反観測所」だと飲み屋を連想しそう、無難に「保戸野観測所」「矢留町観測所(対岸の地名から)」とか。あと、組織として消滅した「秋田土木事務所」の看板を替えないと。
新中島橋のほうは地名はいいとして、こちらの「水位観測所」は現地に表示がなく、ネット上だけの呼称になっている。せめて「中島警報局水位観測所」などにすればいいのでは?
それ以前に、新中島橋のほうはダム警報局がメインの用途で、水位観測所としては本格的でなさそう。水位観測の機能を廃止しても、問題がないのではないだろうか。


旭川は「秋田市記念市民歌」に「水きよき旭の流れ」と歌われる、秋田市を代表する川。
秋田市中心部では、護岸で固められて水際には近寄れないけれど、それでも流域の住民には身近な存在。「川」といえば旭川のことを指すし、旭川の水量を見て雪融け・晴天続き・そして大雨といった気象の変化を実感し、話題とする。
一方で、いざという時に旭川がどうなるかは、あまり知らない。【3日追記】いちおうハザードマップは配布されている。
8月中旬の増水ピーク時の保戸野川反橋上流。この時の「中島(指定)」観測所では1.4メートル
台風10号が接近し、岩手や北海道を中心に甚大な被害が生じている。幸いにも旭川を含めて秋田市では大きな被害がなかったが、今後被害を受けない保証はない。それなのに、水位などのデータを知る方法も、岸にある施設の役割も、知らない住民が多いはず。そんなことでも分かりやすく教えてくれれば、住民の川への関心は高まるのではないだろうか。

【2018年9月28日補足】旭川ダムの運用が変わって、現在は、放流しても市街地では影響がなくなったため、警報装置を撤去しているとのこと。上流側には今もあるらしい。でもそのことは住民には知らせてくれたのだろうか。
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十日町から長岡

2016-08-30 23:20:56 | 旅行記
おいこっとで十日町駅に到着した続き。
新潟県十日町市も、豪雪で有名な街。人口5万4千人。
十日町駅は、東口と西口がある。JR飯山線も北越急行ほくほく線もどちらからも出入りできるが、昔からある東口がJR東日本管理、西口が北越急行管理。西口には観光案内所が入っているが、古くからの街側は東口。
訪問時はそんなことは知らなくて、近くの改札から出たら、西口に出てしまった。
高架のほくほく線は新幹線のよう

東口は旧国鉄らしい駅舎


東口側の駅前商店街は、アーケードが続く。その裏には、こみいった路地。地方の小さな市らしい光景。商店街は昨今の状況と街の規模にしては、なかなか健闘しているほうだろう。
ここにも横型LED歩行者用信号機があった。車両用は電球式

ちょっと分かりにくい位置だけど、東口から徒歩圏内にスーパーと温泉付き道の駅もあり、待ち時間がもっと長くてもつぶせそう。
47分ではざっと歩くことしかできず、改札内へ。
乗るのは十日町始発の12時35分発越後川口行き。
普通列車用キハ110系
今度はキハ110形の1両編成、いわゆる「単行」。ワンマン運転。
車番は「キハ110-234」。おいこっとの2両の1つ前の製造番号というわけで、これも元「秋田リレー号」だった元「キハ110-312」。
車内
車内は他路線でもおなじみのごく普通のキハ110系。ただし、天井の蛍光灯にカバーがかかっているのが、JR東日本の普通列車にしては珍しいと思ったら、キハ110系でもむき出しが通常だった。
おそらく秋田リレー号時代のものがそのまま残っているのだろう。数少ない名残。(おいこっとでは、柄入りで形状が違うカバーだった。前回記事最初の写真参照)
トイレは、外から中へ押すドアで、和式。(おいこっとでは、改造時に引き戸の洋式に変更)
(再掲)おいこっとの車内
比べてみれば、改造前後で同じ形式だったのはよく分かる。色やちょっとした装飾程度の違い。最低限で上手に改造したということか。

8時22分発の次がこの列車なので、4時間ぶりの下り列車。
どのくらいの乗車率かと不安だったけど、各ボックスに1組ずつ程度の適度な乗車率。ぜいたくにも、4人がけボックスを独占できてしまった。
おいこっとから乗り継いだような人がちらほら、あとは買い物や部活動の帰りのような地元の人。静かすぎず、うるさくなく、穏やかな雰囲気の車内。
越後川口までは途中駅4つ、所要時間27分。途中駅での乗り降りはあまり多くなかった。

JR東日本エリアの地方路線では、2両編成は多いけれど1両の単行列車はそれほど多くない。最近では津軽線のキハ40以来の乗車で、キハ110系では初体験かもしれない。
線路のつなぎ目で聞こえるジョイント音は、隣の車両からの音がない分、単調。聞き慣れたのと違うリズムで、ちょっと戸惑った。

車窓左側に変わり、線路から離れたところを流れていた信濃川も、所々でまた線路に寄ってくる。
越後岩沢-内ケ巻間。若干下流っぽい姿になった?
車窓は、信濃川のほかはコシヒカリが穫れるであろう田んぼが見える程度だけど、この区間もまた、どこか良かった。

飯山線全区間乗車を果たして、越後川口到着。
おいこっと区間も、十日町-越後川口も、のんびりとしたいい路線だった。
いつかまた乗ってみたい。雪が積もった時に、どこかで途中下車して温泉に泊まったりして…


越後川口では、上越線下り普通列車に乗り換え。そのまま信越本線に入って長岡まで、24分の乗車。
越後川口駅は、あまり大きな駅ではなかった。
駅はカーブの途中の高低差のある場所。改札口は階段の下にあるようで、ホームからは見えない。
時間がないので上越線ホームへそのまま移動。飯山線に乗っていた人もほとんどが乗り継いだ模様。
上越線ホームから。右が飯山線ホーム、その一段下が駅舎

新潟地区の上越線・信越本線は、国鉄時代から115系電車が使われていたが、2014年から新型車両が投入されている。
E129系電車
首都圏のE233系のローカル版、仙台のE721系の直流電源版という位置づけの車両。E721系をのっぺりさせたお顔。
造りや乗り心地もそんな感じ。いきなり車内に連れてこられて「これは何系だ?」と問われても、僕は区別できない。
一部がボックスシート。車内のドア上は、場所によってLED表示器と液晶ディスプレイが混在しているのが独特。
自動放送も首都圏・仙台と同じ。上越線と信越本線の接続駅「宮内(みやうち)」のアクセントが、日本語・英語とも、予想していたのと違うものだった。
【31日追記】宮内から越後川口は、以前「あけぼの」で暗い時間に1度通っただけの区間。車内の乗車率は高く、ロングシートに座ることになり、じっくり車窓を見られなかったせいか、あまり印象がないまま長岡に到着。でも、十日町-越後川口-長岡と、所要時間のわりには、退屈はしなかった。


長岡から新幹線、新潟で「いなほ」に乗り継いで、無事秋田へ帰着。今回もいい旅でした。
長らく続いた信州旅行記は、とりあえずここまで。取りこぼしたネタはいずれまた
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保戸野川反橋の皿?

2016-08-29 22:43:29 | 秋田の季節・風景
秋田市中央部の旭川に「保戸野川反(ほどのかわばた)橋」が架かる。
通町橋の1本上流で、左岸には「鷹の松」がある。秋田市の歓楽街である「川反」とは、若干距離があり、住宅街の生活道路の橋。(見通しがあまり良くなく、狭い道を飛ばす車もいるので注意)
橋自体は江戸末期にはできていたらしいが、代替わり(架け替え)して、路面のリニューアルなども随時行われている。
上流側から保戸野川反橋

この橋には、よく分からない物体がある。
あまり気にかけていなかったけれど、ある時期に設置されたと記憶している。もう10年ほど経つだろうか。最近、急に気になりだしてしまった。
上流側の橋の外側
上流側の橋桁の外側に、川にせり出すような形で、金属製の箱状のものが設置されている。【30日追記】橋の真ん中(つまり川幅の中央)に1つだけ。

箱の上には、ギリギリ人1人立てそうだけど、飛び込み台なわけはない。建物などをライトアップする照明器具のカバーというか箱にも似ているが、ライトアップするべきものはないし、夜は真っ暗。

角度を変えると、箱の中身を見ることができる。
白いお皿?

 
中央部がとんがった、直径30センチくらいの皿状の物体がうつむいて設置され、ケーブルがつながっている。
アンテナっぽい機器で、これで川に関する何らかの測定を行っていると推測。

実は、この橋の下流側右岸(保戸野側)には、こんなものがある。
向こうが通町橋
上の写真でタチアオイの花(近隣の住民がお手入れ?)が咲く向こうに、アンテナや風速計が付いた小さい建物がある。それは、
「中島水位観測所」
河川管理者が、旭川の水かさを計っているようだ。
基本的に一級河川の支流は、国土交通大臣から委託されて都道府県が管理することになっているので、ここは秋田県の管轄。
観測所には「秋田県秋田土木事務所」と表示があるけれど、土木事務所は1999年度末に組織再編でなくなっている。その後も再編があり、今なら「秋田県秋田地域振興局建設部(以下不明。ほんとうに秋田県庁の体制は分かりづらい)」としなければならない。
【2019年5月28日追記】その後、2018年頃までに、観測所周辺がちょっと手入れされ、表示板は現行の組織に即したものに交換された。末尾のカメラ設置のリンク先に画像あり。

なるほど。あんなお皿で水の量を計ることができるのねと納得しかけたけれど、ちょっと違うかも。
お皿の角度からして、水位を計るのは無理がありそう。
それに、観測所から護岸伝いにパイプが下りていて、それが水位計測器っぽい。
奥の管がつながったのが測定器? 手前は目盛り

ネットで調べてみると分かった。たぶん。
お皿の正体は「電波流速計発信器」。
マイクロ波を水面に照射して、反射される波のドップラー効果で、流速を測定するのだそう。安全に、安定したデータが得られるようだ。
原理は、スピードガンやオービスと同じかな。

なお、水位を非接触で測定する装置も実用化されていた。超音波を用いるもので、水面に対して垂直に、つまり真上に設置する。道路上に設置されている交通量の測定装置(車両感知器)と、仕組みも装置の形も似ているようだ。

場所からすれば、この流速計も中島水位観測所の設備の1つなんだろうか。橋は秋田市道だから、県が市に間借りして設置させてもらっていることになる。
中島水位観測所で計測した水位データについては、インターネットで誰でも随時知ることができる。掲載写真のような平常時では、50~60センチ程度。先週何度かあった大雨の後は、150センチくらいになっていた。
しかし、流速のデータは公開されていなさそう。
ひっそりと常に測定が続けられているのだろう
防災上役に立つ場合もあるかもしれない。測定しているのならば、教えてくれてもいいのではないでしょうか。

気づかないだけで、ほかの川のどこかの橋にも、同じ装置が設置されているはず。保戸野川反橋もそうであるように、橋の上流側に設置するのが一般的だそう。(下流側だと、橋脚などの構造物で流れが乱れるため)


ところで、水位データを調べようとすると、「中島」観測所は旭川に2つ存在しており、戸惑わされる。それ以前に、ここを「中島」と呼ぶのも、なんだか… そんなことを後日、また
2020年には水位観測所に監視カメラが設置された
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おいこっと2

2016-08-28 23:40:02 | 旅行記
JR飯山線の観光列車「おいこっと」で、長野から新潟県十日町へ向かう道中の続き
飯山を出て15分ほどで、戸狩野沢温泉(とがりのざわおんせん)駅。
定期列車では、長野方面・十日町方面とも、この駅を始発・終着駅とするものが多い。おいこっとは1分停車。
戸狩温泉と野沢温泉という2つの温泉の最寄り駅であることを示すため、1987年に戸狩駅から改称されたそうだ。この頃は、○○温泉駅に解消するのが流行った。
両温泉とも、駅から徒歩で行くには遠い距離らしく、北陸新幹線開業後は飯山線を最寄り駅とすべく、バスが運行されるなどしているとのこと。


前後するが飯山駅では、大きなウッドベースなど楽器をかついだ3人と、はっぴを着た人が乗りこんできた。どちらも沿線の中野市の人たち。
中野市は、千曲川の両岸にまたがり、長野電鉄の「信州中野」駅は飯山駅の対岸。そちらのほうが街としてもアクセスとしてもメインかな。
はっぴの人はバラ園などの観光パンフレットを配布。楽器の3人は最前部(運転席とロングシートの間)で、演奏と歌を始めた。

後ろの車両では、BGMとしていいあんばいに音が聞こえてくるけど、前の車両のいちばん前のロングシートのお客さんには、距離が近すぎそう…


車内販売で、前から食べてみたかったものを購入。
桔梗信玄餅アイス オリジナル 290円
山梨銘菓で有名な、桔梗屋の信玄餅のアイス版。
車内販売では、NRE松本列車営業支店のみが扱うそうで、「あずさ」など中央本線の特急やこのおいこっとが貴重な購入機会。リゾートビューふるさとでは扱っているか分からなかったが、今回はメニューに明記してあるので躊躇なく注文できた。
ちなみに、山梨近辺では直営店やスーパーでも買え、餅が多い「プレミアム」もある。

アイスがきなこ味で、中央に黒蜜、内部に餅が少し入っている。アイスの種類別としては「アイスミルク」。
信玄餅というか、きなこ&黒蜜味のアイスとしては、とてもおいしい。
ハーゲンダッツで和風の「ジャポネ」シリーズってのがあり、食べたことはないけど、負けないかも。
【2017年3月1日追記】2017年2月には桔梗屋が監修した赤城乳業「ガリガリ君リッチ 黒みつきなこもち」が発売された。ラクトアイス100ml、税抜き130円。
ちゃんと「もち菓子」「黒みつソース」「きなこアイス」「きなこかき氷」からなり、再現性は高い(かき氷なので少しシャリシャリするけど)。餅の割合は、カップアイスより多そう。ただし、バーアイスなので、餅が上部、蜜が中央部以下と分かれており、同時に食べるのは難しい。

少し暑い日に涼しげな千曲川をBGM付きで眺めながら、和風の車内で和風のアイスを食べるのも乙なもの。
のどかな風景が続く
窓の外では引き続き、千曲川がとうとうと流れ、おいこっとは、それに沿って淡々と走り続ける。
今にして思えば、寝ていたわけではないのに、車窓の写真も撮っていないし、特別に印象に残るような風景もなかったけれど、とてもいい時間だった記憶はある。なんとなくいい路線・車窓。


戸狩温泉温泉から30分走り続け(途中謎の運転停車はあり。信号関係の都合かと推測)、11時02分森宮野原(もりみやのはら)駅に停車。中野市のみなさんはここで下車。
10分停車なので、列車の外へ。
のどかな駅
森宮野原とはどんな場所か想像がつかなかったが、東日本大震災の翌日に大きな地震があった、長野県北端の栄村にある。
駅では1945年2月12日に7.85メートルの積雪を観測し、旧国鉄~JRの日本最高積雪記録となっている。その高さを示す標柱(てっぺん付近の線の位置が7.85メートルなのでしょう)が立つ。

トマト産地で「トマトの国」という温泉施設があり、おいこっと乗車とそこでの昼食と入浴がセットになった旅行商品があるそうで、ワゴンタクシーが迎えに来ていた。

駅舎には、小さな産直風のお店があって、トマトは売られていた。駅から少し歩けば道の駅もある(ソフトクリームが評判)けれど、10分では厳しい。
せっかく、ある程度の停車時間があるんだから、ホームや駅前に出店を出すとかすればいいのに。売れると思います。
駅前の眺め

超豪雪仕様(?)の消火栓
秋田や青森の3倍の高さ。しかもピカピカ。

森宮野原駅までがJR東日本長野支社管轄。新潟支社管内へ進む。
すぐに、長野県から新潟県に入り、川の流れは同じながら千曲川は信濃川になる。川はほんとうになんの違いもなかった。国道も険しい山道などではなく、あっさりとした県境のようだ。
積雪量で地名を聞いたことがある津南(つなん)に停車すれば、次は終点・十日町。
いつの間にか、車窓から信濃川が見えなくなっていた。※実は橋を渡って進行方向左側に変わっていたのだったが、左窓を見たとしても遠ざかって見えないようだ。

時の流れを忘れてしまうような、おいこっとの旅だった。
豪華で料金が高いクルーズ列車が注目されているけれど、こんな手軽な列車でも素晴らしい旅ができるのです。

長野・飯山出発時よりは減っているが、十日町まで乗り通した客もけっこういた。
十日町から上越妙高へ行く、日本酒をテーマとした観光列車、快速「越乃Shu*Kura(こしのしゅくら)」もあって、乗り継ぐ周遊コースも提案されているが、待ち時間は3時間あり、みなさん改札口を出るようだ。
十日町駅では、飯山線と第3セクターの北越急行ほくほく線(関連記事)が交差する。
おいこっとを降りて、秋田方面へ帰るルートとしては、飯山線の残りの区間である越後川口へ向かい長岡から新幹線に乗るか、ほくほく線で(六日町経由)越後湯沢方面へ向かって新幹線に乗り継ぐかのどちらか。
運賃や所要時間は越後川口回りが優位だが、運転本数はほくほく線がやや多いため、接続もいい。
でも、新潟からの「いなほ」乗り継ぎには若干余裕があるし、十日町の街もちょっとだけ見たいし、ちょっとだけ安くあげたいし、越後川口へ向かうことにした。47分の待ち時間。
続きます
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千秋公園ストリートビュー

2016-08-26 00:18:41 | 秋田の地理
すっかり定着したGoogleのストリートビューは、再撮影や新たな場所の公開が散発的に実施されている。その多くは、告知なしにひっそりと行われる。
秋田駅周辺のストリートビューを見ようとしたら…
青い線がストリートビュー対象
以前は公開されていなかった千秋公園内に、網の目のようにストリートビューが張り巡らされていた。
いつの間にか、千秋公園のストリートビューが見られるようになっていたのだった。

公道でない施設内のストリートビューは、秋田市内では、大森山動物園内などが2013年から公開されている。
動物園は自転車に撮影機材を積んで撮影していたが、階段が多い千秋公園では不可能。背負って歩いて撮影する機材もあるそうなので、それを使ったのだろう。

二の丸広場で花見中
撮影されたのは今年4月。桜が見頃の頃で、園内には人が多い。顔はぼかされているが、すれ違う人たちがもの珍しそうに見ているのが分かる。曇り空なのが、ちょっと残念。
胡月池前では露店の軒をかすめて

園内の道はほぼすべて撮影・公開されている。あまり人が行かない、西側斜面や階段も含めて。
管理事務所脇から和洋高校体育施設付近への階段

知る人ぞ知る、県民会館の池付近から鐘つき堂への狭い階段も

西斜面の石段(段が高いので通らないほうが無難)は途中まで?
西斜面の木々は芽吹き前でコブシがちらほら咲く。葉が出た後もまた美しいのだけど。

園内がひととおり分かるようになったのは、おもしろい。
ただ、要改善ではないかと思うことが。冒頭でストリートビューの線が「網の目のように」としたが、
こんな感じ
異様に線が多い。
人が立ち入れない急斜面や胡月池の中にも線が多く引かれている。そこを表示させてみると、線の両端どうしでワープしてしまうようだ。
千秋公園以外のストリートビューでも同様の事象が発生している。高低差が激しい場所では、誤認識してしまうのだろうか。
また、全体的に地図と線が数メートルほどズレているようにも感じる。
【26日追記】我々が普通に歩くと、まっすぐ歩いたつもりでもどうしても微妙にブレたようにカクカクした軌跡になってしまうものだが、徒歩で撮影したはずの千秋公園のストリートビューの青い線はおおむねきれいな直線。特殊な歩行術を身に着けているのか、アップ時に補正をしているのか。(弘前公園の自転車でのストリートビューでは微妙に線が曲がっていた。また、現在公開の2015年11月撮影のものは、千秋公園同様の異常なつながりの線ができている)

あと、せっかくなんだから公開開始を告知してほしい。
Google側でもいいし、千秋公園を管理する秋田市でも知らないわけはないだろうから。
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おいこっと1

2016-08-25 00:07:31 | 旅行記
5月の信州旅行記(前回の記事)。
長野の細かい話題は後日アップするかもしれませんが、とりあえず帰路へ。

長野市から秋田市への移動は、やはり新幹線は極力使いたくないし、行きと同一ルートでも芸がない。
検討の結果、観光列車を楽しみつつ、長岡へ抜けて、上越新幹線~特急「いなほ」で秋田へ戻ることにした。長岡から先は行きと同じになってしまうけど仕方ない。

最初に長野から観光列車に乗る。長野と新潟県の十日町の間86.1キロを走る、飯山線の臨時快速「おいこっと」。全席指定で冬期以外は土日などに1日1往復運行。(冬期は運転区間を短縮して2往復)

路線としての飯山線は、豊野から十日町を経て越後川口までの96.7キロ。
長野-豊野10.8キロは、かつての信越本線である第3セクター・しなの鉄道北しなの線に乗り入れる。
飯山線は、千曲川・信濃川(県で呼び名が異なる同じ川)に沿って豪雪地帯を行く路線。これまであまり意識したことはなかったが、知れば良さそうな路線であり、良さそうな列車だ。

列車名の「おいこっと」は方言かと思ってしまうが、「TOKYO」を逆にした「OYKOT」。東京と対極にある、ふるさと(田舎)を走る列車という意味。北陸新幹線金沢開業の2015年春に運行を開始。


上記の通り、おいこっとは、しなの鉄道とJRを通して運行する。
指定席券は「えきねっと」で、2社またがった区間でも問題なく購入できる。しなの鉄道部分の追加料金はなく、520円。
乗車券は、長野→秋田としたいところ(値段は変わらないけど、手間として楽だから)だが、連絡運輸の設定上、またがっては発券できなかった。豊野→秋田7560円のJR部分のみ事前に買って、長野→豊野250円は長野駅の券売機で当日購入。
長野駅の近距離券売機は、「JR優先」と「しなの鉄道優先」で2~3台ずつ分けられていた。初期画面がJRになっているか、しなの鉄道になっているかの違いらしく、切り替えボタンを押せば、どちらのきっぷも買えるようだ。しなの鉄道区間のみの乗車券でも、オレンジカードが使えた。
ちなみに、行きの直江津・上越妙高経由での秋田→長野の乗車券は7800円。しらゆき・はくたかの特急券がかからない分、飯山線経由のほうが安い。


下りおいこっとは、長野9時15分発。十日町着は11時48分。所要時間としては各駅停車と同じくらいだけど、各駅停車の直通列車はなく、途中の戸狩野沢温泉で乗り換えが必要なことが多い。
松本・南小谷行き「リゾートビューふるさと」は9時04分発なので、いずれも朝に東京から新幹線で来て乗り継ぐことができる。
長野駅発車標に2つの観光快速が並ぶ(英語表示ではどちらも「Rapid」のみ)
この日は「土日きっぷ」が使える日だったので、それらしき旅行客が多かった。


おいこっとの車両は、飯山線の定期列車のほか花輪線などでもおなじみのキハ110系(※)気動車を改造した2両編成。※2両とも、両側に運転台がある「キハ110形」。飯山線の定期普通列車に入る場合もある。
車体はクリーム色(アイボリー)とエンジ色の専用塗装で、1両ごとに正面~ドアにかけての色が反転している。側窓部分は同じ。
色使いとしては国鉄時代の特急列車や、長野電鉄の路線バスを連想させられる。

この2両、実は製造当初は秋田に配置されていた。
秋田新幹線開業に先立って、1996年3月から1年間、田沢湖線を運休して工事していた間、代替として北上線回りで「秋田リレー号」という特急が運行されていた。
JR東日本としては民営化後初で唯一の気動車特急かつ期間限定。そこで、普通列車用のキハ110系を特急仕様で投入し、運行終了後、普通列車用に転用する前提で、新車が製造された。
予定通り、普通列車用に転用(座席交換・塗装変更)され、その転属先が飯山線だった。おいこっとになる前は、塗装は標準だが、車内は窓向きに座席がある「眺望車ふるさと」として、若干観光目的の車両だったそうだ。
【26日追記】秋田リレー号用は20両製造(キハ111、112形を含む)され、改造後に新津に配置されたものもあったが、ほとんどが長野へ配置された。
おいこっと
先頭がエンジ色ベースの2号車・キハ110-236(秋田リレー号時代は-314)、1号車が白ベースのキハ110-235(同-313)。

車内外には“雪ん子”のイラストに「いいかわ、いいそら、いいやません。」と書かれたおいこっとのロゴ(アイコン)のほか、沿線の中野市出身の高野辰之作詞の唱歌「故郷(ふるさと)」に歌いこまれた「兎」「小鮒」なども影絵風のマークにして随所にデザインされている。

車内へ。
 
床が板張りだったり、座席がかすり風(?)の和風柄だったり温かい雰囲気で、「おおっ!」とか「わーっ!」と声を上げたくなる第一印象。「古民家風」のデザインだそう。
ロングシートと4人掛けボックスシートの布地。2人掛け側は紺色
ただし、よく見ると、ボックスシートは4人掛けと2人掛けで吊り手(つり革)がぶら下がり、端はロングシート&優先席、ワンマン運転用機器、バス用部品を転用したスピーカーや冷房吹き出し口など、キハ110系らしさも随所に残っている。
定期普通列車としても運用されるから、こうなったのだろう。【27日追記】客席の窓も原型のままだが、元々大きめなので眺望は悪くない。
天井の運賃表示器には、おいこっとロゴ入りカバー
上の写真手前の和風柄の紺色の布がかかっているのは、整理券発行器。
花輪線などでは、ビニール製っぽいグレーのカバーがかかっている(運賃表示器のと同じようなもの)。この布カバーは、ジャストサイズで、ボディの凹凸にも一致している。メーカーへの特注品なのか、器用なJR関係者の手作り品なのか。
運賃箱は仕切り兼用でむき出しのJR東日本標準配置だった。
運賃箱は秋田支社でもかつて使われていた、レシップ製のバス兼用の銀色のもの
全席指定のおいこっとでは、ロングシート部分も指定席として発売される(1両につき12席)ので、荷棚のパイプに席番のシールが貼ってあった。
国鉄時代製造のキハ40系では、ロングシート部分にも律儀に席番が振られていた(後のリニューアル時に撤去された車もある)ものだが、最近の車両でロングシートに番号あって、かつ実際に指定席として発売する例はそうそうないのではないだろうか。
車窓を楽しむ列車である以上、席料を払った客を窓を背にして座るロングシートに座らせるってのは、いかがなものだろうか。
なお、ロングシートは、原型よりは座り心地がいいソファ風のものに交換されてはいる。また、優先席は普通列車運用時の適用で、全席指定の「おいこっと」運用時は関係ない。
戸袋のため窓が半分ふさがれていて、いい席ではない
えきねっとでは、座席表(シートマップ)で位置を指定して予約できる列車が多いけれど、おいこっとは対象外。
イヤな予感がしたけれど、案の定、ロングシートに割り当てられてしまった。(公式ホームページで座席配置は分かる)
おそらく1名で予約するとロングシートに優先して割り振られそう。周りの席にもひとり旅の方々が3人ほど。
ロングシートは、2席ごとにテーブル収納を兼ねたひじかけで区切られ、その2席ごとに同番のA席・B席になっている。みなさん、進行方向後方のA席に割り振られており、ぎちぎちに隣り合わないようには配慮されていそう。

僕は後方の1号車で、長野発車時にはボックス席も含めてそれなりに埋まっていたが、前の2号車のほうが乗車率が良かった。十日町での蕎麦券付きパックツアーなどの客は2号車なのかも。
ボックス席では、2両とも2人掛けのほうが千曲川側。ただし朝は逆光気味。
列車は徐々に乗客が降り、ボックスシート部分もかなり空いたので、僕は途中からそちらに移らせてもだった。


リゾートビューふるさとでは、(形式上は)ワンマン運転区間があったが、おいこっとは全区間車掌が乗務。この日は2人乗務。こちらも、端末で確認するので車内検札はなし。
ほかに、案内や車内販売をする「おいこっと あてんだんと」が、もんぺ姿で乗務。てきぱきときめ細かな仕事ぶりが印象的だった。NRE松本列車営業支店所属なので、普段は「あずさ」も担当しているのだろう。
さらに、スーツ姿の男性が発車前の車内をうろうろしていて、我々ロングシートの客の前を通るたびにやけに恐縮している。腰が低く服装が場違いな鉄道マニアかと思ったら、JR東日本の名札を付けていて、何かの業務で乗りこんだ社員のようだ(社員にしても腰は低い)。彼は、途中の飯山駅で駅員と会話していたのを最後に見なくなった。

発車後、アテンダントからの肉声放送もあるが、車窓や沿線の案内は自動放送で行われる。
自動放送は、俳優・常田富士男氏によるもの。飯山線とは千曲川の対岸に位置する木島平村(鉄道は通っていない)出身。僕は常田を「つねだ」と読むのだと思っていたけれど、「ときた」さんだそう。
常田さんは、僕たちの世代には、「まんが日本昔ばなし」で市原悦子さんと2人で全登場人物の声を当てていたのが、強烈な印象。当然、若い人は知るよしもなく、おいこっと乗車を伝えるブログで「おじいさんが放送している」と表現されていた方がいた。

どんな列車でも、車内放送の音量は大事。特に気動車では加速時はエンジン音にかき消されてしまうこともある。
今回は、自動放送が始まった瞬間、明らかに音量が小さく、流れているのは分かるけれど、内容は聞き取れない状態。これでは残念だな、車掌が気づいて上げてほしいなと思った瞬間、前の車両にいたアテンダントさんとスーツの社員さんが、後部へダッシュ! 間もなく、充分な音量になった。このおふたりが、音量を上げて(もしくは車掌に上げさせて)くれたのだろう。感謝。
っていうか、本来は車掌が音量を確認して調整すべきでしょう。車掌は何をやってるの?
しなののタイミング悪い車内検札、リゾートビューふるさとの無意味に思える乗務など、長野の車掌さんにはもうひとがんばりお願いしたい。
ただ、指定券を持たずに乗ってきた客が実際に複数いて車内で対応していたし、行き違いがないのに乗降を扱わない運転停車(五能線北金ヶ沢駅のような、停まってすぐに発車するもの。車掌は信号を確認し、運転士にブザーで合図しなければならない)する駅がいくつかあった。車窓に合わせてタイミングを見て自動放送を流すのも車掌の業務だろうから、それなりにやることはあるのは分かりますが。


発車してしばらくすると、アテンダントが巡回。全員にこんなものを配ってくれる。途中駅からの乗客には、都度配布。
車内販売のメニュー、おしぼり、そして「野沢菜漬」
ウエルカムドリンクならぬ、ウエルカム漬け物。刻んだしょうゆ漬け30グラムで、木島平村の「岡本商店」製。要冷蔵扱いなので、持ち帰って後で食べる時は自己責任で。
指定券だけで漬け物がもらえる列車なんて、おいこっとだけではないだろうか。車内の乗客が揃ってポリポリ漬け物を食べるのは、ほほえましい光景。
リゾートビューふるさととは異なり、車内販売もちゃんとワゴン(小さめ?)で客席へ来てくれた。Suica決済可。ホットコーヒーは下りのみの扱いだそうだが、そば茶、サイダー、地酒など地元の飲み物あり。アイスクリームは、スジャータのバニラのほか、山梨の「桔梗信玄餅アイス」も。

飯山線に入るとすぐ、千曲川が見えてくる。
さすがに雄大
長野から40分ほどで、2つ目の停車駅、飯山。北陸新幹線の停車駅でもあり、新幹線なら長野からたった10分。
飯山駅の路線名のみならず、ディスプレイの「iiyama」の飯山である。(長野県には飯田市、飯田線もあって、ちょっとまぎらわしい。場所はぜんぜん別)
16分の停車。
改札の外で、地酒の振る舞いと、地元産品の販売「おいこっとまるしぇ」が行われるとのことで、行ってみた。例によって改札口はフリーパス状態。

新幹線開業時に旧駅から300メートル移転した飯山駅は、ややコンパクトな橋上駅舎。
自由通路には長い木のベンチ
急いで駅舎の外観も拝見。メインの「斑尾口」側。
階段の下に砂利があって、子どもが遊んでいる?


秋田や津軽で親しまれている洋菓子「バナナボート」は、飯山市でも複数の菓子店が作っているそう。出店や駅で売っていないかちょっと期待したけれど、見当たらなかった。おやきや、日持ちするお菓子類はあり。【2021年6月17日追記・2021年時点では、バナナボートも売っているとの情報あり。】

ホームには、駅員たちが多数出て歓迎。
小型おいこっと。本物のほうは窓周りはなかなか派手なデザイン
車両側面の行き先表示はLEDになっているが、赤文字で「快速」のみの表示。列車名、行き先、全席指定など、表示すべきでしょう。

2号車【28日訂正】1号車は白ベース
飯山で降りた(一時下車でなく、乗車を終えたという意味)人はあまりおらず、新たに乗りこんできた人がちらほら。新幹線からの乗り継ぎか。
指定券を持たずにホームに来て、車掌から購入していた人が複数いた。
普通列車はこの1時間後までないため、やむなく乗った人もいたかもしれないが、近くの席に座った家族連れ(娘さんが20代くらい)には、内装も、野沢菜漬けも好評で、偶然おいこっとに乗車できたことをとても喜んでいた。

次の停車駅は、すぐ隣の北飯山。まだ飯山市街地で「高橋まゆみ人形館」の最寄り駅だそう。おいこっとを喜んでいたご一家は、ここで降りてしまった。
たった3分の乗車に520円も払っているわけだけど、乗車券(もしくは土日パス)は買ってしまっていて、飯山駅からバスやタクシーに乗るよりは…ということかな。おいこっとを楽しまれていたのは何より。


長くなってしまったので、今回はここまで。
大したものはないのに、なぜか楽しいおいこっとの旅は続きます
【25日追記】キハ110系は加速と乗り心地が良く、個人的に好きな車両。そのこともおいこっとの好感度に貢献していそう。
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蕗・ヤブガラシその後

2016-08-24 00:09:49 | 動物・植物
植物の続報2つ。
猛暑の中、水やりされず、枯れかけていた、秋田駅前の秋田蕗(アキタブキ)。
(再掲)ぐったり
その後、8月15日に1.0ミリだけ久々に雨が降った。その翌日、
シャキーン!
明らかに茎が元気になって立ち上がっている。これで枯死は免れた。
この後、17日と22日には大量に雨が降ったが、フキの状態はほぼ変わらず。
見栄えは…
もちろん、既に枯れてしまった部分の葉が復活することはない。
残った部分で光合成をして、もしかしたら新たな葉(葉柄)が下から生えてくるかもしれない。

わずか1ミリ降っただけで復活するのなら、日頃から様子を見て散水してやればいいのに。
【追記】この後、26日までにアクリル板やむしろによる囲いが撤去されてしまった。フキはそのままの状態。
さらにその後、9月2日までに、地上部がすべて撤去(地下部は不明)され、土だけになってしまった


昨年発見した、雑草のヤブガラシの葉に斑が入っているもの。
地上部は枯れても、根は翌年以降も残る多年草のヤブガラシだから、今シーズンはどうなっているだろう。
今年も生えている
ツルがごちゃごちゃするほど伸びきってはいない段階ながら、もう花は咲いていた。その中に、
今年も斑入り!
昨シーズン同様、1本のツルのうち、一部の葉にだけ斑入りが生じている。
また、昨シーズンは、斑入りが生じた葉では、まんべんなく斑が入っている感じだったが、現段階では、葉の付け根側から葉脈に沿って色素が抜けたかのように見受けられる斑の入り方。
やっぱり、ウイルス感染とか病的な斑入りなんだろうか。それにしては他に広がらないのもおかしいし…
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臨海鉄道で秋田博へ

2016-08-21 23:58:32 | 昔のこと
前回に続いて、1986年夏の「秋田博'86」の思い出。
個人的には博覧会そのもの以上に印象深く、歴史的には貴重な出来事だったと思われる、会場へのアクセスについて。
※わずかな情報を頼りに憶測している部分も多々あるのでご了承ください。新たな情報があれば、コメント欄にてお知らせください。

会場となった秋田市向浜・県立スケート場周辺は、30年前も現在も、運河と海に囲まれて松林とスポーツ公園と工場があり、民家がまったくなく、大きな違いはないと思う。
県立球場が廃止されて隣にこまちスタジアムができ、球場跡に武道館ができたし、工場の存廃もあっただろうけど。

道路網は秋田博の時に変化があった。今は、スケート場前から松林~旧・秋田空港跡地を抜けて割山方面へ秋田県道56号線がつながっているが、この形になったのがその時(秋田博開幕日の7月18日開通)。それまでは、袋小路状態で港大橋(※)でしか行き来できなかったようだ。
※秋田運河に架かる県道56号線の橋の名称は「新港大橋」らしい。その橋の東側にある県道と国道7号線(臨海バイパス)の交差点は「港大橋前」という名称だから、てっきり「港大橋」だと思っていた。とすれば、「新」じゃない「港大橋」ってのは存在するのだろうか?

その県道とつながる向浜の南方、勝平・割山側では、同日に、雄物川(放水路)河口に架かる国道7号線秋田南バイパス「雄物大橋」も開通。
ただし、これらの道路は不完全な状態。秋田博期間中の県道は、一般車両は、向浜から空港跡方向の南行きのみ通行できたようだ(これは臨時駐車場関係や混雑解消の意図か)。
雄物大橋の左岸・浜田方面のバイパスも、開通は同年10月末なので、当初は上へぐるっと回って新屋栗田町方向へ行くしかなかったはず。
なお、雄物大橋は、2015年に同じサイズの橋が隣にもう1つでき、4車線となっている。

秋田博来場者の駐車場は、(会場周辺に小さいものもあったが)空港跡地に設けられ、会場へ無料バスで行き来する、現在のこまちスタジアムでのプロ野球やスケート場の一部イベントの時と同じスタイル(ただし駐車は有料だった)。


公共交通機関は2つ。
1つは秋田市営バス(秋田市交通局)。
1986年7月10日発行「広報あきた1033」によれば、会場行きバスが4系統で運行された。
秋田駅(西口)-山王大通り-会場(要はいつものスケート場線と同じ)が、平日(当時は土曜を含むってことでしょう)は10分ごと、日曜は5分ごとという、高頻度で運行。
※少し後の1988年の資料では、駅-スケート場の運賃は250円。通常時でもスケート場線が毎時3本運行されている。現在は、県立総合プールができたので運行区間は延長されたものの、毎時1本、350円。

駅発着のほかに、新屋駅前の南営業所(組織としては現・新屋案内所、バス停としては現・西部市民サービスセンター)からのバスが、「新屋線経由」と「新屋西線経由」で、それぞれ1時間に1本。
7号線沿いの北営業所(現・飯島北=場所は少し移動)からも、寺内経由で1時間に1本。
これらの詳細な経路は分からないけれど、北営業所発は、土崎からずっと旧国道を通って青年の家前(現・青少年交流センター前)を曲がるルートか。
新屋発は、西線経由が新川橋を渡って若葉町交差点から、新屋線経由は茨島交差点から、それぞれ臨海バイパスへ入ったのだろうか。新屋線が赤れんが館前、西線が自治会館前(現・市町村会館前)まで来た可能性もあるけれど、ちょっと遠回りだし。
南営業所発着の2系統は、往復とも発時刻が同時だから、乗車率が良くなさそう。30分ずらすとかすれば、南営業所付近の人は乗車機会が倍になって便利だったのに。


もう1つの手段が、鉄道。
前置きが長かったですが、これをお伝えしたかったのです!

スケート場の向かいを通る貨物専用鉄道である「秋田臨海鉄道」を使い、秋田博期間中限定の旅客駅を設けて、奥羽本線の秋田駅・土崎駅との間で人を乗せて営業運行したのである。
日頃は絶対に乗車できない路線だし、当時から「最初で最後」と言われていたような記憶もあり(実際に、それ以降現在まで実績なし【ところが2017年夏に!(記事末尾のリンク先参照)】)、ある意味、秋田博の楽しみの1つだった。
Googleマップより
ここで、秋田臨海鉄道について説明。
秋田臨海鉄道は、現在は、JR貨物、秋田県、周辺に工場がある企業が出資する。「JR(貨物)グループ」かつ「第3セクター」ということになろう。
秋田博当時はJR発足前だけど、国鉄が出資していたのだろうか。いずれにしても、国鉄とは親密な関係。

同社「南線」という路線が、土崎の秋田港付近-(当時はまだなかったけど)ポートタワー セリオンの下-臨海バイパス沿い-新港大橋と並んで秋田運河を渡る旧雄物川橋梁-スケート場向かい-向浜と伸びている。
土崎側では、奥羽本線土崎駅とつながっていて、秋田から向浜まで、いちおうレールで結ばれている形。

鉄道に詳しくない多くの秋田市民は、土崎駅から向浜方面までの貨物線全部を指して「臨海鉄道」と呼んでいるが、厳密には間違い。
北部市民サービスセンターの裏からセリオンの下辺りにかけて「秋田港駅」という貨物駅がある。そこから向浜側だけが臨海鉄道。
2010年2月セリオンから撮影。秋田港駅を出発し、右下の南線へ入る臨海鉄道のコンテナ貨物列車
じゃあ、残りの土崎駅-旧国道の踏切-国道の相染跨線橋-秋田港駅は何なんだと言えば、これは「奥羽本線の支線」。貨物専用だからJR東日本が関わらない、JR貨物独自の路線となっている。秋田博当時は、本線といっしょに国鉄管轄だったことになる。
それを裏付けるように、泉の秋田貨物駅から臨海鉄道方面へ行く貨物列車は、JR貨物所有の機関車が土崎駅からそのまま支線へ入り、秋田港駅まで運行。そこで機関車を臨海鉄道のものに付け替えて、臨海鉄道へ進んでいる。踏切異常時の連絡先なども、管轄区間に応じて異なっている。
2010年2月(上とは別の日)撮影。秋田港駅には、臨海鉄道の機関車(左)とJR貨物の機関車がたたずむ

2011年2月。貨物支線から土崎駅へ進入する貨物列車。この機関車はJR貨物所有で、秋田貨物駅までこのまま運行。右奥が奥羽本線追分・青森方面

さて、秋田博の行き来で臨海鉄道に乗ったことを覚えているといっても、断片的。
・車両は、当時、奥羽本線・羽越本線の普通列車の主力だったエンジ色車体でボックスシートの「50系(実質的には50形)」客車。(1980年代から1990年代前半の短い期間の活躍。結果的に旧型客車と701系電車の中継ぎ)
・冷房がないから車内は暑い。
・土崎駅(?)での待ち時間がけっこう長い。
・貨物支線・臨海鉄道ではノロノロ運転。並行するバイパスを、車は言うに及ばず自転車の兄ちゃんがうれしそうに追い抜いていった。
【22日追記】→冷房なし、停車時間が長く、ノロノロなので、窓を全開にしても風が入らなくて暑かった。
・スケート場前の県道沿いに、臨時駅を設置して乗降。そこで折り返し列車の機関車の反対側への付け替え(「機回し」と呼ぶ)作業もしていた。
・行きはさほど混雑しなかったが、帰りは駅も車内も混んでいて、臨時駅前の県道の歩道で並んで待たされた。日陰がなくて暑かった。
・50形客車には、普段の姿そのままのものと、側面にキラキラ光るホログラムのシールで装飾をした車両とが使われていた。キラキラしたほうは、車内も何か特別なのではと期待したけれど、行きは装飾なしの車両。帰りはキラキラに乗れたが、車内は別段普通。「ただシールを貼っただけ」でがっかりさせられた。
・普通列車車両だし、並んだということは、おそらく全車自由席。

特に、帰りに炎天下待たされたのは、いい印象でなく、「だったらバスのほうが涼しい(※)し、速いし…」という声が、周りの人たちから聞こえ、期待していた自分自身もそれを否定できないなと心のなかで思ってしまった。
それでもなお、並んでいたのは、おそらく往復乗車券を買っていたから。
※当時の秋田市営バスは冷房車への更新途中で、非冷房車もまだまだ走っていた。でも、炎天下で待たされるよりはという意味。

記憶はこの程度。
せっかくの臨海鉄道乗車も、自転車で追い抜いた兄ちゃん以外の車窓は記憶にない。クライマックスの秋田運河を渡る所さえ。
国道の自転車の兄ちゃんを見たということは、進行方向左側の窓だったことになる。地図を考えれば当然だけど、奥羽本線・秋田-土崎間とは進行方向が180度変わっている。

あと、実物に乗ったり見たりしたわけではないが、
・期間中、「珍ドコ列車」で運行された日(最終日とか?)があった。
そんな予告をテレビで言っていた記憶もある。
「珍ドコ列車」または「珍ドコ編成」は趣味的な用語で、車両運用の都合で偶発的に、あるいはこのようなイベントで意図的に、本来はあり得ない組み合わせの車両(形式、用途、塗装などの点で)が1本の列車に仕立てられて運行されることを指す。1976年から1986年までテレビ朝日で放送された「欽ちゃんのどこまでやるの」の略称「欽どこ」が由来か。
たしか、寝台車などが走ると告知されて、おもしろそうだと思ったような…
Wikipediaの「秋田臨海鉄道線」の項には、秋田博の時には「時折特急用客車(14系座席車と24系寝台車の混結等)も使用して運転」とあるので、きっとそのこと。窓が開かない車両だから、冷房が入ったんだろう。


ここから資料に当たる。
秋田市の広報あきたでは、秋田市営バス利用を勧めたいだろうから、鉄道についてはバスよりもあっさりと「1日4往復しますのでご利用ください」程度の記載。
一方、我が家のアルバムには、写真といっしょに、新聞(の広告?)から切り抜いたと思われる、時刻表などが残っていた。
よくぞ保管していました!
それによれば、列車名は「アッキー号」。あまり記憶にないけど、そう言えば。
前にも触れた(リンク先中ほど参照)ように、アッキーは国鉄秋田鉄道管理局のマスコットキャラクターだったヒョウの名前。
国鉄のキャラクターは、分割民営化後、原則として引退させられたが、アッキーくんはほそぼそとJR東日本秋田支社に受け継がれ、701系電車のドアボタンのシールなどで今も地道に活躍する。
ちなみに、1985年から1997年まで、団体列車や臨時列車に使われたジョイフルトレインに「エレガンスアッキー」という洋風気動車があった。それも由来はアッキーくんだけど、列車名でなく車両の愛称なので、別物。


秋田市広報の通り4往復運行され、通常の列車同様に1~8号の号数が振られている。
時刻表に掲載されている「秋田-土崎-秋田博」が、乗客が乗降できた全停車駅だと考えられる。
「秋田博」が臨海鉄道の臨時駅。ネット上の情報によれば「秋田博前(向浜)」が正式な駅名だったようだ。
なお、南線の末端の駅名(もちろん貨物専用)は「向浜」駅だが、かなり離れている。

ダイヤは、行きの下りが午前と午後2本ずつ。帰りの上りは11時前に1本、昼以降に3本。会場発始発の2号は、土崎駅は通過。
行きの始発の1号は、会場着が10時34分。帰り最終の8号は、会場発16時18分。列車での往復であっても、滞在(見学)時間としては充分。
でも、下り最終7号で入場した人は、列車で帰れない。それに開場時間は9時~19時だったのだから、もっと早く行って、遅く帰れるようにしてもよさそう。回送や定期列車との兼ね合い、踏切が閉まることによる道路交通への影響もあって難しかったのかもしれないけど。
【22日追記】車両の運用を考察すれば、1号・2号→5号・6号→7号・8号は1組で回せるが、時間的に3号・4号は別立てしないと不可能。したがって、最低、2組の編成が使われていたことになる。1~8号の運用は、専用車両としてシールの装飾が施され、3・4号は本線の普通列車と共通運用で装飾がなかったのかもしれない。

全体の所要時間は秋田→秋田博が50分程度、秋田博→秋田が55分程度(土崎通過の2号は47分)。
かなり時間がかかっている。貨物線内で自転車に抜かれる速度なんだから、当然だけど。

奥羽本線・秋田-土崎に限れば、下り秋田→土崎が11分、上り土崎→秋田は15~17分。
現在は、(客車よりは速いが、電車よりは遅い)男鹿線直通の気動車では下り7分、上り8~9分。客車の性能のほか、後述の土崎駅での作業などもあって、時間に余裕を見ていたのだろう。
時刻表の上りでは、「土崎乗り換え列車=お急ぎ方は便利(お急ぎ“の”方ってことでしょうね)」として、5分ちょっとだけ秋田駅に先に着く、おそらく奥羽本線や男鹿線の定期普通列車も掲載されている。土崎駅の発時刻が載ってないけど。
「お急ぎ」というより、秋田から先に乗り継ぐ人は乗り換えたほうがいい場合があったかもしれない。

時間がかかった理由は速度以外に、土崎駅の線路構造もあるだろう。
土崎駅はホームが3つ。駅舎寄り1番線が下り本線、3番線が上り本線で、他の列車を先に通す時や隣接の秋田総合車両センター(旧・土崎工場)へ出入りする列車は2番線(運行上の線路名は「中2番」)を使う。さらに、1番線と2番線の間にホームがない「中1番」という線路がある。
貨物支線秋田港駅と奥羽本線秋田貨物駅を行き来する貨物列車は、必ず中1番線に入るはず。線路の配置上、ここからでないと支線に出入りできないようだ。
工事中の2011年撮影。土崎駅中1番へ入る秋田港行き貨物列車
同じ経路をたどるアッキー号でも同じことだったのだろうが、そうすると、土崎駅で客の乗降ができない。
そこで、下りではいったんいずれかの旅客ホームに入って乗降(主に乗)を扱ったあと、どちらかへ引き上げて、改めて中1番線へ入って、貨物支線へ。
上りでは、最初に中1番に入った後、再度旅客ホームに入り直してからドアを開けたはず。
このような「入れ換え」作業が必要で、その分の時間も所要時間に含まれていたと考えられる。

上り始発の2号は土崎を通過しているが、これは貨物列車と同じように、ホームのない中1番からまっすぐ秋田方面へ進んだ(短時間の停車はしたかも)のだろう。時間的に利用者が多くないはずだから、簡略化したのか。【下の追記も参照】
引き算すれば、入れ換えに10分程度かかっている。

さらに、貨物支線と臨海鉄道の境界である、秋田港駅でも、ホームや乗降扱いはないものの、線路配置上入れ換えが行われたかもしれない。
そういえば、どこかで逆方向に進んで、戻ったような記憶があるようなないような…
【22日追記】時刻表によれば、2号と3号が土崎-秋田博前のどこかですれ違うことになっている。秋田港駅だろうか。なんか作業手順として面倒そう。2号が土崎を通過したのは、このことも関係していたのかもしれない。


運賃。
切り抜きには、大人片道で、秋田-秋田博360円、土崎-秋田博340円とある。
おそらく、国鉄区間の運賃+臨海鉄道区間の運賃の合計。

ネット上には、「秋田博前(向浜)駅→秋田港駅」の乗車券(補充券)の写真があり、その運賃は200円。
秋田港駅で乗降はできないのに、着駅とするきっぷが売られているのは、既に国鉄区間だけの乗車券を持っている人に対して、臨海鉄道区間分を別途発売したということか。

営業キロは、秋田-土崎は7.1キロ。土崎-秋田港は、ネット上では1.8キロという情報と2.7キロという情報がある(地図上では1.8キロっぽいけど)。
いずれにしても、7~10キロの運賃区分内に収まる。当時は160円(現在は200円)だったようだ。国鉄160円+臨海200円=360円で計算が合う。
土崎-秋田港は、初乗り1~3キロの140円区間(現在も同額)だから、これも一致。

【22日追記】秋田博前(向浜)駅では「記念入場券」も発売されたそうだ。臨海鉄道の走行写真、秋田博のロゴとマスコット(釣りキチ三平)などからなる、複数のデザイン。臨海鉄道が発売し、発行は「向浜駅」。料金は大人140円。
一般に、入場券の値段は、その鉄道会社の初乗り運賃と同額。この場合200円かと思ったら、国鉄と同額。運賃設定上は臨海鉄道も初乗り140円なのか、それとも200円では高いから140円に抑えたのか。


たいへんお待たせしました。大したものではないけれど、当時の列車の写真です。
臨時駅で機回し作業中
機関車は「DE10」形ディーゼル機関車。
小回りが利いて重宝され、上の最近の写真のように塗装は少し変わったが、今も貨物支線で走っている。
通常はこれが臨海鉄道区間へ直通することは、ない。この時は、客車こみで特例で乗り入れたのだろうか。この形式はボンネットの長短が前後で違うが、現在の貨物列車と同じく、短い側が秋田向きだったようだ。
おそらく、電化された奥羽本線内の秋田-土崎もDE10が担当したはず。でも、土崎での入れ換えがあったから、そこで替わった(別のDE10とか電気機関車に)可能性もなくはない。

「アッキー号」の文字とイラスト入りの円形のヘッドマークが取り付けられている。
写真では、ちょうど形式・製造番号の部分と重なっていて、これが何号機なのか分からない。ここではなく手前の柵にマークが設置されたものもあった。

秋田博駅に到着する下り列車。満席かな
これが、憧れたホログラムシール車両。この年度で見納めとなる国鉄の「JNR」マークが大きく輝いている。
全開の客席窓の左上に横長のシールが貼られているが、おそらく秋田博のロゴ。
窓下には、札を差し込む方式の行き先表示「サボ(サイドボードの略)」。「秋田博前←→秋 田」とある。

写真から少なくとも3両編成であることは確認できるのだが、臨時駅のホームなどの制約もあって、長くても4両編成くらいだったかもしれない。
大きく写っている車両は、「オハフ50 2228」。後に盛岡に転属し、1995年頃に廃車されたとのこと。
【22日追記】50系では、「オハフ」が編成の両端に連結されるのが原則(中間に入ってはいけないということではない)だったそうで、その点を考慮すれば、写真の列車は3両編成だった可能性も。


何時のアッキー号に乗ったかは、記録にも記憶にもない。
会場で昼食を食べたことと、写真の影の長さと到着列車の客数の多さからすれば、9時55分発の1号で行って、14時00分発の6号で帰った(=上の写真は5号の到着時)、ってところかな?
【22日追記】上記の通り、車両運用と行きの車両に装飾がなかったことを踏まえると、行きは10時50分の3号だったかもしれない。2時間も滞在すれば充分そうだし…
会場から帰途へ就く人々が続く、臨時駅付近の県道の歩道。右奥が会場、左が線路。後方には運河の橋と太平山
↑写真後方に白いアーチ状のものが見えるが、これは線路に設置された歓迎用の膨らます方式(たぶん【2017年7月1日補足】硬そうにも見えるので、違うかも)のアーチ。列車がここをくぐった。
ここが現在はどうなっているか。
Googleストリートビューより
電柱の配置から推測。後方の球場が武道館に変わっているのは当然として、道路と線路の間に、30年前はなかった松が生い茂っている。冒頭で向浜は30年前と変わっていないとしたけれど、こんなに変化していたとは、時を感じさせる。

臨時駅の位置について。
上の写真のように、会場と駅の間はぞろぞろと県道を歩かないとならなかった。駅をスケート場の真向かいにすればいいのにと思ったものだ。
臨時駅は、現在のこまちスタジアムへ曲がる信号付き丁字路付近。線路の向こうには秋田プライウッドの工場がある。
会場からは400メートルほどだろう。
ストリートビューより
上のほうの機関車が写っている写真で、線路向こうに見えている建物が、ストリートビュー撮影時も存在するプライウッドの施設であることが分かる。(今年大きな火災があったので、現存するかは不明)
ここを駅にしたのは、元々、ここに機回し用の線路があったからだろう。現在は機回し線は撤去されてしまったようだ。



日頃は旅客営業しない線路に、駅を作って人を運んで乗り降りさせるというのは、たくさんのハードルがあったはず。よくぞやったと思う。
今でも、各種スポーツイベントの時、あるいはセリオン辺りへの通勤通学観光に、臨海鉄道を活用できたらと想像してしまうけれど、今やろうとすれば、人員が減ったり、費用がなかったりして、難しいのかもしれない。ところが翌2017年こんなことに!
30年前の今ごろの思い出でした。

【9月17日追記】2016年でも地道に活動を続けている芸人・ヒロシのネタで「車なのに自転車にあおられました」というのがあった。アッキー号は「列車なのに自転車に抜かれました」。
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秋田博'86

2016-08-19 00:25:28 | 昔のこと
以前から何度かアップしている、昭和末から平成初期頃のさまざまな思い出話を「昔のこと」カテゴリーを新設してまとめたいと思います。
過去の記事も、カテゴリーを変更して編入しようと考えていますが、内容によっては変えないものもあるかもしれません。
昔のアルバムの写真も掲載したいと思っていますが、カメラ、プリントサイズ、デジタル化方法から、画質は良くありません。



今回は、30年前・1986(昭和61)年の夏の思い出。
この年末からバブル景気が始まり、翌年春には国鉄が分割民営化してJRが発足することになる。
兵庫県が復元した北前船「辰悦丸」が日本各地を巡航し、6月には秋田港にも来た。(関連記事
日本全体も、秋田も、絶頂に向かってそわそわしだしていた、昭和最末期の始まりだった。

その年の夏休み中に開催されたのが、「秋田博'86」。
「あきたひろし」じゃなく「あきたはく」。「秋田博覧会」という意味なわけだが、正式名称が「秋田博'86」と略した形だったようだ。

「秋田博」は1969年にも開催されている。
こちらの秋田博は略称で、「八郎潟干拓記念 秋田農業大博覧会」が正式名称。1964年の干拓完成のほか、“明治百年”も記念し、農業分野以外の科学技術展示や遊園地的なものもあったらしい。
1969年8月2日から9月25日まで、「(秋田市の)臨海工業用地」と「大潟村総合中心地」の2会場で開催。臨海工業用地というのは、秋田運河沿いの寺内、今で言う臨海バイパス辺りだったようだ。
※以下、1969年の秋田博については言及しないので、「秋田博'86」のことを「秋田博」と表記します。

秋田博は、愛・地球博(2005年)のような「万博(ばんぱく。万国博覧会)」とも呼ばれる「国際博覧会」ではなく、いわゆる「地方博覧会」。
秋田博は1970年の大阪万博の前年と、1985年のつくば博(科学博)の翌年に当っているのは、意識していたのか。
地方博覧会は、戦前から日本各地で開かれていて、バブル前後が最高潮。1989年の横浜博はだいぶにぎわったし、1988年には「青函博」こと「青函トンネル開通記念博覧会」が青森市と函館で開催された(青森会場には行った)。
以降、1996年に東京で開催予定だったのを、青島都知事が中止した「世界都市博」などもあって下火になるも、2010年代でもちらほら開催されてはいる。


秋田博’86は、7月18日から8月24日、秋田市向浜の秋田県立スケート場とその周辺で開催。1969年の秋田博会場とは、秋田運河の対岸。
キャッチフレーズは「明日の秋田が見えてくる」。約38万人が来場した。

展示内容はいろいろ。
最先端の科学技術として、秋田市では同年から本格稼働することになる「キャプテンシステム」などの通信・コンピュータ関係(後に言うところのマルチメディア、IT、ITCの走り)や、細胞融合(【19日追記】実例としてはハクサイとカンランとも言われるキャベツで“ハクラン”、オレンジとカラタチで“オレタチ”などがあるが、どれが展示されたかは不明)などのバイオテクノロジー。
完成前の御所野ニュータウンである「秋田テクノポリス構想」、友好都市の中国・蘭州市から兵馬俑(復元ながら東北初展示)などが、展示された。
【25日追記】8月25日付秋田魁新報 情報ひろば面「内外の歴史」欄によれば、「御所野ニュータウン」の名称が決まったのが、1987年8月25日。秋田博の時点では、未定だったことになる。

僕も行ったので、そうした展示は見ているはずなのだけど、展示内容に関する記憶がまったくない。今にしてみれば、それなりにおもしろそうなのに…
当時のスナップ写真より会場の大看板。後ろはスケート場
覚えているのは、「明日の秋田が見えてくる」のキャッチフレーズ。
それに、始めてスケート場の中に入り(もちろん氷は張っていない)蒸し暑かったこと、屋外も暑かったこと。
イートイン&休憩スペースを兼ねたステージ付き大型テントで、まばらな客席を前にして若い男性演歌歌手が大音量でガンガン歌っていたことくらい。
前売り入場券。数年前のオークションサイトでは1100円の値が付いていたらしい!
秋田出身の矢口高雄氏による「釣りキチ三平」がマスコットキャラクター的存在だったようだ。(竿は持ってないけど、三平くんだよね?!)
こういうのって、当時でも作者や著作権表示をするのが一般的だと思われるが、ない。中央交通の三平バスでもそうだけど、矢口先生はそういうことにこだわらないのだろうか。

おもしろいのは、実行委員会事務局の場所。大町一丁目3-34の「ADビル4階」とある。
ダイエー(秋田ニューシティ)向かいの、「名店街」の跡にできた「ファッションアベニューAD(現・イーホテルショッピングモールという名のほぼ空きフロア)」かと早合点した。
でも、そのADは1987年オープンだし、所在地は大町二丁目だから違う。

所在地からすると、1ブロック北。広告会社「アド東北」本社がある位置だ。
1983年に建てられたビルで、現在は「ADTビル」と呼ばれているそうだ(同社盛岡支社もADTビルを名乗っている)。入場券が誤植だったのか、ファッションアベニューADとの混同を避けるために、後に「T」を加えたのだろうか。
また、事務局の電話番号は、現在は全国紙系列の広告会社(所在地も別)が使っている。関係があるのかは不明。


我々が訪れた日付は不明。竿燈まつりよりは後、お盆前後で、13日ではないはず。平日だったかもしれない。
上記の通り暑かったが、当時の気象データを見ると、最高気温30度になるかならないか日が続く頃。(今より明らかに気温が低い傾向だと思い知らされた)

会期は、小中学校の夏休みの少し前に始まり、北国の短い夏休みが終わるのと同じ頃に終了している。
もうちょっと長くすれば、学校単位で見学に来たり、涼しくなってからゆっくり来る客もいたようにも思える。


会場内以外で覚えているのは、会場へのアクセスのこと。続きます
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お盆の風習

2016-08-16 20:46:10 | 秋田の季節・風景
宗派、地域、家庭による違いがあるお盆の風習。
秋田(プラス隣県の津軽や庄内?)ならではのものとして特徴的なのは、盆棚(精霊棚)の上に、モナカの皮状の飾りを吊り下げるもの。「盆灯籠」とか「灯籠っこ」さらに転じて「トロンコ」などと呼ばれる。食品ではないのだが、地元の大手製パン事業者も販売する。
※お盆の風習の関連記事
風習をまとめた2010年の記事
たけや製パンのとうろうの製造風景は2013年冬
中小メーカー製とうろうについて2013年の記事
お盆のお供え物の処理方法(精霊流し)について2009年の記事
鏡天(かがみてん)についての2019年の記事(リンク先後半)

※以下、由緒・意味など詳細な説明は省略します。誤解しているかもしれませんし、地域や寺院ごとの違いもあり得ます。正確なことは、それぞれのお寺などに確認願います。

恥ずかしながら我が家では、お盆の飾りつけに関する細かい風習は継承されておらず、仏壇にモナカの皮を吊るして、花や果物・お菓子を供え、お膳も供える程度。
お盆に菩提寺に行くと、「コバボトケ」とかいう文字を書いた薄い木の板をくれる(※)のだが、なんだかよく分からず、それも仏壇に上げておいていた。※タダでくれるのではなく、お金を納めたのと引き換えにくれる。
中身より形式にこだわっているようでいて、実際にはその形式すら分かっていない家なのだった。

ところが、今年のお盆にお寺に行くと、今まで分からなかった風習の一部が、突然、理解できた。
なぜなら、コバボトケはくれなくて、代わりにカラフルな短冊を渡され、それに意味や飾り方を記した説明書が添付されていたから。
我が家のお寺では、少し前に住職が交代している。新しいご住職の配慮だろう。

カラフルな短冊は、「お盆供養幡」と書かれた封筒に入っていた。印刷された既成品。
無粋で余計な詮索だけど、楽天市場のとある店では、同じものが50組6300円で売られていた。
白い短冊1枚と、カラフルな短冊7枚のセット。7枚それぞれが、同じ配置で5色に区切られていて、書かれている文字(=仏様の名前)が違う。「幡(はた)」っていうからには、本来は布なんだろうか。同じ配色の幕のようなものが、お寺の門にかかっているのを見た記憶はある。

この短冊は「七如来幡」とか「施餓鬼幡」と呼ばれるもので、ヒモを通して盆棚に吊り下げるのだという。7枚の順番は決まっている。モナカの皮といっしょに吊るしてもいいようだ。
施餓鬼とはお盆の法会の名称だそうだから、七如来=施餓鬼ではない。「七如来さんを書いた幡」「施餓鬼で使う幡」という意味なんだろう。

コバボトケなるものは「木羽仏」で、この幡の代用として用いられ、書かれている文字は同じらしい。木羽仏は吊り下げられないから、送り火で燃やすのが本来なのかな。
【2021年8月13日補足・秋田では「木羽仏さん」とさん付けで呼ぶ人もいる。】

説明書を参考に、我が家ではこうしてみた。

ぐっと見栄えがして、いかにもお盆らしい(?)感じ。(本当は無地の短冊1枚も吊るす。位置は決まっていないようだが、中央?)


ここから、またモナカの皮の盆とうろうについて。
秋田では、盆とうろうでおそらく過半数のシェアを誇るたけや製パンだが、過去の記事の通り、それ以外の聞いたことがないメーカー製のものが、秋田市内のスーパーでもちらほら置かれている。
とうろうまでたけやの売り上げに貢献する必要もないと考え、今年は別メーカー製を購入。安かったし。
お盆供養とうろう
秋田駅前のザ・ガーデン自由が丘西武秋田店では、たけやのとうろうは扱わず(落雁などはあった)、別メーカーのものを2種販売。
どちらも5組(10個)セットで、違いはモナカのサイズ。大きいのが260円、小さいのが195円。買ったのは小さいほう。ちなみに、たけやのは多くの店で5組200円台前半。
ラインナップ【17日追記】たけやのものよりは2回りくらい小さい
印象として、たけやのより色がはっきりした感じ。それぞれの色が濃いようで、グラデーションは使われていない。ここ以外の他社も考慮すれば、たけやのが特に色が淡いのかもしれない。

1つ1つのモチーフは、ハスや菊の花、ちょうちん辺りは、メーカーで形に違いがあるものの定番。
珍しいのが、
右は米俵?

きんちゃくと…クルミ? ホオズキ?

左の楕円形の平べったいのは?
両面で色が違うから、幼児用カスタネットを想像してしまった。

このとうろうの製造元は、青森市の「(株)種金 山野辺商店」というところ。
聞いたことがない企業だけど、「山野辺最中種製造所」とも言うらしく、モナカ種すなわちモナカの皮の専門メーカーのようだ。
青森でも、地元大手の工藤パンが盆とうろうを販売して【2019年8月13日訂正・工藤パンではなくかさい製菓?】いる(おそらくたけやと同一の品)中、餅は餅屋ならぬ“モナカ種はモナカ種屋”としての自負で、製造しているのだろうか。

「この品は食べられません」と注記があって、それを前提に原材料の記載はなし。たけやでは、食べられませんとはあるが、原材料は記載。両社とも賞味期限は当然なし。

いっしょに売られていた「大」のほうは、袋のデザインや、中身の雰囲気は小とそっくり。
それなのに、製造元は違った。同じく青森の「八甲堂」というところ。

ところが、八甲堂の所在地は山野辺商店と同一。
別ブランドみたいなもんなんだろうか。どうして大小で分けているのか知らないけれど。

【2018年8月9日追記】
2017年の弘前のスーパーで、たけやのものと、中身も袋もそっくりなとうろうが売られていた。
工藤パンかと思いきや「かさい製菓」のもの。
弘前市内にあって、リンゴのお菓子やバナナモナカを作る、かさい製菓のことか?

2018年の青森の紅屋商事が展開するドラッグストア「スーパードラッグ メガ」の折り込みチラシでは、青森県内の店舗版ではかさい製菓のとうろうが掲載され、秋田県内の店舗版では、代わりに山野辺商店のものを掲載(価格は違う)。
たけやと競合することを避け、かさい製菓は青森県内限定販売という決まりなのか、配慮なのか、そんなものがあるのだろうか。

【2022年8月11日追記】
2022年7月末のイオン東北運営の総合スーパー・イオン店舗(旧・ジャスコ、サティ)の折込チラシにとうろうが掲載。秋田県内の店舗だけでなく、青森県の店舗でも、たけや製パンのとうろうだった。(以上追記)




先日、NHKのローカルニュースを調べていたら、別の地域にまた別の「盆灯篭」が存在することを知った。
高松放送局のニュースにおいて、
「香川県の中部や西部ではお盆に、白い紙で灯籠をかたどった「盆灯籠」という飾りを墓に供える習わしがあります。
訪れた人たちは額の汗をぬぐいながら墓石に水をかけて洗い、「盆灯籠」を墓の前につるしたあと、花や線香などを供え、先祖や亡くなった家族を思いながら静かに手を合わせていました。」
と伝えていた。

さらに調べると、広島県でも同じ風習があるエリアがあるが、こちらはカラフルなもので、お盆の墓地は鮮やかに彩られるそうだ。
香川(讃岐)のほうは、白一色ながら構造はより立派。

東北のモナカの盆とうろうと、由来は同じなんだろうか。世の中には知らないことが多いものです。

【17日追記】改めてネットでモナカ皮の盆とうろうを調べると、同じものが北海道にもあり、その名も「つるし(吊るし)」と呼ばれるそう。(「盆とうろう」でも通じるようだ。函館などのメーカーが販売)
また、青森県でも、津軽のみならず下北にもあるが、南部ではなじみが薄いらしい。南部せんべいの「八戸屋」というメーカーがとうろうを販売しているが、同社は南部エリアの八戸ではなく、下北エリアのむつ市にある。
南部では「背中あて」というすいとんのようなものを、供えたり食べたりするらしい。


【2018年12月4日追記】2018年12月1日付朝日新聞秋田版(東北6県共通?)で、東北地方のご当地最中を特集していた。そこで盆とうろうにも触れていた。
「青森や秋田、山形には、最中の皮でできた「お盆とうろう」と呼ばれる飾り物を仏壇に供える文化がある。」
→「文化」なのか? 「風習」とかでなく。以前調べたところでは、山形県庄内地方では、モナカ皮でなく落雁のようなとうろうのようだったが、山形でもモナカ皮仕様もあるのだろうか。

「青森市でこの最中を6月まで作っていた山野辺辰美さん(78)によると、元々は農家が副業で作っていたもので、山野辺さん自身も秋田県の農家から手焼きの型を買い取り、1960年代に造り始めた。」
→八甲堂=山野辺商店のことだろうか? 「6月まで作っていた」ということは、2018年でやめたってこと?? なお、2018年のお盆用は、秋田でもこれまで同様に売られていた。問題は2019年以降、どうなるか。
そして、その型は秋田から行ったものだったのか、1960年代のものを今も使い続けているのだろうか。

「山野辺さん宅でも昔から仏壇や墓前に供え、お盆が終わると子どもたちのおやつになるのが恒例だった。」
→あれを食べるの!? 食べる人もいなくはないようだけど、製造者の身内がそうさせていたとは!(安全性には自信があるということなんでしょう。建前としては非食品だけど。)
2019年の状況


【2021年8月15日】山形県(庄内?)限定のお盆の供え物を知ったので、ここに追記。秋田や青森にはないと思う。
水餅」なるものがあるとのこと。
ついた餅を水の中に入れておいて、あんこや納豆をからめて食べたり、蓮の葉に載せて供えたりするらしい。他地域ではお盆に白玉だんごを作るし、秋田の一部地域で彼岸に作る「だんし」にも似ている感じがするので、それほど不思議ではないとも言える。
ご当地ではスーパーマーケットでも水餅が発売されるそうで、酒田市のト一屋(秋田にあった同名スーパーの本家)の2021年のチラシには、8月12~13日に「水餅」が2.5合パック734円、5合パック1447円で販売。メーカー名がないので、惣菜部門製か?
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枯れかけの蕗/墓参の杓子

2016-08-15 00:18:26 | 秋田の季節・風景
秋田市は竿燈まつりが終わった7日と翌8日は、最高気温が37.6度と36.1度と久々の猛暑日。以降は少し収まったものの、30度前後まで上がる日が続き、夏らしい夏。夜はそれなりに涼しくなるし、昼は風が吹くことが多いので日陰ならいくぶん楽なので、よその土地に比べれば、まだ過ごしやすい暑さなのかもしれない。
0.5ミリ以上の降水は、7月28日を最後に観測されていない。
楢山の太平川岸の桜並木では、
アジサイの葉がぐったり
アジサイはちょっと乾燥するとすぐにぐったりする植物ではあるけれど、苦しそう。木だから、このままでも枯れはしないでしょうけど。

秋田駅西口・アゴラ広場(買物広場バス停裏)付近では、
逆光ですが、アクリル板の向こうが異様な雰囲気
花壇風にして植えられている、あまり大きくなれない秋田蕗(標準和名・アキタブキ、直近はこの記事後半)が、ぐったりを通り越して枯れかけ。
植物体自体は大丈夫かもしれないが、この葉っぱはもうダメ
厳重に囲っているだけに、きちんと手入れされているのかと思っていたら、このありさま。
状態からして、遅くともお盆前の猛暑の頃からずっと散水されていなさそう。
この花壇の設置意図からしたら、みっともない。旅行客にこれが夏の秋田蕗の姿かと、誤解されてしまう。
秋田市は水不足ではない(冬の積雪と大河・雄物川のおかげ)のだし、この面積なら水道代も大したことない。週に1回でいいから、水をまいてやれば、こうはならないでしょうに…
【15日追記】フキも直射日光や暑さには強くない植物のようだ。
また、ここのフキは、前回と比べてもほとんど大きくなっておらず、アキタブキにしては小さい。この点でも、見た人を誤解(というかがっかり)させてしまう。

ちなみに、比較させてもらっている、ご近所の巨大フキ。
日当たりとか土の保水性とかもあって、一概に比較はできないものの、
元気!
下の小さいフキなどは刈られてしまっているから、手は入っている。でも、水まきはしていないはず。
そんな状況で、巨大フキは葉に虫食いができた程度で、変わらず茂っている。木陰ならぬ葉陰に入ったら涼しいでしょうけど、蚊に喰われてしまうね。

※その後はこちら




正月の初詣同様、お盆や彼岸の墓参もローカルニュースで報道される。
NHKの場合、お盆は地域によっては1か月早かったり、別の大きな行事のほうを取材して、8月13日に取り上げない地域も多いけれど。

秋田の民放各局や新聞社は、秋田市旭北寺町のお寺を取材する中、近年のNHK秋田放送局では、秋田市の平和公園の市営墓地を取材している。
今年もそうだったが、その中に気になるフレーズが。
「訪れた人たちはしゃくしで墓石に水をかけて清めたあと、」
墓石に水をかかる道具を「しゃくし」つまり「杓子」としている。
意味は伝わるけれど、個人的には「ひしゃく(柄杓)」と呼ぶほうが普通のような…

goo辞書(デジタル大辞泉)で調べると、しゃくしは「飯を盛ったり汁などをすくったりする道具。」、ひしゃくは「湯や水などをくむ道具。」などとある。
Googleで検索してみると、両者を混同している例も見受けられるが、やはり墓参りで水をかけるものはひしゃくとするのが一般的に感じられた。

秋田放送局以外のNHK各局のニュースをざっと見ると、確認できた限りで「しゃくし」としていたのは秋田局のみ。
山形、富山、京都、松江、鳥取、佐賀の各放送局では「ひしゃく」を用いている。
富山局では「訪れた人たちはひしゃくやペットボトルを使って墓石に水をかけた後、」と、ペットボトルも登場。


さらに、墓石を掃除する道具について。
甲府局「訪れた人は、汗を拭いながら墓石をぬれたタオルで磨き汚れを取り除いたり、植木の枝を切ったりしたあと、」
岡山局「訪れた人たちは強い日ざしの中タオルで汗をぬぐいながら墓に水をかけてブラシやぞうきんで磨いたり周りに生えた草をとったりして墓をきれいにしていました。」
山梨では「ぬれたタオル」、岡山では「ぞうきん」を使うらしい。
岡山では、汗をぬぐうのにタオルが出てきているから、それと区別したかったのかもしれないが、汗をぬぐうのは「ハンカチ」や「手ぬぐい」ってこともあるのでは? 最近は「タオルハンカチ」が普及しているから、違いは微妙そう。
あと岡山では「ブラシ」とある。秋田のお寺では「亀の子たわし」を置いてあったりするけど。

初詣の時も感じたけれど、映像があるテレビという媒体で、ここまで細かく言葉で描写する必要があるのだろうか。

お盆といえば、毎年当ブログのアクセスが増える、「盆とうろう」について、また後日少々
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長野の信号

2016-08-11 00:25:01 | 旅行記
信州旅行記(前回の記事)も、ようやく終盤になりそうです。
今回は、長野県の信号機について。
※信号機の周辺に設置される「主要地点」標識(いわゆる交差点名)は、道路管理者の管轄ですが、ここでまとめて取り上げます。
あまり熱心に見なかったせいか、信号機そのものは別段珍しい物は見かけなかった。
全国的に見て標準的なLED式が主流。雪はさほど積もらないため横型で、フラット形やカプセルフードも見なかった。

信号機に興味がない方でも長野を訪れる時には、ぜひとも頭の片隅に置いておいてほしいことが1点。
何度も書いているように、「押しボタン式歩車分離式(またはスクランブル式)」信号が多数設置されていること。押しボタンを押さない限り、歩行者用信号は青信号にならない。
秋田県では住宅街の通学路などごく一部で導入されているが、多くの県で同じような状況ではないだろうか。

ところが、長野県では、善光寺表参道、諏訪湖畔、穂高駅前など、比較的人通りがあって観光客が歩くような場所にも普通に設置されており、長野県外から来た人は気づかない、もしくは気づいて戸惑うに違いない。
ぼーっと突っ立ってしまって、恥をかいて時間を無駄にしてしまわないよう、ご用心。
【2017年2月22日追記】同日朝日新聞社会面によれば、歩車分離式信号の整備率は2016年3月末時点で、全国平均4.20%なのに対し、長野県は10.89%で全国トップとのこと。押しボタン式を積極的に導入しているのが要因のようで、他にも信号待ちの車の長さに応じて、青信号の時間を調整する仕組みのものもあるとのこと。
諏訪市「諏訪湖畔公園前」の車両用信号機
長野県では、押しボタン式歩車分離式を「歩車分離式(押しボタン式)」または「スクランブル式(押しボタン式)」という表示板で示していた。同じものが歩行者用信号機にも付く(下に写真あり)。

地点名は、市町村名を横に小さく書いて、日本語・英語併記という、丁寧なものが主流。信号機の上に掲げるように設置。
同じ向きに信号機が2台ある交差点では、片方に日本語だけ、もう片方に英語だけと表示板を分けている所もあった。

上の写真で気になるのが、「歩車分離」と表示されている赤色LED。もう1画面あって、
「発進注意」
車両用信号が赤の時だけ作動するようで、見切り発車や歩行者用信号を誤認しないよう、注意を促しているのだ。
それなりに効果がありそうで、秋田県でも導入してほしい場所もあるけれど、費用がかかるでしょうし…


押しボタン式スクランブルの、善光寺近く「大門」交差点では、
歩行者用信号機の横にLED
赤信号の間に文字がスクロール表示され、「長野駅は直進です」とか表示されていた。道案内をしてくれているのだ。
これは…あちこちに道標や地図が設置され、親切な地元の方々も歩いているのだから、別に信号機に教えてもらわなくてもいい。「横断する時はボタンを押してください」と表示するのならともかく。


(再掲)
大門より1ブロック先、善光寺のすぐそばの「善光寺」交差点の交差点名は、
独特の書体
山門に掲げられている「鳩字の額」を模した書体。5羽のハトが隠れている。実物はもっと線が太く、もちろん縦書き。
ここは英字なし。
信号機本体は茶色、柱はくすんだ緑色の組み合わせ。


諏訪湖畔公園では、時差式信号を示す表示板は「時差式信号機」だった。
同じくらいの時期に設置されていそうな、松本駅前では、
「時差式」のみ
秋田県では「時差式信号」(機がない)が標準かな。


長野駅近く。
「南千歳町」
信号機も地点名表示板も新しい、標準仕様。
その交わる側は、
「南千才町」
信号機本体も少し違いそう(ボディ色やフードの長さ)だけど、地点名はぜんぜん別物。
手書きっぽい、昔ながらの表示板だ。電球式信号機時代のものを使い続けているのだろう。

諏訪市の「高島城」もそうだった。
(再掲)
秋田県では、横型から縦型に更新されたため、構造上、表示板の再利用はできないし、残っていても劣化してボロボロになることもあって、地点名表示自体が減少している。



最後に、視覚障害者用付加装置(盲人用信号、音響式信号)の音は、ピヨピヨ/カッコーが全国的に主流になっていて、長野県でもそうだった。
しかし、スクランブル交差点では、県によっては別の音(メロディー)が鳴っている所もちらほら。静岡県では「ふじの山」、名古屋の東山動植物園前では「オウマ(お馬の親子)」、青森県では「乙女の祈り」など。(秋田県ではスクランブルでもピヨピヨ&カッコー)
長野駅前などでは、「故郷の空」だった。これは、ピヨピヨ/カッコーが採用される以前の、通りゃんせ/故郷の空が継続して使われているということだろうか。(装置自体は更新されていそうでそう古くはないだろう。)
この音をほんとうに必要とする人たちはどう感じるかは分からない(ピヨピヨ&カッコーのほうが、方向感覚がつかみやすく安心という声がある)けれど、個人的には久々に聞いた音で懐かしかった。

所変われば信号も変わる。
※旅行記の続きはこちら
2023年の長野市内の交差点名表示について
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イオン土崎リニューアル

2016-08-08 20:26:49 | 秋田のいろいろ
秋田市内に3店舗あるイオン(イオンリテール運営)のうち、いちばん古いのが、市内北部・秋田港近くの「イオン土崎港店」。※過去の関連記事
1979(昭和54)年12月にジャスコ土崎港店としてオープンしたものが存続しており、東北6県でも青森店(旧ジャスコ)に次ぐ長い歴史があるイオン。

土崎港店では、この春頃から、営業を続けながら工事が行われていた。耐震工事と同時にリニューアルを行うらしく、外観が覆われるなどしていた。
工事を終えて7月15日・金曜日にリニューアルオープンした。
ちなみに折り込みチラシでは「一部売場改装してリニューアルオープン」「改装オープン」などの表記。

どの程度の規模の改装なのか予想がつかなかったが、先日、改装後初めて行ってみた。ちなみに、改装前の姿は、
(再掲)2010年頃。新国道側
上の写真は、店舗ブランドがイオンになる直前・ジャスコ最末期の頃だけど、今回の改装前も「JUSCO」部分が「AEON」に変わった程度で、ほぼ同じだった。それが、
リニューアル後
基本的には前と同じだけど、外壁デザインが変わった。
縁取りのほか、ランダムに濃淡のグレーの長方形が配置。(外から見えない右面は従来と同じような単色。他の面は未確認)
最近新規開店するイオンって、こんな外観が多いようなイメージ。
正面中央の出入口のガラス張り部分は、前よりガラスがきれいになったのかクリア。その中にある、港まつりの置き山はそのまま。【11月5日追記】この置き山は通年常設かと思ったら、秋から冬は冬タイヤなど別の展示スペースとなるようだ。置き山は春から夏くらいなのかな。
耐震補強材が入っている

店内。
部分的に新しい建材のにおいが漂っていて、思っていたよりも大規模・本格的な改装。一方で、前と変わらない部分も少なくない。それなりに費用はかかっていそうではある。

改装と前後して、2階の「そば一(地元のそば店チェーン)」と、自転車売り場(1階入ってすぐ右側?)が閉店している。(自転車は5月20日閉鎖【15日補足】5月20日はホームページでの日付。店舗の掲示では4月30日付)
改装後は、手芸店や靴売り場「グリーンボックス」の場所が移動。【15日補足】手芸店は「パンドラハウス」。1階化粧品売り場奥に移動。
2階には100円ショップ「Seria」が7月20日オープン。セリアは秋田市内では10店舗目。

正面から入って目に付くのは、右側のヘルスケア売り場(H&BC=ヘルスアンドビューティーケアってのかな)。
従来は、同じ通路左側に、薬コーナーと化粧品コーナーが一体化していたのが、薬関係がグリーンボックスの跡に移って拡充された格好。(左側は化粧品が存続)
「ヘルスステーション」と称した、体組成、血管年齢などを計測する機器(無料で自由に使える)が置かれたコーナーもあり、明るく広い。調剤はなし。【2018年3月12日追記】その後(おそらく2018年2月~3月の間)調剤も開始。


裏側の出入口脇にあったサービスカウンターは、その向かい側へ移動。
旧サービスカウンターの奥のほうには、「フードコート」が新設。セリフ方式の「イオンドリップ」が設置されただけで、食べ物の販売はなし(正面出入口脇に前からロッテリアがある)。食品売り場で買ったものを食べてねということらしい。
【17日追記】サービスカウンターでカップを購入する形式。食品売り場のヤマザキランチパックやおにぎりと、ドリップの飲み物をセットでいくらというのもあるようだ。

1階の食品売り場も、全体的にはあまり変わっていないものの、前と同じでもない。
レイアウトは一部変更。少し明るくなったり、売り場内の各通路がやや広くなったりした気がする。冷蔵ケースなどの什器は、以前のものをそのまま使用。
セルフレジはなく、レジのwaonリーダーも旧型のまま。【2017年10月28日追記】食品レジのリーダーは、2017年10月中旬頃に更新された。秋田中央店も同時期に更新。両店とも、食品以外のレジでは、それ以前からリーダーのほかレジのプリンター部分が更新されたものも多い。

1階エスカレーター上り口にあったイオン銀行ATMは、裏側出入口のWAONステーションやチャージャーの並びに移動。
ATMは上に液晶ディスプレイがついた新型に更新されていた。
WAONチャージャーも幅が狭いタッチパネル式の最新型に更新。旧機種よりも分かりやすくて使いやすい。旧機種ではできなかったポイントのチャージもできるようだ。
なお、イオン秋田中央店では、どちらも旧機種がまだ使われている。【9月15日追記】秋田中央店では、9月中旬頃までにATMが更新。同時期にチャージャーは「故障中」となって使えない状態。
【2018年6月22日追記】土崎港店では、旧型のチャージャーも2階に設置されていた。秋田中央店では、新型設置に伴い旧型を撤去したようだ。

トイレは、明るくなって、おそらく、便器が和式から洋式へ更新。【16日訂正・和式も残っていた】
壁や仕切りは、今風の茶色系になって見違えたけれど、男性用小便器や手洗いは、以前のまま。どちらも以前からセンサー式にはなっていたが、手洗いが極細のシャワーでピーっと吐水するのは変わらない。(1階新国道側トイレの自動ドアはどうなっただろう。未確認【15日追記】階段下のトイレは、リニューアルされず、自動ドアや壁なども以前のまま。)



イオン土崎港店は、建物の老朽化、人口分布の変化、そして遠くない場所である外旭川へのイオンタウン計画から、その存続が気がかりだった。
イオンリテール側は地元に対して、外旭川にイオンタウンができても、土崎港店の営業は継続すると説明したらしいが、開店時やそれ以後には話が変わる可能性はいくらでもあるし。

今回、それなりの費用をかけて、土崎港店で耐震補強工事とリニューアルを行ったことを踏まえれば、とりあえずしばらくは安泰ということになりそう。「しばらく」が5年なのか、10年なのか、それ以上なのかは分からないけれど。


秋田市内のほかのイオンリテール店舗では、御所野のイオンモール秋田が、今年3月に大幅リニューアル。イオン御所野店(旧・ジャスコ)は「イオンスタイル御所野」というブランドに変更された。(だけどレシートは「イオン御所野店」のままだった)
1回だけ行ったけど、なんとなくきれいになったのは分かった。
具体的には…オリジン弁当提携の量り売り惣菜が充実(秋田中央店の3倍くらいで、カレーやデザートまである【2018年8月10日追記】その後、御所野の量り売りはなんかぱっとしなくなってしまって、中央店のほうが充実している気がしなくもなくなった。)していて、従来のセルフレジに加えて、支払いだけセリフのレジもできていた。あとは…?? よく分かりません。

旧・秋田サティのイオン秋田中央店は、それなりに継続的に手が入っていて、今年3月にはサービスカウンターが3階から1階へ移動(銘店コーナーと統合)するなどしている。
でも、トイレは1995年の開店時ほぼそのままで、場所によっては壁紙にシミがあったり、ヘンなニオイがしたりするのが気になっている。土崎港店を見てしまうと、薬売り場もきゅうくつ。
【2018年8月10日追記】イオン秋田中央店は、2018年7月6日に比較的大規模にリニューアルされた。1階の売り場レイアウトが全面的に変わり、フードコートやヘルス&ビューティーケア売り場が拡充。体調チェックコーナーもでき、トイレも壁などがきれいになった。

秋田駅前の旧・ジャスコ秋田店だった秋田フォーラスもある。
フォーラスもイオンリテールが運営していたが、今年3月に「OPA(オーパ)」というイオングループの別会社(元々はダイエー系列)に全店舗が移管したとのこと。
秋田フォーラスも2014年に外壁がきれいにされて、当分は存続しそう。※フォーラスは2017年にリニューアルされることになった。
でも、こちらもトイレは古く、おそらくジャスコ時代のまま。センサー式にもなっていない。若者の来店が多い店だけど、水の流し方・蛇口のひねり方が分からなかったりしそう…



最後に、7月29日折り込まれた、イオン土崎港店の改装オープンセール「第3弾」のチラシ。その右上隅に、
このマーク!
「J」をモチーフにした赤と緑の、ジャスコの2代目ロゴマーク。1974年から1990年頃に使われていて、もちろんジャスコ土崎港店にもあった。

内容は「あのなつかしのジャスコの展望台でセリオンの花火を見よう」。
この店の屋上の塔屋(今は「AEON」ロゴのあるところ)はかつて展望台だったらしく、7月30日に秋田港で開催された花火大会を見るために、特別に先着30名に開放したようだ。
新国道から。塔屋の大きな窓が展望台か
20年以上前にジャスコのロゴが3代目に変わり、さらにジャスコの名称自体がなくなった今、公式なチラシに旧ロゴが掲載されるとは、驚いた。地域密着で40年近く続く店ならではのことだろう。

イオン土崎港店の2020年の動き
コメント (12)
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南小谷での待ち時間

2016-08-06 14:23:25 | 旅行記
信州旅行記。南小谷駅へ降りた続き。
南小谷駅前。右がホーム。ポスト隣の顔はめ看板は「塩の道 千国街道」
上の写真で駅舎に向かって左を姫川が、後方から奥へ流れている。
振り返って駅舎を背にして。左奥が松本方向、右に橋
駅前で国道148号線が大きくカーブし、姫川を渡る。
駅を出ると、めぼしいものは土産物店ととんかつ屋しかない。(後述の通り、少し歩けば他にも多少)
国道の橋
ここは小谷村(おたりむら)。人口約2900人。
村内には温泉やスキー場があるが、南小谷駅から徒歩圏内ではない。
村は姫川・国道のある谷沿いに伸びているようで、国道を駅から糸魚川方向に500メートルほど行けば、村役場、郵便局、小谷村郷土館(蕎麦店&簡単な物産販売店併設)がある。
反対方向に駅から100メートルほどには、JAの店(JA大北おたり支所)があった。いちおう「Aコープ」で、こだわらなければ飲み物、お菓子、長期保存可能な菓子パン、弁当などひと通り揃っていた。
村の移住パンフレットによれば、このJAが村唯一のスーパー。コンビニは国道のずっと北のほうにローソンが1つだけ。村の人たちの買い物は、車で糸魚川や大町へ行ってまとめ買いすることが多いようだ。

郷土館売店やJAで、地元のものを購入。
ちゃのこ
長野ではどこでも買える「おやき」のようだけど、小谷ではそば粉をまぜた「そばおやき」で、「ちゃのこ」と呼ぶらしい。ここのものはジャガイモも練り込んでいるとのこと。食べごたえあり。
さるなし羊羹
サルナシはキウイに近いマタタビ科の山野の植物。別名は、ドリカムの「晴れたらいいね」にも歌われた「コクワ」。秋田でもソフトクリームがある
そのサルナシが入ったようかんで、道の駅小谷が販売者。なお、道の駅は2つ隣(JR西日本エリア)の北小谷駅が最寄り。
キウイとはちょっと違うけど、フルーティーなようかんで良かった。
【7日追記】姉妹品として「山ぶどう羊羹」もあった。道の駅へ行けば、さるなしや山ぶどうのゼリーも売っているらしい。ほかにも栃の実ソフトクリームなど飲食部門も充実。さらに温泉もあるとのこと。アクセスが良ければ、行くべき道の駅かも。

駅前の国道の橋から姫川下流方向
前回の繰り返しだけど、この日は5月にしては暑かった。川は涼しいのだけど、日差しが…
いつか、じっくり温泉にでも入りに来たい。白馬や信濃大町など周辺の町にも。

松本方面から、普通列車が来た。

東北地方の人には、身近に感じる車両の外観かもしれない。701系電車とそっくりだから。
しかし、701系ではなく、「E127系」という形式の車両。701系よりわずかに後に製造が始まり、電源は直流(701系は交流)。
E127系は先に新潟にも導入されているが、そちらは若干外観が異なり、701系そっくりのスタイルは長野だけ。製造数が少ないから、同コンセプトの701系と共通化したということだろう。

南小谷駅の裏側に、ホームを見下ろせる場所があった。
パンタグラフに注目(それにしても701系そっくり)
このE127系には、2両編成の両方にパンタグラフがあった。写真の糸魚川向きのクハE126形のパンタグラフは折りたたまれて使っていない。これは「霜取りパンタグラフ」という、集電ではなく架線に付着した霜をこそげ落とすためのパンタグラフ。
機器類がシンプルな感じかな

前回触れた通り、列車ダイヤの都合で、特急「あずさ」で松本へ戻ることにした。
この時は、乗車券として「信州ワンデーパス」という2640円で長野県内のJR東日本の多くの路線が乗り放題のきっぷを使用。(リゾートビューふるさとの指定券や、あずさの特急券は、別途購入すれば併用可)
リゾートビューふるさとなら、指定券520円。あずさの自由席なら、松本まで1180円もする。

計画当初は、あずさを途中の信濃大町で降りて、信濃大町始発の普通列車に乗ろうか…なんて考えたけれど、「信州特急料金回数券」があった!
長野~松本と中央本線・富士見までしか使えないかと思っていたら、松本から大糸線側・南小谷までも利用可能区間。これだったら、リゾートビューふるさととほぼ同額だし、持て余しそうだった4枚の料金回数券を使い切れる。
※今回は、南小谷駅から松本へ行って、「しなの」に乗り継いで長野へ向かった。松本でいったん改札を出たので、料金回数券2回分使用。それでも充分得だけど、この回数券は松本で改札を出なければあずさとしなのを乗り継げる。本来は、長野方面と富士見方面の利用を考慮した制度なんだろうけど、おそらく南小谷~長野の場合も可能なんだろう。となると、正規料金2360円(1180円×2)のところを、およそ8割引で利用できてしまう。

大糸線を走る特急は1日1往復。新宿からの「あずさ」が南小谷まで乗り入れている。※時期・曜日によっては、名古屋からの臨時「しなの」1往復も、白馬まで乗り入れ。
下りのあずさ3号は、リゾートビューふるさとのすぐ前を走っていて、南小谷11時42分着。
これから乗ろうとするのは、南小谷14時22分発の26号(松本15時43分着)。

あずさの車両は南小谷駅で待機するのではなく、上り方向へ回送してどこか別の駅(白馬駅?)で待機するようだ。下りリゾートビューふるさとで来る途中、信濃森上駅で回送とすれ違った。
その車両は14時00分頃、再び回送で南小谷駅へ戻ってきた。

「スーパーあずさ」でない、普通の「あずさ」用のE257系電車。2001年登場。甲府止まりの「かいじ」にも使用。
乗るのは2度目。先頭車の顔をじっくり拝見するのは初めてかも。
基本は11両編成だが、新宿寄り2両を切り離して9両で運転することができ、大糸線内はいつも9両編成。松本駅で2両切り離し/連結を行う。
上の写真は、11号車の“非貫通型”の先頭車。切り離されて松本で待っている1号車も同じ顔。
松本側の3号車↓は、11両運転時に行き来するための通路ドアがある“貫通型”。どちらも、けっこういかつい。
こちら側のLEDの「回送」は縦書きで、昔のどこかの私鉄(?)の手書き看板みたい
なお、先頭車として営業走行することがない2号車にも、連結作業時に使う運転台があるが、その用途から壁に窓が開いただけのデザイン性がない顔。

自由席は3両。当然のごとくガラガラで、1両貸切状態。
車内
製造時期は、秋田新幹線「こまち」の旧車両E3系の後期製造分と一致する。内装や座席形状はよく似ていて、悪くない。
座席の布地と、写真では分かりにくいが車体側面には、カラフルなひし形がデザインされている。武田菱がモチーフ。

車内の通路ドア上のLEDの文字は、車両(製造時期?)によって書体が違うらしい。E3系、E2系などと同じ細い文字の車両と、明朝体を太くした文字の車両に遭遇した。

あずさ26号は、午前中に来た道を、かけ足で戻る。太陽が西に傾いてきたので、北アルプスは逆光。
白馬、信濃大町、穂高、豊科と、それなりに乗車してきて、そこそこの乗車率で松本到着。松本駅では、待っている2両と連結。上り東北新幹線・盛岡駅ではやぶさに連結するこまちと同じく、少し動きながら2度停車して、3度目の停車でドアが開いた。連結時の衝撃も同じ。
旅行記は続きます
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竿燈2016

2016-08-03 23:30:50 | 秋田の季節・風景
秋田は7月29日に梅雨明け。極端な大雨はなく、そこそこの梅雨だった。
秋田市は29日以降今日まで毎日真夏日で、夜も24度くらいまでしか下がらない。

7月22日にアブラゼミの声を初めて聞いた(気象台では13日に観測)。
7月13日にヒグラシ(気象台では12日)、8月2日にはミンミンゼミ(秋田地方気象台では観測対象外)の声も聞いた。秋田市の街中ではどちらも聞く機会が少ないセミだけど、特にミンミンゼミは今まで聞いたことがなかったかもしれない。
秋の虫は、8月1日にウマオイが鳴き始めた。コオロギはまだ。【7日追記】竿燈まつりが終わった翌日・7日は気温が37.6度まで上がり、その晩にコオロギの声を聞いた。


今日3日から、竿燈まつりが始まった。※昨2015年の記事
今年は過去最高の280本の竿燈が出竿(昨年より1本多いだけ)。

3日も真夏日ではあったが、数日前よりは穏やかな暑さ。夜には竿燈を倒さない程度の北の風が、心地よく吹いた。秋風ほど冷たすぎず、でも生暖かくもない夏の夜風のおかげで、いつもは、夜の竿燈を見て帰ると、びっしょりと汗をかいていたものだったが、今晩はさらりとしていた。

ざっと竿燈初日の光景。


始まってすぐ
いつも空いている傾向がある会場中央のやや西寄りでは、今年もゆったり見られた。2度目の演技の頃から、いくぶん人が増えた感じ。
 


上の写真右側のビルは、オフィスビルをイノベーション(リノベーションじゃなく)したマンション。多くの部屋で、人が出て窓から会場を見下ろしていた。大通り側は窓の中が直接部屋ではなく、中にもう1枚窓があって、ベランダみたいになっているのかな。

今年は4日間とも天気は良さそう。最終日は土曜日なので人出がより多くなるかもしれない。


さて、昨年、秋田駅中央改札口前自由通路の置き竿燈についての秋田魁新報の記事が、誤解を招くことを取り上げた。通年設置されているのに、竿燈期間中だけしか設置されていないように受け取れる言い回しだった。
今年も、3日付社会面(26面)に「竿燈 きょう開幕/秋田駅に大若 観光客を歓迎」との見出し。「JR竿燈会が中央改札前に設置した大若をバックに記念撮影する観光客の姿も見られた。」とあり、今年もまた、誤解されそう。
あと、この竿燈って「JR竿燈会が」設置したことになっているけど、本当?
JR竿燈会というのは、JR東日本秋田支社の竿燈会、すなわち、竿燈に参加するための同好会のような団体のはず。それに、自由通路に設置する権限とか、費用とかあるのだろうか?
秋田市(及びその外郭団体)もしくはJR東日本秋田支社、秋田駅が設置しているのではないだろうか。併設される垂れ幕の文言からすれば、秋田市っぽいけど。

【7日追記】スポンサー竿燈の増加と会場キャパシティについて
8月6日付 秋田魁新報 社会面によれば、出竿数が過去最多を更新するのは6年連続で、それには「スポンサー竿燈」が貢献しているという。
スポンサー竿燈とは、企業が町内会に依頼し、会社名などが入った竿燈を上げてもらう、いわば広告付き竿燈。企業や団体自体が竿燈に参加する「職場竿燈」とは別。
スポンサー竿燈は2005年には50本だったのが、今年は76本。
「委託料は竿やちょうちんを調達しなければならない初年度が100~130万円で、2年目以降は半額が相場」。
竿燈の本数が増えると、会場のキャパシティが問題になるが、秋田市竿燈会会長は「(現会場の竿燈大通りは)300本までは大丈夫」と話す。

【7日もうう1つ追記】4日間の関連イベントを含む人出は計132万人。東北六魂祭で注目された昨年よりは8万人減。
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