広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

あの自販機が出現

2012-03-30 21:31:57 | 秋田のいろいろ
秋田駅中央改札口の並びの待合室前に、噂のアレが設置されました!

以前の状態。
 (再掲

自由通路に面した待合室前
待合室入口の真上には、自由通路を向いて音声なしの大画面テレビがNHKによって設置されている。
待合室の中にもNHK総合を放映しているテレビ(音は出る)があるが、それよりでっかい画面。高校野球などスポーツ中継が佳境に入っている時や重大ニュース時は、足を止めて見る人がわりといるが、普段は少ない。
地デジ普及のためにNHKが各地でやっているものだが、ここに必要なのか疑問。

待合室の自動ドアに向かって右、業務用ドアとの間には、従来は広告が設置されていたが、先週後半頃にソレが置かれた。
飲料の自動販売機が設置された
待合室の中には前からあったが、秋田駅自由通路内に(自由通路に面して)初めて自動販売機が設置されたことになる。
「acure※関連記事」とあるから、JR東日本の関連会社「JR東日本ウォータービジネス」の自販機だが、ミョーに図体がでかいし、どこか普通の自販機と違う。
そして通りかかる人の多くが目を向け、写真のように足を止めて見入る人も少なくない。

そう。これこそ、首都圏で話題になっている「次世代自動販売機」。
販売商品は、陳列されるのではなく、47インチの大型液晶ディスプレイに映像で表示され、その画面がタッチパネルになっているのが最大の特徴。
さらに、自販機の前に立つ人の属性(性別とか年齢)を識別しておすすめの商品を提示したり、そのデータを元にマーケティングに活用できる。
2010年8月の品川駅を皮切りに、2012年3月末(って明日か)までに「合計500台を、東京近郊のJR東日本エキナカで展開」することになっていて、数が増えている。
今までにない自販機であるため、公式サイトによれば設置当初は首都圏でも「前に行列(人だかり)ができてい」たそうで、「通常の自販機の約3倍の売上」だったそうだ。

地方での展開については公式サイトには出ておらず、唐突に秋田駅に出現した印象。いつかは秋田にも設置されるかもとは思っていたが、ずいぶん早かった。
秋田の一般の人は、次世代自販機に対してそれほど情報を持っていないはずだが、見かけが違うから「これなんだ?」と気付くのだろうか。
上のテレビとそんなに画面サイズが違わない

お客がいない時は、広告的な画面が流れたり、
「顔」になったりする(「秋田なう♪」と言っている)
季節や天候に合わせた内容が表示されるらしい。(遠隔コンテンツ)

前を人が通ると、商品一覧の画面(ストアモード)に切り替わる。
「節電 営業中」から一覧へ変わる瞬間

この自販機も、JR東日本ウォータービジネスの自販機の特徴である、1台に複数メーカーの商品が入る「ブランドミックス機」。
右下では「こまち15周年」を告知
この機械では特にホットの缶コーヒーが各社勢揃い。他には自販機では珍しいと思われる「スコール」や「レッドブル」もございます。
在庫がなくなった場合、その商品は表示しないようになっているそうで、「売り切れ」表示にはならない。
【31日追記】購入する時は、その商品の画像に触れる。そうするとその画像が拡大表示されるらしい。
上の画像のこまち15周年の下に左右矢印ボタンが表示されていて、それで順送りで選択することもできる模様。高い位置の画像をタッチできない場合を考慮しているのだろう。
なお、従来型のSuica対応自販機でも同様だが、お金を投入するよりも先に商品を選択することができる。


さて、次世代自販機の売りである、おすすめ商品の表示。
劇団ひとり氏が「いつも水(ミネラルウォーター)ばっかり勧められる」と怒っていた。

自販機が判断したその人の属性のほか、その時の時間帯とその時の気温の3要素を元に、すすめる商品を決めている。
おすすめ商品が大きく表示されるのかと思っていたが、実際には、商品一覧の隅に「おすすめ」のアイコンが表示されるだけ。この程度だったらそんなに目障りじゃない。
「おすすめ」マークのデザインも何パターンかあり、時期や属性によって変わるそうだ。

劇団ひとり氏と僕は「属性」としては同じはずだ。
ちょっと寒い日の午後、秋田駅の次世代自販機の前に立ってみると…
おすすめマークが出た!(これがオーソドックスなマーク)
ホットで2商品「伊藤園 朝の茶事(※伊藤園とJRの共同開発商品)」と「ポッカ アロマックスプレミアムゴールド」、上の写真の外で「レッドブル」の3つを勧めてもらった。
残念ながら、どれもそれほど飲みたいものではなかった。

他の時間に行ったらどうなるのかとか、サングラスやカツラやお面を着けて行ったらどうなるのかとか、気になる。
なお、カメラを構えると「人の顔」と判断できなくなるようで、おすすめマークが消えた。

【4月1日追記】3月28日付朝日新聞秋田版に、「次世代自販機、秋田駅に」としてこの自販機の記事が出ていた。「「おもしろい」と言いながらタッチパネルを押す女子高校生」の写真も掲載。
「午後5時。50代の男性会社員が自販機の前に立つと、ホットコーヒーに「おすすめ」の表示が出た。20代の女性会社員には冷たいお茶やコーンポタージュスープ。自販機上部のセンサーが顔のしわや目の位置などから年代と性別を判断。」
「JR東日本管内に約270台ある」そうで、「JR東日本秋田支社は「新しい買い方を楽しんでほしい」と話」しているとのこと。

【4月22日追記】JR東日本秋田支社の3月16日付プレスリリースによれば、3月19日(月)17時から稼働開始した模様。

※商品補充の模様はこちら
※その後、故障して復旧した
2018年9月に、さらに新しい自販機に更新された。




【30日23時10分追記】秋田駅つながりで、閉店したホームのキオスクの続報。※前回の記事
コメントでいただいた情報によれば、店舗が撤去され、3月9日の時点で既に更地になってしまったとのこと。
 (再掲)閉店直後

3月18日撮影。向こうの階段(アルス改札口に続く北跨線橋)まで見通せる
店の中心付近だけ、新たに舗装された。

その後、ここに自動販売機が1台置かれたという話も聞いた。※続きはこちら
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仙秋号4月からの変化

2012-03-29 23:45:26 | 秋田のいろいろ
まもなく4月。秋田市内の一般路線バスでは、ダイヤ自体の改正は軽微なものも含めて一切行われないようだ。(国際教養大方面は除く)
若干の変更点としては、
・土砂崩れかなんかのため長期間に渡って迂回していた仁別リゾート公園線が、通常運行に戻る(今日29日から)
・新屋西線の「秋銀新屋支店前」停留所が「新屋郵便局前」に名称変更(銀行の移転に伴うもの)
・大森山公園線の終点「大森山公園」停留所が「大森山動物園」に名称変更(現在の名称も間違いではなく理由不明。今さらという気がするが…)
程度。
「大森山公園」行き。LEDのデータも変えなきゃいけないことになりますが…【4月1日追記】本当に変わりました
すなわち、「歓喜寺前」「長崎屋バスターミナル」「交通公社前」などは相変わらずそのまま


一方、高速バスでは、仙台行きでダイヤ改正と運行区間の短縮が行われる。
秋田-仙台間の高速バスは「仙秋号」という愛称。千秋公園の「千秋」ではなく、仙台と秋田の頭文字。
Wikipediaによれば、運行開始は1990年。当初は昼間2往復、夜行1往復。当時は秋田自動車道開通前のため盛岡まで一般道経由で、昼行便でも秋田駅-仙台が4時間40分かかっていたという。
秋田道開通後は3時間20分に短縮され、1998年からは昼行便のみになり、徐々に本数が増えて2005年からは1日10往復になっている。2007年度には年間15万人、1便当たり19.2人が利用していて、乗車率はいいようだ。現在は、秋田中央交通と宮城交通が4往復ずつ、JRバス東北秋田支店が2往復を担当している。
仙台側のバス停は仙台駅前の「宮交仙台高速バスセンター」1か所。秋田側は、秋田駅東口と長崎屋バスターミナルの2か所。
秋田駅は当初は西口だったが、2005年から東口に変わっている。
うっすら雪化粧した仙秋号・宮城交通担当便。分かりにくいが正面のLEDは行き先を表示し、フロントガラスに「仙秋号」と書いた紙を掲出している

この4月1日からは長崎屋での乗降を取りやめ、秋田側も秋田駅東口の1か所だけになる。
ダイヤは、所要時間が15分多くかかるようになって秋田駅-仙台が3時間35分になってしまう。東北道の震災復旧工事による渋滞などの影響だろうか。(運行会社の割り振りや、おおまかな時間帯の変更はなし)

中央交通ではこのことを「ダイヤ改正及び発着場所の変更」として、2月9日付で公式サイトで告知し、その時と3月に入ってからの少なくとも2度、魁新報の広告で告知を行なっている。
なお、JRバス東北では2月11日付、宮城交通では2月24日付でそれぞれ公式サイトで告知していた。

それから、おそらくこれに関連して、長崎屋バスターミナルと秋田駅東口のバス案内所の営業時間が若干変動する。
長崎屋が6:30~18:30だったのが7:00~18:00に短縮。
東口は7:00~19:00だったのが6:50~19:00と10分だけ早く開く。


ところで、その告知文書の時刻表における、各便の運行会社の略し方。
「宮交」「JR」はいいとして、中央交通が「秋中」となっていた。
秋田中央交通は、一般の秋田の人々は「中央交通」と呼ぶのが普通だし、会社側では「中交」が公式な略称らしい(長崎屋バスターミナルのあるビル名「中交ホリディスクエア」のように)。
しかし、一部のバス愛好家の方々は、以前から「秋中」と略していた。これは「神奈川中央交通」の略称が「神奈中」であること(これは公式な略称)を拡大して適用したのだと思うが、少なくとも僕にはとても違和感を感じる呼び方だった。
※秋田中央交通と神奈川中央交通は直接の関係はない。ただし、神奈中の中古車が何台か転入してきているし、神奈中は小田急グループなので、小田急と仲良しの“秋中”にしてみれば多少は縁があると言えるかもしれない。
仙台側の利用者の目にも入る告知だから、「中交」では分かりにくいから「秋中」としたのだろうが、中央交通が自ら「秋中」を名乗った初のケースかもしれない。


「長崎屋バスターミナル」は秋田駅から西へ2キロほどの場所。周辺は幹線道路と住宅地にお寺で、県庁・市役所に近いといえば近いが、だからといって特に利用が多いわけではない。
市営バスが幅を利かせていた(いる)都市ではこうした例が多いが、民間バス会社のバスターミナルは市街地からやや離れた場所にひっそりとあり、それほど多くの路線が通るわけではないのだ。
そんな長崎屋バスターミナルは、仙秋号と東京行きの高速バスの始発・終着点となっているだけで、あとは前の道路を通るバス(一般路線と県内高速バス)が立ち寄る程度の小さなバスターミナル。
したがって、長崎屋で高速バスに乗り降りする人は、そう多くはない(運賃は駅と同額)。乗客のほとんどが東口での乗り降り。また、東口と長崎屋の行き来には秋田市中心部を通らなければならず、バスが渋滞に巻き込まれる恐れもある。
長崎屋から来て中央通りへ入って駅へ向かう上り便。乗客はわずか2名だった
長崎屋を通らないことによって困る人もいるかもしれないが、現状を見ればやむを得ないだろう。


さて、現行ダイヤでは、秋田駅東口-長崎屋バスターミナル間の所要時間は、上り下りとも30分も確保されている。(上りは発~発、下りは着~着で30分)
上りでは東口で多くの客を乗せるから早めに着いて改札する時間を含んでおり、下りでは実際には早着しているのだろうが、ずいぶん余裕のあるダイヤだ。
こういうのも運行上、無駄というか制約になっていたのかもしれない。

で、東口-長崎屋方面のルートなのだが、宮城交通の下り(東口→山王十字路)便を実際に見たところ、2コースあるようだ。
東口から明田地下道をくぐって西側へ来るのは共通で、以後、
・明田地下道西交差点右折→秋田駅西口→広小路→二丁目橋交差点右折→竿燈大通り→山王十字路
・明田地下道西交差点直進→南大通り→五丁目橋交差点右折→土手長町(北都銀行前)→二丁目橋交差点左折→竿燈大通り→山王十字路
に分かれる。広小路を通るか南大通りを通るかということ。
たぶん、乗客がいる場合は広小路を通り、いない場合(全員東口で降りた場合)は南大通りを通っているようだ。
割合としては広小路を走るケースが多い感じだが、南大通りを走るのもけっこう見かける。
広小路を走る下り便

五丁目橋交差点で南大通りから土手長町へ入る下り便
一般の路線バスでは、乗客がいてもいなくても決められたルートを通らなければならないが、高速バスではこのように乗客が全員降りて、以後乗ってくることがない場合は回送扱いとなるようで、南大通り経由が非営業の回送ルートということなのだろう。(ただし、見た限りでは南大通りを走って客がいなくても、LEDは回送ではなく「秋田」と表示していた)
営業ルートが広小路経由なのは、西口発着だった頃の名残なのかもしれないが、混雑しやすい西口周辺をわざわざ通るのは非効率的だし、右左折箇所が多くて運転しにくそう。営業ルートも南大通り経由でよかったのではないだろうか。今さらどうでもいいけど。

長崎屋方面まで行ったバスはどうするかというと、おそらくJRバス東北担当便は保戸野桜町(天徳寺地下道の上)にある支店まで回送すると思われる。(下りで乗客がいない場合は、長崎屋に立ち寄らずに直行しているかも)
中央交通と宮城交通担当便は、さらに西の中央交通秋田営業所(いわゆる大川反車庫)まで回送する。
宮城交通担当便の場合、折り返しまで3~4時間あり、秋田営業所で休ませてもらっている形。
秋田運河対岸から見た秋田営業所内。緑のバスに混ざって宮交の高速バスが3台並んでお休み中

したがって、秋田駅東口が始発・終点となる4月以降も引き続き、仙秋号が南大通り~竿燈大通りを走る姿を見ることができるのではないだろうか。(表示は「回送」になるかもしれない)
南大通りを走る仙秋号
【4月5日追記】やはり、東口から南大通りを通って回送しているのを確認。「仙秋号」の紙は掲出したまま、LEDは「回送(路線バス)」だった。時間によっては東口のバスプールで待機していることもある。
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試験場見学・完結編

2012-03-28 23:59:59 | 動物・植物
この記事に続いて、静岡のカンキツ類の試験場の一般公開の続きです。

前回紹介した巨大ブンタンの木を過ぎると、道はわずかな間だけ山の中へ入る。
そこもミカン類の木がたくさん植わっており、育種圃場(新品種を作るための畑)になっているようだが、「旧伊藤公爵別荘「独楽荘跡地」」という表示板があった。
大正7年に伊藤博文の養子・伊藤博邦がここに別荘を建て、皇族が静養に訪れたこともあったという。昭和25年に興津町に譲渡、翌年に町と試験場(現在の清水興津中学校の土地)の間で土地の交換が行われてここが試験場のものとなり、建物は職員官舎、他は圃場として使われるようになった。
昭和57年に老朽化のため建物は解体され、現在は跡地のすべてが育種圃場として使われている。
針葉樹があったりする山道
再び視界が開け、今までの東~南東側の海側ではなく、南西~西側が眺められる。

すぐ向かいに別の山(これもみかん山かな)があり、間にわずかな谷が見えるだけ。住所では「興津本町」らしい(試験場側は「興津中町」)
場内の道は下り坂になり、フェンスを隔てて外に細い道路と民家が並ぶ平地に下りた。この記事などで紹介した、以前外から試験場内を覗いた道路だった。
やがて、通用口みたいな門が開いてオレンジジャンパーの職員が立っていて、その細い道路に出た。
あっけなくこれでもう帰れってこと? と思ったら、すぐ先に別の門がありそこにも職員がいて、再び場内へ招き入れてくれた。構造上、いったん場外へ出ないと、正面へ戻れないのだった。
そして最初のプラタナス並木や受付のある建物前へ戻った。そこまで来たら、あとはご自由にということのようだ。

試験場の正面付近にはいくつかの樹木があり、古いものが多い。
大きな木はヤマモモ
ヤマモモは伊豆・房総が北限だそうで、北日本ではなじみがないが、巨木だ。
樹齢300年を超えているらしい。(説明板には平成元年時点で「約300年生と推定」とあった)
この木は、かつては試験場と続きの別の山に生えていて、そこから移植されたのだという。
前の山に生えていた時に落雷を受け、当時は落雷を受けた木が神聖視されており、また大きな木だったので、明治時代の試験場開設時に寄贈されたとのこと。

厳重に囲まれていたカンキツがあった。
「清見(きよみ)」原木
ちょうど今頃が最盛期のようだが、店頭に「清見」とか「清見オレンジ(※下記参照)」という、オレンジのような大きめのミカンのようなカンキツ類が並んでいる。
その清見は、ここ興津の試験場でミカンとオレンジの掛け合わせによって作出されたのだ。

ミカン(tangerine)とオレンジ(orange)を掛け合わせて作られた雑種のカンキツ類を総称して「タンゴール(tangor)」と呼ぶ。
だから、清見も「タンゴール」なので、店頭でたまに見る「清見オレンジ」という表現は正しくないことになるけれど、一般の人に「タンゴール」なんて言っても通じないから仕方ない。

清見は1949年に交配され、1956年にここに植えられ14年後に初めて結実。1979年に興津のお寺や景勝地の名を取って「清見」と命名された。登録番号は「タンゴール農林1号」であり、日本初のタンゴールでもある。
現在は愛媛、和歌山、九州などで生産されているほか、やはり今の時期出回っているタンゴール「せとか」「デコポン(不知火)」の親品種でもあり、米の品種に例えればコシヒカリみたいな重要な存在のようだ。


前後するけれど、建物内を見学した後、見本園に上る間に、屋外にテントを張った「試食コーナー」があった。
5種類ほど、1切れずつ食べさせてもらえた
「たまみ」「はるみ」は、ここ15~10年ほどの間にできたまだあまり流通していない新品種。どちらも清見の血が入っているが、「みかん」として品種登録されているようだ。たまみはβ-クリプトキサンチンの含有量が多いそうだ。どっちがどっちかは忘れたが、濃厚なミカンでちょっとオレンジっぽいような、好きな味だった。もう1つ「レモネード」なるものも(後述)。
あとは、おなじみ
ハッサク
秋田市の昔の学校給食でも、こういう感じにカットしたハッサクやアマナツ、イヨカンなんかが出たものだ。

隣のテントでは、地元の農園が来て、カンキツ類の直売をしていた。値段はそれなり。
ちなみに、見本園見学前に購入してはいけません。重い袋を持って坂を上り下りすることになるのだから。見終わってから最後に買いましょう。
あと、興津駅横のJAしみず経営のAコープ「ふれっぴー興津店(以前の記事)」でも、駐車場にテントを張って直売。試験場内のものより、形が不揃いだったり小さかったが、こっちのほうが安かった。さらに店番の農家のおばさんらしき方にオマケしてもらえたし。
ふれっぴーでは、試験場で試食して珍しい味だった「レモネード」を購入。試験場内でも売っていたのだけど、間違って別のものを買ってしまったので…(でもそれもおいしかった)
さっぱりしているけど、さほど酸っぱくないというか、甘いレモンというか、そんな味。
試験場内にもたしか説明はなく、ネットで調べてもあまり情報がなく、静岡などでごく一部でしか栽培されていないらしい。「レモンの枝変わり」という記述も見受けられるが、それはどうかな~?

試験場見学のおかげで(洗脳された?)、今まであまり興味がなかったミカンより後の時期に流通するタンゴール類への関心が強くなった。
ちょうどスーパーへ行ってみれば、まさにそれらが今が旬。秋田でも清見、デコポン、せとかを中心に何種類も、比較的手頃な価格(安いと1個98円くらい)で売られている。(残念ながら静岡産は少ない)
買って食べてみれば、ミカン系の味だし、外の皮はなんとか手で剥けるし、中の袋(じょうのう)はそのまま食べられる。オレンジとは違う、日本人の好みにあったカンキツ類だと思う。
もっと生産・消費を増やせば、日本の農業が元気になるような気がするけど、そう簡単でもないのだろうか。


パネル展示もされていて、興味を持ったものをいくつか。
まず、最近、ウンシュウミカンの「浮皮」が目立っているという。
外側の皮と、中の果肉の間にすき間がある状態。高温で発生しやすく、腐りやすく(浮いた皮に傷がつくから)、薄味になる傾向があるそうだ。
地球温暖化が進むと浮皮がさらに進み、ほかにも着色不良や落果の心配もあるという。

見本園では、さまざまなカンキツ類を見られた。
果実の大きさや色が違うのはもちろん、葉っぱとか果実の付き方も違ったけれど、それには法則があり、それらからどの系統の種なのかだいたい判定できるそうだ。

花(=果実)が1か所に1つ付くか、複数付くかで大別され、さらに葉っぱの形(付け根側の「翼葉」)で分類や分布が分かる。

果実を保存する時は、種類によって適した温度・湿度が違う。
ウンシュウミカンは温度・湿度とも低め
ビニール袋での保存は口を結ぶと湿度が高くなりすぎるので要注意だそうだ。


とても楽しめた試験場見学だった。いつかまた訪れたい。
まさに「みかんの花咲く丘」(写真は「文旦の実る丘」ですが)
興津に試験場ができたのは、1902(明治35)年6月(農商務省農事試験場園芸部)なので、今年で110周年。
ネットで見つけたのだが、実は宮澤賢治がここを訪れている。
盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)在学中、京都方面への修学旅行の途中の1916(大正5)年3月22日に立ち寄って見学したそうだ。
今でさえ、東北人からすればカンキツ類の木が珍しいのだから、賢治たちも興味深く見学したに違いない。そして、プラタナス並木やヤマモモの木、植えられて間もない薄寒桜(興津寒桜)も見たのだろう。

試験場見学の話題はここまで。次回以降、少し残っている静岡の種々の話題を取り上げます。こちら
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工事が進んで

2012-03-27 21:21:55 | 秋田のいろいろ
秋田市中心市街地で行われている(いた)、3つの工事が進んだ模様を紹介します。
●杉のバス停・第二弾
2008年度末に秋田駅西口のバス乗り場の屋根や柱を、秋田杉材で装飾する事業が秋田市によって行われた。※こちらの記事
そして、今年度は、買物広場のバス停に同様の事業を行うことになっていた。※こちらの記事
「秋田杉の街並みづくりを推進」するため、昨年末から800万円かけて工事が行われていた。


「買物広場」バス停は以前も紹介したように、一方通行の中央通り沿いにあり、「秋田駅西口」バス停の1つ手前に位置する。路上ではなく、道路に面した半円状というか「U」字型のロータリーのような形で、中にはいくつかのポールがあって、同時にバスが何台も乗降を扱えるようになっている。
ポールのない部分も広く、10台前後のバスが時間調整のために待機できるようにもなっている。一見、小さなバスターミナルのような趣き。

一方通行であるため、秋田駅発のバスは通らないが、秋田駅西口行き(または経由)バスは明田(地下道)経由・築地経由以外の全路線が通る。でも、「終点の1つ手前」のバス停なわけで、降りる人は多くても乗る人は限られている。
駅を経由して牛島や手形方面などに行くバスには、ここから乗る人もいるが、秋田駅西口の乗り場のほうが何かと便利なようで、それもそう多くはない。
したがって、実質的には買物広場は「降車専用バス停兼バス待機場」として機能している。

各ポール部分には、屋根が付いているが、それぞれ独立していて連続していない。
ポールがない「U」のカーブした部分には、数メートルのカーブした長い屋根があり、ベンチが置かれている。
これらに杉の装飾をしようとするのだろうが、乗る人もおらず、降りるのは地元の人がほとんどであろう場所に、そんなことをしても無駄じゃないかと考えていた。

小さめの緑看板
道路工事でおなじみの「○○を××しています」看板ではなく、なぜか秋田の建物工事でおなじみの緑色の「建築工事の表示」看板が設置されていた。
なるほど。「鉄骨造、地上1階」と、いちおう建物扱いになっている。
工事名称は「中通二丁目バス停広場(買物広場)待合スペース上屋修景整備工事」。前も書いたけれど、「中通二丁目バス停広場」とは「中通二丁目(にある)バス停広場」という意味。1つ手前が「中通二丁目」というバス停(路上)なので、紛らわしい。

装飾されたのは、カーブした長い屋根のみで、各ポールの屋根はそのままだった。
雪がすごいけど、工事前

工事途中(3月上旬)

杉の板が運び込まれる
そして、
完成
秋田駅西口ではルーバー状の杉材をはめ込むように取り付けていたが、それとは工法が違う。
もっと本格的に杉板を取り付けたようで、本格的な感じがする。
“天井板”っぽい
おもしろいのが、天井部分を3つに区切って、それぞれ仕上げが異なること。それぞれの工法の名称が表示されている。
以下、東(フォンテ)側から順に紹介します。(以下、工法の説明はネットで調べたもの)
竿縁(さおぶち)天井
天井板を「竿」と呼ばれる長い棒で押さえている。

目透し(めすかし)天井
板材の継目に隙間を取って張る方法だそうで、たしかに板どうしにすき間がある。

格(ごう)天井
格子状に組んだ枠の中に、板が木目の方向を互い違いにしてはめられている。

天井の見本展示みたいなものだが、これはこれでおもしろい。できれば簡単な解説もあるといい。
でも、これに気づく・目を留める人がどれだけいるだろうか。バスを降りた買い物客が足早に通りすぎるか、バス乗務員がベンチに座って談笑する程度の場所なのだから。

裏側(大屋根・公営駐車場側)から見る
柱は秋田駅西口と同じく、格子状の材木で囲っているようだ。
裏側から見える部分の屋根は、茶色い金属なので、これが秋田杉で飾られているとは気づきにくい。


●再開発の建物
久々の日赤病院跡地、中通一丁目再開発の工事。※工事については前回は昨年11月23日の記事の下のほう、再開発関連の記事は2月27日

仲小路・明徳館ビル前から西を見る
仲小路の明徳館ビル(明徳館高校)前付近では、歩道の融雪装置の設置工事が行われている。

突き当たりの再開発工事現場。
 (再掲)着工前

 (再掲)着工後
工事が本格化してから長らく足場やシートで覆われていたが、最近一部でそれが外され、建物の一部が姿を現し始めた。
現在
ガラスが見えるようになった左の建物が商業施設。
右は「にぎわい交流館」で、こちらも一部はガラスが出ていた。奥に少し見えるのが、美術館のようだ。

【27日23時50分追記】
今日の秋田魁新報地域面によれば、夏の竿燈まつりで昼に行われる「妙技会(いわゆる昼竿燈。正式には妙技大会)」を、この再開発エリア「エリアなかいち」の広場で行う(会場を変更する)ことがまつり実行委員会の役員会で決まった。※2009年の妙技会の記事はこちら
妙技会は2000年から2006年は通町、それより前とそれ以後・昨年までは長らく中土橋(県民会館前)で行われていた。
今年は、中土橋は出場者の待機場所になるとのこと。


●ポケットパークについに立ち入り
広小路の木内向かい、以前薬局などがあった跡地で行われていた、お堀端(穴門の堀)の「千秋公園外堀ポケットパーク」の建設工事が長らく続いていた。※前回は3月4日の記事
この日曜日通りかかると、ついに
中に立ち入りできる!(広小路側)
柵が撤去されて、広小路アーケード側と古川堀反通り両方から園内に入れるようになっていた。
なんかまだ未完成っぽい雰囲気も若干漂うが、ほんとうに工事中の場所には別に柵が立っていたので、そこ以外は入ってもいいと解釈して、足を踏み入れた。
背後が広小路
床面は、道路側(上の写真手前)はインターロッキングブロック敷きで、秋田市道の歩道と同タイプのほぼ正方形で表面に凹凸があり、目地が狭いもの。
お堀側は、けっこう広範囲でウッドデッキになっている。そしてその先には柵が設置され、何やら?
角度を変えて。右奥が古川堀反通りの秋田カトリック教会
お分かりでしょうか、あの、2010年度始めに設置された「展望デッキ」がこちらに移動してきていた。
同じ穴門の堀の秋田駅寄りの広小路に面した場所に、ぽつんと接岸し、2年間に渡って異彩を放っていたが、なるほど、ここなら幅はぴったり収まる。
造り付けのウッドデッキと違和感なく溶け込んでいる
上の写真でも分かる通り、2年間雨風やお堀の水、それに鳥のフンにさらされたためか、デッキの板の色が変わっている。こうするんだったら、もっと遅くに設置してもよかったんじゃ…
コンクリートより左がデッキ

ちなみに、今までデッキがあった場所は、
こうなっている
デッキ設置に際し、歩道の偽木の柵が2か所切断・撤去されていたわけだが、その場所が新たな偽木で再び閉じられていた。そこだけ、偽木自体と地際のセメントの色が違う。
デッキのロープを結ぶための岸側のフックは残っているようなので、もしかしたら場合(イベント内容など)によってはここに再びデッキを持ってきてつなぐ可能性もあるのかもしれない。となると、偽木は取り外しできるようになってるのだろうか?

ポケットパークの場所なら、今までは見られなかった景色も見ることができ、多少は展望デッキの意味があるようにも思える。まだ、デッキ部分には立ち入りできないわけだが、近くからはこんな風景が見られる。
東方向
正面は穴門の堀の向こうに中土橋・大手門の堀、秋田駅方向が見え、左に県民会館の土手。
右は、スケシロ参議の事務所や美容室などの建物の裏面が見えてしまい、目のやり場に困る。
そういえば、現在美容室がある場所辺り(上の写真の右側奥付近)には、昭和末期頃にはかき氷店があった。お堀に面して客席があり、氷を食べながらお堀を眺めることができ、窓の下にはでっかい鯉が寄ってきていたものだった。それに近い光景を、ここから見られるのかもしれない。

もう一方が木内側からまっすぐのお堀の北側。
知らない方もいらっしゃるかもしれないが、穴門の堀は広小路と平行に長方形(東西方向)なだけでなく、古川堀反通り沿いの北方向にも続いており、実は「L」字型。
しかし、古川堀反通りとお堀の間、そして北側の「佐竹小路」沿いには店舗などの建物があり、道路からお堀が見られる場所は少ない。対岸(東側)は秋田和洋女子高校の敷地。したがって、穴門の堀の南北方向の部分が見られる場所は限られている。
ちなみに大手門の堀や穴門の堀の広小路側に張っていた氷が融けてからも、しばらくはこの部分には氷が残っていた(今月中旬頃まで)。

限られた人しか見られなかったその北側部分も、ポケットパークから見ることができる。
北側の眺め。ぐるりと建物に囲まれているのが分かる
といっても木が少なくて建物ばかりで特にきれいな眺めではないし、向かいが女子高ってのも目のやり場に困りそう…
【2022年6月12日追記】2022年現在、デッキの状況は変わらず。対岸の和洋高校は移転し、あきた芸術劇場ミルハスの駐車場になった

最後に、
デッキ側から広小路・木内方向を見る
左側、スケシロ氏の事務所寄りに東屋というよりは「屋根付きのベンチ」のようなものが設置された。ここだと事務所の壁がよく見えてしまう。もうちょっとお堀側に設置したほうが位置的によさそうだったのに。
右側の斜面は、芝生が剥がされた後はそのままの砂山。そこにそのまま立ち入れてしまう。
これでは斜めになった砂場です
前回紹介した高札場のような設置方法で、「みなさんの利用しやすい公園をつくっています。」という看板は、工事期間が終わったこともありなくなっていたが、同じ場所に小さい看板が倒された状態で置かれていた。(上の写真、斜面の上中央)
それによれば、1月19日から3月23日まで「公園環境整備工事をしています。」だそうだ。「みなさんの~」とは別の業者の施工。

ここは最終的にどうなるのか、秋田市建設部公園課のホームページのトップ(http://www.city.akita.akita.jp/city/ur/pc/default.htm)に、現在そのイメージ図がアップされている。
手前が広小路、左が古川堀反通り
既に、東屋の形態や広小路側の路面が、この図とは異なってしまっている。
図では、左奥にも建物らしき構造物(ピンクの屋根)が見えているし、園内にサクラなどの樹木も植えられるようだが、現在植えられている木はそれより少ない。
※続きはこちらの記事中ほど
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さすが元RABアナ

2012-03-26 23:46:26 | 津軽のいろいろ
いろいろ気になる話題はあるのですが、なかなかアップできなくて久々の青森カテゴリーです。今回はテレビで見た話です。

以前、秋田の竿燈まつりの知名度で取り上げた、フジテレビのクイズ番組「ネプリーグ」。
今日26日は「ネプリーグハイパー 最強常識王頂上決戦」として、2時間の特番だった。

ネプチューンチームのほかに3チームが出場したのだが、その1つが「インテリ美女チーム」で、メンバーは、草野満代、中田有紀、麻木久仁子、金慶珠、光浦靖子。

金慶珠さんという人は東海大教授の言語学者だそう。
そして、中田有紀さんは現在はフリーアナウンサーで、日テレ系の早朝のニュース番組やNHKのバラエティ番組「サラリーマンNEO」でおなじみ。
青森の方々はご存知だと思うが、実はフリーになる前は、青森放送(RAB)のアナウンサーだった。
1997年から2001年までの在職だったので、僕が青森にいた頃と重なり、そう言われればなんとなく覚えがある(ようなないような)。出身地や大学は東京。


ネプリーグでは、インテリ美女チームに「スポーツ紙以外の日本の新聞の名前を10個挙げよ」という問題が出された。通常の回なら最大5つ答えればいいが、最強常識王決定戦の今回は10個なので1人2回答えないといけない。
「スポーツ紙以外」だから、地方紙はOKなわけで、それらを挙げれば10個なんてすぐ。だけど、首都圏在住の出演者の方々にはそこまで思いが至らなかったようで、皆さん全国紙の名前を回答していた。中田さんも最初は「朝日新聞」と回答。


ところが、2度目の回答(9つ目)で、
「東奥日報」と回答!
さすが元RABアナウンサーだと、感心した。


東奥日報(とうおうにっぽう)は、青森県内をくまなくカバーする最大手の地方紙であり、RABと資本関係や共同取材の間柄にある。
彼女はRAB在籍時は「東奥日報ニュース」(秋田の「さきがけABSニュース」に相当)も担当していたはず。
青森を離れて全国区で活躍している今も、青森のことを忘れずにいてくれているようで、(別に僕は青森県民じゃないですが)うれしい。

続いて最後の回答者である草野さんは「岐阜新聞」と回答して、チームは10個を回答できた。出身地の地方紙ということのようだが、中田さんの機転を受けての発想だろう。(中田さんより前に、光浦さんが苦し紛れに「琉球ナントカ」とかテキトーな地方紙名を答えていたので、その影響もあったはず)


回答終了後、「東奥日報って何?」とか「どうしてそれを答えたの?」というやり取りはなく、あっさりと次に移った。
彼女が元RABアナウンサーであり、そのRABと関係のある新聞社であるということを知らない多くの視聴者には、謎だった(か気にも留めなかった)ことだろう。
※しかし、インテリ美女チームは、決勝ステージには進めなかった。



ところで、このファインプレーを青森では見られるだろうか。(【27日追記】越境受信やケーブルテレビ経由での視聴は別として※関連記事はこちらこちら
フジテレビ系列局のない青森では、フジテレビのドラマやバラエティ番組を、他系列の3局が分担して放送している。
もし、RABでこれが放送できるのならば、元局アナが出演し、関連会社の名前を出してくれたのだから、喜ばしいことだろう。

しかし、「ネプリーグ」は、青森ではTBS系列の青森テレビが放送している。(日曜13時から)
おととし頃は木曜の19時から放送していたため、2時間特番を放送すると20時台の番組に影響が及ぶため、放送しなかったかもしれないが、日曜の午後であればなんとかなりそうだから、もしかしたら放送されるかもしれない。
ちなみに、青森テレビも青森放送ほど強くはないが、東奥日報と資本関係がある。(秋田テレビと秋田魁新報みたいな感じ)



さて、秋田の元局アナで全国で活躍する人といえば、中田さんと同じ事務所に所属する伊藤綾子さん。秋田魁新報社と資本や共同取材の関係にある、秋田放送の元アナウンサー。(さらに出身も秋田)
彼女が同じ問題を出されたら、「秋田魁新報」と答えてくれるだろうか。


【5月21日追記】「ネプリーグ」本編に続いて19時54分から、「ネプ小(リトル)リーグ」というミニ番組が放送されている。ネプチューンの3人が2問のクイズに答え、その結果によって視聴者にグッズをプレゼントするもの。
ネットされているのはフジテレビを含めて7局だけで、珍しく秋田テレビでも放送される。

5月21日の放送では、「“日”の字がつく全国紙3つをすべて答えよ」という問題が出た。(正解は朝日、毎日、日経)
最初に回答した名倉氏は、最初「とうほう日報」と答えていた。
以前の中田さんの答えが記憶にあったのだろう。
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憧れの明徳小

2012-03-24 20:02:09 | 秋田の地理
※25日20時50分に、末尾に追記・画像の追加をしています。

僕は子どもの頃、秋田市立明徳(めいとく)小学校に対して、憧れというかうらやましい気持ちを持っていた。
それは、
・千秋公園の中にあって楽しそう
・高い位置にあるので見晴らしがよさそうだし、坂を通って通学するのがおもしろそう
・新しい校舎だから
といった理由。
平地にある古い校舎の小学校に通っていた僕にとっては、明徳小の環境がうらやましかったのだ。

秋田市立明徳小学校は、久保田城址千秋公園を含む秋田駅のすぐ北西側が学区であり、旧秋田藩の藩校「明徳館」の名にちなむ校名。1883(明治16)年開校。


現在、明徳小は千秋公園北側の千秋トンネルの真上、標高30メートルほどの場所にある。住所はズバリ「秋田市千秋公園」。
千秋トンネル東側から。上の茶色い建物が明徳小
昔からここにあったわけではなく、1981(昭和56)年に移転してきた。
それ以前の1902(明治35)年から1981年までは、千秋公園南側の坂の下、千秋明徳町の現在の秋田市立中央図書館明徳館の場所にあった。全国的に城跡のすぐそばやお城の敷地の中に学校があるケースがあるが、明徳小学校もそうした学校の1つだったと言える。
明徳小の先代校舎。(1980年10月10日発行広報あきた826号より)
僕が明徳小の存在を意識したのは現在地に移転してからで、新しい図書館ができたのは記憶にある。でも、以前の明徳小の記憶はない。移転は物心つくかつかないかの境界のできごとだったことになる。
先代校舎の正面玄関の向きは、現在の図書館と同じで、角のソメイヨシノ(千秋公園周辺ではかなり早咲き)の木は当時からのものだという。
 (再掲)秋田市立中央図書館明徳館
新旧の所在地は、千秋公園を挟んでほぼ正反対になり、直線距離では約500メートル、標高差では約20メートルの差がある。
ずいぶんと遠い場所に移転したように感じるかもしれないが、同校の学区には手形地区の一部など千秋公園の北側の住宅の多いエリアが含まれており、しかも旧所在地周辺には公共施設や商業施設が多く民家がほとんど存在しないため、現在の図書館の場所では千秋公園内を“縦断”して通学していた児童が多かったと考えられ、現在地のほうが位置的に適していると考えられる。


上記の通り、平坦な秋田市においては珍しく、明徳小は高い場所にある。
千秋公園の「山」としては最上部ではないが、二の丸に続く平らになった一角にあるような感じ。以前は水道関係の施設があったとか。(手形山を「水道山」と呼ぶことがあるが、かつてはここも別の水道山だったらしい)
左が千秋トンネルの通り、正面奥が明徳小
学校前から東側の手形陸橋南側までは、若干カーブのある長い坂道になっている。距離270メートルの間で高低差18メートルほど。(平均勾配6.7%・3.8度ってとこ?)元気な小学生ならどうってことない勾配だろう。
歩道は坂の南側(学校に向かって左)についていて、その外側は切り通しというか掘割状の千秋トンネルの通り。
切り通しを挟んだ向かい側は千秋公園の本体(彌高神社の裏面)で木が茂っていて、見晴らしがいいわけではない。ここが通学路の児童は、トンネルに出入りする車を見ながら登下校することになる。

小学校は坂の突き当たりに位置する。そこを右折すると若干下ってJRのアパートなどがある千秋北の丸の住宅地に入り、左折すると千秋公園の中(彌高神社~二の丸)へ入っていく。

校舎の南側はグラウンド(ここがまさにトンネルの真上)。その南側は千秋公園の「御隅櫓」があるさらに高い部分なので、南方向の見通しは利かなそう。西側は崖状になっているものの、体育館と木々がある。北側にも木がある。
したがって、校舎が高い位置にあるとはいえ、上の階に上ったとしても、思ったほど学校からの見晴らしはよくないのかもしれない。
数年前に御隅櫓から見た明徳小
上の写真の通り、御隅櫓よりは低い位置に学校があるし、木々に囲まれている。

今度は、校舎そのものに注目。
明徳小学校校舎
上の写真では4階建てのように見えるが、3階建て。階段の上が1階になる。
東側(手前)だけが地階のようになっていて、給食室らしきものがあるようだ。
1981年6月には建築基準法施行令が改正され、新耐震基準になったのだが、この校舎は新基準に適合しているということだろうか?(外から見る限りでは、耐震改修された形跡がない)
【31日追記】平成16年度に耐震補強が行われたそうだ。

明徳小の校舎がうらやましかった小学生の僕だが、小学生から見ても今までにない新しい要素が取り入れられているのが感じられた。
それが、外壁の色とベランダ(バルコニー)の存在。

外壁の色は、濃い赤茶色と濃い肌色という、濃い色どうしの組み合わせ。(上の御隅櫓からの写真の通り、屋上は緑色)
先日紹介したような、明徳小の直前頃までに造られた校舎とは大きく違う色使い。秋田市立の学校では初めてだっただろうし、それ以外でも珍しい配色かもしれない。
でも、存在感がありながら暗くなくて落ち着いた色合いで、いいと思う。

また、30年経った現在、よく見ると外壁に黒い汚れが発生してはいるが、色のせいでそれが目立たない効果がありそうだ。これ以前またはこの後の1990年代以降に建てられた校舎では、壁の色のせいで汚れが目立ってしまっているのと対照的。


もう1つが、ベランダ(バルコニー)の存在。
肌色の部分がベランダ。一部ベランダのない窓もあるが、そこは同じ位置の外壁が同じ色になっている。
1981年9月1日付「広報あきた」858号によれば、「教室には、県内の小学校では初めてといわれるバルコニーを設け、開放感をもたせています。」とのこと。
※普通、バルコニーとは屋根のないものを指すので、ここは屋根があるんだからベランダのような気がするので、この記事では「ベランダ」とします。

全国的には、昭和30年代頃に「外廊下」や「オープン廊下」と呼ばれる、壁のない廊下というかベランダを廊下として使う校舎を建てるのが流行したそうだ。
壁が1枚少なくて済むから建設費用の節約にはなったようだが、寒冷地・積雪地であるためか、秋田市立学校でのこの方式は採用されていないはず。(秋田県立高校の一部には存在した)
その後、いつの頃からか、廊下とは別に教室の窓の外にベランダを設ける方式が出現したが、それが秋田で初めて採用されたのが、明徳小だったわけだ。
教室の窓から直接下へ転落する事故が起こり得ないし、万一廊下が使えない際にベランダが避難経路となるなどのメリットがあるのだろう。

管理上・安全上(=窓からは安全でも、今度はベランダから転落する恐れがある)の問題もあるだろうから、実際に子どもたちが自由にベランダを使えるのかどうかは分からないが、外から見ている分には「教室にベランダがある」のがなんとなくうらやましかった。


前回の校舎の記事では、昭和40年代前後のものは屋上に大きな庇状の構造物があって重い感じがし、50年代のものでは箱型のすっきりしたデザインに変わっていた。
明徳小では、ベランダがあることにより、そのどちらとも違う印象を受ける。
ベランダ自体が出っ張り、3階のベランダの屋根に当たる部分が屋上にせり出していて、再び凹凸のある壁面になったものの、昔ほど威圧感を感じるデザインではないと思う。
ベランダやそれを下から支える部材などが、色の違う直線的なカクカクしたデザインで取り付けられていて、あえて強調しているようにも感じる。当時は建物の分野以外でもこういうカキッとしたデザインが人気だったから、その流れに乗ったのかもしれない。
千秋公園からグラウンド越しに見る明徳小
そんなわけで、時々訪れる千秋公園の中にあり、遠くからでも目立つ、丘の上の新しい校舎に憧れていたのだった。


明徳小で斬新だった外壁の色とベランダが、この後に建てられた秋田市立の学校ではどうだったのかと言えば、ベランダは標準装備になっていて、多くの校舎に設置されている。
校舎の色のほうは、
この学校は?
明徳小学校にそっくりだけど、これは1982年築の川尻小学校。
【26日追記】上の写真で正面に写っている校舎は増築部分とのコメントをいただいた。1994年築だが既存部分とほぼ完全に同じ設計になっているらしく、違和感なく仕上がっている。

今まで、明徳小と川尻小のデザインはまったく同一かと思っていたが、色合いなどは微妙に異なることが分かった。
川尻小は明徳小より1色多い3色が使われていて、若干明るい色。
明徳小で濃い茶色だった部分は、川尻小では赤に近い色。濃い肌色だったベランダは、クリーム色で凹凸による不規則な模様が入っている。
上の写真では分かりにくいが、ベランダでも柱でもない壁部分(窓の上下)には、3番目の色として白が使われている。
ベランダのない側の壁は、真っ白

しかし、例えば1985年に建てられた土崎南小学校では白を基調とした校舎になるなど、以後建てられた小中学校は淡い単色の校舎が主流になっていく。
“明徳小式”の外壁の色はそれほど普及しなかったことになる。


小学校も中学校も昭和時代の鉄筋コンクリート校舎を卒業した僕は、木造校舎を見ても「懐かしさ」は感じない。また、塔がついていたりカーブを描いているような最近の斬新な学校建築を見ても「学校らしさ」はあまり感じない。
僕にとっては、横長の箱型の校舎こそ「(昭和の)学校」であり、それが何色かで塗り分けられた校舎こそ「秋田市立の学校」だ。
憧れだった明徳小学校の校舎は、「秋田市における最後の昭和らしい校舎」の1つと言えるだろう。【25日追記】「秋田市の昭和の校舎の最終完成形」とも言えるかもしれない。



先週、秋田市立の各小学校で卒業式が挙行された。
秋田県内の多くの小学校では、卒業生は中学校の制服を着用して出席する。
僕は何の違和感も感じないが、全国的には珍しい“風習”だという。(他には北海道や栃木県などがそうらしい)

他県では、スーツなどを各自用意して着るようだ。
秋田では試験を受けて進学するような中学校が極めて少なく(最近は中高一貫校もあるが)、ほぼ全員が地元の公立中学校に進学することや、経済的負担を減らす狙いがあるのかもしれない。


3月17日には、太平山谷(やまや)にある市立山谷小学校の閉校式が行われた。
1878(明治11年)の開校以来、133年の歴史を今月末で閉じることになる。今年度は児童27名4学級、教職員10名だった。
山谷小学校は太平小学校に統合され、秋田市立の小学校は44校(雄和・河辺地区を除く旧秋田市は37校)となる。
旧秋田市内の小学校だけでも、2006年に八田小学校、2007年に太平小学校木曽石分校、2010年に金足東小学校と、いくつかの学校が消えていっている。



【25日追記】明徳小学校の裏面を中心に、若干追記します。
坂の下側から見上げた画像だけだったので、上から見下ろした画像もアップします。
柵の外側が千秋トンネルの掘割。その向こうの木々が彌高神社付近の裏面
上の写真の通り、坂が若干右にカーブしていて、坂の下までは見通せない。木や建物があり、見晴らしもあまりよくない。
でも、あと1月もすれば、右側の千秋公園の木々の鮮やかな緑が目に飛び込む通学路になるだろう。
なお、歩道の柵には、柵のパイプを使って絵が描かれている。15年くらい前に流行ったヤツだ。
ここでは、ツクシやカモシカ(?)などが描かれていて、千秋公園の自然をモチーフにしたのかもしれないが、キツネもいた。さすがにキツネは千秋公園にはいないでしょう。

さて、上記の通り、坂の上の突き当りの明徳小を右に曲がると、若干低くなって千秋北の丸(という町名)に入る。
住宅地を少し進んで振り返ると、こんな光景。

東~南側は標高差5メートルほどのすり鉢状の斜面になっていて、階段で下に下りて踏切や秋田大学方面へ続く。階段が2つ写っているが、片方は使われていないようだ。
そして奥に、明徳小学校の裏面(北側)が見える。
校地との間には、ちょっとした土手があり、校舎は3階と4階【26日訂正】2階と3階しか見えない。土手に生える木が茂る夏場は、それもほとんど見えないだろう。
校舎北面にはベランダがなく、この直前に建設されていたタイプの校舎(東小、西中など)とよく似ているようにも見える。

反対の西側に進んでも、やはり急斜面で階段がある。こちらは標高差10メートル弱。【8月10日追記】この階段は古くは坂道だったらしく「八幡坂」と呼ばれるそうだ。
なお、坂の下の東側も西側も「千秋北の丸」なので、千秋北の丸は高低差によって3つに分かれた町と言えそうだ。
階段を下りて振り返る
千秋公園の北~西側に当たる斜面なわけだが、城跡の公園の趣はなく、ちょっとした「山」のよう。
地滑り対策が施された斜面にはケヤキらしき木が多数生えていて、その間に、ちょっとだけとんがったものが見える(上の写真の赤矢印)。
明徳小学校の体育館の屋根だ。

戻って、
階段の上から西を望む
階段の右が「千秋北の丸」、左が「千秋矢留町」、下の道路の向かいが「千秋中島町」と、3つの町の境界。
この辺りに住む小学生はみんな、この階段を上ってすぐの明徳小学校に通っている…
と思いきや、そうではなく保戸野小学校に通っている児童も多いようだ。

秋田市教委学事課ホームページの「秋田市立小・中学校通学区域(学区)(http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/sw/tsuugakukuiki.htm)」によれば、「千秋」地区のうち千秋公園西側の北の丸、中島町、矢留町の3町では、それぞれの番地ごとにきめ細かく保戸野小学区か明徳小学区かが決められていて、なかなか複雑そう。(番地の割り振りと町内会の境界が一致していないのかもしれない)
なお、中学校はいずれも秋田東中の学区。

上の写真でオレンジ色矢印を付けたのが、保戸野小。
階段の下から保戸野小までは直線で500メートル、実際の通学路でも700メートルほどだが、途中には狭い道も広い道も、旭川もある。

明徳小が千秋公園の反対側の今の図書館の場所にあった頃ならば、保戸野小のほうがずっと近い。
おそらく明徳小移転時には、地元の意向も踏まえて学区を決定したのだろうが、今は階段1本のすぐ上に明徳小があるのに、そこに通えないのがもどかしそうにも思える。

※秋田市の学校についての次の記事はこちら
※明徳小体育館についての続きはこの記事末尾
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JRとNHKの間違い

2012-03-22 23:59:03 | その他もろもろ
【4月25日追記】駅弁「こまちらし」に関するネット上の間違いについては、この記事中ほど「●どう見ても…」の項にあります。
JR東日本秋田支社の担当者・関係者の皆さまへ:僭越ながらトラックバックさせていただきましたが、どうかお目に留めていただき、正しい情報伝達のためにも修正くださるよう、どうかお願い申し上げます。

恒例の揚げ足取りの記事です。申し訳ないけれど、どうしても目についてしょうがないものでして。
直接先方へ指摘しようかとも思うのだけど、この程度のことでいちいち口出しするのも気が引けてしまって。

●閉じめでお願い
秋田市のJR土崎駅。
3月上旬撮影
上り列車が使う2・3番線のホーム上には、待合室がある。
最近の駅にあるような小っちゃいものでなく、広くてベンチは20人分程度はあるのではないだろうか。
冬は寒いから暖房器具があるのだが、昨シーズンまでは体育館や工場、工事現場などでおなじみの「ジェットヒーター」が置かれていた。乗客が壁にあるスイッチを押せば運転を開始し、一定の時間(5分かな)が経てば停止するという、手作りの装置が取り付けられていた。
今シーズンからは、エアコンに替わったようだ。
待合室入口。左にエアコンの室外機が見える
暖房が効いている施設で自動ドアでないドアには、保温のために「暖房中だから開けっ放しにしないでね」という掲示がされていることが一般的。
文面はそれぞれまちまちだけど、土崎駅では、
「暖房使用により ドアの閉じめにご協力お願いします」
だって!
「閉じめ」って何?

「戸締め/戸閉め」のつもりだったのだろうが、いくら「閉」を「と(じる)」と読むからといって、「閉じめ」はないでしょう。
だからといって「ドアの戸締め」にすれば、「ドア」と「戸」がダブってしまう。
「暖房中につき開けたままにしないでください」でいいのではないでしょうか。


●どう見ても…
もう1つ、JRから。
ちょうど今日は秋田新幹線開業15周年の記念日(主な記念イベントは今度の土曜日に開催)で、それに水をさして悪いのですが。

Yahoo! JAPANの「Yahoo! トラベル」に「プロメモ」というコーナーがあり、各地の観光団体や旅行会社スタッフなどが、ブログ風に現地の情報をアップしている。
JR東日本は各支社ごとにIDを持っている。秋田支社では、津軽エリアで「つがるっ娘」、秋田エリアで「ナマハゲ クン」という名前。

ナマハゲ クンが、3月15日に駅弁「こまちらし」のことを紹介していた。
http://community.travel.yahoo.co.jp/mymemo/jreast_akita/blog/126372.html


こまちらしの写真もアップされていて、おかずの内容は当ブログで紹介したのと同じもの。

文面に注目

「さくら餅も入っています。」とわざわざピンク色の大きな文字にして「さくら餅」としているが、僕が食べたこまちらしにも、ナマハゲ クンがアップした記事中の写真を見ても、桜餅は見つけられなかった。
それを言うなら「(桜の花の塩漬けが載った)まんじゅう」じゃないでしょうか。(品書きでは「さくらこまち饅頭(さくら餡)(皮はあきたこまちの米粉入り)」)

(関根屋に製造してもらっているとはいえ)自社管理下で発売している商品を、(Yahoo経由とはいえ)自社の名前で紹介している場において、単純な間違いをするとは、お粗末。趣味でやってる個人のサイトやブログじゃないのだから。
毎度言うけれど、担当者が間違えてしまうのは仕方ないにしても、掲載に当たって他の社員や上司、それにヤフー側のチェックはなかったのだろうか。

【30日追記】その後、「ナマハゲ クン」宛にメッセージを送信できることが分かった(Yahoo側で提供する機能。こちらに返信することはできないようだ)。
そこで、「さくら餅」の件を28日(水)の夜に送信した。しかし、30日(金)夜現在、「さくら餅」は修正されていない。
【4月25日追記】4月25日時点でも、「さくら餅」のまま。
さらに当該記事にトラックバックを送信できることが分かったので、この記事へのトラックバックを僭越ながら送らせてもらった。
【5月19日追記】5月19日時点でも、「さくら餅」のまま。


●公共放送のお言葉ですが
最後も鉄道関係だけど、報道機関の言葉の使い方について。
3月17日に九州新幹線の開業1周年記念イベントが開催され、NHKのテレビの全国ニュースで放送された。
NHKのニュースサイト

上のサイトにも出ているし、テレビのアナウンサーがしゃべったのもそうだったのだが、こんな言い回しがあった。
「九州新幹線の全線開業から1年を祝うイベントが、JR博多駅など沿線沿いの駅などで開かれています。」

「沿線沿い」って、おかしくありません?
サイトの文面には、「沿線沿い」という言葉が2回出てくる。

goo辞書(デジタル大辞泉)によれば「沿線」は「鉄道の線路や幹線道路に沿った所・地域。」。「沿線」だけで「(鉄道に)沿う」という意味を持つのだから、それにさらに「沿い」をつけたら、意味が重複してしまう。「馬から落ちて落馬する」とか「頭痛が痛い」とかと同じこと。

それから、「JR博多駅など沿線沿いの駅などで」と、「など」が近い位置に2つあるのも引っかかる。


この前日には、静岡県の岳南鉄道の貨物輸送が終了したというニュースが、NHK静岡放送局のニュースで取り上げられていた。
3月16日19時40分アップの静岡放送局のニュース

ここでも「沿線沿いの製紙会社の製品を」という言い回しがあった。


僕が知らなかったり違和感を感じるだけで、単なる「沿線」とは違う意味を持つ「沿線沿い」という表現があるのだろうか?
Googleで「"沿線沿い"」で検索すると、約178000件もヒットするが、ほとんどが不動産情報みたいなので単に「沿線」で済むと思うのだが。

おそらく、九州新幹線のほうは、福岡放送局あたりが取材して作成した原稿を東京に送ったものだろう。
ということは、NHKの福岡、東京、静岡のこれらのニュースに関わった人たちは誰一人「沿線沿い」に違和感を抱かなかったことになる。


言葉を使うプロである記者や放送関係者として、これはいかがなものだろう。
最近のNHKでは、専門家でなくても日本人ならば分かるはずの言葉の使い方を知らないのではないかと思わされる場面が少なくない。
パソコンのかな漢字変換システムでは、言葉遣いの間違いを指摘する機能を持つものがあり、マスコミ向けに特化した製品もあるので、そういうのを使えば防げそうにも感じる。NHKでは使ってないのだろうか。
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新屋の近況

2012-03-21 23:17:13 | 秋田のいろいろ
最近の秋田市新屋(あらや)地区を巡って、過去の記事の続報をお届けします。

●堆雪場 ※前回の記事は1月15日
雄物川の雄物新橋付近の「堆雪場(雪捨場)」。
前回アップ時は、橋の下流側(11250平方メートル)しか使われていなかったが、その後上流側(10550平方メートル)も使われ、さらにそこが満杯になって2月13日で閉鎖されている。1か月以上、雪が捨てられていないことになるし、この気候では減る一方だろう。どうなっているか。
対岸の新屋栗田町・元町側から。正面に見えるのが上流側の堆雪場

まだこんなに残っている

※その後の状況はこの記事の末尾


●秋田銀行 新・新屋支店 ※前回の記事は2月20日
3月12日に新屋駅前支店と統合して移転した、秋田銀行新屋支店。
新しい秋田銀行新屋支店
某所からの一説によれば、開店初日は1300人ほどが来店したとかしないとか?(「来店」というのは、窓口に来た人なのか、ATM利用者を含むのかとか、単なる冷やかしも含むのかなど、詳細は不明)
上の写真撮影時は日曜日だったが、駐車場付近の舗装かなんかの工事がまだ行われていた。
県道56号・日吉神社側から保存樹の松越しに
新屋交番・秋銀新屋支店・秋田市西部市民サービスセンターと新しい建物が連続する。
【24日追記】ドアの「秋田銀行新屋支店」の文字は金色でした。

両支店の古い店舗は…
新屋駅側から旧新屋駅前支店
旧新屋駅前支店の「あきぎん」看板は白くなっていた。ドアなどの表示も撤去されて移転の告知が張り出され、夜間金庫には使えない旨の掲示があった。
奥に新しい新屋支店の「あきぎん」看板、そして道路を渡った向かいの日吉神社の鳥居が少し見えている。
この建物はどうなるのか
【4月26日追記】4月26日現在、旧新屋駅前支店の建物に特に変化はなし。
【5月27日追記】5月25日現在、旧新屋支店、旧新屋駅前支店とも建物に特に変化はなし。
【10月27日追記】10月27日現在、旧新屋支店の建物に変化なし。(新屋駅前支店は未確認)
※その後の店舗跡の変化はこちらにて

新屋表町の通り、新屋元町の旧新屋支店も同じ状態

掲示板もロゴや文字が剥がされ、移転の案内があるだけ
旧新屋支店の前にあった新屋西線のバス停は、ちょっと前までは「西部公民館前」で「秋田銀行新屋支店前」に変わっていたが、支店が移転した以上は変えざるを得ない。4月1日から「新屋郵便局前」に再度変更されることが3月14日付でバス会社のサイトで告知されたが、現地にはまだ案内等はなかった。

※バス停名変更後のようすはこの記事末尾


旧新屋支店の通りの南50メートルほどのところに、新屋郵便局がある。
前の記事のコメントでお知らせいただいていたが、郵便局のさらに南隣にある旧新屋支店の第2駐車場の一角に、ATMコーナーが設けられた。(移転前の3月2日から稼動しているとのこと)
郵便局のすぐ隣
新屋支店管轄の「新屋元町出張所」という名称で、平日8時~21時、土曜9時~17時の稼働。
シャッターが下りていて中を見ることはできなかったが、スペース的にATMは1台だろう。

新・新屋支店のほうは、ATMがたしか4台あった。
公式ホームページによれば平日8時~21時、土日祝9時~19時で、通帳繰越と生体認証対応。


・秋銀のATM
ところで、秋田銀行のATMで好きになれないのが、2つのメーカーのATMが混在していて、通帳記帳時のフォントが異なること。
秋田銀行は、かつては沖電気製(OKI)のATMだけであり、窓口での記帳も含めてフォントは統一されていた。(青森のみちのく銀行も同じフォント)
ところが、数年前から、沖製と並行して「日立オムロンターミナルソリューションズ」というメーカーの「Leadus(リーダス)」というブランドのATMも設置され始めた。

「Leadus」のATMでは、数字や半角カタカナが角張った幅が広い文字で印字され、OKIのATMや窓口の文字とはかなり印象が違う。
上の行からOKI・Leadus・Leadus・OKI・OKIのATMで記帳
そのため、同じ通帳内にOKIのATMで記帳した行と、LeadusのATMで記帳した行が混在すると、とても読みづらい。場合によってはケタがずれているようにも見え(上の写真のようにLeadusで印字した行が左に寄っている)、「いつの間にこんなに大金が!?」と一瞬ぬか喜びしてしまったことがあった。
 秋銀のとほぼ同型のATM。左がOKI、右がLeadus(いずれもメーカーサイトより)
どうも、秋田銀行では、生体認証や通帳繰越はOKIのATMでしかできないらしく、その関係なのか知る限りでは本支店に設置されているATMはすべてOKI製。(旧型のベージュ色のものもあるが、機能としては同じ模様)
LeadusのATMは店舗外にだけ設置されているようだ。しかし、店舗外で生体認証対応でもないのに、OKIのものが設置されている場合もある。

両者の見分け方は、まず本体がベージュ色だとOKI。本体がグレーのものでは、ATM前に立った時お腹の当たる部分(タッチパネルの下)の形状で区別できる。カーブを描いているのがOKIで、直線的なのがLeadus。(それ以前に、OKI/Leadusとロゴが表示されていますが)

北都銀行のように合併した銀行で複数社のATMが存在するのはやむを得ない。また、ゆうちょ銀行では、ATMのメーカーが違っても、フォントは統一感を持たせており、違和感はない。
秋田銀行はなんで複数のATMを混在させるようになったのだろう。


以下は、偶然発見したバスの話題。
●寸詰まりバス
新屋を起点に浜田、下浜、豊岩の各地区を結ぶ路線バスは、現在は秋田市が運行する「マイタウン・バス 豊浜ふれあい号(関連記事)」となっている。運行業務は中央交通の子会社「秋田中央トランスポート」に委託されている。
車両は、見た目は中央交通の一般路線バスと同じだが専用の車両で、今までは小型車(日野リエッセ)とあちこちの中古の中型車が使われていた。

今回、新たな車両(中古だけど)が入っていた。
中型車いすゞエルガミオの寸詰まり版
2010年12月7日に紹介したように、標準より車体長が2メートルほど短いタイプの中型バスが、2010年秋ごろに小田急バスから中央交通本体に転入してきており、秋田東営業所管内で使用されていた。これはそれと同型だ。
すっかり忘れていたけれど、東営業所の廃止後は、とんと見かけなくなっていたのだが、もしかしてこちらに回されてきた(本社からトランスポートへ移籍)のだろうか。

ただ、東営業所当時は行き先表示がLEDだったが、これは幕式だから移籍したとすれば改造したことになる。
上の写真のトランスポートの車両は、東営業所にいた車両とナンバーが近いので、少なくとも同時期に秋田へやって来たことになる。ナンバーは確認できなかったが、同型車がもう1台、豊浜ふれあい号に使われていた。
「フリー乗降バス バス停以外で停車する事があります」
後部の表記がローカル路線らしい。広告は男鹿の石材屋さん。
独特の動きをする中ドア
上の写真でピントが合っていなくて分かりづらいけれど、側面最後部下の社名表示。
ここは、本体所属の車両では「秋田中央交通」、トランスポートの車両では従来は「秋田中央トランスポート」と表記されていたはず。

しかし、この車両は「秋田中央トランスポート(株)」と、なぜか「(株)」まで狭いスペースにびっしりと記されている。
じゃあ、本体のほうも「秋田中央交通(株)」と表記しないといけないんじゃないでしょうか…(昨年末に入った新車のノンステップバスは(株)はなかった)
それと、この車両には交通エコモ財団のグリーン経営認証シールは小さいものが貼ってあるが、日本バス協会の会員章(NBAシール)がどこにも貼られていないようだ。トランスポート社も加盟しているのだが。

【4月19日追記】これと同型でかつて東営業所に所属していた「841」というナンバーのバスは、男鹿営業所に転属した模様。2011年時点では、行き先表示をLEDから幕に変更され、男鹿の風景のラッピングをされて、ワンコイン観光バス「潮騒号」用車両となっている。


●色あせたバス停 ※以前は2009年11月11日
現在の新屋交番の場所にあった新屋支所の廃止に伴い、「新屋支所前」バス停が「日吉神社前」に改称された。
県道56号線側は羽後交通の急行本荘線も通るので、中央交通のと2本のポールが並んでいる。

羽後交通のほうは改称と同時に、バス停の表示部分がローマ字や営業所の連絡先が記載されたきれいなものに張り替えられていた。
 (再掲)
それから2年ほど経って、現在は
こうなってしまった
しばらく意識していなかったが、いつの間にかかなり色あせている。黄色は跡形もない。わずか2年ちょっとなのに。

この面だけのことではなく、裏面もそうだし、向かい側に立つポールも同様。
家庭用のインクジェットプリンタで印刷したものを屋外に置くとこんな風になるが…
羽後交通さん、ちょっとケチりましたね。
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花時計からのたより

2012-03-20 23:05:34 | 秋田のいろいろ
【2015年6月15日訂正】以下で述べている音楽の曲名について誤りがあることが分かりましたので、訂正します。以下の記事は、初回アップ時の正しくないまま残しておきます。正しい曲名はこちらをご覧ください。

イオンリテールの店内放送で、65歳以上向けの電子マネー「ゆうゆうワオン」の案内(各店共通の録音されたもの。土崎港店と秋田中央店で確認)が流れることがある。(普通のWAONとの違いって、購入時に300ポイントが付与されて発行手数料が実質無料なのと15日に5%引きになるだけなのか)【4月8日追記】マックスバリュ東北の店内でも同じ放送が流れていた。
【11月20日追記】2012年9月15日から、「G.G WAONカード」なるものが発売された。ゆうゆうワオンの対象年齢を55歳以上に拡大したもので、特典などはゆうゆうワオンと変わらないようだ。ゆうゆうワオンも引き続き販売されてはいるが、イオンとしてはGGのほうを前面に押し出したいようで、上記店内放送は流れなくなった気がする。
そのナレーションの背後に流れるピアノメインのBGMを聞いて、懐かしい気分になってしまった。(理由は後ほど)

イオン以外の他の場面でも時折BGMなどとして耳する曲で、タイトルは「愛のナントカ」と曖昧にしか覚えていなかった。(「愛のメロディー」かなんかだと思っていた)

そんなことを考えた後、BSジャパンで7日に放送された「ポチたまペットの旅」を見ていた。横浜のおもちゃ博物館(北原鑑定士がいる所)を訪れて、展示物のオルゴールが紹介されるシーンで、その音楽が流れた。
そうだった! この曲名は「愛のオルゴール」だった!!

調べてみると、カナダの作曲家でピアニストのフランク・ミルズ(Frank Mills)が1974年に発表した曲で、原題は「Music Box Dancer」。アルバムから1978年にシングルカットされ、1979年にかけて世界的にヒットしたそうだ。
日本では、1979年に高田みづえという歌手(現在は相撲の松ヶ根部屋のおかみさん)が、このメロディーに日本語詞(作詞:斉藤仁子)をつけて「潮騒のメロディー」というタイトルで発売している。
【3月24日追記】「潮騒のメロディー」は、高田みづえよりも数か月先に「さこみちよ」という人(現在もラジオパーソナリティなどで活動)が発売しているそうで、高田みづえがカバーしたことになる。
てっきりクラシック曲かと思っていたが、意外に新しい曲だった。そう言われれば、ピアノやストリングスのほかドラムの音などもして、現代音楽っぽい。

で、なぜこの曲が懐かしいのかといえば、あるテレビ番組のオープニングテーマだったから。
そして、さらに「花時計」を連想してしまう。
そんな人は立派な(ちょっと昔の)秋田市民です!


ここで話が逸れますが…
市町村の広報は、テレビ(ケーブルテレビでなく地上波一般放送)でも行なっているところがある。(放送されるのは県全域なので、その市民以外も視聴できるというか視聴させられることになる)
昔、青森で見たものは、風景などの映像を背景にして、各種手続きやイベントの情報をテロップで表示してナレーションが入る程度の、いわば紙媒体の広報を抜粋してテレビで流しているようなものだった。

秋田県内では、定期的な広報番組は秋田市しか流していないはずだが、内容はそういうものではない。
時間は5分間ながらちゃんとした「番組」の形をとっていて、それを作っているのは秋田市役所の職員なのだ。(外部委託ではない)
テーマも市の事業から市民活動、歴史・文化の紹介など広範囲に渡る。昔は「市営バス運転士の1日に密着」みたいなものもあった。現在はおおむね1週間に2本ほどのペースで制作されているようだ。

秋田市広報広聴課ホームページの「広報テレビができるまで(http://www.city.akita.akita.jp/city/pl/pb/tvmaking.htm)」などによれば、自前での映像広報の開始は1955(昭和30)年。(紙の広報は1951年、外部委託の映像広報は1953年開始)
当初は16ミリフイルムでの撮影で、各地域の公民館などを巡回して上映する形式だったようだが、後にVTR制作・テレビ放送されるようになった。現在はちゃんとハイビジョンサイズ・画質になっている。
テレビ放送が始まった時期は不明だが、少なくとも1972年度には「市政テレビ放送」として放送されている。

秋田市広報広聴課側で行うのは、企画・取材・編集までで、ナレーションや字幕は放送する各放送局において、広報広聴課の原稿に従って入れることになっているのだそうだ。
【2020年10月24日追記・テレビ業界用語で「完パケ(完全パッケージメディア)」というのがある。映像編集や音入れが終わり、そのまま放送や販売できる形になった映像のこと。上記の通り秋田市広報番組は、市から各局へ渡される時点では、編集済みだがナレーション・音楽や字幕は入っていない。このようなものは「白完(白完パケ)」と呼ぶそうだが、秋田市や秋田のテレビ局でもそう呼んでいるかは不明。】

秋田市が作った5分間の広報番組は、現在は民放3局と秋田ケーブルテレビのコミュニティチャンネルで放送されている。(さらに放送が終わったものをその年度内に限り、秋田市サイト内でストリーミング配信している)
民放3局では放送曜日と時刻をずらしており、毎日どこかのチャンネルで1回は放送される。
番組名は、放送時間帯に合わせて「おはよう秋田市から(AAB)」「こんにちは秋田市から(ABS)」「こんばんは秋田市から(AKT)」。
放送回数が多い「おはよう~」と「こんにちは~」の間では、同じ内容が違うテレビ局で放送されることがある。その場合でも、字幕やナレーションは各放送局ごとに別に入れているので、文面は同じでも書体や声(それぞれの局アナが担当)が違う。

ケーブルテレビはやや古いものを1日に何回も放送するが、いずれもABSで放送したものを流用している。(昔はAABのだった)
タイトルは「元気いっぱい!秋田市情報」(←コミュニティチャンネルタイムスケジュールでの表記。実際の放送では「!」がなく、電子番組表では「秋田市広報番組」という名称)に替えられ、当然オープニング映像が差し替えられている(【27日追記】音楽は同じ)。また、番組の最後には、地上波各局の放送時には出ない「企画 秋田市広報広聴課/制作協力 ABS秋田放送」というテロップがやや強引に表示される。【27日追記】地上波放送では「企画 秋田市広報広聴課」は表示されるようだ。ケーブルでは、その部分を黄色く塗りつぶして2行が表示される


地上波各局の秋田市政広報番組のタイトルが「○○○○秋田市から」に揃ったのは、2003年4月から。それ以前は、各放送局ごとにまったく別のタイトルだった。
2003年3月までは秋田放送(ABS)は「秋田市だより」、秋田朝日放送(AAB)は「ハローナウあきた」、そして秋田テレビ(AKT)が「花時計からのたより」だった。
オープニングの映像や音楽もそれぞれ異なり、「花時計からのたより」の音楽が「愛のオルゴール」だった

したがって、僕は「愛のオルゴール」を聞くと「花時計からのたより」を連想してしまうのだ。


1992年に開局したAABは、開局時から「ハローナウあきた」の番組名だったが、他の2局ではいつから「秋田市だより」「花時計からのたより」の番組名で放送されていたのかは分からない。広報紙「広報あきた」を検索すると少なくとも1983年にはその名前で放送されている。
さかのぼって1974年にはABSは「秋田市だより」、AKTは「秋田市告知板」という番組名だったので、AKTは途中で番組名を変えたようだ。


「花時計からのたより」の「花時計」とは、秋田市役所本庁舎の前庭に設置されている花時計のこと。
秋田市役所と花時計 ※積雪対策のため針が外されています
番組のオープニング映像にも、花時計が登場していた(映像は少なくとも1度リニューアルされたが新旧いずれにも映っていた)。
その花時計は1980年に設置されたものであり、「愛のオルゴール」のヒットが1979年であることを踏まえれば、そのあたりにAKTの番組名が「花時計からのたより」に変わったと考えられる。


僕が子どもの頃は、「花時計からのたより」は平日は「おはよう!ナイスデイ」の後の9時55分から、日曜日はテレビ東京のバラエティ番組の前の8時55分から放送されていて、広報番組の中ではいちばん見る機会が多く、なじみがあった。そして、「愛のオルゴール」のメロディーが耳に残った。
(ABS「秋田市だより」の秋田市章がぐるぐる回転するアニメとチェンバロとクラリネット系の楽器(?)による曲も印象に残るが、あまり好きでなかった)

市政番組のオープニングは15秒ほどであり、愛のオルゴールが流れるのもそこだけなので、曲のごく一部だけが使われていた。おそらく、曲の途中の一部分を抜き出していたと思われる。
今、フランク・ミルズのオリジナル演奏を聞いてみると、「花時計~」で流れていたのとはテンポや音程、音色が微妙に違うような気がする。(「花時計~」のほうが、やや遅くて低い?)
別の奏者によるカバー版か何かの別モノだったのだろうか。【冒頭の訂正の通り、別の曲でした】

愛のオルゴールには「おはようございます。秋田市が送る『花時計からのたより』です」というナレーションが重ねられていた。アナウンサーによっては「ハラ時計からのたより」と聞こえてしまうこともあった。


さて、秋田市役所の花時計自体について。

これは1980年7月12日の秋田市制91周年を記念して設置されたもの。
同年から秋田市が始めた「花百万本!花のある美しい街づくり運動」のシンボルでもあった。※関連アイテム
広報あきた818号(7月20日付)によれば、「この花時計設置を発案した、元市議会議員のみなさんの会「秋田市元市議会議員懇談会」から多額の寄付と、秋田市時計貴金属メガネ商組合から時計本体の寄贈をいただきました。」とのこと。

文字盤の直径は4メートルで、「SEIKO」ブランド(当時は「服部時計店」傘下の「精工舎」か?)のもの。以前は、文字盤の下に別に長方形の「SEIKO」ロゴの板が見えていたが、現在は茂った植え込みに隠れたのか、撤去されたのか、歩道上からは見えない。
針や文字板のデザインは異なるが、ほぼ同じサイズと思われるセイコーの花時計が、弘前公園内の「弘前城植物園(1983年開園)」にあるし、全国各地の公園などにも設置されているようだ。現在も、「セイコータイムシステム」社から受注生産で発売されている。【2013年11月13日追記】弘前の花時計は1975年に設置されたセイコー製だった。この記事末尾参照。

以後、秋田市役所の花時計には四季折々の花(といってもパンジー、マリーゴールド、サルビアなど花壇用の定番の花だけど)が植え替えられ、雪が積もる冬期間は針が撤去されて葉ボタンが植えられて、といった具合に大事に管理されながら、秋田市民に季節の移ろいを感じさせ続けて現在に至る。
 (再掲)なぜか周辺ではヒガンバナも咲く

また、秋田市の広報紙を音読して目が不自由な人たちに届ける奉仕活動をしている市民の集まりが「声の広報制作グループ花時計」という名称だったり、今はなき秋田市交通局が1988年に発行したポケットサイズバス時刻表の表紙のイラストが、花時計の前を通る市営バスだったりするなど、花時計は強く印象には残っていないかもしれないが、秋田市役所のシンボル的アイテムと言えそうだ。
 (再掲


秋田市役所の庁舎は、建て替えられることになっている(2013年度着工・2015年度竣工予定)。
このほど「新庁舎建設基本設計」が明らかになったが、それには花時計は出ていない。花時計がなくなってしまう可能性がある。

基本設計の配置計画の図面によれば、おおむね現庁舎の跡が駐車場になり、かつてのNHK秋田放送局跡地(現在は駐車場)が新庁舎になる。
花時計のある辺りは「緑地」にはなるようだが、花時計らしきものは描かれていない。

花時計後方の噴水のある池は、駐車スペースに重なっているようで、なくなりそう。
 (再掲)現庁舎完成時に秋田銀行から寄贈された池
ほかにも、「秋田蘭画」の市制100周年モニュメントや、姉妹都市のドイツ・パッサウ市から1992年に贈られた「友情の鐘」の処遇もどうなるやら。
後ろが「友情の鐘」 ※さらに後ろの旗は大震災追悼の半旗
秋田市役所の花時計は設置から30年以上が経過している。
屋外で、しかも可動部である針を空に向けてむき出しにして稼働する機器だから、耐用年数はとっくに過ぎているのかもしれない。(公園や学校にある通常の屋外型電気時計だって、30年モノは少ないだろう)
この記事の針のない花時計の写真は、3月11日の撮影。今春もそろそろ針が取り付けられ、春の花に植え替えられて、時を刻むことだろうが、この光景が見られるのも、あとわずかかもしれない。

仮に花時計がなくなったとしても、僕は「愛のオルゴール」を聞く度に「花時計からのたより」を連想し、秋田市役所に花時計があったことを思い出すだろう。

【31日追記】「愛のオルゴール」と「花時計からのたより」は、曲を聞くと本来の曲名よりもテレビ番組名のほうを連想してしまうというケース(少なくとも僕にとっては)。
同じような例が、「なるほど!ザ・ワールド(1990年まで使用)」と「刑事コロンボ(日本での放送)」。
どちらも昭和末期にテレビを見て過ごした人なら、すぐにテーマ曲が思い浮かぶと思うが、それぞれの曲名は「トランプス・ディスコのテーマ」「Mystery Movie Theme」であり、それぞれの番組のオリジナル曲ではない。

※針が取り付けられて動き始めた様子はこちら
※2012年4月から、広報番組の番組名が一部変更された
【2012年7月31日追記】花時計と噴水は、庁舎建設の準備工事の段階で撤去されることが分かった。
【2012年8月10日追記】↑花時計の撤去は一時的なものであり、新庁舎周辺に再設置することが検討されていることが分かった。噴水は完全撤去。こちらの記事にて
【2016年3月17日追記】↑と思っていたら、新庁舎には設置されないことになっていた。
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カンキツいろいろ2

2012-03-19 23:21:42 | 動物・植物
この記事に続いて、静岡のカンキツ類の試験場見学のうち、見本園の話。
※実際に見た順番とは入れ替えて紹介しているものもあります。
小さな果実はスダチ
カボスと同じく、熟すとちゃんとオレンジ色になるのは、さすがカンキツ類。

お次は、
ヒョウカンだって
洋ナシやナスビのような形がおもしろく、来場者に注目されていた。
ヒョウタンのような形ともいえる(くびれてないけど)ので、「瓢柑」なのは察しがつく。
近くには同じ形で色が黄色いのも。
ユゲヒョウカン
帰ってから調べると、「弓削瓢柑」だそう。愛媛県の瀬戸内の「弓削島」にちなむのだろうか。
弓削瓢柑は、各地で少量ながら生産されていて、味もいいらしく、果実やジャムが生産者からの直送で販売されている。果実断面の見た感じはブンタンに似ている。
ネット上では、弓削瓢柑を単に瓢柑としている場合もある。弓削瓢柑は台湾から移入されたとか、ブンタンの血が入っているという情報もあった。
いろんなカンキツが実る道。中央がユゲヒョウカン

でっかくて黄色いのは…
出ました! ブンタン!! と思ったら、
オオタチバナ?
オオタチバナとは「土佐文旦」のことだそうだ。
離れた場所には、
「平戸文旦」
土佐より平戸のほうが果実の形が整っているかな。
支えなしで自力でなっているようだ

ほかには、見た感じは大したことないものの、テング、イーチャンレモン、ユークニブ、チノット、モチユ、アタニーなどなど、一風変わった名前のカンキツ類がたくさん。
そうこうしているうちに、一般公開ルートの最上部、標高50メートルほどの地点を通過。
まだ上に園地があり、竹やぶや針葉樹もある
少し平坦な部分があり、あとは下りに転じる。
右下から登って来ました
前回紹介した地点よりも高さを増し、海側の眺めがいっそう開ける。
向こうにうっすら見えるのは、伊豆半島か

小さい木はバロチンベルガモット
ベルガモットといえば、紅茶のアールグレイの香りのもとでおなじみ。
アールグレイ【22日訂正】バロチンベルガモットの果実
香料となるのは果実の精油であり、苦いので生食には向かないとのこと。
大きさは違うけれど、葉っぱの感じがどことなくブンタンに似ている。

近くには、たくさん果実をつけた木があり、
こちらはただのベルガモット
ベルガモットのことを単に「バロチン」と呼ぶこともあるようだが、ここでは別物ということだ。
「バロチンベルガモット」と「ベルガモット」の違いは不明。

レモン・ライム類の一角。
最近たまに売られているマイヤーレモン
オレンジとレモンの交雑種とされている。

ごつごつしたラフレモン
レモンでも、熟すとオレンジ色になるものも多いようだ。
レモンやライムは枝に長いトゲがある。
スイートライム
ライムは熟すと黄色くなるのか。ただし、この段階では独特の酸味が抜けてしまうので、青いうちに収穫して使う。

見本園の最後は、
でーん
前々回の屋内展示で強烈なインパクトがあった、3キロもある巨大な果実(ブンタンの一種)の木らしい。
さっきのオオタチバナ、平戸文旦と比べても、果実もデカいが、葉っぱもデカイ!
地面につきそう
さすがに枝だけでは持ちこたえられないらしく、紐で吊り上げるなど支えが入っていた。


さまざまなカンキツ類の実物、しかも多くは実っているところを見られて、とても貴重な体験だった。木や園内の手入れも行き届いていたし、駿河湾の眺めも楽しめた。
試験研究機関ではあるわけだが、年1回といわず、例えば花の咲く時期なんかにも一般公開してくれればまた別の楽しみがありそう。

長くなって申し訳ないですが、まだ続きます
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八橋の道・カプセル信号

2012-03-18 23:28:42 | 秋田のいろいろ
おとといの記事で、雄物新橋そばに1台だけ、フード(庇)の代わりにカプセル状の物体が取り付けられた信号機を紹介した。
その記事へのコメントで、建設中の八橋地区の新しい道路にも、同じものがあるとの情報をいただいたので、見に行ってみた。
八橋の道の前回の記事

場所は、当ブログでいうところの開通済みの「B工区」北端と工事中の「C工区」南端の境界。
新しい道が、新国道の「八橋大畑」交差点と草生津川に架かる「イサノ橋」を結ぶ狭い市道と交わる場所。
前回の記事ではまだカバーがかかっていた信号機があったが、それが稼動していた。
B工区側からC工区を見る。右が新国道方向
「トーセン」があった部分も、舗装されて道路らしくなったが、その部分だけはまだ封鎖されていて、現段階では丁字路の状態。
交差点を背に通行止め部分(奥が北)
「車両通行止」と看板が立っていたので、歩行者は進入してもいいのでしょう。(だったら柵の配置をもうちょっとなんとかしてほしい)

西側から。奥が新国道、右がB工区、左が未開通のC工区
上の写真の右奥に、あまり新しくないアパートがある。「とがし第二アパート」という。
ここに信号機を設置する際の入札公告では、この交差点を「とがし第二アパート前」と称していた。まあ、他に名前の付けようがないでしょうけど…

南北の新しい道を通る車が見る信号機は、両面設置なので計4台。
未開通のC工区側通行止め部分を向いた信号機もカバーが外れて稼働していた。
通行止め部分からB工区を見る
その4台すべてに、カプセル状のフードが付けられていた!
 
試験設置の場合、比較や万一の不具合に備えて、同じ方向を向いた信号機のうち一部のみがその対象となることが多いと思う。
しかし、ここは同じ方向の信号機全部がカプセル。しかも、これは着雪防止が目的かと思われるが、現地は住宅地なので取り立てて吹雪きやすい場所ではないと考えられ、ここを試験地とするのはそぐわないようにも感じる。したがって、これはある程度本格的な採用ととらえてもよさそうにも思える。

メーカーは日本信号。雄物新橋のカプセルが付けられていた信号機と同型で、この道の他の新設箇所(通常のフード)と信号機本体は同じことになる。

カプセルを真下から見ることができた。
 なんとも不思議な形状(点灯していないように見えるのは、カメラのシャッタースピードの都合)

横から見ても不思議

歩行者用信号機は全方向に設置されており、これも他の箇所と同じ薄型・長いフードの日本信号製。「2011年11月製」とあった。
そして、ここも、
「歩車分離時間別運用」
A・B工区境界の交差点と同じく、時間帯を区切って歩車分離式となるようだ。
それにしても「歩車分離時間別運用」って表現、なんとかならんもんでしょうか…

この交差点は、カプセルのほかにもおもしろい点がある。それは東西方向の既存の道側の信号機。こちらは1方向につき片面1台の設置。
東隣の交差点。奥が新しい道の交差点
新しい道の新しい交差点の東隣(新国道寄り)100メートル弱のところには、以前から信号機付きの交差点があった。
上の写真のように、4方向の車両用信号機を1つにまとめてぶら下げたタイプの信号機(集約式・懸垂式)が設置されている。
以前の記事で主に紹介したのは、近くの別の交差点のものだが、そこと同型のものがここにも設置されている。

東西の道を走る場合、既存の交差点と新しい交差点が連続することになり、不都合(誤認や渋滞)が生じるので、その対策が施されている。
新しい交差点から既存交差点(赤丸)を見る
イサノ橋から新国道へ向かう車が見る信号機も、(たぶん)日本信号製だけど、フードは通常の長いタイプ。西向きだからこれこそ着雪しやすそうにも思えるけど。

上の写真では、奥の既存交差点の信号機が点灯していないように見えるが、それが対策の1つ。(誤認防止)
既存交差点のぶら下がっている4台のうち、西側向きの1台だけが、今回更新された。
 このように
電球式からLED式になっているが、それだけでなく、青だけ「視角制限灯器」になっている。
おとといも視角制限灯器を紹介したが、それは左右方向の見える角度・位置を制限するもので、板(ルーバー)は縦方向に入っていた。一方、こちらは前後方向に制限するもので、横方向に入っている。
縦よりも横のほうが板の枚数が多いようで、たぶん21枚(縦は17枚?)。おそらく信号電材製。

逆方向、新国道からイサノ橋へ向かう側は、既存交差点は変更なし。
先方に位置する新しい交差点のほうが、やはり
青だけ視角制限
新しい交差点の中で、この信号機1台だけ信号電材製。(2012年2月製)
視角制限の装置は、付けられるメーカーが決まっているようで、日本信号製には取り付けられないのでメーカーが違うのだろう。ネジ穴の位置など物理的な問題なのか、特許などの問題なのかは分からないけれど。
それから、この信号機の赤灯と黄灯は、従来型の小粒のLEDだった。(青灯は視角制限の関係で、直接LEDの粒が見られない)秋田市内にも設置されているように、信号電材からも大粒のLEDの信号機が出ているのに、最近製造されたこれが小粒なのが不思議。

これら連続する新旧の交差点の信号機は、連動している。
歩車分離でない時間帯は、常に同じ方向どうし同じ色を示すもので、それにより東西方向の渋滞を防ぐのだろう。


というわけで、この一帯の車両用信号機をまとめるとこうなる。
上が北
この一帯は、青だけ視角制限のもの(これはそんなに珍しくもない)。まとめてぶら下がった信号機で、うち1台だけ別モノ。そしてカプセルフードが4台もあるといったわけで、なかなか個性的な信号機が集まっている場所。
つまり、ここで見られる“普通の”信号機は、イサノ橋から新国道へ向かう側の1台だけになる。


で、この道路が完成・供用されるのは、いつなんだろう?
秋田市建設部道路建設課のホームページによれば、ここのことだと思われる「都市計画道路外旭川新川線道路舗装工事その2」が4月10日まで行われることになってはいる。



【19日追記】青森県の地方紙(主に八戸周辺)「デーリー東北」のサイトに今日アップされた記事で、このカプセル状フードらしきものに触れていた。
「LED信号機に弱点 発熱少なく雪解けず」という記事で、LED化が進む一方で、雪が融けにくいという問題点があり、青森県警交通規制課が頭を悩ませているというもの。
「11年2月から青森市内6カ所で、着雪防止に向けた3種類の実験を進めている。」そうで、「一つは「フラット型」で、信号機全体の前面を平らにし、着雪や積雪を防止する方法。二つ目は、レンズの上半分に半球型のカバーを付ける策。最後は、電線が入った薄いフィルムをレンズに貼り付けて発熱させる「フィルムヒーター式」の検討。」「どの種類の実験でも吹雪の時には効果が出にくく、決定打とはなっていない」とのこと。
2つ目の「レンズの上半分に半球型のカバーを付ける」って、このカプセルのことだろうか? 上半分というよりも、レンズ全体を覆っているのだけど。

2020年12月に、懸垂式信号機が撤去された(信号なしの横断歩道化)。
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カプセル信号

2012-03-16 23:56:41 | 秋田のいろいろ
昨年、青森市で見た珍しい信号機2種類のうち、カプセル状のフードを取り付けたものが、秋田市内にも設置されていた!

場所は、雄物川右岸の堤防上の道路。
秋田大橋から下流に向かい、国交省茨島出張所、新屋水門(秋田運河)を越えて、雄物新橋の手前・船場町への旧道が分岐する変則的な形の交差点。
下流方向を見る。左は堆雪場の雪山

以前(昨年5月)はこうだった
昨年の春時点では、正面の信号機だけが新しいLED式に更新され、右手前は電球式だった。
現在はこうなっている
アームが1本から2本タイプに変わっている(秋田県警はアームの仕様がコロコロ変わる)、右手前の信号機がそれ。
(歩行者用信号機の一部は電球式から薄型LED式に更新されている)
※以下、撮影条件のため写りが悪いです。それから間違って画像サイズを少し大きくしてしまいました。面倒なのでそのままアップします…
 
カプセルは青森にあったのと同一のものと思われる。信号機本体も日本信号製の粒の大きいLEDで同仕様。
同じ交差点内でカプセルが付いた信号機は1台だけ。
正面でなく右手前の補助的な信号機であること、海に近い川沿いで風が強い場所であることを勘案すれば、青森など他県同様、着雪防止のための試験的な設置だと思われる。

僕はこの交差点をたまに通るのだが、いつもこの信号機を見ない方向で通過する。
実は、この信号機の裏側の信号機が更新されていることには、昨年の秋頃に気づいていた。おそらく、その時に、両面一緒に更新されたのだろう。
ということは、この冬を越したわけで、成果はいかがだったでしょうか。


ところで、カプセルの裏側(というか本来はこっちが表か)の信号機もまた、少し変わっている。
空と同化して分かりにくいですが
上の写真左側の信号機のことだが、とても分厚く見える。
カプセルのほうとはメーカーが違い、信号電材製。裏面に凹凸がなくツルツルのデザイン。
表から見ると、ゴツイ
これは、信号機本体は通常の厚さ(薄さ)なのだが、フードがゴッツイのだ。
この記事でも紹介しているが、フードに細かい板が何枚も入っていて、それによって信号機の点灯色が見える角度を狭めることができるもので、「視角制限灯器」と呼ばれる。
交わる道どうしの角度がきつかったり(フードに板を縦方向に入れる)、踏切の先や交差点が連続している場合(板は横方向)、誤認や見切り運転を防ぐために設置される。

視角制限灯器自体は、けっこう昔からあり、秋田市では1980年に設置されたと思われる明田地下道付近のものが古い。
 青灯だけが視角制限
板が6枚くらいしか入っていないので、角度によっては見えてしまう。
現在もこのタイプが製造されているらしく、県によっては新設されているが、秋田県では見かけなくなった。(明田地下道付近でも一部は下記の新タイプに更新されている)
秋田県警では、堤防の交差点のような板が細かいタイプを好んで導入しているが、このタイプは基本的には信号電材しか製造していないようだ。特許の関係だろうか。
板は17枚かな?
いかめしく見えて、平らな部分に雪が積もってしまう恐れはあるが、かなり厳密に見える位置(角度)を調整して制限できるようだ。

この交差点は、堤防上の道と、雄物新橋から上がってくる道がほぼ並行して交わる部分があるため、視角制限灯器が活躍している。
歩行者用信号機は2002年製だが、車両用も同時期製造かもしれない。
堤防の下・雄物新橋側から
上の写真では、青を示している2台が新橋からの道用。左端と奥の計2台が堤防の上の道用だが、視角制限されているので色が見えない。(奥の裏側が、カプセルが付いた信号機)

堤防の上の道から
赤の左2台が、さっきは見えなかった信号機。
右端が堤防下からの道用のもので、青なのがかすかに見えるが、実際には車両はもっと左側の視点なので、ほとんど見えないか、見えても間違えない程度だろう。

で、話を今回カプセルが付いた信号機に戻します。
現在は標準的な視角制限の装置が付いているが、以前ここにあった信号機は、1台だけ違っていた。
 これなのですが
フードの形状がやや異なり、フードの前に透明な板がついていたのだ。
 横から見ると分かるでしょうか
これもおそらく、着雪防止だろう。板の間に雪が入りこめば、やっかいだから。
しかし、他の信号機には普及しなかったし、上記の通り、現在は通常のタイプに更新されたから、実用化しなかったのだろうか。
実は上の写真では、透明な部分に黄砂などが付着して汚れていて、若干見づらくなっていた。


珍しい信号機が1つ消え(透明板付き視角制限)、その裏に別の珍しい信号機(カプセル状フード)が登場したことになる。
青森で見た、薄っぺらい板状の信号機は、秋田には登場しないのだろうか? →その後登場しました

※コメントでお知らせいただいたように、カプセル状フードの信号機が、秋田市内の別の交差点にも複数設置された。次の記事で。
※2013年になると、カプセルに視角制限の機能を持たせたものが登場した。この記事後半
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新駅/ダイヤ改正

2012-03-15 21:03:20 | 秋田のいろいろ
●外旭川・泉新駅
以前お伝えしたように、秋田市の外旭川・泉地区付近のJR奥羽本線(秋田-土崎間)に、新しい旅客駅を作る構想がある。
先日触れたが、秋田市の来年度予算で449万円かけて、それに関する調査が行われることになっている。来年度は駅設置を主要公約の1つに掲げていた市長にとって、実質任期最終年度でもある。

そんなことを知っていれば、特に驚くべきことでもないが、今日の秋田魁新報社会面(28面)に、「泉・外旭川新駅構想 新年度に基礎調査 秋田市 関連経費を予算化」という中ぐらいのサイズの記事が出た。魁のサイトにも、同じ記事の前半(半分強)がアップされている。
14日の秋田市議会建設委員会で市から説明があったそうで、新駅整備による人口・土地利用・地価への影響などを公募型プロポーザルで委託して調査するもの。秋田市のホームページに、新駅に関するコーナーを新設し、調査状況などを公開していくという。

サイトにはアップされていない、新聞記事後段では、「建設候補地は(中略)菅野地下道近く」「新駅建設費は数億円から数十億円とされる。」といった情報が分かった。※地下道についてはこの記事

以前の繰り返しになるけれど、個人的には、駅は建設したほうがいいと思う。
秋田市の都市の規模、駅建設予定地周辺の人口、バス路線網が不十分なためバス停から遠い一帯があること、バスの運賃の高さ、バスや自家用車では渋滞が発生すること、そして高齢化が進んで将来的に自家用車を利用しない(できない)人が増えることなどを踏まえれば。

新聞によれば、建設費は学校を1つ建てるくらいのお値段というところだろうか。(周辺の道路整備などにさらにかかるのだろうが)今までさんざん道路建設につぎ込んできた費用に比べれば、この程度の投資はしてもいいと思う。


ツイッター内を「外旭川」で検索すると、この話題に関して現時点で15件ほどのつぶやきを見つけた。
前々から話があったわけだが、魁のサイトに出たことで多くの人の目に触れて興味を呼んだのだろう。
14件のほとんどは、好意的あるいはやっと話が進むのかという反応だった。「自分の高校時代にここに駅があれば便利だったのに」といったものも。
しかし、2件ほど、否定的というか必要性に疑問を感じるといった内容のつぶやきもあった。

いろんな考えがあるのは当然だし、魁のサイトの情報だけでは内容が不十分(建設費用についての記述がカットされる等)なこともある。そもそも、駅設置が実現するかどうかはまだ分からない。
でも、反対する方々(別にこのお2人にというわけでなく)に伺ってみたい。
「もし、あなたがこの駅建設候補地の近くにお住まいでお子さんがいたとして、そのお子さんが中学生や高校生になって買い物や学校へ出かける時、あなたが毎回、店や学校まで車を運転して送迎するのですか? あるいは暗い夜道や雨・雪の中を自力で歩かせるのですか?」
「あなたは今、自家用車を持っているのかもしれません。でも、歳を取っても車を安全に運転し続ける自信はありますか? 車を維持し続ける費用や必要性がありますか? そして車を使えなくなった場合、外出時はどのような交通手段を使うつもりですか?」
こうした点を考えれば、公共交通機関を充実させるべきだし、駅を造る費用など微々たるものだと思うのだが。

※続きはこの記事後半


●JRダイヤ改正
そういえば、17日土曜日はJRのダイヤ改正。
寝台特急「日本海」の定期列車としての廃止(臨時列車化)が話題になっている。※以前の記事

それ以外には、秋田地区ではどういった変更点があるのか、昨年12月16日付のJR東日本秋田支社のリリースから拾ってみる。
特に取り上げないけれど当然ながら、秋田新幹線・各在来線とも軽微な時刻の変更(移動)や編成の増減はある。
※利用の際は、最新の時刻表や駅でご確認ください

・日本海代替
日本海で寝台でなく座席列車としての利用ができていた秋田・東能代と青森方面については、廃止に伴う代替列車の新設はない。弘前駅で秋田方面の普通列車と青森方面の普通列車を接続させることで対応する。
弘前-青森の普通列車は現行とほぼ同時刻で、それに合わせるために秋田-弘前の列車の時刻が数分~20分程度、上りでは繰り上げ、下りでは繰り上げられる。
大館駅などでの長時間停車の切り詰めも行われると考えられ、秋田-弘前間の所要時間は、下りが2時間32分、上りに至っては2時間28分。普通列車としてはかなり速い(過去には同程度の列車が存在したことはあった)。
ちなみに現在の日本海の同区間は、下り2時間24分、上り2時間14分だから、大して違わない。
乗り換えを含んだ秋田-青森間で比較しても、日本海より10分強余計にかかる程度。

この差の小ささは、日本海は加減速がしにくい機関車が引っ張る客車列車だということと、普通列車用の701系電車の性能の良さの違いによるもの。
でも、窓を背にして座る「ロングシート」の列車でしかも下りは朝の通学ラッシュ(大館付近など)に巻き込まれるわけで、快適性においての配慮もほしいところだ。

下りの日本海代替列車の役目を担うことになった秋田発弘前行き普通列車(現1635M、改正後1633M)は、秋田駅における奥羽本線下りの始発列車でもある。
僕が弘前にいた頃は、何度も利用した。当時は、秋田を5時50分近くに発車し、弘前に8時40分過ぎに着いていたような気がする。
徐々に時間が前倒しされ、所要時間は若干短くなって、現在は秋田駅を日本海(5時36分発)に続行して5時42分発、弘前着8時24分。
改正後は秋田発5時33分、弘前着8時05分となる。弘前着が早い! 時刻上は、秋田から弘前へ通勤・通学が可能になりそうだ。


また、現在は朝に碇ケ関始発弘前行きの短区間普通列車があるのだが、それがこの秋田始発の列車に統合される形になり、廃止される。


・普通列車の増発と減便
今回は、比較的短区間において新設される普通列車が複数ある。
奥羽本線では夕方の弘前→碇ヶ関、夜の湯沢→横手の各1本・計2本。
羽越本線では朝7時台の秋田→新屋と折り返しの新屋→秋田、夕方の酒田→羽後本荘(既存の羽後本荘→秋田を延長)の各1本・計3本。

一方で、廃止(運転取り止め)される普通列車もある。
上記の繰り返しだが、日本海関連で朝の碇ケ関→弘前の1本。
羽越本線の山形県内完結の、13時台の酒田→吹浦、吹浦→酒田の各1本。
男鹿線では、下りの秋田発11時台、上りの男鹿発12時台と14時台の各1本・計3本。
五能線の東能代-能代間の1駅だけのピストン輸送列車のうち、下り東能代発11時台と14時台、上り11・14・21時台の各1本・計5本。また、同区間の列車は現行はほとんどが2両編成だが、改正後はほぼすべてが1両編成に減車。


身近なところでは、朝に新屋折り返しの列車が増発されたのが興味深い。2両編成でワンマン運転とのこと。
この時間帯は、下りは沿線から秋田市への通勤・通学で混雑し、上りは秋田南高校と新屋高校への通学輸送がメインだと考えられる。

上りでは、現行は、秋田駅発7時と8時のほぼジャストに1本ずつあるので、その間(7時34分)に新たに1本増えることになる。
8時台の列車に数年前に乗った印象では、6両編成であることと、乗客がほぼ南高と新屋高校の生徒だけだからさほど混雑せず、増発するほどではないようにも思える。ただ、男鹿線(現在は7時27分着、改正後は19分着)から乗り継ぐ人にとっては、秋田駅での待ち時間が短縮されることになる。
上りではさほど需要がなさそうだから、下りに使う車両の回送を兼ねた営業運転なのかもしれない。

下りでは、現ダイヤでは新屋駅は7時37分(酒田始発)、8時00分(道川始発)辺りが通勤通学列車だろう。
改正後は、既存列車の時刻が繰り上がって7時24分、7時47分となり、新設された新屋始発が7時59分。
利用者のみなさんがどう捉えるか分からないが、秋田市内での混在が多少緩和されるということだろうか。


それから、男鹿線が減便されるのが意外。
男鹿線はディーゼルカーが走ってローカル線の印象を持たれるかもしれないが、秋田市との通勤通学、買い物や通院での一定の需要がある。
朝の上り列車は6両編成(JR東日本のディーゼルカー列車では最長だとか)で運行されるし、ここ10年以上は1時間に1本必ず運行されていた。減便されるのは、乗客が少なそうな時間帯ではあるが、分かりにくくなりそう。

また、男鹿線の列車が乗り入れる奥羽本線の秋田-追分間では、その区間だけの利用者も相当いる。奥羽本線の電車と合わせれば、ほぼ1時間に2本列車があることになり、秋田においてもっとも列車が利用しやすい区間だと言える。
男鹿線減便に伴う影響を見ると、下りでは、現行は11時10分の大館行きに続いて男鹿行きが16分とわずか6分間隔。これが廃止されて大館行きは08分発になる。これはあまり影響ないだろう。
上りは、男鹿線・奥羽本線とも前後の列車の時刻が数十分変更されているものがあり、著しく間隔が開かないように調整しているようにも読み取れる。それでも、秋田着で見ると12時42分着の次は13時51分で53分、14時27分の次は15時16分で49分と、当然ながら減った分、運転間隔は開くことになる。


減便については、リーフレットに載っていない(少なくとも秋田駅にあったのには)し、それ以外でも時刻が移動したり、運行順序が入れ替わったり(羽越本線上り14~15時台は、14:46酒田行き→15:11新屋行き→15:35羽後本荘行きだったのが、14:30羽後本荘行き→15:16酒田行き→15:35新屋行きに変わる)しているものが少なくないので、利用前にご確認を。
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こまちらし

2012-03-14 21:25:21 | 各地お土産・食べ物
昨年9月に第一報をアップしていた、秋田新幹線開業15周年を記念した、産学連携の駅弁が8日から発売された。

昨年12月18日の秋田魁新報と今年2月24日付のJR東日本秋田支社のリリースによれば、12月17日に最終審査会(最終プレゼン)が行われ、秋田市新屋にある秋田公立美術工芸短期大学の学生3チームが発表した。
同短大産業デザイン学科の官能右泰(かんのうすけやす)教授の「地域対応演習」という授業(1・2年生どちらも履修できるらしい)で、昨年9月から学生17人が3チームに分かれて料理、パッケージ、名前を考案したとのこと。

その結果、「お祝い」と「春」をテーマにした「こまちらし」に決定。関根屋が製造して3月8日から約3か月間発売されることになった。1100円。
JRのリリースによれば、発売箇所は秋田、大曲、角館、田沢湖の秋田県内のこまちが停車する全駅の売店などとこまちの車内販売。
秋田駅では、NEWDAYSのほか、関根屋、NREそれぞれの単独駅弁売り場でも扱っているそうだ。

発売初日の8日は、中央改札口のNEWDAYS前で学生たちが呼び込みを行い、テレビで報道された(新聞記事にはならなかったかな)。
それによれば、当初1時間かける予定だったが、15個だか30個がわずか13分だか18分(←かなりうろ覚えですが)で売り切れたそうだ。

その中央改札・新幹線側横のNEWDAYSでは、9日以降ものぼり旗やPOPを出している。でも、
この時は売り切れていました

後日、入手。
「祝15周年! こまちらし」
のし紙と春・桜をイメージしたパッケージとのこと。デザインは美術系短大の学生だけに得意のものでしょう。
正面から見たE3系電車の顔(「JR東日本商品化許諾済」と記載がある)、大きな桜の花の中には「おめでとう15周年! お祝いのちらし寿司弁当です。」といった説明や商品企画&デザインを美短の官能ゼミが行ったことが記載されている。
E3系の上に四角く「15th」とあるのは、シール貼り。

ちょっと気になったのが、水引(紅白のライン)。
本来であれば、左が白で右が赤なのに、これは逆になっている。何か意図があるのだろうか。


原材料やバーコードを記載したシールでは、商品名は「こまちらし弁当」となっている。
製造者は関根屋名義で連絡先も同社のもの。しかし、バーコード(JANコード)は「45802217」で始まるもので、京都の「鐘通」という電子機器関係(?)の企業に割り当てられた番号。関根屋なら「45802213」なのだが。謎。

パッケージを外す
厚紙製のパッケージは、裏面にも桜と水引がデザインされている。
容器は八角形。割り箸はあるが、少し前まで関根屋の駅弁標準装備だったウェットティッシュはない。(つまようじもなし)

ふたを取ると
きれいでかわいい
最近は弁当の上に、透明なシート(JRのリリースでは「保護フィルム」)が乗っているが、このフィルムはこまちの車両が円形にデザインされ、中央に「Komachi 15th Anniversary」の文字。こまちは簡略化された可愛らしいデザインだが、ちゃんと6両編成。
こまちをかたどった「秋田新幹線こまち15周年記念駅弁紹介カード」も入っている。

箸袋もこまちをデザイン

箸袋裏側とカードの中身
紹介カードには、弁当の品書きと秋田新幹線の15年間の歩みを掲載。

お待ちかねの中身。
容器は、中の区切り方は違うが、一昨年の「あきたの宿おかみ弁当」のものと同じだ。
これが正規の向きのようです
品書きによれば、中央が「あきたこまちの山菜ちらし(穴子・かんぴょう入り)」。
8つに区切られた外側は、てっぺんから反時計回りに、(てっぺんは記載がないが紅しょうが・カラシ・醤油)、「ごぼう甘辛煮」「はたはた蒲鉾」「だし入り厚焼き玉子」「里芋、人参の煮物」「比内地鶏つくね串」「さくらこまち饅頭(さくら餡)(皮はあきたこまちの米粉入り)」「えびしゅうまい」。

以下、食べてみての個人的感想です。
ちらし寿司は、酢飯があまり酸っぱさを感じない。
個人的にはもっと酸っぱいほうが好み。(山陰の蟹の駅弁はどれもかなり酸っぱくてよかった)

でも、おいしい。特に穴子が柔らかくて、味付けが濃すぎずいい。

玉子焼きは既製品っぽい感じだけどおいしい。
シュウマイは大きめで味もいいけれど、若干水っぽいというか柔らかすぎる感じもした。
このシュウマイ1つのためだけに、カラシと醤油が付属するのがもったいない。

デザートは、
桜の花が載った白いまんじゅう

あんこはピンク色で桜の葉入り
あきたこまちの米粉入りとなっているが、ナガイモが入った「薯蕷(じょうよ)まんじゅう」のようだ。(米粉は「つなぎ」だろう)
皮はモチモチしていて、本格的だった。
あんこは、見かけほど桜の味がしなかった(ランチパックの桜あんのほうが桜の味がしっかりしていた)。これだったらこしあんのほうがよかったな…
以上、感想でした。


今までの関根屋さんの駅弁といえば、新商品でも他の駅弁から持ってきたようなおかずがいくつか入っているのが多かった。しかし、このこまちらしにはそういったものは少なく、定番の「いぶりがっこ」すら入っていない。
ちらし寿司やシュウマイ、まんじゅう(大福餅は前例あり)が秋田駅弁に入るのは初めてかもしれない。

こまちらしを開発したのは美短の学生なわけで、料理に関する知識が特に豊富というわけではないだろう。製造する関根屋側の都合とかコストもあるから、好き勝手におかずを選んで決めたわけではないはず。
「数回のコラボ会議」が行われたというので、その席上で学生と関根屋のすり合わせがされたと考えられる。

JRのリリースでは、ちらし寿司のほかにはつくねと蒲鉾がメインに位置づけられているような書きぶり(他のおかずへの言及がない)。
でも、個人的な感想としては、つくねや蒲鉾には、あまりインパクトがなかった。

全体的に見ても、量やデザインからすると、どちらかといえば女性向きのような感じもするが、おかずの内容はそれほどでもないように感じる。
それほど「秋田らしい」とか「春らしい」という感じもせず、単なるおかずの寄せ集めにも見えた。例えば、もっと秋田の素材を使ったおかずを増やすとか、「これこそがメインだ!」というおかずを際立たせるとかしてもよかったのではないだろうか。
あと、まんじゅうもいいけれどフルーツ系のデザートもほしい。リンゴとか桃のコンポートとかゼリーとか。

こまちらしに限らないことで、事情もあるのだろうが、関根屋の駅弁は若干価格が高め。これで1100円は高い。せめて1000円ポッキリなら、多少買いやすくなる。味はいいんだから。



2月に新幹線に乗った時の話。
JR東日本の車内誌「トランヴェール」では、表紙を開いてすぐの目次の横に「EKIBENギャラリー」という連載があり、管内の駅弁を紹介している。2月号で連載110回目だったから、9年も続いてるの?
その2月号では2種類が紹介されていたが、うち1つが「東北二食めし~秋田・青森編~」というのだった。(http://www.nre.co.jp/news/obj/file/000/089/111101-1136_pdf.pdf)
※NREのサイトによれば、これは昨年11月~2月の発売で、ほかに昨年8~10月には「福島・宮城編」が出ていて、現在3月~5月は「岩手・山形編」が出ている

車内販売アテンダントが企画した、両県の代表的な料理が味わえるというもので、秋田・青森編では「あつあつ亭の横手焼そば、きりたんぽ鍋風煮物、いぶりがっこ、牛焼き肉丼、りんごシロップ漬など」からなる。※サイトによれば焼き肉丼には「スタミナ源たれ」使用
NREから1000円で発売され、販売場所は「JR東日本の新幹線および在来線特急の一部列車」だけで、駅では売っていないらしい。(←じゃあ「EKIBENギャラリー」に入れていいのか?)
しかも「2月末までの限定販売となります」だそうで、これは買ってみなくちゃと思いながら乗っていた。

しかし、その時の「こまち」では扱っていなかったようだ。(他のお客が「お弁当は『いかめし』しかございません」と言われていた)
ということで結局食べられず、残念。
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西口バス乗り場看板

2012-03-13 23:13:33 | 秋田のいろいろ
秋田駅西口のバス乗り場。(冒頭の写真は左がぽぽろーど)
以前から、自由通路・ぽぽろーど側(バス案内所のある側)から乗り場に向かうと、4列ある乗り場の屋根の上に、その列の各乗り場から乗車できる路線名が表示されていた。(市営バスがあった頃はこの表示がなくて広告だった)
 (再掲)
昨年10月に系統番号の表示が始まった際には、系統番号を併記したものに更新されていた。
写真を撮っていなかったが、上の写真の番号表示前の表示と同じ書式で、路線名の後に系統番号を書き足したようなものだった。
【4月11日画像追加】かろうじて写っている写真がありました(2012年2月撮影)

それからまだ半年経っていないのに、先週の木曜・8日に、その表示が更新されていた。

書かれている情報としては、以前とまったく同じ。デザインだけが変わっている。
2列目、2~5番乗り場
板を乗り場ごとに縦に区切り、その中で路線名と番号を横書きしている。

また、いつの間にか、反対のアルス・フォーラス側にも同じ表示が設置されていた。(昨年6月の時点では設置されていない【4月11日追記】今年2月1日の時点でも未設置)


今回の案内表示更新の費用を出したのは、中央交通か秋田県バス協会だろう。
内容は変わらないのに前の表示を半年も使わないで換えてしまうなんてもったいない。そのおカネを使う場所は他にあるんじゃないだろうか。


表示内容が変わらないということは、分かりやすさも以前同様。(「見やすさ」は多少改善されたと言っておきましょう)
いちばん奥の4列目、10~13番乗り場
10番乗り場の中央交通と羽後交通や秋北バスが共同運行している高速バスは普通に書いているのに、羽後交通単独の急行本荘線は、路線名と会社名の頭になぜか「*」が付いている。それはいいとして、

11・12番線を発車するバスはすべてが「新国道経由」。セリオン線・五城目線・追分線も新国道を通る。
なのに表示板の路線名は一部にしか「新国道」表記がない。
これは、「寺内経由土崎線」に対しての「新国道経由土崎線」という意味なのだろう。
前も書いたけれど、利用実態を踏まえれば「何線であるか(行き先を中心とした路線名)」よりも、「新国道経由であるかどうか」を知らせたほうが適切な案内になると思う。

3列目、6~9番乗り場
他の列でも同じだけど、路線名と系統番号の対応が分かりにくい。新屋西線とか仁井田御所野線などは1つの路線名に対して5つも系統番号が併記されているのに、その違いについて説明がない。
しかも、実際に来る車両の行き先表示は「720 西部市民センター」で、「新屋西」とはひとこともない。

系統番号・路線名・行き先(終点名)の3つを、バランスよく・分かりやすく使った案内ができていないと思う。

手前の1列は1番乗り場だけで余裕ある配置
ここの「中央交通線140」と10番乗り場の「長崎屋・大川反車庫方面142」は、系統番号の表示が適切ではない。
以前から書いているように、140や142は、秋田駅西口始発・終点の便の番号。大学病院や御所野、御野場などを始発/終点とし、秋田駅西口を経由する車庫行き/発には、それぞれ別の番号が与えられる。
すなわち、西口の乗り場で長崎屋経由車庫行きに乗ろうとしても「142」ばかりでなく301とか311とか341とか511とか512とか521とか種々雑多な番号のバスが来るのだ。
 (いずれも再掲)
(他の案内を見れば分かるとは思うけれど)この看板だけを鵜呑みにすれば、乗り損ねてしまう恐れがあることになる。
これは「140」ですが…
※東営業所廃止・秋田営業所への統合に伴い、三平バスも大川反車庫行きに使われるようになった

先日、新屋西線に乗った時のこと。
高校生くらいのカップルが、新屋線に乗るべきなのに西線に間違って乗ってしまっていた。
彼らは秋田駅から乗ったようで、「7番線発のバス」と教えられ、同じ7番乗り場発の新屋西線に乗ってしまったらしい。(車内では運転士さんが親切・適切に対処していた)

誰が7番線と教えたのかは分からないが、本来であれば、系統番号を使って「7番乗り場の710番台のバス」と教えていれば、このような誤乗は発生しなかっただろう。(あるいは以前のように「新屋西」じゃなく「新屋」のほうと文字による明確な区別があれば…)

このように、系統番号表示はまだぜんぜん浸透しておらず、より一層の周知が必要だろうし、やり方を変える必要もあるかもしれない。


最後に、西口バス乗り場の「乗り場と路線の割り振り」そのものも分かりにくい。
市営バスから段階的移管をしていた当時は、毎年割り当てが変わっていたわけだが、それをそのまま引きずって、現在に至っている。
その結果、例えば、
・泉山王環状線は、方向によって乗り場が異なる(山王回りが2番、泉回りが3番)のに、茨島環状線はどちら回りも5番乗り場(牛島方面などと同じ乗り場)。市営バス時代は、大町(秋田大橋)回りは新屋線と同じ乗り場からの発車であり、そのほうが理にかなっていて分かりやすかった。
・2番(泉ハイタウン線と臨海営業所・県立プール線)、5番(牛島方面の一部、築地・明田方面、大回り線、茨島環状線)、6番(寺内方面と駅東団地線)など、まったく別方面の路線が同じ乗り場にまとめられているものがある。
・同時刻に発車することがない新国道経由各線が11・12番の2つを使っているのを始め、7番と8番(新屋方面)、5番の一部と9番(牛島方面)のように、乗り場を集約したほうが分かりやすいものがある。場合によっては、13個も乗り場が必要でないかもしれない。
といった、矛盾や問題点が生じており、その多くは割り振りを見直すだけで明快になるのではないだろうか。秋田駅西口のバス乗り場は、再編する必要があると思う。

秋田市が来年度いっぱいかけて実現するだか実現に向けて努力するだかの「秋田市公共交通政策ビジョン」にも、西口乗り場の分かりやすさについての言及があったと記憶している。
市なのかバス協会なのかバス会社なのか、誰が主導するのか知らないが、利用者の分かりやすさによりいっそう配慮してほしい。


なお、今の時期に看板が更新されたという点から、3月で廃止になる路線などはなさそう(新設も?)だし、ここ数年の例や中央交通の公式サイトから判断しても、秋田市内の路線バスダイヤの変更はないと考えられる。(高速バスや五城目・男鹿ローカル路線の変更は告知されている)
※4月1日からの変化についてはこちら
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