広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

凍る川埋まる道

2012-01-31 22:27:15 | 秋田の季節・風景
昨日あたりから今週末くらいまで、この冬最強の寒波がやって来ていて、新潟県など各地で大雪になっている。2006年の豪雪を上回りそうな所もある。
東北地方では積雪が青森市で約130センチ、1メートルを超えることは少ない弘前市でも100センチ超となって豪雪対策本部が設置された。
秋田県北部の北秋田市鷹巣(旧・鷹巣町=北秋田市中心部)では積雪が平年の2倍超の131センチ、秋田市雄和(旧・雄和町)では最低気温がマイナス13.0度と、観測記録を更新した(いずれも30日)。
※ただし、両地点とも観測開始が比較的最近(鷹巣が1979年、雄和が2003年)だそう。

秋田市中心部では、積雪30センチ、昨日の最低気温はマイナス8.3度(通常と比べればかなり寒いけど)、今日は真冬日で時折激しく吹雪いたものの、他地域を思えば、特別厳しいとも言えない。
2006年の豪雪は一度にどっと雪が降って大変だったが以後はあまり増えなかった。今季は、じわじわと増えて気がつけば大雪で、それが低温で融けずに残っているという、違った大変さがあるように感じている。(今のところの秋田市では)


でもやっぱり平年以上の寒さなので、寒い!
川が凍結している所がある。(川の水面付近だけが凍っているものと思われ、流れが完全に止まっているわけではない。)

まずは秋田市中心部を流れる旭川。川反付近でも一部凍っているし、少し下流の旭南・楢山地区でも。(この記事冒頭の写真も同じ場所から撮影。奥の山は太平山)
筋状に白くなり、一部茶色い
ここは凍結というより、川に投棄された雪が融けずに溜まっている状態だろうか。
川に雪を捨てるのは、洪水や汚染の原因でやるべきではないが、安全な道路通行を確保するという意味では…

さらに少し下って、イオン秋田中央店(旧・秋田サティ)裏側の旭川と太平川の合流点を、新国道に架かる「旭橋」から見る。
 (再掲)昨年6月に増水した時

現在
左の旭川・右の太平川とも、合流部分に薄く氷が張っている。

そして、秋田県一の大河、雄物川(おものがわ)でも。
秋田大橋から下流を見る。向こうの橋が雄物新橋、左側の岸が新屋地区

秋田大橋下流の新屋側の岸付近が凍っている
川底が見えるので、あまり深くなくて流れが淀み気味の部分なのだろうか。
毎年見ているわけではないが、たしか2000年1月には、秋田大橋上流側でもっと派手に凍結していた。


さて、秋田大橋たもとの交差点の歩道。
若干画像を暗くしています
歩道と車道の境には、車道から寄せられた雪が積み上げられ、あたかもガードレールのようになっている。
それは、バス停や横断歩道・交差点の部分でも、同じこと。車道の除雪車はあくまでも車道の雪を寄せる作業をしているので、歩道側に容赦なく雪を寄せていく。

そのままでは、歩行者は雪山を乗り越えて横断やバスに乗り降りしなければならない。
基本的には、そうした部分は近隣の住民・企業が雪山を部分的に崩して、通行できるようにすることになる。ボランティアなわけだ。(バス会社や道路管理者が除雪する場合もあるようだ)
上の写真の交差点では、左方向へ道路を横断する部分は、しっかり雪が寄せられている(赤矢印)。
それなのに、直進して横断する部分は、雪山になっていて、横断しづらい。(赤い×××部分)なお、向かい側は寄せられていた。

以前も書いたが、対岸の交差点付近では、歩道の除雪がされていない状態だった。橋のたもとだから、沿道に家も企業もなく、寄せる人がいないのだろう。
それに、ここは県道と市道が交わる交差点だから、両者の連携や分担がうまくできていないのかもしれない。
ここを歩いて通る人は多くはないが、それなりにいるのに。

話が逸れるけど、27日には、秋田市仁井田地区の田んぼ近くの県道の歩道を歩いて下校していた小学生が、雪に埋まるという出来事もあった。幸い反対側を歩いていた人が気づいてすぐに救助して大事には至らず、後日充分な排雪作業がされたそうだが、危ないところだった。
それを受けて、秋田放送のテレビニュースで県に取材していたが「従来は車道のパトロールを中心に行なっていた。県だけで歩道まで全部を把握できないので、住民が気づいたことがあれば知らせてほしい」といったことを話していた。

26日までの段階で秋田市役所に除雪に関する苦情・要望が4400件も寄せられたというが、その一方で、このように見過ごされてしまった箇所もあったことになる。(仁井田の件は県道なので道路管理者が異なるが、どちらにしても住民や道路利用者は気づかなかったということだ)

秋田大橋付近は人が埋もれるような危険性はなく、優先度が低いけれど同じことだと思う。クルマばかりでなく、もうちょっと歩行者が利用しやすい道路になってほしい。
以前から言っているが、道路管理者はもっと気を配ってほしいし、我々一般住民・道路利用者側も公共物にもっと関心を持ち、気づいたことはどんどん伝えるべきだと思う。
歩道の積雪状況の把握あるいは実際の除雪作業に関しては、例えば町内会や企業などと一種の“協定”を結んで見回りや除雪をしてもらうとか、「手が空いたら除雪してね」と要所要所にスコップを置く(富山県の「雪と汗のひとかき運動」や弘前市など先例あり)とか、積極的に住民参加を求めることも必要ではないだろうか。
【2月1日追記】先日、外旭川地区では、住民総出で地域内の通学路の歩道などの除雪作業を行ったそうだ(小学校前の「神田」バス停近辺などの狭い道だと思われる)。恒例行事になっているようだが、こうした動きまではいかなくても、住民が地元の歩行空間についてもっと関心を持つべきだと思う。


実は僕も秋田大橋を歩いて渡りました。しかも2回。上流側と下流側の歩道をそれぞれ。
秋田大橋は(というか秋田の海に近い橋はどこも)、下流側の歩道には防風のための板が設置されている。そのため、上流側より下流側の方が風を感じず、積雪も若干少なく、明らかに歩きやすかった。
ただし、特に両岸(橋のたもと)近くでは、風が強くて雪が飛ばされ、透明な氷が路面に張る「ブラックアイスバーン」状態の部分があったので、足元には充分注意。



話が変わって、こちらの記事などで紹介したように、雪に埋もれても発見しやすいよう、雪国では、冬場に消火栓に目印の旗を立てる。
秋田市でも、この冬も旗が立っているが、若干の変化が見られる。
この旗ですが
従来の毛筆で「消火栓」と書かれた旗ではないものが、一部で使われているのだ。同じく赤い布に白文字だけど、
「設置は義務です 住宅用火災警報器」
感覚としては、秋田市内の消火栓の半数程度がこの旗に替わった感じ。
従来の旗は木綿製だと思われるが、これは化学繊維系っぽい。
旗の上辺には“骨”のような細い棒が入っていて、風がなくても旗が広がって見える(一部骨がないものもある【3月1日追記】土崎消防署管内では骨がないようだ。秋田・城東両消防署管内は骨あり)。竿は従来のものを使っているようだ。
この火災警報器啓発の旗は、ガソリンや灯油などを扱う秋田市内の335事業所で作る「秋田市防火安全協会」が500枚作って、秋田市に寄贈したもの。

秋田市東通の城東消防署前。とてもきれいに除雪されている
消防署の前に消火栓があり、そこにもその旗が。
別に「消火栓」の看板も立っているし、そもそも消防署の前なんだから、看板も旗もいらないような気もしますけど…
※旗についてのその後の状況(リンク先後半)



明日から2月。
秋田市の気象データの平年値(1981~2010年の30年間)によれば、年間で積雪が最大なのが2月4日~5日の20センチ、気温が最低になるのは、平均気温が1月26日~2月1日のマイナス0.3度、最低気温が1月28日~2月4日のマイナス2.9度、最高気温が1月24日~2月1日の2.4度と、いずれも今頃から2月上旬にかけてが“底”。
明日も荒れ模様の予報だけど、立春を過ぎれば、暦どおりに少しずつ春に向かっていくことでしょう。

【2月1日】翌1日は気温が上がって強風が吹き(秋田市で最高気温3.8度、最大瞬間風速30.5m/s)、鉄道や航空の便が乱れ、秋田市では信号機が落下し、南秋田郡では電線が切れて停電。他にも内陸の仙北市の玉川温泉で雪崩が発生するなど、非常に荒れた天候になった。
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中心部小ネタ

2012-01-30 20:35:14 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部の小さな話題をいくつか。
●信号待ち改善
以前の記事で、秋田駅前から西へ伸びる「仲小路」が、市民市場の通りと交差する、ゆうちょ銀行秋田支店前の交差点の信号サイクル(赤・青が変わる周期)について触れた。
歩車分離式なのだが、歩行者用の赤信号が異様に長く、赤信号の間にATMでお金を下ろして戻って来られるくらい。
また、両隣(広小路の「久保田町」と中央通りの「市民市場入口」)の交差点の信号機と連動していないらしく、車両用が青なのに車両がまったく通過しなかったり、逆に車両用が赤の間に車が続々と流れこんでたまってしまう状態だった。
そのため、車が交差点内に残ったまま歩行者用が青になったり、歩行者が必要以上に待たされたり、信号無視を誘発させるなど問題点が多そうだし、秋田市中心市街地(駅前と仲小路の間)の「人の流れ」をせき止めてしまうようにも感じていた。
 (再掲)車両側は青なのに車は来ず、歩行者は待たされて信号無視してしまう人も

ところが、おそらく昨年末頃からだろうか、歩行者の信号待ちが短くなった。今までの感覚でいると、あっけなく信号が変わってしまい驚いた。
観察してみると、車両用・歩行者用の赤・青ともに時間が短い。すなわち信号サイクルが1周する時間が短くされていた。(歩行者用青信号は、音響式(視覚障害者付加装置)の「ピヨ」の鳴き声10回あるかないかくらいの気がした。赤信号もかなり短くなった)
待ち時間が短くなっただけでなく、横断できる時間も短くなってしまったわけだが、幅が広い道ではないから横断者が取り残されることはまずないし、目の前で赤信号になってもすぐに次の青になるから、大丈夫そう。
見た限り、車両の方もスムーズに流れていたので、従来のサイクルよりもこちらの方がずっといいと思う。

●明るい◯◯
昨年の大みそかの記事で、仲小路の街路灯が更新されたことを紹介した。
 (再掲)
シンプルな形だけど、LEDで明るい。
1基につきLEDが8個
その照明のポールの腰ぐらいの高さの位置に、何やら凹凸を発見。よく見ると凹凸ではなく、
「Panasonic」ロゴ
プレート取り付けでなく、本体の金属を型に流してロゴを浮き上がらせている。若干不鮮明だが、これだと取れてしまうことはない。

メーカーが分かったので、それを元に公式サイトを見ると、これはパナソニックのLED照明「エバーレッズ」シリーズの「モールライト」というジャンルの「Luminascape ROND (ルミナスケープ ロンド) 全方向配光タイプ」という製品。
LED8個タイプと4個タイプにそれぞれ昼白色と電球色が存在する。仲小路のはLED8個の昼白色(5000K)の「NNY22130 LE9」という型番のものだと思われる。
水銀灯200形相当、消費電力51W、光源寿命4万時間で希望小売価格は税込262,500円(税抜250,000円)。ポールは別売り(数種類から選べる)で10万円程度。

それにしても、まさに「明るいナショナル」「うち中、まち中なんでもナショナル」だ。あ、パナソニックか。

※その後、信号機の色も似たような色に統一された。

●チョッキン
ゆうちょ銀行前の交差点の秋田駅側の「秋田朝日生命丸島ビル」(1階に一乃穂の入るビル)前には、3本のメタセコイアの木がある。
 (再掲)
その木が、
こうなっていた
枝を一部刈りこまれたほか、てっぺんをチョッキンと切られていた。
秋田駅前のケヤキほど不格好ではないにせよ、若干格好悪くなってしまった気がする。
でも、メタセコイアの場合、大きくなりすぎるのを防いだり、風への耐性を持たせるため剪定が必要だそうで、強めに刈りこんでも大丈夫らしい(生きている化石といわれる種だけに丈夫なんだ)。
生育も旺盛なので、春以降にまた枝を伸ばすことでしょう。

●閉鎖地下道の中から…
先日紹介した、竿燈大通り「日銀秋田支店前」交差点の閉鎖されている「大町東地下道」。
今なお閉鎖されたままで、よく見ると4つの出入口のうち1つが、こうなっていた。
何やら地下道の中から…
上から下(底)を見下ろすことができた。もったいないことに内部の照明が点灯しており、内部の状況が分かった。
 底で何やら
階段を下りた底面では床板が外され、その穴の中からホースが伸びている。
そのホースが階段を伝って地上に出ていて、竿燈大通りの車道に向かって、
ちょろちょろと排水
常時、ほぼ一定の水量が車道に向かって放出されている。路肩を流れて側溝へ落ちるのだろう。
水は透明のようだが、水が流れ続ける歩道の隅のインターロッキングブロックや縁石は、赤茶色に変色してしまっている。

つまり、地下道の閉鎖の原因は、何らかの水が出続けており、その排水のため安全な歩行スペースを確保できないことだと考えられる。
その水の出所はどこだろう。雪?それともさらに下を通る秋田中央道路地下トンネル絡みの出水とか?
そして、いつまで閉鎖と排水が続くのだろう。長引くのなら、自転車専用横断帯となっている西側も歩行者用横断歩道にするとか、抜本的な対策が必要ではないだろうか。
【3月2日追記】その後、3月2日時点では、変化なし。【3月24日追記】3月23日時点でも、変化なし。【4月15日追記】4月15日時点でも、変化なし。【5月7日追記】5月7日時点でも、変化なし。
5月9日に封鎖が解除されているのを確認
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10周年 新屋かまくら

2012-01-29 18:09:37 | 秋田の季節・風景
恒例の「あらや大川散歩道雪まつり」が、昨日1月28日に開催された。今年は記念すべき10回目で「10周年記念 あらや大川散歩道雪まつり」という名称だったのかな。※昨年の記事

「まつり」としては午後から開催されており、子どもの雪遊びなど各種イベントが行われるが、メインは夜のミニかまくらの点灯。(その「かまくらを作る」ことも午後のイベントの1つ)
昨日は最低気温がマイナス5.8度、最高気温がマイナス2.4度、積雪は25センチ前後。かまくらに灯が入った17時頃も気温が低く、マイナス5度台だった。
青森県ではJRのダイヤが大きく乱れるほどの大雪だったが、秋田市内は午後を中心に時折吹雪いた程度(降水量としての記録はなし、積雪深で+1センチ)だった。

まつりは10回目だけあって、地元の皆さんの結束力と役割分担は万全の模様。スムーズに進行していたようだ。
例年、ミニかまくらは2500個ほど作られるが(過去の記事を見ると2000個程度としていた年もある)、今年は10周年記念で3000個にしたという。
しかし、JR新屋駅から秋田公立美術工芸短大(美短)までの遊歩道のかまくら(「光のファンタジーロード」)は、例年と同じくらいの気がした。増えた分はというと、
美短の前の交差点(右奥が秋田大橋方向)
従来はミニかまくらがなかった会場外、県道56号線(秋田大橋の通りの昔の国道7号線。新屋線のバス通り)から美短正面への道や秋田西中学校グラウンド付近に新たにかまくらが置かれていた。

新屋駅側入口(左後ろはパチンコ屋)
昨年から登場した、影絵式(?)の看板代わりのミニかまくら。
昨年は本部前だけだったはずだが、今年は会場の両端(ここと美短正面。本部前はなし)に設置されていた。

遊歩道中ほどの「十條団地町内会館」が本部。
いろんな町内名のテントが並ぶのが、地域のおまつりらしい
時間帯のせいかもしれないが、寒いのに例年より多くの人が集まり、餅つきや飲食を楽しんでいた。
本部前は、見た目にも鮮やか。初登場と思われる電飾も設置されていた。
奥には本物の(大きな)かまくら。手前の電飾はなぜかハート型。トナカイの電飾もありました…
地域の幼稚園児が作ったミニかまくらは、
色付き!(奥は昨年もあったロッカー式かまくら)

大雪なので、遊歩道の端には人の背丈くらいの雪山ができている。(量は昨年と同じくらいか)
そびえる雪山
遊歩道を挟むようにして生活道路があるので、そこの雪が積み重ねられるのだ。
遊歩道の途中では、生活道路と交差する部分もあるが、暗くて人通りが多い上、この雪山なので見通しが悪い。そのため、地元の交通安全協会員(?)が出動して、交通整理を行なっていた。これも初めての試みかと思うが、気が利いている。
雪山に無造作に置かれたかまくらもまた一興

おそらく例年この場所に作られていた、
積み上げ密集ミニかまくら(冒頭の写真も同じ場所)
魁新報の写真もここですな。
今年は例年以上に高さがある気がした。

例年、ミニかまくらのろうそくが風で消えてしまうのが悩みの種のようだ。
その対策なのか、
今年のミニかまくら
従来は細いろうそくだったが、今年は、お寺で使うような太いものを使っていたようだ。
ただ、新品の太いろうそくより、ずっと短いものを使っていた。(新品だと長すぎてかまくらの天井につかえてしまいそう)切ったのかな。

新屋図書館と美短の構内へ。
倉庫棟から美短方面
1934(昭和9)年に作られて、現在は図書館や短大の施設の一部として活用されている、国登録有形文化財の旧国立米倉庫。
かつては遊歩道が貨物線路で、この倉庫の前が荷物の積み下ろしをするホームだったという。

この雪まつりの運営は、地域住民とともに、美短の学生も大きな力になっている。
今年は学生スタッフによるブログも開設された(http://blog.goo.ne.jp/araya-snow-festival)。
それによれば、今年は美短構内の施設などをライトアップするということだった。何年も前だが、ライトアップされた美短校舎とミニかまくらが幻想的な光景を醸し出していた年があって感動したのだが、近年は真っ暗に近い状態だった。
昔の感動が再現されるのかと期待していたが、
残念
校舎の吹き抜けやシンボルタワー(写真右)、サークルプラザの「エオス」像が浮かび上がる程度。
ライトアップは最小限のものだった。正直、これでは物足りない。

主催者側としては、純粋にかまくらの灯りだけを楽しんでもらいたいのかもしれないが、遊歩道の1キロ全部が同じかまくらでなくたっていいのではないだろうか。
美短の建物とミニかまくらのコラボは、日本中でここでしかできないのだし、まさに「光のファンタジーロード」になると思うんだけどな…

ただ、安全に歩行できる程度の明るさが確保されており、安心できた。
また、上記ブログで、当日12時から19時まで(まつりは20時まで)、短大のレストハウス(学食)を休憩所として開放するとのことだった。
行ってみると、暗かったけど暖房が利いており、学生を中心に利用されていた。トイレも利用できた。
主催者側では、例年通りトイレは本部を使用するようにと告知しており、レストハウスを使う一般人は少なかった(真っ暗で入りにくいし、掲示もなかったので)。
従来、美短側には休憩所もトイレもなかったが、今後も開放してくれれば、便利で安心してまつりに参加できると思う。(反対側には秋田市西部市民サービスセンターなどがあってトイレを使える)

レストハウスの前には、雪像が作られていて、注目を浴びていた。
1つは「となりのトトロ」に出てくる「ネコバス」。これは大人気で人が絶えなかった。
もう1つは、
これ
同じく宮崎作品「風の谷のナウシカ」から「王蟲(オーム)」。
脚などリアルで、“気持ち悪いほど”よくできている。動き出しそう…

オームは未確認だが、ネコバスには胴体に穴が開いていて「かまくら」状。でも、人が入るには少し小さい。
どうもこれは、「雪像」ではなく「創作かまくら」らしい。かまくらであるからには、穴がないとかまくらじゃないわけですものね。
美短「サークルプラザ」。右の建物がレストハウス

そういえば、一昨年は、美短校舎の上に満月が上ってきていた。
今年は、雲の切れ間から三日月(上弦の月)が反対の西中の方へ沈んでいくところが見えた。


たしか今週末は、泉地区でも恒例の雪まつりが行われるとか。
以前、秋田市では「童っ子の雪まつり」というのが例年2月に八橋運動公園で開催されていた。
2005年には30回目が行われたのだが、2006年は豪雪で中止、翌2007年以降は「実行委員の高齢化や、運営費集めが困難」として取りやめになってしまった。

その一方で、新屋や泉のような地域密着のイベントが行われているのは頼もしい。
雪国ならではの冬を楽しむ催しとしても、末永く続いてほしい。
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大雪と乗り物

2012-01-26 20:48:41 | 秋田の季節・風景
全国的に大雪で、少なくとも1週間はこんな状態が続くという。
秋田市はおとといとあまり変わらない。新たな積雪はほとんどなく、風は弱い。昨日も今日も最低気温マイナス4度台、最高気温マイナス2度台で寒い。
低い気温のせいで雪はパウダースノー。水分が少なくて軽いので、除雪作業はしやすい。内陸の横手市では2月に行われる「かまくら」作りが始まったが、「今年の雪は固めづらい」とのことで、かまくらには水分がある雪の方が向いているようだ。

秋田市の南、秋田県沿岸南部の由利本荘市の本荘地区(旧本荘市)では、昨日1日で大雪になったそうだ。
広大な由利本荘市は、内陸の旧・矢島町、鳥海町エリアは豪雪地帯だが、本荘のある沿岸部は、秋田県内では温暖な地域で、秋田市よりも雪が少ないのが普通。昨日の夜は、大雪警報が出ていたようだが、40キロほどしか離れていない秋田市では上記の通りほとんど降らなかったので、気にしていなかった。
しかし、アメダスによる積雪量は、昨日朝に30センチ程度、昼前に50センチ、20時頃に60センチ、その後最大75センチまで達した。24時間以内に積雪が49センチ増え、観測史上2位の増加量とのこと。

ちなみに、史上1位は1998年11月18日の61センチ。
この時は、ほぼ初雪で大量の積雪という異例の事態で、本荘では翌日19日には積雪が最大93センチまで達した。当時走っていた特急「白鳥」の上り大阪行きは、羽後本荘で運転見合わせ。その後、運転を打ち切って、深夜に秋田駅まで戻って来たそうで、その顛末がたまたま乗り合わせていた鉄道雑誌の取材班によって記事になっていた。
この時、秋田市では30センチ位、当時僕がいた弘前では10センチくらいとさほどの積雪ではなく、この時も本荘が局地的な豪雪になったようだ。


さて、秋田市内には、本荘から羽後本荘の急行路線バスがやって来る。
今日の昼に本荘から来たバス
秋田市内のバスは屋根にほとんど積雪がないのに、さすがに本荘から来たバスはたくさん積もっていた。
でも、15センチほどで思ったほど多くない。もっと「もっそり」積もっているかと思ったが。
アメダスのデータをよく見てみると、昨日から今日の夜の間に積もった量は15センチくらい。昨日の運行終了から今朝までの間だと、こんなもんか。(走行中に飛んだり融けたりした分もあるし)


乗り物と雪つながりで、電車の着雪。
鉄道車両では、走行中に線路に積もった雪を巻き上げ、それが車体に付着して、まるで雪だるまのようになる場合がある。床下の機器や先頭部にも付着するが、後部がいちばん激しいような気がする。

男鹿線の車両にはあまり着雪していないような気がするけれど、それは運行区間が短いとか速度が遅いとかの理由だろうか。
一方、高速で走るからか、山越えや秋田以上の豪雪の青森や山形県内陸部まで足を伸ばすからか、奥羽本線・羽越本線の電車は、
おそらく直前の運行は後部だった側は真っ白(窓部分は雪を払ったと思われる)
※上の写真は、秋田駅の下り方向(手形陸橋側)から秋田駅に入線するシーンなので、八郎潟に向かって運行する際は、再び後部になる側の車両。

大館からやって来た上り電車の後部
1つ上の八郎潟行きの写真は、上り向きの車両(クハ700形式)なので、連結部分の「幌(いわゆる蛇腹)」がない方。一方、大館行きの写真は、幌がある逆側のクモハ701形なので、その分、出っ張りがあるのだが、そこに盛大に雪が付いている。

向かって右の尾灯(テールランプ)周辺に注目。走行中に雪が落ちたようで、雪の断面が分かる。
 分厚い!
付着した雪は、暑さ【27日訂正】厚さが10センチ以上はあるようだ。【27日補足】それから、雪が車体に密着しているわけではなく、幌の部分にかけて空洞ができているのが不思議。
中央部下の連結器(実際にはカバーがかかっている)部分は、付いた雪がツンととんがっている。
水分など雪の質でも違うだろうけど、おもしろい。

この大館発の電車は、秋田では長い部類の3両+2両の5両編成。前3両は青森から来たもので、大館で後ろに2両をつないで運行する。
手前が大館発の車両、先(奥)が青森から来た車両
青森から来た車両は、雪と寒さの中を4時間、走ってきたことになる。
そのためか、後ろ2両では認められなかったが、前3両の窓の下は、
窓から車体につらら(?)が
昨日は、羽越本線でドアが凍結して開かなくなるトラブルがあったそうだ。
乗り降りする人がいる時だけドアを開ける半自動扱いのため、長期間閉じたままのドアも多いわけだし、この寒さでは無理もない。


そういえば、雪が積もった線路を走る列車は、雪によって吸収・緩和されるのか、音が静かで振動は穏やかになる。
ホームで列車を待っていても、レールのきしむ音がせず、いきなりエンジンやモーターの音がして驚いたことがあった。

この天候でも定時運行を維持してくれる関係者のご苦労に感謝して、引き続きの安全運行を祈りたい。
※奥羽本線~羽越本線は貨物輸送のルートとして重要で、さまざまな製品を載せた貨物列車が運行されている(以前の記事)。大雪の中を延びる線路は、地域住民の足だけでなく、多くの日本人の生活をも担っていると言えよう。
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たけや新商品2012.1

2012-01-25 22:47:45 | ランチパック
恒例のパンの紹介。
先月は「たけやフレッシュランチ」の新商品がなく、「あきた大好き! 秋田のおやき風パン」というつぶれたアンパンみたいなのを紹介していた。
今月は、フレッシュランチの新商品は出たけれど1種類だけ。継続発売は、昨年6月からと息の長い「本荘ハムフライ」だけの模様。(「横手やきそば風」は本家ランチパック)

したがって、現在、フレッシュランチは菓子パン系、惣菜パン系各1種類しか流通していないと思われ、他はすべて本家ヤマザキランチパックが流入してきている。
各店舗も、競い合うかのようにいろんなランチパックを揃えていて、中にはフレッシュランチは置いていない店もある。
2年ほど前は「秋田はフレッシュランチばかりでつまらない。ランチパックを売って欲しい」とあんなに切望していたのに、いざ実現すると、なんか物足りない。贅沢なものですが…

1月新発売のフレッシュランチはこれ。
「フレッシュランチ 白桃&ミルククリーム」1包装当たり241kcal
先月紹介した、ライバルのシライシパンの「ピーチ&ホイップ」というのがあった。
昨年9月には、本家ランチパックで「ネクターピーチクリーム&ホイップ」があり、たけや製パンもその受託製造を行ったため、秋田の店頭でよく見かけた。
そして、2010年7月には、たけやフレッシュランチに「フレッシュランチ 山形産白桃ジャム」があった。

この新しいフレッシュランチは、説明文に「山形県産の白桃を使用したジャムとミルククリームをサンドしました。」とある。
シライシやランチパックは、桃クリームだったが、こちらは桃ジャム。つまり、2010年7月の製品にクリームを足したことになる。
2010年のは「ジャム中 山形産白桃14%使用」とあったが、こちらは「ジャム中 山形“県”産白桃“15%”使用」とあり、微妙に違う。
ちょっと偏って見えますが、食べるとそんなではない
ジャムだけより、クリームがあった方がいいと思った。ランチパックのネクターピーチよりも桃感がして好き。

それにしても、秋田県内限定の商品であり秋田でも桃は採れるのに、なぜ山形産なのか?
そして、なぜ、この季節外れの2月に発売なのか? 疑問。
3月の桃の節句は桃の実ではなく「花」だし、ヤマザキランチパックではイチゴを使った製品がいくつか出ているようですが…


さて、先月のつぶれアンパン「秋田のおやき風パン」は見かけなくなった気がするが、「あきた大好き!」シリーズで新商品が。
「あきた大好き! 秋田の大判焼き風パン」チョコ292kcalとクリーム276kcal
チョコ、クリーム、粒あんの3種類がある。
でも、「大判焼き」って秋田に限った食べ物ではないし(地域によっては今川焼きとかおやきとか名称が異なる場合もある)、なんでこれが「秋田大好き」シリーズとなったのか、そして、皮の原料は大判焼きもパンも小麦粉なわけだし、中身もクリームやアンパンと変わらないし、ちょっと分からない製品。
開けてみると、
形は大判焼きっぽい(サイズは2~3回りくらい大きく、表面はガサついている)
中身は
クリームが偏ってます。右手前は単3電池
中はフカフカでやっぱりパン。
やっぱりこれって「形が大判焼きっぽい、クリームパン」に過ぎない。
この粒あん版をつぶして圧縮すれば、先月のおやき風になるような気もする。


最後に、意外においしいなと思っているもの(これも今月から発売?)。
もちもちドーナツ クリーム」267kacl
ほんとに皮もクリームももちもちしていて、それほど油っこくなくて、好き。
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学校給食記念日ですが

2012-01-24 22:51:30 | 秋田の季節・風景
おととい昨日と、学校給食の話題をお届けした。
なぜ給食の話題になったかというと、ハウスの「大寒はシチュー」と「1月22日はカレーの日」のCMがきかっけだった。
そして、まったく意識していなかったが、今日1月24日は、なんと(実質的に)「学校給食記念日」なんですって!

「実質的に」と付けたのは、本当は12月24日が学校給食記念日だから。(文部科学省では「学校給食感謝の日」としているが、ネット上の多くの情報や秋田市立の多くの学校の給食だよりでは「学校給食記念日」としていて多数派のようだ)
1946年12月24日、アメリカからの救援物資を使った学校給食が始まった(戦争の中断を挟んだ“再開”)ことにちなむ。
12月24日は冬休みの学校があるため、1か月後の1月24日から1月30日までの1週間を「学校給食週間」として、その初日の今日を記念日として扱っているようだ。

カレーの日の話に戻るけれど、その由来である「1982年1月22日に全国一斉に給食にカレーが出た」ことは、全国学校栄養士協議会が学校給食開始35周年を記念したものだったそうだ。つまり、この1946年12月のことを指していると思われる。
一斉にカレーを出すにしても、12月だと冬休みの所があるし、1982年1月24日は日曜日。だからその直前の給食のある日が22日。つまり、1月22日がカレーの日なのも、元を正せば学校給食記念日と同じ所に行き着きそう。

学校給食週間には、教育委員会や学校ごとに、それにちなんだ行事や指導が行われているそうだ。
秋田市立の学校で献立予定表が公開されているところをいくつか見ると、ほとんどで学校給食週間のこと(由来など)が紹介されていた。
また、多くの小学校では、今週の献立に秋田の食材や郷土料理が含まれている。具体的には「いぶりがっこ」「ハタハタのフライ」「だまこ汁」「果物(りんご)」。
ちなみに「だまこ汁」は「きりたんぽを丸めて焼かない版」で、「比内地鶏」も入る本格派。でも、その日は「米粉パン チョコクリーム」も出る。組み合わせがなんとも…

一方、秋田市立の小学校なのに、こうした郷土メニューを実施しない学校もあるようだ。栄養士の裁量に任されているということだろうか。


以上、せっかくの記念日とはいえ、さすがに3日連続で学校給食のネタはもうありませんので、秋田市内の風景を紹介します。
先週は晴れたり雨になったりして昼間は気温も高く、雪はだいぶ融けた。といっても積雪は27センチほどある。
昨日今日は首都圏では大雪になって大変だったようだが、秋田ではちょっと寒いだけの普通の冬の一日。今日は最低気温がマイナス4.5度、最高気温がマイナス0.4度で、久々に昼間に外に出ても頬がピシッと引き締められるような寒さを感じた。

秋田駅東口直結の「拠点センターアルヴェ」14階の展望フロアというよりコーナーから、東を望む。
雪景色の家並みの向こうに太平山と青空

例年、太平山本体よりも左側の峰の方が雪が多い
右手前に目を転じると、NHK秋田放送会館(秋田放送局)が見下ろせる。
手前の高いアンテナタワーとその左下がNHK
低い部分の屋上には、ソーラーパネルが置かれている(アンテナタワーなど他の場所にもある)。しかし、
雪をかぶっている(このくらいの量なら、払えばよさそうだが)
発電量はいかほど?

幹線道路や小路もある程度は雪が消え、車の通行はほぼ支障がない。
でも、歩道や一部の小路はまだ雪に覆われている。
明田地下道東側
手前の小さい道は凸凹の圧雪状態なのに対し、奥の地下道の通りは乾燥路面。すごい格差だ。


秋田駅西側、中央通り。県道の広小路とは逆方向の駅へ向かう一方通行3車線の市道。
北都銀行本店前の歩道橋から秋田駅方向
最近、左側1車線を閉鎖して、何やら作業をしている。最初は、単に除雪作業をしているのかと思ったが、やけに丁寧に雪をよけている。(上の写真では、右側車線も一部閉鎖していて、実質1車線)
写真を拡大してみると、
歩道で工事中
おそらく、融雪装置(ロードヒーティング)の設置工事のようだ。
そういえばここに設置する計画があったはず。でも、前に広小路などでも書いたけど、なんでこの冬の積雪期に雪をどけて工事しないといけないの?

また1週間ほど、厳しい寒さと雪が続くようだ。
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給食共同調理場

2012-01-23 23:53:11 | 秋田のいろいろ
昨日の学校給食の話に関連して。
昨日、秋田市立の小中学校(旧雄和町・河辺町エリアは除く)では、給食センター方式ではなく、各学校に給食室があって調理していると書いた。
ただし、山王中学校には給食調理設備がなく、川尻小学校で調理された給食を輸送しているとも書いた。

川尻と山王の関係について、僕はこのように認識(推察)していた。
山王中学校の(先代の)校舎は、1967(昭和42)年に竣工しているが、給食室はなかった。当時は小学校の完全給食がやっと達成された頃であり、中学校で完全給食を出すことはあまり重要視されていなかったのだろう。
その後、中学校での給食も必要となったが、山王中学校では種々の制約があって給食室を整備することができなかった。そこで、近隣の学校で山王中の分の給食も調理してもらい、輸送して出すことにした。
山王中学校の隣接地には、旭北(きょくほく)小学校がある。しかし、当時は山王中と同年代の古い校舎であり(1966年のモルタル建築。その後1992年頃に改築)、給食室に余裕がなかったと思われる。
そんな折、旭北小の1つ隣の学区である川尻小学校の新校舎(=現在の校舎。中学校からは直線で1キロ)が1982年に完成。その際、給食室を余裕のある設備にして、山王中分も調理できるようにしたのだろう。(山王中側でも、搬入・保管や校内の運搬に関連した設備が整備されたと考えられる)
※川尻小学校の新校舎は1982年春の竣工、山王中学校で給食が始まったのは同年10月5日となっている。
その後、2004年に山王中学校の校舎が改築されたので、てっきり、自前の給食室が整備され、川尻小からの輸送は解消されたのだとばかり思い込んでいた…
2005年2月撮影の解体中の山王中学校旧校舎。奥に現校舎が見えている
ところが、川尻から山王への運搬は今なお続いており、そればかりか他の秋田市内の学校でも同様の態勢が取られていることが分かった。
それを「共同調理場」と呼ぶのだそう。
学校給食法第六条で「二以上の義務教育諸学校の学校給食の実施に必要な施設(以下「共同調理場」という。)を設けることができる。」と定められているのが根拠。
この「共同調理場」には、学校とは別の場所に給食を作る専用施設を設ける「給食センター」と、山王と川尻のようにある学校の給食を他校で肩代わりして一括して作るケースの2つがあるようで、後者だけを指して特に(狭義に)「共同調理場」と呼ぶこともあるようだ。
自分の学校の分だけを自前で作るものは「単独校調理場」と呼ぶようだ。(同法施行令に出ている)

昭和58(1983)年に制定された「秋田市立学校給食共同調理場設置条例」と「秋田市立学校給食共同調理場等管理運営規則」という条例があった。(全国各地に同内容の条例がある)
「秋田市立小、中学校における学校給食の効率的運営を図るため」に「秋田市立学校給食共同調理場」を設置するのだという。
物資調達、調理、輸送を業務とし、各調理場ごとに関係学校長や職員のうち教育委員会から委嘱されたメンバーによる「運営委員会」が置かれることになっている。

公式な用語ではないようだが、全国的に、川尻小のような共同調理場が置かれて給食を作る「作ってあげる立場」の学校を「調理校」、山王中のような調理校から給食が届けられる「作ってもらう立場」の学校を「受配校」と呼んでいるらしい。
また、調理校と受配校を親子に見立て、狭義の共同調理場方式のことを「親子方式」と呼ぶこともあるようだ。

ちなみに、関連して「秋田市立学校給食センター条例」もあるが、これは雄和町・河辺町の合併に先立ち、両町の給食センターを秋田市立とするためのもの。
自治体によっては、正式名称が「給食共同調理場」で、その通称を「給食センター」としている所もあるようだが、秋田市では親子方式の共同調理場(どこかの学校内に置かれる)と給食センター(学校とは独立した施設)を明確に区別していることになる。

秋田市には現在は9つの共同調理場があり、うち2つが3校分、残り7つが2校分をまとめて調理する。
それぞれに名称があるが、「秋田市立川尻小学校、山王中学校共同調理場」というように学校名をそのまんま並べただけ。
ただし、最初に校名が出る学校に調理場が置かれている(つまり調理校)という決まりがあるようだ。
また、3校分の調理場のうち、太平小学校にあるものは「秋田市立太平小学校、山谷小学校、太平中学校共同調理場」と列挙しているが、下新城小学校のは「秋田市立下新城小学校等共同調理場」と受配校が省略されてしまっている。これは、当初は4校が関与していた(後に1校が統合により閉校)ためだと思う。

共同調理場から各受配校への運搬と返却はトラックで行われ、「学校給食用食缶類運搬業務」として民間の運送業者へ年度単位で委託している。(今は知らないが、昔の川尻~山王は日本通運が受託していた)なお、パン・米飯・牛乳は、各製造業者が受配校へも直接納入する。


条例に出ている順番に、9つの共同調理場に関わる学校名を挙げてみる。(各[ ]の先頭が調理校)
[外旭川小、外旭川中][太平小、山谷小、太平中][下北手小、下北手中][将軍野中、土崎中][川尻小、山王中][城東中、桜中][御所野小、御所野学院中][勝平小、勝平中][下新城小、金足西小、秋田北中]

雄和・河辺地区を除く秋田市内の小学校38校のうち9校(23.7%)、中学校21校のうち11校(52.4%)、合計すると33.9%の学校が共同調理場に関わっていて、受配校である2つの小学校と9つの中学校には給食室(調理室)がないことになる。
※このほかに、現在、東小学校の改修工事のため同校の給食室が使えず、一時的に広面小学校で調理したものを運搬しているらしい。
【3月5日訂正】旧秋田市内の秋田市立の中学校の数は21校ではなく、20校が正当でした。訂正します。(パーセンテージは修正していません)


「共同調理場」というちゃんとした制度があって、広範囲で実施されていたとは知らなかった。
各学校でそれぞれ調理するよりは、数校をまとめて調理した方が、運搬の手間はかかるとはいえ、効率的ではあるだろう。
だからといって本格的な給食センターにすると、用地や建設・運営の費用、運搬が長距離・長時間になる、万一食中毒が発生すれば被害が拡大するなど、問題点もありそう。給食センターと単独校調理の折衷が共同調理場ということなのだろう。
【26日追記】給食センターは、建築基準法上「工場」とみなされ、立地場所に制限を受けるそうだ。


昔の秋田市広報紙「広報あきた」で、秋田市の給食調理に対する方針をうかがい知ることができた。
・1966年9月10日付
小学校の完全給食化を伝えるとともに、中学校では17校中6校だけが完全給食を実施しているとして、「市教委では、中学校も将来完全給食に切り換えるため、共同給食センターなどの調査を進めています。 」としている。
・1973年4月1日付
1973年度の予算で「よりよい学校給食をさらに進めるに当たり、将来給食センター設置の必要性を考え、調査費を計上しています。」
・1977年10月20日付
市議会の質疑の紹介において、中学校の完全見通しを質問され、完全給食は14校中4校(11年前より減ってる!=統廃合などのためか?)であり、未実施の10校は「給食センター方式の採用によって対処する構想を持っています。」としている。
(一方で、当時は児童生徒数の急増などによる学校建設が急務となっていて、これとの兼ね合いも必要としている)
・1978年4月20日付
市議会の議員の質問に「(児童生徒急増で)学校建築が急務となり、給食センターの実現はなお相当の日時を要する状況です。」「このため、中学校の完全給食は小学校と同様、新設される中学校について、単独校調理場方式をとりいれることにしています。既設の中学校については、給食センター方式とともに、単独校調理方式の採用の可能性もあわせて、その促進を図っていきます。 」

徐々に秋田市側の給食センターへの意欲が薄れて行ったように感じる。(特に1977年度後半に)
その後の考え方は分からないが、結果的には給食センターはあきらめて、原則各校で調理し、部分的に共同調理場方式となって現在に至る。
センター建設より学校建設を急いだのは当然だし、各学校で調理した温かいものを食べられ、子どもたちが調理の匂いを楽しんだり調理員と交流することも教育上大事だと思うから、悪いことではないと思う。
ただし、児童生徒数の減少や業務効率化の一環としては、今後は何らかの変化が求められているのかもしれない。


さて、秋田市の共同調理場方式をとっている各学校について調べてみると、その導入時期や推察される導入理由は3つのパターンに分けられそうだ。
1.元祖共同調理
川尻小と山王中のような、条例が制定された1983年辺りまでさかのぼるもの。
給食室が設置できない中学校で完全給食を実施するために、給食センターを造る代わりに近隣の学校で調理することにしたパターンだと思われる。
該当しそうな学校名の後に、校舎の新築または改築年を入れてみる。(下北手中学校は不明)
[外旭川小1980、外旭川中1950と1983][下北手小1981、下北手中][将軍野中1982、土崎中1961と1992][川尻小1982、山王中1967と2004]
調理場が設けられた学校は、どこも当時新築されたばかりの校舎だったようだ。一方、受配校となった山王中や土崎中は、当時で築後20年ほど経過している。
ただし、外旭川中は新築なのに受配校になったようだし、土崎中や山王中は後に校舎が新しくなっても受配校のまま。設備や人員配置の都合もあるのだろうが、共同調理の関係は簡単には変わらないようだ。

下北手小・中は別として、それ以外は都市部にある学校で、特に当時は児童生徒数の増加が著しかったはずだから、調理する給食は2000食近かったかもしれない。現在は下北手で200強、他は1000以下だと思われる。

2.新設校
条例制定後に開校した学校のうち、中学校では積極的に共同調理(受配校として)を導入しているようだ。
小学校は桜、飯島南、寺内、御所野の各小学校が開校しているが、いずれも単独校調理(御所野小は開校当初のみ。下記の通り、後に共同調理の調理校となる)。
中学校は、御野場、勝平、飯島、桜、御所野学院のうち、単独校調理は御野場と飯島だけ。あとは共同調理で作ってもらっている。
1987年開校の勝平中は勝平小、1999年開校の御所野学院中(中高一貫校だが、地元入学の中学校部分)は御所野小と、どちらも近くの小学校で作ってもらっている。なお、勝平小学校は、共同調理開始当時は1970年築の校舎だったが、2002年の改築後も共同調理場が設けられているようだ。
桜中学校は、1998年に当時県内一の大規模校だった城東中学校から独立して開校。給食は“本家”の城東中に作ってもらっている。
3つの共同調理場とも、現在も1000食程度は調理しているようだ。

3.合理化のため
上記2つも合理化の意味もあったのだろうが、3~4年前には明らかに合理化・効率化と思われる、郊外・山間部の小規模校において、共同調理場の新設(と単独校調理場の廃止)があった。それが残り2つ。
太平小で山谷(やまや)小と太平中の3校分を調理するのは、2008年度から始まったようだ。それ以前には、少なくとも山谷小学校には調理場があったようだ。
山間部に位置するこの3校は、児童生徒数がとても少ないと思われる(最近の資料によれば、太平小56名、山谷小27名)ので、各校に調理員を置いて調理するのは非効率的との判断なのだろう。

2009年には下新城小に調理場を置き、金足(かなあし)西小、金足東小、秋田北中分も調理することになった。(その後、2010年3月で金足東小は閉校して下新城小へ統合)
それ以前は、少なくとも金足西小では自前の給食調理施設があった。
また、秋田北中学校は(おそらく城南中学校とともに)1994年に秋田市で最後に完全給食が始まった学校。校舎は1962年頃に建てられたものが2009年に改築されている。
北中の給食は1994年から2009年までどこで作っていたかは分からないが、現在の新校舎には調理施設がないのだろう。
この3校の児童生徒数を見ると、下新城小が約140名、金足西小が約180名、秋田北中が約300名。調理校の下新城小がいちばん少ない。人数の少ない学校から多い学校へ輸送するのは、効率が悪いようにも思えるが、用地とか既存設備との兼ね合いなどの問題もあるのだろう。

一方で、例えば児童数が100名ほどの浜田小学校や50名ほどの豊岩小学校、生徒数30名ほどの豊岩中学校などでは、今も単独校調理。(しかも豊岩小と豊岩中は隣接しているから、共同調理場としてもよさそうだが、条例には出ていない【25日追記】下浜小と下浜中も同様に隣接地にある小規模校だが、共同ではないようだ)→25日のコメントをご参照ください→こちらの記事の通り、条例に出ていなくても、共同調理が行われている学校もあることが分かりました。
このままなのか、将来的には共同化されるのだろうか。【下の追記の通り、2018年以降、既存の共同調理場に、新たに小規模校分を加える動きも出てきた】

【2018年1月31日追記】2018年4月から、新たに上北手小学校分を東小学校で調理することになった。
上北手小は、新興住宅地があることから今の秋田では珍しく児童が増えている小学校だそうだが、2017年度の児童数は203名と多くはない。合理化のため調理室・調理員を引き上げるのだろう。【←という単純な話でもなさそう。下の4月の追記参照】
一方、昭和の新興住宅地にある東小は、1977年開校時の787名から増加して1983年には1353名に達し、1984年に桜小を分離した後は600名台で漸減し、2017年度は486名まで減少。現在では調理設備に余力が生じていると考えられる。
上北手小からの距離的には、複数の中学校や桜小、牛島小のほうが近いが、東小で作ることになったのはそんな事情だろう。
【2018年4月11日追記】上北手小は、児童数の増加が著しく(最小だった1998年に83人だったのが、2018年は232人、2021年には300人を超える見込み)、教室が足りなくなっているそうだ。そこで、2018年度に給食室を解体し、跡にプレハブ校舎(2019年度から使用予定)を建てることになった。調理の合理化の意味もあるのだろうが、こういう事情もあるのだった。この記事参照。
【2018年11月16日追記】2019年4月から、新たに浜田小学校分を勝平小学校で調理することになった。勝平小・勝平中・浜田小3校の共同調理場となり、雄物川を越え、日新小学区を越えて輸送されることになる。

※給食センター方式をとる雄和・河辺地域では、合併以前のそれぞれの町立給食センターが秋田市立になってそれぞれ調理を行っていた。ところが2017年3月で、河辺学校給食センターを廃止、雄和学校給食センターに一本化された。この記事参照



共同調理場の存在は、学校給食の現場でも、業務の効率化が進んでいることを示しているのかもしれない。
いいことか悪いことか僕には判断はできないが、下手をすれば、調理業務自体も民間へ外部委託なんてことになったりしかねない。
子どもたちが楽しく安全に、思い出に残る食事ができるようにしてほしい。
コメント (4)
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大寒とカレーと給食

2012-01-22 18:50:50 | 秋田のいろいろ
昨日1月21日は、二十四節気の「大寒」。
関東地方では雪模様のようだが、逆に日本海側は寒さが緩み、秋田市では寒さも一段落。(明日以降また冷え込んで雪の予報)
実際の季節と二十四節気は一致しないこともあるが、大寒がいちばん寒い時期である点は一致している。


最近、とあるテレビCMがよく流れている。
まずは、お笑い芸人コンビの「くりぃむしちゅー」が吹雪の中に立ち、「大寒だシチューを食べよう」と歌う、ハウス食品のシチュールウのCM、「大寒はシチューの唄」篇。
【23日追記】いかにも雪国の大寒らしいセットのCMで、南国の方々にはこのような大寒の厳しい寒さは理解してもらえるだろうかと思ったけど、公式サイトに放送地域限定とは記載されていないので、全国で放映されたのだろう。
ハウス食品のサイトより
ちなみに「くりぃむしちゅー」のコンビ名は、メンバーの有田さんがクリームシチューが好きであることが由来とのこと。

大寒にシチューとは初めて聞いたが、たぶんハウス食品が単独で今年からやっているキャンペーン(?)なのだろう。
土用にウナギ、節分に恵方巻き、バレンタインデーにチョコなどと同じような、業界の戦略の1つなのだろうけど、まあ、寒い時期に温かいシチューはいいものだ。


と思っていたら、もう1つ、くりぃむしちゅーが出演するハウスのCMが流れている。
こちらはカレールウのCM「冬も元気に」篇。
「1月22日はカレーの日」で「1982年に全国の小中学校でカレー給食が出された日」だと言っている。
直接的に言っていないが、暗に「1月22日はカレーを食え」と言っているようにも受け取れる。
ということは、ハウスのCMに従えば、1月21日はシチューで、翌日はカレーと2日連続で似たようなモノを食べなきゃならないのか…

【2013年1月20日追記】翌年2013年の展開。
「大寒にシチュー」は、2012年ほど大々的ではなくなったが継続。田中麗奈の「北海道シチュー」、ベッキーの「コクの贅沢シチュー」の通常と同じような内容のCMの最初や最後に「大寒はシチューを食べよう!」と流れる程度。
「カレーの日」は、まったく取り上げられていない模様。(以上追記)



そういえば、子どもの頃、何かの本で、全国一斉に学校給食のメニュー(献立)がカレーだった日があったという話を読んだことはあった。でも、それが1月22日であり、「カレーの日」であるとは知らなかった。
1982年当時、僕はまだ小学校入学前だったので知らないが、全国一斉に同じメニューというのは、大変だったのではないだろうか。現在はいくつかの学校分をまとめて給食センターで調理する所も増えているが、当時は各学校ごとに調理していた所が多かっただろうから、材料の調達や業者の配送が大変そうだ。


ちなみに、秋田市立の小中学校では、今も給食センター方式ではなく各学校ごとに調理しているようだ。
※旧雄和町・河辺町地域では、センター方式の模様。
また、旧校舎当時の山王中学校は(隣の旭北小学校ではなく1つ隣の学区である)川尻小学校で調理したものを輸送していた。【23日追記】おそらく、山王中で自前の給食室を整備するのが難しく、隣の旭北小の校舎も古くて余裕がなかったと思われ、1982年の川尻小の新校舎建設時に、山王の給食も調理できるよう余裕のある給食室を整備したのだと考えられる。【23日追記】山王と川尻のような例は、他の秋田市立学校においても、現在も存在することが分かりました。後で別記事にします。

僕が子どもの頃は、秋田市立の小中学校には一部にしか栄養士が配置されておらず、各学校間で共通の献立だった。ただし、各学校ごとに順序を入れ替えて、同じ日に同じ献立が重ならないようにして、材料調達などに配慮していたはずだ。


ということで、秋田市広報紙「広報あきた」と僕の記憶に基づいて、学校給食の歴史と思い出を少々。
全国的には、1889(明治22)年に山形県鶴岡のお寺の私立小学校で出されたのが学校給食の最初だという。
秋田市では、
1932(昭和7)年 土崎小学校と旭北小学校で経済的に恵まれない子どもたちにごはんとみそ汁などが出された
1944(昭和19)年 すべての小学校で栄養不良の児童におかずだけの給食【下の2019年3月7日付追記も参照】
戦後は全員に出されるようになり、1951年以降はおかずに加えてパンやミルクも出る「完全給食」となり、昭和30年代には一部中学校でも給食開始。
1966(昭和41)年 すべての小学校で完全給食実施
1977(昭和52)年 一部(小学校8校、中学校1校)で米飯給食開始
1979(昭和54)年 給食を実施するすべての学校(小学校36校、中学校5校)へ米飯給食を拡大(週1回、その後1983年頃までには週2回に)
 その一方、山王、秋田東、秋田南、秋田北、秋田西、城南、高清水(※)、太平、上新城の各中学校ではまだ牛乳だけの支給で、完全給食は未実施
 ※高清水中学校は、後に将軍野・泉両中学校に再編
1989(平成1)年 米飯給食が週2回から週3回に(当時全国的には週2回実施校が42%、3回以上が43%)
 小・中学校57校のうち、完全給食実施は55校。
1994(平成6)年 すべての中学校で完全給食化(おそらく最後に給食が始まったのは城南中学校【23日追記】秋田北中学校も?)

米飯給食といえば、僕たちの頃は、「秋田米飯給食事業協同組合(たけや製パンの社長が理事長)」で製造された、暗赤色のフタ付きの弁当箱型容器にごはんが入っていた。(容器は厚手の樹脂製。使い捨てではなく、返却・洗浄して何度も使う)
フタの内側に水滴が付いたり、独特のニオイがしたものだ。
しかし、秋田市立の学校では2001年から順次「弁当方式から茶碗盛りつけによる温かい米飯給食」に移行しているらしい。
本来のごはんの食べ方なわけだが、茶碗の洗浄や盛り付けは大変そう。

【2017年9月21日追記】全国的には特に中学校において給食未実施の学校が少なくない(県による偏りあり)らしい。2010年代中頃には全員に同じ弁当を配る形式で給食を始めた地域が複数見られた。その1つ、神奈川県大磯町では、弁当給食がマズく、異物混入も複数発生し、問題になっている。(地域性の違いもあるだろうが、30年前の秋田市と比べても、あちらはだいぶ遅れていると言わざるを得ない。)
報道を見ると、おかずだけが1つの弁当箱、米飯は別の箱で配られるようで、いずれも赤くて硬い再利用できそうな箱、つまりかつての秋田米飯給食のものと同じだった。特に米飯の箱はそっくり。なお、フタは米飯用にはイラストが描かれ、おかず用は色が薄くて柔らかそうなシリコン製っぽいのものだった。(以上追記)

米飯給食に使われる米の品種は、昭和末期までは2品種のブレンド米だったはず(たしかキヨニシキと何か?)だが、あきたこまちが作出され流通するようになって間もなく(1987年頃?)、あきたこまち100%になったはず。
ちなみに、パンはたけや製パン製の学校給食用のコッペパンまたは角型食パン(学年によって2または3枚)に、マーガリンやジャムなど。特に食パンは食べづらくて大嫌いだった。
牛乳は、当時秋田市内に工場があった、雪印乳業の200mlの角型紙パック入り(学校給食用パッケージ)だった。※他社製だったり別容器だったりした学校もあった模様。
※学校給食のパンに関する話題は、この記事末尾

【2019年3月7日追記・ごく初期の給食について】2019年3月6日付秋田魁新報社会面の連載「シリーズ時代を語る」において、弁護士の内藤 徹氏(1934年生まれ)が、戦中の秋田市の給食について触れていた。
1943年10月に満州から、秋田市の旭南国民学校(現・旭南小)3年生に編入。一時期新潟市へ移ったものの、また旭南へ戻って、1945年6月までいた。
満州では水洗だったトイレが、旭南では「レンガが敷いてあり、その上に立って樋に向かってする」もので、びっくりしたとのこと。そこから「学校農園まで肥やしを運ぶ班の班長をさせられた」こともあった。
一方、「給食がありました。ホッケやニシンに野菜を加えた「しょっつる鍋」や豆乳が出たのを覚えています。」。新潟では食糧事情が良くなかったようで「学校でも給食なんか出ませんでした」。上記年表では「栄養不良の児童」限定だったことになるが、旭南では全員に出たのだろうか。



さて、我ながら物持ちが良くて、手元に1989(平成1)年度の「給食だより」がすべてある。
いわゆる献立予定表で、B4横使いでワープロ打ち。「箸」という欄があり、箸を持参すべき(=先割れスプーンが出ない)日に印が付いているのが親切。
なお、翌1990年度はB4縦の手書きで「箸」欄がない、昔ながらのスタイルに戻っている。栄養士(または給食を担当する教諭)の異動があったようだ。

したがって、平成元年度のすべての献立が把握できることになるので、せっかくなので少し紹介します。
※当時の給食だよりの表記をそのまま転記したので、表記の揺れがあります。
※献立予定表の誤字脱字や発行後の内容変更があった可能性もあります。また、見落としもあるかもしれません。
※全国的には、学校給食の思い出として「揚げパン」「ミルメーク」「ソフト麺をカレーやミートソースに入れた」というのがよく挙げられますが、時代の差か地域の差か、僕はいずれも食べた記憶がありません。(ソフト麺は出たけれど、醤油仕立ての汁でした)【ソフト麺の詳細、ミルメークのその後については、末尾の2021年の記事参照】

まずは、ハウスさんとくりいむしちゅーのお2人に敬意を表して、カレーとシチューが出た日をすべて挙げてみたい。
カレー(カッコがないものは「カレー」または「カレーライス」表記)
4月11日、5月19日(ビーフカレー)、6月21日、7月19日、8月29日、10月11日(ポークカレー)、11月22日、12月12日(シーフードカレー)、2月14日(ポークカレー)
ほぼ毎月1回。さすが人気メニューだけある。
いずれも主食はごはん。無印のカレーにも豚肉くらいは入っていたような気がするけど、別に「ポークカレー」があるのは、なぜだろう? 単なる表記揺れか。
なお、別に「ハヤシライス」もまれにあった。

カレーの付け合せには、福神漬が出ていた。(ラッキョウが出た記憶はない)
福神漬は、他のおかずと同じように全員分がボウルに入って届き、クラスで配膳する形式の場合と、1人分ずつパックされた製品が配られる場合とがあった。
パック製品は株式会社新進の「しんしん」ブランドのものだった。(以前は青森市に工場があったはず)
献立表では、「福神漬」表記の時と「しんしん漬け」という表記が混在している。現在は、「しんしん」ブランドの「福神漬」は存在するが、ズバリ「しんしん漬け」という製品はないようだ。当時は、どうだったのだろう。
【24日追記】年1回、全校集会形式の「青少年赤十字(JRC)登録式」があり、そこで「誓いの言葉」を唱和した。
その一節に「心身を強健にし」というフレーズがあるのだが、そこで「しんしん漬け」を連想して笑いが漏れるのが定番だった。それだけ「しんしん漬け」の認知度が高かったのだろう。この記事参照
カレーの時のごはんとの関係、食べ方についての記事

シチュー
4月24日(ホタテのクリームシチュー)、10月16日(クリームシチュー)、12月4日(ビーフシチュー)、1月29日(ビーフシチュー)
カレーほど頻度は多くないと記憶していたが、年4回と思ったより少なく、やっぱり夏より下半期に多い。
寒中にも1度出ているがクリームシチューではなく、残念ながらブラウンソースのビーフシチューだったようだ。


カレーの次によく出ていたのが、スパゲティ。思ったよりも頻繁で1~2か月に1度は出ていた。
ミートソースがよく出ており、おいしかった記憶はある。あとはたまに、白いソースのが出たような記憶もあるが、献立を見ると、記憶以上にバリエーションが豊富だった。
他の副食との組み合わせとともに、いくつか。
コッペパン、スパゲティミートソース、イタリアンサラダ
これが定番。年に数度あった。
それにしてもパンとパスタというのが、炭水化物過多のような気もする。
パンは普通の給食パンだったが、たまに割れ目が入った「背割れコッペ」のこともあり、パンにパスタを挟んで食べるように配慮されていた時もあったはず。

蒸しパン、スパゲティホワイトソース、コンビネーションサラダ
これも記憶にあるような。蒸しパンって「マーラーカオ」みたいなのだっただろうか。
「コンビネーションサラダ」は? レタスに7ミリ角くらいのチーズが混ざったやつだろうか?

市販のバターロール、スパゲティナポリタン、グリーンサラダ、メロン
ナポリタンは出てもおかしくない。「“市販の”バターロール」は原文ママだが、たけやのバターロールということだろう。メロンもついて、ちょっと豪華。

豆入りパン、きのこスパゲティ、フレンチサラダ、ヨーグルト
きのこ入りパスタとは、しゃれている。豆入りパンって、最近は流行っているみたいだけど、当時からあったのか。

バターロール、スパゲティペスカトーレ、フルーツの生クリーム添え
ペスカトーレって、イカとかエビとかアサリとか入ったトマトソースのでしょ。そんなもんが20年前の秋田市の給食に出ていたのか…
(アサリやホタテを使った他のメニューはたまに出ていた。殻から外した状態だったはず)
僕はこの手のパスタは苦手なので、以後、20年以上食べていないことになる。

他に麺類といえば、やきそばがわりとよく出ていた。これも場合によっては背割れコッペパンと組み合わせていた。【2016年6月19日追記】今はあんかけとか塩やきそばとかもあるが、当時はもちろんソース味。
この年はなかったようだが、まれに「ジャージャー麺」も出ていた。今は盛岡市の名物として認知されているが、当時はそれほどでもなかったと思う。ジャージャー麺の存在を初めて知ったのが学校給食だった。【2016年6月19日追記】本場のジャージャー麺は辛味があり、うどんのような白くて太い麺を使う店もあるようだ。秋田市の給食では、辛味は少なく(まったくなく?)、焼きそばと同じような麺で、焼きそばとほとんど区別がつかなかった。味付けが違う焼きそばみたいな感じか。


回数は少なかった(それぞれ年に1~3回)が、人気があったと思われるのが、「自分で作る」系メニュー。
背割れコッペ、セルフサンド、卵スープ、デザート
これは昭和50年代から出ていたと思われるもの。スープがポタージュだったことも多い。
割れ目の入ったコッペパンと具材(具体的に思い浮かばないけど野菜、チーズ、ハムとか?)が出され、各自で具材を挟んで食べるもの。
食パンではなく、必ずコッペパンだったと思う。
【6月30日追記】それ以前の小学校の頃に「スライスチーズ」が出たのを思い出した、その時は食パンに挟んで食べたような気がする。でも、中学校では食パンが3枚切りであったため、サンドにすると半端になる恐れがある。どうだったんだろう。

ハンバーガー、セルフバーガー、コンソメスープ、洋梨フレッシュゼリー
これはたまにしかなかった。
最初の「ハンバーガー」はハンバーガー用のパンのこと。学校給食用パンの袋に入ってはいたが、クリームパンみたいな形でがま口状に開くタイプだったはず。
ハンバーグや野菜がついて、それを挟んで食べる。

すしごはん、手巻き寿司、ツナサラダ、豚汁、デザート
1986~1987年頃(1986年度だと思う)に突然、初登場し、「ごはんが酸っぱい!」「どうやって食べるんだ!」「具がはみ出るじゃないか!」「ごはんが余る/海苔が足りない」と教室が騒然となった記憶がある。
いつもと同じ、赤いお弁当箱に酢飯が入り、コンビニの海苔巻き寿司用と同じ海苔が1人に3枚くらい配られ、おかずの皿にはスティック状のキュウリ、卵焼き、チーズなどが配られ、それを巻いて食べるもの。(上のメニューのツナサラダも具になり得るが、量や食べ方を誤ると、反対側からこぼれて大変だった)

とんねるずが「土曜日は手巻ぁーきの日ぃ」とミツカン酢のCMをしていたのが、1989年だそうだから、それ以前の当時はまだ「手巻き寿司」という言葉すら、秋田では定着どころか認知もされていなかったはずで、我々当時の子どもたちは戸惑った。【2023年5月11日追記・当時秋田市内にも店舗があった小僧寿しの手巻き寿司は、1986年時点ですでに発売されていたはず。そのおかげで、初めて接した海苔のフィルムに戸惑わなかった記憶があるので。】
しかも、ごはんが多く(通常の白飯並み)、相対的に具材や海苔が少ないため、両者の配分が難しいという問題も抱えており、余った酢飯をやむを得ず弁当箱から直接口へ放り込むという、ちょっと情けない行為もしなければならなかった。(この点は、僕が中学校卒業時まで改善されなかった。)
ただ、このメニューは、比較的学期末間近などに出される傾向があり(気のせいかも?)、なんとなくうれしいメニューではあった。


ざっと見て、個人的に、「あれがおいしかったな」と思い浮かぶものをリストアップすると、ほとんどがごはんの日のメニュー。当時から、あっさり系が好きだったようだ。
とり肉のピーナツからめ
甘辛い鶏の唐揚げみたいなのに、砕いたピーナッツがまぶしてあるもの。もっと前から出ていたかもしれないが、1986年に突然「これはうまい」と感動した記憶がある。【22日23時45分補足】鶏肉の「唐揚げ」ではなかった(衣がなかった)かもしれない。
【2018年11月16日追記】市立浜田小学校のホームページに、2015年作成と思われる給食のレシピが紹介されていて、それに「鶏肉のピーナッツがらめ」があった。写真を見る限り、記憶にあるのと同じ。今なお出ているようだ。ひと口大の鶏もも肉に下味と片栗粉を付けて揚げ、ピーナツと醤油やみりんで作ったタレをからめるもの。

ホキの天ぷら
白身魚の天ぷらで皿からはみ出すくらい大きかった気がする(気がしただけかも)。小学校入学当初、こんなでっかいもの食えるかと思ったが、淡白な味で食べやすくて好きになった。
おそらくベチャベチャしないよう何らかの対策が取られていたと思われ、衣の表面が妙にボコボコしていた気がするが、当時の秋田市の学校給食で出た、唯一の天ぷらではないだろうか。
パックの醤油が付いていて、醤油もけっこうおいしいじゃんと感じたのと、午後は指に醤油の香りが残っていたのも思い出。

平成元年では派生メニューらしき「ホキ天の野菜あんかけ」も1度出ている。
「ホキ」はフィレオフィッシュなどの材料としても世界的に好まれる魚で、乱獲気味らしい。今の給食では出ているのだろうか。

うの花のいり煮
これも気に入った。今もスーパーの惣菜で見かけると食べたくなる。
ほかにひじきの煮物(平成元年は「いそ煮」という名称)のおいしさを知ったのも、給食だった。

さんまあられ
輪切り(筒切り?)にしたサンマの佃煮というか甘露煮。
福神漬と同様、クラスで配膳する場合と、1人ずつの真空パックが配られる場合があり、パックには「さんまあられ」と表示されていた記憶があるので、そういう商品名だったのかもしれない。(ネットで検索すると同名商品があるが、それとは同一ではない)
当然、骨まで柔らかく、ごはんとの相性が抜群だった。

ちくわのドレッシングあえ
ちくわのサラダ。フレンチドレッシング系の味でまずくはなかったと思う。
肉じゃがの日にも出ているし、クリームシチューの日にも出ているので、和洋両方に対応できるようだ。
平成元年度には見当たらないが、「そばサラダ」というのもあった。蕎麦の麺が入ったサラダだった。これもまずくはなかった。

【6月30日追記】ほかに、ホウレンソウなどの「ピーナッツあえ」や「ごまあえ」もおいしかった。それらのおいしさを給食で知った。
現在は「~の元」が発売されていて、家庭でも簡単に作れるが、それとほぼ同じ味だったと思う。

ゆかりごはん」「わかめごはん
通常の弁当箱のごはんに、ゆかりやワカメが混ぜられたもの。
赤シソのふりかけである「ゆかり」は株式会社三島食品の登録商標だが、同社の製品を使っていたということだろうか。
年に数回出て、僕はそんなに好きではなかったが、中学生の頃、一部男子生徒が異様に好んでいた。

甘夏かん」「伊予柑」【2月7日追記】「ハッサク」も出ていたような気がするのを思い出した。
デザートの果物としては、上記メロンやイチゴ、ミカン(冷凍含む)なども出ていたが、アマナツやイヨカン(1人当たり8等分程度に切ったもの※こんな感じ)が多かった印象。当時はオレンジの輸入自由化前だったからだろうか。
我が家ではあまり食べない柑橘類だったので、珍しかったのと、種と皮で食べにくかったのと、(子どもにしては)酸っぱかった記憶がある。

給食でも国際化が進んでいた。
ごはん、青椒牛肉糸(椒は手書き)、中華汁、納豆
「チンジャオロウスー」は「青椒肉絲」と漢字表記する。本来は豚肉で、牛肉を使ったものを特に青椒牛肉糸などと表記することがあるようだ。
「椒」は「山椒」の椒だから当時のワープロでも対応していた文字のはずだが、給食だよりでは変換の仕方が分からなかったのか、そこだけ手書き。今のパソコンでは「ちんじゃおろーす」で変換できる。
これも当時としては先進的な料理だったかもしれない。

よく分からないけど「中華汁」はいいにしても、「納豆」だけ妙に和風。
納豆もちろん、秋田のメーカー「ヤマダフーズ」の「おはよう納豆」ブランド。「粒(全国的な普通の納豆)」タイプと秋田独特の豆を砕いた「ひきわり」タイプが半々くらいの頻度で出ていたかもしれない。(献立に明示されていた年もあったはず)

ごはん、マーボ豆腐、伴三糸、シューマイ」「ごはん、マーボ豆腐、中華サラダ、パオミート
麻婆豆腐は当時からポピュラーだっただけに、給食でもよく出た。
でも、付け合せについて。まず「伴三糸」って何?
調べると「パンサンスー」、「春雨の和え物」とのこと。それなら覚えている。もう1つの「中華サラダ」にも春雨が入っていそうで、違いが分からないけど。(キュウリ、ハムなどが入って中華風ドレッシングで和えたやつか。赤いトウガラシの破片が入っていることもあったか)
で、「パオミート」って何だろう? これはまったく分からなかった。

たら汁、豚肉と野菜の韓国煮
どちらも記憶にはない。たら汁というからには「鱈」のみそ汁だろうか。
韓流ブーム以前だったし、まだキムチも一般的ではなかった頃なので、韓国風料理はこれとたまにナムルが出ていたかな。
今なら、ビビンバとかキムチとかいろいろ出ているのかもしれない。

外国風料理といえば、「ボルシチ」が定番で、平成元年は2度出ている。
正直、ブラウンシチューとの違いがあまりなかったような…


国内各地の料理も。
石狩汁」この年は2度出ている。
北海道の「石狩鍋」のことだが、鍋で出すわけでないので、「汁」にしたのだろうか。
のっぺい汁
記憶なし。長野県など各地に伝わる郷土料理らしいが、秋田にはないと思う。
焼魚、長いものおひたし、きゃのこ汁
まず「長いものおひたし」。全国的には短冊切りにするようだが、秋田ではより細かい千切り状にしたナガイモに醤油をかける。秋田特産のホウキグサの実「トンブリ」を散らすこともあったかもしれない。これは調理が大変そうだけど、時々出ていた。
もう1つの「きゃのこ汁」は記憶にないし、知らなかった。
調べると、秋田で小正月に食べられる郷土料理だそう。
いろんな野菜や豆類が入った味噌仕立ての汁物だそうで、コンセプトとしては青森県津軽地方の「けの汁(粥の汁)」と同じようだ。(けの汁の方が具の刻み方が細かい)
弘前で1度だけ、けの汁を食べたことがあったが、その秋田版を前に食べていたのか…
【2023年1月16日追記・きゃのこ汁は、秋田県の中央~北方面の食文化のようだ。津軽と異なる点として、大豆ともち米の粉を丸めて焼いた「焼きずんだ」が入るのが特徴。五城目町では、食育推進の一環として、朝市やイベントで食べられることもあるとのこと。
また、けの汁は弘前市や青森市のホテルでは、朝食バイキングのメニューの1つになっていることも珍しくない。材料を刻んで水煮にしたものや缶詰も売られているとのこと。】

白玉汁
白玉(白玉だんご)といえば、ぜんざいなど甘いものと相性がいい米粉製品で、秋田県内に製造メーカーがいくつかある。
その製品の1つに、粉ではなく、餅の状態にした長いソーセージ状の製品がある。切って茹でるだけで、手軽に白玉だんごが食べられるというシロモノ。
これは、そのソーセージ形白玉を、醤油仕立ての汁で煮込んだもの。

きりたんぽ鍋やだまこ鍋を意識したメニューのように思えたが、全国的に「白玉汁」というメニューが学校給食に出ているようだ。
ただし、他県のものは野菜が多かったりして、秋田のとは違う印象。やはり多少はきりたんぽを意識していたのだろうか。
【2017年11月19日追記】秋田市では、平成元年度でない別の年では、場合によって「だまこ汁(鍋?)」という献立名だった時もあったはず。献立表を見て「あのだまこが出るのか!」と期待したら、カット白玉が入っていて拍子抜けした記憶あり。※カット白玉=即席白玉についてはこちら

コッペパン、マーガリン、稲庭うどん、和風サラダ、いがぐりむし
また炭水化物過多気味だが、きりたんぽと並ぶ秋田の郷土料理「稲庭(いなにわ)うどん」も給食に出ていた。(稲庭うどんが全国区になったのは比較的最近だが、秋田では当時から有名)
ソフト麺とは違い、最初から汁と麺が一緒に食缶に入っていたが、麺が伸びなかったのだろうか?(稲庭は乾麺なので、技術的にソフト麺式にはできないだろう)
また、稲庭うどんはうどんにしては高級品。コスト的に「本物」を使っていたのかも、気になる。
ただ、見かけや食感は、本物と同じくらいだったと記憶している。
「いがぐりむし」というのは、肉団子の周りに米粒を付けて蒸したもの。外見が栗に似ているから「いが栗蒸し」というわけで、台湾の料理らしい。※いがぐり蒸しについて詳しくはこちら

以上、大寒のシチューから、カレー経由で学校給食の思い出になってしまいました。

現在、秋田市立の一部の学校では、ホームページで給食の献立を紹介している。
少し見てみると、「麦ごはん」「ゴーヤチャンプルー」「ABCスープ(単にアルファベット形マカロニ入り洋風スープ?)」など、目新しいメニューばかりで、懐かしさは感じなかった。
20年が経っているわけだが、時代が変わっていることを感じずにはいられなかった。

【2016年12月21日追記】
コメント欄でも少し触れている、おかずや汁物の食器について。
僕は小中学校9年間、銀色の金属製のものだった。しかし、小学校の入学当初は、上の学年の人たちは黄色というかクリーム色の樹脂製を使っていて、混在していたような記憶がある。
秋田魁新報の「内外の歴史」欄によれば、1998年12月21日に「秋田市は市内小中学校の給食用ポリカーボネート製食器の使用中止を決め以前のステンレス製に戻すことにした」そうだ。当時は、環境ホルモンが問題視されており、その影響だろう。
その時点で、市内すべてでポリカーボネートが使われていたのではなく、ステンレスと混在していた可能性もあるが、遅くとも1980年代中頃からステンレスとポリカーボネートが混在し、1990年代末にすべてステンレス製になった(戻った)ということのようだ。
【2019年2月14日補足】ステンレス食器と、記憶にある樹脂製の食器では形状が異なった。お椀が顕著で、ステンレス製は背が低くて開口部~底面が広い、つまり浅いのに対し、樹脂製はそれより深い形状。お盆上での専有面積の関係か、持ち方・食べ方・姿勢といった作法上の効果を狙ったのか、製造上の都合なのか、理由は不明。

【2017年12月27日追記】
豚肉や野菜が入ったみそ汁を、秋田では「豚汁(とんじる)」と称するのが一般的。
当時の秋田市の学校給食でも「豚汁」表記が多かったが、まれに「さつま汁」と表記されて同じもの(豚肉が入らずサツマイモだけってこともあったかも?)が出ることもあった。
「さつま汁」の「さつま」とは、サツマイモのことではなく、鹿児島の薩摩であり、薩摩の郷土料理なのだそう。本来は、鶏肉や豚肉が入ったみそ汁のことで、薩摩汁の1形態が豚汁に当たる。

当時の秋田市の給食では、焼きそばとジャージャー麺、ビーフシチューとボルシチの区別があいまいであったと本文中に書いたが、同様に単に豚汁の同義か、あるいはサツマイモの汁という意味で使っていたのではないだろうか。

2021年の記事。新たな思い出、その後の状況、そしてミルメークがついに!
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広面の交差点名

2012-01-19 20:31:27 | 秋田の地理
おとといに続いて、信号機に設置されている「交差点名」(正式には道路管理者管轄の「主要地点」標識)について。だいぶ前に撮影したストック画像を使用します。

交差点名表示が極めて少ない秋田県でも、部分的に多数設置されている所がある。
その1つが、秋田駅の北東、広面(ひろおもて)地区の秋田大学医学部附属病院近く。
広小路、手形陸橋を経て東へ進む「秋田県道28号線」と横金(よこかな)線と呼ばれる南北方向の「秋田県道41号線」が交差する辺り。
Googleマップより。黄色い道が県道、それ以外が市道

まず、上の地図の右下、オレンジ色の丸で囲った、市道どうしの交差点。ここから大学病院までは北へ500メートルほど。
南側から。奥が大学病院
東西方向の道側の信号機にだけ、交差点名が表示されている。
 大学病院入口
ちなみにこの信号機は、レンズ(点灯する部分)が通常より5センチ小さい、直径25センチ。秋田県内ではたまに見かけるが、全国的には珍品の部類らしい。
古めの表示板らしく、活字とは違う独特の書体で、若干剥がれかけているような感じ。(信号機より表示板の方が古いと思われる)


このすぐ北、100メートルのところが、県道28号線との交差点。(上の地図で赤色の丸)
同じく南から
ここにも名前が付いている。
表示があるのは、やはり東西方向(県道)の信号機だけ。
これは30センチの信号機。縦型最初期の古いタイプだと思われる
こちらの名前は
秋田大学付属病院
大型で英語表示もある、贅沢な表示板。
まず、正式な「附属」ではなく、「付属」という文字を使ったのには、何か意図があるのだろうか?
そして英語が「Akitadaigakufuzokubyoin」という、音をそのまま、しかも区切りもなしにローマ字化したのも、何だかな…

何より、「秋田大学付属病院」だと、まるでここが病院の真ん前の交差点かのような誤解を与えてしまいそうだ。
病院まではここから400メートルも離れているし、病院の前までにあと2つも信号機付き交差点があるのだから、これを「地点名」の標識とするのには無理があるようにも思える。


100メートルほど隔てて並走する道どうしに、「大学病院入口」と「秋田大学付属病院」という似た名称の交差点があるのにも違和感を感じる。
なぜ、こんな不思議は位置関係になったのかは、この辺の道路の歴史をさかのぼると、分かってくる。
※以下、個人的な記憶と憶測によるものです。事実とは異なるかもしれません。
現在はこのような道路配置
しかし、
20年ほど前(?)までは、このような道路配置だった
昔は「秋田大学付属病院」の交差点と東西の県道(と横金線も)がなかった。おそらく、現在は市道になっている「大学病院入口」を通る東西の道路が県道だったのだろう。(その名残か、路線バスは現在もこっちの道を通る)

新しい県道が開通するに当たり、
「大学病院への入口を示す交差点名は必要だべな」
「だども、もう『大学病院入口』交差点があるべ」
「んだなー。へば、『秋田大学付属病院』にするか」
といった判断で、こうなったのではないだろうか。

秋田県内の他の交差点にならえば、市道の「大学病院入口」は無名交差点に成り下がってしまってもやむを得ないような気さえするが、例えば、そちらを近くにある一定の認知度のある地名を取って「谷内佐渡(やないさど)」にするとかしてもいいかもしれない。


最後に、地図左下の青い丸、太平山三吉神社近くの県道28号線の新旧が分岐する、三叉路というか「y」字路交差点は、こういう名前。
広面小南
僕はこれを見ると、いつも「ひろおもてこみなみ」と読んでしまいたくなってしょうがない。しかし、「小南・こみなみ」などという地名は存在しない。
これは「ひろおもてしょうみなみ」、すなわち「秋田市立広面小学校の南の地点」という意味らしい。

全国的には、学校の近くの交差点には「◯◯小学校前」などと表示されているばかりでなく、周辺には「◯◯小学校北」といったような名称が付いていることもある。
しかし、秋田においては、学校名が付いた交差点はあまりない(というか僕は思い浮かばない)。この広面小学校は、とても珍しいケースだ。

「広面小南」があるからといって、「広面小“前”」という交差点が存在するわけではない。学校からほぼ同じ距離に反対側へ進んだ、マックスバリュ広面店などの前の横金線との無名交差点を「広面小“北”」という交差点名にして対にするのなら、まだ意味があると思うが。

「広面小南」と広面小学校は、間に住宅地を挟んで400メートルほど離れているし、あまりふさわしいネーミングではないと思う。「三吉神社前」とか「広面小入口」という名称の方が適切なように思える。


そういえば、学校の北側の横金線を渡った向こうにある、路線バス手形山団地線の「広面小学校入口」バス停の位置も、横金線ができる前の状態を考えるとなるほどと思えるのだが、今となってはあまりふさわしくないネーミングのように感じる。
横金線など新しい道路の開通によって街の光景や人の動線が変化してしまったけれど、交差点名やバス停名で昔の姿が分かることがあるというわけだ。(それがいいことだとは言えないけれど)

関連記事(谷内佐渡バス停)
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行き先表示の故障

2012-01-18 20:38:41 | 秋田のいろいろ
路線バスの行き先表示のトラブルや故障の話題。
最初に、この記事は行き先表示器がこのような壊れ方をするという実例の記録と紹介が目的です。
行き先表示器は振動や暑さ・寒さの厳しい環境で稼働する機器であり、運行中に突然故障することもあるでしょう。したがって、バス会社を批判する意図ではないことを申し沿えておきます。(もちろん、故障を認知した際の乗客へのフォローや迅速な修理、日頃の一層の点検・整備はお願いしておきたいものです)

●懐かしの…
まずは、だいぶ前に見かけた、単なる操作ミス。
行き先表示器の表示の変更は、表示するコマごとに決められた3ケタの数字を入力して行う。(それにより幕式なら回転して自動的に止まり、LED式ならデータが表示される)
表示するべきコマとは違った数字を入力してしまえば、間違ったコマが表示されてしまう。(最新システムを導入している会社なら、そういうミスへの対策もあるのかもしれないが)

旧秋田市営バスから中央交通に譲渡された車両では、譲渡後もLED化せずに幕式の行き先表示を使っている車両があった。(現在は大方LEDに更新されたはず)
譲渡後に、中央交通仕様の幕を新しく作ってセットした車両もあるが、一部の車両では市営バス時代の幕を再利用していた。(両者は書体が違うので見分けられた)

そんな車両では、市営バス時代(移管前)に廃止などで使われなくなった行き先のコマがそのまま残っている場合があった。
秋田駅に向かうバス
「県庁市役所 八橋球場」とくれば、続く文字は臨海営業所か県立プールくらいしかないはずだが、この表示は仮名文字ばかり。


「県庁市役所 八橋球場.たけやパン」!!
懐かしい!
以前は、あの、たけやのパン(たけや製パン)行きの市営バスがあったのだ。路線名としては「山王線」だったか?

秋田駅前から竿燈大通り・山王大通り(県庁・市役所前)を進み、工場地帯に入ってたけや製パンの本社・工場前が終点の路線だったのだが、2000年4月に廃止されている。新国道方面とともに交通局路線移管の第一弾だったことになる。
たけやパン前のすぐそばが、中央交通の秋田営業所であるため、本数が多い中央交通の「県庁経由(大川反)車庫行き」とほぼ完全に競合していたため、市営バス路線を廃止しても問題ないという判断だったのだろう。

間違えた表示を出していたバスは、秋田駅に到着して気づいたらしく、
県立プール行きになりました

●行き先表示が止まらない!
昨年、秋田駅西口に川尻割山線らしき大型バスが停まっていた。
行き先表示は幕式。県外の中古車なので、幕は中央交通が作ったもの(交通局のより肉細の文字)。
行き先表示回転中
しかし、行き先表示がぐるぐると回っていて、なかなか止まらない。
【19日追記】上の写真で下に見えているコマは市立下新城小学校のスクールバスのものだろうか。
青文字の「島合」という地名は初耳だが「下新城中野字島合」という所が存在するようだ。国道と並走する奥羽本線の東側で、北部公民館の南向かい辺り。

この車両のような割山線や新屋線に使われる臨海営業所の大型車は、使用される路線はごく限られているのに、幕のコマは妙にたくさんセットされていて、いろんな表示を見せながら時間がかかって止まる。
運転士もそのことを承知していて、中央通りに入った辺りから機器を操作して、秋田駅に着く時には、既に止まっているのが普通なのだが…

しかしこの時は、いつまで経っても止まらなかった。
よく見ると、たくさんある行き先のうち、20コマ程度の一部分のコマを行ったり来たりしている。その中には「川尻・割山」はなく、これではいつまで待っても止まるわけはない。
側面は未確認だが、前と後ろが同じような状況だった。
幕にはバーコードのようなものが印字されていて、それを読み取って停止する仕組みなのだが、前も後ろも同時におかしくなるということは、運転席の指令器の故障だろうか?(どれか1か所だけの故障なら、センサーやモーターの故障が考えられる)
最悪の場合、手動でモーターを動かして止めることもできるはずだが、数分間見ていた限りでは、そのような対処はしていなかった。(ちなみに、弘前の弘南バスでは、自動停止機構のない幕装置を使用しており、運転士が毎回、目視でモーターを操作して行き先表示を動かしている)
なお、この車両は、数日後に正常な表示を出して運行しているのを確認している。

●無意味なコマコレクション(故障とは直接関係ないですが)
上でも少し触れたけれど、臨海営業所の大型車には、使いもしないコマがたくさんセットされていて、無駄に思える。
上の故障時のほか、通常のコマ回転中に見えたものをいくつか。
「秋田温泉」
中型バスしか走らない秋田温泉線のコマが、大型バスにセットされている。
市営バスでも大型と中型の間で共通の幕を使っていたようなので、それにならって中央交通でも作ったのかもしれない。でも、作成時点で既にLEDが普及しており、今後中型バスで幕を使用する可能性は低かったはずなので、もうちょっと考えて作ってもよかったのではないだろうか。
【2016年11月27日追記】ツイッターで、これと同じと思われる幕のセット(ロール)を入手した愛好家のつぶやきがあった。それによれば、205コマ(うち「回送」は1コマだけ)あるとのこと。
「楢山大回」
大回り線の楢山回り。これも中型路線。
市営バス当時の表示は「楢」のつくりの上が「八」だったはずだが、これは点になっている。
逆回りで現在は廃止された「手形大回」は、見た範囲では出てこなかった。

「有楽町 牛島 二ツ屋」
先日取り上げた「二ツ屋線」(二ツ屋下丁/大野口行き)のことらしいが、市営バス当時の1994年で廃止された系統がなぜか登場。
市営バスでは、黒い同じ大きさの文字で「牛島・二ツ屋」という表示だった。

小さいけど「国民の森」
仁別の奥にある、「仁別国民の森」へ行くということらしい。昔は市営バスが運行していたのをなんとなく記憶している。
秋田市の広報を見ると、1970年代に休日だけ運転されていたのは確認でき、1979年には「山菜登山バス」という名称だったようだ。
20年以上は運転されていないであろう路線の表示をなんでまた入れたのか。

移管路線ではなく、中央交通オリジナル路線の表示も混ざっている。
「雄和町役場」
この路線は中型限定。しかも今は市町合併で「雄和市民サービスセンター」となり、有楽町・牛島経由ではなく、愛宕下橋・牛島経由になった。
見づらいけれど「鵜養・殿渕」
どちらも秋田市河辺(旧河辺町)地区の集落で、「うやしない」「とのぶち」と読む。
岩見三内線の系統だろうか? 大型バスを使うような路線ではないと思うが。
これらもなんで入れたのか不明。

 「ユフォーレ」/「小平岱」
これらも河辺地区だから、岩見三内線系統?

「牛島 目長田団地」
目長田は秋田市仁井田地区。
移管前から中央交通のエリアだったはずで、今も目長田を通る路線はあるが、こんな行き先の路線あった?【2019年5月14日追記】2009年まで存在していた。


「新国道 千秋トンネル 大学病院・経法大附高」
これは再び市営バスからの移管路線。
今もあるけど本数が少ないし、経法大附高は「明桜高校」に変わった。さらに今の表示方法だと「ノースアジア大学回転地」行きなのだろう。


「県庁 茨島 南高校・御所野」
これは…
市営バスから移管されたが2010年3月で廃止された「茨島経由御野場団地線」というのがあった(本数は少なかった)。
それはおそらく「県庁 茨島 南高校・御野場」という表示だったはず。しかし、これは「御野場」でなく、その先の「御所野」。
こういう路線もあったのか、あるいは将来的に延伸するつもりで準備していたのか?

「スクール」
スクールバス。
特定の学校の児童生徒の通学用として運行されるバスで使うコマだと思われる。
秋田市内でも学区が広範囲ないくつかの学校で運行されており、かつては市営バスが担当していたが、移管されている。
「その学校の児童生徒しか利用できない路線バス」といった位置づけらしく、乗車の都度、各自運賃を支払う(または定期券を提示する)ようだ。
【19日追記】上の「島合」の下新城小学校もその1つだと思われるが専用のコマが用意されていることになる。秋田市中心部に近い学校でも運行されている所があり、そこではこの「スクール」のみの表示。

スクールバスといえば、こんなものも。
「御野場団地 附小 北高 秋工 秋高入口」。青文字の「スクール」がやや左に寄っている
一見、側面の表示のようだが、これが正面と後部に表示される。市営バスでもこの表示だった。
これは、
御野場-南高校前-卸センター入口-イオン秋田中央店前-有楽町-中央警察署前-通町橋-鷹匠橋-すわ町(千秋トンネル通りの泉山王環状線用)-原の町(大回り線用)-北高校前-東中学校前-秋高入口
という、複雑な経路をたどる路線で、市営バスからの移管路線。(昭和末期頃は、通町橋・鷹匠橋でなく通町・菊谷小路を通っていたはず)
朝は御野場発、夕方(16時頃)に秋高入口発が1本ずつ運行される。
御野場・仁井田方面から各学校への通学利用が主目的なわけだが、児童・生徒でなくても誰でも利用できる、通常の路線バス。
表示にある途中の「附小(秋田大学附属小学校)」と「秋工(秋田工業高校)」は、直接的な名称のバス停はないが、附属小学校はすわ町か原の町、秋田工業高校は千秋中島町あたりが最寄りバス停か。

と思っていると、同じ車両にもう1コマ。
さっきのと似てるけど
青文字の「スクール」が消え、左端に「御所野」が登場。「附小」が「附小中」、「秋高入口」が「秋高」に変わっている。
要は御所野-御野場間が延長されたわけだ。

実はこの路線、市営バス当時は冬期間(11月~3月)の学校開校日のみの運行だったが、移管後は平日に通年運行されている上、いつの間にか御所野(実際の始発/終着点はイオンモール秋田前)まで延長されたようだ。【2015年4月2日追記】市営バス末期には既に、御所野発着に延長されていた。また、学校週5日制実施前の土曜日(時期によっては先に休校日になった第2・第4以外)は朝のみ運行だった。
このバスには、延長前後両方の表示がセットされていることになるが、実際には秋田営業所(かつては秋田東営業所担当)の中型バスが担当しているようなので、これも無駄なコマ。
分かりやすいようで分かりにくいような…
LEDでは、そもそもこんな細かな表示はできなさそうだし、新しい系統番号付き表示では普通に「542 秋田高校入口」「542 イオンモール秋田」なんだろう。

●LEDも壊れます
今までは幕式の行き先表示のトラブルや故障だった。
LEDでは、行き先の回転が止まらなくなるといった不具合は起こり得ないが、それ以外の故障はある。
 (再掲
「シルバーエリア」が「シルバーエリフ」に見えてしまうような、部分的にLEDのドットが点灯しない「画素欠け」。
これは、経年劣化のようなものであり、LEDの球(?)を交換するしかないのかもしれない。

さらに最近、こんなバスを見た。
何だ?
このバスは新屋線の西部サービスセンター(正しくは西部市民サービスセンター)行き。
本来であれば、このように表示されないといけない。
 (再掲)「710 大町 西部サービスセンター」

ところがこの車両、下半分のLEDが全部消灯してしまっているのだ。
この状態で正面を見る限りでは、「大町」しか読み取れず、これが新屋線だとは認識できない。
上は正常、下はごそっと消灯
※カメラのシャッタースピードによっては、LEDが欠けて写る場合がありますが、その時は筋状に消灯して写るため、この画像とは異なる見え方です。

この車両の直前の運行で表示されていた「回 送」も、同様に下半分がなかった。LED自体の故障ではなく、指示器や配線の故障が原因だろうか。
こういう故障の仕方もあるのかと、妙に感心してしまった。

繰り返しになるけれど、日常の点検整備と故障時の適切な対処は、しっかりとお願いしますよ。
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大町五丁目・日銀前

2012-01-17 22:18:10 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部の道路関連の話題を3つ。
●幻になりかけていた交差点
2009年の記事で、秋田における交差点名称の表示-正確には「主要地点」標識-を取り上げた。※こちらこちら
「山王十字路」とか「茨島」といった、信号機に表示されているその場所の名前のこと。
これは、道路管理者が設置・管理する「案内標識」の1つでありながら、警察が管理する信号機に“間借り”して設置されており、しかも交わる道で道路管理者が異なることもあるから、いろいろな思惑が交錯するという事情があるのかもしれない。
だが、それにしても、他県に比べて秋田では、あまりにも主要地点表示が少ないのだ。
中には、昔は地点名表示があったのに信号機の交換時などに合わせて撤去されてしまいそれっきりという箇所や表示板がボロボロになって判読しづらいものもある。

そんな場所の1つが、秋田市の大町通りと横町通りが交差する「大町五丁目」交差点。
4方向にある車両用信号機のうち、南大通り・五丁目橋側から西進する車両が見る信号機にだけ表示板が付いていたのだが、それがボロボロだった。
 (再掲)
かろうじてこの1枚でここが「大町五丁目」であることを示していた。

昨年12月上旬のある日、ここを通りかかると…
信号機のそばで工事中
なんと「大町五丁目」の表示板が撤去されていた!
ボロボロに見えても、固定はしっかりしていたようで、取りづらそう
ということは、ここもついに無名交差点に成り下がってしまい、「大町五丁目」も“幻の交差点”になってしまうのかと考えたが、その後しばらく確認していなかった。
年が明けて久々に通ってみると、
むむ!
意外にも、
「大町五丁目」の新しい表示板が付いていた!!
無名化は回避されたわけだが、正直、意外だった。
というのは、この信号機は古い横型なので遠くないうちに縦型に更新されるだろうし、ここでは道路拡張工事が予定されてもいる。
だから、信号機がこの位置に横型である限り、新しい表示板が取り付けられる可能性は低いと思っていた。

以前の表示は、棒に表示板を吊り下げて「のれん」状にしたものを信号機のアームに取り付けるという珍しい取り付け方法(【20日追記】元々は横型信号機の底面に取り付けるタイプだったのかもしれない)だったが、新しいのは表示板裏面を信号機のアームに直接固定する一般的な方法のようだ。
新しい表示板
なんか微妙なサイズ・形状だし、現在主流の英字表記がない。
 (再掲)由利本荘市の国道105号線(県管理)の「組合病院前」
本荘の「組合病院前」の表示板を横にしたような仕様だ。(文字サイズは大町五丁目の方が若干大きいか)

それに新しい表示板が設置されたのは、この1方向の信号機だけ。他の3方向は、今まで通り、ない。(うち1方向は一方通行の入口側だから必要ないかもしれないが)
大町通り側
どの道も秋田市道のはずだから、この機会に「大町五丁目」を増やしてもよかったのではないだろうか。
【2013年12月2日追記】2013年に、この表示板が取り付けられている信号機が縦型に更新されたが、引き続き同じ表示板が付いている。→さらに2023年に変化

現状維持の感もあるが、まあ一歩前進だとしておこう。
県道や秋田市以外の市町村道も含めて、他にも、地点表示の新設や更新が必要だと思う箇所も少なくない。地理に不慣れな人が迷わずに通行できるよう、配慮が必要だと思う。

●大町東地下道
竿燈大通り
大町五丁目から北へ進んで、県道の竿燈大通りの「日銀秋田支店前」交差点。
竿燈大通りには、通りを横断する歩行者用の地下道が4か所に設けられている。(以前はもう1つあったが、秋田中央道路非常口に転用されて廃止)
現在は地上に歩行者用信号機と横断歩道がいくつか設けられているが、昔はそれがなく、地下道が唯一の横断手段だったものだ。

日銀前にも地下道があり、名前は「大町東地下道」。地点名と一致していない…
大町東地下道
その地下道の下り口が最近、4つとも閉鎖されていて、通行できなくなっている。
通行止め
説明などの表示は特にない。
たしかずっと以前、ここを通ったら、水が溜まっていてポンプのようなものが置かれていた記憶がある。推測だけど、雪が積もって排水が悪くなって水が溜まったりそれが凍結する恐れがあるため、封鎖したのかもしれない。
それに、日銀前ではないかもしれないが、2004年には、竿燈大通りのどこかの地下道が冠水して点検中にも関わらず、封鎖や誘導の措置を行わなかったため、通行人がフタが外れていたポンプ施設に落下して負傷、県と工事会社が損害賠償を請求されたこともあった(2009年)ので、慎重に対処しているのかもしれない。

なお、日銀前交差点には、東側に歩行者も横断できる信号機付き横断歩道がある。竿燈大通りの他の地下道は通行できるようだ。
※続きはこちら

●季節外れの
もう1つ竿燈大通りから。
歩道の車道際には雪山ができているが、その間にこんなものがある。
わざわざ雪を寄せた模様
地下に埋められているライフラインや融雪装置などの地上機器が入ったボックス。
今なら雪に埋もれているのが普通だが、ここでは雪が寄せられ、パイプを組んで蚊帳かレースみたいなもので覆われている。しかも、ボックスの色が今までと違ってピカピカ。

おそらく、昨年3月に南大通りで行われていたような、ボックス表面の再塗装が行われているようだ。
塗料が乾く前に雪がついては困るし、風通しを良くして乾かすために、覆いが設置されているのだろう。
別の箱。右は東北電力の機器らしいが塗装しないのかな
東京では雨が何日も降らず乾燥し、湿度が極端に低くなっている。そんな場所なら、今がペンキ塗りの最適期だろう。
一方、今の秋田は雪が積もって吹雪いて、こんな覆いまで必要になっては、“最不適期”だ。
融雪装置の工事と同じく、年度末が近いからという発注者側(県なのか関係各企業なのか)の理論かもしれないが、その場所に応じた工事のやりやすさとか作業効率も考えるべきだと思う。
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えきねっとトクだ値

2012-01-16 23:40:13 | 秋田のいろいろ
秋田と首都圏(東京)の移動で代表的な公共交通機関といえば、航空機か秋田新幹線。新幹線「こまち」を使って、いかに安く出かけるかについて。
なお、秋田-羽田の航空機は正規料金は24770円だけど、16770円程度(もっと安い場合も)まで安くなる模様。
「こまち」の秋田-東京の片道通常料金は、乗車券9560円+指定席特急券7250円=16810円(通常期)。
※乗車券を往復で購入すると1割引、特急券をえきねっと予約・券売機受取すると700円引きになる


JRでは割安な企画乗車券、いわゆる「トクトクきっぷ」を発売している。
2010年末の東北新幹線の新青森開業以前は、「こまち東京フリーきっぷ」という、新幹線(または寝台特急「あけぼの」)での東京往復と、滞在中に首都圏のJRがフリー乗降できるきっぷが出ていた。
首都圏では取手、成田、高尾、久里浜など広範囲がフリーエリアなので、行き先によっては利用価値が高かった。7日間有効で28100円なので、単純に往復だけで計算すると正規の16%引きくらいになる。
しかし新青森開業時に、JR東日本全体で企画乗車券の見直しが行われ、このきっぷも廃止された。

代わりに「東京週末フリー乗車券」というのが出たが、その名の通り週末しか利用できず(2日間有効)、特急料金は別払い。
計算してみると、東京週末フリー乗車券13500円+(指定席特急券7250円×2)=28000円で、こまち東京フリーきっぷ並み。
特急券を工夫(えきねっと割引や上野や大宮までにする等)すれば以前より安くはなるが、いかんせん平日は使えない。


では、平日に首都圏に滞在したい場合は?
まず、JR東日本の旅行代理店「びゅうプラザ」の旅行商品で、宿泊と新幹線往復がセットになった「TYO」がある。ホテルは場所もクラスいろいろあり、かなり安いものもある。
会員登録などは不要だから、ある意味これがいちばん手軽で安くて便利かもしれない。
ほかには金券ショップとか株主優待券とかあるようだけど、よく分からないので省略。


残るは、今の「こまち」の割引の主力である「えきねっとトクだ値」。
上記、JR東日本の予約サイト「えきねっと」で扱っている列車・席数・区間限定の割引きっぷ。現在は乗車券と特急券がセットになって割り引かれる。
秋田新幹線「こまち」の場合は、秋田と仙台、大宮、上野、東京の間で全列車に毎日設定されているようだ。

割引率は区間や曜日によって異なる。
こまちの割引率は高めに設定されていて、乗車券・特急券分とも通常料金から平日は20%引き、土休日は25%引き。(この年末年始は10%引きに引き下げられた)
通常期の場合、東京まで平日13440円、休日12600円とかなり安くなる。

学割だと乗車券分しか2割引にならないから、学割よりもトクだ値の方が得になる。
念のため、秋田から新潟回りの場合や北上または新庄まで普通列車で出て新幹線(トクだ値)を利用する場合で計算してみたが、その場合よりも安いか同程度。
秋田と首都圏を新幹線で行き来するなら、トクだ値がベストのようだ。

ただし、発売数に限りがあり、クレジットカード番号の登録と決済が必要で、発売は当日の深夜1時40分まで(発車直前では予約できない)、受け取り後の変更ができず、乗り遅れても救済措置がないといった点には注意。
【17日追記】きっぷ受け取り後の払い戻し手数料が高い(割引額と同額)点、秋田駅以北・以南の各駅(土崎・八郎潟、男鹿、羽後牛島・羽後本荘方面)から利用する際は別に各駅-秋田間のきっぷが必要な点も注意。
【2015年8月22日追記】この記事アップ後、何度か部分的な変更が行われている。この当時は指定列車に乗り遅れたら一切無効だったのが、2015年に「料金券部分は無効」「乗車券部分のみ乗車日当日に限り有効」に改められた。

以下、いくつか関連情報。
●途中駅からでは?
トクだ値は秋田側では秋田駅発着しか設定されていない。途中の各駅からはどうするのか?
その場合も、秋田発着のトクだ値を購入して、途中駅で乗り降りすればいい。(それ以前/以降の区間は無効になる)専門用語で「内方乗車」というヤツかな。
当然ながら割引率は下がってしまうものの、損にはならない。
大曲駅から東京までの正規料金は16170円、平日20%引きの秋田発着トクだ値だと16.9%引き。
いちばん盛岡寄りの停車駅、雫石駅だと正規料金15030円に対して10.6%引きとなる。
ちなみに、盛岡発着のはやて・やまびこのトクだ値が平日10%引きだから、雫石では大差がないようになっている。おそらくその辺りも考慮に入れて価格設定しているのだろう。

●大宮か上野か東京か
秋田から首都圏へ行く場合、どこで乗り降りするかが問題。
東京駅でなく、目的地によっては大宮や上野で乗降した方が便利なこともある。

また、特急料金の節約のために、あえて上野や大宮で新幹線を乗降して、在来線に乗り換えるという選択肢もある。
ご存じの方もおられると思うが、JR東日本の各新幹線の各駅から東京駅までの特急料金は、「上野までの特急料金プラス200円」に設定されているのだ。
上野-東京間の建設に費用がかかったので、その分を上乗せして負担している(させられている)ということらしい。
ちょっとの区間を乗るだけに200円も払うのが惜しくて、僕は極力上野で乗降している。※朝夕のラッシュの山手線などには乗りたくないし、上野駅の地下ホームから地上へ出るのも面倒といえば面倒ではありますが。

正規料金を単純に割り引いているトクだ値でも上野で降りれば、東京発着よりも150~160円安くなる。
ところで、トクだ値では東京発着、上野発着とも、乗車券部分は「秋田-東京都区内」となっている。
「東京都区内」とは、中央線の西荻窪、京浜東北線の蒲田、京葉線の葛西臨海公園、総武線の小岩などより内側の各駅。
つまり、新幹線を上野・東京どちらで降りるにしても、駅(在来線の改札口)の外に出なければ「東京都区内」に該当する各駅までなら、普通列車で移動できるのだ。

したがって、上野までのトクだ値でも、上野駅の外に出なければ、山手線や京浜東北線に乗って東京駅まで追加料金なしで行くこともできるし、新宿へも渋谷へも追加料金なしで移動できる。
なお、トクだ値の上野発着と大宮発着の差額はわずか400円。大宮発着は乗車券部分も大宮まで/から。都区内まで乗車できる点を考えれば、上野発着がいちばんお得な気がする。

●東京より先へ
秋田から例えば熱海とか静岡とか、首都圏より先へ行く場合。
需要が少ないのかこうしたエリアへの秋田発着の企画乗車券はない。JRの乗車券は遠距離ほど割安になるから、あまり悩まずに「秋田から目的地まで通しの乗車券(+各特急券類)」を購入した方がいいというか、そうするしかないと思っていた。

しかし、特急券も含めて2割以上も安くなるトクだ値の存在を考慮すると、「秋田から東京までのトクだ値+東京から目的地までの乗車券」という組み合わせも考えられる気がしてきたので、試算。
※以下、東京以遠の特急料金(東海道新幹線など)は一律に無視して計算しています。平日通常期。
・熱海までの場合
 正規料金:秋田~熱海乗車券10500円+秋田~東京新幹線7250円=17750円
 トクだ値:秋田~東京2割引13440円+東京~熱海乗車券1890円=15330円(13.6%2420円引き)
・静岡までの場合
 正規料金:秋田~静岡乗車券11030円+秋田~東京新幹線7250円=18280円
 トクだ値:秋田~東京2割引13440円+東京~静岡乗車券3260円=16700円(8.6%1580円引き)
やはり、東京までトクだ値を使った方が、駅弁とおみやげが買えるくらいは得になる。(計算しなかったですが、もっと遠くだと、かえって損になるでしょう)
企画乗車券が設定されていない区間であることを踏まえれば、なかなかの割引率ではないだろうか。

※記事中の運賃・料金は一例です。間違い(やその後の変更)があるかもしれません。利用にあたっては公式な最新情報を参照の上、ご自身で判断願います。
※利用した際の記事はこちら

【2012年3月4日追記】2012年4月からは、内容が変更される。
乗車日の13日前までに予約すれば割引率が30~35%になり、以降は10~15%引き。予約日と乗車列車によって、割引率が変わることになる。
また、4月20日までは、秋田新幹線開業15周年を記念して、半額になる「えきねっとトクだ値スペシャル」も発売。(1日上下各3本の列車限定・13日前まで予約)
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雪中散歩

2012-01-15 19:35:35 | 秋田の季節・風景
先週の秋田市は寒くて雪の毎日。積雪は最大で48センチに達し(13日)、11日は最低気温がマイナス6度、最高気温がマイナス0.8度だった。
今日は雪はあまり降らなかったが、積雪は引き続き40センチ強、温度は昼間でも0度弱程度。
そんな雪の中をお散歩してきました。
※写真は、雪の状態を分かりやすくするため、若干コントラストを強めにしているので、暗く感じるかもしれません。

今年は家の外に出ると「うわっ。雪が多い!」と、毎日必ず思ってしまう(前日から新たに積もっていないのに)。それだけ、秋田市に長く住む者のイメージにある「いつもの冬」と違うのだろう。

道路の除雪はそれなりに進んでいるし、気温が低くて融けないおかげで「最悪の状態」ではない。しかし、路肩に雪山ができていて、幅が狭くなったり見通しが悪くなっているのが危ない。
小さな道でも、夜間などに排雪(除雪でたまった雪をよそへ持っていく作業)が進んでいるので、かえってそちらの方が通行しやすいように感じる場所もあった。
ポストより高い雪山
以前紹介したように、積雪地では、消火栓が地上に出ていて、冬期間はそこに目印として旗を立ててその所在を明示している。
また、消火栓が埋もれてしまわないよう、定期的に消防署員が巡回して消火栓を“掘り起こして”いる。
その掘り起こし作業も追いつかなかったのか、
完全に埋もれている!(矢印が目印の旗)


ところで、昨年7月に、秋田の大手冠婚葬祭会社「へいあん秋田」が、全国的な葬儀会社「日本セレモニー」傘下に入ったことをお伝えした。
その一環として、同社の代名詞的存在でもあった、秋田市山王の「シャインプラザ平安閣秋田」が、葬儀専用の式場に改装されるという話だった。昨年9月22日で営業を終え、年内(=2011年中)もしくは年度内に葬儀場としてオープンするとか聞いていた。
しかし、工事が始まるような気配はなく、営業終了時のままで、変化が見られない。「平安閣」の文字もそのまま。
今から着工しても、年度内に間に合うだろうか?
壁面には、結婚式関連の写真が2枚掲げられ、道路に面した柱にはレストランのキャンペーンの宣伝が掲出されている。
営業をやめたのにその広告をいつまでも出しておくのは、大変申し訳ないが、まるで潰れたかのようだ。
敷地内には放置された(?)トラック
へいあん秋田の公式サイトを見ても、シャインプラザ平安閣秋田の改装に関する情報は見つけられなかった。一方、能代市などの式場は、リニューアルオープンが進んでいるようだし、秋田市内の他の式場では従来通り冠婚葬祭が行われている。
山王の平安閣だけ、時が止まっていることになる。どうなる?
上の写真にも写っているが、今日は車寄せ部分は除雪されており、普通乗用車が1台乗り付けていた。何者?
【2月12日追記】その後2月11日時点でも、大きな変化なし。野ざらしだったトラックがいなくなり(車寄せの屋根下に移った?)。なぜか車寄せで某Kタクシーが客待ち(休憩?)していた。
※平安閣に関して続きはこちら


次は県庁の辺りまで行ってバス(新屋西線)に乗ろうかと思ったが、平安閣で悩んでしまって(?)乗り損ねた。
秋田市営バス当時は、最も採算性が良い路線だったらしく15分~20分間隔だった新屋西線も、今は30分に1本になってしまった。そこで、さらに歩く。
山王と川尻の境界一帯は、平坦な秋田市中心部にしては珍しく、若干の起伏がある。県庁側から向かうと上り坂だけど大したことはない。
川尻へ。左が市立秋田総合病院
大通りからそれて近道して、
川尻総社通り
上の写真の川尻総社通りは、雪山の車道側が削れて壁になっているのが分かる。ロータリー式除雪車が入って排雪作業が行われた証拠。
川尻総社通りは、市立病院の西口を経て右折した新屋西線のほか、市立病院の正面側から来た川尻割山線も通る。
「総社神社前」バス停では、船場町経由の川尻割山線が先に来たので、そちらに乗車。(3分ほど遅れていた)
乗ったのは元市営バスの大型バス(最後に導入されたいすゞ製ワンステップ車)だが、乗客は10人もおらず収容力を持て余し気味。
同じ臨海営業所管轄で大型バスが入る新屋線・新屋西線と比べても、割山線の方が大型バスが来る頻度が高いような気がするのは、気のせい?(今日見かけた、新屋・新屋西線は全部中型バスだった)

川尻割山線は、現在は商業高校前経由が主流(毎時1~2本)で、船場町経由は1~2時間に1本程度の派生系統のように扱われている。
しかし、元々は船場町経由がメインの系統だった。おそらく、市立秋田商業高校移転や新屋松美ガ丘辺りの宅地化で、逆転したのだろう。
昨年から始まった系統番号では、船場町経由が「700」、商業経由が「701」であるのが、かつての名残と言えそう。

刑務所前を過ぎ、国道を越えて秋田運河を渡った最初のバス停「豊町」から、新屋西線、船場町経由、商業経由が3方向に分かれる。(豊町バス停は分岐後の位置にそれぞれある)
船場町経由はいちばん東側の狭くてカーブのある道。「酒田街道」の名残の道だろう。かつては新屋西線もこっちを走っていた。
この道路は、普段でも、バスが歩行者や対向車とすれ違うのは厳しそうな箇所が多い。
この雪で大型バスではさぞかし大変そうだと思っていたが、思いのほか除雪がされていて、歩行者も皆無だったので、スムーズに進んだ。船場町で下車。180円。(総社神社前-船場町の距離は約2キロ)
なぜか船場町で降りてしまったけれど考えたら、次のバス停(勝平交番前)で降りた方が良かったかも。運賃も同額だし。
船場町付近
船場町では、豊町から乗ってきた、スーパーでの買い物帰りらしきおばあさんも一緒に降りた。1キロにも満たない乗車だったわけだが、雪の狭い道を荷物を持って歩くのはつらくて危険だからね。本数の少ないバスに合わせて買い物するのが大変そうだ。
島状になったいわゆる割山・勝平地区だけでも、たくさんの高齢者が住んでいるだろう。買い物できる場所は限られているし、病院や市役所へ出かける必要もある。既存路線バスに100円で乗せるだけじゃなく、それらを結ぶ循環バスが運行できないものだろうか、と毎度同じことを記しておきます。

船場町から運転免許センターの方へ曲がるとすぐの所に、秋田中央警察署勝平交番があるが、現在は無人。
勝平交番
同じ場所で改築されることになっていて、900メートルほど先の秋田県運転免許センターの2階に、一時的に移転している。

上の写真は勝平交番跡ということになるが、解体される気配もなく、新築などの工事をやっているような気配もなかった(緑色の工事看板もなし)。年度内に新しい建物ができるのかと思っていたが、遅くなるのかな?
【3月21日追記】3月中旬に現地に行ってみると、緑の看板が設置され、新しい建物がだいぶできていた。完成予定時期は未確認。


さて、ここへ来た目的は、これを見たかったから。(新屋西線なら、勝平消防出張所前下車)
雄物川右岸河川敷・雄物新橋の「雪捨場」(堤防から撮影)
家庭や企業などから出た雪を捨てる場所。現場や市のサイトの表記に従い、以下「堆雪場」とします。※昨年の記事
ここは11250平方メートルあるそうで、例年、下流側から橋を挟んで上流側に向かって雪山ができていく。
国土交通省秋田河川国道事務所によれば、容量としては下流側が6万立方メートル、上流側が7万立方メートル。
続々と雪が搬入される
上の写真の通り、現在は橋の下流側がそろそろいっぱいかなという状況。近くの旧秋田空港跡地も堆雪場になっているので、そちらと分散されているのだろうか。
そうは言っても、
雪捨て行列
【16日追記】16日のNHK秋田のニュースによると、この雪捨て場が満杯になったという。秋田市は「隣接する河川敷を新たな雪捨て場として利用させて欲しいと河川敷を管理している国土交通省に要請(中略)17日にも新しい雪捨て場の利用を始めたい」とのこと。
すなわち、本来は橋の下流側だけを堆雪場とし、そこがいっぱいになると橋の上流側を新たに使うという手順のようだ。この状況は「大雪だった去年よりさらに半月早くなりました。」そうだ。

※堆雪場の3月の様子はこちら

堆雪場付近の堤防から河口にある国道7号線(秋田南バイパス)の「雄物大橋」を見る。
手前の川の一部が凍っている?
橋の上流側(手前)で工事をしているようだ。
現在は1986年にできた対面通行の橋だが、2015年までに隣にもう1本橋を掛けて4車線化されるので、その工事が始まっているようだ。


今度は、茨島(ばらじま)のイオンタウンにあるマックスバリュへ行く。いつもなら、堤防沿いの市道と県道56号線(新国道)の歩道がある道を1.5キロ歩くだけだが…
今日はその歩道が除雪されていなかった。(部分的にはされていた?)
特に秋田大橋北側の交差点付近は、足跡すらなく、どこを通ればいいのか分からなかった。バス停もあるし、歩いて買い物に来る人もいるし、そうした人たちは車道を通っているのだろうか。
沿道には家も企業もないから、こういう場所こそ、道路管理者が除雪してほしい。通行人数自体は少ないかもしれないが。
県道を通るのを避けようと、県道を渡って裏道に回ると、それなりに除雪されており、歩きやすかった。シニアカーに乗る人もいたくらいだから。

今日は15日。例のイオン銀行ATMで値引き券がもらえる日なので、買い物とトイレを兼ねてマックスバリュ茨島店へ。
3000円下ろしてじゃんけんすると、今日も勝利!


あとは帰るだけ。新屋線に乗ろうと思ったが、新屋線も1時間に2本。しかも不規則なダイヤ。当分来ない。
まだ、歩ける気分・体調なので、イオンタウン裏側の住宅地を抜けて卸町側へ。
狭いながらも道路管理者や沿道のお宅の除雪によって、歩行できる部分が確保されている。すれ違いや追い越しは難しいが、歩く人自体が少ないからこれでいいでしょう。
途中のホームセンターの巨大つらら
ギザギザの屋根から地面に届きそうな、でっかいツララができていた。
同じような構造の大型店舗などではここ以外でも見られた。歩道や裏道に面しているものも多いので、路上に落ちたら怖いな。

古川添交差点で国道13号線を横断すると、やっと融雪装置のある歩道になり、そのありがたみが身にしみた。
イオン秋田中央店(旧称・秋田サティ)の近くだけに、歩いている人が増えた。といっても、今までは0人だったのが3~4人になった程度ですが。


融雪された歩きやすい道だから、このまま歩いて行こうかとも思ったが、そろそろ次の新屋線が来る頃。
刈穂橋の歩道は雪で高くなり欄干が低く感じる。左奥にうっすらと太平山が見えていた
刈穂橋側へ曲がって、旭南三丁目から乗車。
大森山始発(動物園冬期開園日だったので)の便で、3分ほどの遅れ。
元市営バスの三菱製中型バス(前回紹介したグレーのバンパーだった車両で、元133号車)。ほぼ全部の席が埋まるくらいの乗車率。大町通りは若干ボコボコした乗り心地。
「脳研前の道路がどーのこーの」と無線が入っていたけど、渋滞だろうか。

約2時間半、歩いた(バス乗車は除く)距離は約8キロ。
僕はこの程度の雪道を歩くのは苦にならないし、歩いていると寒くないので、心地よい冬のお散歩でした。

バス停でご一緒した奥様が「今週は雪あまり降らないらしいよ。良かったな~」と話していた。
気温もわずかに上がるようで、いくぶん過ごしやすくなるだろうか。
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秋田市営バスの顔

2012-01-12 23:45:50 | 秋田市営バス
何年か前、青森市営バス(当時は青森市交通部だったか?)の公式サイトに「バスの顔」とかいうページがあった。(現在はない)
100台以上にのぼる全車両を正面から写した画像がアップされていて、同型車であっても1台1台すべて掲載されていた。バス事業者の公式ホームページにこうした車両紹介があること自体異例だし、バス愛好家のホームページでも全車両の正面の姿を網羅したものはそうないと思う(愛好家の間では「公式側」と呼ばれる、正面とドアのある側面が1度に見えるアングルで撮影するのが一般的だそう)。交通部の車両への愛情とサービス精神が伝わるともいえそうだが、とてもマニアックなものだった。

バスの車体の塗装は、同じ会社の同じ時期の車両なら、一見どれも同じ。しかし、ほんとうはいろいろと差異がある。
秋田市営バスの場合、大型バスと中型バスが存在し、それぞれに4つのメーカー製があったため、比べてみるとなかなかおもしろい。
この記事では、以前の青森市営バスのページを少し意識して、秋田市営バスの車両のごく一部だけですが、バスの顔=「正面のデザイン」に注目して紹介します。
写真と知識の関係上、1986年から1996年までの間に導入された新しい塗装の大型バスと中型バスを中心に紹介します。(機会があれば、側面・後部や車内など続編をアップするかもしれません)※市営バスの車体塗装の変遷についてはこちらの記事
※この記事は、あくまでも外観の相違に着目したものであり、エンジンの違いなどは考慮していません。したがって、見かけは同じでも型式が異なったり、その逆の場合もあります。
※記事中に「◯◯年度に導入」といった記載がありますが、これは「年(1月~12月)」ではなく「年度(4月~翌年3月)」です。交通局では年度単位で車両を購入していたため、年度ごとの方が追跡調査しやすく、理にかなっている判断したためです。交通局には年度後半に納車された例が多いこともあり、クルマでよく使われる「年式」とは一致しない場合があり得ます。

まずは中型バス。総数は79両。
 いすゞ・264号車。1991年度導入/日野・241号車。1990年度導入(写真の色合いがややおかしいです)
中型バスの中では、いすゞ製は少数派で14両導入。1988~1991年度に4度に渡って導入されたが、正面デザインの違いはない。
上部の行き先表示の周囲が、赤く縁取られているのが目を引く。

21両あった日野製(車種名・レインボー)のうち、1988~1991年度の16両が右上の写真のデザイン。
いすゞと異なり、ヘッドライト下~バンパーの上にグレーの部分がある。フロントガラスが左右非対称なこともあり、向かって左の窓下に白い部分が多い。
121号車。1994年度導入
1994年度にオートマチックトランスミッションで導入された5両は、ヘッドライトが丸型から角型に変わったが、塗装は同じ。(レインボーは1995年から標準仕様で角型ヘッドライトになったそうなので、当時はオプションだったことになる)

次は三菱ふそう。中型バスは7度に渡って27両導入され、市営バスの中型バスでは最多勢力。(逆に新塗装の大型は2両しかない)
いすゞ、日野が市営バスから姿を消した後、日産ディーゼル製とともに最後の年まで走り続けた。【14日訂正】最終年度は日野製の車両も2台だけ残っていたので、下記の通り訂正します。
市営バスからいすゞが姿を消し、日野が大幅に数を減らした後は、三菱のバスが日産ディーゼルとともに秋田市営バスの主力車両として最後の年まで走り続けた。(最終年度は日野2、三菱4、日産ディーゼル5の計11両)
 230号車。1989年度導入/293号車。1993年度導入
左の写真は、1988~1992年度までの5年度、20両のデザイン。市章がやや上に付いている印象。
右上の写真の1993年度の3両(オートマ)では変化が見られた。
従来より全体的にやや角ばったフォルムになり、ヘッドライトの形状が変わり、コーナリングランプが新設。ヘッドライトの上に段差がつき、旗を立てるポールがバンパーの上からそこに移った。塗装は全体的に下に移動した感じで、市章は他メーカー並みの位置になり、窓下の白が少し増え、バンパー上のグレーの部分が狭くなった。

1年のブランク後、1995年度の4両(オートマ、座席の模様が変更)が市営バス最後の三菱製で、また若干の変更。(交通局の最終年度まで残った車両がこのタイプ)
132号車。1995年度導入(ちょっと珍しい西口発明田経由桜ガ丘行き)
おおむね1993年度と同じだが、バンパーが黒からグレーに。
「カラードバンパー」というやつだ。秋田市営バスの路線バスでは、この車両だけだと思う。(貸切バスでは赤いバンパーのものが多かった)
といっても、他のバス会社の同型車でもカラードバンパーがあるので、オプションではなく、標準仕様で着色できたのだろう。【2023年3月14日追記・他事業者のエアロミディでは、後ろのバンパーも色が付いた車があるが、秋田市営バスは従来どおり黒だった。】
【14日追記】結果的に三菱製中型バスは、マニュアル車かオートマ車かで正面の顔が異なることになり、識別しやすい。なお、後部にも同様に明確な差があるのだが、いずれもオートマだから新しいデザインになったわけではなく、偶然だろう。
【15日追記】オートマ車は、1993年度の1両(292号車)を除く6両が、段階的に中央交通に譲渡された。譲渡後の中央交通の塗装では、どちらもバンパーが黒く塗装されたので、外観から導入年度を識別しにくくなった。
弘南バスのエアロミディの変遷について

残るは日産ディーゼル(現・UDトラックス)。※以前の関連記事
中型は1988~1992、1996年度の6度、17両導入。
 233号車。1989年度導入/135号車。1996年度導入
以前も紹介した通り、1988年度と1989年度の4両だけは、左の写真の古い車体。
面積は広そうなのに、フォグランプがバンパーでなく車体に付いている関係か、デザイン的にはちょっと窮屈そうで、中央のラインのカーブが大きく、市章が下がって旗のポールと重なっている。

残りの13両が右上の写真。(細部では年度ごとに若干の差があるのですが)
ヘッドライトがバンパーと一体化し、フロントガラスが大きくなったようで、他のメーカーよりも塗装される面積が狭くなって、独特の塗装になった。
グレーの部分がなくて肌色の部分が少なく、ラインのカーブが小さくなり、市章が赤いライン上にある。


1988年度から1996年度までコンスタントに導入され続け、大きな仕様変更が少なかった中型バスに対し、大型バスは1986、1988、1992~1994年度の5度しか導入されず、毎年のように発注時の仕様が変更されていた。
あまり写真がないのですが、いくつかご覧ください。
日野・297号車。1993年度導入
全国的にバス愛好家の間では、秋田市営バスの大型バスといえば「豪華な仕様」というイメージがあったようだ。当時の東京都営バスを意識していたとも言われている。その1つが「秋田市営」と表示された行灯(あんどん)。
実際には、行灯は大型車全部ではなく、1986、1992、1993(一部)年度導入の車両にあった。日野製の大型バス(車種名・ブルーリボン)は、たまたまこの3つの年度に導入(11両)されたため、上の写真の297号車のようにすべてに行灯が付いている。(なお、1992年度の日野製は、貸切兼用の「秋田八丈」の塗装)

ただ、日野の行灯は、他メーカーと比べてサイズが小さく、地の白い部分が長期間放置したセロハンテープのように黄ばんでいる印象があった。
塗装に注目すると、上部の行き先表示の左右に、白とグレーの部分が回り込んでいる(いすゞ製ではここが全部赤い)。
ヘッドライト・行灯付近に銀色のラインが3本走っているのも特徴。他の市営バス車両では見られないが、僕が通っていた幼稚園の通園バス(日野製で1970年代製か)にもあった。市営バスの銀色ラインは、中央交通へ譲渡された際に撤去され、普通の黒バンパーになってしまった。

いすゞの大型バスは1986、1988、1992、1994年度の4度、13両導入。
 280号車。1992年度導入/220号車。1988年度導入
中型同様、大型バスでも行き先表示の周囲が赤い。
行灯があるのは、1986と1992年度の車両。左上の写真のように日野製と比較して、行灯が大きく、地色が白いのが分かる。
「LVキュービック」と呼ばれたいすゞ製大型バスは、当時の路線バスの中で唯一、フロントガラスが分割されず一枚になっていて、2本のワイパーが重なる配置になっている。そんなことも関係しているのかフロントガラス下部が丸みを帯びた形状になっていて、それに合わせて塗装の赤・白・肌色のライン(他車種では一直線の部分)がカーブしているのが独特。
280号車では行灯もあって面積が狭いため、市章の上部がガラスにかかっている。それと、旗を取り付けるポールがないように見えるが、位置が異なり端のウインカー付近にポールがある。※旗の位置はこの記事参照

1988年度に導入された大型バス(日野以外の3社5両)は、中型バスと同一の仕様だった。
その1台、右上の写真の220号車では、行灯がない分、スペースに余裕がある。ガラスに合わせてラインがカーブしているが、280号車のとは角度などが少し違い、赤は細いように見える。


三菱は1986、1988年度に1両ずつ入っているが、いい写真がないので、省略。※この記事に画像があります
日産ディーゼルは、1988年度と1993年度に7両導入。しかし、初のワンステップバス(超低床式バス)となった1993年度の5両は、交通局では大型バスとして運用していたが、メーカーでは「普通型バス」と呼んでいて、実質的には中型バスの車体を大型バス並みに延ばしたものだった。
116号車。1993年度導入
車体幅は中型バスと同じなので、たしかに他の大型バスよりほっそりして見える。
上の方の写真にある日産ディーゼルの中型車138号車と差異はほとんどない。(ワイパーの色くらいか)
日産ディーゼル製の真の大型バスは1988年度の2両だけなのだが、それも写真がない。ただ、外観は中型バスと大差がなかったと記憶している。


たいへんマニアックだったと思うけれど、改めて並べて比較するといろいろと違いがあることが分かった。
この記事では触れなかったけれど、実はメーカーや導入時期によって色合いに微妙な違いがあったり、何らかの事情により1台だけやや異なるデザインが施されているような車両もあった。機会があれば、いずれ紹介します。

【以前の記事の訂正】以前、新塗装の路線バス119両(空港リムジン用は除く)の内訳を「大型バスが34両、中型バスが78両、小型バスが7両」としていましたが、どうも「大型バスが33両、中型バスが79両、小型バスが7両」が正しいようです。訂正します。
しかし、今後も訂正してしまう可能性もありますし、あまりアテにならない独自の調査・集計ですのでどうかご了承ください。

※次の記事(三菱の大型バス)はこちら
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ラッピングバス3/日本海申し入れ

2012-01-11 20:10:37 | 秋田のいろいろ
10月(正確には9月末)から走っている、公募して選ばれた秋田市らしいデザインのラッピングバス(秋田市の事業)の続き。
こちらこちらで紹介していましたが、残り2つがまだでした。
●動物園バス
このバスがなかなか撮影できません(遭遇しても条件が悪くて)。あまり後回しにすると忘れるので、不本意ながら紹介します。
切れてるし露出オーバー気味
22歳の女性(?)の作品。
通勤で新屋線を利用しているそうで、その車窓の風景や生き物、さらにその先にある大森山動物園をモチーフにしている。「バスに動物を乗せて遠足に行くような楽しい雰囲気」にしたとのこと。

緑の山や風車と海を背景に、チョウ、ウミネコ、タンポポの花が散らばり、中央のバスはカメが運転し、サル2匹とキリン、ツキノワグマ、トラ、ブタ(?)、ゾウ、フラミンゴ、そしていちばん後ろに茶色い謎の動物が各1頭ずつ乗っている。

やや地味に見える。もっとダイナミックな絵の方がいいと思う。特に動物の乗ったバスがもっと大きければ。
絵の背景がクリーム色で山の緑色がメインだが、中央交通の路線バスの車体と同系色のため溶け込んでいて、ラッピングバスだと気づきにくい。ある意味、うまく調和が取れた色調だとも言える。
後部の塗装ともシームレス?!(今となっては懐かしい「秋田駅」だけの表示=系統番号表示開始前の撮影です)
このデザインでも、中ドアと絵柄が重なってしまっている。中ドアが開くと、動物が乗ったバスの半分以上が隠れてしまう。
フラミンゴの下にいる動物は何?
あと、僕も新屋線ユーザーであるので、言わせてもらえば、新屋線といえば海よりも川(雄物川)でしょ!
実際、秋田駅から西部市民サービスセンターまでの間では、車窓に海が見えないのだから。(大森山行きでは、浜田地区で見える)

このデザインは、秋田営業所の「300」と臨海営業所の「518」の2台にラッピング。
新屋線は臨海営業所で担当しているので、「518」が新屋線(大森山公園線を含む)を走ることもある(=走らないこともある)。大森山のイラストのバスが、実際に大森山に行くと思うと楽しい。
一方、「300」は大森山にも新屋にも行く機会がない(新港線でたまに新屋には行くかも)。300はかつて秋田東営業所(昨年春に廃止)所属だったようで、今も旧東営業所担当路線(牛島や秋田駅東口方面)をよく走っているような気がする。
せっかくなのだから、このデザインに限っては、新屋線を走る臨海所属の車両に限定してラッピングした方がよかったのにと思う。

※その後、このデザインのバスがもう1台あることが分かった
※2012年4月末時点では、「300」が臨海営業所担当路線を走っており、転属したのかもしれない。


●秋田美人バス
これだけが「特別賞」(賞金7万円が出ない)。21歳の女性の学生の作品。
この写真も影が入ってあまりよく撮れていません
豊かな自然と近代的な都市景観が共存している秋田市、そして秋田美人(市女笠のあきたこまちスタイルと現代風服装)をデザイン。
ぱっと見て、落ち着いてきれいなデザインだと思った。タイヤとの干渉もなくていい。

左のとっくりは「米の名所=お酒」だそう。
右上にはビル群が配置されているが、アルヴェやフォーラス(の看板)がある。
左の桜は、「千秋公園の桜」だそうだが、花付きが貧弱な感じ。実態に即したのでしょうか…
そしてここにも風力発電の風車が。今は秋田市といえば風車のイメージなのかなぁ…

このデザインでも、中ドアが開けば、肝心の秋田美人が2人とも見えなくなってしまうのが残念。
中ドアが開いていても、髪の毛の先は見えるから、謎の触手に見えるかも?!
あと、絵心がない者が恐縮ですが、秋田美人の目が「+」なのはなぜ?
ドラえもん(原作や現行アニメ)の登場人物がたまにこういう目になる場合があるけど…

秋田市役所前でのお披露目で3台目(いちばん後ろ)で展示されていた「299」の1台のみにラッピング。(所属営業所は不明)
【2月20日追記】「299」は秋田営業所所属の模様。
※もう少しきれいに撮れた画像がこの記事の最後にあります




ところで、廃止が決定した寝台特急「日本海」に関連する動きが、今日の秋田テレビの夕方のニュースで伝えられていた。【11日22時30分補足】正確には「廃止が決定」ではなく、「定期列車として廃止され、繁忙期に運転される臨時列車化されることが決定」でした。
JR東日本とJR西日本の両労働組合の代表が秋田県庁を訪れ、秋田県知事と面会してとある申し入れをしたのだが、その内容がちょっと回りくどい。

「日本海の存続を含めた今後のあり方の検討をJRに要望するよう、県に要望した」ということらしい。
労使間で直接交渉する内容ではないのかもしれないし、県から後押ししてほしいということなのだろうか。

佐竹秋田県知事も、インタビューに応えて「日本海側を結ぶ鉄道網の重要性は分かってるよ」いうような趣旨の話はしていた。
両組合では、今後、青森県や山形県に対しても、同様の申し入れをするつもりとのこと。
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