広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

県境の初雪

2015-11-29 23:50:25 | 秋田の季節・風景
荒れた天候が落ち着いた28日夜、秋田市もやっと初雪を観測した。平年比、昨年比とも15日遅れ。
青森市は28日朝に観測し、観測史上もっとも遅い初雪となった(秋田市は1911年の12月6日が最も遅い)。

そんな中、ちょっとした事情で、ちょっとだけ津軽へ行ってきた。(10月の訪問記が中途半端ですがフェードアウトということで…)
街中には積もった雪はなく(あってもごくわずかな痕跡がある程度)、奥羽本線の県境(陣場-津軽湯の沢)付近でもごくわずかだった。初雪らしい控えめな雪景色。(県境付近では、初雪ではなかったかもしれませんが)
28日午後。
県境の1つ手前の秋田県側・白沢→陣場間
線路周辺は雪がないが、高い山にうっすらと雪が。

「粉砂糖をかけたよう」という形容がぴったり。

翌29日昼。青森県側。
津軽湯の沢駅
津軽湯の沢は28日も29日も、日陰にうっすら程度。
この辺は広範囲で笹やぶが広がっているを初めて知った

秋田県に戻って、
陣場駅


28日は雪がなかった陣場駅では、29日は線路周辺も白くなっていた。
陣場駅は標高200メートルほど、白沢駅は100メートルほどで、上り列車では坂を下っているのが体感できる。陣場駅を出ると、すぐに雪は消えた。


天候は穏やかだったのですが、青森側では列車ダイヤが乱れて、それに巻き込まれてしまった。後日また
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謎の手すり増設

2015-11-27 00:24:27 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部、旭川に架かる二丁目橋。その左岸(東岸・中通側)の土手長町通りの歩道。
上流側から二丁目橋。右が竿燈大通り
橋の向こうの対岸の那波家の水くみ場のケヤキは、チリチリの葉がまだ残っている。

土手長町通りの通町橋から五丁目橋までの区間の旭川側には、擬木の柵が設置されている。広小路の外堀沿いと同じもので、おそらく1980年前半頃に設置されたはず(それ以前は白っぽい柵だったのをかすかに記憶している)。

おそらく最近だと思われるが、二丁目橋の上流側の擬木の柵に変化が。
ここだけ
擬木の上に、それより細くて低い茶色の金属製パイプが追加設置された。本来は地面に埋めて設置する構造の柵を、背を低くして設置したのだと思われる。
二丁目橋から上流方向8本分の擬木だけが対象。
反対側の上流方向

手すりを増設したことになるが、その意図は何なんだろう?
たしかに、新しい状況のほうが柵が高いので、道路から川へ人が転落する危険は軽減されるだろうし、パイプが細いので手すりとしてつかまりやすい。でも、長い土手長町通りの中でたった8本分だけそうされたって、大差はない。そもそも、擬木だけの状態で川に人が落ちたという話は聞いたことがない。

地下横断歩道の出入口があって、歩道が狭くなっているが、それも関係なさそう。だって、
同じ状況の下流側は変化がない(柵の外の箱は、ケヤキライトアップ用照明)


実は、1年くらいだろうか、少し前から、ここの柵は少し変わった状態ではあった。
今年8月のGoogleストリートビューより
橋から4本分の擬木に、鉄パイプを使った、仮設の柵らしきものがあるにはあった。
何か川に下りて行う調査とか工事、あるいは護岸や二丁目橋のメンテナンスなど、管理上の必要でこうなっているのだと思いこんでいた。
それが撤去されてこうなったわけだが、誰が何をするためのモノなのやら、想像がつかない。

擬木の上部は平らで、そこに空き缶やゴミなどを放置する輩(やから)が散見される。柵を追加した状態では、置くことはできなくなるので、その点では効果がありそう。
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隠した左右

2015-11-25 22:42:21 | 秋田のいろいろ
秋田市南部・仁井田にある県立秋田南高等学校が、2016年度から中学部を開設し(同時に英語科の募集を廃止)、中高一貫校(高校からの入学も受け入れる「併設型」)になる。※この記事中ほど参照
一貫校化後も「秋田南高等学校」の名称は存続し、高校部分は従来通り。中学校側は「秋田南高等学校中等部」となる。

個人的には、新たな珍妙な名称になるよりはマシではあるが、秋田市内には「市立秋田南中学校」があり、それとの混同が生じてしまいそう。さらに、「高等学校中等部」という名称も分かりにくい。部活動の遠征先とか、地元住民が省略して呼ぶ時とか、誤解が生じそう。
県教育庁では「秋田南中や秋大附中と混同されないよう心掛けた」命名だとしているが…

既に中等部の願書受付が終わり、倍率4.25倍と、過去の県立中学校(いずれも秋田市外の一貫校)の倍率を大きく上回ったとのこと。


一方、仁井田からそう遠くない御所野(ごしょの)にある秋田「市」立の中高一貫校、「御所野学院中学・高等学校」。高校からの入学はできない。地元の学区の中学校としての機能も持つ。
2000年に開校した、公立としては秋田県内初の中高一貫校。(一部報道では御所野学院を「県内初の中高一貫校」としているが、ずっと前から中学校と高校を併設する私立聖霊学園を中高一貫校に含めても差し支えないと思う。ただし、2013年度から聖霊の中学部は募集停止)

秋田市教育委員会が、御所野学院のあり方を検討する委員会を設置し、11月中旬に検討委から答申が出された。
結論は「廃止」。
※今回は検討委から市教委に対して答申が提出されただけであり、現段階で御所野学院の廃止が決定したわけではありません。また、仮に廃止になるとしても、地元の中学校としての機能は残し、一貫校に在籍している生徒が高校を卒業するまで存続することが答申に盛り込まれています。

近年の御所野学院は、中学校部分卒業後に、他の高校へ進学する生徒が多く、高校部分へ進むのは定員80名を割りこむ50人前後だったという。さらに近くに南高中等部もできることもあり、入学者が減ることが予想されるというのが、理由らしい。
個人的には、立地も良くないと思う。地元の住民ならともかく、秋田市中央部などから通学するには、距離的にも、交通の便(金銭的に)でも。

御所野学院の校風が自主性を重んじるものだったこともあるみたいだけど、仁井田と御所野で県立と市立の一貫校が共存するのは難しいようだ。



それはさておき、秋田南高校。
旧校舎と隣接していた県教育センター(県総合教育センターとして追分に移転)跡地も使って、1997年に現在の校舎ができた。
そこを手直しするように、中学部で必要になる各種施設・設備の工事が進んでいる。
微妙に色が違う緑色の工事看板(建築工事の表示)が5枚

願書受付時の報道にも映ったが、正面の塀の学校名の表示は、
国道から見て右(西)、かつて教育センターだった側
校舎と同色の塀には、銀色の金属製のカットした文字(箱文字)で「秋田県立秋田南高等学校」とある。
その下段に、だいたい同じ幅・長さの白い帯がある。そこには、中等部の名称がもう書かれているのだろう。

上段の高校名は、以前よりも若干上に移動している気がするし、塀の色もきれいになっているので、単に中学校名を足しただけでなく、全体的に手を入れたようだ。
4月までまだ4か月以上あるのに、気が早いようにも思ったが、これから寒くて雪が積もる時期では、工事がやりづらい(技術的にきれいにいかないとか)のかもしれない。
ちなみに、東京駅などののりば案内も、既に来春の北海道新幹線の開業を控えたものに更新されており、今はそれを上から隠しているそうだから、それと同じ。

その白い帯。
まず、あと4か月間も、トイレットペーパーのような白帯をさらしておくのだろうか。
「中等部が開校するんだよ」と宣伝して期待させる目的なのかもしれないが、見栄えとしてはいかがなものだろう。スマートではない。
それに、現在通っている高校生、特に廃止される英語科の生徒や卒業を控えた3年生には、「自分が卒業した後、この学校が変わってしまう」ことを、これを見てまざまざと意識させられてしまうかもしれない。うれしい気持ちばかりではないだろう。卒業式の日には、この前で記念撮影するかもしれない。
せめて、壁と同じか近い色で隠せないものだろうか。

さらに、
ん?
隠した文字の左右両端。
まず左側は、のぎへんが露出してしまっている。その文字は「秋」でしょう。
文字の側面は上段と同じく銀色なのに、表面は白く、保護用のシールがあるようだ。
意味が分からない。隠すのなら、文字を全部、完全に隠すべきだ。

そして右側。
白帯の縁が微妙にカーブしている


おそらく「部」。右側の部首・おおざとの輪郭をなぞるように、白い帯をカットしたようだ。
意味が分からない。文字を隠すための帯なのに、それを文字の輪郭にカットしてしまっては、隠れた文字が分かってしまうのに。

きっと、最初に右側から白帯を当てて、(意図は不明だけど)文字のカーブに合わせて右端をカット。帯を左方向へ伸ばしていったら、微妙な所で帯が足りなくなってしまった。ちょっとだからこのままでいいや! ということになったのだろう。
こんな状態で(施工業者や学校、県が)気にならないのか。

これからの季節、風雪を浴びるわけですが、帯が剥がれて飛んでいかないかも心配です。
※12月26日に入学試験が行われた時も、表示はこのまま。


正門の左(東)側には、
閉じられた奇妙な門?
おそらく、旧校舎時代の門。おおむねここから東側が、旧校舎時代の南高敷地だった。
門柱が前後に二重に存在しているが、どちらか片方は旧校舎時代からここにあったもの。もう片方は、さらに東側・三叉路近くの門にあったもの(新校舎では廃止)を移設したのではないだろうか。

校名の表示板が2つ重なる
これはこのままでしょうか?
※開校後の2016年4月25日現在では、↑古い表示板はそのまま。旧校舎や高校単独だった当時を伝えるモニュメント的位置付けで残すのだろう。
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1995年11月23日

2015-11-23 17:57:21 | 昔のこと
【2017年12月25日・カテゴリーを「機械モノ」から「昔のこと」へ変更】
1995年は、阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件という、2つの大きな国内の出来事があった。
同じ年、もう1つの出来事があり、それは時代の大きな変化のきっかけであったと思う。日本でそれがあったのが、ちょうど20年前の今日、11月23日、勤労感謝の日の木曜日であった。

1995年は僕が大学に入った年。
その日の青森県弘前市は、寒い朝だったのを覚えている。
祝日だからゆっくり起きてストーブを点けて、テレビを点けると、朝のワイドショー(TBS「モーニングEye」とか)やニュースでは、秋葉原などの店に行列をなし、“水色の箱”を買い求める人たちの模様が伝えられていた。

気象庁の観測データによれば、1995年11月23日の弘前市の最低気温は0.6度、最高気温10.8度(この年、気温が10度を越えた最後の日であった)。朝はくもりで、午後から夜にかけて時々雨で計13ミリ。
弘前で最低気温の平年値が0度台になるのは11月中旬からだが、この年は初旬から0度前後の日が多く、寒い11月だったようだ。
秋田市は最低気温1.9度、最高気温13.1度で、時折雷を伴う天候だったとのこと。
ちなみに、今年2015年は反対に暖かめで推移して、やっと寒くなってきた。今日11月23日(16時現在)は、弘前市は最低1.7度、最高4.7度、秋田市は最低3.6度、最高7.3度、くもりのち小雨。

水色の箱は、マイクロソフトのパソコン用オペレーティングシステム(OS)「Windows95」日本版。この日、発売された。
ただ、僕を含む多くの一般人は、ウインドウズなるものが何モノか、ほとんど理解していなかったことだろう。

当時は、多くの一般人にとって、パソコンは使う機会がなく、名前や存在は知っていても特殊な業種・業務やマニアックな人が使う装置と認識されていたはず。
マウスで操作できるOSとしては、MacOSが既にあったが高価で用途(業種)は限られていたし、1つ前のバージョンの「Windows3.1」もあまり普及していなかった(マウスなしでも操作できたそうだ)。
当時は、「日本語ワードプロセッサ(ワープロ専用機)」は一般向けにかなり普及しており、ワープロとパソコンの違いが分からなかったり、パソコンなどなくてもワープロで充分と思っていたかもしれない。

僕を含めてそういう人たちは、Windowsを求める行列を、どこか冷めた目で見ていたかもしれない。それまでも、ドラクエなどゲームソフト発売日には同じような光景が報道されてはいたから、それと同じような。
一方で、「なんだかよく分からないけど、これからはウインドウズの時代だ」というブームの波も押し寄せてきた。中には、パソコンを持っていないけれど、ソフトが入った箱だけ買って飾っておくという人もいたとかいないとか。


その後、報道や宣伝で徐々にパソコンの、Windowsの何たるかが知られるようになり、やがてそれらで実現される「マルチメディア」や「インターネット」もブームになり、製品が普及していった。

ユーキャン新語・流行語大賞では、1995年のトップテンに「インターネット」が入っているものの、「Windows」や「マルチメディア」は前後の年も含めて入ったことがないようだ。てっきりランクインしていたと思っていた。
Windows発売の11月23日だと、日程的に流行語には遅くて分が悪い。それより先にインターネットという言葉は流行っていたのだろうか? 時系列がよく分からない。(Windows発売→インターネット&マルチメディアブームの順だと思っていた)


実際に1995年の発売直後からWindows95やインターネットを使っていた人は、そう多くないだろう。
広く認知され始めたのが1995年であり、それから3~5年かけて、実物が広まっていたと思う。

それが今や、ネットやコンピュータは暮らしに欠かせないものになってしまった。
20年前には、20年後にこうなっていることは、一般人には予想できなかった。

当時は「家電の街」だった秋葉原も、コンピュータ、オタク文化、サブカルチャーの街という顔を持つようになった。【12月11日追記】フジテレビ「タモリのボキャブラ天国」(1992~2008年)で「♪くもりガラスの向こうは“家電の街”」というのがあったのは、1995年より前か。
当のWindowsパソコンも、ブラウン管ディスプレイ、スクロールホイールがないボール式のマウス、フロッピーディスク、容量の少ないハードディスク、NEC製(PC-98)とそれ以外のメーカー製(PC/AT互換機)でWindowsの製品や仕様が違ったこと、などなど隔世の感。
【2019年5月31日追記】ソフトウェアは、2000年代にはダウンロードで購入することも当たり前になり、実体を購入するにしてもCD-ROMよりDVDに入っていることが多くなったかも。しかし、Windows95では、ダウンロードなど考えられない時代で、CD-ROM版とフロッピーディスク版の提供だった。フロッピーはインストール途中で何度も入れ替えが必要だったはず。



実は僕は、Windows95を使った経験は、ほとんどない。
大学の教養必修科目「情報処理(演習)」では、「UNIX」を使わされ、ほとんど得るものがなかった。(教室・台数の都合もあり、学部ごとに一律かつ強制的にWindowsかUNIXかが割り振られて指定された【25日追記・実際にはUNIXが必須なのは理工学系の一部学科のみだと思われるし、当時の学生のスキルからしても、UNIXを基礎的な必修科目でいきなり学ぶことは、無意味とまでは言わないが、回りくどい学習方法だったと思えてならない。】)
大学の総合情報処理センターのWindows機もしばらくは3.1で、1998年度になって95の次バージョンのWindows98で更新された。(見た目や操作は95と98はほとんど差がない)※当時のプリンターのことを中心に関連記事
僕が初めてWindowsに触れた=パソコンの何たるかを初体験したのは、1997年度。実験のデータ処理のため表計算ソフトの使い方を習って、ついでにホームページも閲覧した。情報処理センターのパソコンを使ったから、Windows3.1が初めて使うWindowsだった。
ちなみに、Webブラウザは今はなき「ネットスケープナビゲーター」(通称ネスケ。当時は有料ソフトだった?)、しかも英語版。僕はそれで慣れてしまって、インターネットエクスプローラーにはどうもなじめず、今もネスケの後継であるFirefoxを愛用している。【12月6日追記】同様の経緯で、ワープロソフトはマイクロソフトWord派。一太郎はイマイチ使いこなせない。
【29日追記】僕はワープロ専用機は既に使っていたので、キーボードや漢字変換は新たに覚える必要はなかった。だから、新たに習得しなければならなかったのは、マウスの扱い方や「ファイル」の概念(階層構造など)、そして表計算ソフトはまったく新しいものとして触れることになった。
【12月4日追記】大学の情報処理センターのパソコンが更新された際には、特に説明会や資料配布などはなかったので、僕は独学というか試行錯誤しながら、初めてWindows98を操作した。あまり困った記憶もないが、フリーズしやすいのには手を焼いた。昨今のWindows NT系はもちろん、以前のWindows3.1よりも頻繁で、アプリケーションソフトが固まると、OSを巻き込んでしまい、強制再起動せざるを得ないことが多かった。
【12月7日追記】「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了します」という傲慢かつ意味不明なエラーメッセージとともに、アプリケーションが強制終了したのも、Windows95~98頃か。※「不正な処理」を行ったのは「プログラム(アプリケーションソフト)が」なのだが、「ユーザー自身が不正な処理(=やってはいけない操作)をした」と誤解してしまい、戸惑う人がいたようだ。
【12月6日追記】ネット接続や画像処理は別として、ワープロソフトや表計算ソフト程度を扱うのなら、Windows3.1は比較的安定しており、処理速度もそれなりだったと記憶している。その用途なら、2015年時点の最新OSよりもある意味快適に使えたかもしれない。
※オフィスソフト、エクセルとワードについて、関係があるかもしれない、静岡のビルの話

僕は、ちょうど大人になる頃にパソコンやネットと出会った。
「子ども時代にパソコンやネットがあることを知らない」と同時に、「大人の社会にパソコンやネットがなかった頃を知らない」わけで、その境目の世代なんだろう。
今にして思えば、大学生の頃はネットもなくてどうやって時間をつぶしていたんだろう。そんなに本を読んだりしたわけでもなかったし…



ついでに、ほかの各分野で1995年にあった出来事を、分かった範囲で列挙してみる。
※詳しくは各自調べてください。間違いがあったらすみません。
・公立学校の土曜休みが、1992年9月からの毎月第2に加え、4月から第4土曜日にも拡大。(2002年度から毎週土曜に)
・製造物責任法施行
・日持ちする食品が「製造日表示」から「賞味期限表示」へ

・ミリオンセラーCD多数。小室ファミリーブームに。他にEAST END×YURI、「ズルい女」「ら・ら・ら」「TOMORROW」等。

・青森では城ヶ倉大橋、イオン下田ショッピングセンター(現・イオンモール下田)、秋田では秋田サティ(現・イオン秋田中央店)の開業・開通。【24日追記】秋田公立美術工芸短期大学開学も1995年(2013年に4年制化されて秋田公立美術大学に)。

・発売開始商品 ロッテ紗々、カルビーじゃがりこ、グリコ熟カレー、カゴメ野菜生活100
・ナイキ「エアマックス」ブーム
・カルピス紙容器登場(従来はガラス瓶。紙容器は2012年にプラ容器化されて廃止)
・ソフィーの世界、Xファイル、セアカゴケグモ、「芸能人は歯が命」
・中谷美紀が伊藤園「おーいお茶」のCMに起用(現在も継続。今年、音の商標として登録?)

あれから20年。
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男鹿線に蓄電池車!

2015-11-21 21:18:59 | 秋田のいろいろ
今年6月、JR東日本・五能線の新型車両導入計画が発表された時、男鹿線はどうなのかと疑問を呈した。
発表がないからには、そのまま車齢40年の車両を使い続けるのかとも思えたが、ネット上では別の新型車両が入るのではないかという、ウワサもあった。
ウワサは、2014年から栃木県の烏山線で既に走っている、蓄電池式の(バッテリーを積んだ)電車が男鹿線にも入るというもの。烏山線と男鹿線は、距離など路線の性格が似ていて導入しやすそうではあるが、電化方式が異なり(直流と交流)、男鹿線は寒冷地対策も必要で、烏山線のものをそのまま持ってくることはできない。でも、願望や期待をこめて、実現してもいいかもしれないと思っていた。


11月20日。JR東日本秋田支社(本社からの発表でないのは珍しい)から、「新たな「蓄電池車」を男鹿線に導入します」がプレスリリースされた。
ウワサが実現する!(ウワサというか、実際には関係者からの“リーク”に近いものがあったのかも)
21日付秋田魁新報 秋田市地域面でも、予想図入りで報道された。うまくまとまっていて、おかしな言い回しもない。

まず、「蓄電池車」の説明。
※一般に、鉄道車両全般を指す「列車」のニュアンスで「電車」と呼ぶことがありますが、ここでは狭義で用います。
電化された(線路の上に架線と呼ばれる電線が張られた)路線では、モーターで走る「電車」が走る。
男鹿線のような電化されていない(非電化)路線では、エンジンを積んだ「気動車」が走る。現代ではディーゼルカーが普通。

蓄電池車は、車両の中にバッテリーを積んで、その電力でモーターを回して走る。エンジンは積まない。分類としては「電車」(運転士も電車用の免許が必要とのこと)。【22日補足】蓄電池車は「電源を自ら持つ電車」であり、「電車なのに非電化路線を走行できる」乗り物。
リゾートしらかみのような「ハイブリッド気動車」や、五能線に入る「電気式気動車」は、モーターも使うがディーゼルエンジンも積んでいるので、気動車に分類される。

路線としての男鹿線は追分-男鹿。その列車は、電化された奥羽本線・秋田-追分間にも乗り入れる。
蓄電池車は、秋田(正確には車両基地からか)-追分は、パンタグラフで集電して走り(=従来の電車と同じ)ながら、同時に充電もして、追分-男鹿は充電した電気を使って走行。折り返しの男鹿駅には充電設備を設け、停車中に充電。その電力で追分まで戻る。


男鹿線の新車両は、
・「EV-E801系」という形式名。(烏山線はEV-E301系)
2017年春に営業運転開始予定。(魁によれば2016年秋以降に試運転を行う)
→五能線の普通列車用新型車両よりも先。
・2両1組の1編成を導入。
→とりあえずは1本だけの導入。増備についての言及はなく、2017年に男鹿線全部が新型車両に置き換わるわけではない
・1両につき片面に乗降ドアが3つあり、座席は窓を背にするロングシート。
→リリースでは、比較として現行車両のキハ48形のデータも掲出しているが、キハ48もロングシートになってしまっている。正しくは「セミクロスシート(一部車両はロングシート)」でしょう。(関連記事
オールロングシートなのは予想し得た。男鹿線は、さして車窓が良いわけでもなく、通学や秋田市への用務で利用する客が多いから妥当なところでしょう。(観光客もたまに乗っているし、どうせならボックスシートがベターなんでしょうけど)
・トイレあり(2両とも)
→烏山線EV-E301系にはトイレはないのに。しかも、最近は特急でも水回りは2両に1か所とかに集約されているし、今は車椅子対応のでっかいスペースを取るトイレが設置されている。リリースによれば2両両方に設置されると読める。ホント?(定員は2名しか違わないからホントかも)
・最高運転速度は、電化区間110km/h、非電化区間85km/h。
→現行のキハ40系は95km/h。ただし、車両に関わらず線路側の制限速度が、奥羽本線95km/h、男鹿線85km/hなので、結局は現行と変わらない。ただ、加速性能は改善されると思われるので、わずかにスピードアップするかもしれない。なお、EV-E301系は100km/hで、烏山線は65km/hまでしか出せないので、男鹿線のほうが速そう。
・ボディは、キハ40系と同様の「裾絞り」と呼ばれる、座席部分の車体幅が若干広いタイプ。
→烏山線EV-E301系は、ストンとした箱型で裾絞りでない。
・外観の塗装は、片方は真っ赤、片方は真っ青。予想図には、EV-E301系と同じ愛称「ACCUM」ロゴや、現行のカラーイラストを黒地に白線でかいたナマハゲの顔らしきものも描かれる。


意外だったのは、予想した「烏山線のものを男鹿線仕様にする」のではなく、「JR九州で開発中のものを男鹿線仕様にする」こと。(魁はこの点に言及なし)
JR九州でも、同じコンセプトの車両を開発していて、2016年秋から営業運転予定。それを、積雪地・寒冷地向けにカスタマイズするという。(九州の電源は交流60ヘルツ、こちらは50ヘルツだからその対応も必要)
そう言われれば、デザインがどことなくJR九州っぽいような…(デザインに水戸岡氏が関わるのかな?)

JR九州の車両には、鉄道総合技術研究所が関わっていることもあるのだろうが、JRグループ間とはいえ遠く九州と共通する車両が東北を走るとは。国鉄時代は当たり前のことだったけど。
五能線などは公募調達だし、大手鉄道会社でも、すべて自前で開発・設計する時代ではなくなったのかもしれない。



烏山線のEV-E301系は、現在のところ1日3往復の運行(固定ダイヤだが、検査・故障時は従来車両が代走)。男鹿線でもそんなところか。キハ40系との併結はできなくてラッシュ時に2両だけの運用は無理だろうから、昼間を中心に。
ワンマン運転も対応しそう(烏山線は対応)。

魁の記事で秋田支社長が答えているように、今年3月に沿線にメガソーラーが稼働(追分駅近くの大清水信号場跡【29日補足・信号場の跡地そのものでなく、その近くの線路際にソーラーパネルが並んでいる】)している。さらに秋田運転支所跡地にもできる。
男鹿線を、二酸化炭素排出量が現行車両の4割(魁より)という蓄電池車が走る、環境に配慮した路線として特徴づけて行くようだ。


男鹿線は1913(大正2)年部分開業、1916年全線開業だから、101年目での画期的な車両投入。
男鹿線に新型車両が入るのは、およそ40年ぶり(キハ40系もだし、1994年まで一部使われていた50系客車以来)。
今はキハ40系ばかりの男鹿線に、それ以外の営業用車両が入るのもかなり久々だろう。(リゾートしらかみ用が入ったことはあったが、あれは形式はキハ40系。貨物列車は2001年までだし、その頃までは急行「よねしろ」用キハ58系が普通列車に入ることがあったはず)

「(狭義の)電車が走る」といえば「架線を張って電化する工事が必須」であり、男鹿線でそんなことはどちらも未来永劫ないと思っていた。
ところが、「電池を積んだ電車」を走らせることによって電化同然の状態にして電車を走らせるとは、コロンブスの卵的な発想だ。
長距離とか急勾配のある路線では、充電が持たなくて難しいけれど、今後はこういう路線が増えていくのかもしれない。

完成した実車はこちら
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JT飲料自販機

2015-11-18 21:20:00 | 秋田のいろいろ
今春のネスレに続いて、飲み物の自動販売機の話。
「日本専売公社」を1985年に民営化した「JT」こと「日本たばこ産業株式会社」。
タバコや塩のほかにも、医療分野の製品なども作っているそうだけど、なじみ深いのがPETボトルや缶入りのソフトドリンク事業。20年弱前に“ニアウォーター飲料”の先駆けとしてブームになった「桃の天然水」や缶コーヒー「Roots(ルーツ)」が有名。
個人的には、コンビニやスーパーの店頭、たまに自販機に入っているのも見たことはあったが、買って飲む機会はほとんどなかった。

今年前半、今年秋にJTが飲料事業から撤退することが明らかになり、やがてサントリーへ1500億円で譲渡されることになった。
当初の情報では「5月にJTの自販機事業と『桃の天然水』『Roots』のブランドをまとめて譲渡」「桃の天然水とRootsは(発売元が変わるものの)引き続き発売する」ような話だった。
しかし、実際には、両商品とも9月で発売が終わっているらしい。

JT、サントリーとも、公式ホームページには現時点での詳しい情報がない。
愛飲していた消費者も多いのだから、もう少し、温かくきめ細かい対応をしてもいいのではないだろうか。
※コカ・コーラが10月から「い・ろ・は・す」の「もも」を発売したのは、桃の天然水廃止を意識したのだろうか。
※その後、2016年9月からセブン-イレブンなどセブン&アイ系列店舗限定で、サントリーとしての「桃の天然水」がやっと新発売されることになった。セブンのプレスリリースでは「新生「桃の天然水」」と表記。


JTの飲料が自販機で売られているのを見た覚えはあるけれど、具体的にどこに自販機があったっけ?
J-CASTニュース(http://www.j-cast.com/2015/06/07237091.html)によれば、国内にある飲料自販機は計250万台。内訳はコカ・コーラ83万台、サントリー49万台、以下各社は20万台以下で、旧JTは18万台あったそうだ。
そんなにあるにしては、見かけない?
JTの自販機は、オフィスビルの中などへの設置が多く、しかも複数メーカーの商品を“相乗り”で販売していたそうだ。
だから、大きく「JT」と表示された自販機自体が、あまり存在しないのかもしれない。


実は、秋田市内の街中の屋外に「JT」と明示された自販機があるのを、1台だけ知っていた。今年5月末に撮影。
 これ
山王大通りから山王中学校に曲がる、あさひタクシーの隣の駐車場に設置されていた。
金色(シャンパンゴールド?)のボディで、側面や正面には、
「Roots」と「JT」のロゴ

商品ラインナップ
桃の天然水やRootsなどJTブランドのほか、缶コーヒー「WONA」や「十六茶」などアサヒブランド、「オロナミンC」も入っている。(ネスレの自販機にも両メーカーが相乗りしていた)

自販機の隅には、
「日本たばこ産業株式会社」の表示
管理者は「ジャパンビバレッジ東北」、今回、JTからサントリーへ移った企業の1つらしい。


その後、ずっと見ていなかったのですが、Googleストリートビューが8月に撮影されていた。
ストリートビューより
外装は金色のままで機械は同じようだが、ロゴはなくなっている。左下の「日本たばこ産業株式会社」の表示もなくなっている。
売られている商品は、5月とほぼ同じようだ。
JTの自販機がなくなったので、ロゴは早期に撤去し、この時点ではJTブランド商品の流通はまだ続いていたので、中身は同じだったのだろう。
JT商品がなくなった現在は、中身も違っているかもしれない。

過去のストリートビューを見ると、2012年11月には「delight」と書かれた別の白い自販機だった。

※その後、現地で確認した。この記事後半にて。


ところで、秋田駅から近い中通六丁目に、「日本たばこ産業秋田営業所」がある。
表通りから1本入った目立たない位置にある、さほど大きくない建物
ちなみにこの向かいに、菓子店「かおる堂」の「かおる堂中通ビル」という同じくらいの大きさでもっと古そうなビルがあった。最近は使われていなさそうだったが、最近解体されて、跡地が駐車場になった。

交差点角に面した営業所の玄関には、
ベンチと灰皿と、見えにくいけど「喫煙処」の表示
JTだけに自由に使ってもらえる喫煙所を設けているわけだけど、こんな公道すぐの位置で紫煙をまき散らされては、受動喫煙もいいところ。実際には、こんな場所でわざわざタバコを吸う人など、まずいないでしょうけど。
喫煙所を設けるくらいなら、自社製品である(タバコもそうだけど)飲料の自販機を設置しても良さそうなものなのに、(今年の5月以前も)設置されていない。
外からのぞくと、今も建物内には何らかの自販機はある。
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大鰐で受信できる?

2015-11-16 21:29:29 | 津軽のいろいろ
20年近く前、弘前に住んでいた時、こんな話を聞いた。
「(弘前市の南隣の)大鰐町の奥のほうでは、秋田のテレビ電波を受信できるエリアがある」

テレビの電波は、意外な場所で意外な場所から来る電波を受信できるケースがある。よそ者は「県」をくくりに考えてしまうが、隣県から越境してくる電波もけっこうあるのだ。
※高性能のアンテナを設置したり、向きを変えたりという条件が必要なこともある。秋田市沿岸部では、アンテナを工夫すれば山形県沿岸部のテレビが受信できるらしい。

そんな大鰐の話を聞いて、ひょっとしたら(青森に系列局がないフジテレビ系の)岩手めんこいテレビや秋田テレビの電波を拾えるかもしれないという、ほのかな期待を抱いて、弘前市(中央部)の自室のテレビのチャンネル設定を細かくいじってみたことがあった。
使っていた三菱製ブラウン管テレビは、チャンネル設定は手動(当時でもメーカーや機種によっては、市外局番などで自動設定できるものもあった)で、本体のボタンをチョンチョンと押して微調整しても、期待はかなわず。弘前では(少なくとも一般的なアンテナでは)青森市から来る地元局の電波しか受信できなかった。
弘前は海からは遠く、岩手県側や秋田県側は山がびっしりと連なっていて、電波が届かないのだろう。



それから20年弱。先日、阿闍羅山に宿泊した際、このことを思い出した。
あの時の「大鰐の奥」って、ここも該当するかも?! 再び、ほのかな期待を抱いた。

ホテルの部屋のテレビとリモコンは、運良くチャンネル設定モードを使うことができた。(たまに有料放送兼用のリモコンに替えられている宿もあるが、あれは使いにくくてキライ)
全周波数をスキャンして、受信できたチャンネルを一覧表示するところまでやってみた。(そこまででキャンセルしました。テレビに記憶されたチャンネルを変えることはしていません)

今回も三菱電機製のテレビ(型番は見ないでしまった)。デジタルテレビでテレビ局名まで勝手に表示してしまうとは、世の中も変わった。
この時は、14のチャンネルを受信できた。
うち8局
放送局名の右側には「受信レベル」として数字が表示され、正常な受信には22以上必要。
他メーカーのテレビやレコーダーでも、電波状況を示す数字は使われているものの、メーカー間で統一された数値ではない。
パナソニックでは「アンテナレベル」と称し、44以上必要、50以上あると安心としている。シャープは「受信強度(アンテナレベル)」で60以上必要。

一覧に表示される順番はよく分からないが、とりあえずは青森の5局が上に優先して表示される。
青森では、青森放送(RAB)がリモコン番号1で、NHK総合は3なのだが、一覧ではNHKが最上段に来ている。

注目すべきは6番目以降。
HBC北海道放送(TBS系)、STV札幌テレビ(日テレ系)、HTB北海道テレビ(テレ朝系)。
HBCの受信レベルは「-」になってしまっている。ネットで説明書を見ても(型番が分からないが多くの機種で共通)、その意味は書いていなかった。
この画面では、受信できなかったチャンネル名は一覧に出ないようなので、「受信できてはいるが、レベルの数値にもならないほど微弱」ということだろうか。いずれにしても、3局とも視聴するのは現実的ではない。

次の6局。
上2つは前画面と同じ
いずれも視聴は無理なレベルだが、UHB(北海道文化放送。フジ系)、TVH(テレビ北海道。テレ東系)、NHK総合・函館、NHKEテレ函館、NHKEテレ室蘭、そしてABS秋田放送(日テレ系)!

期待した秋田テレビではなかったが、秋田のテレビ電波が青森にもいちおう届くのだ。
秋田放送では、大館市中央部のほか、県境寄りに「大館長走」中継局が存在するので、その電波だろうか。だとしても、県境の山脈のすき間をかいくぐって青森まで届いていると思うと、何かいじらしい(?)。
そして、津軽海峡を越えて(青森市では条件次第で視聴できる)、弘前を越えて、北海道の電波も。

考えてみれば、青森ロイヤルホテルは、阿闍羅山の秋田県とは反対側の北側山腹にある。秋田の電波を受信する環境としては、あまり良くないのかもしれない(弘前市街と違わない?)。
また、青森市や北海道とは反対方向から電波が飛んで来るわけで、アンテナの向きもベストではないだろう。
ひょっとしたら、阿闍羅山の頂上もしくは南側の山腹に、秋田県側に向けてアンテナを立てたら、ほんとうに「大鰐で秋田テレビを受信できる」のかもしれない。
【16日22時30分追記】アナログ放送では、「受信状況がとても悪い(砂嵐混じりや白黒化など)けれど、なんとか映った」ということもあり得た。はたまた、どこでも視聴はできなくて、ある種の“都市伝説”かもしれない。
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チリチリケヤキ・ハス刈取後

2015-11-15 19:40:31 | 秋田の季節・風景
11月初めから少し季節が進んで、秋田地方気象台では12日に初霜(平年1日遅れ)を観測したものの、初氷(平年17日)、初雪(平年13日)はまだ。週間予報を見ると、もう1週間くらい後かな。
昨日は青空。今日は雨が降ったりやんだりでわりと暖かかった。
千秋公園西側
気象台では「いちょうの落葉」を10日(平年6日)に観測。実際に秋田市内では完全もしくはほとんど落葉した木が多いが、たまにまだ葉が残る木もある。
後方の千秋公園の斜面のケヤキなどはすっかり落葉。上空にはカラスが大集合。

二丁目橋・竿燈大通り東端
左の那波家の水汲み場のケヤキも、右の中央分離帯のケヤキも、けっこう葉が残っている。枯れてチリチリな状態で。
先日も触れたように、今年の秋田市のケヤキは、紅葉(または黄葉)→落葉がうまくいかないものがよく見受けられる。静岡とか温暖な地域のケヤキは、このようになるのが恒例みたいだが、秋田では珍しい(過去の記事によれば2011年もそうだった)。紅葉時期の気候のせいでこうなったのだろう。
保戸野学園通り・秋大附中前。この一角で落葉したのは右手前だけ

よく見ると
上の写真の木では、いちばん下の枝の葉だけ、オレンジ色。部分的に普通に紅葉しているようだ。その上がチリチリになってしまっている。
別の木でも、部分的には黄葉
やがて冬の嵐が吹けば、チリチリの葉も落ちることだろう。※12月末の二丁目橋の模様(リンク先末尾)


夏に紹介できていなかったのですが、
8月14日撮影。奥のパラソルはババヘラアイス。その向こうには穴門の堀の噴水
広小路沿い秋田駅寄りのポケットパークから見た、千秋公園大手門の堀のハス。
秋田中央道路地下トンネルの工事でお堀が掘られたことによって、環境が改善されたのか、工事前よりもハスが繁茂するようになり、近年は堀のほぼ全面を覆い尽くしている。
堀の奥側が以前からある品種名「漁山紅蓮」、手前側が工事後に新たに植えられた「大賀ハス」だとかいう話もあるが、真偽は不明。それが事実だとすれば、こんなに繁茂しては境界があいまいになって、取り違えたり交雑したりして、以前と同じく問題になると思うのだけど…
ともかく、今年の夏も独特の美しい光景と香りが広がったお堀も、やがて枯れたハスに変わり、それを刈り取る作業(過去の記事)が終わった。
静かな水面になった
たけど、水際に近づいてよく見ると、

刈り取り作業で回収し切れなかったハスの果実(花托→果托)が、打ち寄せられてまとまって浮かんでいた。
ちなみに、作業で刈り取った果托(秋田市公園課では「花托」と表記)は、市民に1人10本まで無償配布された。花の数からすれば相当数の果托があったけれど、どの程度の数で何人に渡り、どう使われているでしょうか。


さっきの「サザエさん」では、磯野家の近所の屋外の夜のシーンで、虫の音と思しき効果音が流れていた。
秋田では、秋の虫などまったくいなくなってしまったけれど、東京ではまだ鳴いているんだろうか。
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さなづらゼリー・秋田マリーナ

2015-11-12 21:00:51 | 各地お土産・食べ物
秋田のお菓子2つ。※秋田のお菓子についての以前の記事
秋田市に本社があり、秋田市内外のいくつかのスーパーなどでも販売コーナーがある「菓子舗 榮太楼(えいたろう)」。
1883(明治16)年創業の老舗で、1947年から2006年までは千秋矢留町の旭川沿いに旅館を経営していたり、横綱大鵬夫人の生家であったりもする。
Wikipediaには「東京の栄太楼総本舗とはまったく関係はない」とあるが、「お菓子の型を東京の栄太楼から譲ってもらった縁で名前も譲ってもらった」というような話を聞いたこともある(信憑性は不明)。

多くの秋田市民が連想する榮太楼の看板商品といえば、「さなづら」であろう。
山形や水戸のお菓子で「のし梅」という梅味のシート状のゼリー菓子(正しくはゼリーではなく寒天)があるけれど、それのヤマブドウ版がさなづら。
「さなづら」とは、ヤマブドウ(の品種?)を指す方言だそうだが、今はお菓子の名称としてのほうが知られている。
榮太楼では1957年に発売を開始したそうだ。名刺くらいの大きさで1枚100円する高級品。
今まで、類似品は知らず、榮太楼だけが独占的に製造販売していると思っていたが、仙北市角館に「さなづら本舗・福寿」という昭和5年創業の店があった。
いずれにしても、秋田銘菓として一定の認知はされているが、例えば「もろこし」ほど知られてはいないと言えそう。

「さなづら」は、表面がベタベタしていて、甘さだけでなく酸味も強い。普通のブドウとは違うヤマブドウ独特の風味なんだろうけれど、僕は子どもの頃はあまり好きじゃなかった。


いつの頃からか、さなづらの派生商品も発売されていた。
興味はあったものの、買ってまでして食べていなかったら、その1つをついにもらえた!
さなづらゼリー
※パッケージの「な」が「ふ」に見えるのは、元祖さなづらと同じ。
手のひらに収まる大きさのドーム状の容器に入っている。こちらも1個200円以上するらしい高級品。

開け口は底面。ドーム状容器だけど、ひっくり返して置くことは可能。
ぱっと見、ちょっと色が濃いブドウゼリーかワインゼリー。開封しても、元祖さなづらほど甘酸っぱい香りは広がらない。

元祖さなづらほど強くはないものの、甘さと酸っぱさのハーモニーは控えめながら同じ。
ゼリーは柔らかめで、「どろっ」とした流動性が出る一歩手前(?)、ウイダーinゼリーをちょっと硬くした(?)ような食感。
固めるのにゼラチンではなく「増粘多糖類」を使っている。ペクチンなど増粘多糖類はいろいろで、海藻や植物など天然由来のものがよく使われるそうだ。「たらみのフルーツゼリー」も、ゼラチンではなく増粘多糖類で固めている。

さなづらを上手くゼリー化していると思う。当然ながら、冷やして食べるとおいしい。
甘くて酸っぱいから、人によって好みが分かれそうだけど、個人的にはけっこう好き。【15日追記】繰り返しますが、普通のブドウゼリーとは(もちろんワインゼリーとも)違う味わい。あと、パッケージが簡素に感じた。まとめて売る時は化粧箱にでも入るのでしょうけれど、もうちょっと「さなづら感」のような高級感のようなものがあってもいいかも。
ほかに「さなづら葛ようかん」や、一部店舗ではさなづらのソフトクリームもあるそうで、いつかまた。※この記事にて



もう1つ、榮太楼製品。
洋菓子も扱うものの、どちらかと言えば和菓子のイメージの榮太楼さんにしては珍しい商品。
秋田マリーナ
秋田港にあるレジャー用船舶の係留保管施設の名前をもらったお菓子。パッケージにはヨットの絵。
どんなお菓子か想像できますか?
 これ
秋田マリーナの正体は、パイ生地とクリームを重ねたものをミルクチョコレートでコーティングした、ミルフィーユ。
裏面シールの表示では「秋田マリーナ(ミルフェパイ」となっている。パッケージ正面には小さな文字で「HAND MADE SWEET PIE IN JAPAN」。「日本のパイ」なのね。
東京の「ベルン」やメリーチョコレートなどで、同コンセプトの商品がある。
秋田マリーナは、中のクリームが量の割に存在感がある(こってりしている?)感じだけど、個人的には好き。

榮太楼公式ホームページの通販では、和菓子系の商品を主体に扱っているが、完全な洋菓子としては唯一、秋田マリーナが販売されている。1本180円ほど。
その説明には「永く愛されている栄太楼の秋田代表銘菓です」とある。個人的には大好きだけど、そんなに有名なお菓子かな?
それ以前に秋田マリーナって(お菓子としても、施設としても)そんなに昔からないんじゃ…
調べてみると、施設の秋田マリーナは1995年オープン。だからお菓子も長くても20年。


味は大好きだけど、考えてみれば「港湾施設である秋田マリーナ」と「チョコがけミルフィーユ」ってどういうつながりがあるんだろう?
形状も、原材料も、まったく結びつかない。
深く追求してはいけないことで、お菓子の開発には想像力が要求されるのだろうけど、「なんでそれがそういうネーミングなの?」と思ってしまうお菓子が、ほかにも各地にある。洋風まんじゅうとかあんこ入りパイとかブッセとかゴーフレットとか。

そういえば、本荘のどこかのお菓子屋さんで「本荘マリーナ」ってのもあったような?? 調べてみても分からなかった。【2022年1月20日追記・本荘マリーナについて】由利本荘市川口の「かまた菓子舗」の商品で、2022年時点でも製造している模様。30年以上前からある、かぼちゃパイらしい。

【2018年5月9日画像追加・追記】商品に添付される説明書があった。

「西洋菓子」「弊店の味自慢」「折りパイをアマンドプードル入りのクリームでサンドし、その上を最高級のミルクチョコで包んだもの」「雲母の姿、形に似せて、出来るだけ薄くのしたパイを重ね合わせるのが、このお菓子のおいしさのカギでございます。」とのこと。

2020年末~2021年始頃に、「秋田マリーナ」は少し大きくなって、商品名も変わった。なお、秋田マリーナ当時から夏場は売らない期間限定商品だったようだ。
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大橋小橋

2015-11-11 19:36:54 | 
2003年まで国道7号線だった秋田県道56号線を、秋田市中央部から南西部方向に進むと、茨島(ばらじま)と新屋(あらや)の間で長さ583.6メートルの「秋田大橋」を渡る。
※現地訪問・写真撮影は今年9月。逆光で見づらい写真があります。
茨島側の橋の手前「秋田大橋前」バス停付近
両岸側とも、秋田大橋の手前で道路が緩くカーブし、道路端には歩道のような植え込みのようなスペースが広く取られている。これは、秋田大橋が架け替えられた名残。
2009年に記事にしたように、秋田大橋は2001年に架け替えられた。先代の橋の下流側のすぐ隣に今の橋が架けられた。
そのため、先代の橋では両岸の道路と橋がほぼ一直線だったのが、架け替え後は、橋の部分だけ数十メートル下流側にはみ出てズレた配置になった。それで取り付け道路が動いたことに伴い、余ってしまったかつての道路跡が、広めの歩道や植え込みとして残っている。

上の写真では、左(上流側)に植え込みがあり、その左にさらに歩道のようなあまり意味のないスペースがある。かつてはこの辺りが道路ど真ん中であった。(植え込みは道路付け替え後にできたはず)
上の写真の反対側、橋のたもとから橋を背にして撮影

さて、その茨島側の植え込みの外の、意味を成さなくなった元道路部分。
左側のスペース
歩行者は進入できるが、先は土だし、右に並行した歩道があるし、あえて通る必要はない。
左の柵付近が元歩道。その右が元車道
かつては車道も歩道も狭かった。
【12日訂正・初回アップ時に別の画像を重複掲載していたので、正しい画像に差し替えます】
この部分は、道路沿いに建物がなく、柵が設置されていて、道路下に空間がある。つまり「橋」。
その下は、
道がくぐっている(見にくいけど柵の向こう)
現在は、歩行者・自転車道が下を通っている。脇道を介して県道の両側を結ぶ形だが、単に県道を横断する目的では、けっこう遠回りになるし近くに信号もあるし、使う必要はない。堤防伝いに船場町~茨島七丁目方面を行き来する時は、使っても悪くはない。夜は暗く、積雪時はどうなるか知らないけれど。

県道の下の道は元々、貨物列車用の線路だった。
羽越本線・羽後牛島駅から分岐し、県道(当時は国道)と秋田運河の間にある各工場へ至る、引き込み線。(場所的には、現在、世を騒がせている偽装肥料会社の工場の1つもそこにある。ルーツをさかのぼれば、この鉄道とも多少の関係はありそう)
僕は線路があった記憶はあるが、列車が走っているのを見たことはない。
1994年3月に鉄道が廃止され、おそらく何年かはそのままで、後にこの付近の一部分が舗装されて供用されている。

ということで、この「橋」は、かつては「跨線橋」、現在は「跨道橋」もしくは「オーバーパス」(歩道から見れば「アンダーパス」?)ということになる。
奥の信号の向こうが今の秋田大橋
上の写真のように、この橋の(雄物川の)上流側には、石でできた「親柱」があり、銘板が付いている。それを見ると、
 
「秋田小橋」「昭和十三年十月竣功」

そう、これは「秋田小橋」という名前で、1938年にできていた。
旧秋田大橋当時は、道路に向かって「秋田小橋」という大きめの案内標識が出ていたはず【末尾リンクの2001年の記事に写真あり】だから、名前はご記憶の方がいらっしゃると思うし、僕は知っていた。
だけど、できた年は初めて知った。
1934年に開通した秋田大橋の4年後にできたことになるが、これは線路が通ったのがその時ということではないだろうか。

一般的には、反対車線側の親柱に、ひらがなで橋の名前が書いてあるものだが、ここの場合、下流側に道路が広げられたため、親柱がなくなってしまった。(そちら側は柵があるだけ)
だから、正しい読み方は不明。「あきたこはし」「あきたしょうはし」?
【2023年7月29日補足・京都の渡月橋は、片側の岸は中洲(中ノ島公園)に架かっていて、その中州と反対側の岸との間には「渡月小橋」が架かっている。それは「とげつこばし」と読むとのこと。】


下の道を初めて通ってみた。
雄物川上流・かつての線路の羽後牛島駅方向から入る
昔は蒸気機関車やディーゼル機関車が走っていたであろう道を歩く。
親柱の下。右の石垣風の部分が歴史を感じさせる(大橋のほうもこんなのがあったっけ?)
中へ入ると、
途中で天井が低くなる
道路拡張で付け足された部分は極端に天井が低くなる。人が通れれればいいのだから、一般的な地下道の高さ。
下流側へ出て振り返る
秋田小橋の上では、県道のほか、並行して下へ下りる車が通れる細い道も通っていた。(ガードレール部分。県道はその上の柵)

600メートル近い「大橋」(先代は587.4メートル)の直前にあり、ひとまたぎで渡れてしまう「小橋」。かわいらしくて上手いネーミングだと思う。全国的にも「○○小橋」なんてそうそうないだろう。
今の状態では、「橋」であることを意識しながらここを通行するのは不可能に近く、「秋田小橋」の名は忘れ去られつつある。だけどいちおう、今も片方だけながら銘板は残る「橋」なのだから、以前のような道路から見える表示板を設置してもおもしろいのではないだろうか。
※架け替え工事当時はまだ国道だったので建設省~国交省が行った。現在は秋田県管理だけど、県にそんな気の利いたことはできないでしょうね。
【11日22時25分追記】秋田小橋は国道の下に穴を開けて線路を通したような構造(線路は切り通し状)。だから一般的な「橋」ではなく「アンダーパス」に近いのかもしれない。そのため、橋が落ちるなどの危険性は低く、老朽化もあまり問題ではなさそう。

※秋田小橋たもとの2023年の変化(リンク先後半)。
付近の2001年の写真
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阿闍羅山からの眺望

2015-11-09 23:21:10 | 津軽のいろいろ
弘前市の隣町・南津軽郡大鰐(おおわに)町。
全国的にはどうか分からないが、秋田辺りでも大鰐の知名度は高く、温泉とスキー場を連想する人が多いはず。
今回の訪問(前回の記事)では、ふるさと旅行券「いくべぇ!青森旅行券」を使って、大鰐に宿泊した。

※僕は宿は「至れり尽くせりのサービスは不要。コストパフォーマンス重視。温泉はあればうれしい」、温泉は「源泉掛け流しとか露天風呂とかにはこだわらない。ゆっくりできるのがいちばん。泉質は多少気にする」というスタンスです。以下、これを踏まえた個人の感想です。また、宿の写真はありませんのであしからず。

大鰐温泉は、駅からやや離れた一帯に旅館や共同浴場が多い。(駅前にも新しい公共日帰り温泉「鰐come」がある)
スキー場は、温泉の奥にそびえる「阿闍羅山(あじゃらやま)」。

この温泉街には何度か泊まったことがある。温泉街としては寂れてしまっているが、クセがない穏やかなお湯で好き。
一方、あじゃら山の上にも、温泉があるホテルがあるのは知っていた。そこに泊まってみることにした。

それは「青森ロイヤルホテル」というホテル。※末尾の追記の通り、2016年7月1日から「青森ワイナリーホテル」にホテルの名称が変わりました。
名前は知っていた。弘前市内などに「ロイヤルベーカリー」というパン・ケーキ屋も展開しているので。てっきり青森市にあるホテルだと思い込んでいた。
部屋数は多いはずなのに、公式サイトや各代理店のサイトから個人で予約できる部屋数は限られていた。なんとか無事予約。いちばん安い2食付きプランで1人当たり旅行券2枚+数千円。

大鰐の町からホテルまでは、自家用車、タクシー、送迎バス(定時運行便と要予約便あり)。夏場は15分、冬は25分程度かかるらしい(理由は後述)。
駅前から送迎バスに乗ると、すぐに町を抜けて山へ入り、つづら折りで山腹を登る。木が茂っていて景色はあまり見えない(行きはもう暗くなっていたし)。
東北地方の山間部ではたまにあるような道だけど、都会から来た人は心細くなりそう。その上にホテルがあるというのも信じられないかも。
送迎バスの前を観光バスが隊列を組んで登っていたこともあって、駅から15分強かかってホテル到着。


阿闍羅山の標高は709メートル。青森ロイヤルホテルは、そのてっぺんにあるのではなく、標高550メートル前後に建っている。
そこはスキー場のいちばん上で、ホテルより上には「青森ロイヤルゴルフクラブ」が続く。朝は続々と日帰りのゴルファーが来てスタートして行っていた。
地形図を見ると、550メートルの等高線がホテルの中を通っており、本館と新館で階数がズレている。1フロア程度ズレた建物なら街中にもけっこうある(弘大病院とかイオンモール秋田とか)けれど、ここはなんと4フロアもずれていて戸惑った。フロントがある本館1階=新館の5階。多くの客室や大浴場は新館にある。

宿泊客はたくさんいて、ほとんどが団体客。だから個人の予約を多く受け付けないのか。
複数の団体が来ていて、その観光バスが計5台程度。十和田観光電鉄、秋北バス、岩手県交通と、いずれも東北国際興業グループだったので、朝の出発時も仲良く譲り合って待機していた。

昭和末期にできたホテルだそうで、まあ、一般的なホテルの部屋。
温泉は、温泉街とは別の源泉で、掛け流しではない。温泉好きな方々は違う感想だろうが、温泉街よりもややツルッとしたようなお湯で、悪くないと思う。
別段好きではない露天風呂だけど、木々に囲まれた場所にあるようで、気候のせいもあり空気が清々しくて気持ちよかった。景色は見えないけど。

食事は朝夕ともバイキング。(夕食はレストランでコース料理のプランもあり)
夕食は団体さんたちといっしょに宴会場にて。テーブルは団体さんは団体別に指定され、個人予約客はそれ用のテーブル(今回は3卓)。だから、個人客どうしで相席になる可能性がある。アルコールは別料金。
メニューはけっこう豊富。白身魚の焼いたのとか、ホタテの焼いたのとか、ナガイモのグラタンとかおいしかった。リンゴポタージュ、黒石つゆやきそば、生姜味噌おでんなどもあり。
食べなかったけど、デザートの1つに瓶入りプリンもあった。翌日、ヒロロのロイヤルベーカリーでは300円で売られていた(サイズが違うのかもしれない)。
朝食は団体さんが終えた後だったので、ガラガラの宴会場にて。
この料金でこれなら、個人的には大満足でした。以上、ホテルについて。


さて、550メートルの山で期待できるのが、眺望。
朝は残念ながら霞んでいた。
本館の部屋から。右は併設の結婚式用チャペル
北方向が開けている。
肉眼でもごくうっすらとしか分からなかったが、左側(北西方向)に岩木山が見える。すそ野は手前の低山に隠れる。
【11日画像追加】白い線のように岩木山が見えるはず

外へ。
スキー場のリフトと紅葉の山
雪が積もればゲレンデとなる斜面が、眼下に広がる。
送迎バスで通るつづら折りの道路も、何度かスキーコースを横切っていたのだった。
そのため、冬期間は道路として利用できず、山の裏側の集落(虹貝、早瀬野)を通る県道202号線を経由するので、時間がかかる。

真北方向
手前が温泉街のある大鰐の町。
その奥にある山が「大舘山」とそれに続く200メートル級の丘。
そしてその向こうが、平川市平賀。霞の中に田舎館村、黒石市と続くはず。
右寄りの白いドームは、平川市平賀総合運動施設室内運動場「ひらかドーム」。ここから直線で10キロある。

少し左へ。
川が流れ、左奥に大きな街
川は平川。手前の煙突は、奥羽本線からも弘南鉄道大鰐線からも見える、ごみ処理場「弘前地区環境整備事務組合 南部清掃工場」。
左の街は弘前市中心部。ちなみ、清掃工場のまっすぐ奥は、弘前市新里辺り。

さらに左。
弘前市街
ある程度知っている街ではあるが、ほとんど見当が付かない。おそらく左寄りが弘前大学文京町キャンパス。
よく知る秋田市でもそうだけど、遠くから見ると、近いと思っている2つの建物が予想以上に離れていたり、その反対だったりと、感覚が狂うせいもある。

ちょっと右に戻ると、14キロ離れた弘前駅周辺。【11日追記】平賀よりも弘前のほうが遠いのが意外。
イトーヨーカドー、東横イン(弘前駅)ガスタンク
【2016年2月6日追記】弘前公園隣接のNHK弘前支局のリモコンカメラ(お天気カメラ)では、ヒロロの奥に大鰐のスキー場が映る。上の写真では、イトーヨーカドーの右(木と重なっている?)にヒロロがあり、その写真の外の左奥に公園があることになるはず。


夜景も。
弘前市街方向
少し遠いけど、なかなかきれい。(ホテル周囲は玄関前でもかなり暗いので注意)
弘前市街の奥(上の写真左側)で、ある程度高い位置に横一列に並ぶ明かりが見えたのだけど、正体はなんだろう?


これほど高い位置から、弘前とその周辺を俯瞰したのは初めてだった。
地図と道路や鉄道でしか体感していなかった町がこういう配置だったのかと分かったし、リンゴ産地でも田んぼもかなり広がっているのを実感。【11日追記・リンゴ畑は林と同じように見えるのか、認識できない】歩くとアップダウンが激しい弘前市中心部も、ここから見るとそれは分からない。
田んぼが目立つ
次はくっきりと見える時に、岩木山とともに眺めてみたい。

大鰐に関する続き

【2016年7月23日追記】
2016年7月1日から青森ワイナリーホテル」にホテルの名称が変わった。
7月23日現在、公式サイトでの変更に至った説明はなく、運営会社が潰れて経営者が変わったのか?! と勘ぐってしまうが、報道で事情が分かった。

元々、青森ロイヤルホテルは、むつ市で「下北ワイン」を製造する「サンマモルワイナリー」という企業の関連企業だった。
そのワイナリーが、大鰐のロイヤルホテル内に、ワインの第2工場を設けることになり、ホテル別館地下を改装して2016年夏から稼働。それに合わせて、ホテルの名称を変えたのだった。

ホテルの名前が変わっただけで、経営会社自体は同じようだが、その企業名が変わったのかは不明。
また、23日時点のそれぞれの公式サイトでは、ヒロロの「ろいやるファクトリー&ろいやるキッチン」、青森空港の「レストラン「ロイヤルカフェ」」は、名称が変わっていない。
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クルマ2題

2015-11-08 23:30:46 | 秋田のいろいろ
秋田市内で見かけたクルマ2題。

夜の秋田駅西口タクシー乗り場にて。
各社入り乱れて縦列待機や客待ちするスペースからちょっと離れた、秋田駅前交番のパトロールカーが駐まっているところに、
タクシーが集結。左奥にパトカーがいるけど、緊急出動時はいいの?
よく見ると、全部あさひタクシー。
7台いて、内訳は昔からの薄い水色の日産クルーが2台、濃い青のトヨタコンフォートが4台、入ったばかりの黄色い日産NV200が1台。※関連記事は水色・青黄色
黄色・水色・青
表示が「予約」だから、まとまった予約があって待機していたのでしょう。
こういうまとまった台数はあさひタクシーみたいな大手でないと対応できないのだろうけど、車種や色までは揃えて準備できなったのか。
料金はどれも同額です
先日、トヨタでもユニバーサルデザインのタクシーを発売することが発表された。2017年度だそうで少し先だけど、また違うあさひタクシーが現れるかな?

※その後、この場所でのタクシーとパトカーのせめぎあい(?)について。


中心部のホテル駐車場にて。
真っ白い大型バス
秋田県外の白ナンバー(いわゆる8ナンバーなどではなくバス用の200番代)。

後部や反対側面は確認できなかったが、見る限り、塗装が真っ白。所有者名などの文字もない。
自家用バスでは、白地に簡単なラインが入った程度の車体デザインの車はたまに見るけれど、ここまで真っ白なのは初めて見た。
秋田バスまつりの会場近くにこの車がいたら、「落書きバス」と勘違いされて、ちびっ子たちにぐちゃぐちゃにされそう。
真っ黒だったら、特定の主義主張を喧伝する車だけど…
社名などを表示する行灯の部分は埋められているようだ
正面にあるのが一般的な、メーカーや車種のエンブレムやシールも見当たらない。となると、同設計の「日野セレガ」か「いすゞガーラ」どっちか迷うところ。
ヘッドライトの間のガーニッシュのデザインからすれば、日野セレガ。でも銀色のラインが途切れている感じで、若干違う。
ただし、側面前方の銀色の帯「アクセントピラー」が客席ガラスにかからずにボディで止まっていたり、正面のアクセントピラーの上のオレンジ色に点灯する部分がない点では、標準デザインではない(むしろいすゞガーラ。ピラーがガラスにかからない仕様は、多くのバス会社の日野セレガでもわりと見られる)。
(再掲)ほぼ標準仕様のセレガ(でもメーカーや車種の表示がない)

余計な詮索だけど、個人所有もしくは身内だけで使うような団体が所有する、極めてプライベートな用途のバスなんだろうか。
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竹半跡/運転支所跡

2015-11-05 21:17:15 | 秋田の季節・風景
今年初め、秋田市中心部の通町そばの大町にある商業施設「サンパティオ大町」に入っていた、地元の老舗スポーツ店「竹半(たけはん)」が、旭川を越えた仲小路の菓子店「くらた」跡に移転していた。※この記事参照
サンパティオの竹半が抜けた部分は、今も空いたままの模様。壁面の「竹半」の文字も残ったまま。


来年春、サンパティオの中に、認可保育所が開園することが分かった。
秋田市子ども未来部子ども育成課のホームページ「秋田市内の教育・保育施設について」の一覧には、「サンパティオ大町保育所」が「平成28年4月認可保育所開園に向け準備中」とある。
所在地(番地)までしか明らかになっていないので、竹半撤退後のフロアではなく、サンパティオ内の別の場所にできるのかもしれないけど。
【6日追記】タイミングよく、6日付秋田魁新報経済面で報道された。やはり竹半跡にできる。「空き店舗になっていた1棟の1階部分約580平方メートルを改修」「0~5歳児を受け入れ、利用定員は最大約80人を想定」。人の往来を増やすことで活性化を意図するパティオ協同組合とともに、中小企業庁から補助金を受ける。新聞では「月内に設置認可に向けた申請準備に入る」という段階であることになっている(建前上であって、上記・後記の通り実際にはもっと進んでいるのでしょう)。

職員の募集なども一部行われているようで、それによれば「社会福祉法人 山栄会」が運営。現在の連絡先は、サンパティオ内にある「秋田クラーク高等学院」。
今まで知らなかったけれど、秋田クラーク高等学院、さらに秋田市でけっこう昔からある学習塾「寺小屋TEC進学センター」は、いずれも山栄会が関係しているらしい。(クラーク高等学院はフランチャイズみたいなのか?)しかも、その山栄会は、長野県佐久市が拠点だそう。
【6日追記】魁の記事には「山栄会は長野県内の4市と岩手県田野畑村で介護施設など9施設を経営」。山栄会の理事長が「2000年から全日型通信制高校・秋田クラーク高等学院を運営している」。とあり、「山栄会の理事長が、社会福祉法人とは別に秋田クラークも運営している」ということのようだ(社会福祉法人は学校を経営できないから?)。

保育施設には需要もあるのだろうし、街中の空いた場所の有効活用になっていいのでしょう。
かつて、ダイエー撤退後の秋田ニューシティには、保育園の分園が入居していたし。【6日追記】定員・規模はパティオのほうがずっと多くなりそう。


ちなみに、「サンパティオ大町保育所」というのは仮称かもしれないけれど、秋田市中央部(周辺の農村部以外)の私立園で、「保育“園”」ではなく「保育“所”」を名乗るのは珍しい。【6日追記】6日の魁には、「サンパティオ大町保育所」などの施設名称は一切出てこない。
法律上は「保育所」だが、各園の名称は「保育所」「保育園」どちらでも良いことになっている(今は英語の「ナーサリー」を名乗る園まである)。偶然なのか、秋田市では秋田市立は「所」、民間は「園」でほぼ統一されている。

※続きはこちら




秋田市泉のJR奥羽本線沿いに、JR東日本が太陽光発電設備を造ることになり、9月から工事が始まっていた。※この記事末尾で少々

線路が何本も敷かれて貨物駅などがあり、通称「操車場」と呼ばれる一帯。国鉄末期~分割民営化前後には、外側の一部が宅地になるなど縮小してはいるものの、今も広大。
Googleマップ航空写真より。この左上が貨物駅
秋田貨物駅本体より南東側(上り・秋田駅寄り)、菅野地下道と天徳寺地下道の間では、奥羽本線の上下線は大きく離れて走っており、その間には建物もあった。
そこは「秋田運転支所跡地」と呼ばれ、JR貨物ではなくJR東日本の所有地だそうで、そこに発電設備ができる。

経緯はよく分からないが、秋田運転支所は「秋田機関区」と呼ばれていた頃もあったらしく、今も「秋田機関区(跡地)」で通じるかもしれない。(秋田機関区は秋田駅に隣接していたものの名称でもある)
民営化直前の1987年に秋田運転区秋田運転支所、1992年に南秋田運転所秋田運転支所と改称され、1993年12月に秋田運転支所が廃止されている。
それから20年以上使われずに放置されていた土地が、やっと再び使われる。

上の航空写真の通り、この土地には3つの建物がある。
下り方向・北西側の「残」とあるのは、線路が中につながっていて車両が入れそうな建物。これはこのまま残る。将来的に新駅ができれば、その場所になりそう。

そこより右下・上り方向一帯に発電設備ができるので、マル1とマル2の建物は、今回の工事で解体。
マル1の建物も、線路とつながっていそう。先に解体されて、もうすっかりなくなったようだ。

今はマル2の建物が解体されていて、まもなく終わりそう。
現地は、線路沿いに樹木やススキがあって、道路からは見えにくい。列車の窓からはよく見えるけれど、ここは時速95キロで通過するから目を凝らさないといけない。
10月下旬。生け垣状の木々のすき間から
解体が進んでいたマル2の建物は、上りの線路際(泉釜ノ町側)に建つ、鉄筋コンクリート造らしい、学校の校舎くらいの4階建て。意識していなかったけれど、こんな大きなものが線路の間にあったんだな。

オフィスや研修施設でもあったのだろうか。

解体工事は、敷地が広い下り線側から手を付けていて、10月下旬の段階では上り線側壁面にシートが張られていた。上り側には列車見張員も配置されていた。
そんなわけで上り線側からは建物が直接見えなかったが、着工直前にストリートビューで撮影されていた。
2015年8月撮影のGoogleストリートビューより


以下、上り線と並行する歩行者自転車道から撮影。
菅野地下道の上から。中央奥が「残」の建物
少し上り方向へ進んで、
手前が「残」だいぶボロっちい。奥が解体中のマル2

 
線路によって隔離された場所でなかったら、廃墟として荒らされていたかもしれない。
かつての鉄道は多くの人によって動かされていて、秋田も、秋田市泉も、その重要な拠点の1つだったことをうかがわせる建物たちがなくなるという意味では、少々寂しいけれど、太陽光発電さらには新駅と、新たな活用に期待。

※この後、工事は無事に進んで、2016年3月24日から「秋田泉太陽電池発電所」として運用開始。
設置面積約2万5千平方メートル、定格発電電力約1300kW、想定年間発電電力量約170万kWh。
レールは撤去せずに、太陽光パネルの基礎として再利用しているとのこと。この記事参照。
※2019年に新駅設置が正式に決まり、「残」の建物が解体された
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晩秋の青空と烏瓜

2015-11-03 19:57:57 | 秋田の季節・風景
秋田の秋は終盤。
例年よりは穏やかな感じがしなくもないけれど、朝晩などストーブが必要だし、種苗交換会が開催される10月末は冷たい雨が降り、昨晩は夜霧が立ち込め(2013年は11月3日)、文化の日前後にイチョウが黄葉し、いつも通りに季節が進んでいるようだ。【5日追記】秋田地方気象台では、2日に「いちょうの黄葉」を観測。平年と同日。
今日、文化の日は、青空と雨を繰り返す忙しい天気だった。
千秋公園本丸
ケヤキや桜は散っている葉も多いが、まだ残っているものも。【4日追記】今年のケヤキの紅葉は、チリチリに枯れたようになるものが多く、あんまり美しくない気がした。

千秋公園二の丸の西側のあやめ園
ずっと前に記事にしたが、今年も、ここのアヤメだかハナショウブだかカキツバタだかの一部が、今咲いている。どうも毎年、秋にも咲くらしい。



秋田市長公舎の跡にできた保育園の隣りにある「保戸野街区公園」。
公園ほぼ中央にイチョウ、旭川堤防寄りにケヤキがあったが、数年前のバリアフリー化工事の際、大胆に剪定されていた。
(再掲)工事前2010年
その後、
現在
自然な樹形とはちょっと違うけど、姿は整って、きれいに紅葉&黄葉。


保戸野小学校グラウンド
ソメイヨシノがきれいに紅葉している。その前のネットに注目。
右肩上がりの一次関数のグラフみたい
植物のつるが絡まって伸びて枯れ、黄色くなった果実がぶら下がっていた。これはウリ科の「キカラスウリ(黄烏瓜)」。

カラスウリといえば、童謡「まっかな秋(薩摩 忠 作詞)」にも出てくるように、赤に近いオレンジ色の果実。
黄色い果実のキカラスウリは、カラスウリとは別種だが近縁(同科同属)。葉の光沢や大きさも異なるようだ。
けっこう丸っこい。カラスウリはもうちょっと細長いかな
2日付秋田魁新報7面(文化・家庭面っぽい面)のエッセイ風投稿欄「えんぴつ四季」に、秋田市の70歳の女性による「カラスウリの種」という投稿が掲載されていた。
それによれば、カラスウリの種子は「結び文(ぶみ)に似ていることから「たまずさ」(手紙、使者)とも呼ばれる。」そうで、実物を見てみたいと思っていた投稿者だが、「この辺ではレモンのような色の実をしたカラスウリがよく見られる。(略)種は黒くコロンと丸いもので拍子抜けした。」。
投稿者は「気候や土質によるのだろうか」「結び文の種は赤い方にできるようだ」と推測していた。(「気候や土質」ではなく、植物の種(しゅ)が違ったのだけど)
結局、横浜の妹さんから、念願のカラスウリの種(たね)をもらえたそうだ。


冬になるとキジバトがつがいで来て、カラスウリの種をついばんでいるのは見たことがあるけれど、形を意識して見たことはなかった。そう言われれば、「カラスウリの種子は○○○の形」というのを聞いたような記憶はあった。
調べてみると、カラスウリの種子は、凹凸がある独特の形状。投稿のように「玉章(たまずさ)」にたとえられ、カラスウリそのものの呼び名としても使われるそうだ。
ほかにも、「大黒天」や「打ち出の小槌」にもたとえられ、財布に入れておくとお金が貯まるという言い伝えもあった。

さらにまったく意識していなかったが、キカラスウリは凹凸がない種子で、投稿では「黒くコロンと丸いもの」とあるが、いびつなスイカ(どっちもウリ科)の種みたいな形状らしい。


さらにそう言われれば、秋田市内ではキカラスウリが多いかも。だけど、オレンジ色のカラスウリも見たことはある。
北海道にはキカラスウリは自生するが、カラスウリは自生しない(本州にはどちらも自生)そうで、キカラスウリのほうが寒冷地に適応できるのかもしれない。

あと、カラスウリもキカラスウリも、雄株と雌株がある「雌雄異株」。カラスウリまたはキカラスウリを見つけても、それが雄株だけだったら、果実は絶対に実らない。
キュウリとかスイカとかウリ科植物では、1つの株の中で雄花と雌花が別々に咲く「雌雄異花」はよくあるけれど、ウリ科で「異株」もあるとは知らなかった。(雌雄異株はイチョウ、ホウレンソウ、キウイなど)

今年の青空はそろそろ見納め?
※続きは11月中旬
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弘南バス・弘南鉄道いろいろ

2015-11-02 00:07:05 | 津軽のいろいろ
2015年10月の訪問時に気付いた、弘南バスと弘南鉄道の小さな話題をまとめて。
※弘南鉄道と弘南バスは、起源は同じものの現在は資本関係等はなく、関係は薄れている。
まずは弘南バスから。
●相馬行き側面
2014年2月から、相馬方面の路線が短縮(末端部が市による予約運行化)されていた。
車両正面の行き先表示は、短縮前後とも「相 馬」のまま。今回もそうだった。
ただし、中型バスの側面のLED式矢印表示では、従来「相馬」だった終点が「相馬庁舎」と、正確な表記に変わっていたのを確認。
小型バスや幕式(側面は看板式)は不明。


●エイゴホウソウ
弘前市りんご公園へ行った。
行きは、相馬線を使って「常盤坂入口」バス停下車。(上記の表示は別として)特に変化はなかった。
帰りは、久々に「ためのぶ号」を利用。弘前駅と津軽藩ねぷた村やりんご公園を結ぶ、運賃100円または200円の主に観光客向けの路線。
使われた車両はマイクロバスだったが、収穫シーズンのせいか思いのほか利用者がいて、座席の半分以上が埋まっていた。

驚いたのは、発車時の車内放送で日本語に続いて英語が流れたこと。唐突だったので、内容は覚えていない。
ためのぶ号は、りんご公園を出ると「常盤坂入口」から「市役所前公園入口」までは、相馬線など一般路線バスと同じ経路を通り、同じバス停で乗降できる。(だから、運賃が安いこともあって地元の人が乗ってくる場合もあるが、今回はいなかった)

最初の常盤坂入口でも、英語の放送が流れた。「トキワザカ イリグチ」と言っていたけど、「お降りのお客さまは降車ボタンにてお知らせください」相当部分も英訳していたはず。
じゃあ、この後のバス停でもずっと英語アナウンスが入るかと思ったら、その次の茂森町から先は、日本語のみ。市役所前公園入口で降りたが、そこまでずっとなかった。



土手町循環100円バスでは、陸奥新報前~ヒロロ前の間では、英語でバス停名の放送があったのは、たしかヒロロ前だけ。
常盤坂入口にならって「ヒロロマエ」かと思いきや、「ヒロロ デパートメントストア」とか言っていた。公共施設も入るヒロロだけど、department storeで通じるかな。

バス停名の英語放送がないバス停でも、付加される利用方法の案内については、日本語に続いて英語が流れた。
文化センター前辺りで流れる「運賃支払いは現金のみで、他路線への乗り継ぎはできません(別途支払いが必要)」と、並木通りバスターミナル前辺りの(昔はなかった?)「循環バスの最終便発車後にターミナルに到着した場合、土手町方面へ行く時は、一般路線バスを使ってください。乗り継ぎ券は使えません」とか言う長ったらしい説明。
親切と言えばそうかもしれないけれど、日本語を知らない人には、バス停の名称を知らせることこそ、親切な案内になるのではないでしょうか…
そして、バス停ごとの英語放送の有無の選択基準が分からないし、あっても英訳がアヤシイ。「りんご公園」は「アップルパーク」か? 「リンゴコウエン」か?

ちなみに、秋田中央交通の空港リムジンバスでも英語放送が流れるそうで、北都銀行前は「ホクト バンク」と言うのに、牛島市営住宅前は「シエイ ジュウタク マエ」だそうです。


●日本語放送
ためのぶ号の「市役所前・公園入口」の(日本語)放送は、以前と同じく区切らずに「市役所前公園入口」と一息で言ってしまっていた。
バス停名は「市役所前かつ(弘前)公園入口」という意味なのだが、放送では「『市役所前公園』という公園の入口」と解釈されて収録されてしまっているらしい。
音声合成方式では部分的に再収録できるのだから、修正は容易なはずですが。(というか路線によっては、正しく区切って話すものもある?)


2014年頃から弘南バスの車内放送の広告が激増していた。
全国の複数のバス会社で流れている、ほぼ同じ言い回しで「行こうよ連合に」の労働相談の放送も、相馬線の大町二丁目で流れているのを聞いた。若干簡素な言い回しのような気もした?

ちなみに、秋田中央交通では、以前は山王十字路だか県庁第二庁舎前でかかっていたが、今は交通公社前に変わったらしい。
路線で違うのかもしれないが、弘南バスの大町二丁目も含めて、労働者がよく利用する区間で流しているのだろうか?



以下、弘南鉄道。
弘南鉄道では、毎年、鉄道の日前後には全営業車両に、黄色い顔の全国共通キャラクターのヘッドマークを掲出して運行している。(「テッピー」というそうだ。どこの鉄道でも見た記憶はないけれど、ピンク色の「テッピーナ」も存在する)
「鉄道記念日」を発展させて「鉄道の日」となったのが1994年。おそらくその時、あるいはその数年後から、弘南鉄道では毎年欠かさずに実施しているようだ。
大鰐線大鰐駅。左の元南海1521系リバイバルカラー編成も、右奥の無塗装編成もマーク装着


大鰐線の車窓から2題。
以前、車両基地公開を見に行った、津軽大沢駅。
駅舎・車両基地の向こう側に、大きな鉄骨造りの建物を建築中なのが見えた。

たしか車庫の工事などが行われていると聞いていたが、それと関係するのか、新たな駅舎とかでもできるのか?! と期待してよく見ると、デイサービスの施設との看板があった。敷地外のお隣のようです。


旧・城南駅こと聖愛中高前駅。
そのすぐ脇(大鰐寄り)に踏切があるのだが、10月8日の東奥日報によれば、10月2日夜に列車が通過する直前に遮断機が上がり始めるトラブルが発生したという。けが人などはなく、調査したが原因は分かっていないとある(続報は見ていない)。
その踏切が、「市営住宅前踏切」という名前だそうで、初めて知った。

今回そこを通過する時、踏切を挟んだ区間が、時速15キロの臨時の速度制限がかかっていた。駅のすぐ隣だから、元々速度は出ていない場所だけど。ちなみに、速度制限はJRと同じデザインの円形の標識だった(正確には「臨時信号機」という信号機の扱いだそう)。
2日の事象を受けて、安全確保のため速度制限が設定されたのか、それとも、工事か何かで事象発生前から速度制限があって、それが関係して踏切の不具合になったのか。


今回は、弘前駅(JRと同じ場所)と黒石を結ぶ、弘南線にも乗車。
津軽尾上駅にて。7105-7155の編成も、鉄道の日マーク装着
弘南線にも、大鰐線と同じ元東急7000系が使われているが、大鰐線との違いは、東急からの譲渡時に後付けで運転台を設置した「先頭車化改造」された車両が多いこと。
これまでに弘南線にも何度か乗車経験はあり、7105-7155の編成にも乗ったことはあったかと思うが、今まで気づかなかった発見。
車内全景
座席の色が2色あってバラバラに配置されている。優先席だとかでもなく、JR北海道の特急のようにランダムな配置?!
7000系本来の座席は、時代を感じさせるビロードのような光沢のあるえんじ色。大鰐線は今も全部その色(シルバーシート部分はグレー)だし、弘南線もたしか以前はそうだったはず。
一部だけ、オレンジ色に交換したらしい。

で、そのオレンジ色は、
途中に肘掛けがある(上の写真左手前の連結部寄りにはない)
このシート、どこかで見た記憶がある…

(再掲)これだ!
同じ青森県内で廃線になった十和田観光電鉄線の7700系。
7700系も元東急の車両で、7000系を改造した形式。東急時代の7700系への改造時にオレンジ色の座席に交換されて、十鉄へ譲渡されたはず。
十鉄の7700系は、廃線後に廃車・解体されたという。まさかそこから座席だけ外して持ってきたのか? あるいはそれ以外のルートで東急系のどこかから流れてきた部品か?

そういえば、大鰐線のえんじ色のシートは、破れた所をつぎはぎしたようなものもあるから、そっくり交換するのはひとつの手ではある。
ただ、オレンジ色の座席の座り心地は大して良くなったような。えんじ色のほうがスプリングが利いていて好きかな。


写真を見て気付いたけれど、車内全体の写真では、オレンジ色の整理券発行器が3台も写っている。
いちばん奥の運転台右側と手前の後ドアの左右。
弘南鉄道では、ワンマン運転時の無人駅では乗るのも降りるのも前のドアだけ。だから、後ドアの2台の発行器は使っていないはず。こちら側の車両も同じはずだから、全体ではかなりの発行器が使われておらず、もったいない。
後ドアから乗車するJR東日本の701系では、後ドアに1台だけ設置されている。

弘前の話題は続きます
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