広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

組み換えと借り入れ

2016-09-30 00:20:49 | 秋田のいろいろ
秋田(JR東日本秋田支社管内+α)の奥羽本線・羽越本線・津軽線を普通列車として走る、ピンク(赤紫?)色帯の「701系電車」。
2両編成と3両編成があり、2両編成28本(2両×28組=56両)、3両編成14本(3両×14組=42両)の計98両の配置。※別に線路幅が広い田沢湖線用が2両×10本配置。
一般に、鉄道車両のうち「電車」と呼ばれるものは、数両を1セットにして固定されたユニットを組んでいて、点検整備以外でこれがバラされることはあまりない。例えば3両編成ならいつも同じ組み合わせの3両がくっついて走っている。
秋田の701系では、同じ製造番号の車両どうしで組み合わされて、「N1編成」などと製造番号の前に「N」が付いた編成番号が振られている。1993年(一部は1994~1995年)の製造以来、この組み合わせが変わることは一度もなかったはず。


今年1月17日。青森県津軽村【30日訂正】蓬田村の津軽線を走行していた3両編成の「N5」編成が、踏切で動けなくなっていた除雪車両と衝突。けが人はなかったが、先頭車両の「クモハ701-5」が破損(外見上は大破というより、つぶれてひしゃげた感じ?)した。
これにより、N5編成は運用から外され、秋田地区の701系3両編成は、本来より1本少ない13本で回すことになった。
元々、ローテーションで車両基地に待機する予備の車両を確保しているため、短期間なら問題ないし、最悪2両編成を充てることもできただろう。

しかし、長期間となると、他の車両が点検整備で抜ける場合もある。増結や臨時列車で必要数が増えることもある。
事故車両は、秋田総合車両センター(旧・土崎工場)へ搬入され、なかなか復帰できそうにない。
秋田支社はどう対応したか?
こうなった!(7月頃)
写真ではごく普通の3両編成。
でも、そうではない。見えづらいけど、正面の貫通扉の窓に「N29」とある。N29編成は、本来は2両編成の車。
向かって正面左側の窓の中にある「ワンマン」表示灯(写真では折りたたまれている)や、側面の客用ドア横にある「入口」「出口」を表示するLED装置、車外スピーカーといった、ワンマン機器が設置されているのが、2両編成の証。(3両編成はN1~N13とN101編成でワンマン非対応)
奥がN29編成。↓が出入口表示。手前の3両編成(N101編成)にはそれが付いていない
それなのに、これは3両編成。
写真では伝えにくいですが、製造番号を見ると、両端のクモハ701とクハ700はいずれも「-29」。そして、真ん中の運転席のない車は「サハ701-5」。
ドアボタンはどちらも未更新の旧タイプ
つまり、事故にあったN5編成からサハ701を抜いて来て、2両だったN29編成の間にはさむことで、“3両編成化”したことになる。秋田以外の地域も含めて701系製造以来初めての車両の組み換え(※)ではないだろうか。
※ここでは、製造時とは違う組み合わせになるという意味で使うことにします。ちなみに701系の3両編成は秋田以外のエリアにはなく、仙台には4両編成(2両×2本ではなく、4両で固定1セット)というのもあるけれど、それ以外はすべて2両編成。

なお、元々のN29編成だった両端2両では、運賃箱など車内のワンマン機器もそのまま。その気になれば、3両編成のままワンマン運転もできてしまいそう。(やっぱりムリかな?)
気になるのは、ドア開閉時のチャイム。秋田の701系では、2両編成では鳴って、3両編成では鳴らないばかりか、ドア開閉のタイミングも違う。この点は改造して揃えてあるのか、バラバラなのか。未確認。
【2017年7月16日追記】2017年7月放送のNHKBS「にっぽん縦断こころ旅」で、一行が津軽線でこの編成に乗車(この記事末尾)した。元2両だった車両では、運賃箱と液晶式運賃表示器は残っており、ドアチャイムは鳴らないようにされて通常の3両編成と同じ動作をしていた。ドアボタンは新タイプに更新されていた。


これによって、3両編成は本来の数が揃ったものの、2両編成は1本減となってしまった。
元々の数が少ない3両編成のほうが、不足による影響が大きく、このような措置を取ったのだろう。
じゃあ、2両編成はどうするんだと思っていたら、7月末。
男鹿線の隣にこんな電車が!!
2両編成の701系電車ではあるが、帯の色が赤・白・緑。パンタグラフも違って、ひし形。これは仙台支社の701系。
仙台から融通してもらって、不足を補うことにしたのだった。
色違いが並ぶ
仙台では、東北本線、常磐線、仙山線で701系を使っているが、常磐線に不通区間があったり、他形式も使っていたりして、車両数に余裕があるのだろう。
秋田へ来たのは、仙台では「F2-105」編成と名付けられていた、製造番号105の編成。見えないけど、正面左のガラスに小さく表記されている。

秋田には104番の編成まで配置されているので、その続番。
そればかりか、この105番の編成自体、元々は秋田に配置され「N105」編成を名乗っていた。
製造時に秋田に配置された102~106番の編成は、山形新幹線新庄延伸、花輪線直通快速(旧よねしろ)廃止、東北本線新青森開業といったダイヤ改正を機に、秋田で不要になったりまた必要になったりを繰り返し、仙台との間で行ったり来たりほんろうされている車。
N105編成は、1999年に秋田から仙台へ、2010年に再び秋田へ、2013年に再び仙台へという、経歴のはず。
以前仙台から戻ってきたばかりの2010年12月撮影。「F2-105」表示も残っている
なお、最初からずっと仙台にいる701系は、正面の貫通扉が緑色に塗装されているが、こちらは無塗装。搭載されるパンタグラフが違うため、仙山線には入線できないという制約もあるようだ。

105編成は新製以来3度目の秋田へ来たことになるが、以前のように帯は交換されずに運用に入った。(土崎工場へ入って、機器の調整作業は行われたらしい)
LEDの行き先表示は、側面は正しく表示していたが、正面は消灯していた。
正面の行き先表示がなく、帯の色が違うと、混乱する客がいたかもしれない。パソコンで作った紙でいいから、掲出するべきではないだろうか。

ワンマン機器も使えないようで、ダイヤは限定された。
秋田→横手→湯沢→横手(滞泊)→秋田(他の2両と連結して4両編成)、秋田-羽後本荘往復(単独で2両)でほぼ固定運用。1度(?)、酒田まで行ったこともあったようだ。
お盆の頃にいったん見なくなって、下旬の大曲の花火の頃にまた走って、その後はとんと見なくなったと思っていると、9月初めに仙台へ帰り、現在は仙台で再び運用に入っているそうだ。
E6系と並走
したがって、今回の105編成は、秋田に転属させたわけではなく、8月初めの夏祭りと下旬の大曲の花火という、秋田支社としての最繁忙期のためだけの、一時的な借用だったことになる。


秋田総合車両センターに入ったままと思われる、N5編成の両端2両はどうなるのだろう。クモハ701-5は復旧するのか、廃車となるのか。そして、無傷のはずの反対側(事故時に最後尾)の先頭車サハ700-5【30日訂正】クハ700-5は。
さらに、今後、車両が不足した時は、また仙台から借りてくるのだろうか。来年の大曲の花火の時には、常磐線は復旧しているはず。
【30日追記】仙台支社では、今秋から来春にかけて、普通列車用電車の一部更新を行う。701系に関しては変化がないとのことだが、ひょっとしたらこれに合わせてやり繰りして701系1本を捻出し、秋田へ転属ということもなくはないかも。

※その後2017~2018年初めにかけて変化が発生
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伽羅橋

2016-09-27 23:27:44 | 
秋田県立美術館に展示されている藤田嗣治(レオナール・フジタ)の大壁画「秋田の行事」。
その画面中央左に、小さな橋が描かれている。異なる季節のさまざまな行事を1枚にまとめた絵の中で、場面転換というか区切りを示す役割を果たしているのだとか。

その橋は、実在の橋をモデルとしている。
秋田市内にある「香爐木(こうろぎ・香炉木)橋」という木製の橋だそう。別名「伽羅(きゃら)橋」とも呼ばれ、今は新しく架け替えられたという話もある。※名前の由来には諸説あるようですが、ここでは割愛します。

見たことがなかったので、現地へ行ってみた。今年の早春のことなので今さらのアップですが…
場所は、秋田市北部の中央部寄り、寺内地区の高清水の丘を抜ける旧国道から、西方向の脇に入った道。
以前、坂の向こうに海が見える道を紹介したが、その2本中央部寄りに当たる道で、旧国道からは秋田城跡歴史資料館入口の500メートルほど手前を曲がる。

今は建物配置などで見落としそうな狭い道だけど、古四王(こしおう)神社の参道とまっすぐにつながる道なので、由緒ある道のようだ。むしろこっちが旧街道か。道路の周辺には大ケヤキや湧き水もある。
進むと住宅が途切れて斜面が迫って草木が多くなり、下り坂になる。海は見えないけれど、2本隣の道と似たシチュエーション。やはり夜は通りたくない道。
なお、現在の町名では、この道が寺内大小路(北側)と寺内神屋敷の境界。
左が神屋敷・右が大小路
下り坂はやがて上り坂に転じる。その“谷底”に、橋のようなものが。

これこそが、描かれている橋のモデル。代替わりしたけど。

橋というよりも、道路に手すりだけ付けたようにも見えるが、なるほど、下には小さな川と言えるかどうかも微妙だけど、水は流れている。量は少ないけれど、水はきれい。
地図を見ても川の名前などは付いていないが、高清水の山中(?)に源を発しここまで来て、ここを過ぎて間もなく別の同じくらいの流れと合流して、国道7号線(臨海バイパス)をくぐり、秋田運河(旧雄物川)に流れこんでいる(そしてすぐに秋田港へ注ぐ)。ということは、いちおう「雄物川水系」に含まれるの??
上流側

下流側。この先遠くないところに臨海バイパスがあるとは思えない環境

橋で一般的なように、「親柱」には、その名称や竣工年が記されている。川の名前はない。
それによれば名前は、
逆光と風化で読みづらいけど「伽羅橋」?
反対側は、
「きゃらばし」
ひらがな書きでは「とおりまちはし」「ゆりはし」などと、「~ばし」や「~きょう」ではなく、「~はし」と表記するが通例のようだが、ここは珍しく「~ばし」。(下面影橋もそうだった)

竣工年は、
「昭和十五年」。月は表記なし
1940年か。
うまく撮影できなかったが、反対側には「皇紀二千六百年」とあった。1940年は神武天皇即位から2600年。その記念の意味もあって架け替えたのだろうか。

となると、かなり古い橋ということになる。
以前、飯島の天ノ袋橋をアップした時、秋田市が行った「橋りょう点検」の結果を調べた。
それによれば、いちばん古いのは太平八田の「八田三号橋」で1935年架橋(ただし現在は下が川ではなくなり、安全上は無問題らしい)、その次が1955年の天ノ袋橋だった。じゃあ、伽羅橋は対象外?

やはりこれは「橋」ではないのではないだろうか。
はっきりと確認はできなかったが、道路の下にトンネルを掘って水を通しているようだ。その上の道に手すりを付けたという、第一印象そのままが実態なのかもしれない。


「秋田の行事」は、1937年完成。
したがって、それからすぐに橋(手すり?)が新しくされてしまったことになる。
また、現状としては、橋に「伽羅橋」とあるのだから、それを正式名称としてとらえるべきで、「香爐木橋」を別名とせざるを得ないだろう。
ちなみに、当時のここ一帯は南秋田郡「寺内町」。1941年に、土崎港町などとともに秋田市に編入されることになる。

反対側から来た道を振り返る
橋の“対岸”は、北側は引き続き寺内大小路、南側は寺内後城に変わる。
寺内大小路側の丘には階段がついていて、上が墓地(後城側も低い墓地)になっている。そこには、江戸時代の紀行家で、秋田県内をくまなく歩いた菅江真澄(すがえますみ)の墓があるとの標柱がある。
おじゃましてみたが、他のお墓に混じって、ちょっと立派なくらいのものだった。
【28日補足】菅江真澄の著作の中で、この橋の由来に触れたものがあるらしい。

上り坂の道を進むと、再び住宅が増えてくる。海が見えた道とも合流。そして、旧国道に戻る。
出た場所は、「寿光園入口」バス停のそば、住所では土崎港南一丁目で、イオン土崎港店や中央高校の裏側が近い。知らない世界から、一気に現実にワープしたような感覚。
古四王神社付近から土崎港南付近へ徒歩または自転車で移動する場合、旧国道よりも通行しやすい道かもしれない。旧国道はカーブが多く、車の通行も多いが、こちらは気にならないので。ただし、アップダウンと夜間の暗さは別として。距離は伽羅橋経由のほうがわずかに長く、1キロくらい。

橋は替わってしまっても、周辺の環境も含めて、どことなく絵の世界に通じるものを今も残しているような、伽羅橋であった。
【28日補足】現地には、説明板のようなものは特に見当たらなかった。その点でも、昔と変わらない(橋は替わってますが)風景がそのまま、静かにひっそりと残るであろう場所に感じられた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本駅前にて

2016-09-25 23:59:21 | 旅行記
信州旅行記の残り。※前回の記事
松本市には、何度か訪れたことがあった。いい街だから、今回も久々に松本市街地や松本城に行きたかったけれど、時間が工面できず、乗り換えの待ち時間で駅前広場に出ただけ。

以前訪れたのは10年弱前。当時は新しい橋上駅舎になっていたが、駅前広場(お城口側)はまだ古いものだったはず。
今回降りると、駅舎には見覚えがあったが、広場は見たことがない風景に変わっていた。
松本駅。右の駅ビルは旧駅舎当時のまま?


広々としていて開放的な広場の一角に、
湧き水?
ひしゃくが置いてあって飲めるようになっている。水質検査済み。
「平成の水百選」に選ばれた「深志の湧水」
英語では「Well」とあるのは「井戸」の意味らしい。「Spring」じゃないのは、微妙なニュアンスの違い?

イメージになかったけれど、松本は市街地に湧水や井戸が多いのだそう。三島とか弘前もそんな街だけど、こんな駅前に水が湧くのは珍しい。
ほかには、愛媛県の伊予西条では駅のホームに「うちぬき」という自噴水がある。


松本市中心部には「タウンスニーカー」という“周遊バス”が走っている。
料金は150円または200円。運行主体はアルピコ交通で、松本市が経費の一部を補助している形。
タウンスニーカー用日野ポンチョ2台
2台のうち右の車は、いかにも周遊バスらしい塗装。「アルプちゃん号」だそうで、松本市のマスコットキャラクターと、「花いっぱい運動発祥の地」にちなんだデザイン。

そして左の赤い水玉塗装といえば、これはもう。

草間彌生さんのデザインなのは一目瞭然。
展覧会でもやっていて、それに連動した(秋田市の場合)のかと思っていたが、帰ってから調べるとそうではなかった。

草間さんは松本の出身なのだった。駅近くが生家だとか。
このバスは「水玉乱舞号」。ナンバープレートは「841(やよい)」。
アルピコ交通の高速バスにも、別デザインの車両があるとのこと。


残念ながら松本市の話題はこれだけ。
いつかまた訪れたい。松本市役所のてっぺんに小さな「展望室(平日のみ開放)」というのがあって、松本城を間近に見られるそうだ。そんなあたりを。

ところで、gooブログには「ジャンル」というのがあって、必ず1つを選択してアップしなければならない。
そのジャンルの1つに「松本市ブログ」というのが設定されている。市町村がジャンル名になるのは唯一で、都道府県ごとの「地域」とは別の「特集」という区分けに入っている。

たしか、何年か前に、松本市とgoo(NTTレゾナント)が提携だか協定だかを結んだのがきっかけ。2013年には「松本市民向けの”健康づくり支援を目的とした”ブログ講座」が開催されたようだ。
その後、現在では、「松本市ブログ」ジャンルにおいて活発な投稿が行われているとは言い難い状況。ホームページにもあまり情報がないので提携が立ち消えつつあるのか、あるいはブログというネットサービスそのものが衰退傾向なことを示しているのかもしれない。
【26日追記】「健康づくり支援を目的とした」とは、例えばウオーキングの記録にブログを使うといったことらしい。そんなことを踏まえれば、「松本市ブログ」は、健康づくりを目的とした松本市民がアップする記事に設定するジャンルなのかもしれない。当記事はあえて松本市ブログジャンルに設定してみたけれど、このようなよそ者の旅行記は“目的外”になるのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後3題

2016-09-21 23:56:08 | 秋田の季節・風景
以前の記事のその後。
●新たに発見
昔の秋田市内の住宅街には、「タクシーを呼ぶ/タクシーが客先に向かうための番号が書かれた看板」が設置されていた。
通用するかどうか分からないが、今もちらほらと残っている

秋田駅東側で、新たなものを発見。
電柱ではなく、隣のカーブミラーに添加
看板の板を木の棒に打ち付けて旗のようにし、その棒をカーブミラーに結んでいる。
記憶にあるこの手の看板は、電柱に巻いたのではなく、こういう旗方式のものだったかな。

看板のデザインも懐かしい。見覚えがある。
三吉タクシー
手書きながら、3本の青いラインが翼のように配置され、デザイン性もある。

「三吉(みよし)タクシー」とは、現在の「タクシーセンターあい」の前身。
1989年8月1日(たぶん)に、双葉、ダイヤの両タクシーと合併して、現在の形になった。合併前3社の中では、三吉がいちばん大きかったはず。3社それぞれの合併前の車体や行灯のデザインは共通性があり、何らかの関係が元々あったのだろう。

27年以上前に設置されてそのままになっている看板。
表記された電話番号は、現在は使われていないようだ。少なくともタクシーを「呼ぶ」目的では使えない看板になっている。

【24日補足】看板の白と青の色使いは、現在のタクシーセンターあいの車体色に通ずるものがある。しかし、三吉タクシー(と合併した2社もほぼ同じ)の車体は白にオレンジ色系統の細い線が入ったようなデザインだったはずで、看板との共通性はなさそう。


●事故後の対策
今年3月、秋田市の旧国道とけやき通りが交わる「八橋一里塚」交差点で、道幅が狭くなった位置にある信号柱にトラックが衝突する事故が発生した。
その後、原状回復はされたが、3月の事故を考えると、縁石だけでは物足りず、ガードレール設置などの事故防止策が必要なのではと思っていた。

おそらく7月から9月の間に、
縁石に沿って柵が設置された
ガードレールでなく、ガードパイプというやつか。茶色。【22日追記】茶色というより黒?

そのガードパイプに、門松をバラしたような筒状のものが3本設置されている。
ソーラーパネルがあって、夜間は点灯または点滅するようだ。積水樹脂の「ジスロン ナビラッシュ NF-BL-G」という製品。

これに衝突されたら意味がないだろうけど、注意喚起としてはそれなりに効果がありそう。
けやき通りの反対の南端のような、標識は設置されていないようだ。

【10月11日追記】2010年に開通した、楢山の愛宕下橋北側のY字路交差点にも、開通時から同じと思われる柵と筒が設置されていた。


●テレビに写った場所だけど
猛暑の中、水がなくなって枯れかけて、刈り取られてしまった、秋田駅前の秋田蕗(アキタブキ)。
現在も更地のままだけど、
ぽつぽつと
端のほうを中心に、小さな葉がいくつか出てきた。(ふきのとうではなく、フキ本体)
地中に残っていた根や地下茎から出てきたことになる。

20日放送の「空から日本を見てみよう」で、なんとここの秋田蕗が紹介されていた。(ここで発見した後、農家の畑で詳細を聞くという流れ)
枯れていない映像だったので、猛暑の前に撮影されたことになる。
撮影が遅ければ、カットされたか、「枯れかけちょるぞ。誰か水をやっちょくれ」と雲じいに突っ込まれたかも。(雲じいは雲だから、自分で雨を降らせられる?)

※その後、2020年には蕗がなくなってしまった
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予告・空から秋田を見てみよう

2016-09-17 23:57:47 | 秋田の季節・風景
20日・火曜日20時00分から55分までBSジャパン(BS7チャンネル)で放送される「空から日本を見てみよう+(plus)」で、秋田市が取り上げられる。
※弘前の時はこの記事後半にて

そういえば、いつだったか執拗にヘリコプターが飛び回っていたことがあったけど、この撮影だったのかな?
普段はあまり見られない空撮映像ばかりでなく、特に珍しいものは地上から紹介される番組だけに、楽しみ。
まるまる1時間の全国放送番組で秋田市が取り上げられることも、そうそうない。

予告映像によれば、「久保田城跡」、「巨大な親子亀!?」、「キツツキロボット!?」、「庭先新幹線ハウス!?」。(これらは秋田の人なら映像を見ればすぐに正体が分かります)
番組表の詳細ページによれば、秋田新幹線沿いに秋田駅へ来て、秋田杉製材所、秋田蕗、銀線細工、竿燈、雄物川・秋田港、臨海鉄道、亜鉛工場、秋田精錬などが取り上げられる。

とりあえず、紹介しておきます。
※放送後、1週間(?)は「ネットもテレ東キャンペーン」サイトでも見られるらしい。

【19日追記】
秋田県観光文化スポーツ部観光戦略課あきたびじょん室によるツイッター「あきたびじょん@akitavision」において、9月15日付でこの番組で「国際教養大学中嶋記念図書館が紹介されます」とのツイートがあった。教養大ホームページを引用したもの。
ツイートをしているセクションの意義からすれば、教養大だけでなく、「秋田県(の秋田市)が紹介されます」とツイートするべきではないだろうか。そういう番組が放送されることは感知したわけなのだし。


【10月11日追記】
さらに10月18日の放送は「男鹿半島」
潟上市、八郎潟から入道崎を経て男鹿温泉に至るようだ。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

期待外れ&唐突の新路線

2016-09-14 23:57:32 | 秋田の地理
昨年度末に、秋田市内のいくつかのバス路線が今年9月いっぱいで廃止され、その一部は10月から新しい路線に再編されることが明らかになった。
いずれも現状では利用者も本数も多くない路線でありやむを得ないと思うとともに、単純な廃止ではなく、同時に再編されることで、前向きな意欲も感じ、かすかに期待も抱いていた。


廃止区間またはその手前のバス停には、先週辺りに、廃止と定期券無手数料払い戻しの告知、今週に入ってから新路線のルートが掲出された。
肝心のダイヤが分からなかったが、14日にホームページに掲載されて、詳細が分かった。
結論としては、前例踏襲。これでは利用機会は変わらないか減るかで、利用者増は望めない。期待外れだ。
ダイヤ設定を工夫すれば、新たな利用者の開拓や、既存路線の効率化も可能なはずで、バス会社にとってもメリットがあるかもしれないのに。

路線ごとに。
以下、現時点でのホームページ掲載内容に基づきます。過去の事例では、掲載後に内容が変わったこともある(※)ので、ご利用の際は、各自、ご確認ください
※早めに知らせてくれるのはありがたいけれど、法令では1週間前までに告知すればいいことになっているはずなので…

●旧・泉山王環状線および堂ノ沢線→泉八橋環状線
新たに路線バスが走る区間に新設されるバス停は、
(県庁経由将軍野線用・面影橋)-八橋田五郎-イサノ一丁目-イサノ二丁目-(堂ノ沢線用・自動車会館前)-泉北一丁目-(泉ハイタウン線用※・秋田貨物駅入口)
八橋田五郎は泉山王環状線、イサノ二丁目は堂ノ沢線にそれぞれ同名バス停がある(二丁目は今はない?)が、それとは場所が移動。
【15日追記】※秋田貨物駅入口を通る既存の泉ハイタウンは、この区間では一方向の環状運行。そのため、現段階では新環状線の八橋回り側にしかポールが立っていない。向かい側の泉回り側には、単独のポールを新設することになる。

運行本数は、現在はいずれも平日のみで、堂ノ沢線が1往復、泉山王環状線が短絡ルートの新川向経由を含めて泉回り2本、山王回り3本。計7本。
新ダイヤでは、「泉回り」が平日7時台1本、「八橋回り」が平日17時台に1本の計わずか2本。15時台に2本(うち1本は新川向経由)あった山王回りはバッサリと廃止。

系統番号は泉回りが「230」、八橋回りが「231」と、泉山王環状線(新川向経由でないほう)を継承。
従来は、LEDでない幕表示の小型バスだったので番号が掲出されなかった(五城目営業所の幕式車のように、紙を出すという方法もあるのに、秋田営業所ではやらない)が、新路線は中型になるらしいので、初めて表示される。
担当は引き続き秋田営業所。


●茨島牛島環状線→茨島環状線
環状線というかヘアピン状だけど、やっぱり環状線という名。
「大町回り」と「茨島回り」と称される。茨島回りよりは「卸町回り」のほうが分かりやすいかも。
新設バス停は、(卸センター前)-卸町四丁目-卸町五丁目-(牛島変電所前)の2つだけ。
(茨島回りの場合)卸町五丁目から、西側の広くて真っ直ぐな道(貨物線跡沿い)を新国道方向へすぐ向かっても良さそうなものを、いったん東へ進路を変えて線路近くまで行って、現・環状線と同じ三皇神社本宮前の狭い道を西へ走る。
したがって、変電所前より西は現行ルートと同じで、引き続き、茨島回りの「秋田大橋前」は西松屋裏にひっそりと立つ、新屋線とは別のバス停(大町回りは新屋線と同じ位置)。これらはスクールバスとしての需要を重視している結果と考えられる。

ダイヤは、引き続き平日のみのわずかな本数。
大町回りは秋田駅西口発の時刻も変わらず、9時10分と15時45分の2本。1周の所要時間は46分で、現行より6分余計にかかってしまっている。
現・茨島回りは、朝に途中の変電所前始発で1周しないのが1本(2014年10月までは1周していた)、1周するダイヤは1本だけで、2015年10月に17時25分発だったのが13時30分発と大きくかつ意味不明の時刻移動をしていた。
新・茨島回りは、朝7時05分発の1本のみ。午後が廃止され、朝の変電所始発が再び秋田駅発に戻った(駅発時刻も以前と同じ)。1周は現在49分なのが44分と5分短縮。

大町回り600、茨島回り601の系統番号、秋田営業所の担当は変わらず。


卸町経由新屋線
手続き上は廃止・新規ということらしいけど、実質的にはルート変更。
従来は新国道の出入りがハローワーク入口の交差点だったのが、新・茨島環状線と同じ卸町南側・茨島東側を抜けて、秋田大橋の交差点に変更。
新設バス停は、(卸センター前)-卸町四丁目-卸町五丁目-茨島七丁目-(美術大学前)
駅発では卸町五丁目を過ぎたところから環状線と別ルートへ進み、雄物川堤防へ向かう。その途中にこの路線単独の茨島七丁目バス停。堤防沿いの新しい道を西進して、秋田大橋北詰の交差点で従来ルートへ。
秋田大橋前に相当するバス停がないのは、どんなもんだろう。道路形状や交通量からして難しいかもしれないけれど、現ルート利用者にしてみれば、茨島七丁目ではちょっと遠い。

系統番号713は変わらず。
ダイヤも、現行と同本数で時間帯もおおむね同じ。平日下り5本・上り4本、土日下り3本・上り4本。
土日の上りのうち、新屋発15時15分だったのは13時40分に繰り上がる。(15時15分は大町経由の代替がなく、減便)
秋田駅から新屋までの所要時間は、現行は下り24分・上り23分なのが、22分とわずかに短縮。(ちなみに大町経由下り28分・上り29分)

新路線の中では、本数や既存区間の利用実態からしていちばん“本格的”なものだけど、新たにバスが通ることになる、卸町・茨島東側での運行はどのような結果になるか。


●ノースアジア大学線→桜台線
秋田駅の西口と東口からそれぞれ、横森を経由してノースアジア大学へ行っていた路線が、ノースアジア大学から撤退。代替は東口発着のみとなり、大学手前で曲がって、新興住宅地の桜台へ初乗り入れ。
系統番号は東口発着の「430」を継承。

「宗入寺霊園前」バス停が曲がってすぐに移設され、桜台の中に3停留所を設置。桜台の中では、一方向の環状運行。
現行は平日4往復、土日3往復のダイヤは、平日・土日とも2往復。(平日と土日で時刻は異なる)
平日でも、駅発最終は17時30分。もうちょっと遅いほうが、帰宅の足には向いている気がするけど。


●南大通り経由駅東線→南大通り経由赤沼線
秋田駅東口と大学病院・境田上丁を狭い道経由で結んでいた路線が廃止され、並行する大通りを走る赤沼線に実質吸収される。
以前の告知では触れておらず、僕も気付かなかったけれど、朝に大学病院始発で手形東町から東口へ入らずに東大通り→明田地下道→南大通り→北都銀行前→県庁市役所前→大川反車庫と運行する411系統があった。その代替として、赤沼線に新系統が設定。

「343」系統で、大学病院から東通一丁目までは赤沼線東口行きと同じ、以降は現411系統と同じ。現・新どちらのダイヤでも、大学病院7時30分→車庫8時05分。
赤沼線には、秋田中央道路の地下トンネルを通って大学病院と県庁・車庫を結ぶ342系統(「直通赤沼線」と呼ぶらしい)があるが、その地上版ともいえる。【19日追記】東通一丁目→山王十字路の各バス停を通るかショートカットするかの違いともいえる。
新ダイヤでは、大学病院を10分違いで発車した343系統と342系統が、トンネルを出ると6分違いに詰まっている。その程度の時短効果か。


予告なしに唐突に現れた「新設路線」。
外旭川中谷地経由 神田旭野線
ホームページに掲載された路線図や時刻表が分かりにくい。以下、憶測を含みます。

神田旭野団地線のうち、秋田厚生医療センター(旧・秋田組合総合病院)へ行く系統は、外旭川病院前-旭野団地-外旭川市営住宅-秋田厚生医療センター と運行する。(以前は、市営住宅に立ち寄らず、旭野団地からすぐ病院へ向かっていた)
市営住宅で方向転換し、サンフェスタの脇から県道72号線を北へひた走り、組合病院へ向かっていた。

この新路線(?)は、いったん県道を外れて、東側の道へ入ったところ、卸売市場の北方に「外旭川中谷地」バス停を新設し、そこから北進して、県道を渡って組合病院へ向かうらしい。
時刻表を見ると、今までなかった「209」系統が新設されていて、それに「外旭川サテライトクリニック(ソサック)経由」とある。外旭川中谷地とは書いていないけれど、位置からすれば、それが外旭川中谷地経由のことだろう。屋上にカボチャ(草間彌生作)が載った、あの病院【15日補足・正確には「診療所」】へのアクセスのための新系統のようだ。
【15日追記】中谷地経由便では、直行便より所要時間が3分長くなる。

通院と帰宅を考慮したらしく、下りは8~11時台、上りは9~12時台に、平日4往復、土曜日3往復が中谷地を通る。日曜祝日は時刻は同じながら、中谷地は経由しない。いずれも、斎場前~神田の旧道ではなく、天徳寺バイパス経由。
「208」系統が飛んでいるのは、旧道・外旭川中谷地経由のために、いちおう空けてあるということか。

したがって、この新系統は、旭野団地・外旭川市営住宅経由秋田厚生医療センター行き/発の一部が、外旭川サテライトクリニック最寄りの「外旭川中谷地」を、平日と土曜日だけ経由するということのようだ。

市営住宅から組合病院の間は、けっこう距離があり、それなりに住宅もあるから、途中にバス停を設けてもいいようにも思っていたが、こういう形で途中バス停ができるとは思わなかった。通院患者には便利だろう。
いっそ、バス停名を「外旭川サテライトクリニック前」にしたほうが分かりやすくていいのではないだろうか。同じ路線に同系列の「外旭川病院前」バス停もあるのだから、間違って降りてしまう人がいるかもしれないし。(他路線も含めて今回の新設バス停は、ほとんどが地名を使っている。中央交通が企業名などを使うのを避けているような気がしなくもない?)
新しい経路は田んぼの中の道。かつての笹岡経由のような光景が見られそうだけど、イオンタウン構想次第ではまた違ったことになるかも。

【15日追記】それにしても、神田旭野団地線も、市営住宅止まり/市営住宅経由厚生医療センター行き、旧道(神田)経由/天徳寺バイパス経由、そしてバイパス・中谷地経由医療センター行きと、秋田駅発だけで5系統にも及ぶようになった。(総本数は変わらないけど)
慣れない利用者には混乱を招きそう。違いが分かる路線図の掲出などをしてもいいのではないか。
30年ほど前にも、八柳二区発着とか卸売市場発着とか、それなりに系統があった路線だけど、当時は考えられなかった(道や施設そのものがまだ存在しなかったので)形で進展するとは、感慨深い。
【15日さらに追記】仮にもう1つ別の系統ができた時には、系統番号は「210」を越えることになる(空けてある209【12月6日訂正】208は別として)が、210系統は添川線が既に使っている。「211」にすれば、神田線ではなく添川線の派生だと誤解させてしまう。既存系統の番号を振り直すのも誤解のもと。ちょっと困ることになるかも。


その他変更
今回も、既存路線での時刻変更もあるようだが、詳細は不明。
というのも、従来は、ホームページにおいて「変更がある路線のみの時刻表を掲載」し、かつ「時刻表内に変更内容を朱書き」してくれるという、中央交通にしては評価すべき対応をしてくれていて、ダイヤの変更点がとても分かりやすかった。

それが今回は、「変更がない路線も含めて全路線の時刻表を掲載」し、かつ「朱書きなしの普通の時刻表」だから、どこが変わったのか、旧時刻表と比較して熟読しないと分からない。
まったく、会社が世代交代したというのに、これでは…

分析には相当の時間を要するので、また後日としたい。
とりあえずざっと見て気になったのは、
・神田旭野団地線の旧道経由から天徳寺バイパス経由への変更の増加。
・“元祖”神田線である、秋田駅-土崎駅の神田土崎線のうち、土崎駅発14時35分の廃止(旭野団地線での代替もなく減便)。これにより、元祖神田線は朝の1往復だけに。

・山王商業高校線のうち、商業の先まで行く更生センター発着は、朝の上り、夕方の下りが廃止。朝の下り・夕方の上りの1往復に。

・城東消防署経由駅東団地線(旧・東営業所線)は、現行では上下とも1日10本前後あるのが、4~5往復に減便。

・川尻割山線の土日朝、泉ハイタウン線の土日午後、新屋線の土日14時台(下り大町経由、折り返し上り卸町経由)では、1時間に2本あったのが1本に減便。
→いずれも乗車経験がある時間帯。正直、客は多くなくて仕方ない気もするけれど、乗車機会は半減してしまい、悪循環にならないといいけど…
それに泉山王環状線の廃止が承認された会議では「(環状線廃止の代替として)既存の泉ハイタウン線の充実に努める」なんてフレーズがあったけど、これでは努めているようには思えない。

・小型バスの各路線廃止に伴い、築地・楢山大元町経由は平日の桜ガ丘線下り1本・上り2本のみに。
→これだけ小型で運行を続けるのか? それにしてもこちら方面も住宅地だというのに、不便になるな…

繰り返しますが、ご利用の際は、充分にご確認を。


【21日追記】21日付秋田魁新報 25面・秋田市地域面に、「路線の新設・ダイヤ改正のお知らせ」という広告が掲載された。(過去には見たことがない。見落としていたのかもしれないけれど)
それには、新路線の経路、概要はホームページにアップしていることとともに、「(ダイヤ改正の)詳細については、9月26日(月)以降下記にお問い合わせいただきますようお願いします。」とあり、本社の営業部、管理部、秋田と臨海の両営業所の電話番号が記載されている。

※2016年秋の廃止路線についての記録はこの記事へ続きます
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンボ

2016-09-13 21:10:16 | ランチパック
秋田市のマックスバリュ広面店のパン売り場で、存在感を放つ菓子パンがあった。見ると工藤パン製だけど、「ユ藤パン」に見える旧ロゴ?
ジャンボ 黒糖 555kcal
存在感の理由は大きさ。デカい! その名も「ジャンボ」。英語で「JUMBO BREAD」とも表示。これで125円ほど。
そういえば、こんな商品もあると聞いたような記憶。

「懐かしのベストヒット」とあり、9月から発売された復刻商品だった。

このようなでっかいパンとしては、以前紹介した工藤パンでは直角三角形、たけや製パンでは長方形で、間にカステラ生地やクリームを挟んだ「カステラサンド」がある。
このジャンボのほうが、より大きい。何かを挟んだりはしていない、1つの塊。
でっかくてベタベタ
カステラサンド同様表面に規則的な凹凸がある。そして、表面には融かした砂糖みたいなの(包装では「グレーズ」と表記)が、けっこうたっぷり塗られているというより、載せられている。写真では、暑さでそれがさらに融けて、側面まで広がってしまった。

とうてい1度では食べきれないので、切る。
中はふんわりとしたパン
「自家製ルヴァン種製法」という、小麦粉とライ麦粉を合わせて熟成させた発酵種で、「深くコクのある風味」とのこと。これはそれに黒糖も入っている。
たしかに、大きさや値段のわりには、なかなか上品でおいしいパン。重くなく、スカスカパサパサでもなく、好き。
ただ、表面のベタベタ、いやグレーズは、なくてもいいか、もっと少なくてもいいかも。


ところで、「黒糖」でないジャンボもありそうなので調べたら、あった。
白いパンに、カスタークリームとやっぱりグレーズが載ったものがノーマル版で、今春頃に復刻発売されていた。ほかに「りんごジャム」も存在した。それらもおいしそう。

パッケージ裏面には、
「ジャンボのヒミツ」
3項目あって、
「「じゃんぼ」は津軽弁では「散髪・床屋・髪の毛」という意味」
「ダンボのお母さんの名前は「ジャンボ」」
「青森県民は「ジャンボ(大きく)で甘いもの」が好き」
とある。

最初の津軽弁の「じゃんぼ」は以前取り上げた
意味としては「髪の毛」という意味しかないと思っていた。だから「散髪した?」は「じゃんぼ刈った?」となる。散髪とか床屋という意味もあるのだろうか?

2番目で言っているのは、1941年のディズニー映画で、象のキャラクター「ダンボ」の母象の名前が「ジャンボ」という設定だったということらしい。知らなかったけど事実だ。
でも、それには、もう1段階前にあって、19世紀後半に「ジャンボ」という名の雄のアフリカゾウが実在した事実がある(これは知っていた)。ディズニーがその名を借用したことになる。
そればかりか、巨大なものを「jumbo」と呼ぶこと自体、象のジャンボがきっかけだそう。ボーイング747の愛称「ジャンボジェット」も、もちろん。

冒頭の写真のように、包装の左下に、人が乗った象のイラストが描かれている。黒糖以外でも共通。
だから象なのね

3番目。青森県民は「甘いものが好き」は、(秋田の一部地域もそうだけど)茶碗蒸しなど甘い味付けが好まれる傾向。
そして鶴田町の道の駅では、「びっくりパン」という巨大なパンが人気。(かつては町内の菓子店がジャンボシュークリームも売っていたがやめて、今は道の駅が作るようになった?)だから、大きい物好きもホントなんだろうか。

マックスバリュ広面店が、どうしてこれを選んで仕入れたのか分からない(マックスバリュ他店では見ていない)けれど、意外な出会いでした。

工藤パンホームページによれば、9月からは「イギリスブレッド」と「アメリカンブレッド」のそれぞれ「3斤」が発売されている。
写真では細長い商品だけどサイズ感が分からない。
要するに、一般的な食パンの3倍の長さってことでしょ? 店頭で場所を取りそう。ホントに青森の人は大きい物が好きなのかも。

ほかに、「おやつの王子様」の「お手軽つぶあん」「お手軽クリーム」という、あんパン・クリームパンが4個入ったものが新発売。
従来からある「おやつの王様」という(こし?)あんパン4個入りもあって、それらがマックスバリュ茨島店で250円くらいで売っていた(毎日ではないかも)。


イギリストーストの新商品「和栗&渋皮マロン」は、秋田市内のスーパーでよく見かける。
売る側にしてみれば季節商品コーナーに置くのにぴったりなんだろうけど、近年は、多くの食品メーカーで「秋=栗もしくはサツマイモもしくはカボチャ」という固定観念というか押し付けが激しくなっているように感じる。嫌いではないけれど、ほかにも秋の味覚はたくさんあるのに… カボチャなんて西洋のハロウィーンからの連想であり、日本では夏野菜だし、でなければ冬至でしょ(?)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五能線80周年

2016-09-12 00:13:34 | 秋田のいろいろ
秋田・青森県境の海岸沿いを走るJR五能線は今年7月30日で全通(および五能線に改称)80周年。
寂れた地方路線だった五能線も、国鉄末期からJR化後にかけて、国鉄・【12日訂正・国鉄民営化と同時期から】JRと沿線自治体が協力した活性化が功を奏し、今や人気の観光路線となった。路線としてもうかっているのかは知らないけど。

80周年に当たって、JR東日本秋田支社では、フォトコンテスト、ヘッドマーク公募、たすきリレー等々さまざまな記念キャンペーンやイベントを行っている。
合わせて、7月16日からは観光列車・快速「リゾートしらかみ」用の3本のうち「ブナ編成」が更新され、新造されたハイブリット車両を投入。
先に更新された「青池編成」と同形式だが、ブナ編成では、飲食物を販売するカウンターを新設、内装に木材を多用し、秋田木工や弘前のブナコの工芸品が置かれるなど、より観光列車として磨き上げられた感じ。

一般に新車両導入時には、デビュー前に駅で展示会・内覧会的なものが開かれることが多い。青池編成の時は、秋田駅に見に行った
よくある展示会では、その駅に入れるきっぷ類(乗車券、定期券、入場券等)を所持していれば自由に見られるものだが、今回は、それで見られたのは外観だけ。
車内は「車内見学会」として、事前申し込みによる抽選となった。秋田駅では7月3日に575名(25名×23班で約10分見学)を募集。
首都圏などならともかく、秋田じゃあ、そんな混雑・混乱にはならないと思うけどねぇ…

ちなみに、ブナ編成更新に伴い、リゾートしらかみ3編成をモチーフにしたキャラクター「しらかみ3兄弟」の二男「ぶなグリーン」も、モデルチェンジしたとのこと。
※3兄弟はいつの間にか(2014年12月だそう)、秋田支社の“公認キャラクター”に昇進していた。


7月1日から9月30日までは、奥羽本線・羽越本線などを走る普通列車用701系電車3編成(いずれも2両編成)に、「五能線全通80周年記念車体ラッピング」が施されている。
五能線を走らない車両にラッピングするのは、ちょっとヘンな感じもするけれど、広くPRして、秋田支社エリア全体で盛り立てようということでしょう。
「N14」編成は水色帯で「青池」カラー
3編成すべてに遭遇できたけれど、ホームからでは全貌をつかみにくいし写真も撮りにくい。色違いの帯に「五能線はおかげさまで全線開通80周年」と書かれ、ドア横に沿線の走行写真が貼られている。写真はリゾートしらかみのみならず、前身である「ノスタルジックビュートレイン」も。
ノスタルジックビュートレイン
3編成の違いは帯の色だけで、写真などは各編成共通。帯の色は、リゾートしらかみの3編成に対応していて、「「青池」カラー」などと名前が付いている(公式ホームページにひっそりと記載)。
「N21」編成は「ブナ」カラー

「N36」編成は「くまげら」カラー
くまげら色のN36編成は、座席が一部ボックスシートに改造されたセミクロスシート。
奥羽本線の弘前-秋田-新庄で限定運用(秋田-弘前は今春から)される車両。3編成しかないので、充当されるダイヤでは3日に1回当たる計算だけど、羽越本線や奥羽本線弘前以遠では見られない。

円形に「80」と書かれたのが、80周年のロゴマークだけど、3編成で表示位置が違う。N14編成は正面には付いていない。発表時の資料では、一部の客用ドアにも貼られるように見えたが、実際にはない。


それから、9月8日・木曜日の秋田魁新報の中の方の面に、JR東日本秋田支社の広告が載った。(おそらく青森側でも掲載)
「80周年記念モニターツアー」の告知。

ツアーの内容は、秋田(八郎潟・東能代からも利用可、同料金)または弘前から日帰りするもので、片道は奥羽本線経由、もう片道でブナ編成で運行される「リゾートしらかみ4号」に乗るもの。
秋田発は、秋田から特急「つがる1号」(指定席または自由席)で弘前へ。弘前で4時間弱自由時間があり、リゾートしらかみに乗車。10時間コース。
弘前発は、弘前から東能代までリゾートしらかみ、東能代で25分待って、快速(上記セミクロスシート充当のダイヤ)で帰る。5時間コース。
さらに、どちらも弘前駅ビルアプリーズお買物券1000円分が付く。
いずれも9月の平日の設定で、秋田発は21・29・30日、弘前発は23・27日。定員は各日30名。
2~4名で申し込み、受付は9月8日14時から電話のみで先着順。

お値段(おとな)は、なんと、秋田発4000円、弘前発2500円!
買物券1000円を差し引けば、秋田から往復ともいい列車に乗って3000円と破格!
弘前発の場合、買物券は出発前か帰ってから使うことになって、やや使いづらいかな。コンビニやドラッグストアでも使えるのだろうか?(そういえば、アプリーズのサンクスは、さっそくファミマに鞍替えするとか)
あと、東能代からの快速は、東能代から大館は部活帰りの高校生とかち合わないだろうか。2両編成にいつもより30人増えるのは、ちょっとつらいかも。

ホームページで受付状況を知らせるとのことで、8日の夜に見ると…
「満員御礼」
そりゃあ、そうでしょうね。

五能線では、2020年度には、一般列車にも新型車両が導入される予定。いずれはくまげら編成の更新もあるでしょう。今後の展開に期待。


今年の秋田では、田沢湖線が10月20日に全線開通50周年、男鹿線が12月16日に全線開通100周年をそれぞれ迎える。
田沢湖線では、秋田支社が沿線魅力発掘キャンペーンを募集中。
記念すべき100年の男鹿線は何か予定されているのだろうか? それに蓄電池式の新型車両はそろそろお目見えか? 今年秋以降に落成して試験運行に入ると、魁に書いてあったけど。


【13日追記】12日にBSジャパンで放送された「出発!ローカル線 聞きこみ発見旅」は、五能線が舞台。パンツェッタ・ジローラモと芳本美代子が川部から東能代までを1泊2日で旅した。宿泊は深浦観光ホテル。

【19日追記】
男鹿市と秋田魁新報社が主催して、男鹿の海辺を8キロまたは17キロ歩くイベント「男鹿ウオーク(ロゴは「ウ“ォ”ーク」っぽく読めるが、活字では「オ」が大きい)」が10月30日に開催される。定員500名、大人は参加料1000円。
それに合わせて、イベント参加者限定かつ別途申し込み・料金が必要な列車が秋田-男鹿間で運行される。
定員100名で、料金は大人1500円(正規料金は片道760円だから20円お得)。所要時間は各駅停車並みだが、停車駅や使用車両は不明。
告知では「特別列車」「臨時列車」と表記されるが、「男鹿線開通100周年を記念して」運行するとの記述も一部で見られる。ただ、JR東日本は後援などにも入っていないようだし、これのどこが100周年記念なのかよく分からない。
【10月2日追記】
魁側からの告知では、29・30日に男鹿市民文化会館を主会場に開催される「さきがけin男鹿」の一環として、男鹿ウオークが行われるとある。100周年記念臨時列車についても触れられており、「さきがけ号」という名称。その他詳細は依然として不明。
【10月11日追記】
10月5日付紙面の広告では、男鹿線用キハ40系の写真に、明らかにCGで合成したと分かる、青くて大きめの円形のヘッドマークが付けられていた。とすると、キハ40系を使うのだろうか。まさかロングシート車ってことはないでしょうね。
また、「さきがけin男鹿」参加者もさきがけ号を利用できるとする記述もあった。希望者はどうやって申し込むのかは不明。
【11月5日追記】
運行後(=さきがけin男鹿終了後)の新聞掲載の写真によれば、普段は基本的に五能線を走っている通称・首都圏色/タラコ色のキハ40系が充当されていた。紺色系統のヘッドマーク(シール?)があるが、広告のCGよりは小さくてデザインも違いそう。さきがけin男鹿参加者の利用方法・利用状況は分からずじまい。男鹿駅員による出迎えは行われたようだが、男鹿線100周年記念としては、貧弱かな。
それから、魁とは関係ない冬の臨時列車として、100周年の12月16日の直後、17・18日に、仙台支社のダルマストーブ付きトロッコ列車風ジョイフルトレインである「びゅうコースター風っこ」を用いた、快速「風っこストーブなまはげ号(全席指定)」が、秋田-男鹿で各日1往復で運行される。これが公式の100周年記念列車となるようだ。停車駅は土崎、追分、二田、船越、脇本。所要時間は下り52分、上り49分。
ほかに、2月のなまはげ紫灯まつりに合わせて、クルージングトレインによる横手からの快速列車も運行される。男鹿線内の停車駅は同じ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タクシーを呼ぶ数字

2016-09-08 23:24:16 | 秋田の季節・風景
全国的に存在するのか、秋田(秋田市)だけなのか、今現在も通用するのか、よく分からないアイテムの話。
秋田市内の住宅地で、こんなものを見かけた。30年以上前には、今よりも多く存在していたはずで、いつの間にか見かけなくなっていたが、ひっそりと残っていたことになる。
電柱に巻き付いているものが2つ
マルで囲った数字が書かれた、横長の小さな看板。
「合同タクシー マル9 T23-****」
これの意味、使い方をご存知でしょうか。


答えは、タクシーを電話で呼び出す時に使うもの。
下の「T」は配車依頼の電話番号。そこへ電話をかけて、看板に書かれた数字を伝えると、スムーズにやり取りできるという仕組み。(もちろん、住所や氏名もあわせて伝える)
なお、合同タクシーの看板は、右側に木の棒が打ち付けられている。これは、電柱に巻くのではなく、直接地面に指すなど自立させて設置するため。

現在においてタクシーを呼ぶのなら、スマホのアプリとか、ナンバーディスプレイや電子化された電話帳データと住宅地図を組み合わせたコンピューターシステムがあるだろうから、電話をかけるだけで場所が伝わるのかもしれない。
でも、数十年前はそんなものはなく、特に住居表示が未実施で複雑な地番配列だったり、目標物がない家ばかりの住宅地では、住所だけではうまく伝わらなかったのだろう。
【9日追記】コメントで教えていただいたように、タクシーを呼ぶ客側のみならず、呼ばれた先へ向かうタクシードライバー側にとっての目印でもあった。むしろその意味のほうが強いのかもしれない。

当然、タクシー会社間で数字に“互換性”はないから、かつては、そこを縄張りとする複数(2つとか3つ)のタクシー会社の数字の看板が並んで設置されることもあった。
現在では、写真のように2つ並ぶのは、今のところここでしか見つけていない。

合同タクシーの看板は、電話番号の局番が「23-」となっている。
秋田市の市外局番が「8○○-」になったのは1998年6月だから、それ以前に設置されたことになる。
表示されている電話番号を「823-」にすると、現在も合同タクシーの配車番号として通用する。そこに電話して「9番へお願いします」と言ったら、来てくれるだろうか?
こちらは1番
その下の黄色い看板は、いくぶん新しそう。地域で設置した通学路の安全運転を呼びかける看板に隠れてしまって、よく見えないけど。
「タクシーのご用命は」と説明もある。電話は「823-」だから1998年以降の設置。
タクシー会社名は「みなと交通カンコウ…」と読める。
この会社は、かつての「港キング」を引き継いで1994年に発足し、後に山王にあった「秋田観光タクシー」を統合したものだそう。正式には「秋田港交通」。

上記2タイプの看板は、ここの各1枚しか見つけていない。
これ以外には、特定のタイプの看板が、この近隣にけっこう多く残っている。それがこちら。
数字が薄れているけれど「秋田カンコータクシー」
今も少なくとも10か所程度で、このデザインの看板の存在を確認している。

「カンコータクシー」すなわち、みなと交通と合併した秋田観光タクシーのもの。
上の「みなと交通カンコウ」も、よく見ると、地はこの看板と同じ色で、その上に新たに黄色いのを重ね貼りしたようだ。
電話番号も「823-」でおそらく同じ。この番号も、今なお秋田港交通の配車番号として通用する。旧2社の番号を並行して使っているようだ。

旧カンコータクシー看板のは、なぜか1枚だけ黄色く新しくされて、他の多くは古いまま放置されていることになる。


ネットで調べても、この「タクシーを呼ぶための数字の看板」に関する情報は見つけられなかった。
この仕組みがそれだけ衰退してしまったということなのか、それとも秋田独自のものだからなのだろうか。

別のタクシー会社の看板も発見したさらに別のもの(個人的にはとても懐かしい)も
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕗消滅/芝交代

2016-09-07 23:48:20 | 動物・植物
猛暑の中、適切に管理されずに枯れかけて、雨が降って多少復活しつつあった、秋田駅前の秋田蕗(標準和名アキタブキ)。
前回アップした直後の8月26日頃には、畑というか花壇を囲っていたアクリル板やむしろが取り外された。
いくぶんのびのびとしたかな

大屋根の外に位置するので、雨は降り注ぐ
見る角度によっては、それなりのフキ畑っぽい印象を受けなくもなくなった。今後はこれでいくのかと思っていたら、それから1週間ほどの間で…
なくなってしまった!
地上部が撤去され、土がきれいにならされている。地下部(根)は残っているのか、撤去されたのか不明。

秋田蕗の本格的な栽培方法は知らないので、これが正しいやり方なのか、“失敗をリセット”した結果なのかは不明。
ただ、ここまできれいに撤去しなくても、放っておいてもそれなりに育つと思うけど…

説明看板は残っているから、事情を知らない人がここを見たら、どう思うだろう。自販機じゃないけど、「調整中」とか書いてもよさそう。
今後、新たに植え直すということだろうか。

※続きはこの記事後半


もう1つ。
山王第一街区公園では、茂っていたシロツメクサが刈られた。7月末(リンク先後半)には、芝生っぽい雰囲気になりつつあった。
フキと同様、猛暑とたまの大雨に遭遇した1か月後の今は…
青々とした草原?
シロツメクサではない草が全面に生い茂り、ぱっと見は、芝生もしくは草原。
“主役”が交代したようだ。
クローバーよりは芝っぽい
新しい主役は、先がとがった固めの葉で、芝っぽい。ネコジャラシ風の穂がぴょんぴょん高く突き出ているものもあり、イネ科の植物のようだ。
芝生にする芝もイネ科だけど、これはそれとは違いそう。ネコジャラシ(エノコログサ)もイネ科だけどそれとも別っぽい。忘れなければ後で再度確認しましょう。

ところどころ土が露出している箇所もあるし、草丈が均一でなく穂も飛び出ているから、サッカーなど動きまわるスポーツをする場所としては、最適とはいえなさそう。軽く遊んだり、寝っ転がるにはいいだろうけど。
以前も書いたように、昔は地面が露出して、サッカーができていた。管理する秋田市としては、この広大な土地をどのように使うつもりで、こうしているのだろうか。そもそも、クローバーを刈った後に新たに別の草が生えてきたことは、秋田市の思惑に沿ったものなのだろうか。

続きはこの記事後半
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐怖の駐車場

2016-09-06 23:59:15 | 秋田の季節・風景
ダイエー秋田店などが入っていた「秋田ニューシティ」が解体された跡地。半分はイベント会場、半分は月ぎめ駐車場として使われている。
普通乗用車にして128区画もある駐車場のほうは、現在は「満車」となっている。
西側から
駐車場の看板は、規模にしては控えめ。大々的に宣伝しなくても集まるということなのか(実際にそうなっている)、元から満車にするつもりがなかった(運良く満車になった)のか。

いつの間にか、別に小さな告知が掲出されていた。上の写真左の赤い丸で囲ったところ。A4程度の紙をラミネートしたもの。
その内容は、
「無断駐車 厳禁」
無断駐車を禁ずるもの。
私有地であり、金をもらって貸している場所なのだから、そこに勝手に入って、タダで場所を占有するとは、もってのほか。無断駐車をする者が全面的に悪い。掲示をするまでもない常識である。

ただ、その文面がちょっと…
警察に通報すると共に、様々な手段で対応します。
「警察に通報する」は一般的な決まり文句だけど、それに続く「様々な手段で対応」って…何をされるんだろう。考えてみればコワイ。

この手の警告では、「罰金として○万円(月額料金かそれ以上)申し受けます」とか「レッカー移動し、その費用を請求します」は定番。役所では「張り紙をします」という、威力のなさそうな手段も。
「街のヘンなモノ」が投稿される「VOW」の定番ネタの1つに、個性的な看板がある。それには「無断駐車したらタイヤのエアーを抜きます」とか「無断駐車したら車をボッコボコにします」みたいな、実際にされたら恐ろしいものもある。

「様々な手段で対応」というのは、上記すべてを示唆されているばかりか、それ以上に末恐ろしいことをされそう。まして、言っているのが天下の辻さんなのだから。

といっても、こんな小さい紙では視界にすら入らないかもしれないし、目にしても無断駐車する者(「様々な手段」を想像できない者?)は構わずやるのかもしれない。やっぱり「ボッコボコにします」くらいしないと効果がないのかも?!

【7日追記】看板はあまり大きくすると、屋外広告物条例の規制対象となるため、小さくしているのかもしれない。
しかし、この手の内容ではほぼ黙認に近いのが現状だし、正規の手続きをしたとしても、おそらく年数千円程度の負担で天下の辻さんにはどうってことないはず。

その後の変化
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡邉靖彦氏逝去

2016-09-04 20:50:16 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通などの社長・会長や秋田商工会議所の会頭を務めた、渡邉靖彦氏が8月20日にうっ血性心不全により77歳で亡くなった。
今年6月に、中央交通本体の社長を次男に譲り、会長になっていたが、体調が思わしくなかったのだろう。
秋田県内、特に秋田市など中央部の公共交通機関の鍵を握る人物で、ここ20年ほどの秋田市交通局(秋田市営バス)の廃止・移管には、同氏の決断が大きな影響を持ったと考えられる。個人的には、それには「功」だけではない点も多々あるように感じられ、仮に違った決断をしていたら…と今さら思ってしまうこともある。
同氏は2011年のインタビューにおいて、日本海沿岸東北自動車道を通る高速バスを運行させるのが夢だと語っておられた。
志半ばで亡くなった前社長・会長の遺志は受け継がれるだろうか。

報道や死亡広告によれば、8月22日に五城目町斎場にて火葬、26日に五城目町の如來寺にて渡邉家の葬儀。※葬儀より火葬が先なのは、秋田では一般的。
その後、9月4日・日曜日13時に、渡邉家、秋田中央交通、秋田中央トランスポートの合同葬が、秋田市山王の秋田典礼会館セレモ(旧・平安閣)にて執り行われた。
故人は、かつては両社の社長を経験しており、逝去時点では両社の会長。
26日も4日も、喪主は次男で中央交通社長の綱平氏。なお、長男の綱一郎氏は、中央トランスポートの社長。


亡くなったことが新聞紙面で報道されたのは、21日。その時点では葬儀は未定とのことで、23日に小さく合同葬の日程が報道。
そして、8月24日・水曜日の4面・経済面の下に、死亡広告が掲載された。通常の死亡広告は、3面(総合面)に掲載されることが多い。

会社経営者などが亡くなると、遺族のほかに各社からの広告が複数枠掲載されることはあるし、同じ日に複数の人が亡くなる場合もあるので、上下2段に渡って死亡広告が並ぶことはある。
今回は、3段(一部葬儀関連業者の広告を含む)に及び、枠すなわち出稿者の数は、実に22。

紙面の面積では3分の1は占めている。2008年に5代目・辻兵吉氏が亡くなった時以来の大々的な死亡広告ではないだろうか。
【2018年2月11日追記】2018年1月に、北都銀行会長などを務めた町田 睿氏が亡くなった際の秋田魁新報の死亡広告は、11枠(1段と3枠)にとどまった。

死亡広告の内容を記録しておく。
最初の2枠は喪主によるものなので、氏名の後は「渡邉靖彦“儀”」、以下は「渡邉靖彦“殿”」。最初の遺族によるものでは「病気療養中のところ」との理由あり。【5日追記】遺族による広告では、22日に火葬を済ませた旨も記載。火葬日程に言及する死亡広告は珍しい。
文末は22枠ともすべて「八月二十日逝去(喪主によるものは永眠)いたしました。ここに生前のご厚情を深謝し謹んでご通知申しあげます。」で統一。
まあ、型にはまった文ではあるが、人によっては「ご交誼」や「深謝すると共に謹んで」といった言い回しもあるから、意識して揃えたのだろう。同日に掲載されたからには、葬儀社や遺族側で取りまとめたわけだから当然かもしれないけど。

以下、故人の肩書き(数字の直後)と出稿者(その次の行)を順に。「※」は補足。
1.父
喪主・妻・男(長男)・親戚代表(五城目町長であり福禄寿酒造前代表の渡邉彦兵衛氏)・親戚一同

2.弊社代表取締役会長
秋田中央交通株式会社・秋田中央トランスポート株式会社・喪主

3.当所名誉会頭
秋田商工会議所 会頭

4.当会前会長
秋田県商工会議所連合会 会長

5.当協会顧問・前会長
公益社団法人秋田県バス協会 会長

6.当組合代表理事
秋田県バス事業協同組合

7.当協会会長
一般社団法人秋田県社会保険協会

8.当協会会長
一般社団法人秋田県全自動車協会
(ここまで1段目)

9.弊行取締役
秋田銀行 頭取

10.弊社取締役
秋田空港ターミナルビル 代表取締役社長

11.当協会前副会長
秋田県信用保証協会 会長

12.弊法人評議員
社会医療法人明和会 会長・理事長
※中通総合病院などの運営法人

13.当クラブ元会長
秋田ロータリークラブ

14.当会会長
秋田三田会
※慶応大学の同窓会

15.当寺責任役員
真宗大谷派細超山如來寺 住職・門徒一同
※「門徒」は「檀家」と同義。宗派によって異なる用語。

16.弊社監査役
秋田観光開発株式会社 代表取締役社長
※秋田カントリー倶楽部の運営会社

17.当倶楽部前副理事長
秋田カントリー倶楽部 理事長
(仕出しの広告)
(ここまで2段目)

18.弊社取締役
株式会社秋田椿台ゴルフクラブ 代表取締役社長

19.弊社取締役
福禄寿酒造株式会社 代表取締役社長

20.弊社代表取締役会長
株式会社船川タクシー 代表取締役社長(次男)

21.弊社代表取締役会長
秋田中央交通株式会社 社員一同・OB会一同

22.弊社代表取締役会長
秋田中央トランスポート株式会社 社員一同
(以下広告)

意外な企業でもいろいろな役職をしておられたと思うとともに、「秋田県バス事業協同組合」のような初めて知った組織もあった。
中央交通の関連会社である船川タクシーは、トランスポートとは違って、距離を置いた掲載方法だったり、掲載の順番など、いろいろと気を使ったのでしょうね。
「公益財団法人秋田観光コンベンション協会」のトップも故人が勤めていたかと思ったら、いつの間にか、三浦廣巳氏(商工会議所会頭)が理事長に代わっていた。同協会からの死亡広告はなし。


4日の合同葬は、33度を超える猛暑の中。
14時頃に葬儀場の前を通った。
まだ終わっていなかったようで、周辺は静か。車寄せに関係者が立っていて、花が並んでいる程度。確認していないけど、お花は小田急や羽田孜氏(故人が小田急に勤務していた時に同職)なんかからも届いたのだろうか。

建物北面の車寄せから、曲がって東面まで、タクシーが10台ほど待機。
普段なら、場所的にキングタクシーの縄張りのはず。
ところが、この時はすべて、秋田中央トランスポートのタクシーだった。
自社の前社長・会長の葬儀だから当然かもしれないけれど、キングタクシーなど他社は遠慮したのか、強制的に締め出されたのか。その間、いつも中央タクシーが待機している、茨島方面の商業施設はどうなっていたのかな。

107台収容だそうだけど、駐車場はいっぱい。どこかに別に臨時駐車場でも設けたのだろうか。
すると、山王十字路方面の新国道から、緑色のバスが曲がってきて、車寄せ付近(屋根が低いので中には入れない)で停車。
バスは秋田中央交通の路線バス。秋田営業所所属で2014年に導入された、中型ノンステップの日野レインボー2「10-85」。行き先表示は「秋田中央交通」。
車内はからっぽで、すぐに発車して、普段は走らない道を北進。突き当りの市役所東側の交差点を左折し、県庁第二庁舎前交差点方向へ向かった。
何らかの参列者を輸送する目的のバスで、まだ葬儀が終わっていなくて、待機場所もないので、いったん葬儀場を離れたということなんだろうけど、バスが自社の元社長・会長に別れを告げに訪れたかのように見えてしまった。

そういえば、葬儀場を経営する「へいあん秋田」は、秋田経済界を代表する辻グループの企業。その故・辻兵吉氏は、渡邉靖彦氏の前に秋田商工会議所会頭をしていたし、中央交通が多く導入しているいすゞ自動車の販売会社(秋田いすゞ)も辻グループ。
そういう密接な関係からすれば、葬儀場がここになったのもそういうことなんでしょう。ホテルなどじゃなく。


秋田では大きな企業の社長を退いて間もない人が亡くなったわりには、報道はさほど大きくなかった気もした。テレビではどこも伝えなかったはず。こんなもんなのかな。
日本経済新聞のサイトには、掲載されたのだが…
8月22日21時02分アップ
見出しは「渡辺靖彦氏が死去 秋田銀行取締役」。
中央交通会長でも、商工会議所前会頭でもなく、「秋田銀行取締役」という肩書き。
死亡広告が出ている通り、それも事実なのだけど、この段階ではそんなこと知らなかったから、戸惑った。
「会長を務める秋田中央交通との合同葬は9月4日…」と、葬儀日程のところで初めてかつ唯一、中央交通の名が掲載されるだけ。

日経新聞にとっては、もしくは東京の視点では、秋田中央交通(のような田舎の企業の経営者)や秋田商工会議所(のような田舎の経済団体のトップ)など眼中になく、東京証券取引所一部上場企業である秋田銀行(の一役員)こそニュースとしての価値があって重要ということなんだろうか。
東京と地方、こんなところにも温度差というか価値観の違いみたいなのが出てしまうようだ。

なお、「告別式は近親者のみで行う」とあるのは、26日の渡邉家単独の葬儀のことか。秋田では「告別式」は一般的に行わない。火葬に続く葬儀である秋田の風習を東京風に解釈した表現か。

【5日追記】故人は漫画家の矢口高雄氏(横手市増田町出身)と旧知だったらしい。年齢は同じようだけど、出身地や出身校は距離的につながりが薄そうで、どこで知り合ったのだろう。
その縁で中央交通が「三平バス」を導入したとか。現在は、多くの車両で外観は通常の緑の塗装に塗り替えられ、車内の座席だけの三平バスになってしまいつつあるけど。

【10月1日追記】秋田魁新報でたまに掲載される、県内外の著名な故人のエピソードを紹介する「追想 メモリアル」欄がある。県外の人は共同通信からの配信。
9月30日付では、いずれも7月に亡くなった中村紘子、大橋巨泉、秋元 貢(千代の富士)の3氏とともに、渡邊氏を「秋田商工会議所前会頭」として掲載。バス会社経営者としてのエピソードも多く触れられ、市営バス引き継ぎにも言及。
「会社では社長室を設けず、部下と同じ部屋に机を置」いていたそうだ。
高校から東京へ進学(秋田の企業経営者の子息ではたまにある例だが、この年代では珍しいかも)。
綱平氏は38歳とのこと。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次世代の故障

2016-09-01 23:40:24 | 秋田のいろいろ
秋田駅改札外待合室前の自由通路に面して、2012年春に設置された「次世代自動販売機」。
大型ディスプレイを備えたタッチパネル式で、客に応じた商品を勧めるなどする、「JR東日本ウォータービジネス」が設置・管理する飲み物の自動販売機。

4年経ってもそのまま稼働しているが、秋田県内・JR東日本秋田支社管内では追加設置された気配はない。
それが、お盆の頃に、こうなっていた。
画面が真っ暗(上のNHKのテレビも同様ですが)
今までは、常になにがしか表示されていた。真っ黒なのは初めて見た。

この頃は、ほぼ毎日駅を通っていたのだけど、この状態がしばらく続いた。
気になって、試しにSuicaをタッチしてみた(リーダーに角度がついてなくてタッチしにくい)けれど、何の反応もない。
電源が切られているか、故障しているかのどちらかと判断。
【2日追記】初期の段階では、真っ黒の画面に、小さい横長の白い枠(選択した商品の価格や投入された金額を表示する画面?)だけがぽつんと表示されていたこともあった。

連日、稼働しない状態が続いているわけだが、だったら「故障中」などと表示すべきだろう。
何より、お盆かつ猛暑という、駅で飲み物の需要が最高潮に達するであろう時期なのだから、客を戸惑わせないために。
お盆が明けて
8月18日頃になって、やっと「調整中」の紙がディスプレイの真ん中に貼られた。


考えてみれば、秋田駅の自由通路には、これ以外に自動販売機がない。
といっても、上の写真奥に写っているように、待合室の中には、従来タイプのJR東日本ウォータービジネスの自販機がある(2台あるので品揃えは豊富)ので、さほど困ることもない。
だけど、そのことを知らない人もいるだろう。「故障中/待合室内の自販機をご利用ください」と表示しておけば、客を逃すこともないのに。

そして、8月22日頃までに、
やっと復旧
画面には「34度」という猛暑を表示しているけれど、帰省ラッシュは落ち着いて、駅利用者の人通りは減っている。

特殊な装置だろうから、修理に時間がかかってしまったのは仕方がない。でも、故障したことを周知して、客に不便をかけないように対応することは、すぐにできただろう。
JR東日本ウォータービジネスだけのことではない。JR東日本本体にとっても同じ。秋田駅員や秋田支社社員は、毎日のように目にしているだろうし、身内の企業のこと。気づいて、何とかすることができなかったのだろうか。
不親切な対応が目立った、真夏の次世代自販機の故障だった。

※この後、2016年11月14日頃にも、故障していた。画面が消え、この↑時とは別の紙(acureのロゴが入るなどしているもののモノクロで、内容は故障中を告げるだけで他の自販機への誘導はなし)が貼られていた。数日後には復旧。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする