広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ネーミングライツ

2014-08-31 23:30:15 | 秋田のいろいろ
日本ではここ10年ほどだろうか、「ネーミングライツの売却」「命名権売却」が広がっている。
スポンサーを募りお金を払ってもらって、公共施設の名称に企業やブランドの名を使えるようすること。日本では、ホールやスタジアムなどにおいて、3~5年くらいの契約期間のことが多い。
スポンサーのことは「パートナー」と呼ぶ所が多いようだ。施設の経営や運営は命名権者とは関係なく、引き続き公的機関が行う。

ネーミングライツ契約では、その施設のもともとの名称(正式名称)はそのままで、それに愛称を付け加えるということのようだが、契約期間中は愛称が優先的に使われるようだ。NHKの番組(例えば野球中継や「のど自慢」など公開番組での会場名として)でも、企業名が放送される。

施設(自治体)側にしてみればいい収入になるし、企業側にもいい宣伝になるのだろうが、何らかの理由(要は命名権を買うほどの施設じゃないとか値段が高すぎるとか)から応募がゼロで話が流れるケースもある。大阪府泉佐野市では、市の名称の命名権を募ったものの、応じた所はなかった。
問題点としては、施設は同じなのに名称がコロコロ変わること。
地元の人が覚えられなければ愛着がわかないし、道案内などで混乱する。企業名が入るので、民間経営かと誤解される恐れもある。


個人的に、印象が強いネーミングライツの施設名は、
・(日本製紙)クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)
プロ野球・楽天の本拠地としておなじみの正式名称・宮城球場。2008年から今年春までの愛称。
「クリネックス」といえばティッシュペーパー。雨が降ったら、洗濯してしまったティッシュのようにぐちゃぐちゃになりそうな気がしてしまうのは、僕だけか。

・どらやきドラマチックパーク米子(どらドラパーク米子)
以前、山陰へ行った時、たまたまこの名称を目にして、何が何だか分からなかった。
どら焼きの公園? ではなく、鳥取県米子市の運動公園。米子に本社のある和菓子メーカー「丸京製菓」が、主力製品のどら焼きと「ドラマチック」を掛けて命名。
せめて「スポーツ」とか運動公園であることが分かる名称のほうがいいと思うのだけど…

・リンクモア平安閣市民ホール
青森市の「青森市民ホール」が10月からこの名称になる。
青森市で「まちなかフューネラルホーム平安閣」を経営する青森冠婚葬祭互助会がスポンサー。
舞台と客席を備えたホールなわけだが、平安閣といえば冠婚葬祭の印象が強いはず。「市民ホール」とあるものの、葬儀場か何かと誤解されそう。

ちなみに、2007年から2012年まで、「名古屋市民会館」が学校法人と契約して「中京大学文化市民会館(中京大学会館)」となって、大学の施設と誤解されたり、他の学校が使いづらくなったりしたらしい。

・鳩サブレー海岸?
今年の初夏に報道された。
鎌倉市が、市内3つの海水浴場の命名権を最低額100万円で募集し、鳩サブレーの「豊島屋」が1200万円×10年で購入。※海岸自体の名称ではなく、海水浴場の名称。
「鳩サブレー海岸」になってもおかしくなかったのに、豊島屋は親しんだ名称を変えたくないと、従来の名称をそのまま使うことにした。つまり、単にカネを払って寄付しただけの状態。
このことは多くの人に好意的に受け止められ、豊島屋のイメージ向上につながったようだ。

これ以前の2010年頃には、渋谷の「宮下公園」で、命名権を購入したのに名称はそのままだったケースがあった。これは鎌倉とは違った経緯。
ナイキが命名権を購入したのだが、諸般の事情から反対運動が起こり、結局、元の名称を使い続ける(命名権料支払いは継続)ことになったそうだ。
以上、長い前置き。


これまで秋田県内では、ネーミングライツが成立した施設はなかったが、募集されたことはあった。
県が2008年に、県立総合プール、県立野球場、県立男鹿水族館の命名権を募集。年間契約額は水族館が1000万円、他が500万円だったそうだが、応募がなかった。
そもそも、野球場には「こまちスタジアム」、水族館には「GAO」という定着した愛称が当時すでにあったのに、それにさらに愛称を付ける(既存の愛称を組み入れた命名にすることが条件だったそうだが、必然的に長ったらしくなる)のはヘンだと思った。

そんな秋田でも、9月から初のネーミングライツが実施される。
秋田市の八橋運動公園内にある、秋田市教育委員会管轄の2つの体育施設。

8月2日付秋田魁新報地域面によれば「新たな財源の確保が狙い」。秋田市のホームページでは「施設機能の充実や適切な維持・管理に努め、利用者サービスの向上とスポーツ振興の一層の促進を図ります」。

募集された施設は、「八橋運動公園球技場」と「八橋運動公園第2球技場」。
前者の球技場は一般に「八橋球技場」「球技場」と呼ばれ、八橋運動公園内の位置としては旧国道寄りの北側・日吉神社の向かいにある。(後述の通り、現地の表示は正式名称ではなかった?)
屋根付きのスタンドがあり、今シーズンからサッカーJ3・ブラウブリッツ秋田のホームゲームが行われている。
かつては「ラグビー場」という名称だった。正面の道路沿いにはシランが植えられている。

第2球技場のほうは、球技場の南東側・運動公園全体でも南東角に位置し、山王大通りとけやき通りに接する。「県庁西」交差点の角。
広大な1つのグラウンドに見えるが、その東側だけが第2球技場で、西側は「八橋健康広場」。
グラウンドの広さはどちらも9940平方メートルだが、第2球技場は人工芝(今年度から)で観客席あり、健康広場は天然芝、客席なしの違いのようだ。
以前は「軟式野球場」とか「市民広場」と呼んでいたんだっけ?

なお、近くにある山王大通りのバス停の名称は「八橋市民広場・裁判所前」のままとなっている。
それに「球技場前(かつてはラグビー場前)」というバス停が旧国道側(通町経由将軍野線)と球技場の真ん前(泉山王環状線)にあるものの、球技場の最寄りバス停としては山王大通りのものが公式に紹介されている。
環状線はともかく、将軍野線も今は毎時1本まで減便されて、使いものにならなくなってしまったからね…
 再掲)手書き表示の市営バス~移管直後は将軍野線下りは「ラ“ク”ビー場前」だった

さて、本題に戻って。
2施設の命名権購入に名乗りを上げたのは、球技場が3社、第2球技場が1社。いずれも秋田市内の企業とのこと。
球技場はもっとも高い年間325万円を提示した秋田銀行、第2球技場は年額72万円でイベント会社「スペースプロジェクト」と契約が結ばれた。契約相手のことを秋田市でも「ネーミングライツ・パートナー」と呼んでいる。

いずれも今年9月1日から2017年3月31日までの契約。
愛称は、「あきぎんスタジアム」と「スペースプロジェクト・ドリームフィールド」。

「スペースプロジェクト・ドリームフィールド」は、覚えられそうにない。
そもそも、「第2球技場」自体がスポーツ関係者以外にはあまり浸透していない。
さらに失礼ながらパートナーとなった企業名があまりメジャーではなく、その上覚えづらい「ドリームフィールド」だから。略す時はどうすればいいんだろう。(後述)

「あきぎんスタジアム」は、覚えやすい。順当なところ。
ホームゲームで使うブラウブリッツの公式発表によれば、略称は「A-スタ」だそう。ただし、これは、サッカーの試合場としての略称ということで、サッカー以外の場面でもA-スタが略称というわけではないようだ。秋田市側ではA-スタとはひとことも使っていない。(略さないほうが宣伝効果は大きいし)
サッカーのサポーターの皆さんは、全国各地の愛称付き施設にも親しんでいるだろうから、定着することだろう。

一般市民にはどうだろうか。覚えやすい名称ではあるが、定着している「球技場」の名前が変わることに戸惑う市民はいるだろう。
まず、「スタジアム」だと野球場と誤解されるかもしれない。
さらに、上記の問題点のように、公設公営でない「秋田銀行が運営する民営のスタジアム」と誤解されるかもしれない。秋田市内には保戸野に銀行が所有・管理する「あきぎん体育館」があり、名前だけでは両者の性格の違いが分からない。

命名権を買ってもらったからには、施設側ではその名称を目立つように表示して、広告効果を上げるはず。【2015年4月5日訂正】表示類は、命名権を買った側が自己負担で設置し、終了時に原状回復することになっているようだ。
球技場→あきぎんスタジアムでは、道路に面した正面(神社の向かい)に表示があるので、それを変更するのは想像できた。
以前の「秋田市八橋球技場」の表示。「運動公園」は入っていない

先々週には、文字が剥がされ、跡とサビが残った

先週末には、きれいにされて既に「あきぎんスタジアム」に
正面には、赤い秋銀のロゴマークと黒で「あきぎんスタジアム Akigin Stadium」の表示が設置された。
以前は英字では「Football Stadium」とあり、むしろ日本語より施設の目的が明白だったが、それはなくなって(表立っては見えなくなって)しまった。

新表示は9月1日に除幕式でも行って、それまでは隠しておくのかと思ったら、8月中に既に堂々と出ていたのが少々意外。今日行われたサッカーの試合時も、この状態だったようだ。

除幕式自体は実際に行われるようで、秋田市秘書課の市長の予定には、1日の11時30分から「看板除幕式」とある。(だけど、総務課発表の市役所全体の「今週の行事予定」には未記載)
改めて隠すのか。
【3日追記】2日付秋田魁新報 秋田市地域面で除幕式が報道された。あきぎんスタジアム正面の表示に白い幕をかけて、除幕した。
「市内に設置された案内看板も今月中をめどに変更される予定。」とのこと。

スタジアム内にも、「あきぎんスタジアム」の表示が設置されていた。
銀行の看板と同じエンジ色に白文字


第2球技場→スペースプロジェクト・ドリームフィールドのほうは(隣の健康広場も同様だが)、今までは特に施設名称の表示板はなかった。
ここがそういう名称であることを知らせるものは、公園全体の案内図とか避難場所の表示板ぐらいだった。(名称が市民に浸透しない一因かもしれない)

そんな第2球技場に名前を付けても、宣伝効果は限定的で、だから応募も1社だけで安い値段だったのかな、などと思っていたら…
表示が設置された!
金曜日の午後に設置作業をしていた。「SPドリーム」ってのが略称か?
ネット3面(1面は健康広場との境なのでネット自体ない)の高い位置に、横長や正方形の幕状の表示が設置された。さらに、
北側・駐車場側
けやき通りから駐車場に入るところに看板(従来は「P」だけだったはず)が、駐車場から場内に入るネットの切れ目(?)にゲート状の物体がそれぞれ設置された。
ゲートは幼稚園の運動会の入場門のようでちょっと安っぽい気もしなくはないが、契約年数からすればこれで充分かも。
【2015年4月5日追記】「秋田市教育委員会ネーミングライツ導入に関するガイドライン」において、看板類の表示変更と終了時の原状回復は、ネーミングライツパートナー側が契約料とは別に負担することになっていた。したがって、2施設の表示の違いは、各社の方針やかけた費用の違いということになる。

これらによって、大通りから「SPドリーム」の表示を見ることができる。狭い道にしか面していないあきぎんスタジアムよりも、むしろ宣伝効果は高いかもしれない。
県庁西交差点角。避難場所看板は「第2球技場」のまま
今のところ、公園全体の案内図、第2球技場の人工芝がTOTOの助成を受けたことの表示板、避難場所の看板は変更されていない。【2015年6月11日追記】2015年6月現在、避難場所の看板は変更なし。
変える義理はないのだろうが、中央交通のバス停「球技場前」も変わる気配はない。

秋田市の公式ホームページでは、8月27日付で両施設の紹介ページに「あきぎんスタジアム(球技場)」などと愛称が表示された。
一方、今日現在、ブラウブリッツ公式ホームページの試合予定の会場名は「秋田市八橋運動公園球技場」のまま。
鳥取市営サッカー場は愛称で表示されている
せっかく命名権を買ってもらったのだから、こうした間接的な各方面にも配慮したほうがいいかも。
【3日追記】3日現在、ブラウブリッツホームページでは、やはり「あきぎんスタジアム」の名は出ていない。
しかし、練習場所としては「スペースプロジェクト・ドリームフィールド(秋田市八橋運動公園第2球技場)」となっていて、ちぐはぐ。


2008年の県の命名権売却が成立しなかったのは、やはりお値段の高さだろうか。
魁によれば、秋田市では「命名権を導入する施設の拡大も検討したい」そうだ。県でも、値段を下げれば、例えば県民会館(複合施設になるんだっけ)とか県立体育館でも実施できるのではないだろうか。
そうなれば、名乗りを上げるのは、北都銀行、辻兵、たけや、いとく、プライウッド、中央交通…???
その時は、ややこしくなく、覚えやすい名称でお願いします。
※続きの話題 秋田市のネーミングライツ第2弾報道におけるネーミングライツの使われ方など

※八橋の2施設とも、2017年4月以降も契約が更新され、(差し当たっては)2020年3月まで同じ名前が使われることになった。あきぎんスタジアムの表示のその後。さらに関連した話
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しとぎ・オーワニ・縄文焼

2014-08-28 23:59:13 | 津軽のいろいろ
先月弘前で買ったお菓子。
●しとぎ餅
米の粉であんこを包んで焼いた、秋田における「おやき」に相当する食べ物のことを、津軽では「しとぎ餅」と呼ぶことを、最近知った。※信州の「おやき」とは相当異なります。
(再掲)秋田のおやき

弘前の津軽藩ねぷた村の物販コーナー(入場無料部分)で、地元の「お菓子のヒロヤ」が各種お菓子とともに、しとぎ餅を売っていた。
3個1パック

「津軽名物しとぎ餅」のシールや表示

これが津軽のしとぎ餅

店や家によって差異もあるはずだが、これは滑らかな表面に細かい粉がまぶしてある感じ。
上の写真の秋田のものはガサガサしているし、他にはツルツル・テカテカしているものもある。
焼き目はオモテ面だけ。
ウラ面は真っ白

味としては、秋田のおやきとほとんど違いない。あったとしても、秋田と津軽の差ではなく、作り手ごとの差であろう。
この店では、よもぎが入った「草しとぎ」もあるようだ。
【2022年12月5日追記・津軽でも「おやき」と呼ぶこともあるらしい】弘前市相馬地区にある、JA相馬村の直売所「林檎の森」で売られる加工食品(地域の人や店がそれぞれ製造して納品する形)の中に、津軽におけるしとぎ餅と同じと思われるものが、「おやき」の商品名で売られるものがあるらしい。


同じ店でもう1つ。
 「津軽どら」
中にあんことリンゴのシロップ漬けを挟んだ、どら焼き。
もう少しリンゴが多くてもいい気もしたけれど、おいしかった。


●オーワニ印
米を爆発させた食べ物を、全国的には「ポン菓子」と呼ぶようだが、津軽や秋田では「ドン(菓子)」と呼ぶ。
さらに津軽では、「マカロニドン」なるものがあるそうだ。
僕は食べたことはないので分からないけど、マカロニを爆発させたものなんだろう。それを製造するのが、大鰐町の「山下菓子店」。

山下菓子店では、他にもいわゆる駄菓子を製造しており、弘前周辺の道の駅・産直やスーパーなどで見かける。(店によって品揃えは異なる)
 「りんごおこし」
米のドンを飴で固めたおこしで、その中にリンゴ(を乾燥させたもの?)が混ざっている。【31日追記】おこしは2段重ねで、それぞれが4つに割れる切れ目が入っている。
ドンの甘さとリンゴの甘酸っぱさの組み合わせはよく合う。こちらもリンゴがもっと多くても良さそう。

「青ねじり」
りんごおこしのパッケージにも出ているが、山下菓子店の製品は「オーワニ印」というブランド名。
「大鰐」の「鰐」にちなんで、爬虫類のワニがマークになっている。
青ねじりでは特に立派なワニ
※「大鰐」の地名の由来には諸説あるが、いずれも爬虫類のワニが由来ではない。ただし、サンショウウオを指すという説はあるらしい。


●縄文焼
もう1つ、地元の駄菓子。
「黒糖塗り 縄文焼」
イトーヨーカドーで売っていた。
田舎館村の「ジャンボあられ本舗」という所の製造。
小麦粉で作った柔らかめのせんべい(?=硬い麸? のようでもある)の表面に、黒糖やゴマが塗ってある。
直径10センチ・厚さ1センチほどあるけれど、軽く食べられる。あまり津軽らしくはないけれど、おいしい。

製造所名の通り、大きなあられのほか、「玄米りんごせんべい」なんかもあるようだ。
コメント (2)
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解体と改装

2014-08-27 23:58:10 | 秋田の季節・風景
秋田市内の建物の変化を2つ。
●異人館と大勝軒の間
けやき通りの北端、八橋運動公園の北側の「八橋一里塚」交差点近くに、古くからある喫茶店「異人館」と行列ができるつけラーメンの店「東池袋大勝軒 秋田店」がある。
その2件に挟まれた、八橋本町一丁目1番45号で、
建物が解体されて更地になった

ここに何があったか、ご記憶ですか?
Googleマップより
各地図サイトには「東北地区本部秋田支社」とあり、どこの本部・支社なのか、なぜか表記されていない。ラーメン屋の建物は「筒井ビル」というようだ

2012年11月撮影のGoogleストリートビューで確認。
左が異人館

手前が筒井ビル。ラーメン屋に行列ができている
解体されたのはピンク色と白のビルだった。
建物はあまり印象にないけれど、屋上に「Kanebo カネボウ化粧品」の看板があったのは、インパクトがあってよく覚えている。
化粧品事業以外もやっていた「カネボウ株式会社」時代(2004年以前?)は、鐘のロゴマークが出ていたはず。

建物自体の名称は不明だが、解体直前までは「カネボウ化粧品販売(株)東北地区本部秋田オフィス」が入っていた。
玄関付近を拡大
ビル名も表示されておらず、オフィスがたくさん入っていそうな気配もない。持て余していたのだろうか。

自分で撮影していた写真にも、写っていた。
2010年2月撮影
関係ないけれど、筒井ビルの中央部にカラフルな筒状の物体が付いていた。現在は形はそのままで黒くなっている。

2013年11月撮影
2012年11月から1年間の間のどこかで、看板が白くなっていた。この間で、空きビルになったのだろうか。

けっこう高いビルだと思っていたが、それは看板がある塔屋だけで、建物としては3階建てだったようだ。白い建物本体の高さとしては隣の筒井ビルだけでなく異人館ともそんなに変わらない。
向かい側から

解体後

カネボウの秋田オフィスは、中通の北都ビルディング(←北都銀行別館←あけぼの銀行本店)9階へ移転している。


● イノベーションマンション
竿燈大通りに面した大町二丁目6番地に、「日本興亜秋田ビル」がある。
2012年のストリートビューより
新聞でも報道されたが、ここがマンションに改装されるという。
1ブロック先で旧・三井アーバンホテルが福祉施設に改装されたのと同じような、使い道がなくなった建物の有効活用だ。当然、耐震などはクリアしているようだ。
8月中旬。改装工事はまだの模様
現時点では、1階の外壁の色と屋上の看板が白く変わり、外壁の看板は撤去。モデルルーム公開中とある。
窓の大きさはこのままなんだろうか。大きすぎる気がするし、物干しとか避難通路とかどうするんだろう。各種配管もやり直さないといけない。
【11月26日追記】晩秋になって、竿燈大通り側壁面が覆われて、工事が行われている。
【12月13日追記】12月前半には覆いが取れた。外観はほぼ変化なし。12月13日付秋田魁新報によれば、同日がグランドオープン。既に10戸が契約済み。
【2015年1月19日追記】観察してみると、従来の窓はそのままで、その内側の少し引っ込んだところに各戸の窓が新たに作られていて、その間はベランダのような場所に見える。つまり、中廊下ならぬ中ベランダと言うべき構造らしい。

現地には「秋田に国内初の新開発商品「イノベーション分譲マンション」が誕生!」とある。
「リノベーション(renovation)」じゃなく「イノベーション(innovation=新機軸?)」なのね。

秋田の「工藤住宅グループ」が手がけ、「竿燈大通りブライトマンション」という名で20戸が入るようだ。建物は1983年12月築、地上7階・地下1階。【12月13日訂正】6階建てが正当。写真でもたしかに6階しかない。
同じ会社が中通六丁目で「秋田駅前ブライトマンション」(1995年築の「AFビル」? を改装)も販売している。
日本興亜損保秋田支社は、大町三丁目のユニバース秋田ビル(協働大町ビルの向かい)に移転。


こうして、少しずつ街は変わっていく。


最後に、主に今まで紹介してきた変化がその後どうなったのか、思いつくままに簡単にまとめておきます。
○変化があったもの
楢山の與次郎稲荷神社跡→民家建築中【12月13日追記】アパートができた。
・楢山の刈穂橋東交差点角・秋田タウン情報が入っていたビル跡→民家建築中
広小路のジュエリーかまたが入っていたビル1階の店舗→2014年8月に秋田のミュージシャンなどのグッズやチケットを売る「AE(アキタ・エンターテインメント)ショップ」がオープン

○変化していないもの
・中央通り西端の農林ビル跡-更地のまま
・山王大通りの牧野ビル跡-更地のまま(ただし秋田市役所建設工事関係者の駐車場になっている模様)
旭川沿い「竹谷ビル」1階の美容室跡-空き店舗のまま
・朝日生命秋田ビル1階のローソン秋田竿燈大通店跡-空き店舗のまま
・千秋トンネルの保育園が移転した空きビル-空きビルのままで、保育園当時の残骸もそのまま
コメント (3)
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車内放送広告復活

2014-08-26 23:38:46 | 津軽のいろいろ
7月末の弘前訪問では、久々に弘南バスの一般路線バスを何度か利用した。
秋田の某社と比べると案内や接客への配慮が感じられ、今回も気持ち良く乗車できた。(もう一息の点もなくはないのですが。いずれまた)
個人的には、秋田の某社を本格的に利用するようになったのは、秋田市営バス移管前後のここ10年ちょっと。弘南バスは、乗車回数は多くないものの20年近く利用しているのだから、なじんでしまったのも原因かもしれない。


さて、今回弘南バスに乗って、大きな変化を1つ感じた。
車内放送広告が復活・激増していたことだ。

秋田の事情を中心に以前記事にしたことがあったが、バス停名を告げる放送に続いて、「○○はこちらです」といったもの。
10年以上前は、秋田市でも弘南バスでも広告放送は多く流れていて、日常的にバスを利用する人には耳になじんだフレーズがあったものだ。
その後、秋田市も弘南バスも広告が大きく減少し、弘南バスではおそらくまったく流れなくなっていたはず。全国各地(秋田、静岡、三重で聞いた)で流れていた「ひとりで悩んでいませんか。わたしたち連合がお手伝い。行こうよ連合に」すら聞いたことがなかった。

秋田市については、市営バスから中央交通への路線移管が重なる時期で、それも一因かもしれない。(だとすれば、中央交通は広告収入を得るチャンスを捨てていることになるのだが…)
経済情勢の悪化やバス利用者の低迷・路線縮小など、車内放送に広告媒体としての魅力がなくなったことも原因かもしれない。
さらに、中央交通でも弘南バスでも、車内放送の方式が、磁気テープから音声合成に変更された頃でもある。テープと違って音声合成は技術的な制約(例えば音声データを圧縮してメモリーに保存するとか?)があり、広告を入れづらいのかな? などとも考えていた。

現在の弘南バスでは、知る限り過去にないほど、車内放送広告が増えていた。
ということは、少なくとも音声合成の技術がネックだったのではないだろう。


小栗山線や学園町線などのルートである、弘前駅前から富田大通り経由で三中校前までの広告を見て(聞いて)みる。
昔は、バスターミナル前と住吉入口ぐらいでしか広告が入っていなかったはず。
バスターミナル前では「皮膚科美容形成外科はらクリニック」、住吉入口では「不動産のエキスパートよつば不動産」がスポンサーで、当時は自社録音だったらしく津軽訛りの広告文句にインパクトがあった。

音声合成化後は、ちゃんとした(以前がちゃんとしてなかったわけではないですが)ナレーターに交代しているが、広告も同じ声だった。(バス会社によっては、広告部分だけ違うナレーターだったり、自社で収録する所もあるようだ)
今回、広告がなかったのは、住吉入口と弘大農学生命科学部前、それに弘前駅前(上り終点)だけ。他の停留所では広告が入り、1か所につき複数のスポンサーが付くものもあった。
※聞こえた部分についてはかなり正確に聴き取ったつもりです。
※放送内容の記録・紹介が目的です。各スポンサーとは何ら関係はありません。

まず各バス停の放送の構成。
♪ピンポーン(秋田市営バス→中央交通のように、運賃が変わる告知やチャイム音による区別はなし)
次は(バス停名)、(バス停名)です。
[ここに広告]
[一部バス停]携帯電話使用マナーや回数券発売などの啓発・宣伝のフレーズ
お降りのお客様は降車ボタンにてお知らせください。
[一部バス停]「(バス停周辺の公共施設)にご用の方は、こちらが便利でございます。
放送の最後ではない部分に広告が入るのが、少々珍しいかもしれない。

では、各停留所の広告部分。
弘前バスターミナル前
「髪と頭皮のお医者さん。美容室ロイヤルオーダー。電話弘前38の6565。さんぱちむごむご。」
「理系志望の弘高生諸君。難関大目指すなら数理専門、学導ゼミに集まれ。学問を導く『学導ゼミ』で検索。」

上代官町(下りのみ)
「時計、貴金属、眼鏡、補聴器の専門店、金、プラチナ買い取りの『てん・てん・てん』の天賞堂。」

中央通り一丁目(上りのみ)
「東北女子短期大学、東北栄養コンピュータ専門学校最寄り停留所はこちらです。」
「[聞き取れず]~渡さない。防犯協会からのお願いです。」

住吉入口

富田三丁目
「金、プラチナ高価買い取り。大型家電の出張査定も承ります。あなたのお宝買います。萬屋弘前店。」

弘前大学前
「処方箋のご用命は、スーパードラッグアサヒ調剤薬局富田店まで。」
「ながら歩きは危険です。隙を見せない意識を持ちましょう。警察からのお知らせです。」

弘大農学生命科学部前

三中校前
「東北女子大学、柴田女子高等学校、柴田幼稚園最寄りの停留所はこちらです。」
「三中校旧正門向かい徒歩1分。よしだ耳鼻科・小児科はこちらです。」

広告の言い回しはバス会社ごとで違うものだが、その性格上、「~はこちらです」とか「~前でございます」とか、広告主がそのバス停の近くであることを印象づける言い回しが多いと思う。
弘南バスでも「~はこちらです」があるが、「さんぱちむごむご」「で検索」「天賞堂」とか、名詞で終わる広告も多い。これだと、その店がどこにあるのか分かりづらい。
実際には、富田三丁目の「萬屋弘前店」だけは遠く(奥羽本線を越えた大清水)にあり、他は各バス停の近くのよう。

中央通り一丁目と三中校前で流れる、学校最寄りの広告は、すべて同じ学校法人の経営。中央通り一丁目では「最寄り停留所は」、三中校前は「最寄りの停留所は」と、「の」の有無が異なる。
聞き取れなかった中央通り一丁目の防犯協会は、特殊詐欺(振り込め詐欺等)の防止だろうか。弘前大学前の警察のお知らせは、青森県警が弘大と連携して大学周辺での犯罪被害防止活動をしているので、その一環か。


他路線の状況も少々。
土手町循環100円バスでも、広告が入るようになった。
一般路線と同じバス停では同じ広告が入るようで、実質的終点の弘前バスターミナルでは、弘前バスターミナル“前”と同じ美容室と学習塾。

中央通り二丁目では、「近江整形外科前」に続いて、中央通り一丁目と同じ東北女子短期大学、東北栄養コンピュータ専門学校が流れた。
土手町循環バスは、観光客の利用も多いから、一般路線と同じ広告にしてしまうのはどんなもんだろうか。


個人的にインパクトが強い広告が3つ。
まず、美容室の電話番号の語呂合わせ「さんぱちむごむご」。その通りだけど、美容室っぽくない語呂合わせ。「むごむご」が頭から離れない。

次が、学習塾の「理系志望の弘高生諸君」。弘高生=県立弘前高校生。かなりターゲットを限定した広告だ。放送される路線でどれほど対象者がいるだろうか。富田大通り経由なら弘大生や実業高生、聖愛高生は多いけれど。まして土手町循環バスなんて…
弘高前を通る桜ヶ丘線などと共通で流れているのだろうけど。(でも桜ヶ丘線は下りはターミナルが始発なので、広告は上りでしか流れないはず)
テレビや紙など文字の広告では普及している「~で検索」が、バスの放送広告で流れるのは珍しいが、分かりやすい。

そして、「てん・てん・てん」。銀座にある同名店とは別の、弘前のお店。
数年前(2008年秋には既にあった)から弘南バスに車体広告を出していた。
2枠分を使っている
キャラクターは「てんちゃん」。現在は「耳が大きくなった」バージョンがある。
車体広告では「てん・てん・てん」表記だが、バス以外の媒体では「てんてんてん」と中黒なしで表示される場合がある。
乗り合わせた小さな男の子が、放送を聞いて「テンテンテン!」と喜んでいた。


かつてのバスターミナル前で流れていた「はらクリニック」の広告はなくなったが、城東環状100円バスの弘前駅城東口で広告が流れていた。
皮膚科よりも、脱毛とか美容形成のほうに重点を置いた、かつて秋田市営バスの木内前で流れていたものに近い内容か。
一般路線の最寄り停留所で流すよりも、若い人の利用が多い城東地区のほうが広告効果が高いと判断したのだろうか。(放送回数としては城東のほうが少ないかな)
弘前大学前(上り)の電照式バス停
弘前大学前のバス停では、同じ眼科の広告が2コマ。「はらクリニック」の広告が裏返されているけれど、広告期間が終了したってこと?
ストリートビューより車道側から同じバス停
しかも車道向き(あまり広告効果がなさそう)には別の眼科の広告。※秋田市営バスの車体の広告でも同じようなケースがあった。
※弘大前上りの電照式は、後に撤去・交換された


気になるのが、広告料金。
弘南バスや秋田のものは不明だが、基本的にバス停ごとの便数、すなわち放送回数で決まるようだ。(録音費等は別途)

福岡の西鉄バスでは、安いもので1日25回以内・片道のみ放送で年間8万円、最高額は1日1401~1500回・上下とも放送で年間315万円。
ちなみに、秋田市の平日の運行本数は、通町(片道)約150本、買物広場→駅(一方通行のため片道だが、上下便とも通る路線あり)約700本。西鉄の料金体系では、それぞれ21万円、84万円に相当する。(秋田だともっと安そう)

広告を出す側が値段と広告効果をどう判断するか次第だが、バス会社にとってはいい収入。
おそらく弘南バスの営業部門(系列の代理店)ががんばって広告主を探した成果だろう。広告費の値下げなどもやったかもしれない。
中央交通さんも弘南バスの積極性を見習ってはいかがですか?【27日補足】中央交通でも広告はあるにはある。だけど特定の業者(例えばラッピングにおける秋田プライウッドやNTTドコモ)に偏っていたり、市営バス時代は常連だった複数の業者(沿線のお店など)がぱたりと止めてしまったりしている。そんな点から、裾野を広げたり、継続して出してもらえるような努力が必要ではないだろうか。

弘南バスについては、後日また
※車内放送広告は、2016年末には若干の変化が出ていた(リンク先後半)。
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抜け道3題

2014-08-25 23:56:53 | 秋田の地理
道路(公道)を通るよりも、駐車場など私有地を通り抜けたほうが近道なことがある。
車で通り抜けるのはよほど神経が図太くないとできないし、危険だし、所有者も迷惑がるはずだが、歩いて通るのなら黙認してくれていることもある。
※とは言っても、私有地にむやみに立ち入ると犯罪になる場合もあるので、自己責任で。

秋田市中央部の3つの抜け道について。
●公認の抜け道
千秋公園の西側は、木々が生い茂るちょっとした山。ふもとには、県職員住宅など住宅地が広がる。
その西側から千秋公園へ上るには、数か所にある階段を使う。若干脚力・体力は要するものの緑の中を歩くのは気持ち良く、公園内を通り抜けて散歩や買い物をする人もいる。

千秋公園の南西角付近にも階段がある。
昔(20年くらい前まで?)は、階段下に湧き水「霊泉水」があったのだが、飲用不適になってしまい廃止された。そこから上って、二の丸の階層にある管理事務所脇(鐘楼付近)を結ぶ階段。

下には、公園の山のふもとをたどる歩行者用の通路があり、その通路と公道との接続部に、その抜け道がある。
距離にして50メートルほど。昔は、公道側から途中まで舗装されて、その先公園内側は砂利道になっていたと思う。舗装部分には「歩行者自転車専用」の道路標識があった気がする。

この抜け道は階段へのアクセス路としてのほか、階段を上らずにふもとの道を南へ進めば、県民会館や市立中央図書館明徳館~広小路方面への近道にもなる。
公道を通れば青のルート。抜け道+園内通路の赤ルートのほうが短い。太い部分がその抜け道

ここ5年ちょっとの間のはずだが、砂利道だった部分が舗装され白線が引かれ、抜け道だった部分が駐車場になってしまった。
以前から、この抜け道より南側には私立秋田和洋女子高校の体育館などがあった。駐車場化されたのと前後して、抜け道より北側には陸上競技練習場(?)など同校の体育施設が整備された。【2016年3月21日補足】陸上競技場ができたのは2010年頃らしい。
つまり、抜け道は完全に和洋高校の敷地内になってしまったのだった。(少なくとも砂利道だった部分は、以前から学校の土地だったのかもしれない)
まっすぐが抜け道。この時は駐車車両はいないが、びっしり駐まっていることもある
こんな状態では、通行禁止との表示はないものの、なんとなく通りにくいと思っていた。

ところが最近、高校名義でこんな看板が設置された。(ストリートビューで確認できる2012年10月時点ではなかった)
左方向が抜け道。左後方に見える小屋のようなものが湧き水跡
「私有地につき、歩行者も車に注意して通行するようお願いします。」などとあり、自転車に乗ったままの通行は禁止され(そのためのポールも設置された)たが、歩行者は通ってもいいことが明示された。
黙認ではなく、公認の抜け道だ。これならば、堂々と通らせてもらえる。

なんとも寛大な措置だけど、以前から永年、通路として機能してきたこと、ここが通れなければ階段がかなり遠回りになること、和洋高校の生徒の動線とは重複しないことなどを考慮してくれたのだろうか。

地理院地図より
国土地理院の地形図では、新しい体育館施設は反映されておらず、以前の通路や建物が描かれている(青い線で囲った部分)。
肝心の抜け道部分は、地形図のほかGoogleマップやマピオンなどでも、通常の「道」として表記されている。(上の地形図では青い線の南側)
これも駐車場になったのが反映されていないのだろうか。以前は公道か私道かに関わらず、道路として機能しているから道として描かれているのだろう。
でも、現在のように、白線が引かれて見かけは明らかに駐車場となってしまっては、次の改定時にはなくなるのだろうか。

なお、公園ふもとの遊歩道は地形図では途中で途切れて描かれるが、他の地図サイトではつながっている。また、地形図の地図記号としては車が通行できる道と同じ線で描かれているが、「徒歩道」として点線で表示するのが正当な気がする。

※この抜け道に存続の危機?!


●ここで言われても…
場所が変わって、某所。大通りと裏道を結ぶ抜け道。
大通り側に面した店舗の敷地と裏道に面した月ぎめ駐車場があり、それらが背中合わせでつながっている。月ぎめ駐車場の一部を、店舗の来客用駐車場として使うための措置なんだろうが、そのおかげで関係ない人には抜け道として機能する。
2012年10月撮影のストリートビューより。写っている人は通り抜け中? ※駐車場の名称が大字レベルで大雑把だ。
駐車場の裏道側には看板が立っていて、
「契約者以外の車と人の通り抜けは固く厳禁します。」
とある。
歩行者の抜け道としてもはっきりと禁止されているわけだが、この看板の設置場所が悪い。

裏道寄りに1枚しかないものだから、大通り側から抜けて来た人は、最後の最後で通り抜けてはいけないことを知らされるのだ。
馬鹿正直に戻る人はいないと思う。「固く厳禁」したいのなら、反対側にも表示していただきたい。


●禁止→黙認→?
子どもの頃から知っている、住宅地の2つの細い道を直結する細長い駐車場があった。
周辺の道路の線形上、ここを通らせてもらったほうが近道になることがある。それに、近くの公道はすれ違いがままならないほど歩道が狭くなっている箇所があるのだが、ここを抜ければそこを避けることができ、ある意味、安全でもある。
2012年10月のストリートビューより。右が駐車場
駐車場内は舗装されておらず、砂にわずかな砂利が敷かれているので、雨上がりは大きな水たまりができて歩きづらいけれど。

僕が小学生の頃は、片方の道路沿いに塀のような看板のような構造物があって、内側向きに手書きで「通り抜け禁止」といった趣旨の文言が書かれていた。
反対側には特に表示はなかったはず。(その意味では上の駐車場と同じで不完全)
学校で「あんた、昨日あの駐車場通ってたでしょ。いけないんだよ!」と女の子に怒られる男の子がいたものだ。

それから十数年~数十年(?)。久しぶりにその駐車場を見てみると、その看板はなくなっていて、通り抜けを禁ずる表示はなくなっていた。
ストリートビューより。かつて看板があった位置(上の画像の反対側)。看板状のものは立っているが、何も書かれていない【9月8日訂正】連絡先しか書かれていない
そのため、大人も子どもも、ためらいなく通り抜けていた。
ということは、所有者が態度を軟化させ(あるいは代わって)、地域住民のために開放してくれたのかと思っていた。

駐車場だから、車を駐めている人にしてみれば事故や車を傷つけられる恐れがあっていい気はしないかもしれないし、近隣のお宅にしてみれば通り抜ける人の足音(砂利なので)や視線が気になるかもしれない。

看板がなくなった以外は、少なくとも30年姿を変えないでいた駐車場兼抜け道だったが、最近変化してしまった。
広くなった?!
隣にあった民家が解体されて更地になり、駐車場と一体化してしまった。
同時に既存部分も含めて中間にロープが張られてしまった。

通り抜け禁止の表示は引き続きなく、ロープをまたごうと思えばまたげるものの、実質的には抜け道として使わせたくないという、所有者の意志ではないだろうか。
駐車場を借りている人にとっては、片方の道からしか出入りできなくなることで不便になるかもしれないのに。駐車場としては満車じゃないみたいだから、家でも建つのだろうか。
【2015年2月23日追記】2015年2月時点でこの土地自体に変化なし。しかし、積雪などの影響なのか、仕切りのコーンの一部が倒れて、楽に通り抜けられるようになった。足跡から判断すると、そこを抜け道として利用する人は少なくなさそうで、抜け道が復活した。
【2015年4月5日追記】さらにその後春になると、倒れた仕切りが元通りにされた。
※その後、2016年3月時点でも、通行止めされて空き地のまま。
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ストビュー1年経たずに更新

2014-08-23 23:55:12 | 津軽のいろいろ
秋田県や青森県弘前周辺のグーグルのストリートビューは、昨年9月にやっと公開が始まった。
それから1年経たない最近(おそらく今週中?)、変化があった。

まず、秋田県。
秋田県では、昨年、一気に広範囲のストリートビューが新規公開され、ストリートビューがまったく見られない市町村は、大潟村だけとなっていた。
この度、
ついに大潟村も公開された
2014年6月撮影で、村内の主要な道路は網羅されているようだ。ついに、秋田県の全市町村がストリートビューの対象となった。(まだ見られない道も少なくないですが)
大潟村内は多くが一直線の道で、どこでも同じような光景が続く箇所も多いけれど、独特の景観を楽しむことができるとも言える。

※秋田のストリートビューのその後の変化


以下、青森県。
2011年12月から公開されていた、青森市のストリートビュー。
今までは、奥羽本線・青い森鉄道線より北側の中心部・市街地を中心としたエリアだけが公開されていたが、このほど南側へ拡大された。
在来線を越えて、さらに南の東北新幹線よりも南まで達した。撮影は2014年5月。

そればかりか、先に公開されていた、青森駅周辺など市街地も今年5月の画像に更新されていた。
※以前の画像は見られなくなったわけではなく、「タイムマシン機能」で見ることができる。後述。


さらにそればかりか、昨年公開されたばかりの弘前市内のストリートビューまでも更新されていた!
一方で、秋田市内などは未更新。この差は何なんだ?

弘前周辺でも、若干公開範囲が拡大された(田舎館村とか)ようではあるが、弘前市街地では既に公開されていたほとんどが新たに撮影し直されている。
弘前大学裏の“寒沢スキー場”の踏切付近のような裏道は未更新の所がある。(バカヤローカーブは更新)

撮影は2014年5月から6月。
前の画像同様、弘前公園の桜は葉桜だし、前は花盛りだったリンゴの花も終わりかけ~終わっている。
城西大橋から。曇り空ながら岩木山はきれい

以前は早朝の開店前の時間帯のため、シャッター通りとして撮影されてしまった土手町商店街も再撮影されたけれど、今回もシャッター通り。グーグルさんとしては店が開いていようがいまいが関係ないんでしょうけど。

以前はなぜか避けられてしまっていた、柴田女子高の円形校舎の前。
(再掲)以前のマップ
今回は撮影・公開されたので、
円形校舎が見られる

ところで、今年の2月20日から(環境によって異なるらしい)、ストリートビューの表示や操作が新しくなった。
画像の一部が隠れたり、動作が重くなったりして、評判は必ずしも芳しくない。僕もどうもなじめず、以前の表示に戻して使っている。
上の円形校舎は、新バージョンのもの。新バージョンでは、従来よりも広角の画像になったせいか、円形校舎がゆがんでしまった。


青森市のところで少々触れたように、ストリートビューの画像が新しくなった場所でも、以前の画像を引き続き見ることができる。それが「タイムマシン機能」。
※タイムマシンといっても、大昔や未来のストリートビューが見られるわけではありません。ストリートビューとして撮影・公開された過去の画像が見られるということですので、あしからず。

タイムマシン機能は新しいバージョンのストリートビューでしか使うことができない。
画面左上に、そこの住所や撮影日が表示される、黒い四角がある。そこに小さなアナログ時計のアイコンが出ていれば、タイムマシン機能が使える場所。
時計をクリックすると、
ジョッパル改めヒロロ
黒い四角に新たに小さいウインドウが開き、そこに同じアングルの以前のストリートビューが表示される。
上のヒロロのストリートビューでは、改装工事中だった2013年5月の光景が表示された。

大きいストリートビューのアングルを移動すると、小さいほうも連動する。
小さい画像の中をクリックすると、それが大きい画像と入れ替わって表示され、通常と同じようにアングルを動かせる。
上のヒロロでは以前の画像が1つしかないが、複数ある場合は、下のスライダーを動かすと表示が変わる。(下に少々画像あり)

マクドナルドがローソンに変わったのもよく分かる

意外に使いやすく、なかなかおもしろく、将来は貴重な史料になりそうなタイムマシン機能ではあるが、弘前市内では、何かの意図があるのか「バグ」なのか分からないが、少々おかしな動作も見られる。
まず、以前からストリートビューが公開されていた場所なのに、タイムマシン機能が使えない部分があること。
土手町の一部や中野の実業高校付近など、局所的に見られる。
5月3日オープンの「ローソン中野四丁目店」
以前のカラオケ屋の建物を壊して、新たに建てたことは分かったが、2013年5月撮影の以前のストリートビューは見られなくなってしまった。
以前の画像を消してしまったりでもしたのだろうか。

さらに、今回は5月から6月にかけて撮影されたわけだが、5月と6月の画像が両方公開されている場所もある。
つまり、表面上は6月の画像が見えているが、タイムマシン機能を使えばわずか1か月前の画像も見られてしまうという、なんだか無駄な状態。
たまたまではあるが、貴重な記録になったものもある。市立文京小学校の旧校舎解体である。
小さい画面が2013年5月、大きい画面が2014年5月
スライダーで点が3つあるが、左から2013年5月、2014年5月、2014年6月のものが見られる。
2013年5月にはまだ使用中だった旧校舎、2014年6月の画像ではほぼ解体が終わって囲いだけが残る校舎跡地が見られる。
貴重なのは、上の画像で大きく出ている2014年5月のもの。
解体途中の姿で、道路寄りの校舎は既になくなっているようだが、内側の校舎は屋根だけがなくなっている。

上記2つのおかしな現象が重なって発生している箇所もある。
すなわち、2013年の画像は見られなくなって、2014年5月と6月は両方見られてしまう。
上記柴田女子高の近くにあった「サンクス南富田店」が今年2月末で閉店していた。
脇道側から
脇道側は、今回更新されなかったので、2013年5月撮影のままで、在りし日のサンクスが写っている。
しかし、更新された正面側では、
小さいほうが2014年5月、大きいほうが2014年6月
跡は美容室になっていて、6月は開店後で、5月はまだ改装工事中だったことが分かった。でも、サンクスの頃の画像はなぜか見られなくなった。

グーグルマップの航空写真では、弘前市街地が雲の下にあってよく見えない場所があるが、それは未だに改善されていない。※その後2016年1月頃までに、2015年9月下旬撮影と思われる、雲がないクリアな画像に更新された。
青森県以外では、ストリートビューで「市」は撮影・公開されていて、隣接して同じくらい発展している「町」は未公開というケースもある。
グーグルさんは行き当たりばったりで作業をしているような気もしなくはない。

【12月6日追記】タイムマシン機能は、拡幅や区画整理により、既存の道が拡幅されてわずかに移動したような場合は、どうなるだろう? 様変わりする前の街並みを見られる貴重なツールになるのに、行き当たりばったりなのか杓子定規なのか、最近見られるGoogleの対応ならば、無効にされてしまいそう。


最後に、新しいストリートビューで分かった、弘前の街の変化。
先日お伝えしたばかりの、弘前大学農学生命科学部で使われていた古いバス・日野RE101。
ストリートビューでも確認できた
遅くとも6月の時点で、あの場所に置かれていたことになる。
遠くて柵越しではあるが、器用なことにナンバープレートにはちゃんとぼかしが入っている。

上で出てきた、柴田女子高・サンクス跡周辺。
少し遠くから
上のアングルで円形校舎手前が、以前よりスカスカした気がした。
上の2013年のストリートビューを再掲

(再掲)2013年2月。円形校舎側から
そうそう。以前は道路スレスレの所に、古い体育館があった。
ほぼ正方形で、四辺どこから見てもカマボコ状の屋根でドームっぽい、少々変わったデザインだったが、それが解体されていた。跡地は自転車置き場になっていた。
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おさんぽジャパン

2014-08-21 23:40:32 | 秋田のいろいろ
多チャンネル時代のせいか、手軽な旅番組(食番組?)が増えているせいか、秋田のような地方でも全国放送のテレビ番組のロケーションを見かけることがたまにある。
今の時代は目撃した人が「秋田駅に誰々がいる。なう」なんて“拡散”されることもあるものの、意外に騒がれずにひっそりとロケが終わっていることもある。(こころ旅とか)

さて、7月25日に、とある芸能人が秋田市に来ていたという。
ネット上でそのことに触れた人は1人しか見つけられなかったが、目撃した人の話によれば、野次馬はそれなりにいたとか。
で、その目撃した人が、居合わせた番組関係者から番組名と放送日を教えてもらっていた。

テレビ宮崎を除くフジテレビ系各局で、月曜から金曜の11時25分から5分間放送されるミニ番組「国分太一のおさんぽジャパン」。
来週月曜の8月25日からおそらく2週間・10回に渡って、秋田が放送されるはず。
だから、秋田に来ていたのは、TOKIOの国分太一。

「おさんぽジャパン」は2013年に始まった番組。
国分さんが各地をお散歩して地元の人たちと触れ合う内容で、「ちい散歩」→「若大将のゆうゆう散歩」の散歩する人が若くて・放送時間が短くて・東京以外の町もよく取り上げる版といったところ。※ちい散歩、ゆうゆう散歩でも、たまに東京以外も歩いていた。
国分さんがCMに出ている「ジャパネットたかた」がスポンサー。

おさんぽジャパンでは、1つの場所(県単位?)を10回に渡って取り上げるようで、7月28日からは鹿児島県、8月11日から明日までは茨城県だった。10回といっても、1回当たりの時間が短くて、たかが知れているけど。【26日追記】オープニング+本編で2分25秒。

国分さんはTBSの朝の生放送の帯番組「いっぷく!」の司会をしていて、7月25日も放送日だったから、いっぷくが終わってすぐに秋田に来てロケをしたことになる。日帰りロケだったのか、それとも金曜日だったから泊まりがけだったのか。

番組の公式ホームページはあってないようなものだし、今日現在、電子番組表や秋田テレビのホームページなども含めて、25日から秋田が取り上げられることはまったく情報がない。
ただし、スポンサーであるジャパネットたかたの通販サイトでは、放送に合わせてその県産品の送料が無料になるキャンペーンを実施していて、URLをちょっといじると「期間限定・【おさんぽジャパン提供特別企画】秋田県特集」というページが既に用意されているのが確認できた。


秋田のどんな場所のどんな光景が放送されるのかは分からないけれど、他県の放送を見ると、地元の人には身近で、地元を離れた人には懐かしく感じられる場所や人が登場するかもしれない。
月-金 11:25~11:30で視聴または録画予約されてはいかがでしょうか。
※今のところ、BS・CSやフジテレビ系列外での放送は行われていないようなので、青森県津軽地方などの方々は見ることはできない。

以下に放送内容を追記します。
【22日・金曜・予告】最後に、秋田市の五丁目橋の上で旭川の上流側を背景に国分さんが「来週は秋田でおさんぽジャパン」と言う予告。
【25日・月曜・千秋公園のハス】タイトルは中土橋から眺める大手門の堀のハス。脳研の通りの千秋久保田町交差点近くの坂を下るシーンから始まり、大手門の堀沿いをポケットパーク→広小路と歩いて、ハスの花を見る。中土橋でハスを活用するNPOがテントを張ってやっていた「象鼻杯(ハスの葉に穴を開けて酒を注ぎ、葉柄の中を伝って出てきたものを飲む)」を体験。
【26日・火曜・秋田市民市場】タイトルはフォンテAKITA上層階から秋田駅越しに太平山方向。広小路の大手門の堀沿いを歩くシーン(25日の続きか)が少々映った後、市民市場へ。(このつながりは不自然というか遠回りになる)
「あいば商店」で秋田県産小玉スイカ「夢こまち」や秋田県産エダマメ、「高寅」ではたはた寿しを試食。「鰰」の読みを、ジャパネットたかたで売っている電子辞書で調べる。TOKIOが広告に出ているヤマト運輸の窓口に顔を出すが、そのポスターは料金表で隠されてしまっていた。
【27日・水曜・秋田市民市場】タイトルも含めて、全編市民市場内。お客と会話し、「安亀商店」でドジョウを見て、ジュンサイを食べる。
【28日・木曜・秋田市民市場】引き続き市民市場内。「支那そば伊藤」で十文字ラーメンを食べる。隣の隣の店から、コーヒーの差し入れ。
【29日・金曜・居酒屋】市民市場から近い、秋田駅前の裏通りにある「秋田長屋酒場」。
古民家を改装した店内で、饒舌なおじさんに勧められて1日5本限定の「天の戸 氷竹酒」、秋田焼き味噌、比内地鶏のくわ焼きを飲食。
【9月1日・月曜・秋田犬】秋田市内の住宅地(場所は不明)で、男性が連れていた秋田犬と戯れる。
【2日・火曜・稲庭うどん】タイトルは、北都銀行本店前の横断歩道橋から旭川・三丁目橋。
「稲庭うどんを食べる」と冒頭から目的が示され、五丁目橋を渡って(ここで予告も撮影したのか)第一会館川反店へ。おそらく3階の「秋田料理の店 七福神」のカウンター席。「ここがいちばんおいしいって聞きました」と店の人にあいさつしていたけど、それは初耳(ここもまずくはないでしょうけど、製造元直営店もあるし…)。
骨酒「はたはた酒」と稲庭うどんを飲食。
【3日・水曜・竿燈の提灯作り】タイトルは、ぽぽろーどから大屋根の置き竿燈→JR東日本秋田支社前の置き竿燈。
住宅地の中を歩いていて「佐藤提灯」を発見。竿燈の提灯を製造する所だった。(秋田市内には複数の提灯製造者がいる)
ここは女性が(おそらく年間?)450個作っているという。その女性はジャパネットたかたで買ったブルーベリーサプリを飲んでいて調子がいいらしく、「※個人の感想です」とテロップ。
「下米ニ」こと下米町二丁目の提灯の仕上げの紋の線引きに挑戦。「上手。これだったら本番で使える」「あとで私がちょっと修正加えれば」と言われる。
【4日・木曜・竿燈体験】タイトルは二丁目橋の水汲み場跡の竿燈のオブジェ→竿燈の囃子を演奏する人たち。
竿燈大通りの「日本興亜秋田ビル(改装予定)」前を歩き、竿燈まつりの観覧席に気付く。
ビルの角から、小路で竿燈の練習をしているのを発見。下米町二丁目の竿燈の事務所前へ。竿燈を体験することにし、両手で7秒間保持。
町内の人たちが出て見守っていたが、うち2人だけ顔にぼかしがかかっていたのはなぜだろう?(無関係の外部の人で承諾を得られなかったのか?)【10月22日追記】どうもジャニーズ事務所の関係者、すなわちマネージャーは顔を明かさない約束らしい。だったらカメラに映る可能性のある範囲にのこのこ出てくるな、陰に引っ込んでろという気がしてしまいますが…
3日に作った提灯と同じ「下米ニ」であり、まだ空に明るさが残る時間帯なのに提灯にろうそくが灯り、練習にしてはきれいな(破れていない)提灯ばかりが下がっていた。まあ、演出の範囲内というか、事前にリサーチをして許可を得ていたことの現れでしょうから、悪く言うつもりはありません。
ただ、ここはいつも路上で練習をしているんだろうか。一般的には駐車場などでやるものだけど。
【5日・金曜・仲間と宴会】オープニングから本編冒頭は、4日の続きの竿燈を上げるシーン。相変わらず2人だけ顔にぼかし。
竿燈大通りのオフィスビルに灯りがたくさんついていたから、平日の撮影のようだ。(ということは7月25日?)
練習後、事務所内らしき場所で、町内の人たちと宴会。秋田の旅を振り返る。
来週は岩手。【9月17日追記】岩手編は、一関、平泉、盛岡と秋田市だけだった秋田県とは異なり、あちこちを訪れた。

【まとめ】
各回の最後では、その日取り上げたものを「スバラシ~!」と紹介して締める決まりのようだ。
結局は秋田市中心部だけのおさんぽだったが、放送時間が短いわりには、しっかりと作られているように感じた。
ロケーションは1日で済ませたのだろうか。

竿燈まつり本番のシーンは、まつり実行委員会提供の映像を使っていた。系列局の秋田テレビは関与せず。
せっかく秋田が取り上げられたのだから、秋田テレビもスポットCMやホームページで宣伝すればいいのに…


【2017年4月5日追記】
2017年3月には、再び秋田県をお散歩。
3週間にわたって、横手市や仙北市を紹介。今回は秋田テレビでスポットが流れた。
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残り3台のRE101

2014-08-19 23:53:49 | 津軽のいろいろ
【2019年8月1日訂正・いただいたコメントの通り、タイトルは正しくは「残り2台のRE101」とするのが正当のようですが、アップ当初のまま「3台」としておきます。】
バスの車両の寿命は20年といったところだろうか。昔に比べれば長くなっているのかもしれない。
物持ちのいいバス会社とか自家用バスでは、“20年選手”がザラのところもあるものの、25年モノとなると急激に少なくなると思う。その辺りが限界なのかもしれない。ボンネットバスのような保存目的のものは別として。

そういう観点からすれば、すごいバスが弘前にあるのをご存知だろうか。
まずは、姿をご覧いただこう。

バスに詳しくない人でも、一見して「年代物だ!」と思ってしまうバスではないだろうか。
昭和末期の記憶がある方なら「懐かしい」と感じるかもしれないし、昭和時代にまだ物心ついていない/生まれていない方なら、とんでもなく古く見えるかもしれない。

日本で製造されたバスの車体構造や外見は、1980年頃を境に大きく変わった。
丸みを帯びた「モノコックボディ」から、角張った「スケルトンボディ」に変化して近代的になって、今に至る。
このバスはモノコックボディであり、表示で分かってしまうけれど、弘前大学が保有する自家用バス。これが、21世紀になっても動いていたのだ。

僕は以前からこの存在を知っており関心はあった(というか乗ったこともあった)のだが、型式や製造時期までは(詳しくなくて識別できないので)分からなかった。また、国立大学所有とはいえ白ナンバーの自家用バスをネットで公開することに躊躇もあった。

ところが今年、弘前大学の教員のホームページ(ブログ?)「本州最北端でフィールド園芸学!」でこのバスのことが紹介(http://matsuhirosaki.blogspot.jp/2014/01/55re101118.html)されたので、ネットで公開しても差し支えないと判断して、当ブログでこの記事をアップします。
同時に車両の詳細も判明したが、さらに、このバスが「引退」したことも明らかになった。【引退理由・導入時の経緯等は末尾の追記も参照

この車は、1980(昭和55)年式の「日野RE101」だそうで、製造から34年経過していることになる。※厳密には「K-RE101」のようだ
なんでも、この型式が現役で走っているのは、日本中で沖縄の路線バスの2台とこの弘前大学の計3台だけだという。(先生のブログでは沖縄に1台とあるが、実際には沖縄では2社が1台ずつ残しているようだ)【2019年8月1日訂正・コメントの通り、沖縄の2台のうち1台は別メーカーだそうで、沖縄の1台とこれと2台というのが正しいようです。訂正します。】
それ以前に、メーカーを問わずモノコックボディのバスが現役で走っていること自体、極めて珍しく貴重である。【20日追記】北海道の「士別軌道」では、1982年式の日野RC301(RCはREより高出力で主に観光向け?)が現役で路線バスに使われており、訪れる人や貸し切ったツアーが行われていることが、15日に読売新聞で報道されていた。


回りくどいですが、このバスがどのように使われていたかを説明しておく。
弘前大学の中でも、このバスを使っていたのは、農学生命科学部。旧・農学部。
医学部に附属病院、教育学部に附属学校があるように、農学系学部には「附属農場」があり、教育や研究が行われている(ブログをアップした先生のような専属の教職員も若干配置される)。
弘大では、藤崎町と五所川原市金木町に農場がある。学部2年生は、附属農場での「農場実習」という科目があり、半期または通年(学科によって異なる)に渡って、週に1回、指定されたどちらかの農場へ出向かなければならない。
※農学部時代(~農学生命科学部発足当初)は単に「附属藤崎農場」「附属金木農場」という名称だったのだが、現在は「附属生物共生教育研究センター○○農場」という長ったらしい組織名になっている。【24日追記】農学部時代も、組織としては両農場を一括して「附属農場」と扱っていたはず。農場長(教授併任)は1名だけだった。農学生命科学部発足後、2000年に「生物(中略)センター」となった当初は、旧・理学部附属深浦実習所もセンターに組み入れられていたが、2008年に再び2農場からなる組織に再編されていた。そのため、結局は農学部時代と同じ組織体系で名称だけが長くなったことになる。
※農学部当時は、農場実習は全学科で必修科目だったが、今は旧・理学部生物学科が再編された学科があるため、その学科では選択科目のようだ。

弘前市の隣町にある藤崎農場でさえ、大学のある弘前市文京町とは直線で約8キロ・道のりで約9キロも離れている。金木農場はもっと遠い。
そのため、実習を履修する学生は、専用バスで学部と農場の間を移動する。大学が車両とドライバーを確保し、授業の開始・終了に合わせて運行されるのだが、その車両がこれだったのだ。
近年は、農場を一般公開するイベントが開催され、その際に文京町-農場間で誰でも乗車できるシャトルバスとしても使われていた。

そういえば、秋田大学でも古い自家用バス(いすゞCJA500だそうで、やはり1980年頃の製造か。観光バススタイルのモノコックボディ)を保有していて、鉱山学部(当時)の地質巡検の足として使っていたとか。こちらは2000年以降に中央交通に譲渡されて緑ナンバーになるも、2006年頃に廃車されて現存しない。

弘大のRE101に話を戻して。
古いけれど外観はきれい。走行頻度・距離の少なさ(傷みやすい冬期は授業が少ないので稼働が少ない)や、大切にされてきたためだろう。コラボ弘大などができる前は、屋根付きの車庫に入っていたはず。
今や貴重な存在の車が大事に使われてきたとはいえ、いつかは廃車になる時が来るのだから仕方がないことと、前から思っていた。
そんな折、2011年に弘前で開催された「バスマップサミット」というバス利用促進イベントで、弘南バスの車両とともにこのRE101が展示されたそうだ。弘大には、公共交通のサークルがあるそうで、その努力があったのかもしれない。
これによって、多くの人にその存在が知られることになった。それは同時に、弘大当局側が、この車の貴重さに気付かされたことも意味するであろう。だから、廃車になっても、あっけなくスクラップになることはないのではないかと、ほのかな期待も持つようになっていた。

引退を知らせてくれた農場の先生のブログは、今年1月18日付。
教員宛てに(大学側から)「諸般の事情で今年度限りでの引退との通知が来て」いたそうで、2013年度最後の農場実習で学生たちと記念撮影したことが紹介されている。
バス担当職員は「まだまだ走れるように整備してあるとおっしゃっていました。」ものの、引退後、「この先どうなるのかはまだ知らされていません」とのこと。


では、2014年度の農場実習はどうしているのか? 新しいバスが来たのか? 来たとすればどんな車か?
そして当然、引退したRE101はもういなくなったのだろうと思って、7月末に文京町キャンパスへ行ってみた。
すると、
あれれ!?
富田大通りに面した農学生命科学部前バス停そばの通用門(?)の所に、大通りに頭を向けて、RE101がいた!
大通りを通る人々にその姿を見せるかのように。

この通用門は現在は歩行者専用になっているが、コラボ弘大からまっすぐの広い門ができる前(10年くらい前?)は、車両も通行しており、RE101もここから出入りしていた。(というか、今も昔も理工学部と農学生命科学部がある文京町3番地地区の車両出入り口は1つだけ)
RE101の最後を飾るにふさわしい置き方のようにも思えるが、単にジャマにならない置き場所がここだったのかもしれない。

※余談だが、かつての秋田大学同様、弘前大学でも門外路上喫煙者が多い。いくら学内がクリーンになっても、公道の歩行者を受動喫煙させるとはおかしい話。大学当局・教職員・学生たちは何も思わないのだろうか。
※以下、以前に撮影した写真も混ざっています。
※バスがある場所は、部外者の立ち入りが規制されていない場所ですが、大学の敷地内です。見学等はマナーを守って迷惑にならないようにお願いします。

ナンバープレートがあり、車検シールによれば今年11月満了なので、まだ走行できるはずだが、タイヤ周りなどにクモの巣が張っていて、ずっと動いていなさそう。
よく見ると、部分的にサビが発生していた。以前はなかったはずで、近年はずっと屋根のない場所に停めていたからか、あるいは置きっぱなしのここ半年でこうなってしまったのか。
【23日追記】更新されたグーグルストリートビューによれば、遅くとも6月の時点で既にこの場所に置かれていたのが分かる。

それにしても、使わなくなったバスを半年以上も置いておくなんて、どんな意図があるのだろう。いらないのなら、ただちに廃車するだろうから、ふさわしいもらい手を懸命に探しているのだろうか。
そうじゃなく、国立大学ならではのお役所仕事(法人化されたけど変わらないでしょう。地方自治体などよりもずっとお役所だと思う)で、書類を作ってぐるぐる回してハンコをもらう間、放ったらかしているなどということではないことを祈る。

後継となって活躍しているかと思った、新しいバスは見かけなかった。
今年度の農場実習の足はどうしているんだろう。経費節減のため、弘南バスに委託していたりして…
【24日追記】今年5月に藤崎で行われた、農場の一般公開「リンゴとチューリップのフェスティバル」のシャトルバスは、5月8日付のセンターの公式フェイスブックに「昨年まで使っていた「レトロバス」は引退してしまったので今年は普通の観光バスです。」とある。54名乗りのようだが、やっぱり委託というか貸し切っているのか?


改めて、弘前大学のRE101を見てみる。
今まで、このバスはずっと弘大にいたのだと、漠然と思っていた。
ところが、農場の先生のブログには、「弘前大学には中古で来たようなので弘前大学で使われだしたのは昭和60年代だと思います。」とある。これは知らなかった。【末尾の追記の通り、中古でなくやはり新車で購入したという情報もある】

ナンバープレートは「青22」。
昔は、地名の頭文字1文字が表示されていた(「福」など重複があるものを除く)。
「青森」ナンバーになったのは1988(昭和63)年のはずだから、それ以前に弘大に来たのだろうか。(前所有者の時も「青」ナンバーだったのなら、ナンバーを変えずに来た可能性もあるか…)
前所有者は誰で、どうして10年もしないうちに手放してしまったのだろう。

車体塗装はクリーム色がかった白地に、青のライン。自家用バスでよく見られる、メーカーの標準塗装だろうか。よく見ると、けっこう凝っている。
【2020年7月11日追記】ツイッターにこの車種のカタログの画像を投稿した方がいて、それがこれと同一の塗装。やはり、標準塗装的なもので、独自にデザインしたものではなかった。
「Hino」の翼のエンブレムも懐かしい
正面は、2本の青ラインが中央に集まって「V」字に。秋田市営バスはじめ、昔のバスではよく見られた意匠だ。
前にだけドアがある「トップドア」
側面は、正面から続く2本の太い青線が窓の下に伸び、それが後部で斜めになって屋根に上る。他に細い青線が、窓上と車体裾に1本ずつ。
後部
後部は、リアウインドウ下の灯火の部分に青い線が1本。リアウインドウ左右に添って細くなりながら上へ上り、牛か何かのツノのよう。
後部の灯火は、昔のバスでは一般的だったタイプ。「柿の種」と形容する人もいるが、「バス協会標準仕様」の通称「バス協テール」というもので、秋田市営バスでは1992年度導入分まで採用されていた。

自家用バスのボディは、観光バスをベースにしたタイプ(上記秋大のとか)と、路線バスをベースにしたものがあり、これは後者。
だから、路線バスであれば方向幕(行き先表示)が設置される場所の扱いに困る。写真の通り、後部は空白(穴が開いておらず、外板のまま)。
正面は、肉太の金色の筆文字で「弘前大学」の固定表示。昔のバスは正面も小型の表示が一般的だったが、そのサイズ。(ちょうど1980年前後のモノコックボディの末期頃から大型化されていった)
正面の文字は、比較的最近、変わっていたことが分かった。
以前の表示

現在の表示 ※撮影した角度の関係でゆがんでいます
以前の文字は黒い縁取りがあったが、現在は縁がなくて濃い金色に変わっている。文字そのものも、以前は手書きかと思われるが、今のは活字だろう。
2011年5月の時点ではまだ古い表示だったので、ここ3年ほどで交換されたことになり、このことからも大切に保守されていたのがうかがえる。
ヘッドライト周りが凝っている。銀色のバンパーはきれいに磨かれている
側面前方の窓下の青い部分にも、金文字で「弘前大学」とあり、大学名の表示がないのは、後部だけ。

改めて後部
リアウインドウが3分割なのは、この頃までは一般的だった。
屋根上中央にある下を向いた直方体は、後部確認用のカメラ(のケース)。今でいう「バックモニタ」だけど、当時は普通自動車用はおそらく皆無で、バス用も多くはなかった。現在のものからすればかなり大きい。
弘南バスや秋田市営バスではバックモニタは使っていなかったが、秋田の中央交通は、他の機器類はケチるくせにバックモニタは昔から好んで採用していて、同社の同年代の車にはこれと同じようなカメラが付いていた。(現在はクラリオン製の小型カメラを採用)

色が薄れているが、左側の「Hino RE」のエンブレムも懐かしい。こういうエンブレムがあったのは、昭和末期の日野レインボーの「RJ」くらいまでか。
※正面も同様だが、バス会社によってはエンブレムを取り付けないところもあった。

ドア側前方
前ドアは現代でも主流の折戸だが、枠が太く、「自動扉」の表示があるのが時代を感じさせる。
路線バスのワンマンバス用車両では、昭和末期~平成初期頃までは「自動扉」表示が義務付けられていた(秋田市営バスでは1989年度導入車まで表示あり)。
これは自家用バスだから、その規制とは関係ないのかもしれないけど。

窓越しに車内を拝見
車内は、2人掛けの背もたれの高い座席がずらりと並ぶ。補助席もある。
座席の色は濃い青色で、国鉄時代の普通車(普通から特急まで)のものを連想させられる。実際には国鉄のは「紺色」かな。
白いビニールカバーが掛けられた頭の部分は1人ずつ分割しているが、それより下は一体化している。だからリクライニングもせず、路線バス用のものと同等か。
座席の色や形状は、羽後交通の高速バス用の日野製車両のものとほぼ同じかもしれないし、フォルムは秋田市営バスの日野製中型車のものに似ている。

床は板張りではなく、冷房はないはず。
リベット(鋲)が並ぶボディに「HinoBody」=製造した日野車体工業のエンブレム
さて、日野RE101という型式は、1977年から1984年まで製造されていた大型バス。
路線バス用としても各地で導入され、秋田市交通局でも465号車前後など何台かあったようだし、同系列の顔つきの中型バスもあった。RE101かは不明だが、類似形式は弘南バスにもあったようだ。
だけど、秋田市営バスで見たり乗ったりしたはずなのに、この系列の車にはあまり印象がない。当時はスケルトンボディの新しい車に目を奪われたのと、モノコックボディはメーカー間の見かけの差が小さい上、「ブルドッグ」と呼ばれた三菱系やそれに負けずいかめしい面構えの富士重工3Eボディといった個性の強いモノコック車と比べれば、RE101はおとなしいデザインでインパクトに欠けたのかもしれない。
エンジン音も記憶にないが、それだけ静かだったのかもしれない。
秋田市営バスの同型車・類似形式車は、冷房がないものが多かったこともあって、10年そこそこで廃車されているはず。

1982年には、RE101の次世代のモデルが発売され、「ブルーリボン」という車種名が与えられた。(1982~1984年は新旧両車種が併売)
(再掲・2012年撮影)弘南バスの1989年式ブルーリボン。これでも充分長持ちではある。
その後、製造部門の日野車体工業はいすゞと経営統合して「ジェイ・バス」となり、現行の日野ブルーリボンはいすゞ側から「エルガ」が供給される形になり(ハイブリッド仕様を除く)、車種名以外は流れを汲んでいない車になってしまった。

その間に弘前大学では、農学部が農学生命科学部になり、構内にビルがきゅうくつに建ち並ぶようになり、国立大学法人化されてといった変遷があった。

そんな変化を経て活躍したRE101。弘大を離れても、どこかで何らかの形でその姿をとどめてもらえないものだろうか。


私見だが、日野といすゞのバスのシェアは両社とも高いが、より古くまで使われるバスはいすゞが多いような気がする。各地で残るボンネットバスもいすゞが多いし、秋田の中央交通にある秋田市交通局から譲渡された車両も日野製が少し早く廃車される傾向がある。いすゞのほうがより堅牢な造りだったのだろうか。
このように日野製でも30年以上持つものもあるし、製造が統合された今となっては、選択の余地はないけれど。


【10月27日追記】10月25日付陸奥新報サイトに「30余年活躍の弘大農生バスが“最後の大仕事”」が掲載。バスとその引退に関する新たな情報が分かった。
「今年、運転手の退職とともにその役目を終えたが、弘大総合文化祭最終日の26日に展示会が行われることになった。」
「来場特典として農生バスのペーパークラフトをプレゼント」
→引退理由とイベント開催が判明。展示会は学部の公式ページでは24日付で告知されている。遅い!(展示会場は今まで置かれていた場所そのまま)

「1980年式の日野車体工業製「日野RE101」で、同年に弘大が購入。」
→農場の先生のブログでは、中古で購入したような話だったが、新聞では新車で買ったように取れる。

「62人乗りのクラシックバスで、現在は沖縄県で1、2台残っている程度のかなり希少な車両」
→「クラッシックバス」って何? 「1、2台残っている」ってのは曖昧な表現。沖縄のバス会社に問い合わせれば分かるんじゃないの?

「(農学生命科学部のほか)教育学部や弘大附属幼稚園の行事などでも使用」
「(引退後は)現在学生たちは借り上げのバスで移動」

「総走行距離11万7153キロ」
運転・整備していたのは石岡さん(77)。「金木農場からの帰りに土砂降りに遭い、腐食したバス上部の鉄板から雨が漏れて学生が車内で傘を差したなど思い出も数多い。」
→国立大学法人は70歳代の人でも雇用できるのか。どういう雇用形態だったのだろう。

「今後についてはまだ検討中だ。ただ、維持が難しく大学の手を離れることになる」

【2015年4月9日追記】
その後、車検が切れたのに情報がなくどうなったかと思っていたが、2015年3月30日に仮ナンバーで青森市方面へ走行していたという目撃情報のコメントをいただいた。
さらに、4月9日に東奥日報のサイトに「現役レトロバス、弘大が譲渡」というニュースが掲載された。
同じ記事を(津軽海峡つながりで)使っていると思われる、北海道新聞「青森からこんにちは」の「弘前大学が現役レトロバス譲渡 イベントや送迎で利用」が詳しいので、一部引用。
弘南バスが譲り受ける。
・10日に引き渡し式を行う予定。
・弘南バスでは交通イベントでの展示をはじめ、希望に応じて団体の送迎バスに活用する。また、バス愛好家向けに乗車ツアーなども検討
・弘南バス乗合部課長は「(略)少しでも長く生かしたい。継続して維持するためにも、どんどん見て、乗ってもらいたい」と呼び掛ける。」「映像作品撮影などの機会があればぜひ出していきたい。(略)」などと話す。
・弘前大学ではないと思われる場所で撮影された車両の写真も掲載。塗装や表示は弘大時代のまま(正面の「弘前大学」の「学」だけ剥がれかけている?)だが、ナンバープレートは緑の「917」で登録し直されている。

引き続き走行できることになり、しかも地元の弘南バスが保存を前提に運行するという、考えてみればベストな結果ではないだろうか。
弘南バスが引き取ったのは意外だったが、近年は弘大に公共交通を扱う学生サークルができたり、弘大教育学部が県内の高校などをバスで巡って実験を披露する「ラボバス」の運行を弘南バスへ委託したり、弘大と弘南バスに良好なつながりができていたおかげなのかもしれない。

弘南バスは、保存目的で車両を保有・運行した実績はないかと思うが、運行中の車両は丁寧にかつきれいに整備している印象がある(秋田の某社とは大違い)から、きっと大丈夫だろう。
「青」のナンバープレートがなくなったのは惜しいけれど仕方ない。「弘前大学」の表示もなくなることになるのだろう。塗装はどうなるだろうか?(前だけのトップドアの車だから、弘南バスの旧一般路線塗装に塗り替えると、往時をかなり正確に再現できそう)

今後が楽しみ。

【2015年5月26日追記】
教えてもらったツイッターの情報によれば、2015年春の弘前さくらまつりのシャトルバスに、路線バス車両に混じって、このRE101が使用されたとのこと。(期間中毎日ではなかった)

ツイッター投稿者は写真もアップしてくれていた。ナンバプレート以外に次のような変更点があった。
・基本的な塗装や前後のHINOエンブレム、灯火等は弘大時代そのまま。バックモニタの大型カメラや座席も同じ模様。
・正面と側面前方の「弘前大学」はゴシック体の「弘南バス」に書き換え、後部右下にも追記。
・側面に「貸切」。
・後部に「55501-2」の社番。(過去に同番の車両がいた可能性がある)

【2015年5月29日追記】この車両を使ったツアーが弘南バスによって実施されることになった。
7月5日・日曜日に弘前市内を7時間で巡る「レトロバスで行く 城下町弘前めぐりの旅」。
りんご公園での昼食、禅林街での座禅、アップルパイ付き、ガイド付きで製造年の昭和55年にちなんで5500円。

【2015年7月8日追記】
そのバスツアーを伝える東奥日報の記事に「弘前大学から無償譲渡されたレトロバス」とあった。
弘大が売却し弘南バスが購入したのではなく、無償譲渡だったのか!

※2016年春までに、いつの間にか「ひろちゃん」という愛称が付けられた。この記事末尾参照。

【2016年5月21日追記】2016年5月7・8日に開催された「リンゴとチューリップのフェスティバル」のシャトルバスには、この車両が使われたとのこと。弘南バスによる運行ではあるが、見事に返り咲いた。

【2020年11月12日追記】2020年5月に、ご当地ナンバー「弘前」ナンバーが登場。この車は希望ナンバー制を使って「か767」から、カラー図柄入りの「あ555」に変更された。社番の頭3桁と掛けたのだろう。
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三丁目橋の精霊流し/二丁目橋の地下道

2014-08-17 20:51:11 | 秋田の季節・風景
秋田市中心部の旭川に架かる2つの橋周辺から2題。

お盆が終わって供え物を処分するために、秋田市では「精霊流し」という名のごみ収集が行われる。
本来は川に流して(≒捨てて)いたものを、環境汚染対策のために、市内各所の橋のたもとに置いたむしろの上に出させて収集する事業。例年、15日にむしろ設置、16日に回収。※以前の時期

2012年に家庭ごみの収集が有料化された後も、精霊流しは従前のまま無料で継続されている。
したがって、精霊流しが実質的には「分別なし&無料でゴミを出せる機会」になってしまっているのだが、目に余るようなルール・マナー違反行為はなさそう。
ただし、秋田市側は「透明な袋に入れて(指定袋とは言っていない)」搬出するように告知しているのに、実際には中が見えない袋で出す人が多く、それでも回収されてしまっているのが実情。
今年は、お供えのバナナをカラスが見つけて食い散らかし、見かねた近所の住民が、通常のごみ収集時に使うネットをかけていた場所もあった。
やり方に一考の余地があるようにも思える。

そんな中で、ぜひとも改善してほしいと思っていたことがあった。
2011年の旭川・三丁目橋左岸(東側)の状況
点字ブロックの上にむしろが設置されてしまっていた。ここは白杖の歩行者をよくお見かけする道路であり、これでは通行を妨げて危険。
さらに、ここは歩道が比較的狭く、自転車も通行する。歩行者がむしろを避けようとして進路を変えて、自転車と衝突するなど事故になる危険性も考えられた。
歩行者の安全な通行を妨げてまで精霊流しが必要だとは思えないし、「エイジフレンドリーシティー」とやらを目指す秋田市がこんなことをするのは、ちぐはぐ。
そんなことを、たしか2012年に秋田市役所に伝えさせてもらった。

2013年は現地を見ていなかったが、今年2014年は、
こうなっていた
橋のたもとにはむしろがなく、代わりに橋の中央部の歩道が外側に膨らんだバルコニー状の部分にむしろが置かれていた。これなら安全。
左右4か所にむしろ
近隣の他の橋は、従来通り橋のたもとにむしろがあったが、いずれも歩行者を妨げないように配慮していたようだ。秋田市の対応に感謝。

これなら安全上文句はまったくないが、橋の真ん中にむしろを置くとは、その手があったのかと意表を突かれた。三丁目橋のデザインが功を奏したとも言える。1990年の架け替え以来、普段はほぼまったく役に立っていないバルコニーが、初めて役立ったかも。
精霊流しのやり方としては、元々は川に流していたのだから、人によっては橋の上から捨てていた人もいたのだろう(竿燈の「御幣」は刈穂橋の上から流す)。おかしくはないのかも。

ただ、三丁目橋に4枚もむしろがあるのは、少々多すぎる気がする。
他の橋でも、右岸と左岸の計2か所が原則だし、三丁目橋は周りに民家が少ないし、二丁目橋と四丁目橋がすぐそば。あえてここに持ってくる人はかなり少ない。今年も、
この程度の量
もうちょっと効率化できそうじゃないでしょうか。


それにしても、秋田だけなのかは分からないけれど、残念なことに点字ブロックがないがしろにされるケースが、官民問わず見られる。
視覚障害者(弱視も含む)にとって、点字ブロックは命綱。物を置くとか駐車するとか、その程度の理由で気安く点字ブロックを塞いだことが、重大な結果を引き起こしてしまうかもしれない。
積雪地では、冬は点字ブロックが使いものにならないという側面もあるけれど、せめて雪のない時ぐらい、安心して歩いてもらえるよう、すべての人が配慮できるようになってほしい。



今度は二丁目橋へ。
竿燈大通り東端に架かる二丁目橋。橋の東側には交差点があるが、歩行者用横断歩道はない。
川に沿った南北方向は地下横断歩道の「二丁目橋地下道」を潜って渡らないといけないのだ。
(再掲)
二丁目橋地下道は、竿燈大通りの他の地下道と同様、1971年の大通り完成時に秋田県が設置したもの。(過去の記事
その後、地上部にも横断歩道が設けられ、地下道がなくても済むようになった交差点も多いが、二丁目橋は自転車専用横断帯だけ。おそらく、二丁目橋交差点は交わる両方の道路の交通量が多いため、歩行者が安全に横断できるだけの青信号の時間を確保できないのだろう。【2017年5月17日追記】ここは橋のたもとかつ地下道出入口があるため歩道が狭くなっていて、信号待ちの滞留スペースが確保できない。自転車専用にすることで歩行者を強制的に地下へ下ろして滞留させないという意図もあるのかもしれない。
歩行者の中には、自転車横断帯を渡ってしまう人が少なくない。東西方向は横断歩道橋もあるため、旅行客はどう動けばいいのか戸惑う人もいる。

7月初め、二丁目橋地下道がこうなっていた。
「通行止」っておっしゃいますが…
おそらく2日間くらいかと思うが、地下道が通行止めになっていた。迂回路などの指示はないが、これは自転車横断帯を横断せざるを得ないだろう。隣の交差点へ回れというのは、距離があって酷。

何が行われていたかは知らないが、前後してこんな変化が。
南側出入口
南側の出入口だけに、赤と白の縞の手すりというか柵が1つ設置された。
地上を通る歩行者や自転車と、地下道から出てきた人が錯綜するのを防止するためだろうか。(エスカレーターにも同じ目的と思われる柵が設置されていることがある)
中からの視点。右へ行こうとして自転車とぶつかるケースはあり得るから、多少は有効か?
でも、これだったら通行止めにする必要はない。

さらに、最近はよく雨が降ったので、
中に水たまりができたこともあった
かなり大量に雨が降った後だったから、不具合ではなくやむを得ないことかもしれないが、地下道のデメリット。【18日追記】上記通行止めより後にも水がたまっていたので、工事とは関係なさそう。たまった水は比較的短時間で引くようだ。
歓楽街が近いためか、心ない通行者によって汚されてしまうことが少なくないのも問題。県側も、もう少し積極的に見回りや清掃をやってもいいようにも感じる。


さらにさらに、最近、地下道内の配電盤に紙が挟まっていた。手書きで何か書いてある。
 「この地下通路は税金の無駄遣い」
うーん。ここにこんな紙を置かれたって…
文句があるなら、何が無駄遣いなのか具体的な理由を挙げて、管理者である秋田県のしかるべき窓口へ言ってほしい。
※といっても、現地には連絡先はおろか、これが県管理であることすら表示されていない。また、県は担当セクションの階層が入り組んでいて(地域振興局なんとか課第x班とか)素人には分かりにくい。

地下道を通った人が、地下道に対して何らかの文句があって、手持ちの紙に殴り書きして挟んだのだろう。
「わざわざ穴を掘って歩行者を上り下りさせず、地上に横断歩道を設けろ」とでも言いたかったのだろうか。たしかにその通りだが、それは21世紀の今の視点でのお話。
この地下道ができた昭和40年代は、「道路は車優先。歩行者は車と交わらないように横断する」という考え方で、地下道や歩道橋が全盛で、歩行者が追いやられていた頃。バリアフリーの概念などなかった。
そんな時に造られてしまったのだから、仕方がない。時代に合わなくなったとはいえ、撤去するにもカネはかかり、安易にやればそれこそ「税金の無駄遣い」になりかねない。(千秋地下道のように、撤去を前向きに検討することは必要かもしれない)
こんな紙では落書きと大して変わらないし、これでは何も変わらない。

【19日追記】8月18日に地下道を通ってみると、紙はなくなっていた。内部も少しきれいになった気がするので、清掃が入ったのだろうか。
2022年には、地下道内にカメラが設置された
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お盆とあまり関係ない話

2014-08-14 23:35:19 | 秋田の季節・風景
前線の停滞や台風の接近で雨が続いた秋田。
秋田市では8月に入ってから13日までの総雨量が220.0ミリ。8月1か月間の平年値176.9ミリを既に上回り、空梅雨だった分が相殺されたと言っていいのだろうか。
毎年8月10日開催・11日予備日の「秋田市夏まつり雄物川花火大会」は、両日とも中止。今のところ26日に実施される予定。

12日以降は晴れや曇りで雨は落ち着いた。最高気温は20度台後半で、過ごしやすい。
明日、あさってはまた雨。


8月に月遅れでお盆を行う所では、13日に墓参りに行くことが圧倒的に多いはず。
「ご先祖の霊が自宅に帰ってくる」のがお盆であり、「帰宅するご先祖を墓に迎えに行くために墓参する」と考えれば、お盆初日である13日に墓参するのは、理にかなっている。
現代では、帰省や仕事の日程上、他の日に墓参しなければならないのは仕方がないし、気持ちの問題ではありますが。

ローカルニュースでは、春と秋の彼岸の中日とお盆には、墓参りに訪れる人々の光景が報道される。
今年の秋田では、民放各局はいつものように13日に報道された。ところが、NHK秋田放送局は14日に放送していて、違和感を覚えた。過去にこんなことがあっただろうか。
平和公園で取材していて、取材も14日だったようだ。
周りのお墓の多くには既に花が供えられ、墓参り済みのよう。14日に墓参に訪れる人は多くなさそうだった。(来るまで待っていたのかも)

ホームページでざっと見たところ、他にも静岡放送局、鳥取放送局、山口放送局が、14日に墓参りのニュースを伝えていた。(もちろん13日に伝えたところも多かった)
まあ、実際に墓参りする人がいたからいいのだろうが、お盆の墓参の本来の意味を踏まえれば、タイムリーさに欠ける。
また、取材・放送する側が本来の意味を知らずに「お盆中の13日から15日のどっかで取材すればいいでしょ」と思ってやっているのなら、日本の伝統がないがしろにされていると感じてしまう。



お盆とあまり関係ないですが、秋田市中央部から2題。
通町(所在地は大町一丁目)にある「せきや」。
秋田の人はパンの「たけや」と同じく、冒頭にアクセントを置いて発音する。

元々は大久保(現・潟上市昭和大久保)の鮮魚店で、現在は自称「スーパーマーケット」。魚、青果、惣菜に重点を置いた食料品中心の店といった感じだろうか。
仕出し料理や秋田市郊外の温泉の経営(貝の沢温泉)、土用の丑の日に駐車場でウナギを焼いて売るのも有名。

通町では、1990年代後半に道路拡張が行われて、現在の街並みになった。
それ以前は、狭い歩道に沿って各店舗の軒先がひしめいていた。せきやもその1つで、店内も雑然とした市場のようだったと記憶している。
昔は、駐車場が向かい側にあって、羽後銀行→北都銀行通町支店がせきやの隣にあり、拡幅時に土地を交換した。
現在の店舗は、主にかつて銀行だった位置に当たるはず
そんなせきやが、14日から25日まで休業し、店舗の改装を行っている。
現在の店舗ができてから、おそらく初のリニューアルということだろう。

今や秋田市中央部において、数少ない、いろんな食品が1か所で購入できる店であるせきや。
10日以上もお休みとなれば、お年寄りなど一時的な買い物難民が発生してしまわないか、ちょっと心配ではある。

【29日追記】予定通り、26日から営業再開。3日間はセールが行われた。
外観はほとんど変化なく(出入口の一部だけ?)、内部は照明がLEDになって明るくなるなどしたものの、売り場レイアウトはほとんど変わっていないそうだ。



少々移動して、秋田ニューシティ跡地。
敷地の西半分は月ぎめ駐車場、東半分は「大町イベント広場」として竿燈の時は出店が並ぶなどするが、通常はほとんどイベントはなく、単なる広大な空き地。
たまに仮設駐車場になったり、所有者と経営が同じ秋田いすゞの新車仮置き場(?)になったりしている。※今春

13日は、
ずらりと並んだ貸切バス
国際興業グループ共通塗装の貸切バスがたくさん並んでいた。おそらく何かのツアーで来て周辺のホテルに宿泊しているバスの駐車場。

6台あり、すべて青森県の十和田観光電鉄のバスだった。
ゆったりと勢揃い
団体名の表示は見えなかったが、通しの号車番号が振られていて、同じ団体のようだ。(左から1号車)
でも、その車種というか車齢の差が激しい。

国際興業グループだからどれもいすゞの車なのだが、現行ガーラ1台、先代ガーラ3台、1996年まで製造されていた「スーパークルーザー」2台と3世代に渡る。
ナンバーはいずれも「八戸200か」で、古くても大きい番号のものがあって、中古車もありそう(国際興業本体から来たのか)。
【15日追記】1台だけ「14-99」とだいぶ大きいナンバーの車があり、写真では地名を判読できなかった。十和田観光電鉄では、岩手県軽米町にも貸切部門があり、この車はそこに所属する「岩手」ナンバーかもしれない。

号車(車種)・社番・ナンバープレートの順に紹介。
1号車(現ガーラ)・1265・595、2号車(旧ガーラ)・1258・568、3号車(旧ガーラ)・1257・567、4号車(スーパークルーザー)・1251・482、5号車(スーパークルーザー)・1164・14-99、6号車(旧ガーラ)・1256・545
先代と先々代
側面の表記は、例によって「Towada Kanko」と「Kokusai Kogyo Group」が混在。
1台だけの現行ガーラは、側面に「Towada Kanko」とあるが、秋北バスの同型車は「Kokusai Kogyo Group」だった。

各地の貸切バスを見ると、現行車種の日野セレガ/いすゞガーラが圧倒的。先代のガーラすら珍しくなったし、スーパークルーザーなんてほとんど見なくなった。(中央交通が空港リムジンに使ったり、秋田市のまんたらめ号のように、貸切以外の用途ではそれなりに残っているはず)
皮肉なことに、いすゞと関係がある十和田観光電鉄のような国際興業グループ各社が、古いいすゞの車をいちばん多く使い続けている気がする。

それにしても、このツアーのお客さんたちは、車両の格差をどう感じたのだろう。どうせ乗るなら新しい車がいいだろうし。1号車の人は優越感にひたっただろうか。
どの車がお好みですか?
そういえば、貸切バスが何台も連なる時の順番について。
バス会社によって、1号車が先頭の正順のところと、大きい数字の車が先頭で1号車が最後尾の逆順のところがある。
関西方面の会社に逆順が多いらしいが、かつての秋田市交通局もそうだったはず。中央交通は正順かな。【18日追記】十和田観光電鉄がどちらの順番かは不明。
逆順にする理由としては、狭い道のすれ違いで待たせる対向車(バスやトラック)に対して、「この後に何台バスが続くか」を知らせるためだそう。
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お供え詰合せ

2014-08-11 23:59:33 | ランチパック
降り続いた雨もだいたい収まって、もうすぐお盆(月遅れ盆)。
その土地土地または宗派でお盆の風習は異なるが、秋田や津軽などではモナカの皮状の「とうろう」と呼ばれるものを吊るす。
いくつかのメーカーが製造しており、秋田ではおそらくトップシェアがたけや製パン。たけやでは、冬場のうちから障害者の作業所に委託して製造していた。

今年もいつもと変わらぬ「お盆とうろう」。198円だった
昨年やっと開設されたたけや製パン公式ホームページでは、「たけやのお盆落雁、お盆とうろう」というページができて、写真と名前だけ掲載されている。
全種類を扱う店舗はおそらくないと思うので、これで全貌が判明した。
盆とうろう以外はすべて落雁。
「落雁(小)」というバラものが、白、草、赤の3色、「落雁 三段」は上から黄・赤・白、「落雁 五段」は白・黄・赤・白・オレンジ。
そして、果物などお供え物をかたどった落雁をトレイに盛り合わせた「落雁 くだもの盛 大」「落雁 お供え盛」「落雁 籠盛」というラインナップ。


さて、ほかにお供え物といえば、お菓子(と果物もあるか)。
いくつかの和菓子を中心としたお菓子を組み合わせて盛り付け、そのまま供えられる「お供えセット」なるものも売られている。(果物や野菜のセットもあるけれど、ここではお菓子のセット)
たけや製パンでは製造していないようで、秋田では愛知県など県外の製菓会社製のものを見かける。
イオン秋田中央店では、こんなお供えセットがあった。
「お供え」
なんと、工藤パン製!

こんなものも秋田県内に入って来るのか。
工藤パンホームページによれば、工藤パンでもお盆用のお供えを各種製造している。
ホームページには出ていないが、以前調べたところではお盆とうろうもあり、たけやのと同一だと思われる。
その他のお盆製品は、たけやのものとは異なる。

また、津軽地方では「法界折」といって、お盆にお墓で精進料理の折り詰め弁当を食べる風習がある。
それ用に、「法界折詰」の蓮と蘭の2種類もラインナップされている。
【12日追記】イオン秋田中央店で、秋田米飯給食事業協同組合(たけや系列)製の「法界折詰」が、お盆用品特設売り場で(弁当売り場でなく)売られていた! 秋田でもそういう風習がある宗派や地域があるのだろうか。単なるお供え用料理と認識されてしまいそうな気もするが、それならそれでいいのかな。

今回買ってきたお菓子のセットは、ホームページでは「お供え詰合せ(大)」となっている。
銀色の発泡スチロール製のトレイに、緑の縁取りの正方形の白い紙とビニール紐をチリチリにしたような緩衝材を少々敷き、7種類のお菓子と白い造花を載せて、ラップで固定して「お供え」のシールを貼った製品。裏面のシールでは「内容量 7個」と表示。
価格は8%税込み600円。バラで買ったらもうちょっと安くつきそうな気もしなくない。
【8月15日追記】8月15日には10個強くらい売れ残っていて、198円になっていた。なお、たけやの盆とうろうもけっこう残っていて、50円になっていたが、これは買う人がいるだろうか。
【9月18日追記】お供えセットは、翌月の秋彼岸の時にも、イオン秋田中央店で販売された。【2015年3月25日追記】翌2015年春彼岸でも販売。
【2015年8月16日追記】2015年8月のお盆でも発売されたが、若干変更された。価格は同じ。ようかんの代わりにチョコ饅頭らしきもの【8月27日訂正・皮が茶色のこしあんまんじゅう】が加わり、他は各商品の包装が新しくなった。チリチリ緩衝材と敷き紙は廃止(造花はあり)。また、商品名が「お供え詰合せ(イオン)」で、イオン向け専用商品のようだ。イオンでは八甲田、桃山、月餅、いもすけどんのバラ売りもされた。
【2015年12月26日追記】イオン秋田中央店の2015年12月末の正月向け商品としても、お供えセットが売られた。【2019年1月8日追記】青森県では、正月にも仏壇にお供えをする風習が見られるらしく、そのために正月向けにもセットされるのだろう。


以前、工藤パンの大福を紹介した。工藤パンでも各種和菓子を製造し、「工藤の和菓子」というシリーズになっているようだ。
このお供えセットでも、中の商品のいくつかに「工藤の和菓子」表示があった。普段は秋田ではまず購入できないものだし、青森に行っても全種類を扱う店はあまりない。珍しさに惹かれて、お供えセットを買ったのだった。

ラップを外して7種類を見てみた。
左から八甲田・桃山・月餅
桃山は上記リンク先の以前の記事にも写真があるが、包装が異なる。変わったのか、お盆用なのか。
八甲田は青森らしい商品名だが、洋風まんじゅうみたいなの。中は黄身あんでてっぺんにクルミが載っている。【2015年8月25日追記】福岡と東京の「ひよ子」のような感じ。上記2015年のリニューアルではクルミが小さくなった。

春日まんじゅう
いわゆる葬式まんじゅう。まん丸なのが珍しい。
【8月22日追記】食べてみた。あんこがやや塩味が強い気もしたが、おいしかった。
【8月15日追記】たけやの楕円(小判型)の葬式まんじゅうは、袋入りでなくラップでくるんだもので、「焼型まんじゅう」という商品名。
【9月18日追記】たけや製パンホームページの「秋のお彼岸」製品紹介によれば、たけやでは「焼型まんじゅう」とは別に、「春日まんじゅう」という製品があった。円柱に近い形状で、小ぶり【2024年3月20日追記・2024年時点ではむしろ大きめ。変わったのか?】。白くててっぺんには焼き色が付いているものの、図柄はない。

いもすけどん
名前は聞いていたが、実物は初めて。
「津軽名物」と書かれ、青森県の地図も描かれる。
サツマイモ風味のお菓子(サツマイモは原料に入っていない)で、北海道みやげの「わかさいも」みたいなもののようだ。

落雁・やまざき煉ようかん小倉
他の6種類は、バラ売りされている商品を詰めたものなので、それぞれにも表示があるが、落雁だけは一切表示なし。
ホームページに出ている「落雁菊(赤)」と同じ外見。ホームページのは「あん入り」とパッケージに表示があるが、こちらはない。
たけやの落雁と違って、やや楕円形。

煉り羊羹だけは、ヤマザキのものを流用。せっかくならもう一品、工藤ブランドを入れてほしかった!

偶然に出会えた工藤パンの和菓子。お供えした後、いただきましょう。
【8月17日追記】食べたみた。
 八甲田といもすけどん
いもすけどんは思ったより小さく、割ると中に小さな穴が。
味は、どちらもおいしかった。八甲田は見た目はただの白あんだけど、ちゃんと黄身あんの味がして好き。
いもすけどんは、「わかさいも」ほど皮の醤油味が強くなくて、個人的にはこちらのほうが好み。


【13日追記】ホームページには出ていなかったが、店頭にたけやの「まんじゅう詰め合わせ」という商品があった。桃山などを含むまんじゅう5個で600円。
価格やトレイのサイズがほぼ同じで、造花が添えられている(工藤パンの色違いのようなピンクの菊)ことから、コンセプトは上記工藤パンのセットと同じだと思われる。まんじゅう好きにはこちらが良さそう。※この記事後半参照



ところで、イオンリテールでは先週末から今日まで、お菓子類にWAONポイントが8倍付いた(関連記事)。
お盆とうろうやお供えセットも、分類上は菓子になるかと思うが、どちらも対象外だった。
製造元から「パン」扱いにされているのか? それともローカルな製品は対象外なのか?
ちなみに、小さいモナカやまんじゅうなどを袋詰めし、我が家ではバラしてお供えにする「半生ミックス」はちゃんと8倍付いた。
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運休前のリゾしら

2014-08-09 23:54:03 | 旅行記
8月6日の大雨により、五能線の秋田・青森県境の岩館-大間越間で線路の盛土が流出、線路が宙吊りの状態となった。このため、岩館-深浦が運休となり、復旧までに1か月程度かかる見込み。
「リゾートしらかみ」は1往復が運休、2往復は当該区間でバス代行→その先は後続列車に振り替えとなり、通しで乗ることはできない状態(秋田側、青森側それぞれではリゾートしらかみの所定時刻で運行されるので、時間がかかるバス代行では乗り継げない)。
夏の観光シーズンだけに、影響が心配されている。
※この後、8月30日に運転が再開された。


先月下旬に弘前に行った帰り、図らずも、五能線の快速「リゾートしらかみ」に乗ることができた。夕方の上り。夕日には少し早かった。
五能線を通しで乗るのは4回目(うち1回は夜。他にも区間乗車は数回)なので、海が見える区間では「ここでこの風景」というのがなんとなく頭に入っていて、予測できるようになっていた。
県境付近(十二湖-岩館のどこか)

今は楽しめない車窓ということになる

今回はブナ(正しくは木偏に「無」)編成。2度目か3度目の乗車。
ハイブリッドにはかなわないが、あのキハ40系気動車にしては、ずいぶんと快適に改造されているなという感想を持った。
窓が大きいこともあり、西日が入って少々暑かったけれど。
おかげで車内販売のスジャータのアイスクリームがおいしかった。バニラとリンゴを扱っていたが、どちらも増税で価格は10円上がって270円になっていた。
販売員のハンディ端末が新しくなっていて、Suicaをタッチする位置が機器上面から画面そのものに変わり、レシートの書体も角ゴシックから丸ゴシックに変わった。

ハイブリッドの青池編成では、窓ガラスが緑色に着色されており、景色が少々おかしな色に見えたものだが、こちらは黒く着色されているので、違和感は少なかった。

「リゾートしらかみ」には、特急列車のような2人掛けリクライニングシートの席と、ボックスシートがある。
ボックスシートは、今は稀少となった客車式B寝台の昼間の状態に似ている。リゾートしらかみでは、大きなテーブルがあり、座面をフラットな状態にして靴を脱いで足を伸ばすことができる。
そんなボックスシートに魅力を覚える方も多いようだが、僕はどうも好きになれない。昔のB寝台の印象に引きづられていることもあるが、きゅうくつだし、背もたれの角度を調節できないし。

弘前出発時には海側の席はほぼ埋まっていたが、ほとんどのお客はウェスパ椿山辺りまでに降りた。
すると車掌さんが来て「ボックス席が空いております。よろしければお移りください」と勧めてくれたけれど、そんなわけでお断りさせてもらう。
実は後でちょっとだけ座ってみたのだけど、B寝台よりは柔らかくて座り心地は良かった。でも、閉塞感とか窓が1つしか見えないこととか好きになれず、やっぱり開放的な普通の席ほうがいい。閉所恐怖症ではないつもりですが…

ハイブリッドの青池編成の普通の席は、座面スライド機構がなかったが、ブナ編成ではあった。操作ボタンは四角いものをスライドさせるタイプ。(くまげら編成も同じようだ。いずれもリクライニング用はよく見かける丸いボタン。他にデッキへの通路ドアがレンガ風なのも同じ)


歴代のリゾートしらかみ用の編成の中で、2番目にできたブナ編成であるが、ブナ編成だけの相違点がある。
まず、現行3編成のうちでは唯一、通常の席とボックス席の車両が2両ずつついていること(他は通常席3両+ボックス1両)。これは他編成と車両のやり繰りをしたことが原因。

もう1つは、通常の席の車両に装備された「ファンタジーライト」なるもの(ボックス席の車両にはない)。話には聞いていたが、今回初めて経験できた。
深浦駅停車中、「これからファンタジーライトを点灯します。車内が暗くなりますので、足元にご注意ください」という放送があり、通路中央の蛍光灯が消灯。(荷棚そばの電球色ダウンライトは点灯したまま)
深浦を発車すると、やや長いトンネルが5つ(かな?)続く。すると、
これがファンタジーライトだ!
蛍光灯が灯っていた部分に、星空が浮かび上がるのだ。
星空というより、宇宙空間の光景かな? 人工衛星みたいなのがいたし。

蛍光灯のカバーに蛍光塗料で絵を描き、カバーの中にブラックライトの蛍光灯が入っているということだろう。
運転台には「ファンタジーライト」と書かれたメインスイッチやブラックライト用らしき子スイッチがあった。
※伊豆急行や北越急行で似たような車両があるが、それらはプロジェクターで投影をするもので、ブナ編成とは異なるやり方。
トンネルの外でも、わずかに見える

ブラックライトが消えて通常の蛍光灯が点灯した状態。ゴミか汚れが付着したように見えるのが、蛍光塗料で描かれた星
5分もしないうちに、「トンネルが終わりましたので、照明を点灯します」とファンタジーライトは終了。
ファンタジーライトは、深浦から南側のわずかなトンネル内だけで使うことになっているようなので、他のトンネルでは体験できない。
でも、なかなかムーディーな雰囲気で、かつ極端に暗いわけでもないので、他の区間の夜の列車でやってもおもしろいかもしれない。


深浦の次の停車駅がウェスパ椿山。その次の十二湖付近では、線路はやや高い位置を走る。湾状の海と浜辺の集落を見下ろし、その先に白神山地が横に伸びる光景が楽しめる。
(再掲)以前の光景
この辺りで少々気になった光景が2つあった。
1つは、2か所で見かけた自衛隊の姿。
ウェスパ椿山近くの木が生い茂った所で、自衛隊のトラックが停まり、パラボラアンテナを海の方へ向けるなどしていた。訓練か業務なのか分からないが、場違いな光景に見えてしまった。(意味があっての活動であり、頭ごなしに否定するわけにはいかないのでしょうけれど)

もう1つも場違いな光景。
海の中に…
2隻の大きな船が浜近くにいるように見えた。

よく見ると、1隻の船が真っ二つになって、本体である船尾側が傾いているのだった。座礁船だ。そう言えば報道で耳にしたことがあった。
2013年3月1日、秋田から室蘭へ向かっていたカンボジア船籍の貨物船「アンファン号」(1996トン)が、深浦町の笹内川河口(陸奥岩崎駅)付近で座礁。そのまま放置され、2013年11月26日の強風と高波で船体が2つに断裂し、さらに放置されて現在に至るもの。
船の所有者である中国人のうち一部と連絡がつかず、さらに法律上の縛り(海岸でなく海中に当たる場所で座礁している等)があって、撤去できないでいたそうだ。
法改正が行われることになり、解決の糸口が見えてきたようではある。
【追記】その後、2015年6月16日から解体作業が始まった。海中からの撤去は8月までかかり、以後、陸上で解体や売却をする手順。


2011年秋に乗った時は、各座席前の網袋に時刻表や沿線ガイドの小冊子(パンフレット)が差し込まれていたが、現在は車両隅のラックだけに置かれていた。その代わり、
黄色いファイルが入っていた
「五能線ガイドブック」という名称で、持ち帰りはできない。
「東能代運輸区 サービス品質推進委員会」という所が作ったらしい。今年4月の作成のようだった。以前もここが作った1枚ものの案内は入っていたか。
車窓のビューポイントから、青池編成のハイブリッドシステムの紹介までいろいろ書かれていた。その中にいたのが、
「ひのちゃん」
「ひがしのしろ」で「ひの」ちゃんということか。
鉄道内部では「電報略号(電略)」といって駅名などをカタカナ2文字で略して表記することがある。「秋田」は「アキ」、「土崎」は「ツサ」などと決まっていて、必ずしも頭から2文字ではない。「東能代」は「ヒノ」が電略だから、それが由来かも。
そういえば、昨秋のこころ旅で火野正平さんがブナ編成に十二湖から森岳まで乗車した。
なお、東能代運輸区には実際に女性車掌がいて、リゾートしらかみに乗車している。

東能代駅ホーム(2番線を1番線側から)
積雪地のホームではおなじみの、ホーム頭上に掲げられた乗車位置を示すプレート。
東能代駅では、そのすべての裏面に「しらかみ3兄弟」がいた。※しらかみ兄弟この記事中ほど参照。

彼らの敵は「エッパー」と「キョウフーン」だが、現在は「オオアメーン(?)」にやられてしまっている。
今回も長いとは感じたが、のんびりと車窓や乗車を楽しめた五能線の旅だった。安全に、できれば早めに、全線で運行再開されることを願う。
※その後、8月30日に運転が再開された。



最後に奥羽本線の話題を少々。
弘前から雨の奥羽本線を上る(乗客が立ち入りできる、ワンマン電車後部運転台から)

碇ケ関に到着
秋田県境に近い、青森の碇ケ関駅
地名(旧村名、現在の平川市の町名)としては「碇ヶ関」、駅名は「碇ケ関」と表記するのが正当らしい。
違いは「ヶ」と「ケ」。
地名としては小さい「ヶ」(「箇」または「个」の略字らしい)、駅名としてはカタカナの「ケ」を使う。

同様に、鰺ヶ沢、保土ヶ谷、茅ヶ崎などがあるが、保土ヶ谷は地名も駅名も大きい「ケ」、鰺ヶ沢と茅ヶ崎は地名は「ヶ」、駅名が「ケ」だそう。
つまり駅名は一律にカタカナを使うようだ。
駅名は明治時代に定められたこともあって、現地の呼称や表記と一致していないケースがあるが、これもその1つか、あるいは昔の印刷や電信など技術的な制約があったのか。

現在、JR東日本ホームページの駅紹介や、きっぷ券面の表記は正しく「ケ」で表示されている。
弘前駅の発車標や701系電車側面の行き先表示は、
 
もちろん正しく「碇ケ関」。さすがJR。
と思ったけど、701系の正面の表示は、
「碇ヶ関」? ※スペースが限られているので、やむなくこうしているのかもしれない
また、特急「つがる」のE751系電車の車内の文字情報装置では「碇ヶ関」と表示されてしまう。

JRが関与しない時刻表検索サイトなどでは「ヶ」を使っているところが多い。
どっちでも読めるし、バランスとしては「ヶ」のほうがきれいに見えるからかもしれないが、(文書内・ブラウザの表示されたページ内などで)検索した場合は別々の文字として扱われるので、情報を見つけられないおそれもある。

駅舎の表示については、この記事末尾。
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大雨の祭りの後

2014-08-07 23:31:45 | 秋田の季節・風景
8月に入ってから、日本各地は雨が多い。月初めの高知などもひどかったし、6日朝の広島市の平和記念式典(この場合は「祈念」ではなく「記念」が正式だそう)もけっこう強そうな雨の中。1971年以来43年ぶりの雨の式典だったそうだ。
昨日からは秋田県北部や青森県津軽地方でも前線の停滞により大雨で、五能線の線路が宙吊りになるような被害が出ている。

昨夜から今日にかけての秋田市は、被害は発生していないようだが、数時間おきくらいに激しい雨が打ち付けている。1時間降水量は、深夜1時には26.0ミリ、13時には12.5ミリを観測。
旭川・二丁目橋
年に2~3回レベルの水位の高さかな。
太平川桜並木・楢山付近

(再掲)ほぼ同じアングルの通常の風景
飛べない(飛ぶのをあきらめて定住した?)2羽のハクチョウさんたちは、揃って岸に上がって休んでいた。いつもより上流寄りにいたから、泳ぐ力はけっこうあるみたい。
太平川・愛宕下橋の水位

【10日追記】8日以降もしとしとと雨が降り続いた。旭川の水位は少しずつ減り、濁りも少なくなりつつある。しかし、11日は台風11号が接近。雨はさらに降る予報。


そんな天候の中、竿燈まつりが終わった。
最後の2日間は、雨のため昼の妙技会(昼竿燈)が秋田市立体育館へ変更。
夜はいちおう開催されたものの、特に最終日6日は時折激しく雨が降る中で行われ、1回目の演技(19時20分から15分間)が終わった時点で打ち切りとされた。(雨による転倒など安全面が理由のようだ)
4日間の人出(昼、飲食イベントなど含む)は過去最多だった昨年比15万人減の126万人。

例年、4日のうちどこかで雨模様になることはわりとあって、それでも夜は“押し切って”実施することがほとんどだと思う。記憶する限り、少なくともここ15年くらいでは夜が中止になったことはなかったのではないだろうか(間違ってたらすみません)。
そんな中でも、今年はあまり例がない激しい降り方だった。19時の1時間で9.0ミリの降水を記録している。
※公式ホームページでは「多少の雨では基本的に行います。いわゆる荒天にならない限り。」としている。観覧席は中止になっても払い戻しはしないはず。

NHKの東北6県の夕方のニュース番組(秋田局では「ニュースこまち」)では、東北の四大夏祭り(年によって+α)の会場から中継があるのが毎年恒例になっている。
秋田の竿燈は、日本銀行秋田支店前の道路で待機中の竿燈を前に中継し、一足早く竿燈演技の披露もされるのが恒例。
今年は運悪く6日の大雨の中からの中継で、演技どころか竿燈はビニールをかけられた状態。演技を披露するはずだった鉄炮町竿燈会(保戸野鉄砲町ではない鉄炮町)の人がインタビューに答えた程度で、後は下米町二丁目(だったかな?)竿燈会を取材したVTRで時間を埋めた。
秋田県内向けの秋田局のスタジオからの紹介も「中継ではありません。収録したものをお送りします」と言うなど混乱気味。(冒頭は生中継であり、画面にその旨も表示されていた)

さらに6日は、イギリスの豪華客船「ダイヤモンド・プリンス【11日訂正】ダイヤモンド・プリンセス号」が初めて秋田に入港。クルーズ客2000人(日本の旅行会社の企画なので日本人がほとんどのようだ)が竿燈を見物したという。
ほかにも各地から多くのお客さんが来てくれたのに、天候のせいとはいえ、満足に見てもらえなかったと思うとお気の毒。各竿燈会の皆さんも消化不良に終わってしまったことでしょう。

弘前のねぷたまつりでは、雨に加えて初の死亡事故が5日に起きてしまい、最後の2日間(最終日は昼間)が中止となってしまった。


初日の秋田駅前大屋根
初日は日曜日だったため、駅前はとてもにぎわっていた。ぽぽろーど~大屋根下には出店が並んでいた。
ところが、月曜日以降は、その出店のほとんどがなくなっていた。数年前(2010年)はぽぽろーどで「秋田エキマエ元気市」、大屋根下で屋台村が開催されていたのだけど。
駅から会場へ行く多数の観光客にとっては、出店がなければこの辺りは素通りしてしまう場所。有効活用できないものだろうか。

それから、妙技会が市立体育館へ変更になった場合の対応もひと工夫できないか。
本来の会場であったエリアなかいち・にぎわい広場はがらんとして(広場なんだから当たり前だけど)、前の道を歩く旅行客はほとんどいない。警備会社から来た人が「妙技会は市立体育館へ変更となりました」というプラカードを持って立っていた。
他にふさわしい会場がないのだろうが、あまりに遠い。観光客でわざわざ見に行こうという人は少ないかもしれないし、行くにしても大変。
市立体育館への路線バスは、近くに臨海営業所があるため本数は多いのだが、運賃は片道300円もする。そこで、例えば少し割り引いた往復の乗車券に屋台村の利用券をセットした「雨の中、竿燈を見に来てくれてありがとう乗車券」みたいなのを売るとかして、「雨だったけど見に行って良かった」と思ってもらえるような仕組みを作れば、秋田のイメージアップにもなると思うのだけど。


ちょっといいなと感じたもの。
秋田駅自由通路東口寄り
自由通路東側は、南向きに大きな窓が並ぶ。その柱は、縦長の広告スペースとなっていて、周期的にいろいろな広告が掲出される。(西側、東側とも同じデザインが原則のようだ)
上の写真のように、現在は竿燈を腰で上げている写真が出ている。広告主の名前など文字は一切ないが、写っている竿燈は秋田市役所竿燈会のもの。
下の文字や女性の顔は、隣接する拠点センター・アルヴェのもので、上の広告に関わらず常に出ている。

同じ写真が10枚並び、竿燈は全体ではなく一部が欠けているが、ある角度から見ると、
なんかいい感じ
実物大の竿燈がたくさん上がっているかのような錯覚がしないでしょうか。なかなかいいデザインだと思った。
※その後しばらく掲出されていたが、2017年7月頃に終了してしまった。
※その後、竿燈に戻った。時折、違う広告に差し替わる感じ。新幹線ホームからは、こんなふうに見えた(リンク先中ほど)。



最後に、JR。
秋田駅で折り返しの車内整備中の「リゾートしらかみ」
着色ガラス越しで見づらいですが、車内整備をする人たちが、揃いのピンク色のはっぴを着ていた。
 「JARS」の文字とフキノトウの絵
場違いというか異様な光景にも見えたし、袖口や帯が引っかかるなど作業がやりづらいのではないかと心配になるが、竿燈に合わせたものだろうか。
「JARS」は秋田で車内整備を行うJR東日本の関連会社「JR秋田鉄道サービス株式会社」の頭文字だろう。
※秋田新幹線は車庫へ引き上げて車内整備を行うため、はっぴ姿の整備スタッフにはお目にかかれるのは、リゾートしらかみ、つがる、いなほの整備がメインかと思われます。

東京駅でJR東日本の車内整備を行う会社(株式会社JR東日本テクノハートTESSEI)では、2012年からアロハシャツとストローハットで整備を行っているとのこと。こちらはクールビズの一環だそうだが、それもなんか違うような気もしなくない。
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水玉と竿燈

2014-08-05 23:43:19 | 秋田の季節・風景
草間彌生という前衛芸術家がいらっしゃる。
1929年生まれだが、その名や作品が広く知られるようになったのは、ここ10年くらいか。特にここ数年は、創作活動が活発なご様子。
最近は、ものまねタレント・ミラクルひかるがものまねをしていて、なんて言うかシュール。
秋田では、外旭川病院(の系列病院)の屋上に、黄色に黒の水玉の大きなカボチャのオブジェ(「南瓜」2007年作)が置かれていて、市民にはけっこう知られているはず。

今年、「永遠の永遠の永遠」という草間さんの展覧会が全国を巡回していて、今は秋田で開催中。後援に秋田県外の東北各地のマスコミが名を連ねているので、東北地方では唯一の開催だろうか。
会場は秋田駅近くの2か所に分かれているらしく、アトリオン内の秋田市立千秋美術館とエリアなかいちの秋田県立美術館。外旭川のカボチャも、一時的に下ろして県立美術館に展示されているようだ。
特に千秋美術館は、最近はこういう話題性のある企画展をよく開催している気がする。さらに、外旭川病院の経営者は秋田市長の兄だから…とかいろいろ考えてしまうが、実際に遠くから観覧に来る人、竿燈見物のついでに立ち寄る人もいるようだから、街のにぎわいとか、経済活性化には悪いことではないでしょう。

その宣伝のため、秋田駅周辺などでは、水玉模様をよく目にする。
アトリオン仲小路側出入口
千秋美術館があるアトリオンの仲小路側では、玄関前の広いスペースを利用して、赤地に白の水玉の造形物が並べられている。(銀色の角張ったものはもちろん草間作品ではなく、常設)建物のガラスには、赤い丸がシールでたくさん貼られている。
上の写真の右側手前に少し写っているように、ケヤキの木も、幹の下のほうは水玉の布を巻かれていた。冬の「こも巻き」のごとく、下に虫が集まっていたりして?!

そういえば、この時期のここって、例年なら…
 (2010年の写真を再掲)
本物と同じ竿燈を展示する「置き竿燈」が設置されていたのだった。

今年も、大屋根下などにはいつも通り置き竿燈が設置されている(市役所前は工事のためないだろう)。
アトリオン仲小路側は、水玉オブジェに追いやられる形になってしまったようだ。

まあ、ここに置き竿燈を置く意味ってあまりなさそうだし、これでいいのかも。
なお、アトリオン地下の秋田県産プラザ(昔の産業会館)の宣伝のため、ナマハゲがうろついていることがある。運が良ければ、草間作品とナマハゲという光景が見られるかも。

では、仲小路側と比べて玄関前のスペースがさほど広くない、広小路側の出入口は、
竿燈と水玉!
こちらには、小型(子ども用の「小若」規格【6日訂正】小若よりさらに小さく最小の「幼若」か)の置き竿燈が出ていた。その後ろのガラスには、赤い水玉が!

竿燈の提灯の外側の列が赤い水玉のように見えてしまうけれど、これは草間作品の水玉とは関係なく、日の丸の赤丸をモチーフにしているはず。竿燈の提灯ではたまに見られるデザインのはず。【16日追記】「日の丸」ではなく、扇に満月(月丸)の佐竹家の家紋から丸だけを取り出したのかもしれない。
それが、偶然に水玉とコラボレーションというか同化してしまっていた。
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梅雨明け~竿燈2014

2014-08-04 23:50:01 | 秋田の季節・風景
東北地方北部は、7月28日に梅雨明けしたと見られることが発表された。昨年の8月10日と比べるとだいぶ早いが、平年と同日。
梅雨入りは6月6日で平年+8日、昨年+9日だった。

今年の秋田市の梅雨は、たまに雨が降っても極端な豪雨にはならず、“いい梅雨”だったような気もするが…
数値で見てみると、今年の6月と7月の降水量の合計は246.5ミリ。平年値では305.9ミリだから、平年の2割減。
日照時間は今年395.8時間。平年326.5時間だから2割増。空梅雨気味だったということだろうか。今のところ騒がれてはいないけれど、農業への影響は大丈夫だろうか。

梅雨明け後は、ほぼ連日30度前後まで気温が上がり、8月に入ってからは最低気温も熱帯夜一歩手前の24度近くが続き、今頃らしい気候になった。

ほぼいつも通りの季節の移ろいのようにも思えるが、今年は極端に早いと感じるのが、虫。
先月取り上げた通り、気象台でも観測しているアブラゼミは平年より10日も早く鳴き始めている。

気象台では観測していないが、秋の虫も早い。
我が家周辺では、例年、竿燈まつりの期間中に「スイッチョ」という虫の声をその年初めて聞いていた。「竿燈が終わればもう秋か」という感慨にさせられる。
「スイッチョ」と表現されるウマオイではないようだ。キリギリスの一種の声だと思うが、種は不明。【6日訂正】コメントで教えていただいた通り、やっぱりウマオイ(ハヤシノウマオイ)でした。

しかし、今年は7月20日に初めて声を聞いた。
さらに、コオロギはいつもはお盆前頃に鳴き始めるものだが、今年はちょうど今日、初めて聞いた。「リリリリ」という、おそらくエンマコオロギ。(気象台でも観測しているが、いつになるか?)【6日訂正】ツヅレサセコオロギ、いわゆるコオロギの声のようです。
やはり今年の虫は早い。


さて、3日から竿燈まつりが行われている。今年は観覧席の売れ行きが好調だったという。
4日の夜に行ったら、歩道のほうのお客は、平均と比べて少なめに感じた。(個人的な感覚ですが)
天候は良く(最後でほんのちょっとだけ雨がぱらついた)さほど蒸し暑くもなかったのだが、月曜日だから?
これぞ秋田の夏の光景

 

 



秋田市役所竿燈会は国民文化祭を提灯でPR

中央分離帯を挟んで、銀行2行が競演

AABの半纏はまだ旧ロゴ

会場の端は市民には人気の観覧場所。アクセスが容易なことも理由だが、竿燈が集まって上がるので中央部とは一味違った眺めになることも理由だろう。
東端の二丁目橋のほうが駅から近く、遠くまで見通せるためより混雑するが、西端の山王十字路もそれなりに混雑するのが常だったはず。(西側は道路に角度が付いているので、見通しはあまりよくない)
ところが、今日はけっこう空いていた。
最前列は無理でも、3列目辺りからなら見放題

右下に市女笠姿の女性2人が写っている。JA全農あきたの竿燈にくっ付いて歩く「ミスあきたこまち」
明日はなんとか天候が持ちそうだが、最終日のあさっては雨の予報。
コメント (3)
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