広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

719系運用開始に思う

2017-07-31 00:32:47 | 秋田のいろいろ
仙台から秋田へ転属した、JR東日本の普通列車用719系電車が、28日・金曜の夜からついに営業運行を開始した。※前回の記事
ツイッターなどを参考にさせてもらったところ、2両2本が常にいっしょの4両編成として運用され、かつ毎日同じダイヤを担当(固定運用)の模様。
具体的には、
[普通]秋田19時44分→院内21時42分 ※湯沢より先へ行く最終列車
[回送]院内→横手
(夜間滞泊)
[普通]横手6時00分→秋田7時09~13分→追分7時27分 ※横手→秋田の始発列車(平日は羽後境からは先行始発列車あり)
[普通]追分7時34分→秋田7時49分
というダイヤ。所属基地である秋田車両センターにいるのは昼間だけ。

車両の行き先表示は、設定器の対照表によれば、
正面の種別(幕)は回送、試運転、臨時、普通。
側面の行き先(LED)は秋田、横手、大曲、八郎潟、湯沢、院内、追分。


以前からネット上では、「8月から運用開始」という情報が散見されたが、ほぼ当たった。
この点については、昨年、夏祭りの増発・増結に回す701系の余裕がなくなって、仙台支社から車両を借り入れた経緯があったから、それを踏まえれば想像はつく。
金曜の夜から運用というのは、土曜から本格運用とすることで、ダイヤ改正が土曜日に行われるのと同じく、不具合が発生しても、利用客が少ない土日のうちに解消できるようにということ?

運用区間については、乗務員訓練が秋田と横手で行われていたことからある程度の想像はついたものの、具体的にどこからどこでどのダイヤに入るかは、分からなかった。
ただ、ほとんど拡散されなかったが、訓練中の乗務員から教えてもらったとして、今回とほぼ同じ区間で運行するとの書きこみがあった。


ネット上では、719系転属【31日補足・719系という形式の車両がということでなく、転属したことそのものについて】の理由が分からないとか、「秋田-青森の特急「つがる」減便の代替として快速が増発されたので、その運用増分の埋め合わせ」とする声もあった。
この点については、以前から言っているように、「701系2両編成1本(※)が、踏切事故の影響で運用離脱していて、その埋め合わせ」なのは明白で、このことが根本。つがる減便とは関係ないだろう。
※踏切事故に遭ったのは3両編成なのだが、代替として2両編成を3両に組成しているため、結果として2両編成が1本不足している状態。
701系にATS-P対応工事をする間に抜ける分の埋め合わせという話もあったが、その点は不明。少なくとも現時点では、工事を受けている701系はないはずで、根本の理由ではなさそう。

701系とは座席配置が違うクロスシートの719系をあえて転属させたのは、多くの客に座ってもらおうというサービス向上の目的もあるのではないか。だとすれば、長距離の運用に入るのではないかと、期待していたのだったけれど…



予想より運用区間が狭く、時間帯も限定的で、クロスシートである719系の特性を活かしていないというかあえて719系を入れた意味がないというのが、感想。
単なる701系の代理としてしか、719系を使っておらず、もったいない。
行き先表示の内容からしても、現在の運用区間の外で対応しているのは「八郎潟」だけ。種別には「快速」もない。
対照表に記載されていないだけだったり、4両分のLEDデータの更新をするのは容易だろうから、必要になったら追加するのかもしれないけれど、この点からも、広範囲では運用しない方針を感じる。

20数年前、JR東日本が地方線区にも701系のようなロングシート車両を導入した理由は、要は客の車内移動を円滑にして、詰めこみを利かせるため。(そのことが長距離移動客には不評を買ってしまった。)
それから時が経った現在、ロングシートの701系に慣れた学生など若い人が719系に乗ったら、その2または4人掛けの座席では、見知らぬ人と相席になるのを避けて立つのではないだろうか。3ドアだからいくぶんいいにしても、状況によっては、ドア付近に立ち客が固まって、乗降に支障が出てしまいそう。
比較的狭い範囲で、通勤通学・帰宅時間帯限定でクロスシートの車両を走らせるというのは、20数年前の理屈と矛盾している。

前述の1年前の仙台から701系を借りた時も、固定運用で、今回の719系と似ている。
しかし、昨年より夜遅く、朝早いダイヤに入れている。それは、719系を通勤通学・帰宅ラッシュのピーク近くに走らせるのは支障(車内混雑)があり、ピークからずらすことで避けたのか?

だったら、仙台から701系を融通してもらったほうがよかったかもしれない。
あるいは、(以前期待していたように)719系を昼間の新庄行きなどに充当させれば、着席サービスが向上しただろう。20数年前には走っていた特急「こまくさ」がなくなった区間なのだし。



それにしても、ほんとうにこの程度の使い方のために、わざわざ719系を持ってきたのだろうか。
719系は、製造から30年弱であり、足回りにはさらに古い車両の部材を流用している。モーターや制御方式も、前時代と言えるもの。
しかも、秋田支社では、これまで運行したことがなく、乗務員も整備の現場も新たに技術を習得しなければならない。だからこそ、何か月も訓練運転をしていた。
たった4両(実際には一括して1本で運用)、車齢からしても10年も使うわけにもいかないだろうに、非効率的というか大げさというか、そんな気持ちを禁じ得ない。

かつての国鉄では、新型車両を導入する時は、労働組合の了解を得なければならず、激しく抵抗されて苦労したこともあったそうだ。新形式なのに、半ば強引に既存形式の派生形式として導入したものもあったとか。
仮に、今もそんな仕組みが残っていたら、719系の秋田への転属はなかったかもしれない。まあ、横手運輸区の人なんか、普段は701系ばかりだろうから、たまには違う形式を扱えて喜んでいたりするのかも…


なお、追加で719系2両×2本が仙台から秋田へ来るという予定もあったが、実現していない。これについては、仙台支社で、電源操作ミスによって車両が破損する事故【31日補足・交流/直流の電源の境界(今年10月から変更予定)である黒磯駅では、架線に流れる電気を切り替えているのだが、交流電車に対して直流電源を流してしまい、壊れた】があったのが関係しているという話もある。


まったくの憶測(妄想)の話。
秋田支社としては、ほんとうは701系がほしかった。だけど、仙台支社に「701系はまだ使うんだから、(一時的貸与は別として)くれてやるわけにはいかん!」「719系だったら、もういらないからいいよ」と言われて、渋々719系を譲り受けて、嫌々訓練を実施した上で投入した、なんて。
だったら、秋田総合車両センター(旧・土崎工場)に置かれているであろう、事故にあった701系を修理して復活させたほうがマシか…
ともかく、この使い方であえて初めての719系を入れたのが分からない。


せっかく秋田を走ることになった719系。座席の配置からすれば、乗客とすれば歓迎する人も多いはず。もっと有効に使ってほしい。
例えば、観光シーズンの大館行きの臨時快速などには使えないものだろうか。クルージングトレインなんかでなくて十分だし、過去には、701系2両という、飾り気のない臨時快速が運行されたこともあったのだから、719系でも充分。

秋田支社は、特に導入の告知はしていないようだ。今までより古い車両だから大々的に宣伝しづらいだろうけど、戸惑う客もいるかもしれない(帯の色やドア開閉は同じだけど、車内はぜんぜん違うわけで)。
今は高校の夏休み中だから、朝と夜の719系充当列車の乗客は多くはないだろう。休み明けが正念場。混乱は生じないだろうか、そして利用者の評判はどうだろうか。

【2018年2月11日追記】その後、大きなトラブルもないようであまり話題にもならず、順調に719系は運用された模様。しかし、2018年2月3日に故障が発生したらしく、横手駅に数日間留置後、電気機関車にひかれて秋田へ戻ったとのこと。2月11日現在、復帰していない。
【2018年3月3日追記】さらにその後、2月25日頃から運用に復帰しているとのこと。
また、「マイクロエース」という鉄道模型メーカーから、秋田地区の塗装の719系4両セットが7月に発売されることになった。

【2019年11月20日追記】その後もたまに運用から外れることはあったようだが、同じダイヤで運行。
そして2019年11月20日の朝をもって、秋田での運用を終えた。同日夜からは701系3両編成が運行しているらしい(関連記事)。719系の今後の処遇や、701系の運用の全体像は不明。
わずか2年強だけに終わり、やっぱりJR東日本の意図が理解できない。
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大雨雑感

2017-07-28 00:23:27 | 秋田の季節・風景
大雨から1週間経とうとしている。復旧はおおむね進んでいるものの、被害状況の全体像は分からず、まだ不通の道路もある。被害がなかった秋田市中央部は、まったくいつもと同じ。

秋田市の太平川では、東部の広面辺りでは道路が冠水したとのこと。それより下流、桜並木がある楢山~牛島一帯ではおそらく冠水・浸水はしなかったと思われるが、危ないところまで水位が上昇していたのは同じ。そこの現在。
羽越本線の橋の1つ下流側・百石橋。川は左から右へ流れる
水がいつもより若干緑がかっている気もしなくはないが、澄んだ水がさらさらと流れるいつもの太平川。橋や道路、桜も大きな変化はなし。
水に浸かったであろう土手の斜面の草も鮮やかな緑色を保っている。ただ、写真では分かりにくいけれど、草は全部下流方向に倒れている。低い草は、今後の風や自分の力でまっすぐに戻るだろうけれど、背の高い草や、枝が柔らかい低木などは、完全に倒れてしまっているものもあった。しかもそこへ流れてきた枯れ草が引っかかってしまっている(写真中央手前)。
また、写真右側の川面近くまで枝を伸ばした桜の太い枝にも、枯れ草が引っかかってしまっている。除去してあげればいいのでしょうけど…

川岸近くまで下りられて公園風になっているところ。
柵が倒れている
基礎を地面深くまで埋め込んでいない柵なのかもしれないが、下流方向に倒れていた。


その他、個人的に気になったことなど雑感。
・水パック
ほぼ復旧しつつあるようだが、道路や橋もろとも水道管が寸断されるなどして、断水した地域が県内各地に複数ある。由利本荘市岩城(旧・岩城町)では、土砂が水道管に詰まったのが原因で、道川や亀田など比較的広範囲で断水したようだ。【30日追記】この影響で、道の駅岩城の温泉も27日まで休業。

断水した時は、タンクを積んだ給水車が出動し、住民が容器を持参してくんでいく光景が、これまでよく報道されていた。
今回、被災地域に関する生活情報をまとめたマスコミの告知では、「給水車が巡回している」という地域もあったが、別の対応をする所もあった。
「パック入りの水を配布する」というもの。10リットル入りが相場なよう。

初めて知った対応方法。
宅配水・ウォーターサーバーみたいなのかと思っていたら、27日付秋田魁新報に岩城亀田の写真が出ていた。
「非常用/飲料水」と書かれた透明なビニール袋。わりと薄手で柔らかそうな袋で、上部に白いプラスチックの縁取りで補強した穴の持ち手が2つついている。ウォーターサーバーとちょっと違った。

給水車ならば、専用の車両と操作技術を持った職員が必要だが、これなら普通の車と人で配布できる。
受け取る側も、ありあわせの容器より大容量かつ衛生的で、受け取りの待ち時間も少ないだろう。
でも、各家庭から配布場所までは車で行かないとだめだろうし、運ぶにも力がいる。岩城では配布場所は2か所で、必要に応じて各戸に届けているそうだけど。
どっちがいいのか難しい。


・応援アナウンサー
NHKの県域放送局には、原則として正職員アナウンサーが6名配置されているが、応援要員として他の放送局から一時的にアナウンサーが派遣されることがある。

秋田放送局では、これまでも選挙報道やスポーツ中継で人員が不足する時は、仙台や東京から1~3日程度派遣されることがあった。かつて秋田放送局勤務経験のある人が来ることも多く、最近では内藤啓史アナウンサーや津田喜章アナウンサーが来ていた。

災害発生時にも派遣は行われ、今回もそうだった(高校野球中継が重なったこともある)。山岡裕明アナウンサーと高橋康輔アナウンサー。
山岡さんはまったく初見の人。福島放送局所属だそうで、(仙台でなく)珍しいところから来たもんだ。
康輔さんは2014年まで秋田放送局にいた。水戸放送局を経て、今春から東京の放送センター(「おはよう日本」レポーター)。久しぶりにニュースを読む声を聞いたけど、聞きやすい。
週明け頃から来て、テレビでは主に山岡さんが昼、高橋さんが20時45分を担当。もう帰ったのかもしれない。


・こまちリレー
不通となった秋田新幹線の対応は前回の通り。JR東日本関係者の努力により29日始発から平常に戻ることになった。【31日追記】30日付秋田魁新報によれば、工事はまだ続いていて、8月いっぱいは現場付近で徐行運転。※現場の写真はこの記事末尾

秋田駅の発車標は、26日まではちょっと変な表示だったけれど、今日27日は、
「こまちリレー」

「Komachi relay」※前回の記事へのコメントによれば、これではネイティブの人には通じないらしい
名前は欠けることなく表示されたけれど、今度は「号」数が消えちゃったよ。
文字サイズは大きいままで、「こまち」の上端が切れている。日本語の場合「リレー」は半角にすれば、改行しなくても収まりそう。全体に文字の横幅を詰める設定もできなかったっけ?
【30日追記】ところが、28日には、再び以前と同じ表示に戻ったらしい。


それにしても、前回の記事に、異様なほどのアクセスをいただいている。
原因が原因だけに手放しでは喜べないし、見てもらったところで(鉄道好き以外の人には)役に立っているかしら…

あまりアテにならないgooブログのアクセス数表示によれば、記事単独では26日1日で1100人。通常は多くても100くらいなのに。【追記】27日には635、28日には372、29日には112。
ブログ全体では2208IPで、平均の倍弱。gooブログ全体で59位になってしまった。【追記】27日は1793IP、86位、28日は1546IP、109位、29日は1323IP、149位。
瞬発的(1日単位)には東北観光博の誤訳とか東北六魂祭の写真をしのぐ数であり、SNSなどのリンクからではなく、検索エンジンで各自検索してのアクセスが多いのが特徴的。


さて、太平川の桜並木の下には、いろいろな花のアジサイが花を咲かせていた。人為的に植えているのだろうか。
白い装飾花が目立つガクアジサイ。両端は別のアジサイ
アブラゼミが本格的に鳴き出し、夏本番になりつつあるけれど、しばらくすっきりしない天気が続きそうで、梅雨明けは8月にずれこみそう。
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こまちリレー号

2017-07-26 00:35:43 | 秋田のいろいろ
22~23日の大雨により、秋田駅から内陸南部・上り方面のJR奥羽本線(秋田新幹線も含む)が被害を受けた。
線路の路盤の盛土が流出し電化柱が傾いた所があり、その場所は羽後境-峰吉川間(秋田魁新報によれば、同区間でもう1か所、被害を受けたようだ)。

24日は、秋田新幹線は減便の上、大曲折り返し。大曲-秋田で代行バスを出した。
本数が減らされたのは、大曲駅のホームの数の制約のほか、秋田新幹線の車両基地は秋田なので車両のやり繰りがつかないのかもしれない。
24日の秋田駅中央改札口。右の新幹線側は閉鎖
JR東日本の運行情報サイトや報道では、24日は秋田-大曲の奥羽本線の在来線普通列車も全便運休とされていたが、上の写真で時計の左隣、大曲方面の発車標は表示されていた。
羽後境行き
午前中から、夕方以降に羽後境行きが3本運行【27日追記・秋田発時刻は、定期列車と同じだが、本数は少ない。定期列車を間引いて羽後境止まりにした形】されることになっていた。(実際どうだったかは不明【コメント欄参照】)
通常はない「羽後境」行きが3行も表示される、珍しい光景。
Ugo-sakai
ただし、普段から平日朝には羽後境始発秋田行きの下りが1本あり、駅の構造上折り返しは可能なようだ。たしか701系の行き先表示に「羽後境」もセットされていたはず。


25日からは、秋田新幹線は未復旧ながら、在来線側は復旧。普通列車は平常運行に戻った。
秋田-大曲では、元は在来線幅の狭軌の複線だったうちの片方を新幹線幅の標準軌にし、もう片方は狭軌のままの「単線並列」。
過去のこの区間での大雪による運休の場合などは、新幹線側が先に復旧していたはずで、今回もそうなるかと思っていたのに、在来線が先とは意外。
というか、路盤が流出したのなら、素人考えではどちらの線路も同時進行で復旧しそうなものなのに。
【30日追記】30日付秋田魁新報によれば、盛り土が流出したのは新幹線側だけだったとのこと。延長70メートルに渡って崩落。

これにより、代行バスの運行は終了。
秋田新幹線は引き続き大曲発着で、1日7往復(うち下り始発は仙台-大曲)に減便。
大曲-秋田は在来線に乗ってもらうことにし、定期普通列車に加え、ノンストップの臨時快速「こまちリレー号」が運行されることになった。

「こまちリレー号」は、上り5本、下り6本設定。接続するこまちと同じ号数を名乗る。
秋田-大曲は、「こまち」では30分、在来線各駅停車では50分前後、朝に1本だけの3駅に停まる快速は43分かかる。
「こまちリレー号」は、35~48分。ただし、「こまちリレー9号」だけは大曲12時42分→秋田13時35分で53分と、各駅停車をしのぐ(?)鈍足。どこかの駅での行き違い停車が長いのでしょう。

「こまちリレー号」が設定されているところでは、基本的には定期普通列車と乗り継ぐよりも、大曲駅での待ち時間も、秋田の出発/到着時刻も優位に設定されている。
しかし、上りの午後早い22号と26号では、大曲で定期普通列車が10分以下の待ち時間で接続しており、その前にリレー号が入っている。リレー号からの乗り継ぎ時間は30分ほどあり、秋田発も15~20分ほど先で、臨時快速に時間的優位性はない。定期列車のダイヤを変えるわけにもいかないから、やむを得ないか。


事前のリリースや報道では、「こまちリレー号」の使用車両は分からなかった。
ひょっとしたら、2両編成×2本が転属してきた719系電車が使われるのかと、期待した。
でも、最低2本ないと回せないダイヤだし、2両編成では客数に対して不足そう。特急「つがる」用E751系(の予備編成)を使うほどでもないし…

結局、オールロングシートの701系の3両編成が使われた。
25日は、N10編成と、あのN29編成(踏切事故で破損した代替に、2両編成を3両化した)が充当された。
1時間以下とはいえ新幹線乗り継ぎ客をロングシートに乗せること、場合によっては座れない人も出るであろうことは、いかがなもんだろうか。
701系だったら、上記22・26号は、定期列車を増結してもよかったのでは?

秋田-大曲ノンストップの快速といえば、8月の大曲の花火の時の臨時列車として1本程度運行される列車もある。そちらは、標準軌のほうを、田沢湖線用の普通列車(701系5000番台)が走る(標準軌=standard gageの略か「SG線」とリリースに表記されることがある)。狭軌側としては今回が初めてか【26日補足・山形新幹線新庄延伸直後に、特急「こまくさ」が格下げされた快速「こまくさ」も、現在の朝の定期快速と同じ停車駅だったはず】。
この区間は、701系の最高速度である110km/hで走行でき(秋田支社管内他区間は95km/h)、力強い走りを堪能できそう。
新幹線の特急券を所持していないと乗れないといった制限はないようだから、青春18きっぷなどでも乗れるのだろう。


秋田駅の発車標は、以前は臨時列車ではメチャクチャな表示になることがしょっちゅうだったが、フルカラー表示器に更新されてからは、いつもきれいに正しく表示されていた。「快速 こまちリレー○号」もそうかと思いきや…
「快速こまちリ 26号」!
「こまちリ」って… 久々におかしな表示。
「こまち」と「リ」で表示位置が上下に少しずれている。
長い列車名の臨時列車では、このように位置をずらして2行に表示するのだが、その場合は文字が少し小さくなる。
おそらく、文字を小さくしないで、表示位置だけ2行用に設定してしまい、かつ「26号」もあって隠れてしまい、「レー」が消えてしまったのだろう。
英字では、
「Rapid Komachi No.26」
「relay」は消えたのか、意図的に入れなかったのか。でも、「Komachi relay」としたところで、英語として通用するんだろうか?

改札内の3色LEDも同じ

なお、朝早い段階では、単に「快速」だけだったようだ。
車両の行き先表示は、「快速/大曲」のものもあったらしいが、テレビに映ったのは「臨時」だった。【26日追記・ヘッドマークなどはなし】
※27日からは表示が変わった。この記事後半。ところが28日にはまた元に戻った。


「こまちリレー号」運行を知って、ネット上ではかつての「リレー号」を連想した人が見受けられた。
多かったのは、1997年の秋田新幹線開業時から首都圏で運行されていた同名の列車。そういえば、当時時刻表を見て、どうしてこんな場所で「こまち」なのか、よく分からなかった。新幹線接続を強調したかったのだろう。【26日追記・快速列車で、新幹線乗り継ぎに関わらず、誰でも乗車できた】
府中本町・八王子方面から大宮まで、武蔵野線や貨物線を通って1日数本運行されていたそうで、後に「新幹線リレー号」となり、2001年に新幹線接続にこだわらない「むさしの」となって、今も続いているようだ。【26日追記・当初は169系などボックスシートの車両が使われていた】

ほかには、秋田新幹線工事中の1996年度、特急「たざわ」の代替として、秋田-北上間で運行されていた、特急仕様キハ110系気動車による特急「秋田リレー号」も。今回の運行区間と一部重なる。【26日追記・特急だから特急料金は必要。新幹線に乗り継ぐかどうかは不問】

個人的には、リレー号といえば、1982~1985年の東北上越新幹線が大宮発着だった頃、上野-大宮で運行されていた「新幹線リレー号」。リレー号という列車名が一般化したのも、これがきっかけじゃないだろうか。【26日追記・これは新幹線の特急券を所持していないと利用できなかった。新幹線特急券と上野-大宮で有効な乗車券があれば、追加料金は不要】


7月中の完全復旧を目指すとのことで、利用者はしばしの辛抱。【26日追記】29日・土曜日始発から完全復旧することが、26日に発表された。したがって、こまちリレー号は28日までの運行。
ところで、719系。乗務員訓練の試運転は終わったらしく、側面の帯が701系と同じピンク色に替えられた(正面は黒のまま)。先週末の時点では、4両そろって、秋田車両センターの隅に置かれていた。いつ運用が始まっても良さそうな状態だと思う。
8月から営業運行開始というウワサが、以前からちらほらあるのだけど、いかに?!【28日追記】28日夜から運用が始まったとのこと。いずれまた
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大雨 秋田市中央部では

2017-07-23 20:41:17 | 秋田の季節・風景
22日から、秋田県内では記録的な大雨。
幸い人的被害は出ていないようだが、由利本荘市(旧・大内町エリア)や大仙市の雄物川上流などを中心に県内全体では、河川の氾濫、家や水田の浸水、集落孤立、鉄道の運休、土砂崩れによる道路通行止めなどが発生。秋田新幹線が走る区間である大仙市峰吉川の奥羽本線では、架線柱(電化柱)が傾いてしまった。
いずれも被害が大きく、復旧に時間がかかってしまうことだろう。

秋田市内にも土砂災害警戒情報と、一部地域に避難勧告が出ていることが報道され、他地域で心配してくれている方々もいらっしゃる。情報が少なくあまり参考になりませんが、簡単にまとめておきます。
秋田市で避難勧告が出たのは、旧・雄和町エリアと、西部地区に分類される浜田、下浜、豊岩、南部の牛島、大住、仁井田、東部地区の太平、広面といった一帯。
これらでは、水浸しになって、車が通れなくなっているところもある。
秋田中央交通の路線バスは、太平・岩見三内、下北手方面は大学病院、大住・みなみ野団地線は南高校でそれぞれ折り返し。太平山へ登る仁別線や、雄物川近くを通る卸町経由新屋線は迂回運行。【23日22時追記】駅東団地線は、駅西口~城東消防署で折り返し(消防署~駅東団地運休)。消防署のほうが太平川には近く、また駅東口発着路線は影響がないようだから、川から遠い東通の住宅街の一部も浸水していたのだろうか。
河川改修前はしょっちゅうあふれていた北部の新城川流域でも避難勧告が出ているが、詳細は不明。

国土交通省「川の防災情報」ホームページのデータによる水位の変化。
・雄物川「新屋」観測所(秋田大橋下流の秋田運河分岐点付近。避難判断水位と氾濫危険水位は未設定?)
通常0.5メートル程度。※深い場所はもっと深いはず。観測機の設置位置が浅瀬ということか?
23日7時に氾濫注意水位の3.8メートルを越え、12時以降4.8メートル前後で推移。現在は微減傾向。
雄物川は河川敷が広くキャパシティは大きいもののなかなか減らず、かつ上流であれだけの被害なので、今後が心配。
・猿田川「仁井田」観測所(福島橋付近)
通常0.4メートル程度。
23日2時に避難判断水位2.5メートル、4時に氾濫危険水位2.7メートルを越え、14時に3.29メートル。以降減少中ながら、まだ氾濫危険水位。
・太平川「牛島」観測所(羽越本線橋梁付近)
通常0.6メートル程度。
23日6時に避難判断水位3.3メートル、7時に氾濫危険水位3.7メートルを越え、11時に4.18メートル。以降減少し、16時に氾濫危険なし。
したがって、秋田市内では、南部の雄物川・猿田川と東部の太平川の流域を中心に、被害が発生しているようだ。

一方、秋田市中央部。冠水などの被害は、おそらくまったく発生していない。
・旭川「中島(指定)」観測所(保戸野川反橋
通常0.6メートル程度。
23日8時の2.92メートルをピークに、6時から11時まで氾濫注意水位(2.73~3.42メートル)であったが、避難判断水位・氾濫危険水位には達しなかった。
23日15時頃、秋田北高近くの保戸野新橋。この時点で2.4メートル程度
旭川は時々ある増水よりちょっと多い程度で収まった。
考えてみれば、この上流には旭川ダムがあって、どうもそこで水量を調整できているようだ。

ほかに秋田市内を流れる雄物川水系の新城川や草生津川は、現在は心配ない水位まで下がっている。旭川も含めて、秋田市北部や中央部では、雄物川本流流域ほど雨が降らなかったおかげもあるようだ。
秋田市中央部では、22日からトータルで127ミリほどの降水。300ミリ超降った雄和や横手よりずっと少ない。
22日深夜から23日未明にかけては、1時間に10ミリ以上が降り続けたものの、昼前には止んだ。上の写真の通り、午後には薄日も差して、路面も乾いた。
秋田市中央部では、申し訳ないほど影響なく終わってしまいそう。感謝するとともに、今後のために水位データの入手方法、「○○水位」の意味などを日頃から意識しておくことにしたいものです。

【25日追記】25日付秋田魁新報によれば、今回の大雨は梅雨前線の停滞によるもので、昨今多い、線状降水帯によるものではないとのこと。
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地下道の人魚

2017-07-21 00:20:47 | 秋田の季節・風景
車道の下を通って歩行者が行き来する「地下横断歩道」、いわゆる地下道。
秋田市中央部のものを紹介したことがあったけれど、もっと新しい地下道もある。
秋田市東部・秋田駅からいちばん近い田んぼの近く。駅東口から秋田中央インターチェンジへ向かう県道62号線は、「広面大橋」で太平川を渡る。その広面大橋の東側。
右奥は対岸のノースアジア大学
県道や橋といっしょに造られたと思われる、県道をくぐる地下道がある。特に名称はなさそう【9月27日訂正・「南団地地下道」という名称だった。現地の表示の写真がこの記事中ほどに】。開通年は不明だが、ここを通っていたバス路線(市営バスから中央交通へ移管され、現在は廃止)は1998年頃に開設されたので、その辺り。
ちょっと複雑な出入口
中央部の古い地下道とは違い、幅は広く、階段でなくスロープで出入りするようになっていて、自転車も通行できる。「自転車は降りろ」との掲示はないはずで、ということは乗ったまま通行できることになる。幅は広いけれど、やはり曲がり角で出会い頭にぶつかる危険はあるから、通行時は気をつけていただきたい。

県道のここより西側(駅寄り)では、県道開通前からあった狭い道と交わる信号機付きの交差点がいくつかあって、いずれにも横断歩道があるのだが、ここだけ地下道。
橋のために既存の道とは高低差がついてしまい、平面で交差・横断させるわけにはいかず(既存の道は分断された)、歩行者自転車の便宜を図って造られたのだろう。横断歩道まではやや遠いこともあり、それなりに利用者はいるようだ。


内部
よくある地下道といったところで、内部の壁面はタイル張りなのだけど、その中央部両側には、
こんなモノが!
素人にはよく分からないけれど、青系統の雲みたいなものがデザインされている。「壁画」?

その雲の中には、太陽みたいなのが大3つ・小1つあり、うち小1つは、
人魚が両手で掲げる?
それにしてもこの人魚、素っ裸。公共空間である道路にあり、それを管理する役所が設置したものとしては、なかなか刺激的ではないだろうか。

金髪で西洋系の顔立ちの人魚さんだけど、一般的な人魚よりやせているし、尾がはみ出るほど長い。
人魚が太陽を持っている(熱そう。それに陸上なのか水中なのか?)というのは、何か意味があるのだろうか。
それ以前に、秋田市広面の地下道に人魚がいる意味って… 太平川に人魚伝説でもあるのか。それにしては洋風だし。
壁画そのものも、誰が、どんな意図でデザインしたのか。知りたい。


住宅街にあって利用者が限定されてさほど多くない、シンプルな地下道に、こんな絵が設置されるとは、(時期的には少し後なのでそうではないが)バブリーな雰囲気がある。(参考:バブル崩壊辺りにできた手形陸橋北側歩道はいろいろと装飾があった)
だいたい同じ頃(1995年)にできた、秋田サティ(現・イオン秋田中央店)のトイレの壁紙は、パステル調というか淡い色に貝殻などがデザインされたもので、なんとなくこれと通ずるものを感じるような。※現在も、一部のトイレでは残っている。
現在造られる地下道だったら、近隣の子どもが書いた絵とか、多少のデザイン性のあるタイル張りならいいほうで、単純なコンクリートの壁になっているかもしれない。
西側の横金線と交わる城東十字路には、規模の大きい横断地下道「広面ジョイパス」があるけれど、そちらには絵などはない。

ひっそりとたたずむ地下道の人魚。
あと、「地下道の人魚」って、中島みゆきの「地上の星」の歌詞に出てきても不自然じゃなさそう。


ちなみに、広面大橋を渡って太平川の対岸。
左右が県道。右が広面大橋・秋田駅方向
こちら側も、県道の下に地下道があった。
こちらは車も通行することができる、ちゃんとした「アンダーパス」だけど、装飾の類はない。
入口に木が生えている
こちらには、黄色い回転灯の冠水警報装置と、地下道の識別番号を表示して衝突時などに連絡してもらうための緊急時通報板がある。いずれも秋田市道路維持課が設置しているアイテムだから、課のホームページを見ると、この下の道路は「下北手横断農道」だそう。(アンダーパスの名称がそのように受け取れる記述だが、名前からすればくぐる道の名前だと思われる。)
それに、緊急時の連絡先は、秋田県庁の道路管理部門(振興局なんとか班とかややこしい所)。市道路維持課のホームページでも、ここの管理者は「秋田県」となっている。

秋田市が設置した表示板は17か所あって、そのうち県管理は1番の外旭川アンパスと2番のここだけ。
外旭川アンパスは、上がJRで下が県道。3番以降は、いずれも下は市道。下を通る車がぶつかった時、そこの道の管理者に連絡することになっている。
ところがここだけは、上が県で下が農道で、連絡先は上の道の管理者。農道は、農林水産省管轄だそうなので、農水省へ連絡されても対応できないからだろうか。

あと、この道が「下北手横断農道」という仰々しい名前。
だって、北側は田んぼに住宅地が迫っているし、地下道の向こう南側はおそらく行き止まり。昔は名前にふさわしいものだったのかもしれないけれど、今は宅地化と道路建設により寸断されてしまったのだろうか。あと、南北方向の農道だから、「横断」でなく「縦断」のような気もする。
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さらばカンちゃん兄弟

2017-07-19 00:01:44 | 秋田の季節・風景
昨日のオーパの西隣の話題。
道路拡張が行われる予定の場所で、先立って下水工事が行われていた。
2016年7月には広小路側に「防音ハウスパネル」という大きな構造物で現場が覆われ、その中で工事が進んでいた。※直近の記事
(再掲)

今年4月中旬には構造物は解体されたが、仮囲いが設けられ、引き続き工事がされていた。
現在は、
仮囲いも撤去
簡易なコーンと棒で仕切られただけの状態。
現場中央部では、さらに仕切り
資材も少し置かれているものの、ほぼ完了だろうか。
【24日追記】この後、24日までに道路に面したコーンと棒が、薄い棒というか板でできた柵に変わっていた。

上の写真奥、三宅ビルのローソンが拡張されたのが分かる。「薬」「日用品」とある面は、以前は居酒屋だった。


さて、以前、秋田市上下水道局のマスコット「カンちゃん」こと「水乃 環太朗」が、おかしい工事現場を紹介した。
手がきでバランスがおかしいばかりか、本来は1人だけのカンちゃんが男ばかり4人兄弟になってしまっていた。
明言していなかったが、それがこの工事現場だった。

防音ハウスパネルの裏、拡張予定の細い道側の隅にあった、誘導員詰め所のようなところに描かれていた。
(再掲)長男
「長男」だけは北向きに描かれていて、そこはフォーラスの搬入口の隣に当たる。フォーラスのオーパへの改装工事が始まって、そちらの仮囲いによって、まずは長男が隠れてしまった。

3人揃った二男~四男は反対面なので隠れず、ハウスパネル撤去後も残っていたが、仮囲いとともにいなくなってしまった。
(再掲)二男~四男
上の画像を掲載した前の記事は2月20日アップ。その後、3月中旬頃に、二男~四男にちょっとした変化が生じていた。
こうなった。奇妙な衣装・足先は変わらず ※右の四男の頭の矢印は、絵とは無関係の作業上必要な印の模様
以前の絵を上からなぞって、線を太く・色を濃くされていた。左の二男の頭の水面に、黒と赤の点が3つ書き加えられたけれど、魚?

さらに、以前は余白だった上部に、「「カンちゃん」水乃環太朗です。秋田市上下水道局マスコットキャラクターです。」「詳しくは[秋田市上下水道局]カンちゃん's Roomで。」と説明が書き加えられた。ネットで上下水道局公式サイトを検索して、その中の「カンちゃん's Room」のページを見ろということのようだ。
だけど、「カンちゃん's Room」を見たとしても、そこにいるのはこれとはちょっと(だいぶ?)違うカンちゃん。
「ここに描かれているのはニセモノです」と宣言してしまっているも同然のような…

一度見たらクセになりそうな(?)、手がきカンちゃん。ほかの工事現場で、再び会えることはあるかな。

※工事が行われた道路予定地のその後はこちら
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OPAの鉄建イラスト

2017-07-18 00:08:30 | 秋田の季節・風景
秋田駅前(西口側)のフォーラスからオーパへの改装工事(6月1日の記事)の続き。
バス乗り場越しに現在の光景 ※「×」はガラスの網です
前回の記事以降、まずは屋上の看板部分も囲われて、「FORUS」の名が消えた。

そして、正面側に2つの表示類が新たに設置された。
6月中旬~下旬頃には、3~4階辺りに「新しく生まれ変わります/秋田オーパ 今秋オープン」が設置。屋上の看板もなくなったし、少し離れた位置からも、オーパができることを分かりやすくということだろう。

7月に入ってからか、スクランブル交差点前の歩道沿いには、こんなもの。(上の写真では、バス乗り場の屋根に隠れてしまっている)

どこかで見たことがある雰囲気のイラスト。
秋田駅のリニューアル工事現場に出ていた(この記事など)イラストと似ている!
駅のイラストは、施工会社「鉄建建設」の名前だった。

オーパの工事は鉄建建設と「シブヤ建設工業(本社秋田市)」の連名。両社の共同企業体(JV)が施工していた。JRとは関係がないはずのこの工事も、合同とはいえ鉄建がやっている(鉄道関係専業ではないそうだけど)のか。
そんな関係で、鉄建が絵をかいたようだ。
右側が欠けています
秋田駅にもいた、鉄建マーク入りの雌雄の4本足のハチがいる。
横に6個並んだ竿燈用と思われる提灯のマークには、鉄建とシブヤ建設工業のロゴが3つずつ。
全体的には、夏をイメージしたようだけど、時期外れのナマハゲがいる。駅の工事の絵にもナマハゲがいて、何やらロゴ(カット集か何か?)の透かしが入っていたが、こちらには透かしはないようで、デザインも異なる。

中央には、大きく竿燈が描かれているが、なんかいろいろと…
まず、全体の提灯が28個。実物は24個または46個なので、実際にはありえない規格外の竿燈だ。
その提灯の紋は、葵の御紋みたいな【18日追記・あるいはベンツのロゴみたいな】柄。こういうのも存在しないけれど、何を意味するのか。
2人の男がいて、うち1人が竿燈を上げているようだが、それもおかしい。竿燈の竿が地面に固定されているように見え、男は片手で握って支えているだけ(手を添えているだけで支えてさえいない?)のように見える。実際には、寝かせていた竿燈を立てる時であっても、竿を地面につけることはしないはず。【18日補足】観光客との記念撮影時には地面に竿を立てることもあるはずなので、ご法度というわけでもないのだろう。でも、通常の演技を披露する時に地面に立てることはない。
しかも片足立ち。
衣装も、なんか「がほっ」としているし、色も違って、安物のハッピっぽい。
【19日追記】一方で、竿燈のてっぺんに御幣が付いていて、全体的なバランスには不自然さはない。まったくいい加減というわけでもない。(他のイラスト化された竿燈でも、提灯の数が正しくないものは多い。デザイン上省略したほうがいいのだろう)

鉄建さんは秋田の企業じゃないし、描いた人も秋田の人ではなく、実情をあまり知らないでかいてしまったのだろう。

この隣の下水工事現場について
OPAの工事についての続き
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こころ旅であの場所が!

2017-07-16 00:14:58 | 津軽のいろいろ
火野正平が、視聴者から寄せられた「こころの風景」を自転車で訪れるNHK BSプレミアムの「にっぽん縦断こころ旅」。
高知から北海道へ向かう2017年春の旅も終盤。7月10日の週は、放送開始7年目にして7度目の青森県。

月曜日の朝には、採用一歩手前だった手紙数通が、現地の写真とともに簡単に紹介される。
その1つは、弘前市の「新坂(しんさか)」の思い出だった。弘前公園南西の藤田記念庭園前から岩木川方向へ下る坂。坂の存在は知っているけれど、そういう名前だとは、聞いたことがあるようなないような。
このような大きな坂が、弘前の代表的な風景の1つ。ブラタモリではそこに触れなかったのが、意外で残念。

本編4回の初日(654日目)火曜日は、鰺ヶ沢のスキー場から、雨の中、坂を下って港まで。

そして水曜日は、弘前市(旧・相馬村)のそうまロマントピアスキー場から、平川市長田村下(旧・尾上町?)まで約17キロ。
弘前市中央部を西から東へ抜けるルートととなるはずだから、弘前公園周辺でも通るかと思ったら…

※この番組は、目的地到着前までを14分にした「朝版」と、出発から到着まで29分の「とうちゃこ版」からなり、両者で編集が異なる(=朝版は単なる短縮版ではない)。例えば食事の風景や途中で出会った人とのやりとりなど、朝版では放送されたのに、とうちゃこ版ではカットされたり、あるいはその逆の場合もある。以下、その旨を表記します。

この日は、「今日は監督(=あらかじめルートを知っている担当ディレクター)さんが、心が折れる(=上り坂)のが2つある」とあらかじめ言っていたそうで、1つ目は出発間もないであろうリンゴ畑の近く。

その後、家が立ち並ぶところを走るシーンに変わる。
【朝版のみ】右側に深く掘られた狭い川、ピンク色のアパート(フェリースマンション)を左に曲がると、
【朝版・とうちゃこ版とも】道の先に急な坂。その奥に11階建てのビル。
(再掲)こんな場所 ※路面のカラー舗装や右の看板など、現在とは異なります
見覚えのある光景だ!(と言いつつ、このルートで通ったことはほとんどないのだけど…)
弘前市の寒沢町(坂に向かって道路より左側)・西ケ丘町である。
川は土淵川、ビルは弘前大学理工学部2号館。そして2つ目の難所である坂が、寒沢スキー場
※この辺りを放送後に訪れた

「あんなの大したことない」
坂の上には弘南鉄道大鰐線の踏切があり、「止まれ」と路面標示がある。
「『止まれ』って書いてあるでしょ。心配しなくても止まりますよね」
「ちょっとがんばって行ったろ。短いよこりゃ」「ほら。こんな簡単や」
と、一気に上りきったものの力尽きたのか、乗ったまま再スタートして平坦な踏切を渡ることはできず。降りて押して歩く。「疲れた」
スタッフに「あそこで止まれは酷ですよね。踏切だからしょうがないんだけど」と言われる。
【2018年1月6日追記】この踏切は「西ヶ丘踏切」という名称らしい。現地に表示はないが、2017年末に高齢者の事故があり、その報道で判明。

そういえば道路交通法では、自転車も含めて踏切の手前で停止して安全を確認しなければならないのに、ここはご丁寧に「止まれ」の路面標示があるのか。
残念ながら、弘前周辺では、踏切で止まらずに渡る車が少なくないように感じている。自分の命ばかりか、他人の命、さらには多額の賠償を請求されることもあるのだから、必ず安全確認してほしいし、青森県警察本部や各鉄道会社等は、徹底した周知・指導・取り締まりをするべきだと思う。
信号機のない横断歩道での歩行者保護の不徹底については、秋田も青森も同じくらいだけど、秋田では踏切はほぼ必ず止まっている。

「寒沢スキー場」の名や冬は大変そうといった話は出なかった。
その先を右折すればバカヤローカーブだが、直進。
弘前大学文京町地区(先日紹介したばかり)を東西に貫き、文京町1番地(左側・正門のあるほう)と3番地を分ける市道を進む。

【とうちゃこ版のみ】
「あ、弘大だ。ここ来たじょ、前」「校歌を屋上で聞いたなあ。学食でメシも食ったな」
2011年(だから最初の年か。まだ見ていなかった頃)のこの番組で訪れており、正しくは校歌でなく「寮歌」だそう。
「じゃあ、みんなあの頃いた人は卒業しちゃって」「懐かしいな。といっても決して俺の学校じゃないんだけど」
と話しながら、ほぼノーカットで、富田大通りに出る直前まで放映された。
「へえ。学校の真ん中通った」
弘大を再び訪れるべく、このルートを選んだのだろうか。

先日触れた、理工学部の5階建て部分も映った。リニューアル後の姿を意識して見たのは初めてだったが、他の建物よりグレーの部分が多いデザインになっていた。
相変わらず路上喫煙する大学関係者がいて、恥ずかしいことにその姿も放映されてしまった。
以前の繰り返しで恐縮だが、受動喫煙防止とか言うけれど、これでは学内がいくらクリーンになっても、通行人(大学関係者のみならず一般市民)は受動喫煙しても構わないことになっている。
古くからここにキャンパスを構え、地域と共生する弘前大学がこれでいいのか。ここの場合、教職員も学生も多数通って、路上喫煙の実態を知っているはずなのに、誰一人、問題提起しないのだろうか。世界的な流れや厚生労働省が決めたことでもあるけれど、弘前大学の対応はやっつけ仕事だ。
全面禁煙を撤回し、敷地内に喫煙所を設けた秋田大学のほうが、逆行しているものの、ずっとよく考えた現実的な対応だ。


【朝版・とうちゃこ版とも】
「松森町角」バス停。前のシーンから1キロ弱、富田町。道路の通称はないと思うが、奥羽本線(ユニバースの踏切)、弘南鉄道弘南線・弘前東高前駅までまっすぐの道。
「この通り沿いでごはんを考えましょうか」とディレクターに言われ、すぐ先が「取上」交差点。
その角の「つがるひろさき食堂」というラーメン屋に入って冷やし中華を食べる。
たしか以前、サークルKだった建物。ストリートビューによれば、2015年8月時点では、似ているけれど別の名前のラーメン屋だった。

【とうちゃこ版のみ】
居合わせた客(冷やし中華を食べていた)に、「みそカレー牛乳バターコーンラーメン」を勧められ、スタッフたちが食べる。好評。

【朝版のみ】
食後、店の向かい側の建物を見つけ、「この店ちょっと古いな」。
「農業用具 高木商店」で昭和4(1929)年築とのこと。
店の奥様と記念撮影。最初、スマホが動画モードになっていて、撮り直す。

高木商店は、例によって名前は知らなかったけれど、存在は知っていた。この土手町に至る南北方向の青森県道260号線は旧羽州街道で、こんな雰囲気の店がちらほらある。
20年前から古くて風格のある建物だと思っていたけれど、今もほぼ変わらない姿のようだ。でも、思っていたより新しい。てっきり明治時代かと…

あと、取上交差点では、信号機が樹脂製縦型からフラット型横型に更新(東西方向は両面設置から片面に削減。歩行者用も樹脂から薄型に。2014~2015年更新のようだ)されていたり、ストリートビューで見たら、ラーメン屋の斜め向かいの薬局はやめていたりといった変化。


前半2回は、岩木山が眺められる場所だったが、いずれも天気が悪くてほとんど見えず。
正平さんも岩木山は好きだそうだが、この番組では過去も含めて、岩木山がきれいに見えたことは少ない。
寒沢スキー場でも、条件がいい日に振り返れば、きれいに岩木山が見えるのに。
(再掲)これだけでも、こころの風景になりそう


後半2回も、平内町(浅虫ダム展望台出発)と外ヶ浜町平舘と、いずれも津軽エリアだった。
外ヶ浜へは、青森駅そばの青い海公園で手紙を読んでから、津軽線で蟹田まで輪行。
乗車したのは701系3両編成の普通電車。この津軽線での踏切事故によりN5編成の先頭車が破損したため、代替として2両編成のN19【16日訂正】N29編成の中間に、N5編成から外した1両をつないで3両にした(この記事参照)、因縁の(?)編成に当たった。
この車両に乗った経験はないが、朝版の映像(元2両だった先頭車に乗車)によれば、ウワサ通り、3両編成では使わないワンマン運転用運賃箱はそのまま残され、2両編成時代は鳴っていたドアの開閉予告チャイムは、他の3両編成に合わせて鳴らないようにされていた。したがってドアが開くタイミングは、本来の3両編成と同じ。【16日追記】液晶式運賃表示器もそのまま。3両化時点では旧タイプだったドアボタンは新タイプに更新されていた。
また、運転席周辺にやたらと乗務員がいたが、公式ブログによれば「運転手さんの試験が行われていました。」とのこと。写真では運転士以外に5人写っている。
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サテラ伊藤おが

2017-07-12 00:10:32 | 秋田のいろいろ
7月から放映が始まったのだろうか、最近、おもしろい秋田ローカルのテレビコマーシャルが流れている。
こんな流れ。※セリフと同時に字幕も表示される。

記者会見会場で、中年男性が発表する。【8月9日追記・若干秋田なまりで】
「私、この度、名前を『サテラ』に変えます。」
「サテラ伊藤です!!」

記者の1人が、
「んだば おが でねーすか?」
周りからも「おがだ!」「オガだ!」と声が飛ぶ。

サテラ伊藤は、
「んだす!」
「サテラ伊藤おが です!!」
と自信たっぷりに答える。


そこへ突然、
「サテライト男鹿/オートレース男鹿」
とロゴマークやジングル、「オートレースも。ほぼほぼ毎日開催中」が挿入。

サテラ伊藤が「来てけれ~」と言って終わり。
【13日追記】「おもしれど~」と言うバージョンもあった。微妙に違う複数のパターンがあるのかもしれない。

「サテラ伊藤おが」→「サテライト(ウ)オガ」→「サテライト男鹿」というわけである。
最初見た時、何のCMか分からず、「サテラ」という見知らぬ企業のCMなのかと思いこみそうになった。
後半まで秋田県男鹿市にある場外車券売場・サテライト男鹿だと気づかず、なかなかよくできたCMだと感心。
【24日追記】スタジオセットは、ローカルCMらしく簡易なもの。そんな中、バリトンさんの前にたくさんのマイクが置かれていて、記者会見会場らしいリアルな雰囲気。だけどよく見たら、本来はまずあり得ない、ワイヤレスマイクや、ピアノやギターの弾き語りをする時に使うような、床置きで途中で角度を付けられるマイクスタンドが混ざっていた。上手にごまかしていると言えばいいのか、この点の努力もなかなか。


このCMは、秋田弁が分かる人でないと、そのおもしろさが伝わらない。あと、中年男性が何者かを知っていたほうがよりおもしろいだろう。

なぜなら、まず、出演している男性は、ローカルタレント「バリトン伊藤」氏。
20年少し前、秋田テレビのローカル番組「なんでもアリーナ」を、石垣政和、シャバ駄馬男、ブラボー中谷らとともに盛り上げ、現在も活躍。洋裁の造詣と技術があり、秋田魁新報に連載を書くなどしている。
以前のサテライト男鹿のテレビCMには出ていなかったはず。由利本荘市出身。

つまり、CMでは「バリトン伊藤」が「サテラ伊藤」に改名すると宣言している。
バリトン伊藤の名を知らない人が見ると、よく分からないおっさんがいきなり「サテラ伊藤」に変えると言っているととらえられてしまうかもしれない。それだと、どうして「伊藤」が出てくるのか、唐突で強引な場面設定になってしまいそう。まあ、「サテラ」も唐突で強引だけど…

そして記者の質問。記者役はヘンなヒゲが特徴の若手ローカルタレント「石塚公評(いしづかこうへい)」氏。
「んだば おが でねーすか?」も、秋田弁を知らない人だと、「男鹿」と結びつけるために、強引に「おが」という意味のない言葉を作ったのかと思われてしまうかもしれない。
そうではなく、秋田弁には地名の男鹿とは別の「おが」という言葉がある。CMの「おが」はちゃんと意味を持っていて、会話として成立しているのだ。
この「おが」は形容動詞かな。濁らずに「おか」と言う地域や人もいる。
秋田の人は、地名の男鹿とはアクセントを変えて話すので、混同することはまずない。

「おが」は「度が過ぎている」ことを意味し、共通語では「あまり/あんまり」(の使い方の1つ)に相当する。
「んだば おが でねーすか?」は、「それはあんまりではないですか?」といったところ。

「おが」は個人的にはなじみのある言葉で、CMのようなシチュエーションでは「そいだば(それだば)おがでねすか」と使う。
CMのように「んだば」で始まるのはあまり聞いたことがなかったが、「そいだば」と同義なのは理解できる。
【12日補足】「おがでねーすか?」と聞かれて、「んだす!」と肯定するというのは、現実ではあまり考えられない。この点は、共通語で「あんまりじゃないの?」「そうです!」という会話があまり考えられないのと同じこと。


バリトン伊藤氏を起用し、かつ男鹿でなければ実現しなかったCMだ。
(これ以上話を膨らませづらいので)続編を期待、ってわけにもなかなかいかないでしょう。


「おが」が地理的にも世代的にも、どの程度認知されているのかは知らない。【13日追記】コメント欄の通り、秋田県北部の鹿角では使わないとのこと。少なくとも地元・男鹿では使うはず。男鹿出身のうちのばあさんが使っていたはずなので。
でも、「んだ」と「しったけ」ばかりが秋田弁の代表とされる風潮に一石を投じる(?)、良い作品だと思う。


そういえば前もちょっと触れたけれど、もう1つ男鹿じゃない「おが」の方言があった。
「おがる」。
植物や髪の毛が伸びること、生長することを意味する。【13日追記】身長が伸びるなど「成長する」や「大きくなること」全般の意味合いでも使うけれど、どちらかと言えば植物が生長することを指す場合多いような気がするけど、違うかな…

男鹿市商工会館の愛称は「オガルベ」。
秋田駅東口の拠点センター「アルヴェ」を意識し、かつ「男鹿」も、さらに前向きな意味を持つ「おがる」も掛けた、なかなか上手なネーミングだと思う。
ちなみに、「アルヴェ」は秋田弁の「あるでしょう」を意味する「あるべ」のほか、彦星織姫のアルタイルとヴェガと掛けている。
大森山動物園の「ミルヴェ」は「見ましょう」だけで、他の言葉には掛けておらず、いわばアルヴェの単なる二番煎じ。オガルベのほうが上手(じょうず&うわて)だ。

【2019年3月1日追記】サテライト男鹿のテレビCMは、この後も内容を変えずに同じものが断続的に放送されている。まったく放送されない期間もあり、例えば2019年は2月最終週(3月第1週)に初めて見た。
【2019年7月5日追記】↑その後また見なくなり、2019年7月初めからまた流れた。
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弘前でブラタモリ

2017-07-10 00:09:01 | 津軽のいろいろ
8日放送のNHK「ブラタモリ」は、弘前が舞台。
2015年春から東京以外も取り上げるようになって78回目。

「サムライがつくった 弘前の宝とは!?」として、弘前城天守、石垣工事、禅林街、町に残る古い町名と坂道、リンゴ剪定鋏の鍛冶、リンゴの剪定技術とその桜への応用、といった流れ。
お城とさくらとりんごの街として、ひと通りは押さえていた感じかな。


以下のことを、今回新たに知った。
禅林街が出城としての機能も持っていたこと。
秋田市の寺町も、城を防衛する役目があったそうだけど、なるほど、禅林街はがけの上にあって地形的にも有利だ。


古い地図に記されていた、緩い坂の場所が分からなかった。道の奥にイトーヨーカドーが見えたので、鍛冶町のどこかかなと思ったが、ちょっと違いそう。
公式ホームページで場所が紹介されており、弘前郵便局の向かいというか、北大通りの裏だそうだ。あの一帯はほとんど通ったことがない。

弘前市内には、寒沢スキー場とかもっとダイナミックな坂が多い。
坂好きのタモリさんなら、そちらのほうが喜びそうな気もするけれど、それは坂の素人の考えでしょうか…


明治時代にリンゴ栽培を普及させ、弘前城址に最初に桜を植えた(関連記事)、元津軽藩士・菊池楯衛(きくちたてえ)が紹介されていた。その写真は初めて見たかもしれない。
その孫の卓郎先生が、奇しくも弘前大学農学部(当時)でリンゴの研究をされていたことには、触れていなかった。


いちばん意外だったのは、冒頭。
説明役の弘前市立博物館の人が、津軽の気質として挙げた3つのうちの1つ。
3つとは、えふりこぎ(いいかっこしい)、もつけ(お調子者)、じょっぱり(頑固)。※いずれも番組の字幕の表記。

じょっぱりはよく知られている。もつけもそれなりに(津軽全体の気質とはちょっと違うような…)。
でも、えふりこぎが津軽の気質だとは初めて知った。そもそも津軽弁の語彙にあることも初めて知った。
番組では、弘前城の天守が裏表で見かけが違う(表側だけ立派)のは、えふりこぎによるものだとしていた。

個人的には、えふりこぎ(いいふりこき)と言えば秋田でしょ。
津軽でもいいふりこきなのかもしれないけれど、秋田のほうがいいふりこきの度合いはずっと強い。

弘前に引っ越した当初、驚いたことが、高校生とか大学生といった若者でも、一人称として津軽弁の「わ」を多用し、英文さえも津軽弁のようなイントネーションで読んでいたこと。つまり、地元の方言へのコンプレックスが薄く、堂々と使っているように感じた。
また、高校生や大学教授でも、雪が積もれば長靴をはいて、街中や学内を歩く人がちらほらいたのにも驚いた。

秋田だったら、家族【10日補足・あるいは気心が知れた知人】以外には意識して方言を使わない人が多い(でも端々で方言が出てしまうし、どんなにがんばっても全体的に共通語とはちょっと違うけど)し、真冬でもコートを着ない男子高校生なんてのもいる。
秋田のほうがずっといいふりこきじゃないだろうか。


古い町名をさっさと住居表示によりなくしてしまった秋田(これは全国的に多いけど)に対し、番組でも取り上げたように古い町名を使い続ける弘前。
残すべき意義がありそうな古い建物でもためらいなくぶっ壊してしまう秋田に対し、古い建物を大切に保存する弘前。
これらも秋田はいいふりこき、津軽はじょっぱりという気質を示しているのではないだろうか。
【10日補足】どちらが良い/悪いと決めつけるつもりはありません。番組内で、津軽とえふりこぎが結び付けられていたことについて、違和感を禁じ得なかったということです。

【13日追記】放送当日は弘前市土手町で「弘前バル街」が開催されており、そこでパブリックビューイングが行われた。
ネット上では、他の回のような地形についての掘り下げが足りなく、表面的な内容に終始したといった感想があった。なんとなく同意できる。弘前はもっともっと興味深いものが多い街なのに、それを紹介しきれていなかった。他の土地では2週連続で同じ街が取り上げられることも多いのに、弘前は1回で終わってしまったのも原因かもしれない。

【16日追記】番組の最後では「お礼肥(おれいごえ)」として、花が散った桜の根本に肥料を施す作業を、実際に体験しながら紹介していた。番組の取り上げ方では、「お礼肥」という名前や作業自体が弘前独特のものだと誤解してしまった人がいたかもしれない。実際には、園芸・ガーデニングの世界ではよく行われており、名前も知られている。(以上追記)

今週は、BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」で青森が放送される
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静岡らしい一口羊羹

2017-07-06 00:03:31 | 各地お土産・食べ物
3月の静岡旅行(前回の記事)のお土産。
沼津駅前のスーパー「しずてつストア」のレジの手前、よくガムとか電池を売っているところで、見慣れぬものが売られていた。
よく見れば、静岡ならではで価格も手頃(忘れたけど100円程度)、賞味期限も長い(半年ほど)。ちょっとしたお土産に良さそうだと、購入。
こんなもの
正式な商品名は分からないけど、いわゆる「ひと口羊羹」。静岡市葵区の「望月茶飴本舗」の商品。

「茶飴本舗」というだけに、金太郎飴式で「茶」と書かれた緑色のお茶味のアメ(秋田でもたまに食べる機会がある)を製造しているが、羊羹も主力商品のようだ。
店頭では、パッケージの色彩がいろいろで目を引いた。10種類はあったが、デザインだけでなく、中身(味)も全部違う。ネット上の情報によれば25種類以上あるそうだが、全貌は不明。

塩や黒豆とかよそでもありそうな味もある。「久能山東照宮 葵きんつば」や「東海道中膝栗毛」とかけた栗羊羹とか、ネーミング重視のものも。
ほんとうに静岡ならではだと感じたのは、「静岡産 わさび」「静岡産 苺」「久能山東照宮 家康公 葵だいだい」「静岡産紅茶葉 和紅茶」。
パッケージ裏面
パッケージ裏面や原材料欄によれば、
わさびは、ワサビ栽培発祥地の静岡市葵区有東木(うとうぎ)の葉ワサビ入り。
苺は、久能山の海側で栽培が盛んな「石垣いちご」使用。
だいだいは、ダイダイの果汁と「青だいだい」入り。
和紅茶は、最近は東海道新幹線のホームなどでも売られている、静岡産の紅茶。

上記4種を食べた。いずれも、羊羹の色はそれぞれの原料らしい色合い。味もそれぞれの味がするけれど、総じて控えめ。羊羹そのものの味わいも残しているのかもしれない。
ワサビは辛いというほどでなく、ワサビの風味がほんのり漂う程度。


そういえば、「緑茶味」は店になかった。(お茶羊羹は全国的にさほど珍しくもないけど)
調べると、メーカーでは「駿府 本山茶」「やぶきた」「ほうじ茶」を製造しているようだ。
ほかにも、「静岡産 ゆず」「藍苺(ブルーベリー)」「にんじんいも」「三島甘藷 芋」など、ユニークな品揃え。

ネットでも取り扱う店がいくつかあるようだ。
今回は、地元スーパーでガムと同じような、身近な商品扱いで売られていたのを見つけたわけだけど、他の店では売っているのだろうか。駅のキオスクなんかで売ってもいいのではないでしょうか。
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竿燈→枝豆

2017-07-05 00:07:44 | 秋田の季節・風景
秋田駅自由通路の東口側、南面の大きな窓。
左側
いつからかは知らないけれど気づいたのは先週末、ここの光景がちょっと変わった。
(再掲・2014年撮影)以前の同じ場所
以前は、等間隔で連続する柱の縦長のスペースを使って広告とともに、竿燈を上げている写真が掲出されていた。
角度によっては、連なって上げられた竿燈をほんとうに見ているようで、いいアイデアだと感心していた。
(再掲)

それが「秋田えだまめ」に代わっていた。

緑色の「夏」とオレンジ色の「秋」が交互に配置。
「秋田県 あきた園芸戦略対策協議会」とあるから、それが広告主か。

「B」の1つ多いのに目鼻が付いたのは、エダマメ?【末尾の追記参照】
「ニッポンイチ!?」ともある。これは、秋田県がエダマメの生産と県外への出荷に力を入れていることを示しているのだろう。
他の場所では「目指せ! えだまめ日本一」というキャッチコピーも使われている。「日本一」は何が日本一なのか明確に示されていないが、量だけでなく品質面も含めて最高の秋田産エダマメを、ということかもしれない。
実際には、量としてはまだ日本一にはなっていない。だから「ニッポンイチ!?」と「!?」なんだろう。
【10日訂正】都道府県別「出荷量」としては2年連続で秋田県が1位だそう【13日補足・7~10月の東京中央卸売市場への出荷量のことらしい】。でも、こういう統計って、別に「作付面積」とか「生産量(収穫量)」などもあり、一般的には生産量を用いることが多いのではないだろうか。生産量では、千葉、山形、新潟が上位で、秋田はその次辺りのようだ。

「んだ。んだ。秋田。」は2016年からの秋田県の観光キャッチコピー。観光キャッチコピーがここにあるのは場違いでは?

「えだまめ」を強調したいのは分かるけれど、知らない人にはいまいち伝わらない。デザイン的にも文字ばかりであまりおもしろくない。例えば巨大なエダマメの写真や絵を入れるとかできそうなのに。
何よりも、秋田市の玄関口にふさわしい竿燈の写真がなくなって(ずっとあのままかと思っていたが、期間が定まった広告だったのか)、その後がこれなのにはがっかりしてしまった。

【13日追記】12日付秋田魁新報 経済面で取り上げられていた。
それによれば、設置は9月末まで。サイズは4メートル×50センチ。「柱20本に設置」とあるが、1本の柱につき東西両面に計2枚掲出されているようだから、柱の本数としては10本では?
「B」のようなものは「県のイメージアップアドバイザーを務める梅原真さん=高知県=がデザインしたものエダマメのイラスト」。

※この後、10月2日には、以前の竿燈に戻っていた。新聞記事の通り、期間限定のえだまめだった。個人的には戻ってよかった。
※翌2018年の7月頃には、枝豆ではなく、国際教養大学の広告が掲出された。
2023年にはTDKのこんな広告が
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少し昔の弘前大学

2017-07-03 23:44:24 | 津軽のいろいろ
15年ほど前の弘前の写真シリーズ。※前回の記事
3回にわたる最後は、弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)。

まず、今年の正月にも取り上げた、正門周辺。
富田大通りに面した門柱や塀は、現在は赤茶色の凹凸のある石垣(?)風デザインだが、2000年代前半までは、グレーだった。
また、正門を入って右にある、大学の本部機能を持つ「事務局庁舎」は、2016年にリニューアルされて外観が変わった。以前は緑色っぽかった。
2001年10月
以前のグレーの門は、大きな石のタイル風のものだった。
現在よりも、そして記憶にあるよりも、少し背が低い感じ。しかも門柱はなく、門というよりただの「塀」。
2005年7月。門が現在と同じになり、路面もブロック敷きに

分かりにくいが、奥の事務局は、外壁の色のほかリニューアル後に塔時計が設置された出っ張り部分がないなど形状も現在と異なり、ほぼ箱型の建物。
庁舎は昭和47(1972)年築とのこと。


正門を入って、総合教育棟(旧・教養部)と附属図書館の間を左折すると広い通路。大学会館や教育学部以外の各学部といった主要施設に面したメインストリート。
2005年7月。現在とほぼ同じ光景のはず
上の写真左側の建物は、手前から総合教育棟と棟続きで人文学部。市道をはさんで、奥に少し飛び出た2つの低い建物が理工学部、その奥の11階建てが理工学部2号館、さらに奥の低いのが農学生命科学部。
現在は、建物の外観が統一され、ブロック敷きのきれいな広々とした道。
以前を知る者がこれを見ると、全体に面影はあるけれど、かなり変わったなという感慨になる。
2003年2月。上の写真とほぼ同じアングル
2003年時点では、奥の方の2学部は、既に建物の外観が改修され、新校舎と統一。
一方、手前はごく一部は新しくなっているが、大部分は未改修。

そして、現状しか知らない人は驚くと思うが、通路に自転車がずらりと並んでいる。現在、こんなことをしたら、不法駐輪として撤去されることだろう。
校舎側に屋根付き駐輪場があるように、当時はこれで問題なかった。右の屋根のない部分にも置かれているし、中央部の斜線の白線が引かれている場所に置くこともできた。
この時は雪が残っているから台数は少ないほうで、春~秋の一般教養の講義がある日は、びっしりと自転車が並んでいたものだ。
この後、学生は登録してシールを貼った自転車でないと学内へ乗り入れできなくなり、駐輪場は新たに整備された反対の富田大通り側に変更された。
【4日追記】以前の光景は雑然としているが、今はきれいになりすぎてよそよそしいようにも感じる。以前のほうが活気がある大学らしい光景だったと思う。(クルマはともかく、ここに自転車を入れても入れなくても、安全上は大して変わらない気がするけど…)

また、奥右の学生会館(食堂側)前の針葉樹がなくなり、大学生協によるコンビニが建てられた。

上2枚の間の途中経過。
2004年8月
通路はブロック敷きに。人文学部は改修済み、総合教育棟は工事中。
上の写真で工事中の出っ張っている部分が、総合教育棟の正面玄関。2階部分は部屋になっているように見えるけど、教室にしては小さい。何だったんだろう?
正面から。上の階の壁面も未改修
上の写真で見えている窓は、廊下側のはず。アルミサッシではなく、鉄枠だったようだ。開閉するとゴロゴロと重いんだよね。(もちろん改修後はアルミサッシに変わった)

この面は、たしか「305」「405」とかその辺の部屋番号の中規模の講義室だったはず。一部階では教官(1997年までは教養部所属の教官がいた)の研究室がこの側にもあったか?
正門すぐの201や301よりは小さく、階段状でない平らな部屋で、固定式の座席。室内の什器や備品にはいろいろと手が入っていたようだが、201・301とは共通性がなく、時期は別か。どちらが先かは分からない。
【5日補足】階段教室に比べて、部屋の面積も、机の配置もきゅうくつで詰めこまれているように感じられて、あまり好きな講義室ではなかった。

これらの部屋はワイヤレスマイクは非対応(隣接しているので混線しそう)で、レクチャーアンプが設置されていたか。
そして特徴的な設備が、パイオニア製の大画面のプロジェクションテレビと、ソニー製の8ミリビデオとVHSの「ダブルビデオ」デッキ。201・301にはなかった。
※プロジェクションテレビ(リアプロジェクションテレビ)は、大きさのわりには当時としては薄く、画面が平らなテレビ。複数のメーカーが発売していて、末期の「ニュースセンター9時」や以前の「世界ふしぎ発見!」のスタジオに置かれていたのが、たぶんそれ。この記事後半に実物の写真あり。
※8ミリビデオは家庭用ビデオカメラなどで使われていた小型のビデオテープ。8ミリフィルムとは別。「Hi8」は8ミリビデオを高画質化した規格。

現在、ソニーのホームページの取扱説明書ダウンロードでは、「ダブルビデオ」としては「ビデオカセットレコーダーWV-BW1」というのがいちばん古く、1995年11月10日発売の機種。教養部では、少なくとも1995年春の時点で設置されていたはずだから、さらに前の機種が存在するのだろうか??
このダブルビデオデッキ、一般的な教室に置くには不向きな機種に思えてならなかった。
WV-BW1取扱説明書より
「再生」ボタンは1つで、8ミリかVHSか再生するデッキを選択するボタンがある。テープが入っていないほうのデッキを誤って選択しても、自動切り替えはできないようで、正しく選択ボタンを押さないと「再生」しただけでは再生されない場合がある(消去防止ツメが折れたVHSテープを入れた時は自動で切り替わるそうだ)。

講義室のデッキでは、仕様なのか、あるいはコンセントが常時接続ではなく、都度入切していて起動のたびに初期状態に戻るせいか、電源を入れるといつも8ミリを再生する状態になっていた。
VHSを見るには、「VHS」選択ボタンを押して切り替えてから「再生」しないといけない。

そのことを知らない(画面や本体の表示に気づかない)先生が多く、見せようと持ってきたVHSのテープを入れて、「再生」ボタンだけ押してしまって、「カセットがありません。入れてから行なってください」とエラーになり、「あれ? テープを入れて再生ボタンを押してるのに??」と困惑する先生に何人もお目にかかった。(テープじゃなく「カセット」とか「行ってください」というソニー独特? の画面表示を覚えてしまうほど、戸惑う先生が多かった)

当時の映像記録媒体はVHSが圧倒的優勢。授業で使うビデオを8ミリで持ってくる教官などいただろうか。少なくとも僕は遭遇しなかった。
現場の実情を考慮せず、使いもしない過剰装備の機器を導入したことになる。導入してしまったとしても、事務局がこのことを把握していれば、説明書きを貼るとかフォローすることもできたわけだから、教官と事務局の意思疎通が取れていなかったのだろう。今は知らないけど当時の国立大学は、地方自治体などよりもずっと硬直化したお役所だった。【5日補足・会計検査院や何らかの監査の対象になれば、導入の経緯や活用方法について、指摘を受けるかもしれない】
話がそれました。

2004年夏。正面玄関からのぞくと、内部はきれいになくなって大がかりな工事
2004年度末までには、工事は完了したようだ。


もっとさかのぼって2000年3月。
できたばかり【4日補足・といっても丸1年経過した頃】の理工学部2号館の11階から、買ったばかりの100万画素のデジタルカメラで撮影した写真。
【4日追記】この高さから弘前の街を眺める機会はなかなかないが、改めて見ると、弘前もけっこう建物が密集していると感じた。
※コメント欄にて、2013年に同じ場所から撮影した写真をご提供いただきました。工事がほぼ終わった様子を、広角で分かりやすく見られます。
今までの写真の逆側から
右側が手前から改修中の理工学部、市道、人文学部~総合教育棟。その奥右方向が正門。
各校舎。中央右奥にイトーヨーカドーがかすかに
改修前は建物の形状も色もまちまちで、同じ学部でも新旧つぎはぎだったのが分かる。右手前のドームは理工学部の天体観測施設。【4日補足】ドームのある校舎は5階建てで、11階建ての理学部2号館ができる以前は、そこが弘大でいちばん高い建物だったはず。見た感じ外観の造りは周りより新しそう。昭和50年代築ってところかな?(周りの他の建物は40年代っぽい)
今もそれぞれの建物の形状はそのままだが、色が統一されて、だいぶ落ち着いた。
また、中央奥には、
緑色のドーム屋根?!
手前は総合教育棟の人文学部寄りで、教官の研究室があった辺り。その奥に体育館のようなカマボコ屋根があった。
位置からすると、201・301、そして最大の401講義室の上。401は天井が高いため、こういう構造なんだろうか。下からは見えないし、今回写真で初めて気づいた。

カマボコ屋根といえば、少し左へ目を転じれば、
赤いカマボコ屋根の第一体育館。右は教育学部
現在は、校舎群と同じ色への塗替えと耐震補強らしきつっかえ棒が入れられた第一体育館。その改修前の姿も写っていた。


15年経てばいろいろ変わり、何気なく撮影した写真が記録と思い出になるものです。
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