広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

さらにリンゴのパン 他

2014-01-30 23:35:42 | ランチパック
久しぶりにパンの話。
たけや製パンでは、昨年秋に秋田県産リンゴを使ったパンをいくつか発売していた。
その後も、リンゴ入り新商品が出ている。

12月には、アベックトースト派生商品の第4弾となる「アベックトースト りんごジャム&マーガリン」が発売された。(第3弾「山ぶどうジャム」では、使っているのに商品名から抜けていた「&マーガリン」が復活した)
ほかにも、
りんごのシュクレ リンゴダイス入り 463kcal
「菓子パン」扱い。
「秋田県産りんごのプレザーブとダマンド生地を包みシュガーマーガリンをトッピング」したそうだけど、「シュクレ」って何?(こういうお菓子のことなんでしょうけど)

しっとりしたパイみたいな感じで、悪くない。


次は1月発売。
秋田のりんごパン 5個431kcal
プロバスケットボールチーム「秋田ノーザンハピネッツ」とのタイアップ商品のようで、チームマスコット「Bicky(ビッキー)」が描かれ、売上の一部がチーム活動資金になるとのこと。

パッケージ左上には緑色の文字で「誇れる」と書かれているので、「誇れる秋田のりんごパン」という商品名かと思ったが、パッケージ裏のバーコード付近の表示やホームページでは「秋田のりんごパン」としか記載されていない。(ヤマザキ系列では、バーコードそばには商品名を細かく・詳しく表示するのだが)
上部中央にハピネッツのロゴが入っているから、もしかしたら「誇れるハピネッツ」という賛辞を表示しているに過ぎないのだろうか?

5個入り
ヤマザキで発売している「ミニパンシリーズ・薄皮○○」にそっくり。(たけやで一部の製造を受託している)
「秋田県産りんごを使ったジャムとカスタードを合わせたりんごカスタードを包みました。」とあるけれど、中に入っているのは、見た感じは普通のクリームパンのクリーム。
食べてみると、パン生地の食感は「薄皮」と同じ。クリームは、リンゴの味が強すぎず弱すぎずで、おいしい。果肉の食感もある。
青森の工藤パンでもリンゴを使ったものがいくつかあって、紹介してきたけれど、酸っぱすぎるものもあった。それらと比べても、これはおいしいと思う。

薄皮シリーズでも同じなんだけど、5個入りというのは中途半端じゃないでしょうか。
1人で1度に5個食べる人はあまりいないだろうし、分けにくい数。4個入りのほうがうれしい人が多いのでは?

【3月7日追記】2月から、ヤマザキのミニパンシリーズ で「薄皮りんごクリームパン」というのが出ており、秋田でもたまに売っている。1個あたり110kcal(=1袋550kcal)なので、たけやのりんごパンとは別物のようだ。
【4月10日追記】4月にはたけやからこんなものも発売された。


ここで工藤パンのイギリストースト。
ここ数年は秋田県内の一部スーパー等で買えるようになったとはいえ通常版。派生・期間限定商品はほぼ入手困難だった。
今月、マックスバリュ東北の広面店に行ったら、通常版とともに、
イギリストースト 生チョコ入りチョコクリーム 345kcal
12月発売のこれが売られていた。セールなどでなく、他の菓子パンと並んで普通に。

イギリストーストでは、チョコクリームを使ったものを微妙に変えて幾度も出していて、昨年夏にもあったが、今回は生チョコ入りで出た。
見た目は従来と違わないペースト状のチョコクリームで、どこが生チョコなのかよく分からないけれど、おいしいことはおいしかった。(イギリストーストのチョコクリームはどれもおいしいと思う)

2月以降は他のイギリストーストも売ってくれないだろうか? マックスバリュ広面店に期待。(茨島店や港北店では扱っていない模様)
工藤パンホームページによれば、1月からは「青森県産スチューベンホイップ」のイギリストーストが出ている。ブドウのホイップクリームだそうで、珍しい。→それを秋田で購入できた
秋田には来ないだろうけど、タマゴやツナサラダをイギリストーストのパンに挟んだ「イギリスサンド」なる惣菜パン(?)も発売されている。



最後に、昨秋やっと開設されたたけや製パンのホームページ。
1月の新商品を12月末の段階でアップする(更新日は元日になっているけど)など、精力的な面もあるけれど、紹介されている新商品は5種類だけで、アベックトーストのことは一切紹介していないなど、まだまだがんばってほしい点もある。

秋の時点では、Googleで「たけや製パン」と検索すると、検索結果のトップはWikipediaの項目。2番目が公式ホームページ。
公式ホームページが1番目になれば、公式ホームページとして認知されたと胸を張れるはず。その日はいつになるかと思っていた。

正月(1月3日)に検索してみると…
公式ページが最上位になっている!
ついにトップに来たかと喜んだ(当事者じゃないけど)のもつかの間、1月4日には…
以前と同じく、2番目に?!
その後、ずっと同じ。
なぜかお正月だけの首位だったようだ。
いずれはトップになるとは思うが、それはいつになるだろう。※2014年4月25日時点では2番目のまま。
※2014年4月30日には、ついにGoogle検索結果の最上位に表示されるようになった!(一方、今までなら前の月末にアップされていた、翌月の新商品紹介は、アップされなかった。→5月1日にアップ)
※と思ったら、5月1日にはまた2番目に。Wikipediaとし烈な1位争いをしているようだ。


【31日追記】2月の新商品の紹介は、1月31日にアップされた。1月のページはなくなって(上書きされて)、その月分しか紹介しない方針らしい。
新商品紹介ページの下部には、いくつかの商品の画像が入れ替わりで表示される。それには1月の新商品だったものもあるが、見たことがない商品も混ざっていて、「アベックトースト コーヒー&ホイップ」という包装が確認できる。
クリックしても何も起こらない
隣にあるチョコデニッシュは新商品として紹介されているので、これも2月の新商品かと推測される。とすれば、初のマーガリンではなくホイップを使ったアベックトーストということになる。
だったら、小さな画像だけでなくちゃんと文字で紹介してよ!
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新ドアボタン

2014-01-28 23:48:07 | 秋田のいろいろ
奥羽本線・羽越本線などを走る普通列車用701系電車のドアは、乗客がボタン(ドアボタン)を押して開閉する。
 701系電車。赤丸がドアボタン
首都圏などからの旅行客・帰省客、あるいは地元でも普段電車を利用しない人などが、この方式を取り上げて「手動式」と呼んだり「田舎だから」としているのを目にするが、それらはちょっと違うと思う。

まず、「手動」だとドアそのものをボタンでなく手で動かすようにも受け取れてしまうし、実際にそういう方式も存在する(後述)。正しくは「ボタン式半自動ドア」と呼ぶ。まあ、一般の人には通じにくいだろうから「ボタン式」と呼べば、多くの人に誤解なく通じるだろう。
そして、半自動ドアが採用されている理由は、根本的には「車内保温のため」。停車中の外気の侵入を防ぎ、冷暖房効率を上げること。
特に秋田のような寒冷地では、冬の寒風・吹雪の吹き込み防止には欠かせない装備なのだ。701系以前の車両にはあった「デッキ(出入り部と客室の間に仕切りがあった)」が廃止されたことも半自動が採用された一因ではあるが、使う時に使う所だけを使うのは、理にかなっていると思う。

半自動式ドアは、昨今のエコ・省エネの風潮に合致しているし、最近は街中のお店などの自動ドアでも、ボタン(タッチスイッチ)を押すタイプの自動ドアが以前より増えている。(あれは実は中に乾電池が入っていて、タッチすると赤外線信号が出てドアが開くという、リモコンの原理)

とはいえ、停車時間が比較的長く、乗降客が少なくないと半自動式にする意味がないだろうから、結果的には「田舎だから」でも間違いではないか…


鉄道車両においては、昭和50年代頃までは、開閉とも乗客自身が手で行う(=走行中でも開きっぱなしのこともある)、いわば「完全手動式ドア」を備えた客車列車がほとんどだった。
一方で、通勤電車のドアは戦前から自動化されていたそうだが、寒冷地を走る電車では、(ボタンでなく)手で開ける「手動式半自動ドア」(発車時は自動で閉まり、走行中は開かない)が国鉄時代から存在した。現在も新潟や長野では使われていて、旅番組の出演者が戸惑うことがある。
ディーゼルカー(気動車)でも同じものが存在し、2007年頃まで花輪線でも一部使われていた。花輪線では完全自動の車(キハ58系)と手動式半自動の車(キハ52形)が混在して使われており、大館運輸区の車掌は「本日は、後ろ(or前)寄りの車両のドアは、自動では開きません。駅に着きましたら、手でお開け願います」と放送していた。※その名残か、今の701系電車でも大館運輸区の車掌は「この電車のドアはボタンを押して開閉する半自動式です。駅に着きましたらボタンを押して…」という放送をよく行っている気がする。【2月11日追記】ある車掌は「この電車のドアは自動では開きません」と表現していた。

ボタン式半自動ドアという仕組みが登場したのは、1972年に川越線・八高線の気動車で既存車両の改造により設置されたのが初めてらしい。
その後、民営化・第3セクター化や客車列車の衰退なども影響したのだろう。1990年代以降は、寒冷地の地方鉄道の新車両には必須のアイテムになっているのではないだろうか。

現在は、古い車両を後から半自動化改造(弘南鉄道や男鹿線の一部など)したり、大都市圏郊外や暖かい地方の列車にも設置されたりしている。使い方は、利用実態や気候に合わせて、通年・全駅で半自動、季節や駅を限定して半自動、ボタンはあるけど基本的に一切使わないなど、さまざま。
JR東日本では、さすがに山手線にはないけれど、中央線や東海道本線の車両には設置されていて、例えば高尾以西や熱海駅での発車前などに使用されている。(ただし、発車直前にいったん全部のドアが自動で開くので、さほど意味がない)

以上を踏まえれば、半自動式のドアはそれほど珍しくも・田舎臭いものでもないと思うのだが… 実際に使う機会があるかどうかは別として。


前置きが長くなりましたが、ここから本題の半自動ドアの「ボタン」について。
ボタンのデザインや設置位置は鉄道会社や車両によってまちまち。そのため、不特定多数が使うものだから大事なはずの、操作性や見つけやすさは違ってしまっている。

改造で設置した弘南鉄道では、ホームセンターで買えそうな壁スイッチを流用したみたいなもの(分かりやすさとしては良好。この記事最後に写真あり)。
JR東海やJR西日本では、特に車内側がドアからやや離れた位置に設置されており、しかも「開」「閉」が左右に並んでいて区別がしづらかった。

1993年に製造が始まり、真っ先に奥羽本線・羽越本線に投入された701系電車では、こんなボタンが設置されている。(記事冒頭の写真も参照)
当時としては標準的なもので、同時期の第3セクター車両や、後付けされた男鹿線用キハ40系でも、ほぼ同一(微妙に違う?)のものが使われている。→キハ40系のボタンと同じものは、この記事中ほどにて
車外側は、ドアに向かって右側の腰の上くらいの位置に、車体に埋め込まれたように白いボタンがある。ボタンが使える時は上部に赤文字で「ドア」と点灯表示される。
 車外側
ランプ点灯中に押せば開く旨の説明はあるとはいえ、白くて目立たないボタンだし、表示灯も見にくい。
ボタン自体は、防水のためか、厚いシリコン風のカバーの下に本来のボタンが収まっているような押し心地で比較的力を要する。僕は親指でぐいっと押し込む感じで操作している。
ドアの位置によって、ボタンの地のパネルが横向きのものと縦向きのものがある。

車内側
車内側は、ドアに向かって右の胸より上くらいか。こちらは、「ドア」表示灯、「開」、「閉」ボタンが縦に並び、壁よりも出っ張って角度を付けて設置。
ボタンは直径2.5センチくらいだろうか。銀色の縁に収まった白くて硬いプラスチック製。「開」「閉」の文字がそれぞれ緑と赤で書かれている。
「開」「閉」の文字は、当初は角ゴシック体だった気がするが、今は丸ゴシック体と彫るタイプの名札で使われるような手書きっぽい書体の2種類があるようだ。「ドア」表示灯の文字も、今は細い丸ゴシックだが昔は角ゴシックのものがあったはず。→現在も角ゴシックの「ドア」表示がありました
 丸ゴシック体と手書き風書体
ボタンの押し心地は軽いが、ある程度の深さ押し込む必要がある。感じとしては押しボタン式信号のボタンに近い。
下に手すりがあるためか、ボタンがわりと高い位置にあるのと、開・閉が読めない人にはどちらを押せばいいのか分からないのが、難点ではあった。


登場から20年が経つ701系電車では、ここ数年、さまざまな機器や装備の更新が行われている。
パンタグラフ、インバーター、吊手(つり革)、座席の色、行き先表示、各種ワンマン機器等々であるが、昨年末、2両編成の「N32」編成において、ドアボタンが更新された。また、今週頃から2両編成「N27」編成も更新されて運行しているとのこと。
※その後、6月10日には「N31」編成でも新ドアボタンを確認。

新しいドアボタンは、2002年に改造された仙石線用205系電車、2007年に登場した仙台地区用E721系電車などとほぼ同じ、“最新型”。
N32編成にやっと巡り会えた
「ドア」表示灯とボタンが一体化して、ボタンが使える時はその縁がLED(開くほうが緑、閉まるほうは赤)で光る。ボタンはエレベーターでおなじみの(かえって分かりづらいけど)横向き三角のアイコン。さらにその外周を、巨大な黄色い輪が取り囲む(これはボタンではなく、飾り。踏切の非常ボタンの赤い輪の色違いみたいなの)。
※首都圏の列車でも同じものが設置されているが、車内側には黄色い輪がない。使用頻度を考慮して、あえて目立たなくしているのか。

車外側は、従来のボタンと同じ位置で、パネルの縦横が混在するのも同じ。パネル自体がやや大きくなったようで、ネジ止め箇所は4つから6つに増えている。
 
パネルは「あける Open」が赤い文字で彫られているだけで、「ドア」ランプと「ご注意 ランプ点灯中ボタンを押せばドアが開きます」の注意書きがなくなったので、スペースが余っている。

国鉄秋田鉄道管理局のマスコットキャラクターだったヒョウの「アッキー」くんが、JR化後に作られたステッカーに残っていたのだが、ドアボタンが更新されてもまだ残っているのがすごい。
キライじゃないけれど、「ボタン」の文字が薄れて読めないよ…


車内側も、取り付け位置は従来と同じ。
デカい!
ボタンが大型化して従来の台座では収まらないため別のものになり、ボタンがある面だけが樹脂から金属に変わった。ボタンの角度はわずかに外向きになったか。
外のボタンと同じ赤で「Open」「Close」が彫られているが、日本語はラベルライターで作った「ひらく(あける じゃなく)」「とじる」が貼ってある。【2015年8月5日追記】この後に更新された編成では、ラベルではなく外側と同様に彫った赤文字。開くほうはやはり「ひらく」。(N17編成で確認)
車内には「ご注意 ランプ点灯中…」の表示があるが、以前はプラスチックの板だったのにシールに替わっていた。

新しいボタン自体は車内外ともおそらく同じもの。黄色い縁取りで巨大に見えるだけで、ボタン自体のサイズは従来よりわずかに大きい程度のようだ。
指先でも楽に押せ、わずかな手応えがあるだけで押しこむ深さはほぼゼロ。特に車外側では、従来よりずっと扱いやすくなったと思う。大きな改善と言えよう。
乗客たちは見慣れぬボタンに一瞬戸惑っていたが、それは分からなくて戸惑うのでなく、今までと違うことへの戸惑いのようだった。20年間同じボタンだったのが別のものに変わったのだから、無理もない。

欲を言えば、車外側にも「ランプ点灯中ボタンを押せば…」シールはあったほうがいいと思うし、車内のボタンの位置を少し下げたほうがいいと思う(手すり移設や配線も必要で難しいけど)。あと、点字もしくは見なくても開閉の区別がつく突起(電話やリモコンの「5」みたいな)はないようだけど、なくていいんだろうか。
なお、開閉予告チャイムなどは従来のままで、今回更新されたのはボタンだけのようだ。


考えてみれば、秋田総合車両センター(旧・土崎工場)では、仙石線用205系など他地域向け車両の改造で、既に多くの新しいドアボタンを設置した実績がある。それを地元の701系にも施したに過ぎないのかもしれない。配線はそのままでボタン部分だけを交換したようだから、さほど難しくもないのかもしれない。
現在進んでいる、行き先表示や運賃表示器の更新については、工場に入ったのに更新される場合とされない場合があるようで、ドアボタンももしかしたら同じことになるかもしれないが、新しいドアボタンが増えていくのは間違いないだろう。

半自動ドアについては、続きます

※2017年の仙台地区のドアボタン事情はこの記事にて。
※最初に新ドアボタンが採用されたであろう、仙石線205系3100番台について。
※秋田地区などでは少し違うボタンも登場
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機関車とCMと模型

2014-01-27 23:32:39 | 秋田の季節・風景
強風の影響で遅れて、雪が降りしきる秋田駅に入線する下り貨物列車。

何気なく撮影した“日本海縦貫線”の貨物列車。帰ってからその機関車を見ると、それはちょっと特別な機関車だったので、ちょっとうれしくなった。

その機関車は、沿線ではすっかり見慣れたEF510形電気機関車。最近、JR東日本から売却されてそのままの塗装で走っている青いEF510が現れたけれど、これはそれとは違う、本来の赤い塗装の11号機。
現在までおそらく23両(JR東日本保有or東日本から貨物への譲渡分を除く)製造されているうちの1台に過ぎない。

EF510-11の何が特別かというと…
「♪ぱぴぷぺプチプチ」という、歌やフレーズが頭に残っていませんか?
ブルボンの小型お菓子シリーズ「プチ」のキャラクター「プチクマ」が出ているCM。
現在流れている「エコレールマークでプチクマ出発!」編に、EF510形11号機がCG化されて“出演”しているのだ。
ブルボンホームページより
一定の割合以上、鉄道貨物輸送を行っている製品に付けられる「エコレールマーク」がプチに付いたことを伝えるCM。
EF510-11に牽かれた貨物列車に、プチクマたち(プチクマはプチの商品バリエーションと同じ24匹いるそうだ)が楽しく乗っているCGアニメ。
「協力:日本貨物鉄道(株) 公益社団法人鉄道貨物協会」と表示される。
ブルボンのホームページに「日本貨物鉄道様の全面協力を得て、かわいいながらもプチッとリアルな貨物車両のCGにも注目してください。 」とあるように、かなりリアルなEF510-11で、鉄道好きは注目せずにいられない。

EF510は、「く」の字形のシングルアームタイプのパンタグラフを搭載しているが、その“関節”が内側向きなのが特徴(日本の鉄道車両ではかなり珍しいはず)で、それもしっかり再現されている。ちなみにパンタグラフが2基とも上昇しているので、ここは直流電化区間ということか。(秋田近辺など交流電化区間では後ろ側のパンタグラフのみを使用するので、前側は下ろしてたたんでいる)
ぱっと見て実物と異なる点は、「JRF」ロゴはあるのに愛称「RED THUNDER」ロゴがないことと、一部の通風口が省略されているくらいか。
あと、後ろで商品を立てて持っているプチクマがいるけれど、パンタグラフより高い位置なので架線に接触している可能性が高く、プチクマは感電しているかもしれない。

EF510から身を乗り出している緑色のプチクマは乗務員風の帽子をかぶっていて、ホームページには「プチクマが車掌になって」とある。実際には、今は貨物列車に車掌はいない。
そういえば、今は覚えている/知っている人は少なくなっていると思うけれど、国鉄時代の貨物列車には、最後尾に黒い「車掌車」がくっついていて、車掌が乗務していたものだ(1985年まで)。


エコレールマークは誕生して10年弱経つようで、僕は知っていたけれど、知らない人がまだ多いのではないだろうか。エコレールマークを取り上げたCMもほとんどなかったはずで、その意味でも、意義ある作品と言えよう。
でも、どうして11号機が選ばれたんだろう。
後ろのコンテナには本当に「プチ」が積み込まれていたりして?!
【28日追記】11号機以前の問題として、新しい貨物用機関車はいくつもの形式があるのに、なぜEF510形が選ばれたのか? ということにもなるが、これはブルボンの本社や工場が新潟県、すなわちEF510が走る沿線にあるためではないだろうか。新潟から貨物列車で出荷される製品は、必然的にEF510の列車で運ばれていることになり、その事実を忠実に反映したのかもしれない。

【3月7日追記】プチシリーズは、3月に8種類が新発売された。全部で24種類なのは変わらないようなので、入れ替えたということか。
これに伴い、CMも若干リニューアル。今度はCGのEF510が警笛を鳴らすようになった。その警笛や連結時の音は、実物の音を使っているという。公式サイトで収録のメイキング映像が公開されており、それによれば警笛は2号機を使って収録された。(EF510は左手で扱うレバーで警笛が鳴るのか)
秋田近辺のJR貨物の運転士ははほとんど警笛を鳴らさないので、EF510の警笛の音は初めて聞いたかもしれない。(音自体は、やや太めながら、いかにも機関車らしい汽笛)

ところで話が逸れますが、最近のテレビCMでは、「CM上の演出です」とか「専門家の監修のもと撮影しています」といったテロップが出ることが多くなった気がする。
CMでやっていることを真に受けて実際にやって、事故にでもなって訴えられるのを防ぐ目的なんだろう。
だけど、アニメの「ルパン三世」による中古バイク買取りのCMで「CM上の演出です。公道走行時はヘルメットの着用が義務づけられています」とか出るのは、なにか違うような…
そんな調子なら、「貨物列車に乗ることはできません」とか、はたまた「秋田県知事に龍角散を処方しても、褒美はもらえません」とか「名刺交換の際はロト7のマークシート用紙との取り違えにご注意ください」とかも表示しないといけなくなってしまうような…
一方で、とても判読できない大量の文字を一瞬だけ表示して、「表示した(注意喚起した)」ことにする、自動車メーカー各社の自動ブレーキ装置のCMもまた…



話を戻してもう1つは、秋田で見る機会はまずなくなってしまった古いディーゼル機関車「DD51」形。これも実物ではなく、模型。
土崎駅の待合スペースには、DD51形1号機の模型が置かれている。秋田駅にあるD51の模型くらいのスケールのけっこう大きいもの。
1号機は元試作車だったので、他のDD51とは異なる丸っこい外観。実機は秋田に長く配置された経歴があり1980年代に廃車されて、現在は「碓氷峠鉄道文化むら」で保存・展示されている。

先日、その土崎駅の待合スペースに座っていた時のこと。
待合室と同じ空間にある、今や貴重となった立ち食いそば屋で、若いおばあさんと小学校入学前後くらいの男の子がそばを食べていた。

男の子はDD51の模型に興味を示したようで、おばあちゃんに「いくらするの?」としきりに尋ねる。おばあちゃんは、ちょうど手が空いたそば屋の店員さんに尋ねるが、知る由もなく「駅員さんなら分かるかも」。
男の子はどうしても値段が知りたいようで、改札口のほうを眺めるが、間もなく列車が到着する時間。「駅員さんは今忙しいから後でね」とおばあちゃんに止められていた。僕はその列車に乗ったので、どんな結末になったかは分からなかった。

男の子が知りたがった値段というのは、模型の価格だろうか、それとも機関車実物?
模型だとすれば、非売品だろうから答えにくそうだし、安くはなさそう。機関車実物だとしても50年前の製造だから、貨幣価値の変化を含めて子ども向けに回答するのは難しい。
ちなみに、JR貨物の最新型ディーゼル機関車「DF200」形は1台4億円、それをJR九州「ななつ星」用にした7000号機は5億円とのこと。(余談だが電車1両の場合、在来線は1億、新幹線は3億が相場)
どっちにしても、男の子は値段を知ってどうしたかったのか気になりながら、列車に乗り込んだ。
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新屋かまくら2014

2014-01-25 23:32:01 | 秋田の季節・風景
1月中旬まで雪が少なめだった秋田市。1週間前の18日頃はしんしんと雪が降り続け、積雪は30センチ台に増え、22・23日には41センチまで達した。気温は真冬日にはならないものの、大寒らしい寒い日が続いた。
昨日24日からは寒さが緩んで、最高気温は24日は7.9度、今日25日は8.9度まで上がったため、雪融けが進んで19センチまで減った。明日からはまた冷えて雪になる予報。

そんな中、恒例の「あらや大川散歩道雪まつり」が行われた。※昨年の記事
今年で12回目で、秋田公立美術工芸短期大学(美短)が4年制化されて秋田公立美術大学になってから初めて。おおむね例年どおりの内容。

このイベントは、天候に恵まれないことが多い気がしている。猛吹雪になったり雨が降ったりして。もう1週間早いか遅くなら大丈夫なのに…と思うことがあった。
今年も上記の通り気温が上がって、雨が降る予報の中の開催だったが、実際にはミニかまくら点灯時間中はほとんど雨は降らず、風が弱い穏やかな天候だったので、結果的には良かった。雪の量も確保できた。

美大正門の看板代わりの雪像も恒例となった
美大構内に入ってすぐの「サークルプラザ」という広場。以前は真っ暗だったこともあったけど、今年は…
けっこうにぎやか
サークルプラザ全体にろうそくの灯りが見え、さらに人がたくさんいる。近年になく活気が感じられた。
今年も右側のレストハウス(学食)が開放されて灯りが点いている
事前に新聞でも報道されたように、これらは美大1年と短大から編入した3年次の授業で、学生が23グループに分かれて雪像を創作・制作したもの。

新屋に点在する湧き水をイメージしたものなどがあったようだが、素人には何をモチーフにしたのか分からないものもあった。解説なんかがあるとより楽しめそう。
今年は「午」年
サークルプラザ中央にある女神「エオス」像が馬車に乗っているからか。
 

倉庫棟付近から遊歩道にかけてはいつものミニかまくらが並ぶ
一部、雪が融けた水でじゃぶじゃぶだったけれど、多くはザラメ状で歩行に支障なし。遊歩道と道路の間には、除雪された雪山ができていた。
明るめに補正

 
今年は本部や新屋駅側まで行かずに戻ったので、ここまで。


美大正面に向かって右側、ATMや新屋図書館側へ行く市道との分岐付近に、
巨大な雪山
見通しが悪いし歩行者もいる。片付けたほうがいいんじゃないだろうか。
今年は除雪はおおむねスムーズだけど、所々こんな箇所もある。


そういえば、美大周辺を歩くのはかなり久々。※美大開学直前開学直後
避難場所の看板は美大に替わっている

学長名のこの看板は「短期大学」のまま ※その後の変化は、この記事末尾のリンクから2015年の記事参照

美大前の上り(秋田駅行き)側のバス停には、
上屋が設置されていた!
旧秋田市交通局が末期に設置していたのとほぼ同じサイズ・仕様(車道側に透明な板が付く)のもの。色や細かなデザインは異なり、初めて見たタイプ。
ベンチがあればベストなんだろうけど、空からの雨・雪と車のしぶきを防ぐことができるようになった。

秋田市内のバス停の上屋は、ここ最近は老朽化や暴風に伴う損壊で撤去されることはあっても、新規設置はほとんどなかった。これも美大開学の効果だろうか。

※翌2015年はこちら
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学校給食

2014-01-23 23:46:07 | 秋田のいろいろ
1月24日は月遅れの「学校給食記念日(学校給食感謝の日)」で、同日から30日までが「学校給食週間」。
2012年の記事で紹介した通り、1946年12月24日にアメリカからの救援物資を使った学校給食が始まった(戦時中の中断を挟んでの再開)ことにちなむのだが、12月24日は冬休み中の学校が多いため、1か月後にした経緯がある。

2012年に昭和末期から平成初期の秋田市立学校の給食の思い出をアップしたところ、懐かしさに共感するコメントをいただいた。
今は知らないが、当時の秋田市の学校給食は、多くの児童生徒にとって学校生活や食生活における大事な思い出のひとコマであったようだ。


それから2年。気になった学校給食に関するニュースがいくつかあった。
東京都の小学校でアレルギー対応の給食を食べている児童がおかわりをした際、担任教員が確認せずに通常の給食を渡してしまい、児童が亡くなったのはいたましい。
あとは異物混入が多く報道された気がする。秋田市立の学校でも連続して発生したものの、給食室の調理具の部品だったり、業者が納入した加工済み食品の加工時に混入したものもあり、原因はさまざま。これは昔からあったけれど、報道されなかっただけなのかもしれない。
【2月4日追記】秋田市の異物混入は、2013年10月から11月末までの間に小学校で5件発生した。

そして、食中毒。
静岡県浜松市のものが記憶に新しい。やっと落ち着いたようだが、1000人超が欠席した。原因は食パンに付いたノロウイルス。
ノロウイルスは怖い(症状よりも感染力が)と思うとともに、素人考えでは、おかずでなくパンで食中毒というのが意外だった。考えてみれば、焼き上がった後、そのままの状態で口に入るわけだし、給食室でいくら気を配っても防ぎようがない。

秋田市の給食用パンは、たけや製パンが製造しているわけだけど、最大手・山崎製パンの系列で同社のノウハウを使っているだろうから、衛生面では安心していい、のかな?



さて、学校給食とは直接関係ないが、昨年末、秋田市でノロウイルスによる集団食中毒があった。
※企業名を出しますが、特に批判する意図はありません。過去には他の業者でも食中毒が発生しており、現在は以前同様に親しまれている所もあります。今後の一層の衛生管理を期待するものです。
秋田市や潟上市の県庁職員など61事業所240名が症状を訴えた。原因は昼食の仕出し弁当で「秋田米飯給食事業協同組合」が製造したもの。

秋田米飯給食事業協同組合(以下「米飯給食」)といえば、元々は学校給食のご飯を製造・納入している業者。以前の記事でも触れたが、昔は暗赤色の弁当箱で1人分ずつ配膳されていた。普通のご飯以外にも、手巻き寿司用に酢飯、ゆかりごはん・わかめごはんも作っていたし、コンビニ弁当のような「カツ丼」が「カツ弁当」という献立名で赤い弁当箱に入って出たこともごくまれにあった。
また、昔から、一部コンビニやスーパーで販売される弁当や惣菜類を「べいはんデリカ」のブランドで製造もしていた。
それに加えて、オフィス向けの昼食宅配もやっていたようだが、こんなに大々的だったとは知らなかった。(他の宅配弁当業者は、一般家庭でもエリア内なら届けてくれるはずだが、米飯給食は事業所専門。家庭はダメで事業所なら1個から届けるというのが、なんかヘン)

今回も他の食中毒事例同様、原因解明・行政処分が出る以前から、自主的に営業を取り止めた。
オフィスの昼食の代わりはなんとでもなるが、学校給食への影響が出てしまった。
12月21日付秋田魁新報社会面によれば「(食中毒を起こした業者は、)市内の小中学校計67校にも米飯給食を提供している。業者の自主休業を受け、51校が20日に米飯を別業者のパンに切り替えた。」とある。
「市内の小中学校計67校」とはすなわち、すべての秋田市立小学校・中学校。冬休み前だったので、おそらく20日の1回だけだったはずだけど、献立変更や奇妙な組み合わせの給食(カレーにパンとか。まさか手巻き寿司の具にパンとか?)を食べさせられた学校もあったかもしれない。

「別業者のパン」とは、たけや製パンだろう。
そういえば、たけやと米飯給食は、関連がある企業・組織どうし。たけやの社長が米飯給食の理事長を務めているのだ。
11月に開設されたのを発見したたけやのホームページにも、控えめながら「秋田米飯給食事業協同組合」が関連会社であることが出ている。1979年4月設立だそう。

一方、米飯給食のほうもホームページができていて、それによれば昨年10月に開設されたようだ。
ホームページのデザインというか構造(リンクなどの配置)がたけやと米飯給食でそっくりで、同じ制作会社に依頼したものでしょう。

米飯給食のホームページには、たけやとの関係は記されていないようだ。また、サンドイッチや調理パンを製造する「株式会社リベール」については、簡単な紹介が米飯給食のホームページに出ている。(たけやのホームページにも、米飯給食と並んで名前は出ている)
所在地は米飯給食と同じ町内で、設立も1979年12月と近い。社長もたけや社長、米飯給食理事長と同じ人。

ちなみに青森の工藤パンにも、「幸福の寿し本舗」という、米飯給食やリベールのような位置付けの子会社が存在する。


とにかく、給食でもそれ以外でも、すべての食品を扱う企業やお店には、細心の注意を払って、安全でおいしいものを提供し続けていただきたいものです。

【2018年12月4日補足】2018年11月30日付朝日新聞社会面によれば、
1976年に全国で米飯給食が始まったが、「パン業者の一部は米飯給食の開始時に炊飯組合を作り、ご飯の提供を始めた。だが、給食室の建て替えなどに合わせ、自前でご飯を炊く学校が増え、炊飯組合の利用は減っているという。」
秋田米飯給食も、そうした流れで設立され、(秋田市は最近は茶碗盛り付け方式になったそうだけど、どこで炊いているのかは不明)そこそこうまくやっているということなのだろう。

ちなみに、秋田市の学校給食での米飯は、1976年に一部学校で、1979年に給食実施の全学校(=当時は全小学校+一部中学校)に拡大。本文の通り、秋田米飯給食は1979年4月設立なので、本格実施に合わせてできたことになる(その前3年間はどうやっていたんだろう?)。

【2023年9月6日補足】同日付朝日新聞「しつもん! ドラえもん」より。
全国的に米飯給食黎明期には、製パン業者がパン釜を使って炊飯したところが多かったらしい。その場合、容器に制約があって、惣菜のグラタンが入っているような、使い捨てのアルミ製容器(蓋もアルミ)で炊飯して、それが配られたのだという。2020年代でも、浜松市など静岡県では存続しているとのこと。

全国各地で、製パン業者やその系列組織が米飯を扱うようになった理由は、パンの売上が減る分の補償的意味合いや、いわゆる既得権益の維持だったのではないかと勘ぐっていた。でも、パン釜炊飯を知れば、大量に炊飯して輸送できる体制やノウハウを持っていたのが製パン業者で、他業種が参入するのは難しかったという側面もあったようだ。
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学校の話

2014-01-21 22:58:29 | 秋田のいろいろ
学校の話。
●御野場中の校歌
詩人の吉野弘氏が15日、87歳で亡くなった。山形県酒田市出身で、亡くなったのは晩年移住したという静岡県富士市。
以前の記事では取り上げなかったけれど、吉野氏は、秋田市立御野場中学校の校歌を作詞している。
秋田県立新屋高校や私立秋田和洋女子高校の校歌の作曲者・三善晃氏が昨年亡くなった際は、地元紙に死亡記事は掲載されても、秋田とのゆかりには触れていなかった。

今日の秋田魁新報では、社会面で吉野氏の死亡記事を顔写真入りで比較的大きく掲載。そこでは「校歌や社歌の作詞を手掛けた」とするに留まった。(共同通信からの配信そのままだろうから。なお、葬儀後の発表だったようで、出遅れたわけではない)

ところが、1面コラム「北斗星」。
こちらでも吉野氏の逝去を取り上げ、さらに御野場中の校歌にも言及している。ちょうど30年前、地域の悲願だった開校に際して、住民や教職員から「せっかくなら立派な校歌を」との声が上がり、「当時の教頭先生が、旧知の仲だった吉野さんに依頼した。」という。
こういうことを伝えてこそ、「郷土の新聞」だ。しかも、亡くなったことが明らかになってすぐに御野場の話と結びつけるとは、かなり迅速。
今回は魁を評価しましょう。


さらに、御野場中学校の公式ホームページ。
今年度は頻繁に更新しており、今日付で「校長だより 校長室の窓」の「No.43」が掲載された。(配布している印刷物の転載か。ユニークな校長先生の後任ということになる)
それによれば、魁の記者から「吉野氏が亡くなったので、校歌が作られた経緯を教えて」という電話があったそうだ。そこで、校長先生が当時のPTA会長に問い合わせ、それを元に北斗星に掲載されたとのこと。吉野氏は御野場中創立10周年記念誌に寄稿もしていた。
魁も迅速だったが、御野場中の迅速な対応も、今日の訃報記事と同日の紙面への掲載につながったようだ。


●はじめてのこうちょうせんせい
亡くなったといえば、秋田では、学校の校長経験者が亡くなった時にも、社会面に死亡記事が掲載される。吉野氏の場合と同様なスタイル(内容は簡単な経歴、校長を務めた学校名と期間程度だけど)で。
※遺族による「死亡広告」や、死亡届に基づく「おくやみ」欄とは別物。

遺志や遺族の意向なのか、掲載されない方もいらっしゃるようだが、亡くなった年齢(退職後長期間経っていても)や勤務校の規模などに関わらず、元校長先生なら原則として掲載されるようだ。

ここ最近、お2人の校長経験者の死亡記事を目にした。僕が小学校に入学した時の校長先生と教頭先生だった方々(のはず)。(=教頭先生は後に校長に昇進・異動して退職したことになるので、経歴には未掲載だった)
【14日追記】ただし、校長として1校にしか勤務したことがない人の場合、「○○学校教頭を経て、平成xx年から××学校長」などと、教頭の経歴も付記されることがある。
【2015年1月5日追記】魁では年末に「墓碑銘」という国内外のその年に亡くなった人やその概要を、分野ごとにまとめた記事が出る。2014年は12月30日に掲載。※この記事後半参照
2面のうち1面が秋田県関係者で、さらにその3分の1ほどが教育関係者。小中高校の学校長経験者も掲載されており、亡くなった時とその年末と、2度載ることになる。

入学したての子どもにとって、「初めての校長先生、教頭先生」というのは、特別な存在感があった。まして当時の50歳代の外見は、今にして思えばだいぶ「年寄り」だったから。
お2人とも日本人男性の平均寿命を越えておられた(吉野氏と同年輩か)とはいえ、もうそんなに月日が流れたのかと、改めて感じた。



●校名は?
話が変わって。昨年、秋田市にある県立秋田南高校が、中高一貫校化されることが明らかになった。

昨年春には、同校の校長が県教委宛てに「一貫校にしたい」という要望書を提出した。
自ら一貫校になりたいと申し出るとは唐突に感じたが、その直後の教職員の定期異動では、同校の教頭2名のうち1名に、秋田市立中学校の教頭を充てるという、異例の人事(中学校と高校間で教員の異動自体、かなり珍しいはず)があり、着々と一貫校化の準備が進んでいたようだ。
【3月24日追記】↑「教頭2名のうち1名に」ではなく「副校長1名と教頭1名のうち、教頭に」かもしれない。秋田県立高校・支援学校のうち、かつて教頭を2名配置していた学校の一部において、現在は副校長と教頭を1名ずつを置く学校もある。教頭2名にするか副校長を置くかの基準がいまいち分からないのだが。(以上追記)
ちなみに、その異動した教頭先生は吹奏楽指導で実績のある方だそう。秋田南高校も吹奏楽全国大会の常連校なので、その辺の配慮もある異動だったのだろう。


そして昨年末、県から具体的な中高一貫化の計画が発表された。今年度末までに基本構想を完成させ、2016年4月の開校を目指す。
詳しく知りたい方は、県のサイト等でご覧いただくとして、概要を簡単にまとめると、
・現在の普通科(複数クラス)・英語科(1クラス/学年)を解消して普通科のみとする
・「併設型中高一貫教育校」で、中学校は1学年80名、高校は同240名(うち80名が中学校から進学)
・中学校は全県から募集(高校も、今は学区制が撤廃されたので全県からってことでしょう)
・現在の秋田南高校の校風や伝統を活かしつつ、国際教養大学との連携など国際的・グローバルな教育を行う
・施設は現在のものを活用(中学校用特別教室の設置などは必要でしょう)
といった感じ。
【25日画像追加】(再掲)国道13号線沿いの秋田南高校
秋田県内では、私立秋田聖霊女子短期大学付属中学・高校(※)、秋田市立御所野学院、県立横手清陵学院、県立大館国際情報学院に続く中高一貫校となる。
※聖霊は2013年度から中学校の募集を停止。


さて、となると気になるのが、新しい中高一貫校の学校名。
最近の秋田県立高校の統合を振り返れば、公募などにより新たな校名になるのが恒例のようなので。
清陵、国際情報のほか、ひともんちゃくあった湯沢叡陵を撤回して湯沢翔北、能代松陽といったように。
以前も書いたけれど、個人的には「県立秋田明徳館高校」の名称が好きになれない(というか紛らわしい)。ずっと前からある「秋田市立明徳小学校」や「秋田市立中央図書館・明徳館」と名前が似ている上、場所も近くて困るのだ。

秋田南高校を一貫校化した際の学校名を妄想してみる。
・秋田南中学校・高等学校?
現校名を踏襲したもの。
いくらなんでも、さすがにこれはないでしょう。秋田市立秋田南中学校と紛らわしくてしょうがない。
いや、明徳館高校の一件があった秋田県教育庁のことだから、あり得るかも?!【下の追記参照】

・秋田国際学院中学校・高等学校?
先に開校している県立一貫校はどちらも「所在市名+○○+学院」。
それを踏まえて、「国際」に重きを置くようなので。大館国際情報学院と似てしまうけど。

・「仁」「雄」「蕗」高校?
完全に妄想。
学校の所在地は雄物川下流の沖積平野に広がる仁井田(にいだ)地区。
そこからイメージ的に良さそうな「仁」や「雄」を取って校名にするのも悪くないかも。
さらに仁井田は秋田蕗の産地であり、南高校の校章にもあしらわれている。「能代松陽」だって「風の松原」からの着想なんだろうから、「蕗」を使ってもいいんじゃない?
問題はどんな文字と組み合わせて、何と読ませるかですが…

いずれ、公募や検討が行われて決まることでしょう。
校歌も新たに作るんだろうか。現校歌には「秋南(しゅうなん)の若人」というフレーズがあるので、校名が変わればそこがネックとなる。
※開校時は「秋南」を校名の略称にしたかったようだがまったく定着せず、「南高(なんこう)」が一般的な略称。
英語の歌詞になったりして。

【2015年3月14日追記】2015年3月14日の秋田魁新報1面の下のほうに「校名変えず「秋田南高」/中学は「中等部」」との記事が出た。
一貫校化を1年後に控え、県教委が校名の方針を固めたという。6月県議会の議決後、正式決定。
・高校は「秋田南高校」のまま
・中学校は「秋田南高校中等部」とする
 ※正しくはどちらも「秋田南高等学校」でしょう
・「高校教育課が昨年、校名に関して在校生や教員、OBらに意見を聞いた」結果、現校名を残してほしいとの「要望が多かった」。
・「「新一貫校は現在の秋田南の伝統と実績を引き継ぐことからも、変えないほうが適切」と判断」。
・「「中等部」の名が付く中学校は県内初。」高校教育課は「中高一体での学校運営を示すため『秋田南高』の名を付けつつ」「秋田南中や秋大付中と混同されないよう心掛けた」と説明。
といったもの。

ありそうだけど、まさかないでしょうと思っていた「秋田南」が残ることになりそう。
叡陵騒動の反省なのか、角館と同様に控えめの命名とも言える。公募や校歌・校章の変更の手間や費用を抑えたのかも?!

「高等学校中等部」とは、考えてみれば不思議な名称。中高一貫校に不慣れな我々(古い世代の地域住民など)にしてみれば、ある意味分かりやすいかな? かえって分かりにくい??
高校本体のほうを区別のために「高等部」などとは呼ばないのだろうか?

でも、やっぱり気になるのが秋田市立秋田南中学校との混同。
「南高校中等部」という名称にすることで「混同されないよう心掛けた」とは言うけれど。
在校生や卒業生、地域住民は、略して呼ぶだろう。「南高校中等部」は「南高中」?
秋田市立秋田南中から南高へ進学した人と、一貫校で内部進学した人が混同されたり、同窓会に間違って参加したりといった、ちょっとした(?)行き違いが起きるかもしれない。
(余談だが、県立秋田高校は、終戦直後の一時期「秋田南高校」と称していたことがある。南高開校とは10年ほど差があるので大きな混乱はないが、若干の勘違いは招く)

中等部の部活動が全国大会などに出た際、その主催者や他県の学校関係者たちは、「秋田市には『秋田南中』と『秋田南高中』の2つが存在する」ということは知らないだろう。だから、秋田南高中等部のことも「秋田南」と呼んでしまって、区別できなくなりそう。
場合によっては「秋田南高」と略されて「中学校の大会に高校が出てるの?」と混乱されるかもしれない。

秋田市と秋田県の教育機関の名称としては、上記本文にもある「明徳館」のように、「秋田市がずっと先に名前を使って市民に定着しているのに、県が後から同じ名を別に使ってしまって紛らわしくさせる」事態になりそうなのが、やっぱり心配。
立地的に「秋田南」にはあまりそぐわない、市立秋田南中のほうの校名を変えれば…というのは筋が違うし。
県民や県議会がどう反応・判断するかだけど、どんなもんでしょう?(以上追記)※続きはこちら


●角館統合校
秋田県仙北市角館(旧角館町)には、男女共学の県立角館高校と女子高の県立角館南高校が存在する。角館が柳葉敏郎、角館南が藤あや子の母校である(他にもそうそうたる卒業生がいらっしゃるが、割愛)。
角館が舞台の武田鉄矢主演の1980年の映画「思えば遠くへ来たもんだ」では、男子校の「角館東」と女子高(校名?)が存在する設定だったが、現実はそれと微妙に異なる。【けっこう複雑な経緯があった。末尾の2019年12月6日の追記参照】
今年春、その2つの高校が統合される。

その校名は「県立角館高等学校」。
両校を閉校して、新たな角館高校が開校する形。
上記の通り、昨今の秋田県のやり方からすれば、「仙北桜ナントカ高校」なんていう校名になりそうなものなのに、角館高校で落ち着いた経緯は、地元の声が大きかったようだ。
PTA、同窓会などからの意見聴取、生徒、職員へのアンケート(9割が賛成)の結果、「角館」に決まったという。
校章は現・角館のものとし、画家・平福百穂による角館南の校章も「略章」として存続。
校歌はそれぞれを第一校歌、第二校歌として継承する。なお、現角館校歌→第一校歌は、島木赤彦と斎藤茂吉が関わっている。

校舎は、工事期間を経て最終的には、全日制が現・角館の位置、角館南の位置を「駒草キャンパス」として定時制と県立大曲養護学校の分校が設置される。

両校にだいぶ気を遣った統合のやり方のように感じなくもない。教育庁としては叡陵騒動の反省を踏まえたのかもしれない。
でも、大きくない町に2つあった高校が統合し、これからは地域唯一の高校として地域と共存していくには、これでいいのではないだろうか。
関連記事(新聞の高校合格特集)
教職員異動について


【22日追記】
●都市名+方位
秋田南や角館南のような「所在自治体名+方位」を名乗る高校は昔はたくさんあったけれど、統廃合によってだいぶ減ってしまった。
現在は、能代西、秋田西、秋田北、秋田南、角館南の5校。
能代西も将来的には能代工業との統合が計画されているそうなので、最終的には秋田西と秋田北だけになってしまう。

【7月21日追記】2014年夏の高校野球秋田県大会で、(新)角館高校の応援団が一世風靡セピアの「前略、道の上より」を演奏していた。
一世風靡セピアには、(旧)角館高校OBである柳葉敏郎氏が所属していたから、それにちなんだのか?(他にも演奏する学校があるらしい)
【8月17日追記】その後、角館高校は統合前からの悲願だった甲子園出場を果たすも、一回戦で敗退。
対戦相手は、鳥取県立八頭(やず)高校。試合では、八頭高校側が「前略、道の上より」を演奏していた(いわゆる「チャンスタイム」用らしい)。対戦相手がこの曲を歌っていた人(のうちの1人)の出身校であることを知ってのことだったのだろうか?
見ていた限りでは、角館高校側では演奏されなかった。

【2019年12月6日追記・角館2高校の戦後の変遷について】
学制改革の1948年時点では、角館北高校と角館南高校という学校名で、1951年に統合して角館高校に。
しかし、1951年度は、合併前の学校がそのまま「北校」と「南校」に分かれていた。秋田魁新報の連載「時代を語る 安藤恭子8」によれば、北校が男子、南校が女子と実質別学だった。
1952年に両校が再び分離して、また角館北高校と角館南高校。北高は1954年に角館高校に改称し、その体制と名称で2013年度まで続いたことになる。※角館北→角館が、いつ男子校から共学に変わったのかは不明。
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県内外のバスの話題

2014-01-20 23:41:52 | 秋田のいろいろ
秋田県内外のバスの話題をいくつか。
●もう1台
昨年末、秋田中央交通が2年ぶりに新車のノンステップバスを導入していた。いずれも中型のいすゞエルガミオ「10-27」「10-28」の2台を確認済み。

今日、大寒の風景を伝える秋田朝日放送のニュース映像に、「10-29」というナンバーの中央交通のいすゞ製のバスが映っていた。一瞬だけ、部分的に映ったので詳細は分からないが、「ノンステップバス」表示があり、ISUZUロゴの位置からすれば新車のエルガミオではないかと思われる。
ということで、少なくとも3台も新車を購入していたのだった!

【2月15日追記】10-29は臨海営業所所属だった。したがって今回導入した3台は、秋田営業所2台、臨海営業所1台の配置。

●検索機能
使う側の立場からすれば、いまいち使いづらい、中央交通ホームページの時刻表検索。※以前の記事
運賃については、「秋田駅(西口、東口とも)から任意の停留所まで」の時刻を検索した場合しか表示されず、途中停留所相互や「秋田駅まで」の運賃はホームページ上では知る術がなかった。

それが、いつの間にか(正月に発見)、時刻検索結果のどの区間においても、運賃が表示されるようになった
告知はなく、見かけも以前と変わりなかったけれど、わずかながら進化していた。
秋田駅を通らない新港線の運賃も分かる
新屋高校→飯島北は660円か(ちなみに駅-飯島北は550円)

複数経路がある区間では、時刻だけでなく運賃でも比較できる
組合病院→自衛隊入口では、高専前経由とサンパーク経由で100円も違う

消費税増税を控えて、運賃を調べやすくしようという配慮なのかもしれない。
また、全国的な流れとして、車内の運賃表示器が「運賃が変わる停留所までの運賃」を表示する方式から、「次の停留所の運賃」を表示する方式に変わりつつあり、中央交通では両方のタイプの表示器が混在している現状。
そのため、乗り慣れない区間では、降りるバス停の直前で運賃が上がってしまって、「これだったら1つ前で降りれば良かった」と後悔することが、ケチな乗客としてはたまにある。
事前にネットで調べておけば、そういう後悔はしないで済むのがありがたい。ケチな乗客としては。

できれば、検索システムを全面リニューアルしてほしいところ(バス停名のフリーワード検索、バス停ごとの表形式の時刻表生成など)ではありますが。


以下は秋田県外。
●バス旅最新作
この記事などで取り上げた、テレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。
その最新作・第16弾が、1月4日にテレビ東京系では放送されていたらしい。

秋田の民放各局はどうせ放送しないだろうから、BSジャパンかケーブルテレビで見られるIBC岩手放送での放送を待っていたところ、岩手放送が19日・日曜の午後にさっそく放送してくれた。
BSジャパンでは2月3日・月曜日18時30分から放送だそうなので、今回もまた、岩手放送は早い。

テレビ東京では3時間半スペシャルだったようだが、岩手放送では3時間で放送。
14時から15時24分の前編と15時30分から16時54分の後編に分けられていて、前編の終わりにもエンドロールが流れた。全体としてはテレビ東京よりは30分程度はカットされたのかもしれない(CMが短い気もしたので、そこでも調整したのかもしれない)が、2時間などの短縮版のようなせせこましさがなくて、やっぱり長いバージョンのほうが見応えがある。それを購入して放送してくれる岩手放送に感謝。


今回はちはるをゲスト(マドンナ)に、千葉県館山から福島県会津若松を目指すも、郡山で接続がなく断念。夏に続いて2回連続の未到達となった。
気づいた点。
・江戸崎から土浦まで乗ったJRバス関東「11-60」
外見はありふれた路線バス用三菱エアロスターだけど、非常口そばの座席が、向かい合わせで4人座れる(つまり2人は後ろ向きに着席)、列車のボックスシートのような配置だった。(座席自体は一般的な路線バスのものを逆向きに設置しただけ)
太川さんたちも初めて見たと言っていたが、僕もこんな座席配置があったとは知らなかった。酔いそう…

調べたら、ノンステップバスのタイヤハウスによるデッドスペース解消の目的で採用されていたことがあったらしく、このバスは東急バスの中古だそうだ。

・黒磯の東野交通営業所で2時間粘って聞いたシーン
東野交通は「とうや」と読むそうで、初めて聞いたバス会社名だったが、運転士や営業所員たちがかなり親切に教えていた。
日光から松島へ向かった2009年の第5段と同じルートを取れば良いことになり、その旨を運転士から指摘されて知った。

・須賀川から乗った福島交通のバスが終点・郡山駅に到着する時の車内放送
この番組では、車内放送の音声をメインで流すことは少ないが、結果的に番組内での最終到着地となるためか、珍しく明瞭に聞き取れた。
女声なのだが、おそらく合成音声ではないだろうか。
一般的になった人間の声をパーツで録音して組み合わせて再生するタイプではなく、コンピュータでイチから合成するタイプの。
テレビ東京「モヤモヤさまぁ~ず2」では、元々はナレーターの手配が間に合わずやむなく使ったという、HOYAサービス「VoiceText」というソフトの「ショウ君」の声を使っているが、それと同じような。

人の声を使った音声合成では、後々のバス停名変更などにも従来より簡単に対応できるとは言え、その収録の都度、同じナレーターを起用しなければ、おかしくなる。
コンピュータの声なら、そんな心配はなく、費用もさらに節約できるのかもしれない。現段階では、肉声と比べて全体的に違和感があるけれど。

・郡山駅前に全のりばの時刻表をまとめて掲載するスペースがあった
他の都市でもたまに見られるが、乗り場=時刻表が分散しているターミナルにおいては、分かりやすくて親切。
秋田駅前にもあってもいいのではないだろうか。(検索できる端末を秋田市が設置しているが、紙の時刻表ならではの見やすさには代えられない)

●バス旅DVD発売
その「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」のDVDが4月2日に発売されるそうだ。
京都から出雲大社を目指した第8段(2011年3月26日放送、マドンナ川上麻衣子)、松阪から松本城の第12段(2012年9月1日、加藤紀子)で、各税抜き3800円。
ジャケットは蛭子さんによるイラスト(そういえば蛭子さんは漫画家だった!)で、それぞれ出演者した3名によるオーディオコメンタリーが特典だそう。
オーディオコメンタリーはちょっと気になるけれど、買うまでは…かな?
※オーディオコメンタリーとは「副音声を使ったおしゃべり」みたいなの。数年前に出たNHK教育テレビ「たんけんぼくのまち」のDVDでも、チョーさんなどによるオーディオコメンタリーが収録されていた。当時を振り返る思い出話的なものだったけど、なかなかおもしろかった。


●バス会社のテレビCM
地方のバス会社はある意味「独占企業」であるから、広告宣伝はさほど行わないことが多いのではないだろうか。(バスツアーなどは別として)
秋田中央交通では、昨年、秋田駅西口のバスターミナル建て替えに伴う乗り場変更などの告知を新聞とテレビでやって、珍しいと思った。

岩手県でおそらく最大手の「岩手県交通」では、最近テレビCMを流していて、IBC岩手放送で年明け以降何度か見た。日曜11時15分頃の「サンデー・ジャポン」内や、今回のバス旅のタイトル画面の直後に流れていた。Youtubeにも公式にアップされている。
15秒で「わたしたちの務めは、『行ってきます』から『ただいま』までの橋渡しをすることです」とかいう企業メッセージ的なものと運転士募集を兼ねた内容。
最後のシーンは岩手銀行中ノ橋支店前
モデル(?)を複数起用したり、走行シーンが複数盛り込まれていて、ローカルCMにしては手が込んでいるように感じた。

気になったのが、走行シーンとハンドルを握ってギアチェンジする運転士のシーンの場面。
橋を渡るバスは、富士重工ボディ・国際興業新塗装の車両(岩手銀行前の車両も同じ形かな)

車内ではハンドルに「NISSAN DIESEL」と表記がある
外と中で同一の車両かどうかは断定できないが、同一車両の可能性もある。(外観はいすゞもしくは日産ディーゼル製のどちらか)

特に車内のシーンで、日産ディーゼル製であることが分かる車両で撮影を行ったことについて、ちょっと引っかかる。

なぜなら、岩手県交通は国際興業グループ。
国際興業グループに、いすゞの販売会社(北海道いすゞ)が属している関係上、国際興業グループの各バス会社では、長らく、原則としていすゞ製の車両しか購入・使用していなかった(「できなかった」のか?)。
最近は、その縛りも緩んできているようで、特に中古車では他メーカー製も増えつつあるバス会社が多いようだ。岩手県交通の場合、東日本大震災で失った車両の代替として、東京都営バスから譲り受けたり、ヤマト運輸と提携した車両整備会社が発足したりして、いすゞ一色ではなくなっているらしい。

とはいえ、国際興業グループの一員の企業のテレビCMならば、純正ボディ・最新型のいすゞ製車両で撮影を行ったほうが良かったのでは? 国際興業側が見たら、心象を悪くするんじゃないの? なんて余計な心配をしてしまう。

また、日産ディーゼル(現・UDトラックス)も富士重工も、現在はバスの製造から手を引いている。つまり、両社の車両=「新しくない」ということになる。あえて、それを撮影用に選ぶ必要があったのだろうか。

※この時点で、国際興業と岩手県交通(や十和田観光電鉄、秋北バス)との関係に変化が生じていた。この記事参照。


【21日追記】
●弘南バス2月改正
以前アップした2月からの弘南バスの一部路線の改廃の詳細が判明。リンク先末尾に追記しました。
おおむね予想通りだったが、茂森線減便の代替措置として、久渡寺線が上りだけ2本も増便されるのが意外。久渡寺まで回送して、茂森線区間まで6キロも走るのでは、けっこうなロスになりそう。だったらその時間も茂森線を残したほうが効率的にも思えてしまう。
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なかいち

2014-01-19 20:26:14 | 秋田のいろいろ
秋田市中心市街地にある日赤病院・婦人会館跡地の再開発事業によって2012年7月にオープンした「エリアなかいち」と周辺から。※オープン直後の記事

●やっぱり
なかいちの商業施設の核テナントである食品スーパー「サン・マルシェ」が、今年3月で退去(賃借契約解除)する意向であることが先週分かった。

整理すると、商業施設の所有・運営者が「秋田まちづくり」。
そこに2550平方メートルの核テナントとして入るのが、卸町で同名のスーパーを経営している「秋田まるごと市場」という企業。なかいちのスーパーは「サン・マルシェ」という店名。さらにその中に「北野エース グロッサーズ」などがサン・マルシェのテナントとして入って営業しているという形。のはず。たぶん。

今回は、昨年末、秋田まるごと市場から秋田まちづくりに対して、「売り上げが見込みに届かない」ため契約解除したいと文書で伝えられた。
これを受けて秋田まちづくりは、後継テナントを複数社と交渉中。
一方で、秋田まるごと市場側は契約解除は「完全撤退」ではなく、4月以降は別の形で関わりたいとしており、秋田まちづくりの社長も「まるごと市場にアイデアがあるなら話を聞く」と話している。


やっぱりこうなったか、という感想。夕刻の見切り品が並ぶ時間帯には、勤め帰りの人で賑わうけれど、それ以外は…という状況のようだし。開店から1年半、さらに2013年3月にリニューアルして1年で、というのは、ちょっと早いかなとも思ったけれど。

(以下、以前も書いたと思いますが…)
2013年3月にリニューアルしてやや庶民的にはなったとは言っても、まだ高級志向だし、秋田でそれを求める顧客は多くないはず。
車ならそう遠くない卸町に同経営・同コンセプトのまるごと市場がある。それになかいちから500メートル歩いて駅前のザ・ガーデン自由が丘西武(旧イトーヨーカドー秋田店)へ行けば、食料品や生活用品なら同価格かそれ以下で購入できるのだし。
この場所に、この店が必要なのか、必要とする客がどれほどいるのだろうか。せめて(立地的にやや離れて周辺にスーパーがない)大町のニューシティ跡にでもあれば、必要とする客は多少はいそうだけど。

あと、できてしまってはどうしようもないが、大々的に取り沙汰されたわりには、狭い店舗面積。それに外周から見ればほとんどが壁面で、内部を窺ったり出入りしたりできる箇所(駐車場出入口を含む)が少ないという閉鎖的なレイアウトも入りにくさ・利用しにくさを増長していると思う。
作った人たち(再開発組合)には、オープン前にもっと周辺住民や客の要望を聞いてほしかったと、改めて感じてしまった。

【3月28日追記】3月21日放送の秋田朝日放送「トレタテ!」によれば、商業施設の1日の来店客数は、オープン当初は3000人だったのが、最近は平日の少ない日は1600人程度まで減っていたとのこと。

※続きはこの記事後半



●もうすぐまた
なかいち内に移転した秋田県立美術館
目玉展示である藤田嗣治による大きな絵「秋田の行事」は再注目されており、秋田の民放局はそれが作られた経過や背景の特番などをやっていた。

今朝放送のNHKEテレ「日曜美術館」では、「永遠の異邦人~藤田嗣治・知られざる実像~」として取り上げていた。齋藤孝明治大学教授をゲストに県立美術館で収録したもので、秋田の行事以前を含めた藤田嗣治の生きざまが紹介されており、おもしろかった。(26日夜に再放送予定)
秋田魁新報が自らを批判しながら報道した企画展「レオナール・フジタとパリ 1913-1931」に連動したものなんでしょうけど。秋田では2月2日までで、今後は岡山県立美術館へ巡回するらしい。

ということで、日曜美術館を見て、全国から秋田県立美術館を訪れる人が増えるかもしれない。
奇しくも、「大人の休日倶楽部パス」今年度最後の利用期間が1月21日から始まる。パスの最終日は企画展最終日の2月2日なので、前回ほどはせっかく来たのに見られなかったという事態は少ないかもしれないけれど、美術館以外の観光関係各業界も含めて、お迎えする準備は大丈夫でしょうか。



●多少は改善
秋田駅西口から西へ伸びる仲小路は、エリアなかいちによって分断された。
それ以前から、なかいち西側のキャッスルホテル前に秋田中央道路地下トンネルの出口ができたため、北側・仲小路を渡る東西方向の横断歩道が1つ廃止され、さらに東西方向の横断距離が長くなってしまった。
これによって、歩行者の心理としてはなかいち側と木内側の間に大きな障壁ができたような状態になっていた。※以前の記事

なかいち着工前は「コ」の字(北側が横断不可)に、着工以降は仲小路の一部廃道に伴って東側が歩道化されたので逆「L」字に横断できた。
歩車分離式ではなく、さらにトンネル出口側の車両用青信号が別になっているので、歩行者がここを横断する時の待ち時間は短くなかった。
特に、なかいち側からキャッスルホテル前へ横断する時は、幅ほんの数メートルの仲小路(南北方向)横断にだいぶ待たされたものだった。(車はさほど通らないから隙を見て信号無視すれば…というのはナシで)
なかいち方向。横断歩道は手前の南北と右の長い東西の2か所
昨年末、その交差点で「改造」が施された。
信号機のサイクル(「現示階梯」と呼ぶらしい)が一部変更になり、歩行者の待ち時間が短縮された。
長い東西方向が青の時に、同時に仲小路を渡る南北方向の歩行者用も青を示すようになり、待ち時間なくL字に横断できるようになった。

なお、南北方向の車両用が青の時も、従来同様、同方向の歩行者用は青なので、「歩車分離式」ではない。
青信号の順番としては、従来は[トンネル出口(車)]→[南北(歩・車)]→[東西(歩・車※車両用は一方通行入口向き)]だったのが、
現在は[南北(歩・車)]→[トンネル出口(車)]→[全歩行者用]。
なかいち側から
待ち時間短縮はうれしいけれど、ややクセのある(?)サイクルなので「見切り横断」や、車両が歩行者用信号機を誤認してしまう恐れはありそう。歩行者もドライバーも、信号をよく見ましょう。
どうせなら完全な歩車分離式にしたほうが、安全なような気もしてしまうが、中央道路出口の存在がネックでできないのだろうか。
正面の信号機が撤去された
階梯変更に伴い、なかいち側の柱に西向き(つまり一方通行の入口向き)に設置されていた車両用信号機は、使用停止となりカバーが掛けられ、年明けに撤去された(新しいLED式だったので予備用として倉庫へ収まった模様)。
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看板の顔

2014-01-16 23:59:36 | 秋田の季節・風景
突然ですが、これは誰でしょう?
 
この2つは、秋田市内に設置されている看板に描かれている顔。誰かの似顔絵のようではある。

まず、ピンク地のほうは、聴診器を持った人物。顔は、輪郭や目、眉毛からすれば「クレヨンしんちゃん」のタッチに似ていて、特に髪型以外は「野原しんのすけ」、あるいは全体的にはしんのすけの友人「風間トオル」を連想した。
※原作・アニメとも、製作時期によってキャラクターデザインは異なるので、人によって感じ方は違うかもしれません。
聴診器からも分かるように、これは、
クリニックの広告看板
クリニックそのものの看板にも同じキャラクターが描かれており、院長先生がモデルなんだろうか?
これはつい最近発見した。


もう1つのピンク色の顔の人物は、だいぶ前から知っていてた。看板の傷み具合からしても古いもののはず。
「雀歴」と言っているように、雀荘の看板。
僕はてっきり、この人物は武田鉄矢氏だと思い込んでいた。ところが看板の文字を見ると、
「あなたも小島武夫の店で…」
どうも「小島武夫」さんの顔らしい。絵に気を取られていて、今まで文字を読んでいなかった。

「小島武夫の店で」とあるからにはこの雀荘が小島氏が直接経営しているということなんだろうか? 店長は別人のようだけど。
小島武夫氏は、1936年生まれの競技麻雀のプロ雀士。博多出身だそうなので、武田鉄矢と顔の系統が似ているのかな?
実は、この看板の上に、やや大きくて新しい看板もあって、そちらには小島氏の顔写真が出ている。お年を召してからの写真なので、下の絵とはあまり似ていない。
ストリートビューより
【2月20日追記】顔写真の看板を改めて見たら、雀荘の「顧問」という肩書きになっていた。
【2018年6月14日】その後、ストリートビューによれば2017年7月まではこの状態だったが、2018年6月に現地を通ると、似顔絵の看板がなくなってしまっていた。



ついでに看板つながりで。
放送大学の看板

「月曜・祝日除く」の「曜」だけフォントが違う
裏面も同じだった。どうでもいいことだけど、気になってしまう。
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フラット型2題

2014-01-15 23:43:15 | 秋田の季節・風景
カプセル型とともに増殖中である、信号機の着雪対策の1つフラット型について。

●集約式でも
狭い道で柱を立てるスペースが少ない交差点に信号機を設置する場合、4方向分をまとめて1か所から吊り下げるタイプの信号機が設置されることがある。
「集約(式)灯器」または「懸垂(式)灯器」と呼ばれる。
※ただし懸垂式にはワイヤーで吊るす別のタイプを指すことがあってまぎらわしいので、ここでは集約式と呼ぶことにします。

秋田市内では八橋地区の狭い道に設置されているのを以前紹介していた。
(再掲)

それが昨年末、更新された。
こうなりました
長いフード付きの電球式からフードなし・薄型ボディのコイト電工製のフラット型に更新された。
柱・アームは従来のものを引き続き使っている
集約という設置方法自体が珍しいところに、さらに珍しいフラット型が設置された。その2つの“相乗効果”で、初めて見た人は驚くか、あるいは(3色に光るとはいえ)信号機だとは思えないかもしれない。

フードのない薄型になった上、うつむいて設置されるので、更新前に比べてだいぶスカスカした感じ。
(再掲)更新前 更新後
うつむいているので、歩行者としてはやや見やすくなった。かな?
ケーブルが余ってぐるぐる巻かれてる?
撮影時は吹雪いていたものの4方向ともまったく着雪しておらず、とりあえず効果は発揮していそう。条件次第でしょうけど。

近くにもう1つある集約式は、更新されていないと思われる。


●競合製品
新興信号機メーカー「信号電材」。西日対策や視覚制限など特徴的な製品を製造してきて、秋田県警でも大手メーカーと同等に導入されていた。
ところが、大手メーカーによるカプセル型とフラット型が登場してからは、信号電材製の信号機はあまり採用されなくなってしまった。(信号柱は今年度も多数設置されている)
九州の企業だからというわけではないだろうけれど、着雪対策ではおくれをとってしまったのか…
そんな中、
新国道の「野村」交差点の1つ隣、セブン-イレブンができた小さい交差点に1台だけ変わった信号機が設置された。
新国道を山王方向に進む時に正面になる信号(写真で青になっているもの)

 
背中合わせの裏側は電球式のまま。他の柱でも従来型のLED式で、交差点内でこの1台だけ。
コイト電工のフラット型に似ているものの、それよりはやや厚ぼったく見える。
これは信号電材製。「信号電材版フラット型」ということらしい(正式な名称は不明)。
同じ形の茶色いものが、山王大通り「運動公園前」交差点(秋田市文化会館前)にも、やはり交差点内で1台だけ設置された。
県庁方向車線の正面

信号電材のフラット型を観察。
 真横から
電球式と比べるととても薄い。茶色いほうは裏面もLEDなので、本体の厚さは同じくらい。だから、コイトのフラット型よりは厚そう。
再掲・青森県警の設置例)コイト製の取付角度
コイト製のフラット型よりは、うつむいている角度が浅いようだ。

信号機本体に注目
コイト電工のものは、点灯する部分はほんのわずかに凹んでいて全面的に平らだったが、信号電材のものは凸レンズのように中央部がわずかに出っ張っている。そのふくらみが、カプセル型的な役目(雪を滑りやすくする)も果たしているのか?
ボディの全体的な造作はコイトよりは凹凸があって、従来型の信号機のボディとさほど違わない気もする。だから、コイトのものほど、斬新な印象がしないのかな。
 
点灯する部分の網状の模様は、コイトと似ている。
上が黄灯、下が青灯
しかし、網目の模様が色によって違うようだ。(黄色だけ違う)

ちょうつがいが大きくて無着色なので、茶色ボディだと目立ってしまう。信号電材は歩行者用ではデザイン性も考慮した信号機を製造しているくらいなんだから、もうちょっと配慮してもいいのでは?

設置方法からすれば本格採用ではなさそうではあるが、茶色ボディでの設置もあるのなら、ある程度継続して使うつもりではあるのかもしれない。
その効果は、
手前右は短いフードの従来型LED
上の写真では、明らかに奥のフラット型のほうが着雪していない。条件次第でしょうけど。

※この信号機のその後はこの記事後半
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白鳥/知事勘違い/まんたらめ号

2014-01-14 23:54:41 | 秋田の季節・風景
秋田県内の公立小中学校は、少し長い冬休みが終わって今日から授業再開。
内陸南部では、2006年の豪雪に匹敵するような大雪になっていて、横手市は180センチ近く積もっている。
幸い秋田市では24センチ。ただ、寒くてあまり融けないので、じわじわと増えている印象。10日、13日、14日は真冬日となったものの、風が弱い分、いくらか過ごしやすい。

楢山・旭南・卸町のイオン秋田中央店(旧・秋田サティ)裏の旭川と太平川の合流点。
旭川は手前から右へ流れる。左から太平川が合流。左奥が大森山
ここにたくさんの白鳥が下りて休んでいる。
約50羽
昨冬以前からいなくはなかったはずだけど、太平川のもう少し上流側(猿田川との合流点付近)にせいぜい10羽程度いることが多かった気がする。
地元の何人かの方々もここにこれだけいるのは、「珍しい」とか「多い」と言っていた。

オオハクチョウと思われる幼鳥よりも、やや小さい大人の白鳥もいたようだけど、それはコハクチョウ?(素人が遠目で識別するのは困難)
自転車が1台



ところで、秋田県で大雪(豪雪)といえば、最近は2006年1月のが真っ先に思い浮かぶけれど、それ以前では「四八豪雪」。
秋田県の公式サイトによれば、佐竹秋田県知事が1月6日の「職員への知事年頭あいさつ」でこんなことをおっしゃっている。

「雪の方は昨年に比べ大分少なめで、ただ、横手周辺は大分降っているようですけれども、秋田市周辺は大分去年とは違って、昨日穂積市長さんに会ったら大分ゆっくり今年は寝むれたということを聞いております。
 ただ、私の経験からすると、ちょうどこういうような年で、昭和48年、あの年は今頃ちょうどこんな状態でありましたが、1月の末から2月にかけて約1週間ぶっ通しで降って、多分戦後最大の秋田の降雪量になったわけでございますので、今後も油断は大敵だと思います。」
※この段階では、横手市もそれほど多い積雪量ではなかった。

おっしゃることはごもっともで、気を抜いてはいけないのですが、気になったのが「昭和48年、あの年は今頃ちょうどこんな状態でありましたが…」の部分。(秋田市長が「寝むれた」というのも寝て蒸れたみたいでおかしいけど…)


これは「四八豪雪」のことを指していると思われる。

ところが、四八豪雪というのは、昭和48年11月から昭和49年3月にかけての豪雪のこと。1シーズンずれている?
当時の気象データを調べてみても、昭和48年1月から2月は知事がおっしゃるような降り方ではなく、きっと「昭和49年」と勘違い(あるいは言い間違い。もしかしたらサイトアップ時の入力ミス)されている。

佐竹知事は「理系」であることを自負されているようで、データを重視するとか。それがこれではいけませんな。元データに当たって、根拠を明確にするようにしないと。
と、自分のことを棚に上げながら自戒を込めて。



13日は成人の日。
秋田県内では夏に成人式を行う自治体が多く、1月に行うのは秋田市などごくわずか。
秋田市では、遠方から帰省して出席する人に考慮して、12日に前倒しして成人式(新成人のつどい)を開催した。(青森県などでも同様の所があったようだ)
会場は、臨海バイパスの秋田市立体育館。
ずっと前はなかったはずでいつから始まったかは分からないけれど、今年は、秋田駅東口-秋田市役所分館前(駐車場)-体育館を結ぶ無料シャトルバスが、開始前と開始後に3本ずつ運行された。
定員50名(1便当たりということでしょう)だそうで、どれくらいの利用や渋滞緩和効果があったのかは分からない。

特に意識していなかったが、偶然、シャトルバスの1台を目撃できた。
その車両は「まんたらめ号」だった!
(再掲)
以前に紹介したように、元秋田市交通局(秋田市営バス)の空港リムジン→貸切用だった車両。交通局の貸切事業廃止後に白ナンバーの「まんたらめ号」となって、秋田市教育委員会管轄の「秋田市太平山自然学習センター・まんたらめ」の送迎バスになっている。
現在、まんたらめ号の後部には、
「10周年記念」の文字(別の日に撮影)
「まんたらめ号が10周年」のようにも受け取れるが(間違いではない)、太平山自然学習センターができて10周年ということか。
まんたらめは「大森山少年の家」に代わってできたわけだけど、もっと前に移転した気がしていた。まだ10年かという感じ。

今年の新成人(で秋田市立小学校・中学校に在学した人)は、できて間もないまんたらめで宿泊研修(宿泊訓練。いわゆる「林間学校」)を行って、まんたらめ号にも乗っただろうから、まんたらめ号を新成人のつどいの送迎に充てたのは、心憎い演出だ。
といっても、本当のところは、新成人のつどいもまんたらめ号もどちらも市教委の管轄であり、バスを借り切るよりも安くつくからといった理由でしょう。

あと、シャトルバスの“ダイヤ”を見るとピストン輸送は不可能で、3台用意しないとならない。あとの2台はどんなバスが使われたのだろうか。
1台は、同じく市教委管轄の「やまびこ号」だろうか。あとは、自然科学学習館の2台の送迎バスも市教委管轄だけど、あれは定員がやや少ないはず。河辺の「せせらぎ号(関連記事)」でも来たのだろうか?
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いとく新店/CNA北都移転

2014-01-12 20:15:10 | 秋田の地理
●いとく川尻店
秋田県大館市に本社があり、秋田県中央部(秋田市)~青森県津軽地方で店舗展開する食品スーパー「いとく」。(以前の記事)※企業名としては「伊徳」。店舗ブランドが「いとく」。

秋田市へは1970年に進出し、1992年にかけて住宅地を中心に小型の7店舗(楢山登町、手形、将軍野、港北、泉、広面、仁井田の各店)が開店した。
それらは2000年代にかけて次々と閉店して、最終的に将軍野店が唯一の店舗になり、秋田市におけるいとくの存在感は薄れていった。

その後、2008年になると、いとくが秋田市で積極的な店舗展開を再開した。
2008年に高陽幸町に新国道店、2009年に広面の手形陸橋の通りに秋田東店、そして2013年6月27日に秋田臨港警察署隣に土崎みなと店を開店。
いずれも幹線道路近くに大きな駐車場を備え、店内も広くてやや高級感がある店構え。(価格もあまり安くはない)
幹線道路沿いであっても完全な郊外形というよりは、住宅地にも近い立地で、特に新国道店や秋田東店は以前いとくがあった場所の近くということもあり、近隣のお年寄りなどは「いとくが戻ってきてくれた」と喜ぶ人もいる。車で来店しやすいことと品揃えも受けがいいようで、かなり賑わっている。

この度、秋田市内に5店舗目(いとく全体では25店舗目か?)となるいとくができることが分かった。
昨年12月27日付で秋田市へ大規模小売店舗立地法に基づく新設の届出が出された。(ちなみに土崎みなと店はその1年前の12月28日に出されている)

秋田市川尻みよし町329番地に「いとく川尻店」として、2014年8月28日開店予定。【7月6日追記】その後、7月10日・木曜日開店となった。
店舗面積1581平方メートル、駐車場84台。秋田東店が2159.88平方メートル、115台、土崎みなと店が2342平方メートル、115台なので、それらよりはやや小さいのかな。

※以下の画像は一部を除き2012年秋撮影のGoogleストリートビューより
場所は、おそらく秋田刑務所の向かい。国道13号線(通称臨海バイパス)の若葉町交差点から100メートルほど。
かつては、アパート形式の刑務所(と秋田地検も?)職員官舎「みよし町宿舎」があった所で、いつの間にか更地になっていた。
南東側の総社通りから。左が刑務所、奥が若葉町交差点、右折すれば川尻小へ

北西側の裏道から。右が国道方向

近くの他のスーパーといえば、13号線を越えて秋田運河(新川橋)を渡った500メートルほど先に「ナイス割山店」。あとは道のりで1キロ弱に老舗ディスカウント系の「ドジャース(昔は市民生協→マックスバリュだった所)」、1キロに「ジェイ・マルエー旭南店」、1キロ強にイオン秋田中央店(旧秋田サティ)やドン・キホーテくらいか。
昔は、ナイスの少し先にタカヤナギのグランマート、逆方向に500メートルほど進んだ川尻十字路近くにト一屋などもあった。

車はともかく徒歩や自転車で買い物する人にとっては、川尻近辺はスーパーなくはないものの、大きな道路の横断が必要だったりしてあまり便利な場所ではなかったかもしれないから、そこにできるのは悪い立地ではないと思う。
また、刑務所前の川尻総社通りは、割山(勝平)や新屋方面への路線バスの便が比較的良く、割山のナイスで買い物して新屋へバスで帰るお年寄りを見かけたことがある。高齢者は100円でバスに乗れるから、そういう人の選択肢が増えることになる。

店から右方向国道13号線方面へ車で出るときは、事故(特に横切る歩道を歩く歩行者との)や渋滞につながりそう。
あと、伊徳からの公式発表はまだないようだが、同社ホームページ「新卒採用TOP」の「仕事紹介」で紹介されている3名の写真のトップが「川尻店 店長(http://www.itoku.co.jp/recruit/newly/work/field1.html)」なのはなんだか…
中身に「(※川尻店 今夏オープン予定)」とあるものの、他を見ただけでは、既に川尻店が営業していて、そこで店長としての業務をこなしているように受け取れてしまう。
「自分の考えた方針が店舗の運営に反映され、それによっていい結果が出ると、店長としてのやりがいを感じます。」なんてあるけれど、まだ「結果」なんて何1つ出てないでしょ! 店ができてないんだから。
「お客様から「ありがとう」「美味しかったよ」と声をかけていただくと」なんてあるけれど、何がおいしかったの? 店ができてないのに。
※もちろん、この方は今は他店に在籍して店長に準ずる役目を担う社員なんだろう。だったらそのことを書いて「これからは川尻店開店準備に向けて、全力を尽くしています」とか書いたほうがいいのではないでしょうか?


いとくはがんばっているようだけど、他のスーパーは? ※以下、この記事参照
秋田市に本社があるマックスバリュ東北の「泉店(仮称)」は相変わらずいっこうにできる気配はないようだけど、これは外旭川のイオンタウン計画との絡みだろう。企業としては昨年に新潟県進出、今年3月で岩手の「マックスバリュ北東北」を吸収するなど、勢力拡大中。
いとく以外の地元スーパーは、ナイスが昨年飯島店を開店したものの、以前から話がある新国道沿いの新店は気配なし。他の各社は完全に守りの姿勢に入ってしまっている。
【13日訂正】ナイス飯島店は、実際にはまだ開店して(できて)いないとのコメントをいただきました。訂正します。
2013年6月12日に土崎港北三丁目に開店するという届け出が2012年10月11日に出てはおり、従業員の募集も行われてはいたのですが…

【25日追記】その後、1月22日付秋田魁新報経済面で、いとく川尻店の計画が報道された。


●CNAと北都銀行と秋田日産コンプレックス
1月10日付秋田魁新報経済面によれば、秋田ケーブルテレビ(CNA)の本社が、今年6月から秋田市八橋南一丁目(おそらく1番1号【2021年4月6日追記・実際には1番3号になった】)の「秋田県小児療育センター」が移転した空き施設に移転するという。
山王大通り西寄りの秋田県児童会館の向かい。県立体育館、県立図書館もある角だが、センター跡の角はガソリンスタンドなので、センター自体は角地ではないものの2面が道路に面し、両方の通りから出入りできた。
東側の市道から。駐車場は使われている模様
1983年にできて2010年3月から空いていた鉄骨造4階建ての建物と敷地を県からCNAが今年度から5年間・賃料1200万円/年で借り受けて(今年度は途中からってこと?)、1階を中心にCNAが約4億円で改修して使う。
CNAでは本社と制作拠点が分散しており、集約して効率化するのが狙いらしい。

たしか保戸野千代田町の住宅街の一軒家の中に、CNAの看板を出した建物があったりした(今はない?)。
秋田ケーブルテレビは会社設立は1984年ながら、いろいろあって開局・放送開始は1997年。少なくともその時から、本社は八橋鯲沼町(やばせどじょうぬまちょう)の新国道沿い「日産ラ・カージュ」内にあった。
「八橋鯲沼町」交差点角。右側奥のほうがCNA部分らしい
新旧本社どちらも八橋という地名ではあるものの、その北東端から南西端へ移動するような感じなので、直線で1.6キロ離れている。

現本社がある建物名は、正式には「日産ラ・カージュ」ではなく「秋田日産コンプレックス」という秋田日産自動車の本社を兼ねた複合施設で、1990年に「早川邦彦建築研究室」設計で竣工した。
現在は「秋田新国道郵便局」や「北都銀行新国道支店」も入居している(レストランがあったとかいう話もあるけれど、他のテナントは知りません)。

交差点(南)寄りから北都銀行、郵便局、CNA、日産ラ・カージュ店。郵便局の上に道路情報Live用のカメラが見える

と思っていたら、その北都銀行新国道支店が、連休明けの1月14日に泉北一丁目へ新築移転オープンするそうだ。
現店舗から土崎方向へ550メートルほど新国道を進んで向かい側。オートバックスの向かいで、昨秋オープンした紳士服の「AOKI新国道店」と駐車場を共有。

現店舗の向かいには「秋田銀行泉中央支店」もあって、金融機関のハシゴには便利だったのが、北都銀行移転によってちょっと不便になってしまう。
そして、「秋田日産コンプレックス」にとっては、CNAと北都銀行と2つのテナントが抜けてしまうことになる。
ストリートビューで北側から。ABSのラジPALが走っている


そういえば、交差点向かいの角にあった厨房用品「日北工業」が、昨年秋辺りに解体された。今は駐車場になったようで、CNAの営業用の日産マーチが何台か駐まっていた。
日産コンプレックス南西側の市道から。裏手にも車がびっしりで手狭そう
秋田日産コンプレックスの裏手には、大小6つのパラボラアンテナが並んでいる。これで受信した映像が、CNAのケーブルを通って加入者宅へ届くのだろう。
このアンテナ群も移転かな

※6月10日・火曜日に移転記念式典が開かれた。県知事、商工会議所会頭、同日に包括的連携協定を締結した秋田公立美術大学学長などが出席。(秋田市長は出なかった)
延べ床面積5300平方メートルのうち、改修して使うのは3000平方メートルほどで、残りの活用は検討中。
窓口など本社業務は13日・金曜日から移転。
※旧本社に設置されていた、道路情報のライブカメラは、移転後もそのまま引き続き機能。「八橋鯲沼町交差点」と表示される。(2015年2月現在)
※裏手のパラボラアンテナ群も移転後も残されている。(2015年2月現在)
※秋田日産コンプレックスのその後はこちらさらにその後(2018年)
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続・青い花/寒沢スキー場

2014-01-09 23:55:32 | 津軽のいろいろ
おととい知った、弘前の「青い花のスウィートポテト」の閉店。陸奥新報の報道で知ったのは閉店後だった。
ところが、東奥日報では昨年12月28日の段階でホームページに記事がアップされていた。東奥日報のサイトは頻繁に見ていたのに見落としていたのだった。その段階で知っていれば、デスティネーションキャンペーンの安いきっぷを使って買いに行くこともできたのに、残念。(←なんて終わってからなら、いくらでも言えますね)


東奥日報で、新たな情報がいくつか分かった。なお、東奥日報では店名は「スウィートポテト」、菓子の名称としては「スイートポテト」と表記している。。

「店舗は譲渡しないものの、営業権や製造手法などを譲渡する意向。現在、1社と交渉中という。」
→その交渉相手が青森市の企業で、そこに決まったということか。「店舗は譲渡しない」のなら、青森市内のどこに店ができるかも未定なのだろう。

「富田1丁目の喫茶店で30年ほど前、(注・画房でスウィートポテトを担当する)齋藤常務が自ら工夫したスイートポテトなどの菓子を提供したのが事業化の一つのきっかけ。知人の菓子職人にヒントをもらい1991(平成3)年、同市北川端町に開店した。」
→「富田1丁目の喫茶店」というのは、富田大通りの画材屋さんの2階にあり「青い花」という店名だったらしい。
「青い花のスウィートポテト」とは「『喫茶店 青い花』で出しているスウィートポテト」という意味だったことになる。
北川端町は、弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅の対岸の一帯(鍛冶町の手前)。最初から中土手町にあったわけではなかったのか。

「4年後に現在の本店である土手町(現在の土手町蓬莱橋本店)に移転。」
→ということは1995年。僕が弘前に住み始めた年だ。
当時、「今、話題の青い花のスウィートポテト」という会話を聞いてはいた。ずっと前からある店だと思っていたが、目新しさも手伝って話題になっていたのだろう。
そして、いつの間にか富田の喫茶店は閉店したということなんでしょう。

「その後、弘前駅ビルや青森駅ビル、さくら野弘前店、新青森駅にも店を開き、5店舗になった。」
「11月15日で新青森駅、12月15日でさくら野弘前の店を閉店。残る3店は14年1月5日で閉店する。」
→さくら野は知っていたけど、新青森にもあったのか。

「「以前から20年ほどで店をやめ、別な事業をしようと考えていた」という齋藤常務。今夏、閉店を決めた。」「17人のパートは解雇または退職となる。」
→そうですか…
せめて、もう少し早く・広く知らせてもらえるとか、弘前市内で引き続き購入できるようにするとかしてほしかったな。
あと、「別な事業」ってのは何?


そういえば、青い花のスウィートポテトで使っていたサツマイモは、専門に栽培されたものだと聞いていた。
一部サイトの情報では、茨城県鉾田市にある「青い花農場」で栽培されていたらしい。店が今度どうなるか不透明では作付の計画にも影響があるだろうし、イモが余ったり足りなくなったりしないのだろうか。来シーズンの栽培は大丈夫?

【9月18日追記】その後、どうなったか大きく報道はされなかったようなので、検索してみた。
すると、2014年6月2日に「スイートポテト専門店 ブルフルール(BleueFleur=フランス語で青い花)」がオープンしていた。
この店が、青い花のスウィートポテトを引き継いだらしく、イモの外見や量り売りであることは以前と同じ。他に焼き菓子やシャーベットもあるそうだ。
場所は青森市浜田二丁目。イトーヨーカドー青森店の近くのようで、よそ者が行くには、少々不便。





以前、弘前大学文京町地区周辺にある、学生によって名付けられた地名(通称)を2つ紹介した。「バカヤローカーブ」と「寒沢スキー場」である。
それは15年以上前の話であり、今の学生さんたちはどう呼んでいるのか正確には分からないが、大学生協の新入生向け冊子に掲載されてはいるようで、完全に消えてはいないはず。

ツイッターで「バカヤローカーブ」と「寒沢スキー場」を検索してみた。
ちなみに、ブログ検索ではほとんど引っかからない。それだけ、ブログを使う人が減ったということだろう。流行の変化は早いもんだ…

検索結果は、バカヤローカーブは実質ゼロ。
一方、寒沢スキー場はちらほらと「転びそうになった」などとつぶやいている人がいた。皆さん弘大生でしょうか。
そればかりか、「寒沢スキー場」という名前のユーザー(@kanzawa_ski)がいた!

昨年11月11日から、時折、路面状態などをつぶやいている。今後に期待します。

個人的には、住んでいた当時の身近さと名称の奇抜さから「バカヤローカーブ」のほうに親近感があった。坂をスキー場に例えるというのは、安直でヒネリが足りないように感じていた。
でも、徒歩や自転車で通る大学生にとっては、バカヤローカーブの“馬鹿野郎さ”とはさほど縁がない。そもそもバカヤローカーブを避けて構内の理工学部~農学生命科学部前を通る人も多い。
寒沢スキー場のほうは、寒沢町、西ヶ丘町方面に住む学生は通学時に避けて通れない場所だし、徒歩でも自転車でも影響を受けて(滑って)しまう。だから、寒沢スキー場のほうが身近な存在かもしれない。
こうして脈々とその名が受け継がれていくことだろう。
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道路カメラ/NHK初詣/ひどい字幕

2014-01-08 23:30:49 | その他もろもろ
テレビから3題。
●CNAカメラ 今年も?
秋田ケーブルテレビ「CNAコミュニティチャンネル」では、秋田市内の道路沿いに設置したカメラの映像を放送する「道路LIVE情報」を放送している。
そのうち、「手形・広面付近」と「茨島交差点付近」のカメラのアングルが、昨年2月10日前後に、突然逆方向を向いた
と思っていたら、3月29日には元に戻った
わずか1か月だけの心変わりに終わったと思っていたら、昨日1月7日に、同じ2か所のカメラが、昨年2月から3月までと同じアングルに再度変わった。

年が明けてから春までの間だけ、一時的にアングルを変えるということだろうか?
考えられる理由としては、積雪期で渋滞の状態(長さ)が分かりやすいようにということ? だったら12月あたりからやったほうが良さそうだけど。

※2014年4月10日には、元のアングルに戻った。


●NHK各局の初詣のニュース
年末年始のNHKの報道。(2013年始

まず、秋田放送局の年末の餅屋さんが忙しいというニュース。
たしか昨年以前は、別の餅屋さんをいつも取材していて、店名は出していなかったはず。
ところが今年は、「秋田市南通の『鈴為(すずため)もちや』」と店舗名を明確にナレーションで入れていた。公共放送にしては珍しいが、果たして必要だろうか。
鈴為もちやは、中通総合病院や聖霊高校近くにある、餅よりも「ミルク焼き」で有名なお店。
※秋田魁新報の年末の記事でも、同店が取材されていた。


年が明けて年賀状配達出発式を伝えるNHK秋田の報道。
昨年は「アルバイトでなく社員だけが配達を行う」ということを明言していたものの、魁ではアルバイトも配達と報道し、両者で矛盾していた。
今年のNHK秋田は、その辺りは「配達員が」だったか、あっさりとした言い回しで片付けていた。


そして、初詣。秋田放送局では恒例の太平山三吉神社。細かな内容は忘れました。
ところで、昨年は秋田以外の一部放送局の報道も記録していたので、それらの局において昨年と今年でどう違ったかを、まとめてみます。

青森局(善知鳥神社)
2013「さい銭を投げ入れてから、静かに手を合わせたり、絵馬に願いごとを書き入れたりして、ことし1年の幸せを祈っていました。」
2014「さい銭を投げ入れたあと、拝殿の前で手を合わせてことし1年の家族の健康や商売繁盛などを祈っていました。また、境内では、縁起物の熊手や絵馬がついた破魔矢などを購入したり、おみくじを引いたりする人たちの姿も見られました。」

山形局
2013(鶴岡市の荘内神社)「順番にさい銭を投げ入れ、それぞれ新年に向けた願いを込めて手を合わせていました。」
2014(護国神社)「順番にさい銭を投げ入れ、新年の願いを込めて手をあわせていました。」

千葉局(成田山新勝寺)
2013「線香の煙で身を清めたあと、次々に大本堂に上がってさい銭を入れ、手を合わせてことしがよい年になるよう願っていました。」
2014「線香の煙で身を清めたあと大本堂へと進み、さい銭を投げ入れて新しい年への願いを込めて手を合わせていました。」

静岡局
2013(静岡浅間神社)「訪れた人たちは次々にさい銭を投げ入れて無病息災や家内安全を願っていました。」
2014(富士山本宮浅間大社)「大勢の家族連れや若者らが訪れ拝殿の前に設けられたさい銭箱に次々とさい銭を投げ入れ、家内安全や無病息災など手を合わせて祈っていました。」

京都局(伏見稲荷大社)
2013「順番にさい銭を投げ入れては手を合わせて商売や仕事がうまくいくことや家族の健康などを祈っていました。」
2014「順番にさい銭を投げ入れて商売繁盛や家族の健康を祈っていました。」

松江局(出雲大社)
2013「さい銭を投げたあと、かしわ手を4回打つ、出雲大社独特の方法で手を合わせ、1年の幸せを願っていました。」
2014「さい銭を投げたあと手を4回たたく出雲大社独特の方法で、ことし1年のそれぞれの願いを込めて、手を合わせていました。」

高松局(金刀比羅宮)
2013「さい銭を投げては、手を合わせて幸せな1年を願っていました。」
2014「さい銭を投げ入れ、この1年の願いや決意を込めて手を合わせていました。」

福岡局
2013(愛宕神社)「参拝の順番になると、丁寧にさい銭を投げ入れては、新年への思いを込めて手を合わせていました。」
2014(太宰府天満宮)「初詣のために用意された大きなさい銭箱にお金を投げ入れ、それぞれの願いを込めて手を合わせていました。」

大分局(宇佐神宮)
2013「さい銭を投げ入れたあと、拝殿に向かって手を合わせ今年1年の無事や健康を祈っていました。」
2014「さい銭を投げ入れたあと、拝殿に向かって手を合わせことし1年の無事や健康を祈っていました。」

長崎局(諏訪神社)
2013「拝殿ではそれぞれさい銭を投げ入れゆっくりと目を閉じながら手を合わせ、願い事をする姿が見られました。」
2014「拝殿では参拝客が次々とさい銭を投げ入れては目を閉じて静かに手を合わせ、願い事をしていました。」

以上、放送局ごとに前年をほぼ踏襲して、微妙に言い回し(順番や修飾語・助詞)を変えた所が多いようだった。中でも大分局は「今年」と「ことし」が違うだけで、あとは同じ。
昨年と同じ記者が書いたとは限らない(異動もあるだろうし)から、各局で代々受け継がれるフォーマットがあるのだろう。

※翌2015年はこちら


●こりゃヒドいテロップ
1月3日の17時25分から55分まで秋田放送(ABS)で「グッチ裕三のこりゃウマい」とかいう番組が放送されていた。
見るとはなしに見ていたら、途中でものすごく気になることがあり、番組の内容そっちのけで見入ってしまった。

番組の内容は、グッチ氏が信州や山梨を旅して地元の人とふれあいながら、地元の食材を探して料理するというものらしい。
※ここでは、グッチ氏や訪れた各地についてどうこう言うつもりはないことをお断りしておきます。

よく分からないが、正式には「グッチ裕三の日本こりゃウマイ!」という番組名らしい。TOKYO MXなどの独立系民放局やABSのような地方局で散発的に放送されているような感じ。エンドロールでは「製作・著作 パワーテレビジョン」とあった。
今回のABSでは、日本テレビの高校サッカーをネットしない代わりに、埋め合わせで購入して流した番組なんだろう。


気になったのが、その番組のテロップ(字幕スーパー)のフォントの酷さ。
全編通して、ゴシック体それも、事務文書で使うようなゴシックしか使われていないのは、まあいいけれど…
最初、「信州」の「信」の「言」の上が横棒でなく斜めの点であることが目に付いた。
最初に気付いた場面以外でも、同じ「信」
これだけなら、線を手書きに近いデザインにした「学参書体」かなと思った。※この記事参照

ところが「若者」という字が出た時、「者」の「ノ」と「日」の間に点が1つ入っていた。日本では、普通こんな文字はない。
ここからテロップを意識して見ると、現代の日本語の活字としてはおかしな文字が多数。
 
「道」のしんにょうの点が2つ/「食」が学参書体のようなはね方、かつ最後の右払いが止まっている
 
こちらの「食」は「良」部分が点でなく横棒/「違」のしんにょうの点が2つ、「類」の左下が「大」でなく「犬」
 
「全」の上が「入」のような形、「飼」の食編が旧字体のような形/「山」の2画目が学参書体風、「県」の7画目の縦棒の終わりがはねている

ただし、普通のデザインの文字も混ざって使われている。
違和感のない「信」「飼」

さらに、「国」「満」「駅」「飲」など一部の漢字が、前後の他の文字より細い文字(デザインとしては日本語で違和感のない文字)になっているものがある。
しんにょうの点が1つの「辺」と2つの「道」な上、「辺」が細い

「満」が細い

「国」と「厳」が細い

こんな具合に違和感のある文字が混ざっていて、全体としてスムーズに読めないテロップなのだ。
おそらく、テロップを作成したパソコンに中国語フォントがインストールされており、それを指定してテロップを作成してしまったのだろう。
そして、国、満、駅などあまりに日本語と違う漢字だけを、部分的に日本語フォントに置き換えたのだろうか?

テロップを海外で(または日本語を母語としない人が)作成したのか、あるいは日本人でもフォントに不慣れもしくは無頓着な人が行ったのか…



あと、「~ですよ」とか「~だね」といった発言のテロップが、「~ですヨ」「~だネ」と語尾の助詞だけがカタカナになっているのも、若干違和感がある。団塊世代辺りの人はよく使うみたいだが、僕たちの世代ではひらがなで表記するのが一般的ではないだろうか。※江戸時代から見られた用法ではあるらしい

また、横方向に流れるエンドロールで、文字が一直線上に全部同じサイズで並び、「フードコーディネーター」みたいな長い肩書きが幅を取っているのは、素人っぽい。通常は、肩書きはやや小さい文字だったり、位置をずらしたりするものだが。
とにかく、おかしなテロップが目立つ番組だった。


テレビ業界は費用も時間も少ない中で成果を求められていると聞く。そういう現状によって引き起こされたおかしな文字のテロップなんだろうか。
いくら番組内容が良くても、これでは…
ちゃんとしたフォントを使える環境(機材)にするとか、フォントの違いに気を配れるだけの人員(技術なのか頭数なのか)を揃えるとかしてほしい。
コメント (3)
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青い花閉店/路線バス変化

2014-01-07 23:42:56 | 津軽のいろいろ
新聞社のサイトなどからの又聞き情報ですが、最近の弘前のニュースから。
●青い花のスウィートポテト
ずっと前に紹介していた、意外な弘前名物「青い花のスウィートポテト」。
(再掲)
弘前市中土手町の本店と弘前駅ビル1階、それに青森市の青森駅に店があったようだが、これらが1月5日をもって閉店・休業したという。
市民には事前に告知されていたらしく、陸奥新報によれば「閉店を惜しむ市民が多く訪れ商品を買い求めていた。」。

今後は、
「営業権や製造法などは青森市の企業に譲渡し、今春に同市で新体制の下、再開業するが弘前市への店舗設置は当面、予定にないという。」
経営者は変わるとはいえ同じものが青森市では引き続き食べられるようだが、創業地・弘前市では手に入らなくなりそう。

秋田にいる者としては寝耳に水の話。ここ何年かは食べていなかったので、買っておけばよかったと後悔。最近は紅玉入りの「初恋ポテト」というのもあったらしいし…
さらにびっくりしたのが、この店の経営者。弘前市の「太平洋画房」というところだそう。

調べてみると、弘前市富田1丁目・富田大通り沿い(不動産のエキスパート・よつば不動産の斜め向かい)にある「額と色の店」。つまり画材屋さん。
富田大通りなら何度も通っているけれど、名前すら聞いたことがなく、ストリートビューで現地を見ても印象にないお店だった(記憶ってのはいい加減なもんだ)。改めて見ると看板には「ネプタ絵具」などとあるし、2階には「青い花ギャラリー」があるそうだ。
秋田市で例えれば、「彩画堂」みたいなお店だろうか。そこがスウィートポテト屋もやっていたとは!

※続きはこちら
【8日追記】ダスキンがミスタードーナツをやっていたり、秋田市の佐々木洋服店がApple専門店「マックガレージ(2012年閉店)」をやっていたのと同じことか。マックガレージもやめてしまったように、本業に専念する傾向にあるのだろうか。



●相馬線、茂森線
最近は、地方都市のバス路線を改廃する時は、事前に「地域公共交通会議」とかいうのが開催されるようだ。
都市ごとに開催時期が決まっているらしく、それに続く路線改廃の時期も4月のダイヤ改正とは別の特定の月で固定される感じ。秋田市なら10月、弘前市なら2月というように。

この2月から、弘前市の弘南バス2路線で変化が生じる。(さらにそれに伴う代替措置で変更される1路線もある。詳細は下記参照)
弘南バスのホームページでは今のところ告知はないが、該当路線の時刻表の下に「H26.1.31までのものです。H26.2.1以降変更となる場合がございます。」と記載されている。
※以下の記述は、初回アップ時点での推測によるものがあり、それをそのまま残しています。実際にどう変わるかは、末尾に追記します。

まずは相馬線。弘前市中心部と旧相馬村である弘前市西方を結ぶ路線。
現在は、相馬発着が6往復(うち下り2本、上り1本が日祝運休)、相馬より先の藍内発着が3往復、相馬より手前で分岐するロマントピア(水木在家)発着が3往復(うち1往復日祝運休)、さらに相馬発聖愛高校行きが片道1本(日祝運休)で計12.5往復。
(再掲)ロマントピア行きは必ず小型バスで運行かな?
12月16日付陸奥新報サイトによれば、2月からは、10.5往復に減便の上、全便「五所局前」止まりとなる。(五所局前は相馬より手前でロマントピアへの分岐点)
五所局より先は、弘前市が運行主体となり、バスに連絡する「予約型乗合タクシー」を運行する。

要は、秋田市で行われている「マイタウン・バス」の一部方面と同じやり方。
意外にも弘前市で本格実施されるのは初めてで「市側は成功すれば、相馬地区と同様に利用者が少なく、バス路線の維持が厳しい地区について導入を検討する」そうだ。
シンプルな「相 馬」の行き先表示も見納めか?【9月17日追記】→短縮後も「相馬」のまま


もう1つは、以前記事にした茂森線
(再掲)運賃は遠回りしても近回りと同額が適用されるらしい
弘前市中心部完結の路線で、末端部が片方向の環状運行となる。
15年ほど前は「四中校線」と呼ばれていて往路と復路に分かれていたような気がするけれど、いつの間にか往路と復路が融合して環状運行されるようになった。「四中校環状線」という呼び名も聞いたような気がするような…
※「四中校」とは弘前市立第四中学校のこと

環状運行するようになってからは、やや分かりづらい行き先表示。
(再掲)特に分かりづらいLED表示
方向幕の場合、車両によって微妙に内容が異なる。
(再掲)「弘前駅前」「四中校」、「大学病院」は黒文字

2005年撮影。「弘前駅前」「四中(校がない)」、「大学病院」は黒文字カッコ付き
陸奥新報の写真の日野レインボー「986」は「51」という(誰もアテにしていない)系統番号が入り「弘前駅(前がない)」、「四中校」が黒文字、「大学病院」は青文字となっている。

現在は、ターミナルを出て一周して駅に戻る完全運行が11便(うち6本は日祝運休)、茂森新町発駅行きが1本、一周せずに樹木一丁目で分岐する桜ヶ丘発着が1往復(日祝運休)の計14便。
朝8時台までに6便が集中して運行され、あとは1~2時間に1本。19時45分発が最終。
昔はもっと本数が多く、弘前市内では小栗山線、金属団地・桜ヶ丘線、藤代営業所線の次くらいに多い運行本数だと思っていた(思っていただけ?)が、こんなに減っていた。

それが2月からは「始発便以外、廃止する」ことになったそうだ。
残る「始発便」というのは、素直に考えれば茂森新町6時35分発弘前駅行きだろうか。だとすれば、環状運行する茂森線独特の運行形態が消滅することになる。

減便の理由は「利用率が低迷し、他の路線とも重複している」ためで、「通勤、通学の利用者が多い始発便のみ継続」。
代替措置は「久渡寺線の経路変更や経路が重複する西目屋・相馬方面路線を充てる。」「久渡寺線の路線を第四中学校付近へ変更して空白地域をカバー。路線再編に伴い「樹木」「新寺町角」の振り替えとなるバス停を桔梗野小学校前に新設」。

代替措置が分かりにくい。
「西目屋・相馬方面路線を充てる」というのは、茂森新町まではルートが重複するからそのまま代替路線にするのだろう。これは分かる。
問題は茂森線単独ルートである四中付近。四中の1本南の道路(技術専門校前・緑ヶ丘)は、金属団地・桜ヶ丘線や久渡寺線が走っている。そのうち、久渡寺線を四中経由に変更するようだ。
今の茂森線は、
 茂森新町→樹木→樹木一丁目→四中校前→新寺町角→茂森南口
今の桜ヶ丘線や久渡寺線は、
 若葉一丁目-高等技術専門校前-緑ヶ丘-桔梗野十文字-桔梗野-新寺町
弘前市公共交通マップより現在の路線網。青が茂森線など、太いピンクが桜ヶ丘線・久渡寺線
これが、2月からの久渡寺線は、
 若葉一丁目-樹木一丁目-四中校前-桔梗野小学校前の新設停留所-新寺町
というルートに変わると思われる。

若葉一丁目~樹木一丁目の1区間、それに桔梗野小学校前の通りは、新たに路線バスが通ることになるようだ。※ただし、路線図では省略されているようだが樹木一丁目→若葉一丁目は、上記相馬発聖愛高校行きは通っているはず【8日追記】茂森線経由の桜ヶ丘行きも通る。また、上の路線図の樹木一丁目バス停の位置(丁字路より北=上側)は正確ではない。ストリートビューで確認したポールの位置としては、上り側は丁字路東側の四中の通り、下りは丁字路の南側にあるので、移動しなくても経路変更に対応できると思われる。
再掲)久渡寺線は桔梗野停留所を通らなくなるらしい
久渡寺線の時刻表を見ると、こちらにも2月から変更になる場合がある注記付き。
今の久渡寺線は7往復(うち2往復は日祝運休。別に桜ヶ丘経由の上りが平日1本)だが、このすべてが経路変更になるのだろうか。
久渡寺線方面と桔梗野一帯を行き来する人はあまり多くなさそうだから、さほど困らないかもしれない。しかし、四中周辺の人にとっては、弘前駅へ行くには久渡寺線が代替になるにしても、新ルートでは市役所や下土手町辺りへは行かれなくなる。大学病院も少し歩かないといけない。

以下、よそ者の勝手な感想です。
久渡寺線を市役所・大学病院経由に変えるには、大掛かりになってしまい難しいのは分かる。
だったら、むしろ、本数の多い桜ヶ丘線の一部を四中・市役所・大学病院経由にしたほうが良かった(=ということは今の茂森町経由桜ヶ丘発着と同じか…)ような気もするけど。市役所方面の需要は少ないのだろうか。
そもそも、「他の路線とも重複している」という理由で大幅減便しながら、久渡寺線をある意味“犠牲”にして経路変更をしないと対応できないというのは、矛盾しているように感じる。


弘前市は街の規模のわりに、路線バスが利用しやすい街だと思っていた。(100円循環バスはまさにその通り。秋田市がやる15年前から走っているのだから)
しかし、今回の変更を見ると、今まで手付かずだっただけであり、弘南バスががんばって(踏ん張って)持ち堪えてきたに過ぎない気がしてきた。今後、さらに変化が生じていくのかもしれない。


【21日追記】20日に弘南バスのホームページに2月からの変更点やダイヤが掲載された。
相馬線で減便(廃止)されるダイヤ(以下、いずれも現行ダイヤの始発時刻)。
下りは第一便である6時10分ロマントピア行き(日祝運休)、10時05分相馬行き(日祝運休)、16時05分ロマントピア行き。また、現行は17時台が日祝運休、最終便である18時台が毎日運転だったのが入れ替わるため、日曜祝日は終車が1時間繰り上がることになる。
上りは第二便であるロマントピア7時10分(日祝運休)、相馬11時05分(日祝運休)。
上記以外は、ほぼ現行ダイヤを踏襲するものの、時間が移動するものもある。朝の聖愛高校行きも存続。

茂森線。
存続する朝の1便は、やはり茂森新町6時35分発弘前駅行き。

久渡寺線。
やはり予想通りの経路で、新設バス停の名称は「桔梗野小学校前」。
現在は下り7本、上り8本(うち1本桜ヶ丘経由)だが、これらは現行ダイヤのまま、すべて新経路での運行となる(桜ヶ丘経由のダイヤも新経路になるようだが、桜ヶ丘にも立ち寄るかは不明)。
さらに、上りは久渡寺16時55分と19時05分発が新たに設定され、上りは10本に増える。現行は18時10分が最終便なので、1時間遅くなる。
茂森線区間の利便性確保に配慮して、2本増やしたのだろうが、それを久渡寺始発にする必要があるのだろうか。久渡寺-茂森線廃止区間までは6キロはあるから、回送も含めればけっこうな時間と燃料と人件費のロスになるのでは? 市内路線の廃止代替として、わざわざ片道回送で(需要はほとんどないであろう)郊外始発で運行するというのは、疑問。
だったらその時間にも茂森線を残したほうがマシな気もするけど…
【4月17日画像追加】
以前の久渡寺線「桔梗野 久渡寺」という表示も、経路変更後は変わることだろう
【11月23日追記】「四中校 久渡寺」に変わったようだ。(マイクロバスのLED表示。中型は未確認)
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