広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

中三倒産とハイローザ跡地

2011-03-31 23:07:52 | 津軽のいろいろ
●中三が
昨日、青森市に本社のある百貨店「中三(なかさん)」が30日付で民事再生手続きに入ったことが分かった。負債総額は122億5千万円。
昨日から休業しており、1週間程度で営業を再開するが、4月末で全従業員を解雇。スポンサーの支援を得て、営業再開したい方針。

中三は、1896(明治29)年、現在の五所川原市で創業。(創業地の五所川原店は2006年に閉店)
現在は青森市の本店、弘前店、岩手県の盛岡店の3店舗が、それぞれの中心市街地にある。
一時期イオンと提携しており、その際に秋田市郊外のイオン秋田ショッピングセンター(現イオンモール秋田)に秋田店を出店(1997年)したが、2008年に閉店・撤退している。
商品仕入れは三越と提携しているそうだ。

現在、盛岡店は3月14日に発生した爆発事故を受けて休業中だが、盛岡店も含めた3店舗すべてを存続したい方針。


青森の地場百貨店で現在も残るのは、中三だけ。(「さくら野」も地元百貨店の流れを汲んではいる)
そして老舗だけに、地元の人の信頼や親近感は強い。今日の陸奥新報によれば「津軽地域の住民には「手土産は中三の包装紙かどうかで違う」と言われるほど老舗百貨店として別格の存在。」。(秋田で「木内」の包装でないと…と言われたのと同じだ)


秋田店の撤退などから分かるように以前から中三の経営は思わしくなかったのだろうし、そこに爆発事故と大震災による消費低迷が打撃を与えたようだ。

僕は中三については、弘前市下土手町にある弘前店しか知らない。(秋田店にも行ったことなかった)
土手町は大正時代に東北地方で初めて百貨店ができた街であり、戦後には中三を含めて3つの百貨店があった(中三は1962年開店)という。2つは後に閉店や移転し、土手町に残ったのは中三だけだった。
毛綱毅曠(もづなきこう)設計の現店舗は1995年完成
土手町のみならず弘前市中心市街地の核となる店舗だから、弘前市民や商工界のショックは大きいだろう。
営業を再開する方針であるのが救いだ。

・「苦して」?
陸奥新報サイトでは、このニュースを知った買い物客の声として「「つぶれればどうするべと苦して来た」」とあるが、「苦して」ってどういう意味?
そんな方言は聞いたことないし、「苦労して」とか「苦しくて」とかの間違いだとしても意味が通らない。どなたか分かりませんか?
【4月2日追記】「苦して」について、皆様からコメントで教えていただきました(コメント欄をご覧ください)。ありがとうございました。

※続きはこちら


●ハイローザ跡地が
中三弘前店の近く、下土手町と一番町付近に、「ドテヒロ」という空き地がある。感覚的には中三のはす向かいかな(実際は離れている)。スクランブル交差点に面した角地で前にバス停がある。
元は上記、東北初の百貨店「かくは宮川」があり(1978年閉店)、1980年から1998年まで「ハイローザ」というファッションビル(?)があった。
ハイローザは閉店後解体されて、弘前商工会議所所有の空き地になり、屋台村のイベントなどが開催されていた。(秋田市の産業会館跡地と同じようなもんだ)
「ドテヒロ」は、その空き地の愛称。

そのドテヒロが、5月にマンション開発業者に売却される見通しであることが先日分かった。29日の陸奥新報によれば「業者は購入した土地に分譲マンションを建設する意向だという。」。

あそこもマンションになってしまうのか。
秋田市広小路の「協働社」跡地がマンションになった時、街の性格が変わってしまったように思え、かつての賑わいはもう戻らない気がした。
ハイローザ跡地もそれと同じようになってしまわないだろうか。
空き地にしておくよりはいいのかもしれないが、土手町と弘前公園の間のあの場所をマンションにしてしまうのはもったいない。

弘前駅前の「ジョッパル(旧ダイエー)」が経営破綻し買い手がつかずに空き屋になっているし、弘前も秋田市中心市街地と同じように、衰退に拍車がかかってしまうのではないかと気がかりだ。

※続きはこちら
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災の打撃

2011-03-30 20:45:26 | 地震
●JRの状況[公式発表より]
・減便しているディーゼルカー使用路線(男鹿線・五能線等)は4月1日から平常通り運行
 ただし、快速「リゾートしらかみ」は当分の間運休。
既に各バス会社が燃料を確保して平常ダイヤに戻ったのに、JRはなかなか戻らなかったが、やっと平常通りになる。
これにより、秋田地区の普通列車はすべて平常ダイヤになる。

・青森-上野の寝台特急「あけぼの」は4月1日発車分から運転再開

・秋田-盛岡の秋田新幹線「こまち」は4月1日から、一部ダイヤが変更。号数(「こまち◯◯号」)と盛岡到着時刻が変更される程度で、大幅なものではない。
 盛岡駅では現在は下の在来線ホーム発着だが、同日から上の新幹線ホーム発着に戻る。

・山形新幹線 新庄-山形-福島は明日31日運転再開。4~3往復。→米沢-福島の普通列車も同日から運転を再開するので、奥羽本線が全線(青森-秋田-山形-福島)運転を再開することになる。
・東北新幹線の全線運転再開は4月下旬の予定。

【31日追記】報道によれば、弘前や角館の花見関連の臨時列車は予定通り運行する模様。

●地方経済への打撃
秋田など地震や津波による直接の被害がなかった地域でも、間接的な影響が出てきた。それは経済的な影響。
事業停止・破産する企業がいくつか出ている。不況でギリギリの経営をしていた中、震災が打撃となったのだろう。

大仙市協和の温泉宿泊施設「からまつ山荘」(旧唐松温泉)や、後で別記事にするつもりだけど青森の百貨店「中三(なかさん)」も経営破綻してしまった。

●おまつり
東京などでは桜が開花したそうだが、都が管理する公園などでは、宴会を自粛するよう呼びかけているという。

各報道などから、現時点での秋田周辺の情報をまとめた。
※予定・検討中のものが多く、これで決定ではない点も多いと思われます。

秋田県仙北市角館では、恒例の「角館の桜まつり」を「がんばろう!東北 角館の桜」として(“まつり”が入らない)、期間を短縮して実施。

青森県弘前市のさくらまつりは実施。
被災者を招待し、収益や入園料の一部を義援金に充て、復興支援のイベントとする方向で検討中。ライトアップ等は今後調整。


秋田市千秋公園の桜まつりは、ライトアップと二の丸広場のステージイベントを自粛。
夏の竿燈まつりは実施するが、観覧席などは状況に応じて変更するかも。

といった感じ。
これらは季節の移ろいを感じさせるイベントや先人から受け継いだ伝統行事であるし、地方にとっては年に1度のイベントが最大の収入源という場合もある。まったく実施しないと大打撃になってしまうと思うし、復興の足がかりやすさんだ気持ちをリフレッシュするためにも、縮小して実施するべきだと思う。

まずは被災者が安心できる生活環境の整備と原発事故の収束が第一だが、その次はいろんな面から日本が元気に復興できるようにしていかないといけない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビの緊急地震速報

2011-03-29 20:45:12 | 地震
昨日の朝(28日7時24分)も大きな余震があった。
震源地は宮城県沖、マグニチュード6.5、最大震度5弱(石巻市)で、宮城県沿岸に一時津波注意報が出された。
秋田市は震度3だった。

緊急地震速報が流れたのだが、先日同様に内容に一部誤りがあり「秋田・山形県沖が震源で、日本海側各地で震度5前後」という速報が流れた。
以前の繰り返しだけど、現在はシステムの精度が低下していることを念頭に置き、自分のいる地域に速報がでたら適切に対処することは心がけておきたい。
それにしても、やっぱりそのことの周知が足りないと思う。気象庁のサイトや一部報道で取り上げてはいるが、知らない人もまだまだ多いだろう。誤解やデマにつながらないよう、正しい情報や現状をもっと説明・PRしてほしい。ACの広告ばっかりじゃなく、政府広報として流すとかして。


多くの人が緊急地震速報を知る手段は、テレビ放送だろう。NHKでは2007年10月に提供を開始し、それ以後に民放各局も追随している。その話題です。
●出る場合と出ない場合
テレビなど一般向けの速報は、「最大震度5弱以上の強い揺れが予測された場合」に、「震度4以上が予測される地域」を発表するのだそう。
つまり、ある地点で震度4になることが予想されても、その地震によってどこかの地点で最大震度5弱(かそれ以上)が予想される場合は速報が出るけれど、予想最大震度が4の場合(=震度5弱以上が予想される地点がない場合)は速報そのものが出ないのだ。今日の20時前に福島県沖であった地震がまさにこのパターン。
※あくまでも予測震度なので、実際の震度とは異なる可能性がある。現在は精度低下のため、弱い地震でも速報になってしまう場合も少なくないようだ。

●他地域向けの速報の扱い
自分が住んでいる(=テレビが放送されている)地域以外が対象の速報が出た場合はどうなるのかは、テレビ局によって対応が異なるようだ。
まず、NHKは、災害対策基本法に基づく「国の指定公共機関」であること、BSなど放送地域がさまざまなチャンネルがあることからなのか、どの地域に速報が出ても全国放送されるようだ。
先日、秋田放送局からのローカルニュース中に、関東地方に速報が出た場合も、速報が流れていた。

一方、民放は局によって対応が異なったり、全国放送かローカル放送かによって異なるようだ。
広い地域に速報が出た場合でも、自分の局の放送エリア分だけを放送する場合もあるみたいだ。
先日、テレビを見ていると岩手県と青森県(の太平洋側?)の地図が大きく出て、その地域に速報が出た。じゃあ、秋田ではそれほど揺れないのかと思ったら、結構揺れた。
実は、秋田にも速報が出ていたのだが、見ていたチャンネルが、(ケーブルテレビが再送信している)IBC岩手放送だったのだ。

つまり、IBCでは、自社の放送エリア内分の速報しか流さないのだろう。(青森県の太平洋側では一般家庭のアンテナでIBCを直接受信できるので、対象エリアにしているのだと思われる)

●「報知音」
緊急地震速報といえば、「ちゃらんちゃらん、ちゃらんちゃらん」という切羽詰ったチャイム(気象庁では「報知音」と呼んでいる)だが、これはNHKが著作権を有するものだそうだ。
気象庁では「報知音は、誰もが、どこでも、即座に理解できるように統一されていることが重要」として「NHKのチャイム音 を緊急地震速報の報知音として強く推奨しています。」とのこと。
元々はNHKオリジナルのチャイムだったものが、民放局や防災行政無線にも広がったわけだ。ただし、一部民放局では別の音の場合もある。

●緊急地震速報と地デジ
地上デジタル放送は、緊急地震速報に大きな欠点をもたらす。
データ処理の都合上、2秒程度のタイムラグが生じてしまうからだ。(地デジでは数秒遅れた画像・音声を視聴していることになる)
この点は、一刻を争う緊急地震速報では、致命的な問題点だと思っていた。

今回の一連の地震の速報を地デジで見ていると、あることに気づいた。
緊急地震速報が出る直前に「ピーンピーンピーン」というか「つーんつーんつーん」という音とともに、画面上部中央に赤地に白抜き文字で「緊急地震速報」というテロップが出て、それから「ちゃらんちゃらん」のチャイムと地図付きの速報画面が画面下に出てくる。NHK秋田(全国放送、ローカル放送どちらも)と秋田テレビ(フジテレビから同時ネットの番組)でこのような現象を確認した。
前はこんなのなかったはず。

実はこれが、地デジの遅延対策なのだった。
NHKでは、昨年8月から10月にかけて各放送局の装置を対応させ、上記のような表示方法になったそうで、「アナログ放送で地図スーパーが表示される時間とほぼ同じタイミング」になったそうだ。(http://www.nhk.or.jp/bousai/quick.html)
NHKのサイトより。実際には上の赤いのが先に出る
なるほど。ちゃんと進化・改善されてるんだな。
これでは「速報が出る」ということしか分からず、どの地域が対象なのかは相変わらず遅れて伝えられることになるが、少しは安心した。

どういう仕組なのかイマイチ分からないが、テレビ放送のデータよりも先回りして「緊急地震速報が出るよ」という信号を送信するのだろうか?
音については、資料に「受信機内蔵音」とあるので、音自体が電波で届くのではなく、信号を受けてテレビ自身が音を出している(データ放送の「d」ボタンを押した時の音みたいに)だろう。その方がデータ容量が少なくて済み、早く処理できるのだろうか。

なお、NHKではこれを「迅速化」と呼んでいるが、それはやや誇張表現では?
やっとアナログ時代並みの表示スピードになったんだから、迅速化というより「適正化」程度じゃないでしょうか。
【4月14日追記】テレビ朝日からの全国放送中に秋田朝日放送で緊急地震速報が流れたが、「つーんつーん」はなく、いきなり「ちゃらんちゃらん」のチャイムが流れた。AABはまだ“迅速化”されていないということだろうか?


●アナウンサーの沈黙
感心するのは、NHKのアナウンサーの対応。
生放送中に緊急地震速報が出ると、チャイム音の後の少しの間、何もしゃべらない。
これはびっくりして固まっているのではなく、「緊急地震速報速報です。強い揺れに警戒してください」という自動音声(末田正雄アナウンサーの声)と重ならないよう、あえて黙っているようだ。
自動音声が終わると、身の安全を確保することなどを呼びかける。
もちろん、民放局でも適切な呼びかけをするアナウンサーも少なくない(民放は自動音声はない場合が多いので、すぐに話始めなければいけない)が、こういう点はさすがNHKだと感じている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫・海猫・猫柳

2011-03-28 21:35:10 | 動物・植物
いろんなネコのお話。
●ネコ
お寺にいたネコ。
お墓の上でくつろいでいるところに声をかけたら…

「ニャんだお前?」
左後ろ足を中に浮かせたまま、こちらを凝視していた。

別のお寺。2匹のネコがいた。
左のサバトラさんに、右からキジトラさんが接近。

「ちょっと前を失礼しますよ」

「このカシャカシャいうヤツは何だべ?」
特にサバトラさんはカメラが気になるらしく…
「なんなんだコレ」
急接近して偵察に来た。(その後、僕の指のニオイを調査して、戻って行った)

●ウミネコ
以前も何度かお伝えしているように、秋田市中心部を流れる旭川には、海が荒れた日などは海にいるカモメの一種、ウミネコが川をさかのぼってやって来ることがある。
歓楽街“川反(かわばた)”周辺にも
カメラを構えながらゆっくり近づけば、かなり近くでも逃げずに写真を撮らせてくれる。
水かきにうっすら雪が積もる
ウミネコという名は、鳴き声がネコに似ているからだが、今、旭川に来るウミネコたちはあまり泣かない。夏場の方がよく鳴いている気がする。
正面のお顔

断面が円のパイプにも、上手に止まっている

●ネコヤナギ
20日前にもアップした、川辺のネコヤナギ。
また雪が積もった
前回は完全につぼみだったが、
今回は先の方から少し開花していた
アップすると、
つぼみの頃の方がきれいだった?
ネコヤナギは雌雄異株(イチョウと同じように、雌の木と雄の木がある)だそう。
この木の花は、開花した部分に赤と黄色の粉が付いているように見えた。(近づいてみることができない位置なので)
赤いのが葯(やく。花粉の入る袋)で、それが開いて黄色い花粉が見えるようなので、この木はたぶん雄。


●ネコじゃなくてヒバリの話ですが
昨日27日に積もった雪は融けたが、今朝また積もり、秋田市では13センチも積もった。今年は彼岸を過ぎてもよく積もる。
その後、晴れ間が出て午後には融けてしまったが、みぞれが降ってきたりしてめまぐるしい天気だった。

そんな中、午前中に、ヒバリの声を聞いた(たぶん)。
気象庁が行う「生物季節観測」の項目の1つに、「ひばりの初鳴」がある。秋田地方気象台での観測日は、平年で3月22日、2010年は4月8日だったそうだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨大ポスター掲示場

2011-03-27 20:19:48 | 秋田のいろいろ
4年に1度の統一地方選挙が4月に行われる。
震災の被災地では延期されることが決まったが、被災地以外は予定通り実施されるという。秋田でも行われる。
個人的には、選挙運動や投開票作業に一定の燃料や電力を消費すること、被災地以外の自治体職員の中には、被災地支援や避難者受け入れ業務に当たっている人もいるのにさらに選挙業務に人手を取られてしまうことを考えると、もっと広範囲で延期した方がいいような気もする。
やるというのであれば、我々庶民は粛々と(?)投票に行くしかないですけど。

秋田県内の一部選挙区では、立候補予定者が選挙運動を縮小する申し合わせを行ったようだが、「選挙カーの巡回時間を短縮して名前の連呼はしない」「選挙カーの伴走車を減らす」「電話での選挙運動をしない」といった程度らしい。結局は車で叫びながら走りまわることに変わりないようだ。
まだ燃料の供給が完全とはいえず、燃料の節約も求められ、近隣の県でたくさんの被災者がいることを考えれば、選挙カーの運動を完全にやめるべきだと思う。
各種イベントなどを“過剰に”自粛する風潮があるが、選挙カーこそ“完全に”自粛してもらいたい。誰に投票するかは選挙公報を見て決めればいいのだから。



秋田市では、県議会議員選挙(1日告示、10日投票)と市議会議員選挙(17日告示、24日投票)が実施される。
先週木曜日24日から、選挙ポスター掲示場(掲示板)の設置が始まり、ほぼ完了したようだ。
以前もご紹介した通り、選挙ポスター掲示板は全国的には白いものが一般的だが、秋田市の掲示板は秋田県産秋田杉の間伐材の合板を使った無着色のものなので、木目が美しく、環境にやさしい。

ところが、今回の掲示板は少し違う。
これ
まず、とにかくデカイ。
そして21区画しかないのに掲示板はとても大きく、外側が広大な余白になっている。
それに板の木目や色合いが杉とは違う感じ。
板ごとに色合いがかなり違う
報道されたのでご存じの方も多いと思うけれど、今回の掲示板は、1つの掲示板を県議選と市議選で使い回すため、いつもと違う仕様になっているのだ。
今見えている市議選の掲示板を剥がすと、下に隠れていた64区画分の県議選の掲示板が姿を現すという仕掛け。だから現在は無駄な空間が多いのです。
既にちょっとめくれてます
秋田市選挙管理委員会のサイトの「ポスター掲示場設置撤去業務委託 公募型指名競争入札」やその資料によれば、今回の掲示場は
縦2メートル25センチ(うち脚43センチ、本体182センチ)×横7メートル73センチ5ミリ(7735ミリ)。
上面(県議会用)はラワン合板、下面(市議会用)は秋田杉合板。県議選の時は、いつもの杉の掲示板に姿を変えるわけだ。(実際に裏面を見てみると、従来通り、県産材を示すシールが貼ってあった)

【2015年4月3日追記】2015年4月3日付秋田魁新報 総合面のコラム「杉」(元々は夕刊コラム)で「大きな掲示板」として取り上げられていた。
この方式になったのは2007年からだそうで、「2003年の統一地方選までは、(略)横並びで設置されていた。」
この方式にすることで「約1300万円の経費削減を図った」そうだ。

ラワンは熱帯系広葉樹(フタバガキ科)の総称で、ベニヤ板の材料として一般的で、木目は不明瞭。上面だけ杉材にしなかったのは、軽量化するためだろうか?
1つの掲示場につき8枚+半分のラワン合板が使われているようだ。
余白部分は単なる板(印字もないしポスターも貼られない)なので、使用後の再利用には都合がいいだろう。(市の仕様書では「再利用に努めること」としている)


秋田市の選挙ポスター掲示場の作成・設置・管理・撤去は、一連の作業を一括して発注するようだ。ただし市内全域をまとめてではなく、市内を第1ブロック~第7ブロックの7つに分け、それぞれのブロックごとに入札を行っている。
うち2ブロックは旧河辺町と旧雄和町で、それぞれ56か所と75か所に設置される。旧秋田市内5ブロックは、各ブロック当たりそれぞれ102~112か所ずつで計531か所。
秋田市全体では662か所に掲示板が設置されることになる。(設置数は今回の選挙の場合)

秋田市の掲示場の左下には、「設置番号」という欄がある。
「設置番号3-31」
ハイフンの前の印字された1ケタの数字(3)は、そのブロックを示していると思われる。後ろの手書きの数字は、各ブロック内での通し番号のようだ。【30日訂正】後ろの数字には、200番代とか400番代とか設置箇所数より大きい番号のものがあり、「通し番号」ではないようです。
(上記は秋田市の場合。他の市町村では、投票区の番号など異なる法則の番号が振られる場合があります)
脚は7本

状況によって脚を短縮することも
今回は、3月24日~30日に設置(実際は上記の通り完了していると思われる)、県議選投票日翌日の4月11日~14日に上面撤去、市議選投票後25日~27日で掲示場自体を撤去することになっている。
上面撤去より掲示板自体の撤去期間のほうが1日短いのか。


今回の掲示場は巨大なだけに、設置には苦労しているようだ。
ある公園の入口
入口を半分、ふさいでしまっている。(上の写真は掲示板の裏面が見えているので、秋田杉の木目が分かる)
公園内の見通しも悪くなっており、安全上はやや問題ありか。


選挙ポスター掲示場の数は、基本的には「一投票区につき五箇所以上十箇所以内(公職選挙法144条の2)」と定められている。
私有地に立てる場合は所有者との調整が必要だろうから、どうしても公園とか学校とか、公共施設の周辺に立てられることが多いようだ。
そうした事情から、近接した場所に複数の掲示板が存在するケースがある。
以前紹介したように、弘前市では背中合わせに2枚立っていたり、200メートルほどの中に4か所もあったりと、極端。

弘前市ほどではないが、秋田市でもそんな例があった。今回は掲示板が大きいから見つけやすい。
以前も紹介した場所
曲がり角の奥、50メートルくらい離れた場所にもう1枚ある。

ほかにも新たに発見。
90メートルほど先の向かい側にも
写真はないけれど、同じような状況をもう1か所発見した。

法律で定められていて、公正なことが絶対の選挙とはいえ、これでは無駄だ。もう少し柔軟にできないものだろうか。
【2015年4月21日追記】その後、秋田市では近接した掲示板の集約が行われ、2012年末から25か所が減らされた。上で紹介した2か所(計4か所)も対象で、1つずつの設置になった。


さて、今回の秋田市の掲示場をよく見てみると…
「秋田県議会議員一般選挙」の上の線に注目
掲示板左側の注意事項などが記載された部分(「表示欄」と言うらしい)の上の線だけ、太マジックで手書きで引いている!
確認できた3ブロックの掲示場どれもが、このようになっていた。
こちらはインクが隣の板に少し移ってしまっている
おそらく現場で設置時に線を引いているのだろう。設置番号と同時に。

いつもの掲示板なら、板の端になる部分なので線は引かれないのだが、今回はそうではないので、線を引くことにしたのだろうか。
秋田市が示した「設計書」にも、たしかにこの部分にも線が引かれている。印刷する際に、ついうっかり線を引き忘れ、設置時に手書きで対処したのだろうか? ご苦労なことです。
こんな線、別になくても問題はないと思うけど…

一方、右端は
縦線がない
設計書では、ここにも縦線が引かれている。同様に印刷し忘れたのか?
だが、手書きで線が引かれたものは見かけなかった。
この線もなくてもいいけど、ちょっと締りがないというか、間抜けな感じがしなくもない。

最後に、
この掲示場
線も引かれてないし、整理番号も記入されていない。忘れちゃった?
【31日追記】この掲示場に線と番号が記入されていたのを確認。

※この掲示場には欠点がありました。こちら
※市議選の時の記事はこちら
※別の形での掲示板の有効利用はこちら

※4年後・2015年の統一地方選の状況
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドン・キホーテじゃなく

2011-03-26 19:55:11 | 秋田のいろいろ
揚げ足取りシリーズです。
自分のことを棚に上げ、他人の間違いをネタにして申し訳ない気もしますが、あまりに基本的なことで、かつとてもおかしかったもので…


先日、お惣菜をもらった。
ドン・キホーテ秋田店で買ってきたそうだが、製造しているのはドン・キホーテとは別の会社のようだ。

その商品ラベルが冒頭の写真。※一部画像に加工しています。
ラベルをよーく見ていただきたい。

「ドン・キホーテ」ではなく、

ドンキー・ホテー」!!!


「ー」が1つ余計だし、「・」の位置も間違っているし…

容器底面裏に貼ってある、添加物の表示も、

同じく。

一部では、「ドン・キホーテ」のことを省略して「ドンキー」と呼んだり、ネット上で俗語的に「ドンキーホテー」という言い回しがされるようだ。
でも、正式な表示でこうなっているとは! 一瞬、目を疑った。
最初にラベルを作った時に確認しましょうよ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫社長の発言

2011-03-26 00:00:36 | 地震
25日夜のNHK総合テレビ「Bizスポ」に、ソフトバンク社長の孫正義氏が出て、他の何人かと「震災後の日本経済をどう立て直すか?」というテーマで議論していた。

その冒頭で孫氏は、「原子力発電所の事故の被害が大きい福島と地震や津波による被害を受けた地域とでは、別の対応をするべきだ」という趣旨の発言をした。これはまったくその通りだ。
しかし、その中で、地震や津波の被害を受けた地域として「宮城とか秋田とかと2度、発言されていた。


ご承知の通り、幸いなことに秋田県では地震の被害は軽微なもので、死者はいない。
孫さんが秋田に思い入れがあり、秋田のことを思ってくださって発言されたのなら、秋田県民として嬉しいが、そうではないだろう。(そうだとしても本当の被災地に申し訳ない)


地震の気象庁の命名が「東北地方太平洋沖地震」であること、連日報道される被災地の光景は三陸など太平洋側のものであること、そして秋田県が日本海側に位置することを知っていれば、上記のような発言は出ないと思う。
孫氏は西日本で生まれ育ったようなので、東北地方の地理に詳しくないのかもしれないし、多忙でニュースの細部まで把握できていないのかもしれない。でも、我が国有数であり、全国的ライフラインをつかさどる大企業の社長さんが、その程度の認識だとはがっかりした。

孫氏はツイッターで、このテレビ出演について、
国難の時なので問題発言になると思いますが今夜は少し本音を語ります。
とつぶやいておられるが、本音うんぬんの前に、前提からして勘違いしてるんじゃないの? と思えてしまう。


また、スタジオには、レギュラーの大学教授や経験豊富な記者、アナウンサー、そして他のゲスト達がいたが、誰一人、「秋田じゃないです。それを言うなら岩手や茨城じゃないですか?」などと突っ込まなかった。そして、最後まで、訂正はなかったようだ。
秋田だろうが岩手だろうが、話の流れに大きな違いがないから、細かいことにこだわらなかったのかもしれないが、NHK自体もそういう認識なのかとがっかりした。


この調子では、一般人でも同じような認識の人が少なからず存在するのだろう。地方と東京の間には、まだまだ認識・意識の壁が存在するようだ。
こういう誤解をなくすことこそ、スムーズな復興につながるのではないだろうか。
【26日補足】この記事は、孫氏やソフトバンクの震災に対する対応を批判しているのではないことを書き添えます。
 些細なこととはいえ、社会的影響力のある大企業の経営者が基本的・常識的なことを勘違い(?)して公の場で発言し、それを公共放送局がそのまま流していることに対する批判です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォンテ/バス/スギッチ

2011-03-25 22:38:11 | 秋田のいろいろ
●Loft・宮脇書店姿を現す
工事中の模様を紹介した、秋田駅前の「フォンテAKITA」のルーフサイン(屋上の看板)。足場が撤去され、姿を現した。
参考までにイトーヨーカドー時代
そして
現在
東側「Loft」の面は、デザインのせいか「7&i」時代より看板が小さくなったように見える。
南東側から
南面の「本」の下に「本なら何でもそろう 宮脇書店」のロゴがあった。
北側は「ザ・ガーデン自由が丘・西武」、西側がどうなっているかは未確認です。

フォンテの公式サイトでも、4月1日に「宮脇書店秋田本店」が5階にオープンすることが告知された。
ほかにも、秋田・山形で展開する衣料ディスカウント店「ニューライフ カネタ」が3階に4月1日、「靴チヨダ」が1階に8日(地震の影響で遅れた模様)に開店。

ちなみに、「靴チヨダ」は秋田県初出店だが、同じ企業が経営する別ブランドの「シュー・プラザ」や「東京靴流通センター」は秋田でもおなじみ。

秋田市の市長週間予定表によれば、1日の朝に「フォンテ秋田オープニングセレモニー」が行われるようだ。


●ノンステップ中古車追加導入
以下はバスのお話です。
昨年12月に、中古のノンステップバス(乗降口と車内の段差がないバス)が導入された。
ノンステップバスの中古が出まわるようになって秋田に来たことに驚くと同時に、高価な新車を買わずにバリアフリー化を推進できる効果的な方法だとも感じた。
昨年末は同型の中型車が2台、臨海営業所に配置され、旧秋田市営バスから移管した路線を中心に運行されている。

ところが、昨日、新たなノンステップ車両を見た。
じっくり見たわけではないが、おそらく昨年末の2台と同型車・同一仕様なので、同じ事業者で使われていた車両だと思われる。
後ろ姿。塗り直したものだけどピカピカ
ナンバープレートは、昨年の導入車(865、866)と4番違い(870)だった。

所属営業所は、秋田営業所(大川反車庫)のようだ。
秋田営業所には、新車のノンステップバスが既に所属しているが、走る路線が限定されている(自治体の補助金の関係?)。このバスは中古なので、幅広い路線で運用されるのかもしれないし、4月には秋田東営業所と統合されるので、東営業所担当分の旧市営バス路線も走る可能性がある。

※その後の導入状況などはこちら

●NBAシール
上記、新しい(けど古い)ノンステップバスの「NBA」のステッカー(日本バス協会会員章)の貼付位置がまた斬新。
リラガラス右上!
今まで取り上げてきたように、当初は貼付位置が厳密に定められていたようだが、最近は全国的に各バス事業者の好み(?)で貼付位置を変えているらしく、各社バラバラ。その中でも、後部に貼るのはかなり珍しいのではないだろうか。
なお、既存車両で後部に貼った(貼り直した)車両は、今のところ見かけない。
【6月21日追記】テレビで見た東京都営バスが、リアガラス(ただし左下)にNBAステッカーを貼付していた。

ボロボロNBAシールの続編。
「NB/社団法人日本バフ/会員」?
側面前方のドアと客席窓の間の柱に貼っている。秋田では珍しい貼付け位置(貼り直した?)が、さらに右側が剥がれて飛んでしまった。
以前の記事のものも含めて、このステッカーって剥がれる時はなぜか右側から剥がれるようだ。

羽後交通本荘営業所のバス
首都圏から来た中古車と思われ、行き先表示や窓の配置が変則的。
そうした事情もあって、NBAステッカーは前から2番目の客席窓に貼っている。なんか中途半端。

※その後、2016年にNBAステッカーに変化が

●スギッチシール
上の写真の羽後交通のバスで、NBAステッカーの上に、大きなシールが貼られているのがお分かりかと思う。
中央交通のバスにも、同じものが貼られている
2月6日頃から、一般路線バス全車両の側面後部の窓ガラスに左右1枚ずつ貼られている(上記、新しく来たノンステップバスにはまだ貼っていなかった)。
「歓迎 秋田でインターハイ」
各種競技を行う、秋田県マスコット「スギッチ」が描かれている。
スギッチは元々、2007年の国体のマスコットであり、いろんなスポーツが得意だった。県のマスコットになってからは、スポーツをする姿をあまり見かけなくなったが、このシールで久々に見ることができる。

今年の全国高校総体は、青森県を中心とした秋田県・岩手県の北東北3県で7月28日から開催される予定。
地震発生を踏まえ、簡素化して実施する方向で進んでいるらしく、一部競技の開催地変更も検討しているような報道があった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震後・歩道の雪/電波時計

2011-03-24 21:01:23 | 地震
●続く余震
秋田ではここ数日は大きな余震はなかったが、今日24日17時21分頃、岩手県沖を震源とするマグニチュード6.1の地震があり、秋田市で震度4を記録した。(宮城県中部では震度5弱)
まだまだ注意が必要。


●バス
おとといの記事に追記した通り、現在土日祝日ダイヤで運行している秋田市周辺の秋田中央交通の一般路線バスは、26日(土)から平常運行となる。
したがって、来週月曜からは、平日も通常通りのダイヤに戻る。
【25日追記】各報道によれば、中央交通の土日祝日ダイヤは平日ダイヤより2割程度(2~3割との表現もある)減。※ただし、大森山公園線やスケート場(県立プール)線など、土日祝日の方が運行本数が多い路線もある。これらの今回の対応は不明。
また、軽油は二十数キロリットルで通常運行2日分の必要量だそうだ。以上、今後の覚書として記録しておきます。

秋田市が運行する郊外部の「マイタウン・バス」は減便して運行中だが、同様に26日から通常ダイヤ

●JR
・男鹿線などディーゼルカー運行路線の減便は継続する模様

・青森-上野間(秋田経由)の寝台特急「あけぼの」は31日発分までの運休が決定[23日JR東日本秋田支社]

・奥羽本線 新庄-院内間は3月27日(日)運転再開見込み

・他にも宮城・山形両県内の路線を中心に、3月中~4月上旬の運転再開見込みが次々に立っている[JR東日本本社サイトの地図]
 しかし、太平洋側のローカル線や東北本線の一部は見込みが示されておらず、被害の大きさを窺わせる。常磐線も同様だが、原発の事故のため復旧作業もままならないはず。どうなるのだろうか。


●明日の朝は歩行に注意(記事中の気温や積雪量はアメダスのデータによる)
今朝は冷え込んだ。内陸南部の湯沢市の最低気温はマイナス12.4度。真冬でもこんなに寒くならないはず。
秋田市は最低気温マイナス2.9度、最高気温プラス3.5度。
昼前後に濡れ雪が激しく降り、11時には0だった積雪が、14時には10センチを記録した。(18時以降は5センチまで減った)
この時期に、こんなに雪が積もるとは珍しい。
真っ白
上の写真の道路は、通常ならロードヒーティング(融雪装置)が作動し、雪が消えているはずだが、今日はその気配がない。

節電のため、電源を切っているのだろう。
さっそく雪べらで除雪をしてくれる沿道の家・企業の方もいたし、少し歩きにくいけどこのくらいなら我慢できる。
歩道橋の階段にも積雪
でも、夏靴を履いていたり、足腰の悪い人には大変かもしれない。
明日の朝もマイナス2度くらいまで冷え込む予報なので、特に朝は滑らないようにご注意を。


●電波時計
先日、福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示のため、標準時を示す電波の送信所の1つ「おおたかどや山」の送信所が3月12日に停波してしまったことを取り上げた。
これにより、現在は福岡県(と佐賀県の境)の「はがね山」の電波しかなく、秋田など日本の東側には電波が届かず、電波時計の機能を発揮できなくなる可能性がある。
※標準電波を受信できなくても、普通のクオーツ時計の精度があるため、大幅に時刻がずれることは基本的にありません。

前回の記事では送信所から1000キロ圏内なら受信できるとしたが、リズム時計工業のサイトでは「半径 約1,200km」が受信範囲としている。
はがね山から秋田市までは、直線で約1100キロ。微妙なところか…

多くの電波時計には、自分が標準電波を受信しているかどうかを示す表示がある。
停波を知ってから、メーカーも機種も異なる3台の電波時計の表示を見ていると、受信できている時とできていない時があることが分かった。以下の写真は今日撮影。
「OK」(本当の送信アンテナはこんな形ではないらしいです)
別の時計は
「W」
これは、West=西の送信所=はがね山の電波を受信していますよということだ。(今までは「E」だったはずだが、意識してなかった)

置き場所や機種による差もあると思われるが、受信できる日は3台とも受信し、ダメな日は3台ともダメな傾向があるようだ。天候などの関係もありそう。

リズム時計工業のサイトによれば「窓の近くに置く(特に鉄筋の建物)」「金属の家具などから離れた場所に置く」「昼より夜間の方が受信しやすい」といったことに注意すれば、受信しやすいとのこと。
我が家でも、西側の窓際に置くと受信しやすい気がする。
【4月23日追記】その後、遠隔監視などにより無人で電波を送信できるようにして、4月21日13時54分に送信を再開した。(結局は防護服を来た人が出向いて再開させたらしい)
落雷や停電には対処できないため停波する場合もあり、暫定的な送信としている。送信所は原発から約17キロ離れているとのこと。
上の写真に出ている、どちらの電波を受けているか分かる時計は、23日朝から「E」表示に変わった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイガーマスクと弘前

2011-03-23 21:05:16 | 津軽のいろいろ
昨年末から今年初めにかけ「タイガーマスク現象(タイガーマスク運動)」が話題となった。
2010年12月25日、梶原一騎の漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗る人物から、群馬県中央児童相談所に10個のランドセルが届けられた。これが報道されると、全国各地の児童養護施設などに、伊達直人や他の架空の人物を名乗る匿名の寄付(主にランドセル)が相次いだもの。(中にはもらった方で扱いに困ってしまう単なる“押し付け”みたいなのもあった。個人的にはせっかく寄付するのなら、堂々と名乗り、先方の要望や意向を聞いてから行うべきだと思う)

僕はそもそも「タイガーマスク」という作品名しか知らず、内容はもちろん漫画なのか特撮物かさえ知らなくてピンと来なかった。
最初の漫画連載は1968年、テレビアニメは1969年に始まっている。この記事は、アニメの主題歌についてのお話です。

アニメのオープニング曲「行け!タイガーマスク」は聞いたことがあったけど、エンディング曲は「みなし児のバラード」という歌だったそうだ。
どちらも作詞:木谷梨男、作曲・編曲:菊池俊輔、唄:新田洋・スクールメイツ

3月12日の朝日新聞「be(土曜版)」(地震翌日だったが、事前に準備されていたらしく折り込まれた)の「うたの旅人」によれば、この曲は青森県弘前市にとても縁がある作品と言えることがわかった。

作詞者、作曲者とも、弘前出身の人なのだという。

作曲の菊池俊輔氏が弘前出身なのは知っていた。
1931年生まれで、1961年作曲家デビュー。2006年に東奥日報社「第59回東奥賞」を受賞している。
以前も触れたが、「ドラえもん」など昭和50年代以降の藤子アニメの多く、「Dr.スランプ アラレちゃん」、「仮面ライダー」シリーズ、「スチュワーデス物語」などなど数多くのアニメやドラマの音楽を手がけて(主題歌や作中BGMの作曲または編曲)いる。
タイガーマスクの曲、とりわけエンディングは菊池氏の作品にしては物悲しい雰囲気だけど、オープニングの方は同じく菊池氏の「暴れん坊将軍のテーマ」にどことなく似ている気もする。


一方、作詞した木谷梨男氏のことはまったく知らなかったが、弘前出身であることを新聞記事で知った。
この2曲だけの即席作詞家だったのが「木谷梨男(りお)」さんだった。
作詞家「木谷梨男」とは、アニメ「タイガーマスク」を製作した東映動画(現・東映アニメーション)の企画者(プロデューサー)斎藤侑(たすく)さん(77)のペンネームだった。
筆名といっても、公のメディアに載ったのは青森県弘前市出身の斎藤さんが高校3年生時、東奥日報の懸賞小説に入選したとき以来だという。
とのこと。

菊池俊輔氏が79歳なので、2つ違いだ。
なお、今回の朝日新聞では、菊池氏が弘前出身であることには触れていなかった。したがって弘前出身者コンビの作品であることはこの記事からは伝わらない。
ちなみに、1月14日付東奥日報のコラム「天地人」は「木谷梨男作詞、菊池俊輔作曲、ともに弘前市生まれの二人が作った歌」として言及している。(だから青森県在住の皆さんはご存知だったかもしれません)

ご当地ソングとか市民歌・校歌ならともかく、そうでない歌で、同じ街の出身者が作詞と作曲をする(そしてその歌が全国的に広く認知される)のはとても珍しいことではないだろうか。

菊池俊輔作曲の校歌の話
【2021年5月14日追記】菊池俊輔氏は、2021年4月24日に89歳で亡くなった。ドラえもんなどを代表作として、各マスコミが取り上げた。弘前市などで菊池氏の功績を称える動き(表彰とか博物館などでの記念展示とか)が出るだろうか。今後に期待。



ほかにも弘前市出身で著名な歌を作詞・作曲した人がいる。以下にお2人を挙げてみる。
 ※作品名は、個人的に「おっ!」と思ったものです。他の作品はWikipedia等でご覧ください。
三浦徳子氏は作詞家(生年は不明だが兄の三浦雅士氏が1946年生まれ)。
郷ひろみの「お嫁サンバ」、松田聖子の「青い珊瑚礁」「夏の扉」、おかあさんといっしょの「きつねのコンピューター」、“亜伊林”という名義で永井真理子の「ミラクル・ガール(アニメ「YAWARA!」のテーマ)」などを作詞。

カタカナの名前が記憶にあり名前だけは知っていた、鈴木キサブロー氏は作曲家。1953年生まれ、県立弘前南高校卒。
H2Oの「想い出がいっぱい」、中森明菜の「DESIRE -情熱-」などを作曲。

僕は知らない歌だが、TUBEのデビュー曲「ベストセラー・サマー」は作詞:三浦徳子、作曲:鈴木キサブローで、この曲も弘前コンビ(編曲は武部聡志・鈴木キサブロー)。
こうした内容は、弘前のご当地検定「津軽ひろさき検定」にも出題されているようなので、受験される方は要チェック!?
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震後・22日

2011-03-22 23:30:22 | 地震
●JR
・秋田県内の各路線は変化なし。
 ディーゼルカーが走る路線の燃料不足による減便も大きな変化はなさそう。

・奥羽本線
 新庄(山形県)-院内(湯沢市):3月中運転再開見込み
 新庄-山形(通称山形線):3月23日運転再開予定
 これにより奥羽本線の不通区間は福島-米沢だけとなる。

・東北新幹線が予定より1日早く、今日から盛岡-新青森間で運転を再開
 明日からは10往復運行(すべて各駅停車。普通車は全車自由席)

 先日、東北新幹線の被害箇所が1100箇所あるとのことだったが、JR東日本からリリースがあった。http://www.jreast.co.jp/pdf/restore.pdf
 それによれば、約1100箇所のうち、約940箇所が那須塩原~盛岡間に集中しており、復旧作業の進捗率も低い。(開業したばかりの八戸以北は震源から遠いこともあるだろうが、被害ゼロ)
 高架の落下などはなく、ずれたり傾いたりした程度のものばかりだが、この数の多さでは、運転再開には相当かかるだろう。

・仙台地区でも運転再開のめど
 仙石線 あおば通-仙台-小鶴新田:3月中運転再開見込み
JR仙石線は、東北地方のJRの路線の中では、特異な存在。
仙台駅では他の路線と離れた地下ホーム(かつては地上にあった)を発着し、松島の辺りでは、東北本線と絡みあうように接近した位置関係になっている。
電源(電化方式)は、交流2万ボルトが基本の東北地方のJR線の中では唯一の直流1500ボルト。そのため、走行する車両も特殊で、現在は山手線などを走っていた電車を短縮して改造した(秋田の土崎工場が施工)ものが走っている。
仙石線のこうした特徴は、かつて私鉄だったたものを国有化(1944年に)した路線であるため、私鉄時代の名残によるもの。
仙台周辺の都会的な雰囲気と松島方面の観光輸送という、2つの性格・目的を持つのも特徴的。車窓から見える海が美しい。

今回の地震・津波では、仙石線も大きな被害を受けた。
地震発生の翌日あたりまで、仙石線を走行中だった2本の列車と連絡が取れず、電車が脱線してくの字になっているのが発見されたなどと報道され、最悪の事態も考えられたが、どちらも乗客・乗務員は避難して無事。空の電車が津波の被害を受けたことが後に分かった。

その現場を見ると、仙石線の被害は壊滅的にも見えた。
しかも上記の通り、特殊な性格の路線。変電施設や車両(他路線の電車を転用できない)の関係から、運転再開はずっと先になるかなと思っていた。

しかし、仙台駅のトップを切って仙石線が運行を再開することになった。
2000年にできた地下区間とその先の地上区間に出て2駅、車両基地(仙台車両センター宮城野派出所)の最寄り駅まで5.6キロの区間。
新しい地下区間なので、線路や施設の被害が軽微で済んだのかもしれない。車両については基地とあおば通駅の間で“取り残された”車両でのやり繰りが可能なのだろう。


●駅のATM「VIEW ALTTE」(ビューアルッテ)
秋田駅待合室内にあるJR東日本のATM「VIEW ALTTE」は、地震後長らく休止していた。(少なくとも先週末)
今日、行ってみると、復旧していた。(ただし、待合室内の照明の多くやATMの装飾は節電のため消灯中)
あまり必要とする人はいないでしょうけど、個人的にはビューカードからSuicaへチャージできる秋田県内唯一の場所なので、ありがたい。(他にも使っている人はたまにみかける。提携先のカードでも使ってるんだろうか)

公式サイトによれば、青森駅のものも復旧し、まだ復旧していないのは、太平洋側の不通区間や岩手県内の駅。


●秋田中央交通の路線バス
明日23日(水)も土日祝日ダイヤで運行。
24日以降は未定。
【23日追記】23日の発表によれば、土日祝日ダイヤでの運行は25日(金)まで、26日(土)からは通常運行とのこと。したがって平日は来週の月曜から平常通りの運行となる。


●お店
相変わらずパンや乳製品が品薄というか、ほとんどない。まったくないのではなく、少し入荷してすぐ売り切れるようだ。
ヤクルトは全然なく、体調維持に常用する人にはつらいことでしょう。

フォンテAKITA地階の「ザ・ガーデン自由が丘・西武」は19時で閉店しているが、公式サイトによれば、28日(月)から通常通り20時まで営業する予定とのこと。

「イオン秋田中央店(旧秋田サティ)」は、20時で閉店。
乳製品は「ダノンビオ」だけが大量に陳列(通常の5倍くらい!)されており、ヨーグルトコーナーを独占していた。入荷状況に偏りがあるようだ。
アイスクリームや清涼飲料はほぼ平常並み。冷凍食品は一部あった。カップ麺はゼロ。お菓子類も少なめ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春分の日

2011-03-21 19:50:54 | 秋田の季節・風景
21日春分の日の秋田市は曇り。気温は4度~8度くらい。
彼岸の中日(ちゅうにち。NHKの全国ニュースで「なかび」って言ってたけど読み間違いだよね)なので、まあまあのお墓参り日和になった。

秋田市では通常、自家用車で墓参に来る人が多く、お寺が多い地域の路上は駐車車両でごった返すのだが、ガソリン不足の今回は…(我が家はいつも歩いて行きます)
こんな感じ(午前の遅い時間帯)
駐車車両は例年よりやや少ないものの、上の写真のようにびっしりと縦列駐車されている道路もあった。
徒歩で来る人は思ったほど多くなかった。全体としては同じ天候・時間帯と比較して若干人出が少ない印象。
つまり、墓参り自体を控えた人が多かったのかもしれない。

秋田市中心部では、すっかり雪が消えているが、お寺の日影では、
雪があった!
屋根から落ちた雪がザラメ状になって山になっていた。


さて、あるお寺にて。

先日の地震で、石灯籠が倒れてしまっていた。

明確な地震の被害を確認したのは、この石灯籠だけだった。
墓石が倒れたようなのは見かけなかったが、若干傾いているように見えなくもないものがあったような…



地震関連情報
●秋田中央交通路線バスの運行状況
秋田中央交通の一般路線バスは、明日22日(火)も日祝日ダイヤで運行。
23日以降は未定。(明日以降、公式サイト等で告知されると思われる)

●秋田新幹線「こまち」
秋田-盛岡間で運行を再開している秋田新幹線「こまち」は、明日から1往復増えて、5往復で運行する。(盛岡発7時台と秋田発19時台を追加。正確には21日上りから?)
また、今までは乗車できなかったグリーン車も利用できるようになった。※グリーン車は指定席で、普通車は引き続き全車自由席。

●宅配便
秋田など被災地周辺では、営業所持ち込み/留め置きの宅配便しか扱っていなかったが、各家庭での回収/配達を再開した事業者が多いようだ。
時間帯指定やクール扱いができないなど、制限はまだあるらしい。

●お店
墓参りの帰りに覗いた店。
豆腐や県外産の野菜・果物も各種あったし、かなり流通は復活していると感じた。お彼岸の花やお供え菓子も充分。
ただし、卵が高くなっていたり乳製品類は激減。たけやの菓子パン(種類も限定)も1世帯2個限定だった。このあたりは生産・製造の復旧が不完全なためか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震の影響

2011-03-20 19:02:45 | 地震
●地盤沈下
今回の地震で、秋田市ではほとんど被害がなかったが、皆無だったわけではない。
秋田市のまとめによれば(ケーブルテレビのコミュニティチャンネルで流れている)、市立学校などいくつかの公共施設において、壁のひび割れや液状化などの被害があったとしている。

千秋公園のふもとにある、
秋田市立中央図書館「明徳館」
※「明徳館」は旧秋田藩の藩校の名前にちなむもの。近くの「県立秋田明徳館高等学校」やそれが入る「明徳館ビル」も由来は同じで紛らわしいが、命名は市立図書館の方が20年も先。

現在は節電のため午後からの開館。この時は午前中だったが、そのことを知らずに、車や徒歩で数組が来てしまっていた。
上の写真のとおり、道路から図書館正面玄関までの間は、正方形の石畳(?)が敷き詰められた空間になっている。
正面玄関

「危険 地面が陥没しています」
市のまとめによれば、明徳館で「地盤沈下」が発生していたことになっていたが、ここのことのようだ。

杭打ちをした建物部分はそのままで、そうでない石畳の部分が沈下したのだろう。
境目の部分が波打って、段差ができていた。


側面から
ここは以前から少し傾斜があったような気もするし、弱い地盤の上に作った他の建物でもこのような現象を見ることがある。
この近くで、秋田中央道路建設に伴う地盤沈下も発生しているので、この辺も地盤は強くないのだろう。

翌日21日の記事でも、地震の被害を取り上げています。

●再開発工事お休み
以前お伝えしたように、中通一丁目の日赤病院・婦人会館跡地の再開発工事(前回の記事)は、地震に伴い杭が届かなくなったことや重機の燃料が確保できないことから、15日から工事を中断している。
予定なし

お休み中
今後どうなるのか?
【31日追記】AABの報道によれば、23日(水)から工事を一部で再開したとのこと。今後の工事に遅れが生じないか、検討・調整していくようだ。

●キャッスルホテルは今日から
その向かい、秋田キャッスルホテルは、1月17日からほぼ全館を休業して、耐震補強工事を行っていた。
今日、3月20日から営業を再開したようで、車寄せにタクシーが並ぶいつもの光景に戻っていた。
外から見た限りでは以前と変りない
壁面のロゴマークが新しくなった以外は、デザインは以前と同じように見える。

●木内は…
キャッスルの隣が「木内(きのうち。“木ノ内”ではありません)」。
かつては屋上遊園地や食堂もある秋田市随一の百貨店だったが、平成に入ってから規模を縮小し上のフロアを閉鎖、1階だけで衣料品を中心に販売する状態が長らく続いている。
木内は「設備補修のため」として、今年1月と2月の2か月間休業して工事を行っており、今月から営業を再開していた。(実際に休業中は何らかの工事をしていた)
しかし、シャッターが降りていて、
「地震の為3月31日まで休業させていただきます」
昨日19日の段階で、既にこのようになっていたという。

地震で建物が損傷を受けたのではなく、節電や消費低迷に対応するための休業かもしれない(憶測です)。
生活必需品を売っているわけでもなく、若干過剰な照明があったような気もするから、休んでしまおうとの判断なのだろうか。
2か月間休んだ直後に、また10日以上お休みとはずいぶん潔いというか…

今日の広小路は、いつもの日曜より車は少し少ないが、歩いている人は若干多い印象(普段があまりに少ないのだけど)。若い家族連れとか高齢者とその子どもみたいな人たちが多かった。
車で出掛けるのをやめて、秋田駅前に行ったのだろう。

●交通情報
・JR
奥羽本線は、明日21日から横堀-院内間(1駅4キロ)も運転を再開する。これで、秋田県内の本線系統はすべて再開。
また、今日から、奥羽本線 米沢-山形間(通称山形線)と米坂線(米沢と羽越本線の坂町間)が開通し、山形市への鉄道もいちおうはつながったようだ。
奥羽本線の福島-米沢、山形-新庄-院内は運転再開未定。

北上線は、今日から全線(北上-横手)で運転を再開したが、燃料の問題から朝夕の一部のみ運転。
東北本線は盛岡-北上-一ノ関が再開している。

ディーゼルカーが走る路線では、引き続き大幅な減便が行われているという。秋田支社管内ではほぼ半減、盛岡支社管内では朝夕のみ運行としているようだが、ご利用の際は確認を。

・秋田中央交通のバス
秋田中央交通の仙台行き高速バスは今日から運転を再開(21日までは減便)。
高速・一般路線バスとも、連休明け22日以降の運転状況は未定だが、直前まで状況が分からず、バス停の掲示もできないとのこと。報道や公式サイトで確認してほしいそうなので、ご利用の際はご注意を。

※翌日21日の地震関係の情報はこちら
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォンテ屋上看板

2011-03-19 20:54:08 | 秋田のいろいろ
秋田駅前「フォンテAKITA」の記事。※前回はこちら
昨年10月のイトーヨーカドー秋田店閉店直後に真っ白にされ、以後ずっとそのままだったフォンテ屋上の看板(ルーフサイン)。
先週頃から足場が組まれ、変化がありそうだった。

3月14日、東側(秋田駅側)
黄色時に黒い線。これは「Loft」だ。
縦画から引き始めるのか…

北側のぽぽろーど側には壁面に表示がある
せっかく秋田にロフトができても、今までは秋田駅側(フォンテの東面)から見ると、それを示す表示が一切なかった。
※以下の写真は16日の撮影です
秋田駅から見るとこうなる
目立つしアクセントとしてもいいのではないでしょうか。

では、他の3面も「Loft」なのか?
南側と東側
南側は「本」。
各種情報では、5階に「宮脇書店秋田本店」が入ることになっているが、フォンテを運営する秋田ショッピングセンターからの発表、地元の報道はまだない。
しかし、この看板を見ると、少なくとも書店が入るのは誰の目にも明らか。(書店名はこの時点では表示がなかった)

分かりづらいですが北側と西側
北側は「ザ・ガーデン自由が丘SEIBU」。
西側はこの段階では上部に「FONTE」のロゴがあったが、それ以外の下側大部分は白いようだった。今後入る店舗のために空けておくのか?

※続きはこちら
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震の記録

2011-03-19 19:42:09 | 地震
マグニチュード9.0の大規模地震から1週間。
秋田市では、燃料と一部の食料、公共交通機関以外、ほぼ平常の生活に戻ったと言ってよい。
今なお満足な環境が整わない被災地や原発事故の推移は気がかりだが、いちおう一区切りとして、地震当日の記録を中心にこの記事をアップします。

さて、今まで、当ブログでは漠然と「地震」と表記してきた。
地震自体は、気象庁が「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名したが、地震に伴う災害(震災)については、「東北関東大震災」「東日本大震災」など各マスコミがさまざまな呼び方をしている。いずれ国が統一した名称を決めるだろう。

地震が発生した3月11日14時46分頃、僕は外出中で秋田駅近くを歩いていた。
揺れを感じたので、周りの建物や電柱・電線が落ちてこないか確認すると、電線が大きく揺れているのが分かった。3月9日の昼前に、三陸沖を震源とする地震があった(秋田市で震度4)のでその余震(実際には9日のが“前震”で、これが“本震”だったのだが)かと思い、大したことないだろうと思っていた。
だが、それにしては強い揺れなので、もっと近くが震源かもしれないとも思った。
駐車場に停まっている車は、誰かが車体を押したり揺らしたりしているかのように左右に大きく揺れた。前後方向にも揺れ、エンジンがかかっていないのに動き出すのではないかと思うほど。


僕は小学生の時、1983年5月26日の秋田県沖を震源とする「日本海中部地震」を経験している。マグニチュード7.7、秋田市では旧震度階級(1996年まで)で震度5(当時は体感による観測、秋田地方気象台の位置・建物も異なるので一概には比較はできない)だった。
その時は、まるでシェイカーに入れられて振られているようなものすごい縦方向の揺れだった記憶がある。

今回の地震は10段階の上から4番目の震度5強と観測された。※今回の震度についてはこちら。秋田市中心部では震度5強よりはやや弱かったようだ。
僕が今まで経験した揺れの中では、日本海中部地震に次いで強い揺れだと思うが、日本海中部地震の時ほどの恐怖は感じなかった(子どもと大人の違いもあるだろうけど)。
日本海中部地震の時と比べると、ゆっくりとした横揺れで、とても長く続いた気がした。「船に乗っているような」と表現した人もいるが、まさにそんな感じ。


周辺の建物から次々に人が道路に出てきた。走行中の車は止まったものが多い。
まだ揺れが続く中、ふと、近くの信号機を見ると、消灯していた。しかし、その先方の信号機は点灯している。
この段階で既に東北電力エリアの大部分で停電が発生しており、点灯していた一部の信号機は非常用自家発電機で稼動していたわけだが、その時の僕は「地震で広域に停電する」ということは頭になく、一部の範囲だけが何らかの事情で停電してしまったのだと思い込んでいた。建物から外に出てきた人は、揺れの強さに加えて停電したから出てきた人も多かったのだろう。

大きな揺れだったので、秋田駅を通ってとにかく帰ることに。
JR東日本秋田支社前 屋内は停電し、2階の窓が開いている
秋田駅ビルの店舗はまっ暗。ここまで来て、僕はやっと広範囲で停電していることを知った。
駅周辺やぽぽろーどは、周りの施設から出てきた人がたたずんでいた。
「大津波警報が出た」「震源は三陸」「秋田は震度5強」だったといった話が聞こえてきた。
「アルス」前
アルスと同じ建物のホテルメトロポリタン秋田には、専門学校の卒業式の看板が立っていたがこの時点で式は終わっていたのだろうか。
18日付秋田魁新報社会面によれば、この左隣の「秋田フォーラス」6階(と7階の一部)の「ジュンク堂書店秋田店」では、在庫50万冊の約半分が落ちて散乱、本棚もゆがむなど破損があったという。本に傷みがないか確認しながら、現在約4割を復元して営業。通常営業になるのは来週半ばとのこと。
秋田市内の一般家庭では、震度5強という強さのわりには物が倒れたという話はほとんど聞かなかったが、高層階だから被害が発生したのだろうか。

14日に復旧作業の様子を先にアップしたが、
「トピコ」2階のぽぽろーど側入口
ぽぽろーどとトピコの天井の“つなぎ目”の細長い化粧板みたいなのが垂れ下がっていた。
復旧作業中の様子(14日の記事の再掲)

同様に、
ぽぽろーどのつなぎ目も
1997年にできた秋田駅側から2000年に西側へ延長された部分のつなぎ目の天井も落ちていた。中には完全に落下したものもあったし、垂れ下がっていない板も浮き上がって変形していた。
14日の時点では、すべての板が撤去されていたが、復旧はされず穴が開いたままだった。
大屋根下。左がフォンテ、右奥が西武
ぽぽろーど西端の大屋根下も、フォンテAKITAや西武秋田店から出てきた人でごった返していた。
西武の前だけ、人の密度が高いながらも整然として見えたが…
整列
西武の青い旗(上の写真右側)を先頭に、各売り場の従業員が並んでいた。
客の避難誘導を行った後、このように集結する決まりになっているのだろう。
若干通行の妨げの気もしなくもなかったが、ほかの店ではこのような対応は見かけず、さすが百貨店だと思った。

交通整理にでも向かうのか、パトカーがサイレンを鳴らして走っていた。
ゆうちょ銀行秋田支店前
ゆうちょ銀行秋田支店の店舗内の一部も電気が点いていた。昔は「貯金事務センター」だったので非常電源が必要だったのだろうが、事務センター機能がなくなった今、こんなに電気を点けておく必要があるのかなと思った。
前の交差点の信号機は消灯。車の合間をぬって歩行者が渡っていた。

信号機が作動している交差点では、道端の箱の1つがうなりをあげていた。
融雪装置操作盤などと同色で、切妻屋根でやや背が高い、今まで何の目的なのかよく分からない箱が発電機が入った箱だったんだ。
この箱の中に発電機
なお、発電機が設置されていない一部交差点では、民生用のディーゼル発電機を仮設(路上に置いて)し、そのケーブルを電柱にある制御箱に接続して信号機を稼働させていた箇所もあった。

この日の秋田市は15時の気温は0.4度。積雪は2センチだったが、1時間後には5センチと急速に雪が降り積もった。雷も鳴って荒れて寒い中での停電となった。

その後、丸1日強、停電。
秋田市のほとんどの地域では、水道やガスは正常だったが、いかに電気に頼って暮らしているのかよく分かった。
頭では分かっていたつもりだが、「食料、電池で動く照明・ラジオとその電池、電気なしで使える暖房の備え」を痛感した。鍋で炊飯する方法も覚えておくといいと思った。
我が家は幸いどれもあった(意識して備えていたというより、たまたまあったというべき状態)が、風呂は沸かせないし、いつ停電が復旧するか分からないし寒く、時折余震が来る中、早々に布団に入るしかなかった。
消防団が火の扱いに注意するよう呼びかけながら巡回していた。

停電中はラジオが情報源として役に立った。
僕は普段ラジオを聴かないので詳しくないが、コミュニティFMがあったはずだとチューニングしたが、見つからない。コミュニティ局も停電で停波していたようだ。
結局、NHKとABS秋田放送を聴いた。秋田に関しては「停電の復旧のめどなし」程度の情報しかなく、あとは太平洋側で大きな被害があることを繰り返していた。
意外な意味で役に立ったのが、NHK仙台放送局からの放送。「今、仙台のスタジオで揺れを感じています」と話があってから、1分近くしてから秋田市が揺れたので、簡易的地震速報となった。

翌日、秋田魁新報は紙面数は少ないながらも届き、全国紙も10時近くになったが配達された。
翌夕、電気が復旧してうれしかったが、テレビを点けるとすさまじい被害を目の当たりにした。

大災害だからそちらをメインに報道するのは当然だが、停電復旧後も含めて、もっと秋田の情報を知りたかった。
地元ケーブルテレビの独自チャンネルは通常の番組を流し続け、データ放送の「緊急」の項を見ても「災害への備えをしましょう」なんてのん気な情報が掲載されているだけでまったく役に立たなかった。今週に入ってから、通常番組を中止して秋田市がまとめた被害情報や文字ニュースを流しているが…
なお、秋田ケーブルテレビで見られるIBC岩手放送では、ラジオ・テレビ同時放送で、安否情報・避難情報などを流している。

今回の一晩の生活を忘れず、日頃から備えをしておきたい。
地震後、節電・燃料の節約を心がけるようになり、今までより早く寝るようになった。慣れてしまえばどうってことないし、健康的だ。今までの暮らしを見直す機会になった。
あとは、毎日たくさん来ていた、各種企業からの広告メール(スパムではなく登録した企業から)がぱたりと来なくなった。不急のメールで回線を使わないようにという配慮だろう。自粛の意味もあるだろうけど。


被災地はまだ復旧すらされていないが、やがて復旧から復興へと移るだろう。
今は全国的に被災地支援の動きがとても高まっているが、時が経てば薄れてしまうかもしれない。長期的・継続的に被災地を支援することが復興には必要だと思う。
被災地に近い我々こそ、それができるはずだから、意識し続けたい。

だけど、被害のなかった我々は、被災地のことを心に留めながらも、ある程度普通の生活をしていかなければいけないと思う。そうでなければ国全体が衰退してしまうし、気持ちも暗くなってしまうから。
東北地方の被害を受けなかった観光地などでは、予約キャンセルが相次いでおり(現段階では当然だが)、春の観光シーズンが懸念されている。開業したばかりの東北新幹線新青森や関連キャンペーンも大きな打撃を受けるだろう。そういった方面を支えていく(利用する)ことも、間接的には復興支援と言えるかもしれない。
そういえば地震の翌日に、九州新幹線博多-新八代間が開業していたが、そのことはすっかり忘れてしまっていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする