広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

バス代行

2009-12-31 17:37:21 | 秋田のいろいろ
※本記事の写真はコンパクトデジカメで撮影しました。
先日、所用で山形県酒田方面へ出掛けた。もちろんJR羽越本線で。
普通列車でもいいが、今回は奮発して(自由席ですが)特急「いなほ」で冬の日本海を眺めながら行くことにした。冬の羽越本線といえば、強風による運休が日常茶飯事なので躊躇したくなるが、この日は荒れる予報だったもののまだ大丈夫そう。特急が発車する直前に秋田駅に入ってくる下り貨物列車も定刻に到着。次は「いなほ」が出る番。

しかし、発車時刻を過ぎても動かず、「現在、この先の下浜駅付近のボウフウシステムに不具合が生じているため、発車を見合わせている」という車掌の放送が入った。
羽越本線=暴風のイメージがあるから「暴風システム」かと思ったが、よく考えたら「防風システム」か。風速を測定し、輸送指令へ転送する装置の故障かなと思った。
ということは、強風によるもの(=自然が相手でいつ復旧するか分からない)でなく、機械の故障だから修理すればすぐ直るのだろうし、下浜は秋田市郊外だから、秋田駅からでも車で30分もあれば着く場所なので楽観視していた。

「いなほ」は6両編成で、通常は3両が自由席だが、この日は年末の多客期のため指定席1両増・自由席1両減に変更され、前寄り2両が自由席。
自由席はいつもよりは乗車率が良く(といっても1列に1人か2人程度だが、普段は1両に数人ということもあるので)、どちらかといえばプライベートで乗っている人が多そうだった。
僕の近くには“岩手県から羽越本線沿線の実家へ帰省する大学生”といった感じの男性が座っていた。発車の遅れが案内される前から、座席に座ったまま携帯電話で通話しており「あ、俺。今日帰ることにしたから。今、秋田。じゃあ」などと電話していた。(携帯電話の使用はデッキでお願いします)
遅れが案内されると、その彼が「遅くなりそう。電車が故障したって」(←ちょっと違う)と電話し直したくらいで、そのほかの皆さんはじっと待っている。急いでいないかったのかもしれないし、忍耐強い東北人の性格もあるだろうが、おそらくちょうど4年前の「いなほ」脱線事故が頭をよぎったのだろう。

「こまち」や青森方面への列車は時刻通りに出入り(この列車が居座っているためホーム変更はあったが)していく。隣の線路には、北海道から関西へ羽越本線経由で向かう貨物列車が来て、「いなほ」と並んで一緒に足止めを食らった。
たまに車内放送が入り「社員が現場へ向かっている」「不具合が生じているのは桂根-道川間」といった情報を新たに得たが、「復旧までの見込み時間はまだ分からない」ということ。
秋田から3つ目の駅が桂根で下浜、道川と続く。秋田駅のすぐ先のわずかの区間のせいで待たされて歯がゆいが、それだけにすぐ直せるとまだ軽く見ていた。大幅に遅れるのなら運休やバス代行をするだろうが、待たされているんだから、復旧の見込みがあるはずとも思った。奥羽本線・新庄・陸羽西線経由で行くこともできるが、時間的にはまだ待った方がいい。

発車予定時刻から1時間半ほど経った頃か、「あと30分ほどで復旧の見込み」との放送が流れた。約2時間遅れか。僕の予定としてはなんとかなりそうだし、2時間以上遅れれば特急料金が払い戻しになるな、と勝手なことを考えた。

「いなほ」後続の羽越本線上り普通列車の発車時刻が迫っており、その車両が隣のホームに入ってきたが、ホームの放送では運休する旨を伝えている。その普通列車に乗る客で、特急停車駅まで行く人には、この「いなほ」への振り替え乗車が認められたらしく、何人かが自由席に乗り込んできた。

復旧の見込み時刻を過ぎた頃、車内放送が入り、「風力計の交換が必要で、さらに復旧まで時間がかかるため、この列車は秋田-酒田間を運休する。代行バスを運行するので、中央改札口を出て案内に従うように」とのこと。
今年2月の津軽今別駅に続いて、2度目のバス代行体験となった。
改札口を出ると、自由通路上に東口方向へ向かって2列に並ぶようになっており、先頭にプラカードを持った駅社員がいた。片方は「酒田駅直行」、もう一方は「(羽後本荘から遊佐までの)途中停車駅経由」。僕は酒田直行の方に並ぶ。
別の社員が人数をカウントしているが、人数としては、途中駅経由よりも酒田直行の方が多かったようだ。「(酒田より先の)新潟まで行くが、バスに乗らずに秋田で待って後続のいなほに乗ってもいいか?」と尋ねる人もいたが、「復旧しないと後続のいなほの車両も秋田に来られないので、バスで酒田に向かった方が早い」と案内されていた。

駅の放送によれば、「復旧予定時刻はさらに1時間ほど後だが、それ以前に発車する(運休区間より手前の秋田市内の)新屋行き普通列車は運転する」とのこと。新屋-羽後本荘間で運休ということらしい。

15分ほど並んで待っただろうか、酒田直行の列だけ、バスが来たので案内される。ぞろぞろと東口バス乗り場へ移動。団体バスなどが発着する5番のりばに、おなじみ秋田市内の大手バス会社の貸切バスが2台待機していた。
前回(2月)の真夜中に町から離れた駅では、バスが来るまで相当待たされたが、突発的な事態ですぐに長距離運行できる車両と乗務員が手配できるのはすごい。秋田の大手バス会社で昼間の時間だから交代要員が出勤していたのだろうし、車庫から秋田駅までもそう遠くないとはいえ、始業点検など必要だろうし。
そういえば、このバス会社の貸切バスに乗るのって、中学生の時以来かな。
2月の時のように、補助椅子までぎゅうぎゅう詰めになることを想定していたが、今回は1台では足りず、2台では余る人数だったらしく、補助椅子は使用せず僕の隣は空席。前回の教訓で飲み物も手元にあるし、前回ほど緊迫感がないというか気が重くない。

さっきから人数を数えたりしていた社員(いわゆる駅員ではない職種の人か? 上着が違う気がした)が乗り込んできて、「トイレに行きたい方は今のうちに」と案内し全員が揃うと、「ただいまから高速道路経由で酒田へ直行します。特急券は後日どこの駅でも払い戻しますのでなくさないでください。トイレ休憩も取りますが、途中で具合が悪くなったら遠慮しないで(バスの)運転手さんへ言ってください。本当は私も酒田まで付いていきたいんだども、それだと帰りが… それではご迷惑をおかけいたしますが、お気を付けて。せば運転手さんよろしく」などと秋田訛りとなんとなく場を和ませる話し方であいさつをしてバスを送り出してくれた。
2月のJR北海道の車掌さんもそうだったが、話し方ひとつで場の雰囲気、人の気持ちを和ませることができるもんだ。前回も今回も乗客の理解もあっただろうが。

バスが秋田駅を出たのは、当初の「いなほ」の発車予定時刻から2時間半以上経っていた。バスは東口からまっすぐ東進し、秋田中央インターから高速に乗るが、インターにたどり着くまでが混んでいた。特に秋田中央道路地下トンネル出口の合流点付近。これで渋滞解消になってるんだろうか?

河辺ジャンクションで秋田自動車道から日本海東北自動車道(よく分からんが日本海沿岸東北自動車道とも呼び、略称の「日沿道」が浸透している)に入る。僕は初めて通る区間。
対面通行区間と上下分離区間が繰り返されるが、空いていて制限速度(70~80km/h)いっぱいに快調に走る。追い越していく車もいない。
車両は2台とも以前の型の「日野セレガ」。ナンバーが通し番号で、フロントガラスやドアの形からして貸切用でなく路線(高速バス)用っぽい仕様の車両だが、運賃箱がないから少なくとも現在は貸切専用だ。2台揃ってよそのバス会社からやって来た中古車なのだろう。
でも乗り心地がよく、運転士の運転も上手な気がする。遅れていることを除けばなかなか快適。

日沿道は羽越本線や国道7号線よりもだいぶ内陸側を走り、見たことのない光景が続く。雄物川も渡るが、新屋地区の河口近くでなく、雄和椿川~下浜八田付近を渡るため川は中流の雰囲気。長いトンネルもあり山の中だが、時折はるか遠くに日本海が見え、大きな白い波が見えた。しかも路上の掲示板には「暴風雪警報発令中」と出ている。機械が故障しなくても運休していたかも。
秋田県立大学本荘キャンパスのすぐ脇を通った。羽越本線や国道105号からだと、遠くにぽつんと見えるのだが、高速はこんなそばを通るのか。
本荘インターは内陸にあり、羽後本荘駅・由利本荘市街からは遠くて僕の知らない場所。暗くなってきたし、見当がつかない。ここから先は日本海東北道と一体化しているが無料の自動車専用道路で、正式には「国道7号線仁賀保(にかほ)本荘道路」と言うらしい。
間もなく西目パーキングエリアでトイレ休憩。秋田駅から1時間ほどで着いてしまった。意外に早く、しかも快適。自分で運転して通りたくはないが、もし高速バスがあれば、JRを使わず乗ってしまうかも…
西目PAにて。路線バスは緑色だが、貸切バスは白・ピンク・パープルの車体
パーキングエリアなるものは初体験だったが、駐車スペースにトイレがあるだけなんだ。トラックが数台休んでいた。
以後、ゆっくり目の車が前にいて、ややつかえたが、あっという間に末端の「仁賀保」で一般道(国道7号線)へ下りた。以後は、速度が落ち、暗くて雨が降り外の様子が分かりにくく、僕の先の予定もありため若干不安になるが、気付くと山形県に入っていた。

西目PAから1時間ほどで酒田駅前に到着。
秋田駅からは2時間強か。特急だと1時間半ほどだから、実乗車時間は30分程度しか違わない。

2月の時のバスの運転士はなにもしゃべらなかった(真夜中の猛吹雪でそれどころじゃなかっただろうけど)が、今回の運転士は「お降りの際、周りの車にお気を付けください」とか「おつかれさまでした」とか、的確に適度にマイクでアナウンスをしてくれ、運転技術とともに好感が持てた。
(僕はこのバス会社に批判的なことをよく書いていますが、それは案内などどちらかと言えば「会社の公共交通事業者としての意識」についてです。現場のみなさんはがんばっておられると思っていますが、今回は特にそう感じました)
酒田駅舎を背にして。左奥にヨットのオブジェが見える
酒田駅では数人の駅員が出迎えていた。ちょうど15分ほど後に酒田駅始発の新潟行き「いなほ」(最初に乗ったいなほの2本後続)があり、酒田より先へ行く乗客をそちらへ誘導していた。
酒田駅近辺のJRは、まったくダイヤが乱れていなかった。特急用車両の配置にも余裕があるから、秋田-酒田間で運休した「いなほ」も車両をやり繰りして、酒田始発として運転したのではないだろうか。

僕の方もなんとか間に合った。
特急券は翌日、払い戻してもらった。指定券は乗った列車が分かるからいいけど、それが分からない自由席ではどうやって払い戻すのかと思ったが、特に何もなく、普通に処理してくれた。
クレジット決済で買っていたが、遅延・運休の払い戻し時は現金で返金することになっているようで(遠隔地で買った場合やカードを持っていない場合があるため乗客の不利益にならないように)、クレジットカードのポイント分を得した(10円くらいだけどね)。


報道によれば、下浜-道川間の風力計が落雷で故障したことと、強風の影響により、「いなほ」や普通列車に遅延・運休があったとのこと。
当日の現場ではまだ詳しく分かっていなかったので仕方ないが、機械の誤作動等による故障でなく、落雷による故障だから“自然災害”ととらえてもいいだろう。秋田では冬に雷が多く、自宅のテレビやパソコンが壊れたとかネットにつながらなくなったとかいう人の話をたまに聞く。風力計もそれらと同じことだろうが、「雷ガード」みたいなのとか避雷針をつけるわけにもいかないのかな。

冬の東北の日本海側の気候の厳しさは、経験した人でないと分かっていただけないと思う。住人としては、今回、運休・バス代行となったことは、安全のために当然のことだと思う。
ただ、あえて言わせてもらえれば、もうちょっと早くバス代行を決断できなかっただろうか。2月のように無人駅で立ち往生したのであればやむを得ないが、駅員が多く、バスの手配もしやすい秋田市の秋田駅なのだから、もう少しスムーズにできそうな気もした。

ともかく、JRや代行バスの関係者のみなさんのご苦労に敬意を表したい。また、今回は駅員などに食ってかかる客は見かけなかったし、混乱している人もいないようで皆さん冷静だった。乗客の皆さんもおつかれさまでした。

帰省シーズンとはいえ、秋田から酒田より先へ行く乗客が思ったより多かった。JRか自家用車しか(新潟までならフェリーもあるか)手段のない区間だが、自家用車は不安な人もいるから、やはり頼りになるのは公共交通機関。
そして仁賀保までの日沿道は早くて快適だったが、走る車は少なかった。高速道路の整備も必要かもしれないが、やっぱり公共交通機関の充実も必要ではないだろうか。より安全に、より快適に、より速く、よりエコに、できればより安く。
政府も国民も、もっと公共交通機関を大事にするべきだと思う。
翌日の秋田・山形県境付近の海。波高し
年始にかけても荒れ模様になりそうだ。例年、JR東日本全線が元日1日乗り放題の「正月パス」が発売され、その利用者が悪天候に巻き込まれてしまう年もあった。しかし、今年は正月パスが発売されない(曜日配列のためらしいが、高速1000円対策の格安きっぷがあることも影響していそう)のは、ある意味正解だったかも。
でも、明日以降、各地を移動しなければならない方もたくさんおられるはず。ご自分で運転される方は慎重に、公共交通機関を利用される方は寛大な気持ち(飲み物持参、トイレは行ける時に行くこともお忘れなく)で、いずれもゆとりを持った行動でお気をつけてどうぞ。

今年も当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。よいお年を。
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おせちもいいけど…

2009-12-30 18:03:43 | ランチパック
奥が深い、ヤマザキ「ランチパック」とその秋田(たけや製パン)・青森(工藤パン)版の「フレッシュランチ」。
「ランチパック」カテゴリーを設け、過去の記事もまとめました。

おそらく12月発売の新商品と思われる、たけやフレッシュランチの1つを購入。
フレッシュランチ キーマカレー
スーパーでも142円とフレッシュランチとしては高めの価格設定。(2割引で113円で買ったけど)

ヤマザキでは「カレー&チーズ」などはラインナップにあるが、「キーマカレー」は過去も含めて発売されていない模様。秋田のたけやオリジナルと思われる。
包装の説明は「キーマカレーをサンドしました。」だけで、今までになく単純。「鶏ひき肉の入ったスパイシーなキーマカレーをサンドしました」とか、もうちょっと書きようがあるんじゃない。担当者が代わったのか?

普通の「カレー」でなく、あえて「キーマカレー」にした理由があるはずだが、キーマカレーって何だっけ。
Wikipediaによれば、「キーマカレーはひき肉を用いて作ったインド料理。「キーマ」はヒンディー語やウルドゥー語で「細切れ肉」「ひき肉」の意味」で、日本においては「鶏ひき肉を使うことが多く、小麦粉などでとろみをつけることは稀」とのこと。
たしかに、この製品の原材料の「キーマカレーフィリング」には鶏肉が入っており、他の肉は入っていない。
インド風コスプレ? 絵にはご飯も描かれるが、本製品には米は使われていません
トーストするとさらにおいしいとのことなので、焼いて食べた。
おいしい! かなりイケる! 辛いのではないかと思っていたがそれほどでない。
普通のカレーパンの中味と違わない気がして、あえて「キーマ」にする必要があるのかは分からないが、カレーパンのように油っぽかったり、パンくずが散らばったりしないから、ヘルシーかつ食べやすいので、気に入った。

もうすぐお正月、お節料理や餅を食べ続けると、パンやカレーが恋しくなる。この製品は、その両方を使っているから、そんな時にぴったり!
もしかして正月の需要を狙ってこの時期に発売したのかな? だとすればたけやさんはよく考えてる!
逆に12月末で発売終了ってこともあるかも? 毎月新製品が出るパン業界では、1月発売の製品もあるだろうから…
【1月5日追記】年が明けてからも、「キーマカレー」が発売されていた(製造日1月5日)のを確認。他の製品ラインナップも変わらないようだ。

ちなみに「お節に飽きたらカレーもね」というレトルトカレーのCM(最近はえなりかずきが出ていた)があったと記憶していた。ボンカレーだっけ? と思って調べると、
ハウスククレカレーのCMで、キャッチコピーは「おせちもいいけどカレーもね!」と「飽きたら」でなく「いいけど」だそうだ。1970年代後半にキャンディーズが出たCMが最初とのこと。
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年末年始のバス

2009-12-29 22:52:23 | 秋田のいろいろ
先週から秋田県中央部の路線バスの年末年始の運行案内や特別ダイヤ時刻表がバス停などに掲示されている。
秋田市内の路線(旧秋田市交通局の路線)は、
12月30日と1月3日は土日ダイヤ(3日はもともと日曜だけど)、31日から2日は特別ダイヤでの運行
で、昨年と同じ扱いのようだ。

昨年は、大森山動物園は休園中なのに「森印:大森山公園行き。閉園中は新屋案内所止まり」とまどろっこしいことを記載したり、「お盆期間は~」という的外れのことなどを記載していた、新屋線・新屋西線の特別ダイヤ時刻表。今年は…
お~! いいんじゃない?
「森印」も「お盆ダイヤ」も記載がない。
強いてあげれば相変わらず「西部サービスセンター(新屋案内所)行き」となっていて「市民」が抜けていることが引っかかる。ずっとそれで押し切るつもりなんだろうか。ただし、カッコで「新屋案内所」を併記したのは親切。

そしてダイヤの中味を見ると、新屋線、新屋西線とも、昨年の特別ダイヤよりも若干運転本数が増えている(新屋線17本→19本、新屋西線21本→23本)。
多少とはいえ利用しやすくなったし、少しは商売っ気を出してくれたのだと、評価したい。
【30日追記・経路変更について】書き忘れたが、1月3日の昼前後に、大町のニューシティ前の道路を通行止めにして綱引きが行われるので、新屋線・割山線が経路変更する掲示も出ていた。警察署前・通町~ニューシティ付近でバスをご利用の方はご注意ください。


ところで、このバス会社の時刻表は営業所別に書式が異なり、同じバス停でも別々に掲示していることを紹介した。
新屋線・新屋西線などは「臨海営業所」の担当だが、書式などはともかく、印刷した時刻表をラミネート加工して掲示している。
特別ダイヤ時刻表も同じ。わずか2週間しか掲示されないのに、手間も費用もかかるだろうが、風が強く雪が吹き付ける秋田市内に掲示されるのだから、耐久性を持たせるのは正しい判断だ。羽後交通も旧秋田市交通局もラミネートしている(いた)。

ところが、
・・・
左下がちぎれている。なお、これは特別ダイヤでない、通常の時刻表。「秋田東営業所」が掲示した時刻表だろう。(臨海営業所担当の新屋線が記載されているが、スペースを“間借り”したものと思われる)
他のバス停の東営業所担当の時刻表を見てみると、同じように紙が傷んでいたり、掲示しているはずの時刻表がない所を数か所見つけた。

用紙を観察すると、やや厚手の紙だが、なんとラミネート加工されていない!! そしてその紙を直接テープで簡単に貼り付けている。
それでは破れたり飛んでいったりするのも当然。時刻表がなければ客だって乗らないよ。ケチなのにも程があるし、普通の紙を野ざらしにするなんて非常識とも言いたくなる!!
せっかく珍しく褒めようと思ったのに、やっぱりこのバス会社は…
時刻表が破損していたのは、乗車客が少ないと考えられるバス停もしくは路線のものが多かったが、自社が掲示する時刻表くらい自社でしっかり管理してほしい。
【31日追記】大手バス会社、国際興業のサイトでは、サイト上の時刻表はキャッシュやプロキシ等のため最新の情報でない場合があること、臨時に時刻を変更する場合があるなどとして、必ず停留所の時刻表を確認するよう呼びかけている。やっぱりバス停掲示の時刻表が第一なのだ。
【1月5日追記】ラミネートした新しい時刻表が掲示されていた


ただ、新屋方面の特別ダイヤのように、バス会社も努力はしてくれている。前も書いたけれど、我々も公共交通機関をもっと利用するべきだ。
今は車を運転できる人でも、歳をとっても運転し続けられるだろうか? 僕自身はそれが今からとても不安だ。

今日、それを象徴するような事故が2件、秋田県内であった。
 ・秋田市の踏切で、警報機が鳴ってから踏切に入った車に列車が接触。車を運転していたのは89歳の男性。
 ・横手市で、車が歩道の段差を乗り越えてコンクリート柱に衝突。助手席にいた運転者の妻が死亡。運転していたのは78歳の男性。
事故原因は調査中であるし、事故を起こしたのがどんな方か知らないが、運転者の判断力や瞬発力の欠如が関与しているのではないかと思えるような事故だ。
喜寿や卒寿前後の人が車を運転すること自体危なっかしいし、そうしなければ生活できない世の中というのはおかしいと思う。なんとかならないだろうか。

そのためには公共交通機関が不可欠だと思う(農村部では難しいかもしれないが秋田市中心部程度なら)。
交通事業者自身や行政の努力・援助も必要だが、我々住民も盛り立てて行くことが必要だ。そのもっとも簡単な方法が「普段から利用する」ことではないだろうか。
どうか、一度でも一区間でもいいので、身近な公共交通を利用してみてください。
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真冬の工事

2009-12-29 20:42:04 | 秋田のいろいろ
秋から工事が始まり、雪が積もっても工事が続き、「12月25日頃完成予定」となっていた、秋田市竿燈大通りの北東側歩道の融雪装置(ロードヒーティング)更新工事。
24日撮影
12月25日の朝に通ったら、まだ工事(後片付け?)をしていたが、
 
今日は完全に終わっていた。
あさってあたりから、また雪になるようなので、さっそく威力を発揮してくれるだろう。
手書きの看板。味がある!
看板によれば年明けまで工事が続くようだが、何をするんだ? 新国道同様、ここも国の「地方道路交付金」を受けているようだ。

それにしても、どうしてこの時期に工事をするのか。降雪・積雪により工程が滞ったり、除雪作業が必要になったり(申し訳ないくらい丁寧に除雪してくれていた)、1車線をふさいで車両交通にも影響があった。予算等の手続き等があるのかもしれないが、春や夏のうちに工事を済ませられないのだろうか。
完成したここはまだいい。新国道旭北地区はまだ工事途中だろうし、脳研前のように更新工事時代が行えず使用停止になっている区間まである。
車の通る道路を整備するのもいいが、お年寄りや子ども、雪に不慣れな旅行客などが通る歩道にも力とおカネをつぎ込んでほしい。


ところで、竿燈大通りと新国道の融雪工事は、同じ企業が請け負っており、横手市に本社のあるボーリングが専門の会社らしい。新国道に現場事務所があり、その前に融雪の仕組みを掲示してくれていた。
「無散水型融雪システムの仕組み」
穴を掘って(だからボーリング屋さんなんだ)、その穴の中で地中熱を利用して水を温め、その水をポンプで循環させて雪を融かすようだ。
「ヒートポンプ」の原理ということかな? 新しい技術ではないと思うが、電気などで加熱するわけでないので(循環ポンプは電動だろうが)、今風に言えば「エコ」なのではないだろうか。
そして、
旭北歩道橋の工事(融雪とは別の工事で業者も別)
橋の上にブルーシートがかかり、中でトントン音がしていた。寒さあるいは騒音かなにかの防止のシートだろうか。
これもこの寒い時期にやらなくても、暖かい季節にできないもんだろうか。【1月16日追記】完成しました
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秋田市の歌

2009-12-28 19:52:43 | 秋田のいろいろ
「秋田県民歌」という歌がある。「秀麗無比(しゅうれいむひ)なる鳥海山よ」で始まる歌で、合唱されたり、各種イベント(公的なものからご年配の趣味の会合などまで)で歌われることがある。長野県の「信濃の国」ほどではないだろうが、それなりに県民に知られていると思われる。「朝あけ雲の 色はえて」で始まる「県民の歌」もあるが、県民歌の方がずっとメジャー。

ただし、僕は県民歌、県民の歌、どちらもよく知らず、歌えない。幼稚園から高校まで秋田市内の園・学校に通ったが、歌ったことも習ったことも記憶にない。(高校は県立高校だったので歌うことがあっても良さそうだが…)
代わりに覚えているのが「秋田市記念市民歌」。小学校で習い、学校行事では校歌と共によく歌っていた。

そのほかには、小学校の体育館の壁には、校歌や記念市民歌と共に、別の秋田の歌の歌詞が掲げられていたのを覚えている。
歌ったことも聞いたこともなかったが、「奥羽と羽越の交わるところ」といったフレーズがあったのが印象に残っているが何の歌だったのだろう。「奥羽本線と羽越本線の交点」という意味ととらえれば、秋田駅のことだから、県関係でなく秋田市絡みの歌の可能性が高そう。
そこで、秋田市サイトの「広報あきた(秋田市の広報紙)検索システム」で「市民歌」で検索してみると、いろいろ興味深いことが分かった(検索漏れ、見落とし等があるかもしれません。斜体字は広報紙からの引用)。
※昔の秋田市の生活が広報紙を通して見ることができ、おもしろい検索システムなのだが、最近、検索のレスポンスが著しく低下することが多い。【2010年2月時点では解消された模様】
また、2004年度以降の紙面はシステムの対象外で、通常の広報課サイト内に掲載されており(2000年から2003年の間は両方に掲載)、検索がしにくく、統一されていない。改善してほしい。

秋田市には、以下の通りたくさんの歴代の市民歌類があることが分かった。
●1953年「秋田市民歌」(♪太平の山のみどりだ)
1953(昭和28)年9月15日発行第47号は「皆んな高らかに 市民歌を唱いましょう」という見出しで、「建都三百五十年祭に新作した大木惇夫作詞、深井史郎作曲による「秋田市民歌」を広く市民に愛唱してもらうため」に、市役所職員が昼休みに庁舎中庭で練習していることを伝えている。
1番が「太平の 山のみどりだ」、2番が「旭川 きよい流れだ」、3番「日本海 波の勢いだ」で始まり、それぞれ「楽しい市に 生きようよ 明るく つよく」で結んでいる。
作詞者は「♪誰かさんと誰かさんが」の「麦畑」の訳詞者の1人、作曲者は秋田市新屋出身だそうだ。
僕はおそらく初めて目にした歌詞。言い回しと発展を強く望む内容が時代を感じさせる。戦後の復興が整いつつある頃で、1955年からは高度経済成長期へ突入するという時代背景のためだろうか。

●1960年「市民の歌」(♪朝太平の峰に明け)
1960(昭和35)年9月1日発行第151号のトップが「朝太平の峰に明け 秋田”市民の歌”きまる」。
7月1日発行147号で市民から歌詞を募集し、68編の応募があり、佳作に3作を選んだものの入選作は該当なしで、市から委嘱された選定委員会が作詞をしたとのこと。
作詞の方針として、年を追って躍進し続けている秋田港と臨海工業地帯、秋田市の資源をおりこんだもので、秋田市の特色をあらわしたことばを入れる。 また、理想都市の建設をめざして秋田市は今後ますます発展していくという意欲的なふん囲気をだすということであった。

歌詞は1番が「朝太平の 峰に明け/岸壁かがやく 秋田港/羽越奥羽の 交わるところ/北日本を ひらきゆく/使命にもえる 大秋田」。
2番では「工業地帯海に沿い」「油田の地」「稲田緑に ひろがる」、3番では「雄物川」が出てくる。結びはいずれも「○○に○○する 大秋田」。

作曲は委嘱された別の4名による合作。
作曲が完成すると市教育委員会を通して、学校へお願いし朝会や運動会、学芸会などにも歌ってもらい市民へ一そう普及されるよう計画している。
また、市でもあらゆる機会を通じて市民に親しんでもらうためにこの歌を放送し普及させる。
」としている。

僕が「奥羽と羽越」のフレーズを覚えていたのはこの歌だ。メロディーはまったく知らないが。
太平山・稲田・雄物川は出てくるものの、それ以外は商工業関係。北日本とか大秋田とか、スケールが大きいというか力が入っているというか、エネルギッシュな歌詞だ。
秋田国体の前年、東京オリンピックの4年前、そして経済成長期のまっただ中という時期。まだ公害問題もクローズアップされる前で、とにかく発展をしなければいけない、発展こそが美徳という時代だったのだろう。
前の歌からわずか7年しか経っていないが、時代の変化に対応したということか。

この歌が活用されている様子を、その後の紙面から伺うことができる。1963年には「ゴミ収集車が定時収集の際に市民の歌のオルゴールを鳴らしている」との記事がある。以後、新成人のつどい(成人式)などの各種イベントで、市民の歌が歌われたり演奏されたりした記事が出ている。

●1979年「秋田市記念市民歌」(♪花かおる千秋の園)
1978(昭和53)年12月1日発行第759号で「市制90周年秋田市記念市民歌 あなたも作りましょう」として「郷土の姿、郷土の特色、希望にみちた気持をあらわし、明るく楽しく、みんなが歌えるやさしいもの。」という内容の歌詞を公募、191編の応募から、翌年2月に黒木玲子さんという手形地区の主婦の歌詞を入選として採用、作曲の公募が行われた。
歌詞は補作なしにそのまま採用されたようで、作詞者は「歌詞を作ったのは、これが初めて。思いがけない気持でいっぱいです。台所で家事をしながら考え、三日ぐらいかかりました。郷土の自然をなんとか歌い込めたつもりですので、市民みんなに愛唱してほしいです。」とコメントしている。

曲の方は、1979年4月20日発行第773号で「市制90周年 秋田市記念市民歌が誕生」として、仁井田地区の会社員・藤原政幸さん(当時29歳だった模様)の作品が選ばれ、新しい歌ができあがったことを伝えている。
《余談》あの人も作曲!
作曲公募では、入選と共に佳作が3作選ばれたが、その1人が「天野正道さん(学生)」。秋田市出身の作曲家・天野正道氏(1957生まれ)に違いない!!!
当時17歳だからまだ高校生のはずだが、すでに頭角を現していたようだ【29日訂正】計算間違いでした。当時22歳だから大学生だったはず。でも住所が秋田市内になっていたけど?
どんな曲だったのだろう?
天野氏は後に国立音大を首席卒業、現在まで数々のテレビ・映画音楽、吹奏楽・管弦楽の作編曲を手がけている。

広報773号では、
今後、市民みんなに親しまれ、長く歌い続けられていくため、各学校や公民館などには楽譜と合唱を録音したカセットテープを配ります。また、合唱団や音楽サークルなどにも楽譜をさしあげ、積極的に歌っていただくことにしています。」とある。
その一環として、僕の小学校でも歌っていたのだろうし、他校も同様だったはず。

歌詞中の固有名詞は「千秋の園(千秋公園)」「旭の流れ(旭川)」「太平の山(太平山)」だけだが、要所はしっかり押さえてあると思う。「若草よ」というフレーズもあるが、秋田市のイメージカラー「若草色」と掛けてあるのだろうか。
ほかには「さわやかな」「しあわせのまち」など柔らかい言葉、「希望輝く」「未来を語ろう」「伸びゆく力」など将来を見据えているものの抽象的な言葉が多用され、前の歌とは対照的。結びは「ああ○○な わが秋田」とシンプル。前やその前の歌のような力みが感じられなくて、好感が持てる。21世紀でも充分通用する。
これも時代の変化だろうし、作詞者が女性ということもあるかもしれないし、僕が慣れ親しんだ歌だからというのもあるだろうけれど。
ある程度都市化し、市街地空洞化は顕著でなく、バブル経済前の秋田市が“いちばんいい時代”だったのではないだろうか。

以後、新成人のつどいでも、前の「市民の歌」に代わって「記念市民歌」が歌われるようになり、確認できただけでも、20年後の2000年のつどいにおいても歌われていた。

●1988年「秋田・ロマンス」(♪風が光ります 若草の風が)
市制施行100周年の1989(平成元)年に向けて、市はまた(と言いたくなる)記念歌を公募した。
1987年11月10日発行第1081号では「市民みんなが気軽に口ずさむことができる記念歌の歌詞を募集することにしました。歌詞は、秋田市の"イメージソング"にふさわしい明るく親しみのあるもので、100周年以降もみんなに愛唱されるようなものをお考えください。」として歌詞を募集。
1988年5月10日の1099号によれば、104編の応募があり、保戸野地区の公務員・吉田慶嗣さんの「秋田・ロマンス」が入選。
吉田氏は当初「季節のなかです」というタイトルで応募したが、補作の東海林良氏(秋田県出身の作詞家)の助言で「秋田・ロマンス」となったという。その後、作曲を小林亜星氏に依頼、編曲は秋田市出身の作編曲家・小野崎孝輔氏。【作者・歌唱者については、下の2022年の追記参照】

タイトルは「秋田ロマンス」ではなく「秋田・ロマンス」と、間に中黒が入るのが正式らしい。「津軽海峡・冬景色」みたいなもんだ(阿久悠氏は「・」はいらなかったかなと後年思うようになったそうだが)。
今までと違い「ですます調」の歌詞。4番まであり、それぞれが春夏秋冬の秋田を歌う。「秋田の街はいま○○です」「愛する人よ どうぞ○○して」「秋田の*(四季のうちの1つ)は ○○な季節です」といった、歌謡曲っぽい詞と曲調。似てはいないが、さとう宗幸氏の「青葉城恋唄」に通ずるものがある。
学校やイベントで歌うのには向かなさそうな曲で、やはり「イメージソング」的なものだ。

固有名詞は「竿灯(当時は“燈”でなく、“灯”が正式な表記だった)」「旭川(と書いて“かわ”と読む)」だけ。千秋公園を指すと思われる「城跡・桜」はあるが、千秋公園も太平山も田んぼも出てこない。
僕は当時中学生だったが、メロディーは一応覚えている(たぶんズレがかなりあると思うが)。都会的な曲だったような気がするが、いいなと思ったのが、4番の冬の秋田の街を歌った詞。
「朝の雪道 ゆき交うひとの 声が街中 吸われていきます 」など、ともすれば“嫌な季節”で片付けられそうな冬の街の風景をうまく美しく表現していると思う。作詞者は通勤時に千秋公園や旭川を歩いて構想を練ったそうだが、確かに市民ならではの視点による詞だ。

僕が中学校に入ると、記念市民歌を歌う機会がなくなった。単に小学校と中学校の違いなのかもしれないが、「秋田・ロマンス」出現で、影に追いやられたこともあるのかもしれない。
「秋田・ロマンス」は歌う機会はなかったが、校内放送で流れていた。放送部員の子が「別の曲をかけたいのに、顧問の先生が秋田ロマンスを強制的に流させる」と話していたが、これも今までの歌同様、市や市教委から普及させるよう、学校へ通達があったのだろう。

●その後の「秋田・ロマンス」
いつ頃からかは分からないが、秋田駅ビルにもある菓子店「杉山壽山堂(すぎやまじゅさんどう)」が「秋田ロマンス」というお菓子を発売している。中黒はないようだが、曲をモチーフにしたものだろう。

また、1990年7月にアゴラ広場(現在では大屋根下と言った方が正確)に設置されたカラクリモニュメント「アゴラチャイム」(からくり時計)では午前8時に流れるそうだ。

秋田・ロマンスの波及効果はあったわけだが、その後、広報あきたの2003年7月25日発行第1558号の「読者の伝言板(ひとことコーナー的なもの)」に「最近全然聴かなくなりました。あのさわやかな歌詞とメロディの「秋田ロマンス」。数年前は何か行事があると会場や街中に流れて、自然と口ずさんでいました。またあの曲を秋田市中に流してほしいです」というコメントがあった。(市側からの返答は特になし=そういう性格のコーナーではあるが)

お菓子と時計は現在も残っているはずだが、広報の投稿にあるようにそれ以外の場面で「秋田・ロマンス」を見聞きすることはないと思う。秋田市民からは確実に忘れ去られている。【2017年9月6日追記】お菓子は2017年時点でも発売継続。スーパーのタカヤナギグランマート(テナントでなく、パンやまんじゅうと同じ直営売り場)でも、扱っていて、中身が違う2種類【2021年2月8日訂正・袋の色違いがあるが、中身はどちらも白あん入りの円形のパイだそう】があった。
広報あきたの時計を知らせる記事と読者伝言板では、「秋田ロマンス」と中黒を抜いて記述しており、秋田市自身が正式タイトルを間違えているくらいだから、市民だけでなく秋田市役所内部でも忘れ去られているのだろう。
歌詞募集時には「100周年以降もみんなに愛唱されるようなものを」ということだったのだが…
【2010年8月6日追記】竿燈まつり会場でかかっており、久々に聞くことができた。
【2022年8月1日追記】2022年8月1日付 秋田魁新報 芸能面に「竿燈再び 「秋田・ロマンス」再び/小林亜星作曲 33年前の記念歌に思いそれぞれ」が掲載。かつて1面コラム「北斗星」を執筆し、2017年9月に編集局次長を最後に定年退職した相馬高道氏(現在の雇用形態は不明)の署名記事。

新型コロナウイルス感染症により2年開催されていなかった竿燈まつりが再開。会場の交通規制前に流すのが恒例となっている(過去の記事)「秋田・ロマンス」を巡って、「曲づくりに関わった人たちは感慨を新たにしている。」という内容。
作詞、補作、歌唱、制作担当プロデューサー(徳間ジャパンの小林昭雄さん=大仙市出身)に取材。歌詞全文とQRコードが掲載され、曲も聴ける(魁によって5分25秒の動画がYouTubeに投稿され「限定公開」扱い。8月1日23時時点で482再生)。=久々というより初めて、しっかりと意識して聴くことができた。思ったよりゆっくりな曲調。全体の雰囲気やFM音源のデジタルシンセサイザーの音色が、その時代らしさを醸し出す。
なお、作曲の小林亜星氏が2021年5月に亡くなったことは触れている(顔写真掲載)が、編曲の小野崎孝輔氏が2017年に亡くなったことはおろか、同氏についてはほぼ触れていない。

・(上記の事情から)「竿燈の歌」と思い込んでいる市民もいる。

・歌唱は、佐々木美紀さん(56)=旧姓・藤田、秋田市=は当時23歳。高校時代からバンドを組んで音楽活動をしており、ABS秋田放送のラジオ番組でアシスタントを務めていた。その経緯。
ABSラジオ制作部長(当時)が、高田景色次秋田市長(当時)から、歌手の芹洋子に歌ってもらえないかと橋渡しの相談を受けた。その前に、まずは完成した歌を聞きたいと言われ、声が合いそうと考えた藤田さんを指名して、試聴用仮歌を収録。ところが、市長はそれを気に入り、東京で正式なレコーディングを行うことになった。
藤田さんは1989~1990年で34回、行事などに呼ばれて歌った(よく記録しているもんだ)が、1991年のいとこの結婚披露宴が最後の場。

・作詞者の吉田慶嗣さん(79)は元県職員。
補作前はタイトルが「季節の街です」で、2番の後半は「人の波間の なつかしい出会い 秋田の夏は短く終わります」だった。(補作後は4番とも、その部分が「愛する人よ~」なのだが、当初の3番以外はどうだったのだろう?)

(竿燈会場という限られた場ながら)今も秋田・ロマンスが使われていることを喜ぶとともに、末永く残ってほしいというのが、関わった人たちの共通の想いだった。もっと歌ってほしい、もう一度光を当ててほしいという声もあり、記事もその点を願って書かれたように受け取った。(以上追記)


●今は何を歌っている?
その後、市制110年、120年、建都400年、平成の大合併による新・秋田市誕生と、今までの調子でいくと新しい市民歌を作りそうな機会はあったが、そのような形跡はない。
では、今は式典などでは、何を“秋田市の歌”として歌っているのだろうか。

例えば秋田県庁のサイトでは「秋田のシンボル」というページで、県章や植物などと共に県民歌と県民の譜面と音声データを掲載しているが、秋田市役所の公式サイトでは「秋田市の概要」のページで市の木や花などは紹介しているが、歌については触れていない。公式には歌がないとうことなのか?

次にGoogleで検索すると、2002年頃に行われたと思われる秋田市立東小学校創立25周辺記念式典や2005年1月に行われた秋田市・河辺町・雄和町合併記念式典では、「秋田市記念市民歌」が斉唱されたことが分かった。
今年8月の秋田市制120周年記念式典を伝える広報あきたには、「秋田市民歌などを合唱」とあり、曖昧。
来月の「平成21年度(第59回)秋田市新成人のつどい」を伝える市教委生涯学習室のサイト(http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/lf/seijinsiki.htm)では、
オープニング(開式前)のBGMとして、各中学校歌と「秋田市民歌」が流れることになっている。
秋田市民歌ということは、1953年の「♪太平の山のみどりだ」(のメロディ)が今時流れるのだろうか? 僕ですら聞いたことがないから新成人たちも知らないだろう。でも聞けるもんなら聞いてみたい!
おそらく、「秋田市記念市民歌(♪花かおる千秋の園)」の間違いではないだろうか? 東小や合併式典の経緯を踏まえると、新成人も知っているはず。

ということで、30年前の「秋田市記念市民歌(♪花かおる千秋の園)」が現在も歌い続けられているようだ。プロの手によらない、秋田市民の公募で作詞作曲された歌が残ったわけだ。
記念市民歌に慣れ親しんだ者、秋田市生まれ秋田市育ちの者としてはうれしい。

●でも、河辺・雄和地区のみなさんは…
上記の通り、隣の2町を編入というか吸収合併して、5年前に現在の秋田市ができた。その際の式典で秋田市記念市民歌が歌われたそうだが、これって両町の皆さんにしてみればどうなんだろう? 押しつけがましい気がするのは僕だけだろうか。
自宅住所に「秋田市~」と書くことすらまだ慣れない旧町民に、「千秋の園」「旭の流れ」と言われてもイメージが湧かないのではないだろうか。「雪抱く太平の山」だって、旧秋田市側と河辺町側では、角度が違うから姿が異なるし、雄和からは見えないかも。
秋田市サイト内に秋田市・河辺町・雄和町合併協議会による「慣行の取扱いについて」というPDFファイルを見つけた。http://www.city.akita.akita.jp/city/copr/kyougikai/naiyou/giann19kannkei.pdf(同協議会は現在はなく、地域振興課の管轄のようだ)
3市町で異なる、各種シンボル(マークや花木)や表彰制度などを合併後はどうするかという内容なのだが、多くの項目が「それぞれで異なるので、旧2町の制度を尊重しつつ、秋田市の制度に統一する」という趣旨の結論になっている。

「市(町)民歌」も、「市民歌については秋田市の市民歌を用いるものとする。ただし、両町の町民歌等については、それぞれの地域において継承していくものとする。」となっている。この書類の秋田市の欄には「秋田市記念市民歌」が記載されているので、やっぱりこの歌が実質的な市民歌ということなのだろうか。
2町では「河辺町民歌」「雄和町民歌」「雄和町の歌」の3曲が記載されているが、いずれも昭和33~47年制定。秋田市記念市民歌の方が新しい。

実際のところ、旧両町民歌がどうなっている(歌い続けられている)のか、両地域の住民のみなさんがどう思っているのか次第なのだが、地域住民としての意識を低下させることにならないだろうか。これも平成の大合併の弊害と思ってしまう。
なお、秋田県由利本荘市では、合併に伴い、新しく「由利本荘市歌」を谷川俊太郎(作詞)、谷川賢作(作曲)親子に依頼して制定している。

●今までの歌を大切に
まとめると、秋田市では4つの市民歌的な歌が存在する(した?)ことが確認できた。
しかし、広報あきた1989年4月10日発行1132号では「市制100年開幕式」で、「市内八つの合唱団約二百人が歴代の市民歌五曲を次々に披露」とあるので、少なくともさらにもう1曲あると思われる。

他の自治体のことは知らないが、秋田市は歌を作りすぎじゃないだろうか? そしてそれを継承していない。
それぞれの歌に思い入れのある市民もいるだろうし、時代にそぐわない歌だとしても秋田市の変遷を反映した“歴史的価値”がある。それに使い捨てのようで作詞作曲者に失礼ではないだろうか。(アセイさんなんか机をひっくり返して怒るかもよ)

一応、現行の市民歌である「秋田市記念市民歌」にしても、普通の大人の秋田市民が耳にする機会がほぼ皆無だから、転入で来た人などは存在すら知らないだろう。上記の通り、市のサイトに記載はない(昔の広報検索でしか分からない)し、市役所内部でもタイトルを混同する始末。

河辺・雄和のみなさんの心情に配慮する必要があるが、財政面やこれ以上歌を増やさないために、現行の記念市民歌を継続するのはいいだろう。
それをサイトなどに掲載し、過去の歌や旧町民歌も合わせて紹介するなどしてはどうだろうか。
※追加情報など続きはこちら
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奥羽か羽越か

2009-12-28 17:06:40 | 秋田の地理
JR秋田駅には、2つの路線が乗り入れるが、線路は3方向に延びている。
1つは日本海岸沿いを南下し、羽後本荘・山形県の酒田・新潟県新津方面への「羽越本線」。
もう1つは「奥羽本線」だが、秋田駅を通過する形で、内陸南部の大曲・横手・湯沢・山形・福島方面と北部の東能代・大館・青森方面の2方向へ伸びている。
秋田-大曲は複線の片側の線路幅が広げられて秋田新幹線「こまち」が走っていること、普通列車も含めた利用者の多くは秋田駅が目的地であることから、秋田駅を越えて運転される列車は普通列車のごく一部で、秋田駅を境にそれぞれ別の路線のような性格だ。
そのため、JR関係者などは、秋田駅を境にして内陸側を「奥羽南線(なんせん)」、北部側を「奥羽北線(きたせん)」と呼んで区別しているようだ。(正式名称でなく、便宜的な呼称だと思われる)

なお、秋田駅には「男鹿線」の列車も乗り入れているが、路線としての男鹿線は奥羽本線の3つ北隣の追分駅が起点。追分-秋田間は奥羽本線(奥羽北線)を走っていることになる。


奥羽本線が2方向に延びているためか、あるいは“奥羽”にも“羽越”にも「越」の文字が入るためか、秋田の地理や鉄道に詳しくない方の中には、両線を混同してしまうことがある。
僕だって「予讃線」とか「土讃線」と急に言われても混乱するのと同じで、それは仕方ない。

さて、秋田駅の北、秋田工業高校の北側に秋田駅から数えて5つ目の踏切、県道233号線が通る「泉踏切」がある。もちろん通る線路は奥羽本線(北線)。
踏切の表示。「301K370M」は奥羽本線の起点・福島からの距離
線路を渡って、
反対側の表示
こちらは書式が少し違い、幅員の表示がない。それより気になるのは左上に「本線」と書かれていること。
「支線」に対する「本線」とか、引き込み線や待避線でなく列車が走行する線路という意味で「本線」という用語を使うようだが、踏切に表示する必要があるのか?
接近
なんと、「羽越本線」と書かれており、その「羽越」部分を黄色いシールで隠していたのだ!

親切に路線名も記載しようとしたのだろうが、「奥羽本線」とすべきところ「羽越本線」としてしまったらしい。
素人ならともかく、JRさんがそれをやっちゃあ、いけないよ!


奥羽と羽越で思い出して、鉄道と関係のない別のことを調べたら、おもしろいことが分かった。
写真がない、長文の記事になりますが後でアップします
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旭北前って何の前?

2009-12-24 20:53:14 | 秋田の地理
秋田県域の地方紙「秋田魁新報」には、県内各地の支局ごとの記事を載せた紙面がある。その秋田市地域の面の水曜日には「なんだこれクション」というコーナーがある。
町中にある不思議な構造物のような、ちょっと気になる光景を取り上げ、当事者に取材して由緒由来などを解説した内容で、どことなく当ブログと競合するようで、実は密かに気にしている。

23日の同コーナーは、「法務局前のバス停/なぜ「市町村会館前」?」と題したバス停の名前について。
新屋西線に「市町村会館前」というバス停があるが、同会館とバス停は100メートルほど離れている。法務局・合同庁舎・県警本部なども近いのに、なぜ同会館をバス停名に採用したのか?――というのが記者の疑問のきっかけ。
バス会社に聞くと、旧秋田市交通局から引き継いだ路線なので、「命名経緯は分からない」。
市町村会館を管理する秋田県町村会に聞くと、現会館は1998年建設で、それ以前はバス停の目の前の位置(現在は駐車場)に「県自治会館」という名称で存在した。つまり「バス停はもともと『自治会館前』だったのでしょう。建て替えた時に現在の名前に変わったのでは(原文のまま)」と説明を受け、記者は納得したらしい。

僕に言わせれば、わずか11年前のことなのに、当事者である町村会の「『自治会館前』だったのでしょう」「変わったのでは」という憶測じみたコメントが無責任(別にバス停名にまで責任はないが)というか他人行儀というか不思議。
僕は、この停留所がかつては「自治会館前」という名称だったのをはっきり覚えている(いつ改称したのかや、建て替えたことは知らなかったが)し、僕以外にも多くの秋田市民が記憶しているはずだ。新聞記事にするほどのことでもないと思う。
それだけ僕が歳をとり、なおかつ町村会職員や新聞記者が若い人あるいは秋田市に最近来た人だということかな?

※話が逸れますが、20数年前、「五城目のトメさん」という、秋田市の北にある五城目町に住むおばあさんが引き起こす珍騒動を秋田弁で語る漫談(?)が流行った。
その1つに、トメさんが秋田市に出てきて、ある建物に入ると中は老人ばかりだった。どうしてだろうと思っていたら、そこは「ジジ会館=爺会館→自治会館」だった。という話があったはずだ(詳細は曖昧です)。
小学生だった僕でも理解できるおかしい話だったし、「自治会館」という建物の存在も知ることができた。
(なお、秋田の特に年配の人は「自治」を「じち」でなく「じじ」と発音する人がわりと多いはず)

新聞記事に話を戻して、後段では、
別路線の「八橋南一丁目」停留所は、2006年までは「酒造センター前」と言っており、これももとは交通局の路線。
ここには2005年まで県酒造組合、1995年まで県醸造試験場はあったが、「酒造センター」という名称・通称のものは存在しなかった。醸造試では「交通局が通称を付けてくれたのかも」と話していた。――という内容。
「酒造ナントカ」という名の停留所がなくなったのは知っていたが、本当にそういう施設があるのかと思っていたし、移転していたのは初めて知った。この件は勉強になった。
たしかに、旧秋田市交通局のバス停は、多少テキトーに命名されたと思われるものもあったから、分からないでもない。(例えば以前記事にした「扇田=おうぎた」なのに「おうぎでん」と呼ばれるバス停など)
ただし、記事中、このバス停が「もともとは市交通局のバス停」というのは正確ではないと思う。交通局移管開始前から、緑色の民間バス会社の「県庁・八橋経由車庫(秋田営業所)行き/発」も共用していたはずだけど。

記事は「うーむ。バス停の名前って意外と謎が多い?」と結んでいるが、当ブログをご覧いただけば分かるように、その通り。特に秋田では。
どうせなら、「木内前をなぜ木“ノ”内前にしたの?」「西部市民サービスセンターなのに、なぜバス停名から“市民”を抜いたの?」「CHIYODAMATI(ヘボン式・訓令式混在)、SAKURATYOU(“ちょう”でなく“まち”が正当)などローマ字表記がいい加減なのはなぜ?」「長崎屋じゃなくなったのに、いつまで“長崎屋”バスターミナルなの?」といったことを追求してほしかった。これらは、みんなここ数年のうちに緑色のバス会社がやったことだから、「交通局が…」という“言い逃れ”はできないですぞ。
というのは、皮肉&冗談として、僕が前から本当に気になっていたバス停名がある。
旭北前(きょくほくまえ)」だ。
略図。上が北。矢印はバスの経路、青い●はバス停
旭北前停留所はドン・キホーテのすぐ北側、東北電力の角の交差点付近にある。この交差点で路線が分岐して、すぐ先に停留所があるため、3つのポールがある。
新国道の北行き車線のバス停。「市営バス」の字が透けているのが泣かせる…後方に工事中の旭北歩道橋が見える
新国道上には向かい合って2つ。これは、秋田駅ー長崎屋ー車庫(秋田営業所)を結ぶ路線や、交通局から移管した新屋と土崎・飯島を結ぶ「新港(しんこう=“新”屋と土崎“港”からの造語)線」が通過する。
【2018年10月8日追記】2017年頃まで勘違いしていた。新国道側の旭北前は、新港線だけが乗降を扱うもので、長崎屋経由車庫行きは通過する停留所なのだった。だから現地のバス停には、車庫線の時刻表は掲出されていない。一方で、路線図では車庫線も旭北前に停車するように受け取れる記載方法(要は他のバス停と同じ表示で注記もなし)で、誤解を招く。某所へ要望したので、2019年以降に何らかの変化があると思う。下の関連記事リンク参照。
※上の写真の新国道側旭北前は両方向とも、2017年末頃に表示板が更新された

もう1つは、交差点東側の大町へ抜ける市道。
2002年交通局時代のもの。手書きで味のある看板だが、現在はカット文字に手直しされている
交通局から移管された「川尻割山線」のうち、一方通行の関係で上り(秋田駅行き)だけがここを通る(下りはドンキホーテの裏側を通るため旭北前がない)。

「旭北(きょくほく)」というのは地名だが、実際には「旭北○○町」という町名で存在する。バス停周辺は「旭北錦町」だが、長崎屋バスターミナルを使用していなかった旧交通局では、「旭北錦町」という路上の停留所があった(移管後の現在はバスターミナルに入るようになったが、ラッシュ時間帯の割山線だけはターミナルに入らずに錦町を通るのかな?)。
2002年市営バス時代の「旭北錦町」。バスターミナルに出入りするようになったのは移管後のこと
「地名+“前”」というバス停名称ってあり得るだろうか?(「○○入口」はよくあるけど)
仮にあり得るとしても、バス停所在地は、旭北のど真ん中って感じの場所だから、やはり「旭北“前”」はそぐわない。

旭北の名を冠したものには「秋田市立旭北小学校」がある(所在地は山王三丁目)。
旭北前とは、ひょっとして「旭北小学校前」という意味だろうか?
学校にもっとも近い、新国道の北行き車線の停留所を起点にすると、新国道を70メートルほど北進し、工事中の歩道橋付近を左折し、80メートル西進すると、学校の正門に着く。計150メートルでは「前」より「入口」だろう。
また、同校サイトの沿革によれば、昭和13年に「豊島町から現位置に校舎を移転」とある(豊島町は現在の大町五丁目辺り)ので、昔はバス停の前に学校があったというわけでもなさそう。
そもそも学校の前という意味なら「旭北小学校前」もしくは「旭北小前」だろう。「旭北前」はおかしい。
「旭南(きょくなん)小学校前」というバス停はありますが…(新屋線上り、牛島回り茨島環状線)
小学校以外には、この近くに旭北の名を付けたものはほとんど存在しないと思われる。

上の方で紹介した、交通局時代の「旭北錦町」の写真を見ると、次のバス停名が「山王十字路/寺町 です」と書かれている。
また、以前掲載した、新国道南行き車線の「山王十字路」の次のバス停名は「○○交通前 です」(=現在の長崎屋バスターミナルや旭北錦町)となっている。
つまり、「山王十字路―旭北前―○○交通前/旭北錦町」もしくは「旭北錦町―旭北前―寺町」という順番のはずなのに、次のバス停名表示では、旭北前が無視された形になっている。
旭北前は比較的新しくできたバス停なのだろうか?

秋田市公式サイトで創刊号からの広報紙「広報あきた」を「旭北前」で検索してみた。
1962(昭和37)年5月1日発行の189号
バス路線経路変更の告知記事に「旭北前」の記述があった。当時はまだ路面電車が走り、「山王十字路」すらまだなかった時代(八十刈(やそがり)交差点と言ったらしい)。住居表示実施前だから「旭北錦町」もなかっただろう。
そんな昔から存在する、かなり息の長い停留所名のようだ。無視されてかわいそう。

いろいろややこしく書いたが、結局、僕には「旭北前」の由来が分からない。
何かご存じであれば、お知らせください。
2020年の関連記事

「市町村会館」のように秋田に古くから住んでいる者は経緯を知っているが、そうでない人には分からなかったり不思議なものっていろいろあるはず。そうした溝を当ブログが少しでも埋められればいいと思っているのだが、バス停シリーズも結構ネタになりそう。今後、続編を展開するかもしれないので、期待せずにお待ちください。

※同じく命名が謎の「勝平二丁目」バス停の記事
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雪国信号・要改善版

2009-12-23 18:02:31 | 秋田のいろいろ
前回は積雪対策に縦型の車両用信号機が有効なことを紹介したが、今回はその続編。やや難ありかなというものをご紹介します。
秋田中央道路の地下トンネル中央街区出口と一般道路の合流点
手前の交差点も奥の交差点(中央通り)も、縦長の信号機だが、手前の青になっている信号機の全色と奥の赤になっている信号機の下段の青灯が、通常とは違った趣き。
拡大
信号機本体のLEDの前に、縦方向に細かい板(ルーバー)が入った箱が取り付けられている。斜めの車線や遠くから誤認されないよう、正面だけから点灯している色が分かるように、見える角度を制限する仕掛けだ。
島根県では、特殊なレンズ(フィルター)を使用して角度を制限していたが、秋田県ではルーバータイプが主流で、変則的な形あるいは連続した交差点や踏切の先の交差点などで、近年積極的に採用されている。

そのルーバーの箱のせいでよろいを身にまとったようで不格好な信号機だが、信号機上部が通常の信号の庇のように円形でなく平らになっているので、雪が積もりやすい。箱形では滑り落ちることがないわけだから、もっと大量に積もれば、点灯部分(赤と黄)が隠れて見えなくならないだろうか? 少し角度を付けるとか、ヒーターを付けるとか対策が必要かも。


次は歩行者用信号機。
風が強い秋田市は斜めや横から雪が降る(吹き付ける)ことが多い。
後ろの標識だけでなく、信号機の点灯する部分にも雪が付着している
うっすらだから、さほど視認性には影響がないが、発熱する電球式と比べればLED式は雪が消えるのに時間がかかるかもしれない。

さて、LED式の歩行者用信号機が出現した当初は、上の写真のように、電球式の信号機と同じボディ(本体)にLEDを取り付けていた。これは分厚いブラウン管式テレビの箱に液晶テレビをはめこんだようなもの。
その後、LED式が量産化されると、本体そのものが非常に薄い製品が作られ、現在はそちらが主流になったようだ。また、庇がとても短くなり、5センチあるかないか程度。初めて見た時は、そのコンパクトさに驚いた。
左は電球式、右が薄型LED式
電球式は庇に雪が積もっているだけだが、薄型LEDは青の庇に積もった雪と赤の点灯部分にべったり付着した雪が一体化している。
 場所が違っても同じ付着の仕方
これも視認性にはさほど影響ないが、庇の短さが災いしているように思われる。
もっと庇が長ければ点灯部分には付着しにくいのではないだろうか。もしくは、思い切って庇がなくても積もらないからいいかもしれない。

なお、秋田県内で最近設置された薄型LED式歩行者用信号機は、庇だけは従来型と同じ程度の長いものが取り付けられていた。
一般的(全国的)には、LED化で視認性が向上し日除けの必要が低くなったことと、庇が長いと左折車両が接触して破損する場合があるため、短くなったのだと思われるが、雪国ではそれに従うわけにも行かないということか。
雪国の信号機は難しい。雪質や気温・風などの条件もあるから簡単には解決しないと思うが、今後とも、検討・改善を期待したい。
【2010年6月4日追記】このような対策も検討されていることが分かった。


最後に、
押しボタン式信号の押しボタン
ボタン面に固い氷状の雪がべったり付着していて、どこを押せばいいのか分からない。雪は少し汚れており、電柱にも同じように付着しているので、ロータリー式の除雪車が寄せていった雪が吹き付けられたのだろう。
ここは学校の正門前で、そろそろ小中学生が通る時間帯。ボタンを押せずに渡れなかったら困るので雪を取り除こうとしたが、がっちりくっついていて、なかなか取れない。
しばらく格闘すると、
カパっと取れた!
ボタンや表示部の跡が雪に転写されていて、型を取ったよう。
これは仕方のないことだが、子ども達が安全に通行できるよう、通行人・周辺住民・教職員など、我々大人がこういう部分にも目を向けるように心がけたいものだ。

雪国の暮らしには、信号機関連だけでもこのような苦労があります。
※信号機関連の次の記事
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検証・縦型信号の効果

2009-12-22 19:00:36 | 秋田のいろいろ
積雪地域の車両用信号機は縦長が主流であり、秋田市内では7~8割が縦型化されていることを以前紹介した。ここ数日、雪が多く積もったので、その有効性を検証してみた。
※いずれも秋田市中心部の信号機ですが、信号機の材質や風向き等設置位置の違い、雪の水分の量、降り方・積もり方等の違いがあるので、同一条件とはいえません。

秋田市中心部の押しボタン式信号は、30年ほど前に設置された、プラスチック製の横型信号機が多い。
 

 もっそり積もってる!
庇(ひさし)の上に積もった雪がせり出し、雪自体が庇のようになって、光る部分をふさいでいる。
雪を透かして光が見えるし、もう1台信号機があるので、それほど危険という状態ではないとは思うけれど。
見ている前で、雪が下に落ちたシーンにも出くわした。積もったばかりで柔らかい雪なので、下に人や車がいてもびっくりする程度で被害はないと思われるが、温度等条件次第では氷の塊になって落ちることもあるだろう。そうすれば危険。
上4枚は、いずれも押しボタン式の信号だが、どれも青灯の上には雪が少なく、黄灯や赤灯が雪で覆われている。
以下は僕の憶測だが、秋田県の押しボタン信号は普段は青が点灯(県によっては黄色点滅だが)している。電球式の信号機では、青灯周辺は常に熱を持っていることになる。その熱で雪が融けて青の上には雪が少ないのではないだろうか。

今度は、押しボタンでない、通常の交差点の信号機を見てみた。
 
左写真は青も赤も時間が同じ程度の交差点だが、青灯部分に多く積もっている。右は前紹介した、秋田では珍しい横型のLED式信号機。歩道橋に取り付けているため、特殊な条件だが、やはり庇に積もっている。赤灯側に積もっているが、たまたま青側の雪が滑り落ちたのかもしれない。
これは、青・黄・赤に同じように積もっている
おそらく、これが積もり始めの状態ではないだろうか。最初は各色に独立して積もるが、時間が経つと融けたり滑り落ちたりせずに残った雪にはさらに雪が積もって、隣り合う色がつながって前にせり出したり垂れ下がったりして、ふさいでしまうということだろうか。
視認性だけでなく、雪がたくさん積もれば(特に濡れ雪は)、信号機や電柱にかかる負荷が増えて、最悪の場合倒壊することもあるだろう。

では縦型信号機はどうか? こちらはプラスチックもしくはアルミ製のようだ。
  
やはり積もることは積もる。でも、隣り合っていないから比較的早めに滑り落ちて、手前に垂れ下がることはないようで、横型よりずっと見やすい。
左側の写真は標準的な規格の電球式、真ん中は庇が特に長い電球式、右は標準的なLED式(庇が長く見えるのは本体がLEDで薄いため)。
左は各色まんべんなく積もっている。斜めに雪が降ったのだろう。右2台は上の赤にいちばん多く積もり、黄・青と下ほど少なく積もっている(当然だけど)。この状況では、黄色の庇に積もった雪が上の赤灯の、青の庇の雪が黄灯の視認性をそれぞれ(わずかではあるが)妨げていることになる。それなら黄や青の庇を短くした方が積もる絶対量が減るからいいような気がする(実際に他県ではそうしている所もある)が、吹雪いて横から降ったりもするから簡単にはいかないか。

庇の長さといえば、気になっていたのが、ごく一部の交差点にある、(秋田では)とても庇が短いLED式信号機。
試験的な設置なのだろうか? 真横から見るととても薄い

積もる量が少なくて、かえって見やすいかも
積もっている雪はわずか。裏面の信号機にはまったく雪が積もっていない。
ただ、真っ正面から吹雪が吹き付けた場合など、庇が役に立たずに困る場合もあるだろう。写真でも丸い光る部分の下側に半円形に雪が付着している。
全国的には庇のまったくない横型LED信号機も登場しているそうだが、秋田県で長い庇を設置し続けるのはそれなりの理由があると思われる。おそらく、メーカーも警察庁や各公安委員会も試行錯誤中なのだろう。
横型と縦型が混在する交差点
横型には雪が積もっているのに、縦型は雪がない。やはり積雪地に縦型信号を設置するのには、きちんとした効果があるようだ。
マニアックな話になってしまいますが、続編があります。
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大雪と大絵馬

2009-12-21 22:14:00 | 秋田の季節・風景
昨晩はかなり雪が積もった。
アメダスの秋田市の積雪量によれば、20日18時には22センチだったのが、19時には29センチ、20時には33センチと急激に積もった。夜の間はそれほど増えず、今朝は30センチ程度(気温が低かったので融けたのではなく、引き締まったのだろう)、21時現在は27センチ。
視覚的にはこのくらい積もりました
こう積もると、除雪した雪の処理が問題になってくる。
楢山広小路(でいいのかな?)
除雪車が寄せていった雪が歩道と車道を隔てている。もっと幅が狭い道だと、歩く場所がなくなってしまうのだが、ここは現状ではとりあえず支障なし。
中央通り。先が秋田駅
日が差していたかと思えば、
南通築地
地吹雪でホワイトアウト。顔に当たる雪の粒に身が引き締まる。
明日は寒さが緩むようで、一部気象会社の予報では雪でなく雨の予報が出ている。この積雪に雨が降ると、ぐちゃぐちゃで歩きにくい道路になってしまう。
個人的には、ぐちゃぐちゃより、多少寒くても凍った路面の方がマシだ。

以前紹介した、竿燈大通りの融雪装置更新工事
手前は終わったが、奥は工事中
バス停を移動したり、「ローソン様入口」とか看板を出したり気を遣いながら、いつまで工事をやっているのかと思っていたら、今日、こんな看板が設置された。
「12月25日頃、完成予定です」
今日は、歩行者迂回路を作業員と誘導の警備員とで一生懸命除雪していた。もっと早く工事に着工・完成していれば、そんな苦労いらないのに。
【追記】工事が終わった様子

さて、昨年、川尻地区の総社(そうしゃ)神社の干支の大絵馬を紹介した。
昨年は12月9日の記事(雪がなく落ち葉が積もっていた)だったから、今年は遅いなと思っていたら、なんと昨年まで絵を描いていた作者が亡くなったのだという。
 
そのため、恒例の絵馬が中止になりそうだったが、新しい描き手が見つかり、少し遅れて昨日、奉納・設置された。
 総社神社境内
今年はトラの親子だが、たしかに昨年とはタッチが違う。ちょっとかわいいトラだね。
昨日放送のアニメ「サザエさん」の2本目「年賀状の悩み(No.6266・城山昇脚本)」でも、ワカメちゃんが「ちびくろサンボ」と思われる絵本を元に年賀状用のトラの絵を描いてマスオさん達に勘違いされたり、飼い猫のタマをモデルにしようとしてうまくいかない話があったが、トラの絵を描くのは難しそうだ。
※翌年の絵馬はこちら
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JAの広告バス

2009-12-20 20:59:23 | 秋田のいろいろ
ここ10年ほどでバスや路面電車の車体全面に広告を表示した、「ラッピング車両」が普及した。斬新で目を引くので、広告効果が高いのだろう。
全国的には、お菓子やインスタント麺など、商品のパッケージそっくりのデザインだったり、キャラクターがかわいかったり、なかなかセンスのいいものが多い。ただ、一歩間違うと派手すぎたり、地域によっては屋外広告条例にひっかかる場合もある。

さて、我が秋田県中央部のバス会社にもラッピングバスがあるが、イメージが薄い。
かつては、お菓子の「もろこし」を全面にデザインしたり、秋田杉の林を描くといった、秋田らしく美しいデザインのバスがあった(現在はいずれも契約期間終了により撤去)が、それ以外はパッとしない。大手食品メーカーがスポンサーの楽しいデザインのものも見かけない。
バス会社や広告代理店の営業努力が足りないのか、デザイナーのセンスがないのか分からないが、もう少し工夫をしてほしい。バス会社の収入につながるんだから。


さて、今年10月から1年間、県内の路線バス3社で、JA共済連秋田などがスポンサーとなった、交通安全を呼びかけるラッピングバスが走っている。(JA秋田中央会のサイト
3社とも共通のデザインで、濃い黄色(カラシ色)地に赤い文字で「道路の横断は右左を確認して安全に」と書かれている。

秋田県中央部のバス。
何台あるのか分からないが、僕が見るのはいつもこの中型車
秋田東営業所所属の車両と思われ、「三平バス」と同じ路線(大住・将軍野・桜ガ丘方面など)を走っていることになる。
【21日追記】同じデザインの別車両(いすゞの中型車。上の写真は日野の中型車)を見かけたので、少なくとも2台が秋田市を走っていることになる。所属営業所が異なるかもしれない。

う~ん。たしかに目立つけど、おもしろみがなくてつまらないと思う。窓から上が白いのも物足りない。
文字が大きくて目立つが、小さい子どもは漢字を読めないから、ふりがながあってもいい。「左右(さゆう)」じゃなく「右左」、つまり「みぎひだり」なんだ。そして、
後部ナンバープレート周りが真っ白なのはなぜ?
上記JA秋田中央会のサイトに掲載されている、大館市の秋北バスの車両も同様に後部が白いようだ。何の意味があるんだろう? 後続車のドライバーの目がチカチカしないように?
ラッピングし忘れたみたいに見えますよ。それにこれからの季節、泥はねで汚れそう…
第2弾も出ました


一方、同じJAの広告でも、先日名古屋に行った時、途中の静岡で見た「しずてつジャストライン」の「JAしみず」がスポンサーのラッピングバスはいいと思った。
旧清水市は現在は合併して、静岡市清水区になっているが、JAは「JAしみず」として静岡市側とは別になっているようだ。
乗り継ぎの関係で20分ほど外に出た、清水区郊外の「興津」駅前。郊外といっても、不二家のお店なんかがあるし、バスも列車も本数が多いから、秋田よりは都会です。でも海が近くて、町の雰囲気などが、どことく秋田市新屋に通ずるものがある気がする。

天気が悪かったのと、バスが動いていたので、上手く撮れていないが、茶畑とみかん山を側面いっぱいに描き、茶摘みをする人がいる。よく見ると、後輪の後ろ、非常口の上には雪を抱いた富士山が! 前後にはイチゴやキウイなどその他の農産物も描かれる。
いかにも静岡・清水らしい風景だ。清水は港町の印象が強いかもしれないが、農産地としての魅力を上手く表現できていると思う。手前で茶摘みをしている女性は、「ちびまる子」系の顔かな。

秋田の中型バスよりも2メートルほど長くて少し大きい、大型バスを使っていることもあるだろうが、車体をめいっぱい使って目を引き、見て楽しい広告だと思う。
後部にもいっぱいにイラスト。余白などない
しずてつジャストラインのバスでは、昔見た、静岡市に本社のある「タミヤ」(田宮模型)のラッピング広告がかっこよかったし、バス会社のサイトに「ラッピングバスコレクション」として一部が紹介されている(http://www.shizutetsu.co.jp/ad/ad_wrapping.html)のを見ても、東京都交通局などのラッピング広告に引けを取らない。
静岡では「JAちょきんぎょ」のラッピングバスがあったようだが、秋田では見たことがない。農業県秋田ならあってもいいはずなのに。

さて、あえて興津駅で降りたのは、目的があった(以前は試験場に柑橘類を見に行ったりしたけど)。
駅そばの細い道を抜けると、
JAの金融機関の隣にある「産直プラザふれっぴー興津店」
どんな店かイメージが湧かなかったが、産直があるというのでシーズンのミカンが買えそうなので行ってみた。中は、最近見かけなくなった小さなスーパーのたたずまい。惣菜やお茶もおいしそうだったが、時間がないので産直コーナーへ。予想通り、ミカンがたくさんある。道の駅の産直によくあるように、各生産者ごとに分けられて値付けされていた。
時期的に早生品種の出始めのようだが、やや小ぶりのミカンがたっぷり入って
150~200円。安い! 秋田だと300円以上はするかな
電車に乗って食べてみると、甘さと共に少しさわやかに酸っぱくて、おいしい。
もう1袋買ってもよかったかなと思いながら、乗り換えた新幹線の中でだいぶ食べてしまった。また行ってみなきゃ。

そのふれっぴーでは清水産のお茶と水で作った缶入り茶が売られていた。
缶に描かれた絵、バスのラッピングと同じタッチの絵だ
美保の松原と天女の羽衣やサッカーをする次郎長もいて、バスのデザインよりもさらに清水らしい。

ふれっぴーのレシートを見ると「Aコープ」と書かれていた。何のことはない、JAでやってるスーパーじゃないか。
Aコープは秋田市中心部にも昔はあったが、今はなくなってしまった(市内には直販専門の店が1店あり、雄和地区などにはAコープが残る)。
秋田のJAも、キャラクターを作ってそれをバスに広告するとか、積極的に売り込みしてはどうでしょう。
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雪の街

2009-12-19 19:28:17 | 秋田の季節・風景
相変わらず雪と寒さの秋田。アメダスのデータによれば、今日18時現在の秋田市の積雪は15センチ。ここ最近の感覚では多いが、長い目で見れば普通だろう。ただ、秋田市内でも雄和地区など山間部では50センチ以上積もっているようだ。
ちなみに、青森県弘前市は13センチ、平川市碇ヶ関では10センチと秋田市よりわずかに少ない。通常のパターンでは、秋田市よりは津軽の積雪がかなり多いのに、逆転しているのは珍しい。なお青森市は42センチとさすがに多い。

今までほとんど絶え間なく雪が降り続いていたが(それほど強くはない)、今日の午前中は久しぶりに時折日が差した。
竿燈大通り
除雪はされていたが、土曜日で通行量が少ないためか、雪が残っていて路面が見えない。車線区分の線が見えないのに、整然と3車線で走っているのは、考えてみれば不思議な光景。
裏道は真っ白
気温がずっと低いため、ざくざくのシャーベット状でないのはまだマシかな。特に歩行者にとってはあまり滑らず汚れないので。ただし、融雪装置のない緩い坂や踏切前などはテカテカでとても危険。
上の写真にも写っているが、この状態の道路で自転車に乗るツワモノ(バカモノ?)がいる。今日も数人見たが、若者とお年寄りに多い気がする。見ていてひやひやするのでやめていただきたい。
なお、年賀状配達の高校生アルバイトの乗る自転車は、冬用タイヤを付けているのだとか?

 
二丁目橋付近。「那波家の水汲み場」のケヤキや対岸の護岸に雪が付いてきれい。
川沿いの欄干の雪帽子
さて、大町の「ファッションアベニューAD」(先日記事にしたとおり、現在はいちおう「イーホテルショッピングモール」に改称)。
雪がちらついていた
西側のニューシティと向かい合う大町通り側には、昨年と同じ、ピンポン球大の小さな風船をたくさん並べたリースが設置されている(歩道向きと車道向きに2つずつ)。
昨年は昼間の状態しか紹介できず、あどれさんから夜に点灯するときれいだとコメントをいただいていたが、結局見に行かなかった。今年は、見るチャンスに恵まれた。
 
とてもキレイだ! 雪が少し積もったのがまたいい。だけど、
昨年の使い回しで「FASHION AVENUE AD」
いつまでその名称を使い続ける気なんですか?
先日紹介した反対側の色あせた垂れ幕といい、なんかちぐはぐなんだよね。
ともかく、リースはきれいでした。
車も歩くのも大変な雪道ではあるが、個人的には雪明かりで明るく白い街が好きだ。冬空のどんよりした分を雪が補ってくれているようで、いつもの秋田の街が少しだけ明るく感じる。
秋田駅近くの仲小路。
 
植え込みの上のトナカイの電飾は、もう少し雪が積もれば埋まってしまいそう。
住宅街もなんとなく明るい
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歩道橋物語

2009-12-18 19:42:07 | その他もろもろ
最近、架け替え中の秋田市の旭北横断歩道橋を取り上げているが、今回は名古屋で見た、貴重な歩道橋のお話。
名古屋市の西隣の清須市、JR東海道本線で名古屋駅から1駅5分の「枇杷島(びわじま)駅」で下車。
きれいな駅前
2008年末にできたばかりの真新しい橋上駅舎。後ろを東海道新幹線がびゅんびゅん通過し、駅前広場のすぐ前を県道(旧国道22号線)が通っている。スーパーが1件あるほか、チューインガムなどの工場が点在し、地方の町の駅みたいな雰囲気。三大都市圏の中心駅・名古屋から1駅来ただけで、こんなのどかな風景に変わる、名古屋のおおらかさが好きだ。

のどかとはいえ、駅前の県道は車の通行量が多い。秋田の新国道に似ている。名古屋寄りに300メートルほど進むと、その歩道橋がある。
 
旭北歩道橋と同じく、一直線で幹線道路を横断するタイプだが、重厚なたたずまい。駅側から歩道橋を渡った向かいには、小学校がある。
この「西枇杷島歩道橋」は、日本初(つまり最古)の歩道橋とされている。初の歩道橋ができたのには、次のような逸話がある。

旧西枇杷島町だった50年ほど前、通学途中の小学生が交通事故にあった。それを受けて、保護者や地域住民が道路を安全に横断できるように町へ要望し、(信号や地下道は不向きな場所のため)町が鉄道の跨線橋などを参考に考え出し、国などを説得して設置に踏み切ったのが、道路をまたぐ橋だった。1959(昭和34)年6月に開通したが、当時は「歩道橋」という呼び名がなく、「学童専用陸橋」という名だったそうだ(学童以外は渡れなかったのか??)。

なお、一部サイトでは、設置のきっかけとなった事故を「死亡事故」としているが、それは間違いと思われる。
「読売オンライン・始まりへの旅」や「朝日.com愛知・『いま』をみつめる」等によれば、事故にあった女子児童は全治3か月の重傷を負ったものの、現在もお元気なようで、朝日の記事ではインタビューに答えている。
伝言ゲームのように話が大げさになり、都市伝説化したのだろうか。青森県弘前市にも「ゆみちゃん道路」という似たような話がある(いつか機会があれば記事にします)。

そして、この歩道橋は、道路拡張に伴い、来年2月に撤去されるそうだ。(拡張後は新しい歩道橋が設置されるとのこと)
以上のような情報を得て、わざわざ枇杷島へ来たのであった。我ながら物好き。

鉄でなくコンクリート製なのは古いためだろうが、それ以外にも温暖地であることもあってか、秋田で見慣れた歩道橋とは少し違う。
高さ5メートル、全長46.8メートル、幅2.5メートル。幅が少し広い気もするがサイズとしてはあまり違和感はないけれど。
 階段1段ごとの高さは低い
秋田のように融雪装置が要らないからコンクリートむき出しだが、滑り止めすらない。
手すりは若干低い感じがし、網目のフェンスが張られている。秋田の歩道橋にある側面の板(「手摺側板」と呼ぶらしい)はない。風除けは必要ないということか。
 
何となく開放感がある。
手すりには錆が浮く
秋田では、ステンレスの握りやすい細い手すりが後付けで内側に増設されている。たまに再塗装もしているし、秋田県の歩道橋管理は(道路管理よりは)けっこうまともなのかも?
底面。かなり頑丈そうだが重そう
名古屋造船という、現在のIHIの前身企業の製造だが、初めての製品で苦労したのかもしれない。

設置された50年前は高度経済成長期で車最優先の社会だった。そんな中、歩行者を安全に渡らせる最善策が歩道橋だったのだろう。各地から視察が相次ぎ、歩道橋が全国に広まったようだ。
でも、歩道橋は階段の昇降を伴うので歩行者にやさしいとは言えず、街の美観や人の流れにも影響を及ぼすなどしたため、20~10年ほど前に歩道橋を撤去して横断歩道を新設する動きが広まった。秋田市でも駅近くの千秋久保田町歩道橋などが姿を消した。
そんな時代を経て現在も残る歩道橋は、それなりの存在意義を認められているものなのだろう。足腰の健康な者にとっては運動になるし、上から眺める景色も新鮮。何よりも車にひかれることは絶対にないから安全なのは間違いない。
西枇杷島の日本初の歩道橋が今も残っており、道路拡張後も再建されるということは、ここが歩道橋にふさわしい場所だったということではないだろうか。西枇杷島の人たちに先見の明があったのだろう。
最古の歩道橋が姿を消すのは残念だが、こんな物語があったことは語り継いでほしいし、その当時の気持ちも受け継いでほしい。

ちなみに、秋田県の歩道橋についてはよく知らないが、秋田市の二丁目橋そばの「土手長町横断歩道橋」には銘板が付いており、昭和42(1967)年に設置されたようだ。
左が旭川、かつては右に協働社。中央分離帯付近は電車の停留所の跡
路面電車(秋田市電)廃止(1965年末)の翌年にできたわけだが、昔は協働社というデパートに面しており(歩道橋から直接入店できたっけ?)、多くの人が渡ったんだろう。
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歩道橋・橋・AD・お寺前

2009-12-17 20:56:00 | 秋田の季節・風景
おととい、雪が積もったけど、昔に比べればそれほどでもない、という記事を書いた。それ以後も雪は降り続き、しばらく続きそう。山形の庄内地方や新潟、西日本などは記録的な大雪のようだが、秋田市中心部では、大雪というほどではないと思う。ただ、12月の段階でこれほど本格的に冷え・降り・積もるのは久しぶりだ。2006年の豪雪は、年内(2005年12月)はまったく雪が降らず、年明けにどっと降ったはず。そんな最近の秋田市内。
工期が延長された、旭北横断歩道橋
前回気付かなかったのか、「工事中」の看板の周囲に、工期延長に伴う掲示が追加されていた。
左に「1月20日まで通れません」、右上に「残りの工事」とある
「残りの工事」は3つ。
 1.橋面のアスファルト舗装:道路を横断する平らな部分の舗装ということか。地面に置かれていた当時は、路面が汚かったからね。
 2.橋面の点字シート:そりゃそうだ。舗装後でないと点字ブロックは設置できない。
 3.手摺側板取付:それ、何だ? と思ったが、ここで、他の歩道橋を見てみよう。
二丁目橋そばの「土手長町歩道橋」
赤い矢印の部分、膝くらいの高さの位置に、濃い茶色のプラスチックの板が取り付けられているが、おそらくこれのことだ。目隠し、風除けなどが目的なのだろう。
専門用語が多くて分かりにくい掲示だが、ないよりはマシか。でも、この寒い中、凍った道を遠回りさせられる子ども達がいることを忘れないでね。
【追記】その後の様子

夏に「置き竿燈」が設置されていた、旭川に架かる歩行者専用の大町公園橋
秋田駅・広小路側から見ると、除雪も融雪もされておらず、もっさり雪が積もっている。
ところが、大町側の上流側、橋全体の4分の1ほどの部分だけは、融雪(ロードヒーティング)が作動していた。
 あまり意味がない
制御盤らしきものがあったので見ると
メーターの針が振れ通電はしているようだが、「電源」などのランプ類はすべて消灯
壊れたのだろうか? 両隣に他の橋があるから実害はないけれど。

その向かい、「ファッションアベニューAD」から「イーホテルショッピングモール」に名称変更したものの、あまり周知されず、混沌としている建物。(最近の地元紙の記事では「イーホテルショッピングモール(旧ファッションアベニューAD)」としていた)公式サイトは、未だにADのものが存在し、イーホテル~モールのものはない模様。
建物は
未だに「AD」ですか
そして右側の垂れ幕、色あせて何が書いてあるのか分からない。
今年4月段階では、鮮やかに「もうすぐ、会えるNew AD」だったのが、上の置き竿燈の記事の時は既に色あせし、今はこの通り。みっともない。
何とかならんかねぇ
秋田駅からまっすぐ来て目に入る場所だし、「もう、会えないAD」なんだから撤去してほしい。
内部や反対側はクリスマスらしい装飾があったが、なんでこっち側にはこんな状態なんだろう。昔はこちら側壁面に目立つクリスマスの飾りがあったのに…

保戸野から旭北にかけてのお寺の多いエリアへ。
お地蔵さんに向かって右側に雪が着いている
横から雪が降る秋田の降り方が分かる。幹線道路は雪が消え路面が見えているが、
裏道は白い
お寺の前には、「言葉」を掲示している所があるが、それに注目してみた。上の写真は「幸せは人と比べるものではない」。
達筆
「外に向かえば欲に限りはないが 内に向かえば思もまた限りがない」
うーん。お寺さんが毛筆で書いているみたいだが(本山で作ったと思われる印刷版のお寺も1つ見かけた)、文章もオリジナルなんだろうか。「文例集」があるのかも。
「丁寧に生きる年の瀬」
いちばん身につまされた言葉だった。今年も残り2週間。
※お寺の掲示の関連記事
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ランチパックとフレッシュランチ

2009-12-16 20:28:22 | ランチパック
以前に続き、菓子パン・調理パン「ヤマザキランチパック」とその秋田県版「たけやフレッシュランチ」についての記事です。
 過去の関連記事は次の3つ:最初の記事青森版先月の秋田版

今月初めの旅行中、東海地方から首都圏の駅売店やスーパーなどで、“ランチパック事情”を偵察してきた。たけやフレッシュランチを見慣れた者には、フルカラー印刷の包装だけでも目を奪われるが、ラインナップが豊富だった。
 ※以下、商品名は公式サイトも参考にしていますが、地域限定品が多いこと、店によって仕入れされない商品があること、僕が店頭で見間違えた可能性もあることをお含み置きください。また、秋田のたけや製パンには公式サイトはありません。

愛知から埼玉まで広範囲でよく見かけたのは、
「完熟トマトのピザソース&チーズ」(新製品)、「イチゴチョコ&ホイップ(イチゴクリーム入り)」、それにチョコクリーム系(3種のチョコとかパン生地もチョコ入りのとか)そして
「グラタンコロッケ」
オニオン入りドレッシングがしみていて、おいしかった。
なお、公式サイトにある、11月の地域別売り上げランキングでは、ほとんどの地方でグラタンコロッケが4位か5位にランクインしている。それと、
「ミルキークリーム」
不二家とヤマザキの共同開発商品で「不二家ミルキーのれん乳入りクリームをサンドしました」とのこと。
ミルキーらしい真っ白のとろっとしたクリーム
流動性があり(=緩くて)いい感じだが、量が足りない。パン生地の味の方が強くて、僕としてはイマイチ。
【2010年2月6日追記】再度食べる機会があったが、今度はミルキーの味がはっきりして、なかなかおいしく感じた。室温になじませて食べるといいのかも。
11月の売り上げランニングでは、東北地方で4位になっている。東海や関東でも売っていたがランクインしていないから、東北人好みなのか?(ただし、このランキングにおける「東北地方」とは、青森・秋田を除くヤマザキ製品が流通している4県のデータなんだろう)

さて、JR東日本の各新幹線の座席ポケットに入っている車内誌「トランヴェール」の12月号は、
 
東北新幹線新青森開業を1年後に控えて、青森観光の特集が組まれていたが、その中にランチパックの青森産リンゴのジャムとカスタードが入った製品の広告があってちょっとびっくり。「お求めはNEWDAYSで」とJR東日本系列のコンビニを宣伝していたが、首都圏の駅のNEWDAYSにはしっかり入荷していたので買ってしまった。この旅行3個目のランチパック。
「リンゴジャム&カスタード(青森県産リンゴのジャム使用)」
袋の表面に3か所も「青森」の文字が入っている。
 いい宣伝になるだろう
そして中味は、
味は?
クリームも、なめらかなリンゴジャムも思ったより量が多い。原材料欄の2番目(小麦粉の次)が「りんごジャム」だったからたっぷり入っていた。リンゴとカスタードがマッチしてとてもおいしい。
これはミルキークリームよりも、いやランチパックの中でかなり好きな部類に入る。

でも、これは、青森(と秋田)ではきっと買えない。原産地で買えないというのは残念。また、地域限定品なので、ヤマザキの販売地域でも売っていない地域もあると思われる(東海地方では見なかった)。

公式サイトを見ると、これらの他に、福岡産あまおう、新潟笹だんご風味、デコポン・阿蘇ジャージー牛乳、静岡茶、三ヶ日みかん、蔵王産牛乳、茨城県産アンデスメロン、杏などなど、ユニークで地域性のある素材を使ったランチパックが多数ある(大部分が販売地域限定)。
「信州産りんごジャム&ホイップ」など、青森リンゴと微妙に競合する商品もあるが、販売地域をずらしているのだろう。


さて、一方、我が「たけやフレッシュランチ」。
先週、スーパーに行ってみると、月が変わったためか見慣れぬ製品が並んでいた。「キーマカレー」やイチゴと練乳を使ったのがあったはず。買ったのは、
「キャラメルチョコクリーム」特売で98円
ヤマザキ版では7月に「キャラメルチョコ&ホイップ」という、お笑い芸人のはんにゃとコラボした製品を発売したようだが、それとは別物のたけやオリジナルと思われる。
「塩キャラメル風のチョコクリームをサンドしました。」とあり、ただのキャラメルでなく塩キャラメル。塩+キャラメル+チョコなんだ。
たけやは以前「塩バターキャラメル」というヒット商品を出しているので、それにあやかったのかもしれないが、それなら「塩キャラメルチョコクリーム」の方がいいのではないだろうか。漢字が目立つし。字数は多いけど。
中味は、前に紹介した「ムースチョコ」に似た感じのホイップ状クリーム。キャラメル色でなく、やや薄い色だがチョコ色。塩、キャラメル、チョコそれぞれの味はよく分からないが、混ざってなかなかおいしい。でも2個のうち1個は中味が小さな円形になって中央部に固まっていたのだけど、それでよかったのかな?

どうも、たけやフレッシュランチの菓子パン系のものはチョコレート関連の製品が多く、(ヤマザキでは多い)クリームや果物を使った製品が少ない傾向があるようだ。惣菜系も含めて、秋田らしい、あるいは秋田県産原料の製品も見たことがない。
秋田県人の嗜好をリサーチしたのか、ヤマザキとの契約の絡みなのか、製品開発力の限界なのか、費用や場所の制約で生産ラインを確保できないのか、何だか知らないが。
全国どこでもまったく同じ製品が流通するのは必ずしもいいことだとは思わないし、地方独自の製品も楽しいが、ヤマザキランチパックのラインナップの充実ぶりを知ってしまうと、たけやフレッシュランチは物足りない。


ところで先日、秋田駅前にある「ニューたけや」という、秋田の元祖ファミレスともいえる飲食店が閉店することが決まった。その名の通り、この店はたけや製パンと関連があり、かつてパン工場だった場所をレストランにしたのだという。
閉店する理由として、売り上げなど経営上の問題もあるが、「後継者がいない」ことが理由だと報じられていたと思う。
よく知らないが、レストランとパン屋の経営者って同じ人なのだろうか? だとすれば、パン屋の後継者もいないことになるんじゃないだろうか? 大丈夫?
市内某所のお店。縦書き看板に旧ロゴで「たけやのパン」
秋田県民には懐かしいもの。青森の工藤パンでも似たデザインで「“ユ”藤パン」に見える看板がある。
たけやはいつまでも残って欲しいブランドではあるが、せっかく天下のヤマザキと提携させてもらっているんだから、もっと積極的にがんばってもらうわけにはいかないかな。例えば、秋田産原料にこだわった製品を作り、ヤマザキの販路で全国発売する(そして逆にヤマザキ版が秋田にも流通する)とか。
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