ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

破獄

2007-08-30 05:00:00 | 読書
いつも時代小説を読んでいるので、ちょっと毛色の違った本を読んでみようと思い、『破獄』という本を手にしました。

大黒屋光太夫』の吉村昭が描く、昭和の初期から終戦前後に至る実際にあった話のようです。

吉村昭は史実に基づいて題材を求め、綿密な調査で小説として書き上げていく人なんですね。

     

物語は青森・秋田両刑務所を脱獄した佐久間清太郎(仮名)が、東京拘置所から網走刑務所に護送されるところから始まる。

昭和10年4月に青森で起こった強盗致死罪による犯人=佐久間は、死刑判決を不服とし昭和17年に青森刑務所・柳町支所を脱獄、社会背景として2,26事件と並べられて話は進展していく。

間も無く佐久間は捕らえられ、東京・小菅刑務所に移管されるが、第2時世界大戦の進展に伴い、無期・長期受刑者は秋田刑務所へ移されることになった。
この頃すでにアメリカによる本土への空爆が開始されていた頃だった。

佐久間の脱獄を警戒し、有能な看守を貼り付けたり、沈静房という特別な部屋に収監するのだが、佐久間は看守を思うように操り、またまた脱獄してしまう。

脱獄した佐久間は、離婚した妻や子供に会った後、東京の小菅刑務所でよくしてくれた戒護主任のもとに自首、秋田刑務所で受けた非人間的扱いを脱獄の原因として主張したが、裁判の結果無期懲役、先の網走行きとなった。
佐久間は極寒の地・網走行きを拒んだが、どうすることも出来ず、またまた脱獄を計画する。

網走刑務所はご存知の通り、官憲が最も憎むべき者達を収容した監獄で、先ごろ亡くなった日本共産党の委員長・議長を歴任した宮本顕治も収容されていた。

まんまと網走をも脱獄に成功する佐久間だったが、当時の行刑局=司法省の面々は度肝を抜かれ、片方で佐久間は国民から一種のヒーロー扱いになっていった。

私はこの小説を読んでいて、この佐久間という男は体力といい・精神力といい卓越したものを持っていたので、時代さえ間違わずに生まれていたらスポーツ面で何らかの歴史に輝かしい足跡を残せたのではないかと思う次第です。

戦後の混乱に乗じて逃げ延びていた佐久間だったが、ふとしたことから優しくしてもらった警官に自首し、再び刑が確定するのだが、最後に入所した府中刑務所からは脱獄することはなかった。

それは何故なのか、脱獄への佐久間の執念、イソップの『北風と太陽』をモチーフとしたような刑務官の脱獄させまいとする考え方の変遷、その辺りに吉村昭のこの人物への思い入れが描かれていると思います。

是非、ご一読を。