甲陽園での仕事を終えて、今度は小曽根町というJRと阪神の中間辺りにある街での仕事です。
阪神電車の武庫川駅を降りて、以前の東鳴尾町と反対方向へ行くことになりますが、山手へ行ったり下町へ来たり、会社のやり方は地域性に何となく一貫性が無いような感じを受けます。
阪神電車の武庫川駅西口の北側です。
北に向かって線路が延びています。
と言うことは、今は武庫川駅を起点に南に向かって走っている武庫川線ですが、以前は武庫川駅は通過点だったということになるのです。
左から交わって来てる線路は阪神の神戸本線からのものですが、どういう意図があったのかよく解りません。
武庫川線を調べてみると、戦時中洲崎駅には軍需工場があり、そこへの従業員や貨物の輸送に使われていたとありました。
当然アメリカ軍の空襲に遭い、工場は潰されるのですが、戦後は武庫川団地の建設で阪神間のベッドタウンとして多くの人が利用するようになりました。
こうして見ると線路は二条ありますが、右の線路はフェンスがあれば使えなかったでしょうから、フェンスの無い危ない状態で使っていたことが伺えます。
現在電車は高架化や地下を走っていることが多いので、こうやって地上で間近に見ることは滅多にありません。
ここに2両の車両が停まっているのは、朝夕のラッシュ時に出動するためのようです。
100m程度で線路は無くなっていますが、尼港線跡のように軌条敷跡と思われる区間が長く続いています。
阪神武庫川駅の北、一つ目の武庫川橋西詰めから南向いて撮っています。
橋を降りて反対側の地上から武庫川駅(南)方向です。
阪神電車の武庫川駅を降りて、以前の東鳴尾町と反対方向へ行くことになりますが、山手へ行ったり下町へ来たり、会社のやり方は地域性に何となく一貫性が無いような感じを受けます。
阪神電車の武庫川駅西口の北側です。
北に向かって線路が延びています。
と言うことは、今は武庫川駅を起点に南に向かって走っている武庫川線ですが、以前は武庫川駅は通過点だったということになるのです。
左から交わって来てる線路は阪神の神戸本線からのものですが、どういう意図があったのかよく解りません。
武庫川線を調べてみると、戦時中洲崎駅には軍需工場があり、そこへの従業員や貨物の輸送に使われていたとありました。
当然アメリカ軍の空襲に遭い、工場は潰されるのですが、戦後は武庫川団地の建設で阪神間のベッドタウンとして多くの人が利用するようになりました。
こうして見ると線路は二条ありますが、右の線路はフェンスがあれば使えなかったでしょうから、フェンスの無い危ない状態で使っていたことが伺えます。
現在電車は高架化や地下を走っていることが多いので、こうやって地上で間近に見ることは滅多にありません。
ここに2両の車両が停まっているのは、朝夕のラッシュ時に出動するためのようです。
100m程度で線路は無くなっていますが、尼港線跡のように軌条敷跡と思われる区間が長く続いています。
阪神武庫川駅の北、一つ目の武庫川橋西詰めから南向いて撮っています。
橋を降りて反対側の地上から武庫川駅(南)方向です。