ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

明神神社

2010-05-31 05:00:00 | 田舎
一枚岩から古座方面へと帰る道、明神橋の手前にいつも気になっている神社がありました。車を降りてゆっくり見たのは今回が初めてです。

明神神社という名前の神社です。この辺りの地域を明神というのですが、神様としての明神から名付けて明神神社と呼んでいるのか、地域が明神というからその名前を冠したのか、この神社があったからこの辺りを明神と呼ぶのか、何が何だか解りません。

             

明神というのは、明らかな姿となって現れる神様なのか、神様は明らかな姿となって現れるという意味なのか、その辺りが私には理解しにくいのですが、神様の名前であろうと、神様の意味であろうと、どちらにしてもそのような名詞を冠しただけの神社ってあまり聞いたことがありません。

             

狛犬の大きさは同じなのでしょうが、台の大きさが違うので、不釣り合いですね。

白い格子から中を覗くとこんな感じ。

             

この日の午前中に見た有田神社と造り方が似ています。有田神社は狛犬が無かったけど、灯篭が並んでましたね。それにこの神社はすぐ後ろが山なので窮屈な造りになっていますが、有田神社は平地に建っていたので、ここよりは余裕がありました。

                  

でも明神神社も灯篭は並んでいるのですよ。山門にあたる社の前です。

この灯篭の施主ですが、○野村とあって、○の字が読めません。この近辺で○野という地名は潤野という所がありますが、部首でいう偏のさんずいがありません。施主の名前が為右衛門であり、門がまえが略さずに彫られています。でも門がまえだとすると中が王ですから、きっと潤なのでしょうね。だから潤野村が正解かも知れません。

             

神社の後ろはすぐ山、左側は広場になっていて、広場に数本の巨大なクスノキが佇んでいます。

             

有田神社のご神木とまではいかなくても、これらの樹も保護してあげて欲しいものです。

             

明神の反対が権現だそうで、権というのは仮という意味、今読んでる途中の『双調 平家物語』にもそう書いてありました。権大納言などという職は仮の大納言なのだそうです。

ですから、権現は仏様が仮の姿で現れた神様だという、これも理解に苦しむ説明ですね。

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