ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

津荷/荒海渡船

2013-06-19 05:00:00 | 田舎

古座川の状況を見た後、昔よく通った津荷の荒海渡船を尋ねてみようと思い、津荷の港まで車を走らせました。船を係留するのに年間経費を抑えるために漁協の組合員になろうと思っていて、それには漁協の組合員の推薦人が2人要るのです。一人は大島の大裕丸のにいちゃんに了解を得ているのですが、他によく知った人と言えば、若い頃よく通った出雲の谷口渡船のおじいさんか、この津荷の荒海渡船の船頭さんぐらいが顔を覚えていてくれそうです。渡船を利用していたのはもう10年以上前のことであり、谷口渡船のおじいさんはもう亡くなられている可能性があるし、荒海さんならなんとか未だ生きていそうなのです。他によく通った須江のしょらさん渡船の人や樫野の永田渡船のおじさんは、きっともう私のことなど覚えていないでしょう。

             

津荷の港に着くと船は一艘しか係留してありません。未だ動鳴気の漁港にでも避難しているのかも知れません。停めてある漁船は横付けされていたので、避難しなかったのかも知れません。波は漁業に差し支えるほど高くは無く、荒海さんなら漁に出そうなものです。港では誰の姿を見ることはありませんでした。

はたして荒海渡船は未だ津荷に存在するのか、一度姿を確認していますが、もう7年も前のことになります。

             

荒海さんは陸に居る時は親切・丁寧、温和な口をきく人でしたが、一旦沖へ出るとたいそうエラそうで居丈高に物を言う人でした。そのギャップがおかしかったし、客が居ない時は漁に出たり、潜ったり、何よりもあまり釣り人が訪れないのに頑張ってるのが魅力の一つでした。

心配になって荒海渡船を検索すると住所が田原の漁協の近くになっていました。電話番号は変ってなかったので同じ人のものなのは間違いありません。ひょっとすると、田原の宮本渡船が無くなって、それに取って代わったのかと思ったけど、やはり宮本渡船は今でも営業しています。

             

いずれにせよ、津荷の漁港で見つけたのは津荷漁協という文字、串本の和歌山東漁協とは異なった存在なのでした。串本の漁協が和歌山東漁協という名が付いているのも不思議ですが、同じ串本町に有りながら、津荷は津荷漁協、田原は下田原漁協となっているのも不思議です。だからきっと荒海さんを見かけたとしても推薦人になっていただくのは無理な話なのでした。

42号線の下を漁港へと抜けるトンネル、壁には津荷の海の磯の地図が書き込まれていました。

                  gooリサーチモニターに登録!