水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

忘れるユーモア短編集 (29)度忘れ

2020年05月13日 00時00分00秒 | #小説

 別に病気ではなく物事を忘れるときがある。度忘れと呼ばれる状態だ。こうなると、なかなか思い出せないが、長い間、思い出せなかったことが、ふとした弾(はず)みで思い出すことがある。それがどういうきっかけで? かは分からないが、ともかく、とんでもないときに思い出すのである。度忘れとは、そんな完全に忘れるまでには至らない忘れる状態なのである。^^
 とある競技場で老人達による野球大会が行われている。遠い過去にはその名を馳(は)せた選手達だが、奈何(いかん)せん、どの選手も齢(よわい)八十の坂を越えていて、さすがに当時の姿は見るべくもない。
『代走、顎川(あごかわ)、顎川~』
 女性の場内アナウンスがウグイスの声のように響く。
「顎川さん! 代走らしいですよっ!」
「えっ!? 私? 私がなんですって?」
「だから、代走らしいですよ」
「代走? … 代走って、どうやるんでした、ちょっと度忘れしまして…」
「やるもなにも、アソコの塁(るい)に立てばいいんですよっ! あとは、アソコの塁を守っている選手に訊(き)いてくださいっ!」
 ダッグアウトの中でアドバイスした選手は、あんたは度忘れしたんじゃなくボケたんだよっ! と少し怒れたが、口には出さず、思うに留(とど)めた。
 トボトボと走るでなく、かつての名選手、顎川は一塁へと向かった。全員がはやく塁にいけっ! と怒れた。^^
「あの~、私、ここでどうすりゃいいんですかね?」
「アノ塁へ走るんですよ、お忘れですかっ!?」
「えっ!? ああ、まあ…度忘れですよ、ははは…」
 塁を守る選手は、度忘れじゃなくボケだよ、あんた…とは思ったが、言わずに思うに留めた。
 その後も試合にならない代走者は訊(き)き続けたが、幸いにもチェンジとなり、コトは終った。^^
 同じ忘れる状態でも、度忘れとボケは、まったく違うのである。^^ 
  
                                    


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