水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

楽しいユーモア短編集 (76)その先

2019年12月11日 00時00分00秒 | #小説

 その先の結果が分かっていれば、これほど心が安らぐことはないが、かといって楽しいか? と問われれば、必ずそうとも言えないのが、その先である。推理ドラマの醍醐味(だいごみ)は、偏(ひとえ)にこの一点にあり、視聴者をして興味を抱(いだ)かせるのである。恐らく、この男だろう! とかなんとか思わせておいて、実はその男の服を届けたクリーニング屋だった・・などというその先が予想外の展開で終わるドラマもあっていい。意外なその先の結末に、な~~んだ、コメディじゃないかっ! と、思わず笑ってしまう訳だ。^^ まあ、サスペンス自体が気が滅入る設定だから、こんな3の線のドラマも面白いに違いない。^^
 とあるテレビ局のスタジオである。新企画でON AIRされるサスペンスドラマの収録が行われている。
「監督、こんな本で次回分、いいんですかっ?」
「いいじゃないかっ! ははは…その先がっ! 桃警部が飼っている雉(きじ)と猿と犬が犯人を見つけるっていうプロットが実にいいっ!!」
「はあ、確かに…」
 演出のサブで付いている男は、こんな筋立てが…とは思ったが、そうとはとても言えず、小さく頷(うなず)いた。
 意外なその先の展開も観る側からすれば楽しいだろう。^^

                                


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楽しいユーモア短編集 (75)ゆったりとのんびり

2019年12月10日 00時00分00秒 | #小説

 ゆったり・・とは気分が自由で開放されているときに感じる心の有りようを言う。ゆったりすれば、心は束縛(そくばく)されていないから楽しい気分が、『やあっ!』っと、来やすくなる。^^ これが急(せ)いた状況だと、ゆったり感は来にくい。丁度(ちょうど)、いい気候で外出しやすい気分に似通(にかよ)っている。似通っていないかも知れないが…。^^
 田畑が広がる、とある田舎(いなか)である。バッタリ出会った二人の老人が、細い畦道(あぜみち)で話をしている。
「いやぁ~、ゆったりとのんびりは違うでしょう!」
「そうですかな? どちらも似たり寄ったりに思えるんですが…」
「今、こうして話をしている私らは、ゆったりしている訳です」
「そうでしょうな。すると、のんびりとはしていない、ってことになりますが?」
「いや、ゆったりしておりますから、当然、のんびりもしている訳です」
「…ですかな? のんびりしておるから、こうしてお話できるのでは?」
「いや、のんびりしておっても、ゆったりしているとは…」
「言えませんかな?」
「いいえ、同じでしょう。ははは…」
 二人は、顔を見合わせて笑った。話し始めてすでに小一時間が経過(けいか)していた。その近くを通りかかった買い物帰りの一人の農婦は、『あら、嫌(いや)だっ! まだ、あんなとこで話してるわっ! 暇(ひま)な人達っ!』と、二人を遠目に見ながら思った。
 ゆったりとのんびりは、どちらも暇(ひま)なときに訪れる楽しい気分のようだ。^^

                                


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楽しいユーモア短編集 (74)すること

2019年12月09日 00時00分00秒 | #小説

 人は生活する上で少なからず、することがある。そのすること、というのが、実は楽しい気分を害する曲者(くせもの)なのである。厄介(やっかい)なことに、そのすることは目に見えない教唆的な存在で、逃(のが)れられない。人は、それを世の柵(しがらみ)と呼ぶ。することがなく、自由に世を生きられれば極楽だが、そう上手(うま)く人は生きられないように出来ている。これは、いくらリッチ[富裕]な生活をしていたとしても付いて回る。『逃れようたって、そうは問屋が卸(おろ)さない!』っと、纏(まと)い付くのである。^^
 とある財閥の総帥(そうすい)、鴨井(かもい)の大邸宅である。朝から、その邸宅の一室で、鴨井と執事の葱畑(ねぎはた)が話し合っている。
「だから、出ないんだよっ!! 今の私に、他にすることは何もないんだっ! することは、ただ一つ! 食べた物を出すだけだっ! どうにかならんか、君っ!!」
「そう言われましても、ご主人様。そればっかりは…」
 話す内容が汚(きたな)いなぁ~…と思いながらも、そうは言えない葱畑が小さく返した。
「ああ、まあ、そうだが…」
「下剤とか、お試(ため)しなさっては?」
「そんなことは分かってんだよっ! そういうことをしないでっ! することをしたいんだ、私はっ!!」
「はあ、どうも…」
 葱畑は、ふたたび小さく返した。最初の半分くらいの声である。
 要は、することがスムーズにいかないと、楽しい気分には、なれないのである。^^

                                


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楽しいユーモア短編集 (73)物

2019年12月08日 00時00分00秒 | #小説

 物を大事に使えば、いつまででもある。むろん、傷(いた)んで修理できなければそれまでだが、それ以外の部品交換ぐらいで済めば、いつまででも使える・・ということになる。これには、物に対する個人差があり、物の寿命は変化をする。物が傷んだとき、どう思うか、ということになる。消耗品感覚で別の物に買い換えるか、あるいは修理を考えるか、はたまた、工夫して買い足すか・・という三通りの考え方である。別の物に買い換える[仕方がない場合を除く]以外は、まあ、いいか…と得心がいく方法に思える。^^
 一人の男が、とある物を前にして途方に暮れている。
「傷んだか…。前の経験から考えると、修理に出せば高くつくな…。かと言って、この部分の故障以外は別にどうってこともない。ここは、買い足すか…」
 すると、その傷んだ物が口を開いた。いや、その男には口を開いたように聞こえた・・と言った方がいいだろう。
『仕方がないっ! 今回は、あなたの顔を立てて我慢しましょう!』
「んっ!? それをお前が言うんかいっ!」
『そりゃ、言いますよっ! ええ、言いますともっ!』
「ああ、聞こうじゃないかっ! どうだって言うんだっ!」
『まあ、ポイ捨てられるよりは、いいかな…なんてねっ!』
「…そう思ってんだっ!」
 そのとき、男の意識は遠退(とおの)いた。気づけば男はベッドで眠っていた。隣(となり)には、怪訝(けげん)な表情で窺(うかが)う妻の顔があった。
「どうしたの、ブツブツっ!」
 楽しい夢でも見ていたのだろう。その眠りを妨害(ぼうがい)された顔だった。男は昨日、傷んだ物を思い出した。そして、これくらいで済めば、まあいいか…と、安息(あんそく)の息(いき)を漏(も)らした。
 物に対しては、この程度に処すのが楽しい気分を維持できるベストの方策のようだ。^^

                                


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楽しいユーモア短編集 (72)汗

2019年12月07日 00時00分00秒 | #小説

 どういう訳か、汗を掻いたあとの食事や一杯は格別に美味(おい)しい。特にコトを成し終えたあとなら尚更(なおさら)である。加えて、そのあとの楽しい気分を熟成(じゅくせい)させる意味で、風呂でサッパリ汗を流せば、あとの楽しい気分は倍増される。人は、この楽しい気分を求めて、苦に耐えて汗し、働くのかも知れない。もちろん、脳内に汗を掻く頭脳労働もあるが、やはり快適なのは身体を動かして掻く汗だろう。^^ スポーツもよし、ジョギングや筋トレ[筋肉トレーニング]も大いに結構だ。ただ、身体を冷やして風邪を引かないうちに汗は処理したいものだ。^^
 とある公園である。いつもの日課なのか、二人の老人がいつもの時間にいつものベンチに座って話し合っている。
「今日も少し、すっかり疲れましたっ!」
「私も、ですっ! 秋は汗をそう掻かずいいですなっ!」
「ところが、あなた。これが、結構、掻いてるんですよっ!」
「そうですか? さほども感じませんがな…」
「いいえ、掻いてるんです。帰ったあと、風呂かシャワー
をすれば、サッパリするでしょ?」
「はい。そりゃ、まあ…」
「サッパリとすれば、そのあとが楽しい気分になります」
「そうですかな? 私ゃ、それほど感じませんが…」
「いや、楽しいはずです。食べたり飲んだりの気分が違うでしょ?!」
「はあ。そりゃ、まあ…」
「汗を掻けば、人間、楽しい気分になりますっ!」
「いやぁ~、汗を掻けば、気持が悪いでしょ?」
「いやいや、あと処理をすればっ! の話ですっ!」
「はあ、それはまあ…」
「熟成っ! 味噌、酒、それに燻製なんかでもそうでしょ!?」
「はあ、確かに…」
「汗は楽しい気分を熟成させる過程[プロセス]になるんですな…」
「そうなんですか…」
 すっかり丸め込まれた老人は、もう一人の老人の顔を見ながら頷(うなず)いた。
 汗が楽しい気分を熟成させるかどうかは別として、汗を掻けば、身体(からだ)の新陳代謝(しんちんたいしゃ)を促(うなが)す効果があり、健康にはよいそうだ。^^

                                


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楽しいユーモア短編集 (71)自然体

2019年12月06日 00時00分00秒 | #小説

 意気込まないで自然体でコトに処せば、割合とスムーズに、そのコトは成就(じょうじゅ)するから不思議だ。お相撲の立ち合いなどを観ていると、お相撲さんの仕切(しき)りにそれが見て取れる。制限時間いっぱいとなり、行司さんが「待ったなしっ!!」とか「手をついてっ!」などと渋い声で窘(たしな)め、いざ! 立ち合いになったとき、二人のタイミングが合わない場合がよくある。当然、[待った!]ということになり、仕切り直しとなるが、先に突っかけたお相撲さんは、気走りし過ぎで自然体を忘れたことになる。もう片方のお相撲さんは自然体で土俵に臨(のぞ)んでいるから、よく状況が見える訳だ。で、バシッ! っとやる。その結果、『突き落とし、突き落としでホニャララの勝ち』とかの場内アナウンスになる訳だ。^^
 今年最後の大相撲が行われている国際センター会場である。
 アナウンサーが相撲解説者に訊(たず)ねた。
「すると、やはり勝気(かちき)が邪魔をしたと?」
「その通りですっ! やはり自然体! 自然体で臨むことが大事ですっ! 下手(へた)に考え過ぎれば、こういう負けになりますよね」
「なるほどっ! 大熊(おおくま)の毛深さ勝ちですね?」
「毛深さ? 上手いっ! ははは…大熊だけに、毛深いですか?」
「はい、まあ…」
「アナウンサーもダジャレを言うんだっ!」
「ええ、自然体ですと、ついっ!」
「では、私も。鮭川(さけかわ)は自然体の大熊に掬い取られた訳です」
「上手いっ! 鮭川だけに、掬い取られましたか?」
「ははは…そうです。掬い投げで」
 いつの間にか解説は相撲を離れ、ダジャレ合戦の様相(ようそう)を呈(てい)していた。
 自然体でいれば、ついつい楽しい気分になり、ダジャレなどが飛び出すようだ。^^ 

                                


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楽しいユーモア短編集 (70)負担(ふたん)

2019年12月05日 00時00分00秒 | #小説

 同じ楽しいことでも、度重(たびかさ)なれば、負担(ふたん)となって楽しくなくなる。楽しいという状況には、心が開放されていて、自分の意思で自由に物事が出来る・・という条件が付く。好きなことでも負担となれば、楽しいどころか、逆に苦になるのである。こういう心にさせるのが私達の目には見えない魔と呼ばれるもので、地獄へ落ちていただくしかない教唆(きょうさ)犯と呼ばれる存在なのである。この負担にさせる目に見えない存在は、目に見えない以上、人間の警察では捕(とら)らえることは不可能で、冥府(めいふ)十三王庁で逮捕してもらうしかないだろう。^^
 深夜に及ぶ残業をしている、とある会社の課内である。誰に強制された訳ではないが、一人の社員が懸命に仕事をしている。
「負担は嫌(いや)だが、これもカミささんに怒られるよりはいいか…。先月も、『あらっ! 少ないわねっ!』って、こうだもんなぁ~」
 どうも、負担を感じながら、仕事の実績を上げることで給料アップを目論むんでいる節(ふし)がなくもない。すでに時間は深夜の10時になろうとしていた。そのときである。課のドアがギギィ~~っと不気味(ぶきみ)な音で開き、懐中電灯を照らしながら一人の警備員が入ってきた。
「なんだっ! 手羽崎(てばさき)さんでしたか…。お疲れさまです」
「あっ! これは警備の登坂さんっ!」
 手羽崎はギクッ! として振り向き、驚きの声を出した。
「そういや、お家(うち)を新築されたようで…」
「それそれっ! そうなんですよ、登坂さん。なにせローンでしょ! 負担がねっ!」
「それで、残業ですか…」
「ええ、まあ…。なにせ、コレを持って帰らないと、女房(にょうぼ)がっ! ははは…」
 手羽崎は手の親指と人差し指で円を作って笑った。
「大変ですなぁ~」
「その負担に比べれば、コッチの方が楽ですよ、ははは…」
 二人の笑い声は、深夜の暗い課内で不気味に響き渡った。
 楽しい気分を味わうためには、負担が付きものなのである。^^ 

                                


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楽しいユーモア短編集 (69)雲の形(かたち)

2019年12月04日 00時00分00秒 | #小説

 四季を通じて言えることだが、空に浮かぶ雲の形(かたち)をジィ~~っと眺(なが)めていると、いろいろな物や動植物が見えてくる。自動車やオートバイは危険だからなんだが、燃料の必要ない自転車で走ったり歩いたりしていると、ついついそんなことを感じるのである。あんたっ、暇(ひま)だなっ! …と思われる方もお有りだろうが、それもそうだから、敢(あ)えて否定はしない。^^ 否定はしないが一応、お読みいただきたい。^^
 行楽の秋、ハイキングを楽しむ二人の若者が小道を歩いている。小道の周辺には秋の色づいた樹々(きぎ)がなんとも言えない風情(ふぜい)を醸(かも)し出している。その景観の上空には、青空に浮かぶ様々な雲の幾つかが、ゆったりと流れている。
「おいっ! あの雲の形、お前にそっくりだなっ!」
「…そうか? 俺はあんなに太ってないぜ…」
「いやいやっ!」
「そうか!? 以前は75以上あったが、今は70そこそこだぜっ!」
「… ああ、そういや、そうだな。前の姿か…」
「ああ、確かにっ! 前はあんなメロンパンだったかもな…。あっちの鰯雲(いわしぐも)は、お前そっくりだぜっ!」
「俺は今、あんなに痩(やせ)せてねぇ~よっ!」
「…かっ! やはり、前の姿だ…」
「ああ、退院した頃だな…」
 やがて、広い草原へ出た二人は、腹が減ったのか腰を下ろし、楽しい気分で持ってきた握(にぎ)り飯(めし)を食べ始めた。二人の上には、お握り形の白い雲がポッカリと二つ浮かんでいた。
 雲の形を愛(め)でるゆとりがあれば、楽しい一日が過ごせるようだ。^^

                                


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楽しいユーモア短編集 (68)古いもの

2019年12月03日 00時00分00秒 | #小説

 大掃除をしていて、使わずに忘れていた古いものが出てきて楽しい気分になることがある。オオッ! …と手にし、ついついその頃の懐(なつ)かしい記憶に浸(ひた)るものだが、そうした力を古いものは秘めている。古いものの記憶が遠退(とおの)いたり忘れることで差し障(さわ)りが起きることを人は故障と呼ぶ。味に風味(ふうみ)をつける香辛料(こうしんりょう)のコショウではない。^^ 古い神社仏閣を巡れば、自然と心が癒(いや)されるのは医学で解明できない妙な効果だが、古いものから放出される感覚的な力ではないか? と、私は欠伸(あくび)をしながら今、思ったところだ。^^
 快晴に恵まれた行楽の秋の一日、大勢の観光客が古都を訪れている。その中に一人、鹿と話をしている奇妙な男がいる。鹿語などあるはずもなく、観光客はこういう人にはかかわらない方がいい…とでも言うかのように、男を避(よ)けて通る。
「すると、何ですか? ここの芝は古くからあなた方がっ?」
『ええ、そらもう! なにせ今の時代、刈り取りを業者に委託すれば年間、百億以上かかりますからなぁ~』
「なるほどっ! 立派な公務員って訳ですね」
『ははは…そんな、いいものでは』
「いやいや、ご謙遜(けんそん)をっ! 古くからのご勤続でっ!」
『ははは…古いものですか?』
「ええええ、そらもう! 十分に古いものです」
 一頭と一人は楽しい気分で笑いあった。鹿も楽しいときは笑うのである。^^
「まあ、お煎餅(せんべい)など…」
『あっ! こりゃ、どうも…』
 その光景を観光で来た一人の小学生が見ていた。
「ママ、あの人、鹿とお話してるよっ!」
「シィ~~! 大きい声で言わないのっ! ああいう人は怖(こわ)いんだからっ!」
 母親は近づかないよう、子供を遠退(とおの)けた。
 楽しい行楽の風景が古いものいっぱいの奈良公園の一角(いっかく)に広がる。古いものに憧(あこが)れ、楽しいレトロ[懐古(かいこ)]気分に浸(ひた)る外人観光客が多いのも道理である。^^ 

                                


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楽しいユーモア短編集 (67)至福(しふく)のひととき

2019年12月02日 00時00分00秒 | #小説

 人は至福(しふく)のひとときを楽しみに働く。誰も苦しみたくはない訳だ。^^ ただ、至福のひとときを得るためにはお金が必要となる。そのお金を手に入れるため、懸命に汗し、怒られても耐え忍んで働くのである。その結果、お金が手に入り、誰に憚(はばか)ることなく楽しい至福のひとときを持てる・・と、まあ話はこうなる。^^ この至福のひとときを持てるには、いくつかの条件が必要となる。まず[1]として、前述した働く・・ということだが、働くには働ける場が必要となる。さらに[2]として、働く場があっても本人にそこで働く気持がないとダメである。[3]は働いてお金を得たとしても、至福のひとときを得る方法を知らなければ得ることはできない。ただ、知り過ぎは溺(おぼ)れるからいいとは言えないし、何もしないで至福のひとときだけを得ている人は論外と言える。^^
 薄暗くなったとある川沿いの屋台である。赤提灯に照らされ、勤め帰りの三人の客がオデンを肴に一杯やっている。
「今日の演技は疲れました…」
「ああ、寒かったからなぁ~」
「あなたは若いんだから頑張らないとっ!」
「はいっ!」
 先輩の女性にダメ出しされた若手の俳優は、萎(な)えて素直に頷(うなず)く。
「でも、この至福のひとときが、なんとも堪(こた)えられないんですよねぇ~~」
「そうだよ、君っ! そのために僕らは演技して働くんだよっ!」
「ワァ~~!! どこかでお見かけしたと思ったら、テレビで観た方だっ! 観てますよっ! あの番組のファンなんですっ! 来週が最終回でしたよねっ! 私、あの番組を観るのが至福のひとときなんですっ!!」
「有難うこざいますっ!」「有難うこざいますっ!」「有難うこざいますっ!」
 二人の男優と一人の女優は、同時に声を出した。
「これ、ほんの私の気持で…」
 屋台の親父は、皿にオデンを数個づつ追加した。三人はにっこりと無言で頭を下げた。
 こういう至福のひとときは、実にいいですね。^^

                                


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