(単純な「格差是正」だけが正義ではない)
「福祉」は大切なものです。「福祉」は、一般的には個人や社会の「幸福の増進」であり、障がいのある方や高齢者など、社会的弱者への「援助」という側面もあります。心に寄り添う優しさを決して否定しているのではありません。
しかし、「福祉」という言葉が、「大きな政府」を正当化するために使われ、国民が共産主義・社会主義のもとで「奴隷の自由」を手にしたとしても、それは神の目から見た人間の幸福ではありません。また、「格差是正」を絶対的な正義として、富の再配分を行うことも、神の願われる政治的正義ではありません。
単純な「格差是正」だけが正義だとは、私は思いません。「智慧」が介在しなければ、その「格差是正」もプラスにはならないのです。
「何らかの補助を与えられれば、再び立ち上がることができる人たちには、何らかの補助を行い、チャンスを与えていく」という努力は、していったほうがよいと思います。
しかしながら、「『どのように働こうとも、あるいは働くまいとも、結果において、全部を同じに扱う』という社会、要するに、共産主義の理想のような社会をつくったら、それは“人類の終わり”だ」と考えています。
「チャンスに満ちた社会」をつくることこそ、福祉の原点だと思います。成功のチャンスが平等に与えられ、また、どんな立場の人でも挑戦するチャンスがある社会が理想です。しかし、「政府からの補助」ばかりを求めていると、税金は際限なく上がり、規制は増え、社会から活気や幸福感が失われます。
政府からの支援・補助・手当だけが「福祉」ではないはずです。減税で家計が楽になること、給料が上がること、働き口があること、家族・親戚内で成功者が出ること、企業が利益を元手に障がい者雇用や奨学金にあてること、弱者救済にあてること、刻苦勉励で成功した個人が出身校に寄付をして教育サービスが拡充されること、地方自治体が民間経営を取り込んで町おこしに成功すること――国民が主役となり、自由を拡大する方向で、福祉の増進を考えていかなければなりません。
国民を貧困から救うことは、国家の大きな目標の一つであることは間違いありませんが、それは、税金による補助や政府による手当ではなく、雇用の創造、成長企業の創造、基幹産業の創造を通して実現していくべきです。
共産主義、社会主義、福祉国家の理想を乗り越えて、自助努力からの繁栄が道を開くべきであると考えるのです。
---owari---
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