(繁栄の国づくりを目指す)
日本は、2010年には中国にGDP世界第2位の座を奪われました。2050年には、さらにメキシコやインドネシアにも追い抜かれ、世界第7位に転落するとの予想も出されているようです。こんな日本の未来は、断じて受け入れることができません。
今こそ、日本から繁栄のために、新しい国家戦略を打ち立てようではありませんか。それによって、日本を豊かにするのみならず、世界の平和と繁栄に貢献することもできます。
地球儀を俯瞰すると、太平洋の向こう側では、米国のトランプ大統領が神から与えられた自由を掲げ、「減税」「規制緩和」「産業の国内回帰」に奮闘する一方で、日本海と東シナ海を挟んだ中国では、習近平国家主席が「新時代の社会主義思想」を大きく掲げ、14億超の人口を盾にして、日本、朝鮮半島、東南アジア、極東ロシア、インド、中東、アフリカ、ヨーロッパを呑み込もうと画策しています。
日本は、自由からの繁栄を目指す米国と、新しい社会主義による覇権拡大をもくろむ中国に挟まれていますが、思想的にも外交的にも「二股」をかけている状態です。これは実に情けない状況です。
日本と中国は、歴史的にも互いに影響し合ってきました。また、戦後の日本の政財界は、中国の発展のために尽力してきました。しかし、豊かになった中国は、毛沢東思想を中心に据えた覇権主義の拡大を止めることなく、日本や米国が築いてきた自由と民主主義と信仰心を基調とする世界秩序に挑戦しています。このままでは、ヒトラーのナチス、スターリンのソ連をはるかにしのぐ影響力で、宇宙にまでその覇権がおよぶ日もそう遠くはないでしょう。
最近では、トランプ大統領が2月の一般教書演説で、「米国は、政府による強制や支配、統制ではなく、自由と独立の上に築かれた。我々は生まれながらに自由で、自由であり続ける。米国は決して社会主義国にならない」と断言しました。
また3月に行われた保守党の政治集会でペンス副大統領は、サッチャーの「社会主義の問題は、結局、他人のお金を使い果たしてしまうこと」という言葉を引きながら、「米国が社会主義国になった瞬間、米国は米国ではなくなる瞬間だ」と述べ、社会主義を重ねて批判しました。
日本も、社会主義では国は繁栄できず、国民は幸せになれないことを知らねばなりません。経済的に豊かになり、独立した主権国家としての自覚を持って国力を倍増、十倍増させることが、世界の平和と繁栄にとっても大きな鍵なのです。
国内の社会主義的な経済政策、中国の覇権主義を黙認するような外交・国防路線とは決別しなければなりません。「小さな政府を」を志向し、減税や規制緩和によって、製造業を呼び戻し、最先端の技術開発と新しい基幹産業の育成で経済を活性化していく必要があります。外交と国防でも存在感を強め、これからの国家戦略の柱にすることができれば、日本は再び、輝いていくことでしょう。
今年4月に施行された「働き方改革法」で残業規制が導入されるため、その対応として中小企業が新たに従業員を雇った場合、厚生労働省が最大600万円を支給するという報道がありました。まるで、そのうち中小企業も国営化するかのような動きではありませんか。
繁栄の国づくりの核は、国民一人ひとりです。その国民の総意の現れが政治となり、その国の未来をつくっていきます。
日本では今も「ゆりかごから墓場まで」の夢がさめぬまま、「北欧型福祉国家」が理想像として盛んに取り上げられます。しかし、所得の半分以上を国に吸い上げられて本当にいいのでしょうか。
英国は1980年代の後半に入ると、自立心がなく、国家に依存する人々が大きな問題になり、福祉国家どころか「乳母国家」(nanny state)と言われたこともありました。「大きな政府」は必ずと言っていいほど国民の堕落を招くことは、歴史を見れば明らかです。
そして、努力しなくていい国は、人間の尊厳を捨てさせるのです。戦後の日本も、米国に依存し、「平和憲法」さえ守ればいいという甘えが続いた「半主権国家」でした。
日本は今こそ原点に立ち返る時でしょう。
自分は何ができるのか。どのような国を理想とするのか。
私は「努力即幸福」の国づくりこそ、未来へと続く繁栄の大道ではないかと思うのです。
読者の皆さまには、それぞれの政党が、どのような国家戦略を掲げているのか、その奥にはどういう政治哲学があるのかを見極めていただきたいと思います。――この章は終わりです。
---owari---
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