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国とは何か、国づくりとは何か ④

2018年04月12日 | 政治・経済

(国を奪われるとはどんなことか)

「国をつくる話」をしたから、次は「国を奪われる話」をしてみよう。日本はその経験がないから、どうしても見方が甘くなる。

 

最初にホー・チミンの言葉を紹介しよう。

フランスがベトナムの王侯国に対して何をしたかの歴史は省略して、ベトナムの人々は第二次世界大戦後、敗戦で引き揚げていく日本軍のあとを引き継いで独立宣言をするが、フランスは委細かまわず軍隊を送り込んだ。私に言わせれば、独立国に対する侵略戦争だが、フランスは反乱軍の鎮圧だと称した。

 

さて、ベトナムの人は勇戦敢闘してフランス軍をディエンビエン・フーの盆地に追いつめる。全滅を目前にしてフランス軍は原爆使用を口にするが、そのときホー・チミン大統領はこう言った。

 

「原爆は恐くない。一発につき何万人かが死ぬだけだ。しかし、国を奪われたらどうなるか。我々は永久にすべてを奪われる。精神の自由も肉体の自由も奪われる。我々は国を守るためには原爆を恐れない」

 

それが本気だとわかってフランスは原爆を使用せず、ベトナムの再支配をあきらめた。また、それが前例となってアメリカもベトナム戦争のとき約10万人の損害を受けたが、それでも原爆は使用しなかった。

 

では、国を奪われるとどうなるのか。人権などまったく無視されていた時期の話は他の書籍に譲るとして、ある程度合法的に行われるようになった時期からの例で、一番穏やかなハワイの話をしてみよう。

 

念のため繰り返しておくが、これは一番穏やかな例である。

ハワイはもともと独立国だった。カメハメハ一世、二世、三世、四世、五世といて、最後はリリウオカラーニという女性の王様だったが、彼女を刑務所に入れてアメリカが国を奪ってしまった話である。

 

1968年ごろ、ワイキキの浜は多くの人が泳いでいたが、ダイヤモンドヘッドを越えて、さらに奥へ行くとほとんど人が住んでいない風光明媚な未開地があった。そこにディベロッパーが土地造成をして、1区画1エーカーで、少し小さい区画は二分の一エーカーで、販売していた。日本の住宅は十五分の一エーカーぐらいなので、その広さに驚いたものです。

 

業者の案内では「今は日本人でも買えるようになりました。どうか買ってください」と言っていた。その意味は、「この辺は、有色人種は土地を買ってはいけない、白人でなければ買えないという規制があったが、今はもうありませんから、どうぞ買ってください。きっと値上がりします」ということだった。

 

国を奪われるとそうなる。もともとハワイにいたハワイ人は、その辺の土地を買えなかった。そんなバカなことがあるかと思うが、国を奪われてハワイ州になると、政治は白人が押さえてしまって、ハワイの原住民は立入禁止、所有禁止という場所をつくってしまうのである。

 

(支配者は原住民を学校へ行かせない)

その後、相撲では小錦全盛時代というのがあった(1989年に大関昇進)。その小錦の生まれた村は、ワイキキの浜からホノルルの街を越えて、パールハーバーを越えて、そのまた向こうの田舎だが、そこが原住民居住指定地なのである。インディアンと一緒で、国を奪われると「ここへ住んでいろ」と無理やり押し込められる。

 

しかも、支配者は原住民を学校へ行かせない。字を覚えると厄介だからで、これは世界共通である。

 

唯一の例外が日本で、韓国に小学校を建てた。日本から金を持っていって、日本の金で建てて、日本人の先生も派遣して、ハングルなどを教えた(日本語を強制したというのは、ずっと後の話である。正確に言えば、強制しなくても、向こうから日本語を覚えたいと言った)。これは高齢の韓国人はみんな知っていることである。韓国では文字は支配階級のヤンバンが独占していた。庶民には教えなかったし、読ませなかった。特に女性は許されなかった。

 

それはともかく、その小錦の出身地の村へ行くと、レストランがいくつかあった。小錦のおかげで日本人観光客が来ると喜んでいる。給仕に出てくるボーイがみんな大きいので、「小錦とそっくりだね」と言ったら、「そうです。この村の男はみんな大きい。私は子供時代、小錦とよく遊びました」。「それならあなたも日本へ行ったらどう?」と言うと、「いや、小錦は我々の中でも特別強かった、自分が行ったからって、とても成功するとは思えない」。

 

そんな話のあと、これから日本人相手にいろいろな商売をしたいが、自分は計算ができない、字が読めないと言うのである。

 

「我々は学校へ行ってはいけないのです」「それは昔でしょう。もう今は自由化されたはず」「ええ、自由化されたのですけど、学校へ行ったら嫌われます。のけものにされます。いじめられるので不登校児にならざるを得ません。どうしていいのかわかりません」。

 

国を奪われると、自分の国なのに、押し込められて暮らさなければいけない。学校で勉強してはいけないと言われる。自由化されても差別される。そのかわり支配国がアメリカの場合は、生活保護を浴びるほどくれる。だから働かなくても食べていけるという愚民になる。

 

南洋群島は軒並みそうなった。アメリカは援助づけ、生活保護づけにした。朝から晩まで何もすることがない。食料だけは腐るほどアメリカがくれる。暖かいから衣料品はそう要らない。「日本時代と比べてどうか」と聞くと、「いやあ、あのときは勉強して、働いたものだ」。

 

ここで言いたいことは、日本人は食べ物が欲しければ働けと言ったのである。しかも、こういうふうに働けと自分がやってみせて教え、できたものは買い上げた(=開発輸入)。他に生きる道はないので、一生懸命働いて売ったら気持ちが良かった。ところが、アメリカは働く前にくれてしまう。それで、とめどもなくダラけてしまう。

 

さて、このように生活保護や援助をもらって、寝て暮らすのが幸せかどうか。日本は今や要請主義のODAではなく、日本式のODAを考案し実行すべきときにきている。

 

少しさかのぼって1980年ごろ、“小錦村”のもっと先のところでは、アメリカの老人がリタイヤしてマンションを買い、あとは年金で暮らしているシルバー専用のリゾートタウンがある。

 

景色のいい村はずれ、何もないところにマンションがポンと建っている。そこにいるのは白人ばかり。老人たちは退屈で仕方がない。ハワイのオアフ島の人種分布を見ると、一番繁華街のホノルルには白人がいて、そこを追い払われた原住民がまわりにいて、そのまた向こうの景勝地に白人が住んでいる。

 

白人はそもそもハワイへ来たときは、「おまえらに文明を教えてやる」と言った。その文明の力で略奪をした。ところが今は、略奪をした相手のさらに奥へ住んで、文明から離れた自然に親しむ生活をするとは皮肉な話である。

 

最終第5話へ続く

 

---owari---

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