このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

国とは何か、国づくりとは何か ⑤(最終話)

2018年04月13日 | 政治・経済

(国を奪われたハワイの歴史)

「ハワイ王朝最後の女王」(文春新書)という猿谷要・東京女子大学名誉教授が、ハワイ最後の女王リリウオカラーニの一生を書いた本がある。

 

その本に詳しいが、簡単に言えば紀元前400年ごろ、マルキーズ諸島から人々がハワイに移住して来た。その前は無人島、少なくとも遺跡が見つからない。それから西暦1000年ごろ、タヒチからポリネシア系の人がたくさん来て住むようになった。

 

さて、1795年、カメハメハ一世がハワイ全島をほぼ統一する。この頃のハワイは人口30万人の豊かな国だった。

 

ところが、1873年(実はこの頃から文明開化するのだが)の人口はたった5万人である。100年間で30万人が5万人に減ってしまう。これは白人の持っている病気が伝染して死んだという説があるが、もしかしたら白人が意図的に病原菌を武器として使ったかもしれない。天然痘をインディアンに使ったという話を読んだことがある。オーストラリアのアポリジニに対しても使ったと言われている。

 

さて、この間の歴史をざっと追ってみよう。カメハメハ一世が王となって後、1820年に最初のニューイングランド宣教師団が来島する。最初に牧師が来るのが彼らのやり方であることを覚えておいて欲しい。日本で言えばフランシスコ・ザビエルである。もちろんキリスト教の教えを説くのだが、もう一つ、珍しい外国文化を持ってくる。すると好奇心で教会へ行く。まず文化攻撃というか、文化宣伝をするのである。

 

(ハワイの周りへ迫ってくるアメリカ)

1854年にカメハメハ四世が即位する。その頃アメリカは1867年にアラスカとアリューシャンをロシアから買っている。それからハワイを飛び越して、ミッドウェー群島を領有する。ハワイの周りへひしひしと迫ってくるわけである。

 

少しさかのぼるが、アメリカ人は1850年、ハワイで白人にも土地を買わせろと運動して土地所有認可をとる。そしてアメリカ人が大地主になり、サトウキビを植え、労働者として中国人を入れる。自分が汗して働く気はないのである。

 

さて、1863年、つまり今から155年前だが、アメリカは奴隷解放宣言をする。これは世界的に見るとずいぶん遅いのだが、奴隷解放宣言をしたことが自慢でしようがないらしく、75年にはアメリカ国内で「ハワイはまだ奴隷制度を続けている」というキャンペーンが張られる。「ああいう国は解放してあげなければいけない」とは、フセインのイラクと同じだ・・・・・と気づくが、そんな言説が盛んになる。

 

しかし、その奴隷制だと攻撃する話の中身は、アメリカ人が地主になって、中国人労働者や日本からの集団移民をこき使って、砂糖をつくっている話で、それならば悪いのはアメリカ人自身である(ただし、ハワイ王国がそれを認めていたのは、多分リベートを取っていたのではないかと推測できる)。

 

余談だが、世界中で絶対に奴隷にならなかった民族がふたつある、とアメリカの本で読んだことがある。他はみんな奴隷になったが、絶対にならなかった民族は二つだけで、一つはアメリカインディアン、もう一つは日本人だと書いてあった。

 

アメリカインディアンはなぜ奴隷にならないかというと、捕まえてきて監禁すると、仲間が命がけで助けにくる。本人も名誉を守って自殺する。奴隷として使えないから、アフリカから黒人を連れてきたと書いてあった。

 

日本人も奴隷にならない。我々は奴隷にならなかったことは当たり前だと思っているが、国際的な物の見方をすれば大変珍しい民族なのだそうだ(・・・・・ところが最近は、拉致された日本人を日本国は助けにいかない。日本はインディアンに学ばなければならない)。

 

(平和外交かなわずハワイは奪われた)

アメリカ人がたくさん居住して団結し、時には武装して着々とハワイ王国の政権に食い込んでいくとき、ハワイの人たちは憤慨して武力蜂起しようとする。しかし、最後の女王となったリリウオカラーニは穏やかに話し合いでいこうとそれを止めて――これが島国のやり方だが――ワシントンへ行って民主党のクリーブランド大統領と話し合う。その時点では多少成功したが、米国は大統領が変わったらすべてがご破算である。

 

はかない人生の物語としては美しいが、国際外交という点で言えば、彼女の外交は余りにも平和外交だからハワイは奪われたと言える。

 

ハワイはきちんと主張したり、反撃したりすべきであった(これは今の日本に通ずる)。「奴隷制度の国だ」と言われているときに、すぐに反論しておかなかったので、「ハワイの民主化」というスローガンが力を得て、そのままズルズルと干渉を受けていくことになった。

 

1884年、このころまでに白人財閥が成立し、経済を取られてしまう。つまり、最初に文化で押さえられ、宗教で洗脳され、さらに行政制度のような文明で押さえられ、次に経済界を押さえられるという順番が、国を奪われるときのいつもの順番である事を知っておいていただきたい。

 

ハワイ人の政治組織も生まれてくるが、アメリカは王権の弱体化を図る憲法を押しつけ、自主独立を奪っていく。

 

女王は自分で新憲法を一生懸命つくるが、「これを発布する」と言うと、在留アメリカ人たちは反対し、新憲法は嫌だとアメリカ公使に言いつけ、ついには海兵隊が上陸する。

 

彼女はクリーブランド大統領に直訴する。この人は話がわかる人で非を認めるが、結局アメリカ人ドールを首班とする勢力が臨時政府の成立を宣言して、「ハワイは独立国で我々がその政権を握っている。我々はアメリカ大統領の言うことを聞く必要はない。ハワイは別の国である」と主張して、ハワイ共和国を本格的に樹立し、ドールが大統領となる。アメリカ大統領の仲介も受け付けない(本当は下でつながっていたことも予想できる)。

 

ハワイ人王党派はそのときになってようやく武力決起するが、鎮圧されてしまう。その結果、女王はドール大統領に対する反逆罪で、逮捕、幽閉され、「廃位します」という書簡にサインをさせられてしまう。

 

そのうえ有罪だと言われて重労働5年。さすがに8カ月間幽閉されただけで仮釈放されるが、そのような経緯でハワイ王国は消滅である。幽閉された女王は『アロハ・オエ』という有名な曲を作詞作曲したが、悲しいメロディなのはそのせいである。 

 

清水馨八郎氏が書いた『破約の世界史』(祥伝社刊)によれば、そこはこのように表現されている。

 

1897年、アメリカのハワイ王国の奪取は、明らかに一方的な侵略である。当時ハワイには日本人移民が2万人余(当時の島の人口の半分)を占めていたが、アメリカ人は約7000人で、日本移民の三分の一にすぎなかった。

 

アメリカ人は額に墨を塗ってハワイ人に化けてクーデターを起こし、王制を倒し、内乱をでっち上げ、これを鎮圧すべく、アメリカ軍艦ボストン号を派遣し、そこから陸戦隊を上陸させた。そしてこれを制圧すると女王を退位させ、ハワイ諸島に仮の共和国政府をつくり、その後でアメリカに併合してしまったのである。

 

 

付け足しておけば、ハワイ女王は、日本移民が多いのだからと、明治天皇に援助を求めたが、当時の日本にはそれに応える力がなく、断ってしまう。軍艦「浪速」を派遣したが、その目的は日本人保護に限るとされたので、艦長・東郷平八郎は何もせず沖合で傍観するのみであった。

 

(ハワイから得られる教訓とは)

さて、以上ハワイが自分の国を失う話から、どんな教訓が得られるだろうか。

文化侵略に注意せよ。話し合い主義はダメ。自国の中にも内応勢力がいる。かねて頼れる同盟国をつくっておくべきだ。日本は逃げる国で頼りにならない。しかし、実力がないのなら仕方がない。島国は鎖国が一番。砂糖の利益に目がくらんだ自分が悪い。併合されたが思ったより悪くなかった。いや、やはり悪かった。今はアメリカ人のほうがハワイの生活をマネしはじめた――その他いろいろ。

 

さて、以上は何もハワイの話だけをしているのではない。今の日本についてもあてはまるし、独立への道を歩み始めた台湾についてもあてはまる話をしているのである。台湾と日本の関係についても示唆多き歴史的教訓だと思っている。

 

沖縄を守っている日本の自衛隊は、同時に間接的ながら台湾も守っている。台湾を守っている台湾の軍隊も、同じく同時に日本を守っている。この関係に注目した議論が、日本の中にも台湾の中にもないのは実に不思議なことである。

 

中国本土の膨張主義に位負けしたり、呪縛されたり、自主規制したりと、その理由はさまざまだが、ともあれ議論がないのは、両国とも自主独立の精神が不足しているのである。

 

今後、日本と台湾の国民が意見交換を行い、実りある討論が行われることを期待したい。

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国とは何か、国づくりとは何か ④ | トップ | 生けているだけで幸せです(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治・経済」カテゴリの最新記事