「作戦の細かいことは竹中半兵衝から伝える。そうだ、この際、竹中半兵衛をおれの軍師とする。また、山内一豊を黄母衣衆(きぼろしゅう:豊臣秀吉が馬廻から選抜した武者で、武者揃えの際に名誉となる黄色の母衣指物の着用を許された者)に任命する」
と急に思い立ったように告げた。
と急に思い立ったように告げた。
座はどよめいた。それは竹中半兵衛が軍師になっても不思議ではない。事実、今まで正式なポストではなくても、そのような仕事を半兵衛はずっと続けてきている。座がどよめいたのは山内一豊の黄母衣衆任命である。
母衣衆というのは大将の連絡将校で、最も信頼の厚い者が任命される。エリートといっていい。したがって、頭脳明晰でテキパキと論理を組み立て現状のキャッチも素早く行い、大将からの命令を前線に告げ、同時に、
「作戦全体の進行管理」
を行う責務を持っていた。
「作戦全体の進行管理」
を行う責務を持っていた。
このポストに就けられると立身出世は間違いない。だから、だれもがなりたがった。母衣というのは背中に背負った布の袋をいい、これに色がつけられていた。黒・赤・青・黄の染色によってそれぞれ、黄母衣衆とか赤母衣衆とか呼ばれた。
山内一豊は黄母衣を背負うことを許されたのである。これは秀吉が信長とは違った人事方針を持っている証拠で、
「母衣衆には、機転の利く者よりもむしろ誠実におれの命令を前線に伝え、また自分の見たままを正確に報告する者がふさわしい。それには一豊が一番適任なのだ」
と思っていた。
「母衣衆には、機転の利く者よりもむしろ誠実におれの命令を前線に伝え、また自分の見たままを正確に報告する者がふさわしい。それには一豊が一番適任なのだ」
と思っていた。
---owari---
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