「伊右衛門様は天下人はおろか、一城の主、一国の主にもなりえないお方だ。わたしはそれでいいと思っている。しかし考えてみれば、わたしのほうも伊右衛門様を城の主や国の主に押し上げるカがないのかもしれない。ねね様はさすがだ」
と千代はしみじみ感じた。
千代が城を去るときに、ねねがそっと近寄ってきて囁(ささや)いた。
「近くまた、千代様のお知恵を借りることがありますよ」
「え、何でしょう?」
そうきく千代に、ねねは悪戯(いたずら)っぽい目をして笑った。
「それは後日のお楽しみ。今証(あかし)しを探しているところですから」
意味ありげに笑った。千代には何の詰かわからなかった。ねねはさらに、
「この話は後のお楽しみ。そうだ、今度は前田まつ様もこの城にお呼びしますから、そのときはぜひ、まつ様に会ってくださいね」
そういった。
名を聞いて千代は、ああ、あのまつ様かとすぐわかった。前田まつというのは、秀吉の先輩だが今は完全な親友になっている前田利家の妻のことだ。一豊の話では、
「今度の合戦では前田利家殿は鉄砲隊の指揮をお執(と)りになる」
といっていた。
「鉄砲隊?」
千代は聞き返した。一豊は大きく頷(うなず)いた。目を輝かせ、
「大殿が南蛮から新しくお買いになった鉄砲を、美濃や堺で大量にお作らせになった。今度の合戦では足軽にお撃たせになる。前田様はその指揮をお執りになるのだ。戦いの方法が新しく変わるよ」
一豊は誇らしげにそういった。
まるで自分がその鉄砲隊長になるような口ぶりだ。しかし、千代は一豊のこういう性格が好きだ。他人が手柄を立てたり、高い地位に就いたり、あるいは新しい仕事に生命の燃焼感を感じるのをわがことのように喜ぶ。
決して、
「畜生、おれがなりたかった」
なぜとはいわない。根が純真なのだ。子供のような心を持っている。千代にはそれが好ましい。
しかし、同時にその性格が千代に、
「伊右衛門殿は三流以上の人物にはなれない」
と思わせるゆえんなのである。が、千代はそれでいいと思っている。つまり一豊が自分の少ない能力を出し惜しみせずに、精一杯燃焼させて主人のために尽くしてくれれば、それがこの世に生きる武士の責務だと思っているからだ。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます