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(首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇)
① ""首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇””
2019年10月31日 15時29分 首里城火災
🏯🔥 31日未明、那覇市にある「世界遺産」の首里城跡に復元された首里城で起きた大規模な火災は、11時間後の午後1時半に消し止められました。この火災で「正殿」など中心的な建物がすべて全焼し、警察と消防は近く現場検証を行うなどして、詳しい出火原因を調べることにしています。
31日午前2時30分すぎ、那覇市首里当蔵町にある首里城で、異常を検知するセンサーが作動し、駆けつけた警備員が「正殿」の内部から煙が上がっているのを確認しました。
その後、次々とほかの建物に火が移り、およそ11時間にわたって燃え続けましたが、消防による消火活動の結果、午後1時半に火は消し止められました。
この火災で「正殿」のほか、「北殿」と「南殿」も全焼し、これらを含めた7棟、合わせて4800平方メートル余りが焼失しました。
🚒 消防によりますと、「正殿」などの周囲には放水機器などが備えられていましたが、室内にスプリンクラーは設置されておらず、発生後しばらくは火災による熱が強くて消防隊が現場に近づけず、その間に火が風にあおられ、燃え広がっていったということです。
今回の火災では消火活動にあたっていた40代の男性隊員1人が 脱水症状を起こし、近くの病院で手当てを受けました。
首里城では、今月27日から琉球王国時代の儀式を再現する「首里城祭」というイベントが開かれていて、警察によりますと、31日未明まで開催予定の催しの準備などが行われていたということです。
🚔 🚒 警察や消防は近く現場検証を行うなどして、詳しい出火原因を調べています。
首里城とは
🏯 首里城は琉球王国時代の500年以上前に建てられました。戦前に3回焼失し、再建後、正殿は大正14年に国宝に指定されました。
しかし、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失しました。
平成4年に正殿が復元され、平成12年には九州・沖縄サミットで各国首脳の夕食会の会場にもなりました。
また城の跡は、独立王国としての琉球が本土とは異なる独特の文化を発展させたことを示す歴史的な遺産だとして県内のほかの「グスク」と呼ばれる 城の跡とともに「世界遺産」に登録されています。
「正殿」とは
📖 首里城公園のホームページによりますと、首里城の「正殿」は、琉球王国最大の木造建築物で、百浦添御殿とも呼ばれています。
琉球王国の支配を示す象徴で首里城で最も中心的な建物です。
2層3階建ての木造造りや龍の形に装飾された柱は日本や中国にも例がなく独自の形式だとしています。
全焼した「正殿」の1階には、政治や儀式の際に国王が使う「御差床(うさすか)」と呼ばれる復元された「玉座」がありました。両脇の朱柱には金の龍と五色の雲が描かれていました。
そのほか1階は「下庫理」と呼ばれ主に国王みずから政治や儀式を執り行う場所、2階は「大庫理」と呼ばれ、国王と親族、女官らが儀式を行う場所、3階は通気を目的とした屋根裏部屋となっています。
また、正殿の壁などには桐油が塗られていて、下地の一部は漆が塗られているということです。
首里城公園は
首里城公園は那覇市東部の市内を一望できる高台にあり、沖縄都市モノレール「ゆいレール」の首里駅のすぐそばにあります。
首里城公園の周辺には学校施設が複数あり、城西小学校、首里高校、それに県立芸術大学の首里当蔵キャンパスが隣接しています。
首里城公園は、来年の東京オリンピックで行われる聖火リレーの沖縄県内のルートにもなっています。
県の実行委員会は、沖縄の歴史や文化の魅力、そして平和の大切さを国内外に発信することを踏まえてルートを選定していて、首里城公園は、県内で初日となる来年5月2日のスタート地点となっています。
「正殿」の西側の「奉神門(ほうしんもん)」
専門家「琉球の象徴」
🏯 首里城の復元や保存の作業に携わり琉球王国の歴史が専門の琉球大学の高良倉吉名誉教授は「炎に包まれている首里城を見て絶句した。沖縄戦で失われた琉球の歴史の象徴的な存在の首里城をよみがえらせようということを合言葉に、30数年前から復元プロジェクトに携わり、その作業は多くの人間の知恵の結晶でもあった。首里城は建物だけではなく、内部の道具類なども当時のまま復元していて、現実を受け止めきれていない」と話していました。
👤 また首里城の復元に携わった沖縄県立博物館・美術館の田名真之館長は火災の映像を見て「復元の苦労を知っているだけに火災は信じられません。資料がなく、宮大工もいない中で、材料になる木を台湾から持ち込むなどして復元が進められた多くの人の英知が詰まっている建物です。ことばにならない思いです」と話していました。
「首里城祭」の期間中
首里城公園では、4日前の今月27日から毎年恒例の「首里城祭」が始まり、来月3日までの期間中、さまざまなイベントが行われているところでした。
初日はおよそ700人による華やかな「琉球王朝絵巻行列」が行われ、今週末の3連休中の来月3日には、国王が、国家の安寧と五穀豊じょうを祈願するため、お寺を参詣(さんけい)した様子を再現した「古式行列」など多くのイベントが予定されています。
「沖縄の人の心の支え」「戦後にやっと復旧した 残念」
👤 首里城から南西に500メートルほどの距離にあるコンビニの店員によりますと「午前3時ごろに消防車のサイレンを聞いて、火災に気がつきました。ここまでパチパチと燃える音が聞こえて、赤く大きな炎も見えます。首里城が燃えていると聞いてとても驚いています。一刻も早く火が消えてほしいです」と話していました。
👤 また火事の様子を近くで見ていた男性は「長らく築いてきたものがと思うとなんともたまらない気持ちです」とぼう然と立ち尽くして話していました。
👤 近くのマンションに住む63歳の男性は、「窓の外を見ると火の粉が空を舞っているのが見えた。首里城は沖縄の人の心の支えだと思うので燃えたとは信じたくないです」と話していました。
👤 60代の男性は「パトカーのサイレンで火災を知りました。家の上に火の粉が降っていて、危ないなと思い、家を出ました。戦後にやっと首里城が復旧したのにまた火事だと思うと残念です」と話していました。
👤 70代の女性は「午前2時40分ごろにサイレンが鳴ったのですぐに気がつきました。首里城からは小さい火の粉がたくさん降っていました。こんな火災は初めてです。ことばが出ません」と震えながら話していました。
👤 すぐ近くに住む70歳の男性は、「午前3時ごろから消防車のサイレンの音が鳴り止まなかったのですが、まさか首里城が燃えるとは思わず、驚いています。首里城が保管している文化財も燃えていないか、心配です」と話していました。
那覇市が避難所を閉鎖
那覇市は、周辺の住宅などへの延焼のおそれがなくなったとして、今回の火災を受けて開設していた市内3か所の避難所を午前9時にすべて閉鎖しました。
市によりますと、避難所には、一時最大で30人余りが避難したということです。
那覇市の中心部で号外
那覇市の中心部では、午前7時半すぎから、地元の新聞社の号外が配られました。
那覇市の20代の女性は「ショックが大きいです。ちょっと想像を超えた燃え方だったので、驚きました。小学校の時に、社会科学習で訪れるなど、身近なところでした。これから寄付とかの動きが出てきたら、少し協力できるかなと思います」と話していました。
👤 宮城県から観光で訪れた50代の男性は「残念です。きのう、こちらに来ましたが、朝、テレビを見てびっくりしました。以前に訪れたこともあるだけにショックが大きいです。一日も早い復旧復興を祈るばかりです」と話していました。
城間市長「落胆の思い」
那覇市の城間市長は午前8時すぎから市役所で記者会見を開き、「歴史的な財産、シンボルを失い落胆の思いだ。そして観光でまずは首里城に行こうという人たちのことを考えると残念でならず、観光への影響はとても大きい」と述べました。