じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ゴレパニ へ No.23

2014-01-19 13:27:12 | ネパール旅日記 2013
 
 11月27日 水曜日 曇りのち晴れ

 昨夜の寝不足を抱えたまま6時30分に朝食。
チベットパンにフライドエッグを頼んであったのだが、どう言う訳か山羊肉のステーキがテーブルに置かれた。
誰かのを間違えて持って来たのかと思い暫し手をつけずに待ったのだが、山羊肉はパチパチと音を立てて油が跳ね美味そうだったので我慢できずに喰ってしまった。
その後何も言われる事も無く、美味しいミルクティーも頂いて宿を出た。

 7時30分出発。
朝、ドルジがむすっとして口を利かなくなっていた。
心当たりは有った。
何処かのガイドにドルジのガイドの塩梅を問われ、最悪ではないが良くも無いと言ったのがドルジの耳に入ったらしい。
あの野郎最低だと自分が言ったと、後でドルジに聞かされたので自分の英語が上手く伝わらなかったのだが、しかし、良いガイドだとは一言も言っていないので当らずとも遠からずで釈明もしなかった。

 
 この日は久しぶりにドルジに5mルールを言い渡した。
自分を追い越すな、5メートル後ろを歩け、休憩は俺が決める、と宣言した。

 タトパニからゴレパニまでは地図で読むと距離が10キロ、標高差で1700m有った。
これは南アルプスの北岳に広河原から登るのと同じくらいで、ゴレパニの標高が八ヶ岳の赤岳と同じなのも自分の守備範囲でドルジを尻目に登り切る自信があった。

 振り返ってみれば、この登り道が一番味が有ったかも知れない。
亜熱帯のバナナが実る街から、ミカンの収穫が盛んな村を抜け、ゴレパニではまた冬の寒さに逆戻りし、亜熱帯から亜寒帯への季節の垂直分布が見られるのだ。

 登りはジープロードが途中まで走っていて山道と言う雰囲気ではなかったが、標高2000mを越す頃には歩くしかないトレッキングルートになっていた。

 途中の道々でミカンを売り歩きながら登校する子供に遇った。
家で採れたミカンを売って現金を得、学用品などを買うらしい。
初めは面白いやら気の毒やらで買っていたのだが、行く先々で次々と新手が現れるので辟易し、仕舞いには追い払っていた。
喜捨の心も忘れた偽ブッディストは村々のゴンパに手を合わせマニを回し、オーマニペネホンと、真言を唱えつつ、ネパールの桃源郷に浸るのだった。

 ミカンは日本でのデコポンに似ていてとても美味い。
皮に傷を付けると大量の油が滲み出て手が濡れるが、日本のミカンではこれほどの事は無く、鮮度が為す技なのだろうかと驚いた。

 ナーランが調子が悪いのか遅れて来た。
シッカの村で早い昼飯をとる事にしてナーランを待った。
考えてみれば、ピサンピークアタック以後、クライミング道具を持たなくなったドルジのザックは随分軽くなった。
自分に至っては重い物は殆どナーランに背負わせているのだから、一人終始重荷を背負う彼が遅れるのは当たり前だった。
自分もリンゴやミカンや乾かない洗濯物と無駄な物を持っていて、10キロは背負っていたのだがナーランに比べれば格段に軽かった。

 段々の田圃や畑が美しく、時には桜が咲いている。
畑を耕し水牛を追う農夫は日本の民謡にも似た歌を歌い、女子供がそれを助けて働く姿に心が溶けて行く。
ネパールの柔らかな風景と静かに流れる時間に浸り、やっと、この旅を歩いて良かったと心底思った。
辛いばかりのピサンピークや、外国人の多さに居場所を無くしたトロンハイキャンプなど、いつもの自分の旅とは一線を画する馴染めない何かを感じていたのだが、ここに来て、ドルジの臍曲げも気にならなくなり、完全に自分の旅が出来るようになった。
しかし、やっと馴染んだ旅は、後一週間で終わりなのだが。

 トレッキーグルートは時折石段の急坂が続いてきつかったが、左程苦しくも無く、何時に無い早いペースで登れた。
それは高度順化がなされ、言わば高所トレーニングの効果があるからだろうと思う。
ナーランを待ちながら歩くドルジを置いてさっさと前に進んだが、村外れには放牧の牛が歩く道が入り乱れ、結局はドルジを待つ事になった。
 
 3時少し前、ゴレパニの宿に到着。
登り返しを入れれば累積で2000mは登ったかと思う道だったが疲労感は無く楽しかった。
今日も一番乗りだったが何時ものように三階の陽当たりの良い部屋ではなく、二階の薄暗い部屋だった。
もっとも陽が陰りつつあったので暗かったのだろうが、どこの宿でも一番乗りして最上階の部屋を取る事を旨として歩いて来ただけに少し納得がいかなかった。
後で分った事だが、三階の部屋は白人の団体が押さえていたらしい。

 部屋に荷物を置き、生渇きの洗濯物をダイニングのストーブの回りに干し、ビールを貰って飲んでいた。
するとタトパニからの登りで追い抜いて来たトレッカーが続々とチェックインして来て、日没頃には宿は満員になっていた。

 ストーブに当たりながらビールを飲んでいるとネパール人のガイドが、ピサンピークアタックに成功したんだって、と、話しかけて来た。
どこから登ったと聞くので岩の尾根沿いではなく東側の雪面から直登したのだと思うと言った。
それを聞いて彼は、ドルジなら登れるだろうと言った。
自分もドルジのクライミングの技量は認めているがネパール人ガイドにも一目置かれているのかと改めて驚いた。
  
 ストーブ回りに人が集まり場は流暢な英語が飛び交うようになって自分は部屋に引き上げた。

 夕食時、自分の向い側に座ったシンガポールからの親子と話しをした。
これまでも数組、数人のシンガポール人トレッカーに出会っていたので、シンガポールは暑いから雪と氷を見に来るのか?と言うと、その通りだ、と、あっさり答えられてしまった。
ガイドが居たので遠慮してトレッキングの料金は聞かずにカトマンズまでの航空券を尋ねると、往復で4万円程度との事だった。
成る程な、飛行機が安いなら熱帯の人が雪と氷を見るのに一番手軽なのはヒマラヤだよな、と納得した。

 シンガポール人のガイドはとてもフレンドリーで自分にも明日のプーンヒルの見所などを教えてくれた。
我がガイドのドルジは既にロキシーをやって酔っぱらっい明日の観光のブリーフィングなどは無かった。
明日はこのトレッキングではそれなりの目玉となるプーンヒル観光があるのだが、ドルジの説明は、明日の朝は5時半に出発し、朝食は戻って来てから食べ、のんびりパッキングをして出発と言う簡単な物だった。
シンガポール組のガイドのブリーフィングによれば、宿からプーンヒルまでの標高差は400mで、早い人で1時間、遅い人だと1時間半の登りになり、ヘッドランプ必帯との事だった。
そして,3200mの高台は時に風が強く寒いので防寒対策を怠らず,足下はしっかりした靴で望むべしと言った。
ガイドはシンガポール組のお母さんに、一時間で登れそうかと尋ねていたが,彼女は2時間欲しいと答えていた。
ガイドは日の出の6時半に合わせて登ろうと思ったのだが諦めたと言った。

 ドルジがダイニングにやって来て「モァ ティー?」と酒臭い息で言った。
おいおい、ドルジ、お前説明不足なんじゃないか、と言いたかったが,暗い朝の五時半の出発と言えばヘッドランプは持っていて当然だし,3200mに登るとなればどんな服装なのかも今更知らない事も無いだろうとの、エキスパートガイドの深慮なのだ,と、飲み込んだ。

 宿の待遇は標高に比例して悪くなるのは既に心得ていた。
標高2800mでジープロードの通っていないゴレパニは昨日のタトパニとは比べるべくも無い質素な宿だった。
ドルジにロキシーの大盛りを頼み,それを持って部屋に戻り、チビリチビリとやりながら日記を記し,7時半に就寝。


コメント (3)
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