じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ポカラ 旅情異聞 其の壱

2014-01-29 18:21:25 | ネパール旅日記 2013

 ポカラの街は小さい。
元々左程人口の多く無い国だからネパール第二の都市と言っても規模は知れており20万人に満たない。
しかし,だからと言って観光客が歩く湖畔の界隈だけがポカラではない。
言わば観光客は湖畔の一角に集められ体よく管理されていると言っても良かった。
だから地元民が生活する街は別に有り、そこには観光客が見る事の無い純粋なポカラの人の暮らしが有るのだった。

 今度の旅は自分の中では神聖な位置づけだったからこの手の情報は遠ざけて来たのだが,どう言う訳か向うから飛び込んで来るのだからどうしようも無い。
茶店のオヤジが教えてくれたバスターミナルをタクシー運転手に告げると何やらにやけた笑みを浮かべた。
ああ,ひょっとしてこれは、あの手の感覚へ向かう事になるのか、と思ったが,見ない事には事実は分らないし,旅とはそう言うものなのだから,と心を決めた。

 ここから先の話しは一部の人にとっては不愉快な話しになる可能性もあるので注意して頂きたい事を断わっておきます。

 バスターミナルの位置は,簡単に説明すると,どこからかの幹線道路を辿ってポカラに来て観光客の定位置の湖畔のホテル街を目指す時に通る,だだっ広い広場のようなところにポンコツバスが数台所在無さげに停まっているあそこである。
ポカラへ行った事が有る人がすぐに思い浮かべるツーリストバスのターミナルでは無い。

 バスターミナルの広場を背に奥へ進むと路地が二本見えるが,それの左手の方が目指す通りになっている。
通りの奥行きは左程ではなく,急ぎ足で歩いてしまったら2~3分で突き抜けてしまう。
見た目は、あまりきれいではない飲食店が並んでいるように見えるかも知れない。
しかし,その手の事に詳しい人であれば店の雰囲気と,それらの店の前に決まって佇んでいる少し濃いめの化粧の女性に目が行くはずだ。

 タクシーの料金交渉は往復500ルピーで、彼はマッサージが終わるまで待つことになっていた。
そんな彼はこちらの様子が気になるのかタクシーから降り路地に向かってやって来た。
そして,路地の入り口で躊躇っている自分に「とにかくじろじろ見ないでさり気なく,そしてゆっくり歩いて品定めをし,奥まで行って戻って来るのがコツだ」と言った。
さらに「店の中に引っ込んでしまう時には拒否していると思え」と教えてくれた。
「よし分った、相場は幾らだ」と聞くと「俺が交渉してやるから1000ルピー寄越せ」と言い出した。
お前にピンハネされるんなら騙される方を選ぶ、と言って路地へ進んだ。

 通りの向うまで両側に並ぶ店を、右目と左目が別々に動けば良いのにと思いながらもしっかりと見定めつつ歩いて行ったが,ネパール人の尺度にはギャップを感じ困ってしまった。
そうか,茶店スタイルを取っている訳だからお茶を飲みに入ったりビールを飲んでも良いのではないかと思い立ち,見るからに汚い中華料理屋風の店に入った。
その店の表に女性は居なくてどこから見ても茶店に見えたので入ったのだが,中には,派手なレザーの上着を羽織った若い女性が居た。
英語で話しかけたがまるで分らないらしく椅子を指差し,ゼスチャーでそこに座って待っていろと言った感じで飛び出して行った。
1分もせずに彼女は若い男を伴って戻って来た。
彼は英語が話せるのかと思い「ここは茶が飲めるのか?ビールは?」と訊ねたが、答えは「一時間500ルピー」と、それしか言わなかった。
そうか、そう言う事か,図らずもこの娘に決まってしまったのか,と意気は下がったが,マッサージは上手いかも知れないと思い直し「彼女はマッサージは上手いのか?」と問うと「1時間500ルピーだ」と言って手を出すばかりだった。
仕方が無い,これも後学のためだと意を決して,不本意ではあったが500ルピーを彼に渡した。

 彼は500ルピーを受け取ると新聞紙を千切りそれにコンドームを包んで彼女に渡した。
ああ,そう言う気遣いは要らないんだがと思ったが言葉が通じないのだから黙って見ていた。
さらに部屋の鍵らしい物を受け取ると奥へと案内された。
そこは店の裏口から別の建物の入り口につながり、彼女は階段を昇って行った。
三階まで上がると鉄格子の扉を開け中へ入るように促され,彼女も中に入るとまた南京錠を締めた。
ああ,この状況は何か有っても逃げられないから拙いかも知れないと思ったが既に後の祭りだった。
仕方が無い,有り金全部でも2万円も持っていないから大した事にはならないと腹を括った。

 八畳程の広さの部屋にはキングサイズのベットが一つ置かれているだけだった。
良く見れば部屋の隅に段ボールの箱が一つあり,そこに恐らく彼女の私物であろうと思われる物と、僅かな衣類が収まっていた。

 彼女は自らの上着を脱ぎながら手振り身振りで服を脱いでベットに横になれと言って来た。
言われるままにパンツ一丁になりうつ伏せに寝転んだ。
見た目にはあまり清潔そうとは思えなかったシーツは意外にも異臭は無く,古くてくすんでいるがしっかり洗濯されている事が伺えた。

 彼女はベットの下からニベアのボトルを取り出しマッサージのような事をし始めた。
陽当たりが良く無いのであまり暖かくは無い部屋で殆ど裸になった上に冷たいニベアの乳液を垂らされるのは決して心地良くは無かった。

 彼女のマッサージは,首から肩,そして背中を,揉むとか押すと言うよりは乳液を塗りたくって撫で回すような感じだった。
とてもマッサージとは言い難いそれが終わると,うつ伏せから仰向けになるようにと身振りで指示した。

  とりあえず 続く






 


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ポカラの街で その2

2014-01-29 13:20:07 | ネパール旅日記 2013

 11月30日 土曜日 快晴

 ドルジはどこに泊まっているのかと思ったら真向かいの小さな宿だった。
5時になっても現れないので外でウロウロしているとあまりきれいではない建物のドアからひょっこりと顔を出した。
この宿はガイド専用でトレッキングルートの宿と同じようにガイドは無料らしかった。

 予約してあったタクシーで「サランコットの丘」と呼ばれる展望台へ向かった。
今更展望台からヒマラヤの山を眺めても絶対に感激しない自信があったが,しかし,マチャプチャレが間近に見えると言うので行ってみた。

 小一時間程市街地から山へ登ると大小のバスやらタクシーが入り乱れて止まっている駐車場に着いた。
そこから少し歩くとサランコットの展望台が有り大勢の観光客が御来光を待っていた。
数日前のプーンヒルの展望台も観光客が多くて嫌だったが,それでもあそこは最低二日は歩いて来なければ成ら無いのでトレッカーとして許せる部分があった。
しかし完全に観光地のサランコットの人の多さには辟易し楽しむ気分にはなれなかった。
土産物屋と茶店が並び,塩梅の良さそうな展望台は土産物屋が100ルピー取っていた。

 標高1600mのサランコットから見るマチャプチャレは確かに近かったが,間にある空気が淀み抜けていなかった。
だから朝焼けもきれいな紅にならず紫にくすんでいて写真も撮る気にならなかった。
自分の後で話しをしていた老人二人連れはかつてヒマラヤの何処かに登った経験者なのか,懐かしそうに山の名前を挙げていた。
歩けなくなっても山を見たい人はここへ来るしかないか,と思う反面,自分はここからの眺めなら見なくても良いと思った。

 ドルジが茶を飲んでいこうと誘ったが,さっさとホテルに戻って朝飯を食おうと促して駐車場に戻った。
沢山の車と人でごった返すこの場所でタクシーの運転手はどうやって我々を見つけたのか、こちらが探すまでもなく現れ、車を持って来るから待っていろと言った。

 ホテルに戻り朝食を食べると、次なるポカラの名所の湖を見に行こうとドルジが言った。
どうせ何の宛も無いし今更金を払ってショートトリップなど行く気もなかったので歩いていける湖畔公園に異存は無かった。

 ネパールには日本には無い素晴らしい山岳景観が有るが、湖や沼や川の美しさでは日本の方が数枚上手だった。
ポカラの街は湖に沿って開けており,ヒマラヤの眺めとともに湖畔の公園や景観も売りにしているのだが残念ながらこの程度の景色では日本人は大して驚かないと思う。
一通り歩いて時間をつぶし少し早い昼飯を食べに日本食屋に向かった。

 数代前にはアフリカ系の血が確実に混じっていると思う彼が「また来てくれましたか,ありがとうございます」と言って茶とメニューを持って来た。
畳み敷きの小上がりで茶をすすりメニューとにらめっこをし、ドルジにチャンポン麺、自分は天丼と迷ったが結局はカツ丼を頼んだ。
ビールを飲みながらのんびりしていると昨日と違って日本人の旅行者が結構入って来た。
三人連れ,単独で二名,そして,あの読書好きの白人女性もまた居た。

 7000m峰で俺に登れそうな山は無いかとドルジに訊ね盛り上がっているとテーブルで焼き肉定食を食べていた白人がこちらを向いて話しかけて来た。
これからトレッキングに出たいのだが雪も多くなる時期に何処へ行ったら良いだろうかとの問いだった。
ドルジが,一週間以内ならプーンヒルからタトパニ,で,二週間あるならアンナプルナベースキャンプだ,と言った。
カナダ人らしかったが,この手の質問をするのに地図を持っていないと言う時点で自分は相手にしたく無かった。

 昼飯を食べた後土産物屋を冷やかしつつホテルに戻った。
カトマンズへ戻るツーリストバスの切符を買って来ると言ってドルジはまた街の通りへ向かって行った。
明後日のバスの切符をもう買うのか,と思ったが何も言わずに見送った。

 ホテルの隣にマッサージ屋があった。
フロントに料金表があったので見ると,いくら観光客価格もここまで馬鹿にしてくれるか?と驚く料金だった。
単なるマッサージでは無くて何か特別なリクエストに応えてくれる料金なのかと一瞬思い尋ねるとそんな事でも無かった。
90分のオイルマッサージが4000円から5000円もするのだ。
ネパールの物価水準から行けば200円か300円が相場だろうと自分は思うが。

 ホテルの向いのティーショップに入りビールを飲みながら店のオヤジと世間話しをした。
先ほどのマッサージの法外な値段の話しをすると,一月に10人も客は居ないだろうがそれでもあの価格だからやって行けるのだとか。
そして、ポカラにはツーリストは行かないマッサージ屋が街中に有るのだと言う。
歩いては行けないからタクシーに乗り,バスターミナルのマッサージへ行ってくれと言えば良いと教えてくれた。
料金をと問うと,相手によって少し違うが大体500ルピーだと言う。
そうか,圧倒的に暇だし,ここは一つ後学のために行かなくてはなるまいか、と腰を上げた。

 ポカラのマッサージは様々有るのかも知れなかったが,自分が体験したそれは別に書く事にしてここでは控えさせて頂きたい。

 マッサージから戻り気怠い夕暮れ時を部屋のベランダで過ごした。
高い事は覚悟してホテルのルームサービスでビールとピーナッツをもらいマチャプチャレとアンナプルナが夕日に染まるのを眺めた。
日本に帰りたくも有り,このまま旅を続けたくも有り、と少し遣る瀬無い思いで眺めるヒマラヤの雪山は心に滲みた。

 この日の夜,晩飯を食べに入ったレストランで日本語のやけに上手いネパール人に遇った。
話す切っ掛けは店の表に停めてあったインド製バイクのエンフィールドを眺めていた事だった。
バーチカルツインのクラシカルなスタイルのエンフィールドはどこから眺めても美しかった。
惚れ惚れする姿態引き込まれるようにしてレストランに入り、表のバイクの傍の席に座った。
それを見ていた彼が「日本人ですか?」と、全く澱みのない日本語で話しかけて来た。
しかも彼の顔はあまりにも日本人的であったから自分はてっきり日本人だと思って話しをしていた。
しかし、何度かの言葉のやりとりの後に少し違和感を感じたので「君,ネパール人?」と言うと「日本人だと思ったの?」と返された。
訊けば,ミュージシャンとして仙台に10年近くも居たのだそうだ。
話しがややこしくなるのを避け自分が仙台から来た事は黙って彼の思い出話しを聞いた。
奇遇って有るもんだな、と感心しつつ,エンフィールドをチョイ乗りさせて貰い感謝してホテルに戻った。

 何だか,やっと自分の旅らしい充実した一日だったと気持ち良くベットに潜り込んだ。

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