じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

コレパ二 へ No.21

2014-01-12 13:52:03 | ネパール旅日記 2013

 11月25日 月曜日 快晴 強風

 7:30 マルファ出発 トゥクチェ~ラルジュン~コケタニ~1:00コレパニ着

 ジョムソンから先のジープロードを歩いてしまうと、アンナプルナサーキットは既に秘境でもない、高原地帯の埃っぽい田舎道だった。
残されている昔の遺跡や風景から歴史と文化の違いは感じるが、それらは保存されていると言うよりは開発が遅れているから残っていると感じるものだった。
だから自分はドルジに言って、遠回りでもアップダウンがきつくても可能な限り旧道を行ってくれるように頼んだ。
ポーターとして重い荷物を背負っているナーランでさえ埃まみれのジープロードよりも上り下りの激しい旧道を選んだ。

 ジープロードが街の中を通り抜けていればバスターミナルやジープの乗り場などに幾分かの賑わいが見られるのだが、道が迂回して取り残されていると街は歴然と寂れている。
9時半頃トゥクチェの村でお茶を飲んだが歩くトレッカーの姿も無く静かだった。
暖かくなった証拠か、ミルクティーのカップに蠅がとまるようになった。

 コバンからラルジュンへと、カリガンダキ川と平行に走るジープロード沿いの街を通り抜けて行った。
街はジープロードが迂回していて静かだったが、いよいよ普通の田舎の風景になり建物も石積みの家に混じって材木で造ったトタン屋根さえ見られるようになった。

 ラルジュンには日本人のツアー客が良く泊まる一泊100ドルもする高級ホテルが在って、ナーランが見に行くか?と問うたが、この格好で俺たちが行ったら迷惑だろうと言って遠慮した。

 ジープロードの車は頻繁に走っているものでは無く、埃もその時だけなのだが、出来る限り昔のトレッキングロードに忠実にとの想いから無理してでも河原を歩いた。
地図で見るとジープロードしか無いように見えるが、注意深く歩いて行くと人の踏み跡や牛の踏み跡が河原へ降りていて、相当な区間でジープロードから離れられる。
対岸にも歩けるルートが有ると地図には記されているが宿が無いので現実的ではない。
このルートを行こうと言い張ってドルジと揉めたのだが、宿の主人がキャンプ道具持参じゃないと無理だと言うので引き下がった経緯がある。

 ダウラギリの氷河を間近に眺めて歩くラルジュン界隈のトレッキングはアンナプルナサーキットの三大景勝地の一つに数えたいと思う。
ラルジュンからはトレッキングルートを辿ってダウラギリの氷河の下まで行く事が出来るそうで、いつの日かまた歩いてみたい道だと思った。

 ラルジュンの先でカリガンダキ川を渡り完全な旧道に入った。
この道こそが往年のアンナプルナ街道なのだと感激したのも束の間、今は昔なのか、往時を偲ぶには街道は余りにも寂れ過ぎていた。
街道の石畳は長い年月踏まれ続け擦り減っていて、人が歩く真ん中を残し苔むしていた。
ラルジュンの道端には花が咲き、赤とんぼも見られ、日本の田舎の秋のようだった。

 11時30分コケタニにて昼食。
コケタニの宿はガイドやポーターの御用達なのか、寂れた一軒の宿に数組のトレッカーが集まった。
スープヌードルとゆで卵の昼飯を食べ終えのんびりミルクティーを飲んでいるとガイドとポーターとトレッカーで総勢13人もの団体がやって来た。
この団体が騒がしくて落ち着かないのでドルジ達が食べ終わるのを待って早々に出発した。
この団体はジョムソンまで飛行機で入り下り方向でポカラまでトレッキングするのだった。
6名のトレッカーにポーターが6名とガイドが一人だった。

 1:00時 コラパニ着。

 コラパニの宿は良かった。
ホテルと言う名の山小屋が多かったのだがここは全く普通にホテルだった。
当然のようにシャワーとトイレが付いて電気も24時間通っていて、料金は400円だ。

 ホットシャワーを浴び軽く洗濯をし、ニルギリとダウラギリの両方を眺められる屋上の物干に万国旗を並べた。
この絶景を眺めながら一杯やりたいと思いナーランにネパールウィスキーとコーラを一本貰って来てくれと頼んだ。
グラスは三個な、と言うとナーランの頬が緩んだ。

 陽当たりの良い屋上はTシャツ一枚で平気だった。
ドルジが地図を見せてくれと言うので広げると、明日の相談なんだが、と始まった。
ドルジが言い難そうにしているとナーランが「提案なんだが、明日はバスを使わないか?」と口を切った。
「えっ?俺は高い金を払ってネパールの田舎道を歩きに来たんで、観光に来た訳じゃないんだが」と反対する口調で言った。
ドルジの変な英語で言うとまた自分が臍を曲げると思ったのかナーランが続けて言った。
「今日のジープロードまでは良かったんだ。今日まではなんとか歩いて面白い旧ルートを辿れるんだが、明日からは殆どジープロードを行く事になる。そこで、コパチパニかガサで泊まる予定を変更して、途中からバスでタトパニまで行ってしまわないか?」と言うのだった。
コパチパニかガサまで歩くと10キロ以上は有り休憩を入れると3時間はかかる。
コパチパニからバスに乗ったとして、短縮される距離は10キロ程度だ。
料金は、と尋ねると、大凡だが3人で1800ルピー程度と言う。
10キロは歩いても3時間の距離で、1800円は日本の感覚でも高い。
そもそも暇なんだし、ここで一泊分を詰めてしまったらポカラに一日早く着いてホテルの予約が面倒な事になるだろう、と言うと、明後日のタトパニからゴレパニへは登りの標高差が1600mで距離は20キロ近くあるから一気に行かないで途中で泊まったらどうかと言って来た。
何か言われると反対したくなる性分だし、そもそも、トレッキングの日割りなども自分が決めた事ではなくお前らのボスが作った計画なんだぞ、と嫌みっぽく言ってみた。
ナーランが、明日ガサまで歩いてみたらバスに乗りたくなるから心配ない、と、ドルジの顔を見て言った。
「ほほぅ~そんなに酷い道なのか?」と問うと「景色の良く無いジープロードなんだ」とドルジが言った。
よし分った、ガサに着く前にはっきりさせようと言って話しは終わった。
自分としてはガサからコパチパニまで、カリガンダキ川の向うを通る旧いトレッキングルートを歩きたいと思っていた。
しかし、確かに標高が下がっているので谷間の街からの眺めは冴えないものになってはいた。

 6時にダイニングに行くと大きなテーブルの一つに白人の二人組が座っていた。
自分はTVがよく見える席に陣取って全く意味の分からないトレビを見ていた。

 チキンソテーのガーリックソースとオニオンスープとベジタブルフライドライスを食べた。
やはりネパールの食べ物は標高に反比例すると確信した。
今日の宿の食事は昨日よりまた美味くなっている。
この調子で下ってポカラに着いたらどれ程美味い飯かにありつけるのか、期待したくなる。

 宿のテーブルは大きなこたつになっていて墨の入った火鉢が入れられ暖かかった。
宿のお婆ちゃんと思しき人が隅っこに座っていたのでネパールではこれをなんと呼ぶのかと尋ねると「こたつ」と言ってから「ジャパニーズ こたつ」と言い直した。
なんだってぇ~こたつだとぉ~と驚いてあれこれ尋ねると、定かでは無いがどうも日本人が持ち込んだらしいのだ。
成る程ねぇ~ジャパニーズこたつですかぁ、と感心するやら驚くやら。

 ロキシーを一杯貰って部屋に戻りちびちびやりながら日記を書いて8時就寝。

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする