じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ネパールトレッキングの勘所

2014-01-02 14:06:23 | ネパール旅日記 2013

 11月20日 水曜日の日記の6ページ目から

 ヒマラヤトレッキングのコツと言うのを書いてみた。
しかし、ヒマラヤと一口で言っても多方面に渡りルートが有り、標高も行程もまちまちなので、取り敢えず、アンナプルナサーキットを11月の後半に歩く場合に限る、と、断わってみたい。
その1 
ガイドブックの随所に書かれている「ネパールは亜熱帯に属する」は、嘘ではないが真に受けると寒い思いで泣く事になる。
3000mから上の高地での防寒対策の基準は、東北地方の真冬を乗り切れる服装で丁度良い。
股引・フリース・ウィンドーブレーカー・毛糸の帽子・手袋・厚手の靴下、と、ホッカイロも有効だと思う。

その2
トレッキングシューズは、スニーカーは止めた方が良いと思う。
なによりも防水性が欲し石、また、砂利や砂の侵入を防ぐのにはハイカットのブーツである方が良いと思う。
トレッキングなので本格的な山道は行かないと思ったら大間違いで、とくにガイドが道を良く知っていてショートカットを多用するようだとクライミングまがいの斜度を登るのでやはりしっかりしたトレッキングシューズがお薦めになる。
また、スーカーなどの浅い履物で湯気の立つ牛糞や露馬糞を踏んだ場合などは悲惨だと思う。

その3
トレッキングポールは、有っても無くても良いと言う人が居る反面、ストックタイプの二本で歩くのが良いと力説する人が居て、好きずきと言う事なのかとも思うが、自分の体験から言えば、やはり多くのロングディスタンストレッカーが推薦する二本のストックタイプが良いと思う。
簡単に言うと疲労した後の助けになると思う。
自分の場合はカリマーと言う海外ブランドの超軽量カーボンストックを使ったが、多少の値段の差は気にせずにカーボンなどの軽い素材の良いものを買うべきだと思う。
ちなみにカトマンズで1000円前後で売っているアルミのポールは数日後にはストッパーが逝かれてザックに括り着けられている事が多い。

その4
寝袋は羽毛以外には考えられない。
それも、できれば冬用を持って行くのに限るが、宿には毛布も有るので併用作戦をとれば薄手の物でも可能だ。
しかし、標高4000mから上で毛布の取り合いに敗れたとしたら悲惨な一夜になるのでやはりマイナス5度対応は欲しいところだと思う。
自分の寝袋は日本の厳冬期対応でマイナス28度で快眠と言う分厚い物を持って行った。
しかし、5000mから上ではこれが丁度良く快適だったから、厚めの物に越した事は無いと確信する。
ちなみに、カトマンズの山道具屋では安い羽毛の寝袋を売っていて、ラベルにマイナス10度対応などと記されているが、全部インチキである。
トレッカーに好まれるような小型軽量が多く、これでマイナス10度対応ならと思いたいところだが、世の中にはそんな都合の良いものはまだ無い。
しかし値段は格安なのでシュラフシーツ代わりに使い、後はお土産にするのは良いかも知れない。

その5
飲み水は、古いガイドブックには「塩素タブレット」や「ヨウ素液」などの殺菌剤を使用した話しが載っているが今は無用だと言い切る。
新しい地図を見るとトレッキングの要所の村には「セーフウォーターステーション」と記された場所が有るのだが、これは地域住民の健康を考えてきれいな山水を街に引いた水場があると言う事なのだ。
この水を飲めと言う事では無く、以前のネパール人と違って今は水に対する安全への配慮の意識がある事が言いたいのだ。
なので宿でもトレッカーには必ず煮沸した水やお湯を使うようになっているし、5000mの宿に行ってもミネラルウォーターは買えるのであまり神経質になる必要は無いと思う。
そして、街道沿いには程良い感覚で茶店が有るので、30円~50円で飲める紅茶やコーヒーを飲めば良いのだ。
ちなみに、カトマンズで20円のミネラルウォーターは標高5000mの宿では300円になっているが、運び上げる労賃を考えれば安い物だと思う。

その6
着替えについては、人それぞれだし、個人で全部独りで背負って歩くのか、ポーターを使うのかでも違って来るので難しいところだ。
トレッキング中は意外にも殆ど汗をかかないし、乾燥し切った空気のせいで2~3日着続けた服も気になる臭いはしなかった。
仮にアンダーウェアーは頻繁に替えようと思ったとしても、風呂やシャワーも浴びずに下着だけ替えて意味が有るのかと思うのだ。
なので、下着が3回分と長袖と半袖のスポーツシャツ2枚ずつと、防寒用のウールのシャツにウールの股引、と、山スボンを2本と短パン一枚、フリースを一枚程度か?
また、高所に行くと洗濯をしても乾かないので厄介な事になる。
これは本当に人それぞれなのでなんとも言い難いなぁ~。
ちなみに、カトマンズではマムートやノースフェイスやアークテリクスの偽物を格安で売っていて、それらは取り敢えず一ヶ月のトレッキングには十分耐えられるので日本からの持ち込み荷物を押さえる意味で活用するのは良い手かも知れない。
しかし、偽物なので日本に持ち帰っての使用は違法である事は忘れないように。

その7
シャワーについて・・・これは、其の人の耐寒度に掛かって来るので、着替え同様になんとも言い難い。
施設について言えば、3000mから上ではたとえ看板に「24じかんホットシャワーOK」と有っても出ない事が多いと思うのが無難だ。
出なかった理由の一つに「水が凍った」と言うのも有った。
ソーラータイプの湯沸かしは殆ど駄目だったし、簡易型のガス湯沸かし器タイプのシャワーは熱過ぎるお湯の調節が難しく難儀した。
シャワーの壊れた宿でどうしてもと言う時にはバケツにお湯を買って(10ℓ程度で100円)行水をする事になるが、最後にどうやって仕上げるか作戦を立ててからやらないと寒くて悲惨な目に遭う。
行水の序でに洗濯もしたくなるが、10ℓのお湯ではまともに洗濯も出来ず、すすぎが冷たい水になってしまうし、ボヤボヤしていると寒くて風邪を引くので洗濯は日中、陽の当る水場で、真水をふんだんに使ってするのが良いと思う。

その8
食事に関しても個人差が大きいと思うのでなんとも言い難いと思うのだが、敢えて言うと、何を食べても不味い。
経験者のブログやガイドブックには、ネパール餃子の「モモ」が美味しいなどと書かれているが、他の物が劇的に不味い中では比較的普通の味がする、程度の物だと思う。
カトマンズからの直通バスが有るベシサハールやポカラには美味い物が在るが、トレッキングルートの、それもトロン・ラ・パス以前のマナン側は総じて美味い物は少ない。
安心して食べられた物を列記すれば、茹で卵・フライドエッグ・チベットパンくらいか。
インスタントラーメンを使った「スープヌードル」は美味い店とどうしようも無い店が極端で、名前が同じでも中身は違う時も有り、一概には何とも言えない物だった。
しかし、たかがインスタントラーメンの味にほっとしたり安心したりすると言う事で、他の物の状況が推測されないだろうか?
マナンの街のサンドイッチのようにマヨネーズがたっぷりで、これは美味いと思った物も有ったが、それとても今にして思えば、マヨネーズの味が懐かしかったからだろうと思うし、彼の地で美味いと言うのはすべて「相対的な美味さ」と言えると思う。
しかし、5416mの峠を越えてムスタン側へ下ってからのステーキやピザは普通に美味かったので、峠のこっちと向うで相当違う事は覚えていれば先へ進む楽しみになると思う。
ちなみに、味噌と醤油味はポカラの日本食屋に辿り着くまで出会えなかった。

その9
トイレ事情は、完璧に上等であった。
5000mのトロンハイキャンプ以外は凡て水洗トイレで、踏ん張り式では有るが清潔で臭気も無く、快適であった。
希に洋式トイレが有ったのだが便座が壊れていて座れない物ばかりで困ってしまった。
洋式トイレの便座が無い物で用を足す姿を想像してみれば、それがどんなに滑稽で危うい姿か想像がつくだろう。
備え付けのトイレットペーパーは無く持参しなければならないが、現地スタイルで、右手に水の入った手桶を持ち左手で流して処理すれば紙は要らず合理的でもある。
また、トイレットペーパーを流していけないのはアジアの国の水洗トイレに共通のお約束で、紙は備え付けのバケツに捨てる。
ちなみにトイレの数であるが、三階建ての宿だと各階に一つずつはトイレが有り、一つの階の部屋数は10前後で、20人に一つ程度となり、朝の出発時でもそれ程の争奪戦は無かった。

以上・・・限りなく個人的な感想と意見であるので参考にはならないと思うが。


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山道で出会った子供達

2014-01-02 10:33:37 | ネパール旅日記 2013


 これから書こうとしている事は独断と偏見に満ちた、ある意味、ネパールを見下した話しと言えるかも知れない。
お前なぁ~、言って良い事と悪い事が有るだろうと、叱られたり、または読んで気分を害されるかも知れない、怪しく危ない私見です・・・。


  ネパールの山間地で生きると言う事は・・・

 この度歩いたアンナプルナサーキット方面の山間地で出会った子供は皆元気だった。
まだ立つ事の出来ない赤ん坊から道端で遊ぶ子供はもちろん、目に入る子供の全てが活発に動き回る子供だったのだ。



 一人二人に聞いた話しが凡てを表すとは思わないが、しかし、そう語った人が居たと言うのも一つの事実である。

 ネパールの山間地では今でも出産は産婆の手に頼っている。
産婆と呼ばれてはいるが、医療の教育を受けその手の知識を持って産婆になっているのではなく、たくさんの出産に立ち会い、なんとなく要領を覚えた村の人が産婆になるのである。
だから、と言ったら失礼か?しかし現実にネパールで出産は、母子ともに命を掛けた大事業となっているのだ。
そして、無事に出産が済んだとしても赤ん坊の生存率は先進国とは比較にならないほど低い。



 もう結論なのだが、筵(むしろ)の上で日向ぼっこをしている赤ん坊や道端で遊びに興じている子供らは、選ばれし子供達なのだ。
様々な悪条件をものともせずに産まれ、そして育ってきた強者で、だから元気なのである。



 厳しい環境の中で生き延び、残り続けた遺伝子は代を重ねて更に選別され、適応力を増した、などと考えるのはおかしいだろうか?
近頃、ある程度の規模の街では、先進国の援助により近代的な医療に基づき、教育を受けた産婆の養成や出産のための施設が整備されつつ有るらしい。
そうすると、従来であれば生き延びられなかった命が救われるかも知れない。
尊い命が救われ、子供が成長して行くのは喜ばしい事だ、と、納得してしまえば話しは終わりなのだが、しかし、現実的には、ひ弱な子供が過酷な環境の地で生き延びて行くのは大変な事で、それを助けて行く親も同様に相当な負担となると思うのは考え過ぎか?



 ネパールの高地には食料も燃料も豊富には無い。
生きて行ける命の数に限りが有り、それはあまり多く無いと思うのだ。
その上、生きて行くためには先進国社会の人間からは想像もつかないほどに過酷な労力を要求される。
例えば、男なら100キロ程度の荷を背負い平気で山道を歩くし、女でも50キロや60キロの荷を背負って行く。
家を建てるのに使う板を運んでいた男と出会いそれを持ち上げてみたが自分の力では地面から浮かせる事も出来なかった。
彼の妻も同様に板を背負い、板の上には乳飲み子が楽しそうに揺られていた。



 ネパールの高地で暮らす人を見ていると先進国の考え方や基準がとても不自然に思えてくるのだ。
自然に産まれ、理に適った生活で暮らし、過酷な自然環境に適応して生き延びる。
適応できない命は淘汰されてしまう事を自然だと思うのは間違いか?
生きるのに必要な身体と能力を持ち得た者だけが生きられる場所は、過酷だが、何もかもが自然で無理が無いように見えた。

 ネパールの高地で見た子供らが元気なのは、自然な子供達だからなのだと思う。
生まれた環境に適応して行き延びる力を持っているから元気なのだ。
生存率とか、平均寿命とか、GDPとかGNPとか、気にしなくても生き延びる命は育ち、無理に生かされても辛い思いをする彼の地では、自然に淘汰され、死んで行くのが幸せと思えたのだが、それは間違いか?

 村の人が、ここでは無駄に生きてる物は居ないと言った。
馬でも鶏でも山羊でも、それぞれに役目を持って生きているのだと。
山の木一本、道端の石一つでも役に立つのだと言った。

 自分は、先進国の街の隅っこで、役割も無く所在も無い。
どちらが良いか幸せか、そんな事は分からないが、あの暮らし方はとても自然な事は間違いない。

 


 





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