その昔、ライスをおかずにご飯を食って居た時代が長かったんだが、懐かしく無いな。
死んだ親父が言っていた・・・銭の有る時にはまず米と味噌を買っておけ、と。
米と味噌さえ有れば、野菜は拾ってくれば良い、と。
いや、今だとドロボーと言われるんだろうけれども、大根1本、ネギやキュウリ1本くらい引っこ抜いて来ても叱られなかった時代があったのだ。
ああ、本当はジックリ書きたくて温めているネタなんだけれども「貧乏物語」と言う本が有って、なかなか興味深い事が書いてある・・・この展開はそっちへ行く雰囲気だな。
共産党系の人には有名な人なのか?河上肇の著作なんだけれども、超要約して言うと、貧困対策は社会主義的方向に行く・・・まっ、乱暴だけど、そんな感じの流れが書いてある。
で、世界を見ると大なり小なり国や自治体が民百姓の上に有れば社会主義なんだけれども、程度の差に由ってそうとは言わなかったり、で、分かり難いんだけれども、内実はそう言う事だと思う。
ああ、今考えている大きなテーマを小ネタで使ってしまった・・・まっ、どうでも良い事ですが。
しかし、貧乏にもランクが有って、と言う行は面白い・・・本当の貧乏と比較し手の貧乏が有る訳で、本当の貧乏は飢餓と隣り合わせか抱き合っているか。
で、比較しての貧乏と言うのは、自分の位置の相対的なものであり、ひもじくは無い貧乏と言う感じだったと思う。
日本の貧乏はほとんどが相対的貧乏で、飢餓線上に居る貧乏は少ないと思う。
かく言う私も相対的貧乏であり、飢餓の伴う貧乏とは無縁である。
しかし、紛れも無く貧乏人であり、相対で言うならば暮らし向きはささやかで質素だ。
相対的貧乏となるとお釈迦様の話しまで出て来て「餓鬼道」に迄話しが及んでしまい切りがないので止めよう。
河上肇はイギリスでの見聞を元に貧乏人に関わるあれこれを書いたのだったが、貧困に対しての最終的な判断と解決策を得ないままにこの本は終わっている。
しかし、興味深いのは、河上肇が見たイギリスでの政治的な試みの幾つかは現代の日本に生きている事だ。
河上肇は、給食に由って餓えを逃れ得る環境を与えると学力が向上すると言うイギリスでの実験を知り興味を持った。
腹が減っては戦は出来ぬ、は道理だと思う。
だからと言って金持ちの施しを受けて満たされた腹と栄養では、精神的に違ったキズが残ると思うのだ。
ならば集めた税金から給食をし、子供の学業に専念出来る環境を整えると言うのは理に適う。
私の年代だと間違い無くお世話になった給食の脱脂粉乳は、アメリカでバターなどを造った残滓だった。
本来は家畜の飼料にされていた物を、栄養価が高いからと日本人の子供は飲まされていた。
しかし、自分を含め、給食が楽しみでそれを腹一杯喰っていた子供は、あまり勉強は得意ではなかったように思う。
腹一杯喰い、目一杯遊んで帰るのが学校だった。
しかし、戦後10年も過ぎて生まれた世代には飢餓線にぶら下がる子供は少なかったのか。
貧乏の度合いに由って給食の効き目が違うかも思う。
だとすれば、極度の貧乏の中からの方が特別な鷹が出る可能性は高いのかも知れない。
現代のぬるま湯の中で河上肇の貧乏物語を読んでいると、絶望的な貧困と相対的な貧困の温度差の違いを感じる。
さて、どうも風向きの良く無さそうな日本だが、また飢餓線当たりを彷徨う貧困まで落ちたとしたら、給食を頼りに学業に励む子供が出るのかどうか。
人は パンのみに生きるに在らずと言うけれども、人は パン無くしては生きられない。
どこら辺で折り合いがつくのかと言う話しは、相対的貧乏の迷路に成るのでこれでお終い、と。
死んだ親父が言っていた・・・銭の有る時にはまず米と味噌を買っておけ、と。
米と味噌さえ有れば、野菜は拾ってくれば良い、と。
いや、今だとドロボーと言われるんだろうけれども、大根1本、ネギやキュウリ1本くらい引っこ抜いて来ても叱られなかった時代があったのだ。
ああ、本当はジックリ書きたくて温めているネタなんだけれども「貧乏物語」と言う本が有って、なかなか興味深い事が書いてある・・・この展開はそっちへ行く雰囲気だな。
共産党系の人には有名な人なのか?河上肇の著作なんだけれども、超要約して言うと、貧困対策は社会主義的方向に行く・・・まっ、乱暴だけど、そんな感じの流れが書いてある。
で、世界を見ると大なり小なり国や自治体が民百姓の上に有れば社会主義なんだけれども、程度の差に由ってそうとは言わなかったり、で、分かり難いんだけれども、内実はそう言う事だと思う。
ああ、今考えている大きなテーマを小ネタで使ってしまった・・・まっ、どうでも良い事ですが。
しかし、貧乏にもランクが有って、と言う行は面白い・・・本当の貧乏と比較し手の貧乏が有る訳で、本当の貧乏は飢餓と隣り合わせか抱き合っているか。
で、比較しての貧乏と言うのは、自分の位置の相対的なものであり、ひもじくは無い貧乏と言う感じだったと思う。
日本の貧乏はほとんどが相対的貧乏で、飢餓線上に居る貧乏は少ないと思う。
かく言う私も相対的貧乏であり、飢餓の伴う貧乏とは無縁である。
しかし、紛れも無く貧乏人であり、相対で言うならば暮らし向きはささやかで質素だ。
相対的貧乏となるとお釈迦様の話しまで出て来て「餓鬼道」に迄話しが及んでしまい切りがないので止めよう。
河上肇はイギリスでの見聞を元に貧乏人に関わるあれこれを書いたのだったが、貧困に対しての最終的な判断と解決策を得ないままにこの本は終わっている。
しかし、興味深いのは、河上肇が見たイギリスでの政治的な試みの幾つかは現代の日本に生きている事だ。
河上肇は、給食に由って餓えを逃れ得る環境を与えると学力が向上すると言うイギリスでの実験を知り興味を持った。
腹が減っては戦は出来ぬ、は道理だと思う。
だからと言って金持ちの施しを受けて満たされた腹と栄養では、精神的に違ったキズが残ると思うのだ。
ならば集めた税金から給食をし、子供の学業に専念出来る環境を整えると言うのは理に適う。
私の年代だと間違い無くお世話になった給食の脱脂粉乳は、アメリカでバターなどを造った残滓だった。
本来は家畜の飼料にされていた物を、栄養価が高いからと日本人の子供は飲まされていた。
しかし、自分を含め、給食が楽しみでそれを腹一杯喰っていた子供は、あまり勉強は得意ではなかったように思う。
腹一杯喰い、目一杯遊んで帰るのが学校だった。
しかし、戦後10年も過ぎて生まれた世代には飢餓線にぶら下がる子供は少なかったのか。
貧乏の度合いに由って給食の効き目が違うかも思う。
だとすれば、極度の貧乏の中からの方が特別な鷹が出る可能性は高いのかも知れない。
現代のぬるま湯の中で河上肇の貧乏物語を読んでいると、絶望的な貧困と相対的な貧困の温度差の違いを感じる。
さて、どうも風向きの良く無さそうな日本だが、また飢餓線当たりを彷徨う貧困まで落ちたとしたら、給食を頼りに学業に励む子供が出るのかどうか。
人は パンのみに生きるに在らずと言うけれども、人は パン無くしては生きられない。
どこら辺で折り合いがつくのかと言う話しは、相対的貧乏の迷路に成るのでこれでお終い、と。