じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

10年で1㎝ ?

2017-06-09 20:27:25 | 日記的雑談
いや、ツツジの伸び具合なんですけれどもね。
生まれてから10年位はけっこう太くなるんですが、それでも10年で1センチくらいの太さであります。
で、そこから先は1年で1~2ミリ程度しか太くならない訳でして、だから10年で1センチ、なんて書いた訳であります。


枯れたので切り落としたツツジの枝


広い所で5.5㎝ 狭い方は4.5㎝ 推定60歳の枝

いや、本日はツツジの剪定と言いますか、花後の手入れをした訳であります。
で、枯れ枝の始末などもしたんですけれども(大物は親方)その中にお写真の枝が有った訳です。
で、枝が60歳でして、幹は推定200歳以上と思います。
まっ、枝は年輪を地味に数えた結果なんでほぼ間違いない訳でして、こんなにのんびり育つ木も有るんですねぇ~と言う事で枯れ枝が捨て難く持ち帰った次第であります。

今日は暑かったですね! まっ、自分は暑さには滅法強いと言いつつ寒さにも格別強いと言う事でアレなんですが、所詮は暑さ寒さも彼岸までであります。
んっ? 次のお彼岸まではまた遠いですね・・・。
で、現実的には間もなく夏至ですね。
夏至が過ぎると太陽は北から遠ざかって南へ帰って行く、と私しゃ寂しい気がするんですけど、皆様に置かれましては「花金」の夜、如何お過ごしで在りましょうか?
まっ、大した事もしていないのは目に見えてますけれども、一応決まり文句と言う事で。

「夏至」と言う邦題のベトナム映画が有るんですけれども、これ、好きと言いますか、忘れようとしても思い出せない類いの、自分にとっては心に沈み込んだ重しみたいな映画であります。
これと出会った頃、自分も二重生活をしてまして、まっ、涙せずに見る事の出来ない話しで有りました。
それにしても「縁」と言うのは不思議なもんであります・・・あっ、さだまさしの「縁切寺」の歌の文句ですね・・・縁と言うのは 不思議なもので そんな君から 別れの言葉 あれから三年 縁切寺・・・ナンて歌詞でありましたか?

で、出会いって、良くも悪くも「縁」・・・少し強引ですけど言い換えると「偶然」でしか無いと思う訳です。
「縁」を結ぶ以前は知らない者どうし・・・まっ、仏様や神様の一部は「縁」を知ってて結んでいるのかもしれませんけど、当人どうしは「偶然」であります。

で、「縁」が結ばれた所から現実が始まって、その先は「必然」も「偶然」も入り乱れて混沌とする訳です・・・が、フト思う訳です。
先に書いた「夏至」と言う映画は二つの家庭を持っちまって苦悩する男の身勝手と言いますか、まっ、見方は人それぞれと思いますが、自分はそう見た訳であります。

で、そんな暮らしを続けるために必用なのは「嘘」でありました。
嘘にも種類が有ると思うんですが、この手の自分勝手な都合を通すための「嘘」はトンでも無く重い訳であります。
なので自分の「嘘」に押し潰される訳であります・・・苛まれるとでも申しましょうか?

しかし・・・「縁」と言うのは 不思議なもので、と、さだまさしが唄った通り、誠にもって不思議な物であります。
「縁」は結ぶ時には偶然でありますが、解く時にもやっぱし偶然が作用しているんだと思う訳です。
別れの時には現実的な理由が箇条書きに羅列出来るんですけれども、しかし、その現実を今思い返すと全ては偶然目の前に晒されたと言いますか、現れたと言うべき物でして、必然は何処にも無かったとしか思えないのであります。

で、それをどう捉えるかが、が、偶然を必然に持ち込んでしまったんだろうなぁ~ なんてね、何を書いているのか、訳が分かんないですよね。

いや、そうなると言う事は、根底にそうしたい自分が必ず居た・・・「縁」を結んだ時も解いた時も、種は偶然だけれども、その結果を求めたのは自分・・・と。

たまにゃツタヤに行ってビデオなんか借りてみては如何ですかぃ? ナニっ?ビデオなんか貸し出していない? ソーですかぁ? 我家には未だにベータがありますけどね。
ここ20年近くビデオ屋に行った事も無いんですけど、VHSは未だ有るでしょ?

いや、今夜はナンだか少し変な感じでして・・・夏が来ると思い出す 遥かな尾瀬 遠い空・・・ナンチャって。



コメント
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