じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

親不孝です、かね

2019-08-16 12:14:25 | 日記的雑談
盆であります。

少し偏屈を語れば、盆は仏教行事では無いとも言えるんですが、今となっては盆はお寺さんの稼ぎ時ですから、まっ、すでに盆は日本の仏教行事なのでありましょう。

自分としては道教由来説がなんとなくそれらしいと思いますが、まっ、どーでも良いことであります。

盆にはその土地土地の風習があって一概にその形は言えないんでしょうけれども、形は何であれ、ご先祖様をお迎えして、そして送り出すのが日本的盆なのかと思います・・・はいっ、そこのあなたの意義は認めます。

で、こんなジジイにも親がいた訳でして・・・すでに過去形であります。

中でも父は自分が21歳の時に逝きましたから時間的な接点は少なかったのであります。

では、おととし亡くなった母との接点は多かったのかというと、これも父と似たり寄ったり、と言うよりも、一緒に遊んだ父と比べ、同じ屋根の下にいた時間は多少多いけれども、接点は父より少なかったのであります。

まっ、高校生の身で父に「出で行け」と言われたのを買って「んじゃな」と家を出ているので接点が無いのも宜なるかなであります。

とは言え、家は出たものの経済的に逼迫したり社会のあれこれに挫折するたびに父にも母にも助けられたので偉そうに一人で生きてきたとは言えないんですが、それを思うのはこの歳になったからであります。

少し前まで、自分は一人で生きてきたと嘯いていたのであります。

と、まぁ、親不孝の塊の私ではありますが、両親には心底感謝しておりまして、盆やら彼岸やらと言わず、常に父母を思い感謝しているのであります。

いやいや、墓に参って花を手向けるとか線香を、なんてことはしないのであります。

あんなところに父母がいるはずもなく、墓参りは己の気持ちを満足させるための行為と思うので滅多に行きません。

たまに行くのは、大枚叩いて作った墓がどうなっているのかを見に行くわけで、あの墓を現金で作れた景気の良かった自分に会いに行くのであります。

で、親孝行したい時には親は無し、とは良く言ったもんでして、まことにもってその通りであります・・・が、でも、亡くなったから親孝行しておけば良かったなと思うわけで、もう出来ないから安心なんであります。
なので、生きていればやっぱし何もしないのであります。

身体髪膚、之を父母に受く、敢て毀傷せざるは、孝の始めなり・・・とは、孔子が曾子に説いたものらしいですが、自分は母から「教育勅語」の言葉として聞かされたものでありました。

身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり・・・と続いて、親孝行のあるべき形を説いている訳であります。

私ゃ身体は毀損してますし、世に名を成すことも叶っていませんので、親孝行の始まりさえできなくて、当然終わってもいない訳です。

しかし、どーなんでしょう。
私も一応親の端くれなんですけれども、我が子に、世に打って出て名を成して欲しいなどと思っことは微塵もなく、どーでも良いので恙無く生き、時が来たら静かに逝けよな、なんてことしか思っていないのであります。

で、私の考えの元は父母から受け継いだものだと思うと、恐らく、自分の両親も私に過大な期待などしていなかったと思うのであります。

いや、父に関して少し残念なのは、スケベだった父ちゃんとその手の話をしつつ酒を飲みたかったのに叶わなかったことでありましょうか。

序でに言うと、父ちゃんの教えよろしく海外に打って出たけれども、東南アジアで沈没し、金髪までは未だにたどり着いていないことなども報告したいと、ふと思うことがある訳です。

いや、母には言われました・・・お前の父ちゃんは金髪云々なので負けてるな、と。

んっ・・・盆だからな、今夜は父と母を偲んで少し多めに呑もうかな。




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南北海道・・・つて❓

2019-08-16 11:10:20 | 日記的雑談
北海道の区分は道東やら道央やら道北と、形が一貫しているのに何故「南北海道」と訝しく思って記事を読むと・・・。

南北海道・・・いかにも偽物くさいと思ったら、なんとぉ~日本列島の北の果て、立派に東北地方の一員のはずの青森県がそんな嘘くさいことを宣っているんですね。


北海道は津軽海峡のあっち側なんですが

いや、なんぼ苦しいからってそんな恥も外聞も捨てた姿に同じ東北の一員として嘆かわしいものを感じるのは私だけでありましょうか。

青森には吉幾三記念館があり、日本国中にその名を轟かせるねぶた祭りもあるわけです。

しかも、これからは輸出で世界に打って出ようかという名産品の「ねぶた漬け」・・・もとい、リンゴもある由緒正しいお国柄なのに、何が悲しくて北海道もどきを名乗っちまうのか。

まっ、南部は少しいじけた雰囲気があれなんですが、津軽衆よ、日本の始まりは津軽であったとまで言い切った気概はどうしたのか・・・まっ、過疎な上に観光もダメとなるとこんなインチキくさい作戦に出るんでありましょうかね。

あれですか・・・記事を読むと津軽海峡をくぐり抜ける北海道新幹線で繋がっていることを利用した案のようですが、苦しすぎるを通り越してもはや痛いと感じるわけであります。

でもなぁ~、現実的にはリンゴを買いにわざわざ青森に行くかといえばそれは無いわけだし、ねぶた祭りも夏の一時・・・祭りのあとの寂しさは一入であります。

で、青森と言えば、津軽と南部に分かれるんですけれども、これがまた南部には何にも無いわけであります。

八戸のイカも不良続きですし、大間のマグロも小型化して値下がり続きと聞き及んでおります。

6月にバイクで八戸に行ってみましたけれども・・・なぁんにも無ぇ地域でありました。

そっかぁ~青森は生き残るために北海道を選んだのか・・・まっ、仕方ないな。


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台風一過・・・

2019-08-16 08:44:30 | 日記的雑談
まっ、我が家地方は掠ってもいない台風なので台風一過も無いんですが・・・台風一過と聞くと、脳内変換は即座に「台風一家」に置き換え、そして「寺内貫太郎一家」へと妄想が広がるのでありました。

貫太郎一家といえば浅田美代子が人気でしたが自分は梶芽衣子に目がいってました。
しかし、静江(梶芽衣子)には男がいまして、それが藤竜也なんであります。

自分は若いころ、おっさんになるなら藤竜也だな、と憧れた人でした。
まっ、ドラマの中の配役なんですけれども、梶芽衣子に藤竜也・・・痺れましたねぇ。

藤竜也ってあの頃から筋トレして身体を作っていた人でして、今の芸能人は身体作りが流行りですけれども、ずっと先を行っていた人でありました・・・そして、今も十分カッコ良い・・・かな❓

まっ、40年も昔の話なので貫太郎一家と時間ですよがごっちゃ混ぜになってストーリーやらは覚えていないんですけれどもね。

さて、お盆の頃となると俄かに大東亜戦争の記事が溢れ出すんですけれども・・・あれですか、NHKしか見ていないとそう思うのかも知れませんけど、なんであれ私は「戦争物」の記事が目立つなと思うのであります。

で、まぁ、この歳まで何度も終戦記念日という偽名の敗戦記念日を見て来たんですけれども、年々歳々ニュースの中身が偏ってくるなぁ~なんてことを思うんであります。

自分が小学生のころの8月15日は登校日でして、全校生徒が校庭に整列し、国旗と校旗を掲げ(国旗が半旗であったかは記憶にありません)校長先生が先の大戦のあれこれとこれからの日本についてお話をされるのでありました。

まっ、炎天下に整列させられ訓示を聞かされる子供としては話の内容などどうでもよくて、さっさと終わらねぇかなぁ~と思っていた記憶しか無いのでありますが、校庭に整列して兵隊さんも民間人も含め犠牲者に黙祷を捧げた時の厳かな気持ちは今も残っているわけであります。

戦争は悲惨である・・・それは全くの事実であり、否定するところは一ミリも無いのでありますが、では、避けて通れるのかという話は別問題なわけです。

争いを国という単位で捉えるから訳が分からないのであって、家族単位や個人に置き換えた争いを考えれば、万人が手を取り合って仲良く暮らしていることなどありえないというのは簡単に分かることであります・・・だから法律があって裁き裁かれる仕組みがあるわけです。

で、戦争の記事を見た時にいつも違和感を覚えるのが「数」であります。
まっ、ニュースを作る側からしたら数字の大きさは印象を強めるのに必要なんでしょうけれども、原爆の悲惨さは1発の威力で語られることが多いわけですが、大勢が死んでも一人の命はそれぞれ一つであります。

それを思うと、1発の銃弾で死んだ命も一つでして、自分はそこに違和感やら疑問を感じてしまうのであります。

で、戦争の悲惨さを語り継ぐのが近頃のお題目のようだと自分は捉えているわけですが、語り継ぐのも時を経過ぎて、もはや話が「創作」になってやしないかと感じるのであります。

言葉の解釈や理解はとても難しくて自分の意図するところを伝えるのは至難の技であります・・・と、いうよりも不可能だと思うのであります。

それだけ難しい言葉と文字で当事者では無い世代が語る戦争ってなんなんだろう、と自分は思うんですが・・・まっ、一生懸命戦争の悲惨さを語ろうとしている姿を否定はしませんけど。

誰のための戦争であったのか・・・軍部の意地や見栄か、領土拡大の野望の果てか、と色々言われますが、たぶん、今生きている日本国民のための戦であったと自分は思うのであります。

そして、幸いなことに大東亜戦争以後、日本は爆撃も銃撃もされていないわけであります。
それは、敗戦にはなったけれども、あの日戦ってくれた人たちのお陰だと思うんであります。

そんな訳で私は戦没者に「ありがとうございました」とは言うけれども、悲惨であったね、辛かったろうねとは言わないのであります。

皆さんのお陰で平穏に暮らさせていただいております、ありがとうございます、なのであります。

へっ・・・❓ 意味不明ですか❓ まっ、戦没者には感謝しているということであります。


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