盆であります。
少し偏屈を語れば、盆は仏教行事では無いとも言えるんですが、今となっては盆はお寺さんの稼ぎ時ですから、まっ、すでに盆は日本の仏教行事なのでありましょう。
自分としては道教由来説がなんとなくそれらしいと思いますが、まっ、どーでも良いことであります。
盆にはその土地土地の風習があって一概にその形は言えないんでしょうけれども、形は何であれ、ご先祖様をお迎えして、そして送り出すのが日本的盆なのかと思います・・・はいっ、そこのあなたの意義は認めます。
で、こんなジジイにも親がいた訳でして・・・すでに過去形であります。
中でも父は自分が21歳の時に逝きましたから時間的な接点は少なかったのであります。
では、おととし亡くなった母との接点は多かったのかというと、これも父と似たり寄ったり、と言うよりも、一緒に遊んだ父と比べ、同じ屋根の下にいた時間は多少多いけれども、接点は父より少なかったのであります。
まっ、高校生の身で父に「出で行け」と言われたのを買って「んじゃな」と家を出ているので接点が無いのも宜なるかなであります。
とは言え、家は出たものの経済的に逼迫したり社会のあれこれに挫折するたびに父にも母にも助けられたので偉そうに一人で生きてきたとは言えないんですが、それを思うのはこの歳になったからであります。
少し前まで、自分は一人で生きてきたと嘯いていたのであります。
と、まぁ、親不孝の塊の私ではありますが、両親には心底感謝しておりまして、盆やら彼岸やらと言わず、常に父母を思い感謝しているのであります。
いやいや、墓に参って花を手向けるとか線香を、なんてことはしないのであります。
あんなところに父母がいるはずもなく、墓参りは己の気持ちを満足させるための行為と思うので滅多に行きません。
たまに行くのは、大枚叩いて作った墓がどうなっているのかを見に行くわけで、あの墓を現金で作れた景気の良かった自分に会いに行くのであります。
で、親孝行したい時には親は無し、とは良く言ったもんでして、まことにもってその通りであります・・・が、でも、亡くなったから親孝行しておけば良かったなと思うわけで、もう出来ないから安心なんであります。
なので、生きていればやっぱし何もしないのであります。
身体髪膚、之を父母に受く、敢て毀傷せざるは、孝の始めなり・・・とは、孔子が曾子に説いたものらしいですが、自分は母から「教育勅語」の言葉として聞かされたものでありました。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり・・・と続いて、親孝行のあるべき形を説いている訳であります。
私ゃ身体は毀損してますし、世に名を成すことも叶っていませんので、親孝行の始まりさえできなくて、当然終わってもいない訳です。
しかし、どーなんでしょう。
私も一応親の端くれなんですけれども、我が子に、世に打って出て名を成して欲しいなどと思っことは微塵もなく、どーでも良いので恙無く生き、時が来たら静かに逝けよな、なんてことしか思っていないのであります。
で、私の考えの元は父母から受け継いだものだと思うと、恐らく、自分の両親も私に過大な期待などしていなかったと思うのであります。
いや、父に関して少し残念なのは、スケベだった父ちゃんとその手の話をしつつ酒を飲みたかったのに叶わなかったことでありましょうか。
序でに言うと、父ちゃんの教えよろしく海外に打って出たけれども、東南アジアで沈没し、金髪までは未だにたどり着いていないことなども報告したいと、ふと思うことがある訳です。
いや、母には言われました・・・お前の父ちゃんは金髪云々なので負けてるな、と。
んっ・・・盆だからな、今夜は父と母を偲んで少し多めに呑もうかな。
少し偏屈を語れば、盆は仏教行事では無いとも言えるんですが、今となっては盆はお寺さんの稼ぎ時ですから、まっ、すでに盆は日本の仏教行事なのでありましょう。
自分としては道教由来説がなんとなくそれらしいと思いますが、まっ、どーでも良いことであります。
盆にはその土地土地の風習があって一概にその形は言えないんでしょうけれども、形は何であれ、ご先祖様をお迎えして、そして送り出すのが日本的盆なのかと思います・・・はいっ、そこのあなたの意義は認めます。
で、こんなジジイにも親がいた訳でして・・・すでに過去形であります。
中でも父は自分が21歳の時に逝きましたから時間的な接点は少なかったのであります。
では、おととし亡くなった母との接点は多かったのかというと、これも父と似たり寄ったり、と言うよりも、一緒に遊んだ父と比べ、同じ屋根の下にいた時間は多少多いけれども、接点は父より少なかったのであります。
まっ、高校生の身で父に「出で行け」と言われたのを買って「んじゃな」と家を出ているので接点が無いのも宜なるかなであります。
とは言え、家は出たものの経済的に逼迫したり社会のあれこれに挫折するたびに父にも母にも助けられたので偉そうに一人で生きてきたとは言えないんですが、それを思うのはこの歳になったからであります。
少し前まで、自分は一人で生きてきたと嘯いていたのであります。
と、まぁ、親不孝の塊の私ではありますが、両親には心底感謝しておりまして、盆やら彼岸やらと言わず、常に父母を思い感謝しているのであります。
いやいや、墓に参って花を手向けるとか線香を、なんてことはしないのであります。
あんなところに父母がいるはずもなく、墓参りは己の気持ちを満足させるための行為と思うので滅多に行きません。
たまに行くのは、大枚叩いて作った墓がどうなっているのかを見に行くわけで、あの墓を現金で作れた景気の良かった自分に会いに行くのであります。
で、親孝行したい時には親は無し、とは良く言ったもんでして、まことにもってその通りであります・・・が、でも、亡くなったから親孝行しておけば良かったなと思うわけで、もう出来ないから安心なんであります。
なので、生きていればやっぱし何もしないのであります。
身体髪膚、之を父母に受く、敢て毀傷せざるは、孝の始めなり・・・とは、孔子が曾子に説いたものらしいですが、自分は母から「教育勅語」の言葉として聞かされたものでありました。
身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり・・・と続いて、親孝行のあるべき形を説いている訳であります。
私ゃ身体は毀損してますし、世に名を成すことも叶っていませんので、親孝行の始まりさえできなくて、当然終わってもいない訳です。
しかし、どーなんでしょう。
私も一応親の端くれなんですけれども、我が子に、世に打って出て名を成して欲しいなどと思っことは微塵もなく、どーでも良いので恙無く生き、時が来たら静かに逝けよな、なんてことしか思っていないのであります。
で、私の考えの元は父母から受け継いだものだと思うと、恐らく、自分の両親も私に過大な期待などしていなかったと思うのであります。
いや、父に関して少し残念なのは、スケベだった父ちゃんとその手の話をしつつ酒を飲みたかったのに叶わなかったことでありましょうか。
序でに言うと、父ちゃんの教えよろしく海外に打って出たけれども、東南アジアで沈没し、金髪までは未だにたどり着いていないことなども報告したいと、ふと思うことがある訳です。
いや、母には言われました・・・お前の父ちゃんは金髪云々なので負けてるな、と。
んっ・・・盆だからな、今夜は父と母を偲んで少し多めに呑もうかな。