いや、こんなタイトルでもぶち上げないと私のブログの訪問者は風前の灯でして、見てくれる人も無く寂しいのであります。
で、無理矢理取って付けた表題のようですが、実は熟慮の末のものなのであります・・・なんちゃって。
それは「罪」についての考察ついでに生まれたわけでありまして、時代とともに「罪」は増え、それを犯すまいとすればするほど人は息苦しくなり思考を停止しないと気が狂う、なんてことを思ったからであります。
簡単なところで言うと、あなた様はスピード違反をしたことはありませんか?
ねっ、そんなことは大したことでは無いと言う貴方は間違っていますよ・・・罪は罪ですから、見つからないから気にもしないと言うのなら、何をやったって見つからなければ良いとなっちまいますからね。
で、いろんな法律や条例ができるたびに私はため息をつくわけでして、究極の疑問は殺人なんですが、これも考えれば考えるほど脳みそが沸いてしまうのであります。
戦争でたくさんの人を殺すと勲章がもらえ讃えられるが、愛憎のもつれから人を殺めたら、場合によっては獄門磔とはこれ如何に、であります。
この矛盾はなんぼ考えても答えは無い・・・何故ならば、そもそも人殺しは罪だ、の定義が怪しいからであります。
なんで怪しいのかと言えば、人間が(為政者か?)社会を支えるのに便利だから作った規則でして、だから社会のあり方が変わると人殺しが勲章になるわけであります。
で、んじゃぁ、法律なんて持たない、俗で雑な言葉で申し訳ないが「原住民」は平気で殺し合いや殺人をするのかと言うとそんなことは無いわけで、明文化されていなくても約束事はあるわけです。
そして、警察や裁判所は無くても村長や酋長が裁くわけでして、人間社会ってのはどんな形でも約束事は作られるんであるなと、自分は思うわけであります。
しかし、今言いたいのはそんなことでは無くて・・・酋長が仕切る「原住民」は放っておいても無闇な争いはせず、人殺しなんてしないと言うことであります・・・まっ、半分想像で語ってますが。
さて、細かいことを書き連ねると長くなるし話がずれるんでナニなんですが、言いたいことは、良心に頼って生きる社会から明文化した約束事の規律によって成り立つ社会が進めば進むほど人が犯しやすい罪は増えるわけでして、ここんところが世の中間違っているぞ、と言いたくて書き始めたわけであります・・・が、上手く纏められませんでゴメンなさいね。
で、さらに言うと、この次から次と生まれる新しい法律や条例は為政者と言いますか、ほとんど全部と言って良い決まり事に、管理する側の都合が透けて見えやしませんかと私は問いたいわけであります。
いや、車社会だって事情が変われば規則が変わる・・・道理でありましょう、が、その前に、常識で考えて自らが律していれば規制なんて受けないのに、と私ゃなんとなく思っちまうのであります。
バイクのヘルメットの義務化、シートベルトの義務化・・・死にたく無い奴が被ってシートベルトを締めれば良いでしょうに、と思うんですがね。
私がノーヘルで事故って死んだらあなた様になんか不都合がありますか?
仮にニュースで見たとしても「馬鹿が死んだか」と思う程度でありましょう。
さて・・・今日は温泉に行くんですが、その前にジムで筋トレをしてくるんでもはや出かける時刻であります。
なのでオチもつけずに逃げますけれども・・・まっ、国民皆して無頓着に生きていると知らない間に息もできないくらいの世の中になる予感がする・・・なんてことを思ったと言う他愛ない話でありました。